ゲームのルール(前編)
お前たち人間には信じられない光景を俺は見てきた。
レックウザの肩の近くで炎を上げるフリーザー。
破れた世界に沈むクレセリアのそばで瞬くチャージビーム。
そんな記憶もみな、時とともに消えてしまう。
雨の中の涙のように。
俺も死ぬときがきた。
◇
「お前たち人間?」
「破れた世界はゲームの向こう。そこで生まれ、そこで生きたものはゲームの住人。だが、お前は人間だろう」
「俺もゲームの駒に過ぎない。この町も」
無色の男は、目を見開く。
「ここが、現実ではないというのか。お前の目は、節穴か」
◇
このゲームには3つの陣営が存在する。赤、緑、そして青。ゲーム開始後3か月以内に、同じ色のプレイヤーをすべて殺さなければ、自分も死ぬ。
だが、その3つに加えて、隠れ要素として「無色」と呼ばれるグループが存在するとうわさされていた。
伝説のポケモン、幻のポケモンをすべて葬り去ったと呼ばれる無色。どのようなポケモンを使ったのか、どのような戦い方をしたのか、すべて不明。
そして、これから先も、明らかになることはない。
もう、彼は死んでしまったのだから。
最初に彼を見つけたのは、ドラミドロのフレイヤだった。
ダムの中から、生きた人間の気配を察知した。
水中に通勤している職員がいるとは聞いていない。プレイヤーだと判断し、即座に麻痺性の毒を放った。効果がないので、もっと強い毒を、さらに致死性の毒を。
それでも、相手の動きは変わらない。男はゆっくりと水面に浮上した。
日は暮れていた。水中にいる時は気が付かなかったが、静かに雨が降っていた。黒く、冷たい雨だった。
ダムの水面に、顔面蒼白で姿勢の悪い男が一人、立っている。つまらないホラー映画のようなシチュエーションだったが、一つ良いことがあった。
ポケモンが見当たらなかったことだ。
毒が通じない理由はわからないが、人間一人であれば、殺すのに支障ない。ポケモンなしで水面に立っていられる理由はわからなかったが、ここから離れるに越したことはないと判断した。俺はフレイヤに指示し、男を人目のつかない林の中に連れて行った。気温は低く、やむ気配のない雨が顔に当たる。
そこで、男の独白を聞いた。
彼が無色であること。
彼が多くの人間を殺したこと。
そして、彼の寿命が長くないこと。
俺は、彼自身の希望通りに、彼を殺した。
しかし、白い鳩は飛び立たない。
ここはゲームの世界のはずだ。何人殺しても差し支えない。自分の目的を達成するためならば。
そういえば、林を飛び立った次の瞬間に、男の顔を忘れてしまった。
それで構わない。次の仕事がある。
◇
「今なんて?」
私はミミロルのミミを抱いたまま、はげかかった大学の先生に尋ねた。
「だから、いった通りですよ。あなたは、ここに、住むんです」
「ここに?」
「そうですよ」
そういって先生は、壁一面が幾何学模様で覆われた狭い部屋に私を押し込む。入りきるのが怖くて、顔だけドアの外に押し出した。
「ここは、何?」
「ここは、電波暗室です。外部からの電波などを遮断できる便利な部屋ですね。壁がデコボコしているでしょう。あれで、電波を遮断します。ドアを開けていると電波が入ってくるので、閉め……」
「閉めないでください!」
久しぶりに大きな声を出したので、のどがついていけず、私は大きく咳をした。何度も、何度も。これは重症だ。
「えらく不健康な生活を送っていたと見受けられます。ですが、一つ良いことがある」
私は先生に渡されたペットボトルの水を飲む。
「あなたが、食事をすべて通販で購入していたことです。そう、水の一滴でさえ、あなたはあなたが買ったもの以外何も口にしなかった」
私は口もとが濡れているのをそのままにして尋ねる。ミミが肩に乗り、ふわふわの腕で私の代わりに拭いてくれた。
「それがどうかしたんですか」
「私たちが、あなたの食事をコントロールするのが容易だったということです」
私は意味が分からなくて、質問もできなかった。
「まぁ、普通のオンラインストアは、あそこまで栄養に気を使ったメニューを宅配してはくれないということですよ。それでは、ごきげんよう」
私は、閉まろうとしている分厚いドアを必死で止める。ミミも小さな腕で手伝ってくれた。
「なんで、こんなヘンな部屋に閉じ込めるんですか!」
声を振り絞ると、また咳が止まらなくなり、慌てて水を飲む。禿げの先生はその間、少し夢想するようにぼんやりと部屋の中を見ていた。咳が落ち着くと、先生がゆっくり話し出す。
「この部屋は、電波暗室。電波が届きません。外部からの接触を、減らすことができるというわけです」
「テレポートも防げる?」
先生は首を振る。
「それは無理ですよ。この部屋は電波暗室。防ぐことができるのは、電波です。この状態だとそれが最強の盾となるでしょう」
そして、続ける。
「早く入りなさい。私たちには、もう時間がありません」
先生はミミの鼻先を人差し指で突いた。驚いたミミが床にストンと倒れ、支えを失ったドアが閉じられる。
無音。
電波暗室は、電波だけでなく、外部の音さえも完全に遮断してしまうのかもしれないと思った。ミミのか細い息の音でさえこの部屋ではよく聞こえる。
私はこれからどうなるのだろう。
だまされたのだろうか。あと3日耐えて、そのまま死ぬんだろうか。
それとも、電波暗室にいれば、ゲームマスター、黒服の男からばれずに生き残ることができるのだろうか。
でも。
私はミミを抱き上げて、部屋の隅にあるベッドに腰を下ろす。
でも、その後どうするの?
ゲームが終わった後、私は死なないように、死ぬまでずっとこの部屋の中にいるの?
私は、これからどうなるの?
もちろん、答えてくれる人は、どこにもいない。
突然ぶぉーんという電気の音が付く。空調が入ったらしい。合わせて、かさかさという、紙がすれる小さな音がした。
長方形の部屋の隅のベッド。その対角線上に簡素な机があって、その上の本のページがめくれたようだった。
私はミミを肩に乗せて、机までゆっくりと歩いていく。
タイトルを見ようと思って、本を持ち上げる。少し重いと感じるくらいの厚みがあった。
分厚い紙でできた茶色い表紙に、盛り上がった黒い文字でタイトルが書いてある。
「ゲームのルール」
日に焼けて薄茶色に染まった紙を、破らないようにそっとめくる。
――巨大な黒い鳥が、また一羽落とされた。村の男たちが10人がかりで銛を打ち、網を投げ、縄でからめて捕まえる。日は高く昇り、櫓のそばに堕ちた黒い鳥を白く照らす。櫓の上の男が歓声を上げながら梯子を降る。男たちが鳥を刺す。麻布で作られた簡素な服を赤く黒く染めながら。鳥は声を上げない。
私は一枚ずつ、ページを進める。
◇
彼は「故郷」という言葉を持たなかったが、それが守るべき何かであることは知っていた。
ゲームの一節だ。
人の形をしているが、人間よりも頭の悪い種族。その「彼」に向けて書かれた言葉。
「お前も、そうなのかもしれないな」
ソファに座った私のそばを立ったまま警護する、バシャーモに言う。
今日は、世界が終わる二日前。
私の命は、世界が終わるより、一足先に終わるだろう。
バシャーモに頼み、スマートフォンを持ってこさせる。
黒い画面に自分の顔が映る。34にしては、しわが多い。
ゲームが始まる前は、営業として毎日東京を駆け回っていた。部下に怒鳴ることもあった。部下をほめることもあった。慰めることもあった。ともに喜ぶこともあった。今はもう、だれもいない。
「お前か」
私は、最後に残った私の仲間に電話を掛ける。
彼は傍観者。ゲームの勝利に最も近い傍観者。
「私の死期は近い。世界が終わるのを見届けることはできないようだ。お前のかくまった生き残りにかけるしかなさそうだな」
無言の中に、相手の無念が聞き取れる。「すまない」。私は一言だけ続けて、電話を切った。
自身では手をかけず、遠隔地からトレーナーを狙って殺すとは。
そんなことができるのは、奴しかいない。
私は背もたれを支えにして、何とか立ち上がる。
その直後、激しくせき込んだ。口を押えた手のひらには、血がべっとりとついている。
それでも、私は行かなければならない。
バランスを崩して倒れそうになると、バシャーモが体を支えてくれた。
「お前は、まだついてきてくれるのか」
ポケモンの「彼」は静かにうなずく。それが当然だというように。
◇
カイバ女史に報告をするのが苦痛だった。
しかし、ゲームはあと2日で終わる。放っておくわけにはいかない。
「無色が死にました」
カイバ女史は気取ったように顎に手をやり「ほう」とつぶやく。呆けている場合ではないのだろうが。
「どこかでルール違反が?」
「いえ、ルールにのっとって殺されました。
「プレイヤーに殺されたと?」
私はイライラと机を爪でたたく。ほかに何があると。
「原因は?」
だから、と私はため息をつく。
「純粋に、ほかのプレイヤーに殺されただけです。抗った形跡はなし。ポケモンを出した跡さえない。ポケモンを出す前にトレーナーだけをターゲットにされて死んだのでしょう」
「それは運が悪かったわね」
運が悪かった? 無色がほかのプレイヤーを殺してくれることを前提としてシナリオを組み立てていたはずだ。このシナリオをどうするつもりだ。
それで、とカイバ女史は続ける。
「この責任はどう取られるおつもりで?」
私の頭が真っ白になる。
私が責任を取るのか。
私の問題なのか。
私は”上”に言われた通りのことをしたまでだ。私はオペレーターだ。そんな私がなぜ責任を負うのだ。
私は、悪くない。
「そもそも、あなたが提案したこのゲームのシナリオに問題があったのではないでしょうか」
カイバ女史が見下したように目を細める。
そして、大きくため息をつく。
「あなたがそこまで無能だったとは。”上”に報告しておきます。新しいオペレーターを呼んでくれと」
「ふざけるな!」
私が椅子をけって立ち上げると、カイバ女史は防犯カメラを指さす。
「ここでの行動はすべて記録されていますよ。下手な行動は慎むべきです」
それに、心配はいりません。とカイバ女史は続ける。
「あなたの代わりはいくらでもいるのですから」
そのとき、私は悟った。
私自身がゲームの駒だったのだと。
私は、ゲームマスターではなかったのだと。
私は、椅子に座りなおす。カイバ女史はデスクに座り、煙草に火をつけた。
ノックの音がした。
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