草上で食前酒 -Le Aperitif sur l’herbe
Chapitre1-2´. 雨月のミアレシティ
1月下旬 ミアレシティ
「…………終わったんだな…………」
「そう、終わった。でも私たちの日常は続いていく」
凍て空の下。
シシコを膝の上に乗せたリズは、ニャスパーを抱えているセラと並んで、プリズムタワーの天辺に腰かけてパレードを眺めていた。
毎年この日はカロスを守った英雄がチャンピオンとなった日を称えて、ミアレシティではパレードが行われている、という。英雄にフレア団が滅ぼされたのは既に数年前のことらしい。そしてリズもセラと共にフレア団に所属していたと、セラは語った。
リズはフレア団のことも、そしてセラのこともほとんど覚えていないけれど。
冬の分厚い雲の切れ間から黄金の斜陽が差し込んで、ノエルの名残りのあるミアレの白石の街並みを栄光の色に染め上げている。街頭にはカロスエンブレムの縫い取りをされた旗が無数に閃き、祝福の紙吹雪が寒風に舞い、色とりどりの風船が氷空に上がる。
絢爛豪華なファンファーレと熱狂的な歓声の渦の中。
通りに敷かれた深紅の絨毯の上を、五人の若いトレーナーたちが悠々と歩いてゆく。
ローズ広場から、ミアレを貫く河を西北西へ下り、未来を象徴する新ゲートへと。
そこではカロスのポケモン研究者を代表するプラターヌとその助手二名が、彼ら五人を待ち受けている。
それが毎年のお決まりなのだそうだ。
押し寄せる観衆の熱狂。
歓迎される若き英雄たち。
年越しの残りのフウジョ産シャンパンのボトルが、あちこちで勢いよく開けられる爆音。
空を飛び交う、飛行ポケモンやドラゴンポケモンに騎乗した、見物のトレーナー達。
テレビ局や新聞社のヘリコプターの轟音。
それらに追い散らされ羽ばたくヤヤコマの、火の粉のような羽毛の煌めき。
遠いファンファーレ。
警戒に当たる黒い制服の警官たち。
微かにスピーカーに乗って聞こえる、遠いプラターヌの声。
酔狂どもの宴。
黄金の斜陽、白銀の曇天。
リズとセラは、それらすべてをプリズムタワーの天辺から見下ろしていた。今年に入ってから既に5個目のガレット・デ・ロワを貪り食いながら。今回は太陽を表す渦巻き模様のものだ。
「アンタって、こんなに甘い物好きだったっけ」
「……好きだよ。忘れられたものは仕方ないが……早く思い出してくれ」
「思い出せ思い出せって言うけどね、なんでそこまで拘るのさ。俺はアンタにプロポーズでもしたわけ?」
「…………本当に忘れてるんだな、リズ……愛してるって言ったくせに……」
「マジで? PACS申請しないとな。で、出産予定日はいつだ、セラ?」
「………………お前は本当に、変わらないな」
セラは目を細め、はるか遠い残照を見つめている。
冗談をしみじみと受け流されてしまい、リズも悄然としてガレット・デ・ロワに齧りついた。そしてすぐに口を止めた。
「あ、またフェーヴ当たった」
「お前はよく当たるな。おめでとう、幸福に恵まれるよ。きっと私のことを思い出してくれるだろうね」
「アンタの俺への熱い想いに、感動とドン引きを通り越して恐怖を覚える。マジでどんな関係だったんだろう、俺ら……」
「ちゃんと思い出してくれよ。でないと、死ぬより酷い目に遭わすから……」
セラはそう言って、密やかに笑った。――死ねない苦しみを何度も何度も自覚し直しては、深く深く絶望して、自分で自分を幾度も幾度も殺し続ける、そんな悪夢を見せてやる。
リズが思い直すまで。
セラと共に生きることを選択するまで、ずっと。
2人は言葉少なだった。
びょうびょうと寒風が、プリズムタワーの周囲で渦巻いている。
もう数度目だというのに、パレードの勢いは衰えていない。
セラがぽつりと呟く。
「そろそろポケモンセンターに戻ろうか、リズ」
「……お、おう……そうだな」
シシコを抱えたリズが、ふらりとプリズムタワーの縁で立ち上がる。
それを見上げて、セラは思わずぎょっとした。
リズが花切鋏を手にしていたのだ。
宝物のように、大事そうに。
鋏を握りしめて、プリズムタワーの縁に立って、パレードを眺めていて。
前の花切鋏は、リズの記憶を消した直後に、処分したはずだ。――また、だ。また今回もいつの間にか買っている。昼間にソルドを連れ回していた間だろうことはわかる、が。そんなにそれが好きなのか? そんなに儚い花が好きか? 摘み取り、刈り取り、それが実を結ぶと結ばないとに限らわず、未来を奪うのが好きか?
そんなに、自殺したいのか?
まだ、何も思い出せてもらっていないのに。
それに視線を吸い寄せられて、セラは無意識のうちに右手を伸ばしていた。
いつもと同じに。
ただ単に、危ないと思ったのだ。リズがそれを持っていてはいけない。
すると、リズが遥か遠くの曇り空を見つめたまま笑った。
「――見切った!」
きょとんとしてセラは手を止める。
シシコを担いだリズが、振り返った。伸ばしかけられていたセラの右手が、花切鋏を手にしていた右手に取られる。
セラは首を傾げた。
きょとんとしているセラに鋏を握らせると、リズはにやりと笑う。
「そんなに、これが怖いか?」
「……あれ、見切られた」
「俺が17歳の時から、いま俺21歳でしょ。5回も毎年これ奪われかけて同じとこから突き落とされれば、さすがにトラウマになるわ」
そう言われたので、セラはごく真面目に、今回は記憶消去に失敗したのか、と思った。早く改めて消さないと、リズはまた、この花切鋏を使って痛そうな自殺劇場を始めてしまう。
だからセラは、リズの手の中の鋏を握ったまま、力なく笑った。
「何度もこれで自分の胸を突いてた奴が、何がトラウマだって?」
「無限ループネタは俺も飽きてんだよ」
「頭でも打ったか?」
「いいかげん見てられなくなった。根負け、しました。俺の命はアンタにくれてやる」
2人は花切鋏を媒介に右手どうしを繋いだまま膠着状態に陥り、しばらく睨み合っていた。
やがてセラは、悲哀を込めて嘆息した。
むすっとした仏頂面を再び上げ、文句を言う。
「…………遅く、ないか?」
「うん、俺もどうせ折れるなら最初から折れとけばよかったって思った。でも、アンタも大概ひどいよな。自分に納得のいく結果が出るまで、容赦なく俺を苦しめ続けんだもんな?」
「…………言っただろう、死ぬより酷い目に遭わすと」
「アンタ、自称マゾヒストじゃなかったか? えっと確か、一回目のシャラで」
「…………記憶力がいいんだな」
「おかげさまで」
リズは、繋いだ右手をゆらゆらと楽しげに揺らす。
セラは不機嫌な表情のまま問いかけた。
「思い出したから、私と一緒にいるということか? 同情でもしてくれるのか?」
「アンタの為なら、別に折れてもいいかなと思って。正直疲れたってのもあるけど。絶望し続けるのにも疲れた。そこでさ、提案があるんだけど」
「……何?」
セラが尋ねて視線を持ち上げると、リズは名案を思いついたとでもいうように、金茶の瞳を輝かせていた。
「あのトレーナーが持ってんだろ、ゼルネアスとイベルタル。そいつらになんとか頼めば、アンタも俺も何とかなるんじゃないかと思ってよ」
セラは鼻で笑った。
「……元フレア団員の願いを叶えてくれるかな。というかそもそも、お前が、あれらに頼るという発想を抱こうとはな」
「文句をつけに行くだけだろ」
「……でも……私はそれよりも、このまま静かに……この美しいカロスの季節の流れていくのを見ていたいな…………」
「おい。人を残酷にも生かしておいて、自分はそんなこと言うのかよ」
「…………リズ。私たちが蒔いた種なのだから」
セラは微笑むと、下ろしていた左手も伸ばし、そっとリズの手の中の花切鋏を奪い取る。
足元に放り捨てると、それはかしゃりと音を立て、鈍い残照を映して転がった。
再び手を伸ばし、大切な友人の黒い髪に触れる。リズが目を伏せた。
プリズムタワーが点灯した。
夕闇に沈むミアレを、五色の光で照らし出す。
眩いダイヤモンドフラッシュが始まる。いつかと同じように、これからと同じように。
「お前が自分自身の価値観を大切にすることはよく理解しているつもりだが、一方でお前は、他者の価値観を軽んじすぎる感があるね。そんなだから、私を忘れて独りで死のうなどと考えるんだ」
「…………そうか」
「私の死から目を背けてはいけない。自らの生から逃げてはいけない。お前一人の命ではないのだから」
「…………生きる意味が見出せなくても、生きることに耐え続けろと?」
「どうか私のために生きていてくれ。そしていつか……お前が私のことを許してくれるといいな」
Chapitre1-2´. 雨月のミアレシティ END