その日はとても静かだった。カイナの海はとても穏やかな凪。遠浅の海は絶好の観光スポットだった。
羽を伸ばしにきていたクリスは自分のポケモンたちと遊ぶ。スイクンの体は目立っていたが、シーズン前の海では騒ぎになることもなかった。
そしてもう一人の同行者。静かな男の子であるが、クリスは彼が好きだった。ジョウトを旅して深めた仲。近所に住むシルバーという男の子だったけど、旅に出てさらに仲を深める。
ホウエンへ二人だけの旅行。それは二人にとって楽しみで仕方なかった。
「クリスぅ、からあげ食べたい」
と、二人の間を邪魔するようにスイクンが言う。主人であるクリスの恋人と邪魔するようなやつではないが、空腹とからあげになると話は別。
「何いってんの。この前だって唐揚げ一人で食べて、オーダイルに噛み付かれかけたでしょ」
唐揚げの匂いを全身でただよわせていたからだ。シルバーのオーダイルが唐揚げの匂いと勘違いしてスイクンに頭から噛み付いた。それとこれとは、とスイクンが語尾を濁らせる。
「シルバーも寝ちゃったし、私も海はいろーっと」
とはいってもまだ気温は高くない。波打ち際まで歩く。その時だった。
「逃げろクリス!」
スイクンは吠える。いきなり目の前の海が波を高くした。突然のことに声も出ない。スイクンがクリスに駆け寄る。大きな波が頭から襲う。そしてクリスとスイクンが波に飲まれた時、二つの影は消えていた。
オーダイルがシルバーに異変を知らせる。カイナの海は穏やかで、何があったのか理解できなかった。
水流で上下も左右も解らなくなっていた。ただ光は消えていき、暗い闇へと引きずり込まれていくのだけは解る。息ができない。もう限界だ。
いきなり息が楽になる。クリスは目をあけた。
「なぜホウエンにきた。言霊」
「またあの悲劇を繰り返すつもりか言霊」
「そうはさせない、言霊」
3体の大きな鉱物はそういった。なぜ知っているのだ言霊のことを。
言葉には力が宿る。特に名前というのは一番力が宿っている。言葉ができた当時は、名前を操って思いのままにしていた人がいた。それを言霊と呼んだ。むしろものの名前をつけたのは言霊たちだと言っていい。
その声、言葉で他者を操る。昔のポケモントレーナーとしての第一条件だった。現代ではモンスターボールというものができて、誰でもなることは可能だ。しかし、本当の意味でトレーナーとしていくには、その言葉の意味、名前を理解していることが条件だ。
「言の葉封印を解かれても困る。ここで眠れ、言霊」
氷の鉱物は冷気を放つ。それを遮るようにスイクンが立つ。
「何を勝手なこと言ってやがる。させるか」
「北風か、ならば一緒に葬るまで」
氷は一瞬にして温度を下げる。
「クリス!」
スイクンは叫んだ。守るように間に入るが、3対1では勝ち目がない。足元から凍り付き、あっという間に氷像ができていた。
「言霊と北風は私の中に封印する。二度と流星の言の葉封印を解いてはいけない」
氷は二つの氷像を自分の中に取り込む。これで永遠に出ることはない。こうしてホウエンは平和になるはずだ。
スイクンは全身の体毛を震わせ、勢いのある水流を作り出した。レジアイスの冷気はそれを全て凍らせ、巨大な氷柱を作る。固い地面に落ちてそれは粉々に割れる。瞬時にエンテイの高熱が全て水蒸気に変えた。真っ赤な炎がレジスチルを包み込む。消火するようにレジロックが壁を崩し、雪崩を起こした。砂埃が舞い、視界が悪くなる。その中からぱりぱりと乾いた音がする。何の音が気付いた時には、ライコウの雷のような電気が大量に流れていた。
レジアイスは立ちふさがる3匹を見る。特にスイクンからはトレーナーと自分を傷付けた怒りか、余計にプレッシャーを感じる。閉じられた口からは今にも全てを凍らせそうな冷気が漏れている。白い息がスイクンの口元を飾る。
レベルは同じくらいのはずだ。同じくらいの力を蓄え、同じくらいの力を持っている。それなのに、特にスイクンから放たれるプレッシャーのせいか、レジアイスたちを焦らせる。
「レジアイス」
レジロックがふと切り出した。
「言霊の娘が見当たらない」
狼狽した。レジアイスの視界からミズキの姿が見えない。
「お前らなんかにクリスを渡すか。ここは通しはしない」
スイクンは冷気の鋭い口で静かに言った。それをきっかけに、ライコウ、エンテイが飛び掛かる。
岩陰に隠れ、自分のバクフーンにクリスを抱かせる。スイクンたちに任せてしまった戦いの様子を伺っていた。
「あ、あのミズキさん?」
ミツルがおそるおそる聞く。
「お母さん、って……」
「そう。私のお母さん」
クリスの体は冷たいままだった。このまま助からなかったら、ミズキは今ここに存在できない。自分の命がかかっているからこそ、ミズキはこの戦いに負けられない。
「それにしても、出口が見当たらない。遺跡のようだけど……」
光を探す。天井を見ても、何やら模様のかいてある壁ばかりだ。今、目を覚まさないクリスを抱えて自由には動けない。ならばせめてミツルだけでも。
「私たちは後からいく。ミツル君はこの先に行って、もし出口があったらそこから出て助けを求めて。ザフィールも探さないと……」
「いえ、僕もいます。戦力は多い方が」
「私はもう歴史を変えてしまったのだから、死んで欲しくないよ」
ミツルを抱きしめる。親しい仲ではあったけど、こんなことをされたのは初めてだった。
それよりも驚いたのはその力だった。友人に向けるには強すぎる。もしそんな感情を自分に対して持っていたのなら、なぜ解らなかったんだろうか。
「大丈夫。スイクンはちょっとやそっとじゃやられない。また、あとで」
ミズキがミツルを軽く突く。何がなんだか解らず、ミツルは走り出す。ミズキの顔をまともにみれず。けどやる事はわかっていた。ここから出るための出口を探して、そして誘導して。
冷たい空気が肺に突き刺さるようだ。このまま気管が閉まってしまうのではないかと思う。最近は全くなかったのに、発作に似た苦しさがあった。
水の音がする。静かな水の音。わずかな希望を抱いてミツルは走る。サーナイトが胸の赤い角から光を発した。
「出口だ!」
砂浜、そして返す波。波があるなんて外につながっているとしか思えない。ここからなら出れる。ミツルは確信した。
「じゃあ、ミズキさん呼んで来ないと。一緒に行こうって……」
サーナイトがミツルの体を抱えて伏せる。天井から岩が何個も降って来た。大きな音を立てて海に落ちる。ミツル自身にも降り掛かるが、サーナイトは岩を避けて主人を守る。ミツルのまわりには岩だらけになっていた。
「な、にが……」
ミツルの目の前にいたのは、緑色をした大きな竜だった。それが何も言わず見つめている。しかしその目は全てを語っていた。ホウエンの平和を乱すものの命をもらう、と。
竜は吠え、宙に舞い上がる。風をまとい、踊っているかのようなそれ。
「逃げるぞスピカ!」
岩の間を走り、ミツルは元来た道を戻る。何がどうなっているのかなど解らない。あれはなんだ。とてつもなく強そうな竜。見た事もない。何もかも考えられない。
「いのちを……よこせ……」
低い声でうなっていたかのように感じた。追いかけて来る。風を切る音が耳のすぐ側でしている。
「ホウエンを守る。おまえの命をよこせ!」
よく見ればその竜は半分透けている。幻にしては強すぎるし、風を切っている。ミツルはひらめいた。ラティオスの言っていたレックウザとはこいつのことではないかと。そしてレックウザは実体に戻る道を探している。方法として人の命を食らうのではないか。そう考えれば納得ができる。
「それはできない。僕も負けられない」
ミツルがボールを投げた。現れたエネコロロが半透明のレックウザに威嚇する。
「勝負だ。お前を倒して、僕はここから出て行く」
「小賢しい。身の程を思い知れ」
その力は元の力ではないかもしれない。だとしたらこちらにも勝機はある。負けられないのだ。これ以上戻ればミズキにも影響が及ぶ。そしてさらに進めば戦場へとご案内であろう。だからこそミツルはここで立ち止まる。