マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  [No.765] 八話 死にたがり屋の言葉 投稿者:戯村影木   投稿日:2011/10/04(Tue) 19:51:38   51clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 1

 他人の悪事など基本的にはどうでもいい、と季時九夜は思っている。隣で殺人が起きようが、自分に関係がなければ、基本的には、どうでもいい。そう思っている。だが、思ってはいても、理性や思考とは無関係に、身体が動くことはあった。
 仕事の用事で、地下鉄に乗る機会があった。ホームで電車を待っていた時だ。他の乗客は、本を読んでいたり、携帯電話をいじっていたり、忙しそうだった。季時は白衣のポケットに両手を突っ込んで、ぼーっと電車を待っていた。ぼーっと、とは言っても、常に周囲を観察していた。目の前には若い女性がいた。いや、女の子、と形容するべきだ。中学生くらいだろうか。私服だった。彼女も季時同様に、何もせずに、電車を待っている。彼女が先頭で、季時は二番目だった。
 電車の振動が、遠くから聞こえてくる。ようやく椅子に座れるな、と思った瞬間だった。前にいた少女が、足を一歩前に踏み出した。それは、数秒後に行われるべき行為だった。今はまだ、足を置く場所が到着していない。そのまま少女が前傾していく。季時の頭の中で、数秒後の未来が予測される。このままの速度で彼女が前に倒れ、電車が来る。電車の速度、パワー、少女と電車が接触する面積。その後の状況。様々な計算を除外しても、得られる結果は死のみだった。
「危ない!」
 声を出すことになんの意味があるのだろう? 自分への警告だろうか。あるいは、周囲の人間の注意を引くためか。その問いの答えは未だに出ないままだ。季時は少女の腹部に手を回し、彼女を引っ張った。あまりに強く、こちら側へ引き戻そう、という力が働いたせいか、季時は彼女と共に、後方へ倒れた。周囲から、おおっ、とか、きゃ、とか、ざわめきが聞こえた。うるさい、静かにしろ、と心の中で訴える。電車は既にホームに到着していた。
「……」
 何かを言うべきだった。危ないだろう、死ぬところだった、何を考えているんだ。様々な言葉を思い浮かべたが、どれも的外れで、自分には関心のないことだ、という結論を得た。季時は彼女の拘束を解くと、ゆっくりと立ち上がり、服を叩いて、何事もなかったように、電車に乗り込んだ。
 周囲の人たちも、怪訝そうにしてはいたが、電車に乗り込んでくる。季時は今の行為は夢だと思い込むことにした。いや、最近疲れているから、白昼夢だったのだろう。椅子に座り、ふう、と溜め息をつく。動悸が乱れていた。こんなところで、生涯決まっている鼓動の回数を無駄遣いするのは忍びない。
 ドアが閉まり、電車は何事もなかったかのように、走り出した。自殺未遂。それを救った男。そんな事実は、存在しなかった。電車が走り出すと、心地良い振動が、季時に与えられる。
「あのさ」
 ふいに、隣から声をかけられた。面倒臭い、と思ったが、薄目を開けて、隣を覗った。若い女性だった。いや、やはり女の子、と形容すべきだろう。
「何かな」
「なんで助けたの」
「答えはまだ出ていない」季時は咄嗟にそう答えた。「答えが出たら、聞きたいの?」
「別に……」
 少女は視線を逸らした。
 季時も視線を元に戻し、目を閉じる。
 ああ、また面倒なことをしてしまった、と、季時は自分の行動を悔いた。無意識のうちに、季時は命を救いたいと思ってしまう。獣医の道を諦め、一教師として生活しているのに、その思想だけは、まだ消えないままだった。

 2

 仕事はすぐに終わった。以前に務めていた高校で、手続きをしなければならなかった。当時は不自由していなかったが、しばらく離れてみると、随分田舎だな、と思った。電車の多い町で、車両基地があった。季時は仕事を終えたあと、次の電車が来るまで、ベンチに座って、車両基地を眺めていた。乗り物は好きだ。人を乗せて動く、という明確な役目を与えられている。そのためだけに存在するというのに、美しい外観をしていた。飾らなくても、ただ存在するために、美しくある、というものが季時は好きだ。ポケモンが好きなのも、白衣が好きなのも同じ理由だ。機能美とでも言うのだろうか。その存在そのものが、ただひたすらに美しい。
「ねえ」
 レールのビスの数を数えていると、またふいに、声を掛けられた。先ほどの少女だった。季時は視線をそちらに向ける。関わり合いたくないな、というのが本音だったが、子ども相手に無視というのも、大人げない。
「何かな」
「何してるの?」
「どこまで具体的に答えればいい?」
「もういい」少女は季時の隣に腰を下ろした。「ねえ、なんでさっき、助けてくれたの」
「答えを考えていなかった」季時は立ち上がる。「缶コーヒーを飲むけど、君、何か飲む?」
「いらない」
「じゃあ、ソーダかな」季時はすぐ近くの自販機で、缶ジュースを二つ買った。「僕は性格が悪いからね、人がいらないっていうと、あげたくなる」
「助けて欲しくなかったって言ったら?」
「喜ぶね」季時は缶ジュースを少女に渡した。「いつまでに答えればいい?」
「別にいいよ、もう」
「君、何歳?」
「十五歳」
「中三?」
「来年からね」
「死ぬなら一人で死ぬといい」季時はプルタブを起こした。「何もあんな、人の多い場所で死ななくてもいいだろう。君は会話のリズムがいいね。きっと頭が良いんだろう。ならもっとまともな死に方が出来るはずだ」
「別に、死のうと思ったんじゃないよ。ただ、なんとなく、ここで死んでもいいやって思った」
「今、この橋から落ちたら、運が良ければ死ねる」
「そうだね。死んで欲しい?」
「どちらでも」
「また助ける?」
「そのつもりはないけれど、断言は出来ない」
 少女もプルタブを起こした。一口だけ飲んで、すぐに口を離した。薄手の長袖でも寒い季節だ。冷たいソーダは、合わなかった。
「コーヒー美味しい?」
「いや」季時は首を振る。「美味しいと思ったことは一度もない」
「なんで飲んでるの?」
「さあ」
「美味しいもの飲めばいいじゃん」
「望んだ人生ばかりは選べないよ」季時は空を見上げた。「段々味覚が麻痺してきて、甘いものとか、そういうものが、苦手になる」
「何歳?」
「少なくとも君よりは上だ」
「何してる人?」
「どこまで具体的に答えればいい?」
「仕事」
「高校教師だよ」
「何の?」
「生物学。主にポケモンを扱っているよ」
「へえ。頭良いんだ」
「僕の一番嫌いな言い方だ」
「自分で言ったんじゃん」
「それもそうだね」
 季時はそこでまたコーヒーを飲んだ。
 電車はまだ来ない。
 田舎町は、電車の本数が少ない。
「ポケモン、持ってる?」
「一応ね」
「見せてよ」
「嫌だな」季時は露骨に顔をしかめる。「死にたがりが移ると困る」
「別に、死にたかったわけじゃない」
「簡潔に君の人生を教えてくれたら、ポケモンを触らせるのもやぶさかではない」
「別に。ただなんか、人生ってつまらないなって思っただけ。言われるままに学校に行って、中学生になって、来年から受験生で、高校生になって、ただなんとなく学校に行って、また受験をして、なんとなく大学に行って、なんとなく就職をして、なんとなく死んで行くんでしょう」
「素晴らしい予測力だね」季時は微笑んだ。「僕の人生と似ている箇所が多い」
「そんな人生、つまらなくないの?」
「つまらないよ」季時は笑ったままで言った。「どうしようもなくね。たまに死んでみたくなる」
「でしょ?」
「だけどね、僕は死なない」
「どうして?」
「確率の問題だよ。死ぬよりも、生きた方が、面白いことがありそうだ。死んだら、永遠につまらないが継続する。それはちょっとね」
「死んだら、思考力なんてなくなるんじゃないの」
「答えてくれたお礼に、見せてあげようか」
 話題がすぐに変わったので、少女は一瞬躊躇ったが、すぐにポケモンのことだと分かった。季時は白衣からボールを取り出すと、それを優しく地面に転がした。
「なんていうポケモン?」
「カゲボウズ」
「ふうん」
「人形でね、怨念が詰まってる」
「こわっ」
「そう、怖い。でも元は人間にあった感情だ。人形ポケモンって、不思議な話だろう? 人形は、人間がいたから作られたものだ。ということはつまり、このカゲボウズというポケモンは、人間が生まれてから誕生した生き物なんだ。それまでは存在しなかった。人間よりもあとに生まれた。人間が作った人形を媒体にして、人間の感情を詰め込んで活動している。ほとんど、人間みたいなものなんだよ」
「へえ」
「ポケモンというのはね、大半は人間が生まれる前からいた。けれど、人間が作ったポケモンや、人間の生活の影響を受けて生まれたポケモンも少なからず存在する。いや、今はかなり多くなっているね。人間が環境汚染をして生まれたポケモンもいるし、遺伝子操作をして生み出されたポケモンもいる。こういう点から、人間とポケモンの関係は根強いと言われている。君、ポケモンは?」
「持ってない。勉強の邪魔になるんだって」
「君の家は厳しいの?」
「別に。怒られたことはないけど。反抗したことないから」
「反抗しないの?」
「面倒臭いじゃん。どうせ怒られるって分かってるし」
「なるほどね」季時はカゲボウズを撫でる。「そして君の予測はいつも正しかったわけだ」
「そうだよ」
「死ねなかったのに?」
 季時が言うと、少女は視線を逸らした。
「君が思うほど、人生は思い通りには行かないよ」
「でも、思っているほど面白くはならない」
「君との会話は、結構、僕は気に入っているけどね」
 少女は答えなかった。自分の感情を表す適当な言葉を知らなかったのだろう。
「カゲボウズって、どうしてポケモンって言うの」
「それは、動物ではないのか、ということかな」
「そう」
「要するに、解明出来ていないんだ。動物と分類されている生き物は、ある程度解明出来ている。けどポケモンは分からないことが多くて、未だに研究が続けられている。不思議なものでね、カゲボウズは人間がいるから生み出されたポケモンであるのに、人間はカゲボウズを理解することが出来ない」
「へえ」
「でも、人間だって同じだろう」
「どういうこと?」
「僕は君を理解出来ないよ」
「当たり前だと思う」
「人体の構造は理解出来てもね、気持ちは分からない。じゃあ、生物って、身体の構造だけ理解出来れば、それで理解したことになるの? 違うよね。僕たちは心まで含めて、人間なんだからさ」
「それは、そうだけど」
「だったら、結局動物だって解明出来ていない。でも、特別不思議な、物理法則を無視していたり、今まで生み出されてきた理論では証明出来ない者たちを、我々はポケモンと呼んでいるよ」
「ふうん」
「こういう仕事をしているよ」
「え?」
「生物学。こういう話をするんだ」
「それ、楽しい?」
「いや、仕事だからね、楽しくないよ」
「どうして続けてるの?」
「それが知りたいんだよ」
 ゆっくりと振動が伝わってきて、電車が来たことを知らせていた。「君は帰るの?」と季時が訊ねると、少女は「次の電車で帰る」と答えた。
 缶コーヒーを飲み干して、ゴミ箱に空き缶を捨てる。
「次死ぬ時も助けがあるとは限らない」
「そうだね」
「じゃ、また」
「あ、待って」
 橋を降りて行く季時に向かって、橋の上から、少女は声を掛ける。季時はそのままホームに降り立つ。この駅には、電車が五分ほど停車する。季時はホームで、ゆっくりと上を見上げた。
「名前は?」
「聞いてどうするの?」
「どこの高校か調べて、受験する」
「高校名を聞いた方が早いんじゃない?」
「再来年もいるとは限らないから」
「頭がいいね」季時は微笑む。「季時九夜」
「きとききゅうや?」
「季時が苗字で、九夜が名前」
「珍しい名前だね」
 少女は笑った。
「よく言われるよ」
「きゅーやんって呼んでいい?」
「他人の呼称には不満を言わないようにしている」
「じゃあ、きゅーやん、さようなら」
「さようならと言われると、また会いたくなるな」
 季時は笑って、電車の中に消えた。

 3

 いつ実行するかを決めかねていた掃除を、季時はついに敢行していた。二時間も授業が空いてしまって、暇だったというのが大きな理由だ。しかし予想以上に作業は手間取った。出てくるものが思い出を喚起させることが多く、以前務めていた高校の名前が書かれた書類を見つけて、季時は二年前の出来事を思い出していた。
 季時にしては珍しく、美しい、と思える類の記憶だった。そのことを思い出していたら、授業の終了を終えるチャイムが二度鳴っていた。もう、掃除は諦めることにした。どうせ片付けても、また同じ状態になる。人生というものはそういうものだ。
 そろそろ冬も本格的になる、という時期だった。丁度同じ時期に、そんな出来事があった。少し肌寒くて、温かい缶コーヒーがとても似合った。
 諦めて昼食でも食べようか、と思っていたところで、ドアをノックする音が聞こえた。気の利いた言葉を考えて、「入ってます」と答えた。すぐにドアが開いた。
「ああ、いたいた」
「常川君か」丁度彼女のことを思い出していたところだった。いいタイミングだな、と季時は思った。「二度確認するほどのことかな」
「なんで部屋汚くなってるの?」
「いや、掃除をしたんだよ」
「綺麗になってないじゃん」
「何かを整えるためにはね、汚さないといけないんだ。君、数学得意だろう? 途中式はいつも美しくないよ」
「はいはい。はいはいはい。はいはいはいはいはい」常川はそう言いながら、机の上の書類を掻き分ける。「今日はすぐ帰るよ。これ渡しに来ただけだから」
 常川は包装されたものを机の上に置いた。重くはなさそうだった。
「何?」
「マフラー」
「マフラーね。君が作ったの?」
「うん」
「ふうん。どうして?」
「部活だから」
「なんで包んであるの? 評価しにくいんだけど」
「だから、きゅーやんにあげるの」
 常川は季時を睨み付ける。
「マフラーを? 僕に? 手作りのを?」
「そう」
「なんで?」
「もういい」常川は唇を尖らせて、振り返る。「失礼しました」
「なんで怒ってるの?」
「怒ってませんよ」
「君が怒る合図を僕は知っている」
「機嫌が悪いの」
「機嫌が悪いけど、怒ってはいないの?」
「気に入らないなら捨てていいよ」
「これ? いや、もらえるならもらうよ。最近、自転車通勤も寒いしね。かといって、自分で買いに行くのも面倒だから」
「そう」
「いや、ありがとう。理由が分からなかったから戸惑っただけだよ。ちゃんと使うよ。へえ、見てもいい? というか、僕のものだから、確認を取る必要はないね」
「好きにすれば」
 季時は包みを開けた。それは、カゲボウズと同じ色をしたマフラーだった。「いいセンスだね」と季時は言って、それをクビに巻いた。
「私は好きな色じゃないけどね」
「そうなの? じゃあどうして作ったの?」
「きゅーやんが好きそうだから」
「ああ、最初から僕のために作ってくれたのか。ありがとう」
「どういたしまして」
「で、どうして?」
「まだ答えは出てないかな」常川はそう言って微笑んだ。「答えが出たら、聞きたい?」
 季時は五秒間考えて、口元を緩めた。
「別に」


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