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  [No.3794] 2.それからの話 投稿者:Ryo   投稿日:2015/07/29(Wed) 19:23:53   87clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

眠れない夜というのはいつでも嫌なものだ。
普段は全く気にならないようなベッドバットの微妙な固さ、体の下のスプリングの微かなきしみ、空調機の低く唸る音、そういったもの全てがいたずらに体のどこかの神経を逆側に撫でていくような小さないらつきが始終襲ってくる。
ベッドライトの橙色の灯りだけが、太陽の一欠片を閉じ込めたようにこの無機質な部屋を細やかに照らしている。それも消してしまおうかと思ったが、視界が黒一色になると他の感覚が余計に研ぎ澄まされてしまうような思いに囚われて、腕をそちらへ動かすこともできなかった。布団とベッドの間にある右腕の感覚に気づけば、これもまた神経を無意味に逆立てていくので、いっそ宙に浮かんで全ての感覚、全ての余計な考えから解き放たれたまっさらな状態で眠りたい、という馬鹿げた希望が俺の頭に浮かんだ。強力なエスパーポケモンがいればそんな空想もあるいは現実になるのかもしれないが、あいにくと俺の手持ちに超能力が使えるポケモンはいない。

灯りを消すことができない理由はもうひとつあった。放たれた橙色がいくらも進まないうちにその色を失い、やがてベッドから落ちて闇に溶けてしまう、そのギリギリの距離から静かに耳に届く二匹分の寝息。彼らは灯りのない夜を嫌がった。タマゴを授かってからは特にそうだった。鳥は夜目のきかない夜を嫌うというが、飛べない翼しか持たない身の彼らにも、立派に鳥ポケモンとしての血が流れているのだ。壁に向き、寝返りをうつことすら億劫なこの身では確認できないが、きっとその二匹は今夜も、自分たちのー正確には、自分たちのものだと思っているタマゴに両側からぴたりとくっついて、ひとかたまりの小山のようになって眠っているのだろう。タマゴを貰い受けたあの日から彼らはずっとそうしているのだ。昼は俺が持ち歩くタマゴが何かの拍子に割れたりしないかどうか、ずっと足元から見張られている。休憩、食事、それからこうして寝るときなどの、俺の手からタマゴが離れる時は、タマゴがフリーになった瞬間、赤いのと青いのの両方がすっ飛んできて、ひしと抱きかかえて離れない。どちらかがボールに入ることすら頑なに拒否し続けて、ずっと一日中タマゴのことばかりを気にかけ続けているのだ。

「ほんとの親でもないのにー」

その言葉はただのため息となって俺の口から小さく漏れた。罪のない安らかな二匹分の寝息をこんな残酷な言葉で途切れさせたくはなかった。規則正しくすうすうと空気が揺らぐ音が俺の神経に触らないのは、無機質なスプリングや空調機なんかと違って、生きているものが立てる音だからかもしれない。ただ、その音は俺のもっと深い所―俺の心を静かに責めたてていた。もちろん無邪気に眠っているだけの二匹にはそんなつもりは毛頭ないだろう。ただ俺の心に後ろ暗いところがあるからこそ、こんな穏やかで優しいだけの寝息にすら怯えなければならないのだ。

俺のポケモン、アチャモとポッチャマ。俺は彼らにとんでもない嘘をついている。
彼らが自らの命を削り、心を砕くようにして慈しんでいるタマゴ。
あのタマゴは、彼らのものではない。別のトレーナーの育てていた、バシャーモとエンペルトのペアから見つかったタマゴを譲り受けたものだ。

***

現メンバーの中で一番新参であるアチャモが俺を育て屋まで引っ張ってきたのは、朝のトレーニングを終えて木陰で少し遅い朝食をとっていた時の事だった。彼はふと食器から顔を上げて、くるりと向きを変えたかと思うと、いきなり一目散に走りだしたのだ。慌てて後から駈け出した俺が追いかけっこの果てに見たものは、アチャモが見えない翼を得たように大きく跳躍し、育て屋の柵を飛び越えるところだった。一瞬たじろいだ俺はすぐに気を取り直し、早く戻れと怒鳴ろうとしたが、俺の声が喉から出るより先にもう一匹が足元から柵に飛びついたのには完全に面食らい、言葉も失ってしまった。
そいつは俺の最初のポケモンで、交換でやって来た新メンバーのアチャモを特別気にかけていたのは知っていた。アチャモがそいつに懐いていたのもよく知っていた。そいつは俺のピチューがタマゴから孵るところにも立ち会っていたはずだし、そのタマゴを見つけたライチュウとは何やら最近よく話し込んでいた。だから、何とかして柵の中に潜り込もうと、ぺたんこに伏せてもがいているそいつと、柵の内側から必死に声をかけて励ましている様子のアチャモが何を望んでいるのかなんてのは、誰に聞かなくても分かった。
自分のポケモン達がここまでしているのを見れば、大抵のトレーナーは喜んで、一も二もなく育て屋のドアを叩くだろう。だが、俺はそれを実行するまでにいくらかの時間と思考の逡巡を要した。
俺の最初のポケモンであるポッチャマも、新参のアチャモも、どちらもオス同士なのだから。

ポケモンのオス同士、メス同士を育て屋に預けてタマゴが見つかった事例はこれまで確認されていない。こんなのはポケモン研究者のみならず、その辺のポケモントレーナーでも鼻で笑うくらいの常識だ。シゼンのセツリがどうとか、セイブツガクテキにどうとか、そういう尤もらしい言葉で否定される「当たり前」のことだ。
「だって、オス同士でどうやって『ヤル』んだよ?」
そんな下品な言葉を吐きながら、腹を抱えて笑うようなトレーナーだっているだろう。厳密にはタマゴはそうやって生まれてくるものでは無いらしいのだが、俺も詳しくは知らないし、知識があったところでこういう種類のトレーナーに通じる話ではない。
騒ぎを聞きつけてやって来た育て屋の老夫婦に「いたずらでポケモンが入ってしまいました、すみません」と平謝りし、両脇に大暴れする赤と青の小鳥を抱えて逃げ出した俺は、彼らの入ったモンスターボールを両の手に握り、交互に見つめながらそういうことを考えていた。
彼らが俺の目の前で繰り広げた光景。セイブツガクテキにありえないこと。それならアチャモは柵に入ってこようとするポッチャマを蹴り飛ばすのが正しかったのだろうか?
ぐるぐると色々な考えが巡った挙句に、俺がたどり着いた答えは「とりあえず二匹を育て屋に預けて、タマゴが見つからないことを知って諦めてもらう」というものだった。

育て屋の庭に勇んで駆け出していく二匹の背を見送りながら、俺が育て屋の受付をしているおばあさんに言った最初の言葉は確か、オス同士ですけど良かったんでしょうか、みたいな台詞だったと思う。本当はこういう台詞を、育て屋の側から言われるものだと思っていた俺は、手続きの間そうしたことを全く一言も確認されなかったので、思わず自分のほうから切り出してしまったのだ。
ためらい気味の俺の言葉におばあさんは全く動じず、穏やかな笑みをたたえたままで
「ええ、全然問題ありゃしませんよ。時々おります、ああいう子たち」
と、その顔通りの柔和な口調で返してくれたのだった。その言葉に俺がどれだけ安心できたかなんて、とても言い尽くすことはできない。
おばあさんの言うには、同じ性別同士―というか、これまでタマゴが見つかったことのない組み合わせで育て屋に預けられるポケモンはたまにいて、いつも一緒でいないと不安になってしまうペアや、よく一緒に特訓をしているようなペアが来たりもするのだそうだ。それからやはり、単純に好き同士で一緒にいたいペアも。
そういうペアの話になるとどうしても俺は次の言葉を切りださざるを得なくなる。即ち、もしもそういうペアがタマゴを欲しがった場合はどうすればいいのかと。もしかしたら俺のポケモン達は、そうなのかもしれない、と。
それまでずっと陽だまりのような笑顔を浮かべていたおばあさんの顔が、俺の質問の後、不意に真顔になってしまったのを見て、俺は瞬時に酷い後悔に苛まれた。この優しいひとを困らせてしまったこと、おかしな質問をしてしまったこと。やっぱり俺のポケモン達は変だったんだ。俺はすぐにでも庭のポケモン達を引き取って逃げ出したくなった。自分が最初にそうしたように。
でも、すぐに先ほどまでの笑顔を取り戻したおばあさんが発した言葉は、立ち上がろうとする俺を椅子に押しとどめた。
「そういうポケモンにタマゴを授けることも、うちではしていますよ。でもまぁ…2,3日様子を見てからの、最後の手段のようなものだと思っといてください」

2,3日待つというのは、タマゴが見つからないはずのペアのポケモン達が本当にタマゴを欲しがっているか見定めるため。その間トレーナーに「最後の手段」について考えてもらって、改めて意思を確認するため。そして、万が一にもタマゴが見つかる可能性を考慮しての事だった。
俺は2日目の夜に育て屋へ向かった。夜ならば二匹は眠っているだろうと考えたからだ。あまり彼らに話を聞かれたくはなかったし、人間だけで話をしたかった。
育て屋の入り口で俺を待っていてくれた小柄なおじいさんは、やっぱり優しそうな顔で、お地蔵さんを思わせる雰囲気の人だった。
「二匹の様子はどうですか」
「そうだのう、ちょっと庭を見てくれりゃあわかるが…一日中走り回っとる。タマゴを探してな」
俺はちらと庭を見やった。庭の中までは暗くてよくわからないが、柵の外側に土が撒かれたように落ちている。それを一瞥しただけで大体のことは察することができた。
「初めはお互い全く一緒におらんもんだから、あまり仲が良くないのかと思っとったが、ありゃ手分けして探しとるんだな。夜になると疲れて二匹で並んでぼーっとしとるんじゃ」
「そうなんですか…」
視界の隅、柵の向こう側で、ちらと何かが動いた気がした。俺はそれを気にしないようにした。
「タマゴは…見つかってないですよね、やっぱり」
「そうじゃのう」
一言で俺の僅かな希望は打ち砕かれてしまった。もしもシゼンのセツリとやらを吹き飛ばすような奇跡の一つでも起きて「彼ら」のタマゴが見つかっていれば、平和に事が済んでいたのだ。だがそれは起こらなかった。即ち俺は決断しなければならない。最後の手段を使うか、使わないか。
最初から俺の答えは決まっていた、はずだった。元々「タマゴが見つからないことを彼らに分かってもらい、諦めてもらう」のが育て屋に二匹を預けた理由なのだから。
だが、そんな俺の耳を突然、二匹の叫びが貫いた。
「どうしたんだ、お前たち?」
慌てて柵に駆け寄って声をかけても、返ってくるのはメチャクチャに笛を吹き鳴らすような鳴き声ばかり。ポケモンの言葉が分かるわけでもないのだが、喉が裂けんばかりに声を上げ、千切れんばかりに羽をばたつかせて俺に訴えたいことが今こいつらに何かあるとすれば、それは一つだけだろう。俺は何も言えずにただ二匹の頭を軽く撫でると、おじいさんの元へ戻っていった。選択肢の一つは彼らの声の前に儚く消えてしまった。そうするとどうしても俺は、もう一つの選択肢を選ばざるを得なかった。

「―この育て屋では、トレーナーの方が育てられないと言われたタマゴを預かって保管しとります。そうしたタマゴを、タマゴが見つからないペアのポケモン達に授けて、そのペアのタマゴとして育ててもらうこともできます。ただ、人のタマゴを貰うということで少し考えたいトレーナーさんもおるでしょうから、最後の手段ということになっとります」
脳裏におばあさんの言葉が蘇る。この選択肢を使うということは、自分のポケモンに嘘をつくということだ。もちろん自分たちが自然のやり方で繁殖することができないことはポケモンたちにもわかっているだろう。だが、タマゴが「生まれる」のでなく「見つかる」ものである以上、この庭で自分たちが見つけたタマゴは紛れも無く「自分たち」のタマゴなのだ。
例えそれが、元は他のペアのタマゴだったとしても。例えそれが、他のトレーナーから「いらない」と言われたタマゴだったとしても。
「…おじいさん。あいつらに、あのタマゴを渡してやってください。置いてるところを見られないように」
「それで、ええんじゃな」
「はい。あいつら見てると、なんだか不憫で。本当はあいつらのじゃなくても、このまま見つからないままよりはずっといいかなって…」
「ええよ、ええよ、それでええ」
おじいさんは俺の背中を労るようにポンポンと優しく叩きながら、
「全部『運び手』さんの思し召しだからの」
と、不思議なことを言った。
「何ですか、その『運び手』さんって」
俺が聞くとおじいさんはにっこり笑って
「運び手さんは運び手さんじゃよ。タマゴを運んでくるから運び手さん。それだけじゃよ」
とだけ言い、それ以上は何も言わなかったのだった。

***

そんなわけで俺のアチャモとポッチャマがタマゴを貰い受けたのが4日ほど前になる。この一週間で俺は一生分の頭を使ったような気がして、もう何も考えたくなかった。だが俺の後ろにいる二匹と、そいつらに挟まれているタマゴがそれを許さない。
俺はあいつらにとんでもない嘘をついている。その罪の意識が俺を眠らせない。
だが、タマゴを受け取らずにあのまま連れ戻したとして、それが正解だったのか?
わからない。
わからないまま俺はすっかり考え疲れ、いつしか何も聞こえない眠りについていた。

朝の日差しが俺の目を突き刺し、それに呼応するように頭がズキンと痛んだ。俺は咄嗟に帽子を深めに被り、情けなさに小さくうなり声を漏らした。部屋を片付け、ポケモンセンターを出ても抜けない体の怠さ。頭痛薬を喉に流し込んでも全く引かない頭痛。結局眠りにつくこと自体はできたが、全く眠ったという気がしなかった。俺の足元をうろちょろする赤と青の小鳥も、時折ふらついては首をぶんぶん振って疲れを吹き飛ばそうとしている。出発の前にポケモンセンターで診てもらってはいるが、元々ボールにすらろくに入らず寝ている間も気を張り続けているものが、そうそうすぐに回復するものでもない。
俺の手の中のタマゴは今朝方から時折小さく左右に揺れ動くようになった。このタマゴというのはなんとも不思議な物体で、掌で撫でてみるとすべすべと硬いが、爪を突き立ててもコツリとも言わず、石やコンクリートにそうした時のような、反発する硬質な感覚もない。むしろ指が爪先からタマゴの中に、つぷりと入ってしまいそうだ。恐ろしいのでやろうとも思わないが。
ぴょこっとタマゴが動くのを見たポッチャマが目を真ん丸にしてアチャモに知らせる。アチャモはヘタっていたトサカをピンと立て、俺の周りをそわそわとうろつきだした。
「あんまり寄ると蹴飛ばしちまうぞ」
ぴょこん。俺の言葉に呼応するようにタマゴが揺れる。それを目の当たりにしたアチャモは甲高い歓喜の叫びをあげながら何度も何度も飛び跳ねた。こいつに普通の鳥ポケモンのような翼があったら喜びのあまり宇宙までぶっ飛んでいただろう。
喜びのだいばくはつが一段落して、ちゃもちゃも、ちゃまちゃまと引っ切り無しに何やら嬉しそうに話している二匹を見やりながら、俺は複雑な思いに囚われていた。
タマゴが揺れる、ということは、そろそろ孵化が近くなった、ということだ。生まれてくるポケモンは恐らくポッチャマだろう。育て屋で聞いた話だと、このタマゴはオスのバシャーモとメスのエンペルトのペアから見つかったタマゴであるからだ。ポケモンの顔なんて人間からはほとんど見分けがつかないが、それでも自分のポケモンの顔くらいなら見分けはつく。ポケモン同士なら尚更だろう。もし、俺のポッチャマと全然違った容姿、全く異なった雰囲気のポッチャマが生まれてきたら、あいつらはどう思うんだろう。俺は何と言えばいいだろう。
かと言って、今からあいつらに全てを説明するか?人間の言葉で、人間の事情を、ポケモンの彼らにどう分かってもらえばいいのだろう。喜びと期待にあふれている彼らの顔を、俺の言葉で悲しみの色に塗り替えてしまったら?
朝からの頭痛が俺の頭を余計に暗く押し付けて、視界が足元の方へ向かう。腕の中のタマゴは、石のように重かった。

***

「はあ…疲れた。ちょっと休憩な。昼飯にしよう」
そう言って木陰に座り込む俺を、待ってましたとばかりに二匹の小鳥が取り囲む。お目当てのものをそっと彼らの前に置いてやれば、彼らは歓声を上げてそれに飛びつき、撫でてやったり声をかけてやったりしていた。
今日ここまででしたことといえば、何てこともない、ズイタウンの近くの遺跡まで歩いて戻ってきただけだ。なにか見たかったものがあるわけでもないし、用事があったわけでもない。
元々俺は気ままなポケモントレーナーだ。ムクホークに乗って行きたい街に行き、バトルがしたければその辺の血の気の多いトレーナーとバトルをし、このポケモン育てたら楽しそうだな、と思えばぶらりと捕まえに行く。ピチューのタマゴを孵したのも、アンコールを覚えたライチュウをバトルで使うと面白い、とトレーナー仲間から聞いたからである。
そんな俺がズイタウンの周辺で何日も、バトルをすることもポケモンを育てることも、ほとんど何もせずただ留まっている。それは自分がこれからどうすべきか、道を見失っていることの証明でもあった。ただ残された時間はそう多くない。このタマゴが孵るまでには、俺は決めなければならない。俺のついた嘘にどう始末をつけるべきか。

残りのポケモン達もボールから出して、並べたステンレスの食器にポケモンフードをザラザラと開けていく。それからコンビニで適当に買ったカレーパンとミネラルウォーターをリュックから出した。もちろんこれは自分用だ。
いただきます。俺の言葉でみんな一斉にそれぞれのやり方で食事にとりかかる。ピチューはライチュウの手から食べさせてもらうのが好きだし、ムクホークは食べている間も何度も顔を上げて警戒を怠らない。アチャモとポッチャマはお互いのフードを交換しあっている。そしてもちろん二匹の間にはタマゴが鎮座している。
食事を終えて思い思いに安らぐ時間が来ると、ライチュウがアチャモとポッチャマのところへやって来て、そっとタマゴを抱き上げた。そしてピチューがタマゴだった時によくそうしていたように、両手でぎゅっと抱きしめて愛しげに頬をすり寄せた。二匹の小鳥たちが見守る中、彼女はしばらくじっとそうしていた。
やがてピチューが彼女の足元で小さく跳ねて何かを主張する。にわかに小鳥たちの警戒が強まった。心配そうにオロオロするポッチャマと、しきりに何かを訴えるアチャモ。ライチュウはタマゴを持ったまましばらく何か考えたようだが、やがてそっとタマゴをピチューの目の前に置いた。ピチューは弾かれたようにタマゴに飛びつく。自分と同じくらいの大きさのタマゴに、ピチューは体いっぱいに抱きついて、「ちゃあ」と幸せそうに一言鳴いた。
よく見ればその小さな体にはライチュウのミトンのような手がかかっていて、その尻尾の先の稲妻は地面にしっかりと張り付けられていた。恐らくポッチャマたちはピチューの不安定な電撃がタマゴに影響をあたえることを心配していたのだろう。そしてライチュウはそれを察したのだ。
ムクホークはどうしたのかと思えば、皆がタマゴの元に集っている、その側の木の上で、やっぱり何か恐ろしいことが起きないか、野生のポケモンが襲ってこないかと見張っているのだった。
皆、タマゴがやってきたことを喜んでいた。皆、タマゴからポケモンが無事に孵るのを待ち望んでいた。その光景を見ていると、俺は、俺の頭の中に立ち込めている重苦しい霧が、幾ばくか晴れていくような気がした。セイブツガクテキに云々、といった言葉がいつからか自分の頭からなくなっていたことにも気がついた。自分のポケモンに嘘をついている、という罪悪感に全ての考えが押しつぶされていたからかもしれないが、その重みが幾分取り払われて生まれた隙間に、もうそうした類の言葉が入る余地はなかったのだ。もちろん普通に生きていたら一生出会わなかったかもしれないし、お互い野生で生きていたらペアになんかならなかったかもしれない。だがそれが何だ。俺のポケモン達はアチャモとポッチャマのオス同士の間にやって来たタマゴを喜んでくれているぞ、このやろう!俺は誰にともなくそう叫んで走り出したいような気持ちになっていた。
だが、気持ちが軽くなったとはいえ、俺が俺のポケモンに嘘をついている、というのは、紛れも無い事実なのだ。だが俺は、もう弱音を吐いて逃げ出す気にはならなかった。

***

お腹いっぱいになって木陰で眠っているポケモン達を、俺はそっとモンスターボールに回収していく。タマゴを受け取ってから一度たりともボールに戻らなかったアチャモとポッチャマにも、心の中で謝りながらその体をボールに収めさせてもらった。ばさりと音を立てて俺の前に舞い降りてきたムクホークを最後に回収すると、俺はタマゴを拾って歩き出した。

後で聞くと、育て屋のおばあさんは、俺がタマゴを返しに来たのだと思ったらしい。
だからタマゴを抱えた俺が育て屋のドアから顔をのぞかせた時、戸惑ったような顔をさせてしまったのだろう。思えば、受け取らなければよかったかもしれないと迷いはしても、一度貰ったタマゴを手放す気など最初から俺にはなかったように思う。
俺が育て屋に戻ってきた理由はこうだった。
「すみません、このタマゴの本当の親…バシャーモとエンペルトのことが分かる、写真か何かがありませんか」
ほとんどダメ元で聞いた質問だった。タマゴは保管していても写真まで保管しているかわからないし、トレーナーがそんなもの提供しているかも不明だ。それにそういう写真がもしあったとしても、そんな個人情報に関わりそうなものをほぼ無関係の俺にホイホイと渡してくれるようなものでもないだろう。写真がなければ少しの情報でも良かった。二匹がどんなポケモンで、トレーナーはどんな人だったか、とか。
だが、おばあさんの答えは思いもよらないものだった。
「写真はありゃしませんけどね。タマゴを引き取った方が連絡を取りたいと言われた時にどうするか、はトレーナーさんの方で決めてもらっとります。このタマゴの元々のトレーナーさんは確か、連絡してええと言われたはずですよ。あぁ書類があった。うん、連絡してええと書いてある。連絡、取りましょうか」
俺は「ぜひ」とも「結構です」とも言いかねて、「あ、あぁ…」なんて返事にならない返事をしてしまった。頭の中はグルグルと回っていた。まさかこんな展開になろうとは。俺はただ写真の一枚でも貰えれば、生まれたポッチャマと、アチャモたちのペアが落ち着いた頃にその写真を見せてゆっくり本当の話をしよう、と思っていただけなのに。
「どうしましょうか」
おばあさんは畳み掛けるように質問をしてくる。ええい、乗りかかった船だ。
「お願い、します」
絞りだすように返事をした。心臓は跳ねるように鼓動をうち、タマゴはぴょこ、ぴょこと、それに合わせるように腕の中で揺れた。

***

ポケモンセンターの前で小さなベンチに座り、タマゴを抱いて、茜色の空を忙しく横切る雲を見上げている俺は、傍から見ればのんびり休んでいるようにでも見えるだろう。しかし本当はこうして動くものを見続けていないと緊張で気がおかしくなりそうなのだった。
この日まで、このタマゴの本当の、というか元々のトレーナーのことは、ほとんど無意識的に考えないようにしていた。せっかく見つかったタマゴを「いらない」と言うようなトレーナーなのだからきっと碌でもないやつなのだろう、と勝手に決めつけて、そのまま考えるのを放棄したのだ。だからその、意識の向こうに追いやった存在が実態を持って今から自分に会いに来る、というだけで、俺は叫びたくなった。さっき育て屋に行ったときの勇気はどこへやらだ。だって一体何を話せばいい?「あなたの捨てたタマゴを私が請け負って育てることにしました」に続く会話なんて、どう転んでも楽しい話にはなりそうもない。
空の色が濃く暗くなりだした頃、一際大きな影が雲の下を横切った。向きを変えたその影はどんどん大きくなっていく。こちらへ向かってくる。ああ、あれが、そうなのだ。
影は竜の形になり、やがて赤い色をまとい、最後にリザードンの姿になって俺の隣に舞い降りた。そしてその背からひょいと飛び降りたのは、小柄な女の子だった。

「カスガ、といいます。タマゴを引き取っていただき、本当にありがとうございます」
何も言えないでいる俺に、その子は丁寧に頭を下げた。リザードンも横で神妙に目を閉じている。声と背格好だけから判断すると多分俺よりも年下で、中学に通っていてもおかしくないくらいに見えるが、傍らにいるリザードンは、パッと見ただけでも感嘆するような堂々とした体躯をしていた。きっとトレーナーとしての腕が相当に高いのだろう。
「どうしても今、水ポケモンは育てることができなくて。だから育て屋さんにお返ししたんです」
「育てられない?」
「はい。今、私、炎タイプのポケモンを育てる修行をオーバさんのところでしていて」
「オーバ…さん!?」
俺は面食らった。オーバさんといえば四天王の一角じゃないか。じゃあこの子は本当に実力のあるトレーナーなのだ。そんなトレーナーが目の前にいることが信じられなかった。これまで俺がバトルしたりつるんだりしてきたトレーナーは、本当にただの趣味でトレーナーをやっていたり、遊ぶのや旅が好きだったりするだけの奴らだったからだ。
カスガさんは続ける。
「デンジさんと勝負して勝った後、私の育てたリザードンの力量を買われてオーバさんの元で修行させてもらえることになったんです。それで今、炎ポケモンを育ててるんですけど、私のバシャーモが、エンペルトとじゃないと修行にならないって…あ、エンペルトって私の最初のポケモンなんですけど、オーバさんのとこに連れて来られなくて、その」
「それで育て屋に預けたら、タマゴが見つかってしまったと」
わたわたしてしまうカスガさんに、俺は助け舟を出す
「そういうことです。あそこなら二匹だけで他の炎ポケモンに邪魔とかしないで修行できるなって思っちゃったんです。軽率でした。里親も探したんですけど結局ダメで…すみません」
カスガさんは再び頭を下げた。俺は慌てて両手を振って、君が謝ることじゃない、と返した。タマゴの元々の持ち主として名乗りでて出会ってくれたこと、そしてタマゴを預けるに至った経緯をきちんと話してくれたこと、それで充分だった。そもそも「あ、このタマゴいりません」とゴミでも捨てるように言えるようなトレーナーだったら、名乗り出ることすらしなかったろう。
「わかりました。君のタマゴは俺が責任を持って育てるから、安心してください」
「ありがとうございます!」
こう会話を締めくくることができて、俺は心からほっとした。

それからは、あれやこれやの雑談に話が弾んだ。
「デンジさんに勝つってことはバッジ今何個?」
「あ、7つです。8つ目行く前にオーバさんに取られちゃいました。あははっ」
「えー!マジで、すげぇな…見せて見せて」
と、ぴかぴかのバッジがずらりと並ぶバッジケースを見せてもらったり。
「私の…っていうかもう貴方のタマゴですね、今誰が面倒見てるんですか?」
「アチャモとポッチャマ。どっちもオス。今ちょっと寝てるから起こせないけど」
「えー!!マジで?凄い!超凄いです!」
と、何故か超ハイテンションで食いつかれたり。
そんなこんなで俺達は仲良くなり、最後には連絡先の交換をして、それからバシャーモとエンペルトの写真も撮らせてもらった。二匹ともやはり、惚れ惚れするような無駄のない体つきをしていて、俺は必要以上に熱心に写真を撮ってしまい、カスガさんに笑われてしまった。
そして俺達は、タマゴが孵ったらまた出会う約束をして、小さなプレゼントを貰って、別れた。

***

―夜。ポケモンセンターの一室にて。
ピチューはライチュウの腕に抱かれてその時を待っていた。ムクホークは油断なく目を光らせ、静かにその時を待っていた。
アチャモとポッチャマはその側に寄り、交互に声をかけ、時折外側から軽くその殻をつついてやる。ヒビの入ったタマゴの中からは少し高めのポッチャマらしき鳴き声が返ってきた。
俺は、時折鞄の内ポケットの奥底にしまったバシャーモとエンペルトの写真を見ながら、そしてスマホのアルバムに残されたカスガさんの笑顔を見ながら、育て屋のおじいさんと話したことを思い出していた。
「運び手」の話だ。俺は結局それが何なのか分からず、カスガさんと会った帰りにその話をおじいさんとして来たのだ。
「―わしらはな、わしらの知らんうちにタマゴを運んでくる「何か」がおると思っとる。それを『運び手』さんと呼んでおるんじゃ」
そこでおじいさんは俺の方を見て、目をキラっと光らせると、
「時として『運び手』は人がその役目をやることもある。だがの、結局は人がそのタマゴを運ぶ役目を仰せつかることも、タマゴを通して人と人が結びつくことも、『運び手』さんの思し召しなんだとわしは思うとるよ」
と言って、また俺の背中をポンポンと叩いたのだった。

タマゴは大きく傾いで、また反対に揺れ戻る。二匹の小鳥の歓声が響く。
俺はカスガさんがくれたプレゼントをそっと握りしめて、その時を待つ。
この世界のこの場所にこのタマゴを運んでくれたもう一人の人ともう二匹のポケモン。離れていても俺達が繋がっている証、空にかかる橋の色、虹の色のリボンを右手に。虹の向こう側にいる、素敵な友達の物語を胸に。
ライチュウが微笑み、ピチューがぱちぱちと小さな光を飛ばし、ムクホークも密かに目を細める。
アチャモは何度も跳ねながら、ポッチャマは小さく体を震わせながら、皆がその時を待っていた。

その一瞬、部屋は百万個のフラッシュを炊いたように眩しくなった。太陽が生まれたようだった。
そしてその次の瞬間には、誰もがこの言葉を胸に、その光の生まれた場所に小さく座る、青い小鳥の元へ駆け寄っていった。

「おめでとう、ようこそ!!」


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