ポケモンと にんげんの あいだに ゆうじょうが うまれるって いったら
サーナイトの なかまたちは しんじて くれるかな?
でも ジーンと レイチェルを みれば すぐに わかるよ
だって…… レイチェルたち しんゆう だもんね!
「ぷっ! あっはははは! ちょっとレイ、あんたこれ本物の『ツンデレ』じゃない!」
<――笑いすぎ>
携帯電話の無料ゲームサイトで「足跡博士の足跡占い」という、なんとも胡散臭い占いがあった。なんでもポケモンの足跡の画像を選択肢から選び、種族や性別を入力すると自動的にそのポケモンの考えていることが分かってしまうというもの……まあ、明らかなお遊び占いだ。
仕事を終えて帰宅し、シャワーも浴びて、あとは寝るだけとなったところで、ジーンは面白がってレイチェルを占ってみた。サーナイト、メス、足跡は――うーん、これかな?
そうして表示された文章が冒頭の四行。
「だって普段あんた『ゆうじょう』とか『しんゆう』なんて言葉絶対使わないじゃない! ギャップやば! これくっだらないけどおもしろー!」
<ジーンで占ってみてよ>
ジーンはにんまり笑って携帯を片手でブラブラさせた。
「残念でした。この占い、人間の足跡には対応しておりませんの」
<――そう。もう寝る>
ふてくされた様子のレイチェルは自らモンスターボールの開閉スイッチを押し、わずかな残像だけ残して中へと吸い込まれてしまった。相変わらずそっけない態度なんだから。今に始まったことでもないけど。
ジーンはもう一回携帯の画面を見つめた。
親友、か。レイはそう考えてくれてるのかな。友情――私は生まれるって思ってる。人間とポケモンの関係だとしても。少なくとも、人間の私はそう思ってる。だけど――
ジーンは携帯を充電器に差し込み、部屋の電気を消してベッドに潜り込んだ。
「おやすみ、レイ」
――しんゆう――
ジーンがレイチェルと二人で暮らしているこの街は、クラムフーシュと言う。北緯五十五度以北では有数の産業都市だ。林業を中心とした第一次産業に加え、近年では流行ファッションの発信地としてもその名前が知れ渡っている。
一方で、冬は毎年湖が凍りつき、漁港には流氷が訪れ、時々ダイヤモンドダストにもお目にかかることができるという、「極寒の街」である。昔ながらのレンガで組まれた雪国使用の家屋は今では郊外にしか残っていないが、中心街の一部には世界遺産にも登録されている古の美しい街並みが広がっている。
ジーンは中心街から電車で十分ほどのところにある賃貸マンションに住んでいた。つい先日まで一階の窓が隠れてしまうくらいの雪が降り積もっていたが、この極寒の街にもやっと春が訪れる気になったようで、ポカポカとした陽気が日ごとに雪の背丈を縮めていた。
サーナイトのような知能指数の高いエスパータイプがパートナーである、ジーンのようなトレーナーの特権――いわゆる「テレパシー」を用いることで会話をすることができる。ジーンの小さい時からずっと一緒だったレイチェルはほとんど人間の言葉を正確に理解できるし、テレパシーに乗せて彼女が話す言葉も、二十代前半の人間の女の子そのものだ。だから二人は普段から全く不自由なく意思疎通ができるし、お互いの気持ちだって他の普通のトレーナーよりも数倍理解している――少なくともジーンはそう思っていた。ただ逆にそこまで深く繋がっているからゆえの悩みも、ないことはない。
「あー疲れた! もう無理!」
ある金曜日。その日もジーンは仕事を終え、レイチェルと二人で帰路についていた。春がこの街を暖め始めてから一週間以上になるが、まだ夜は肌寒い。
「今日の撮影はきつかったなぁ。初めて怒鳴られちゃった」
ジーンはこのクラムフーシュで雑誌モデルの仕事をしている。まだまだこの業界に足を踏み入れたばかりだが、ジーン自身少しずつ軌道に乗り始めたと感じている。特に一度念願の表紙を飾ることができてからそれなりに話題になり、ブログの書き込みもどんどん増えるようになった。
「――ねえ、私そんなにダメだった? 表情固いって言われてもあれが限界なんだけど」
<うーん、私には自然な笑顔に見えたけど>
「だよねぇ? ――はあ、でもヘコむな。やっぱりプロには違和感があるように見えたってことだよね……」
<まあ、そういうことだけど――大丈夫だよ。次は多分一回でオーケーでるよ>
ジーンは一呼吸おいてレイチェルの首元に抱きついた。
<――くるしい>
「レイ……! なんて優しい子――あ、てかお腹空いたよね? なんか食べに行こ! 何食べたい?」
レイチェルは少し下を向いて考える仕草をしたあと<ジーンが食べたいもので良いよ>と言った。
「あんたいっつもそれじゃない。たまには『絶対オスシ!』とか言えばいいのに」
<――オスシは苦手。それに高いじゃない>
「ちょっと、お金のことは気しなくていいのよ?」
<でも――やっぱり節約はしなきゃいけないと思うし>
遠慮する時、決まってそのライトグリーンの髪を触りながら視線を泳がす。最近、たまにレイチェルの言葉の歯切れが悪くなる時があることにジーンは気付いていた。なんだかんだでトレーナー思いな子なんだよな。でもちょっと気を使いすぎるところがある。
「今日は贅沢したい気分。うん、やっぱ飲みに行こ! 金曜日だしね!」
そういってジーンはレイチェルの背中を押した。
<――私、オサケは無理……>
お酒を出すお店は、金曜日ということもあってどこも混み合っていた。結局ジーンは時々顔を出す近所の小さなバーに電話をし、席を取ってもらった。二人は話し声の飛び交う店内のカウンター席の隅に腰を下ろした。
「ビール二つ」
<いえ、一つでいいです。トニックウォーター下さい>
カウンターの店員さんは少し笑って「かしこまりました」と言った。ここの店員さんとはジーンもレイチェルも顔見知り。最初はものすごく驚かれたが、今では当たり前のようにテレパシーを使って注文する。
「――ビールは飲めるようになった方が良いよ? この先飲まなきゃならない機会もあるし」
<人間ならそうかもしれないけど、私はそんなことないと思うから>
「もう、つれないんだから。はいメニュー、好きなの頼んで」
レイチェルはメニューを受け取るも、ページの最初を見ただけでジーンの方へそれを戻した。
<あんまりお腹空いてないから、私はシーザーサラダだけでいいよ>
「それサイドメニューなんだけど……」
<――うん、でもすごくおいしそうだから>
確かにレイチェルは普段からお肉や魚よりも野菜や果物を好んで食べる。確かにこのシーザーサラダは値段のわりにボリューミーでとっても新鮮そうだ。でもなあ――ジーンは頭をかしげる。レイ、あんたそれ以上痩せるつもり?
「そう、ね。まあいいけど。店員さーん!」
ジーンはシーザーサラダと、メインのメニューからロコモコを注文した。
「あ、あと食後に白玉抹茶パフェ二つ」
レイチェルは少し驚いた様子でジーンを見た。
「この前ファミレスで食べた時、おいしいって言ってたよね? てかあんた普段からもうちょっと食べなきゃだめだよ?」
<――うん、ごめん>
「別に謝ることじゃないって。痩せすぎで突然倒れられちゃっても困るしね」
そう言ってジーンはライトグリーンのショートカットを撫でた。
料理が運ばれてきて、ジーンのビールが三杯目に突入しようという時、店員の一人が声をかけてきた。
「おっ、ジーン! 来てたのか! 久しぶりじゃん!」
「あーディーン! 来てたよー久しぶり! 元気してた?」
ディーンはジーンがこの店に始めてきた頃ちょうど働き始めたアルバイトの大学生。かなりの頻度でお店にいるので顔を合わせるうちに仲良くなった。
「もち! あ―でも最近バイト入りすぎて単位やべえ」
「ちゃんと勉強しなさいよー。てかあんたよりうちの子の方がよっぽど頭良いんじゃない?」
ジーンは「うちの子」の肩をかついで言った。
「あ、多分負けるわあ――レイチェルちゃんも久しぶり! 元気してたかい?」
<お久しぶりです>
レイチェルはちょこんと頭を下げた。「元気してたかい?」の問いには答えなかった。
「あーそうそう、レイチェルちゃんに頼みがあるんだよね。聞いてくれない?」
レイチェルは首をかしげる。
「なに、頼みって?」問いかけたのはジーンだ。
「いや、実はね――」
なんでも、彼の大学の文化人類学の教授が、ぜひレイチェルと会話したいと言っているのだそうだ。
「俺のゼミの教授がさ、ポケモンと人で形成されるコミュニティーの研究してて、それでレイチェルちゃんのこと話したらすごい興味持っちゃってさ。面倒だとは思うけど協力してくんないかなー?」
「へぇー、そんな研究分野あるんだね」
その手の研究者なら、テレパシーで人と会話することのできるレイチェルのようなポケモンに興味を持つことは納得できる。一応、研究費からお礼もするつもりであるらしい。
「どーする、レイ?」
レイチェルは少し不安そうな顔をした。
<ぶんかじんるいがくって、よく分からないけど――色々聞かれるの?>
「そーだね、良い先生だし、そんな失礼なことグサグサ訊くようなことはしないと思うけど。でもまあ色々訊きたがるとは思う」
ディーンが店長の視線を気にしながら早口で言った。
「わりい、仕事戻るわ――もし協力してくれるならメールしてくれると助かる。じゃあ、ごゆっくり」
店長さんに細かく頭を下げながら彼は他のお客さんのところへ注文を取りに行った。
<――ジーンは、どうしてほしい?>
「レイが嫌だったら別に無理しなくていいんだよ。興味あるんだったら会ってみてもいいし」
レイチェルは残り少なくなったサラダをフォークで器用に集めながら、しばらく考えていた。
きっと知らない人と会う不安と、お礼がもらえることを頭の中でてんびんにかけているんだろう――私のために。ジーンはそう思った。
「食後のパフェ、お持ちいたしますか?」カウンターの店員さんが尋ねた。
「はい、お願いします」
◇ ◇ ◇
あたまの ツノで ひとの きもちを かんじとる。
ひとまえには めったに すがたを あらわさないが
まえむきな きもちを キャッチすると ちかよる。
――ポケモン図鑑「きもちポケモンのラルトス」より。
前向きな気持ちなんて、とんでもない。
幼い私がセント・ヴィズという街に住んでいた頃。お父さんに手を引かれ、病院を後にした私のココロは真っ暗な洞窟みたいだった。ズバットもイシツブテも住み着かないような、本物の暗闇だ。生き物の住めるような環境ではないのだ。
夜がふけ、真っ暗な駐車場。お父さんとは一言もかわさないまま、私は車の後部座席に寝っ転がった。シートの変な臭いが嫌いだからいつもはちゃんと座るけれど、今は外の景色さえ見たくなかった。目を開けていても、閉じていても、同じ真っ暗闇の方が良い。その方がココロがチクチクしない。
お母さんが病気になった。それも、そう簡単には治らない病気になった。大人たちは隠しているけれども、お母さんは病室のベッドで笑顔を絶やさないけれども、私にだって分かってる。もしかしたら、お母さんは――
「死んじゃうかもしれないの?」
私は一人、電気もつけず真っ暗なままの自分の部屋で呟いた。ベッドで仰向けになって天井を見つめていた。涙がこめかみをつたい、髪を濡らした。
その時、窓の外でか細い鳴き声がした。
最初はねずみポケモンが餌を探しているだけだと思って無視していた。
しかしその鳴き声はいつまでたってもやまない。
そしてそれは起こった。
「わっ!」
突然、頭の中がじんじんして、私は飛び起きた。痛くはない。けど、すごく熱い。
やがてその熱が少しずつ、少しずつ音になっていった。上手く表現できないけど、そんな感じだった。
そしてそれが、言葉になっていったのだ。
<いたい>
確かにそう言った。どうしよう。頭が痛いって言ってる。痛くないのに、痛いって。なにこれ。
<あう、あいたい>
会いたい? 私に? この頭は私のものなのに――おかしくなっちゃった。
その間にも外から鳴き声がどんどん大きくなっていく。
ついに耐えかねて、私は窓を開けた――
緑色の髪に赤い角をつけた、小さなポケモンがそこで震えていた。
それが私、ジーンと、その時はまだラルトスだった、レイチェルとの出会い。
前向きとは正反対の、どん底の私に、彼女は会いに来てくれた。
◇ ◇ ◇
「お忙しいところわざわざありがとうございます!」
眼鏡をかけた、まだ三十代後半くらいの若い男が言った。
レイチェルとジーンは、例の文化人類学の教授の協力に応じることにした。彼がその教授――正確には准教授らしいが――マイルズ先生だ。三人は駅前で待ち合わせた後、近くの喫茶店に入った。
「いいえ、とんでもないです。よろしくお願いします」
<お願いします>
早速、マイルズ氏はテレパシーにギクリとした。
「い、いやーなるほど。こんな感覚なんだね、テレパシーというのは。やや、失礼。こちらこそよろしくお願いします」
マイルズ氏はコホンと咳をひとつして、調子を整えた。
「今日はそんなおかしな質問はしないつもりだけど――なんていうかな、やっぱり人間の常識で話してしまうと思うんだ。聞く話の中でなにか違和感があったり、失礼と感じる質問があったら、指摘して下さい」
<――はい、多分大丈夫だと思います>
「ああ、良かった。それじゃあまず、サーナイトという種族について聞かせてください」
マイルズ氏は図鑑を開けば載っていそうな、基本情報の確認から始めた。分布や主食、仲間とのコミュニケーションの取り方など。ジーンは傍らで、少しドキドキしながら聞いていた。レイチェルは、時々下を向いて考えながらも、端的に答えていった。
「えーっと、君たちの種族は野生で一生を過ごす例の方が多いのかな? それとも、レイチェルさんのようにトレーナーと出会って、人間と生活する方が多い?」
<多分、野生で一生を終える例が多いと思います。やっぱり、人間を怖がっている仲間も多いですし――もちろん、それぞれですけど>
「なるほど、そうか。やっぱりみんなが人間に持っているイメージって、かなり悪いのかな? あ、遠慮しなくていいから」
マイルズ氏は重くならないように配慮してか、笑顔を作った。
<そう、ですね――私たちのことを捕まえようとしたり、闘わせようとする人が多いから。そういうところに反感を持っている仲間は大勢います>
「うんうん――その、人間がやっている『ポケモンバトル』って、どう思われてるのかな?」
<――闘いが好きな種族もいるとは思いますけど、私たちはほとんどみんな嫌いです。どうしても闘いたくなくて、トレーナーから逃げてきた仲間もいました>
「そうか――ありがとう」
ジーンは口が渇いて、コーヒーを一口飲んだ。
生まれてこのかた、ポケモンバトルはしたことがないし、もちろんレイチェルを闘わせるなんてこと考えたこともない。
でも現実にポケモンバトルでサーナイトが使用されているのは見るし、レイチェルとバトルの中継をテレビで見ていたこともある。
あの時、レイはどう思ってたんだろう? ジーンはそれを想像すると、あまり言い気分ではいられなかった。
「最後の質問なんだけど、いいかな?」
<はい>
「ありがとう。ちょっと難しいかもしれないんだけど――君にとっての『幸せ』って、どんなものを思い浮かべるかな? これは人間でもその価値観なんかで変わってくるものだから、サーナイトの種族の中でも色々あると思うんだ。どうだろう?」
<幸せ――ですか>
レイチェルは目を伏せて考えた。
その手が、緑色の髪の毛に伸びた。
しばらく黙りこんだ後、彼女はそっと、テレパシーを送信した。
<――すみません、ちょっと難しくて>
「ああ、いやいや、いいんだ。こっちこそごめんね、抽象的な質問をしてしまって。お尋ねしたかったことは以上です。どうもありがとう」
幸せ――ポケモンにとっての幸せ、サーナイトにとっての幸せ、レイチェルにとっての幸せ。
ジーンは思った。レイは――
◇ ◇ ◇
<ごめんなさい>
病院の待合室、キルリアになったレイチェルはそう言葉にした。
私は嗚咽を漏らしながら、傍らのパートナーを見つめた。視界は涙のせいで霞んでしまっている。
「どうして、レイが謝るの?」
<――ジーンのことしあわせにできないから。すくえないから>
この子はずっとそうだった。出会ったときからずっと。私のことばかり考えてくれる。まるでそのために生まれてきたと言わんばかりに。
私はレイを抱きしめた。暖かい体温が伝わってきて、さらに涙が溢れた。
<なかないで>
◇ ◇ ◇
夕暮れのクラムフーシュの街は雨の匂いがした。
家路を急ぐ人々で駅はごった返している。赤茶けたレンガで建てられた駅前の時計台は午後五時半は指そうとしていた。
マイルズ氏に別れをつげた後、ジーンとレイチェルは駅のホームへ向かった。
「親切な人で良かったね」
<――うん>
二人はそれだけ言葉を交わし、人ごみにまぎれて電車に乗った。
最寄駅で降りた時には本格的に雨が降ってしまっていた。
ホームを出ると、街を覆う分厚い雨雲が出迎えてくれた。屋根を打つ、耳障りな雨音と一緒に。
「あっちゃー、どしゃぶりじゃない」
天気予報では曇り空としか言っていなかったのにな――あいにく傘は持ってきていなかった。
仕方なく、駅の前にある雨避け付きのベンチで二人雨宿りすることにした。
「寒くない?」
つい最近まで雪だった雨粒たちはとても冷たく、気温もかなり下がっている。
<うん、大丈夫。ジーンこそ、今日ちょっと薄着>
「あー、平気だよ私なら」
ジーンは着ていた薄手のカーディガンを少し引っ張って、笑顔を返した――多分この顔では、撮影でまた怒鳴られる。ぎこちなさがにじみ出たわざとらしい作り笑顔だった。
「――ねえ、レイ?」
<なに?>
ジーンは自分の足元を見る。落ちていたたばこの吸い殻をハイヒールのかかとで除けた。
少し間を開けてから、ジーンは静かに訊いた。
「――今、幸せ?」
降車した人々は傘を開き、急ぎ足で、雨の中。
<――どうして?>
レイチェルが訊き返す。ジーンがゆっくりと話し始めた。
「あなたが私に会いにきてくれてから、もう十何年にもなる。最初は戸惑ったけど、レイと一緒にいるのはすごく楽しいし、私は最高のパートナーだと、そう思ってる――でも、レイはいっつも私のことを一番に考えてくれて、自分のことは後回しで、いつも我慢してるっていうか、遠慮がちで――だから」ジーンは真っ直ぐレイチェルの方を見た。「あなたの幸せって、どこか別のところにあるんじゃないかって思っちゃう時があるの」
私たちは、ずっと一緒だった。
でもそこには、人間とポケモンである以上嫌でも主従関係っていうものが存在してしまう。私は意識していなくても、知らず知らずにレイを縛り付けているかもしれない。
そう思い始めると、止まらなくなってしまうのだった。
「レイ、人間と暮らすのって、辛くない? 私に付き合って、調子合わせて、疲れない?」
レイチェルはかぶりを振った。
<そんなわけ――どうしてそんなこと言うの?>
「ごめん、責めるつもりとかはないんだよ。ただ、レイが私のせいで幸せになれてないんじゃないかって――思って」
ジーンの声は不規則に震えていた。その瞳からは雨。
「ホントにごめん、こんなのトレーナー失格だよね。パートナーのこと、私なんにも分かってない」
<違うよ、そんなことない。ジーンは――私にとって絶対必要だから>
レイチェルは足元を見つめて少し決まりが悪そうにした。ジーンは霞んだ視界の中でじっと自分のパートナーをとらえ続けた。
<私、伝えるのが下手だから、うまく言えないけど……私の幸せはジーンなの>
レイチェルは自分のトレーナーの眼差しを見つめ返した。
<ジーンを幸せにしたくて――初めて会った時から、救いたくて――でもその方法が見つからなくて。その、ジーンのお母さんも救えなくて……。私、人間の幸せって、全然分からなくて。ジーンは私のこと今まで育ててくれたのに、ジーンはお仕事毎日頑張ってるのに、私にはなんにも――なんにも出来ないの>
テレパシーでジーンに伝わってくる声は、ところどころ回線不良が起きたみたいにかすれて聴きとりづらかった。
<『最高のパートナー』って言ってくれて、すごく嬉しい。でも、大人になったジーンに、私みたいな役立たず必要――>
「必要ないなんて言ったらぶつよ!」
ジーンが大声で言葉を遮った。レイチェルはただ茫然とジーンの顔を見つめた。
雨は依然降り続き、街を濡らす。次の電車が来て、乗客がぞろぞろとホームから出てくる。
「レイ」ジーンはすっと立ち上がった。「帰ろっか」
レイチェルはちょっと戸惑った様子で、ジーンを見上げた。
<でも、濡れちゃうよ? 風邪、ひいちゃう>
「――嫌だったら、ボールに入る?」
<私は濡れなくても、ジーンが――>
「じゃあダッシュ!」
ジーンはレイチェルの手を引っ掴み、雨に向かって走りだした。
<わっ>
こうなってしまえば、もう涙なんて雨にまぎれてわかんない。ジーンは右手に体温を感じて、冷たい雨の中を笑顔で疾走した。
ジーンの幸せは、この透き通るような白い左手だった。
レイチェルの幸せは、このかじかんだ肌色の右手だった。
その光景は、道行く人からすればとても滑稽に映っただろう。
いい大人が、まるで「しんゆう」みたいに手を繋いで。
「レイ?」
<――なに?>
「ありがとう。大好き」
◇ ◇ ◇
ポケモンと にんげんの あいだに ゆうじょうが うまれるって いったら
サーナイトの なかまたちは しんじて くれるかな?
でも ジーンと レイチェルを みれば すぐに わかるよ
だって…… レイチェルたち しんゆう だもんね!
<ジーン、何見てるの?>
ベッドに寝そべって携帯をいじっているジーンに、レイチェルは尋ねた。
「足跡占い――やっぱり何回やっても同じ文が出る」
<それ、恥ずかしいからやめて>
「はいはーい」
ジーンは携帯を閉じ、身体を起こした。
「そうそう。今年連休取れたらさ、セント・ヴィズに帰ろうと思うんだ」
ジーンは夏の長期休みを利用して、生まれ故郷「セント・ヴィズ」に帰省する計画を立てていた。
<久しぶりだね>
「みんな、元気にしてるかな? お父さんと、おばあちゃんと、アルと――あ、あとそうルイスさんと、ロコンの――」
<フレイア?>
「そうフレイアちゃん! 元気してるかなあ?」
<うん、きっと元気だよ>
もうすぐこのクラムフーシュにも夏がやってくる。この街の人々はその短いバカンスを心待ちにしている。