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  [No.2995] サンプル:ずっと一緒に 投稿者:No.017   《URL》   投稿日:2013/07/17(Wed) 20:30:02   143clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:ずっと一緒に】 【サンプル】 【ネイティ】 【ヨルノズク】 【夏コミ

 見上げた空は晴れ渡り、眩しかった事を覚えている。
 空を目指すように高く高く、二本の杉の木が伸びていた。
 旅立ちの日、私達はその周りをぐるぐると三周し、鳥居を潜って出発する。神事で出会った相棒と一緒に根元で繋がった二本の大きな杉の周りを回るのだ。
 真っ先に男の子達が回り始める。けれど私は立ち往生した。不安だった。これから始まる旅、トレーナーとしての修行の旅、私一人でやっていけるだろうか。そんな不安でいっぱいだった。
 そんな時だった。彼女が私に声をかけたのは。
「一緒に行こう」
 そう言って、彼女は私に手を差し伸べた。



 夜が近づいていた。橙と赤の色が空に染み渡って、染め尽くしたかと思うと、沈む太陽の反対側からはもう夜の色が迫ってきていた。
 私はポケモンセンターへの道を急いだ。もうすぐ約束の時間だった。春になって日が長くなってきたとはいえ、じきに暗くなってしまう。この町に明かりは少ないし、私は夜があまり好きではなかった。だから完全に暗くなる前に約束の人物を案内してしまいたかったのだ。
 道すがら時折見える田んぼに突き刺さった守り岩、それが長く影を伸ばしていた。田植えを終えたばかりの稲を飲み込むみたいに長く長く伸びていた。
 守り岩の上にはスバメがとまっていた。影となった岩に同化したそれはシルエットしか見えなかったが、二又の尾ですぐに分かった。シルエットが飛び立つ。赤く染まった空を映す水面を滑り、やがて見えなくなった。
 スバメ、こツバメポケモン。ホウエン地方では珍しくもなんともないよくいるポケモンだ。この町でもその姿は多く見られる。
 行く先を見る。数十メートル先にセンターの明かりが見えた。
 私を迎えるように、さあっと静かに自動扉が開く。ポケモンセンターは久しぶりだった。
 眩しい。さっきまで暗くなりかけていた道を歩いていたせいか、照明がいやに明るく感じられた。私はロビーを見渡す。目的の人物を探した。
 私達の町、エンビタウンは小さな町だ。都市と違ってセンターは町に一箇所しかないし、そんなに旅のトレーナーが来る訳でもない。だから目的の人物はすぐに見つかった。いや、正確にはロビーの椅子に座っていた男の人と目が合ったと言うのが正しい。
「あの、ツキミヤさんですか……?」
 私がそう尋ねると、彼は操作していた真新しいタブレットを置いて立ち上がり、軽く会釈をした。するとどこからか緑色の玉のような鳥ポケモンがぴょんぴょんと戻ってきて彼の肩に飛び乗ったのだった。
「スギナさんですね?」と、彼は言った。
 はい、と私は返事をする。
「ツキミヤです。この度はしばらくお世話になります」
 彼はにこりと笑みを浮かべるともう一度会釈する。そうして肩に乗った緑の鳥ポケモン、ネイティの頭を撫でた。白くて長い指が緑の羽毛に触れる。ネイティが目を細めた。
「……いえ、こちらこそ」
 少したどたどしく私は答えた。
 民俗学の研究で、カイナシティの大学から神事の取材に学生が来る。父からそう聞かされていた。だからどんな感じの人だろうと気にはなっていたのだ。しかし、これは裏切られたと思った。もちろんいいほうの意味でだ。
 ふわっとした淡い色の髪に色白の肌、それに整った顔立ちにしばし見惚れる。
 綺麗な人……。純粋にそう思った。
「ではご案内します。父もお待ちしています」私がそう言うと、
「ええ、よろしくお願いします」
 と、声が返ってきた。落ち着きのある優しい声だった。
 ポケモンセンターを出ると空は夜の色に覆われつつあった。私達は神社に向かって歩いていく。正確にはその隣にある私の家に。今頃、来客をもてなすべく食事の準備が進んでいるはずだ。道すがら私達はいくらかの会話を交わした。
「ここまでの道、長かったんじゃないですか?」
「そうですね。ちょっと長い道だった」
 私が尋ねると、ツキミヤさんはそう答えた。
「そうそう! そうなんですよ。隣町までとにかく遠くて。だから、旅立った子達はまず真っ先に隣町に着く事を目標にするんです。寄り道するとすぐに日が暮れちゃうから。だから初日はただただ次の町を目指しなさいって、みんな親から言い聞かされてました」
 昔を思い出しながら私は語った。初日の長い道の事を。それはこのエンビから旅立った人達だったらみんな話題にする事だった。みんなランニングシューズを土まみれにして同じ道を歩いたのだ。それは同じ時に旅立った子供達だけではない、世代を通した共通した話題だった。
 ツキミヤさんは話しやすい人だった。最初の緊張のようなものはいつの間にかほぐれてなくなってしまった。私は彼に大学の事なんかを聞いたし、彼もまた私の事を尋ねた。なのでセンターから神社までは結構な距離があったのだけれど、全然気にならなかった。
 カイナの話は特に盛り上がった。カイナシティには旅をしていた時に立ち寄った事があったからだ。博物館の事、キャモメ絵馬の神社の事、お互いに知っている事が多かったのだ。
 そしてツキミヤさんは、やはり神事の事を聞きたがった。
「じゃあ、スギナさんのところに回ってきたのはホーホーだったんだ?」
 話題がポケモンの事に移り、手持ちがヨルノズクであると語った時に彼はそう聞いてきた。
「ええ。鷽、つまりスバメ以外の鳥ポケモンが混ぜられるようになったのが、私の代の二年前くらいからで。それで私のところにはホーホーが」
「その時、鷽は一羽だけだったの?」
「そうです。あの時旅立ったのは八人で、回ってきたのはそれぞれ別の鳥ポケモンでした。別に半分鷽でもよかったんでしょうけど、父がなんとか手配をして。まあなんというか、手抜きに見られるのが嫌だったんじゃないでしょうか。周りの目もあるし。今になってそう思います」
 さすがに取材という名目だけあって勉強してきている。質問に答えながらそう思った。
 鷽。その名称を使う人はもうほとんどいないから尚更に。
 というのも、ある年を境に神事の内容が変わったからだった。その時に行事の名前も変質してしまっていたから。
 鷽、それはスバメの旧い呼び方の一つだ。鳥ポケモンの入ったモンスターボールを子供達の手から手へと回しあい、最初のポケモンを決定する神事、その行事で扱うポケモンがスバメのみでなくなった時、その名前は鷽替えから鳥替えに変化したのだ。
「なるほど。君のお父さんも大変だね」
 同調するようにツキミヤさんは言った。
 それは時代の変化とも言うべきものだった。ポケモンセンターで最初のポケモンをある程度選択できるようになって久しい。その波はこんな田舎のエンビタウンまで押し寄せてきた。
 もはやスバメだけでは――そんな声が旅立つトレーナーの親達から上がるようになったのだ。
 それで父は譲歩せざるを得なくなった。儀式の形を守りつつ、彼らの声を反映させざるを得なかった。トレーナーの親達からの支持をなくしては元も子もない。儀式そのものが無くなってしまう事を恐れた父が妥協点を探した結果が今の「鳥替え神事」だ。
「救いは行政の理解がある事です。だから町のセンターもこの領域には踏み込んでこないんです。最初のポケモンを選ぶ手続きは今のところ神社に一任してくれています」
 そう私が説明すると
「そういうのって大事だよね」と、彼は返してきた。
「幸い父は市の議員さんとも親しくて」
「そう。神主さんは努力しているんだね」
「ええ」
 私は声を弾ませて言った。ツキミヤさんがそう言ってくれたのが単純に嬉しかった。
 トレーナーとしての旅を終えて、家の手伝いを始めた。神事を手伝うようになって、年を重ね、旅に出る子供達を送り出すようになった。それでようやく私は分かってきたのだ。
 父がどんなにこのエンビを愛しているのか。この町の行事を大事に思っているのかを。
 だから、大学から民俗学の学生を受け入れるのだってそういう事なのだ。それに価値を見出しているからだ。父が鳥替え神事の取材がしたいという求めを拒否した事は私の知る限り、一度もない。それどころか、父は彼らを進んで家に泊め、もてなす事が多かった。
 それを証拠に、当初ツキミヤさんはセンターに泊まる予定だった。アポイントの段階ではそういう話だった。けれど父が言ったのだ。うちに泊まっていきなさい、と。
 それは父が彼らの存在を証と考えているからだ。神事の価値を示す証であると。
 歩いていく。いつの間にか空は暗くなっていて、木々の間から時折青い三日月が覗いていた。私達は雑木林の中を進んでいく。
「お待たせしました。着きましたよ」
 鳥居の前に辿り着いた時、私はそう言った。

   *

「やあやあ、遠い所をようこそいらっしゃいました」
 境内を横切って家に着くと、玄関で神主さんが出迎えてくれた。今日のお勤めはもう終わったのか、あるいは早めに切り上げたのか、眼鏡の神主さんはラフなポロシャツだった。なぜ神主さんと分かったかと言えばスギナさんがお父さんと呼んだからだ。
「ツキミヤです。この度はお世話になります。オリベ教授からも神主さんによろしく伝えるようにと」
 そう言うと、
「ああ、オリベ君、元気?」
 と、返事が返ってきた。
「ええ、相変わらずです」
 僕はそう答えるとスギナさんに勧められるままに靴を脱ぎ、下駄箱に入れた。
「そうかいそうかい。オリベ君のところからはね、時々学生が訪ねてきていたんだ。ここ数年はご無沙汰していたけどね」
 神主さんは弾んだ声で言う。さ、食事の準備ができていますよと言って案内してくれた。木の廊下をしばらく渡ると障子を開く。招かれた部屋は薄暗かった廊下と打って変わって明るく、まるで上質の旅館に泊ったのかと錯覚するくらいにたくさんの料理が並んでいた。山菜の天ぷらに、おひたし、具沢山の味噌汁、芋を煮転がしたものもあったし、湯葉や豆腐も目に入った。
 さあ、お座りになって下さい。神主さんが席を勧める。失礼します。促されるままに座布団に正座した。
「みんなこの辺で穫れたものばかりです。どうぞお召し上がり下さい」
 こうして神主さんにスギナさん、氏子さん達と共にたくさんの料理を囲みながら夕食が始まった。初めこそ皆静かに食べていたけれど、やがて気がほぐれたのかお腹が満たされてきたのか、ぽつぽつと会話が始まった。気が付けばスギナさんがお酒を持ってきて、神主さんや僕に勺をした。あまり飲むつもりはなかったから酔わない程度に頂いておく。氏子さん達も後々になってお酒を口にしたけれど、一番飲んでいるのは神主さんだった。酒が入る度に彼はどんどん饒舌になっていく。そのうちに語り出したのはオリベ教授の昔話だった。
「カイナ大から神事を見にきた初めての学生というのがオリベ君でね、取材をしたいと電話をかけてきたんだ。何かの雑誌だか本だったかで知って興味を持ったと言ってた。それ以来の付き合いでね」
 神主さんは顔を赤らめながら、陽気に語る。
「とにかく読書量が物凄かったね。昼間は町を歩き回っているんだけど、夜になると別人みたく本の虫になっちゃうんだ」
 神主さんによれば、まだカイナの一学生であった若き日のオリベ教授は、夕食が終わるやいなや町の図書館で借りた郷土史やら昔話やらの本を夜遅くまで舐めるように読んでいたという。そうして次の日に神主さんを質問攻めにして散々困らせたらしい。
「私は跡を継いだばかりでさ、駆け出しでろくに答えられないのが悔しくてね。だからそれからは勉強するようになったよ」
 今となっては感謝していると神主さんは言った。だから私が行事の保存に力を入れるのも、彼の影響あってこそかもしれないね、と。
 人は見かけによらないものだと思った。どうやらあの人はちゃんと民俗学者として学問に貢献しているらしい。どうも普段の感じを見ていると、熱心な学生だったというのが信じられないのだが、研究室に入り、実際に本人の論文を見た時に、その実力と仕事量は認めざるを得なかった。
 実際、教授の知識量には凄まじいものがある。特に彼は比較論に優れていて、他のどの地域の似たような行事ではこうだ、という事例をいくらでも挙げてくる事ができた。一体どこから調べてきたんだろう、何が情報源だろうと思っていたが、結局こういう事の積み重ねがものを言っているのだと思う。
 ――ツキミヤ、お前には足で稼いで貰いたい。
 オリベ研に入った時、教授はそう言って僕を大学から送り出した。自分に足りないのは実地だから指定する先に行って欲しいと。もちろん空き時間は好きな所へ行っていいという条件でだ。僕はそれを承諾した。いや、正確には入ったらそうさせて貰うつもりだったから好都合だった。その理由はいくつかある。
 口に山菜の天ぷらを運ぶ。ほのかな苦味がちょうどいい。数人が箸をつけているのもあり、あれだけ盛り付けてあった料理も減っていく。ふと、味噌汁の椀の横近くに目をやると、ネイティがタラの芽をつついていた。
「おいしい?」
 そう尋ねると小さな緑の鳥は肯定するように赤アンテナを揺らした。
「ツキミヤ君はずいぶんと優秀なんだってね。オリベ君から聞いてるよ」
 やがて話はオリベ教授の昔話から、僕自身へと移っていく。まあ、当然の流れだろう。神主さんの顔は先ほどより赤くなっていた。横にいるスギナさんがお父さん飲みすぎよと制止したが、気に留める様子はない。僕は僕で適当に答えるつもりだったから構わなかったが。
 ただ、次の質問には一瞬だけ箸の動きが止まってしまった。
「わざわざ君を別の専攻から引き抜いたそうじゃないか。よほど君が欲しかったんだね」
 神主さんがそう言ったからだった。
「ええ、今の研究室は教授の勧めで」
 僕は答えた。嘘ではなかった。傍らで緑の鳥が残ったタラの芽を上を向いてぐいぐいと飲み込み、本日の食事は終了とばかりにテーブルをひょいっと降りたのが見えた。
 あの人はまた余計な事を。そう思った。
「前の専攻は何だったの?」
 あくまで純粋な興味なのだと思う。神主さんは間髪を入れずに聞いてきた。
「考古学です」と、僕は答えた。
「じゃあ、なぜ民俗学に?」
「そうですね……あえて言うなら、一人でも研究できる事でしょうか。遺跡の発掘なら人の手もお金もいりますけど、民俗学なら僕一人で歩き回ってできますから」
 答えになっていない答えだと思った。ただやはり嘘でもなかった。一人で取り組むのなら民俗学は確かに都合がいいのだ。少なくとも考古学に比べれば。それは紛れもない事実だった。
「だからここが終着点だとは思っていません。けれど、僕が今取り組むにはいい分野だと思っています。こんな言い方をすると意欲がないみたいですけれど……」
 外向きの表情は崩さずに語り続ける。神主さんは少し面食らっているように見えた。
「そうかい……、私はてっきりオリベ君は君を後継にするのかと」
 僕は少し困った笑顔を作る。
「君は君で色々あるんだね」神主さんは言った。
「そうですね」と、僕は返す。教授と僕の思惑は少し違うと思います、と。
「もちろん結果は出します。教授に期待していただいている以上のものはお見せするつもりです」
 そこまで言うと箸を置いた。テーブルから降りたネイティは眠いのか羽毛を膨らませて、目をつぶってうずくまっていた。

   *

 残った料理をいくつかの皿にまとめると、台所に運ぶ。今日は人も料理も多かったから皿洗いの量が多い。この感覚は久しぶりだ。皿を盆に乗せ、私は廊下を渡る。台所に行くと氏子さんがすでに皿洗いを始めていた。ここは私がやっておきますよ。氏子さんがそう言うのでお礼を言うと廊下を引き返した。無駄に長い廊下だ。母が亡くなり、姉達もお嫁に行ってしまった今、この家は広すぎる。
 ふと、遠い記憶が蘇った。小さい頃に神社の境内で遊んでいた記憶だった。
 境内では何人かがダルマッカが転んだやかくれんぼをしていた。鬼は夫婦杉で振り返り、夫婦杉の下で声がかかるのを待った。男の子、女の子、後に共に旅立つメンバーも含まれていたし、今はいない姉達の姿もあった。やがて日が西に沈み始め、水田が赤く染まり始めると、一人、また一人と鳥居を潜って出て行った。
「私もそろそろ帰るね」
 最後に一人残っていた幼馴染みも名残惜しそうに言う。けれど、まさに彼女が鳥居を潜るその時、まだ生きていた母が言ったのだ。
「ねえ、よかったらお夕食食べていかない?」
 いいんですか? 振り返った彼女は少し大人びた言葉で返す。
「いいのよ。賑やかなほうが楽しいものね。お母さんには電話をしておくわ」
 母が言った。
「やったあ!」
 私は声を上げる。母が彼女にそう言う時はだいたい食事が豪華だった。
 それに何よりあの子と夜遅くまで一緒にいれる事、それが私には嬉しかったのだ。

   *

 エンビタウンに滞在する間、寝泊りをする部屋には、夕食が終わってから案内された。住み込みの氏子さんがいた時に使っていた離れだそうで、玄関を出て少しばかり歩いた所にある。今はごくたまに僕のような来客用に使われる事があるのみだという。
「ごめんなさいね。なんだか端っこに押し込めるみたいで」
 そんな事をスギナさんが言ったけれど、とんでもないと否定した。
 むしろこちらの好きな時間に使える訳だから好都合だ。神主さんの話から推察するならば、かつて泊まったというオリベ教授もここで思う存分本を読みふけったのだろう。ただ、読書をしている教授をなぜか僕は見た事がなかったから、その姿を想像した時に少し違和感があった。研究室に行く度に違う本が置いてあるので読んでいるには違いないのだが。
 スギナさんが鍵を開けて引き戸を開く。ぱちりと部屋の電気をつけた。そして、鍵を渡された。ネイティを抱えていた手を片方空けると受け取った。緑玉は羽毛を膨らんだりしぼんだりさせながら寝息を立てている。
「お風呂に入りたい時は声をかけて下さい。十時くらいまでに済ませて下さいね」
 そう言うとスギナさんは母屋のほうへ戻っていった。緩やかに結んだ長い髪がすっと引き戸の間を通り過ぎていくのが見えた。
 僕は当分の棲みかを見渡す。畳敷き六畳ほどの部屋には押入れと机、それに縁側が付いている。鍵を回して縁側の窓を開けた。目の前に広がっているのは暗い雑木林だった。ふと、足元の影がざわついた。
「いいよ。出てきても」
 僕はそう言って、壁のスイッチに手を伸ばす。部屋の電気をぱちりと消した。その代わりに机の上にあったスタンドライトの明かりをつける。作業をするならこれくらいのほうが落ち着くし十分だ。リュックからハンドタオルを取り出して机に敷き、ネイティはそっちに移してやった。そうしている間に薄暗い部屋にはてるてる坊主の影が躍り始めていた。足元から次々に宙に躍り出る彼らには一本の角が生えている。ある者は開けた窓から外に出ていったし、ある者は部屋の中をふらふらと漂った。今日も三十匹くらいだろうか。角付きてるてる坊主達の揺れる影を眺め、思った。
 カゲボウズ、僕の影に巣食った人形ポケモン達。影の中では窮屈だろうからと時々こうして外に出してやる。ある者はしばらく散歩して戻ってくるし、またある者はどこかでつまみ食いでもしているのか、しばらく帰ってこない。干渉はしない。自由にさせている。ただ、許可したらすべての個体が出てくるのかというとそうでもなく、なぜかいつも出てくる数は決まっている。彼らは全体から見ると氷山の一角に過ぎない。ある外出好きの個体だけが出てくるのか。あるいは彼らの間で交代制でもとっているのか。一匹一匹の区別をつけている訳ではないから分からない。
 リュックからノート程のタブレットを取り出す。大学を出発する時に教授から支給されたものだ。どんな手を使ったのか知らないが、今年は予算が多く出たらしい。
 立ち上げて光る画面をスライドする。送られてきた昔のレポートのスキャンデータを呼び出した。若き日の教授の字はお世辞にも綺麗ではない。
 ――エンビタウンの子供達が最初のポケモンを決める儀式、それは鷽(うそ)替え神事と呼ばれる。
 かつての学生のレポートにはそう綴られていた。この頃はまだ伝統が生きていたから、神事の名前も鷽替えだ。
 教授のレポートを閉じる。別の学生のレポートを開けた。指で画面を撫でる。内容を目で追いながら、下へ下へスライドさせていく。神事の概要はもう頭に入っていた。僕の関心は他にあった。
 不意にカゲボウズが寄ってきて、その衣が画面に触れる。顔を上げると何匹かが何か言いたげにじっと見つめていた。
「分かっているよ」
 闇に輝く三色の瞳を見つめ返し、言った。
 大学の外に出た理由、そのうちの一つがこれだった。

   *

 夜の闇の中に妙なものを見たのは、ツキミヤさんを離れに案内し、母屋に引き返している最中の事だった。雑木林の中に青白い光が見えた。
 こんな時間に誰か来たのかしら。私は怪しんだ。
 よくよく目を凝らすと青白い光は二、三あって、木々の間をゆっくりと進んでいく。最初は誰かが懐中電灯でも灯しているのかと思ったけれど、それにしては何かおかしい。気が付くと早足でそれを追いかけ始めていた。
 本来なら誰かを呼びに行くべきだったのかもしれない。けれど、私がつい追いかけてしまったのは、その光が明らかに神社を目指していたからだ。だから反射的に後を追ってしまったのだと思う。
 そうして光の正体は、神社の境内に出た時にはっきりとした。
 炎だった。青白く、冷たく燃える小さな炎が三つ、宙を上下しながら移動していた。石畳が照らされて、影がゆらゆらと揺れている。
 人魂。そんなキーワードが浮かんだけれど、すぐさまポケモンの仕業だと思い直した。姿は見えないけれど、これはゴーストポケモンの仕業だ。それが分かった時、あまり恐怖心はなくなっていた。こういうのは「あの子」が得意なのだ。何者かが灯す鬼火は夫婦杉の横を通り過ぎ、拝殿近くの絵馬の掛け所へと近づいていく。鬼火はまるで絵馬を物色するようにぐるぐると掛け所の周りをニ、三周した。そうしてついにポケモンが姿を現した。
 最初に見えたのは影だった。そうして炎に照らされた絵馬の上にそれが映ったかと思うと、もう姿を現していた。数は六匹ほど。宙に舞う衣、頭から伸びる一本の角、青や黄色に輝く瞳。カゲボウズだった。これでも昔はトレーナーだったから、見るのは初めてじゃない。けれど、この神社はあの子のテリトリーだ。ゴーストポケモンはほとんど入ってこないはずなのに。
 カゲボウズ達は奉納された絵馬の束をじいっと見つめたり、ひらひらの部分を器用に使って束の中から一枚を引っ張り出そうとしていたが、やがて私の視線に気が付いたらしい。びくっとして目を見開くと鬼火もろともぱっと消えてしまった。あるいはあの子の存在に気が付いたのかもしれないと私は思った。いずれにせよ、大した事はないと判断した私は母屋へ引き返す事にした。

   *

 縁側に突如現れた「それ」と僕達との間には、しばし無言の駆け引きが続いた。
 離れの六畳間、タブレットを持った僕は座布団に座っており、その視線はカゲボウズ達が出て行った縁側に注がれている。僕だけではない。部屋をふらふらと浮遊していたカゲボウズ達も視線を注ぐ先は同じだった。縁側には大きな影。それが二つの鋭い眼を光らせていた。
 羽音はしなかった。が、それが縁側に降り立ったその着地音で僕達はその存在を認識したのだ。
 しかもその訪問者の嘴の先にカゲボウズが一匹、ぶら下がっている。いや正確にはふにゃりと曲がった角を嘴でがっちりとくわえられていた。その様子はなんとも情けない有様で、捕虜カゲボウズはとてもバツが悪そうな顔を向けた。この様子だとこの部屋を出てすぐ捕まったのだろう。
 ただならぬ雰囲気を察したのか、ネイティまでもが目を覚ました。
「……なるほど。君がスギナさんの最初の子か」
 と、僕は言った。どうやら夜のハンターというのはカゲボウズ捕獲もお手のものらしい。
 ふくろうポケモン、ヨルノズク。太い筆で山の字を描いたような冠羽の下で鋭い眼が光っている。小さなゴーストポケモンを震え上がらせるには十分だった。
「この神社は君のテリトリーって訳だ」
 続け様にそう言うと、ふくろうポケモンはくわえていたカゲボウズを放してくれた。やっと嘴から解放されたカゲボウズは一目散に僕の影の中に戻っていく。残ったカゲボウズ達がざわめいた。
「はじめまして。しばらくお世話になるのでよろしく」
 そんな事を言ってみたが、俺は了承した覚えはないとでも言いたげな視線を向けられる。さすが進化系のポケモンとでも言うべきか。吼えたり、噛み付いてきたりする未進化のポケモンに比べると、どっしりとした落ち着きがある。同じ夜の住人という点も大きいのだろう。
 だが、ここの神社の祭神ってオオスバメじゃなかったろうか。ヨルノズクのテリトリーっていうのも妙な話だ。そんな事を思っていたら、フシャッと低い鳴き声で抗議された。
「分かった分かった。勝手な事はしないよ。カゲボウズ達にもよく言っておく」
 そう言うと、ふくろうポケモンは一応納得したのか、とりあえず今日は帰ってやるとでも言うようにぷいっと身体を外に向けた。だが、
「あ、ちょっと待って」
 と、僕が呼び止めると首だけがぐるっとこちらを向いた。
「なあ君、このあたりで空気の重たい場所とか知らないかな?」
 ぐるん。一八○度回った首に今度は傾きがつく。
「知っているなら案内してくれないか」
 捻じ曲がった首は瞳をぱちぱちさせながらしばし静止していたが、やがてぐるんぐるんと二段階を経て元に戻った。そうして羽音を立てずに大きな影は飛び去っていった。境内の主が去った縁側を見つめながら、彼はゴーストがデフォルトで見えているタイプだな、と思った。
「……ありゃ手強いね」
 目を覚ましたネイティにそう言った。争う気はなさそうだが、神社の中でおかしな事はできない。さしずめ今日は牽制と言ったところか。


【続く】


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