(五)隠し事
季節を問わずに今でもときどき夢に見ることがある。
それは、夏の夢。石段を上る夢。
「こっちだよ。コウスケ」
誰かの声がする。懐かしい、愛おしい声。
「待っているよ。はやく上っておいで」
蝉の合唱、鳥居の向こう。
待って、と言い掛けて瞼が開いた。
青黒い色から、白地にうっすらと染み込む青色へ。
気がつけば窓が映す空の色が変容していた。
再び空に太陽が戻ってきたのだ。夜が明けている。
青年はむっくりと布団から起き上がった。
こういう環境でみそ汁なんて一体いくらかぶりだろうと青年は思う。
背の低い木製のテーブルにみそ汁、ご飯、浅漬けを並べて、正座をし、四人は朝食を取った。
メンバーは一家の主である老婆、使用人のナナクサ、客人のツキミヤ、そして老婆の孫である昨晩の少年である。
かくしてツキミヤは朝食の席でタマエから孫の紹介を受けた訳だが、二人はすでにお互いの顔を認識した間柄だった。
昨晩客人にちょっかいを出したことがタマエにバレるのではないかとタイキはびくびくしていたが、ツキミヤが初対面の挨拶をしてきたので、彼はほっと胸を撫で下した。
「コースケはどこから来たんじゃ」
ちょうど向かいに座っているタマエは時々客人のことについて、テーブル越しに質問してくる。
「生まれはトウカシティの端っこですけど、その後ホウエンを転々としまして。今はカイナシティの大学に籍を置いています」
ツキミヤは感じよく丁寧に答えを返す。
タマエの横で孫のタイキは黙々と浅漬けを口に運んでいたが、ツキミヤの言葉を聞き漏らすまいとしているように見えた。彼は彼で興味があるらしい。
「朝食が終わったら、シュージに村を案内させようねえ。まぁ田んぼ意外何も無い村だけど、シュージがいろいろ詳しいから」
「はい、ありがとうございます」
すると、
「なぁタマエ婆、俺も行って良い?」
と、タイキが口を出した。
「おまんは祭の手伝いがあるじゃろ。シュージに任せておけばいい」
そうタマエは返す。
ちえっとつまらなそうに少年は舌打ちした。
「はは、まぁ行くところはみんなタイキ君が知っているところばかりだから」
ナナクサがなだめるようにフォローを入れる。
「ああシュージ、朝食の片付けはしなくていいから、コースケをよろしくねえ」
「はい、お任せください」
ナナクサは嬉しそうに返事をした。
一度門を開くとそこに広がる世界は一面の田と野であった。
収穫期を迎えた稲は、己の背筋が曲がるほどに実をつけて頭を垂れていた。
それが何千、何万、何十万と集まって目の前に広がる世界を構成しているのだ。
夜の暗さと祭りの明かりに気を取られて意識しなかったが、これこそがこの時期のこの村の主なる風景である。
「すでにコウスケも知っての通り、ここの村は古くから稲作が盛んでね」
と、ナナクサが始めた。
もともとこの国において最初に稲作と云うものが伝来したのはホウエン地方と言われている。その技術はやがて北上して行き、ジョウト、カントーへと広がっていったのだ。
「毎年この時期になると一週間に渡る収穫祭が行われる。昨日はその前夜祭」
「前夜だって? あの規模で?」
「そう、正式な祭の日は今日から。だから村中大忙しさ。タマエさんもタイキ君も駆り出されちゃって動けない」
ああ、そういえば先程朝食の席で、とツキミヤは思い返す。
「君は手伝わなくてもいいのかい?」
「ああ、僕はいいんだよ。元々村の人間じゃないしね」
ツキミヤが質問すると青年はそう返した。
むしろ使用人なら率先して手伝わされそうなものだけれどもとも思ったが、別段突っ込んで聞こうとも思わなかった。
「僕にとってはね、村の行事よりタマエさんに頼まれたことのほうが優先なの」
ナナクサはさらっと言ってのける。
「だからね、僕が今優先すべきなのはコウスケを案内すること」
この青年の頭の中には村の地図があるのだろう。
ナナクサは村を囲う青い青い山々を見つめながら、幾分も待たずしてルートを決定した。
「じゃあ、東側からぐるりと回るルートで行こうか」
ナナクサがそう言って二人の青年は昨日の夜の様に歩き出した。
優しい風に頭を垂れた稲穂がかすかに揺れていた。
道中、ツキミヤが驚いたのはナナクサの知識の豊富さであった。
彼は自分達が歩く道の右と左に広がる水田で実っている米の種類をちらっと見ただけで見分けてしまうのだった。
右の水田を差しこれはコシヒカリ、左の水田を指しこっちはササニシキと言う具合にだ。
ツキミヤも両者を見比べてみたが同じようにしか見えない。
大学の研究室の先生が、銅鏡の文様を見ただけで出土地を言い当てるという特技を有していたりするがそれに似ていると彼は思った。
尤もツキミヤには米の見分けはつかないから、ナナクサが口からでまかせを言っていたとしても気付きようがないのだが、やたら米に詳しいという昨晩のタイキの言葉からして嘘ではなさそうである。
「ちなみに百メートル行ったヤマダさんちではアキタコマチ、向かいのタカダさんちではヒトメボレ、もうちょっと先に行ったサトウさんちではきらら396を育てている」
どの農家でどの米を育てているのか、彼は知り尽くしている様子だった。
そのほかにもコガネニシキ、ななつぼし、アケボノ、日本晴れ、まなむすめ、きぬむすめ、スバメニシキ、オニスズメノナミダ、ハトマッシグラなどツキミヤが聞いたこともない品種をナナクサは呪文のように並べ立てた。
「またずいぶんと種類が多いんだな。米所っていっても普通同じ地域で育てているのって一、二種類だと思っていた」
そうツキミヤが感想を述べると「ずっと昔、稲の病気が流行ったんだ」と、ナナクサが答えた。
「単一の種類を育てていると全部に伝染してやられてしまう。一種の防衛だよ」
稲穂の群落を一望する。
多くの地域では、収穫した米は農協に納められて、どの家のだれが作ったものも品種ごとにみんな一緒くたにしてしまうけれどこの村は違う。
皆それぞれの田んぼで取れる米の味に誇りを持っている。同じコシヒカリでも別の農家のそれと一緒にしたりはしない。
ナナクサはそのように解説を続けた。
「コウスケも前夜祭の屋台でいろんな米の料理を貰っただろ? あれはそれぞれの農家がその米に合った料理を振舞っているんだ。農協が買い取ってくれないから自分達で売り込むんだよ」
「なるほど。祭はいわば米の品評会と言うわけだ」
「祭にはトレーナーだけじゃない、有名レストランや料亭、食品メーカーのバイヤーがたくさんやってくる。ブランドを確立して毎年高値をつける農家も少なくない。米を農協に買い取って貰えない代わりに、人気が出れば好きな値段をつけられるんだ」
だんだんと祭の全体像が浮かび上がってくる。
おそらくは昔、昔から伝統的に引き継がれてきたであろう村の祭。現代に至っては観光資源と言った側が強いだろう。だが、この村にとって祭とは単なる観光資源以上の意味を持っているのだ。
古代の人々にとって祭とは今年の収穫への感謝であり、翌年の収穫への祈願だ。収穫量は何人が生き延びることができるかに直結する。そして今や祭の成功は、村の経済に直結している。
村中駆り出される訳だ、とツキミヤは思った。
頭を垂れる稲穂が抱く白い粒には村人の願いが詰まっている。古代も現代でも変わることが無く。
「そういえば、昨日の前夜祭で大社があるって聞いたけれど……」
と、昨晩屋台の店主から聞いた言葉を思い出してツキミヤは尋ねた。
大社と言うくらいだからこの村の中では相当大きく古い建造物に違いない。当然ナナクサのルートの中にも入っているだろう。それに屋台の店主の口ぶりからして、この村の収穫祭にはそこに祀られている神が大きく関わっている。そこに祀られているのは豊穣の神。とりわけ稲作に深い関係がある神と見て間違いが無い。だが、
「ああ、そんなものもあるね」
と、ナナクサの反応はどこか冷ややかだった。
ツキミヤは意外に思う。
「大社でしゃもじを貰えるって聞いてる」
「うん、そうだよ」
「それを見せると、祭では米の料理がタダで振舞われるとも」
「実際のところ、持っていてもいなくてもチェックなんかしないけどね」
どうしてだろう。やはり冷めているというかはぐらかされているような気がした。
「タマエさんに聞いたよ。しゃもじって今年もたくさんお米が獲れました。お腹いっぱい食べさせてくれてありがとうございます。そういう感謝の気持ちを込めてお供えするものなんだろう?」 「まぁね。祭の最後には大社に供えていく人が多い。観光客はともかく村の人間はそうしているかな」
「……今日のルートには入っていないのかい?」
ツキミヤは単刀直入に聞いてみる。
すると、
「僕はあまりおすすめしないけれど」
という答えが返ってきた。
「あんなところ、行っても面白くないよ」とまで付け加える。
「コウスケは……どうしても行きたいの?」
と、逆に聞き返されてツキミヤは少々戸惑ってしまった。
「あ、ああ……まぁ専攻してる学問柄、伝統的な祭事には興味があってね」
と、理由を紡いだ。
「この村にとって大社は祭の、ことに祭事的側面の重要な位置を占めているのは間違いない。そういう所なら見てみたいと思うのが普通だろう?」
学生として、あるいは研究者としての極めて真っ当な理由をぶつけてみる。
もちろん興味があるのも本当だった。
「わかった……コウスケがそうして欲しいならルートに加えるよ」
ナナクサは渋々と大社行きを了承した。
なぜナナクサがそんなに嫌がるのか、ツキミヤには皆目検討がつかなかった。
「いや……むしろ見てもらったほうがいいのかもしれないな。大社を知らずして村を知ったことにはならないもの。タマエさんの望みは村を案内すること。だったら……」
「何をぶつぶつ言ってるんだよ」
「うん、わかった。行こう。ちゃんと案内するから」
ナナクサは自分に言い聞かせるように再び了承の言葉を口にした。
「あ、シュージお兄ちゃんだ。おはよう!」
水田を二分して伸びる道の向こう側から歩いてきた二人組と一匹があって、その中の小さい女の子がまっさきに声を掛けてきた。短い髪を二つに結わいた元気のよさそうな女の子だ。
「やあノゾミちゃん、おはよう。ニョロすけも元気だね」
と、ナナクサは挨拶を返した。
女の子の後ろをちょこちょこついてゆくポケモンを見る。
サッカーボール大ほどの大きさで、腹には渦巻きがある。それはおたまポケモンのニョロモであった。
ニョロモは一瞬、ツキミヤと目があって、女の子の足の後ろに引っ込んだ。
「おはようございます、ナナクサさん」
次に落ち着いたトーンの声で挨拶したのは、小さいほうの連れでノゾミと呼ばれたほうに比べるといかにも大人の女性であった。
ツキミヤは彼らに軽く会釈をする。
「そちらの方は?」
「ああ、こちら昨晩村にいらしたポケモントレーナーのツキミヤコウスケさん。今、うちに宿泊していて」
「ツキミヤです。こちらには旅の途中で寄ったのですが、タマエさんやナナクサ君にはお世話になっています。何でも大きなお祭りがあるそうで見物して行こうかと」
「それはそれは。年に一度お祭りくらいしか見所の無い村ですけど、ぜひ楽しんでいってくださいね」
彼女はなごやかな笑みを浮かべそう言った。
「そうするつもりです」
と、ツキミヤも返した。
「ときにツキミヤさん」
「……? なんです?」
「ポケモントレーナーと言うことはやはり『あれ』には参加なさるんですか?」
「『あれ』?」
ツキミヤは心当たりが無いといわんばかりに疑問符をつけた。
「あら、ナナクサさんからは聞いていないの?」
彼女は意外そうな顔をする。するとナナクサが口を開き
「ああ、選考会のこと」
と言った。
「何だい、選考会って」
「そのなんていうのかな、ちょっとしたバトル大会だよ。"野の火"の出演者を選ぶためのさ」
「野の、火?」
「この村に伝わる伝承を舞台にしたものなのよ。その出演者をね、お祭りのイベントをかねてポケモンバトルで選ぶっていう趣向なの。ノゾミもニョロすけと一緒に雨降(あめふらし)の部で出ることになってるわ」
ノゾミと足元にいるニョロモを見て、説明する。
「ま、毎年負けてばっかりなんだけどね」
「うるさいなーおねえちゃんは。余計なこと言わなくて良いのに」
ノゾミはそのように反発し、怒ったフワンテのように頬をぷうっと膨らませた。
この人、この女の子のお姉さんだったのか。ずいぶん歳の離れた姉妹だなぁ、とツキミヤは思う。
「そりゃあ、普段から修行している旅のトレーナーさんには敵わないけど……少なくとも、タイキよりはバトル強いわよ。私」
と、ノゾミは主張した。
「へえ、タイキ君もポケモン持っているんだ?」
ツキミヤが尋ねる。そういえば彼とは昨晩少し脅かして言葉を交わしたくらいで、タマエの孫であること以外は何も知らなかった。
「持ってるわよ。真っ黒いぼさぼさ頭のを一匹ね。飼い主に似てイタズラばかりで手がつけられやしない。この前だってニョロすけの為に用意しといた水の石を……」
「ごめんねーノゾミちゃん。隙を見て取り返しておくからさ」
と、ナナクサが苦笑いして言った。
「彼のポケモンね、光モノが好きなんだ」
ツキミヤに補足説明をする。
「それで、ツキミヤさんは出場なさらないの?」
ノゾミの姉は話題を元に戻してくる。
するとナナクサは
「うーん、コウスケは水ポケモンも炎ポケモンも持っていないからなぁ。出れないんじゃないかな」
と、言ってから「あ、ネイティとカゲボウズの他に大きいのがいるんだっけ?」と、付け加えたので
「いるけど……鋼タイプだね」
と、ツキミヤは返事をした。
「違うわよナナクサさん。正確には水タイプか炎タイプの技が使えればいいの。ポケモンのタイプそのもを一致させる必要はないわ」
「あれ、そうでしたっけ」
少しすっとぼけた様子でナナクサは言う。
「どっちにしてもコウスケはあまり興味ないと思うけど。ほら、ポケモントレーナーって言っても兼業で本業は院生だから」
「まぁ、たしかにあまり興味は無いかな」
と、ツキミヤは同意する。
「そうですか……。出演した時の謝礼が豪華だからね、結構旅のトレーナーさん、参加したがるのよ。もっとも選ばれた後の練習は大変ですけどね。短期間でそれなりに仕上げなくちゃいけないし、お神楽も覚えなくちゃいけないから」
「正直、去年の役者は大根だったね。何より見た目がよくなかった。やはり役のイメージは大事にしなくちゃいけないよ。雨降様ともかく相手役のほうはね」
去年の舞台を回想し、ナナクサはそのように評論した。
「あら、雨降様はいいの?」
「あの役はね、威勢がよければ何でもいいんだ」
「へえ、さすがにタマエさんの所にいらっしゃる方は言うことが違うわねぇ」
ノゾミの姉はどこか納得したように言う。
「当然でしょう」
と、ナナクサは答えた。
正直、何のことを話しているのかツキミヤにはよくわからなかった。
「だったら、ナナクサさんが出演なさったらいいのに。きっとビジュアル面も問題ないわ」
「僕はだめですよ。そもそもポケモンを持っていない。それに僕が出演したらきっと村のお偉いさん方はいい顔をしない。いろいろ心配なさるでしょう」
「そうかしら?」
「たとえばそう……僕が勝手に台詞を書き換えちゃうんじゃないか、とかね、」
「書き換えるの?」
「僕はあの話、嫌いだから」
単刀直入どころか一刀両断するかのようにナナクサは言った。
生まれでないとはいえ、自分の住んでいる村の伝統行事をそんな風に言ってもいいものなのだろうか、と内心に思いながらもツキミヤは黙って聞いていた。
「……嫌いなのはあなたじゃなくてタマエさん、でしょう?」
少し眉を潜ませるようにしてノゾミの姉が反論する。
それはあなたの雇い主の考えであって、あなた自身の考えではないのだと確認するように。
「タマエさんが嫌いと言うのなら、僕も嫌いだよ。同じことさ」
一方のナナクサはどこまでもタマエ主体であった。
使用人とはいえ、思想にまで染まっているのも珍しいと青年は思う。
いや、それよりあの老婆が祭で上演される舞台とやらを嫌いと言うのはどういうことなのだろうか。たしかにタマエが偏屈とか頑固とかいうイメージで通っているのはうすうすツキミヤも感じていたのだが。
「……そうね。例えば今日の天気が雨だったとしても、タマエさんが晴れているって言ったら、あなたにとっては晴れなのよね」
もういいわ、あなたには敵わないわよ。
という感じで首を左右に振り、彼女は半ば呆れた様子で言った。
「じゃあ私達お祭りの手伝いがあるから。ノゾミ行くよ」
「はぁい」
二人の青年が歩いてきた道を戻るように、何かに奴当たるように彼女はすたすたと彼らの横を通り過ぎる。
その妹とポケモンが小走りに後を追った。
「じゃあね、シュージお兄ちゃん」
どんどん先を行く姉に代わるように道行くノゾミが振り返って、手を振った。
ナナクサも軽く手を振って彼女に答えた。
「さっきの人、メグミさんって言うんだ。なかなか美人だろ?」
「ん……、まぁね」
「まぁねか、コウスケの基準は厳しいなァ。やっぱ君自身が綺麗だから……」
「関係ないだろう」
それより、いつから呼び捨てになったんだ? と言いたげにツキミヤは彼を睨みつけたが、ナナクサは気がついていないか、確信犯なのか、いずれにしても意に介していない様子だった。
「この村じゃ結構モテるんだよ彼女。彼女はあんまり相手にしてないみたいだけど。米でたとえるならそう……アキタコマチだ」
「なんだそれ」
「秋田小町知らないの? その昔貴族社会でモテモテだったっていう」
「いや、それは知ってるけど」
そうじゃなくて、なぜ米に例えるんだ? とツキミヤは聞きたかったが言っても無駄そうなのであえて言葉にはしなかった。
「ちなみにタイキ君はノゾミちゃんが好きらしい」
「……へえ」
聞きもしないのに余計な知識を増やしてくれる。
「でも、いつもポケモンバトルで負けてばかりでさ、カッコがつかないと嘆いてる」
「ずいぶん詳しいんだね」
「使用人たるものご主人様のお孫さんの想い人くらい把握しているものさ。そしてできるならその恋のお手伝いだって。だからコウスケ、今度バトルのコツでも教えてあげてよ」
「なんで僕が」
「兼業とはいえ、コウスケも旅のトレーナーでしょ。……だめ?」
「……検討はしておくよ」
彼があまり熱心なのでツキミヤは渋々そのように答えた。
二人の進行方向に背を向けて、彼らも歩き出す。
タイキから聞いた前評判の通り、ナナクサはまるで村の長老かと思えるくらいやたらと村のことには詳しかった。
ノゾミがニョロモを捕まえたという大きな貯水池はいつできたとか、あの雑木林は誰それの所有で幽霊が出る噂があってとか、この一本道では時々マッスグマが競争しているんだとか、タイキのポケモンが駄菓子屋の菓子を盗み食いするのでいつも勘定を払っているとか、道行く過程でいろんなことを話し聞かせてくれた。
かといって、しょうもないことばかり知っている訳ではなく、彼しか知らないような村の景色を一望できる場所や、四季折々の美しい花が見れる場所、トレーナーなら涎が出てしまうような珍しい木の実の生える場所、冷たい水がこんこんと湧き出る泉の場所を知っていたりする。
そして道行く様々な村人と出会う度、彼は「あの人はコシヒカリで、この人はササニシキ」などといちいち彼らを米に例えた。これには呆れてしまったが、彼はこうやって村の人々を記憶しているらしい。
さらにこれは道ゆく人がツキミヤに教えてくれたことだが、村の農家の中には米の生育について彼に相談するものさえいるという事だった。
とにかく村の地理から、米のこと、ご近所の噂話まで何でも知っているのがナナクサなのだ。
「あそこだよコースケ。大社はあの山の中」
黄金色の水田の海の中に島のように浮かぶ小高い山があった。
「行こうか」
あまり気乗りのしない声でナナクサが言ったのが気にかかった。
雨降大社。そう書かれた青く染められた旗が風にばたばたとたなびいている。
二人の青年は石段を登って行った。
時々観光客と思しき人々や子ども達が、大社で貰ったらしいしゃもじを手に持って、きゃっきゃと騒ぎながら石段を駆け下りて行った。
ナナクサは終始顔色が悪そうにしていた。
そしてツキミヤは、ほどなくしてその理由を知ることとなる――
「コウスケ、君に頼みがある」
日の暮れかかった帰り道にナナクサは云った。
「君に解説をしながらずっと考えていた。タマエさんはあの場所が嫌いで、僕もが嫌いだ。だから、できれば君を連れてきたくはなかった。けれど君は行きたいと言い、僕は君を連れて行った……そして今気がついた」
考え抜いた果てにナナクサが思い出したのはあの時交わした会話。
自分自身の言葉。
「そうだったんだ。そうすればよかったんだ。どうして今まで気がつかなかったんだろう」
彼は語った。
自身の企ての内容を。
「……本気で言っているのか?」
それは恐るべき内容だった。村中を敵に回しかねないような。
赤く燃えるの空の下、ナナクサは確かに頷いた。