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  [No.3120] 投稿者:リナ   投稿日:2013/11/22(Fri) 00:46:23   74clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


 もしかしたら駅前広場での出来事は、一晩寝てしまうと全て忘れてしまうのではないか。そんな考えが頭を巡り、ちょっぴり床に着くのが怖くなったけど、翌朝目が覚めても「妖精さん事件」は、きちんと私の頭の中に残っていた。
 むしろ、息を切らして家に帰って来た昨日の夜よりも、あの光の記憶は鮮明になったような気がした。人は寝ている間に脳の情報を整理するのだと、何かの本で見たことがあるけど、おおよそそんな感じで、朝食の席に着いた私の頭はとてもすっきりしていた。
「そりゃあ、茉里、あんた『八百万の獣』を見たんだぁ」
 おばあちゃんがしわがれた声で発した言葉は、途中まで聞き覚えがあった。
 お父さんとお母さんには、昨晩のことを話していない。私はちゃっかり、帰りが遅くなったときのために(突然、ユズちゃんに連れ出されてもいいように)、吹奏楽部の練習が長引くことがあると言っていた。昨日も家に帰ってきた時は、駅前で張り込んでいたことなんて、一言も口にしなかった。嘘をついていることはちょっと後ろめたいけど、でも、部活をサボって悪いことをしているわけじゃないもの。このくらいの「方便」は、女子中学生にも許可して欲しい。
 ただそれに対しておばあちゃんには、なんでも話してしまうのだった。おばあちゃんは、門限に厳格だったり、規則や慣習に口うるさかったりするわけではない。むしろ、いつも穏やかで優しくて、時々私から見ても甘すぎるんじゃないかと思うくらいで、それ故に、何を考えているのか分からないこともあるような、そんなおばあちゃんだ。
 学校の通信簿で下がってしまった教科のこととか、ユズちゃんとくだらないことで喧嘩し、口を利かなくなった一週間のこととか、横笛が上手に吹けなくなってしまったときのこととか、人に話したくないようなことも、おばあちゃんに「どおしたの?」と訊かれてしまうと、全部しゃべってしまいたくなる。溜めこんでいたものが、まるで砂時計の砂が落ちるみたいに、するすると口からこぼれていく。そして、そのことをゆっくりゆっくり話す私は、不思議と優しい気持ちになる。それはたぶん、ゆっくりゆっくり話を聞いてくれるおばあちゃんが、優しい気持ちの持ち主だからだ。
 すっかり話してしまった私に、おばあちゃんは頷くだけか、時にはなんにも反応がない時さえある。でも、なんだか私は「もう大丈夫かな」って気持ちになるのだから、本当に不思議だ。
 実は昨日のことも、おばあちゃんにだけはすぐ言おうと決めていた。なんだか今回のことは、そうしなきゃいけないような気がした。
 だからこうして、朝ごはんにきちんと起きて、お父さんとお母さんの目を盗んで、私はおばあちゃんにこっそりと話したのだ。
「やおよろず? 神様なの?」
「いんや、神様とはちと違うんだけんどね。一人の神様に必ず一匹、お手伝いのもののけがいんだぁ。神様なんて全然見るこたぁねえけど、八百万の獣たちは、ばあちゃんも昔は時々見たもんだぁ」
 やおよろずの、けもの。
「でも、全然獣っぽくなかったよ。ぴかって光ったと思ったら、すぐ消えちゃったし」
「そりゃあ、茉里、いろーんな獣がいるんだよ。なんせ、神様の数だけいっからねぇ」
 じゃあ、私が昨日見た「八百万の獣」さんは、たぶん、もろの木さまのお付きの「八百万の獣」さんなんだろう。でも、どうして昨日の「八百万の獣」さんは、ユズちゃんには見えなかったんだろう。逆に、私には見えなくて、ユズちゃんには見える「八百万の獣」さんはいるのだろうか? いや、そもそも私だってちゃんと「八百万の獣」さんを肉眼ではっきりと見たわけではないわけで――
 これは、私に何か特別な力があるのだろうか。でもその前に、どうしても気になってしまうことがある。
「おばあちゃん、やおよろずのけものって長いよ。「もののけ」さんでいいかな? そういう言い方って、失礼じゃない?」
 おばあちゃんは、とたんに目を丸くした。それから大きな声で、まるで神社の鈴を思いっきり鳴らしたみたいに、がらがらと笑った。
「そーんなことで八百万の獣は怒ったりしねぇよ。大事なのは気持ちだかんねぇ」
 そう言って、おばあちゃんは茶碗から白いごはんを多めに取り、ぱくりと食べた。いつもにこにこしているおばあちゃんだけど、何だか今日は余計に嬉しそうだった。

 その日の朝、教室で会ったユズちゃんは、おはようの代わりに大きなくしゃみをした。
「もう踏んだり蹴ったり。昨日張り込んだおかげで風邪拗らせるし、帰り遅くなってばあちゃんに竹ぼうきで叩かれるし、茉里ばっかり何か見えたとか言って興奮してるし」
「なんかごめん――でも、きっとそのうちユズちゃんにも見えるよ。もののけさんは、神様の数だけいるんだって」
 私は今朝おばあちゃんから聞いたことをユズちゃんに話した。
「そう言えば、うちのばあちゃんも似たような話前にしてた。『湯の神さま』がいて、その『八百万の獣』っていうのと一緒に、うちの銭湯を守ってくれてるんだって。まあでも、神様とか、茉里のいう“もののけ”とか、ホントにいるかどうか正直微妙だよね」
 噂はすぐ信じるくせに、根は結構リアリストなのだ。
 ユズちゃんは銭湯の娘だ。この天原町には全部で四つ銭湯があるけど、ユズちゃんちの「銭湯ゆずりは」は、私の家から一番近いところにある銭湯だった。ユズちゃんは大きくて古い木造家屋に三世帯で住んでいて、同じ敷地に銭湯もある。その建物から長い長い煙突が生えているのが、私のうちからも見えた。
 杠(ゆずりは)家のおじいちゃんが亡くなってからは、ユズちゃんのおばあちゃんがほとんど一人でお店を切り盛りしていた。杠家のお父さんは小さな問屋さんを営んでおり、仕事であまり見かけない。お母さんは専業主婦だけど、その問屋さんの方の手伝いに出ていることが多くて、あんまり銭湯の経営の方まで手が回っていないらしい。
 でも銭湯の経営くらい、ユズちゃんのおばあちゃんなら、あのおばあちゃんだったら、当分一人で元気にやっていけそうな気がした。あと二十年くらいは大丈夫なんじゃないかと思う。そのくらいユズちゃんのおばあちゃんはパワフルで、若々しさに満ちていた。
「今日、久しぶりにユズちゃんちのお風呂行こうかな。明日演奏会だから、あんまり遅くまではいられないけど」
「いいよ。ばあちゃんに言っとく。六時でいい?」
「うん」
 小さい頃から、私はずっと「銭湯ゆずりは」の常連客だった。洗面器とタオルを抱えて、よくうちのおばあちゃんに手を引かれて出掛けていた。お風呂から上がるとおばあちゃんは決まって、ユズちゃんのおばあちゃんと井戸端会議を始める。番台のところで立ち話程度のときなら十五分くらいで済むけど、お客さんの入りが少ない時なんかは、休憩所になっている畳の小上がりに座って、小一時間以上も話しこんでしまう。
 それを退屈そうに見ながら牛乳を飲んでいる幼い私の横で「ああいうのって、『湯端会議』とでも言うのかな」と、呆れた様子で私に話しかけてくれた少女がいた。私と同じくらいの歳の子だ。頭一つ分私より背が高くて、いたずらっぽい二重をしていた。ちょうど浴場から上がったところなのか、濡れた細い髪が頬にはりついている。そして、ずいぶんとつまらなそうな表情だ。
 ユズちゃんだった。
 中学生になって、さすがにおばあちゃんと手を繋いで行くことはなくなったけど、ときどきユズちゃんと時間を約束してお風呂に入りに行く。年季の入った浴槽と、曇りの取れなくなった鏡。観光客向けの旅館の温泉と比べれば、確かに劣るところは多いけれど、私は「銭湯ゆずりは」が大好きだ。ユズちゃんのおばあちゃんが毎日丁寧に手入れしている大きなお風呂で、ユズちゃんとおしゃべりをする。勉強のこととか、町に広まっているの噂のこととか、まだほんの少ししかしたことはないけど、好きな人の話とか。
 学校の教室や帰り道では話せないこともある。でも不思議なことに、銭湯の湯船の中だとそれができる。ひょっとしたら「湯の神さま」が湯けむりで、余計な心の壁を隠して、見えなくしてくれているのかもしれない。
「演奏会って、どこで?」
 ユズちゃんが、教室の時計をちらりと見て言った。
「香田市だよ。電車でここから四駅だったと思う。去年も香田の市民ホールでやったの」
「見に行こっか?」ユズちゃんが提案した。「ばあちゃんに演奏会のこと言ったら、きっと連れてってくれる。茉里のこと、お気に入りだから」
 自分で言うのはちょっとおかしいけど、私もユズちゃんと同じ意見だった。ユズちゃんのおばあちゃんは、私のことを実の孫のように可愛がってくれていた。
 たぶんユズちゃんのおばあちゃんは、演奏会でやるクラシックの曲なんて聴いたことないだろうし、有名な西洋の作曲者も、クレッシェンドもピアニッシモも、何ひとつ知らないだろう。
 それでも、「茉里ちゃんが出るんだったらねぇ」と、香田まで足を運んでくれるのが想像できた。市民ホールの観客席に、彼女はちょっぴり居ずらそうな顔をして座っている。でも舞台上に私を見つけると、大きく手を振る。隣りでユズちゃんが恥ずかしそうにその手を下ろさせようとしている。私はちょっとだけ笑って、富岡先生の指揮棒に集中し、横笛を構える。
「どっちでも。お店で忙しいと思うし」
「何言ってんの。あのボロ銭湯が忙しい時なんて、ほとんどないんだから」
 そうかもしれないけど……と言いかけて、慌てて止めた。ちょうど良いタイミングで、朝の学活を知らせるチャイムが鳴った。

 その日の夜、「銭湯ゆずりは」の暖簾をくぐった私を、ユズちゃんのおばあちゃんは顔をくしゃくしゃにして迎えてくれた。
「やあやあ茉里ちゃん、いらっしゃい! 待ってたんよぉ」
 いつもの年季の入った番台の上で、いつもの年季の入った笑顔を見ると、とっても落ち着く。彼女の声はしわがれていて、ときどき早口で聞き取りづらい。けど、太くて、柔らかくて、丈夫そうな声だった。口からと言うより、身体全体から発せられているみたいだった。
「こんばんは。おばあちゃん久しぶり。お邪魔します」
「はいどうぞ。もうすっかり寒くなってきたからね。風邪ひいちゃわないように、ゆっくり温まっていきなさいね」
「うん。ユズちゃんもう来てる?」
「ああ奈都子と待ち合わせだったよねぇ? 全くあの子ったらねぇ。もうすぐ来ると思うから、待っててくれるかい?」
「私もちょっと早く来たから大丈夫」
 女湯の脱衣所には先客が一人、畳の小上がりで休んでいた。甘味屋のおばちゃんだ。
「あら、津々楽さんところの。こんばんは」
 私も「こんばんは」と会釈を返した。こじんまりとした脱衣所には、壁際の棚に脱衣籠がたくさん並べてある。竹で編んだ、こげ茶色の丸い籠だ。ほとんどが空っぽなところを見ると、今日も浴場はかなり空いているみたいだった。浴場の入り口には、曇りガラスの上から入浴マナーの黄色いポスターが貼られていた。その脇の冷蔵庫の中で、三色の牛乳がきんきんに冷えている。
 部屋の隅っこのブラウン管テレビを見上げると、ちょうど六時のニュースが始まったところだった。
 東京で五店舗目となる大型の商業施設の売り上げが、前年比の一・七倍を記録した。地域住民の反対を受けて見送られていたダムの建設は、来年四月の着工で押し切られた。一週間前の男子中学生の自殺は、級友によるいじめが原因だったことを、学校側が認めた。自殺した男の子の両親は、学校を相手取り起訴するのだという。
 目のつり上がった、無機質な顔の女性キャスターが、坦々と原稿を読み上げていった。彼女の読む言葉たちには、全然現実味がない。テレビのニュースには、いつもそう感じていた。読み上げられた出来事が、悪いことなのか良いことなのか、私には判断できないときがある。極端に言うと、本当にあったことなのかどうかも、疑ってしまう。お母さんはよく居間でニュースを見ながら「世の中物騒ねぇ」なんて言っているけど、私はいつも思う。
 お母さん、安心して。それは、テレビの中だけで起こっていることなんだよ。お母さんの言う「世の中」と私たちがいる「世の中」は、違うんだよ。「物騒」は、まだこの天原町には侵入していないんだから。
「ごめんごめん! お待たせーっ!」
 ユズちゃんがお風呂道具を抱えて、更衣室に転がり込んできた。おばあちゃんの「奈都子! あんた約束も守れんのかい!」という怒鳴り声も、同時に響き渡った。
「あーやば! 茉里ごめんホント! ばあちゃんが竹ぼうき装備する前に、お風呂逃げ込もう!」
 ユズちゃんはすごい速さで上着のフリースを籠に放り込み、もうティーシャツも脱ごうとしている。番台の上ではおばあちゃんが湯気を立てている。甘味屋のおばちゃんは、口を抑えて笑っていた。
「私は別に逃げ込む理由ないんだけど」
 向こう側の「世の中」も色々賑やかだけど、こっち側の「世の中」だって、十分すぎるほど賑やかだ。意味合いは大分違ってくるんだろうけど、私はやっぱりこっち側の賑やかさの方が好きだ。


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