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  [No.3230] 投稿者:リナ   投稿日:2014/03/02(Sun) 23:53:01   62clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


 ユズちゃんの父、啓次(けいじ)は養子として杠家に婿入りした。今から十七年も前のことになる。杠という姓はユズちゃんの母、美波子(みなこ)のものである。「銭湯ゆずりは」も、すぐそばにある母屋も、母方の実家が所有しているものだった。
 彼が婿養子として杠家に来たのは、ある理由があった。
「お母さんとお父さんは昔職場が同じで、お互いに新入社員のときに知り合ったらしいの。二人とも、まだ二十代のとき」
 ベンチの真ん中に座っているユズちゃんの話に、私と美景ちゃんは耳を傾けた。コノは、私たちの頭の上を、いつもと変わらぬ様子で浮遊していた。
 大手の総合化学メーカーの農業関連事業部で、ユズちゃんのお父さんとお母さんは出会った。若かりし頃の二人は、互いに惹かれ合い、ほどなく交際をスタートする。
「普通に恋愛結婚で、何事もなく入籍ってなるはずだったんだけど、お父さんの家の方に少し問題があって、お母さん側の家族が結婚に反対したの」
「――問題?」私が左側で、首を傾げる。
「うん。あの人の家系がね、新世(しんせい)学会だった」
 言葉の並びが、すぐに頭に浮かんでこなかった。
「――シンセイ?」
 ユズちゃんに“あたらしい”に世界の“せ”だよと説明されたけど、全然ピンとこない。
「それだと、何かまずいの?」
「新世学会は、日本の宗教法人の中でも最大規模の組織です」美景ちゃんが代わりに質問を受けてくれた。「もともとは仏教の古い一宗派の使徒団体でしたが、今では進行の内容も変わってきていて、ひとつの政党の支持母体になるほど巨大化してますので、学会員自体はそれほど珍しくありません。しかし、教祖である人物への神格化が過度なのに加え、非常に排他的な性質を帯びてきているため、新世学会には嫌悪感を抱く人が多いです」
 ユズちゃんのお母さん側の家族、つまり「杠家」の人々も、あまり良いイメージを持っていなかった。というより、ほとんど毛嫌いしていたのだという。気味の悪い宗教団体の男のところへ、うちの娘を嫁に出すだなんて考えられない、というわけだ。
「あの人はそれほど狂信的な人ではなかったから、お母さんと結婚するために新世学会を抜けたの。それってすごく勇気のいる行動みたいで、当時はずいぶん面倒なことになったらしいけど」
 学会を抜けた啓次は、事実上、家族との縁を切ることになった。「脱会」とは、そういうことなのだ。
「うちの母方の実家にあの人が婿入りしたのは、そういう理由があったんだって。前に、お母さんが教えてくれた。最初はうちのおばあちゃんもおじいちゃんもしぶしぶっていう感じだったみたいだけど、家族と縁を切ってまでお母さんと結婚したお父さんに、最終的には根負けしちゃったんだって」
 啓次と美波子の結婚生活は、式を挙げることもなく、東京の小さな一室で、静かに静かに始まった。まもなく美波子は妊娠したのを機に退職し、同棲していた東京から一人実家の天原に戻った。妊娠中は不便なことも多いだろうから、お父さんたちのいる実家で暮らしていた方がいい。そう言ったのは啓次だったのだという。
 そして一年後、ユズちゃんが生まれる。
「あの人さ、もうずっと単身赴任なんだよね。一時期転勤で天原から近くの支社になったことがあるけど、そのときも週末に帰ってくるだけだった」
「え、ずっと?」不思議に思って、私は目を細めた。
「うん、今もずっと単身赴任」
「そうだったの? ユズちゃんのお父さん、町内の問屋さんだって聞いたけど。今もずっとその会社なの?」
「問屋さん? そんなことあたし茉里に言ったことあったっけ? ずっと最初の会社だよ」
 おかしい。杠さんのところのお父さんは、町で問屋さんを営んでいる。お母さんも、お店の手伝いで忙しい。そう聞いた。記憶違いではないはずだ。
 一体、誰から聞いたんだっけ?
「あ、まあでも――」左側で首を傾げる私の横で、ユズちゃんは腕を組む。「問屋さんみたいなことしてるって言っていいのかなあ。お店に商品を卸しているわけじゃないけど」
「と、言うと?」美景ちゃんが右側から訊いた。
「あの人は、農薬を売ってるの」ユズちゃんはちょっと沈んだ声を出した。「自分の会社で作った農薬を、農家相手に営業してるってわけ。数年前から天原もあの人の担当エリアだから、もしかしたら『問屋さん』とか呼んでる人もいるのかもね」
 天原の農業従事者ということなら、まさにうちのことだ。
 天原町農協は、約三十世帯分の組合員で構成されている。全国的にも小規模の農業協同組合だ。我が「津々楽農場」は、その面積こそあまり大きい方ではないけれども、お父さんは農協で専務をしている。組合員の農家の人々の中でも、かなり顔が広いらしい。
 お父さんから聞いた話だったのかもしれない。杠さんのところは「問屋さん」なんだよ。ときどき新製品の農薬を紹介しに来るんだ――という具合で。
「うちは確か無農薬で野菜育ててたと思うけど、ユズちゃんのお父さんが農薬売りに来たこともあったのかな?」
「あったと思うよ。でも、買わなくて正解。あの人はとにかく、農薬がたくさん売れて、自分の会社が儲けさえすればいいの。たまにうちに帰って来たと思ったら、『利益率』とか『自然淘汰』とか『市場シェア』とか、仕事の話ばっか」
 私が天原中学校の入学式で見かけた、スーツ姿のユズちゃんのお父さん。あの時は「問屋さん」のイメージとあんまりかけ離れていて、とても不思議に感じていた。でも、ユズちゃんの話す「営業マン」のお父さんなら、あのスーツ姿がぴたりと当てはまる。
「杠さんのお父様は、銭湯についてどう思っているんでしょう?」
 美景ちゃんが尋ねた。彼女はユズちゃんの話を聞きながら、唇にに手を当てたり腕を組んだりしていた。その仕草が、いちいち大人びて見える。
「――私も、あの人が考えていることを全部知っているわけじゃない。でも、うちの銭湯のことを煙たがっているのは、事実だと思う。理由ははっきり分からない。けど、たぶんあの人の“性”に合わないの。お客さんをもっと呼び込もうとするわけでもなく、小さな町の銭湯のままで、細々とやっていくことがね。だからあの人は、今の銭湯を乗っ取ろうとしてる。乗っ取った後も銭湯なのか、そうでない何かなのかは知らないけど、とにかく今の『銭湯ゆずりは』ではなくなっちゃう」
 もうずっと前から、ユズちゃんのお父さんは銭湯の経営に口を出したがっていたらしい。こんな常連客に頼るような経営では、これからの時代やっていけない。古い経営方針はできるだけ早く改めて、新規に顧客を開拓していけるよう、きちんとマーケティングしていかなければならない。今のままだと、自然淘汰されるのを待つだけだ。 ユズちゃんのお父さんは、おおよそそんな台詞を並べて、昔一度生前のおじいちゃんに――杠家の主に――噛みついたことがあるという。
 おじいちゃんは眉間にしわを寄せ、一言だけ言い放った。
「オレぁ銭んために風呂沸かしてんじゃねえ」
 ユズちゃんのお父さんはそれに対して、何も言い返せず、ただただ目を泳がせた。
 おじいちゃんが生きていた頃は、お父さんも大きな声で口出しできなかったらしい。昭和初期に天原に生まれてたおじいちゃんは、脚が悪くて徴兵からは漏れたものの、悲惨な戦中の日本を肌で経験した人だった。耳をかすめるほどの距離で爆音が轟き、爛れた死体が目に焼きつき、真っ暗な防空壕の中で眠る日々を経験をした人だった。
 戦後に生まれた者たちとは、隔絶した価値観を持った人種だった。
 六年前、桜の花も散る晩春の季節に、ユズちゃんのおじいちゃんは亡くなった。「銭湯ゆずりは」は、その頃はもうほとんどおばあちゃんが一人で切り盛りしていたけど、「やっぱり、銭湯を守っていたのはおじいちゃんだった」と、ユズちゃんは語った。実際、ユズちゃんのお父さんが「銭湯の経営」について、積極的におばあちゃんに打診をし始めたのは、おじいちゃんが亡くなったその年の夏頃からだったという。
「杠さんのお父様の真意を確かめなければなりません」美景ちゃんが言う。「単純に『経営者気質』から、本当に銭湯経営によって利潤追求をしたいのか。もしくは、全く別の理由がある上での、詭弁なのか。それが分からなければ、こちらも具体的に動けません。今の私たちが強引にお父様を止めることは、難しいと思います」
 友達の父親といえども、中学生が一人の大人相手に説得を試みるには、まだまだ心許ない情報量だった。
 もし仮に、ユズちゃんのお父さんが本当に銭湯の経営にテコ入れをして、結果的に今までよりもっとたくさん人が集まるようになれば、それはむしろ、私の望んでいたことではないだろうか。きっと賑やかな浴場を見て、湯の神さまも喜ぶんじゃないだろうか。
 でもそうではなく、口先では「流行らない銭湯の立て直し」謳いながら、本当は何か気に喰わない理由があって、「銭湯ゆずりは」をどうにかしてしまおうとしているのだとしたら? もしそうだとしたら、やはりコノの言う通り、湯の神さまは“ホームレス”になってしまうのだろう。
 ただどちらにせよ、やはり「経営を乗っ取られる」かたちになる。その事実だけで、私はあまり良い予感はしなかった。身内で経営権が移るだけと言われればその通りだ。でもやっぱり引っ掛かるのは、権利を得てしまう人が、実の娘から「あの人」呼ばわりされるような人だということだ。
 ありふれた想像をした。誰もいなくなったあの銭湯に、資材を積んだトラックが横付けさせる。背広姿のユズちゃんのお父さんがてきぱきと指示を出し、業者の人間がぞろぞろと土足で中へ入っていく。
 脱衣籠は鍵付きのロッカーになるかもしれないし、三色の牛乳の入った冷蔵庫はコカ・コーラの自動販売機になるかもしれないし、もろの木さまと湯の神さまが描かれたペンキ絵はあっけなく剥がされて、替わりに海の向こうの神様が置かれるかもしれない。
 そんなふうに変えられてしまったとしたら、ユズちゃんの言う通り、そこはもうあの「銭湯ゆずりは」ではないんだと思う。
「杠さん。ちなみに、お訊ねしたいのですが」
 美景ちゃんは、いつの間にか膝を抱えて、ベンチに体育座りをしていた。目は、真っ直ぐ前のもろの木さまに向けられている。
「うん、何?」
「お父様の勤めている総合化学メーカーって、有知化学(ありともかがく)ですか?」
 美景ちゃんの口にした社名には、うっすらだけど聞き覚えがあった。
「うん、そうだったと思うよ。知ってるの?」
「大手で考えれば、ある程度絞られますから。コマーシャルでもよくやってるじゃないですか、アリやハエ用の殺虫剤の。あれも有知化学です」
 夕方の情報番組の合間によく流れているのをよく見る。あの白い髭の博士が出てくるCMだ。害虫に困っている家庭に突然胡散臭い博士が現れて、アリの巣に薬を吹き入れる。すると画面はCGに切り替わって、次々とアリたちがひっくり返る。そんな感じのCMだった。
「そういえばそうだ。あのCMよく見るよね。あれうちでも使ってる。『アリ退治スプレー』」
 ユズちゃんが霧吹きのトリガーを引く仕草をした。
「その有知化学が、どうかしたの?」
 美景ちゃんは銅像になったみたいに、相変わらずじっともろの木さまを見ていた。ただ、さっきより眉間にしわが増えている。
「憶測では私も語れませんが、有知化学にはいくつかよくない繋がりがありますし、あまり褒められたものではない噂もあります。まあ、陰謀論を盲信するのも良いことではありませんけど――」
 私もユズちゃんも、じっと彼女の黒い瞳を見ていた。
「ただ、もし私の想像していることが本当に起こっているのであれば、天原は思っていたよりもずっと深刻な事態に陥っていることになります」
 彼女の言うことは、私にはさっぱりだった。ユズちゃんとちらりと目を見合わせたけど、私と同じ「意味不明」の顔だった。
「ちょっとそこまでほのめかしておいて何も言わないつもり? あたしたちにも分かるように説明してよ」
 詰め寄るユズちゃんに、美景ちゃんは首を振る。
「すみません、確証が持てたらお話します。私だって正直あまり信じたくない。まずは、状況を正しく把握しなければなりません。それに、どちらにせよ『銭湯ゆずりは』が大きく変えられてしまう状況は、防がなければなりません」
 美景ちゃんは、抱えていた脚をほどいて立ち上がった。黒いショートヘアがふわりと揺れるのを、私は見つめていた。ダッフルコートのポケットに手を突っ込み、彼女はこちらを振り返る。
「たぶん、にわかに信じられるようなことではないですよね。神域である天原が侵されようとしているだとか、もろの木さまの力が弱まってきているだとか。正直、こんな話は怪しまれて当然なんだと思います」
 日が傾いて、道行く人々の東側には長い影が伸びている。ちょうど電車が来たところらしく、二つしかない駅の改札口から、ぱらぱらと人が吐き出されてくる。
「でも、天原に少しずつ入り込んでいる“毒”は、色んな姿かたちをしています。今までもずっと、私たちの気付かないうちにそれは勢力を増して、より多くの“毒”を生み出し、そしてさらに肥大化してきました。例えば、ですが――」
 美景ちゃんは広場を見渡した。そして、駅の改札のそばのベンチに目を止めた。私とユズちゃんがあの夜張り込みをしたベンチだ。そこには今、黒いダウンジャケットを着た中年の男性が座っている。眠っているのか、腕をぎゅっと組んで、顔を伏せてしまっていた。
「時間帯的にも、そろそろ集まっていると思います。見えるようにできますか? コノ」
 呼ばれたコノは、くるりと一回転してから「あのおっさん? 結構えげつないと思うよ」と言った。
「でも、あいつらを見てもらうのが一番分かりやすいでしょう?」
「そうだけどさあ――じゃあちょっと失礼するよ」
 コノはその長い腕で、私とユズちゃんの頭に軽く触れた。隣りに座っているユズちゃんから「ひゅっ」っと息を飲む音が聞こえた。
 目に飛び込んできた光景に、背筋が凍った。背中に冷水を流し込まれたかと思うほどだった。反射的に、ユズちゃんに身体をすり寄せた。
「何? あれ何なの?」ユズちゃんが乾いた声を出した。
 それは、ベンチで寝ている男性の周りに、十匹ほど群がっていた。ちょうど大振りのてるてる坊主のような姿をしているが、深い紫色の身体をしていた。その頭には一本の角が生えている。そして、ぎょろりと大きなその目は、遠くからでも分かるほど嬉々としていた。
「恨霊(こんれい)と呼ばれる、八百万の獣の一種です。少し特殊で、彼らは神に仕えるのを止め、怨嗟の気を喰い漁る、言わば悪霊です」
「えっ、あの人大丈夫なの?」
 私は口を抑えながら言った。あのおじさん、今にも襲われそうにしか見えなかったのだ。でも、美景ちゃんは落ち着き払って「害はありません」と言い切った。コノはと言えば、すーっとその群れの近くまで行き、戻ってきたかと思うと「思ったほどではなかったかな」と呟いた。大きな当たりに竿を上げてみて、期待はずれの外道にがっかりする釣り人みたいだ。
「ほんの少しですが、人に付く“毒”を食べてくれるという意味では、彼らはむしろ貢献してくれています。あの男性の境遇は分かりません。でも、恨みや妬みといった負の感情は、おしなべて“空ろ”に巣食います。空っぽとは、同時に「満たそう」という欲求だからです。がらんどうを埋めたいという、利己的な気持ちだからです」
 コノが、もう一度私たちの頭に触れる。恨霊たちが見えなくなる。あの男性は、何事もなかったかのように眠り続けている。
「私が言っている“毒”とは、人間を“空ろ”にしてしまう。私は、それを何とかしたい。いえ、何とかしなくてはならないんです。策は、まだありません。ただ前に茉里さんにはお話しましたが、木行の気を持つあなたの力は絶対に必要になります。それに、恐らく杠さん。あなたは潜在的には、火行をお持ちです」
「えっ、私も?」
 目をまんまるにして、ユズちゃんは自分の鼻を指差した。
「はい。湯の神さまに所縁のある家系のようですので、多少の影響を受けているのではないかと。火行もまた、天原の土地にとって大切な要素でした。大桶で湯を沸かした湯の神さまの力は、火ですから」
もちろん、潜在的にですので自覚はないと思います。自分の両手を交互に見つめるユズちゃんに、美景ちゃんは少し笑って言う。そしてすぐに色を正した。
「でも、それを“開いて”力を使うかどうかは、当人が決断することです。そのためには私もコノもお手伝いすることはできますが、ほとんどの人は持っていても気付かずに一生を終えるわけですし、強制することはできません。だから」
 美景ちゃんは頭の上に浮いているコノをちらっと仰いだ。
「私からは、お願いするしかありません。お二人には、力を貸して欲しい」


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