マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  [No.1321] 六時間目「僕とズバットと見えない前方」 投稿者:GPS   投稿日:2015/07/29(Wed) 23:03:05   34clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

カーテンを揺らして入ってきた風が、僕の顔をかすめていった。
窓の向こうからは、ホイッスルの音や先生のかけ声、クラスのみんながさわいでいる声が聞こえてくる。今日の体育はドッジボールだと言っていたから、今ごろ、ちょうど試合をしているのかもしれない。きゃーっ、と喜ぶような声がした。だれかがボールをあてたのだろう。ドッジボールが得意な大沢か、それとも運動神経の良い村上か。もしかすると、コジョンドみたいに素早く動く、女子バスケットをやっている橋岡かもしれない。そんなことを考えて、僕はやわらかいベッドに寝返りをうった。
本当は、昼休みのころから具合が悪かった。給食のカレーもおいしくなくて、ほとんど残してしまったくらいだ。でも、五時間目は算数だから出なくちゃいけないと思ったのだ。塾に行ってるからといって、学校の勉強をサボってはいけない、というのはいつもお父さんやお母さんに言われていることだから。
体育にも出たかったけれど、無理だ。気分が悪いことを先生に言って、連れられてきた保健室で熱を測ったら平熱よりも少し高かった。お母さんには電話しないでほしい、と保健の先生に言ったら、一時間寝て調子を見てからね、と返されてしまった。お母さんは仕事で忙しいから心配かけたくないし、何より今日は塾がある。テストも近いから、休めない。
冷たい風が気持ちいい。軽い風邪、と保健の先生は言った。先週やった塾のテストが返ってきて、結果がよくなかったから昨日はおそくまで勉強していたのだけれど、それが悪かったのだろうか。そろそろ志望校を決めなきゃいけない時期だから、気は抜けない。少し無理してでもがんばらなきゃと思ったけれど、こうして体調を悪くしては意味がないな、と後悔した。

「あ、ズバット」

何度目かの風に窓の外を見ると、一匹のズバットが逆さまになって木にぶら下がっていた。ズバットには、目が存在しない。超音波によって自分の場所や、周りに何があるのかを確認するのだと、四年生の時に読んだ本に書いてあった。何も見ずに、ズバットは飛んでいるのだ。
何も見えない。頭の中に思い浮かべたその言葉が、ずしりと心に重いものを置いた。窓の外のズバットは、目の無い顔をゆらゆらと揺らして木に捕まっている。何も見えない。あのズバットは、何も見えていないのだ。

「違うか」

その考えを、僕は自分で打ち消した。ズバットは確かに見えてはいないかもしれないけど、超音波という方法で、ちゃんとわかっているのだ。自分が行くべき方向も、自分のピンチも、全部見えないけれど見えている。だから、ズバットは、何も見えないわけじゃない。
見えていないのは、僕だ。なぜだか、そんなことを考えた。
塾に行きたい、と言い出したのは僕で、お父さんやお母さんに言われたわけでもない。オーキド博士みたいに、ポケモンの研究をする人になるのは小さいころからの夢。そのためにはいい学校に入った方が有利だとみんなが言うし、僕もそう思った。だから、そうしたのだ。十歳になっても旅に出なかったのも、クラスメイトとは違う、私立の中学校を受験するのも、全部僕が決めたことだ。
だけど、不安になる。もしも受験に失敗したら、あるいは学校に入れたとしても、ポケモン研究者になれるのか。そして、なったとして、それは果たして本当に正しいことなのか。もしかしたら、旅に出たり、みんなと同じ学校に行った方が、ずっとずっと、いいことなんじゃないかって、とてもこわくなるのだ。
六年生になって、塾と勉強の時間が今まで以上に増えてから、その不安はどんどん大きくなっている。自分の行く先が、何も見えない。真っ暗だ。何が待っているのか、どんな恐ろしいことが待っているのか、何もわからなくて、不安でたまらない。

僕は、どこに行くのだろう。

こんなこと、考えたってどうしようもない。いつも通りのことを自分に言い聞かせて、僕は熱くなった頭を枕に乗せて目を閉じた。



夢の中で、僕は、僕じゃない、誰かの景色を見ていた。
空を飛んでいる。といっても、冬休みに乗った飛行機みたいにまっすぐ飛んでいるわけじゃなくて、ガタガタと危なっかしく揺れながらの飛行だ。そして、位置はそんなに高くない。緑の葉がくっついた木の枝の間を抜けていく。枝が近づくたびにぶつかりそうになって、ギリギリのところで避ける、というのを繰り返しているからこわくて仕方ない。
時折現れては消える、青と紫の羽を何度か見て、僕はこれがズバットの視界なのだと気がついた。いや、ズバットに視界は無いから、僕が代わりに見ているのだろう。とんでもなく非現実的なことだけれども、夢だからだろうか、僕はすんなり納得してしまった。
ズバットはふらふらと飛んでいく。茶色の枝が今にもぶつかりそうになって、当たるか当たらないかのところでやっと避けるものだから、僕はハラハラしてしまう。おまけに葉っぱを避ける気があるのかないのか、時々そのまま突っ込んでいくのだ。そのたびに僕の視界は大きく揺れて、昔バスで酔った時みたいな気分になった。
しばらくそうやって、危険な飛行をズバットが続けていると、ぽつり、という音とともに、視界がぐらりとふるえた気がした。泣いたときみたいな、目が覚めた直後のような、そんな感じに景色がにじむ。それが雨によるものだとわかった時には、もうざあざあ降りになった雨がズバットをようしゃなくぬらしていた。
雨に打たれて、ズバットはますます危なっかしい。風も出てきて、それが少しでも強くなると、ズバットの体は飛ばされてしまいそうにかたむいた。がんばってよ、と言いたいものの届かせる声は出せない。どこからか飛んでくる葉っぱや小枝を避けて、時にはぶつかりながら、ズバットは飛んでいく。
その時だった。前方に、ズバットの何倍もある大きな影が見えた。
ピジョットだ。雨空にひるむことなく飛翔するピジョットは、ズバットには気づいていない様子である。しかし、もし気づかれたらどうなるかわからない。戻れ、一度別の方向に行くんだ、僕は心の中で精一杯ズバットに念じる。
だけど、ズバットは飛び続けている。流石に、ピジョットのことをわかっていないということはないだろう。一応気づかれないようにはしているらしいけれど、でも方向を変えたりはしない。どうしてだよ、と僕は泣きそうになる。そっちは危ないのに、なんでだ、お前は前のことがわかってるんじゃないのかよ。
そう、思った時だった。ああ、そうか、と、僕は一つのことに気がついた。

ズバットだって、前に何があるかなんて、わからないんだ。

僕の頭の中に、そんな考えが、すっと現れた。
超音波で周りの様子を知ることが出来るズバットだって、自分の飛んでいく先に何があるのか、飛んでいく途中で何が起こるのかなんてこと、わかるはずもない。こわい敵や、予想もできない攻撃や、信じられない出来事が待っていたってわからないのだ。雨も風も、おそってくるピジョットも、ズバットは、何一つ知らないし、知ることができない。
でも、それでも飛んでいるのだと思った。何があるかわからない、前に向かって。
ズバットは、一生懸命に飛んでいるのだ。
そうだったんだ、と僕は揺れる視界にそう思った。バサ、バサ、と不安定な羽音をひびかせながら、ズバットは飛んでいる。ただ、何も見えない前方へと進んでいる。なんだ、そうだったのか。僕はもう一度考えて、あるはずのない目を、ゆっくりと閉じた。




ベッドの上で目を覚ました僕は、熱っぽかった頭がだいぶ冷たくなっているのを感じた。寝たことによって下がったのだろう、と思った。これならきっと、お母さんに電話をする必要も、塾を休むこともないだろう。ほっと安心して、僕は布団から体を起こす。
窓の外に、ズバットはもういない。あのままどこかに飛んでいってしまったのだろう。何が起こるのか、何があるのか全くわからない前方を、それでも必死に目指して飛んでいったのだ。たとえ見えなくても。それでも、飛び続けるのがズバットなのだから。
僕も、そうなれたらよいと思う。僕だって、自分の前に何があるのか、どんなものが待ち構えているのか、何一つだってわからない。でも、向かいたい先は、ちゃんと決まっている。僕が決めたのだ。オーキド博士みたいな研究者になるのも、そのためにいい学校に行くことも、お父さんとお母さんにほめてもらうことも、全部、そうしたいと僕が決めた。
なら、そこに向かって進むしかないのだろう。何が起きるかわからない前方は、怖くて、不安で、どうしようもなく辛くて苦しいものだけど、それでも進むのだ。何も見えない前に向かって、ひたすら、行くしかない。
ズバットみたいに。

もう一度窓の外を見る。冷たくて気持ちのよいこの風を、あのズバットも感じているのだろうか。
そんなことを考えながら、僕は保健の先生を呼ぶために、白いベッドから降りる。


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