後日、職場にて。
「で、あの晩はどうなった? 部屋に入れたんだろ?」
注文の合間を縫って、憎いあんちくしょうが声をかけてきた。
「あー、酒の勢いでな。あいつは俺の部屋で一泊していったよ」
「ほ〜ぉ……」
ニヤニヤと客商売にあるまじき笑顔を浮かべやがって。
にゃろめぇ、おめぇんちにビリリダマ半ダース送りつけんぞ。
「で、やったのか?」
「やらねーよ」
「なにぃ!?」
「お静かに」
仕事中に大声出すなよ。お客さんの迷惑だろ。
……っと、そういうそばからお客さんだ。
「おぉ、お前のお客さんだな」
「……ちょっとトイレ」
「タダマサ」
壁際じゃない。めずらしくカウンター席から、ミズハに呼び止められた。
「ご指名だぜ?」
「……お冷やになります。ご注文が決まりましたら、また伺いますので」
「接客態度がなってないんじゃないの? 店員さん」
「まっとうなお客様は、店員の手首を力一杯掴まないかとッ……!
話があるなら注文の後にしてくれ。水だけじゃ、ちょっとな……!」
「それもそうね。じゃ、ブレンドコーヒー1つ。ハシバさんによろしく」
おぉイテテ……。
へし折る勢いで掴まれた手首をさすりながら、ハシバさんにブレンドコーヒーの注文を送った。
ハシバさんも手慣れたもんだ。コーヒーサイフォンの下の燃える手は、アルコールランプよりずっと早くお湯を沸かす。そうかからずにお湯はコーヒーに変わり、短い時間で精製されたそれはスッキリとした味わいで定評があった。
「お待たせいたしました」
「ありがと。……なんていうか、すっかりこの店自慢のコーヒーよね」
「店長のブレンドが良いんだよ」
「ハシバさんの腕もね」
「あぁ、燃えてるもんな」
「…………」
ずずぅ、とコーヒーをすする。シカトか。
「すっかり名物店員かしら。あんたがバイトしてる間、この店も安泰ね」
「いや、バイトじゃなくなってもハシバさんたちは残るさ。実地研修が始まったら俺はバイトどころじゃないが、ハシバさんたちはハシバさんたちで雇われてるからな」
「あれ、結局認められちゃったんだ……」
「名物店員ですから」
まぁ、ポケモンドクターとして免許が取れたら、この町を離れて流しの医者になるつもりだけどな。ハシバさんたちとは、惜しいが、その時までの付き合いだろう。
……考えてみれば、とんでもないことだな。バイトで世話になった店のために、手持ちを全部さよならなんて。
厄介事もありそうだけど、まだその時じゃない。予定は変わるものだし、まだまだ時間をかけて考えていこう。
「……またなんか企んでるのかしら?」
「企みとは失敬な。将来の夢を考えてただけですよ?」
「夢ねぇ。ポケモンドクター?」
「そう。流しの、な」
「長篠?」
「傷ついたポケモンのためならば、北はシンオウから南はホウエン・サイユウまで。
とりあえずそこら辺をうろついては手当たり次第に治療する、そんな流しのドクターになるつもりだ」
「あぁ、流し、ね。……じゃぁ、ハシバさんたちもその時まで、か」
「いや、置いていく」
「置いてく?」
「の、予定だ」
「予定……」
相棒も無しに冒険の旅なんて、危険極まり無いけどな。まぁ、その時までには相棒の1体ぐらい、仲間にできてるだろうさ。
といっても予定は予定だし。ハシバさんたちに住み込みで働かせてもらうよう、店長に頼むつもりだけど……断られたら連れて行くまでだ。
と、そんな風に将来設計していると、ミズハが不満そうな顔になっていた。
「……何にしても、あんたがこの街からさよなら、は決定済みってわけか……」
「……はは、まぁ、馴染みの相手とお別れってのは、何だって寂しいもんだよな。
といっても、明日にもってわけでなし。医者見習いのうちはこの街にいるんだけどな。
なんなら、今のうちから思い出でも作っておくか? なんてな」
「…………」
あー、またシカト? 冗談にしちゃ、ちょっと軽薄すぎたか……。
「ねぇ、あの日の晩のことなんだけど」
「お、おぉ? ……あー、なんだよ?」
いきなりなんだ? あの日の晩って、飲み会の日の、だよな。
「あんたやっぱり、アタシの下着、見たでしょう」
「…………えーっと、唐突すぎて、ちょっとついてけないんだが」
あん時は、確かに見たな。俺は嘘ついたよ。
でもなんで今、こんなところでそれを言う? 公の場じゃないの。ちょっと恥ずかしいよ、下着って。
「ちょっと考えればわかる嘘だったのよね。
アタシの下着、洗ってあったし。
乾かすには早すぎるし。ドライヤーの音、しなかったし。
となると、ハシバさんの炎で乾かしたって事になるわよね。
んで、ハシバさんの横にはあんたがいたわけだ、か、ら……」
「ごめんなさい、あの時、嘘つきました。とっさにね。
でも、そうしないとウルサイことになると思ったから。相手が酔っ払いだったんだもん」
「そこはまぁ、アタシの深酒が招いたことだから、大目に見るわ。
で、よ? アタシが本当に気づいてほしいこと、わかる?」
「ん?」
なんだ、あの推理で、どこが気になるってんだ? 疑う余地も無い、ちゃんとした推理だぞ。しかしまぁ、今言うってことはあの後に改めて思い返したって事だよな…………あ?
「あ?」
「気づいた? っていうか、覚えてた?」
「まさかお前、あの日の晩のこと、覚え……て」
「深酒してもね、記憶はしっかりしてたみたいだわ。
あん時アタシ、かなり恥ずかしい事したなって……今、思い出しても、もぉ、叫びたいもん……」
あぁ、あれ、思い出したんだ。そりゃあ恥ずかしいだろうなぁ。声が震えてるぜぇ……。
でもお前だけじゃないよ。
「でさ、あんたも凄いこと言ってたわよね」
「…………言いたいね、ここは、全く記憶にございません、って」
声が震えるぜ。バッチリ思い出せたんだもん、俺も。
たしか、賭。
『今の記憶なんざキレイに消し飛んで、朝から大騒ぎすることになるだろうさ』
『お前が明日になっても忘れてなかったら、俺は人生かけてお前を養ってやるよ!』
「あっ……れは、おい……」
「人生かけて養ってくれるんだっけぇ?」
「酔った勢いだ……」
「結局やろうがやるまいが、後生の恥はできちゃったわけだ」
おいおいおいおいオイ! 俺はなんて事を口走っちまったんだ!
俺たちはあくまで友人、知り合いじゃないか。顔を合わせれば憎まれ口の押収。そんなカップルがあるか!
こんな、お互いに声を震わせながら、冷や汗ダラダラでするやり取りなんて……これは違う! 違うだろ!
「お、お前も大概、恥ずかしいけどなッ……!」
「え、えぇまぁねッ? でもッ……人生かけて養ってくれる相手になら、有りだとは思うわよ?」
…………これはまずい。
まっすぐ前を見ていられません。動悸が激しいです。顔がひきつります。イヤな汗が止まりません。
目を逸らしていたら、イトウさんと目があった。
あぁ、お仕事がんばってるね。丸いトレイとエプロン姿も板に付いてきたよ。似合っているよ。ところでなんとか打開策を見出してくれないかな。
そんな俺の心情を読みとったか、イトウさんは俺に向けて、歯を見せてイジワルに笑ってきた……ってイトウさん!?
飛んできたテレパシーは祝福……って、イトウさん!!
「っはぁ〜〜〜〜……」
と、不意にミズハの溜め息が耳をついた。見れば、どうやらコーヒーをあおったようだ。そうか、そうすりゃちょっとは落ち着くか。
「……まぁ、今から言ってても仕方ないことだけどね」
震えの落ち着いた声で、俺にダメ押しを仕掛けてきた。
「あんたがこの街に残ってアタシを養うか、アタシがあんたについていくか。そのどっちかってところかしらね」
「お互い、友達のままフェードアウトってのは……」
「無理ね」
「無理、か?」
「そ。無理。
実はね、この店に入る時、店先でウサミさんに面白いものもらっちゃったのよねぇ〜」
そう言って鞄から取り出したのは、卵。しかも、どこかで見覚えがあるような……。
「まさかッ……」
ハシバさんを見る。サイフォンを片手に持ったまま、驚きに目を見開き、クチバシを開いて固まっていた。
おい、マジか……。
「イトウさんが教えてくれたわ。ハシバさん、ウサミさん、愛情、卵。……ハシバさんは♂だし、つまりアタシは母親公認でこの卵を託されたってことなのよね。
イトウさんも祝福してくれてるわ。で、アタシなりの解釈なんだけど。これってつまり、家族になってほしいって事じゃないかしら?
……あら、イトウさん、肯定ですって」
「ハシバさんの意見も、聞かないとなぁ〜……」
「イトウさん、中継。……呆然、だそうよ。しばらくは無理そうね」
そりゃあれだけ驚いていたら何も考えられないだろうさ。我ながら汚い逃げ方したもんだ……。
「まぁ、いいわ。どうせ行く末は半分決まってるんだもの。時間もあるし、答えはゆっくり考えてもらおうかしら。
ごちそうさま、お会計お願いします」
「はい、ただいま」
同僚がレジに向かう。俺の後ろに来たところで、
「ようやくくっついたな」
うれしそうに言いやがって。おめぇんちにヒトモシ1グロス送りつけてやる……。
「タダマサ」
呆然としている俺の傍ら、今度は店長が声をかけてきた。
「今日はもう、あがっていいぞ。ハシバさんもだ」
「はい……」
そうですよね、こんな状態じゃ仕事になりませんよね。外面に気を使わなきゃならない客商売でこの有様は……ねぇ。
ハシバさんも心ここにあらずって感じだし。手つきがおかしくなって、今の調子だと火加減誤ってサイフォンのガラスを割りかねない。
「お先に、失礼します……」
*
そして店の軒先で、俺とハシバさんは揃って呆然としていた。
ハシバさん、そんなに卵がミズハの手に渡ったのがショックだったのか……って我が子が他人に譲られたんだ。そりゃショックだよな。
まぁ、俺もショックだよ。
よりにもよって、絶対こいつだけは無理、って相手とこんな間柄になっちまうなんて。その原因が酒の勢いと一夜の過ちってんだから、本当に救えない。
せめてもの救いは、まだ時間があるって事か。頭が冷えてから考え直してくれることも、ないわけじゃないよな……。
あとは、俺があいつのこと、嫌いじゃないってことぐらいか。
そりゃまぁ、今まで思わせぶりっぽいことも度々してたけどさ……でも、あいつは恋人にするもんじゃないよ。友人だから良いんだ。
あの憎まれ口の叩き合いは、友人同士の気安さだからできたと思ってたんだが……。
これからどうなるんだ? やっぱり、そう、彼氏彼女の間柄らしいことでも、するのかね。
……なんで、ちょっとドキドキするんだろう。
俺、喜んでる? ちょっと認めたくないっつうか……あいつが絡むと、どうしても素直になれない……。
「帰ろうか、ハシバさん……」
男2人、もとい、男1人に雄1体。転がり落ちるような展開ついていけず、重たいものを背負った歩みでノソノソと家路についた。
その背に届くウサミさんの声援が、今は救いに感じられた。
*
「ただいま……」
「あら、おかえり」
「……2度と来るな、って言ったよな。2度と来ない、って言ったよな?」
「フ……イトウさんに誘われたら断れないわよ」
イトウさん……あんた、俺にどうなってほしいんだ……?
「さ、夕食には彼女の手料理ってヤツを披露してあげるから。少しは楽しみにしなさいな」
あぁ、なんかだんだん楽しみになってきた自分がいるよ。
嗚呼、俺の将来に幸あらんことを……。