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  [No.1213] 第3話 東京湾の毒吐き男(前編) 投稿者:SpuriousBlue   投稿日:2014/10/14(Tue) 20:52:42   38clap [■この記事に拍手する] [Tweet]




【一部過激な描写が含まれます】






東京湾の毒吐き男








 朝晩が寒く感じるようになった秋の日の午後、子供一人が歩いていた。男の子だった。ランドセルを背負っていた。おそらく小学1、2年生くらいなのではないかと思った。赤いランドセルを背負った女の子が走ってきて、少年のそばによる。俺はたばこを吸いながら、ぼんやりと下校途中の子供たちを見ていた。
 少女は、大きくなったらお嫁さんになりたいと言っていた。一方の少年は、大きくなったら海賊王になりたいと言っていた。それを聞いた少女は大きな声で笑った。
 小さいころの夢はなんだったか、思い出そうとした。
 在りし日の夢を、もう一度見ようと思った。
 無駄だった。

    ◇

「この言葉、知っているか」
 サブウェイのエビアボカドを頬張っている、厚化粧の女に向けていう。女は「へ?」と口をもごもごさせながら、俺の方に振り返る。口元にソースがついていた。俺より5つ下の19歳だと聞いたが、化粧のせいで少し老けて見える。同世代だと言われても驚かない。化粧がなければ驚くほど幼く見えるというのに。その顔がじっと俺を見る。
「人生はマッチ棒によく似ている」
「は?」
「厳重に扱うのはばかばかしい。厳重に扱わねば危険である」
 女は口をとがらせてストローを吸う。アイスコーヒーの入ったコップが空になり、ゴボゴボと情けない音が吐き出される。女はコーヒーを飲み終えると、フム、と言って一瞬神妙な顔つきになり、そのあと俺に煙草をせがんだ。コンクリートの厚い壁に波がうち当たる。日は高く昇り、海が白く光っていた。
 俺が煙草を一本渡すと、二本同時に箱から引っ張られ、うち一つを無理やり口に突っ込まされる。女は慣れた手つきで俺の胸ポケットから素早くライターを取り出すと、二本の煙草に火をつけた。
「それって誰の言葉?」
 煙を吹かせながら、女が言う。
「芥川龍之介」
「ふぅん」
 女は煙を目で追いながら答える。
「それを、このアリサさまに言うとはねぇ。私ほど人生楽しんでる女ってあまりいないと思うけど」
「だから言っているんだ」
「いいじゃない、私、強いんだから」
 そういって、空中を浮遊しているケーシィの鼻を人差し指でつつく。狐に似たその生物は線のように細い目を自らの主人に向ける。アリサは狐の頭を右手で撫でた。
「だから言っているんだ。特殊能力に頼り切っていると、いつか足元をすくわれるぞ」
 アリサは俺の言葉を鼻で笑う。
「つまんない説教ばかり垂れているから、あんなあだ名がつくのよ」
 そして、片方の唇だけをあげる独特のしぐさをしながら続ける。
「東京湾の、毒吐き男ってね」
 言ってから、女は小さな声でつぶやく。ま、そんなところ、嫌いじゃないけど。
 アリサの声をかき消すように、水が割れる音がした。
 海の中から、花びらのような赤いツノが飛び出した。そして、毒ポケモンに似つかわしい紫と茶色の巨体が宙に浮く。
 ドラミドロ。ニックネームはフレイヤ。俺のポケモン。最強の毒吐きマシン。
「時間だ。それじゃあな」
 俺にもたれかかろうとするアリサをすり抜けて、フレイヤのもとに向かう。
 バランスを崩した女は、ケーシィに支えてもらい、かろうじてこけずにはすんだようだ。ヒールでコンクリートを踏む固い音がした。悪態をつかれるのを無視し、煙草を捨ててフレイヤの背中に乗る。
 海の真上を飛ぶと、光に照らされて白く見えていた海の水も、隠れる場所を失って全面が緑に見える。これが、東京湾というものだ。

    ◇

 フレイヤの背に乗って東京湾を低空飛行しながら、女――アリサ――と会った日のことを思い出した。あの日も、今日のように良く晴れた日だった。
 ひと月前のことだ。黒い鳥がニュースを騒がした翌日にフレイヤが現れ、ゲームのルールをその翌日に知った。その時現れた容姿の整った黒服の男。特徴を捉えづらい男。そいつを殺せたらどれだけかよいだろうと思う。しかし、それを想像することさえできない。その男の顔を思い出そうとすると、遠い記憶の向こう側にあるかのように輪郭がぼやけてしまうのだ。
 その代りに、男に伝えられたゲームのルールだけは、鮮明に覚えている。
 ルールは簡単。
 ただのサバイバルゲームだ。
 生きれば勝ち。死ねば負け。
 翼の無い龍が宙を舞い、肉を切れば実際に血潮が飛ぶ、本物のポケモンバトル。
 その勝負に、勝てばいい。
 あまりにも突飛な話に呆然としている中、細身の男は話を続けた。
 陣営は四つある。うち、赤・緑・青の陣営はほぼ同じ人数で構成され、その色の中で勝敗を決める。だから、色が違えば戦う必要はない。
 一方、色が同じだった場合は、命を懸けた勝負が始まる。
 俺は青だった。
 正直にその通り答えると、アリサはぎこちなく笑いながら、言った。
「私は赤。あなたとは仲良くなれそうね」
 そういって、彼女は震えながら手を差し出す。俺はその手を取った。
 汗ばんだ手だった。
 あれからすでに一月。ゲームが始まって間もなくであったアリサは、当時とは状況が大きく変わった。
 アリサの手持ちはケーシィ。ケーシィはテレポートくらいしかまともに使える技がない。相性の良い毒タイプとはいえ、ドラゴンも併せ持つドラミドロを相手にして勝つすべはなかった。それどころか、ほぼどのような相手であったとしても、勝つことは不可能であるように思えた。
 しかし、彼女は画面の中の戦いと実際の戦闘は大きく異なることに気付く。
 アリサがボスゴドラのトレーナーを葬ったことを聞いたのは、出会ってから二週間後のことだった。はじめにワイドショーでボスゴドラが消えたことが伝えられ、そのあとアリサに事の顛末を聞いた。
 方法は単純。テレポートで相手を地上300mまで連れて行く。そして、自分はテレポートで地上に戻る。数秒後、対戦相手が落下して死ぬ。
 ボスゴドラはどうやら上空でメガシンカしたらしいが、図体が大きくなる以上の効果はなかったようだ。巨大な体はトレーナーの死とともに消失した。隠れることのできない巨大なポケモンだったから、ゲームに優勝することはないだろうと思われていたものの、この死に方は誰も想像できなかったに違いない。
 戦い方を知らなかった頃のアリサはいつもおびえて暮らしていた。反撃できないことをいいことに、色が違うトレーナーにまで目をつけられたらしい。それであればケーシィを隠していればよさそうなものだが、そういうところに頭は回らないようだ。いつもテレポートで逃げまわっていた。弱いということが伝わり、余計に目立つ存在となった。お陰で、アリサをかばう俺の存在も知られるようになってしまった。アリサを殺しに来た者たちを、何人も殺した。
 毒吐き男に守られる、攻撃手段を持たないトレーナー。
 それが一夜にして最強のトレーナーだ。
 テレポートで一瞬のうちに近づかれて、文字通り間髪を入れずに300m上空に飛ばされる。空を飛ぶことができないポケモンのトレーナーに勝ち目はなかった。
 アリサはそれがうれしかったらしい。今までの復讐とばかりに、色が違うトレーナーであっても手当たり次第に上空に連れて行き、全員殺した。
 俺はそれをたしなめた。
 サバイバルゲームには二つの勝ち方がある。
 一つは、殺される前に殺すこと。
 もう一つは、殺される前に、逃げること。
 サバイバルゲームの勝利条件は殺すことではない。生き残ることだ。
 アリサの戦術は相手によっては必勝に近かったが、ドラミドロのように宙を浮くことができるポケモンに効果はなかった。それに、コイルなど、飛行タイプでなくても宙を浮いて移動するポケモンは多い。相手を間違えば、逆に自分が殺されることになる。
 それを言うと、アリサは自虐を込めた笑みを浮かべながら答えるのだ。
「なんであんたが私の心配をするのよ。私が死んだ方が都合いいでしょ」
 アリサと初めて会った日のことを思い出す。赤と言った後、握手をした時の汗ばんだ手を思い出す。震えながら差し出された腕を思い出す。
 なぜ俺が、あの女の心配をしなければならないのだろうか。

 フレイヤがいななき、目的地に着いたことを伝える。
 サバイバルゲームにおいて、俺はいつも逃げるか守る側だった。
 しかし、逃げてばかりはいられない。
 ゲームには、もう一つ、ルールがあるからだ。
 もうすでに一月たった。ゲームの前半戦は終わりに近づいている。時間はあまり残されていない。
 俺は、ドラミドロに指示を出す。
 ダイビング、と。
 宝物は大抵、海中に眠っているものだ。

    ◇

 ダイビング状態になると、フレイヤの周囲に見えない膜ができる。その中にいる限り呼吸ができる。これは戦闘状態になっても続いた。
 理屈は分からないが、考えても答えなどでないのだろう。
 膜が張られたことを確認して、フレイヤに潜水するよう指示を出す。宙を浮くのと同じ体勢で、そのまま緑の水の中に入っていく。周囲に泡が立つ。膜の外側を緑の水が覆っていく。上を見上げる。青い空が緑に染まる。
 東京湾には3つの顔がある。
 一つは日の光に照らされた、キラキラ光る美しい海。
 一つは真上から直視した、緑に染まった淀んだ海。
 そしてもう一つ。
 ここは大型タンカーも停泊する大きな港であり、汚染のされ方は尋常ではない。水中も当然緑に染まり、通常は5m先も満足には見ることができない。そんな東京湾であっても、潮の関係でごくまれに遠くまで見通すことができる日が来る。外湾からきれいな水が入ってくるためだ。もちろん緑に着色はされているものの、10m先がぼんやりでも見えるようになると、世界が変わる。
 緑の空間の中に、突然巨大な柱が現れる。それはタンカーから荷物を引き上げるクレーンの支柱であったり、港に突き出した足場の骨格であったりした。コンクリートの柱には、貝やクラゲの幼体――ポリープ――がひしめき合っており、人間が作り出した建造物であったことを忘れさせる。
 中心部に到達する。
 最も工業排水が多い場所。最も建造物が多い場所。最も海中が入り組んだ場所。
 以前、アリサと一緒に潜ったことがある。
 その時アリサは、こういった。
 まるで、見捨てられた神殿のようだと。
 名も知らぬ海藻や貝類が付着した巨木の幹のような柱が均等な間隔で並ぶ。本来の用を失った足場が放置されて屋根のように引っかかる。その中を、濁った海に適用したクラゲだけが浮遊する。
 魚も棲むことをあきらめた、忘れられた神殿。それが東京湾の三つ目の顔だった。
 そこに俺は毎日潜る。
 そして、検査キットを膜の外にそっと突出し、海水サンプルを保管する。
 何のことはない。俺の本来の仕事は、環境アセスメント。フレイヤが来て、海水サンプルを得る場所が少し変わっただけのことだ。
 仕事を済ませた後、俺は今日この日を待たなければならなかった私事を片付けに行く。このくだらないゲームの構造を調べるための、鍵を取りに向かう。
 フレイヤに指示をして、俺は1か月前に突然現れた黒い穴へ向かう。

 最初に潜水具をつけて東京湾に潜ったのは2年ほど前だった。それから2か月に1回、サンプリングのために潜っている。俺以外の社員は潜らない。本当は新入社員を鍛えるということだけのために行っていた行事らしいが、俺が潜るのを嫌がらないことがわかると、突然業務を増やした。誰もやりたがらない仕事は実入りも良いのだろう。俺の給料が上がることはなかったが。
 それはともかく、フレイヤの潜航深度には遠く及ばないものの、何度も潜った海であるから、その構造は熟知しているつもりだった。
 それが、変わった。
 黒い穴は、船が接岸しやすいようにと足場を立てたその下に空いている。直径は2メートルほど。
 穴の付近は極端に入り組んでおり、視界が開けた時にしか近づくことができない。しかし、確かに入り組んだフレームの隙間にぽっかりと、一匹の貝も海藻も付着していない異様な空間が広がっている。
 最初に見つけたのはアリサだった。俺は明らかに異質な雰囲気を持っているその穴にアリサを近づけるのをためらった。そのため、その時はすぐに海上に戻った。
 それから3週間。ようやくこの日がやってきた。
 化け物たちが現れたと同時に出現した黒い穴。
 東京湾に空いた異質な穴。
 足場の柱にフレイヤを巻きつかせながら、少しずつ穴に近づいていく。
 遠くから見ると点でしかなかった黒い穴が、実態を持って迫ってくるのを感じる。
 アリサはその穴の先を、異世界だと主張した。こことは違う、別の世界につながった穴なのだと。そこからポケモンたちが現れたのだと。
 この穴を塞げば、ゲームは終わるのだと。
 もちろんその話を信じたわけではない。ただ、穴を調べることは有意義であるように思った。このゲームに関する情報を、何でもいいから手に入れたかったのだ。
 俺は穴の入り口の横にフレイヤを固定させ、海水サンプルを取った。サンプルを鞄の中にしまった後、地上なら5キロ先からでも見えると謳った高輝度LEDライトを取りだし、穴の奥に光を当てる。
 内部は完全な黒だった。
 一切の濁りはなかった。光はどこまでも続いていく。
 しかし、光はどこにも到達しない。
 アリサの言葉を思い出す。異世界に通じた穴よ、あれは。
 俺はフレイヤを支柱にくっつけ、膜の中に支柱を入れた。そして、表面が見えないくらいにびっしりと張り付いた貝殻を叩き落としながら、ロープをくくりつける。後は、ロープをもって、穴の中に入るだけだった。
 アリサはいない。そもそも穴に入ることをアリサに言っていない。また会えるかどうかも分からない。別にかまわない。
 ただ、あの女が死にさえしなければ、それでいい。
 ロープを張る。柱から手を放す。穴に向かうようフレイヤに指示を出す。
 しかし、その直後、フレイヤが何かに気が付き、小さくいななく。
 穴の中ではなかった。
 それは、緑に染まった東京湾の中に浮かんでいた。目に見えはしない。しかし、フレイヤの五感が確かにその存在を俺に伝える。
 俺は小さく舌打ちする。邪魔が入ったと。
 穴の向こう側に行くのはもう少し先だ。
 なぜならば、その物体は、フレイヤが作ったのと同じ膜につつまれて浮遊していたからだ。
 ポケモンとそのトレーナー。そう考えて、間違いない。
 俺はため息をついて、フレイヤに戦闘の用意をさせる。
 支柱に張り付いていた貝たちが腐って剥がれ落ちていく。
 海がフレイヤの毒素で紫色に染まった。
 状況開始。勝者は、生者だ。





――東京湾の毒吐き男(後編)に続く












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