「さ、入って入って」
「カノン、お前……」
違う。
扉から現れたカノンのシルエットを見て、反射的にそう思った。
前に会って一日も経っていないのに。確かにカノンだが、これはカノンじゃない。
「カノン、お前まさか髪切った?」
「そのまさかよ! って、それ以外に何かあるの? いろいろ大事な話もあるから上がって上がって。ここで話すのも暑いからね」
「あ、ああ……」
先に屋内に戻るカノンをぼっーと見つめ、閉じていく扉に肩をぶたれて正気に戻る。
髪切ったのはおれだって見れば分かる。でも小さい頃から髪を伸ばし続けていたカノンが、ある日急にボブカットになっていたのだ。なんだか既存の価値観だか先入観だかをぶっ壊されたような気がして、呆気に取られていた。
しかし、それらの崩壊はこんなものでは終わらなかった。
遅れて家に入り、二階へ続く階段でようやくカノンに並ぶ。
改めてカノンの顔を見ながら、本当に人は変わるもんだなあとしみじみしていた矢先だった。
「さっきからそんなに見なくても……」
「いやあカノンも髪切るだけでこんなに変わるんだなって」
「あのさ」
「ん?」
「カノンは貴女でしょ。わたしはもうカノンじゃないんだから」
「……は?」
思わず階段を昇る足が止まった。
カノンじゃない? どういうことだ。じゃあなんなんだ。いろんな疑問が頭のなかでごちゃごちゃに混ざりゆく。階段を昇りきったカノンは左足を軸に軽やかにハーフターンし、にこやかな表情で一枚のカードを見せつけた。
「わたしは昨日付けで名前が変わったの」
カノンが見せつけた一枚のカード――新品のトレーナーカードだ――には、ボブカットのカノンの証明写真があり、その隣の名前欄には『ユナ』と綺麗に印字されていた。
「カノン……じゃなくて、ユナもなんだかんだで結構楽しんでるよな」
「そりゃそうでしょ。あ、あと言葉遣いもうちょっとどうにかしてよぉ」
深く息を吸って、はぁ、とはっきり聞こえるように息を吐いた。
クーラーで適温になったカノン、いや、ユナの部屋で、おれはベッドの上に。ユナは椅子に座っていて、今この部屋の中で動いてるのは何が楽しいかはわからないが、尻尾を使ってぴょんぴょん飛び跳ねるユナのルリリだけだ。
ルリリは定期的にユナか、俺の方に飛んでくる。抱き締めて撫でてやるとこれまた何が楽しいかはわからないが、満足気な表情になる。
おれがこうなる前は、ルリリはおれにそれなりになついていたとはいえ、ここまでスキンシップを求めることは無かった。やっぱりおれがカノンになったから、なのだろうか。ジグザグマがこれくらいなら良かったのに。
「おれ……、わたしとかこうなってからロクなこと全然起きてないわ。ユナ? が楽しそうな気持ちが全然分かんない」
「変化がある、っていうのは案外楽しいものなのねぇ。わたしずっと髪型一緒だったから、切り終わって鏡を見たらこんなわたしもあるんだなって新鮮な気がして。名前も変わって、心機一転したって感じ? もちろん病気がちなのは変わりないけど、違う自分になれる気がして」
「そう」
「まあユウ、カノン程変化はしてないけど」
一々嫌なところを突いて来やがる。あと名前も言い直さなくていいのに。
カノンじゃなくてユナは立ち上がり、昨日の青くて分厚い冊子をおれに渡して部屋に備え付けのテレビを点ける。
「にしてもなんでもやってみることねぇ」
「何が?」
「ユ、カノンがわたしに勇気をくれるって言ってくれたから、こうやって踏み出してみたんだけどさ。変わるって良いことだね」
「だねぇ」
「今ならわたしも、何か新しいことが出来そうな気がしてさ。旅には出れないけどいろんなことに挑戦しようと思うの」
「おっ、良いね良いね。楽しみにしてるよ」
単純に嬉しかった。いつも塞ぎこんでいたカノン、違うくてユナがこう前向きに言ってくれることが。
ユナはニコッ、と可愛らしい笑みを浮かべると、DVDを突っ込んでテレビのリモコンを持ち、おれの隣に腰かける。
DVDを読み込んでいる間、ユナは跳ね続けるルリリを抱き上げて、頭をそっと撫でる。
「で、コンテストの話をするけど、まずこのホウエン地方のどこにコンテスト会場があるのかは知ってるよね」
「こことミナモでしょ?」
ここ、カイナシティは地元だし何度も訪れた場所だ。愚問である。そしてもう一つ、ホウエン地方東部にあるホウエンで一二を争う大都市、ミナモシティはコンテストのメッカと言われている。これはテレビの受け売り。
どうだ、答えてやったぞと得意気にユナの顔を伺うが、そこには失意の表情しか無かった。
「それだけ?」
「え? まだあるの?」
「シダケとハジツケもあるわよ」
「辺鄙なとこにあるんだね」
あは、あははとぎこちなく笑って、今のミスを誤魔化そう。
シダケタウンはホウエンの中部にあり、自然に囲まれた観光地だ。たまにテレビの旅番組で取り上げられる。
そしてハジツケタウンはホウエン北部。近くの煙突山という火山が年中火山灰をめいいっぱい噴出しているせいで、町自体が火山灰に覆われていると学校でかつて習った。正直この町のことは良くわからないが、まず町へのアクセスが大変だというのは聞いたことがある。
「その調子だと不安ね」
「大事なのはこれからだよ」
「相変わらず調子は良いのね」
どっちだよ。
そのあとも会場に関する細かい話をユナから聞いた。会場によってどのランクのコンテストが開かれるかは知ってはいたが、カイナがハイパーランクということしか知らなかった。ユナが言うにはシダケがノーマル、ハジツケがスーパー。そしてミナモはノーマルからマスターの全てのランクを開いているとのことらしい。やりよる。
「じゃあ最初からミナモに行けばいいんじゃない? ここから連絡船頻繁に出てるし」
「旅する、が一番の目的じゃなかったの?」
「あ、そっか」
「それで大丈夫なの? ま、そんなことよりもとりあえず、ちょっと古いけど実際のマスターランクコンテストの映像観てみようよ」
ユナがすっかり忘れられていたDVDのリモコンを一つ押せば、だんまりを続けていたテレビが急に騒がしくなる。それと同時にずっとユナが抱いていたはずのルリリが、テレビのすぐ前に移動して、テレビにかじりつきながら飛び跳ねる。じっとしてるならまだしも飛び跳ねられると視界に入ってくるからテレビが見辛い。
「この『ダンディー・ダディ』っていう人に注目して観といて」
やや古ぼけた映像の中でどのポケモンよりも際立って目立つ、深緑のスーツに時代錯誤な髭の男。いつかテレビで見たことある気がする。
『マスターランク、たくましさ部門。ダンディー・ダディは往年のパートナーであるギガイアスを引き連れて出場しました』
女声のナレーションが入る。実況とは違うな、と思えば床に落ちているDVDのケースに『ダンディー・ダディの道vol.4』と記載されていた。ドキュメンタリーなのだろう。
さてDVDは二次審査、ワザによるアピールに入る。アピール前にダディはギガイアスをそっと撫で、力強い声で岩石封じを指示する。ギガイアスの咆哮が轟き、次いでコンテスト会場の地面からゴゴゴゴゴと巨大な、ギガイアスを縦に並べて三匹分はありそうな程の岩山が現れる。ギガイアスも、ダディも姿が岩山に隠れてしまった。これではアピールにならないのじゃないか。そんな予想をひっくり返すように、『岩砕き』と凛とした声のあと、とんでもないことが起きた。
唸るような音がして、これ以上なく綺麗に岩石封じで生み出された岩山が真っ二つ、綺麗に等分にされて割られていた。しかしより驚くべきはギガイアスが割った岩から数メートル離れていた岩も、ギガイアスの岩砕きの衝撃を受けたことで真っ二つに割れていたのだ。
なんだこれ、と知らず知らずテレビに食いついていたおれは無意識のうちに呟いた。跳ね回っていたルリリもいつの間にかじっとしている。
『さあ、ストーンエッジ!』
割れた岩山の隙間から、カメラ目線でダディがどやすと、ギガイアスは足元の小石一つを弾丸のように岩山目掛けて放つ。音も無く岩山が削れ、ギガイアスはさらにその削れた岩山も操って岩山を削り、さらに岩山を削っては操る。一分しないうちに割れた岩山どちらとも、元の更地になっていた。畳み掛けるようにダディのロックカットの指示を受け、ギガイアスは上空で小石サイズまで削られた大量のそれを、さらに各々のサイズを削るようにぶつけていく。
『フィナーレだ。岩雪崩!』
ギガイアスは小石同士をぶつけるのをやめ、浮かべた小石を一つの銀河のように広げていく。ダディがギガイアスに近づいたと同時、浮かべた小石が雨のように降り注ぐ。さすがに小石と言えどあんなに大量に降ってきたら危ないっ、そう息を飲み、呼吸を忘れた。
しかし互いに身を寄せあった一人と一匹を避けるように、小石は辺りへ降り注ぐ。あんな量の土砂に、掠りもしないだなんて。
アピールが終わり、ダディがお辞儀をすると共に、テレビからは耳が破裂しそうなほどの拍手と、ひたすらそれを賛美するナレーションの声。
すごい。コンテストってこんなことをするのか。
大してコンテストに興味を持っていなかったはずのおれが、いつの間にか手に汗していた。
ドキドキとワクワクと驚きが、興奮を触媒にして目まぐるしく渦巻いて行く。DVDは他の人の演技を飛ばし、関係ないインタビューに移っていたが、それでもまだ心臓がばっくんばっくんしているのがわかる。ってちょっと心拍数大丈夫なのかおれ。内に秘めた感情が、おれというキャパシティをオーバーしているんじゃないか。もはや何がなんだかよくわからない。
そんなおれの視界に、ひょいとカノンの顔が覗き込んだ。
「このDVDを初めて見たとき、わたしもそんな顔だったよー」
「そ、そう、だったの……?」
「DVDも良いけど、やっぱり折角だし本物のコンテスト、観に行かない?」