『Welcome rain!』
雨なんて面倒なものをなぜ招く。
もちろん、それはここらへんの広い広い畑に恵みの雨を求めるためだろうが、雨が降ると曇って空が見えないせいで観察日誌もつけられないため大変都合が悪い。
というかこんなばかでかい看板ひとつで雲が招けたら苦労しないだろうと思う。この腐りかけた木片の寄せ集めに雨来て! と書くことにどれだけの意味があるのか?
よくわからんが、とにかく一昨日のゴンベによる畑荒らし騒動の勢いでぽっきり折れてしまった看板を直すべく、俺は今、街はずれまで来ている。
ここは広大な野菜畑と街との境目にあたり、畑の中にまばらにあばら屋が立っている程度のだだっぴろい丘だ。旅人にとっちゃ街への入り口ってことになる。俺も去年の今頃、ここを通ってあそこへたどり着いたのだ。間違いない目的を持って。
俺には夢がある。
しかしそれは、ポケモンマスターになるとか、トップブリーダーになるとか、実業家になるとか学者になるとかアイドルになるとかそういう具体的な夢ではない。
うえに、俺のこのなんとも退廃的(に、見えるらしい)風貌も合わさって、俺がその夢について話すとシティの友人はみんな驚き、そして直後爆笑した。
俺の夢は空を飛ぶことである。
今時そんなの大して難しいことじゃない。飛行機もヘリもあるし、それに乗れなくてもひこうタイプのポケモンがいれば簡単に大空を舞うことが可能だ。
けれどそのためには”そらをとぶ”が要る。
ポケモンの翼はもともと人間を乗せて空を飛べるようにはできていない。だからこそ人を乗せて飛ぶためにはなんらかのコツが必要らしく、そのコツの秘伝こそが”そらをとぶ”と呼ばれるテクニックなのだという。
もちろん、ひでんマシンがあれば一発なのだが。
わざマシンが大量生産でもない限り、わりかし高価なのは周知の事実である。増して、達人の技が必要なひでんマシンがそうそう転がっているもんだろうか。
そんなはずはない。
オークションなどで高価で取引されるほか、各地の達人の中でもまたひとにぎり社交的な人間がシルフやデポンなど大きな会社と手を組んで、壮大な金と技術を積み込んでやっとできあがるひでんマシン。
そんなものが一介の貧乏人の俺に手に入るはずがない。
バッタもんの改造品や粗悪品も出回っている。そんなのにひっかかって、大事な手持ちに後遺症が残ったなんて話も聞くからたまったもんじゃない。
だから普通、多くの人間は秘伝の技をポケモンに教えることのできる匠のもとへ教わりにいくのだ。
俺の住んでいたシティから一番近い、そらをとぶを専門にする匠が住む街はここだった。一番近い、とは言っても歩きでは途方に暮れるほど遠い。
それでも俺は鉄道とバスと徒歩でここまで来た。
空が飛びたい。兄貴が銀翼に誘われて飛んだ空を。
ということで、俺は毎日一枚空の写真を撮って日記をつけている。
今日はいい具合に快晴だ。雲ひとつない。突き抜けるような青の空は清々しい。
のに、何で俺は看板なんかと戦わなきゃならんのだ。
溜め息をつくと、心配そうに俺を見上げたトゲチックがきゅ、と言った。
「いや」
なんか可愛かったから撫でた。
「はやくお前が空飛べるよーになればな、と思ってさ」
トゲチックはなにもしなくても風船のようにふよふよと浮いているが、あまり高くは浮かべないらしく、小さな羽根を必死に羽ばたかせて飛ぼうとしても3メートルぐらいが限界で、あのときの必死さを見たら俺を乗せて飛ぶなんて到底無理だとわかってしまった。
しかしそらをとぶが使えれば、隣町までなんざひとっとびできるようになる。
この空を泳ぐように飛び回るトゲチックを思えば、雑用生活も耐えられる気がする。
地平線がくっきりするほどなにもない畑の真ん中の道で、テッカニンの羽音も聞かなくなってきた夏の終わりの白昼。
目が霞む。最近本を読んでばかりであまり寝ていないせいか。くそ、今日はさっさと寝よう。
「とりあえずこれ直すか……」
俺は古臭く緑に変色しかけた木片でできた雨の神様へのまじないとかいう看板を見た。
綺麗に折れている。そりゃあもうぽっきりと。
工具箱を運んできた右腕が、昼間の温い時間の流れと同じくらいだるかった。
***
雑用男「王子系イケメンはそうでもないのに、俺がトゲチックを相棒にしていると言ったらなぜか引かれた。不条理を感じる」