マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  [No.1060] 四、名前を呼ぶ声 投稿者:サン   投稿日:2012/11/01(Thu) 16:48:28   66clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 モンスターボールが発明されたのは、とある実験中に偶然起きた不幸な事故がきっかけだという。だが、その偶然がなければ、今の人間とポケモンとの関係はあり得なかったのだろう。両者の距離はぐっと縮まって、人間は誰でもポケモンと心を通わすことができるようになり、ポケモンはいつでも人間の傍にいられるようになった。
 もちろん、いいことがある反面、悪いことだってある。ポケモンは、自分で主人を選べない。捕まえたのが悪い人間だったときは、自分の運勢を呪うしかないだろう。だが、それで終わりでは救いがない。人間に逃がす気がなくても、ポケモンがその気になれば、主人の元から去ることもできるそうだ。
 最も、モンスターボールにポケモンを縛る魔力があるのは間違いないが。
 だから、私は逃げられない。このボールはご主人のものだから。離れたくても、離れられないんだ。
 何の冗談だ。ご主人に会いたくて、ただそれだけなのに。そうするには、彼との絆を一度断ち切らなければならないなんて。そんなこと、できるわけがないじゃないか――!



「脱走? へえ、珍しいこともあるんだな。薬漬けがうまくいかなかったのか?」

「それが、餌をまともに食ってなかったみたいなんだ。簡易検査の結果だと栄養状態が悪くてさ」

「あー、それで見逃してたのか。格闘タイプは見た目じゃ体調分かりにくいからなあ。ちょっとくらい絶食しても平気なツラしてやがるし」

 誰かの声で目が覚めた。人間の声だ。
 目覚めの重苦しい意識は、それでも冷静に状況を把握しようと働いてくれた。
 背中に固くて冷たい感触。どうやら仰向けに寝かされていたらしい。
 ここはどこなのだろう。高い天井から吊り下げられた、何本もの白い管。すっと鼻を通る消毒液の匂い。壁の一部はガラス張りになっていて、その向こう側は白く曇ってよく見えない。
 すぐにポケモンセンターの治療室を連想したが、そんな日常的な場所でないことはよく分かっていた。
 なぜだろう。ものすごく嫌な予感がする。
 起き上がろうとして、身体に全く力が入らないことに気づく。手も、足も、首も、腕も、膝も、尾も、まるで全身が石になったみたいに動かない。
 一瞬身体が麻痺しているのかとも思ったが、感覚はあるようなので、単に痺れて動けないわけではないようだ。目は眩しいほど強烈な光を発する白熱灯や、黄色い点滅を繰り返す大きな機械の形をはっきりと映しているし、耳も、そもそも黒ずくめたちの話し声で目が覚めたので、ちゃんと機能しているのだろう。
 感覚の一つ一つが正常かどうかを確かめて、やはり身体だけは動かせないという結論に辿り着いた。明らかに普通の麻痺とは違う。どんなに動こうと思っても、神経が遮断されたようで、どうすることもできないのだ。それこそ、頭と身体をばっさり切り離されてしまったみたいに。

「筋弛緩剤は? ちゃんと入ったか?」

「もう十分だろ。じゃ、調教始めますか」

 黒ずくめたちの言っている意味はよく分からない。だが、黒ずくめの片方が手にしたものは、見覚えがあった。艶やかに光を反射する黒鉄のリング。あの子犬に着けられていた禍々しい口輪とそっくりだ。
 やめて。やめてよ。それだけは、嫌だ。
 どんなに心の中で叫んでも、それが本当の声になることはない。浅い呼吸をするので精いっぱいの喉は、微かな呻き声しか出してくれなくて。
 冷たい手が降りてくる。怪しく艶めく黒い手袋は、躊躇なく私の喉元を捕らえた。その手を振り払いたくても、大声で泣き叫びたくても、目に見えない力で押さえつけられた私は綿の詰まったぬいぐるみみたいに大人しくしていることしかできない。
 やがて、ガチャリ、という金属質な音がして、冷たい首輪がはめられた。凍りついたような感覚が首に張りついたその瞬間、思考が真っ黒になる。自由も、尊厳も、何もかも奪われて、もう二度とご主人の元へ帰れないのだと告げられたようだった。
 そして、呪わしい儀式が始まる。
 黒手袋が離れたのを皮切りに、首輪から強力な電撃が流れ出した。電流は激しい音を立てながら、瞬く間に全身を駆け巡る。機能を失った筋肉が好き放題に暴れまわり、焼けるような痛みが身体中を蝕んでいく。
 何度か遠退きかけた意識は、いっそ手放せてしまえば楽だというのに。黒ずくめたちの悪意が透けて見える。苦痛を与えるためだけに、気絶するかしないかの限界ギリギリまで調整された強烈な電圧。
 痛くて、苦しくて、辛くて、怖くて、悲しくて、悔しくて。永遠とも思える責め苦の中、辛うじて繋ぎ止められた意識の底で、私はずっと助けてと叫んでいた。届かないと分かっていても、くしゃくしゃで、途切れかけて、おぼろげに色あせた、あの日向のたんぽぽみたいな優しい笑顔に向かって必死になって手を伸ばし続けていた。何もかもぐちゃぐちゃに壊されていく中で、それでも、一秒でも長く私が私でいられるようにと。それが、身体の自由も心の自由も全部縛りつけられてしまった今の私にできる、悪意に対する最大限の抵抗だった。

『ユイキリ! なぜきみがここにいる!』

 上下感覚も、光の加減も、自分がどちらを向いてどんな格好でいるのかさえ分からなくなっていたにも関わらず、ふいに聞こえてきたその声は、妙にはっきりと頭に響いていた。聞き覚えのあるような、朗々とした声。
 一瞬何か閃きかけたような気がしたが、すぐに混沌とした思考の渦に消えてしまう。
 なぜ? なぜ、分からない。何も分からない。嫌だ、考えたくない。怖い、怖い、怖い――

『しっかりしなさい! 今、助ける』

 再び声が響いたとたん、ものすごい爆発とともにガラスの壁が派手な音を立てて飛び散った。無数の透明な破片は、ダイヤモンドダストのようにきらきらと光り輝きながら辺り一面に降り注ぐ。
 黒ずくめたちが驚き、それと同時に電流が止んだ。二人は我先にと扉へかじりつき、その向こうへと消えていく。
 割れたガラスの向こうから、もくもくと白い煙が溢れ出る。それは炎から立ち上るものとは違っていて、液体のような重みを持って床へ流れ広がった。
 開きっぱなしの瞳は、目の前で起きたことをしっかりと捉えていた。だが、目では見えていても、ぼろぼろに焼け焦げた頭の中はその状況をさっぱり呑み込めない。何一つ分からない、呆然とするしかない私を、無情な時は待ってくれない。
 滔々と湧き出る白い煙幕を突き破り、それは現れた。
 凍った竜。その姿を一言で表現するなら、まさにそれしかないだろう。
 銀の鱗で包まれた全身は、ところどころが冷たい氷で覆われていた。それは甲冑のように顔や、腕や、尾を取り巻いて、それぞれが冷気の渦を発している。凍った翼の先端には、鋭く透き通った氷柱のようなものが生えていた。だが、大きさからしても、長さからしても、一対の翼は明らかに左右非対称でバランスがおかしい。さらには身体の割にやたらと首が長い上、頭は重そうに垂れ下がり、もはや床すれすれだ。生物としての形状を大きく間違えているような身体つき。だが、不思議と歪さを感じない。その姿は一見異形のようであって、緻密に作り上げられた彫像のように荘厳でもあった。
 竜が歩くと、辺りの空気が一斉に張り詰めた。ぴしりぴしりと音を立て、床に、壁に、薄い氷の膜が広がっていく。冷気の渦が私の顔にも降りかかった。
 氷の竜は目の前までやってくると、おもむろに腕を振り上げて爪をカッと閃かせた。振り下ろされる凶器。私は息を飲んで身を固くした。しかし痛みはいつまで経ってもやってこない。その代わりというべきだろうか、気づけば首回りの冷たい感覚が消えている。首輪が、外れている――?
 いちいち鈍間な思考しか成さない頭に、再び声が滑り込む。

『大丈夫かユイキリ、一体何があった!?』

 なぜ、私の名前を知っているのだろう? 首を捻りかけて、ようやく合点がいった。
 この声、いつも夢の中で聞こえてくる声だ――
 何か返事をしようとしたが、うまく声が出せない。それを察してか、

『ああ、喋らなくていい。心の中で教えてくれ』

 彼は、そう言った。
 目の前にいるのは、そこにいるだけで辺り一帯を氷漬けにしてしまえるほど強大な力を持った相手。にもかかわらず、私は警戒心を無くしていた。もはや疑う力さえ残っていなかったというのもあるし、やはり声だけはよく知っている相手だったから。私は言われるまま、夢の中でよくやるように心の声で呼びかけた。

『逃げようと、したんです。でも、だめだった。あれのせいで――』

 逃げ出した黒ずくめたちが落としていったのだろう。
 モンスターボール。私とご主人を繋ぐもの。私をここに繋ぎ止めるもの。
 氷竜は、私の視線の先を見据えて重々しいため息をついた。

『……そういうことか。ずいぶんと非道な真似をするものだな。
 まあ、きみもなかなかの無茶をしたようだが』

 私は妙な感覚に陥っていた。夢の中の、それも声だけしかなかった存在が、今目の前にいて、親しげに語りかけてくることを、私は当然のこととして受け入れている。
 彼はその辺にいるような普通のポケモンではない。それはよく分かる。だが、私はその存在をあまりにも自然に受け入れ過ぎていて、本来恐れるべきところが麻痺しているようなのだ。
 それでも、これだけは聞いておかなければならない。

『あなたは、何者なんです? どうして私に話しかけてきてくれたんですか?』

『キュレム』

 短く言い放ち、竜は侘しげに笑った。

『連中に限らず、人間は私をそう呼んでいる。私もきみと同じ、ここに連れて来られたポケモンの一匹なのだよ』

 キュレムと名乗った氷竜は、簡潔に自身の身の上を話してくれた。全身から絶えず発せられる、自らをも凍らせてしまうほどの猛烈な冷気。それは言い換えれば、自分に近づく者全てを望む望まぬに関わらず氷漬けにしてしまう、呪われた力だ。彼は、それほどまでに強大な力を、気が遠くなるほど長い年月の間ずっと一匹で抱えていたのだという。だが、その力を黒ずくめたちに狙われ、捕えられてしまったそうだ。

『ジャイアントホールという場所を知っているか?』

 聞いたこともない場所だ。
 それを伝えると、キュレムは言った。

『私の住み処であった場所だ。山奥の、静かな場所でな。きみと同じ種族のポケモンも近くに暮らしていたよ』

 きっとキュレムにとって、私の存在は故郷を思い起こさせるものでもあったのだろう。
 きみにはつい色々と話し込んでしまった、彼は少しだけ照れ臭そうにそう言った。

『私は人間と共に旅をしたことがないからな。ユイキリ、きみの話はなかなか楽しませてもらっていた。優しい主人に巡り合えて良かったな』

『……はい。私も、そう思います』

 もう、そうやって頷くことに迷いはない。そんな私の心の変化を正確に読み取ったらしい。暗闇の中でずっと見守ってくれていた彼もまた、満足げに頷いた。
 不思議と穏やかな時間だった。傷が癒えたわけでも、脱出が叶ったわけでもないというのに。むしろ、危険な状況なのは変わらないのに。それでも、少しだけ許された緩やかな談話はほんの僅かな間にも思えたし、とてつもなく長い時間にも感じられた。
 でも、時は確実に流れていて。
 逃げて行った黒ずくめが仲間を呼んできたのだろうか。ばたばたと駆けつけてくるいくつもの足音が、温かな夢の終わりを告げていた。

『……ユイキリ。一つ頼まれてくれないか』

『何です?』

『あのとき、誰も守れなかった私に、もう一度機会をくれ』

 私はてっきり、脱出のための手筈を相談するものだと思っていた。だから、キュレムの言っている意味を理解できなかった。
 呆然とする私を待つことなく、彼は続ける。

『念のため言っておく。優しいきみのことだから、これから私がすることで、きみはきっとまた自分を責めてしまうだろう。だがこれは私の自分勝手な我が儘のようなものだ。きみが思い悩む必要は、何もない』

 意味が、分からない。キュレムは何を言って、何をしようとしているのだろう。

『どういう、ことです』

 やっとのことで聞き返しても返事はない。目の前の氷竜は、苦い笑みを浮かべるだけだ。
 鈍い思考を時は待たない。
 彼が大きく首を仰け反らせたその瞬間、猛烈な冷気が爆発した。細かな氷の粒が弾け飛び、床も、壁も、天井も、みるみる分厚く凍りつく。
 凍てつく風は動くことのできない私さえも抱き寄せた。鼻孔がびりびり痺れ、全身の体毛が霜に覆われていく。
 そんな中、私は見た。冷気の中心にいる氷竜が、決意を帯びた瞳で私を見下ろしているのを。その視線が揺れて、何かに止まる。氷屑まみれの小さな球体。微かに垣間見える、象徴的な赤と白の配色。
 それはとても懐かしくて、でも、切なくて、悲しいもの。大切だった。大事だった。たとえ今は私を縛る鎖となろうとも、彼との絆の象徴だったから。

『まさか――』

 竜の口から放たれた青白い光線が、一直線に球体を貫いた。目を開けていられないほどの目映い閃光。
 それでも、私は目が離せなかった。その身を包む氷の衣が剥がれ落ち、宙に弾け、ゆっくりと落下していく様を。やがてそれが床にぶち当たり、ひび割れて、粉々に砕け、破片の一つ一つがきらきらと輝きながら辺りに飛び散る瞬間を、ただただ絶句して、最後の一欠片が煌めきを残して散っていくまで、私は片時も目を離さずにその光景を見つめていた。

『――――っ!』

 まるで自分が傷つけられたようだった。もし声が出せたなら、間違いなく悲鳴を上げていただろう。
 痛かった。悲しかった。
 胸の奥底に大事に抱いていた何かを、無理矢理もぎ離されたようで。
 なぜ。どうして、こんなことを。
 そうやって問い詰めたい気持ちは、次の瞬間全て吹き飛んでしまった。
 本当に一瞬の出来事だった。衝撃の余韻に浸る間もなく、キュレムが激しい咆哮を轟かせたのだ。大気が裂けるほどのそれは次第に力を増して色を帯び、荒ぶる光の矢となって天に向かう。頂点へと達した光は大輪の花となり、真っ赤な花弁が放射状の帯を描きながら、盛大に火の粉を散らす。星々の群れは舞い踊り、大気を揺らし、爆発する。
 崩れた壁の向こうから光が優しい手を伸ばす。柔らかな、空の輝き。それは外の世界へと通じる道。
 キュレムの反乱を察知したらしい。黒ずくめの用意した仕掛けが全力で脱出を阻もうと動き出す。証明は白から赤へと変貌し、頭を貫くようなサイレンが狂おしく鳴り響く。天井からは、光を受けて毒々しい赤に染まったガスが勢いよく噴射され、蛇がうねるように部屋中を覆い尽くしていく。
 そんな中、咆哮は続く。冷気と熱線が入り混じるひどく歪んだ空間で、どこまでも力強い歌声のように。それは一匹の竜が奏でる命の旋律。荒々しくも美しい、華々しくも猛々しい、気高き調べ。
 そして、彼は言う。本当にいつもと同じ、腹の底から出すような力強い声で。

『ユイキリ、主人に会いに行け』

 まるでそれが己の望みであるかのように、荘厳な竜は朗々と言い放った。
 どうして。
 私が何かを思う間があったとすれば、それしかなかっただろう。
 壁の一か所にぽっかりと浮かぶ、虚ろな穴。流れ込んでくる鋭い風が乱暴に私をかき抱いて――私は、空中へと放り出された。


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