マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
このフォームからは投稿できません。
name
e-mail
url
subject
comment

[新規順タイトル表示] [ツリー表示] [新着順記事] [留意事項] [ワード検索] [過去ログ] [管理用]

  [No.416] 呪われし宝石 投稿者:teko   投稿日:2011/05/10(Tue) 02:24:36   58clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 夜。闇。男と女。彼。眼。金。名誉。宝石。洞窟。――ヤミラミ。

 気づけばあっという間に深夜三時を過ぎていた。皿洗いを終え、カウンターを拭き終えたので今日の仕事はお終い。ちゃっちゃと寝支度を調えて奥の部屋へ――なんて考えは浮かばなかった。数年前の自分のことで精一杯だった頃のあたしなら疲労のおかげでそうせざるを得なかっただろうけど、今は違う。ようやく、この仕事を続ける決心が出来たし、手馴れてしまえば何てことはない。着物を着ることだってとっくに慣れてしまった。そう、それに今は前と違って彼が来る。あたしは背の高い椅子に腰掛けて、流行のジャズと少しのアルコールを賞玩しながら静かに扉のベルの音が鳴る時を待つのだ。

「麻子、酒を」
 薄汚れた出で立ち。長身痩躯。髭は毎日整えているらしく伸びてはいない。いいかげんに切られたと思われる少し長めの黒髪が半分ほど眼を隠していた。
 カウンターに座った彼の前には一枚の札と少しの硬貨。恐らく彼が今日稼いだ金の全てなのだろう。あたしは適当に酒を選び彼の前に出してやった。一瞬、彼の三白眼が物言いたげにあたしを見つめるがすぐに目の前に出された液体を喉の奥へ流し込んだ。
「それであんた、職は探してるのかい?」
「いや、それよりもいい話を聞いた」
 あたしは思わずため息をついた。戦争が終わり、ここ数年で社会は大きく変わろうとしている。裏世界で生きてきた彼にもその影響は大きく、昔ながらの暗殺や誘拐、物取りで生計が立てていけるほど簡単な社会ではなくなってきたのだ。結果、彼はスリで命をつなぎ、職を探さず怪しげな話ばかりに手を出すようになった。
「今度はどんな『いい話』なんです?」
 前の『いい話』は湖に潜む朱色のギャラドスだった。捕まえれば金が入ると言っていたが見つからず。信憑性に欠ける噂話はそう簡単に実現するものではない。何とかというポケモンの葉の部分は万能薬になるだの、あそこの洞窟には恐ろしい古代のポケモンの化石が埋まっているだのたくさんの話を聞いてきたが、どの話も最後は、なかったか嘘だった、のどちらかだった。
「聞いて驚くなよ……巨大な宝石だ」
「宝石」
「ヤミラミというポケモンの眼は普通の宝石の何十倍も大きく美しいらしい。そして、未だ誰もヤミラミの眼を手にしていない……つまり、俺がそれを手に入れることが出来れば俺は一躍有名人となり、その宝石は莫大な金額で売れるに違いないってことだ」
 話し終わると彼は珍しく笑い声を漏らした。毎度毎度、彼のことを見ているあたしはそんな彼の浮かれっぷりにあきれ返ってしまった。普段、無口な彼がここまで饒舌に話すなんて、と驚きもしたが。
 さて、彼の頭を冷やすための反論タイムに入ろうか。
「どうやって、ヤミラミから眼を取るんです?」
「ナイフ」
 彼が懐から小さなナイフを出して見せた。よく手入れされた刃には一つもこぼれは見えない。しかし、木製で出来た柄の部分は何らかの液体によって茶色く変色していた。
「最も簡単で、効率的な方法だろう」
 彼は肩をすくめて笑って見せた。
 ナイフで簡単に抉れるものなのかしら、と思考をめぐらせてみたがあたしはヤミラミというポケモン自体知らないし見たこともない。眼が宝石と言われても想像すらできない。大体、宝石すら近くで見たことがなかった。
「ものすごい大きくて、ものすごく凶暴だったら?もし、猛毒を持っていたら?もし」
「そう、質問ばかりするな。……そうだな――」
 このぐらいの大きさ。と彼は縦に両手を広げた。二尺よりも少し短いくらい。結構小さい。
「――で、闇色の体をしていてぱっと見は猫背の人みたいだな。二本足で歩き、鋭い爪を持ってる」
「それは本当にポケモン?人じゃなくて?」
 闇色の体、猫背の小さい人。うーん、気持ち悪い。
「……人じゃねぇんだ。何つーか、頭が大きいんだ。で、耳が大きくて尖っている」
 ま、あれが耳なのかは分からん。と彼は付け足して杯を突き出した。なんとなく分かった気がする。とにかく変な奴。あたしは彼の杯に酒を注ぐ。水八割。思いっきり薄めてやった。受け取った彼は勢いよく飲み干して、またあたしをじろりと睨みつけた。恐ろしい眼。そんな彼の視線を受け流して話を続けた。
「どこにいるの?まさか、幻のとか希少なとかじゃないでしょうねぇ」
「ったりまえだ。俺が、この眼で、見てきてる。最近は毎日偵察に行ってる」
 小さくて、それほど珍しくもなく。それならば、何故――。
「どうしてだれもヤミラミの眼を手に入れたことがないの?」
 う、と。小さく呻いて彼は顔を伏せた。はん、やっぱり何か問題があるのね。どうも、こう順調に進む話だと思った。あたしは心の中で笑ってやったが、どこかほっと安堵した。安堵した理由は自分にも分からない。けれど――。
「……ヤミラミの、眼が光るとき、それは魂を奪うとき。という言い伝えがある……だから、誰も怖がって手を出そうと、しねぇんだ」
「魂を奪うなんてそんな馬鹿らしい噂を……」
 彼はそう言ってまた杯を前に突き出した。水四割。先程と同じように飲み干した彼の頭はだんだんと下がっていき、ついには寝息をたて眠ってしまった。弱いくせに飲みたがり、弱いくせに強がりたがる。
「馬鹿みたい」
 照明を落とす。
「本当に」
 彼の背中に毛布をかけた。
「この人は」
 もはや何も考えるまい。これはあたしがあたしに言い聞かせている。言い聞かせているのだ。言っている通りなのだ。本当にこの人は――。
「馬鹿だ」


――――――


 目が覚めた。重い頭を持ち上げる。背中を伸ばして伸びをすると何かが俺の背中から落ちた。毛布。余計な気遣いをする女だ。全く――
「――険しい顔」
 すぐ後ろできっちりと化粧をした女が笑う。
「ずっと起きてたのか」
「いーえ、さっき起きたばっかり」
 いい目覚めだわ、と奴は呟いたが俺はとっくに感づいている。その化粧はそれを隠しきれてはいない。いや、隠しきれていないわけではないが隠しすぎて逆に目立ってしまっていた。充血した眼。細く切れ長の瞳の端にじわりと涙がたまった。あくびを我慢しやがったな今。
「ねぇ、たくさんお金を手に入れたらそれで何をするの?」
「使うさ」
「何に?」
 そりゃ、お前――と言いかけて口ごもる。言う必要のないことだ、このことは。外では鳥の鳴く声が聞こえた。夜も明けかけている。
「そろそろ行く」
「そう」
 盛大に扉につけられたベルを鳴らし、朝空の下へ。明るさを帯びてきた空には布を広げたように薄い雲が広がっていた。こんな朝だから俺みたいな人間でも清々しいと感じた。口笛でも吹いて笑いたいところだがそれが出来るほど俺はまともな人間じゃない。目立つことをすればすぐに巡査のねーちゃんが来るような格好だから。あー、もうわざと捕まって取調室での禁じられた恋なんて……ふっふふふ。……まー、どーせ無理なんだが。その代わり、胸のポケットから歪曲した煙草と銀色に光る重厚なライターを取り出し、銜えて火をつけた。煙草は全然美味くない。ただ、有害物質を摂取するだけ。酒も嫌いだ。あんなもの飲んだってちっともいい気分になることなんてない。飲んだ後に残るのは鈍い頭痛だけだ。
 今の不安定な自分。毎日、確実なのは二つだけ。煙草、酒、煙草、酒――。
「……変わらんとな」
 今の自分を変えることができるのは社会でも仕事でもない。自分を変えることができるのは金しかない。金を手にしてせめて人並みの生活をして――しかし、その前にまず、
「奴に――借りを返さんと、な……」
 俺があいつにかけた負担は少ないものではないはずだ。金もない男にも酒を出してくれたあいつに恩を返したい。そのためにはヤミラミの眼が必要だ。彼らの眼を奪わなければ。たとえ、どんなに恐ろしい噂話があってもどんな魂を奪われようとも。
 俺は朝陽を背中にうけ、街の外へと足を向けた。

 人はいないか?番犬は?周囲を警戒し鉱山の中へと忍び込む。奥に進めば進むほどひやりとした空気が頬を撫でる。天井からぶら下がる蝙蝠を刺激しないようランタンの光は最小限。砂利を鳴らすな、息を止めろ。この先にはアレが――いた。
 何でできてるのか分からない身体だが手の先についている爪はまるで角砂糖を砕くかのように岩壁を削っている。中から現れた拳より少し大きい石を見つけたそいつは嬉しそうに石にかじりついた。石を砕く音。どんな強度の歯を持っていやがんだ、あいつは。
 さて、あれからどういう風にしたら眼を奪えるだろうか。先ほどはナイフと粋がってみたが本当はどうしたらいいか全く見当もつかない。まず正体が分からない。強いのか弱いのか。速いのか、遅いのか。音は聞こえるのか、嗅覚はあるのか。
 一番気になること。それは前にあいつのうえに石が落ちてきたとき石はあいつの身体をすり抜けて地面に落ちたことだった。
 一部のポケモンは単なる物体や格闘技などによる衝撃を全く受けない。それは自分の身体を透明にして受け流すのだ――まるで幽霊のように。まぁ、そういうポケモンはゴーストという分類で一まとめにされているが数は少ない。まだ詳しくは分かっていないんだろう。これは図書館で簡単に得た知識ではあるが。
 ヤミラミはその中には入っていなかったが、全てのポケモンが載っているといわれる図鑑にすら載っていなかった。他の本を読み漁れば載っていないわけではないが、大抵三行。『鉱山に住む・鋭い爪を持ち石を食べる・宝石の眼が光るとき魂を奪われる』
 つまり、俺の勘ではヤミラミはもしかするとゴーストなのかもしれないということ。となると、ナイフは通用しなさそうだし網で捕まえるとかもできないだろう。うーん。
 もう一度じっくりとヤミラミを見る。石を食い終わり、立ち上がって歩き出して――が、うあ。
 凍りついた。
 振り向いたそいつは無機質なその眼で俺をじっと見ていた。早く目をそらせ、逃げろと心の中で叫ぶ自分。しかし、身体が動かない――?声を出そうと息を吸い込んでも、かすれた息しか漏れず、あぁ、もう俺は――。
 ヤミラミの眼が怪しく鈍く光る。俺の記憶はそこで途切れた――。


―――――


 
「強く願えば願うほど願いは叶うものなのかしら……」
 箒を動かす手を止めて声のするほうに顔を向ける。店の前を走る子供たちは皆一様に同じ歌を歌い短冊のついた笹を振り回していた。あと、何日かで七夕だななんて思ったのは随分と久しぶりのことだった。
 輝く川に間を阻まれた織姫と彦星、その二人をつなぐシラサギ。一年に一度だけ会うことを許された二人。けれど、その日に雨が降れば川の水かさは増し二人は会うことが出来ない。そんな雨の日、二人は涙の雨を降らす。それは夜空で紡がれる愛のストーリー。
 と、そこまで思い出してため息を一つ。ここ数ヶ月、彼は姿を現さなくなった。ヤミラミの宝石をの話したあの日から。今は何をしているのだろう。どこにいるのだろう。あ、もう魂をヤミラミに魂を奪われてしまった……なんて。いや、魂を奪う打なんてそんな馬鹿らしい噂話を信じるのが馬鹿らしい。どうせ、そこらへんでへらへらしてるし、近々ひょっこり帰ってくるはず――でも
「おねーちゃん」
「え、あ、こんにちは、美雪ちゃん。綺麗な飾りね」
 自分がぼーっとしてたことに気づいた。目の前の彼女は少し不思議そうに顔をしかめたが、飾りをほめられるととても自慢そうに笑った。美雪ちゃんは小学二年生の元気な女の子で、こんなあたしでもおねーちゃんと呼んでくれるとってもいい子だ。彼女もまた色とりどりの飾りがついた笹を持っていた。
「おねーちゃんはもう、七夕様の笹作った?」
「え、えーとまだね」
 七夕様、ねぇ。ちょっと違う気がするが、真剣な表情の彼女を前にしては違うとは言えなかった。
「これね、二個ついてるの。おねーちゃん、まだお願いしてないんでしょ? じゃあ、これあげる」
 よく見ると彼女の笹は根元の近くから二股にわかれていた。彼女は小さな手で一生懸命それを二つに裂いて、その内の一つをあたしに差し出した。いいの? と聞くと彼女は元気よく頷いた。
「……ありがとう」
 じゃあね、と走って行く彼女の背中を見送って、手の中にある小さな笹を見る。まだ、触るとべたつく飾り物と何も書かれていない短冊。きっと小さな手で頑張って作ったのだろう。彼女からもらったこの短冊に願い事を書けば何でも叶う気がした。
「でも……書けるわけがない」
 見られたら恥ずかしいような、誤解されそうな、『彼に来てほしい』なんて書けるわけがない。あたしはもう一度ため息をついた。
 間を阻まれた男女。彼はあたしを求めていないかもしれないけれど……この場合の天の川となるものは
「ヤミラミ……?」
 だとすれば、この場合のシラサギは何だろう。あたしと彼の間をつなぐものはあるのだろうか。


 深夜。静まり返った部屋の中、外から騒々しい音が聞こえてあたしは顔を上げた。ガラスの割れる音、ベールの倒れる音、そして――この部屋の入り口のドアに釣り下がるベルの鳴る音。
「……!」
 随分と前に見た格好よりもまた一段とみずぼらしい格好で、一段と痩せた彼は部屋に入ってくるなりいきなり倒れこんだ。慌てて駆け寄って、身体を起こしてやると彼の服の隙間からは輝く砂粒が床へと落ちた。この砂粒は、そこらの公園の砂じゃない。街から少し離れたところにある砂漠の砂だ。昔は数知れないほどの行方不明者の出た砂漠。今は一応の道が出来て歩いてだと六時間くらいで超えられるらしいけれども……死にたくなければあの砂漠にはそう簡単に足を踏み入れるな。この街に来たばかりのあたしにそう言ったのは街の人たちであり、彼であった。
「……さ、砂漠の向こうの鉱山に玉の目を持つ闇あり、人の魂喰らいたり……」
 息絶え絶えに彼は呟くと、苦しそうに呻きながらも身体を起こした。意味が分からない……。彼の言っていることが分からない。砂漠の向こう……。
「あなたいつから、ヤミラミを……!」
「一年前くらいか」
 思わず言葉が出なかった。そのとき、彼はまだ毎日あたしの所に来ていた。けれども、毎日ヤミラミを偵察しにいっていたというあの言葉が事実ならば、彼は砂漠の向こうとこっちを一日で往復していたと言うことになる。片道六時間かかる道、それも風の吹き荒れる砂漠の道を、一日で一往復だなんて。
「どうして」
「どうでもいいだろ、そんなことは」
「……」
 どこかが違う。どこかが前の彼と違う。彼が帰ってきてくれたことはとても嬉しいのに、なぜかあたしの中の妙な違和感がその嬉しさをかき消してしまっている。
 そしてまた、何か危険な感じがした。何だろう。落ち着かない。今すぐにここから逃げ出したくなるような恐怖感。彼が怖い。あたしは彼に殺されるのではないかとも思って、ふと気づいた。
 彼が怖いのではない。彼の中に巣食っている寄生虫のような何かだ。それが彼を変えて、狂わせているに違いない。
 とにかく、彼を刺激してはいけない。前のように、いつものあたしであれ。
「今日はいいお酒があるのよ、飲む?」
「いらない」
「そ、そう。砂漠を越えてきたんなら喉渇いたでしょう。水を」
「いらないって言ってるだろ」
 声を荒げる彼は顔を伏せたまま。あたしのことを睨みつけもしなかった。
「……これ、見ろよ」
 悲鳴を上げそうになった。震える手を押さえ込んで、彼が懐から取り出した物を見る。それは見慣れた物、彼がいつも大切にしていたナイフ。けれど、以前とは違い銀色の刃は欠け、代わりにたくさんの札のようなものが貼り付けられていた。
「この前、神社に行って幽霊にも刃が効くように貼り付けてもらったんだ……これで、俺はヤミラミの目を手に入れることが出来る、ついに!」
「そ、そう」
「だけど、あの神社の巫女はー……俺に何かが憑いてるとか言いやがって塩投げてきて……本当に腹がたつ」
 やはり。何かが憑いてるのかは知らないが、彼は変わってしまっている。狂ってしまっている。
「けれど、これでとうとうヤミラミの眼を手に入れることが出来る……あの眼をついに」
「魂を奪うとか言う噂はどうなったの」
「あんなの嘘に決まってるだろ。実際、奪われなかったんだぞ」
 彼の言葉に適当に相槌を打つ傍らで包丁の柄から手を離さず、時は経った。彼はヤミラミの話ばかりを続け、それは単なる独り言のようにも聞こえた。

 気づけば寝ていたらしい。前は普通に徹夜することができたのだが、徹夜も毎日続けないことには出来なくなるものらしい。
 すっかり陽は昇っていた。彼はもういなかった。昨夜のおかしな彼が少しでも前の彼に戻ってくれたなら良かったのにと残念な気持ちと、行ってしまったという悲しい気持ち。彼と会えたのはもしかしたら昨夜が最後だったのかも……いや、そんなことは……。
「ん……?」
 昨夜、彼が座っていたカウンターの下に一枚の紙切れが落ちていた。縦に細長い紙で上の方に開いた穴に紐が通してある。美雪ちゃんからもらった笹についていた白紙の短冊だ。
『ヤミラミの眼を手に入れる』
 黒く滲んだ文字。あたしは思わず笑ってしまった。これは願いじゃない。目標?
「馬鹿だわ……裏にも」
 裏に書かれていたのは、ぐしゃぐしゃと塗り潰された何か。書いた後に消したのだろうか。文字はほとんど塗りつぶされてしまって何と書いてあったのかは分からない。けれど、上の部分だけは微かに読み取れる。
「……『麻子』」
 ようやく彼は彼だったことに気づいた。いくらおかしくても狂ってても彼は彼なのだ。だから、あたしが短冊に願いを書いていれば彼はその願いをきいてくれたかもしれなかった。なのに、私は変な意地を張り……。馬鹿はあたしだ。あたしが馬鹿だったんだ。
 きっと、彼の性格からして今日何かをする。だから、あたしの所に来た。
 彼の書いた短冊を握り締める。魂を奪われるだのなんだの知らない。もう一度彼に会ってやる。この短冊に書かれたことを彼に問い詰めるまでは、あたしの前から彼を去らせはしない。


―――――――


 旅人は砂漠を行く。所々で蟻地獄が渦巻き、唯一の植物は走り回り、小さなやじろべえはくるくるとまわっていた。灼熱の風が砂を巻き上げ旅人の行く手を阻む。
「今、ここで君に『すなあらし』を使ってもらったらどうなるだろう」
 どうなるかなぁ、と少し考えた様子のドータクンを見て私は少し笑った。砂嵐が酷くなる? それとも、他の何かになる? 答えは決まっている。
「変わらないよ、全く」
 ゴーグルに当たった砂粒がぱちぱちと音をたてる。金属の身体が熱くならないように、大きな麻袋をかぶったドータクンの姿はなんだかおかしい。まるで、麻袋だけがふわふわと浮いているように見える。
 地面を注意深く観察し、埋もれかかった杭を目印に歩いていかないと、道を外れてしまう。道を外れてしまえば……そうだな、最悪の事態が口を開けて待ち構えていると思っていたほうがいい。
 しかし、幸いにも砂漠の住人であるヤジロン達が私達に手を貸してくれた。恐らく、私のドータクンと砂漠のヤジロンとで何か通じるものがあるのだろう。彼らは等間隔で並び、一様に同じ方向へ傾いた。彼らの傾く方向が恐らく私たちの目標としている場所……次の町であるといいのだが。
 足を半分砂に埋めながら砂丘を登ると、雲一つない青空の下、一人の男がこちらへ向かってきているのが見えた。ドータクンを少し道の脇によらせ、私は足を止めた。
「あと、どれくらいで向こうにつきます?」
「……四時間くらいだ」
 男はゴーグルの向こうからきつい視線で私とドータクンをねめつけて、口を開いた。
「お前、この砂漠の向こうの街で何をした」 
「何にも。泊まって、買い物をしたくらいですかね」
「……そうか」
 男はそう言い、再び歩き始める。私はそんな彼の背中を見送るのがもったいないような気がして呼び止めた。あなたに聞きたいことがある、と。
「ヤミラミの眼を手に入れようとしているのはあなたですか」
「……」
 街で聞いた噂。ヤミラミの眼を手に入れようとしている男がいる。
「そんなことはやめておけとでも言うつもりか」
「いいえ、私はあなたに聞きたいのです。なぜ、ヤミラミの眼を手に入れようとするのか、を」
 砂漠の風が吹き荒れる。彼の答えは、なかった。

 考えるな、今は考えるな。ナイフの柄を強く握りしめる。そう、このナイフでアレの眼を抉り取る今日こそずっと待ちわびたはずだ。昨日も一週間前も一ヶ月前も今日が来るのが楽しみでわくわくとしていたはずなのに、なぜ今躊躇っている?
 鉱山内の道は全て覚えた。光を使わなくてもある程度周囲が分かるように感覚も磨いた。ナイフの使い方は今までよりも更に熱心にやったし、宝石の扱い方も心得た。当然、ナイフには札を貼った。
 不備などないはずだ。ならば、なぜ――。そうだ、なぜなんだよ。
『いいえ、私はあなたに聞きたいのです。なぜ、ヤミラミの眼を手に入れようとするのか、を』
 俺は、分からなかった。なぜ、俺がヤミラミの眼を手に入れたいのか自分でも分からない。宝石としての価値を求めてるわけでもない。金だって……ここ最近分かってきた。普通に仕事すれば普通に食っていける金が入る。俺は贅沢をしたいわけでもないし、見つけたという栄誉がほしいわけでもない。
 なら、なぜ俺はヤミラミの眼を欲するのだろう。最初は何かのためにヤミラミの眼を手に入れるはずだったのが、今ではどうしてか、ヤミラミの眼がただひたすらに意味もなく欲しい。ヤミラミの眼のことしか考えられないほど、ただ欲しかった。
「そう、だから俺は躊躇わずさっさと奪ってしまえばいいんだ」
 何度も何度も自分に繰り返し言い聞かせる。深呼吸を数回して――。
 ナイフを逆手に持ち直して、俺は一気に駆け出す。目の前のヤミラミに向かって。


―――――


「離してください! 離して!」
「落ち着いてください」
 砂漠のオアシス――泉はないけれど砂嵐から身体を守る簡素な小屋だけがある場所。
 砂嵐の吹き荒れる砂漠を必死に歩いて、彼に追いつこうとしていた。けれど、この男が――小屋の屋根の下で休んでいたこの男があたしの足を止めようとするのだ。あたしはぜぇぜぇと息をしながら、目の前の男をねめつける。落ち着きましたか。穏やかな表情で男は言う。波一つ無い、穏やかな湖のような目があたしを見つめていた。そうだ、眼だ。彼は、彼は――!
「彼が、彼ごほっごほっ……」
 喉に砂が入り、むせ込む。しゃがみこみ、金色の砂の上に手をつく。
「『ヤミラミの眼』ですか……」
「どうして、それを……あなた、彼を! 彼は! 彼はこの先にいるの? ねぇ!」
 男の着物の襟首を掴み、あたしは言った。男は小さな声で何かを呟く。その瞬間、傍らに置いてあった麻袋がふわりと浮き上がり、中から金属の何かが現れ――
「――しかたがありませんね」
 男が、哀れむような目で私を見た。穏やかな瞳。あぁ、昔の彼は、こんな目をしていたのに。どうして――
「ドータクン――テレポート」


 はやく行きなさい。男は言った。彼がまだ彼であるうちに、はやく行きなさい、と。
 砂漠の向こうの街にある、小さな鉱山。かつて宝石のあった鉱山。坑道に入ると、そこは暗く、蝙蝠が何処かでばたばたと騒ぐ。
 あたしは走った。髪がほつれるのも、何かもかも、気にせず、あたしは走った。彼の名を叫んだ。走り、叫び、走り、叫び、はし――


 ずる。


 そのとき、あたしの足に何かが絡みつき、思いっきり転ぶ。何かと思って払おうとすると、それは布であった。服か何かか。暗くて分からない。しかし、投げすてようとして、ふと気づく。
 この、匂いはいつもの彼のものである、と。
 これは彼がいつも着ていた外套。地面を這いづくばり、手を這わす。あった。ズボン。あった。シャツ。あった、あった――。
 そうして、探っていくとヵつんと金属のものに手が触れる。そして、それは温かく、熱を持っていた。火傷しないよう、身長にそれをさわり、何かを考える。あぁ、これはランタンだ。彼のランタンだ。どれくらいだっただろう。なんとか、スイッチを見つけ、灯りをともす。

 ぎょっとした。
 目の前に何かが立っていた。


 闇色の体、猫背で小さい――

「ヤ……ミラミ……?」


 それは、しばらくの間じっとあたしを見て――そして、何か薄汚い布袋のようなものを置き、去っていった。
 ヤミラミからの贈り物だろうか。ゆっくりとそれに近づく。――彼のリュックサック、だった。

 ひっくり返す。どざどさと中から出てきたのは、曲がった札と汚れた硬貨。
 大金とは言わない。だが、数年かは楽に暮らせるであろう額。最後に、出てきたのはまたも空の麻袋。恐らく、この金をまとめておいたものであろうそれは――。


『麻子に』


「――いらない」
 言葉が零れた。目頭が熱くなって涙も零れた。冷たくて暗い坑道に座り込み、あたしは自分で自分自身を抱きしめた。抱きしめて欲しかった。ただ傍にいてくれればよかった。お金なんか要らなかった。
 泣きながら、彼の名前を叫ぶ。坑道に響きわたり、どこまでも届くような気がした。けれど、何の返事もなかった。音一つしなかった。

 文字通り、彼はヤミラミの眼を手に入れたのだ。念願のヤミラミの眼を手に入れ、そして、もう二度と戻ってこない。もう二度と、戻ってはこれない。


- 関連一覧ツリー (★ をクリックするとツリー全体を一括表示します)

- 以下のフォームから自分の投稿記事を修正・削除することができます -
処理 記事No 削除キー