「ジムリーダーとは、単にジムの長としてバッジを管理し、挑み来る者を見極める役割を言うのか? 否。ジムリーダーとは、ポケモンバトルを通じ、その街を興す者なり。地域に住む人々のことを誰よりも考え、将来を担う子供たちと触れ合い、その街を内側から盛り上げていく者なり」
おじいちゃんが私に残してくれた言葉だ。
私を養子として迎えてくれたその家のおじいちゃんは、昔ハクタイシティのジムリーダーだった。幼い私にポケモンを教えてくれたのはおじいちゃん。一緒に森に散歩に出かけてはそこに住むポケモンの名前や特徴、主な技など、そんなにたくさん言われても小さい私には分かるわけないのに、教えてくれた。それはもう熱心に。
――もうちょっと簡単に言ってよ。専門用語使われても分かんないよ。
私はそう思っていても口に出さず、うんうん頷いて分かったふりをした。おじいちゃんが機嫌を損ねるといけないから。物分かりの良い子供でいなきゃいけないから。
大人になって思う。ちゃんと分かんないことは聞き返すんだった。おじいちゃんはあんなに本気だったのに。
アタシ、ウソツイテタンダ。
今更悔やんでも、そのこと、伝えようがない。
――てか冒頭こんなシリアスなのはちょっとマズいんでないかい?
テンションを戻そう。テンポ大事だよテンポ。
『サンセット☆森ガール page2』
二つ並んだオムライス。二つ並んだ、満面の笑顔。
「いただきます!」
「いただきます!」
同時にスプーンを手に取り、卵を崩す。ほおばる。そしてまた満面の笑顔。
「おいしい! 絶品! オムライスにはうるさい僕もこれにはうならざるを得ない!」
「ホント! 星三つです! シェフをこちらへ!」
男の子はハルキ、女の子はアキナという名前らしい。十ニ歳のハルキが兄で、三つ下のアキナが妹。本当に彼らは今日二人だけで電車に乗り、このコトブキの街へやってきたのだという。
なんと映画を見に来たらしい。「『ディープフォレスト』っていうホラー映画なんだけど、かなりマイナーな映画でさ、シンオウだとコトブキのシネフロでしか上映してないんだ。でもアキナがどうしても見たいっていうから」とハルキは流暢に言った。どうもこの子たちは不必要に大人びている。普通小学生だけで街に行かせる親なんていないよね? 他の追随を許さないレベルの放任主義だ。そしてホラー映画が好きな小学生の女の子もあまりお目にかかれない。
「予告は結構良かったんだけど、期待外れ。あんまり怖くなかったよね? お兄ちゃん」
「うん。始まって十分で展開が読めちゃった。死体がゾンビになって土から出てくるところもあんまり迫力なかったし。カメラワークが悪かったのかな」
ホラーなんてわざわざ見に行く人々の思考回路は私には到底理解できたものではないが、この子たちの映画に対する評論家視点はもっと理解できない。カメラワーク? そんなもの気にしながら映画をご覧になるのですか?
「ナタネちゃんは食べないの?」と、アキナが口をもぐもぐさせながら聞いてきた。
「あー、うん。あたし今ダイエット中だから」アメリカンコーヒーを一杯だけ注文しただけの私はそう答えた。別にダイエットなんてしていない。
「オトナのジョセイはやっぱりタイヘンなんだ」そう言ってからまたオムライスを一口。ホントに幸せそうだ。
学校ではリレーの選手らしいハルキがドンキホーテから走って戻ってきてからは彼らのペースに飲まれっぱなしだった。いや、思えば最初から二人のペースだったけど。仕方なく路上でサインを書き、握手をした後「これから僕たちご飯食べに行く予定なんだけど」となり、気付けば三人でファミレスで「三名様ですね、禁煙席でよろしかったですか?」だ。
おかしなことになってしまった。ぱっと見この三人組はありえない光景だよな明らかに。私、お母さんにはさすがに見えないだろうし年の離れた姉とするにもちょっと難がある。隣りのボックス席のカップルがチラチラこっちを見てるのは、悪いけどとっくに気が付いている。
「二人とも、食べたらあんまり寄り道しないで帰るんだよ? 遅くなったらお父さんとお母さん、心配するから」
私がそういうと、二人は顔を見合わせた。同時にこちらに向き直り、兄のハルキがにっこりして言う。
「今、お父さんもお母さんも家にいないんだ」
「そうなの」妹がそれに続く。
「僕らのお父さんは仕事でずっと海外だし」
「お母さんは『ポケモンマスターになりたい』って言って一カ月くらい前に旅立っちゃった」
「だから僕ら、今は二人で生活してるんだ」
「というわけで、あたしたちの帰りが遅くなっても心配する人は誰もいないの」
そうなんだ。ふーん。
「……まじで?!」私はコーヒーを吹き出しそうになった。
こんな小さい兄妹が二人だけで生活していることがまず驚愕だったが、一番おかしいのはお母さん、あなただ。ポケモンマスターを目指すには少々遅すぎはしないか? いや、夢を追いかけるのに遅いも早いもないとか美しいことを言われたら何も言い返せないが、少なくとも二人産んだ後の発想ではないでしょうよ?
「でもうちは元々放任主義な家庭だから、お母さんが旅立つ前から僕らこんな感じだったよ?」
「あたしたち別にサビシイとか思ってないし、自分たちで色んなことできるからすごく良いと思ってる」
たくましいなあ、たくましいよあなたたち。このゆとり社会にこんな生き方できるなんて。
ため息。
お会計の時、ハルキが律儀に財布を出した。「いいよ、お姉ちゃんが出すから」と言うと、「ホントですか?! ありがとうございます! あ、僕ら出口で待ってます!」と急に敬語でハキハキとそう告げ、妹を連れて先に外に出た。どこで覚えてくるんだろ、そんなサラリーマンみたいな行動。
私は二人を駅まで送ろうととりあえず改札まで行くことにした。兄妹は私の買った服の紙袋を持ってくれようと何度も願い出た。出来た子たちだよホントに。
時刻はもう五時。二人を見送ってから、誰か呼び出して飲みに行こう。話のネタなら山ほどできた。
ところが改札口まで行くと、何やら人だかりができていた。嫌な予感。
<ただいま、ハクタイ方面の列車、原因不明の故障のため、全線運転を見合わせております――お急ぎのところ、大変申し訳ございませんが、現在原因を調査中でございます――繰り返し、列車を御利用の皆様に――>
いやいや、ご冗談を。
「原因不明だって! 何が起こったんだろう?」
「気になるー!」
ちょっとお二人さん、なんでそんなに興奮した面持ちなのかな?
「――どうしよっか、これじゃあ帰るにも帰れ――」
「そうだ! ナタネちゃん! 僕らで原因を突き止めようよ?」
「賛成! あたしたちで復旧させよっ!」
なるほどその手があったか――え?
空っぽの笑顔を浮かべる私の両手を二人は素早く掴むと、人混みの中をぐんぐん突っ切っていった。
「あ、ちょっと! そんなことできるわけ――」
意気揚々と手を引く二人を見てなんとなく本気で抵抗するのも気が引け、結局私は駅員さんの前に躍り出ることになった。駅員さんは私たちに気が付くと、クレーマーかと思ったのかすぐに申し訳なさそうな顔になり、ペコペコし始めた。
「大変申し訳ございません。現在全力で原因を調査中でして――」
「いやーそのー」
乗りかかった船というやつか。私はぎこちなく笑いながら、切り出した。「何か協力できることがあればと、思いまして」
本音はこんな面倒なこと関わりたくもないよ。でも復旧しないとハクタイへ帰れないし。
「え?」駅員さんの反応は、最もなものである。「えーと、はい――お気持ちは嬉しいのですが、職員でないとちょっと――」
渋る駅員さん。めちゃくちゃ決まりの悪い私。
そこへ兄妹が真面目腐った顔で現れた。
「大丈夫です! ナタネちゃんはハクタイシティのジムリーダーなんです!」
「シンオウ一の草ポケモンの使い手です! 絶対役に立ちます!」
二人は両手をグーにして駅員さんを見上げた。役に立つ……ね。
「ジムリーダー……あーナタネさんで! ――すみません、気付きませんでした」
「いや、とんでも――原因は全然分からないんですか?」
私は駅員さんから事情を聞かせてもらった。
一応ジムリーダーというのは事件とか災害とか今回みたいなトラブルに任意で協力する――義務だか権利だか忘れたが(大事だろそこ?!)、とりあえずこういうことに首を突っ込めることにはなっている。購入した服をひとまずロッカーに預け、駅員さんにホームまで入れてもらう。兄妹は勝手についてきた。
聞くと列車は回送状態でホームに到着しているのだが、突然すごい電流が車体に走り、乗務員は慌てて飛び出したという。
「どうやらどこからか漏電しているらしく――乗務員も一時ショック状態になりまして、非常に危険なんです」
「いままでこういうことって起きたことあるんですか?」
「いえ、私自身が勤め始めてからは初めてのことですし――似た話も聴いたことはありません」
するとホントに突然の出来事ということか。そうするとそれはかなり見逃せない話だ。漏電なんてことが何かの拍子に簡単に起きたら、安心して電車なんて乗ってられない。
何かありそうだと私は思った。勘だけども。
ホームは駅員や作業員が慌しく行き来していた。私たちを見た途端、作業員のなかで一番年配らしい男性が怖い顔をしてこちらへ駆けて来た。
「おいおいなんで一般人連れて来た?! 危ねぇって言ってるだろ!」
駅員さんは怯みながらも事情を説明してくれた。「す、すみません――でも彼女ジムリーダーで、原因解明に協力してくれると――」
「じゃあそっちのガキは何だ?」作業員のおじさんは兄妹を睨みつけた。なんだこの人、無愛想すぎる。
「あ、えっとこの子たちは……」駅員さんは私の顔をちらりと見て助けを求める。
私だってこの子たちがこの状況でどういう位置づけなのか分かりかねる。しかし二人はハッキリと、声を揃えて「ナタネちゃんのジョシュです!」と言うのだった。
駅員さんと作業員のおじさんはしばらく問答していたが、どうやら折り合いがついたらしく「車体にさわんなよ? 黒焦げになっちまうぞ」と脅しを入れて、おじさんは他の作業員の方へ行ってしまった。さて、とりあえず調査開始。
車体は一見すると普通どおりに見えるが、実際にはかなり高圧の電流が流れているという。私は兄妹に「絶対に触っちゃ駄目だからね」と念を押し、一通り車体を見まわした。後ろの車両からずーっと前の方まで歩いてみたけど、やっぱりどこも変なところはない。電気の専門はデンジだし、ためしに連絡して訊いてみようかな。
そんなことを思っていると、背後から興奮したような声が聴こえた。
「ナタネちゃん! ここに何かいる!」と、兄のハルキ。
「何か動いてる!」と妹のアキナ。
振り返ると自称「助手」の二人は電車とホームの足場のわずかな隙間を覗いていた。ハルキなんか車体に身体が触れるギリギリのところに立っている。
「ちょっとあんたたち! 危ないでしょっ!」
私は急いで駆けつける。全くこの子らときたら怖いもの知らずもいいとこにしてほしいものだ。さっきあの怖いおじさんに黒焦げになるって言われたばかりでしょうに。
それはそうと、一体何を見つけたのだろうか?
「――どの辺?」
「ほら、もうちょっと右」
「ちょうど乗車口のあたり」
目を凝らすと、確かに何かが暗がりでうごめいている。それも影は一つではなく、三つ四つ――結構な数。
「二人とも離れて」
恐らくは、ポケモンだ。こいつらが原因なのかは分からないが、ちゃっちゃと片付けてしまおうじゃないか。本来ならカフェで優雅に読書のところを、公共交通機関の復興作業をしているなんて思うとなんだかなーという気分になる。このやろうめ。
「ブーケ!」私はモンスターボールを傍らに放った。
両手のバラの花束を優雅に振り、甘い香りを漂わせながらブーケは現れた。
「ロズレイドだ!」
「きれーい――」
ブーケの甘い匂いに誘われておびき出されないポケモンなんているもんですか。ブルガリもいいけど、私は断然ロズレイド。さあ、出てこいや。
電車とホームの隙間から一瞬電撃が走り、目が眩んだ。バチバチと音を立てて、二本の黄色いアンテナのようなものが隙間からのぞく。作業員たちが異変に気付き、こちらに走ってくる。
「近づかないで! 野生のエレキッドです!」私は手を上げて作業員を止めた。
数は多いが、問題にはならない。ブーケで押せる。相手は所詮は子供だ。
エレキッドの群れがぞろぞろとホームに上がり込んできた。車体に電流を垂れ流していた張本人たち。コンセントみたいな頭して生意気にも列車ジャックかしらこの子たちは。エレブーやエレキブルは近くにいないみたい。全く今日は親元離れて自由気ままなお子さんたちによく出会う――最もこの黄色い不良たちはしつけが行き届いていないようだ。
誘われて出てきた彼らは香りの源を目がけ、両手から電撃を走らせながら襲いかかってきた!
「ブーケ、マジカルリーフ!」
一発で終わらせる――終わらせると言っても相手を戦闘不能にするつもりはない。
ブーケはバレリーナのようにその場でくるくると回転し、色とりどりの葉をあたりに振りまいた。ベイビーポケモンは早い話「ビックリ」させれば勝ちだ。野生の彼らが向こうから襲ってくるのは自分たちが傷付けられるのを恐れているからで、一発怖気づかせれば逃げ出す。ブーケの攻撃も、実際には加減されダメージを与えるようなものではない。
マジカルリーフがエレキッドたちにヒットすると、たちまちひるんで襲いかかるのを止めた。
「あら、どうしたの? 怖いのかしら?」
トレーナー自身の威厳も大事。完全に見下すことで、畏怖させるのが効果的だ。ほら、後ずさり。
それでも彼ら、まだ骨がある方みたい。ビビりながらもしぶとくもう一度飛びかかってくるエレキッドをブーケはマジカルリーフでけん制する。
「ナタネちゃん!」
突然、背後からアキナのひきつったような声がした。
しまった――私は振り返ってそう思った。
エレキッドのうち一匹がいつの間にか背後に回り込み、ハルキとアキナに襲いかかろうとしていた。頭のコンセントをバチバチと光らせじりじりと間を詰める。
「早く逃げて!」
ハルキがアキナの前で手を広げ、必死に庇おうとしている。アキナが後ろで尻もちをついてしまった。
まずい。ブーケは他のコンセントの相手をしている。私は他のボールを投げた――エレキッドが飛びかかる――追いつかない!
「むおっ!」
エレキッドの電撃をもろに受け、膝をつく――
――二人を庇ったのはさっきの無愛想な作業員のおじさんだった。
「はっ、この程度の電気――うちのかみさんの平手打ちの方がよっぽど強力だ」
おじさんの後ろで兄妹は茫然としていた。
少し遅れて私の投げたボールからタネキチが飛び出す。
「ブーケ、手加減なしでいい! タネキチ、葉っぱカッター!」
猶予はない。とにかくこの危険なコンセントどもを止めなくては。
より強力になったマジカルリーフはうず高く舞い上がり、エレキッドたちを巻き込んだ。タネキチの葉っぱカッターもあの一匹にクリーンヒット。
猛攻をくらった黄色の集団は慌てまろびつつ散り散りになっていく。やがて一匹、また一匹と姿をくらましていった。
私は軽く息を切らしていた。
全くもって迂闊。ベイビーポケモンだからと思い、脅かして逃がしてやろうということに思考を縛られた。即座にダメージを与えるべきだった。
「大丈夫ですか?!」私は電撃をくらったおじさんに駆け寄った。
「ああ、たいしたこたぁない。それより坊主たちは平気か?」
ハルキが妹の手を取り、身体を起こした。二人ともまだ顔がこわばっているが、無事みたいだ。
よかった。
「――おじさん、ありがとう」
「ごめんなさい、あたしが転んじゃったから」
しょんぼりした声だったが、二人とも泣いてはいなかった。それなりに怖かっただろうに。
「――怪我がねぇならいいんだ。さて、早いとこ復旧させんと」
そう言うとおじさんは作業着を手で払い、何事もなかったみたいに作業に戻ってしまった。
お勤めを終え、沈みはじめた太陽。オレンジ色の夕日が差し込む。
通常通りの運行が再開したハクタイ行きの電車。
結局飲みに行くのはやめて、私は兄妹と三人で帰路についていた。
向かいの席ではハルキとアキナがお互いの頭にもたれてぐっすり眠っている。そりゃあ疲れたよね、今日は。
こっちまで微笑んでしまうほど無邪気な寝顔は夕日に照らされてキラキラしてる。憎たらしいコンビだけど、なんか憎めないなこの子たち。今日はホント振り回されっぱなしだった。でも賑やかで楽しかったかも。
ハクタイまではあと二時間もある。私も到着まで眠ろう。明日は月曜、週頭はダッシュで飛び込まないとね。
ブラインドを下ろして眩しい夕日を遮り、私は目を閉じた。
「――ジムリーダーとは、ポケモンバトルを通じ、その街を興す者なり。地域に住む人々のことを誰よりも考え、将来を担う子供たちと触れ合い、その街を内側から盛り上げていく者なり」
おじいちゃん、見てくれてる? 今日ほどおじいちゃんの言葉を体現した日はないんじゃない?
面倒くさがりな私だけど、真面目なところもあるんだからね。
これはウソじゃない。