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  [No.3161] 投稿者:リナ   投稿日:2013/12/06(Fri) 02:34:59   88clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


 まず間違っていたことは、もろの木さまを見つめていた少女は、座敷童でもなければ「八百万の獣」でもない、ということだ。
「社(やしろ)です。社、美景(みかげ)」
 彼女は人間だった。しかも、中学二年生。タメだ。
 駅前広場のベンチ。私はフルートを脇に置いて、彼女と一緒に座った。道行く人々ともろの木さまがよく見える。
 しゃべろうとしてもなかなか声が出て来ない私に、彼女は淡々と自己紹介をしてくれた。もろの木さまを見ていたときの彼女の瞳は、どこか温かくて、まるで子供を愛でる母親のようだったけど、今はなんだか表情が冷え切っている。しゃべっていても、顔のパーツがほとんど動かない。小さな鼻と、小さな耳をしている。。真っ黒な瞳は深く澄んでいて、とても綺麗だけど、たぶん癖なのだろう、常にじと目だ。睨まれているとまで感じないけど、心証としては、軽蔑が三分の一程度含有されている。なんとなく、こっちが普段の社美景なんだろうと思った。
 彼女のコートの下は、制服だった。天原町からは電車で八駅先の御堂鹿(みどうろく)まで、片道四十分。彼女の通う麗徳学園は、御堂鹿駅からさらに二十分バスに乗って、やっと辿り着くところにある。中高一貫の私立中学だ。
 それを聞いて、私は目を丸くした。偏差値を考えると、麗徳は冗談抜きでスーパーエリート校だった。雲の上にあるような大学に毎年卒業生を送り出し、そのまま彼らは国家公務員とか医者とか弁護士とか、とにかくハイスペックな人間でないとなれない職業に就いていく。私からすると、異次元で生活しているような人々だ。
 麗徳なんかに通う子たちは、小さい頃から英才教育を受けているような、都会の子供をイメージしていた。小学生のうちから毎日塾に通って、色んな教材に囲まれて、二カ月に一回模擬試験がある。試験の結果で親の機嫌とその日の晩ごはんのメニューが変わる――ちょっと穿った見方かな。
 とにかく、まさか天原町から麗徳に通っている子がいるなんて、思ってもみなかった。
 彼女の綺麗に切り揃えられた黒髪は、着物を羽織ると確かに座敷童の風貌そのものだ。美術部の佐渡原くんが描いた絵画みたいな風景も、彼女がモデルならば、実際に再現できそうだと思った。
 この夏から秋にかけて天原中の三面記事となっていた「座敷童、現る」の発信源は、間違いなく彼女なのだろう。社美景にそのことを伝えようかと一瞬思ったけど、結局口にしなかった。そんなことをしたら、今度こそこの黒曜石のような鋭い目で睨まれてしまうかもしれない。きっと睨まれる。そして、私は実際それどころではなかったのだ。
 社美景の頭の上。ときどき宙返りをしながらふわふわと漂う“こいつ”は何だ?
「美景、ちゃんと説明してやってよ。この子、まるで突然家に見知らぬ請求書が届いたみたいな顔してるよ」
 その生き物が言った。社美景は苛立ちを隠そうともせず目を瞑り、「だから今ひとつひとつ順序立ててるんじゃないですか」と、早口で呟いた。
「あ、あの」やっと思いで、私は声を絞り出す。
「何ですか?」
「あ、えっと。もしかしてこの」私は失礼かなと思いながら、この生き物をなんと呼称していいか分からず、指をさした。「八百万の、獣。ですか?」
 彼らは顔を見合わせた。緑色の生き物は「ふーん。一応、義務教育程度の知識はあるんだ」と言った。ほんのちょっとみたいだけど、彼は感心してくれたようだった。
「その通りです」相変わらずの無表情で、社美景は言う。「彼はコノ。もろの木さまのお付きの獣(しし)です。あなたが呼んだように、『八百万の獣』とも言います。ええと、彼の正式な神名は……」
 彼女に「コノ」と紹介されたその生き物は、頬を膨らませた。
「コノハナノトキツミノミコト! 何回言ったら覚えんのさ!」
「あんまり興味の無いことは、すぐに頭から抜けるので」
 コノは手足をばたばたさせた。おもちゃを買って貰えなくて駄々をこねる五歳児みたいだ。
「あの、コノさん。たぶん私、この前あなたを見ました。えっと、正確には見たというよりは、感じたというか――あの、とっても強い光だったので」
 ユズちゃんと張り込みをした、あの夜の出来事だ。あの光の玉から感じた熱は、ほんのり緑色だった。熱に色があるのは変だけど、でも、確かに緑だった。
「ああ、やっぱりあのときの女の子だったんだ!」コノは嬉しそうに笑って、上空に円を描いた。「そりゃそうだよね。ひとつの町にそんなに木行の気質を持ってる人間がいるわけないし」
 社美景が、その「木行」についても説明してくれた。どうやら、コノのような「八百万の獣」の声を聞くことのできる、一種の特殊な能力らしい。
「五行思想では、この世界のすべてのものが、木、火、土、金、水の五つの元素からなる、という考え方をします。“この世のすべて”ですので、人間も、神様も、この五つから出来ていると考えます。あなたのように『木行』に一段階開いていれば、同じ『木気』のコノみたいな獣(しし)の言葉を聞くことができます」
 そんなことを、麗徳学園では習うのだろうか。いや、そんなはずはないか。
「じゃあ、社さんもその『木行』っていうのが開いてるの?」
「いえ。私は土行(どぎょう)です。幸いにも二段階開くことができたので、他の五気に属する獣(しし)とも対話ができます。どれか一つの五行を二段階開くと、その人は『神子』と呼ばれる存在になり、あらゆる獣(しし)の声を聞くことができるのです。ですから、さっきコノがあなたのことを『神子』と言ったのは、厳密には間違いです」
「なんだよ、実際その辺の定義なんて曖昧だろ?」コノが口を尖らせた。
「まあつまりは」彼女はコノを綺麗に無視する。「あなたも私も、今、神的なものを『口寄せ』している、ということになります」
「くち、よせ?」
 聞いたことのない言葉が次々出てくる中で、「口寄せ」は、一応聞いたことがあった。死んだ人の言葉を聞くことのできる、いわゆる「降霊術」だと思ったけど、口寄せって自分自身に霊が乗り移るんじゃなかったっけ? 前にテレビで霊媒師の特集をやっていたのを見たが、イタコのおばあちゃんが「キェー」とか叫んでて、ずいぶんと胡散臭かったような記憶がある。そのことを言ったら、社美景は鼻で笑った。
「マスメディアで取り上げられている霊媒師の類は、概ねヤラセです。本当の霊媒師は、『繋ぐ者』なのですから功利主義者の経済人に加担することはしません」
「繋ぐ者?」
「ええ。細かいことは、話すと長くなるので。それに、身体に憑依させるのが通常なのでは、ということですが、その役目はコノが担ってくれています。コノの言葉は、そのままもろの木さまの御言葉となります。それが神と獣(しし)の本来の関係ですので」
 霊媒師とは、つまり自分自身が「八百万の獣」になる術を使う者なのだという。今はコノがいるから、実際に「もろの木さま」を自分に憑依させる必要がない、ということらしい。なんだかややこしい。
「大体分かった? お譲さん?」コノがひらりと宙返りして、私の目の前まで降りてきた。
「うん。一応」
「よしよし。物分かりの良い子は好きだよ。名前はなんて言うのさ?」
「茉里(まつり)です。津々楽(つづら)茉里」
「茉里だね。良い名前じゃん。美景より素直そうだし、美景より優しそうだし。期待の新人ってとこだね」
 素早く伸びてきた社美景の手を、コノはひょいっとかわして、一気に五メートルほど上空まで羽ばたいた。
「――とにかく、本題です」彼女は真っ黒な瞳を私に向けた。「私たちは今、あなたのその木行の気を必要としています」
 そういえばさっきも彼女、言っていた。私を指して「この人は、きっと力になります」と。
「えっ、でも……」
 私は苦笑いで返した。いくら私が人にはない特殊な力を持っていたとしても、こうやってコノみたいなもののけさんたちとお話できるとしても、何かその道で役に立てるとは、到底思えない。だって私は、ちょっと横笛が吹けるだけの、ごくごく平凡な中学二年生だ。
「その、社さん。申し訳ないけど、私にはなんにも……」
 言いかけたそのとき、妙なことが起こった。突然頭の中に、声が響いたのだ。
(すまない)
 ぎくりとして、私は目を見開き、辺りを見渡した。近くには、こちらを見向きもせず通り過ぎていく人々と、私を見て不思議そうにしている社美景意外に、人はいない。
 そして、コノの姿が消えていた。
(すまない。巻き込むつもりはなかった。でも、君しかいなかった)
 声は、回線不良のトランシーバーみたいにところどころ途切れて、聞こえづらかった。
 そして唐突に、大きなエネルギーを感じた。
 それは光だった。ユズちゃんと張り込みをしたあの夜に感じたものと同じだ。緑色の、まるで生まれたての命が呼吸しているみたいな光。それでいて、すぐそこまで太陽が降りてきたかのような、眩い光。
 いつの間にか、何も見えなくなって、何も聞こえなくなった。社美景も駅前広場の道行く人々も、そしてもろの木さまも、何も見えない。声も出ない。
 だけどなぜか、全然不安を感じたりはしなかった。むしろ心地が良い。このまま気持ちよく眠ってしまえそうだった。柔らかな熱を感じる。ほのかに、草の香りがする。青々と茂った芝生に、仰向けに寝そべっている気分だ。
(ここ天原は、神域なのだ。この町にいる限り、私は君を守ることができる)
 また声。今度はさっきより、よく聴きとれた。男の人の声だ。チェロみたいな低い声だけど、老人のような声にも、二十歳くらいの若い男の声にも聞こえる。
 次第に光が弱くなっていった。ゆっくりゆっくり、目の前の景色が晴れていく。感じていた熱も冷め、草の香りもいつの間にかしなくなった。
 夕日を浴びた、駅前広場がまた現れる。そしてすぐに、違和感に気付く。
 セピア色の駅前広場が、止まっている。
(目を凝らして、広場にいる人たちを見てごらん)声が私に促す。
 一時停止して微動だにしない人々は、なんと白黒だった。
 まるでそこだけまだ着色していない、未完成の風景画みたいだ。ただ白黒というだけでなく、彼らに当たっているはずの太陽の光も、彼らから長く伸びているはずの影もない。
 そこだけ、人型に切り抜かれてしまっている。
 すぐそばを通り過ぎようとしている老夫婦は、ほとんど白に近い灰色をしていた。母親に手を引かれている小さな男の子は真っ白で、その母親は白と黒の中間くらいのグレー。駅の改札を見ると、サイズの合わない上着を羽織った、無精髭の男がいた。ほとんど黒に近いグレーだ。
(切り離されてゆくごとに、人は黒くなってゆく。私の力ではもう人々を守ってゆくことができない。大きな力が、もうすでにこの天原に入り込み、人と人を切り離し、また彼ら自身にそうさせるよう、働きかけている。私がふがいないばっかりに、この有様だ)
 切り離された人。不思議なことに、私はその声の言うことを、その意味を、すんなりと理解した。切り離す。その言い方が、すとんと腑に落ちた感じがした。
 この光景は、気分が悪い。あまり見ていたくなかった。相手の陣地を攻め倒すことでしか存在意義のないチェス盤の上のコマたちのように、大小様々、モノクロのグラデーションを纏った人々が、駅前広場に転がっている。
 ふと、私は自分の掌を見た。白い。けど、純白ではなかった。その色にはわずかに濁りを感じた。私も幾分か切り離されたのだろうか。それとも、自分で切り離したのか。いつ? 一体何本? 分からない。覚えがない。
 それが、怖かった。一度切れたら、元通りにはならないのだろうか。
 家族がいて、恋人がいて、友達がたくさんいても、独りぼっちの人は山ほどいるんだよ――お父さんがそう言っていた。私は、自分が独りぼっちだなんて感じたことはない。けど、決して一度も「切れた」ことがないわけではなかったのだ。頭がくらくらして、目の前の白黒の人たちがぐるぐると回った。そして私は、隣りに一緒に座っている物体に気が付く。
 私は思わず口を抑えた。
(私は、彼女を助けたいと思っている。彼女は、より多くの声を聞こうとし、より多くの人を、繋げようとしている。それなのに、今の私は、彼女に何ひとつ出来ないでいるのだ。なんと、もどかしいことか)
 社美景は真っ黒だった。まるで原子爆弾の放射能で焼かれたように、光を失った黒だった。
 動悸がする。息が苦しい。汗がどっと噴き出すのを感じた。少しだけど、吐き気もした。社美景から、少しでも離れたいと思った。でも、体は動かない。
 その人型の物体は、絶望の象徴でしかなかった。黒々と染めらてしまった彼女の顔を見る。常に軽蔑を含んだ目つきだと思っていたその瞳は、今は何も映していない。
 さっき彼女と話しているときは、何にも思わなかったのに。どうしてだろう。彼女は、今にも泣きそうなくらい悲しい表情をしていた。
(人々を切り離す、大きな力。その力を持っているのも、また人なのだ。しかし、もう一度繋ぎ直すことができるのもやはり人であると、私は信じている)
 停止しているその世界で、もろの木さまがざわりと葉を揺らした。


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