彼女は冬のままでした。仲間たちは次々と春を迎え、色を変えていきます。それでも彼女は冬でした。ずっとずっと……冬でした。
ホドモエシティを少し北に進むと、そこには「シキジカの谷」があります。そこではたくさんのシキジカが、リーダーと呼ばれる一匹のシキジカを中心に、協力し合って生活していました。そして、春になるとシキジカは土色から桜色へと色を変え、その体毛の美しさで、その年のリーダーを決めます。 その中に一匹だけ、土色のシキジカがいました。彼女はシキジカの中でも有名で、一年中冬のままでいることから「永遠の冬」という異名をつけられていました。
「ねぇ、どうしてずっと冬のままでいるの?」 「知らないわ。私だってどうして自分の毛の色がずっと冬なのか……わからないの」 「ふぅん。まぁ、いいわ。あなたの隣にいると、私の毛の色が綺麗に見えるもの」
彼女はいつでも友だちの引き立て役でした。そのせいでしょう、毎年リーダーになるのは決まって彼女の友だちでした。
「いいなァお前のおトモダチは。お前の近くにいるだけで何回もリーダーになれるんだもんなァ?」 「あいつらだって、お前がずっと冬のままて、薄汚い土色だから近づいてきたのかもしれないぜ?」
彼女のことを悪く言う輩もいました。でも、それもしかたのないことだと、彼女はあきらめていました。彼らの言うことも、あながち間違っていないからです。
「毛の色が変わらないでいるなら、いっそずっと春の姿でいられたらよかったのに……」
その日の夜、彼女は一本の桜の木の下で泣いていました。彼女は、本当は知っていたのです。自分が他の仲間に嫌われ、悪口を言われていることも全部、知っていたのです。
「どうして私だけ……」 「……知りたい?」
急に後ろから声がしました。彼女はとっさに涙を拭うと声のするほうを見ました。そこにはひとりの少女が立っていました。綺麗な淡い桜色の髪の毛、真っ白なワンピース、その少女はポケモンである彼女からでも、とても美しく見えました。
「ねぇ、どうしてあなただけ冬のままなのか……知りたい?」
彼女は自分でも、どうして冬のままでいるのかわからずにいました。仲の浅い友だちに、どうやって毛の色を変えているのか聞いてみても、そんなの自然に変わると言われるだけでした。自分でも、なんとなく毛の色を変えようと頑張ってみたりもしました。それでも、彼女に春が来ることはありませんでした。
「知り……たい」 「じゃあ、教えてあげる」
少女は彼女をじっと見ました。覚悟はあるかと目で問うように、彼女の目を見つめました。彼女はそれには動じず、しっかりと前を向いていました。
「それは、本気で毛の色を変えようとしてないからよ」 「そんなこと……」 「ないって、本当に言える? 本気のつもりは本気じゃないの。あなたは本当の本気で春になりたいと思っていたの?」
彼女は少女の言葉に反論することができませんでした。よく考えてみれば、少女の言うとおりです。彼女は、本当の本気で春になろうとしたことが、一度もありませんでした。努力する前にあきらめて、私だけ不幸な思いをしていると思い込んでいたのです。
「空気の流れを感じなさい。桜がひらひら舞い散る動きを、じっと見つめるの。あなたは毛の色を変えることを覚えずに生まれてきた。だから、少し努力が必要なのよ」
そう言うと、少女はくるりと背を向けて歩きはじめました。
「他の季節のことは、他の季節が教えてくれるわ。きっと」
少女は足音をたてて歩きました。ゆっくりと、でも確実に。
「空気の流れを……感じる」
彼女はその夜、ひたすら桜の花びらを見つめました。花びらが暗闇に溶け、自分の姿さえ見えなくなっても、彼女は目を閉じて空気の流れを感じ続けました。そう、本当の本気で。
朝がきました。彼女は一晩中、空気の流れを感じていました。閉じていた瞳をゆっくりと開けると、綺麗な朝焼けが見えました。そして、朝焼けに照らされた自分の土色の体が、少しずつ、少しずつ、桜色に輝いていくのを見ました。ずっと眠っていた春の毛は、それはそれは美しく、少女の髪の毛のように艶やかでした。
そのときでした。少女の足音が、だんだん遠のいていくのを聞きました。そのゆったりとした時の歩みを……彼女は確かに聞いたのです。
彼女に、大分遅い春が来ました。もうすでに葉桜になってしまった春の木が、もうすぐやってくる初夏を告げていました。
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