タグ: | 【鳥居の向こう】 |
風が強い。ショップから再び外に出ると風が前髪を巻き上げ、身体を冷やしていく。百貨店の屋上広場、一番安い絵馬を片手に再び俺は小さな社の鳥居を潜る。記帳台でルールどおりに記帳を済ますと、掛け所に絵馬を掛けた。
DOGO百貨店、以前弟と近くの広場で待ち合わせたが、こんな事をする為に来る事になるとは思わなかった。DOGOのそれ自体には何度か足を運んだが、屋上神社への参拝は初めてだ。つい最近までそのご利益も知らなかったし、こんな事がなければ関心を持つ事もなかっただろう。
小さな社に五十円玉を入れ、鈴を鳴らす。別に信じてなんていないけれど、しないよりはいい気がした。たぶんこれは自身の気持ちを確かめる為なのだろう。そう思う。忘れていない事、想いが消えていない事を確かめる為の儀式なのだろう。
あれからもう二年近くが経っている。ミミオリジナル曲「どろぼう月光ポケモン」をきっかけにSkar198の知名度は飛躍的に向上した。P名を持たなかった俺にも月光Pというプロデューサー名がつき、曲は週刊ランキング上位に食い込んだ後に、殿堂入りをする。発表した曲も随分聴いて貰えるようになって、いくつかの曲が十万再生――殿堂入りを達成している。去年の秋にはドゴームPの勧めで同人のアルバムも出した。まさかライコウのあなに自身のCDが並ぶ日が来るとは想像していなかった。即売会とかオフ会とか、いくつかのイベントに出て、ネットに顔が出てしまったせいで弟にボカロPをやっているのがバレてしまい、会う度に言われる。
鈴から手を離す。二礼して二回手を鳴らす。そして再び礼。今度は一礼だ。付け焼刃の作法だがまあ構わないだろう。再び鳥居を潜る。風はまだ強く、冷たかった。
クロは戻らなかった。
それはたぶん俺がタブーに触れたからだろう。
存在意義。クロはそれをそう表現していた。
――俺には役割がある。
以前クロはそう語った。『交換先の主人の欲望を叶えろ。それが俺にプログラミングされた命令であり、存在意義だ』であると。
俺はその意義を盗もうとした。だからクロは去ったのだ。
俺が追い続けたブラッキーの物語。掲示板群の片隅で語られる続けるストーリー。昔一度だけ、その連鎖を断ち切ろうとした書き込みを見た事がある。それは「どろぼう月光ポケモン」とほぼ同じ手法だった。その人物は書いた。物語の中の少女はブラッキーにこう言った。私はあなたに何も望まない。ただ側にいてくれればいい、と。けれど、スレ住人達はそれを許さなかった。物語はスレッドの流れの中で上書きされてしまった。彼女はしばらくブラッキーと共に過ごしたが、やがて欲しいものが出来てしまった。そうして多くの主人達と同じ運命を辿った彼女は、やがてブラッキーを手放してしまったのだ。俺は残念に思うのと同時にほっとした。物語は続く。そしていつか自分のところに来てくれるかもしれないと。そして、それが本当に目の前に現れた時、俺は彼女と同じ事をした。今度は歌を使って、違う場所で、存在意義を盗もうとした。
俺はどろぼうブラッキーに自分自身を重ねていたのだ。どんなに頑張っても、どんなに主人の望むようにしてもやがて手放される黒い獣、それに省みられなかった自分自身を重ねていたのだ。
俺はクロを救いたかった。
繰り返される流転の運命から、宿命からクロを救いたかった。
そうする事で自分自身を救おうとしていた。
けれどクロは去った。まるで俺の心を見透かしたみたいに月光ポケモンはいなくなった。憐れみなどいらないと言うように。手元には黒いモンスターボールだけが残された。スレッドでは歌など知らないし聴いていないというように物語が続いていった。
――俺の存在を求める奴らがいる。だから俺は交換されてくる。
――俺はそういう渇望から生まれて、そういう風に出来ているんだよ。
俺はいつの間にかスレッドを見なくなっていた。
部屋は急に物寂しくなった。フードはキッチンの棚の奥に仕舞い込み、ベッドも片付けてしまった。その寂しさを誤魔化すように俺はミミに歌わせ続けた。投稿した動画達は以前と違う伸びを見せる。コメントが絶えず流れ、再生数は必ず五桁以上だ。そして時々疑いを抱いてしまう。もしかしたらこの再生数はクロがこっそり盗んできているのではないか、と。
空中から街を見下ろす。ここからはカナズミシティがよく見える。この風景のどこかに、ホウエンのどこかにいるだろうか。それとも別の地方だろうか。あるいは新しいボールに入り、再びグローバルリンクを彷徨っているのだろうか。
スマホにイヤホンを差し、動画を再生する。
ミミは歌う。今どこにいるの、と。どこかで歌を聴いているの、と。
〔よー、新曲調子いいじゃん〕
夜、部屋に戻ってきてネットサーフィンをしていると、ドゴームPが話しかけてきた。
まあな、と返事をすると〔今回のイラストいいよなぁ〕とコメントしてくる。
〔そっちか〕
俺がツッコミを入れると
〔ああ、お前にゃもったいない〕などと言うので、
〔いいだろ "月光ポケモン"以来のファンだってさ 貴様にゃやらん〕
と、やや自慢してやった。
すると、ドゴームPが妙な事を言い出したのだった。
〔月光ポケモンて言えばさ お前最近スレ見てる?〕
〔いいや〕
俺は答える。
〔前に曲作る時にお前に見せてもらったじゃん〕
〔おう〕
〔その時から少し設定変わってるみたいなんだ〕
〔え?〕
急いで151ちゃんねるにアクセスした。双子鳥がマスコットの検索サイトに「151ch どろぼうブラッキー」とキーワードに打ち込みキーを押す。
【都市伝説】どろぼうブラッキーのあしあと【138】。最新スレッドはすぐに見つかった。リンクをクリックして、その内容を目で追った。
スレのルール、ガイドラインに使う。出だし最初の文言が始まった。
彼の種族はブラッキーである。
得意な技は「どろぼう」。
いつの頃からかネットで囁かれ始めた都市伝説。
始まりはそんな口上で語られる。
彼はただのポケモンではない。その証拠にタマゴからは生まれなかったし、生まれた時からブラッキーだった。
彼はグローバルリンクを彷徨うポケモンだ。何度も何度も交換されて、持ち主を転々としているという。
彼は喋るポケモンである。
それは新しい主人に自らの能力を説明する為に必要だからだ。
ここまでは同じだ。
俺が知っているものと同じ文言。
問題はその先だった。
その先で見た二文字だった。
持ち主はブラッキーに様々な名前をつけようとする。
『勝手にするがいい』
ブラッキーは言う。
けれど本当の名があるという。
彼の種族はブラッキー。
その名前はクロ。
名付けられた名は、クロ。
〔クロ 了〕