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相手がトゲチックの「指を振る」で発動したスピードスターやロックブラストで翻弄されている隙に、僕たちは手元から離れていたボールを取り戻すことができた。僕はすぐにボールを放ると、現れたヒートはたてがみをなびかせ、夜空に向かって高らかに吠える。しかし、ザングースに傷付けられた左肩を庇い、明らかに立ち方が不自然だった。あまり長くは戦わせられない。勝負は短時間で決めなければ――
ヤスカは雪に足を取られそうになりながら傷ついたフローゼルに駆け寄り、労いの言葉をかけた後、モンスターボールに戻した。フローゼルはさっき、目を覆いたくなるほど酷いやられ方をしていた。おそらく、体力は残っていなかったのだろう。
「ヤスカ! フローゼル連れてここから離れろ!」タツヤがムウマをボールから繰り出しながら叫んだ。
「う、うん――ごめん」
ヤスカは言われた通り、積もった雪の中をもがくようにしてこの場から離れていった。
マイ先輩も含めて、こちらは四人。相手は五人――事実、まだ状況は好転したとは言い難かった。
数で負けているだけじゃない。位置関係が問題だった。学生会館の裏の細い通路で、僕たち男三人は東側、マイ先輩だけ西側だ。相手を取り囲むようにして構えており、一見すると非常に有利に見える。しかしこの陣営でいくと、むしろ相手はどちら側にどのポケモンをぶつけるかを自由に選択することができる。自らに不利になるタイプの相手は避けることが可能だし、弱点も突きやすい。
そしてヒートやコウタロウ先輩のキュウコンがいる僕らの方には当然水タイプ――ビーダルとゴルダックがにじり寄ってきた。
「へへ、悪いがまだ終わっちゃいねえ。相性ってもんがポケモンバトルにはあるよなあ? それにそのウインディ、へばってんじゃねえか」
ビーダルの主人が罵った。ヒートは正直、立っているのがやっとのように見えた。
相手のグラエナは白い毛を逆立てて、ムウマを睨みつけている。こちらも、相性が最悪。残りの二匹――ドクロッグとアーボックはマイ先輩のトゲチックに狙いを定めていた。予想通り、タイプの相性が相手に有利になるようにカードを組まされてしまった。
「落ち着いていこう。勝機はある」コウタロウ先輩が言った。九尾の先端に青白い炎が灯り、低い姿勢のまま敵のを待ち受ける。
「――はい」
僕とヒートは相手のゴルダックとビーダルに対峙していた。ヒートは足で雪を踏み固め、助走をつける仕草をした。あまり何度も使えない技だが、スピードを重視するとベターだ。ヒートはばねのように後ろ足を使い、風を切るような早さで相手に突っ込んだ――
神速――技はゴルダックの左腕をかすめ、ビーダルに直撃した。ゴルダックは少しよろけただけだったが、ビーダルはどてっ腹に重い衝撃をまともに受け、後ろへ吹き飛ばされた。
「クソッ! ありかよそんな速さ!」相手の一人がうろたえた様子で言った。
ビーダルは雪を巻き上げて地面に転がったが、すぐに顔を振るって立ち上がる。まだ決定打とまではいかない。
ゴルダックは背後から手のひらをヒートに向けたかと思うと、勢いよく水砲を発射した。
「ヒートっ!」
寸前のところで気が付いたヒートはギリギリのところで身をかわす。そのまま雪の中に倒れそうになる。脚がぐらつき、息を荒くしていた。
「シュウ、下がってろ」コウタロウ先輩が叫んだ。
メイヤの九つの尾の先端から放たれた炎はゴルダックを取り囲み、手を取り合うようにして数珠状に繋がり、青白いの火柱になって寒空に燃え上がった。踏み荒らされた雪の絨毯が明るく照らし出される――
しかし、うず高く巻き上がらんとした炎はゴルダックの水鉄砲により途中で鎮火されてしまった。
「――駄目か」コウタロウ先輩が苦虫を噛む。
一方、タツヤのムウマは相手のグラエナ攻撃を余裕綽々でかわしていたが、なかなか攻撃に転じない。あれこれ指示を出しているタツヤの声を無視し、噛みつこうとしているグラエナを嘲笑って、ただふわふわと空中を漂っていた。
マイ先輩とトゲチックのティムは毒針をもった蛙と毒の牙をもったコブラを二匹同時に相手にしていた。壁技でなんとか持ちこたえているが、なかなか攻撃に転じられずに、やはり苦戦を強いられていた。
「ヒート、もう一発いけるか?!」
そう叫んだ僕に対しヒートは身体を震わせて精一杯「ヴォン!」と吠えた。もう一度「神速」のために足を踏みしめ、助走を取ろうとしたが、ゴルダックが水鉄砲で邪魔をする。かわすために後ろへ飛んだヒートの足元がまたぐらついた。
「――シュウ、ヒートを戻せ」
コウタロウ先輩がそう言った。その目は、ビーダルの攻撃をけん制し、今はゴルダックに怪しい光を浴びせようとしている彼の九尾から一瞬たりとも離れない。
「でも!」
「これ以上は危険だ。それはお前が一番わかってるはずだろう。それに、戦えないやつが残ってもマイナスにしか働かない」
僕は反論できなかった。
正論――ここで先輩に噛みつくのはただのわがままだ。事実ヒートはもはや精神で身体を支えているようなものだった。この凍えるような寒さも、恐らくヒートの体力に追い打ちをかけている。
他のポケモン達の動きはまだほとんど鈍っていない。キュウコンは相手の水タイプの技をかわしつづけているし、トゲチックは指を振るで発動したラスターカノンをアーボックに浴びせていた。
「急げ! やられちまうぞ!」
ビーダルが雪をかき分けながらこちらに向かってくる。
「――すまんヒート、ボールに戻って――」
しかしその瞬間、ヒートは雄叫びを上げると、僕の言葉を無視し、ビーダルに正面から向かっていった。
「おい! よせ!」
僕が呼びとめるも、ヒートはビーダル目がけ、渾身の力で突進していく。
「はっ! 飛んで火に入るなんとやらだな。ビーダル、水鉄砲だ!」
ビーダルの主人が意気揚々と指示を飛ばした。ビーダルは前足をついてヒートに狙いを定める。
僕は慌てて取り出したモンスターボールを取り落とした――
――その時、ひらりと天から舞い降りたのは、蝶だった。
蝶はダイヤモンドダストのようにきらきらと光る風を巻き起こし、ビーダルを包んだかと思うと、鳴き声のようなかん高い音を立てて風は竜巻に変わり、ビーダルを雪もろとも吹き飛ばした。僕らも相手の暴力団も、あっけにとられてその光景を見ていた。
「ほらー! やっぱりヤバい感じじゃないですか!」
どこか気の抜けたような、聞いたことのない若い男の声が、遠くの暗がりから聞こえた。
そしてその後聞き覚えのある女性の声が耳に入ったような気がしたのだが、僕はその後の出来事のせいで、声に注意を向けることができなかった。
「シュウ!」タツヤの悲痛な声が僕を呼んだ。
相手のゴルダックが手のひらを、僕に向けていた。
「トレーナーを狙っちゃいけないルールはなかったろ?」ゴルダックの主人が不気味な笑みでそう言った。
強烈な念力が僕の身体を襲った。空気に殴られたような感覚で後ろへ吹き飛ばされ、僕は思いっきり雪を喰った。頬に切り付けられたような痛みが走った。
すぐに立ち上がろうとしたが、身体が重たい。僕はゆっくりと意識が遠のいていくのを感じた。何人かの声が僕の名前を呼んだり、叫び声を上げたりしている。
オレンジ色の毛をまとった前足が視界に入った。身体が揺すられている気がしたが、その感覚もやがて消え去り、目の前の景色も黒く塗りつぶされた。