マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  [No.878] あかむらさき 投稿者:巳佑   投稿日:2012/02/25(Sat) 03:41:56   47clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
あかむらさき (画像サイズ: 377×550 141kB)

【0】
「ふ、ここで出逢ったのも運の尽きだ」
「きゅう……」
「怯えているのか? 可愛そうに……だが安心するがよい。すぐに勝負をつけてやる」
「きゅ、きゅうっ!」
 空は灰色模様の平原で、一匹のニドランメスと対峙している紫色の生命体が一匹。身長差、体格差がかなりあり紫色の生命体が圧倒的に有利である。
 紫色の生命体が攻撃体勢を構え、ニドランメスに緊張感が駆けてゆく。紫色の生命体が先に動き出した! 
 三本指を前に突き出し――!

「ゆびをふるっ!!」

 紫色の生命体が技名そのままに指を振ると――。

 チャリーン☆ という金属が地面に落ちたかのような音が辺りに散らばった。
「……四百四十円。ふぅ、『おまもりこばん』の効果は絶大だな。やはり二倍は違う。二倍は……あ、そこのニドランメス、協力、感謝する」
 気絶しているニドランメスにそう言うと紫色の生命体はどこかへと去っていった。



【1】
『じばく』一回、『だいばくはつ』三回、『ねこにこばん』五回。
 今回は上々な結果だと呟いている者が一つ。
 その身を完全に隠した漆黒のマントを地面まで垂らし、これまた漆黒のヘルメットを被って、完璧に身を黒に溶かした者である。
 変質者。 
 一見、傍から見たら奇妙な奇妙な(大事なことなので二回)変質者である。
 何かヤバイもの……あれか、ロケット団みたいなマフィア的なものに手を出しているのではないかと懐疑満載の視線をもらってもおかしくはない。実際問題、平日昼間の賑わう街中に姿を現した、その……変質者に道行く人は顔を合わせてジィーッと視線を貼りつけたり。または口を合わせてヒソヒソと。とにかく、その変質者は注目を浴びていたのであった。身長が二メートル程あったのも目立つ要因の一つだった。
 そんな人々の視線や言葉に謎の変質者は気がついていた。
 内心で大量の冷や汗をかきながら、謎の変質者は目的地まで歩き続ける。ばれてはいないだろうか。いや、ばれてはいないはずだ。大丈夫大丈夫……大……丈夫のはず、タブンネ。そう心の中で呟いていると、謎の変質者の足はようやく目的地までたどり着いた。ここまでやけに時間が長かったような気がする……特に街中に足を踏みこんでからは……と、謎の変質者は更に肝を冷やしながら中へと入っていった。

 買ったものは昼食用の五百ミリ入りヤナップ印の緑茶と、海苔弁当一つ。それから先取り情報満載の週間雑誌『ポケ友』など、計二千円の買い物。
 今日はツイてる、これだけの買い物をしたのは実に久しぶりだと謎の変質者は買い物袋を持ちながら、ルンルンとスキップみたいなことをしている。
 格好との凄まじいギャップで変質度が上がった!  
 先程の冷や汗はどこへやら。幸せモード全開で謎の変質者が先を進んでいると、どてん! という何かにぶつかる音が。続いて何かが割れる音が鳴り響いた……その音で、ようやく我に返った謎の変質者が下を向くとそこには尻餅をついている少女と散らばっている何かの破片が。「す、すまない」と謎の変質者が言おうとした瞬間だった。小さな少女が立ち上がったかと思いきや、いきなり飛び上がり――。
 前倒ししながらラリアットを決めた。
 唐突な少女の攻撃(しかも威力が高い)に謎の変質者は「ぐえっ!」と蛙のような鳴き声をあげると、そのまま倒れ――続けざまに今度は腹に重い一撃を喰らった謎の変質者はそのまま夢の中へと沈まされたのであった。
 
 なんだか体に違和感を感じながら謎の変質者がようやく目を覚めると、そこはどこか家の中だった。十畳ほどの部屋にベッドと小さなテーブル、部屋の奥にはキッチンらしきものがあり、そしてピカチュウやピッピといった可愛いぬいぐるみが所々に置かれてあった。「なんだここは……」と呟いている謎の変質者はやがて自分の姿を見て目を丸くする。マントやヘルメットが剥がされて紫色の肢体をさらされており、それにロープでぐるぐる巻きにされているではないか。おまけに手持ち道具が全てなくなっている。
「……ようやく目を覚ましたわね、こんちくしょうが」
「え?」
 声のする方へ謎の変質者が目を向けると、そこにはコンビニ袋を提げている少女が一人。身の丈は百四十センチ程、燃えるような赤色の髪をツインテールにして腰まで垂らしていた。その少女はオニゴーリのような形相を浮かべながら謎の変質者を睨みつける。ただならぬ殺気を感じて、謎の変質者は思わず喉を鳴らした。
「さてと、説教をかます前にいくつか質問するから答えろ、いいね?」
「え、あ……あぁ」
「まず一つ。アンタはポケモンなわけ?」
「そ、そうだ。我はミュウツーと呼ばれているポケモンだ」
「そう、じゃあ二つ目。アンタ、自分の立場分かってる?」
「い、いや、分かってない」
「だよねー。あははは――ざけんなよ」
 声は容姿通り可愛い声、しかしそれは表面だけの話で実際中身はそれとは全く異なるドスの効いたもの。謎の変質者――ミュウツーは嫌な予感ばかりしてならなかった。正直言って、何これ怖いガクブルといった状態である。
「アンタさぁ、いきなりワタシにぶつかってきてねぇー。コレを見事に割ってくれたんだよねぇー」
「……」
 怖い、笑顔でしゃべっているが、少女の顔は絶対笑っていない。そうに違いない……というか逃げ出したい気持ちが膨らんできているミュウツーに少女は一枚の何かを出し「これなんだと思う?」と尋ねた。花弁のような模様が描かれている……何かの破片のようなもの。しかし詳しい事情を知るはずもないミュウツーは首を横に振った。
「まぁ、そうだよね。あのね、これね、大事な大事な壺ってやつなのよ」 
「壺……?」
「そう壺。昔のとある職人とドーブルが作った傑作の壺」
「ほう」
「それをね、送る途中でアンタってやつは……!!」
 少女がそう言いながらどこからか鉄製のハリセンを取り出すとバシンッ! と物騒な音を叩き出した。殺られる――そう思ったミュウツーに戦慄めいたものが駆け巡っていった。しかしこのままビビっているままでは色々な意味で危ないと思ったミュウツーはなんとか喉を絞って言葉を抽出する。
「いいい、いや、あれは我のせいでは……」
「るっせぇー! てめぇからぶつかってきたんだろ、 このヤロー!!」
「ぐおっ!?」
 鉄製ハリセンによって一蹴された。
 ミュウツーが大きなたんこぶを作らせた頭を苦悶な声を上げながら抱えていると、少女が「あれ、いくらか分かる?」とミュウツーに尋ねる。ここでまたニッコリと笑顔で訊かれるなんて怖い以外何物もない。しかし繰り返し、詳しい事情を知らないミュウツーはとりあえず「い、一万とかか?」と答えると――。
「アホか!」
 また鉄製ハリセンで一蹴された。
「あれは百五十万するんだよ! ばかぁ!」
「なんだと……!?」
「社長が肩代わりしてくれて助かったわ。それに返済はいつでも待っていてくれるらしいし、さっすが社長、懐が違うわ。どこかのポケモンとは違って」
 そう言った後、少女から見下ろされたミュウツーの感覚に戦慄(せんりつ)が走った。逆らったら確実に殺られるとミュウツーの本能が叫び声のように訴えかけてくる。冷や汗が全く止まらないミュウツーに少女は鉄製のハリセンの先端を刀のように目の前へと突き出し、こう言い放った。
「……弁償してもらうからね、百五十万……!」 
「な……!?」  
 ミュウツーの目は丸くなった。運よく一日一回『ゆびをふる』を成功させたとして、『おまもりこばん』込みで計算すると三千四百と九日分――約九年程、この少女といないといけないのか? そうなのか? 駄目だ辞めてくれ、体が持たない、こんな自分に恐怖を与えるほどの少女となんか絶対に持たない、そうミュウツーは言いたかったがもちろん言えずに。
「異論は認めないからね」
 結局、少女の笑ってない笑顔でミュウツーは三度一蹴されてしまったのであった。 
 

【2】
『ゆびをふる』からの『ねこにこばん』で借金百五十万返済計画! ということにはならず……代わりにミュウツーは少女が働いている配達業『デリバードのよろずやプレゼント』なるところにお世話になることになった。とりあえず少女が事情を話すと、社内の人達からあっさりとオッケーをもらえた。なんでも人手はいくらあっても足りないぐらいだという。むしろ力持ちなポケモンが働けるというなら大歓迎だった。
 早速、仕事に入ることになったミュウツーは倉庫に集まっている配達箱の整理をしたり、宅配作業にも携わることになった。仕事の覚えはいいからそこは問題はないとして、百五十万円までの道のりは長いものになりそうだった。
「次、これ。三丁目の山田さんちに運んでって」
「やけに大きい箱だな……」
「文句を言わないでさっさと運べ!」
「後、この着ぐるみもなんとか――」
 鉄製ハリセンの打撃音が鳴り響いた。
 渋々、仕方なくミュウツーは配達に出かけて行ったというわけである。今、ミュウツーは(デリバード型の)着ぐるみを装備しており、動くと中がとても熱い。太陽がさんさんと射してくる光、そしてその熱気を返してくるコンクリート、汗がだらだら止まらない。しかし外すことは叶わなかった。少女曰く「これがアンタのユニフォームだから、絶対脱がないこと。いいね? 宣伝にもなるし……外したらぶっ倒す」とのこと。脅迫ではなく本気でそう言ってくるから逆らえなくて怖いとミュウツーは愚痴っていた。
 
 ここで話が少しさかのぼるのだが、元々、ミュウツーは火山がある島町の研究所に住んでいたポケモンであった。
 その研究所で産まれ、育てられたのだが、ミュウツーにとってはおよそ育てられたものではないと思っている。
 産まれたというより、意識が芽生え始めたときには奇妙な液体の中にいて、ずっとそこからしか世界を覗くことしかできなかった。
 目に映るのは、二十四時間ずっと研究所でなにか怪しいことをしている人間たち。
 耳に届くのは、不気味な電子音や、奇妙な液体の流れる音、それからときどき自分に話しかけてくる人間の声。
 そして頭に届くのは、まるでノートを真っ黒にさせるかの膨大な文字に、酔って気持ち悪くなりそうになるぐらいに次々と入り込んでくる景色。
 それから諸々。
 
 こんな風に、研究所によって自分というものが縛られているのに限界が来て、こうやって飛び出して、曲がりなくも自由に生きてきて、心が落ち着いてきたと思った矢先にまたこうやって自分の身が縛られてしまうとは誰が思ったことだろうか。まぁ、自分にも非があるのだから仕方ないとは頭では書かれていても、心では認めたくなかったミュウツーは思わず呟いていた。
「だいたいアイツが小さすぎるのが悪いんだ、小さいのが」
「へぇ……わたしのせいなんだ……言ってくれるじゃない」
「そうそう、お前のせいだ、お前の」
 無意識に返事をしたミュウツーに一人の殺気が届く。
 まさかと思いながら、そのまさかではないようにと願いながらミュウツーは振り返ったが、残念ながら、そこにいたのは紛れもなくあの少女だった。どこかの力士像の如く仁王立ちしており、指をポキポキを鳴らしている。顔は笑顔を貼りつけていたが、到底、誰かを癒すといった笑顔ではなかった。まさかの状況に、暑苦しい着ぐるみの中だったが、今のミュウツーは北極にいるかのような気分だった。
 無意識にミュウツーの歯がガチガチと恐怖を鳴らし始める。
「たまたま同じ道で、アンタがちんたらしている間に追いついた。状況理解オッケー? じゃあ――」
「待て待て待て待て中の荷物がどうなっても」
「それ布系のはずだから問題ない」
 必死の主張もむなしく少女の飛び膝蹴りがミュウツーにヒットした。コジョンドも真っ青のスピードと威力にミュウツーの腹から蛙が潰れるかのような音が鳴り響き、そして三十メートル程、ミュウツーは吹っ飛ばされた。
「次、身長のこと言ったら、マジで半殺しだかんね!」
「……ゴホ、グホ、き、肝に銘じておく」
  
 あれから早くも二週間が過ぎ去り、用があると言って去って行った少女にホッとしながらもミュウツーは仕事を続け……ようやく休憩が入った頃、テーブル二つと椅子数個が無造作に置かれてある休憩室みたいな場所で、ミュウツーが暑苦しい着ぐるみを脱ぐとそこにいたのは白い袋を持った赤い鳥ポケモン――デリバードだった。なんとこのデリバードが『デリバードのよろずやプレゼント』の社長であったりする。
『名前のまんまというツッコミは許す。ただしポケモンがどうやって会社経営しているのだという深追い禁止』
 これが社内規約の一つだったりするわけだから、実際のところどうやって経営しているのだろうかは謎のまた謎なのである。
 デリバードがミュウツーに「でりっ!」と声をかけてきた。ミュウツーも「あぁ、お疲れ」と返すとデリバードがペットボトル一本――ヤナップ印の緑茶を出してきてくれた。ミュウツーは「すまない、恩にきる」と受け取るとその場で座り、早速いただくことにした。独特な苦みが疲れを癒してくれそうな気がしてなんとなく落ち着く……ホッと安堵の息を一つ漏らしたミュウツーの隣にデリバードがちょこんと座った。
「でりば、でりでり?」
「ん? 仕事の方は順調かと? まぁ……なんとかなってはいるかって感じだな」
「でりでりでり」
「ゆゆら……? そういえば、あぁ、アイツのことか。一緒に生活しているそうだけど、どうだって? もうそんなこと決まりきっていることだ。最悪だ、最悪」
「でり?」

 まだ一緒に過ごして短いというのに、ミュウツーにとって忌々しいことは数知れずだった。
 まず、一緒に過ごし始めて初日のことだった。いきなり使いパシリされたのである。
「コンビニでビリリダマビールを二本に、グレン印の温泉まんじゅうを一セットを急いで買ってきてね」
「ま、待て、子供が酒など」
 しかしここでゆゆらに無言のにらみをもらってしまい、結局、何も言えずじまいにミュウツーは言うことを聞くハメになった。ツボを割ってしまった罪悪感からくるものもあるかもしれない、居候するのだからこれぐらいはというのもあるかもしれない。でも一番は――逆らえない、この言葉に尽きるような気がしてミュウツーは怖かった。コンビニに行く際、ゆゆらと同じ年頃だろうと思われる子が無邪気に走っているのを見て、思わずミュウツーは溜め息を吐いた。ゆゆらにはこういう一面はないのか、そうなのかと。
 他にも部屋の掃除を頼まれたり、ゴミの片付けを頼まれたり、そしてゆゆら自身はというと気がつけば自分を残してどこかに行ってしまうし、もうなんだか置いてかれている感がミュウツーには否めなかった。逆らったら怖いというのは大いに分かったのだが、それ以外のことは全く分からない。あの性格だ、もしかしたら、変なことに手を出しているかもしれないとミュウツーは思った。変なこと、例えば、そうマフィアといった類。しかし、それはミュウツー自身がこの街にきたときに周りから思われていたことでもあるのだが、という真実をもちろん彼は知らない。
 こんな風に思い出しながら、苦虫でも噛んだような顔を浮べて愚痴をこぼしているミュウツーにデリバードが口を開いた。  
「でりぃ、でりば、でりでり、でりば」
 その言葉にミュウツーはまさかと馬鹿にするかのように鼻を鳴らした。
「悪いが言わせてもらう、そんな馬鹿なことはない。アイツには優しいという言葉はきっとない」 
 デリバードが言うには、ゆゆらは本当は優しくていい子だということだったが、今までの仕打ちからして、到底ミュウツーが信じられるものではなかった。また、今までゆゆらに何か気の効くようなことをされたことがあるかと言われれば、答えはもちろんノーである。この二週間でミュウツーが認識したゆゆらの像は、横暴、乱暴、凶暴、といった感じにとにかく暴れ馬の如く手がつけられないといったものだった。このように全く信じようとしない態度を取るミュウツーにデリバードが声量をあげて訴え始めた。
「でり……でりでりば! でりば、でりでり、でりばーでりでり、でりでりでりばっ!」       
「……な?」
 誤解されては困るというデリバード社長からの告白に、ミュウツーの顔はだんだんと驚きの色に染まっていき、しまいには目を丸くさせていた。
 その言葉の一つ一つにはミュウツーの偏見を壊すほどのものが込められていた。

 その日は仕事を早めにあがることにして、デリバード社長に教えてもらった住所へとミュウツーは向かうことにした。昼間は近所のおばちゃんの井戸端会議で騒がしく、夜には会社帰りの人達が酔って騒がしい商店街とは離れている場所で、見晴らしの良さそうな丘の近くにそれはあった。一軒の二階建ての構造となっている青い屋根の家で、鉄柵が敷かれている門の傍には『あおいとりのゆりかご』と書かれてある札があった。それと鉄柵の向こう側には家があるのはもちろんのこと、比較的小さいながらも公園のような遊ぶスペースがあって、ブランコやすべり台、砂場などもあった。
 ここがそうなのかとミュウツーは呟きながら、辺りを見渡す。この家の周りはあまり建物もない閑静な場所なのか、人は全くと言っていいほどいない。誰にも見つからないように来たミュウツーには実に都合が良かった。これからこの中の様子を覗くのだからあまり人がいない方がもちろんいいに決まっている。ちなみに身にまとっている装備は例のデリバードの着ぐるみではなく、旅の相棒と言っても過言ではない漆黒のマントである。これなら姿が闇夜に隠れて事を進めやすい。
 ミュウツーはもう一度だけ左に右を顔を向けて人がいないことを確認すると、軽い身のこなしで門を超えた。ひらりと漆黒のマントが空を踊るが、音はあまりたたず、そして着地にもを配って、なるべく音を最小限に抑える。こうして無事に侵入を果たしたミュウツーは玄関前の扉の前から姿を消し、建物をぐるっと回ると、庭の方に出た。庭にはオレンの実やらモモンの実などが育てられているような木があり、また都合のよい隠れ場所を見つけたものだとミュウツーは心の中でガッツポーズを決めていた。とりあえずその木々の内の一本を選ぶとミュウツーはそこに体を忍ばせると、その木の向こう側にあるガラス製の引き戸――つまり建物の方へと意識を傾ける。桃色に染まった厚手のカーテンで中を覗くことは叶わなかったが、それでもミュウツーは目を閉じ、耳に意識を集中させた。元々、身体的能力がずば抜けているミュウツーだったが、旅を続けている間にその能力を高めたらしく、集中すれば百メートル先の事情も聞くことができるようになった。
「はい、ロイヤルストレートフラッシュ。わたしの勝ちね」
「ゆゆらねぇちゃん強すぎ」
「これでさんれんぞくって、ぜったいふせいこういしてるよねっ?」
「タネも仕掛けもないわよ。運も実力の内、これがわたしの実力、分かった?」
「よっし、次は何人かでゆゆらっちを監視だ!」
 そこで何人かの子供が「おー!」という声をあげる。どうやら部屋の中ではトランプでポーカーをやっているようだった。ミュウツーもその遊びは知っていた。ただ知識として知っているというだけでやったことは一度もないが。それにしても運が良い奴だと、ミュウツーは思った。今の自分に置かれている立場とは大違いだと、正直、うらやましかったりした。
 ポーカーはその後も続けられていき、ゆゆらは持ち前の運の良さを発揮し、周りの者たちは不正を発覚させようと活きこんでおり、そして楽しそうな笑い声もそこから溢れてきた。その楽しげな雰囲気にミュウツーはなんだか今ここに自分がぽつんといることがみじめになってきた。一人旅を続けてきた自分にとって、誰かと一緒にいるということは初めてのことだった。契機はとても褒められたものではなかったし、その誰かさんには散々使い走りされたりであるし、いい思い出なんてどこにもない。
「はい、またロイヤルストレートフラッシュ」
「また〜!?」
 そんな会話でミュウツーは現実に戻ってきた。
 不思議な感覚だった。
 さっきまでデリバード社長に愚痴をこぼしていたのに、どうして、ここまで彼女のことを考えてしまったのか自分にも分からない。
 先程のデリバードの話に同情して、心が変わったというのか、いやそれはないかとミュウツーは首を振っていた。
 そのデリバード社長からもらった話はこうだ。
 
 ミュウツーが今いる、ここ――『あおいとりのゆりかご』はゆゆらが育った場所であった。
 
 ゆゆらは小さい頃、両親を亡くして孤児院といった施設育ちの子だという。
 デリバード社長が施設の関係者から聞いた話だそうだが、ゆゆらはいつもやんちゃでおてんばな性格ではあるものの、責任感は強く、あの強さもそこから身に付いたものであろうとのこと。まぁ、強くなりすぎて、時々別方向になったりしているのが玉に傷なのだが。しかし、ゆゆらは誰よりも強くなった――それはきっと誰も失いたくないという気持ちから来ているのではないだろうか……まぁ、これは施設の関係者による推測だけどとデリバード社長は付け足していたが。
 それで、ゆゆらは時々、『あおいとりのゆりかご』に顔を出したりしては買ってきたお菓子などを子供達に分けたり、遊んでいたりしているという。今日も早めに仕事を切り上げたのはそこに行く為であったのだ。
「ねぇねぇ、ゆゆらおねえちゃん、今度はポケ生ゲームで遊ぼうよっ!」
「いいけど、それ一回やると長いでしょ? あ、そうだ。夕飯に出る野菜を食べるって約束したらやってあげてもいいわよ?」
「ゆゆらおねえちゃんのイジワルー」
「お、おれ、ちゃんとやさい食うもんね!」
「わ、わたしだって!」
「ぼ、ぼくもー!」
「はいはい、分かったから、分かったから。そいじゃ、準備しよっか」
 更に場を包む楽しそうな声に、これ以上いても邪魔になりそうだと思ったミュウツーはその場から去っていった。吹き抜ける風がなんだか冷たかった。


【3】
 ミュウツーが『あおいとりのゆりかご』に赴いてから数日後の夜のこと。
 ミュウツーが居候させてもらっているゆゆらの部屋に戻ってくると、ドアは開いていたのだが彼女の姿はおらず、電気を付けると居間にあるちゃぶ台の上には一枚の紙切れがあった。そこには『ちょっと出かけてくる』と短い一文だけ書かれてあった。鍵を閉めないでいくとは不用心だと呟きながらミュウツーは今日の帰り際にデリバード社長からもらったビニール袋から一本、おごってもらったビール缶を取り出した。そして、ちゃぶ台のところに座り、カシュッといい感じに缶を開けると早速一口飲み、ミュウツーは一息ついた。実は旅の途中でも一、二本味わったことがあるだが、人間は中々ぜいたくなものを飲むものだなとミュウツーは思った。程なくしていい感じにほろ酔いが回ってくる。
 そういえば、ゆゆらは仕事を早く切り上げていたから、またあそこへ行ったのだろうかと思いながら、ミュウツーは天井を仰いだ。それから、ゆゆらにとってあそこにいる子達が妹や弟で、大事な家族なんだろうなとふと考え始める。あの日、窓越しから聞こえた楽しそうな声が今でも忘れられないままでいる。なんで、ここまで脳裏に焼きついているのだろうか。
 もしかして、自分はゆゆらのことがうらやましかったからとでも言うのだろうか。
 自分は研究所に産まれて、育って、周りに人はいたけど、自分にとってはいないも同然で、研究所に出たのはいいけど、自分の世界が広がったのはいいことだけど、なにかが胸をつっかえていた。
 それは恐らくゆゆらと共に暮らし始めてから、ミュウツー自身が気がつかない内にあったのかもしれない。
 
 自分は意外と寂しがり屋かもしれない、ミュウツーがそう思うと、酒がまずくなった。
 
 今日はこのまま寝るか――そう、ミュウツーが目をつむったときのことであった。
 玄関の方から扉が開く音がした思いきや、居間に現れたのは白いヒゲをたくさん蓄えた白衣姿の老人が一人と、黒い服に身をまとったサングラスをかけた若い男が二人。
「……何者だ」
「いやぁ……ほ、ほ、ほ。まさかこんなところにいたとはのう」
「生体確認完了。新種のポケモンだと思われます」
「能力確認完了。高個体、ロリコ博士、お気をつけて」
「なぁ〜に。大丈夫じゃよ。ワシが何も準備をしないでここに来たとでも?」
 ガハハと笑い声を上げるロリコ博士と呼ばれた老人に、ミュウツーはなんとなく嫌な予感がした。博士ということは自分が嫌いな研究所類いのものに違いない……ミュウツーは一気に酔いからさめ、そして身構えた。そんなミュウツーの姿にロリコ博士は「ほ、ほ、ほ。話が進めやすくてよいのう」と言うと、ミュウツーに歩み寄る。ここで家の主であるゆゆらの許可なしに暴れてもいいのだろうか、そうミュウツーが考えているとロリコ博士が口を開き、いきなり告白した。
「さて、キミをこれから研究所に連れていって、色々と実験したいのだが」
「だが断る」
 ミュウツーが断固拒否するとロリコ博士がガハハとまた笑い出す。「何が可笑しいのだ」と睨みつけるミュウツーにロリコ博士はニヤリとイヤらしく口元を歪ませた。
「ワシが何も調べずに来たかと思うか? ならば、よろしい。色々と調査したものをお前さんに聞かせてやろう」
「なに……?」
「本名、神寺希ゆゆら(かんじき ゆゆら)今年で十五歳、少々暴れん坊な性格。六歳の頃に事故で両親を亡くし、孤児院で育てられる。十歳で巣立ち、『デリバードのよろずやプレゼント』に働き始め――」
 以下、三十分程続くので割愛。
「そして、キミはミュウツーと呼ばれているワシ達にとっては新種のポケモンで研究対象。以上」
「何故に我のときだけ、そんなにバッサリしている!?」
 ミュウツーのツッコミにロリコ博士はまぁまぁと言いながら、一冊の薄い本を取り出して「別に来ないなら来ないでいいのだが」とミュウツーに渡す。両手両足は鉄製の枷で繋げられており、ぼろぼろな服をまとって、赤いツインテールを揺らしながら半裸少女が潤んだ目でこちらを見つめてくる表紙の薄い本。まさかこの赤いツインテールの子って……そう思いながら、ミュウツーは本を開け――。

 鼻血が本に吹き飛んだ。

「この子がそうなっても知らないぞ?」 
「……分かった。分かったから、絶対にゆゆらには何もするな……!」
「話が分かってよろしい」
「くそ……!」
「なんとでも言えばよい……それにしても我ながらよく描けたものだなぁ。よし新刊はこれで行こう、これで」
「……間違いなく、肖像権とかで訴えられるぞ、貴様」
 ロープで手首を縛られ、連行されるミュウツーはとりあえずゆゆらに危害が及ばないことを良しとすることにした。それから借金を返せなかったことを心の中で呟くと、そこからは何も考えないようにした。


 アパートから車で連行されること約五分程、人通りのない路地裏の一角に地下に続く薄暗い階段があり、そこを下りていくと、真白に染まった廊下が現れた。そしてそこを通る途中で何人かの白衣姿の人と会う。
「御苦労さまです、ロリコ博士」
「それが例の新種のポケモンですか……!」
「もしやと思って追跡調査を頼んで正解だったわい」
「流石、勘の鋭い方ですなぁ」
 ミュウツーにとっては他愛もない談笑が数分間続いた後、再び歩き出し、ようやく研究部屋らしきところに着いた。パソコンが何台か起動してあり、他にもなんだか精密機械みたいなものも完備してあり、そして空調の音にピコピコといった感じの電子音が絶え間なく鳴り響いていた。
 そこでミュウツーはようやく手首を解放され、それからロリコ博士のされるがままに、赤、青、黄といった変なコードを体に付けられる。「大丈夫じゃ。まずは生体をより精密に調べるだけじゃからな」と、そう言いながら作業を続けるロリコ博士をよそに、ミュウツーは嫌な思い出を頭の中に浮かべていた。自分が産まれた研究所では変な液体漬けにされたときもあったけど、ここでもそんなことをされてしまうのだろうか。体は持つのか、精神は持つのか、他人の命を弄ぶ気か、そんな不満を思っていたのだが……今、ここで騒ぎを起こして、ゆゆらの身に何かが起こるのも嫌だった。
「どうした? なんだか心拍数が上がっているみたいだが。ガハハ、そんなに緊張することないぞ。リラックスにな。リラックスに」
「……誰のせいだと思っているんだ。誰のせいだと……」
「ん? 何か言ったか?」
「何も言ってない。空耳だろう」
 とりあえず、自分が黙って従っていればゆゆらには危害は及ばないし、それに反抗的なことさえしなければ、きっと何事もなく――。
 ここまで考えて、不思議なことにミュウツーは気がついた。誰かを守る為にこうやって捕まるとは、と。本来なら自由を求めていた自分なのに、自分に嫌なことをしてくるゆゆらのことなんか気にしなくてもいいのに、どうしてなのだろうか。気がつけば、ここまで、ゆゆらのことに必死になっている自分がそこにいたという事実にミュウツーは目を丸くさせていた。
「ふぅむ。やっぱり波長がちょっと乱れておるのう。やはり少し固くなっておるか? なぁ〜に、この研究所ではしっかりとお前さんを可愛がってやるから心配せんでいい」 
 その後のロリコ博士の笑い声に、ミュウツーは正直に言うと嫌な予感しかしなかった。
 けれど、動かなかった。
 口ごたえもしなかった。
 ただ、無言の主張を紫色の瞳に乗せて、ロリコ博士を睨みつけていた。
「まぁ、そんなに研究というもんを邪険にしないでくれい、と言ってもすぐには信じてくれないじゃろうけど」
 あのような脅迫をかましてくる奴のことなんか信用ならない。
 ミュウツーがまた睨み続けていると、ロリコ博士はやれやれといった顔になった。
「ふぅ。そこまで睨まれても困るのう。まぁ、よい。やがてここの居心地良さが分かるじゃろうよ」
 そんなことあるものかとミュウツーが思ったのと、ロリコ博士がミュウツーの傍を離れたのは同時のことだった。ロリコ博士が丸底フラスコに水を入れ始めると、本が乱雑に置かれてある机の上に鎮座していたアルコールランプでそれを熱し始め、近くに置いてあったコーヒーの素が入っているビンを取った。どうやら一服するようだ。
 コーヒーを作っているロリコ博士の後ろ姿を見ながら、ミュウツーはゆゆらのことを思っていた。
 今頃、何をしているのだろうか。
 借金を返さないまま消えて、きっと怒っていることだろう。
 次に再会できた日には本当に殺されそうで、怖い――怖いのけれど、何故か、ミュウツーから笑みがこぼれていた。
 しかし、再会という言葉にミュウツーの顔はあっという間に曇った。
 果たして、再会できるのか? 
 この研究所から脱出できるのか?
 あのときは、自分の為だけであったし、脱出することによって失うものなんて何もなかった。
 けれど、今回はどうだ。ゆゆらが人質的な立場にある以上、むやみに脱出することはできない。自分の力ならここから脱出して、他の地方に雲隠れすることは可能だ。しかし、その代わりにゆゆらの身に何かが起こることは間違いなしだ。あの男の顔には嘘という文字はなかった、これだけは分かる。今のミュウツーにゆゆらを見捨てることなんてとてもできなかった。多分、旅をしている中で、本当に自分が欲しかったのは自由ではなくて――。
 そこまでミュウツーが思ったときのことだった。
 
 何やら激しい爆発音らしきものが鳴り響いた。

 それから一人の若い助手らしき丸底眼鏡をかけた青年が慌てて部屋に現れた。
 そのときミュウツーの目に入ったのは、戸が開かれた先に倒れているカイリキーの姿だった。たくましい筋肉を乗せた灰色に染まった四本の腕がだらしなく倒れている。
「ロリコン博士! ロリコン博士!」
「ンは余計じゃ! 落ち着けい! どうした、何があったのじゃ!?」
「ひ、一人の少女がこの研究所に侵入してきてるんです!!」
「なんじゃと!?」 
 ミュウツーも目を丸くさせた。
「ハッ……! そうじゃ、少女の容姿は!?」
「身長は百四十センチ程で、赤い髪をツインテールにしています!」
 まさかまさかとミュウツーの心臓は鼓動を速める。
「カイリキーとか、ゴローニャをのめすなんて一体……どうやってあの小さな体から力がぁあああっぷおう!!??」
 助手がいきなり飛んだかと思いきや、そこに現れたのは赤い髪のツインテールを揺らしている一人の少女。
「身長のことは言うんじゃねぇよ、この野郎っ」
「ゆゆら!」
「ここにいたんだ。ったく、いきなり連れてかれてると思ったら、こんな変なところにきちゃって」
「ま、まさかついてきたのかのう!?」
「当り前じゃない。コイツには借金がまだ残ってるもん」
 どこで見かけたのかは分からないが、まさかここまで付いてこられるなんて、この少女のスペックは一体なんなんだとロリコ博士が思っているのをよそに、ゆゆらはミュウツーの元につかつかと歩み寄っていくと、ミュウツーの体にまとわりついているコードをぶち抜いていく。そのゆゆらの手が少しばかり赤くなっているのにミュウツーは気がついた。
「手……大丈夫か?」
「ん? あぁ、これ? カイリキーは余裕だったんだけど、ゴローニャは流石に硬かったわ。まぁ大したことはなかったんだけど」
 どれだけチートな少女なんだ。より強いポケモンとして産まれてきた自分に対してもラリアットとか決めるし、全て常識に当てはまらない、通用しない。まぁ、きっとそれがゆゆらの確固たる強さの一つの証というものかもしれないとミュウツーは思った。
「待て待て! 神寺希ゆゆら!」
 名前を呼ばれたゆゆらはロリコ博士の方に顔を向ける。その顔は誰だよコイツはと思いっきり顔に書いてあったように見える。
「お前さんの事情は知っておる! ここで大人しく、ミュウツーを置いていったら、百五十万、払ってやろ――」
 刹那――ゆゆらはロリコの胸元をつかんで自分のところに寄せると、思いっきり睨みつけた。その眼力に、あれだけゆゆらに対して脅迫まがいのことをしたロリコ博士も身をすくませた。睨みつけられてはいないがミュウツーも思わず身をすくませた。ゆゆらの瞳からにじみ出していたもの、それは本物の殺気だった。
「コイツがちゃんとわたしに働いて返してもらうんだから、余計なことはしなくても結構よっ」
「だが、すぐに百五十万をもらえた方が――」
 なんとか喉を振り絞るかのようにロリコ博士が言うと、ゆゆらが思いっきり、ロリコ博士の急所を蹴り上げた。あまりの痛さにロリコ博士は苦悶の声を上げた。同じ男であるミュウツーは思いっきり目をつむった。あれは確かに痛い。思わず敵ながら、そこだけは同情していたミュウツーである。
「るっせぇよ! わたしが決めたことにチャチャ入れんじゃねぇ!」
「ゆゆら……」
 自分より小さい少女なのに、今のゆゆらが見せた真っ直ぐな心はミュウツーの心を一瞬で惹かれさせていった。研究所に出て、自由に生きたい、あれも真っ直ぐな心だったのか、ミュウツーは今のゆゆらに昔の自分の姿を重ねると、胸に熱いものが迫ってくるのを感じた。
「ったく、アンタもアンタよ。なんでこんな奴らについて行くのよ」
「いや……ゆゆらに危害を加えるとかそんな脅迫をな――」
 ゆゆらがミュウツーの頭にチョップをかました。「ぐえっ!?」とミュウツーから悲鳴が上がる。
「わたしが負けるわけないじゃん。何考えてんのよ」
「……確かに」
 ミュウツーがそう苦笑を交えながら立ち上がった。自分の杞憂に終わったかな、だったら脱出した方がまだマシだったかもしれないと思いながら、依然と急所に手を押さえながらうめいているロリコ博士の元に歩み寄った。
 もう迷いはしない。
 自由が欲しくて研究所に出たのだから、もう二度と戻るようなことはしない。
 そして自由も欲しいのだが、もう一つ欲しいものができたかもしれない――それを邪魔されたくなかった。
「……悪いが、これ以上、我らに何かをしようと言うのなら、容赦はしない」
 それから見せしめに一個、黒い玉を作ると、それを放ち、見事に一つの機械に貫通した。
 これが自分の意志だ――そう迷いの晴れたミュウツーの瞳がキラリと鋭く輝いて――。
 
『緊急警報、緊急警報、自爆装置が発動しました。十分以内に各員避難してください。繰り返します――』

「ばかもんが……この研究室も終わりか……退散だぁ!!」
 そう言うなり、立ち上がったロリコ博士は「まだ他にも研究所はある! ワシ達は諦めんから覚えておれ!」そんな(三流な)捨て台詞を吐き捨てながら、走り去って行った。先程の助手の姿ももうなく、場はあっという間にけたたましく鳴り響くサイレン音でいっぱいに。それから、ゆゆらは指をポキポキと鳴らしながら、ミュウツーに歩み寄った。その形相はオニゴーリの如く、そして何故かツインテールの赤い髪が怒りと共にゆらゆらと上に浮かんでいるように、ミュウツーには見えた。
「……ア、ン、タ、は、また余計なもんをぶっ壊しやがって……!!」
「ま、待て、こ、これはその、あれだ」
「言い訳無用だっつうのっ!!」 
 今、ここでドンパチしている暇はないはずなのだが、怒りで我を忘れてしまっている(と思われる)ゆゆらの攻撃に、ここで死んでたまるかとミュウツーも必死になって耐える。
 確かにあのときのツボと同様にまたやらかしたかもしれないが、これは事故だ、事故なんだと主張しても一向に止まらない攻撃と同時に、そういえば、ここから早く逃げなければマズイのではとミュウツーは今更ながら思う。

 しかし時すでに遅しだった。
『きゃは、十分経過。自爆します★』
 ミュウツーとゆゆらのやり取りを楽しそうに眺めるような声(萌え系)が響くと――。

 ミュウツーとゆゆらのいる世界が一瞬で真っ白に染まった。

 轟く爆発音が辺り一体に響き渡る。
 研究所は一気に廃墟となってしまった。
 依然と煙が立ち上る中、今度は違うサイレンの音が鳴り響く。
 赤く染まっている消防車に、白く染まっている救急車が現場へとやってくる。
 謎の爆発に誰か巻き込まれてしまってないかと、作業を開始する人達――。

 このように路地裏では緊張感が走っている中、『あおいとりのゆりかご』近くにある小さな丘の上。
 
 一本の木下にミュウツーとゆゆらがいた。
 先に目を覚ましたのはゆゆらの方で、ミュウツーが隣で倒れていることを確認すると、彼の顔を覗きこんでみた。
 ゆゆらはそっとミュウツーの腕を取ると彼の体温は冷たく――。
「死んだフリしてんじゃねぇよっ」
「ぐえっ」
 冷たくはなかった。
 俗に柔道での、十文字固めという技を決めながら、依然と怒りが収まらない様子のゆゆらに、命がけのテレポートで脱出を成功させたミュウツーは思った。

 ここで死ぬかもしれないと。

 まぁ、実際にはそんなことはなかったのだが。
 ゆゆらの機嫌が直るのに時間がかかったのは言うまでもない。


【4】
 ミュウツーがさらわれたり、研究所が爆発したりといった物騒な事件の後、ミュウツーとゆゆらは缶ビールを一本ずつ呑みながら、ゆっくりしていた。
 時刻はもう深夜を回っており、耳を澄ませば、遠くからフクロウポケモンのホーホーの鳴き声が聞こえてくる。先程までは心底から怒りを爆発させていたゆゆらだったが、少し落ち着いてきたようで、缶ビールを少しずつ口に運びながら雑誌をめくっていた。ミュウツーもなんだか解放されたような気分で一口飲む度に天井を仰ぎ、今日のことを振り返る。
 今日は本当にゆゆらに救われた。
 彼女が来てくれなかったら今頃どうなっていたのだろうかと想像しようとしたが、ミュウツーは横に首を振った。それは止めておこう。折角の酒がまずくなってしまうからとミュウツーは苦笑をこぼす。
 後、ゆゆらに救われたのは何も体のことだけない。心のことでも救われたとミュウツーは思う。
 あのとき、ゆゆらの後ろ姿を見てミュウツーが思ったのは、悩んでいるのが馬鹿馬鹿しくなったということだった。  
 確かにあの過去は変えられないものであるし、一種のトラウマのようなものである。
 しかし、今、自分はここに生きている。
 過去に生きているわけではないのだ。
 こんなこともあったなと、それを酒の肴(さかな)にして飲み干すことができるような男になりたいものだとミュウツーは思った。
「ん? なに、見てんのよっ」
「今日は……世話になったな」
「ホントよ、全く。いい? 絶対に借金を返すまではどこかに消えるの禁止なんだからっ!」
「あぁ、分かってる」
 ふと、ゆゆらが立ち上がると雑誌を丸めてミュウツーの頭をぽこんと軽めに叩く。
 その目はどことなく真剣な眼差しなような気がした。
「絶対なんだから」   
 そう言って振り返るゆゆらに、ミュウツーはお互い酔っているものだと苦笑混じりに再び缶ビールに口をつける。
 苦い味がほどよくミュウツーの舌を走っていくのと、ゆゆらが何かを拾い上げたのは同時のことだった。
「ん? なに、これ」
 ゆゆらがしかめっつらで拾ったソレは一冊の薄い本。
 その薄い本を同じく目にしたミュウツーは目を丸くさせ、口に入れたビールを思わず吹いた。
 それは確かロリコ博士が描いたという、いかがわしい内容の――。
 あのまま置いていったのかとミュウツーが舌打ちしたときにはもう時すでにおそしだった。
 再びミュウツーの方へと振り返った、ゆゆらの顔は、それはそれはもう真っ赤に染まったオニゴーリのような形相であった。
「ま、まて、話せば分かる話せば――」
「……こういうのを買う金があるんなら、借金によこせよ、このばかぁあああ!!」
「誤解だぁああああああああ」
 こんなこともあったなぁと、この出来事も酒の肴にして飲み干すことができる日はきっと遠い。


「次! さっさとこれを四丁目の佐伯さんちに運ぶ!」
「す、少しは休憩を……着ぐるみ熱いっ!」
「文句を言うな文句を! アンタまだ借金残ってんだからっ! ほら、さっさと行く!」
「分かった、分かった……」
 あれから更に二週間が経ち、初めての給料とやらをミュウツーは受け取ったのだが、生活費諸々を引くと借金返済代に当てられたのはほんの少しだけだった。一体、本当にいつまで続くのだろうかと思いながら、ゆゆらに背中を蹴られたミュウツーは出発した。重そうな箱を二つほど抱えて走っていく。デリバードの着ぐるみを装備している為、道行く人はすれ違う度にミュウツーに視線を当てている。全く、これで本当に宣伝になっているかどうかが疑わしい。そんなことを心の中で愚痴りながらもミュウツーは街中を駆け抜けていく。玩具屋に電気屋、魚屋、肉屋などが並ぶ商店街を抜け、角を左に曲がり、両端にコンクリートの塀が続く一本道を通り、目的の佐伯宅にたどり着く。呼び鈴を押して間もなく初老のおばあさんが現れ、箱を渡す……予定だったのだがこの重いものをおばあさんに持たすわけにもいかないので、ミュウツーは家の中まで運んでおき、そこで判子をもらった。さて戻って次の件に行くかとミュウツーが家を出ようとする前におばあさんが「ありがとね」と声をかけてくれた。ミュウツーは「どうも」と言うと家を出て行った。
 なんだか笑顔に「どうも」って言えた気がしたミュウツーだったのだが、着ぐるみ装備でその顔を届けることまではできなかった。
 会社に戻りながらミュウツーはこの日々も悪くないかと思ってしまうのは駄目だろうかと、ふと思った。
 無事に借金を返済できたとき、また旅の日々を送るのも悪くないが、このままここで日々を送るのもいいかもしれない。

 何せ、ミュウツーが欲しかったものは自由ともう一つ――。

「やっと戻ってきた! おっそい! 荷物溜まってんだから、次さっさと運ぶ!」  
 色々と大変かもしれないが。
 
 それもまた一興かもしれないと、着ぐるみの中でミュウツーは苦笑いを浮かべていた。 


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