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  [No.3086] クロ(1) 投稿者:Skar198   投稿日:2013/10/28(Mon) 00:35:18   79clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:鳥居の向こう

1.

 某月某日、グローバルリンク。
 ユリ(仮名)は交換に出されたポケモンリストの中に〔Umbreon〕という種族名を発見した。条件を見れば交換主の在住する地域にいないポケモンであれば何でもいいという。彼女は地元でよく見かける野生ポケモン〔ジグザグマ〕を提示した。二時間後には交渉成立のメールがあった。
 破格の取引だった。〔Umbreon〕すなわちブラッキー。人気ポケモンイーブイの進化系でイーブイ同様人気があった。彼女はさっそくポケモンセンターの転送装置にジグザグマの入ったボールをセットし、転送した。その代わりに送られてきたのは黒いボールだった。重いポケモンの捕獲に優れたヘビーボールに似ていたが、金色に光る輪のような模様が二つ描かれていた。さっそくボールを開くと、中から一匹のブラッキーが現れた。黒色のシルエットはすらりと美しく、長い耳は輝く金輪を戴いている。赤い大きな瞳が彼女を見上げていた。
「わあ……!」
 ユリは感嘆の声を上げ、黒い獣を抱き上げる。
 これでクラスのみんなにも自慢できるわ。彼女はほくそ笑んだ。
 そして彼女の思惑通り、クラスの友人達の反応は上々だった。珍しいイーブイの進化系はクラスの話題を独占した。休み時間になると皆が見せて見せてと寄ってきた。そうして写真をとったり、その美しいビロードのような毛皮やすらりとしたシルエットを褒め称えた。彼女は満足だった。
 けれど人は慣れるもので、一ヶ月も経てば彼女の周りには誰もいなくなってしまった。今は校内のバトル大会で優勝した同級の男子のピジョットが人気で、皆の視線はそっちへいってしまったのだ。
「つまらないの」
 放課後、中庭で群れる彼らを恨めしそうに教室の窓から見下ろしてユリは言った。
 すると、途端に背後から声がした。
『盗んでやろうか?』
 びっくりして振り返ると机に無造作に置かれた鞄から黒いボールがころころと転がった。それがひとりでに放たれ、机の上にブラッキーが現れた。
『ご主人、あなたが望むのであれば、あの強さを盗んできてやる』
 口を開いて黒い獣は言った。

*

 俺はシートに揺られながら、スマートフォンの画面を眺めていた。これは最近になって増えた件(くだん)のブラッキーのエピソードだ。
 彼(彼女かもしれないが)に関する都市伝説をネット上で見かけたのはかれこれ五年ほど前だっただろうか。ちょうどスマイル動画というサイトが実験的に立ち上がった頃で、ぽつぽつと動画が上がり始めた。それらは今見れば技巧的に稚拙なものが多いのだが、初期独特の野生味を宿していたように思う。その中には文字を読む動画という、淡々と文字情報ばかりを映し出し、BGMを流すだけという簡易なものがあった。巨大掲示板群を有す151ちゃんねる上の名言をまとめたものもあったし、怖い話をまとめたものもあった。その中の都市伝説を扱った動画にそれはあった。
 盗まれた才能。そんなタイトルだったと記憶している。
 グローバルリンクを彷徨い、人の手から人の手へと渡るブラッキーがいる、というものだった。ブラッキーには不思議な能力があった。得意技は「どろぼう」で、どんなものでも盗んできてくれるという。
 そう、どんなものでも。盗むものは物質に限られない。

*

 ユリはブラッキーに「どろぼう」を命じた。あのピジョットの強さを盗んできて、と。そして手持ちのキャモメにつけて、と。その日からユリの快進撃が始まった。
 彼女のキャモメは、次々とクラスメイトとのバトルに勝利した。小さな翼からは想像も出来ない竜巻を起こし、強烈なゴッドバードをお見舞いした。それはさながらあのピジョットのようであった。逆にピジョットはまったく振るわなくなり、持ち主はバトルをやめてしまったという。
 だがキャモメにはどうにもならない弱点があった。電気技だ。水と飛行の複合タイプであるキャモメは雷ポケモンに先手を取られるとどうしても勝てなかった。
「あのサンドから、電気タイプへの抵抗力を盗んできて」
 クラスメイトのねずみポケモンを指し、ユリは言った。その日からキャモメに電気の攻撃は効かなくなった。
 ユリは次々にブラッキーに命じた。あのポケモンのあれを盗んできて。あのポケモンのあれが欲しい。あのポケモンのこれが欲しい。ブラッキーはその度に盗んでみせた。もはやキャモメの敵はいなくなった。ありえない技を繰り出し、あらゆる技は効果が無かった。
 けれど。
 気がつくと誰もがユリを避けるようになっていた。バトルを申し込んでも、ていよく断られてしまうし、登校してもどこかみんなよそよそしかった。そうして少し離れた場所でひそひそと何かを話しているのだ。
 よく分からないが、あの子に目をつけられるとロクな事が無いらしい――それにあのキャモメ、なんかおかしいよ……。
 いつの間にかそんな噂が広がっていた。ユリは次第に学校に行かなくなり、そしてブラッキーを手放した。破格の条件で交換に出したのだ。

*

「兼澄天神(かなずみてんじん)、兼澄天神」
 スマホ画面のスクロールの果てに広告が見えた頃、電車のアナウンスが次の停車駅を告げた。出てくるポケモンからして、きっとこの話はホウエン地方だろうなぁ。俺はそんな事を思いながら、スマホを鞄に入れ席を立つ。どこの町なのだろう。ホウエンの話なら俺の住んでいる所に近いかもしれないとも思った。だが交換に出されてしまったなら、今はもう遠い所にいるのだろうとも思った。カントーかもしれない。シンオウかもしれない。あるいはイッシュやカロスといった外国かもしれなと思った。今や国境をまたいだ交換はトレーナー達の常識だった。デリバードがプリントされたICカードをかざして改札を出ると、俺は目的地へと歩き出した。

*

 某月某日、グローバルリンク。
 イッシュ地方に住むリチャード(仮名)は破格の交換案件を見つけ、その取引によりブラッキーを手に入れた。ミネズミとの交換だった。
 彼はストリートミュージシャンだった。毎週金曜日になると、ヒウンシティの公園で演奏をしていたが、立ち止まる聴衆はまばらだった。もっと自分の歌を聴いて欲しい。リチャードは常々そう思っていた。すぐ向こうではイカしたダンサーを伴ったロックバンドに人が群がっている。ギターがかき鳴らされ、ダンサーの三人組が華麗なステップを踏み、技を決める。歓声が上がる。毎週毎週それがリチャードは恨めしかった。
 すると退屈そうに歌を聴いていたブラッキーが口を開いて言ったのだった。
『あのダンサー、盗んでやろうか』
 次の日からリチャードの歌に合わせ、ダンサーが踊るようになった。
 だが、それだけでは足りなかった。リチャードがクラシックギターで奏でる歌はおおよそダンスとはマッチしなかったし、ダンサーのいなくなったロックバンドには相変わらず人が群がっていた。ドラマーが華麗なテクニックを見せ、ベーシストが低音で曲を支える。ギターとボーカルを兼ねるリーダーは意気揚々と歌っていた。
「あのドラマーを盗んでくれ」
 リチャードは言った。次の日にはベーシストも盗ませた。だが、欲望は留まる事を知らず加速していった。
「あのボーカルの声が欲しい」
 リチャードは言った。同時に盗ったのはギターテクニックと高級なギターだった。そうして毎週の金曜日、彼は意気揚々と歌った。一週間もしないうちに彼はすべてを盗み取ってしまった。今やたくさんの聴衆も彼のものであった。彼はロックバンドのリーダーに完全にとって替わったのだ。
 が、何週間か経った金曜日の事だ。演奏をしようとアパートから公園に向かっている最中、後ろから彼は刺された。彼を刺したはかつてのロックバンドのリーダーであった。
 幸いにも目撃者がおり、ブラッキーが犯人にでんこうせっかをお見舞いして守った事もあって、それ以上の攻撃は受けなかった。すぐにパトカーと救急車が駆けつけ、リチャードは病院に運ばれ、かつてのロックバンドリーダーは拘置所に入れられた。
 退院後、彼は音楽をやめ、実家のある田舎に引き上げてしまった。ベーシストやドラマー、ダンサー達は引退を惜しんだが、彼を引き止める事はついに出来なかった。
 彼はブラッキーを手放した。その代わりに以前交換したポケモンと同種のミネズミがやってきた。

*

 この二人は身近な人間から盗って破滅したパターンだ。スマホの画面に指を滑らせながら俺は思った。待ち合わせの西洋料理レストラン、一番最初に着いたのは俺だった。やる事も無いのでさっきのスレの続きを読んでいる。
 【都市伝説】どろうぼうブラッキーのあしあと【108】。それがスレッドのタイトルだ。ネット上にある巨大掲示板群、151ちゃんねるで件のブラッキーの都市伝説に惹かれた人々が集うスレッドだ。そこで彼らはどろぼうブラッキーの事を語り合う。投稿されるのはグローバルリンクで件の依頼を見かけたという目撃証言から、ブラッキーのどろぼう能力に関する考察、自分だったら何を盗ませる、ブラッキーのAAという具合に多岐に渡る。【 】内にある数字はスレッドの本数だ。都市伝説が流布を始めてから十年近く、スレッドはついに煩悩の数へと到達した。その中でも俺が好んで読んでいるのは実際にブラッキーを交換で手に入れた人々のエピソードだ。まあほぼほぼスレ住人の創作、つまり作り話だろうが、中には本人の証言風に投稿されたものがあったりとなかなか手が込んでいる。それにもしかしたら、この中に本物があるかもしれない。そんな事を考えるとわくわくするのだ。151ちゃんねるの書き込みはえてしてあてにならないと言われ、嘘と本当の区別がつかない者には向いていない。だが嘘か本当かも判らず、証明する手立ても無いからこそ楽しめる事もあるのではないか。俺はそう思うのだ。
 指を滑らせる。本日三回か四回目になるチェックが終わると、VOCALOIDの本スレを見ようと画面をタッチした。が、スレに到達するその前に車のライトが近づいてくるのが分かって顔を上げた。兼澄国際タクシーというどこが国際なのかよく分からないタクシーが店の前に停車した。
「あら、早かったのね」
 出てきたのは母で、俺を見るなりそう言った。続いて下車してきたのは白いドレスを纏ったようなポケモンだった。人間で言えば髪にあたる緑の部分はショートカットのようで、前髪にあたる部分が中世騎士の兜のように顔の真ん中を隠している。その左右からは大きな赤い瞳が覗いていた。そして、その伸ばされた白い手に導かれる形で弟が降りてきたのだった。ゆっくりと馴れない足取りで一歩を踏み出す。最後に下車してきたのは父だった。ドライバーに料金を払う。助手席のドアが開き、ひょいっと足が飛び出した。
「よ、カズキ。元気だったか?」
 俺を見て父が言った。まあまあと答えた。
 通された予約の席。そこには家族団らんの食事を描いた一枚の絵があった。凝った模様が編みこまれたレースの掛かったテーブルを中心に、俺と父、母と弟は向かい合うように座る。そして弟の傍らに共に下車してきたエスパーポケモンのサーナイトがどこか遠慮がちに腰を下ろした。彼女は普通のポケモンとは違い、弟のあらゆる生活場面に寄り添う。普通のポケモンならモンスターボールに入れられてしまうような場面であっても、常に一緒だ。彼女にはその権利があるし、その為にここにいる訳だが、この家族であって家族でないような距離感に俺は未だ慣れる事が出来ないでいる。
 ウェイターがコースの前菜を運んでくる。豪勢なテーブルクロスの上に美しく盛り付けた料理の皿を丁寧に置いた。皆がフォークとナイフを動かし始め、料理を口にした。サーナイトにも特別の皿が出され、彼女はナイフとフォークで上品に口にする。前菜が運ばれ、スープが運ばれ、ぽつぽつと会話が始まった。
「一人暮らしはどうだ?」父が聞いて、「まあまあ」と答えた。
「勉強はしっかりやってるか?」再び父は尋ね「問題ないよ」と俺は答える。
 他愛の無いやりとりは何回か続いた。
 母と弟は黙って聞いていた。が、そのうちに母がちらりと父を見たのが分かった。
 めんどくさいな。俺は思った。母は昔からこうなのだ。
 弟は相変わらず黙って聞いている。自己主張の無いやつめ。頭の中だけで声に出す。不意にその隣のサーナイトの赤い瞳と目があって俺は視線を逸らしてしまった。そうこうしているうちにメインディッシュが運ばれてくる。
「前のお店もよかったけれど、ここのお肉も美味しいわね」
 母が言った。
「今度はどこにしようかしら。和食もいいかもしれないわね」
 間髪を入れず、母は父に続ける。ちらりと弟にも視線を投げた。
「そうだね」
 弟がやっと口を開き、答えた。
 その後、父と母のやりとりがしばらく続いた。母の視線は父と弟の間を行ったり来たりしたけれど、ついに俺を見る事は無かった。弟の隣で白いドレスのポケモンはただ静かに佇んでいた。
 介助ポケモン。彼女の役割を一言で表すならそうなる。彼女は歩けない俺の弟――フタキの為に半年前に実家に迎えられた。彼女の持つ特性「シンクロ」は自分の状態をそのままバトル相手の状態とする事が出来る。つまり自分が毒になれば相手も毒に、麻痺すれば相手も麻痺するといった具合にだ。そしてそれを応用したものがサーナイトの介助だった。彼女はフタキと手を繋ぐ事で自らの動きを弟にシンクロさせる事が出来る。例えば彼女が歩いたなら、弟の足も同じようにシンクロし動く、といった具合にだ。
 介助ポケモンの導入に当初、母は懐疑的だったと聞いている。だが訓練施設で下半身不随の子供達が車椅子を脇に置き、常人と変わらず歩いているのを見るに、見解はひっくり返る。フタキ自身の強い希望もあって希望者登録をしたのが一年前の事。そして半年前、何度かの面談、研修を経て、彼女は実家に迎えられた。
 以上が俺が父から聞いた話で、下宿を始めてから実家であった主だった事だ。
 介助ポケモンの導入は、フタキの外出ハードルを劇的に下げた。同時に家族揃って出掛けるという行為のハードルをも劇的に下げたのだった。だから母が月に一度の「食事会」などと馬鹿げた事を言い出したのもこれが原因だった。今までろくに家族揃って、出かけた事が無かったから、と。
 赤みを帯びたミディアムレアの肉が皿の上に乗っている。適当に切り分けるとフォークで刺し、口の中へと押し込んだ。

*

 もう手放しちゃったけど、書くぜ。数ヶ月前にグローバルリンクの交換リストの中にブラッキーを見つけたんだ。なんかすごくゆるい条件でさ、イーブイ系なら家で飼えそうだし、悪くないなって思って交換したんだ。
 で、しばらく飼ってたんだけど、ある日突然喋りだしてびっくりしたよ。
 chirutterしてたらさ、後ろから声がしたんだよ。『盗んできてやろうか』って。
 話を聞いたら、そいつ何でも盗ってこれるんだと。それで俺、同じ趣味やってる人気アカウントからフォロワー数を百くらい盗ませたんだ。まあ、最初はフォロワーさん達と好きな話題いっぱい話せて楽しかった。リツイートも初めてしてもらって、chirutterが一気に面白くなったよ。でもそのうちにそういうのの数が気になりだしちゃってさ。気がつけば発言の度にブラッキーにリツイート数を盗ませてた。そうしなきゃ安心できなくなってしまったんだな。
 けどある時、何気ない発言をいつものようにリツイートさせたら炎上してしまった。あっちこっちから脅迫めいたリプライが飛んできて、嫌になってしまったんだ。だからchirutterアカウントは消したし、ブラッキーも交換に出してしまったんだ。
 厄払いカキコって事で。

*

 月に一度の「食事会」を終えて、俺は帰路についていた。電車に乗り込み、スマホでVOCALOIDの本スレをチェックした後、もう一度ブラッキースレに戻るとそんな書き込みが増えていた。スマイル動画やP-TUBEの動画再生数、chirutterのフォロワー数、イラスト交流サイトdowblerのブクマーク数――ネットに関わる数字をブラッキーに盗ませる話は、このスレの定番だ。盗ませすぎて工作疑惑を掛けられ自爆したり、うまく少しずつやってもつまらなくなって投稿をやめてしまう。どろぼうブラッキーを手にしたご主人様達は大抵この二パターンに大別される。そして最終的にブラッキーを手放してしまうのだ。あまりにも頻繁に出るものだから、もう誰も既出だとは突っ込まない。むしろ投稿者ごとに微妙に違うシチュエーションを楽しんでいるフシがある。
 俺は重いまぶたを必死に持ち上げながらスマホの画面を見つめていた。「食事会」の食事は豪華で高価だし、すべて父のおごりだ。だがあの空間は息が詰まる。読み終わると俺は瞼を閉じ、下宿のある駅が連呼されるまでうとうととして過ごした。
 が、あんなに俺を支配していた睡魔は歩いて下宿に戻った頃には眠気はすっかり吹き飛んでしまっていた。せっかくなので歯を磨いた後にパソコンをつけ、「ミミ」を起動させた。
 VOCALOID、飛跳音(とびはね)ミミ。シンオウ地方にオフィスのあるトリデプトン社が売り出した音楽ソフトだ。サンプリングしたアニメ声優の声をメロディに乗せて出力できるソフトで、要するに「歌わせる」事が出来る。パッケージには近未来的なデザインのヘッドフォンとマイクをつけたうさぎポケモン、ミミロップがプリントされている。このミミロップはカラーリングも特徴的で、本来の茶色い毛皮の部分が白く、耳の大部分をしめるふさふさのクリーム色部分はライトブルーだった。人型に近く、セクシャルかつ未来的なこのミミのキャラ付けは大当たりし、DTM――デスクトップミュージックの製作者に留まらずイラスト描き達の心を掴んだ。彼らは競うようにミミに歌わせ、絵に起こした。聴覚と視覚、両方に訴えるこのキャラクターの動画はスマイル動画を席巻、ボカロブームを牽引した。
 だが、その実体は味気ないものだ。ミミを起動してもエディターに映るのは灰色と白の大学ノートみたいな画面と青い太線ばかり。これが歌唱のデータにあたる部分なのだが、パッケージであれだけ色気を撒き散らすミミはサービスも何もしてくれない。俺はヘッドフォンを付け、再生ボタンを押すと、一通り歌わせて歌唱を確認した。灰画面で細い縦線が横スクロールを始め歌は進んでいく。うーん、ここはもう少し高めに。ここは強く切る感じで。ミミが歌い終わると一音一音のパラメーターをいじっていく。一通りの修正を終えた後、保存。俺は机を離れ、ベッドに潜り込んだ。

*

 既出かもしれんけど、chirutterの話に似てる話。友人の友人なんだけどスマイル動画の再生数とマイリスト数をブラッキーに盗ませたらしい。でもやりすぎた。クオリティの割りに過剰に盗みすぎたんだな。次の日には工作認定された。ミミのプロデューサーだったらしいけど、投稿はやめたらしい。動画も消して今は無いって。

*

 ひさびさの三連休だった。昨晩にミミの調声をほぼ終えていた俺は一気に曲を仕上げる事にした。作曲ソフトの楽器の中からギターを選択し、おおまかな前奏のメロディラインを打ち込んだ。メロディを確認するとその下に五線譜を新たに作成し、今度はベースラインを打ち込んでいく。夕方までかけて、曲全体にギターとベース、ピアノの音をちりばめると、ドラムを入れはじめた。
 友人のボカロPに言わせると、俺のやり方は少し変わっているらしい。通常、歌というのはまず曲を作り、そこに歌詞を乗せていくのが一般的だが、俺は歌詞から作成する。歌詞にメロディをつけ、メロディに伴奏をつけて完成させるのがスタイルだ。ミミを手に入れて一年と半年程、もともと音楽の素養なんてなかった俺は最初は和音も分からなかった。だから伴奏をつけるのにも苦労したが、今はずいぶんと慣れ、一曲を作るのにそこまで時間を要さなくなっていた。これなら連休中にスマイルに投稿できるかもしれない。
 一通り作り終えると耳休めも兼ねて、CGMサイトのピカプロでイメージにあったイラストを探す。おおよそ1曲中に使うイラストは四、五枚。一枚は自分で描くとして、残りは探す……というのがいつものパターンだった。ここに投稿されているミミのイラストはたいがい好きに使っていいので、俺のような底辺ボカロPの強い味方だ。が、ボカロPといってもPとしての名前はまだなかった。当初からSkar198というアーティスト名を名乗っている影響もあるだろうが、まだP名を貰えるような曲が作れていないのが大きい。スマイル動画には十五ほど曲を投稿しているけれど、再生数が一万に届いたのは一曲だけだ。
 けれど俺は満足していた。投稿すれば少しだけれど何らかの反応があった。本当に少ない人数だけれど固定ファンもついた。
「2げと」「まってました」「よかったよ」「今回はいまいちだったかな」
 画面がコメントでいっぱいになる弾幕には程遠いし、画面のスクロールもわずかのコメント数だ。それに必ずしも褒められるわけじゃない。けれどそれが嬉しかった。反応があるのは嬉しい事だ。もちろんマイリストと再生数が増えたら、もっと嬉しいだろうとも思う。曲のイメージイラストなんて描いて貰った日には踊り出すだろう。
 二時間ほどかけてイラストを選んだ俺は、夕方までに大方の打ち込みを終えるとコンビニでパスタを買った。パスタを腹に収めると曲を構成する音をまとめるミックスを行う。気がつけば曲をかけたままパソコンデスクに突っ伏して眠っていた。次の日の昼遅くに目を覚ました俺はいそいそとお絵かきソフトSaiHoonを立ち上げて、曲用イラストの最後の一枚を描き始めた。集中して創作をやると時間の経つのはあっと言う間で、もう窓の外が赤みを帯びていた。すっかり暗くなった頃にもう一度ミックスを確認、調整し、歌詞を載せた動画作成、スマイル動画にアップロードして、キャプションをつけた。
『どうも、Skar198です。』
 いつもの調子で始まるキャプションの中に、自分の楽曲リストとイラストの作者名を並べると投稿ボタンを押した。VOCALOID本スレにも宣伝を兼ねてURLを貼り付ける。
 次の日の伸びは……というと、まあいつもの感じだった。期待なんてしていなかった……いや、少しはしていたけれど、こんなもんだろうという具合だ。スマイル動画め、たまには新着ピックアップに載せてくれてもいいのになどと思いつつ、俺はブラウザで新しいタブを開き、151ちゃんねるにアクセスする。108本目のブラッキースレが開かれた。ネットでこの都市伝説を見つけて以来、月光ポケモンを巡る一連のストーリーは今尚俺を魅了し続けている。
 やっぱり盗ませるなら、再生数だろうか。それとも有名Pの才能だろうか。しかし、そんな事で満たされるのか。盗ませた再生数で、盗まれた才能で。
 ある訳が無いと理解しつつ、ぼんやりとそんな事を考えた。
 ブラッキーは今日もまた交換に出されていた。何を盗んでも、どんなに主人に応えてもストーリーの結末は決まっている。途切れる事の無い新着動画に埋もれていく俺の楽曲のように。
 両耳にセットしたヘッドフォンからは昨日投稿したミミの歌が流れ込んでくる。
『♪ 結果なんて見えている けれど今日も積み上げる』
 近未来のミミロップが囁いている。曲は一回目のサビを終え、間奏に入った。

*

 ミチル(仮名)はネット上のイラスト交流サイトdowblerのユーザーだった。ある時、何気なくグローバルリンク上の交換リストを覗いていると、ブラッキーが交換に出されている事に気が付いた。元々イーブイ系のポケモンが好きだったミチルはさっそく交渉を開始した。話はあっさりとまとまり、さっそくセンターに出向いて転送マシンからブラッキーを迎えたのだった。そして家に辿りつき、部屋でボールを放った時、さっそくブラッキーが喋った。
『ご主人、私は貴方の願いを叶える為に来ました。貴方は画力が欲しいんでしょう?』
 ミチルは驚いた。彼女の絵はdowbler上でなかなかブクマ数が伸びなかった。私の絵が伸びないのは絵が下手なせいだ、彼女は常々そう思っていたのだ。
「あの人みたいな画力があれば、私も人気が出ると思うの」
 ミチルは自らの欲望を正直に語った。
 そうしてミチルは憧れの絵師の画力を盗んでしまった。彼女の絵は次第に人気が出たけれど、元の才能の持ち主は不調を理由に引退してしまった。彼女の絵のブクマ数は増え、念願のランキング入りも果たした。けれどそのうちに151ちゃんねるのヲチスレでこう言われだした。
「ミッチーの絵ってさあ ○○っぽいっていうか そのままだよなぁ」
 ○○とはもちろん元の才能の持つ主だ。同じようなコメントはイラスト感想欄にもしばしば寄せられるようになった。そうしてマイドーブルの友人の一言が彼女に止めを刺した。
「ミチルってすっごいうまくなったよね でも私、昔の絵のほうが好きだったな」
 途端に激しい罪悪感が彼女を襲った。ミチルはdowblerを退会し、ブラッキーを交換に出した。

*

 朝起きる。顔を洗ってパソコンを起動するとお気に入りのミミ曲を再生する。ブラウザの別タブで開いた巨大掲示板は、今日も新たなストーリーを映し出していた。
 高校を出て、大学進学を果たした時に下宿を始めて一年と少し。講義の出席と課題を消化しながら、時々ミミに歌を歌わせ、ネットサーフィンをして過ごす。多くはミミの曲を聴き、chirutter、151ちゃんねるを見る事に費やす。友達は少ない。彼女もいないし、ポケモンも飼っていない。人はそれを非リアというかもしれないけど、月一の食事会を除いては束縛されない一人の生活に俺は満足していた。
 一人暮らしは俺自身が選んだ事だ。そして正解だった。こうしていれば母と顔を合わせることも無く、主張の無い弟にイライラする事も無い。むしろ遅すぎた。早くこうすべきだったとさえ思っている。
 が、その心の平穏は突如として脅かされる事になった。

「ポケモンを引き取って欲しいの」
 唐突に母がそう言ったのはミミの新曲投稿から三週間が経った「食事会」の席だった。


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