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  [No.2729] うきくじら 投稿者:No.017   投稿日:2012/11/17(Sat) 20:53:18   129clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:クジラ博士のフィールドノート



 ……

 …………

 目を開いた。

 僕の瞳に映し出されたのはグラデーションに彩られた深い空の青とその下にどこまでもどこまでも広がる白い雲。雲の海だった。

 その海にも塩水の海で言うところの水平線が見える。
 太陽のまぶしい光が暖かく僕を包み込んでいた。
 ――ここはどこだ?
 僕が寝そべったまま、目を半開きにして、まだはっきりしない意識の中そんなことを考え始めたそのとき、

 シュゴオオオッ!

 突然に音がして僕の意識を完全に覚醒させた。
 音と共に飛び起きた僕に降り注いだのは水だった。なめてみるとしょっぱい水だった。
 この音の正体を僕はよく知っていた。
「ブローだ、これ」
 と、僕は口にした。寝返りをうってから上半身を起こすと、数十センチ離れた場所に二つの大きな穴が開いていた。
 大きな音とともに大きな穴……否、噴気孔から勢いよく海水が飛び出す。いわゆる潮吹きというやつだ。専門用語ではしばしばブローと呼ばれているが同じことだ。
 そいつの噴気孔――とどのつまりはでかい鼻の穴を目の前にしながら僕は気がついた。僕はこの鼻の穴の主の上に乗っかっているのだ、ということに。
 後ろを振り向けば、なだらかな青い丘にまるで飛び石のように白い楕円の丸が二つ並んでいた。そのはるか向こうで逆三角形の尾ビレが揺れていた。
 まるで飛行船のようなフォルム。その巨体は僕が知るうちで、いや、現在知られているポケモンのうちで最も大きいもので、一般的な大きさは全長14メートルと言われる。14メートルもあっちゃ「ポケット」モンスターじゃないだろうというツッコミもしばしばされるところであるがそれはまぁ置いておこう。そいつの名はうきくじらポケモン、ホエルオー。
 そのホエルオーの頭上で、僕は今まさに目覚めたのだ。
 ホエルオーは僕が頭の上に乗っていることを気にすることもなく、いや、むしろ僕が落ちないように気遣っているのか、ゆっくりとゆっくりと、けれど確実に雲の海を進んでいく。


「それにしても君、でっかいなぁ!」
 僕はその大きさに感嘆の声を上げた。
 ホエルオーは大きい。一番大きなポケモンだ。だからその大きさは誰もが認めるところだが、ぼくが言いたいのはそんなことじゃない。
 僕が乗っているこいつの大きさは、今まで見てきたどんなホエルオーとくらべても別格だった。通常の1.5倍……いや、2倍はあるだろうか……?
「1メートルってこれくらいだよな」
 僕は足を開いてその歩幅をスケール替わりにした。そして、ホエルオーの頭から尾の付け根まで歩ける範囲で歩いてみて長さを測ることを試みた。
「1、2、3……4、5、6」
 慎重に、数え間違えないように、声に出してカウントする。
 青い丘を僕は踏みしめる。
「13、14、15………」
 背中の中心にある白い飛び石の上も渡る。近づいてみれば白い模様の部分も大きい。
「19、20……」
「……26、27、28…………」
 これは驚いた。
 歩けなかった範囲を入れれば30メートルを越えるのではなかろうか。
「すごい! こんなに大きなホエルオーはカスタニ博士だって見たことがないに違いない!」
 僕は興奮して叫んだ。
 カスタニ博士というのは、僕の住んでる島で主にホエルコ、ホエルオーを研究している博士で、携帯獣研究ウン十年のベテランだ。博士がこいつを見たら大声でこう叫ぶに違いない。
『素晴らしい! 私がいままで見た中で最長のホエルオーだよ!』
 僕は小さいころから博士の武勇伝を聞いて育ったクチで、時々博士の研究の手伝いをしている。気がついたらすっかり博士のあれやこれやを叩き込まれてしまっていた。
 だから僕が数字にこだわるのはこういう理由からだ。数字を大切にしなさい、と僕はずっと博士に言われ続けて育った。数字は客観性なのだと。科学の基本なのだと。だから科学者ってのは数字を気にする人種なんだ。
 そして数字を確かめたらまっさきにやらなければならないことがあることを経験的に僕は知っていた。いや習慣付けられていた。
 いつもの癖でポケットに手を突っ込むと、あったあった。小さな縦長のノートが入っていた。僕が引っ張り出したのはフィールドノート。深緑の硬い台紙に挟まれた紙の束だ。
 あれは島の学校に通うようになって初めて迎えたクリスマスだったか。目が覚めたら綺麗な包装紙に包まれたこれが枕元に置いてあった。たぶん博士が母さんあたりに頼んで渡したんだろう。
 今持っているこのノートはたぶん何十代目かになる。三十代目くらいになったところでめんどくさいので数えるのはやめてしまった。これもとにかく記録しろ! 記録は重要だ! いや全てだ! などと口を酸っぱくして事あるごとに言ってきた博士の教育の賜物と言えよう。
 実際、記録は大事だ。うっかり海の中にでも落としてしまおうものならレポートも考察も無い。まさに海の藻屑となってしまう。
 僕は先週になって新調したばかりの、真新しいフィールドノートを開く。
 台紙にしがみついていたシャープペンシルで一番最初にはこう記した。

『雲の海を行くホエルオー 全長約30メートル』

 空の航海で僕にやれることは何もなかった。唯一ある仕事といえば落ちないようにしているということ。
 あんまりに暇なので全長以外にも目測で測ってみた。
 横の幅、背中の白い楕円の大きさ。せっかくだから噴射口も。まったく、スケールを持っていないのをこれほど惜しいと思った日は無い。
 僕はノートの一ページ丸々に大きなうきくじらの図を描くと、事細かに各部位のサイズを記入していった。目測だから数字はだいたいなのだが。


「これで、よし」
 ノートの中に泳ぐうきくじらの図を見て僕は満足した。
 うきくじらにはいろんな方向からいろんな矢印が伸びていて数字が記入してある。
 これを見ればきっと博士も合格をくれるだろう。そして
『くそう! 見たかった! お前だけいいもの見やがって!』
 そう言って歯軋りするに違いない。
 悔しそうな博士の表情を想像して、ふふ、と僕はニヤつく。
 そして、仕上げをせねばなるまい、と僕は気がついた。
 これも博士に仕込まれた大事なことだ。
 いつも博士は言っていた。

『記録には必ず日付をつけろ。場所も入れろ。そうでないと記録は腐る』
『それはお前の頭の中の空想とさして変わらない』

「……えっ」
 僕はフィールドノートを片手にシャープペンシルを持ったまま硬直した。
 最初に頭をもたげたのは次のような疑問だった。
 そういえば、今、何月何日だったろうか……?
 ぞくりと背中に寒気が走って、冷たい海水を全身に掛けられたような気がした。
 瞬間、シュゴウ! と、ホエルオーが潮を吹いた。
 僕は、急に冴えた頭になって、おそるおそる周りの風景を改めて見つめ直した。
 
 雲がつくる水平線。
 暖かく包み込む太陽の光。

 僕の瞳には相変わらず目覚めた時と変わらない風景が映っている。
 深い空の青とその下にどこまでもどこまでも広がる白い雲。
 ――――雲の海。

 雲……?

 おおきなホエルオーは相変わらずゆっくりと、ゆっくりと進む。
 けれど、確実にどこかに進んでいる。
「なぁ、僕達ってどこに行こうとしているんだ?」
 僕はおそるおそる彼に尋ねた。
 ホエルオーは答えない。否、答えられない。
 シュゴッ、とまた小さめの潮を吹き出して、答えでない答えを発した。
 吹き上げられた水の粒子が太陽に照らされてキラキラと光る。
「それってお前なりに答えてるつもりなのか?」
 もちろん、答えはない。
 僕を乗せて雲の海をただ黙々と進むだけだった。
 何かがおかしい。
 雲の海の中に浮かぶ、小さな無人島。そこに一人のちっぽけな人間が焦っている。もしどこか遠くから僕達のことを見ている誰かがいるのなら、僕らはそういう風に見えたかもしれない。
 雲の海はこんなにきれいで太陽だってこんなに暖かいのに、なぜかさびしい。
 そしてどういうわけだろう、事実、僕はだんだん心細くなってきた。
「というか、僕はどうしてここにいるんだろう?」
 心細くなってきたのと同時進行でそんな疑問がふつふつと湧いてきた。
 いや、むしろなぜ今まで疑問に思わなかったのか。
 ホエルオーが雲の海を泳いでいる? 空に浮かんでいる?
 そもそもホエルオーは海水の海に浮かんでいるものじゃないのか?
 それとも知られていないだけで空に浮かぶ種類もいるのか?
 いやそんな馬鹿な!
 いや、仮にそうだとして、どうして僕がそれに乗っている?
 だが、気がついたらすでに雲の海の上、僕はホエルオーに乗っていた。

 その前は?
 その前は何をしていた?

 ――思い出せない。

「ちょっと待ってくれよ! ここはどこなんだ? 今いつなんだ!」
 堪らなくなって僕は叫んだ。
 僕の不安が頂点に達したその時、

 シュゴッ!
 シュゴオオオ!
 シュゴオォォーー!

 いくつものブローの音が響くと同時に、僕と僕を乗せたホエルオーを囲む雲の中から無数の潮が吹き出した。
 そしてそれに応えるように僕を乗せたホエルオーが最大級の潮を噴き上げた。
「うわッ! 冷たッ!」
 まるで夕立のごとく、青い丘の上に降り注ぐ大量の海水。
 ああ、これはブローじゃない! れっきとした技のほうの「潮噴き」だ!
 毎日毎日、海に出て観察していてもめったに見れないんだ。
 それを待っていたかのように雲の中から潮を吹き上げていたものたちが浮かび上がって、その姿を現した。
 それはたくさんのホエルオーだった。ホエルオーたちが僕らを囲んでいる。そのあちらこちらから潮が噴き上がる。
 僕が乗っているホエルオーもそれに答えるように何度も、何度も潮を噴き上げる。それはまるでひさしぶりの再会を喜んでいるように僕には見えた。
 着ていた服と新調したばかりのノートをびしょびしょにされた僕は、でもそれどころではなくて、彼らの潮噴きの競演にすっかり見入っていた。
「こいつら、お前を迎えに来たのかい?」
 少し落ち着いてから、僕はまた僕を乗せているホエルオーに話しかけた。
 ホエルオーは小さく潮を、ブローのほうを吹き上げた。
 ――そうだ。
 そう言っているように思えた。
 挨拶にいったん区切りがついたのか噴かれる潮の数が減り始める。
 それと同時にホエルオー達の巨体が雲から離れはじめた。雲に半分隠れていた身体が徐々にその姿を見せ始める。
 そしてどんどん、どんどん上昇していく。
 ――こっちだよ、はやくおいで。
 そう言っているようだった。
 ホエルオーの巨体がひとつ、またひとつ浮かんでゆく。飛行船の上昇って見たことないんだが、こんな感じじゃないだろうかと僕は思った。
 その光景は太陽の光がつくる逆光で神々しくさえ見えた。きっとこの上にホエルオーの目的地があるに違いない。
 だが、僕を乗せたホエルオーは動かなかった。
「どうした? 行かないのか?」
 ホエルオーは答えなかった。
 そして何か思案しているように見えた。
 こうしている間にも仲間のホエルオーたちは一匹、また一匹と雲の海の海面から離れてゆく。
「もしかして、僕がいるから……」
 なぜだろう直感的に僕はそう思って、そして尋ねた。
 潮が小さく吹き上がった。
「僕の目的地と君の目的地は同じじゃない?」
 今度はブローが返ってこなかった。僕とうきくじらの間に沈黙が続く。
 どうしたものかと空を見上げると、迎えのホエルオーたちがもうずいぶん上に行ってしまっていた。
「そういえば、君には迎えがいるけれど、僕にはいないみたいだ。ここに人間は一人しか居ない」
 僕はそんなことを口にした。ホエルオー達が小さくなっていく。
「あいつらは君を迎えにきた。僕を迎えに来たわけじゃない」
 潮が吹き上がる。
「たぶんだけど……このまま君と一緒に行くべきでは……ないんだろうね?」
 突然のホエルオーたちの出現で忘れていたが、さっきの心細さがよみがえってきていた。
 ここはどこなのか? どうして僕はここにいるのか?
 答えは相変わらず思い出せないし、わからないけれどなんとなくそうだと僕は感じていた。
 ……そうだな、思い出したって言うか最初から覚えていたのはカスタニ博士のことくらいか。主にカスタニ博士の説教についてだけれど……。
 ああ、そういえば博士は今頃どうしているだろう?
 海に出てホエルオーを追いかけているのか、はたまた記録を見返しているのか。
 いや、博士だけじゃない。
 両親は? 島のみんなは?
 ああ、そうか……、自分がどうしてここにいるのかわからないけど、ひとつだけわかったことがある。
「僕は……」
 僕はフィールドノートをズボンのポケットに慎重にしまうと言った。

「僕は帰りたかった。戻りたかったんだ」

 そのときだった。
 突然、僕を乗せたホエルオーが大きく身体をくねらせて、跳ねた。
 それと同時に僕の体も宙に舞い上がった。
 僕は体を宙に舞わせながら、ホエルオーのジャンプ――ブリーチングを見た。それはスローモーションのようにゆっくりに見えて僕の瞳に焼きついた。
 その堂々たる姿は30メートルの大物に相応しいものだった。格が違った。
 ジャンプを終えたホエルオーの巨体が雲の海に突っ込んだ。その瞬間、雲の粒子が大きく巻き上げられて僕の視界をさえぎった。
 何も見えなくなると同時に、僕の意識はシャットダウンした。


 ……

 ………………

 …………


「……ル!」
「トシハル!」

「……ハル、トシハル!」
 ……僕は自分の名前が耳に入っていることに気がついて目を開いた。
 ぼやけた視界の中に誰かが僕を覗き込んでいる。
「目を開けたぞ!」
 聞き覚えのある声、自分にとってなじみのある声だった。
「おおい、トシハル! 私だ! 私が誰だかわかるか?」
 もちろん、わかっている。
 僕は小さい頃から、この人にいやというほど武勇伝を聞かされて育ったのだから。
 たぶん、なんとかしゃべれるかな……? 僕は微弱ながら言葉を口にした。
「そんなに大声出さなくてもわかってますよ……カスタニ博士」
 博士が大きな声で叫んだ。
「バカヤロウ! お前が沖ノ島に行くって船を出したっきり帰ってこなくて島中大騒ぎだったんだぞ! 衰弱しきったお前が見つかったときはもう手遅れかと思ったが……よかった! 本当によかった!」


 僕は当分の間、島の診療所でおとなしくしていることと相成った。
 あれから両親に姉と妹、祖母や祖父、島中の人間が飛んできて、怒鳴られたり泣かれたり。とにかく騒がしかった。
 ここ数日間でそれも落ち着いて、今はゆっくりと過ごしている。
 診療所の窓の外からはしずかに波の音が聞こえてくる。
 ああ、帰ってきたんだ、と僕は思う。

 突然の嵐だった。一人で操縦していた小型船はいとも容易く流された。海を漂流していたときはもうだめかと思った。
 でも……帰ってきたんだ。帰ってきたんだ。この島に。
 毛布を抱きしめる。それを確かめる度に僕は安堵を噛みしめた。

 それにしても……あの夢はなんだったんだろう……と思う。
 僕を乗せて雲の海を泳いでいた大きなホエルオー、そしてたくさんのホエルオー達。
 ああ、もしかしてあれかな。カスタニ博士のホエルオー熱がいよいよ伝染(うつ)ったかな。生死の境であんな夢見て記録取ってるなんてさ。
 そう思って僕は苦笑いした。

 窓のカーテンごしに日の光をあびながらゆったりとした気分になる。そしてまた波の音に耳を澄ます。その音に耳を澄ましているうちに僕はうとうとしはじめた。
 が、今まさに始まろうとしていた眠りは妨げられた。波の音に混じって落ち着きの無い足音がこっちに向かって近づいてきたからだ。この足音を僕はよく知っている。
 乱暴な音とともに病室のドアが開く。
「トシハル! 大変だ!」
 ほうらやっぱり博士だ。僕の予想通りだった。
「診療所では静かにしなくちゃダメですよ。博士」
 どうせ野暮用だと思って、休養中をいいことにろくに目もあわせなかった。
 だが、次の博士の言葉に僕は振り向かされることになった。
「ナギサさん所の船がな、漁に出る途中でホエルオーの死体を発見したそうだ」
 心臓が大きく高鳴った。
 博士は顔を真っ赤にして目を見開きながら早口で続ける。
「私はそれを聞いてすぐに現場に駆けつけたとも! すでに仏様とは言え、実に立派なものだった。素晴らしい! 私がいままでに記録した中じゃあ最長のホエルオーだよ! くわしくは後々調べるが私の見立てでは30メートルは越えているな」
 さんじゅう……メートル……だって?
 心臓の鼓動が早くなっていくのがわかった。
「皆に手伝ってもらってな、なんとか引き上げられないもんかと思って画策してるとこだよ。サメハダーどもが集まらんうちにな。あんな大物には一生に一度会えるか会えないか……たとえそれが死体でもだ! お前も後で見に来るといい」
 汗がにじみ出る。まさか、まさか。
「ではこれで失礼するぞ! 調べるべきことが山ほどできたからな。大仕事になるだろう! お前も早いとこ回復して手伝えよ!」
 そう言った博士はすでに病室のドアノブをつかんでおり、すぐにも部屋を飛び出さんばかりだった。
「待ってください博士!」
「なんだ、私は忙しいんだぞ!」
「死因は? 死因はなんでしょうか」
「くわしくはこれから調べる! が、おそらくは寿命だろうな。大往生だよ。実に惜しい! 生きているうちにお目にかかりたかったものだ!」
 そう答えたとき博士は診療所の廊下を走っていた。いや、廊下を走りながら博士は答えた。博士の足音がだんだん遠くなっていくのがわかった。まったくもってせっかちな人だ。
 ……と、思ったらまた足音が戻ってきた。ふたたび僕の前に現れた博士はズボンのポケットをごそごそとかき回しはじめた。
「……忙しいんじゃなかったんですか」
「ひとつ忘れていた」
 博士はポケットの中からお目当てのものを見つけたようだ。そして、それを僕に差し出した。
 水に濡れて渇いた後の波うったフィールドノートだった。
「お前が発見されたときに預かっておいた。確かに返したぞ」
 そしてノートを押し付けると、顔を近づけてこう言った。
「この老いぼれにはいつお迎えがくるかもわからんがお前は違う。お前はまだ若い。お前はまだまだ生きなくちゃならん。私より先に死ぬんじゃないぞ」
「はい……」
「死ぬときになってお前が迎えに来るなんてシチュエーション、私はごめんだからな」
 そう言うと博士はまた鉄砲玉のように去っていった。
 診療所にはふたたび静けさが戻る。聞こえてくるものといえば窓の外からくる静かな波音だけだ。
 だが僕の心は落ち着かなかった。
 ――30メートルの大物…………
 いつのまにか僕の服は、潮を掛けられたわけでもないのにびしょびしょになっていた。
 着替えよう。そう思い僕は立ち上がった。
 ストン。
 立ち上がった拍子に何かが落ちた。フィールドノートだった。
 僕はハッとして、それを急いで拾い上げ、開く。
 塩分のせいなのかページはばりばりと音を立てたが、かろうじて開くことができた。
 開いたページにはこう記されていた。

『雲の海を行くホエルオー 全長約30メートル』


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