集いの中央都市、旅の宿屋・居室内。
音を立てて孵らんとしている保管器のタマゴ、ゆっくりな速度ながら話を切り出すジョッシュの順に、あたしは目線を変えながら彼の置かれている状況を受容しようとしていた。
事の経緯は、今から数十日前。あたしが旅立つよりも更に昔に遡る。
「此処から離れた、北北東の方角―― 漁村に近い場所にある、レンガ建ての孤児院。ボクは当初、あの施設で暮らしてた」
ジョッシュの言葉から、あたしはタウンマップを広げて彼の飛び出していた故郷の示す方位に指を当てようと試みる。
現在地から数十里と云える6倍程の長さから、あたしの出身地よりも遠く離れた地である事を知る事となる。
「荒々しいのと無縁な、子ども達のはしゃぎ声で溢れる素敵な所でね。四季の移ろいと共に自然も木々も、彩りを添えてく…… 今でも変わらず、思い入れのある第二の故郷なんだ」
第二の故郷…… 第一に生まれ育った家がある、と推察が出来る。
孤児院に彼が居を移す前に、何かが遭ったのだろう。あたしは唾を飲み込み、気になった事を挙げてみる。
「第、一の故郷は…… どうなってるの?」
「……廃屋になってそのまま。孤児院に預けられるよりも最初に、物心着いた時に覚えてたのは…… 両親の背中だけなの」
視線を横に逸らし、窓越しに雲の掛かった空を眺めながら、ジョッシュはあたしの質問に素直に答えた。
その声色は震える様に、でも唯一残っている思い出を振り返らすように。
「強奪犯達の手からボクを守る為に、孤児院に願いを託して置いてったのは…… 正直、複雑な気持ち。だけど、それ以前に」
前日、あたしに寂しそうな顔と共に少々拗ねていた訳と背景が明確になったのを飲み込みつつ、彼からの言葉を受け止める。
「玄関で怖い顔して突っ掛かってた、進化後のポケモン達を前にしても…… 決して怯まなかった。そんな、強くて尊敬できる両親を…… どうして、思い出せないんだろ……」
霞に、深い霧に覆われたような感じ。
自分でももどかしい感覚だよ、とジョッシュは眉を顰めながら言い切るに留めた。
ボクは、両親に会いたい。
身も心も、成長する上で、頼れる切っ掛けを作りたい。
役に立てなくて、ただ待ち惚けのままになるなんて…… そんなのはゴメンだから。
伺い知れるに、ジョッシュは幼くして、望まざる形で親から離されて生活していた経緯持ち。
その後旅に出るまでは、愛情を両親の代わりに孤児院の先生、友情と道徳の心を同じく預けられていた子供たちにより双方共に培われていた。
失われた記憶、大切な者がキーとなる。あたしは胸元に手を当てながら、相槌を返すのみだった。
「数日経ってから、院長――お師匠様から呼ばれて。ボクに、手紙とロケットを渡しながら話して下さったんだ。ボクの父さんと母さん、共に…… 生きている事を」
「御存命だったのね、ジョッシュくんの御父様達」
ふとあたしは目を丸くして聞き返す。記憶が薄れている中で、彼の両親が生きている事実が上げられた事。
当事者からしたら、瞬時に受け止められるものでは無い事も……。
お師匠様が云うにはね、とジョッシュは続ける。荷物バッグのポケットから、丸みを帯びた蓋付きの銀製ロケットを取り出しながら。
「“ジョッシュが望むのならば、親たちの許に向かっても良い。此処に留まって今の暮らしを維持し続けるも、選択肢の一つ”……」
当時の出来事が、まざまざと思い起こされる感覚を共有。彼に天秤代わりに差し出される、重要な選択。
お師匠様と慕う院長先生からの言葉―― 真顔ながら、ジョッシュが受け止めようとしていたのも、頷ける事だろう。
「“すぐには受け止められない事は理解している。だけど、アナタは捨てられてなんかいない。その事だけは、心の片隅に留めておいてくれ……” お師匠様、思い詰めた顔してそう言ってたっけ……」
最初こそ、半信半疑であった。
でも、渡されて今は手に持つその銀製のロケットには、不思議と馴染みがある。
ジョッシュの両親達が肌身離さず所持していた、と云う言葉もあれば、最早疑う余地も見当たらない。
元より、生みの親が定期的に会えないのには理由があるとして受け止めていたジョッシュだが…… 院長先生とのやり取りから、故郷の憧憬と親子の温もりを求めている節を再確認。
熟考した末に、ジョッシュは…… 自分の整えられる範囲で簡素に身支度を整え、危険から身を守られる形で預けられていた故郷を離れる事を決意したのだった。
母と父を訪ねて、数千里―― 例え当てが無くとも、目指す先には希望があると信じると決めている。その先を、見据える上で。
「前者を選んだ事は、今も後悔なんかしてないよ。旅立つ前は、見えていたあの孤児院の風景こそ自分の世界だって思ってた位だし……。井の中のニョロトノとはこの事を差すのかもね」
「ジョッシュくん……」
彼からのターニングポイントは、此処で区切りを迎えた模様。
音を立てて孵らんとしている保管器のタマゴ、深く息を吸い込んで話を切り出すジョッシュの順に目線を変えながら、あたしは彼の置かれている状況を受容しようと努めていた。
「今置かれてる周囲の情報に、真実を見出したいからね。後悔なんかしない―― ボクの、決めた路だから」
窓からあたしに向き直り、手をこすりながら最後の一言で締め括った。
照れくさそうに、でも燻ぶり無く話せた事に安堵するような様子で以て。
あたしは、小さくジョッシュに目配せをするに留める。背負うものを持つって、御互いに苦労するね、と付け加えて。
彼の抱えている想い、あたし自身の持つ想い。
最早比べる必要は早々無い。求める目的は…… 共通している大事な者の為だから。
自分自身で――決めた、路。
「ロビーに行っているね。チナ、聞いてくれてありがと…… えぇ!?」
銀製のロケットを手に、居室の扉を開けようとする前に、ジョッシュが保管器の方に目を丸くしていた。
その近くであたしが保管器の蓋をゆっくり外していたのもあり、光が放つ程までに状態が進行しているに関わらず気付か無かった己の迂闊を悔いながら。
赤と青の三角が模様付いた、白地のタマゴは、殻が剥け―― やがて放たれた光が消えたその先にちょこんと座っていたのは。
「……ふぁ、あぁ……。あぅ、…ぁ。……マ、マ! パ…パ……!」
目を半分開け、フワリとした頭のツンツンを花開く様にしながら、孵った赤子のポケモン――否、はりたまポケモンのトゲピーだ。
あたしとジョッシュに、最初にじぃっと見つめては親呼びの呼称で以て、最初の対面と相成った。
「あたしは、チナ。はじめまして―― 何だか、不思議な体験ね」
「う、生まれ、たんだ……! よかった、無事に… 命、孵って…… うぅ……!」
二通り、反応が分かれた。
あたしは和やかにいつもの名乗りと率直な感想を述べる。その遠くから、ジョッシュが駆け寄るなり感激のあまり泣き出してしまっていた。
「……? ねぇ。どう、して、……なぃ、…て……?」
「アナタに会いたくてたまらなかったから。でしょ、ジョッシュくん?」
「御明察だよぉ……!」
現に、あたしもまだ年下の身でママと呼ばれるのは、頬が赤くなるのを感じてしまう。
当のトゲピーの子は、クエスチョンを浮かべながら首を傾げていたのだが。
「……大事なポケモンが関わっている旅なら、尚更だね。必ず、成し遂げるんだ」
どうにか泣き止もうと試みるコジョフーを脇目に、あたしは思いを、誓いを新たにして行く。
ロビーに向かうのは、その後となったのは言うまでも無い。