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  [No.3298] 11 投稿者:リナ   投稿日:2014/06/21(Sat) 00:22:11   64clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


「“社”とは、もちろん『神を祭る場所』という意味でございますが、この『祭る』というのが、非常に大事な意味を持つのでございます」
 綿毛のもののけさんは得意気にそう語った。私のベッドの上に二本足で立ち、腕を組んで――ついさっきまで、彼はまるで、風船を空に飛ばしてしまった子供みたいに泣きじゃくっていた。それをやっとの思いでなだめすかし、うちまで連れてきたのである。

「ちょっと随分遅かったわね! 急に風強くなってきたから心配したのよ」
 そう言って玄関口まで出迎えてくれたお母さんは、私の傍らに寄り添う綿雲には全く見向きもしなかった。やっぱり、普通の人には見えていないのだ。
「ごめん、ちょっと友達と勉強してて――」
 お母さんの顔を見て、私は思い出した。
「あ、そう言えばお母さん、お弁当ありがとう」
 今日の朝忘れていったはずのお弁当を、お母さんはわざわざ天原中の二年一組の私の机まで届けてくれた。
 ところが、お母さんはぽかんとして、エプロンを外しながら首を傾げたのだ。
「お弁当? 何どうしたの急に? いつも作ってるじゃない」
「え? だって私、今日の朝お弁当忘れて――」
 そこまで言いかけて、私はハッとした。
「ううん! 何でもない! い、いつも作ってくれてるからさ、ありがとうってことだよ! うん、そう――あ、すぐお弁当箱出すから!」
 きょとんとしているお母さんを出来るだけ見ないようにして、私は自分の部屋がある二階へ駆け上がった。顔から火が出そうだ。
 部屋に入って両手でドア閉めてから、私は綿雲を見た。
「ねえ、もしかして今日――」
「――ご迷惑でしたでしょうか?」
「ううん、そんなことはないの。そしたら、朝私を呼び止めようとしたのも?」
「はい、茉里様。ただ、今朝はとてもお急ぎのようでしたので。あの後少しばかり迷ったのですが、ご昼食がないと大変お困りになると思いまして、学校までお届けした次第でございます」
「そうだったんだ。ありがとう――あーもう! 超恥ずかしい!」
 綿毛のもののけさんは怯えた顔で後ずさった。
「茉里様?」
「やだもう!」
「そ、そんなことを言っては。経過はどうであれ、お母様に感謝の言葉を伝えられたのは、とても素敵なことかと――」
「かもしれないけど! でも、すっごくむずむずするのこういうの!」
 そのとき、私の名前が隣の部屋から壁伝いに呼ばれた。
「茉里ー。なーに帰ってきて早々一人で騒いでるんかぁ?」
 おばあちゃんだ。そうだ。周りからしたら、私は一人で帰ってきたのだった。帰宅直後に自室で絶叫なんて、すっごく痛い子だ。
「ご、ごめんおばあちゃん! なんでもない!」
 私はドアに寄りかかったまま、しなしなと座り込んだ。
「――疲れる」

 お弁当箱を流しに戻すとき、お母さんは珍しく鼻歌を歌っていた。顔を合わせないようにして、私はまた二階に駆け上がったのだった。
「その地に住む人々の『信仰心』で、『祭る』という行為は成り立っていると言えるのです。ただですね、茉里様。『信仰心』と聞いて、茉里様はどんな心を思い浮かべますか?」
 今日学校で話した「社」のことを訊いてみたら、綿毛の彼は待ってましたと言わんばかりに、饒舌に語り始めた。
「信仰心? うーん、何だろう?」学習机の椅子に座り直し、私は教会やらお寺やらを想像した。「なんか、神様の言うことを聞いて、それを守ってさえいれば幸せになれるんだーみたいな感じかな」
 彼は大層満足そうに頷いた。
「一般的な感覚では、おおよそそうでしょう。しかし、『信仰心』の根本は、先ほど茉里様がお母様に示したのと同じ、『感謝』なのです」
 神様の存在は、人から人へ代々伝えられる。それによって「神」という言葉に、特別な意味や感情が宿るという。言葉が単なる「記号」から、「言霊」になるということだ。そうした細やかな伝達が日々の暮らしで行われることで、神様に限らず、大切にしなければならないものがだんだんと分かってくる。その理解が、その人の人格を形作る。
「しかし、いくら大切に伝えられても『言霊』が『記号』に逆戻りしてしまうことがあるのです」
 例えば、科学。科学の力では、神を証明出来ない。いや、現代の社会に即した言い方をすると「科学の力をもってしても」という言い方になる。科学は絶対的に「正しい」のだ。
 その科学が神の存在を証明出来ず、神を否定することになれば、「神を信じる」という行為は非科学的というレッテルを貼られる。神への信仰などというものは「間違っている」ということになってしまう。「神」という言葉に宿っていた言霊は色褪せて、単なる記号と化してしまう。
「“社”は、人々が神様に感謝する場所、ということ?」
「その通りでございます」綿毛のもののけさんは、再び大きく頷いた。「その機能が働いてこそ、“社”は成り立つのです。ただ、元々それは当たり前のことだったのです。作物がたくさん穫れたり、商売がうまくいったり、子宝に恵まれたり。人々は、良いことがあったときは必ず神様に感謝をしてきました。近しい人が病で亡くなった時でさえ、天国へ行くことが出来たのだと、人々は神様に感謝を表すのです」
「うん」
「――恐らくですが、美景様はそんな当たり前のことを説明するのは野暮だと思われたのかもしれません」
 それはあり得るかもと、私は思った。
 考えた。湯の神さまに感謝している人は、この天原に、どのくらいいるんだろう?
 そして、「銭湯ゆずりは」に感謝している人は、どのくらいいるんだろう?
 いつでも熱いお湯に浸かって、疲れを癒せることに感謝している人は、どのくらいいるんだろう?
 ユズちゃんのおばあちゃんに「ありがとう。また来るね」って言っていた人は、どのくらいいるんだろう?
 そんな人たちが大勢いたら、嬉しい。そしたらきっと――
「――なんとかできるかもしれない」
「茉里様?」
「湯の神さまは、きっと優しい神様だよね?」
 彼はこくこくと頷く。
「小生、直接言葉を交わしたことはございませんが、大昔に天原を温め、冷害から救ったお方です」
「うん、そうだよね。今度はさ、天原の人たちが、湯の神さまを助けないとね」
「――と、言いますと?」
「考えがあるの。成功するかまだ分からないけど、私もユズちゃんのおばあちゃんに、感謝の気持ちを伝えなきゃって思うから」
 綿毛の彼は、とても優しい目で私を見つめ返した。いつもは幼稚園児くらいの、小さな男の子みたいな表情なのに、その瞬間の瞳だけは、何年も時を経てきた深みというべきものを感じさせた。
「茉里様。茉里様なら、必ず成功します。小生、ずっと津々楽家にお仕えしてきましたが、先祖代々――そしてもちろん茉里様も、『ありがとう』を言える方々でした」
「えへへ、ありがとう。あっ」
 褒められたそばから口に出てきて、なんだかこそばゆくなった。
 ちょっと、視界が開けてきたような気がする。大事なことが、分かってきた気がする。天原を守る、というのは、言い換えればこの天原に住んでいる人々を、その一人一人を信じるということなんだと思う。
 もろの木さまも湯の神さまも「信仰心」を集めているわけだけど、それは一側面にすぎない。むしろ神様たちが、私たちを信じてくれているのだ。強く強く信じてくれていて、それによって、天原を堅く堅く守ってくれているのだ。
「――そういえば、まだ訊いてなかったね。あなた、名前は何て言うの?」
 ずっと「綿毛のもののけさん」と呼ぶわけにはいかない。私は尋ねてみた。コノのときみたいに、きっと彼も神様みたいな長い名前を持っているのだろう。私はそう覚悟していた。
 しかし、その予想は百八十度はずれてしまった。
「小生、名はありません」
 きっぱりと、彼は答えた。
「――えっ?」
「八百万の獣や八百万の神々には、名前を持つものと、持たないものがおります。人間は一人に必ずひとつ名前を与えられるかと思いますが、獣たちや神々は、人に名付けてもらわなければ名を得ることが出来ません。小生のように無名の者もいれば、例えば天照大神(あまてらすおおみかみ)様のように、複数の名を持つ方も、いらっしゃいます」
 名前がない。まるで当たり前のことのように彼は説明してくれたけど、私は正直、納得出来なかった。
「あなたが生まれたときに、誰も名付けてくれなかったの?」
 綿毛のもののけさんは、寂しそうに笑って頷いた。
「小生が生まれた瞬間など、誰一人知るところではありません。正確に言うと、ある日、ある時から小生が存在していたわけではなく、人々から存在を信じられるようになって、“少しずつ”存在が固まっていったのです。そして顕現を確かなものにして下さったのが、津々楽家だったというわけでございます」
「でも、私のご先祖様は、あなたに名前を付けなかったんだね」
「それが通例です。むしろ、ご自分の家系に仕える獣などに名を付けようと言う方が、珍しいことなのです」
 誰からも名前を呼ばれず、彼はずっと生きてきた。それが彼にとって当たり前だった。
「うーん、なんだかなぁ」
「ですので、小生のことは『綿毛』とか『羊』とか、好きに呼んでいただければ――」
「ねえねえ、私が名前を付けるって言ったら、やっぱりちょっと問題あったりするの?」
 何気なく、私は訊いてみた。訊いてみてから、「間違った」と思った。
 綿毛のもののけさんは、突然ゴムボールのように天井まで弾んだ。同時にまたもや風が巻き起こる。ライトが揺れ、壁にかけてあったカレンダーが画鋲ごと剥がれた。
「ちょ、ちょっとストップ! 部屋では止めて!」
 私は椅子から立ち上がり、弾むゴムボールを取り押さようとして、そのままベッドに突っ込んだ。もつれ合ったまま何とか彼を抱え込む。
「さっきからどうしたってんだぁ?」
 隣の部屋から、おばあちゃんの怪訝そうな声が聞こえる。
「ご、ごめん! 本当に何でもないから!」
 私は平静を装って返答した。お願い、覗きにこないでよおばあちゃん――
 数秒後、何とか風は治まり、私の部屋の被害はカレンダーのみにとどめることが出来た。
「はあ――はあ、す、すみません茉里様! 小生、あまりのことに気が動転してしまいまして――」
 今にも泣きそうな声で、彼は弁明した。勢いでベッド突っ込んだにせいで、ちょうど私が仰向けになり、この綿雲を「高い高い」しているような格好になった――この綿毛、めちゃくちゃ軽い。
「名を頂くということは、八百万の獣にとって大変な名誉でございます。小生は、もう自らの名など、ほとんど諦めておりました故――」
「分かった。でもね、家の中では風を起こすの禁止。これは守って」
「――承知、致しました」
 そっとベッドに彼を着地させて、乱れてしまった髪を撫で付けながら身を起こす。
「決めた。あなたの名前、私が付ける」
 困惑している彼をよそに、私は既に考えを巡らせていた。
 後から考えても、このときは本当に不思議な感覚だった。
 記憶の奥底から、何かがふっと頭に浮かんだ。私がまだ幼稚園に通っていた頃、おばあちゃんから聞かせてもらったほんの数分の話を思い出したのだ。
 それは、ずっとずっと忘れていた記憶だった。それがまるで、水面に浮き上がってくる泡のように、蘇ってきたのだ。
 タンポポ。どこにでも咲いている、小さな黄色の花。おばあちゃんは、タンポポのことを「つづみぐさ」って呼んでいた。
 ――タンポポはねぇ、おばあちゃんが生まれるよりもぉっと前の江戸時代にはねぇ、鼓草(つづみぐさ)って呼ばれてたんよぉ。おばあちゃんが子供んときはねぇ、鼓草の綿毛みたいな獣がよーく家に来てて、一緒に遊んだもんさぁ。
 そうだ。私はおばあちゃんからちゃんと伝えられていたじゃないか。八百万の獣のことを。鼓草の綿毛によく似た、彼のことを。
 もしかしたら、おばあちゃんは彼のことをそう呼んでいたのかもしれない。名付けた気は全くなくとも、遊びながら何度も何度も、親しみを込めて、そう呼んだのかもしれない。
「ツヅミ」
 私はその三文字をそっと呟いてみた。
「タンポポの別名、『鼓草』から取ったんだけど、どうかな?」
 ベッドの上に突っ立ったまま、彼は震えていた。
「小生は――小生は、本当に名前を頂いてもよろしいのでしょうか?」
「良いに決まってるじゃない。気に入らなかったら、また考え直すけど」
 彼は顔を真っ赤にして、ぶんぶん顔を横に振る。綿毛が千切れてしまいそうなほどの勢いで。
「素敵な、本当に素敵な名でございます。小生には勿体ないくらいです――ツヅミ。風に乗ってどこまでも種子を運ぶ、タンポポの別称」
「そう。おばあちゃんがね、私が子供の頃に教えてくれたの」
「おばあ様――恒子様が。左様で、左様でございましたか。恒子、様――」
 とうとう彼は、本格的に泣き始めてしまった。「恒子様」という彼の声は、とても暖かく響いていた。
「もう、ホントに忙しいもののけさんだね」
「申し訳ございません――茉里様! 茉里様に頂いたこの名前、小生は身が滅ぶまで、大切に致します!」
「そんな、大袈裟な」
 綿毛のもののけさん――改め、ツヅミ。
「よろしくね、ツヅミ」
 初めて名を呼ばれた彼はぎくりとしていたけど、すぐに涙を拭いて、笑顔を作った。
「はい、茉里様」
 津々楽家の「守護霊」と言ったところだろうか。私はこのとき、妙な充実感を感じていた。
 ツヅミに出会い、彼がずっと津々楽家を見守ってくれてたと知り、私が彼に「ツヅミ」と名付けて。
 彼との距離をひとつひとつ縮める過程で、何かたくさんの、ぱらぱらと散らばったものが繋がった―――そんな気がしたのだ。
 ふと、私はあの白黒の世界を思い出した。もろの木さまが私に見せてくれた、色のない人々の世界。あの世界では、人々は純白に近い白から暗闇のような黒まで、「切り離された」量によって、染められていた。
 社美景――彼女の「黒」を見たとき、私は動悸がして、少し吐き気まで催して、もうあの「黒」は見たくないと思った。
 そして私の両手も、わずかに濁っていた。完全な白ではないことは、肉眼で分かった。ほんの少しの「黒」なのに、それがすごくショックで、あの世界の自分の身体を見るのはもう嫌だと思った。私が少しでも「切り離された」ことがあると、認めたくなかった。
 しかし驚いたことに、今私は、あの世界でもう一度自分を見たいと思ったのだ。
「茉里! お父さんお風呂から上がったから、先に入っちゃいなさい!」
 お母さんの呼ぶ声が聞こえる。
「ええっ! ちょっとお父さん先入ったの? 私の後にしてって言ってるじゃん!」
 ホント、子供っぽい台詞だよなと思いながらも、私は少しほっとする。


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