マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ
このフォームからは投稿できません。
name
e-mail
url
subject
comment

[新規順タイトル表示] [ツリー表示] [新着順記事] [留意事項] [ワード検索] [過去ログ] [管理用]

  [No.3295] 10 投稿者:リナ   投稿日:2014/06/15(Sun) 22:00:46   57clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


 確かな設計力と、きめ細かいアフターケアが売りの「古川工務店」は、商店街の一角に事務所を構えている。繁忙期は職人さんが絶えず出入りしていて、棟梁が下っ端の若い職人さんにやたらめったら檄を飛ばしているのをよく見かける。小さい頃はそれが怖くて、そばを通らなければならないときは両耳を塞いで一気に走り抜けていた。ただ、休憩中にはみんな缶コーヒーを片手に笑い合っているから、きっと大工さんって、怒鳴るのも仕事なんだなと思っていた。
 さて、そこの長男坊が、今私たちの目の前にいる男の子。
 古川颯太郎(ふるかわそうたろう)。実際彼が真顔で話しかけてくることは、群れを率いる雄ライオンがわざわざ狩りに参戦するときくらい珍しいことだった。だっていつもの彼は、この教室が落語の寄席か何かだと思い込んでいて、勝手に人だかりを作って、休み時間をめいいっぱい使って、よく回る口でたくさん笑いを取って、そして授業中は死んだように寝ている。古川くんは、そういう星に生まれた人間なのだ。
 私とユズちゃんはお互いの目だけで、大量の情報をやり取りした。どこから話す? 最初から? 途中から? いや、話さない? 隠しておく? 嘘ついとく? しらばっくれる? それとも……モールス信号みたいにユズちゃんのまぶたが瞬く。
「おいシカトかよー。話してたろ? 駅前のベンチで」
「いや、その」
 作り笑いで古川くんを見上げたら、まともに目が合ってしまった。何か取り繕おうとしても、言葉は喉のところで渋滞していた。お盆にテレビでよく見る、帰省ラッシュの高速道路みたいになっている。
「友達だよ。私立の中学校に行ってるの」
 ユズちゃんが渋滞してる車の隙間を走り抜けた。小回りの効くバイクで、颯爽と。
「友達? お前ら座敷童と友達なのかよ!」
 本当に古川くんは、無駄に声が大きい。
「だから! 座敷童からは離れてよ! 人間だから! ホモサピエンス! オーケー?」
「紹介してくんない? おれ一回話したかったんだよな、座敷童と」
 ユズちゃんは頭をがりがりと掻きむしった。ショートを守っている古川くんは、野球部でも随一の守備範囲を誇るくせに、人の言葉を捕球する気はさらさらないらしい。
「……ってことはさ、あいつのことも?」
 古川くんが声を潜めた。彼がこうやって真面目な顔をするのは、やっぱり慣れない。
「あいつ?」ユズちゃんが首を傾げる。
 この後彼が言い放った言葉で、私たちは思い出す。古川くんは、噂を広めるのに一役も二役も買っていて、色んな尾ひれはひれをくっ付けた張本人で、目撃者の一人でもあった。
 そして実際に“見た”と言っているのは、私は今のところ古川くんしか知らなかった。
「いっつももろの木さまの近くにいる、緑の獣。あれのことも、なんか知ってんのか?」
 瞬間、私はほとんど無意識に立ち上がった。勢いよく床を擦った椅子が、大きな音で呻いた。
「コノが……古川くんもコノが見えるの?」
「それって、あの生き物の名前?」
「本当はもっと長い、神様みたいな名前だけど」
 コノハナノトキツミノミコト。ちゃんと覚えている。普段は端境(はざかい)というバリアのようなものを張っていて、普通の人には見えない。見えるのは、コノと同じ「木行」が開いているか、他の五行のうちどれか一つを二段階開いている人だけ。それは「神子」と呼ばれる存在で、神子は八百万の獣たちの話す言葉も聞くことが出来る。
「古川くんは、“気質”の持ち主なの?」
「キシツ? まあそんなに荒っぽい方ではないけどなあ。どちらかというと人に優しく自分に厳しく、一途に人を想うタイプで」
「違くて、五行のこと」
「ん? 何のこと?」
 話が通じない。
「ちょっとここじゃあさ」ユズちゃんが箸を置いて、辺りを見回しながら言った。「古川、野球部も今週から休みでしょ? 放課後、ちょっといい?」
「ああいいよ。場所は? 体育館裏とか? 告白だったらおれいつでも受け付けてっからさ」
 親指を立てる古川くんを、ユズちゃんは睨みつけた。
「うるさいっ。とりあえず、『サンノゴ』に来てくれる? 愛の告白よりも真剣な話」
「なあ杠、愛の告白だって、一般的には誰しも真剣だぞ」
「ああもう、面倒くさいからいちいち拾うな!」
 素早く放たれたユズちゃんの脚を、古川くんはぎりぎりで避けた。
「わ、悪いって! 一応、おれもマジだよ――夏くらいからさ、よく分かんないものが見え始めて、ちょっとどうしようかと思ってたんだ」
 古川くんのその口ぶりは、実際それほど不安そうなものではなかった。テスト前日の古川くんの方が、この何倍も狼狽していた気がする。
「あ! ユズちゃん今日はだめだよ。放課後は千夏と勉強会するって」
 図書館でセンセイにご指南いただく約束を、危なくすっぽかすところだった。
「そっか、でも……」
 ちょっとだけユズちゃんは口に手を当てて考えた。教室の前の方で友達とお弁当を広げている千夏を見る。
「ねえ茉里」
「ん?」
 ユズちゃんの顔は、あの十月の半ば頃の「座敷童に会いに行こう」と言い出したときと同じだった。
「千夏も巻き込んじゃおうか?」
 何も知らずに笑っている千夏が、気の毒になった。ごめん、センセイ。

 誰にも聞かれたくない秘密の話をするのには、スペースの半分以上が物置になっているこの空き教室が最適である。特に、私たちが今忍び込んだ三階の三の四横の空き教室、通称「サンノゴ」は、校舎の隅っこで廊下は人通りが少ない。めいいっぱい備品が詰め込まれているので、隙間から奥の方に入れば完全に外から死角になる。しかもサンノゴの奥には畳二つ分ほどの空間があり、都合良くパイプ椅子まで置いてあるのだ。
「良かった。今日は“空席有”みたいね。まあテスト前だし」
 誰が決めた訳でもなく、この部屋にはルールが出来ていた。サンノゴを使うときは、でかでかと立てかけてある「第十三回天原中学校祭」の古い看板を裏返しておく。使いおわったら、元通り表にしておく。そうすることで「偶発性社会的不快感」を未然に防いでいる。
「中間テストの勉強には、あんまり向かない場所だよね――それに、なんで古川くんがいるの?」
 千夏は連れてこられたサンノゴの埃をかぶった机を見て、目を細めた。
「いやー参っちゃうよね! 人生がモテ期のおれもさ、さすがに一度に三人の女の子から攻め寄られると――痛っ!」
「古川うるさい! でかい声出さないで!」
 古川くんの脇腹を、ユズちゃんが肘でえぐった。
「出そう、昼食った生姜焼き、出そう」
 体を大きくくの字に曲げている古川くんを後目に、ユズちゃんは学校祭の看板を裏返した。
  奥のスペースにあるパイプ椅子に、埃は被っていなかった。三年生中心に、頻繁に利用されているのだろう。
「どっから話せばいいのかね。ホントかウソかも分かんないくらい、突拍子もないな内容だし」
 腕を組んで、ユズちゃんが窓の外を仰いだ。秋らしい、高い青空が広がっている。
 私とユズちゃんで、行ったり来たりしながらも、これまで怒ったことを二人に話した。座敷童の正体は、麗徳学園に通うエリート女子中学生だったこと。この天原が、何らかの危機的な状況にあるらしいということ。それを美景ちゃんは「毒が入り込んでいる」と表現したこと。今それを辛くも食い止めているのが、他でもないもろの木さまだということ。もろの木さまにはお付きのもののけさんがいて、名前を「コノ」ということ。美景ちゃんは、直接もろの木さまの「御言葉」を聞いて、天原を救う手だてを知ろうとしていること。そして、私とユズちゃんもそれに協力しようとしていること。
 ユズちゃんは、自分の家のことも、二人に伝えた。人に話したりしたくなるような出来事は何一つないのに、まるで最近見た映画のストーリーを話すみたいに、ユズちゃんは朗々と語った。おばあちゃんの容態のことや、お父さんとの関係のことを話すユズちゃんは、時々ひどい悪態までついた。千夏が困った笑顔で、私のことをちらりと見る。
 ユズちゃんのおばあちゃんは、私のことはもちろん、実の孫の記憶もなくしてしまっていた。それを目の当たりにしたユズちゃんは、一体どんな顔をしたのだろう? 
 想像したくなかった。
「つまりだ。このちんけな田舎町で、なにやらごちゃごちゃ色んなことが起こっている。そういうことだな」
 古川くんが、ふんぞり返って腕を組む。
「格好付けて言ってるけど、全くまとまってないよ」
 私がそう突っ込んでも、古川くんはまるで決断を迫られている大企業の重役みたいな言動を続けた。
「この危機的状況を打開する。まずはこの会議室に対策本部を設置だ」
「はいはい。もういいから黙って」ユズちゃんが突き刺すように言う。
「でもさ、その美景って子が言うには、杠んとこの銭湯が守られるってのが最優先なわけだろ? その銭湯の神様がそこにいれるようにさ」
「そうね。でもそのためにはうちのお父さんが何を企んでるのか掴む必要がある。ただあの人全然うちに帰ってこないもんだからさ。何も追求出来てないんだけど」
 職場に電話してみるとか、単身赴任先の住所に乗り込んでみるとか、いくつか案が出たけど、実際どれも憚られた。もしそこまで行動を起こすとなっても、平日は難しい。少年少女たちが大活躍する探偵ものの漫画やアニメがあるけど、あの世界はどうしてあんなに自由に使える時間が多いのだろう。
「――ちょっと思ったんだけど」
 千夏が口を開いた。古川くんが「対策本部」を設置してから、初めてのことだ。
「銭湯が守られるって、どういう状態を言うのかな? 例えばちゃんと営業してなきゃ駄目とか、営業してなくても湯船にお湯が張ってあれば大丈夫とか、建物が残っていればいい、とか。『守られている』って、何を基準に決まるのかなって」
 他の三人の「あー」が、きれいにハモった。
「まあ、そう言われると、よく分かんないよなそこんとこ。よし川崎クン、君は今日から対策本部長だ。上には私から推薦しておく」
 古川くんが千夏のおでこ目がけて指を指す。
「うーん、『守られている』かぁ」ユズちゃんが天井を仰ぐ。「なんだか哲学っぽくて、図書館なんか調べたって分からなそうね。美景さんは“社”としての機能がなきゃって言ってたけど、そこ突っ込んで訊いてなかった。失敗」
 ユズちゃんの言う通り、早速情報収集で後手を踏んだ。あのときちゃんと説明をお願いすれば、美景ちゃんは生き生きと語ってくれたことだろう。こういう凡ミスで調査が滞るなんて、フィクションではあっちゃいけないことだ。
「いや、その美景さんも、その定義については疎いんじゃないかな」千夏センセイが手を膝の上に置いたまま、ゆっくりと話す。「その人が天原を守りたいと思っている。守るためにはユズちゃんの銭湯が“社”として機能しなきゃいけない。なら、一番大事なところを説明しないのは、ちょっと考えにくい。協力してほしいって二人に持ちかけた本人が、その“社”について詳しく話さないなんて。何か儀式みたいなのが必要だったり、こういう状態にしておくっていうのが分かっているなら、真っ先にそうしようとするはずだし」
「お前、シャーロック・ホームズか」古川くんが素に戻って感嘆した。
「私はモリアーティの方が好きかな」千夏が返答する。「――まあだから、まずはその“社”っていうのが一体何なのかを調べる。それが第一歩な気がする」
「やっぱり千夏を巻き込んで正解だった。ね? 茉里」
 ユズちゃんに振られて、私は口元だけで曖昧に笑った。
「――でも千夏、ホントにごめんね。テストあるのに付き合ってもらっちゃって」
「ううん。私のことは別にいいけど、中間テストはみんなに平等に訪れるよ?」
 ユズちゃんと古川くんが同じタイミングで頭を抱えた。

 とにかく、“社”とは何なのか? どんな意味を持って、どんな効力があるのか? おのおの宿題として持ち帰ることになって、私たち四人は解散した。中間テストが近づいてる中、なんだか課題だけが増えていく気がする。
 以前コノが言っていた。「銭湯ゆずりは」が潰れると、湯の神さまは「ホームレス」になってしまう。「ホームレス」っていう言葉が的確なのかは分からないけど、神様の居場所を奪ってしまうというのは、たぶんそれだけですごく罰当たりなことなのだろう。
 帰り道、ユズちゃんと途中まで一緒に歩いて、私はいつもの畑の畦道まで辿り着いた。すっかり辺りは暗くなり、遠くの山の稜線だけがほんのりと白んでいる。等間隔に並ぶ防風林がときどきざわりと揺れる。私のこもったような足音が、のろのろとリズムをとる。
 足を止めて、夜空を見上げた。秋は明るい星が少なくて、夏の空に比べて控えめな印象だけど、私はこの畑から見上げる秋の夜空が好きだった。分かる星座と言ったらペガスス座くらいだけど、あの四つの二等星を見つけると、なぜか私はほっとするのだ。ちゃんと今日も、あそこにある。なくなってしまったりしていない。それを確認するのが、この季節のちょっとした日課だった。
 防風林がさっきより大きく揺れた。二等星が作る四辺形がいつもの場所にちゃんとあることを見届けて、私はそっと声に出した。
「朝、私を呼んだよね? 出てきてくれませんか?」
 また、防風林が大きく揺れる。風だけのせいではない。何かが木々の間を、まるでムササビのようにすり抜けているのだ。
 分かる。あれは「木行」だ。
「あなたが『端境』意外の何かで身を隠しているなら、解いてもらえませんか? 私にはそれだけで、あなたを見ることができます。あなたと話すことが出来ます」
 その気配は、こちらを見た。注意を向けているだけでなく、ちゃんとその目で私を見たのが分かった。ひときわ大きく、防風林がざわめく。
 その時だ。
「しょ、しょ、小生は……」
 ひゅるひゅると鳴る風のような声が、かすかに聞こえた。
「い、いえ! その……本当、本当なのですか? 茉里様。小生のこの声が、き、き、聞こえるのですか?」
「――うん。ちゃんと聞こえる。でも、どうして私の名前――」
 私がその声に答えると、今度は本物の風の音がびゅうびゅう唸った。大きく捻るように、かと思ったら小刻みに震えるように。まるで過呼吸でも起こしているみたいだ。
「コノハナノトキツミノミコト殿がおっしゃっていたことは、誠だったのですね! 小生は、もう幾年もこの日を、この瞬間を夢に見ておりました! 正直に申しまして、半ば諦めておりました故に、茉里様。ああ茉里様。本当に、本当に小生は嬉しゅうございます!」
 四方八方に風が渦巻いて、気づけばそれは小さな竜巻ほどの大きさになった。風で吹き飛ばされそうになったマフラーをぎゅっと巻き直す。状況は全く掴めないけど、とにかくその声の主は、ひどく感激しているようだった。
「あの――あなたは、『八百万の獣』ですか?」
「左様でございます。茉里様」
「その、どうして私の名前を?」
「ああ茉里様。小生は、ずっとずっと茉里様のそばにおりました。さらに申し上げれば、茉里様のおばあ様のひいおばあ様が幼少の頃から、小生は津々楽家に身を寄せ、仕えておりました。茉里様のおばあ様は小生の姿を見ることが出来ましたが、こうして言葉を交わすほどのお力は、残念ながら持ち合わせておりませんでした。故に、今小生はもう言葉にすることが叶わないくらい、嬉しいのでございます!」
 その声は弾むような音程で、畑の闇に鳴り響いた。声はとても不思議な聴こえ方で、辺り一面に響いているようでもあるし、耳の奥だけで小さく振動しているようにも聴こえる。
 この声の主であるもののけさんは、どうやらうちの家にすごく縁があるらしい。コノのように、神様に仕えるのが「八百万の獣」だと思っていたけど。
「私のおばあちゃんは、確かに子供の頃『八百万の獣』を見たって言ってた。あなたのことだったんですか?」
「恐らく、そうでございましょう。おばあ様は小生と同じ、木行でした」
「私にはまだ、あなたのことが見えていない。姿を、現してくれませんか?」
 そう言った途端に、渦巻いていた風がぴたりと止んだ。
「しょ、しょ、小生の――す、姿、ですか?」
「――駄目なの?」
「いえ! そんなことはございません! そんなことは、ご、ございませんけれども、なんと申しましょうか、小生なにぶん獣でございまして、茉里様のお気に召す容姿とは恐らく相当かけ離れています故――」
 この声、本当によくしゃべる。
「おばあちゃんに見せて、私には見せられない?」
 また防風林がばさばさと揺れた。さっきから様子を窺うと、恐らく感情の起伏がそのまま風に現れるのだろう。
「そ、そのようなことは――」
「あなた、いつもそんなに恥ずかしがり屋さんなの?」
「いえ、そうではございません。確かに小生の『端境』は、他のどんな獣共にも負けることはないと自負しています。ただ本当に、なんと申しますか――」
 私の立っている畦道から、ほんの五メートルほどのところまで、その声の気配が近づくのを感じだ。でもそれ以上は距離を縮めようとしない。
「茉里様は、特別です。特別な存在なのでございます。小生は、恥ずかしながら臆してしまっているのでございます」
「特別? それって、どういう意味なんですか? 木行だから、ですか?」
「先ほど申し上げました通り、茉里様のおばあ様がまず木行でございました。『気質』を持って生まれたこと自体、非常に稀なことでございましたが、残念ながらそれは極めて微細でございました。しかし茉里様の『気質』は、おばあ様のものを遥かに上回る。最大で五段階まで、その木行の力を発現することができると、小生は推測します」
 とても恐ろしいものを語るかのような声色で、彼は言った。
 美景ちゃんは以前、私は木行が一段階開いていると言っていた。それが最終的に五段階目まで開くことが出来る、ということなのか。それは、才能があるということで素直に喜ぶべきことなのだろうか? 全然ピンとこない。
「そんな風に言われても、私には正直そこまでできるとは思えないし、全然特別なんかじゃないです。その――まだ中学生で、何の取り柄もないし」
 その声の主は、しばらくの間押し黙った。彼が感情を動かさない限り、風はとても穏やかだった。丸裸になった畑の上の空気は、気難しそうに張りつめている。
「ご、ごめんなさい。あなたはコノとも知り合いなんですよね? もし、私の能力とかそういうものを期待しているとしたら、当の本人にはまだまだ自信がないんです。社美景という人から、今の天原のことを聞いて、なんとかしなきゃって思ってるけど、何か私に出来ることはないかなって思ってるけど、まだ何にも力になれそうにないんです」
「――茉里様が気に病むようなことではございません」か細く、夜の闇に消えてしまいそうな声だ。「美景様とは、お会いしたのでしたね。小生から茉里様にお伝えしたいことが、山ほどございます。まずは、それだけなのです。そして全てお伝えした後、一つだけお頼み申し上げたいことがございます。そのために、小生は参ったのです」
 五メートル先の景色が揺らめいた。コノが隠れていたものと同じような、周りの景色と同じ絵の描かれたカーテンのようなものがめくれたのだ。
 そこに姿を現した「八百万の獣」は、最初見た瞬間、雲かと思った。一メートルに満たないくらいの大きさの、白い綿雲だ。てっぺんにオクラみたいなへたがついていて、顔も身体も見当たらない。数秒して、やっと彼は後ろを向いているのだと分かった。
「――やっぱり恥ずかしがり屋なんですか?」
「ま、待ってください茉里様! 今、今そちらを向きますから!」
 学芸会で、ステージに立つのを渋っている小学生みたいだ。
 恐る恐るこちらに身体を向けた彼は、動物で言うと「羊」だ。子羊をぎゅっと丸めたみたいな姿だった。頭から背中にかけて綿雲が生えていて、茶色い身体をほとんど覆い隠す勢いだった。
「わあ――」
「す、すみません! 茉里様! こんな、こんな威厳も欠片もない姿で――」
 彼の言う通り、確かに威厳とか神々しさとか、そういう種類のものとはかけ離れていた。手足と言えばいいのか、前足と後足と言えばいいのかすごく微妙だけど、とにかくその四足はほとんど使い物にならないんじゃないかと思うくらい小さい。申し訳なさ程度に、こぢんまりとくっついている。頭には左右に二本の緑色の角が生えているけど、くるりと内側に丸まっていて全然攻撃性がない。
 そう。彼の容姿を一言で形容するなら――
「可愛いもののけさんですね」
 私がそう言った瞬間、彼は相当ショックを受けたような顔をした。
「しょ、小生は男でございます! そんな、可愛いなどと――」
「だって――」
「小生は以前――もうかれこれ百年も前のことではございますが――今の姿よりもさらに貧相で、手も足も生えていなかったのでございます。あの頃は、きっと年月を経て力を得れば、名のある神の伴獣のように、威厳に満ちた姿になれると信じていたのです。それが、未だに小生はこのような――」
 彼はそこまで一息に言うと、途端にわんわん泣き始めた。同時に彼の周りにはまたもや風が渦巻き、唸り声を上げる。
「ご、ごめん! あなたはすごく男らしいと思う! その、角も大きくてかっこいいし。ほら、こうやって風を起こすことが出来るのもすごいと思うよ! だからさ、落ち着いて。ね?」
 巻き起こる風に飛ばされそうになりながら、やっとの思いで近づいて彼の頭に手を乗せる。およそ期待した通りの、もふりとした感触だった。
 こうやってたかが人間の女の子になだめられている時点で、彼はもう「威厳」なんてものは諦めるべきだと思った。


- 関連一覧ツリー (★ をクリックするとツリー全体を一括表示します)

- 以下のフォームから自分の投稿記事を修正・削除することができます -
処理 記事No 削除キー