マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ
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  [No.3316] お下がりのシンボラー 1 投稿者:GPS   投稿日:2014/07/06(Sun) 18:11:02   64clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

「……と、いう感じなんだけど」
 ポケモン同伴大歓迎、サイユウ料理専門店。四人とポケモン幾匹かに囲まれたお座敷で、喋り続けていた俺の向かいに座る男がそう言って話を切り上げた。どことなく決まり悪そうにして目を逸らし、テーブルに置かれたメニューを用も無いのに眺めている。俺はすかさずそんな彼に向かって、大袈裟に腕を広げて見せながら叫んでやった。
「マジかよ! めっちゃロマンチックじゃん、何その胸キュンエピソード!! 俺もう感動しちゃったよ、まさかキョウヤが、あのポケモンに興味なさそうだったキョウヤが、そんなステキデイズを送っていたなんて……! まったく、そういうことは早く教えてよ!!」
「あー、うるさいうるさい」
「まーたそんなこと言っちゃってさー! ここに来た時なんて超ラブラブだったじゃん、手なんか繋いじゃったりして! 隅に置けない奴め!」
「うるさいってば」
「ほら見てよパルミエ、リュウ! あんなそっけないこと言ってる癖に抱きつかれている腕をふりほどく素振りすら見せないぞ!」
「うっせえぞカクタス!!」
 流石に調子に乗りすぎた俺を一括して、目の前の男こと我が友人であるキョウヤが憮然とした顔で泡盛を煽った。ごめーん、と軽く謝罪した俺と、それを睨みつけるキョウヤを彼の片腕にしがみついた電気ウナギが交互に見る。今キョウヤが話していたのはこの電気ウナギ、シビルドンとのエピソードなのだけれども、予想外のストーリーに俺は驚愕してしまった。ノリのせいでからかっている風に捉えられたかもしれないけれど、感動したのは嘘じゃない。
 ちなみに、大して酒に強いわけでもないキョウヤの前には既に何本かの空き瓶がある。詳しくは知らないけれど、ポケモンを持たない主義っぽかったキョウヤがポケモンを連れてきたというだけでもテンションが上がるというのに、それがあたかもラブラブカップルの如くひっついてきたのだから、もう興味深いとかそれどころじゃ無いだろう。これは単にゲットしたとかそういう次元じゃないな、と直感的に悟った俺はキョウヤの口を割るためにとりあえず酔わすことにしたのだ。許せ。
 俺が心の中で謝っている間にも、キョウヤのシビルドンはキョウヤから離れようとしない。テーブルに並ぶ料理や酒類に興味を示している風ではあるが、それよりかはキョウヤにくっついている方がいいらしい。
「ったくお前はそうやってすぐ騒……ん、なんだ? これ食べたいのか、なら早くそう言ってくれよ」
 そしてそんなシビルドンの様子を察し、キョウヤが俺への文句を中断してポケモン用に味付けされた料理を手元に寄せる。それを一欠片つまんだキョウヤの手からシビルドンは嬉しそうに料理を食べた。うまいか、と言ってキョウヤが笑ってシビルドンの頭を撫でる。めっちゃいい笑顔。
「なんだよ、すっごくいちゃいちゃしてるじゃねえか!!」
「いっ……そんなことないだろ」
「ありまくるよ!! ちくしょー、見せつけやがって……いいもんね、俺だってラビちゃんとほっぺすりすりでもてんしのキッスでもだいばくはつでも、何だってしてやるんだからな! ラビちゃん!! こっちおいで!!」
「お前のバルチャイならお前なんてそっちのけで飯食ってるぞ」
「ラビちゃーん!!」
 俺の悲痛な叫びすら無視して、我関せずと言った様子の愛しいバルチャイ、ラビちゃんはシーヤの皮を切ったものを夢中でつついていた。ちくしょう、なんでだ。でもシーヤの汁で嘴の周りを汚しているラビちゃんもかわいい。でも悔しい。
 シビルドンに「はいあーん」をしながら、俺に若干同情っぽい目を向けてくるキョウヤへの嫉妬の炎がブラストバーンだ。そう肩を震わせる俺の背中が隣からぽんと叩かれる。
「見苦しいからやめろ、カクタス。そもそもキョウヤの話を聞き出したのは君じゃないか」
 諫めるような口調でそう言ったのは、ブロンドの美声年として大学でも有名なパルミエである。涼しい顔をしているが、キョウヤに酒をどんどん飲ませていたのは俺というよりはこいつの方だ。何傍観者ぶってるんだ、という思いを込めて睨んでみたもののあっさりかわされてしまう。優雅にゴーヤーチャンプルを食ってるその姿が無性に腹立たしい。
「そうからかうものじゃない、尊い話なんだから。愛は美しい」
「二言目にはすぐこれだ。こんなことイケメン以外が言ってもキモいって言われるのがオチだっていうのに、これがモテてるのがむかつくよなあ」
「っていうかパルミエ、ビビヨンの鱗粉が舞散ってるんだけど……」
 パルミエは大量にビビヨンを持っていて、しかもそれを全員連れ歩いているのだ。別にそれはいいのだが、ビビヨンたちが羽ばたくせいで色とりどりの鱗粉が部屋中に飛んでいて気になることこの上ない。しかも全匹違う種類だからカラーバリエーションが豊富で余計目に付く。
 シビルドンの紺色の鱗に点々としている、赤だの黄色だのの粉を見て発せられたキョウヤの文句に俺も頷くが、パルミエは「大丈夫だ。ただの鱗粉なら多少体内に入っても効果は出ないから」とさらりと返す。そういう問題ではないし、パルミエがパイルカクテルを飲ませたことによってビビヨンたちは明らかに酔っている。うっかりしびれごなやどくのこなでも出されたらたまったものじゃない、俺とキョウヤは顔を見合わせて、どちらともなく肩を竦めた。
「まあいいじゃない、いつものことなんだから」
「リュウ。お前の頭にもゲンガーにも、めっちゃ鱗粉積もってるぞ」
「えっマジ」
 静かな声色のまま表情を固まらせたのは、酒漬けにされた豆腐をキョウヤの隣でつついていたリュウだ。ちょうど彼らの真上でひょうせつのビビヨンがふらふらと飛んでいるため、リュウの黒髪もゲンガーの紫も白くなっている。髪の毛と眼鏡のフレーム、そしてゲンガーに積もった白い粉を払い落としながらリュウが酷いなあ、と気の抜けた声で抗議した。
「せっかくシャワー浴びてきたのに」
「ごめんよ、彼女たちに悪気はないんだ。許してくれリュウ」
「いいって。怒ってるわけじゃない」
 パルミエとリュウの会話を聞いているとどこか脱力してしまう。それはキョウヤも同じようで、気の抜けた顔でシビルドンに寄りかかっていた。そんな俺たちの様子に、かじっていたサーターアンダーギーから顔を上げたゲンガーがきょとんとする。

 俺とキョウヤとパルミエとリョウは見た目も中身も全く違う。肌も髪も目も黒い俺と、いわゆる「陶器のような」白い肌にブロンド、青い瞳のパルミエ。キョウヤとリョウは黄色い肌と黒っぽい髪をしているが、リョウの方は不摂生気味なためキョウヤよりも若干青白い。不気味だからどうにかしてほしい。
 キョウヤは講義もサークルもバイトも何でもちゃんとやる真面目な奴だけど、俺はサークルにかまけて単位を落としかけまくっている。腹立たしいことにおモテになり、女の子から引く手あまたのパルミエも講義はサボっているはずだが、何故か余裕に溢れている。リュウは本の虫で、暇さえあれば図書室か本屋に篭りっきりになる奴だ。
 ここまで違う、そもそも俺とキョウヤ以外の二人は学部さえ異なるのだが、何故だか馬が合うらしくたびたびこうして四人集まっている。どう考えてもちぐはぐな取り合わせだろうに、人間とは不思議なものだ。
「なあラビちゃん、そう思うよな?」
「ぢぢぢ」
 シーヤに満足したらしく、ゲンガーのサーターアンダーギーに狙いを定めているラビちゃんをさりげなく止めながら尋ねてみる。殻の部分を引っ張られたラビちゃんは不満の声を上げたが、リュウのゲンガーは普通のゲンガーよりも小さめで弱く、その上泣き虫だからラビちゃんに食べ物をとられたら泣いてしまうだろう。つまみ食いを許すわけにはいかない。
 こっち食べなさい、という感じでラビちゃんを俺の手元にあったマゴに誘導する。そのまま膝に乗せて撫でていると、油に汚れたゲンガーの口を拭きながらリュウが「ところで」と首を傾げた。
「キョウヤは今まで全くポケモン持ったことない、って前に言ってたけど大丈夫なの? シビルドンってエリートトレーナーとかカミツレさん、クダリさんみたいに強い人も使うポケモンだから色々大変そうだけど……」
「確かに。進化重ねるごとに気位も高くなるって言うしね。ってそこは懐いてるからいいのか」
 若干からかうような口調でパルミエ付け足す。それに少しだけ眉を顰めて、でも否定しないキョウヤは「大丈夫、姉ちゃんに教えてもらえるから」と答えた。
「メールとか電話で、きのみだの傷薬だの色々連絡きたよ。俺がポケモンと過ごしてるの知ってすごい喜んでたからさ。あとまあ、ネットもあるし」
「そっか、そういえばお姉さんいたんだっけ」
「時々テレビとかで見るよね。この前雑誌でインタビュー受けてたよ、『現役トレーナーに聞く、バトルもOKファッションポイント25』っていうやつ」
「強いし、美人だし、あんな姉ちゃんマジ羨ましいわ。読モトレーナーもしてるよな〜、紹介してくれよキョウヤ!」
「それは駄目だ、姉ちゃんブリーダーの彼氏いるらしいんだよ。三年前から」
「ちっくしょう! トレーナーとブリーダーのカップルとか、輝石ラッキーの耐久よりも盤石じゃねーか! 絶対無理だろ!!」
 即答で返ってきた言葉に、だんっ、とグラスをテーブルに叩きつけて抗議する。俺に言われても、とキョウヤが肩を竦めた。「まあ落ち込むな。それにトレーナーはやめとけ」とパルミエが俺の背中を叩くのに合わせて、事態を察したらしいビビヨンが何匹か顔をのぞき込んできたが、正直鱗粉が鼻に入って困るので気持ちだけにして欲しい。
 泣き崩れる俺に苦笑して、リュウが刺身の皿をこちらによこしてくれた。目の前を横切る皿をチラ見したシビルドンはおしぼりに興味を持ったのか、二本の腕を器用に操って自分の手だのキョウヤの腕だのを拭いている。されるがままのキョウヤが話題を変えようと口を開いた。
「そういや、みんな兄弟ってどうなんだっけ。前聞いた気もするけどあんま覚えてなくて」
「僕は一人っ子だ」
「あれ、そうだっけ? なんか前、お前に似てる金髪美少女姉妹との写メ見せてくれたじゃん」
「あの二人は従姉妹だよ。ヒャッコクシティに住んでるんだけど−−ちなみに紹介しないからね」
「まだ何も言ってないだろ!? 俺のことなんだと思ってるんだ!」
 あんまりなことを言うパルミエに掴みかかりかける俺を華麗に無視して、キョウヤが「リュウは?」と尋ねている。が、リュウの反応は「うーん……いっぱいいるっちゃいるし、みたいな感じかな……」などという曖昧なものだった。思い返せば、以前リュウに兄弟のことを聞いたときもこんな様子だった気がする。自分のことをあまり話さないリュウだけど、話したくないのかもしれない。
 それをキョウヤも察したらしく、そっか、と一言頷いてグラスを傾けた。少し残っていた透き通った液体が無くなり、氷が涼しげな音を立てる。ふう、と一息ついてからキョウヤはグラスを置いて俺を見た。
「で、カクタスはーー」
 促すその声に、俺はすぐ答えられない。言いにくいことがあるわけじゃないし、複雑な事情があるわけでもない。ただ、一瞬だけ間が生まれてしまった。
 口を開くのが遅れた俺に、キョウヤが不思議そうな目を向ける。パルミエが怪訝そうに姿勢を変える。リュウが少し首を傾げた。シビルドンの大きな目玉が、ゲンガーの紅い瞳が、何匹ものビビヨンの眼球が俺の方を向く。ラビちゃんまでもがくぐもった鳴き声をあげて、じっと俺を見上げていた。
 全員の視線を集めた俺は、何でもない風に答える。ラビちゃんの頭を撫でてやりながら、出来るだけ軽い笑みを浮かべて。
「末っ子なんだよね、しかも五人兄弟の! 多いよー、もうお下がり天国ってやつ」


 がちゃり、と鍵を回すと扉の隙間から家の中の光が漏れた。窓を開ければ大きな螺子山が見える、ホドモエ中心地から少し離れた住宅街にある一軒家。一応庭付き二階建て、マラカッチの表札が目印の茶色い屋根が俺の家だ。
「あら、思ったより早かったのね。おかえり」
 店でねむり状態になってしまったラビちゃんを抱えながら片手で靴を脱いでいると、お風呂上がりであろう母親がタオルで髪を拭きながら登場した。その後ろから母親のポケモンであるペリッパーもついてくる。
「ただいま母ちゃん。風呂、一番最後になるのイヤなんだよ。だって最後掃除だろー?」
「残念ね。十分前にカリムが帰って来ちゃって、予約入ってるのよ。あんたは今日も最後よ」
「はあ!? またかよ、あの馬鹿姉……!」
「そんなこと言わないの! じゃ、掃除よろしくね」
 ほろ酔いも一気に冷めて崩れ落ちる俺に、母親はハハハと豪快に笑いながら鼻歌混じりで台所へ消えていく。この様子から勤め先の保育園で「ホドモエのアロエさん」と呼ばれているその笑顔が今は腹立たしい。歯噛みする俺を慰めようとしてくれているのか、ペリッパーが翼で肩を叩いてくれたけれども力加減をしてくれなかったためめっちゃ痛かった。
 しかしいつまでもここで落ち込んでいるわけにはいかないので、とりあえず家にあがることにする。三歳年上で次女にあたる姉、カリム姉ちゃんが「予約」ということはまだ入浴していないということだろう。それに加えて最後に入った者が受け持つ掃除当番、俺が眠りにつけるのは何時になることだろうか。明日の一限には行けそうもないから代返をキョウヤに頼むことを固く決めた。
「…………おかえり」
「…………ただいま。……わり」
 またかよこのクズ大学生が、と毒づくキョウヤを頭の中から頑張って消しながら、うがい手洗いそして歯磨きのために洗面所に入ると長兄の姿があった。家族共通の黒い目をぱち、と瞬かせ、下着を洗濯籠に入れかけた長兄の動きが止まる。
 ちょうど風呂に入るところだったらしく、全裸の長兄は服を脱いでいたら突然脱衣所に現れた俺に少し驚いたようで若干表情筋を固まらせていた。気まずいのと申し訳ないのとで俺も返事のタイミングが遅れ、何とも言いがたい雰囲気が漂う俺達を長兄のチャオブーが風呂桶片手に眺めている。
 しかし今更兄弟の裸ごときでそうそう驚いていられない。すぐに調子を取り戻した長兄は「悪いね」と苦笑した。
「先にお風呂いただくよ。その顔だと……カリムに先越されちゃったんだろ?」
「そうだよ、わざわざ言わなくていいだろ兄ちゃん」
「コノハがいればどうにかなったのかもしれないけど……ま、今回は運が悪かったと思って」
「またそうやって他人事みたいに」
 次兄にあたるコノハ兄ちゃんの名を出した長兄に溜息で返す。次兄はダブランを持っているため、念力で風呂掃除くらいちゃちゃっと終わらせることが出来るのだけれども、高校の先生をしている彼はダブラン共々現在修学旅行でジョウトへと行ってしまっている。頼ることは出来ない。
 早くしろ、とでも言うようにチャオブーが長兄の持っているタオルを引っ張る。急かされた長兄が浴室の扉を開けるとむわっと湿気が俺を取り巻いた。
「あ、そういえばカクタス」
 早くも湯船に浸かろうとしたチャオブーを両腕で止めながら長兄が振り向く。何となく嫌な予感がした。
「何?」
「父さんがさっきお前捜してたぞ。用事があるっぽい」

 歯を磨き終えて父親の部屋に行こうとすると、ドードリオと共に台所にいる姿が目に入った。冷蔵庫からおいしい水のペットボトルを取り出す背中に「ただいま」と声をかける。
「おおカクタスか。おかえり、出かけてたんだな」
「ケレウス兄ちゃんから聞いたんだけど、話って何?」
 早く自室に戻ってラビちゃんを寝かせてあげたいので早速本題に入ることにした。しかし父親はのんびりしたもので、「ちょっと待っててくれ」とコップに水をついでいる。手持ちぶさたに突っ立っている俺を父親のドードリオが六つの瞳で見、次いで俺の腕の中で寝息をたてるラビちゃんに視線をずらして嬉しそうに首を振った。彼らはラビちゃんが大好きなのである。
 余談だが、ドードリオの三つの頭はそれぞれ喜怒哀を表しているというけど、父親のドードリオはどう見ても全部喜だ。トレーナーに似たに違いない。
「いや、お前に頼みたいことがあってな。来週の三連休は暇か?」
 そんなことを考えながらぼけっとしていると、父親がようやく話に入る。あいにくその三日間はサークルで埋まっているため「練習あるから空いてないけど」と即答した。
「うーん、実はセイガイハの奴らに届けて欲しい資料があって……」
「いやだから空いてないって。話聞けよ父ちゃん」
「温度変化に弱いから、宅配サービスを使いたくないんだよ」
 植物学者の父親からこういうことを頼まれるのはこれが初めてではないし、俺に限った話ではない。資料ということは植物の標本とかだろうから宅配便を使いたくないというのもわかる。でも、だ。
「別に俺じゃなくてもいいじゃん。研究員の人とかに頼めば……」
「それなんだがな、もう一つ用があって……それも私用だからあいつらに頼むわけにはいかないんだ」
 父は「まあそれについては後で話すから」と勝手に話を終わらせて台所を出ようとしてしまう。しかし俺は了承した覚えがないししようもない、ちょっと待ったとばかりに慌てて行く手を塞ぐ。
「だから俺無理だって。私用ったって俺以外でも大丈夫だろ、三連休なんだから兄ちゃんたちも休みだろうし」
「ケレウスは仕事があるらしいんだ、休日だとむしろブリーダーは客が増えて忙しいっぽいしな。コノハも部活の指導で出勤だ、総体も近いし」
「じゃあ姉ちゃんに頼めばいいだろ」
「あいつはバイト仲間と旅行に行くらしい」
「遊びじゃねえか! なんでそれが認められて俺は行かされるんだ!」
「ちょっと、うるさいんだけど何ー?」
 あまりにも不本意な父の言葉に思わず大声をあげたちょうどその時、まさに張本人が不機嫌な顔を台所に覗かせた。香水の匂いが鼻につく。確かこの前言ってた新作とやらの、大人の魅力ビークインだかなんだかだろうか。どうでもいいけど。
 誰のせいでうるさくなってんだ、と言いたくなるのを抑える俺とは対照的に、次姉は「静かにしてよ」などとぶつぶつ文句を続けている。やっぱり何か言ったろうかと今度こそ口を開きかけた俺だが、それよりも早く父が「カリムにも言っただろ、今度の三連休の話だ」と話しかけた。
「ああ、セイガイハに行けってやつだっけ? うん、カクタス頼んだ」
「俺はサークルの練習があるんだよ。姉ちゃんも予定があるかもしれないが俺も無理なんだって、この前だって俺が引き受けたんだから姉ちゃんが行けって」
 どうせそうはいかないんだろうと頭では諦めつつも、黙ってこの場を去るには溜飲が下らないのでそんなことを言ってみる。すると次姉は予想よりも激しくに掴みかかってきた。
「はあ!? 無茶言わないでよ、もうバスもホテルも予約しちゃってんだよ!? なにふざけたこと言ってんの!?」
「うるせえな、兄ちゃんたちと違って遊びなんだからちょっとは考えろよ」
「遊びって、あんたのサークルだって遊びじゃない!」
「おい、ふざけんなーー」
「こらお前たち、声がでかいぞ!」
 流石にキレかかった俺を、父が溜息と共に止めた。俺も次姉も、憮然とした表情のままお互いを睨みつける。
 何歳になったらそれは治るんだ、と肩を竦めた父親は俺と次姉を半ば無理矢理引き離す。困ったような表情で告げられた、しかしもう父や次姉の中では決定事項となっていたのであろう次の言葉は、俺にとって「またか」と感じざるをえないものだった。
「しょうがないだろう、頼む。行ってきてくれ」

「はあ…………」
 大きく息を吐きながら、俺は自室のベッドに倒れ込む。再びうとうとしていたラビちゃんは布団に置かれるなり、またすぐに睡眠へと戻っていった。風邪をひかないよう、専用のタオルをかけてやる。
 兄弟が多数いる家庭だと一人部屋が持てるとも限らないし、俺の部屋と言うと聞こえはいいけれども、この部屋は元々俺のものでは無い。今はもう結婚して家を出ている、一回り以上離れた長姉が嫁入りするまで使っていた場所なのだ。次兄と共同の部屋からここに移ったのはトレーナー免許を取ったくらいの時だったけれど、手間がかかるという理由で壁紙を変えてもらえずに駄々をこねたのは、今でもペロッパフとケーキとハートが散りばめられた壁紙に囲まれていると鮮やかに思い出される。
 勉強机は長兄の使っていたもので、当時新型モデルで流行っていたロフトタイプの机は買ってもらえなかった。中学で指定されている運動着や鞄は背格好の近い次兄から譲り受けたものばかり。私服だって高校生までは二人の兄のお古がほぼ全部を占めていたと言っても過言では無いだろうし、いくらか昔のOSであるパソコンもまた長兄のものだった。ゲーム機はほとんど次姉から回ってくるものだから、ピンクばかりであまり使いたくなかったのを覚えている。今寝転んでいるこのベッドだって、過去長姉が使っていたのだ。お陰で俺には少し狭い。
 俺の部屋には、「お下がり」ばかりある。昔別の誰かが使っていた、俺が使い始める時には既に新品ではなくなっていた何かばかりなのだ。もはや新しくもまっさらでもない、別の人間が染みついているものばっかり。
 なんだかむしゃくしゃしてきたので、思いを頭から振り払って床に投げ出した鞄から携帯を取り出す。と、キョウヤからの通知が何件か来ていた。どうやら今日の写真らしい、いくつかの画像データをダウンロードしてから「Thank you!」というメッセージとプリンのイラストが並ぶスタンプを送信する。他に何個か更新を確認して画面を切り、携帯から視線を外したその時にようやく気がついた。
 部屋の中に、いつの間にか、或いは俺よりも前から「そいつ」がいたことに。
「……いたのか、お前」
 エスパータイプとひこうタイプの複合、とりもどきという何とも酷い分類をつけられた、独特のシルエットを持っているこのポケモン。大人でさえも腕を回しきれないだろう大きな球体には民族衣装みたいな模様が描かれ、どこまでが顔なのかがわからない。おそらくは翼と尾なのだろう、上と下に伸びる長い羽は色鮮やかでこれもまた伝統工芸的な雰囲気を醸し出している。頭部にちょこんとくっついた、「i」のアンノーンみたいな飾りの真ん中では水色の石が鈍い輝きを放っていた。
 目玉のような模様を俺に向けたまま微動だにしない、こいつの名前はシンボラー。いわゆるニックネームはついていない、というよりわからない。少なくとも、こいつが俺のポケモンとなった時には既に不明だった。
 そうだ。俺の「お下がり」は何もものだけではない。
 こいつもまた、俺に与えられた「お下がり」の一つである。
 シンボラーは学術的な説明だと、古代都市の守り神だったと紹介される。けれど当然、今存在しているシンボラーが必ずしもそうではない。ここ数年、ともすれば昨日今日で生まれたシンボラーだって大勢いるだろう。
 だけど一部は本当に古代から生き続けているシンボラーも確かに存在している。こいつもその一匹で、とりあえず俺のひいひい何じいちゃんに当たるのか不明だが、先祖との写真が残っているためカメラが開発された時分にはいたと言ってよいだろう。それ以前の手記のようなものにも、こいつのことっぽい記述が書かれていたらしい。ものすごく長生きだということになるが、ポケモンの寿命は謎が多いからありえない話では無い。

 さて、そんなシンボラー、こいつは理由は不明だけれども代々俺の家に受け継がれているポケモンなのだ。ミステリアスなポケモンだから、なんかロマンチックな逸話があるのかもと考えたりもしたことはあるが単に「死なないから」というだけかもしれない。そもそも先祖から俺にわたるまで貴族でもなんでもなく、わかる範囲まで遡ってもセイガイハの仕立屋という平民続きの家系なのだ。古代都市の守り神の説は大変薄く、後者の可能性の方がずっと強い。
 しかしそうだとしても、今までずっと、こいつは俺の家系を下りてきた。親から子へ、子から孫へ。血筋を辿ってトレーナーを替え続け、気の遠くなるような長い年月を俺の先祖と共に過ごしてきたのだ。
「…………………」
 こいつが鳴き声をあげることは滅多に無い。というか、聞いたこと自体無いかもしれない。前テレビで見たポケモンリーグ中継で、サイキッカーの参加者が使っていたシンボラーは不思議な声色で鳴いていたから声帯が無いわけでは無いのだろうけど。
 俺の祖父が育てていたシンボラーは、やがて父に受け継がれる。しかし父はフィールドワークや資料採集で外出することが多く、しかもその行き先がエスパータイプが苦手とする虫タイプが多いジャングルなどであるためこいつを連れていくわけにはいかなかったのだ。「直系の者が育てる」という暗黙の了解があったため、母がトレーナーとなるわけにもいかず、長姉が十歳になってからは長姉がシンボラーのトレーナーとなっていた。
 しかしこのファンシーな部屋を今俺が使っているように、長姉は俺が十歳になるのと入れ替わるようにしてカゴメタウンに住む彼氏の元へ嫁入りすることになる。一応書類上ではこの家の者でなくなった長姉は、それ以上シンボラーを育てることが出来なくなった。
 普通に考えればその先、シンボラーのトレーナーになるのは長姉より六つ年下の長兄のはずだった。しかし長兄の元には既にポカブがいて、どうしてもシンボラーと打ち解けることが出来なかったらしい。長兄がいくらなだめても、ポカブは表情一つ変えず漂っているシンボラーを怖がり続けたのだ。
 どうしようも無いので、シンボラーは次兄に受け継がれようとされた。だが次兄は軽度のとりポケモンアレルギーで、同じ家にいるのならばまだしも自分のポケモンとして傍に置くのは体調的に好ましくない状態なのだ。試しに一晩だけ、と両親が次兄の部屋で過ごさせようとしたところ、くしゃみの止まらなくなった次兄という結果が出ただけだったため却下となる。
 じゃあ次姉ならいいだろう、次姉は健康そのもので元気だし、次姉のチラーミィも可愛い見た目に反して怖いもの知らずなきもったまだ(実際はメロメロボディだけど)と両親は次姉にシンボラーを託そうとした。しかし、
「やだ。だってダサいもん」
 とチラーミィともどもそっぽを向いた次姉の目が再びシンボラーに戻ることはなかった。この件に関しては、心からシンボラーに同情したい。
 今は少し弱まったけれど子供の頃の次姉のわがままさは天井知らずで、一度こうなってしまっては聞く耳を持つことは出来なかった。確かにオシャレ大好きコーデ大好きミュージカル大好きな年頃の女の子に、シンボラーというポケモンは少々合わないという思いもあったのかもしれない。
 もう残っている兄弟はトレーナー免許ほやほやの俺だけとなり、父と母は仕方なく俺に打診した。このシンボラーはレベルが高いのだけど誰かに逆らうということが無く、経験皆無の俺でも大丈夫だろうと考えたのだろう。実際、次姉に酷い言われようをされてもこいつは物ともしない様子でふわふわしていたらしい。
 ここまでは良い。シンボラーが俺のポケモンになるというところまでは、不満なんか無かったのだ。無機物みたいなポケモンだけど小さな頃からずっと同じ家で暮らしていたから怖くは無いし、育てると言ってもとりあえずトレーナーという名目でいれば良いのだろう、今までの父がそうだったように家の中で放していてもこいつは平気だからそれで良いのだろうと思っていた。

 問題なのはここから先である。シンボラーのトレーナーになる、という両親の話に頷きかけた俺は、次の言葉を理解するのに時間がかかった。
「だからね、ミジュマルは諦めてほしいの」
 十歳になってトレーナー免許をとった子供は、いきなりポケモンを捕まえに行く猛者やブリーダーや知り合いトレーナーから譲り受ける人もいるが、大抵はポケモンセンタや学校で初心者用ポケモンを受け取ることになる。同級生のブリーダーからユニランをもらってきた次兄は別だが、長兄とポカブ、次姉とチラーミィはこのケースだ。
 俺もそのつもりで、何種類かいるポケモンの中からミジュマルをもらうと既に決めていた。ポケモンリーグ入賞者が繰り出したタイゲンキのアクアテール、いつかあんなバトルがしたい。そう思って、ポケモンとご対面する何ヶ月も前からカレンダーを一日ずつ消していたのだ。
 それなのに。両親は、それを諦めろと言った。
「なんでだよ! なんで、なんでそうなるんだよ!」
 当時はよくわからなかったシステムだが、トレーナー免許をとってから二年以内はポケモンを複数所持することが出来ないという制度がある。初心者が何匹も同時に持てば手が回らなくなってしまうと考慮した上での決まりで、権威のある博士の口添えがあるとか幼少期からポケモンとかなり接しているとか、或いは旅に出るのなら話は違うのかもしれないけれど、基本的に例外は認められない。思い返せば、長姉も長姉もミネズミを捕まえたのは十三の頃だと言っていた気がする。
 しかし幼い俺にはそんな理屈は通用せず、裏切られたことに対してかなり駄々をこねた。そんなの聞いてない、嘘つき、どうして我慢しなきゃいけないんだ。もうシンボラーもトレーナー免許もいらない、とさえ言ったと思う。
「わがまま言わないの! そんなこと言って、シンボラーがかわいそうだと思わないの!?」
 俺は、シンボラーが憎いわけでも嫌いなわけでも無かった。シンボラー自体がいらないから、泣き叫んで抗議しているのでは無かったのだ。
「しょうがないでしょう、あんたしか育てられないんだから!」
 ミジュマルがそこまで欲しかったわけでも、ポケモンを一匹しか持てないことが気に入らなかったわけでも無い。俺が嫌だったのは、「末っ子だから」という理由で面倒事を押しつけられたという感覚があったからだ。
「仕方ないだろう、お父さんたちのことも考えて、ここは堪えてくれ」
 しかしそんな不満が両親に通じることはなく、結局なし崩し的に俺はシンボラーのトレーナーとなった。そうなってしまった以上最低限の世話はしていたものの、一連の出来事に意地を張った俺はポケモンというものから出来る限り遠ざかり、バトルからもミュージカルからも目を背けたまま何年も過ごした。ようやくほとぼりが冷めたのは高校生の時であり、大学に入る前の春休みにラビちゃんを捕まえ、やっとポケモンと向き合えるようになったのである。

 それでもまだ、こいつ、シンボラーを見るとその記憶が蘇ってしまうのだ。シンボラーのことだけではない、お下がりが嫌で不満をぶつけ、だけど聞いてくれなかった過去が追いかけてくる。新しい机が欲しい、流行りの服が欲しい、こっちの色がいい。叶えられず、他の誰かが使っていたものしか与えられなかった、ずっと前からついさっきまで、全ての過去が。
 不気味な威圧感が若干あるシンボラーは、相変わらずの様子で俺の部屋に浮かんでいる。カミツレさんのポスターが張ってある天井すれすれをゆっくり移動するその動きは、さんざん泣いたあの日からまったく変わっていない。
「……カクタス」
 ぼんやりしていた俺の耳にちょっとだけしおらしい、しかしノックも何もせずに入ってきた次姉の声が届く。もう何百回何千回と「部屋に入る時はノックをするかドアの外で一度声をかけろ」と言ったのだけれども一向に改善されない。もはや俺の方が諦めているので、今更何も咎めたりはしないのだ。
 さっきのことがあったため、俺は無愛想に「何」とだけ返す。寝転んだ視界の隅にむっとした表情に変わる次姉が見えたが、珍しく何も言い返さずに喉元に留めたようだった。
「……さっきは悪かった、っていうか……」
「いいって別に……俺が文句言う筋合いも無いし」
「でも、あんたに押しつけたのは変わりないし。……ごめん」
 俺はベッドから上体を起こす。唇をきゅっと結んで俯いている次姉を見上げ、首を横に振った。
「こっちこそ悪かったって。いいよ練習なら休めるから、旅行行ってこいよ」
「ん……」
 まだ決まり悪そうな顔のまま、小さな声で「今日のお風呂掃除は私がやるから」と呟いた次姉に気づかれないよう、俺はそっと溜息をつく。扉の陰からチラーミィがその名の通り、俺たちの様子をちらちらと伺っていた。
 綺麗に伸ばされ、星だのハートだのチラチーノのデフォルメイラストだので鮮やかに彩られた次姉の長い爪が目に入る。ミュージカルスタッフのアルバイトともなるとこんなお洒落も必要なのだろうか。しかしメイクのせいで出場者やポケモンより目立ちそうだけど、と場違いな思いを頭に浮かべつつ、わざとおどけた声を出した。
「その代わりお土産はずめよ? この前雑誌で見たんだけど、ジムの近くで限定販売されてるサザンドラの根付けが超かっこよくて……」
「ちょっと、何生意気なこと言ってんの! ほんっと、すぐ調子に乗るんだから!」
 怒ったような、でも少しほっとしたような顔で次姉が笑う。つられるようにして俺も笑うと、「先にお風呂入っちゃいなさいよ」と軽く咎めるようないつもの声に戻っていた。おやすみ姉ちゃん、おやすみ、と言葉を交わした後にドアが閉まる。
 今度こそ一息ついて、俺はまたしてもベッドに倒れた。隣でぐっすり寝ているラビちゃんの羽毛を撫でながら、視線を壁沿いに動かすと小さい額縁につきあたる。その中に収められた写真で笑うのは、今年の冬、家族みんなで遊びに行ったフエンの温泉で撮った俺たちだ。はしゃいでいる父ちゃんと俺とドードリオ、げらげら笑っている母ちゃんと苦笑している長姉。ラビちゃんとペリッパーはマイペースと言った感じだ。きりっとした顔のチャオブーと対照的に長兄はへらへらしているし、ダブランを抱きかかえた次兄はにこにことピースサイン、次姉はこんな時までチラーミィと一緒になってモデル風のポーズを決めている。

 父ちゃんも、母ちゃんも。リプサ姉ちゃんも、ケレウス兄ちゃんも。コノハ兄ちゃんとカリム姉ちゃんだって。
 みんな俺にとって大切な家族だ。みんな、俺の大好きな家族なんだ。
 でも。

「……………………」
 俺の視線の動きを見定めたように、シンボラーがふわりふわりと写真の前に移動する。背景と同化しかかっている写真の中のも実物も、相変わらず何を考えているのかよくわからない目、そもそも目なのかすら怪しい二つの丸い模様が、じっとりと俺に向けられる。
 こいつに罪は無い。手がかかるわけでも無いし、珍しいポケモンだと言えば聞こえは良い。懐いてくれているのかどうかは不明だけれど、反抗したりすることも無い。
 でも。
「お下がり、か……」
 お下がりの部屋。お下がりの服。お下がりの机。お下がりの鞄。お下がりの本。お下がりのベッド。お下がりのおもちゃ。
 お下がりの、ポケモン。
「何が嫌、ってわけでもないんだけどさ」
 お下がりの物を与えられると同時に、「もういらない」という気持ちまでもがついてくるように思えるのだ。物自体に不満は無いけれど、不要になったから、自分は持ちたくなくなったから、という思いがくっついているような気がしてしまう。「仕方ないだろ」「しょうがないでしょ」の言葉と共に感じるそれはバチュルの静電気くらいの微かなものだけど、確かに何かが心に引っかかる。
 ゆらゆらと揺れる、シンボラーの足っぽい部分を眺めながら寝返りを打った。ラビちゃんがもごもごと寝言らしきものを言っている。意味を為さない思考を打ち止めて、俺は長兄の風呂が終わるまでの短い眠りにつくことにした。
 
 
「……………………」
「……ミックスオレ買ってきたんだけど飲むか?」
 ライモンから時計回りに湖の周りを一周する特急列車。とりあえずはサザナミまで向かうべく、いくつかの橋を渡ったり螺子山のトンネルをくぐったりしつつ、俺とシンボラーは二つ並んだ座席で暇な時間を過ごしている。
 席に座っているんだか座っていないんだか不明なシンボラーに車内販売で購入したミックスオレを与えてみると、何ともいえない動作でこちらを向いて体を薄く光らせた。発動された念力によって俺の手から缶が浮き上がり、触ってもいないのにプルタブが開く。そのまま一応口っぽいところに持っていかれたミックスオレは、尚もサイコな技で操られている。
「横着者め」
 翼を使った技も持っているんだから、そんな力を使わなくても大丈夫だろうに。しかしそんな俺の文句を聞き流して、シンボラーは素知らぬ顔で器用に缶を傾けている。それ以上何か言うのも馬鹿らしいので、俺はシンボラーの尾羽を引っ張って遊んでいるラビちゃんに朝食代わりのきのみをあげる行動に移ることにした。
 きのみと間違えて俺の指をついばみかけるラビちゃんに悲鳴をあげかけても横にいるシンボラーは動じない。いつもこの調子で、どちらかと言えば、いや、どちらかと言わなくても騒がしい家族である俺たちがいくら騒ごうとこいつだけは冷静沈着そのものといった調子で常に浮いているだけなのだ。無論、エスパーポケモンはそういうタイプである傾向も強いし性格的な理由もあるのだろうけれど、それにしたってこいつは感情というものが全く感じられない。
 しかしそんなシンボラーが、少なくとも俺たち家族が知る限り初めて感情らしいものを見せたという。それが今回俺が駆り出された理由であり、今俺がサークルに行けず列車に揺られている理由でもあるのだ。そう思うとやっていられないためそこからは目を背けることにする。
 
 その時、父は風呂上がりでテレビを観ていたらしい。ドードリオにもたれかかって三つの頭と一緒にぼんやりしていたら、居間にシンボラーがふわふわと飛んできた。まあ、こいつは常に家の中を自由に移動しているため珍しいことではない、父も「おう、お前も観るか」と肴を分けるくらいでそんなに気にはしなかった。
 しばらくは何事も無く、シンボラーも父たちと並んで画面を見ていた。だが、番組が終盤に差し掛かり、出演者による宣伝が流れた途端、シンボラーが今まで一度も見せなかったような反応を示した。全身の羽毛がぶわっと広がり、混乱のためか頭部の飾りや両目は光り、落ち着かない挙動で部屋の中を飛び回りながら画面にくちついた、というのは父の説明だ。
 俺はそんなシンボラーを見たことがないし、予想すらしたことがない。今俺の隣で、どこを見つめているのかさえ不明なこいつがそんなにも「普通のポケモンや人間」のような感情じみた行動をとるだなんて想像も出来ないくらいだ。
 何がそんなにも、こいつの心を揺さぶったのか。ラビちゃんに食べられて芯だけになったヒメリをゴミ袋にしまいつつ、俺は父から聞いた、シンボラーが反応した内容のサイトを携帯から呼び起こす。
『セイガイハマリンバルーンフェスティバル、今年も開催!』
 セイガイハシティの公式サイトのトップに大きく並んだその文字列は、街とも関係深い海をイメージさせる色や字体で飾られていた。ジム開設何年だかを記念して去年開かれたお祭りらしいが、街の住民・観光客ともにかなりの人気だったらしく第二回が開かれるらしい。リンク先に掲載してある写真は昨年のものだろう、イベントの内容が伺いしれる。
 マリンバルーン、というのはどうやら海に住むポケモンをかたどった風船のことらしい。それならライモンの遊園地にもありそうだが、このお祭りのものは原寸大であるという特徴を持つ。ラブカスやメノクラゲなら子供でも片手で持てそうだが、ホエルオークラスのものはそうそうないだろう。サイトに記された説明を読むと、大きなポケモンは役所や協賛企業によって作られ、当日も大勢の手によって浮かべられるようだ。
 何枚もの写真には、たくさんの風船が青い空に浮かんでいる光景が納められている。下から撮影されたものもあり、空高くを漂う海ポケモンの風船を見上げている構図は、まるで海底から海を泳ぐ本当のポケモンを俯瞰しているようにも思えてきた。実際にマリンチューブとも提携してそういうコンセプトとしてやっているらしい、チョンチーやタッツーなどの可愛いサイズのものからハンテールとサクラビスの綺麗な風船、もはや写真に全貌が収まりきっていないホエルオーのどでかいものなど様々な風船が浮かべられている。
 父が観ていたバラエティにはジムリーダーのシズイさんが出演していて、開催間近に迫ったこのイベントを宣伝したのだ。そこで去年のVTRが流れたのだが、シンボラーはその映像を見た途端に様子が急変したという。
「……………………」
 あそこまで興奮するなんて何か琴線に触れたのだろう、連れてってやれというのが父の意見だ。俺の隣で、相変わらずの無表情で無言で無反応なこいつがそんな状態になるだなんて考えられない。でも、父は確かにこいつが感情を見せたと言った。大きく狼狽え、何かを訴えるように液晶を見つめていたのだと。
 海底から見上げるポケモンたちのような、空を泳ぐ風船を見て、こいつは何を思ったのだろう。
『次はソウリュウ、ソウリュウ……チャンピオンロード方面をご利用のお客様はお乗り換えになります……』
 車内アナウンスが響く。どうやらまだまだかかりそうだ、祭は昼頃から開催されるためそれに合わせて出てきたのだが、そのせいでの早起きが今になって反撃に出てきたらしい。重たくなってくる瞼に耐えきれず、俺は着くまで少しの眠りに入ることにした。
 着いたら起こしてくれよ、とシンボラーに言ってみる。それがわかったのかわからないのか、シンボラーはちらりと俺に顔を向けたもののまたすぐに虚空を見る作業へと戻ってしまった。その様子に内心で溜息をつきつつ、俺は膝に乗せたラビちゃんを撫でながら目を閉じる。それからの記憶は数分となく、すぐに途絶えた。
 
 
 降車するなり漂ってきた磯の香りに俺は凝った身体で伸びをする。夏場のリゾート地として有名なサザナミタウン、まだ夏本番では無いけれども多くの人で賑わっていた。駅構内にある土産物屋には既に客が殺到している。
 あそこに身を投じるのは少し不安を覚えるけれど、帰りには俺もおみやげを買わなくてはいけない。お前はいつも大変だな、と、休むことを受け入れてくれたサークルのみんなだけれどもその代償としてサザナミやセイガイハの特産物の購入を命じられているのだ。目星をつけていこうかと土産物屋に視線を向けたが、客でごったがえしていて商品はほとんど見えなかった。
「……………………」
 右手に携帯、左手に鞄、頭の上にはラビちゃん、そして最後にシンボラーが一歩後ろに浮遊しているのを確認して俺は改札を出る。ポッチャマの絵がプリントされたプリベイドカードがピッ、と音を立てるのに続いてシンボラーが頭上を飛ぶのが感じられた。「起こしてくれ」という俺の言葉をどうやら理解していたっぽいこいつは、あと少しでサザナミタウンに着くあたりからずっと俺を凝視していたらしい。何か視線と寝苦しさを感じて目を覚ましたら、目と鼻の先にこいつが迫っていたことに気がついた瞬間は割と本気で怖かった。
 背中には一応持ってきたサックスの重みがあるのも少し遅れて再確認。ジャズサークルで使っているこの楽器は、俺がバイト代を貯めて買った数少ないノットお下がりの持ち物だ。運指くらいは練習出来るだろうと持ってきたのだが、決して小さいものでは無いため人混みでは明らかに邪魔になっている感が否めない。
 ボストンバックにキャリーケース。次姉を彷彿とさせる、着飾った女の子たちとが色とりどりの旅行鞄を引っ張って楽しそうに通過していく。通話しながら慌ただしげに早歩きするサラリーマンを避けると、今度は反対側を歩いていたマッスグマにぶつかりそうになる。三連休ということもあって混雑しきっている駅をどうにかこうにか抜けて、ほぼ直結しているマリンチューブにたどり着く。
 混雑しているためポケモンをおしまいください、と受付の係員に言われ、俺は一度二匹をボールへ戻す。海の中にトンネルを通したマリンチューブは、移動経路にして水族館顔負けの観光施設であり、臨場感溢れる水棲ポケモンの生の姿を見て楽しめるけれど、それも空いていればの話だ。サザナミ駅と同じくら混みあったマリンチューブは、人の隙間から一瞬覗き見えたガラスの向こう側にブルンゲルらしき何かが確認できただけだった。
 天井部を見ればまだ見えるものもあったのかもしれないが、あまりの混みように首を動かす気力もない。何もしていないのに既に汗だく、HP黄色状態になりながらもイベントが行われる中央広場行きのバス停に到着した。
「あちゃー」
 数分前にバスは行ってしまったらしく、俺はまだ人の少ない列に並ぶ。ボールから出してやったシンボラーはいつものようにそこらをふわふわしているし、ラビちゃんは指定席である俺の頭に移動した。
 しばらく来ないため時間潰しに携帯を取り出し、つぶやき投稿SNSのTLを呼び出す。友人たちは思い思いに休日を満喫しているようで、シビルドンと遊園地に行くだとかゲンガーと共に実家に帰ってのんびりするだとか、或いは虫ポケモン縛りのバトル大会に出るだとか色々なつぶやきが並んでいた。ヒウンのビーチでビキニのおねえさんと知り合ったとかいう、どこぞの金髪野郎は一時的にスパブロをかましておく。
 俺自身も「セイガイハなう」と投稿し、まだ時間がありそうなのでゲームに移行する。パズルアンドポケモンス、略して「パズポケ」のスタミナがそろそろ回復する頃なのだ。デフォルメされたポケモンや、ポケモンと融合した人間のキャラクターを集め、育てていくこのゲームは今も尚やっている人は以前に比べると大分減ってしまったけれども俺はまだ全力投球である。今育てているのはファイヤーとゴチミル少女で、俺はそのスキル上げに勤しむことにした。

「…………あれ?」
 しばしの間パズルに没頭し、そろそろバスが来るのではと画面から顔を上げたその時だった。並んでいる人は増えているのだが、ついさっきまで俺の周りにあったはずの気配がなくなっている。右手の携帯、左手の鞄、頭の上にはラビちゃん……しかし、一歩後ろ、少なくとも半径数メートルにはいたはずの、シンボラーの気配が消えていた。
「え!? ちょ、……あいつどこいった!?」
 もはやバスどころでは無い。周囲をぐるりと見回してみてもあの個性的な姿は見つからなかった。
 なぜ、どうしてこんなことに。こういうことをする奴ではないし、今まで一度もこんな出来事には見舞われなかった。なのになんで今、あいつは俺の前からいなくなったのだろう。
 そんなことを考えている時間さえ惜しい、俺はとりあえず列から抜けてもっと周りが見える位置を探す。しかし人通りが多すぎて、シンボラーどころか十数メートル先の光景すらままならない。途方に暮れ、目眩すら覚えた俺だが、頭の上からラビちゃんが飛び降りた。
「ぢぢぢ!」
「え? 何、どうしたのラビちゃ……あっ!!」
 小さな羽でラビちゃんが前方を指す。その方向を見てみると、シンボラーの尾羽が人波に紛れて揺れたのが一瞬だけだけれども確かに見えた。ありがとう、と告げてからラビちゃんを抱き上げ、その方向へと走り出す。
「おい、待て……あ、すみません……待てってば!! ああ、すみませ、……」
 何度も何度も人にぶつかりそうになりながら懸命に追いかける。見失いそうになるが、その度にラビちゃんが鳴き声をあげて教えてくれた。人の間から、曲がり角の向こうから、植物の陰から覗く羽を頼りにして無我夢中で足を動かし続ける。
 今回も、そして十年前も。俺の意見なんて耳を貸してくれることすらなく、押しつけられたのは未だ納得しきれていないけれど、それでもあいつを手放す気にはならなかった。お下がりのポケモンでも俺のところに来た以上は大切にしたい、そう思っていたのに。
 街道を走り、少しずつ海が近づいてくる。いつの間にかあたりに人はいなくなって、走る足下もコンクリートから砂に変わっていた。砂浜から浅瀬へだんだんと変化していき、俺の足音にも水の響きが加わってくる。おかしい、と気がついたのはこのあたりだった。
 走っている感覚は確かなものだけど、もう結構な距離と時間があるはずなのに疲れや痛みが全く感じられない。どこを走っているのか、具体的にどれくらい走ったのかの見当がつかない。右腕で抱きかかえているラビちゃんも、左腕に下げた鞄も、結構な重さであるのに大して鍛えられていない筋肉は未だ音を上げていないのだ。
 異変と共に、得体の知れない寒気を感じた俺は一度立ち止まろうとしたのだが、足が勝手に動き続ける。もう障害物の無い浅瀬の遙か前方には、今まで見たこともないようなスピードで浮遊移動を続けるシンボラーが見える。呼びかけようと声を出そうとしても喉はかなしばりを受けたように動かない。ただ、足が一人でに走行を維持するだけだ。
 耳にはびちゃびちゃと海水が跳ねる音だけが響く。足の疲れも、腕に抱いたラビちゃんの体温も、背中のサックスの重みすらもわからないままにどれだけ走り続けただろうか。頭が真っ白になり、視界が一瞬ブラックアウトした時、ようやく俺の足が動くのをやめた。
 いきなりの静止にバランスを崩し、俺はその場に座り込んでしまう。一気に襲ってきた疲労と痛み、肺の苦しさに心臓がどくどくと脈打っているのがわかった。頭と脇腹と、もはや体中が痛い。
 こんなに走ったのは、もしかすると高校のマラソン大会以来かもしれない。久しぶりの全力疾走、しかも長距離に俺の身体はすっかり音をあげていた。シンボラーを追わなくてはならないけれど、とりあえず水分補給をして少し休まないと身がもたない。そう思い、ペットボトルを取り出すべく鞄を肩から下ろそうとして、

「…………ん?」
 俺はそこで初めて、自分が座り込んだ白い地面が走ってきたはずのものとは違うことに気がついた。
 
 走り続けていたのは、白い砂浜と海水で出来た浅瀬のはずだ。しかし今俺がへたっているのは、白は白でも石、それも人間が歩きやすいように加工された平らな道だった。
 シンボラーを見失った時とはまた別の寒気が汗だくの背中を伝う。ペットボトルどころではなく、俺は鞄を身に寄せながら震え半分に辺りを見回した。後方にあったのは、シンプルだけれどもしっかりした作りの港。浅瀬などなく、白の陸地の向こうにある青い海はとてもじゃないけど泳げそうになどなかった。船の一つも繋がれていない。
 両隣には木で出来た簡素な小屋がいくつか並んでいる。もぬけの殻で人影は見えなかったが、わずかに残っている道具や、目を凝らすと見える古めかしい言葉遣いの張り紙からは漁師の作業場所らしいことがわかった。砂や落ち葉が吹き込んでいる屋内に、壊れかけた戸棚や割れた食器などがわずかに散らばっている。
「………………で、」
 問題なのは前方だ。俺はこんな場所がセイガイハの近くにあるだなんて聞いたことがないし、地図を見たってこんな情報が載っていたことはない。セイガイハは小さな街で、しかも周りを全部海に囲まれているのだ、どこか別の町に続いているなんてありえない。
 だけど。俺の目の前に広がるのは、小さいけれども確かに「町」と言ってよいものだった。この道と同じ白の建物が何軒も続いている。家はもちろん、レストランのような店構えの建物もあった。ところどころに緑や赤、黄色が見えるのは野生の植物でなく、人によって手入れされているガーデニングのものだろう。
 明らかに、ここは町だった。人が作り、人が暮らす場所だった。
「……………………ここ、どこだ?」
 俺の呟きが、白の石に反響しながら潮の香る空気へ消えていく。どうしよう、シャレにならない。ひたすら走り続けていたら謎の場所にたどり着くだなんて、そんなの怖い話と都市伝説の中だけだと思っていた。波乗りもしていないし、ここはカントーじゃなくてイッシュのはずなのに、どうして。
 嫌な汗が次から次へと流れてくる。右も左もわからないこの土地でどうシンボラーを探したものかとか、どうやって帰ろうかとか、そもそもここは一体どこに位置している町なのかとか、頭がパンクしそうだ。落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせてみるも鼓動は速まる一方である。
「……ってラビちゃん! こら、待ちなさい!」
 と、頭を抱えていた俺の傍からラビちゃんがひょこひょこと走り出したので慌てて止める。この状況下でラビちゃんまで失ったら、俺は本当に絶望してしまうだろう。とっさにラビちゃんの片足を掴んで捕まえる。
 呻き声をあげられたものの、無事に手元に戻せたので安堵の溜息を一度つく。すると、さっきまでよりも空気が胸の中へと入っていくような心地がして頭も幾分か落ち着いた感覚になった。混乱のせいか白い石の眩しさのせいか、チカチカしていた視界も大分慣れてきた感じがする。
 ふう、ともう一度一呼吸すると、波の音がすうっと耳に飛び込んできた。ラビちゃんが腕の中から俺をにらみ、羽で前に広がる町を示す。
「ぢー!」
「まあ、ここにいてもしゃーないしな」
 走ってきたはずの道のりは、移動手段が見つからない海へと変わってしまっているのだから今俺がとれる行動はこれしかない。右手のラビちゃんをしっかり抱え直し、左手の鞄をぐっと引き寄せ、背中のサックスがちゃんと重いことを再度確認した。
「……よし、行ってみるか!」
 港に打ち寄せる波が響く。潮の匂いを大きく吸い込んで、俺は白の町へと歩きだした。
 
 
「……とは言ったものの……まさか誰もいないなんてなあ」
 港から出発して三十分ほど歩いただろうか。町に建っているのはいずれも白い石で出来たもので、どの建物も凝ったデザインで洒落ていた。一軒一軒、それぞれの家にそれぞれの植物とポケモンが割り振られているらしく玄関や窓枠にレリーフがあったり、花壇や植木鉢の隣に像が置いてあったりした。
 店もいくつもあり、果物屋であろう建物には、やはり白い石で作ったのだろう、色々な種類の果物とチェリンボやトロピウスの装飾が淡い色使いで彩られている。銀食器を売っているらしき店の看板にはブラッキーが描かれていて、色違いの絵なのか耳や手足、額の輪の部分には本物の銀が使われていた。調味料専門店の店先ではフシギダネの形をしたプランターに何種類ものハーブが植えられていたし、木製の看板にある素朴な絵がクルミルとハハコモリということは、オリーブ色の扉のこの店は仕立屋だろう。
 美的センスがあるかどうかと聞かれると自信の無い俺だが、その俺でもこの町が非常に美しく、また手間暇を惜しまず作り上げられてきたものだということはわかった。歩いていたらたどり着いた広場の真ん中にあるこの噴水も、沢山のバスラオを土台にしてマンタインやタマンタ、ブルリルやブルンゲル、ホエルコ、そしてホエルオーと海に住むポケモンたちを数え切れないほどかたどっている。迫力と美しさが同時に感じられて、つるりと磨かれた白の偶像に俺は思わず溜息をついてしまった。
 だけど。
「……誰もいないんだよなあ」
 そんな俺の言葉は誰の耳に届くこともなく、潮風が海へと流してしまう。白い石を彫って、波のような幾何学模様とコイキングが描いてある広場の地面を見てぽつりと漏らすと、ラビちゃんが同意したようにぢぢ、と鳴いた。
 どの建物にも、人っ子一人いなかった。家々の窓をこっそり覗いてみても中は薄暗いし、店の中を見ても店員、客共にいない。中に商品が全く無い店がほとんどだから、看板や店先の飾り付けから何屋なのかを判断せざるを得なかった。
 おもちゃ屋さんの赤い扉の隣に設置された、メロエッタを中心にポケモンたちがくるくる回るからくり時計はとんちんかんな時間を指して止まっている。目の前にあるこの噴水だってしんとしたままで、水がすっかり枯れていた。
 人間はおろか、この町に来てからポケモンすら見ていない。何の気配も感じられないし、何の影も見られないのだ。すぐそこにある生け垣からフシデが顔を覗かせても良さそうだし、白で出来た路地裏をチョロネコが駆けていくのが普通の光景と言えるだろう。海辺の町ならイシズマイがちょこちょこ見られるのが当たり前だろうに一匹たりともおらず、よく晴れた空を見上げてみても、キャモメの一匹すら飛んでいない。
「携帯も通じないし……」
 画面左上の小さなアイコンはずっと『圏外』の表示である。せめて写真を撮っておこうかとカメラを起動したものの、シャッターを切る度にフリーズしてホーム画面に戻ってしまった。不気味なことこの上ない。
「どうしようかねえ、ラビちゃん」
 ペットボトルに入ったオレンジュースは半分を切っている。小さい頃に読んだ、いわゆる『神隠しもの』の話の主人公は今の自分と同じような状況に陥っていたが、あの主人公はコンビニやスーパーの商品そのままに神隠しに遭っていたのだからまだマシかもしれない。店の様子を見る限り、食べ物のストックには気をつけないといけないだろう。
 それにしても、これは一体どういうことなのだろう。この謎の町に迷い込んだというだけでも不思議でたまらないのに、その町がバチュル一匹いないのだからさらに驚きだ。誰かに助けを求めようとしたのに、これではどうしようもない。育てられている植物の様子や、店内がそこまで汚れていないことを考えるとついこの前まで人が生活していたと考えても良さそうだけれども。
 シンボラーを探そうにも見つからないし、そもそも本当にこの町にあいつが来ているかどうかも疑わしいのだ。そう考えると不安になってくる、俺はペットボトルのキャップをしめてうなだれた。
「ぢぢぢ!」
「ああ、こら、ラビちゃん」
 先ほどのように鳴きながら羽を路地の方へ向け、俺の膝から飛び降りてひょいひょいと歩きだしたラビちゃんに声をかける。まあ、誰もいなくてしかも真っ白な町なら見失いだろう。座っていたベンチから立ち上がって揺れる卵の殻を追いかける。広場を出る時に見えた掲示板には、やはり古くさい言葉で音楽会のお知らせが書いてあった。
 ラビちゃんの数歩後をついて歩き続ける。立ち並ぶ白の建物はいずれも綺麗だけど、やはり誰の姿も見えなかった。波が港に打ち寄せる音、風に葉が揺られる音だけがひたすら聞こえる白い視界は言いようのない寂しさを生み出していた。
 胸が少し痛くなった気がする俺を余所に、ラビちゃんは迷うこと無く進み続ける。なんとも頼もしいその様子に俺はラビちゃんに話しかけた。
「シンボラーのこと、探してくれてるのか?」
「ぢぢ!」
「そっかー! え、もしかしてわかるの? そっちにいるの?」
「ぢぢぢー! ぢ!」
「すげえな、やっぱポケモンはポケモン同士……ん?」
 そこまで言ったところで、俺は言葉を止めた。
 
 波と風の音じゃない、新しい音が耳に入った。
 美しいけれども、悲しい。切ないけれども、眩しい。
 潮の香る空気の中、俺はふっと目を閉じる。この白い町と同じ、綺麗で寂しい旋律が、弦楽器の中低音に合わせて響いてきたのだ。

「楽器……」
 楽器の音が聞こえるということは、つまりは演奏している人がいるということだ。まだ、この町に住んでいる人がいるということなのだ。途方に暮れていた俺のテンションがぐっと上がった。
 ラビちゃんもそれを察してくれたのか、小さな足を動かすスピードを増す。白の地面を踏み、白の建物の間を抜け、音階が聞こえる方向へと走る。店主のいなくなった喫茶店の看板に取り付けられた、濃い緑の旗が俺たちの起こした風によって揺れた。
 道を直進するたび、曲がり角を曲がるたびに音は近づいてくる。人とポケモンが生活をやめたらしいこの町で、たった一つの気配は実際以上によく響いていた。
「ここは…………」
 やがて、俺とラビちゃんは一つの家の前で足を止めた。いや、家というよりも屋敷とか邸宅とか言った方がいいかもしれない。今までこの町で見てきたどんな建物よりも大きく、荘厳で、迫力すら感じられる。
 昔サザナミにあったというお屋敷よりも、もしかしたら立派かもしれない。広大というわけではないけれども庭はよく手入れされていて、鮮やかな薔薇がいくつも咲き誇っていた。鉄製の黒い門には広場の噴水のように、海に住むポケモンたちの彫刻が施されている。他の建物と同じく白の石で出来た屋敷は大きいけれども豪奢というわけではなく、上品な静謐さを醸し出していた。
 門の向こう側、その屋敷から旋律は聞こえてくる。しかし勝手に門を開けて入るわけにもいかず、俺は屋敷を前にしてしばし立ちすくんでしまった。
「どうしたものか…………っておい! こら、ラビちゃん!」
 しかし立ちすくんでいたのは俺だけのようで、ラビちゃんは迷う素振りを見せることなく門の隙間をくぐりぬけて、綺麗に切りそろえられた芝の庭へと入っていってしまった。そのまま軽やかな足取りで大きな扉へとまっしぐら、その上嘴でその扉をつつき始めている。天衣無縫も過ぎるその行動に、俺は本日何度目かの嘆きをラビちゃんへと向けた。
「あー! もう、だめだって!!」
 俺の声にもラビちゃんは耳を貸してくれない。ラビちゃんは小さいけれども力はそれなりに強いのだ、結構な音量でドアががんがんと鳴る。
 穏便に訪ねる方法を考えていたのに、これでは下手したら強盗まがいだ。気がひけるけれども仕方ない、と決意した俺は門に手をかけて力を込めた。ハクリューの形をした取手を握って動かした門は意外と重く、思ったよりもゆっくりになってしまう。
 俺が門と苦戦している間にも、ラビちゃんは扉を叩き続けている。一刻も早く止めさせねばと門を引っ張るがなかなか動かない。鳴り響く音に、もう一度ラビちゃんを咎めようと声をあげた時だった。
「もう、ラビちゃん、いい加減にしなさーー」
「……お客さん、かな?」
 俺の声に重なって、別の、落ち着いた男性の声が聞こえた。その声はさっきまでラビちゃんがつつきまくっていた扉の方からしていて、この家の人のものであることは火を見るよりも明らかだった。そういえば楽器の音がいつの間にか止まっていたな、とぼんやり思いながら、俺は門を開きかけた体勢のまま固まってしまう。
「あ、いえ、……その、まあ……」
 別にやましいことがあるわけでは無いから堂々とすればよいのに、俺はなんだか気まずくなって門の脇でうつむいてしまう。ちらり、と扉の方を見ると、声の主に開かれた扉にぶつかったのかすっ転んでいるラビちゃんが見えて余計に申し訳なくなった。すいません、と目を伏せたままもごもごと謝る。
 そんな俺とは対照的に、扉から出てきたその人はラビちゃんを「おやおや、これは悪いことをした」と優しく抱き上げた。ぢぢ、とふてくされるラビちゃんを見ても嫌な顔一つせずに撫でてくれたその様子に、俺はようやく全身の緊張がほぐれる。
「本当に申し訳ございませんでした。俺のバルチャイが、勝手に入っちゃって……」
「いや、かまわないよ。うちの家は誰でも大歓迎だからね」
 そう言って微笑んだ男性は、俺と同じような肌と髪、そして瞳の色をしていた。年の頃は父よりも少し下くらいだろうか。背は高く、それなりに鍛えていそうな身体つきはこの町の雰囲気によく似合っていた。素朴だけれども上品な服は量販店のものではないのだろうか、歴史の教科書か何かで見たようなデザインで手作りっぽい。
 黒い瞳に、どこか懐かしい温かさを覚える。まるで父とか母とか、兄姉を見た時のような感じだ。
 
 なんてぼんやりしていると、男性の方から俺に近づいてきてくれた。あれほど重たかった門を軽々と開けられる。はい、と笑いながらラビちゃんを俺へと返しながら、男性は「さっきも聞いたけれど」と口を開いた。
「君たちはお客さん、ってことでいいのかい? うちに来たってことは、何か用があるんだと思うけど」
「あ、それは走っ……いえ、素敵な音楽が聞こえたもので」
 まさか「シンボラーを追いかけて走っていたらいつの間にかこの町に迷い込んでいたんです」なんて言っても変人扱いされるだろう。慌てて言葉を飲み込んで取り繕う。
 そんな俺の言葉だけど、男性はとても嬉しそうに笑ってみせた。照れるねえ、なんて頭を掻いた表情は少しだけ子供っぽい。
「あの曲はこの町の歌でね。チェロは僕の趣味で……つたない演奏をお聞かせしてお恥ずかしい限りだ」
「そんなことは……とても、綺麗な、……ここみたいな音楽でした」
 率直な感想だったが、男性は一瞬目をぱちぱちさせて、それからより一層嬉しそうな笑顔になった。そんなことを言ってもらえるとは、としみじみと噛みしめるように呟かれたその言葉に、あまりわかってなさそうなラビちゃんが首を傾げる。そんなラビちゃんに苦笑した男性は、俺の背中にあるものに気がつき、今度は楽しそうに笑った。
「君も音楽をやるんだね」
「はい、サックスを……大学のサークルだけなので、趣味程度ですけれども」
「? 学生さん……ということかい?」
 何か上手く伝わらなかったのか、男性は俺の言葉の途中で聞き返した。しかしどこがいけなかったのかわからず、とりあえず、はい、と返事をしておく。男性は数秒だけ不思議そうな顔をしていたが、すぐに元の表情に戻った。
「ともかく、音楽をやっているのならば是非ともうちにお呼ばれしてくれないかい? お茶くらいは出せるし、それに」
「えっ、そんな……悪いですよ、いきなり失礼を働いてしまったというのに」
「それに、さっきの歌を君にも演奏してほしい」
 二つ目の提案は、俺にとってとても魅力的なものだった。さっきのメロディーは、それほど強く俺の耳と頭に残っていたのだ。あれを教えてくれるのだと思うと、俺は無意識のうちに頷いていた。
「決まりだね」
 頭を下げた俺に男性が微笑む。腕の中でラビちゃんが呆れたように呻いたけれど、「いいだろ」と小さな声で諭して置いた。誘惑に負けてしまったといえばそれまでだけど、見た限り誰もいないこの町で唯一の人間だ。怪しまれない程度だけれども、この人に聞けばなにか事情を知っているかもしれないだろう。帰り道も教えてくれるかもしれない。
 お邪魔します、と告げてから門をくぐる。庭の中に入って改めて見た屋敷は、外から見るのとはまた違う姿をしていた。見とれてしまったのと気圧されてしまったのとで足を止めてしまった俺を先導し、男性が扉の前に立つ。
「そういえば、自己紹介がまだだったね」
 扉の取手に手をかけ、男性が思い出したように言った。そこで俺も、自分の名前を言っていないし男性の名前も聞いていないことに気がつく。すこし居直って、扉を背にして姿勢を正した男性は板についてると言わんばかりの、百店満点のお辞儀をしてみせた。
「遅ればせながら、私、このアライソタウンの領主にあたります、サボンテと申します」
 急いで俺も礼を返す。そうか、領主だったか。こんな屋敷に住めるのは貴族とか地主とか、そういう立場の者だよんと思うのと同時に、聞き慣れない町の名前に内心で首をひねる。アライソだなんて、そんな町は無かったはずなのに。
 しかし実際に自分が今いる町を否定することも出来ず、俺は「ホドモエから旅行で来ました、カクタスです」としどろもどろになりつつ返す。こいつはラビっていいます、と付け加えるのも忘れない。
 カクタスくんか、と頷いて、サボンテさんは取手にもう一度手を置いた。がちゃり、と重々しい音をたてて扉が開かれる。
「そうだ、もう一つ紹介したいことがあるんだった」
 ゆっくりと扉を開きつつ、サボンテさんが振り返る。何のことだろう、と疑問符を浮かべた俺の前で扉が開かれ、屋敷の中が少しずつ明らかになる。
 屋敷と同じく、室内も瀟洒な雰囲気に満ちている。しかし俺とラビちゃんはそんなことを気にしている余裕は無かった。「紹介しよう」という言葉も耳を素通りしていく、扉の向こう側から現れたその姿、すっかり見慣れたその姿に俺もラビちゃんも絶句した。
 独特のシルエットに、民族衣装のようなカラーリング。大きな球体を中心にばさりと広がる尾羽と両翼、顔のような模様からは感情を読みとることができない。頭部に乗っかっている黒い飾りの真ん中にあるのは、鈍く輝く水色の石。
「我が家、ひいては我が町を守ってくれるシンボラーだ。名前は、ターコイズ、という」
 そう呼んでやってくれ、というサボンテさんの言葉に呼応して身体をゆらりと揺らしたそのポケモンは、俺がここにいる原因であり、散々走り回って追いかけていた、シンボラーに異ならなかった。 


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