むかし シンオウが できたとき
ポケモンと ひとは おたがいに ものを おくり
ものを おくられ ささえあっていた
そこで ある ポケモンは いつも ひとを たすけてやるため
ひとの まえに あらわれるよう ほかの ポケモンに はなした
それからだ
ひとが くさむらに はいると ポケモンが とびだすようになったのは

「シンオウちほうの しんわ」より





●第二話「うけつけとっぱと ポケモンたち」





「だーかーら!! 本人だって言っているでしょう!!」
 受付カウンターの前でシロナが吼えていた。
「……こ、困ります」
 今日、彼女の次に困惑の表情を浮かべることになったのは、エントリーの最終確認をする受付をしていた眼鏡の男であった。
 いきなり男を引きずった女性トレーナーがずかずかと乗り込んできて、私の連れは身分証明ができないが、これは本人に間違いがないからとにかく出場させろ、などと訳の判らないことを強要してきたのだ。それに気のせいだろうか、出場する本人はあまり積極的という風には見えず、連れである女のほうが熱心なのである。
「とにかくですね、ポケモン図鑑もない、トレーナーカードもない身分証明ができない方の参加を受け付けることは出来ません」
 と、眼鏡の男は答えた。
「身分証明ができないですって! 馬鹿言わないでよ! アオバはね、去年だってシンオウ大会に出ているんだから!」
 シロナがまた吼える。無茶苦茶な要求だということくらい彼女にだってわかっていた。だが、ここで引っ込む訳にはいかない事情が彼女にはあった。押し切ってやる。必ず彼を出場させてやる。
「ベスト4まで残ったのよ! あなたが覚えてないはずないでしょう!」
 そこまで言うと、シロナは青年を受付の前に突き出した。
「男のくせに髪の伸ばして結わいてるわ、妙に気取った服装しているわ、こんなヤツなかなかいないでしょ。加えて去年のベスト4! 忘れたとは言わせないわよ」
 スーツのような衣服に身を包み、少し古ぼけた紐で長い髪を結わいたその姿に、受付は確かに見覚えがあった。
「……それは」
 と、受付が濁った返事を返したその隙をシロナは見逃さない。
「ほら、見なさい。覚えているじゃないのよ」
 と、押しの一言を放った。
「いえ、しかし規則は規則でして……」
「ちょっとアオバ! あんたも何か言ってやりなさいよ!」
「いや、何かって言われても……」
 青年は困った顔をする。右を見れば困った顔の受付、左を見ればシロナが怖い顔をしていた。その空気に耐えられず、
「もう、いいですよ。ほら、受付の方も困っていますよ。これ以上お二人に迷惑をかけたくないです」
 と、彼は答えた。すると、
「だめよ!!!」
 とシロナは叫んだ。
 ぐっと腕を掴むと、きっと青年を睨みつける。彼は少し驚いた。彼女は
「そんなこと絶対に許さないから」
と、言った。
「でも……」
「あなたは出るんだから! ポケモンリーグに出場するの!」
 と、続ける。なんでそんなこと言うの、とでも言いたげに青年を見つめた。
 怒っていた。けれど、それ以上に悲しそうで、その眼には明らかな意志の光が宿っていた。それを見て、青年はそれ以上言うのをやめた。どうしてなのか理由はわからないけれど、彼女が本気なのだということだけはわかったからだ。
「ほら、当の本人もそう言っていますし……」
 受付がすかさずそう言ったが
「もういい。あなたじゃ話にならない。上の人を呼んできて」
 と、彼女は切り返した。
「は?」
「あなたじゃ話にならないって言っているのよ。去年の入賞者って言ったら今年の優勝候補じゃないのよ。それを出場させないっていうのはどういう了見なの。だから、あなたじゃダメ。もっと話がわかる人、呼んできて」
「な……っ」
「それとも何? あなたの身内が出場しているから、有望な芽は今のうちに摘み取っておこうっていう魂胆かしら? そうなったら問題よね。アオバが出場できなかったらそういう噂を流してやるから」
「ちょっと! 妙な言いがかりはやめてくださいよ。私はあくまで規則に従って……」
 受付がお決まりの文句を返す。だが、彼女は
「ハッ! 規則ですって!」
 と、切り捨てた。
「……しょうがないわね、これだけはアオバから口止めされているから言うまいと思っていたのだけど……。あなた四天王のキクノさんは知っているわよね?」
 突然、シロナはそんな話題を持ち出した。
 四天王。リーグ優勝者を待ち構えるトレーナー集団。ポケモンバトルのエリート達である。優勝すれば彼らに挑戦することができる。その中の一人、キクノは老練のトレーナーで、地面タイプのエキスパートとして広くその名を知られている。
「そ、そりゃあ」
「アオバはね。キクノさんのご姉妹の孫にあたるのよ。つまり親戚よ。四天王の親戚!」
 受付はぴくっと眉を動かした。同時に驚いたのは青年自身である。思わず
「え、そうなの?」
 などと、聞いてしまった。瞬間、
「記憶喪失はすっこんでなさいッ!」
 と、シロナが渇を入れる。
「……はい」
 青年はすぐに身を引いた。また余計な発言をして変に話をこじらせると、シロナがまた吼えそうだったからだ。それを確かめてシロナが続ける。
「つまり、今あなたは四天王の親戚の出場を断ろうとしているわけ。私が一言キクノさんに告げ口すれば、どうなるかわかる? 規則を守るのと、こっちの要求を呑むのとどっちがお利口かしらねぇ?」
 あんたが規則を持ち出すのならこっちにはこれがあるのだ、どうだまいったか! とでも言いたげに、シロナはふふんと笑った。
 四天王、彼らがポケモンリーグに持つ影響力は大きい。つまるところ権力が彼らにはある。当然、一般の運営スタッフなど相手にならないだろう。
 チェックメイト、後はキングを取るだけ。ポケモンゲットで言うなら、影踏みか黒い眼差しで逃げられなくした上でマスターボールを投げるだけ、といったところだろうか。
 この一押しで受付にうんと言わせてやる。シロナはバン、とカウンターを叩いた。
「いいこと! わかったなら、とにかくアオバを出場させなさい!」
 受付はさすがに「うん」とまでは言わなかったものの、彼女の気迫に押され、それ以上言い返せなくなってしまった。
 いや、半分くらい呆れも入っていたかもしれない。お前、そこまでしてコイツを出場させたいのか! お前は一体何なんだ! とひきつった彼の顔に書いてあって、それを横目に見ていた青年はちょっとばかり苦笑いをした。
 そして、いつのまにか大声を聞きつけてやってきた受付の上司らしき人物が、ここはとりあえず受付して事後確認したほうがいいようなことを彼に助言した。
 かくして青年の、ミモリアオバの出場手続きは整ったのだった。


「次はポケモンよ」
 受付を済まし、パソコンの前に立ったシロナは続ける。
「まさかあなた、手持ちのポケモンまで落としたとは言わないわよね。とりあえずボックスを確認しましょう。仮パスワードも発行してもらったわ。正式な確認がとれるまでは試合後にすぐに戻す条件付だけどね」
 そうしてシロナは青年のボックスを開いてみる。画面が切り替わり、彼の所持ポケモンが標示される。彼女はほうっと一息をついた。
「居た……。カードみたいにどこかに落としたってことはなかったみたい。安心したわ」
 パソコン画面を覗き込みながら、マウスを左右に忙しく動かしていく。
「予選で使用できるポケモンは三体よ。グループ中でとにかく試合をしまくって、勝ち点の多い者から抜けて行くトリプルビート方式。ポケモンは私が適当に見繕うわよ。いいわね?」
「ええ、いいですけど……いや、お任せします」
 青年は戸惑い気味に答えた。しかし、何も思い出せない今、彼は自分のことを一番知っているらしい彼女にすべてを委ねるしか選択肢がなかった。パソコン画面を真剣な眼差しで見つめるシロナを、横目にちらちらと、やや不安げに観察する。
 やはり、彼女はどうあっても自分を出場させるつもりらしかった。彼女をそこまで駆り立てるものは一体なんなのか、青年はそんなことを考える。
 やがてパソコンの隣に併設された転送装置、そこに三つの機械球が転送されてきた。シロナはそれを取り出すと、青年に手渡す。
「さあ、投げてみて。何かやったら思い出すかもしれないわ」
 青年は言われるがまま三つのボールを投げる。ボールは赤い光を放ち、光はポケモンのシルエットを形成する。光が消えると同時にポケモン達が姿を現した。
 出てきたのは四足の黄色い獣型ポケモン、そして赤色のメタリックな虫ポケモン、そして、紺色の怪獣のようなポケモンの三匹だった。その中でも一際大きい怪獣型は、頭の左右に妙な形の突起をつけており、腕と背中には飛行機の翼のようなヒレを生やしていた。
 すぐさま黄色と紺色が、青年に近づいてきて取り囲むと、身体全体を観察するようにフンフンと匂いを嗅いだ。赤色は出てきた場所に立ったまま、何やらするどい眼でことの成り行きを観察している。
 次の瞬間、青年の悲鳴が響き渡った。寄ってきた二匹のうち、紺色のほうが青年を押さえつけた。すぐさま彼の頭に大きな口をセットすると、カジカジと甘噛みしはじめたのだ。
「…………いででででっ!!!」
 激しく動揺する青年。だが、一本しかない爪ががっしりと捕らえて離さない。
「ちょ、なんなんだよ、このガブリアス!」
 青年のそんな台詞も紺色はお構いなしだ。青年と対面できたことがよほど嬉しいのか、頭にかぶりつきながらも、魚の尾ビレのような尻尾を激しく上下に振っている。
「あ、ヤメ……いだい、いたいって……っ!」
 青年は懸命に自分の頭から牙を引き離そうともがく。が、ドラゴンポケモンに力で敵うはずもなく、それはむなしい抵抗に終わった。その様子を見ていたシロナは腹を抱えて爆笑する。
「どう!? 何か思い出した?」
 などと聞いてくる始末だった。
「何も思い出さないよ! それよりこいつをどうにかしてくれ!」
 と、青年は訴えたが、彼女は「愛情表現よ」と、まったく相手にしなかった。むしろ、その様子を見て楽しんでいるフシがあった。
 シロナは気が付いていなかったが、青年には、その様子を目にした赤色の虫ポケモン、ハッサムの眼がふっと優しくなったように見えた。さっきまでずいぶん警戒しているように見えたのに。そして、今の今まで探るように匂いを嗅いでいたサンダースも、急に安心したように足に顔を擦り寄らせてきた。
 こいつら、急に懐いてきたなぁ。さっきまでのは一体、なんだったのだろう? ガブリアスに頭をかじられながら、青年は疑問に思った。
「ガブちゃんのその癖、去年から変わってないのね。それにしても久しぶりに会ったみたいに興奮しちゃって!」
 そう言ってシロナはまた笑う。頭にかぶりついたこのガブリアスは、ニックネームをガブリエルと言うのだと説明した。
 ガブリエルとは、さる宗教の教典の中に登場し、聖女に受胎告知をする天使らしいが、響きがそれっぽいからという安易な理由でアオバがそこから命名したのだと彼女は言う。実際、こんないかつい顔のポケモンが「あなたは神様の子を授かりましたよ」と、庭先に現れたら聖女が悲鳴を上げて飛び上がってしまうだろう。「おまえは魔王の子を孕んだんだぜ。グヒヒヒヒ」と説明したほうが納得していただけるに違いない。
 そして、魔王の使いガブリエルが行為に満足し始めた頃、シロナは一転、まじめな顔になって彼のポケモン達に
「いいことあなた達、今、ご主人様は人生最大のピンチを迎えているわ」
 と、切り出した。
「ご主人様はね、大事な試合の前だって言うのに自分が誰で、何しにきたのか忘れてしまったのですって。困ったことにあなた達のことも忘れちゃっているし、バトルのやりかたも忘れちゃってる。だから、ご主人様の指示がなくてもあなた達が判断して、戦って、勝たなくちゃいけないの」
 青年はガブリエルの爪に捕まったまま、参ったなという感じで、ぽりぽりと頭を掻いた。
 サンダースとハッサムが互いに目配せして、不安げな表情を浮かべる。青年の頭に夢中だったガブリエルは、あまり状況が飲み込めていないらしく、首を傾げた。
 そんな彼のポケモン達の表情を読み取ったシロナは、
「大丈夫、いつもやっていたようにやればいいのよ。あなたたちならできるわ」
 などと助言した。そして、
「必ずよ。必ずアオバを決勝トーナメントまで連れて行ってね」
 と、付け加えたのだった。
 予選Aが佳境に入ろうとしていた。ある者は基準の勝ち点を取って早くも決勝トーナメントへの切符を手にしていた。またある者は残り少なくなった時間と懸命に戦っている。
 そう、彼にはちゃんと勝ち進んでもらわなくては。こんなところでつまずかせるわけにはいかない。本来の彼はこんなものじゃない。記憶が戻るまでの辛抱よ、とシロナは思った。
 予選Bの開始時間が一刻一刻と迫っていた。




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