集いの中央都市から、それなりに離れた東に位置する、荒地のペンペン草通り。
現状、あたし達が何に巻き込まれていたかと云うと。
目的地へと向かう途中で、血走るような眼の光をあたし達に一瞥するポチエナ達……と、その他の野次を飛ばすポケモン少数。
説得なんて無駄だと云わんばかりに襲い掛かってきたのを切っ掛けに、“野良バトル”なる戦闘に突入するに至り、持てる対処法を頼りに標的を迎え撃つ事となった。
一触即発とは、このタイミングで使われるのだろうか。
「はあぁぁぁぁ―― ほっ、よっ! はいっ! あちょおっ!!」
目を閉じ、両手を合わせ、波導を呼吸と共に合わせていたジョッシュによる繰り出されるわざの数々。
“はっけい”を軸につなげる形で、掌底、水平蹴り、そして後方体落とし。
生半可に挑みを掛けようとしていた相手は、衝撃と共に勢い良く後ろへ吹き飛ばされていく。
一方のあたしは、リュックサックのポケットから取り出していた枝と釘の様な道具を用い、向かってくるポケモン達の数匹を相手取っていた。
ある程度間隔が空いてる場合は本来の作戦を行使できるのだが、至近距離に飛び込まれた場合はわざで対処、と云った所である。
“はたく”に於けるしっぽを使って攻撃、少しでも間合い開いた所で、すかさず道具を撃ち込む――我ながら、チラーミィ族はもちろんポケモンそれぞれの固有に持つわざには、いつも助けられている。
「……ふぅ。鍛錬、重ねていても油断ならないなぁ」
「えぇ、気付く時には遠慮なく距離詰めてくるものね―― 先を急ぎたいのに」
ジョッシュは額の汗を拭いながら、一通り打ちのめした多数の敵に視線を移す。
この地点の野良バトルを仕掛けてくるポケモンは、腕試しに持って来いの左程強くない部類ではある。その代わり、数も然り敵意の強さも然り。
間合いを抜け目なく詰めてくる者もいる事も踏まえ、慎重に事を推し進める戦法が重要となってくる。
傷だらけとなり、地に横たわって目を回している面々を後目に、あたしは手を叩きながら戦闘の終了した状況にため息を付く。
「“きのえだ”に“てつのトゲ”、媒体あって飛ばせるのがかなり役立つね。路を塞ぐ方が悪いのよ」
「チナ、もしかして相手の状況次第では手加減一切無しのスタンス?」
「……気絶させるまでに留めるから、安心なさいな」
至って普通に敵への対処法を話しているだけなのに、ジョッシュからは戦慄の表情を向けられた。解せない。
こめかみに手を当てていた彼は、やがて両手を前に伸ばして表情を戻すと、戦う折に進んでいた地点周囲に目を向ける。
戦いながら進んでいったのが結果的に功を奏したのだろうか、目的地からそれまで遠くない距離だった。
突入するまでの数秒間、あたし達は深呼吸を繰り返す。
「見えてきた、来るまでに消費してった道具が少なくて幸いだわ。ジョッシュくん、準備は良い?」
「ボクなら、全然構わないよ。チナのタイミングに任せる!」
やり取りを交わす手前、あたしは自身の手を開いたり閉じたりを繰り返す。
そして、荒地の奥へと更に踏み込んで行った―― この先に、どのような暗闇が待ち受けているかも覚悟を固めて。
∴
枝が軋む様に風の吹き付ける、岩場の開けた場所。
奥の周囲の岩壁にカンテラが無造作に打ち付けられ、辛うじて夜に困らない様にされたであろうごまかし程度に近い、ポケモン達の住処。
「グルルルル……」
現在、あたしとジョッシュは、敵対する強奪の現行犯であるグラエナ達と向かい合っていた。
挨拶代わりに突入をしていた及び、彼、彼女らの威嚇の唸り声からして、“歓迎されていない”事は明白だ。
暫くの間、睨み合いが続く。
「誰かと思ったら、救助隊でも無く探険隊でも無い―― ただの一ポケモンじゃねぇか!」
「ワタシ達の住処に無断で立ち入るなんて、良い度胸よね!」
グラエナとポチエナ、それぞれ筆頭格の一匹が、あたしの姿に前脚を向けながら唖然とした様子で吼える。
と云うのも、彼らの言葉通り、二者が必ず身に付けているとされる装飾品を着けていないのをピンポイントに指摘。
“きゅうじょたいバッジ”、“たんけんたいバッジ”――困っているポケモン達を助ける者達、各地に出没しているダンジョンの探索を軸にお宝と謎を解き明かす者達が、それぞれ結成した時に最初に手にするであろう大事な救命道具である。
身分証明の代わりにもなり、現時点でお尋ね者となり得る“悪”に転がり落ちた者達にとっては畏れの対象となる、唯一無二であるトレードマーク。
今に始まった事ではないが、あたしにとっての命綱はリュックサック内の道具以外は皆無に近しい。
もちろん、此処で怯むあたし達ではない、と言っておこう。
「そうね、アナタ達からしたら取るに足らない存在でしょう」
勝手に立ち入った事は落ち度がある。強く物申せない事由にも繋がる。
あたしの隣のジョッシュが、横顔を見せる中で。
怖い顔を向けていても何処かであどけない幼げな印象を与える、進化前のポケモンに、あたしは観察を止めて証拠を突き付ける。
「ポチエナの牙からほのかに香ってくる、甘味のそれ―― ドーナツでしょ」
一瞬、ポチエナのあたしに向けていた目線が揺れ動くのを視認。
目標の物資が例え見つけられずとも、甘く美味しい食べ物の証拠を隠していく事は難しい。
しかし、タテトプスからの情報を一つのコトダマにしてぶつけてみたのが、上手い事効が奏した様子。
「……それが何だってのかい? ダンジョンで手に入れた食糧の一つかもしれねぇだろ」
すかさずグラエナが横槍を入れようとする。
大事な話の時に挟み込もうとされるのは、あまり気持ちが良くない個人的な心証もあるが…… 会えて此処は黙認だ。
あたしは次に、当事者が処罰感情を持っている点を踏まえて獰猛な強奪者に畳み掛ける。
「既に山場は捉えてある、目撃者から話を聞いてる手前ね。アナタ達の住処を、改めさせてもらっても良いかしら」
「はい、お願いしますって云う訳が無いだろ! 舐めてんのか!」
彼らの唸り声が、更に低くなるに当たり敵意が増していく。
此処から出て行け、さもないと…… の脅し文句、今に飛び掛からんする彼ら特有のわざの構えを見せるに当たって。
「例え一寸のキャタピーでさえも五分の魂、意地はあるの。タテトプスさんの声、あの時の嘆き――無かった事にはさせないよ」
「……お店で聞いてた情報の通り。だったら、ボクも踵を返せないね」
故に、あたしは退く気は無い。
リュックサックから、タネと飛び道具を取り出して左手でキャッチ。すかさず臨戦態勢を整える。
本来の、もう一つの目的を果たしたい焦りを押し殺しながら、摺り足で的確な間合いを作っていく。
刹那、あたしの目の前を、牙を剥いた輩達が襲い掛かってくる。此処までは、想定通り。
後転してバックステップ――あ、彼らのうち一匹の牙があたしの足を掠った。
「……った!」
「チナ!」
「大丈夫よ、ジョッシュくん。抵抗しない訳が無いのは分かってたから」
土埃が舞い、着地に失敗しても道具は手放さず。ジョッシュからの呼び声に問題無いと返答の上で、バランスを保つようにして立ち上がる。
この位の傷、都市に着くまでに幾らか経験してきている。目的も果たさずして、弱音は吐く訳にはいかない。
「でっち上げも程々にしな。俺達が商品を盗んだって言いがかり、看過出来ねぇぞ!」
「実力行使、覚悟するのはアナタ達よ!」
盗まれたものを巡って、追及する者、逃れようとする者らの戦いの鐘が鳴る。
∴
あたし達二匹に対して、向こうは六匹――その内グラエナが二匹、ポチエナが四匹。
元々大群でいたはずの相手がいない当たり、先程の目的地手前の戦闘で既に倒された数匹は、追ってくる者達の掃討目的で遣わされたと見るべきだろうか。
もちろん、状況証拠でしかない為あくまでも推測であるが。
ジョッシュはあたしに横目で合図を送ると、一瞬目を瞑って精神統一。その後見開くなり、寄ってくる標的に徒手空拳で迎え撃たんとする。
乾いた音と共に、相手側のポケモンが弾き飛ばされる。もちろん負けじとジョッシュに喰らい付く。
戦いの火蓋が切る前に、グラエナ達からの“いかく”で本来のチカラが発揮しにくくなっているが、左程問題にはならない。
一手攻防、手数で以て消耗戦が繰り広げられる中――
当のあたしも戦闘に参加、牙を剥き再び襲い掛かる態勢のグラエナを相手取る。
“きのえだ”を折れない様にしながらバネで跳躍して意表を突き、相手の隙を突く形ですかさず投げ入れる。刺さった相手の悲鳴が響き渡るのが嫌でも耳にしてしまう。
「つ、強い……! 何てフットワーク……!」
「師匠譲りだもの。連撃なら、何て事無いの、さ!」
タマゴの入った保管器を守るのを併用しながら、ジョッシュが拳法、足技を綺麗に繋げて、標的である相手を伸していく。
拳法使いと謳っていた手前、名乗りに恥じない腕前。かくとうタイプのわざは、あくタイプには効果バツグンなのもあり、情勢を此方側に優位に引き寄せられる。
質より数、と誰かは云っていたが…… あたしからしたら、数より質である。
壁に吹き飛ばされた反動で激突し、地表に墜落するグラエナの姿が見えた。
「あと、二匹って所? チナ、無理はしないで!」
地に伏せ、グルグルの目にさせられ倒れた相手から、あたしに視線を向けるジョッシュ。
「任せなさいな、向こうの狙い通りならあたしの動きから……っ……!」
左手と右手にそれぞれ持ち替えた道具を手に、すかさず頷いてから相手との間合い読み合戦。道具を飛ばすに当たって角度の試算も事欠かない。
“跳弾”を試みるにしても、思わぬバウンドが味方を巻き添えにする危険がある。かと云って、ポケモンの種族特有の回避法を無視する事は容易くない。
何より、足に疼く痛みが走ったのはいただけない、が… そうも言ってられない。
至近距離に於ける戦法、あたしの“はたく”から文字通り伸びる寸前のグラエナの顎にクリーンヒットさせ、“ばくれつのタネ”を服用する上で勢いよく彼に爆風を吹き付ける。
星とグルグルをごちゃ混ぜにしながら、ノックバックされた彼が毛を黒く焼かせて地表に崩れ落ちるのを見届ける。
「がぁ、ああぁぁ…… アンタら、一体……何者……」
「ぁ、あぁ、あわわわわわ……!?」
残ったポチエナの一匹が、恐れの目をあたしとジョッシュに合わせると踵を返して逃げようとする。“にげあし”――元より劣勢に苦手とする彼、彼女たちの特性の一つ。
ジョッシュが機先を逃すまいと“でんこうせっか”で、強奪者の残りに追い討ちを掛けて終わらせていった。悲痛な声を上げながら、地表に倒れるのが目に映る。
∴
強奪者の一味、表舞台に立っている者達は全員気絶させられた様だ。
額越しに手で汗を拭い、どうにかなったとばかりに息を着こうとして―― 輪っか状の光線がジョッシュ目掛けて飛んでくるのが見えた。
「ジョッシュくん、危ない!」
「……ッ!!」
“サイケこうせん”、初歩のわざの一つながら受けるとそれなりに危ない攻撃。
わざを放つ後の硬直から解けていなかったのか、あたしの叫び声にもすぐに動けず、何とか防御態勢を作って被害を小さくするに至ったジョッシュ。
苦し気な顔、先程の乱舞がウソみたいに逆の立場の如く吹き飛ばされる状況からして、相手側も“効果バツグン”の攻撃を打って出たのだろう。
岩壁のどこか、上にいるであろう新手の敵。
あたしは冷や汗が流れるのも気に留めず、サイケ調の光線の弾道がどこから、どう飛ぶのかを。
地表を走りながら観察を続ける。掠った痕の痛みが、走る毎に段々と激しさを増していく。
「正確には三匹――“もう一匹”いたのよ。影で、グラエナ達に指示してたんでしょう――リグレー!」
あたしの声が岩肌を伝って響いていく。平常通りのつもりだったが、戦いの空気に押されて余裕が徐々に失われていくのが聞いていて丸わかりになってしまう。
ジョッシュが保管器を庇う様にして横に転がって回避する中で、“サイケこうせん”の軌道は容赦なく彼を追い掛ける。
“てつのトゲ”を手に、ビームの起点を目で追っていると、打ち掛けられたカンテラの上部の方で不自然に揺れ動いている誰かを一瞬見受けた。
当の本ポケモンは透明を装ってわざを放っている様に見受けるが、相手を出し抜こうと躍起になっていて此方から既に見つけているのに気付けていない。
見つけた! あたしはすかさず持ち寄っている道具を突き出しつつ、もう一匹の敵対者・かつ首謀格であろうブレインポケモン――リグレーと睨み合う。
彼の向ける右手の先が、ジョッシュからあたしに移動されていくのが見えた。
「大した見返りも無いと分かってる癖に、何で、そうまでして…… オレ達の邪魔をぉ?」
「真っ当に商売してるポケモンを出し抜いてまで、好き放題して生きたいとは思わないの。盗んだら盗んだ分、必ず代償が来る―― 従わせてたのなら、同じようにね」
あたしに敵意を明確に示しながら、どこかトーンの低い諦めた様な声調で問うリグレー。
見返りとは、返礼の品々の事なのだろうと推察。しかし今はその意味を明確にする時ではない。
戦っている中で角度の試算を既に終えていたあたしは、持っていた“てつのトゲ”を宙に放り投げ、きりもみジャンプで以てしっぽで打ち込む要領で岩肌の壁に反射させる。
先程の市街戦で披露していた、曲射。もとい……“跳弾”の術である。
「ジョッシュくん、悪いけど上手い事避けて!」
「ええぇっ!? ちょ、チナ幾ら何でもこれ、無茶しすぎだよぉ!」
「これでも、あたしのとっておき。少なくともあのリグレーには弾道は掴めない。安心して!」
目を点にさせて驚きを隠せないジョッシュの一言、ごもっとも。
リグレーがあたしの云うように飛ばした“てつのトゲ”を目で追っている中、あたしは小さく摺り足をしながら注意深く気を配りながら解説を続ける。
「計算し尽くした軌跡にズレが無ければ、ジョッシュくんに危害は加わらないし―― 突破口が作れる!」
最後にそのキーワードで締めた瞬間。
壁と床とを縦横無尽に飛び回っていた“てつのトゲ”は、加速力を付け、尖った先端を平たくしながら最後に反射を迎えた後、無造作に打ち掛けられたカンテラの接続部に突き刺さる。
その結果、釘に簡易的に掛けていたカンテラの接続部が粉砕―― 当てられた保護ケースの鎖が千切れ、引力により落下し砕け散る。ガラスが勢いよく飛び散ったのが目に見えて分かった。
「グラエナ達は“ただのついで”よ、後から保安官達に逮捕されて事情聴取を受けるのが今後の為でしょう。それよりも―― 勝負は着いた、今更悪あがきをさせたりは」
リュックサックから布切れを取り出すに当たり、カンテラごと落ちて来た首謀者に近寄るあたし。
不意に体が浮遊する感覚に襲われ、あたしはとっさにしっぽと手に持つ布切れ、道具を押さえながら最低限身を守ろうと試みる。
「……あぁっ!?」
「チナーーッ!!」
ジョッシュの声が今や、下から響く形となる。あたしに何が起こったかと云うと、すべてはリグレー自身のわざによるもの。
“テレキネシス”による間接つかみ――技巧派な手出しから、得意な戦法と立ち回りを封じ込められてしまった。
チャックを閉め損ねたポケットから、道具がぱらぱらと零れ落ちていくのも兼ねて、あたし自身封じていたはずの焦りが再着火していく。
「ただの、チラーミィにしては惜し過ぎる強さだ。残念だよ、その鋭い着眼点がちょいとズレてくれれば…… あのグラエナ達の計画、上手く行ってたのになぁ」
「うっ、くっ…… あぁ、あ……!」
“テレキネシス”から宙に浮遊固定され、あたしは逆さ吊りの様な体制でリグレーと向かい合うしか出来ず。
掠ったグラエナによる牙の傷、彼らとの戦闘で出来た傷。それらが時間と共に腫れ出す形になり、痛みが尾を引いて疼き出し、苦痛を生ませる。
あたしはその現象に堪えかね、甲高い声を上げてしまう。
「正義感に駆られて此処に来たってのは、十分褒めてあげるよ。此処でオレに、この後記憶を消されて放り出される事も知らないで、ね。哀れだよぉ本当に」
「チナを、チナに手を出すな! 宙吊りして寸止めなんて、悪趣味にも程が……!」
「今までキミ達が好き勝手してくれた分、今度はオレが同じようにする番、さ。てんで、間違って無いよねぇ?」
痛みに、固定された体を揺すりながらあたしがもがく間、タマゴの保管器をかばいながらもジョッシュが懸命に抗う姿勢を見せる中、リグレーが耳障りなねっとりするような声を掛けてくる。
何とかこの危急を脱したい、そう思っていても動作が封じられている手前、何も出来ないのが却ってもどかしい。
「さぁさ、コジョフー。キミを倒した後でこのチラーミィを持ち帰らせてもらうよ」
「…………!」
「どの様に遊んでいくか……あぁ、楽しみだなー」
最も、かくとうとエスパーとでは、赤子の手を捻るようなものに近いけど。言い繋げるリグレーの例えのコトワザ、間違ってはいないが一々癇に障る。
持ち帰られた側に待ち受けるものは―― 考えただけでも悍ましい。
「その前に良いかしら、リグレーくん。一つ、聞きたい事がある」
辛うじて、手元から離さなかった道具に目をやりながら、あたしはその内の一つをリグレーの前に突き出してみる。
チルトが連れ去られた後に遺されていた、あたしの旅立ちの切っ掛けとなるに等しい大事なもの――くさタイプに縁のありそうなポケモンの、辛うじて絵の見える布切れを。
相手側がどう出てくるかにもよるが、今出来る、あたしの切り出す行動としたらこれ一択だ。
「こ、この布切れについて―― アナタは、御存じかしら?」
知らないのならばあたしの見込み違い、知っているとしたらリグレー側が激しい反撃を仕掛ける可能性。
心臓が早鐘を、顔からの汗が地表に垂れ落ちるのをそのままに、あたしは彼からの反応を伺うのみ。
リグレーは暫く布切れに自身の手を寄せながら考え込んでいたが、やがて、彼らしい口振りで答えを返してくれた。
「おぉう、何かボロッカスな布切れ。芸術のへったくれも無いなぁ。ドーブルか誰かのインクで乱雑に塗られて価値を著しく下げられてる――こんなのをキミは大事に抱え持って?」
「ッ、答えなさいッ!」
「はいはい、言うよ。これはー、大事な顔部分が見えないけれど。でも、ツノみたいなのに青い特徴のものがある。宝石かねぇ……ふむ。赤、黄色、橙色、緑? 見れる所が辛うじて、だねぇ」
……そう、長ったらしい前置きを無視すれば。
逆さ吊りにおける頭に血が逆流する感覚から、切羽詰まる苦しさと共にあたしは再度叫んでしまうものの、どうにか気持ちを落ち着かせながらリグレーと向かい続ける。
リグレーが云うには、インクで染められた部分は彼自身でも解明は出来ずとも、枝に近いツノの箇所、色合いから読み取れる部分から現時点での解明できる点をおさらい。
虹色みたいなのが、そのツノみたいな箇所にそれぞれ色付けられている、と云う事なのだろう。
「少なくとも、オレから云えるとしたらフェアリータイプの誰かって事だ。しかもそんじょそこらの普通の種族……なんかじゃねぇ」
「そう、なの……」
リグレーは、あたしからの答え、その後に力無く項垂れたのを見て“オレに聞けて満足したかい?”という風に覗き込むに留めている。
傷の痛み、宙吊りにされるに於いて消耗するスタミナの両面から、あたし自身の元気が失い掛けてるのが分かってしまった。
「捕まったとしても、その布切れに描かれてるポケモンの手掛かりが見出せただけ…… 望みが、断たれる前の慰めね」
息を荒げながら、あたしはそっと目を瞑る。
何も分からないよりは、ずっと良い。
チルトを連れ去った証拠の何たるかが、少しでも解明出来る方が…… 何よりも、大事である。
「チナ……まだ、ボクは戦える。諦めて良い時じゃないよ、弱気にならないで」
地上からの声、ジョッシュからの強張った様な声。
恐れはあるけれど、必死に抑え込みながら勇気付けようとするあたしへの声。
視界が一先ず黒に染まる中で、あたしは動かせる手で以てこの事態を切り拓ける残った道具を懸命に考えていた。
戦闘封じの状態にはなっているが、戦闘不能にはなっていない。
悪いけれど、あたし自身は弱気にも、諦めてすらいないのよ。
「“この世界は腐っている”――秘密裏に、暗号として何処かのポケモンがそう云っていたっけなぁ。布切れのポケモンを否定する多数がいたって、おかしかねぇ。ふふ…… 気力挫くには十分だろ?」
あたしの前で、リグレーが引き続き声を掛け続けている。不思議な、しかし下劣に近しい言葉を残すものだなぁ。
彼からの言葉には思う所はあるものの、引き続き道具を探し当て―― 見つけてしまった。
秘密裏、暗号、気力……挫く。もしかしたら、何気ない言葉でも現在持っている道具が役に立つかもしれない。
「……ビンゴ。前まで引っ掛かってた謎の一つが、今の一言で解明、されたわ」
少し間を置いてから、あたしは小声で呟いて。ニヤリと笑う。
右手に移し替えたタネをそのままに、左手はそっと人差し指と親指を使って地上に立っているぶじゅつポケモンに指を振って合図。
後は、あたしの意図に…… 分かりにくいアドリブの暗号に、彼自身が気付いてくれれば。
全てはビクティニ神に任せるとしよう。
「よしっ、そんじゃあキミを楽々倒しちまおうかー。覚悟しろよー?」
あたしの前にいたであろうリグレーが、浮遊状態からジョッシュの前へと移動して行く感覚を空気の振動で分かった気がした。
此処からだ。あたしは目を見開き、ジョッシュに合間を空けて渾身の叫びを入れる。
「……今よジョッシュくん、蹴って!!」
「あれ? ……ぇ? そう云う事?」
右手から、すっと離した黒ずんだ禍々しい見た目のタネの行方を。
ジョッシュの気付くであろう方向にあたしは目を向ける。
……後半当たりでようやく気付きましたって素振り、心臓に悪いから出来るならやめていただきたい。
「チナに手出し、させるかぁ!!」
振りかぶって、ジョッシュがそのタネをリグレー目掛け――蹴り飛ばした。
弾道は勢いよく真っ直ぐに、敵対すべき首謀格の者に飛んでいった。相手側にとっては突然の事だから、回避なんて至難の業。
タネは、リグレーの口の中に。
「んぐっ!? ん、んうぅぅ――」
飲み込んでしまったとみるや、リグレーは首元を抑えて慌てる様を見せる。同時に、何かが弾け砕け散る音も、彼周囲から聞こえ出す。
少なくとも、彼に何かが起こった。そう思わせるには十分であろう。
「この一撃で終わらせる! いけぇっ、“はどうだん”!!」
ジョッシュがリグレーに向かい、胸の前で両手を掲げる。
蒼く渦巻く波紋、波導が徐々に大きくなっていくのを見届けてから。
最後には頃合いのタイミングで、ジョッシュ自身両の掌で蒼のエネルギーボールを解き放った。
“はどうだん”は先程のタネの弾道と同じ様に、突き抜ける様にリグレーに命中。最後には爆風が彼と岩壁の一部を覆い隠していく。
と、宙吊り状態になっていたあたしが地表目掛けて落ちて―― いけない、このままでは激突してしまう。大怪我は避けられない!
間一髪、ジョッシュが抱き留めてくれて難を逃れたのが救いである。
∴
「な、何故…… このオレに、そもそもかくとうタイプのわざには強いはず……」
「油断、したわね。最後の最後で」
共に息を切らしながらも、あたし達は灰色の風がかき消えた先のリグレーに注意深く目を向けていた。
彼自身には傷は少数、しかしかなりの痛がり模様を見せている。エスパータイプのポケモンには、かくとうタイプのわざが効きにくい……普通ならばダメージは少なく決定打にはならないはず。
答えは、あたし達が共通で抱えている防御膜にある。
「“じゃあくなタネ”による効果。例え効果はいま一つであろうタイプの攻撃でも…… っ、痛みが……激しく効いたでしょ?」
昔のジョッシュと同じように、あたしも、足を主とした痛みから顔を引きつらせながら言っていた当たり、あまり決まりがよろしくなかった。
しかし、あの黒ずんだ夢にも出て来そうなそのタネの効果が、結果としてあたし達を救う事となったのは間違いない。
少し前まで余裕と邪な笑みを浮かべていたリグレーの鼻っぱしが折らす事が出来ただけでも、しめしめと思う事にしよう。
「っ…… ぐっ!! 何て、厄日なんだ……。はどうだん、如きにこの、オレが……いた、た……」
「……じゃあくなタネって、そんなにも恐ろしい効果だったとは」
息絶え絶えながら、身を起こしよろよろと岩肌から荒地の奥へと浮遊して向かって行くリグレー。
此処からおおよそエスパータイプ特有の“瞬間移動”で、逃げ果せようと云うのだろうか。
「ゼルネアス、“生命”を司る……伝説のポケモンに対して、何らかの否定的な気持ちの抱えてる者の集まりの誰かが、所有してた布切れ。宝石のような、特徴の色合いを持つツノ――」
アナタの一言から、疑惑が確信に繋がったよ。それだけは礼を言わせてもらう。
抱き抱えられながらのあたしの締め括りに、リグレーは忌まわしいとばかりに自分とコジョフーの二匹に目線を向け…… 最後には逸らす事だろう。
「あたしの事を報告するなら、しても構わないよ。その代わり覚悟する事ね」
本当ならチルトについても行方を直接聞きたかった所だが、疼き出す痛みがこれ以上の尋問にセーブを働き掛ける事に、素直に断念する事とした。
御互い、体力はもう尽き掛けである。これ以上の長期戦は命の危険を伴う。
「どんな経緯であれ、グラエナ達を犯罪に巻き込んだのは赦されないよ。この報いは、リグレー自身忘れない事だね」
「例えアナタ達が追い詰められたとしても、チルトを救い出すまでは――追及の手は止めやしない!」
「……キミ、チナと云ったねぇ。それに、ジョッシュってコジョフーも。その顔、この怨みも含めて、覚えておくよ」
ジョッシュが最初に、あたしが二番目に物申していくと。
リグレーは最後にあたし達に怨嗟の眼差しを向けてそう返答すると、自ら手を翳して姿を消していった。
“チルト…… オレもその話は興味はあるけど、一先ずは御預けだ。次にまた会おう” 最後に、意味深なのか分からない一言を残して。
∴
後に残された現場には、器用にレジャーシート代わりに置かれていた食糧…… リンゴとセカイイチ、ビッグドーナツ。
それぞれが状態悪くなる事無く、全てが無事に並べられていた。
戦いには勝っても、虚しい何かが残った感覚をそのままに。ジョッシュは、あたしは。
手元の布切れに暫く見つめていた後、リグレーの超能力の影響からあたしのリュックサックから落としてしまった道具の回収の為に、一先ずは後片付けに入る事にしたのだった。
そう云えば、気が重い懸念が更に一つ。タテトプスの彼に、後で何て報告したものか。