マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  [No.754] 四話 怖がり屋の大恋愛 投稿者:戯村影木   投稿日:2011/09/29(Thu) 21:23:40   48clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 1

 季時九夜にとって土日ほど心休まる日はない。朝九時に目を覚まして、たっぷりとあくびをしてから、洗面所に向かった。
 彼の家にはあまり物がない。彼はほとんどの行為を家の外で行う。家の中は、寝るか、休むかという使い方しかしない。実際、季時は顔を洗ってすぐに着替えを始めた。朝食は外で食べることにしている。というよりも、コーヒーを飲むためには外に出るしかなかった。仕事に行かなくなるから、という理由で、季時は家にコーヒーメーカーやインスタントコーヒーを置いていない。これを置いておくと、朝の一杯を準備して一時間を費やすことになるからだ。
 季時は枕元に置いてあるボールを手に取り、財布を持って、家を出た。白衣がないことを除けば、学校に行く時と同じ服装だ。季時にとっては服装なんてどうでも良いことだった。白衣だけは自分でセンスが良いと思って着ているが、それ以外のものは社会に生きるための道具でしかなかった。
 馴染みの喫茶店に向かい、いつも座る席に座った。喫茶店の店長は、彼の知り合いだった。親友と言い換えてもいい。彼が友人という言葉を使う時に対象となる人物は、この店長だけだった。
「朝飯は?」
 鈴鹿という名の男は訊ねた。客は多く、繁盛しているようだが、忙しさを感じさせない振る舞いだった。
「コーヒーだけでいい」
「腹は減ってないのか」
「昨日、飲み会だった」
「へえ、珍しいな」
「僕もそう思う」
「断れなかったのか?」
「断れなかったというか、正確にはその段階にすら存在していなかった。つまり……いや、上手く言えないな。そういうことだよ」
「二日酔いか?」
「いいや、飲み会だっただけで、酒は一滴も飲んでいない」季時は腕時計を確認した。起きてから時間を確認したのはその時が初めてだった。「九時半か」
「今日は遅いんでどうしたのかと思ってたんだ」
「どうかしてたよ。コーヒーは?」
「今淹れてる」
 若い女性の店員が、コーヒーを持ってやってきた。「顔色良くないですね」と、季時に言葉を添えた。季時は軽く手を振って、「型が古いからね」と、とくに意味のない発言をした。
「何があったんだよ」鈴鹿が興味深そうに訊ねて来た。
「仕事はいいのか」
「仕事より大事なこともある」
「お前みたいな子がいるんだ」季時は言った。「引っ込み思案で、根暗で、ぼそぼそ喋る子だ」
「将来有望だぞ」
「まあ、その子は、女子生徒なんだ。四日前に相談事に乗って、それからよく僕の部屋を訊ねるようになって、その子の家は居酒屋で、僕はそこで昨日飲み会をした」
「誘われたのか?」
「いや、違うんだ。言っただろう、断る段階にはいなかった。罠にかかったと言った方がいい。ポケモンをダシに使われた。思い出すと腹立たしい」
「よく意味が分からんな」
「こいつだよ」
 季時はボールをカウンターに乗せた。カゲボウズの入っているボールだ。鈴鹿も馴染みのあるボールである。
「影子がどうした」
「それよりお前、仕事は?」
「今から休憩だ」鈴鹿はエプロンを脱いで、カウンターの中で椅子に腰掛ける。「おーい、俺にもコーヒー一杯くれ」
「まあ、大して面白い話じゃないんだが」
 季時は溜め息をついて言った。疲労の色が見て取れた。

 2

 その前の日の放課後、季時は困っていた。自分の最愛のパートナーであるカゲボウズの姿が見えなくなったのだ。いつも、片時も離れず一緒にいるパートナーである。いなくなるなどということは、今までの人生でも、片手で数えるほどしかなかったはずだ。
 季時はまず、その認識が誤りである可能性を考慮した。しかし、いくら探してもカゲボウズも、ボールも見つからない。次に、それが過剰な考察の末に導き出された悲劇であることを考えた。しかしながら、やはり生物準備室の中に、カゲボウズの姿はなかった。季時は珍しく慌てていた。慌てるという自覚もないままに、慌てていた。だからだろう、あまりに慌てていたせいで、季時は大した思慮もしないまま、ある女子生徒の元を訪ねていた。
「どうかしましたか、先生」
 美化委員の白凪は、パートナーのヤブクロンを連れて、学校の敷地内をうろついていた。校舎内でのポケモンの連れ歩きは校則違反であるが、グラウンドや中庭は黙認されているし、委員会等で利用する場合は許可されていた。今日も、ヤブクロンはゴミを拾い集めてそれを身体に付着させていた。
「ああ、悪いんだけど、白凪君、カゲボウズって知ってる?」
「ええ、先生がお持ちのポケモンですよね」
「うん。ああ、やっぱり、白凪君は頭がいいね」
「先生、大丈夫ですか?」
「僕? 大丈夫じゃなかったことがないからね」
「大丈夫じゃなさそうですね」白凪は首を傾げた。「それで、カゲボウズがどうかしたんですか?」
「うん、その、カゲボウズがいなくなった」
「え? 逃げたということですか?」
「いや、逃げるということはないと思う。少なくとも、彼女との関係は良好だ」
「そうですか。では、ボールをなくされたのでしょうか」白凪はヤブクロンを抱きかかえる。「探すのをお手伝いしましょうか?」
「ああ、いや、君が見ていないならいい。君が見ていないということは、多分つまり、校舎の中か、敷地の外だろう」
「先生、慌てているようですね」白凪は少し楽しそうに言った。「本当に、私にお手伝い出来ることはありませんか?」
「うん、まあ、もし見つけたら教えて欲しい、ということくらいかな。ああ、時間を取らせて悪かったね。じゃあ、僕は行くから」
「いつもの会話のキレがありませんね」
 去って行こうとする季時の背中に、白凪の言葉がかかったが、すぐに落ちて消えた。それほどまでに、季時は慌てていた。
 次に季時は、学校の中でもそれなりに親しみのある生徒を探した。校内放送をかけるのも手だったが、あまり公にしたくないという気持ちもあった。生物学教師としての矜持のようなものだろう。
 季時はふらふらと廊下を辿り、家庭科室を訪れた。そこは手芸部の活動場所だった。季時がドアを開けると、そこで活動していた部員が全員振り返った。
「あ……やあ」
「あれ、きゅーやんだ」一番に反応したのは常川だった。「何? なんか用?」
「うん」珍しく殊勝な態度の季時だった。「えっと……カゲボウズを探してるんだけど」
「先生のですか?」塚崎が訊ねる。
「そう、僕のカゲボウズ。彼女、何故かどこにもいなくてね……不思議なんだけど、うん、いなくなっていたんだ。だからちょっと、探しているんだけど……」
「季時先生が狼狽えるなんて珍しい」
 一人の女子生徒が言った。それに同調するように、他の生徒も頷いていた。生物学以外で関わることはほとんどなかったが、変わり者教師として全生徒に名を知られている季時だった。
「カゲボウズに愛想尽かされたんじゃない?」
「そんなわけないだろう!」季時は少し語気を強めた。
「うわっ、きゅーやんが怒った……」
「ボールをなくされたんですか?」
「ボール? ああ、ボールをね、そう……多分そうだと思うんだよ。ボールにね、カゲボウズは収納されているから」
「どこでなくしたか、心当たりはありませんか?」
「心当たり? いや、僕は授業が終わって、部屋に戻って、誰も来ない予定だったから、インスタントコーヒーを淹れて……ああ、そのあと、トイレに行った」
「それじゃないの?」
「ボール、いつも白衣に入れてますよね?」塚崎が空想の白衣のポケットに手を入れる動作をする。「白衣は着ていました?」
「いや、僕は白衣はトイレには着ていかないし、白衣を脱ぐ時はボールはちゃんと引き出しにしまう。誰かにボールが盗まれることは有り得ない」
「でも、その時じゃん?」
「誰かが部屋に入ったってことか?」
「きゅーやん鍵かけなかったの?」
「僕の部屋は内鍵しかかからない」
「あ、そう言えば……」塚崎が思い出したように、周囲を見渡した。「宮野さん、帰ってこないね」
「あ、そう言えば。どこ行ったんでしたっけ。トイレ?」
「うーん、覚えていないけど……なんだか気になりますね」
「宮野君? ああ、あの引っ込み思案の……」季時はそこまで言って、額に手を当てた。「まずいな」
「どうしたの?」
「君に話すとややこしくなる類の話だ」
「またかんに障る言い方するなあ」
「宮野君、宮野君か……ああ、誰か宮野君と連絡取れる人、いる?」
「出来るけど」常川がすぐに携帯電話を取りだした。超小型のボールがぶら下がっている。「どうしたの、なんか本当に様子おかしいね、きゅーやん」
「悪いけど、カゲボウズのこと、聞いてもらえる?」
「え、うん……でもなんで宮野ちゃん?」
「ほら、一昨日、宮野君の相談に乗っただろう」
 文字を打ちながら常川は頷いた。塚崎も、「あれからなんだか随分明るくなりましたよ、宮野さん」と同調した。
「うん、それが、明るいというか、なんかね」
 季時は困ったように頬を掻いた。
「昨日、ラブレターを十通ほどもらったばかりだ」
 そこにいた全員の生徒が、季時の発言に言葉を失い、呆然と季時を見上げていた。

 3

「ついに女子高生から告白される日が来たか」
「ついにというか、今までになかったわけでもないけれどね。今回はまあ、僕も詰めが甘かった。反省している」
「でもどうしてすぐに分かったんだ」
「その、宮野君という子が飼っているジュペッタはね、なんて言えばいいかな、透視能力に長けているんだ。僕がボールをどこにしまったかを、多分、判断したんだ」
「でも、ポケモンだろう?」
「その子、僕と同じでね、ポケモンと会話出来るんだ」
「ああ」鈴鹿は溜め息をついた。「天敵だな」
「まあね。宮野君にとっても、僕は天敵だろうけど……好かれてしまうと、その関係は崩れるね」
「それでどうなった?」
「まあ、追跡をすることになったんだけどね」

 4

 常川が宮野にメールを送ると、宮野は素直に、カゲボウズを連れ去ったことを認めた。そして、自分が今どこにいるかを伝えてきた。それは、季時に来いと言っているのと同じだった。
「へー、宮野ちゃんがねえ。きゅーやんのどこがいいんだろうね」
「冴えないところがいいんだろうね」季時は自嘲気味に言った。「冗談はさておき、人のポケモンを盗むのは泥棒だ。生徒指導をしてくる」
「大丈夫? 襲われたりしない?」
「僕が? まさか、僕は大人だよ」
「でも先生、押しには弱そう」
 塚崎が言うと、他の生徒が控えめに笑った。季時はいたたまれなくなり、「協力ありがとう」とだけ言って、家庭科室を出た。
 宮野がいるという場所は、学校からかなり離れていた。その時、その場所がどういう場所なのか、ということを季時は疑っていなかった。そこに理由を求めていなかったのだ。あるいは、そこまで考える余裕がなかったのか。とにかく、季時は自転車に乗って目的地を目指すことにした。カゲボウズを取り返さないことには、おちおち仕事も出来ない。
 いつもの二倍の速度で自転車を漕いで、宮野がいる目的地についた。そこは少し寂れて、薄暗い、女子高校生がいるのにはにつかない場所だった。一方、カゲボウズが好みそうな、湿っぽい、じめじめした場所であった。
「ああ、宮野君」
「こんにちは……」宮野は律儀に頭を下げた。
「うん、じゃあ、カゲボウズを返してくれるかな」
「あの……」
 そこで季時はようやく、宮野の違和感に気づいた。校内ではともかく、下校時や生物準備室に来る時はいつも抱きしめているジュペッタがいなかったのだ。かといって、ボールも見当たらない。単体としての宮野を見るのは、季時はこれが初めてだった。
「ジュペッタは?」
「えっと、先生のカゲボウズと遊んでます」
「どこで?」
「私のうちです……」
「それ、どこ?」
「ここ……です」
 宮野は背後にある建物を指差した。コンクリートの壁と、換気扇、小さなドア、詰まれた空き瓶などが詰まれている。一見して、居酒屋の裏口という感じだった。実際そこは路地で、奧には似たような光景が続いていた。
「君の家、お店なの?」
「はい」
「ああ……へえ、なるほど。おや、ドーガスになりかけてるスモッグが浮いてるよ。他にも、コラッタとか……なるほどね、こんな環境なら、君みたいな特殊な子が育ってもおかしくはないか」
「そうですか……?」
「僕の実家もすごかったからね。築百年以上の日本家屋で、とくにゴーストポケモンが多かった……まあ、そんな話は今度ゆっくりするとして、カゲボウズを返してくれるかな。君がジュペッタをそそのかしたんだろう?」
「え、あ、はい……」
「君みたいな子がね、一番厄介なんだよ……あとで彼女には謝っておこう。変なこと吹き込んでいないだろうね?」
「はい……あの、じゃあ、こっちに来てください」
 宮野は季時を手招きして、路地を出た。てっきり裏口から入るものだと思っていたが、部外者がその敷居をまたぐのもおかしいのかもしれない。季時は素直に宮野のあとをついて、正面に回った。居酒屋というか、小料理屋というか、それなりに洒落た店ではあるようだった。
「どうぞ……」
「いや、ここで待ってるよ」
「……返しません……よ……?」
 宮野の控えめな訴えが逆に恐ろしかったので、季時は素直に店に入ることにした。とにかくカゲボウズに会うことが先決だった。季時はのれんをくぐって店に入る。すぐに独特の匂いが鼻を突いた。
「いらっしゃい!」
「どうも」季時は頭を下げた。「客ではないんです」
「先生……座って待っていてください」宮野はカウンター席を勧めた。「今、連れてきますから」
「ああ、はい」
 季時は素直に椅子に腰掛ける。
 店内にはポケモンが多くいた。四足歩行で、丸っこい、愛玩用として飼われることの多いポケモンたちだった。オオタチが季時の足下を通過していく。宮野のような才能を持った子どもが生まれるのも、当然という気がした。
「あんたが季時先生かい」
「ああ、はい。宮野君のお父さんですか?」
「そうそう」カウンターの奧にいる男性は快活に笑った。「いやあ、うちの娘の悩みを聞いてもらったそうで」
「いえ、別に」
 季時は宮野が消えて行った階段に目をやったが、彼女が戻ってくる気配がない。一体どういう了見だろう。
「先生、お夕飯は? 食べていきましょうよ」
「いえ、まだ早いですから」
「まあまあ。じゃあ一杯どうです」
「いえ、僕はお酒は……」
 また階段に目をやったが、帰って来ない。何をやっているんだ。季時は段々と焦り始めた。心に余裕がないせいで、会話もいつも通りには行かない。
「いやあ先生には感謝してるんですよ。しばらく家に引きこもってたと思ったら、急に元気になりましてね。いやあ、やっぱり専門家の先生は違いますね」
「いえ、そういうわけではないんですよ」
「軽いものなら食べられるでしょう? 焼き鳥でも焼きましょう。ああ、ついでにうちの小僧たちの様子も見て行ってくださいよ。こういう店にいるもんで、不健康かもしれませんから」
 ポケモンのことを言っているんだろうか。季時は店内を見渡した。確かにあまり良い環境とは言えないが、ポケモンはどんな環境でも生きていける生物だ。それに、ポケモンごとに見合った環境がある。一概にどうと言えるものではない。
「あの……宮野君は」
「すぐに降りてきますよ。それまでまあゆっくりしていってくださいよ」
「いえ、ポケモンを取りに来ただけですから」
「明日は休みなんだし、ね、お礼がしたいだけですから」
 宮野はまだ降りてこないのか。季時はもう立ち上がろうとしたが、しかし宮野の父が回ってきて、隣に腰掛けた。愛想の良い男だ。その分、何か強気に出ることが難しい。
「すぐ降りてきますって。降りたら引き留めませんから。ね、それまでの間」
「宮野君が来たら、すぐに帰りますよ」
「ええ、はい。これ、美味しいですから。まだたくさん焼けますからね」
「いや……」

 5

「で、どれだけ居座ったんだ?」
「二時間かな」
「おい!」
「飯は美味かったよ……三十分経った頃に、どうせタダなら食いたいだけ食おうと思って、食い尽くした」「それで朝飯が入らなかったのか」
「いや、そういうわけじゃないんだ。まあ……僕が長くいたのは、彼女がそこを気に入ったというのが本当の理由かな。どうもね、宮野君という子はすぐに連れてきてくれる予定だったらしいんだけど、彼女がジュペッタと遊ぶのを楽しんでいたらしい。こちらにも落ち度はあったわけだ」
「ふうん。まあ、そういう日もあるわな。で、珍しくお前が細かく話してくれたのにはどんなわけがあるんだ?」
「これさ」
 季時はボールを床に転がした。そこから出て来たのは、カゲボウズではなく、ジュペッタだった。
「……進化したのか?」
「いや、多分、トリックかなあ……」
 季時は疲れたように言って、カウンターにうつぶせになった。
「帰り際に入れ替えられた可能性が高い……」
「天敵か」
「ポケモンと意思疎通が出来る子ほど恐ろしいものはないよ。それを無意識とは言え、いたずらに使うのはね」
「ジュペッタも楽しそうだな」
 鈴鹿は床に転がってケタケタと笑うジュペッタを見て、困ったように言った。
「どうするんだ?」
「生徒指導かたがた、カゲボウズを回収しに行ってくる。そうしたらまた何か食べさせられるかもしれないから、朝飯は抜いていく」
「……なるほど。頑張れよ」
「ああ」
 季時はまったく疲れた声で言って、ジュペッタの頭を掴み、持ち上げた。
「お前の飼い主をこっぴどく叱ってやるから、覚悟しとけよ」
 季時が言うと、ジュペッタはまたケタケタと笑った。季時は疲れたように、溜め息をついて、またカウンターに突っ伏した。


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