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  [No.3225] 投稿者:リナ   投稿日:2014/02/07(Fri) 01:25:59   93clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


 天原町は、神域。神様のおわします、とても神聖な場所だ。出雲や伊勢に並んで、昔から特に大切にされてきた土地のひとつだった。
 どうして、先人たちに尊ばれてきたのか。
 それはなにも崇拝対象が先行するような、神ありきの理由ではない。天原は昔から、冷害に悩まされてきた。毎年冬になると、遠い北の大陸で生まれた冷たい空気が日本海を渡り、奥羽山脈を乗り越えてやってくる。その乾燥した冷気は鋭い刃となって天原に吹きつけ、作物を枯らした。
 天原の人々は、その風が氷のように冷たい風だったので、「氷の神様」の怒りなのだと考えた。氷の神様は、長い尾を持った巨大な霊鳥の姿をしている。天原の農家の人々は収穫の時期になると、氷の神様のために祭壇を作って祀り、豊作を祈願した。
 しかし、冷たい風はその後も治まることなく続いた。
 これでは食っていかれない。まともに作物も獲れないこんな土地で、どうしてここにとどまり、飢えに耐え続けることがあろうか。そう考える農民たちが現れ、一軒、また一軒と天原を捨て、もっと暖かい土地を求めて出ていってしまった。農地を耕す者が減っていくと、土は荒れて、冷たく硬く強張っていった。
 打ち捨てられた土地。飛鳥時代は慶雲期、天原はそう呼ばれていた。
 頭を悩ませたもろの木さまは、出雲の国に住んでいた湯の神さまを呼び寄せて、この土地と人々を温めてくれまいかと願い出た。
 天原の土地を眺め、湯の神さまは言った。
「長きに渡り凍てつく風に晒された天原を温めるには、うんとたくさんの湯を沸かすことのできる桶をこしらえなければなりません。鎮守の森の木々を切るわけにはいきませんから、本殿を取り壊して、その廃材を使うことになりますよ」
 当時はまだ存在していたとされる「天原神社」。もろの木さまはその本殿に祀られていた。しかし、氷の神様を鎮めるためには、湯の神さまの言いつけどおり、本殿を取り壊さなければならなかった。
「本殿を取り壊せば、代わりにあなたが毎年、凍てつく風に晒されることになります。それでもよろしいのですか」
 湯の神さまの提案には、天原に住む皆が反対した。八百万の神々も、獣(しし)たちも、もちろん農民たちも。
 天原を守ってきたもろの木さまがどうしてそんな目に遭わなければならないのか。そもそも本殿を取り壊すなど、正気の沙汰ではない。ある神がそう言った。その他の大多数の神様たちや人々が、同じ意見だった。
 ただ一人、もろの木さまだけが、本殿を取り壊し、桶を作ると言った。
「この老木が雨風に吹き晒されることは、なんら気に止めるようなことではない。朝日が昇り、また沈むのと同じ様に、些事である。今大事は、天原に人々が住まなくなることだ。作物が獲れなくなり、土地が痩せ、国として死んでしまうことだ。この社の木材が必要ならば、気兼ねなく使うがよい」
 天原の全ての者たちはその言葉に感嘆した。
 そして、神さまたちも人々も獣たちも、総出で桶作りに携わった。本殿は涙のうちに取り壊され、もろの木さまは剥き出しになった。
 出来上がった大きな桶で、湯の神さまは湯を沸かし、天原を温めた。毎年冷たい風の吹く季節がきても、「天原の大桶」のおかげで、作物が枯れることもなくなった。凍える冬の夜は、皆大桶の湯に浸かり、身体を温めて寒さを凌いだ。
 以来、もろの木さまに加えて、天原神社の祭神として湯の神さまも祀られることとなった。
 しかし社の類は全て取り壊され、手水舎や鳥居も全て大桶の材料となってしまっていた。そこで、大桶の湯を皆に配る役目をしていた各所の「湯屋」で、二人の神様は祀られることになったのだ――

「自分の住んでいる場所の歴史くらい、ちゃんと勉強してください」
 美景ちゃんが長い溜め息をついた。
「――津々楽さんも杠さんも、本当に聞いたことないんですか?」
 私とユズちゃんは曖昧な笑みを浮かべて目を合わせる。
 美景ちゃんと約束をした土曜日は、先週と同じくらい良く晴れていた。ユズちゃんを連れて、待ち合わせの午後四時五分前に駅前広場へ行くと、美景ちゃんはもうベンチに座って文庫本を読みながら待っていた。土曜日なのに、やっぱり前と同じ制服姿だ。美景ちゃんを初めて見たユズちゃんは、「ほんと座敷童みたいな髪してる」と小さく呟いた。
「その『天原の大桶』っていうのは聞いたことあるよ。でもそれが何なのかは今知った」
 私がそう言うと、ユズちゃんもうんうんと頷いた。
「そうですか。あなた方に今の天原の状況を話す前に、成り立ちだけで日が暮れてしまいそうです」
 そもそもどうして美景ちゃんに「天原歴史講座」を開いてもらうことになったかというと、早い話“浅学”が露呈してしまったからだった。麗徳のエリート少女は、我々一般の中学生に、とても厳しかった。
 私がユズちゃんと美景ちゃんをお互いに紹介し、コノと挨拶をし、ひとまず三人並んでベンチに腰を下ろし、何気なくもろの木さまの話になったときに、ユズちゃんがぽろっと言った。
「天原の守り神ってくらいなのに、どうしてちゃんと祀られてないんだろうね? 普通大きな神社とか、そういうところにあるんじゃないの?」
 私も不思議に思っていたことだった。駅前広場の真ん中でぽつんと佇むもろの木さまは、見ているとどうも不憫に感じてしまう。これからの寒い季節は特にそうだった。
 しかし、ユズちゃんのその台詞を吐いた直後、美景ちゃんの表情がぴたっと固まったのだ。私はすぐに察して、ユズちゃんの台詞の後に「うん、そうだよね」なんて相槌を打たなくてよかったと思った。
 そして美景ちゃんより――すでに綴ったように――天原神社が取り壊された理由が語られたのだった。
 美景ちゃんの語ってくれた天原の神話は、「天原手記」という書物に収められているらしい。古事記や日本書紀に記載のある神話との関係も深く、歴史学的にも考古学的にも重要な神話なのだそうだ。
「湯の神さまは出雲の国から来たという記載から、出雲大社の祭神『大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)』の妻、『多紀理比売(タキリヒメ)』と同一神と考えられています。天原の神たちにとっては他所者でも、名のある神の言葉だったからこそ、言いつけ通りに桶を作ったのだという話です。そもそももろの木さまが迎え入れるほどの神ですから、きっと出雲の国でも広い範囲で信仰を集めていたのでしょう」
 神話の詳細を語る美景ちゃんは、他の話題のときよりほんのちょっぴり生き生きしていた。
「とにかく、天原に神社がない理由は分かったわ。もともとこの駅前広場には、その『本殿』があったのね。なんか、全然イメージできないけど」
 ユズちゃんが人差し指と親指で四角形を作り、もろの木さまにかざして覗いた。創建された時代も、「大桶」を作るために取り壊された時代も不明。「天原手記」が完成したのが奈良時代初期らしいから、今から千五百年くらいも昔の出来事ということになる。
 そんなに気が遠くなるほど昔から、もろの木さまはここに立って、天原を守り続けてきたのだ。
「イメージはできないけど、大切にしなきゃいけないことは分かる。もろの木さまも、湯の神さまも」
 そうさ、とコノが頷いた。
「それが、君たちの生活をきちんと続けていくこと、後世へと繋いでいくこととイコールなんだ。前に話したように、湯の神の姉さんをホームレスにさせてる場合じゃないよ」
 コノがうちの浴室に現れたその日から、実は二つ、出来事があった。どちらもあまりよくないことだった。

 ユズちゃんのおばあちゃんは、目を覚まして間もなく、認知症と診断された。脳血管性のものとアルツハイマー型が合併したものだろうと、担当医師は判断した。
 木曜日に再度お見舞いに行ったときのおばあちゃんは、やっぱりとても小さく映ったし、言葉数が少なかったけれど、何もおかしなところはなかったように感じた。とにかくそのときは、目を覚ましてくれたことが嬉しかった。リハビリ次第で早期に退院できるだろうと、ユズちゃんのお母さんも言っていた。
 しかし帰り際、病室の外でお母さんは「後々びっくりさせないよう、耳に入れておいてほしい」と、事実を伝えてくれた。
 実際には症状が表れていたという。目を覚ましたその日から、おばあちゃんは一度食べた朝食を何度も催促した。夜に一人で病室から出ようしたところを看護師さんに見つかり、理由を訊くと「自分の枕を探していた」と答えたらしい。家ではお気に入りの蕎麦殻の枕を使っていたのだ。
 事実、銭湯の運営再開が遠退いた。ユズちゃんにはもちろんそんなこと言っていないけど、うちでは――津々楽家では、そういう方向の話になっていた。
「うちも、喜美子さんのお母さんがそうだった」
 お父さんが食卓でビールを片手に言った。木曜の夜のことだ。
「兄貴の嫁さんの母親だよ。杠さんのところも、むしろ早く銭湯の番台に戻してあげた方がいいんじゃないかな。病院は病気を治すところだけど、やっぱり息が詰まるんだよ。あなたは病人ですって言われ続けてるようなもんなんだ。特に認知症には、それがすこぶるよくないらしい。喜美子さんのお母さんもね、無理矢理病院から引っ張り出して趣味だった麻雀やらせたら、もうあっという間に回復しちゃって」
 私はそれを聞いて、すぐにでも実行したくなった。
「でもねえ」お母さんが食卓の真ん中に鍋を置く。葱のたっぷり入った水炊きだ。「一度倒れちゃったら、もうあんまり無理は出来ないんじゃないかしら。銭湯を一人でやっていくのなんて、若くて健康な人でも大変なのに」
「私手伝う。ユズちゃんと一緒に」
 どのくらいできるか分からないけど、結構本気の提案だった。
「あなたたちは学校の授業と部活があるでしょう」
「みんなにも事情を話して、交代で休むようにすれば? 三橋先生ならきっと賛成してくれるよ」
 お母さんは取り皿を並べながら、困った顔をした。
「三橋先生は、茉里のクラスの担任だね」
 お父さんが質問を入れる。
「うん」
「あの先生は分かってる人だから、茉里の意見には反対すると思う」
「なんで?」
「いいかい? 残念なことに、生徒たちの親御さんの中には大勢反対する人が出てくるだろう。『うちの子に何させてるんだ!』ってね。そうなっちゃうと、杠さんのところが非難を浴びることになるし、奈都子ちゃんも学校に行きづらくなる。そうなるのは、茉里はどう思う?」
「それは、嫌だけど。でも――」
「先生は、茉里のことだけ見ているわけじゃない。奈都子ちゃんのことだけ、見ているわけでもない。クラスの子供たちみんなを見ている。だから、反対すると思うよ」
 溜め息が出るほど正論。分かっている。でも、私がやろうとしていることはそんなに非難を浴びるようなことなんだろうかとも思う。
「それに、杠さんのところはあのお父さんが、ね?」
 お母さんが困った顔のまま言う。
「――まあそれを話し始めるときりがない。さあ、あつあつのうちに食べよう。父さんの育てた葱は美味いぞ」
 お父さんがそう言って、話は終わりとなった。
 思えばあのときお母さんは「口を滑らせた」のだ。
 問屋さんを営んでいるユズちゃんのお父さんは、年がら年中仕事が忙しいらしく、私もほとんど会ったことがなかった。記憶では、たぶん中学校の入学式で見かけたのが最後だと思う。背がすらっと高くて、かっちりとしたビジネススーツを着こなしていた気がする。「町の問屋さん」というより、「ばりばりの営業マン」という感じだった。聞いていたイメージとあんまり違ったので、とても印象に残っている。
 二つ目のよくない出来事は、ユズちゃんのお父さんのことだった。出来事というよりは、浮き彫りになってきた事実、と言った方が近いかもしれない。
 ユズちゃんのおばあちゃんが倒れたこと知ったあの日、大人たちの言葉の行間からなんとなく“違和感”を感じていた。なんか変だ。とても大事なことで、みんなそれを何とかしなきゃいけないと思っているのに、誰もが気付かないふりをしている。触れてはいけない。自分達には関係ない、その“家”のことなんだから。
 気が付いた。違和感の理由は、家族が一人倒れたというのに、誰もお父さんのことを口にしなかったからではないか。まるで関係のない他人かのように、全く一言も、言及されなかったからではないか。
 しかしあの日、ただ一人ユズちゃんだけは、お父さんのことを口にしていたのだ。
 ――この銭湯はちゃんと経営してかないと、あの人に潰されちゃう――
 
「コノからもお二人に話したようですが、まずは杠さんのところの銭湯を“社(やしろ)”として機能させ続けることが急務です。そうしないと湯の神さまの力が弱まり、ますます多くの“毒”を天原に呼びこんでしまいます」
 美景ちゃんは強い口調で言った。
 湯の神さまのことも大事だけど、それ以前に、私は確かめなきゃいけない。
「ねえユズちゃん、よかったら話して」
「ん? 何を?」
 ユズちゃんは指で作った四角形を下ろした。
「ユズちゃんのお父さん。一体何しようとしてるの?」
 彼女の顔からさっと表情が消えた。目をまん丸にして、私を見る。
「――えっと。それ、誰から聞いたの? うちのお母さん?」
「ううん、誰からも聞いてない。勝手な予想」
 ユズちゃんは目元にしわを寄せて、もろの木さまの方を見た。美景ちゃんとコノは、私たちのやり取りを黙って見守っている。
「――別に、うちの父さんはなんも関係ないよ」
「そしたら、前に言ってた“あの人”って誰のこと? “潰されちゃう”って?」
「あれ、そんなこと言ったっけ?」
 不自然な笑い方で、ユズちゃんは返す。
「うん、言ってた。私、普段こういうこと遠慮してなかなか突っ込んで訊けないけど、今回はお節介を焼かせてほしいの。私でもできることがあったら、小さいことでも、何かさせてほしい。本気でそう思う」
 しばらく彼女は足元を見つめ、それからもろの木さまに視線を戻し、それを二回繰り返した。そして、「やっぱり茉里だよなあ、そういうところ」と、笑って空を仰いだ。
「――やっぱりって?」
「お節介。今までだって散々焼かれてきたよ。悪いけど」
「そう、かな」
「そう」
 ユズちゃんは一回洟をすすってから、真面目な顔で話し始めた。


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