触発されまして。
ポケモンがいることによって科学的な発見や発明が前倒しされることはあったかも知れません。
一方であきはばら博士さんの指摘するように、それが実用化されて生活の役にたつようになった時期はそれほど早まらなかったと思います。
たとえば白熱電球の発明はエジソンがいなくてもできるのですが、その普及には工業化、近代化した社会を待たないといけないからです。
あちらの世界の技術史で注目すべきは、むしろポケモンそのものの利用ではないでしょうか。
現実の世界でも、前近代までさまざまな使役動物が利用されていました。
ウマやウシは移動や輸送の手段として、イヌは狩猟の供に、ブタやニワトリは食糧生産、ネコはかわいい……
あちらの世界ではどうでしょうか。なにやらそれ以上の広がりをみせているようです。
灯台にアカリちゃん、伐採にいあいぎり、陸路ばかりか海を空をのりまわして、用はなくともとにかくポケモンゲットだぜ。
クチバジムのマチス、彼には戦時中ポケモンに発電させて飛行機を飛ばしていたという設定があります。
ところが現実の軍用機の動力のほとんどは、レシプロエンジンやジェットエンジンといった熱機関なのです。(過去にロケットエンジンで飛ぶ変態もいましたけど)
ポケモンを動力に利用できたのは、マチスの機転というよりも、はじめからポケモンを発電機につかう電気飛行機が製造されていたからと考えたほうが自然です。
このように、スポーツや興行としてポケモンバトルがあるだけにしては、あの世界の住人のポケモンへの依存の深さには目をみはるものがあります。
あちらの世界においてポケモンというのは決してローテクではなくて、人々の生活を現役で支えている労働力、エネルギー資源なのかもしれません。
ではポケモンはいつ人間に使役されるようになったのでしょうか。
これはアスペクト刊ポケモン図鑑出典の設定「ポケモンは18世紀後半フランスで発見された」というのがヒントになるかもしれません。
それ以前の時代にポケモンを登場させられなくなってしまうばかりか、実在の動物に登場をおねがいしなくちゃいけなくなっちゃうので、けっこう無視されがちな設定なのですけど、とりあえずこのときポケモンが特別な生き物としてカテゴライズされたものと解釈することはできます。
すくなくとも、ボールにいれればポケットに入るからポケットモンスターというのは、明らかにモンスターボールの普及以後の呼称です。
生き物としてのポケモンの定義はさっぱり謎ではありますが、ポケモンのもつ特徴という意味では特殊な能力と類をみない従順さがそれでしょう。
「ポケモンが生き物だとしたら、これほど思いどおりになる生き物はない。子供にとっても、いや、大人にとっても『ポケモン』は理想的な生き物だと言える」(シナリオえーだば創作術143回、首藤剛志、http://www.style.fm/as/05_column/shudo143.shtml)……というのは文脈としてはメタ視点ですが、あちらの世界でも事実に近いのではと思います。
18世紀といえば産業革命がはじまったころです。近代のおとずれです。世界史です。
あちらの世界では近代社会においてもポケモンの使役は不可欠なようでした。
それならばこのとき、あちらの世界には現実とは別の近代という時代が訪れたのではないでしょうか。
たとえば、こうした時代に新種の生物(ポケモン)が現実の蒸気機関に代用されて工業化に寄与した、とか……。
ちなみにこの発想をもとに、近代の象徴としてのポケモン=カロリーエンジンと、土着信仰の中で解釈されるポケモン=精霊との接触を描こうとしたのが、拙作『精霊信仰とカロリーエンジン』です。http://masapoke.sakura.ne.jp/lesson2/wforum.cgi?no=3314&reno= ..... de=msgview
あきはばら博士さんは、ターニングポイントとしてラジオの普及を提案していらっしゃいます。
電信、電話、無線、映像技術など、メディアの発達はたしかに近代化を象徴するできごとの一つです。
メディアの発達と社会のかかわりは『メディア文化論』って本が参考になるかもしれません。http://www.amazon.co.jp/dp/4641121907
ところがあちらの世界では、メディアの歴史もまたポケモンとは無関係ではありません。
現実の世界のメディアは情報を伝達するだけですが、あちらの世界のそれはポケモンや物質まで転送してしまうからです。
合体(バースト)しちゃったとかいってる場合じゃありませんよマサキさん。
『鳥居の向こう』はポケモン世界の民俗をテーマにしていますから、過去にポケモンを信仰していた風俗が描かれたりしています。
そうした世界観の中では、かつては信仰の対象であったポケモンを使役して生活に役立てるようになったという変化、トレーナーという職業の出現そのものが、自然を征服した人類、あるいは近代化を象徴するできごとなのではないでしょうか。