15
総勢約五十人の大所帯。
この人数を収容することができ、さらにシロナさんのご要望である「飲み放題付き」の実現可能な店は、結局ここ「ミオ地ビール倉庫」しかなかった。秋に僕たちが国際交流サークルと合コンした、あの店だ。
「初めて飲んだけど、ミオビールってとっても美味しいわね。なんかコクがある」
そう言いながら、シロナさんはビールで喉をゴクゴクと鳴らした。
先からかなりのペースで飲んでいる。彼女、恐らく相当酒豪なんだ。
「倉庫」と言っても、内装はコテージのような木造で、淡い光のランプが灯る。中々雰囲気は悪くない。
店の約半分の席数を当日予約で押さえることができたのはラッキーだった。
席ををいくつも繋げてもらって出来上がった十メートルほどの長テーブル二列を、僕たちは埋め尽くした。
「埋め尽くした」のだが、それも乾杯から十五分ほどの間だけ。
みんな、シロナさんの近くの席に座っていた人がトイレに立った隙にイスを奪い合い、さながら「イス取りゲーム」のようになっていた。
僕の周囲は大体いつも話しているようなメンバーで固まっていた。カオリは友達がシロナさんの向かいに居座り続けてしまっているのでずっと僕の隣りにいたし、ケイタやタツヤ、ヤスカの二年生組も一緒に飲んでいた。
「噂のシュウの彼女、やっと話せた! へー可愛いじゃん」ヤスカがオードブルをつまみながら言った。
「ホント可愛い。どうしてシュウ? もっと上狙えるよ?」タツヤは相変わらず失礼なこと言いやがる。
「カオリちゃんは告白された時、寝起きだったんだよね?」とどめは君かケイタ。座席、移動してくれ。
カオリはこの「ワルイ先輩たち」の話に、ただただにこやかに笑っていた。
この手の話に「はい、ちょっと寝ぼけてて――」なんて切り返されるのも何気にショックだから、別にそれでいいんだけども。
複数人での会話になると、僕は割と「いじられキャラ」である。別にそれが嫌なわけではないが、カオリの前でコテンパンにいじり倒されるのは、正直嫌だ。
「そういえばさ、全然話変わるんだけど、今日の練習試合おれ、マイ先輩と当たったんだけど――」
話し始めたのはタツヤだ。なんだか申し訳なさそうな感じだった。
「おれ――勝っちゃったんだ」
これにはカオリを除いた僕たち三人は仰天した。
「冗談だろ?!」僕は飲もうとしたビールを一度下ろしてから言った。
定期戦では不運にも自滅し、負けてしまったマイ先輩だったが、タツヤごとき「ひとひねり」のはずだ。たとえ先輩のトゲチックが「指を振る」を使わなくたって、タツヤには先輩を負かすことはできない。
「嘘じゃないさ。でもなんだかいつもと様子が違ったんだ。『指を振る』を全然使わないだけじゃなくて、他の技も全部後手後手に回ってるって言うか――試合が終わった後も何も言わずにすぐ帰っちゃった」
そう言えばこのゲリラ開催された飲み会の会場を見渡しても、マイ先輩は見当たらない。
「やっぱり定期戦であんなふうになっちゃったのがショックだったのかな?」とヤスカ。
見渡してかわりに目に入ったのは、僕の知らない女の子と話しているコウタロウ先輩だった。
「それか、フラれちゃったか」と、僕。
「それはないと思うぞ」ケイタは僕の憶測を否定した。「マイ先輩が帰るところはおれも見た。その時コウタロウ先輩が止めに行って何か話してたけど、マイ先輩は普通に笑ってた。逆にコウタロウ先輩の方が真剣な顔してたくらいだ。多分原因は定期戦の方」
「あの人、試合終わった後泣いてましたもんね……」
カオリがそう言ってからは、その話はそれ以上掘り下げられなくなった。
その後は、お前は彼氏つくらないのかとか、クリスマスはどうするだとか、全くもって他愛の無い話でしばらく盛り上がっていた。
しかし心配事というものは、忘れた頃にまた思い出されるものだ。
「でさ、カツノリのやつ大学で……売ってるらしいんだ……そう、あいつこの街の暴力団とさ……」
隣りのテーブルで話しこんでいたグループから会話の切れ端が漏れ聞こえてきた。
僕とケイタは目を見合わせた。
「あたし、カっちゃんが……おごってくれるからね、訳を聞いたらさ……何か……そうそう、かなり売れてるらしいの……」
カオリも気付いたらしい。不安そうな目で僕を見た。僕はテーブルの下で手を握ってやった。
やがて、隣りのグループの話題を持ち出した当人らしい男が席を立ち、店の出口へ向かって行った。手にはタバコが握られている。
「灰皿――ああ、ここ禁煙なんだな、ちょっと吸ってくる」
と、ケイタが立ち上がり、たった今店を出た男を追って外へと消えた。
とりあえず、ここはケイタに任せるしかない。あいつならきっとうまく情報を引き出せる。
「なあ、シロナさんの周り、やっと空いてきたぞ。おれらも話に行かないか?」タツヤが提案した。
16
僕たちが飲み物を持ってシロナさんのところへ行くと、マキノ先輩、アキラ先輩の四年生二人と話をしていた。
「あら! ガーディの彼! お疲れさーん!」シロナさんはほろ酔い状態でグラスを上げた。
僕たちはとりあえず一人ずつ自己紹介をしたが、シロナさんはだいぶ名前の暗記に苦戦しているようだった。
「ガーディのあなたがシュウ君に、シュウ君の彼女のカオリちゃん。フローゼルのあなたがヤスカちゃんに、元野球部のあなたがタツヤ君ね――ごめんなさい、今日たくさん自己紹介してもらっちゃったものだから、覚えきれそうもないのよ。また訊き直しちゃうかもしれないけど、許してね」
なんだか凄い。この短期間でチャンピオンと「御近づき」になれすぎている。
「今ちょうど定期戦のこと話してたのよぉー!」マキノ先輩、かなり"完成"している。「あの時試合に出れなかった私たちとねー、シロナさんが今度試合してくれるの。夢みたい――」
「悪いけど、手加減しないわよー!」とシロナ。
マキノ先輩はびっくりするほどの大声でゲラゲラと笑った。
「そんなのあったりまえですよぉー! ガチンコ勝負です!」
二人はなぜかハイタッチした。
「考えてみれば、あれはあれで良かったのかもしれないな」
爆笑しながら会話するシロナさんとマキノ先輩を見て苦笑いを浮かべながら、アキラ先輩は言った。
「何がっすか?」とタツヤ。
「マサノブが受け取ってしまった薬がその日にああやって発見されてさ――」アキラ先輩は続ける。「そりゃ、マサノブは精神的にかなりきつかったろうし、おれたちも結局チーム戦に出場できず、定期戦は中止になった。でもさ、シュウのガーディが反応してあそこで発見されてなかったら、もしかしたらあの薬がミオ大に広まってたかもしれないだろ? もちろんマサノブがそんなことするとは思わないけど、別の誰かが売りさばこうとした可能性もあったわけだ」
確かに、結果論としてはそうなのかもしれない。あの日チームはかなりの団結ぶりを見せたし、僕自身のことを言えば、カオリにあのことを問い正すきっかけになった。
「でも私は今でも悔しいんだからね」
マキノ先輩、聞いてたのか。
「私、あの日に賭けてたのよ? この一年間の練習はあの日のためにやってきたようなものなんだから! もう、なんであれっぽっちの『粉』なんかに――」
そう言いながら、マキノ先輩はグラスを握ったままテーブルに突っ伏してしまった。
「もう、飲みすぎよー代表さん」と、シロナさんが頭を撫でる。
「それに――」マキノ先輩はもう一度顔を上げた。「私、マサノブにあんな辛い思いさせたやつが許せない」
そう言って彼女はビールをあおった。
「うちも、あんなものなければいいのにって思うな」ヤスカが頬杖をつきながら言う。「存在するなっていうのは無理なんだろうけど、でも人の人生ボロボロにしちゃうものでお金儲けするなんて、最低」
「でも買う人間がいる限り、このマーケットはなくならないだろ? 需要があれば、供給が生まれるんだ」
タツヤがそう言って続ける。
「アキラ先輩にも言われたから、もう薬やってる人をみんなバカだなんて言わないけどさ、買い手と売り手の両者で利害が一致しちゃってるなら、この関係はそう簡単に崩れないよ」
なるほど僕たちの代は、こういうムズカシイ問題について語り合うのが好きらしい。
問題意識があるのは良いことだとは思うけど。
無論、カオリは口をつぐんでいた。
「ああ。でもそこに依存性っていう事情が絡むことを忘れちゃいけない」とアキラ先輩。「買い手側の需要は"作りだされている"んだ」
タツヤはなおも熱弁する。
「だからなおさら最初『なんで手を出しちゃうんだろう?』って思っちゃうんすよ。止めようと思えば止められるタバコなんかとは違うのに――」
「シロナさんは――どう思いますか?」
ヤスカが質問した。みんなの視線がシロナさんに向けられる。
僕も気になった。シンオウ地方チャンピオンの意見。
「うーん」シロナさんはグラスをテーブルに置いた。「ここで私がそのことについて話すのは、あまり意味がないわね」
シロナさんは続けて、こんなことを言ったのだ。
「語るより、動きなさい」
僕たち六人はそのままシロナさんを見つめ続けた。
今思うと、その言葉は確かにみんなの心に響いてたし、無理やり寝かしつけていたものを起こすきっかけになったんだ。
「今、この大学で起きている問題に、みんなそれぞれ意見を持っていると思うわ。それはそれで素晴らしいこと。でも、それだけで何もしないなら語るだけ無駄よ。何にも考えてないのと一緒」
マキノ先輩は、ぼんやりとした顔で聞き入っていたが、その瞳には炎が見えた。
「定期戦で苦い思いをしたみんななら、絶対に『動機』があるはずよ。本当は思ってるはず。何かしてやりたい。何かしなきゃって――こうして議論になるのはその証拠。自分の中にある『動機』に忠実に、何かしてごらんなさい。このチームのみんなが何かすれば、必ず何か変わるわ」
シロナさんはにっこりと笑い、置いたグラスを顔の高さに持ち上げた。
「だって、私が認めたチームなんですもの」
17
「口の軽いやつだった。とりあえず、店を一件突き止めた」
帰り道、ケイタが僕に報告した。
突破口が開けたわけだ。
家に着いた後、携帯を開くとマキノ先輩からのメーリスが流れていた。
<明日の昼集会、急で申し訳ないんだけど、できるだけ全員参加すること。大事な話があります。――マキノ>
「メール?」ベッドに腰掛けているカオリが僕に訊いた。今日は僕んちにお泊りなのだ。
「ああ、悪い」そう言って僕は携帯をベッドに放り投げ、カオリの隣りに座り、キスをした。
「――誰から?」
「あれ? 気になる?」
「……別にそういうわけじゃないけど」
そう言って口を尖らせながら、カオリは僕の肩に頭を乗せた。
お酒が入っているからか、不安なことを今は忘れていたいのか、カオリはいつもより甘え上手だった。
今日この日、僕は確かに音を聴いた。
それは、エンジンの音。
僕がここまで走ってきた人生で、一度も聴いたことのないふかし方の、エンジンの音。
そうか、今まで制限速度を守っていたからな。
ここからはもっとアクセルを踏み込まなきゃ。
「立ち上がる時が来たらしいんだ。『ヘル・スロープ』がね」