マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  [No.390] 風になった悪魔 前 投稿者:CoCo   《URL》   投稿日:2011/05/05(Thu) 01:14:30   77clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 

 そこは地上の楽園であった。鬱蒼としても華やかな森、豊かなその自然と資源、澄んだ川。人が集まるには十分すぎる要素が備わっていた。
 しかし、たった一つの誤算は、時折豪雨が降り注ぎ、普段人々の暮らしを助けるはずの川を氾濫させ、とてつもない水害を引き起こすということだった。
 それでも長く暮らすうち、人々は、その水の脅威から逃れる術を得た。
 いつしか彼らは、繰り返す川の氾濫で大きく育った大木の上に家を建てるようになった、という。


 *


 一歩先さえ白に霞むような、篠突く雨。
 叩きつける雨音に足音を混ぜ込んで、疾風のように駆けるものがあった。
 真っ白い毛並みを今は泥に汚して、しなやかに足を伸ばし、刻一刻と濁流に蝕まれる川岸をひた走る、獣。その身体の純白と対に漆黒を浮かべる、不自然に途切れた形のツノを掲げて、倒れかけた木々、はみ出した根、流される丸木、むきだしの岩肌へと飛び飛び移り、大風と雨粒の弾幕の中をこともなげに渡る。
 その大きな背には、一人、男が乗っていた。
 身を低く屈めて、ただしがみついているようにも見えるが、白い獣の動きに合わせ重心を倒し、確かに乗りこなしている。
 彼らは、集中豪雨で溢れた川の周りを巡っていた。行き先があるわけではないらしい、先程から上流へ、下流へ、再び上流へ、と繰り返している。まるで何かを探しているようだった。
 不意に、低い姿勢を保っていた男が身体を上げ、身を乗り出した。白い獣の頭が少し男に反応する。男は左の岩壁を指差し、獣に向かって大声を張り上げた。とたんに獣は頷いて、濁流の中、漂流物をつたって川を飛び越え、岩肌に張り付く。
 そこの窪みに、幼い少年が一人、しがみついていた。雨の冷たさと、段々に迫り来る黒い流れの恐ろしさに震えながら。胸に、ひょろりと植物の根のようなポケモンを抱いて。
 そして、斜めに川へ立てかけられた岩壁へ降り立った白い獣を見て、
「――あ、悪魔」
 震える唇で、そう言った。
 獣は物言わず、赤い瞳を遠くへやる。
 男は獣の背から、少年へ向けて最大限に腕を伸ばし、彼の小さな身体を抱え上げ、獣の上へ乗せた。
「村まで送ってやるから。暴れるなよ。落ちたら嫌だろ?」
 言って、ずぶ濡れた少年の頭をぐしぐし撫でる。少年は胸の中に根っこを抱きしめたままぽかん、と男の笑顔を見上げていた。
 村へ戻るぞ、なんて男のやけに明るい声に、獣はぐるると返事を返し、後ろ足で岩壁を蹴って飛び出した。
 が。
 獣が向こう岸に着地した瞬間、少年はその衝撃にふっと腕を緩めてしまった。
 バランスを崩してひゃぁと濁流に落ちかけた彼の身体は男に受け止められたが、けれど少年の細い腕の間から、根っこのようなポケモンがひらり、眼下の濁流へ。
「マ、マダツボミっ」
 悲鳴のような少年の声、はっとしたような男の顔。
 しかし獣の反応は早かった。
 多くの雨粒と共に黒い流れの中へ舞い落ちる根っこを追って、獣は二人を乗せたまま、雨に染まる宙へと飛び込んだ。そして先の欠けた黒いツノで今まさに川へ落ちたそれを掬い上げ、後ろ足の端で不恰好に流木を踏んで川中の岩へと飛び移る。危ういところで前足が岩に引っかかり、獣は流されそうな後ろ足を引き上げるようにざりざりと岩を掻いてどうにかその上に収まった。
 ふう、とこちらもなんとか少年を支えきった男が息をつく。
「全く、無茶しやがるぜ、なあ」
 男は獣のツノに引っかかっている根っこをひっぺがし、今度はしっかり抱いてろ、と少年の腕の中に落とした。
「それじゃ、さっさと帰ろうかい」
 その言葉に獣は息を大きく吸って一吼え、がる、と叫んで再び後ろ足を蹴った。
 
 川の上流から平地へと、水がもう一本川を作らんとばかりに流れ込んでいる。
 平地には大きな樹が多く、獣は密集する木々の枝の上を走っていた。雨が絶え間なく葉を叩き続け水音が籠り、唸り声を上げる足元の濁流がより近く聞こえる。
 やがてふいに視界が開けた。村である。
 高く伸びた樹の上に家を建て、梯子をかけ、水害による被害から逃れたその村には、閉じ籠もった人々の家の灯が曇天にまるで灯篭のように浮かんでいた。
「悪魔に乗って走るなんて、めったな体験じゃないぜ、坊主」
 男は豪傑に笑って、少年をどこかの家の前に降ろす。
 彼はしっかりと腕に根っこのポケモンを巻きつけたまま、じいっと男を見上げて、
「ありがとう、ございました」
 たどたどしく言った。
 しかし男はちょっぴり眉を動かし、ただ顎を使って、後ろで全身の白から泥水を滴らせる獣を指した。
 少年はそれを見て、俯いて、震える指先で少しだけ根っこをいじって、
「……ありがとう」
 白い悪魔に向かって、ぼそりと呟いた。
 するとのっそりと歩きだし、獣は少年の前にやってきた。
 その透き通るような赤い瞳を見ても、なぜか少年は臆さなかった。彼はそれを見つめ返すことができた。それはもしかしたら、その目がまるで背中を支える手のひらのような、あったかいものを湛えていることに気がついたからかもしれない。
「それじゃ。俺達はまだ、助けを待ってるやつを探さなきゃなんないんだ、坊主みたいにな」
 男はさっと獣に乗り込むと、颯爽と森の中へ消えた。最後にひらひらと振った右手の残像と、それから赤い瞳の光を少年の中に残したまま。

 幸いなことに、それきり助けの必要そうな影は見つからなかった。
 帰ろう、と言った男の声に鳴き声を返して、頭を振って雨を振り切り、獣は一歩を跳んだ。
 そして、ついた前足を踏み外した。
 もしかしたら、必死に岩を登った前足を傷つけていたのかもしれない。雨が視界を遮って、着地に失敗したのかもしれない。単純にバランスを崩したのかもしれない。けれど原因が何でも、起こってしまったことは変わらない。
 彼らは、濁流の中に落ちた。
 




 真っ黒に染まる激流の中、なす術もなく流される。枯れ葉が滝に飲まれるように、あぶくに混じって浮き沈み、瓦礫に混じって打ち砕かれ、黒い悪魔の腹の中、ただ潰されるまま山を駆け下り、はるか麓の水溜まりまで。




  
 黒雲が走り去り、まるで降り注いだ豪雨を払うように、燦々と輝く太陽が現れる。
 川の遥か下流に、なぜかどんな大水の時にも埋まることはないという大岩があった。中は空洞であり、側面の岩戸から中へ入ることができる。中には祭壇のようにも見える石がひとつぽつねんと置いてあり、天辺には空を仰ぐ大穴が開いている。これらは、大昔にこの辺りに住んでいた人々が太陽を呼ぶためにつくり出し、天へ祈りを捧げたのではないか、といわれている。
 人々はこの大岩を、日照の岩戸と呼んだ。

 岩戸の中、べとりとした赤土の泥に横たわる、白かった獣と男の姿。
 二人とも満身創痍、とくに男は頭、足、至るところに傷を負い、赤い泥をさらに赤く汚している。
 獣が目を覚ました。
 彼は這い蹲ったまま足を引き摺って男に近づき、ひどくか細い声で言う。るぅ、るぅるぅ、ほんの小さな声なのに、まるで響くようだ。
 どれだけの時間が経ったのか。じりじりと泥塗れの前足を伸ばした彼が、どうにか男の身体に爪まで辿り着いたころ、男もふっと目を覚ました。
「よお、相棒、そこに居るんだな」
 起き掛けに、そんな妙に元気よさげな声を上げて。
 けれど、男に起き上がる気配はなく、その声はところどころ、擦れている。
「やっちまったなあ」
 はは、と男は言うが、顔は笑っていない。目すら開けていない。唇が僅かに言葉を吐き出している、それだけだ。
「俺はもう、いい。お前は、どこへなりとも、いけ、どこかお前のところ……」
 祠の天井に開いた大穴の淵から水滴が垂れ、赤銅色に染まった獣の上にぽたりと落ちた。
 彼はまるで男の言葉なんて聞こえなかったみたいに、るぅるぅるぅ、少しずつ少しずつその傍に寄りながら、鳴いている。
「……まあ、そりゃあ、無理な相談だよなあ。知ってるさ、お前には、俺しかいないもんなあ」
 俺にお前しかいなかったのと、同じか。
 水滴が波紋を描く音と、微かな鳴き声だけが、ただ祠に響く。その頭上には、丸く切り取られた、青空。
「転んだのは、お前、だからな」
 男は言う。
「だからお前には、俺の、仕事を、何としてでも」
 唇から息音が抜けた。
 しばらくの時間をかけ、獣はやっと、やっと横たわる男のすぐ隣までやってきた。ツノと同じ漆黒の尾がぺたりと疲れきったように、乾きはじめている白い毛に垂れる。
 どこかから風が吹き込んで、彼らの頭上の空を擦り抜けていったらしい。
 ――不意に男が立ち上がった。
 どこか、身体のどこかから固まりきらない鮮血を流しながら、まるで怪我なんてないような振る舞いで、岩戸の出口、底の見えない水面の前まで歩いてきて、そしてポケットからモンスターボールを一つ取り出すと、それを水の中へ放り込む。
 ボールは、底なし顔の水の中、深く深く、落ちた。
「空はいつも青がいいなあ、相棒」
 彼はそれから振り向いて、地べたに倒れる相棒に向かってそんなことを言って。
 それから、
 それから、猛々しく立ち上がった水音だけは、既に目を開いておくことすらままならなくなってしまった獣にも、よく聞こえた。

 獣が目を覚ましたとき、そこに男はもう、いない。


 *

  
 真っ白い身体と黒い爪、半分欠けた漆黒のツノを持った悪魔。豪雨の日は必ず、氾濫した川の周りに
、逃げ遅れたポケモンや人を助ける彼の姿がある。
 いつかは背に人を乗せていたが、今は一匹。
 欠けたツノで不器用に木々を切り開き、しなやかに森を駆るその姿は、まるで風のようだという。


 つづく


***
 ちょっと改稿。元が見たい方はサイトへどうぞ(販促)。

 そこまで長くもないのですが、かならず前後編に分かれているのは、間に三ヶ月ほど放置しt(ry休憩していた期間があったためです。
 くっつくてもいいのですが、慣習みたいなもので分かれています。
 読みづらくてごめんなさい。
 


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