マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ
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  [No.2380] コミュニケーション・前編 投稿者:リング   投稿日:2012/04/12(Thu) 21:05:00   83clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



「あーあ……読書感想文とか面倒くさい……」
 夏休み前のうだるような暑さの中、図書室の中で俺はため息をつく。ここは自然に囲まれた町だからか夏でもわりと涼しいと評判だが、涼しいとは言ってもそれはあくまで『比較的』というレベル。なので、汗が鬱陶しいほど暑いことには変わりない。
 周りにはテッカニンの鳴き声がやかましく響き渡り、容赦のない日差しが上空から降り注ぐ。鮮やかな青い空は真っ白な雲を浮かべて晴れ渡り、木陰に隠れなければ肌を焼かれてしまいそうだ。日中、日常に生きる人間達は心なしかみんな元気がないか、空元気。祭りのときや水遊びの時だけ本気ではしゃぐといった様子である。
 そんな風に、人間は暑さに参っているというのに、外を飛び回るポケモン達は元気なものである。ハハコモリは体を一杯に広げて光合成し、ヘラクロスは木の幹を傷つけて樹液を吸う。
 ストライクは草原で忍んで獲物をせっせと狩っており、アゲハントは美しい模様を見せびらかして飛び回る。

 こんな暑さの中ではしゃぎ回っている虫ポケ達の元気さをうらやましく思いながら、俺は夏休みの課題である読書感想文で読む本を探す。この宿題に課題図書なんてものはなく、活字が主体であればどんな本を読んでもいいという緩いものではあったが、それはそれで逆に何を借りればいいのか悩みが増える。
 とりあえず、適当に図書室を回っているうちに見つけた本が、俺の目を引いた。
「『手話をポケモンに教える方法』。へぇ、こんなものがあったのか」
 興味を持って適当に目次からパラパラとめくる。目次では前書きから始まり、そこから先はポケモンに対して手話を教える方法が事細かに乗っている。ポケモンは三本指の種が多いので、それに対応したアレンジされた動作や指の形がそれぞれ乗っているあたりも、ポケモンに教えると銘打った本ならではといった所か。
 どんな本でも感想さえかければいいという課題だけに、こういう本でも構わないのだろう。ポケモンに手話を教えるというこのコンセプトならば同時に自由研究の宿題も消化出来そうだし、一石二鳥じゃないか。
 それに、こういう内容ならば姉ちゃんも好きそうだし、家族の協力を得ればそれらしい研究結果だって出るだろう。
 こいつを借りようと、軽い気持ちで俺は手に取った本を借りる。


「ただいまー」
 我が家のドアを開け、廊下を抜けて居間に行く。母さんはファッション雑誌を読んでソファに座っていた。
「お帰りー、キズナ。ちゃんと夏休みの計画立てたー?」
「ちょっと、母さん。帰って来るなりそれはよしてよー……」
 母さんはいつもこんな調子である。口を開けば宿題だ勉強だと。やっていない自分も悪いけれど、これではやる気も無くなるってば。
「一応、夏休みの宿題二つ分はテーマも決めたよ。自由研究と読書感想文」
「あら、珍しい。……と言っても前例が二回しかないから、めずらしいというのは早計かもだけれど」
「そうだよ、前例が二回しかないんだから……珍しいとか言わないでよね」
 母さんはこれだから一言多くって、思わず漏れるため息。
「で、何をやるのかしら?」
「えーと……これだ。これ見てよ」
 俺がランドセルを漁り、中にあるハードカバーの本を取り出す。
「なになに……『ポケモンに手話を教える方法 堀川一樹著』? なにこれ、これで読書感想文と自由研究やるの?」
「そのまさかさ」
 と、俺は母さんに答える。
「いや、『まさか』って言っていないけれど……」
「だから母さんは一言多いってば……」
 全く、これだから母さんは。呆れながら頭を掻いて、俺は言う。
「とにかく、ポケモンが挨拶だけでも出来るようにすれば、それなりに先生への言い訳にもなるでしょ」
「先生への言い訳って……楽する気満々じゃないの。宿題なんだからまじめにやりなさいなー」
 母さんは本をぱらぱらとめくりながら困った顔を作って、ため息交じりにそう言った。
「いいじゃん。夏休みはやりたいことをやらなきゃ損だよ。自由研究も読書感想文もぱっぱと終わらせられるに越したことないでしょ?」
「まぁ、やらないよりはましね。わかったわよ。がんばりなさいな。で、その宿題いつから始めるの?」
「うーん……ぼちぼち」
 答えをわかって聞いているんじゃないかと思うような質問をするもんだね、母さん。
「夏休み前に始めたほうがいいわよー。アンタの事だからどうせ、終わり近くになって焦るんだから」
「えー……時間のある時にやりたいよ」
「そう言って2回ほど宿題をギリギリまでやらなかった貴方がよく言うわね。ま、それでもきちんと仕上げるのが貴方のすごいところだけれど」
 痛いところを……もう、これだから母さんは。
「ほ、褒めるか貶すかどっちかにしてよ……」
「どっちもよ。貶されたくないのなら今日からやりなさい。まずはそうねぇ……夕食までに、手話で『いただきます』と『ごちそう様』を覚えておかないと夕食出さないわよ? 指南書には、『まずは日常の挨拶から覚えましょう』って書いてあるし……『家族がいる場合は家族みんなで同じ動作を取ることで、比較的早めに言葉を覚えてくれます』らしいから、私も覚えておくわ。だから、貴方も頑張ってね」
「ふあい……じゃ、じゃあ……道場に行って来る」
「行ってらっしゃい。みんなが勉強できるようにコピーをたくさん取っておくわ」
 母さん、無茶苦茶やる気になっているし……もしかして俺は、間違った選択をしてしまったのだろうか。

 ◇

「と、いうわけなのよ。キズナったら、面白いものを宿題に選んだわねー」
 本を見せられながら、私はそんなことを言われた。妹の宿題に付き合えとか、なんでそんな……冗談じゃない。いや、一応私にも自由研究の宿題はあるから、共同で研究すれば宿題の手間を掛けなくてもいいと考えられるかもしれないが。
「それにしても懐かしいわね、アオイ」
「な、何が懐かしいの?」
 夏休みを邪魔されたくないという物思いにふけっていると、母さんが私に言う。
「ほら、貴方は昔、プラズマ団のNに憧れていたじゃない?」
「あー……無名だったのにあっという間にチャンピオンになって、格好良くってしかも強かったからね」
「あら、アオイったら憧れた理由も忘れちゃったの?」
 母さんは笑って痛いところを突いてくる。
「あと、ポケモンと話が出来るところ……」
「でしょう? あんた、幼稚園のころから何度も何度もアキツに話しかけて、アキツ困っていたじゃない。果ては野性のポケモンにまで手を出して……出来の悪い娘だとは思ったけれど……あそこまで馬鹿だと、今でも話が止まった時の笑い話に困らなくって助かるわねぇ」
「あーもう、言わないでよぉ。それに、Nに憧れていた時期はもう、ポケモンと話すことなんて諦めていたでしょ?」
「はいはい。でも、諦めていたけれど、憧れは捨ててなかったじゃない? 他の女の子が格好いいから会いたいと言うNに向かって、貴方はうちのポケモンと会話をしたいからNと逢いたいだなんて言っちゃって……テレビの前で」
 図星、図星。顔から火が出そうに恥ずかしい。私の考えていることなんてみんなわかっていて、嫌になる。親はこうなのかなぁ?
「どーせそうですよ。夢見がちな乙女ですよ。いいじゃない、女は夢見がちな方が素敵よ」
「お、アオイちゃんはロマンチックなのね」
「もういいから!! もう!」
 私は母さんからそっぽを向ける。だが、なんだかんだで私はキズナが持ってきた本が気になって、それを手に取る。キズナの前には誰も借りていなかったその本には、ブルーレイディスクが閉じこんであり、紙面だけでは伝えきれない色んな物を丁寧に教えてくれる代物のようである。
「アオイちゃん、今はテレビ空いているわよ?」
 じっとそのディスクを覗いていると、何がしたいのかさとったらしい母さんがそう語りかける。
「見ておく」
 このディスクに出てくるポケモンは成功例だろう。その成功例が、どんなふうに会話ができるのか。期待しながら私は見ることにした。

 そのディスクの中にある『実際に会話してみた様子』を撮ったプロモーションムービーに出てきたイツキという男は圧巻であった。滑舌の良い発言と一緒に身振り手振りでポケモンと話し、ポケモンの動作に合わせてポケモンが言わんとしていることを口ずさむ。
 このムービーの中では、口頭による指示を出せないバトル施設、バトルパレスに於いてこの方法で指示を下した思い出を語る。彼はその反則ギリギリな方法によってバトルパレスで優秀な成績を残し、そしてパレスガーディアンの称号を勝ち取ったという。
 その際に活躍し、なおかつ今も傍にいるサーナイトとの会話は本当に取り留めもない苦労話や自慢話ばかりであるが、まるで人間と語るようにスムーズに会話を交わす様子には、思わず目が釘付けになる。
「そうそう、『この子』は『自分』が『覚え』た『手話』を『他の子』にも『教えて』くれたんだ。そしたら『いつの間にか』、『みんな』が『挨拶』『出来る』ようになってね」
 スムーズに手を動かしてイツキが語ると、次はサーナイトが手を動かし、それをイツキが訳す番だ。
「『みんな』、『貴方』と『話し』たかったんです……だって。いやぁ、『嬉しい』ですね」
 サーナイトの手話を観察しながら、イツキは照れた様子で語る。このサーナイトの特性はシンクロであるらしく、手話では伝わりにくい微妙なニュアンスまで彼は把握しているとのこと。カメラの前だからというのもあるだろうが、本当に楽しそうに会話している。
「この人本当に……完璧に話している……のね」
 私は母親に言われたことを思い起こす。このホワイトフォレストは自然が多い分、多種のポケモンが生息している。思えば、幼いころの私はポケモンも持たずに草むらに入り込んで、どこかで自分と話が出来るポケモンがいないかと探し回ったものだ。
 その時は幸いにも野性のポケモンに襲われるようなことはなかったけれど、山で迷子になったところをアキツに助けてもらったんだっけ。アキツはあまり感情を表に出さないから、何を考えているのかよくわからなかったけれど、あの時お礼を言った私の言葉は、きちんと届いていたのだろうか?
 この動画を見ている限りでは、ポケモンに対して言葉が通じているようにも思えるが、相手の感情を読み取れるサーナイトが相手だから、他のポケモンにもこの認識が通じるのかがいまいちわからない。けれど、もしアキツが言葉を話せるようになるのならば……
「アキツに、私の思いが伝わるかもしれないわね」
 画面越しでもポケモンと話すことの面白さは十分すぎるほど伝わってくる。そのおかげではやる気持ちが抑えられない私は早々にプロモーションムービーを終え、初歩の初歩のプログラムである挨拶の章を選択し、流した。


「ただいまー」
 キズナが道場の講習を終え、まだ夕日がさす帰路を走って帰って来た。いつもよりも早い午後6時の時間帯で、こんな時間に帰ってくるのは珍しい。いつもはあと30分遅い。
「お帰りー」
 すでにして、キッチンと一つの部屋にまとまっているリビング・ダイニングキッチンからは良い匂いが漂っている。香ばしい香りに加えてじゅうじゅうと油のはじける音が食欲をそそる。いつもより早めとはいえ、疲れて帰って来たキズナにとっては食欲を誘う匂いだろう。
「母さん、本はどこにやったの?」
「あらぁ、今日は宿題をやる気なのね。お母さん感心」
「飯抜きにされちゃあたまんないからね……」
 キズナはため息をついていた。なるほど、母さんそんな縛りを設けていたのか。
「で、なんでそれに私までつき合わされなきゃならないのかねー」
 本を持って手を動かしてぶつぶつと挨拶を唱えながら私は言う。自分で言うのもなんだけれど、言葉とは裏腹に私のやる気は満々である。
「姉ちゃん、別に手伝ってくれなんて言っていないだろ? というか、本返せよ」
「母さんが手伝えって言うのよ」
「ていうか、どーせねーちゃんノリノリなんだろ? 俺が3歳の時に迷子になって、家で一人お留守番させられたこと、今も忘れてないんだからな? あんときゃ不安で怖くて泣いちゃったからなぁ……わたくし可哀想な妹ですわオホホ」
「ぐっ……痛いところを……」
 この生意気なガキめ。でも、何も反論できない自分があまりに悔しい。
「本の内容なら母さんがたーくさんコピーしてホッチキスで止めているから、それでも見れば?」
 悔しさ混じりに顔をゆがめないよう注意して、私は印刷された紙のある方向を指差す。というか、母さん家族の人数分コピーする必要までは流石になかったんじゃ?
「ところで、父さんは?」
「今日は特に連絡がないから7時には帰って来るんじゃないのかしら?」
 キズナが母さんに尋ねると、母さんはフライパンを振るいつつ軽い口調で答えた。
「そっかぁ……じゃあ、アキツに言葉を教えるのもその時だね」
「そうよ、キズナ。だから挨拶くらいはきちんと覚えておくのよ?」
 アキツは父親が毎日の出勤に使っているポケモンだから、父さんが帰ってくるまでは教えることは出来ない。それまでに、キズナにも挨拶だけでも覚えてもらわないとね。
「本当にねーちゃんノリノリだし……」
「いいじゃない、キズナ。私も、夏休みの自由研究の議題にさせてもらうわ」
「え……なんか、アイデアの流用とかズルい」
「いいからいいから」
「よくねーよ」
 なんとでも言え、優秀な妹よ。図々しさなら私のが上だ。
「いいから、さっさと挨拶を覚えましょ? まずは、帰ってきてすぐにご飯を食べるわけだから、『いただきます』と『ごちそうさま』を覚えなさいよー? それ覚えないと食事抜きなんでしょう?」
 私が命令すると、うんざりしたのかキズナはため息をつく。
「勘弁してよ……楽しようと思ったのにこれじゃあ、束縛が厳しいじゃないか……」
「夏休みの宿題に対してそういう心掛けだから、神様が罰を当てたんじゃない」
「それだとねーちゃんが神になってしまっているんだけれど」
 あら、キズナってば上手いことを言う妹ね。
「いいから」
 私はぴしゃりと言って、無言の圧力をかける。
「わかったよ……」
 先ほどまで文句を垂れていたキズナも、ようやく私が本気であることを悟ったのか、しぶしぶながらに服従した。
「私も協力するから。真面目にやらないと許さないんだからね? まずは……『いただきます』から覚えなさい」
「へいへい」
 『いただきます』を表す時は、両手を合わせてお辞儀をする。一応、似たような動作を日常生活でもやっているので、これは簡単に覚えられたし、キズナも簡単に覚えてくれた。
 声に出しながら何度か繰り返し、次は『ごちそうさま』を。『ごちそうさま』は右手のひらでほほを軽く2回か3回叩き、両手のひらを上に向け、少し曲げる。その体勢から両手をすぼめつつ、下におろして、『ごちそうさまでした』。
 テレビ画面を見ながら何度か巻き戻しと再生を繰り返すことで、ようやく体に染みついてきたそれを終えて、私はついでとばかりに『おやすみなさい』や『お帰りなさい』や『ただいま』を覚えるようにキズナへ強要する。
 なんだかんだで、やり始めてみるとキズナ自身嫌々やるというようなことも無くなり、手話を覚えることにまじめに取り組んでいる。母さんも料理にひと段落つくと一緒に参加したのだが、私と母さんが好きな男性タレントが主演の番組が始まることでようやく作業は中断された。
 バラエティ番組なので、あまり興味のないキズナはとりあえず画面を見るが、手元には手話の本を持って片手間に暗記している。私も同じことをしていたので、母さんには二人揃ってご苦労さんねと笑われたのが、ちょっとだけ照れ臭かった。

「ただいまー」
 しばらくして、父さんが帰ってくる。母さんはすでにキズナ(と私)の宿題の事を父さんに連絡していたらしく、いつもは家に着くと同時にボールの中にしまうウチのポケモン、アキツを外に出したままの帰宅である。
 父さんはアキツに付けたおんぶ紐を取り外し、取り外したゴーグルとヘルメットを片手に扉の前に立っている。
「『おかえり』、なさい」
 右手を上から下に振りつつ、その手で左手首を叩く。いつもよりも大きな声で、そして動作に合わせてゆっくりと。私は手話を交えてそういった。
「ただい……ま?」
 そして、父さんは二回目のただいまである。大事なことでもないし、二回言う必要はないと思うが、こうして戸惑うのも仕方のないことなのかもしれない。
「本当に、手話をやるつもりなのか」
 後ろを見れば、キズナも私の隣まで駆けてきた。
「まあね。アキツ、よく見ておけ。『おかえり』、なさい」
 父さんがいつも通勤のお供にしているポケモン、アキツを見上げて俺は手話を教え込む。玄関の外、アキツはきょとんとして二人を見下ろしていた。
「本当はもっと近くでやりたいんだけれどなー……」
 でも、出来るわけがない。首を傾げるだけで、地響きのような重厚な音が響くこのポケモンは、ゴルーグというポケモンで、その大きさたるや平均身長で2.8mもあるのだから、ボールでも使わなければ玄関から家に入るのは難しい。
 通勤用のバイクが欲しいという父さんの願いと、ポケモンが欲しいという私の願いが超融合した挙句にこのポケモンなのだから、通勤用のポケモンを飼えばいいという結論に至った母さんのセンスは流石であると思う。いつもゼブライカとかの方がよかったんじゃと思っていたが、庭仕事なども手伝ってくれるし、今回の事もあるので案外これが正解なのかもしれない。

「アキツ……見てた?」
 と、私が語りかけてみるが、アキツは黙して語らない。無表情で、自分の感情を表に出したがるようなポケモンではないことは知っているが、そもそも挨拶自体を理解しているのかどうか気になってくる。
 しかし、もう遠い記憶ではあるが、アキツが小さいころ。ゴビットのころは、私達の真似をして浜辺でカイス割りなんかをして遊んでいたこともあったし、遊びといった非生産的な活動に興味がないわけじゃない。だから、挨拶の意味を理解する希望がないわけではないはずだ……と、思う。これ、一応自由研究の考察に書いておこう。

 問題は、人間の真似を、意味が分かってやっているかどうかなんだけれど。そんなことを考えているうちに、母さんも玄関までやってきた。
「アキツ、おかえり、なさい」
 なんだかんだで母さんまでもが乗り気で、私と同じように大きな声でゆっくりとやってくれる。アキツはと言えば、巨大な手の平を頭に当てて、どうすればいいのかわからず混乱している。
「はい、お父さん」
 そう言って、私は父さんにコピーした紙を渡して、『ただいま』の動きを強要する。ゴーグルとおんぶ紐を玄関のフックにひっかけた父さんは、紙の前で一時停止して、数秒後に動き出す。
「『ただいま』……二人とも」
 肋骨の境目あたりの高さで両手は物を押さえるように動かし、次いで右手を右目の前に置き、指の先をくっ付けつつ体の外側へ向けて斜め下に手を動かす。
 本日3回目の『ただいま』である。ゴルーグが空を飛ぶ際に発する熱気のせいか、ゴーグルが曇るほどの汗だくで帰ってきた父さんは、いきなりこんなことに付き合わされてげんなりしているのか、ため息をついていた。
 私は色々と済まない気持ちになった。キズナや母さんも済まない気持ちになっただろうか?



 ◇

 自分が物心ついたころに読ませてもらった本は、人間とポケモンが普通に話している本だった。
 ポケモンが貧しい人間のお願いを聞いて回るお話で、そのポケモンが病気になった時に今度は村の皆がポケモンを助けるという、王道過ぎるストーリーだ。他にも色んな物を見せてもらったが、シキジカが森の仲間と一緒に成長する物語や、コリンクが親の敵を討ちとる話など、ごく普通にポケモン同士が会話をするものばかり。
 そんなお話を見ていたせいか、自分はポケモンと人間が話せるもんだと思って、アキツがゴビットである内はアキツに向かって何度も何度も話しかけた。母親や友人に諭され、馬鹿にされて、うすうす無理だとわかっていてもやめなかったけれど、人間に近い形であるポケモンならば大丈夫だと信じて居たかった。

 アキツが進化した時は、その巨体ゆえに私は彼を恐れ、避けるようになってしまい、そして5歳の私はものすごい無茶もしたものだ。世の中には人間とテレパシーで通じ合える伝説のポケモンがいると聞いて、野山に繰り出し伝説のポケモンを探しに行ったのだ。案の定迷子になり、両親はキズナを一人留守番させて、近所の大人総出で探しに出るような大騒ぎとなった。

 私が一人泣いていたその時、色んな人が探しに来てくれた中で真っ先に駆けつけてくれたのはアキツであった。当時ゴルーグに進化したばかりの彼は、自転車に変わって父さんの通勤手段になっており、空を飛ぶ能力で上空から私を探していたのを今でも覚えている。
 彼を避けるようになってからは嫌われていると思っていたのに、アキツは助けを求めて叫ぶ私を見つけると、優しく手の平に乗せ肩車で野山を下ってくれた。その時アキツが何を思っていたのかは知らない。けれど、それを知りたい。

 思えば、その一件で私は余計にポケモンと会話することに対して憧れを強めたのだと思う。会話したいがためにテレパシーが使えるポケモンを探して大目玉をくらったというのに、懲りない奴だと自分でも思う。
 アキツの事が怖くなくなった私が、再びアキツに話しかけたのもそのころだ。その際は無表情なアキツでさえは困っていたことがわかるくらいに話しかけていたと思う。
 さすがに小学校に入るころにはポケモンと会話することも諦めたけれど、それでも憧れだけは強く残った。ポケモンと話すことが出来たらどんなに素敵なことだろうとか、そんなことが出来ればきっと楽しいだろうとか。
 二年前、元チャンピオンのNが登場した時も同じことを考えて、冗談交じりにアキツに話しかけたりもした。しかし私はポケモンと話すことはついぞ叶わなかった。けれど、手話という方法なら……あのサーナイトのように、話せるのかもしれない。ある意味、最後の希望であるこの方法。キズナが偶然持ってきたこの方法に、私はまじめに取り組まざるを得なかった。

 なにより、これが出来れば妹にはない、私だけの取り柄にもなるしね。




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『ゴルーグは蚊に刺されることもないので、アキツは外で眠らせても特に問題はないという。実際、彼はモンスターボールから出して庭で眠らせても(しゃがんだ体勢で眠っているので周囲の人に驚かれるが)嫌がる様子はなかった。流石に雨が降ったときはモンスターボールに入りたがるのだが、基本的にモンスターボールの外に居られるほうが嬉しいらしい。
 手話を始めるにあたって、アキツに挨拶しやすいようモンスターボールの外に出して生活させるのは正解のようだ。おはようからお休みまで、とにかく手話漬けの生活を送ると、一週間もしないうちにアキツは手話であいさつを返すようになった。
 『空を飛ぶ』、『下す』、『おんぶする』、『物を持ち上げる』、といったような単語も覚えてくれて、手話のルールもきちんと理解できたらしい。

 さて、困ったことが二つある。まずは一つ。人間の手話には、5本の指で文字を表す指文字というものがあるが、これを覚えることは難しいと書いてあった。
 音を文字であらわすという事が理解させるには相当苦労し、幼いころからきちんと教えていないと覚えるには時間がかかるんだとか。一番記憶力のいいフーディンは人間の五本指に対応していないので、特別な指文字を人間が覚えなきゃいけないのだと。その『特殊な指文字』というのは、参考にした本の著者が勝手に考え作ったものを参考程度に乗っけられているだけだから何とも言えないんだけれど……。
 と、とにかくそれならそれで、指文字なんて後まわしだ。もう一つの困ったことというのは感情の教え方だ。感情について教える方法があればいいんだけれど……どうすればいいんだろう?

  借りてきた本には、ポケモンと気持ちを通じ合わせるために、感情を教える方法というものが書かれている。基本的な喜怒哀楽から、羨ましいとか、怖いとか。
 楽しいという感情を教えるのは難しくない。楽しい時に『楽しい』という単語を教えれば済むことで、すでにその単語の意味は覚えている。夏休みも始まり、父さんが休みで通勤にアキツを使わない日、彼を連れだし河原で遊んでいる時に、簡単に覚えてくれた。
 ただ、手話では『嬉しい』と『楽しい』は一緒くたにされているから、『楽しい』という単語は『面白い』という単語で代用している。具体的には両手をグーにして、両手の小指側でお腹を2回程、叩く動作で表させている。
 どれもそれぞれ意味やニュアンスが違うけれど、嬉しいと楽しいはやっぱり違うと思う。テストで百点とっても、嬉しいけれど楽しくはないし……

 『怒る』という単語も、教え込んだ。これは、私が妹のおやつを勝手に食ってしまったというシチュエーションで喧嘩の演技をしているところをアキツに見せただけだが、どうやら演技はバレることなく伝わったらしい。流石に一回では覚えてくれなかったけれど、以降も自然に発生した『怒り』の光景に合わせてその言葉を教えてやれば、自然に何らかの反応をするようになった。『怒る』という単語は、鬼の角を意識して指を立てる動作をするのだが、それをするゴルーグは何というか……新鮮だった。

 さて、上記にある通り、嬉しいという単語は『楽しい』という単語を使って表現した。具体的には両手のひらを左右の胸にあて、左右の手が上下対称になるように上下に動かすという動作である。『嬉しい』という単語を教えると、まず最初にアキツは『自分、嬉しい、ありがとう』と伝えてくれた。アキツ自身、表情の変わらないゴルーグという種族柄、自分の感情を伝えることも出来ずにもどかしさを感じていたのだろう。不十分ではあっても、こうして感情を伝えられることを嬉しく思い、そして感謝してくれるのならば、私もやってよかったと思う。
 問題は『悲しい』という気持ちを教える機会がないという事だ。怒ることのめったにない仲良し家族な俺達でも演技さえ駆使すれば、『怒る』という言葉の意味を理解させるくらいは出来た。出来たのだけれど、『悲しい』演技なんてものは、さすがにシチュエーション作りも難しいから、実際にその言葉を教える際に作者である一樹さんも悩んだそうだ。
 とりあえず、この本によればポケモンもテレビの内容はきちんと理解できる(らしい)という研究結果をもとに、映画を見せながら言葉を教えたらしい。上手くすれば、登場人物が泣いているシーンにポケモンが同情することもあるそうだと……でも、近所にはビデオ屋なんてないんだけれどな……』



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 私はそこまで書き終えて、自由研究のノートを閉じる。
「まだ、会話を自由自在にできるようになるには程遠いわね」
 私はため息をつくが、それでもアキツの賢さは目を見張るものがある。この一ヶ月であいさつするだけならば全く困らないし、彼が表せる言葉はもう200を超えているんじゃないかと思う。
「はー……これで1ヶ月分は何とかなったわけだけれどなぁ……というか、楽に終わらせようと思った自由研究で夏休み終わっちゃう……全然楽じゃねえ」
 後ろすぐ隣で私のレポート用紙を見ながら作業しているキズナは、そう言って鉛筆を置き、ため息をついた。

 ともかく、沢山の言葉を覚えたわけだが、細かい言葉を教えることももちろん大事だけれど、やっぱり基本的な言葉を覚えるのはとっても大事だと俺は思う。
 『嬉しい』、『楽しい』、『憎たらしい』、『悲しい』。無表情なアキツが、感情を伝えたがっていたことは、先日の会話ですでに分かっているんだ。きっと、悲しいなんて感情でも、いつかは表現したいと思う時が来るし、私はそれを教えたい。
 そう思って、本を捲って読んでみて出会った、『映画を見せればいい』という記述には希望が見いだせた。しかし、今度は新たな問題が浮上する。それは適当な映画や映像作品が無いということだ。ここ、ホワイトフォレストはドがつくほどの田舎である。しかも、そのホワイトフォレストの中でも僻地のここは、道路状況も悪いおかげで、街まで自転車で1時間かかるし、バスは2時間に1回あればいい方だ。
 結局、いつも街へ仕事に行っている父さんにDVDを借りてきてもらうことになった。

 私は、キズナと一緒に事前に一度映画を見る。それで映画の内容を把握してみると、なるほど悲しい話だと思う。キズナは普通に見ているというのに、私は涙ぐんでいて、無様に鼻水まで流しているのが姉として、見た目の面で悔しい。これを見て、アキツはどういう風に解釈するのだろうか? 悲しいという事を、テレビ越しに感じ取ってくれるのだろうか?
 いや、むしろ……今までの事も理解して『くれていた』のだろうか?
 こうして手話を覚えたことで、色々な感情を表せるようになったことで分かったけれど、ポケモンも人間と同じように考え、想う心はあるんだ。それがどこまで同じなのか、もっともっと知ってみたい。5歳の時のあの夜、私が怖かったこと。アキツに見つけてもらって嬉しかったこと。そしてアキツが大好きなこと。
 全部伝わっているといいし、相手も同じように思ってくれればいいのだけれど。『ありがとう』は教えたけれど、どこまで意味を分かっているのかなぁ? プロモーションビデオで見た、まるで本当に人間であるかのように喋っていたサーナイトの姿を思い浮かべて、私は思う。
 きっともっと、心を通じ合わせることが出来るよね、アキツ。

 ◇

 私達は二度目の映画を見る。二回目だというのに不覚にも涙ぐみそうになるのを必死でこらえ、私とキズナはアキツに手話を教え込む。
「アキツ。これが、『悲しい』って『気持ち』なのよ」
 アニメーションの中で、母親を失った少年が泣いている。評判のいい作品だけに、父さんのセンスは悪くないと思うが、実写でも通じるかどうか不安なことを、アニメでわかってくれるのかどうかが不安だった。
 窓の外から固唾をのんで液晶画面を見守るアキツに身振り手振りで単語を教えてみるが、どれほど理解してくれているだろうか。
「そう、これが悲しいって気分なの」
 キズナも、一緒になって教える。しかし、むずかしいことに、ここにも手話の問題点が立ちふさがる。『悲しい』という言葉を表現するための動作は、『泣く』という動作と似ている。『泣く』という単語は、アキツと一緒に近所の森で遊んでいる最中、盛大に転んでひざを擦りむいて泣いている子供を見ながら教えて、すぐに覚えてくれた。
 目の下に、涙をつまむように手を当てるのが『泣く』。そのまま下に手を動かすことで、涙が滴り落ちる様子が『悲しい』。一応、動作に違いは存在するけれど、勘違いするんじゃないだろうかと思うと心配だ。
 『悲しい』という言葉を二人掛かりで教えると、アキツは一瞬考える。
『悲しい、泣く、同じ?』
 予想通りだった。アキツは、泣くことと悲しいという言葉を一緒くたにしている。一応、『泣く』と『悲しい』の動作に変化は付けているものの、その違いについては理解が及ばないらしい。
「『違う』よ。『泣く』から、『悲しい』、わけじゃない」
 手話を交えて、私はアキツにそう教える。
「『泣く』のは『悲しい』『とき』だけじゃない。『痛い』や、『嬉しい』でも、『泣く』ことは『ある』さ」
 ポケモンはめったに涙を流さないというし、ましてやゴルーグが涙を流した話なんてもちろん聞いたこともない。むしろ、このアキツに対して何をどうすれば涙を流すのかがまずわからない。
 涙を流したことがないアキツには、人間が涙を流すという事がどういう事かを理解していない節があったが。やはり生態の違いによる感情表現の違いが何とも難儀しそうである。

 まずは『死んだ』ら『悲しい』という事を教えようか? 何度も何度も死ぬシーンを見せて、繰り返し教えてみれば意味は理解するだろう。他の映画でも同じようなシーンを見せて、死を理解して、そこでやっと死ぬと悲しいことを理解するのだろうか。
 『胸』が『痛い』と、説明したいところだが、物理的な痛みならばともかく、心の痛みなんてもの、アキツは簡単に理解してくれるだろうか? これは説明も難しそうだ。
 そうやって考えていると、アキツは私達に何かを訴えてくるではないか。
『ずっと、眠る、悲しい?』
 死ぬ、という言葉を、彼は『ずっと眠る』と表現して訪ねてきた。無表情な彼の顔からはどんな感情も読み取れはしないが、彼は首を傾げているので、疑問を表現していることがわかる。
 ポケモンはカートゥーンなんかでよく見かけるな、喋るポケモンのような賢いポケモンはいないと思っていたけれど……なかなかどうして、ポケモンは思った以上に賢いようだ。
 そう。『死ぬ』って良く考えれば『ずっと眠る』ことだもの。アキツの表現は非常に的を射た表現である。
「『ずっと』『眠る』は……」
 そう言えば、自分はまだ『死ぬ』という単語を手話で表す方法を知らなかった。私は慌てて『死ぬ』という単語を本から捜し、それを教える。
「『ずっと』『眠る』って言うのは……『死ぬ』って言うのよ」
 顎の前で合わせた両手を右に倒すことで『死ぬ』と表現をする。
『死ぬ、悲しい?』
 すると、アキツは早速『死ぬ』の動作を真似て尋ねる。ゴルーグは古代では労働力として重宝されたというが、この記憶力の良さも労働力としての売りの一つなのかもしれない。
「そう。『死ぬ』のは『悲しい』ことなのよ」
 そんな風に私が教えると、再びアキツは考える。
『わかった、ありがとう』
 『悲しい』という単語を理解したのか、アキツは嬉しそうに手刀てがたなを切り、ありがとうと言う。
「『どういたしまして』」
 そう言って返すと、アキツは嬉しそうにギュイーンと鳴いた。
「おー、ねーちゃんスゲーな。ブリーダーに向いているんじゃね?」
「なに言っているのよ。私はただ……ポケモンと話してみたいだけで……」
「別に、ポケモン育てるのが好きで、それなりに実力があるならブリーダーなんてそれでいいんじゃねーの? ポケモンと話すってのも、夢物語でもなさそうだし」
「あー……っていうか、そんなことより……続きを見ようか、アキツ?」
 すっかり映画の雰囲気をぶち壊してしまい、うるんだ涙も引っ込んでしまい、微妙な気分だ。会話がうまく成立したことによる満足のせいで悲しい気分もどこかへ行ってしまったが、アキツは律儀に庭の外から映画の内容を見守っていてくれた。
 どれくらい映画の内容を理解してくれているのかよくわからないが、なんとなく雰囲気を理解して楽しんでいるから良しとしよう。終わった後に、アキツは『楽しい』と言ってくれた。それが何よりも嬉しかった。

 ◇

 結局、夏休みの自由研究は途中結果のみの発表となったが、それでもかなりの評価を受けて全校集会で発表させられる羽目になる。夏休みが終わってからも手話を教え続けていると、ポケモンは予想だにしないほど多くの感情や言葉を理解していることにも段々と気づいてきた。
 意味を理解させるのに苦労させたことや、言葉の動作を忘れてしまって上手く言葉が出てこないこともある。しかし、基本的に物覚えも理解力も高いアキツが相手ならばイライラすることはなく、なんで言葉を覚えてくれないのかと躍起になることはなかった。
 もちろん、私が一番頑張ったとはいえ、その陰では家族全員が予想外なほどに協力してくれたことが成功の主因である。特に母さんに至ってはもう一人子供が出来たみたいで嬉しいと、嬉々として言葉を教えている。
 キズナも最初は楽するつもりだったというのに、いつのまにか自主的かつ真面目に手話を学び、そして会話に手話を混ぜてアキツに教え込んでいた。父さんこそまだたどたどしいものの、この自由研究のおかげで家族全員が手話を使えるようになってしまい、アキツとの会話もスムーズだ。
 まぁ、私が一番上手くアキツと話せるんだけれど。

 他の家でも真似する人はいたんだけれど、家族の協力を得られなかったり根気が続かなかったりで全員挫折。
 そう言った報告を聞く限りじゃ、うちの家族の団結力も高いと思うし、つくづくアキツは賢いポケモンだと思う。それこそ人間とほとんど相違ないんじゃないかと思うほど、アキツは賢くふるまってくれた。
 今では流暢に手を動かし、生意気なくらいに喋って来るから鬱陶しいくらいだ。父さんの職場でも、ゴルーグに興味がなかった女性にまで人気が出てきたとかで、アキツはそれに対して鬱陶しいと思いつつもまんざらではないと、手話でコメントしていた。


 月日は過ぎ、暑かった夏の面影も消え去り、今はもう町には冷たい風が吹きすさんでいた。ただでさえど田舎であるこの町は空気も澄んでおり、冬という事もあって宝石を散りばめたように満天の星空が煌めいている。町は目前まで迫ったクリスマスのムードに包まれており、私の家がある所はそうでもないけれど、繁華街に行けば煌びやかなイルミネーションがあたりを光で包んでいる。
 アキツは驚くほどの勢いで手話を覚え、あのブルーレイのサーナイトほどではないものの流暢に話す姿は目覚ましい。今なら聞きたいことも聞けるだろうかと思って、私はアキツを外に連れだし、散歩する。
「ねぇ、アキツ?」
 顔を上げて、私はアキツに語りかける。
「『昔』ね、『私』が……『家』に『帰られ』『なかった』の、『覚えて』るかしら?」
 まっ白い息を吐きながら私は尋ねる。迷子という言葉を知らなかったので回りくどく言ってしまったが、きっと伝わることだろう。アキツは、少し考える。
「『飛んだ』『探す』。『夜』『お前』『泣く』」
 そう言ったアキツは数年前の夜にあった出来事をきちんと覚えているようである。
「そう、『貴方』が『空』を『飛ん』で『探して』くれたわね。『あの時』ね……『何度』も『ありがとう』って『言った』けれど……『それ』が『貴方に』『伝わった』のか……『わからない』から『心配』だった。でも、『貴方』には……『ありがとう』の『気持ち』『伝わって』いるのかな?」
 手をひとしきり動かし終えて、私は真っ直ぐにアキツを見つめる。
「『ありがとう』『聞いた』『嬉しい』」
「ありがとうって言われて……嬉しかったのね?」
 私は問い返す。
「『当然』『理由』『お前』『家族』」
「そう……」
 どうやらアキツには何もかも伝わっていたようだ。それだけじゃない……小さいころから何をやってもダメで、迷惑ばかりかけてきた自分だけれど……こういう風に、ポケモンだって私を必要としてくれるんだ。
「『嬉しい』」
 それを言葉にしてみると、全身に暖かいものが駆け巡るような、そんな感覚が私を包んだ。
「『貴方』に、『手話』を『教え』て……『今日』『一番』『嬉し』かった……」
「『私も』『嬉しい』『手話』『楽しい』」
 そして、アキツも答えは一緒。こんなに嬉しいことはない。きちんと伝わっているのかどうか怪しかったあの時のお礼はきちんと伝わっていたんだね……それがわかっただけでも嬉しいけれど、アキツもそういうことを伝える手段が出来て、喜んでくれている。
 無表情で、何を考えているのかもわからないようなゴルーグだけれど、彼だって人間のように何かを考えているし、それを伝える手段を探している。むしろ、無表情だからこそ、伝える手段を探していたのだろう。恐らくは今まで自分の想いを伝えられなくってもどかしい思いをしたこともあったのだろう。
 でも、今なら伝え合えるのよね。Nのように、目を見るだけで伝わるようなことはないけれど、でも十分。嬉しい。そう、嬉しいんだ。
 家族だって伝えられて、ありがとうって伝えられて、そして分かり合える。
「ねぇ、アキツ。『手』を『繋い』で」
 私が頼むと、『了解』と言ってアキツは優しく私の手を握る。歩幅を合わせるのがとても大変そうだけれど、きちんとアキツは私に付き合ってくれる。こんな時でも無表情なアキツだけれど、その表情の下に渦巻く感情があるのを私はしっかりと知っている。それがわかるだけで、私は誰よりも幸せになれた自信があった。

 家に帰って私は、放置されっぱなしで埃の被ったレポート用紙に書き加える。

『この研究のおかげで、私は家族と今まで以上に親密になれました。これを持ちかけてくれた妹も、付き合ってくれた家族も、何より一緒に喜んでくれたアキツにも。皆、ありがとう。』


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