「ちょっと、しっかりしてくださいよ!」
「……うん、誰だ……」
あ、頭が割れそうだ。馬鹿でかい声出しやがって。……それにしても、何かざらざらしたものが感じられるな。これは、推理するに砂か? もしそうなら、まさか俺は流れ着いたのか? 小雨が俺に打ちつけている。少なくとも、生きているのは間違いあるまい。
俺に声をかける物好きは、安堵の表情を浮かべた。そいつは、右手に傘を、左手に何か赤いものを持っている。
「あ、生きてる! 良かった……さ、急いで看病しないと。フーディン!」
物好きは赤いものから何かを出した。特徴的なスプーン……フーディンか。余計なことをしてくれるぜ。仕方ない、1つがつんと言っておくか。
「……お、おい。俺のことは気にするな、じきに……」
楽になる、永遠にな。そう言おうとしたが、口が思うように動かない。物好きは俺が言い切る前にまくしたてた。
「そんなわけないじゃないですか! フーディン、構わず行くよ!」
「おいやめ、うがっ」
物好きのフーディンが何やら力を入れた。俺の体が宙に舞う。こ、腰が……。
ここで俺の意識が途絶えた。
「……ここは?」
目が覚めたら、天井が見えた。別に体が縮んだとかいうわけではない。外から雨音が入り込んでくる。俺は辺りに目をやった。畳が敷いてあり、その上に布団がある。俺はここで寝ていたようだ。部屋には特に何もなく、生活感が感じられない。つまりここは空き部屋で、俺を休ませていたということか。
それにしても、妙に頭が軽い。視界も良好で若返ったみたいだ。そう思った矢先、俺は枕元に手ぬぐいとサングラスを発見した。
「……まさか、見られたか」
俺は素早く手ぬぐいを巻き、サングラスをかけた。これは俺が素性を隠すために使っていたのだが、あの物好きめ……全く迷惑な奴だ。
そうこうしているうちに、部屋に誰かやってきた。あれは、さっきの物好きか。ポニーテールで華奢な体系。赤いTシャツに白のジーンズという出で立ちだ。いたずらっぽい笑顔に緩やかな放物線を描く胸部。足は細いが、それでいて筋肉はしっかりついている。器量の良い、いわゆる美人だな。手にはお盆があり、その上に湯気を漏らす湯呑がある。しかし、どこかで見たことあるような姿だ。まあ良い、今は1つ聞いておくとしよう。
「あ、気が付きましたか? 本当に危なかったんですよ、あと1分遅れていたらと思うと……」
「おい、1つ聞かせて欲しいのだが……ここはどこだ?」
「どこって、タンバシティですけど」
「な、なんだと!」
タンバシティ、ジョウトの最西端にある町じゃねえか。先の戦いでは遠いから攻撃対象にしなかったが、まさかその遠い町に流れ着こうとは。
「そうか、なるほど……。自分でも嫌になるしぶとさだぜ」
物好きな女は湯呑みを手渡した。中身は茶だな。俺は1杯含み、喉を潤す。
お、これはナゾノ茶じゃねえか。ずいぶん久々に飲んだ気がするぜ。そもそも、俺は今非常に腹が減っている。一体何日漂流したんだ。
俺は茶を飲み干すと、湯呑みを畳の上に置いた。それを見計らって、物好きは俺にこう尋ねた。
「ところで、あなたの名前はなんですか? 私、どこかで見たことがあるような気がするんですよ」
「名前か? 俺は……」
ここで、俺はふと考えた。俺の今の名前はサトウキビだ。だが、それを言ったら危険じゃないか? じゃあトウサで……いや、今でこそ忘れられた身だが、こんな形で人に見つかったんだ。騒ぎになる可能性が高い。仕方ない、3つ目の名前を作るか。俺は少し腕組みをして唸り、それからこう答えた。
「俺は……テンサイだ」
「テンサイさん? ……くすっ、面白い名前。私はナズナ、教師をやってます!」
げふっげふっ。俺は不意にむせこんだ。な、ナズナだと? もしや、10年前の事故で死んだとばかり思っていた、俺の相棒なのか? ……だが、それを確かめる術は無い。それに触れたら、なんのために正体を隠したのかわからなくなっちまう。ここは適当に話を合わせておくのが吉と見た。
「き、教師か。そりゃ立派な仕事だな。まあ、まずは助かった。感謝する」
「どういたしまして。テンサイさん、今日はもう暗くなります。今晩は私の家でゆっくりしていってくださいね」
「ああ、そうさせてもらおう」
心にも無い言葉を並べ、俺はその場を切り抜けるのだった。これだから人に合わせるのは苦手なんだ。
・次回予告
助けられたその夜、俺は静かに家屋から出た。恩を返さずに去るのは気が引けるが、致し方あるまい。次回、第2話「慈悲の心」。俺の明日は俺が決める。
・あつあ通信vol.68
あー、実に17話もの間離れていた彼が復活しました。サトウキビさん、本名トウサ。どちらの名前も砂糖に関連していると以前述べましたが、今回もそれです。テンサイは砂糖の原料の1つ、彼にはおあつらえ向きでしょう。
あつあ通信vol.68、編者あつあつおでん