24
昼休みの学食はいつものように学生でごった返していた。
奥の方のカウンター席で、カオリは一人お弁当を食べていた。
水曜日の昼休みはいつもシュウと一緒なのだが、さすがに今日は「決戦当日」ということもあり、臨時の昼集会があると言って、「ヘル・スロープ」のサークル部屋に行ってしまった。
今日ほど一緒にいたい日はないのに。
本当は、暴力団と戦うなんてそんな危ないことやめてほしかった――。
炎の石を贈った理由。それは、シュウに踏み出してほしいから。
渡す時口に出して言えなかったけど、シュウには自分思うように歩いてほしいと、そう思った。
自分のことで彼が思うように生きれないのは嫌だった。
今日のことがきっかけで、自分が犯してしまった罪を償わなければならない結果になるかもしれない。
でもそんなのは身から出た錆だ。
逃げようなんて思わない。
自分は今日までこんなに守られてきた。
しかしどうだろう? 今自分の中に渦巻いている気持ちは決してそんな勇敢なものではない。
――勇敢でないどころか、薄汚くさえ見える。
行かないでほしい。
ずっとそばにいてほしい。
あなたが危ない目に遭うなんて、耐えられない。
――そうじゃないんだ。本当はそんなキレイじゃない。
行かないで、そばであたしを守って。
ずっとそばにいて、あたしを充たして。
あなたにもしものことがあったら、あたしはどうすればいいの?
――自分本位で、ドス黒い。
薬をやったことだって、償わないでいいならそれに越したことはないと、心の奥底では思っている。
逃げ切れるなら、逃げ続ける。
守ってもらえるなら、守られ続ける。
それが――本音。
そういう女、ダメなの?
両親が死んだんだよ?
普通誰だって絶望する!
仕方なかった!
きっとあたしじゃなくても同じことになってる!
絶対そうに決まってる! 絶対! 絶対!
――強くなんてなれない。あたしはずっと弱いまま。か弱い存在。
アタシニハ、マモラレルシカクガアル――
この食堂にいる人間で、ただ一人とんでもなく邪悪な女が誰にも気づかれずここに座っている。
「――最低」
カオリはお弁当にはほとんど箸をつけず、蓋を閉じた。
「随分暗い顔してるね、カオリちゃん」
そこにいたのは二年生の先輩、ケイタだった。シュウの一番の親友。
ケイタは軽く口角を上げ、カウンター席に手をかけて立っていた。
「あ――こ、こんにちは。あれっ? 今は昼集会中じゃ――」
「うん、ちょっと遅刻して行く」ケイタは表情を変えず続けた。「ちょっと大事な話があるんだ。いいかな?」
25
昼集会は比較的あっさりと終わった。
幽霊部員以外全員が集まり、いつもの口調で代表のマキノが今日の流れの確認、作戦の最終打ち合わせを淡々と行った。
一年生は大学の近くに住んでいるミサの家に待機。救護係として、連絡を受けるとすぐに駆け付けることができるようになっている。
心構えを話していたあたりで二年生のケイタが遅刻して部屋に入ってきて、代表に叱責をくらった。
そして最後にマキノは「絶対に死なないこと!」と言って昼集会は解散となった。
「そっか、死ぬかもしれないのか――マジか……」ヤスカがぼんやりと呟いた。
サークル部屋には二年のヤスカとタツヤがいつものように残っていた。三年のコウタロウも授業がないらしく、奥のソファーで日経新聞を読んでいた。
他のメンツは授業があるか、四年生なんかはゼミ室にいるのだろう。
「――あんた憲法基礎は?」ヤスカがタツヤに訊いた。
「あの授業出席とらないし、今日はいいや――てか出ても集中して聴ける気がしない」
タツヤはテーブルの上に顎を乗せ、力のない声を出した。
「だよね――なんかうち、怖くなってきた……」
「おれもだよ。実際とんでもないことしようとしてるんだよな――」
「暴力団ってさ、やっぱりピストルとか持ってるのかな?」
「――持ってるんじゃないか? 標準装備で」
「……そかあ」
二人は同時にため息を漏らした。
タツヤやヤスカも定期戦のことは悔しかったし、このまま黙って当たり障りなく大学生を過ごすよりも、何か行動を起こしたいと思っていた。シロナの話を聞いた後はいっそうその気持ちは強くなった。
しかし事実、ここまでは勢いで来てしまった感が否めない。
予想していた「行動を起こす」とは、ボランティアサークルほど温厚なものではないにしろ、ここまで直接的なものでもない、具体的には何も思い浮かばない「何か」をするような気がしていた。
――走り出してしまったからにはゴールを目指さなければならない。
ピストルを持った人がスタート地点だけでなく、ゴール付近にもいるけど。
「そういえば――マイ先輩は来ないんですか?」
ヤスカがパラパラと新聞をめくっていたコウタロウに訊いた。
このサークル部屋で起きたあの事件以来、マイはサークルに顔を出したことは一度もなかった。
「――ああ、おれが来るなって言ったからな」
コウタロウの言葉に、ヤスカは口をとんがらせた。
「もーう、先輩はそれでいいんですかぁ? 彼氏は彼女のこと慰めてあげるのが役目ですよ? マイ先輩、今すごくサビシイと思います」
コウタロウは新聞をまた一枚めくった。
「あいつが弱い奴だったらおれもそうしたかもな」
「――強い人でもベッコベコにヘコんじゃう時だってあるんですよ?」
「強いならヘコんでも持ち直せる。誰かが助けたってそいつのためにならない」
「――はぁ。もう何も言いません」
ヤスカは言い返すのを止めた。
しばらくの間、サークル部屋は暖房の音と、時々窓に吹きつける冷たい風の鳴き声だけが響いていた。
「ヤスカ――」
何の前触れもなく、タツヤが言った。
「ん?」
「――お前がやられそうになったら絶対おれ助けに行くから」
ヤスカは驚いてタツヤを見た。コウタロウも新聞の隙間からそっとのぞいた。
「う、うん――ありがと」
ヤスカは頭の中が熱くなっていくのを感じた。暖房は設定温度に達して自動的に止まっていた。
「だ、だからおれがやべぇ時もお前助けに来いよ?! そういう契約だからな?!」
タツヤがやたらと早口で言う。そして「やっぱ授業出てくる」と言って足早に部屋を出ていった。
「契約って――もう、一言余計だっつうの」
「お前、何ニヤニヤしてるんだ?」と、コウタロウ。
ヤスカは頬が浮つくのを止められないでいた。
「べっ、別にニヤニヤなんてしてないですよ?!」
「そんな顔でそんなこと言われてもなあ」
「――う、うち購買でお菓子買ってきます!」
そう言ってヤスカも、ドタバタと部屋を出ていった。
――緊張感があるんだかないんだか。
そう思いながらコウタロウは新聞に視線を戻した。
まあ正直に言って、記事の内容はほとんど頭に入ってこない。
あの時このサークル部屋を飛び出していったマイの表情が、新聞との間に割って入る。
コウタロウはマイとあれ以来、ろくに連絡を取り合っていなかった。
本当に、このまま来ないつもりなのか?
コウタロウはため息をつき、冷めたコーヒーを一口飲んだ。
そしてふと日経新聞の社会面に躍っていた見出しが目に入った。
<協会「戦力増強必至」>
例のロケット団指導者脱獄事件の関連記事だった。
<ポケットモンスター協会(以下、協会)は昨日、全国のジムリーダー、四天王、チャンピオンなどの協会任命トレーナーに加え、民間トレーナーからの募集に踏み切ることを決定した。昨年九月に起きたロケット団員の集団脱獄を受け、本格的に戦力を確保する方針だ。社会人チームや大学等のサークルにはジムリーダーに匹敵する力を持ったトレーナーも少なくなく、今年から協会は全国のジム数を増やし、さらなる民間のレベルアップに繋げることも検討している>
なるほど、要は協会は国民をあげての「総力戦」をも覚悟しているというわけだ。
そして、記事はさらにこう続いていた。
<加えて協会は、既に各地方のレベルの高いチームや個人をチャンピオン自らが視察し、実力の見極めなどに踏み込んでいることを明かした。地方によっては「実戦形式」をとり、実戦下でどのくらい力を発揮できるかの見極めが行われるという>
大学等のサークル。チャンピオン自らが視察。実戦形式。
コウタロウの頭の中で報道と現実が一本の糸で繋がってしまった。