ぽ
も
ぺ
9
『屁理屈で必勝法』
月明かりの下、薄暗い夜道に溶けるようにしてシオンは身を隠し、北へと歩んで行く。
そうしてトキワシティの最北端へ。
街灯のスポットライトを浴びる、真っ赤な学生服の青年を見つけた。
一日ぶりの出会いである。
「ピチカがいうことをきかない。どうすればいい?」
「えっ?」
「ずっと、ピカピカとかチュウチュウとかしか言わなくて、困ってるんだ。
そもそも何を喋ってるのかも分からないし。
きっと野生で暮らしてたから、人間の言葉がまだ……」
「ちょっとまって! え? 何? いきなり何? 何の話?」
いきなりシオンに声をかけられ青年は困惑しているらしい。その様子が変に可愛らしく見えた。
シオンよりも背は高く、肩幅も広く、声も低い青年であったが、
彼の女性めいた物腰が外見の印象とのギャップを作った。
シオンはポケットからモンスターボールを取り出し、青年に見せつけてやる。
「メスのピカチュウを俺の家に送ったのは、あなたですよね」
「うん。どうしてそう思う?」
「昨日、俺の名前を聞きましたよね。苗字を知っていれば住所が何処かぐらいは分かる。
トキワシティでヤマブキは家だけだ」
「でも君のフルネーム知ってる人って沢山いるでしょ? 友達、一人もいないワケじゃあるまいし」
そう言われると、シオンは返事に困り、沈黙した。
嘘を吐きたくはなかった。しかし、正直に答えたくもなかった。
「まさかっ……ああ、その、えっと、ごめんね」
「それより! どうやったらピチカは俺のいうこときいてくれますか?」
「ああ、そうだったね。知ってるかな?
ポケモンを従わせるのに、一か月や一年もかける人っているんだよ」
「一年! うへぇ。マジですか? 五日間じゃ無理ですか? せっかくの俺の誕生日なんだけど」
「そうなんだ。おめでとう。でも無理だね。無茶苦茶言わないでよ」
「そうか。そんなものなのか?」
「トレーナーも楽じゃないのさ」
ふとシオンは思い出す。ピチカがいうことをきかない原因を。
「あっ! いや、そうじゃない! そうじゃなくって、ポケモンってのは、
俺のピチカはやっぱり、捕まえた人のいうことしかきかないんじゃないですか?
あなたのいうことじゃないからきかないとかじゃないんですか?」
「いやいやいや。捕まえたトレーナーのいうことならきく、とかそれって馬鹿の発想だろ」
「んなこたないです。だって、ポケモンは捕まえた人の仲間になるんですから」
「それはトレーナーが……いや、君が勝手にそう思い込んでいるだけじゃないか。
ポケモンは人間を仲間だ、なんて風には考えない」
「でも普通だったらさ……」
「そもそも、そのピカチュウは恐らく僕のことを嫌ってるはずなんだ。君よりも僕の方が怖いはず」
「もしかして、思いっ切り引っ叩いたとか? それで泣かせたとか?」
「いや、別に。ただ普通にゲットしただけ」
「じゃあ結局やっぱりピチカはあなたのいうことしかきかないんだ」
「違う! 話、ちゃんと聞いてたのかよっ!」
「あなたがピチカをゲットしたんですよね?」
「そうだよ。だからこそピカチュウは僕のことが嫌いなんだ。僕のことを怨んでいるんだ。
憎んでいるんだ。つまり君よりもずっと僕のいうことをきかない」
シオンは青年の言葉の意味がよく分からなかった。
それでも青年が正しくて、自分がおかしいのだと思った。
何かややこしくて難しい意味が込められている。と、いうことにした。
「ふぅん。でも、ピチカは俺のいうこともきかない。俺のポケモンとも言えませんよ」
「とか何とか言っちゃって。僕の捕まえたピカチュウにニックネームつけたの誰だっけ?」
「えっ? え、だって……こいつ、ピチカって名前じゃないんですか?」
「ピカチュウを捕まえて君の家に送ったのは確かに僕だ。君の推理どおりだ。
でも、僕はピカチュウを一ミリも育ててないし、もちろん名前もつけてない。
ピカチュウを飼ってた、っていうより少しの間だけ持ってた、って感じかな。
だから勝手に命名してくれても全く問題ないからね」
「適当に名前をつけたわけじゃありません。
こいつ、ピチカって名前にしか反応しませんでした。
ピチカにピカコって呼んでもシカトされましたよ。
だってピチカなんだから」
ボールを指してシオンは言った。
疑うかのように青年は眉をひそめる。
「ふむ……もしかして『おや』がいたポケモンなのかもしれないな」
「なるほど『親』が名前をつけたのか。イマイチな名前つけられて可哀想に。俺みたいだ」
「あはははっ! でも響きはいいよ。君の名前」
「それでですね。名前の話がしたいんじゃなくってですね。質問なんですけど、
一体何をどのようにして、どうこうしたらポケモンは人間のいうことをきくようになるのですか?」
その質問こそ、シオンが青年を訪ねた目的であった。
「うーん。それ僕に訊くかぁ? それをやるのがポケモントレーナーのお仕事だよ。
どうやったらピカチュウがいうことをきくのか。考えて実行するのは君の役目だ」
「でも俺、その方法が分からなかったから相談に来たワケで、教えていただきたいワケで……」
「たわけ! ポケモントレーナーならそれぐらい出来ないでどうする!
この程度の事も人任せにするようならポケモントレーナーなんて名乗るな!」
「……なるほど。それが俺達のいる世界なんですね」
望んでいた答えを得られなかったが、シオンは清々しさを感じていた。
求めていた言葉以上に価値のある一言だった。
そして青年は昨晩よりもよくキレていた。
「もちろん協力はするよ。ポケモントレーナーは助け合いだ。
僕も昔よく知らないトレーナーに困った時、助けてもらった。
だから僕も困っている君にピカチュウをあげることにしたのさ。
一人じゃどうしようもないことだったら、僕はシオン君に喜んで協力してあげる」
「助かります」
青年から嬉しい台詞が飛んできた。
それなのに、シオンは不安の最中にいた。
シオンを全力で嫌いっているピチカが、
シオンのいうことをきくようになる方法なんてこの世界に存在するのだろうか。
そしてその方法を自分ごときに見つけ出せるのだろうか。
明るい未来が見えなくなる予感がした。
しかし、にもかかわらず、
シオンは何故か、『まぁ一日考えればなんとかなるだろう』と思い至ってしまった。
答えを弾き出すために必要な、深く思案するという苦しみから逃げ出したのだ。
そして、それは無意識だった。
「……」
「……」
「……し、しっかし、トレーナーになるのも大変なんですね。
ポケモン捕まえるだけでも一苦労なんだから、ポケモンマスターになる頃は俺も爺さんですよ」
「トレーナーになるだけなら楽勝だよ。ポケモンなんて捕まえなくてもいい」
「どうやって?」
「トレーナーカードさえ持ってればいいんだ。あれ、自分がトレーナーですって示すものだし。
逆に言うとトレーナーカード持ってなかったら、
ポケモン持っててもポケモントレーナーじゃないから」
シオンは暗い表情をして、顔を落として、黙り込んだ。
一瞬、静けさが支配し、青年は察した。
「えっ? マジかよ」
「マジです」
「そ、それは困ったね」
「どうすりゃいいのさ」
「カードを手に入れるには、お金がいるね。
それに、未成年だしまずは親に認めてもらえないとね」
その一言がシオンを絶望の淵へと叩き落とす。
「それはつまり俺にポケモントレーナーあきらめろってことか!」
「なんでそうなる! 親を説得する、ってのが君の次の目的になるんだ。
大丈夫。頑張って想いを伝えればきっと上手くいくよ!」
「いえ無理です。そんな都合のいい話はありません。もう何度も色々と試してますけど無駄でした。
とんでもなく厳しい世の中ほど、あの男は甘くありません」
なんとかしてトレーナーカードを入手できないものか。
シオンは頭を使った。
父親の財布をなんとかして奪う。無理なら実家のプラズマテレビを勝手に売る。
なんとか変装して二十歳と誤魔化す。大勢を騙す必要がなければ可能だろう。
シオンは普通ならば誰もがやらないようなことを『嫌だな』と思いつつも覚悟をしていた。
「ひょっとして君の親って……」
「家は父さんだけなんです」
「そうなんだ。嫌な野郎なのかい?」
「ド悪党です」
「もっと詳しく」
「と、いいますと?」
「トレーナーカードを君に渡さない理由があるとしたら、それは何だと思う?
何かお父さんに、何か言われなかったかい?」
シオンはカントにトレーナーカードを譲ってくれと土下座した覚えはない。
そこで、シオンはカントが自分にポケモンを譲ってくれない理由を思い返した。
「……何か、言ってましたね。えっと、ポケモンが可哀想だとか。
あと、俺にポケモンに迷惑をかけるような人間になってほしくないとか、
そんな感じの妄言をぬかしてましたよ」
「なるほどね。プラズマ団タイプか」
「プラーズマー」
「うん。プラズマ団。イッシュ地方にいた悪党どもさ」
「そういえばイッシュ地方出身なんでしたよね?」
「違う! ホッタ・シュウイチって名前が、っぽいだけで、僕はカントー出身だ!」
「そんな名前だったっけ? ところで、プラズマ団って何?」
「知らないのかよ! ……他人のポケモンを勝手に逃がす泥棒まがいの連中さ」
「なるほど、そいつはド悪党ですね。まるで俺の父さんみたいな……同じだ。
同じような悪党なんだ。そのプラズマ団ってのと家の父さんは」
シオンは世紀の大発見をしたつもりになった。胸が高鳴る。
「そうかな? ……ああ、そうだね。うん。大体同じだ」
「そうですよ。ポケモンを勝手に逃がすのも、ポケモンをゲットさせてくれないのも、
人からポケモンを離れ離れにするという点においては同じことなんだ」
シオンの声は自然と張り上がっていた。
「うん。でも、だからって何かあるわけ?」
「悪党ということは退治されたはずですよね? プラズマは」
「そうだよ」
「要するにだ。プラズマ団と父さんは同じ。そしてプラズマ団は退治されている。
つまり、父さんはプラズマ団と同じ方法で退治することが出来る!」
シオンは嬉しそうに颯爽と語る。
青年は呆れたようなため息を吐いてから、冷たく言った。
「……それって屁理屈じゃない? どう考えても」
「いいから、いいから!」
「うんとね。何だったかな。真実と理想が闘ったんだ。
それで、真実が勝った。これでプラズマ団は敗北」
青年の言葉の意味がシオンにはよく分からなかった。
それでも半ば強引に解釈した。
「ふぅん。ははぁん。なぁるほどぉ。じゃあ、父さんはプラズマ団と同じド悪党だから理想。
つまり相反する俺は真実! イケる! 特に何もしなくてもイケる!」
「うーん、いや、本当に? 本当にそうかな?」
「うん。本当にそう」
「じゃあ聞くよ?
確か君のお父さんは『君の持っているポケモンが可哀想』って言ってたんだよね。
それって嘘? 本当?」
ピチカはシオンのいうことをきかない。
ピチカはシオンから逃げようとしていた。
シオンはピチカを思いっきり引っ叩いて泣かせたことがある。
シオンの持っているピチカは誰が見ても可哀想と思うに違いなかった。
「……たぶん本当の事だと思う。父さんの言ってることは」
「ほれ、見たことか! お父さんが本当のことを主張してるワケだ。
だったらお父さんが真実。本当は真実とほぼ同じ意味だからね。
そして、その反対意見を言ってる君は理想にあたるわけだ。これじゃ、負けちゃうね」
「俺が理想……そういえば理想ばかり語ってるな。ポケモンマスターになりたいとか。
もっとポケモントレーナーっぽくなりたいとか」
「きっと真実と理想は別物なんだよ。だから闘うんだ」
「思えば、負け続けの人生だったな」
「え? 何だって? 負け犬?」
真実が正しい現実で、理想が現実とは違う妄想なのだとシオンは考えた。
それは自分が間違いで父親が正しいということだった。
吐き気がした。
とにかくムカついた。
そして、だからこそシオンはカントに勝利したいと思った。
「要するに、なんとかして逆転すればいいんだ。
俺が真実に、父さんが理想に。
それが出来る逆転の発想があれば」
ほんの少しの間シオンは頭を使った。
しかし、なんとなく頭が痛くなってくるような予感がしたので、すぐに考えるのをあきらめた。
そしてシオンはすぐ青年に頼る。
「すいません、どうしたらいいと思います? 何をどうしたら逆転されるでしょうか?」
「逆転。つまり入れ替えればいいんだよ」
「わけが分からん!」
「……シオン君のポケモンが可哀想。これが本当だから困ってるんだ。
だから、それが嘘になればいいんだよ。つまり?」
「……ピチカが俺のことを好きになってくれればいいんだ」
「そのとおり!」
青年が指をパチン!と鳴らした。
シオンの目的が決まった。
つづく?
後書?
果たしてシオン君はどうやってピチカさんに好きになってもらうのか?
そして作者は次回を書き上げられるのか?
次回!十章!『茶番』!
お楽しみに。