マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  [No.753] 三話 恥ずかしがり屋の腹話術 投稿者:戯村影木   投稿日:2011/09/29(Thu) 21:22:38   48clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 1

「で、今のは全部教科書に書いてあることだから、分からなくなったら八十六ページを読むといいよ。理解出来ない場合のみ、僕に聞きに来て。じゃ、まだ三分あるけど、今日はここまで。お疲れ様」
 季時九夜は簡潔に授業を終わらせると、そのまま教科書をまとめて教室を出て行こうとした。だが、生徒同士が雑談を始めると同時に、前の席にいた生徒の一人が「先生」と、彼を引き留めた。
「何?」
 彼を引き留めたのは塚崎という女子生徒だった。季時とは少し顔なじみという間柄である。教師と生徒の間にも、そうした親密度は存在する。
「あの、今日も準備室にいらっしゃいますか?」
「いる予定だけど、何?」
「あとでお邪魔しても良いですか?」
「構わないけど、授業の話はしたくないな」
「あ、そうじゃないので、大丈夫です」
「そう。君一人?」
「もう一人連れて行く予定ですけど……」
「あ、そうなの。コーヒー飲める子?」
「ちょっと分かりません」
 季時は数度頷いて、「じゃあ、話を聞くかどうかは、その時に決めよう」と言って、教室を出て行こうとした。が、またも「先生」と呼び止められて、教室を出ることは叶わなかった。
「仕方ない、あと一分半は君たちの呼びかけに応じよう」
「すいません」声を上げたのは絹衣という男子生徒だった。「ちょっと質問なんですけど」
「ああ、白凪君、どうしてる?」
「俺は無視ですか」
「君のためになる質問だよ」
「えーと……先輩は、真面目に育ててますよ。なんか、ただの綺麗なポリ袋って感じになってますけど」
「ああ、身だしなみを整えてるのか。でも、ヤブクロン、ゴミつけてるくらいが健康的なんだけどね。で、質問って? 恋愛相談は、僕には無理だけど」
「いえっ……あの、ヤブクロンって、何食べるんですか? 先輩がなんかぽつっと言ってたので」
「ああ、ゴミだよ」季時は簡単に言った。「あと三十秒」
「ゴミならなんでも食べるんですか?」
「食べるっていうか、うーん、身に纏うんだよ。あれはね、栄養を循環させて生命活動を維持しているんじゃなくて、生命エネルギーを身体に直接貼り付けて生きているっていうタイプのポケモンだから。試しに学校を一周させれば、一週間分のエネルギーが得られるよ。はい、授業終わり。まだあれば準備室で」
 季時は絹衣に、右手の二本の長い指を動かして、さようなら、の合図をした。特に意味のない行動だった。絹衣もそれを真似してみたが、意味は感じられなかった。
 教室を出て、廊下を歩いている途中、また「季時先生」という声が聞こえた。幻聴ということで処理をしようと試みたが、声の主が目の前に現れたので、諦めた。幻視は経験がないので、試すことが出来ない。
「季時先生、すみません」
 相手は笹倉という司書だった。図書室の管理というよりは、もっぱら、生徒の心のケアを担当している。
「どうもこんにちは、笹倉先生」
「あの、今、お時間大丈夫ですか?」
「時間は正常に働いてると思いますよ」季時は腕時計を見た。「ええ、大丈夫みたいですね」
「季時先生は、私とお話しても生活に支障がありませんか?」笹倉はゆっくりと言い直した。
「支障ありませんよ」季時はすぐに言った。「ただ、僕の右腕は荷物を抱えて立ち止まることに不満があるみたいです」
「では、図書室に来て頂けますか?」
「ええ、喜んで」
 今日は厄日かな、と思いながら、季時は笹倉のあとに続いた。しかしほぼ毎日が平和なら、たまの厄日も受け入れるべきかもしれない。
「どんなご用ですか?」
「今一人の生徒が相談に来ているんです」
「それはいけない。僕は邪魔者ですね」
「でも私では専門的な知識もないので」
 ポケモンの話か、と季時は思った。季時は別に、そこまでポケモンが好きというわけではないので、面倒だった。どちらかと言えば、コーヒーの方が好きだ。
 笹倉に案内されて図書室に向かうと、ポケモンを膝に乗せた女子生徒が座っていた。制服の色を見るに、一年生のようだ。膝に乗っているポケモンは、ジュペッタだった。
「こんにちは。僕の知らない子だ」
「コンニチハ、ボクジュペッタ」
 どこからともなく、そんな声が聞こえた。機械的な声だ。その言葉を発したのが季時でも笹倉でもないとするなら、この少女だろう。しかし、少女の口元は動いていなかった。
「腹話術なんです」笹倉が季時の耳元で説明した。「あまり学校に来ない子で、ちょっと……」
「ああ、なるほど」面倒な子か、と、季時は判断した。「で、僕は何を?」
「ポケモンをずっと大事そうにしているので、お話を聞いてあげて欲しいんです」
「まあ、それも僕の職務内容にありましたっけね。座っていいですか?」
「ええ、どうぞ」
 季時はパイプ椅子に腰掛けて、少女と対面する形を取った。面倒であればあるほど、真剣に取り組むのが季時だった。その方が効率が良い。
「こんにちは。名前は?」
「ボク、ジュペッタ」少女はまた甲高い声で言った。
「そうか、変わった名前だね。じゃあ、こっちのぬいぐるみの名前は?」
 少女ははっとした表情をした。そして、少女もジュペッタも、その問いには答えなかった。予想していなかった質問だったのだろう。
「名前がないのかい? 可哀想だな。じゃあ、君の名前はロビンにしよう。いい名前だね」
 少女は何も答えない。反応のない相手ほどやりにくいものはないな、と、季時は思った。
 ふいに音階が聞こえ、校内放送が始まった。それは偶然にも、笹倉を呼び出すアナウンスだった。職員室まで来るように、という事務的な内容だった。
「あ……」
「ああ、いいですよ。この子は僕が引き受けます」季時はすぐに言った。「自分の部屋の方がやりやすいですから」
「あ、そう、ですか……では、お願いします。またあとで、覗います」
「ええ、まあ、気が向いたらどうぞ。さあジュペッタ君、ロビンを連れて生物準備室に行こう。あのね、仕事が終わったらコーヒーを飲むのが僕の日課なんだよ」
 少女は季時に連れられて廊下を出たあと、笹倉がいなくなったのを確認してから、ぽつりと、「私、宮野」と呟いた。
「それ、下の名前?」季時は飄々と言った。

 2

 宮野と名乗った少女は、生物準備室を物珍しそうに見ていた。勧められた椅子に座り、ジュペッタをぎゅうと抱きしめていた。
「基本的に生徒は苗字で呼ぶようにしているんだけど、なんて呼べばいいかな」
「宮野」
「宮野君か。君、喋るの苦手なの?」
 宮野はこくりと頷いた。
「腹話術はしないの?」季時は畳み掛けるように言った。「僕ね、学生時代に君みたいな子と友達だったんだ。根暗でね、自分の世界に入るやつ。だから扱いには慣れてるんだよ」
「……」
「タイミングを逃すと、普通に喋れなくなるよ」
「……はい」
 宮野はようやくきちんと口を開いて喋った。少し低い声だった。女子にしては、かなり低音が効いている。
「君は、何? 登校拒否?」
「……はい」
「間を置かないで、さくさく話そう」
「はい」宮野は頷いた。
「ちゃんと話せるのに、なんで腹話術なんかしてるの?」
「あの……自分の声が嫌いで」
「あ、そう」季時は簡単に言った。「僕も、自分の声はあんまり好きじゃないね。自分に好きなところなんてないよ」
「先生は、恥ずかしくないんですか?」
「え? 何が?」
「その、嫌いな声で喋るのが」
「別に僕のことなんか、誰も気にしていないでしょう」
 季時はマグカップを洗ったあと、コーヒーメーカーをセットし始めた。「宮野君、コーヒー飲める?」と訊ねたが、首を振られてしまった。最近の学生は子どもが多いらしい。
「私、低い声で喋ると、笑われるんです」
「あ、そうなの。僕も笑った方がいい?」
「え、いえ……」
「僕は別におかしいとは思わないな。君の声には興味がないからね。むしろ人形扱いされてるジュペッタの方に興味があるくらいだ」
 季時は宮野が抱きしめているジュペッタの頭を軽く撫でた。ジュペッタは、嬉しそうに目を細める。宮野はそれを見て、驚いた様子だった。
「ジュペッタ……先生のこと、怖くないの?」
「ああ、このジュペッタは怖がりなのかな。でもね、何故か僕はポケモンに嫌われないんだよ。不思議なものだね。随分君に懐いてるみたいだね」
「あ……はい。生まれた時から、一緒なので」
「ふうん」
 季時はしばし考え込んだあと、人差し指を親指にひっかけて、ジュペッタの額に、デコピンをした。
「ジュッ」
「わっ、何するんですか!」
「ジュペッタ、ダメだろう、君の飼い主が集団生活を送れなくなってるというのに、自分の都合だけで飼い主を困らせるんじゃない」
「ジュ……」
「先生、やめてください! ジュペッタに何するんですか!」
「こっちのセリフだよ。宮野君に何をするんだ」
 季時は優しく、ジュペッタの頬をつまんだ。ジュペッタは困ったような、諦めたような表情で、それを受け入れていた。
「先生やめて!」
「なんて悪い子なんだお前は。ご主人様を困らせるなんて。お仕置きが必要だな。そうか、実はお仕置きがされたくてここに来たんだな? いやらしいやつだ」
「先生、やめてください。もうしませんから!」
「君の意見は聞いていない。さあ、立って、これを飲むんだ」季時はコーヒーをマグカップに注いで、それを持ち上げた。「悪いことをするとどうなるか、思い知らせてやろう」
「ごめんなさい、ごめんなさい……もう、もうしませんから……」
「いいや僕は許さない。僕はね、一度決めたら必ずやる男なんだよ」
「あ、あの……」
 季時と宮野がジュペッタを取り合っているところに、割って入る声があった。声の主は塚崎だった。生物準備室の前で、呆然と立っている。その横には、常川もいた。
「きゅーやん……最低」
「先生……女の子に、そういうことをするのは……」
「え?」季時はマグカップを片手に、首を傾げた。そしてコーヒーを一口飲みながら、「何が?」と訊ねた。
「宮野ちゃんにお仕置きとか……きゅーやん見損なったよ」
「ああ、なるほど、誤解があるのか。宮野君、悪いんだけど、誤解を……ああ、なんてことだ」
 宮野は開放されたジュペッタを抱きしめながら、泣いているようだった。季時はようやく、客観的な思考を取り戻す。どうやら、端から見ると、自分は今女子生徒に何か乱暴を働こうとしていたように見えるかもしれなかった。コーヒーが上手く飲み込めない。
「頼むから、ちょっと寄ってかない?」季時は珍しく真面目な声で発言をした。「これはね、誤解なんだよ」

 3

「ポケモンに対しては結構辛辣だよね、きゅーやん」
 事情を説明したあと、一番最初に答えたのは常川だった。常川は今日はポケモンをちゃんと携帯していた。
「少し強く接するくらいで丁度良いんだよ。人間みたいに、言葉が分かるわけじゃないからね。態度で示さないと」
「それにしても、びっくりしました。先生があんな……なんていうか、ああいう言い方をするなんて……」
「自覚はないんだけどね」
「そっちの方がよっぽど悪いよ」
「塚崎君の用事は?」季時はすぐに話題を変えた。「連れてくるのって、常川君だったの?」
「あ、いえ、実は宮野さんだったんですけど」
「あ、へえ。手芸部繋がり?」
「ええ」意外そうに、塚崎は頷いた。「よく分かりましたね」
「学年の違う知り合いでしょ? すぐ分かるよ」
「なんで宮野ちゃんの時はすぐに分かるわけ?」
「あのねえ、僕にも常識くらいあるんだよ」
「どういう意味よ」常川は季時を睨んだ。
「宮野さんが今日学校に来ていたみたいだったので、先生に相談しようと思って。でも教室にはいなくて。常川さんと同じクラスなので、足跡を辿っていたら、ここに」
 塚崎が宮野に視線を向けると、宮野は軽く頭を下げて、ジュペッタをより強く抱きしめた。
「で、僕はどうすればいいわけ?」
「悩み相談?」
「僕は適任じゃないなあ」季時はマグカップを揺らした。「乙女の悩みは解決出来ないよ」
「ポケモン関係は専門じゃないの?」
「専門だよ」
「じゃあ、解決してよ」
「問題がそもそもポケモンが主題じゃないんじゃないかなあ。まあいいか、宮野君」
「はい」宮野はびくっとして答える。
「君、ジュペッタと会話出来るだろう」
 季時が言うと、塚崎と常川が、驚いたように宮野を見た。宮野はその視線から逃げるように、ジュペッタに顔をくっつける。
「きゅーやん……何言ってるの?」
「日本語」季時は足を組み替える。
「ポケモンと会話出来るって……そんなこと、あるんですか?」
「稀にね。とくに、幼少期から一緒にいたり、相手がゴースト、エスパーあたりだとこの現象が起きやすい。ポケモンの言葉が理解出来るということじゃなくてね、直接語り合えるんだ。そうじゃない?」
「え……あ……はい」宮野は渋々と頷いた。
「え、すごいじゃん宮野ちゃん。天才?」
「だねえ」季時は珍しく、普通に相手を褒めた。「ちなみに、僕も天才だよ」
「え?」常川と塚崎が同時に言った。
「僕もポケモンと会話が出来る。カゲボウズと」
「嘘でしょ?」
「いや、本当だよ。やってみようか?」
 季時は白衣の中からボールを取りだして、カゲボウズを繰り出した。カゲボウズはすぐに季時にすりよってきて、ポケットの中をまさぐった。
「また前みたいに、リボンを探してるんですか?」
「うん。じゃあ僕がカゲボウズに、こらっ、今はお客さんがいるんだからリボンはダメだよ、って語りかけるとするよね」
 季時が言うと、カゲボウズの動きが止まった。そして、少し寂しそうな表情をして、てるてる坊主のように、その場に留まった。
「ほら、やらなくなったでしょ」
「え、今のは、人間の言葉を理解したんじゃなくて?」
「まあ、そういう風にも見て取れるね。じゃあ、こう会話するとしよう」
 季時がカゲボウズをじっと見つめると、カゲボウズは常川のところにやってきて、腕を甘噛みした。常川はくすぐったそうに、「こらっ」と、カゲボウズに注意した。
「何て言ったんですか?」塚崎が訊ねる。
「常川君は美味しいよ、って」
「美味しくないわよ!」
「あれ、そうなの? 知らなかったな。まあ、とにかくね、僕、喋れるんだよ。僕の場合はある程度親しくなると、喋れちゃうかな」
「へー、すごい。それは素直にすごいよきゅーやん。もっとみんなに自慢すればいいのに」
「しないから自慢になるんだよ」季時は宮野に身体を向けた。「で、いつから喋れるようになったの?」
「私は……高校生になったくらいから……です」
「つい最近か」
「はい」
 季時はジュペッタを見つめた。
「もっと構って欲しいって言われたのかな」
「……そう、です」
「ね? お仕置きしないといけないでしょう?」季時は常川と塚崎に言った。「僕は悪くないよ」
「それにしても言い方が卑猥だった」
「君がそう思ったのは、君の責任だよ」
「でも、なんでお仕置きしないといけないんですか?」塚崎が訊ねた。
「多分ね、ジュペッタがずっと一緒にいて欲しい、みたいなことを言ったんだと思うんだな。それに加えて、宮野君は自分にコンプレックスがあるようだから、学校に来るのが嫌になったのかもしれないね。そんなところだろう?」
「……はい」
「なあんだ、そんなことか」常川は溜め息混じりに言った。「そりゃ私だってピカチュウが一緒にいてーって言ったら学校行きたくないよ」
「僕だって働きたくないよ」季時が言った。「まあとにかく、ジュペッタが宮野君を困らせていたから、僕はジュペッタを叱っていたわけ。理解してくれた?」
「はいはい」
「はいは?」
「十回」常川はふてくされて言った。
「とにかく宮野君、君の声は別に悪くないから普通に喋るといいよ。それとジュペッタ、ご主人様を困らせないように。いいね?」
 季時がジュペッタの頭を撫でると、ジュペッタは項垂れて、頷いたように見えた。
 ふいに音階が流れ、校内放送が始まった。それは、季時を呼び出すアナウンスだった。「あれ、今度は僕か」と季時は言って、マグカップをデスクに置いた。
「君たち、ここにいる? いるよね。僕が帰るまでいてよ」季時はそう言って、部屋を出る。「宮野君も、ゆっくりしていって」
 季時は生物準備室を出て、廊下を歩いていた。と、前方に笹倉を見つけた。声を掛けると、笹倉は「宮野さんは?」と訊ねて来た。
「えっと、時間大丈夫ですかね?」季時はすぐにそう訊ねた。
 笹倉は不思議そうな顔をしたあと、腕時計を確かめて、「問題なく進んでますよ」と答えた。
「それは良かった。じゃあ、宮野君もすぐに進めますよ。それでは、僕はこれで。手芸部の生徒が生物準備室にいますから、良かったら寄っていってください」
 季時は微笑みを浮かべて、職員室へ向かった。


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