マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  [No.575] 【最終話】 投稿者:リナ   投稿日:2011/07/09(Sat) 00:10:02   70clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


32

 左手が、温かかった。誰かが僕の左手を相当強く握っているらしい――この手の大きさやかたちには、覚えがあった。
 ――だんだんとシャットダウンされていた五感がよみがえってきたようだ。触覚、聴覚――強烈な明かりがまぶたをすり抜ける。

「うー」最後に痛みがよみがえり、僕は目を開けた。

「シュウ? シュウ! よかった! ――大丈夫?!」

 蛍光灯の明かりにに目をぱちぱちさせながら、僕は声のした方を見ると、カオリが僕の左手を握りしめ、目を赤く腫らしていた。
 真っ白なベッドの上に僕の身体は寝かされていた。病室のようだった。

「んあ、眩しい――カオリ、か?」

「うん――よかった気が付いて。もうホントに心配だったんだから」

 カオリは僕の手を握ったまま、両手をおでこに寄せた。

「――すまん。ここ、病院?」

 僕はゆっくり身を起こし、室内を見つめた。飾り気のない正方形の部屋にベッドが一つだけ。僕の寝ているベッド意外大きな家具はなく、脇に据えられた質素な棚が壁にほとんど同化しているくらいだった。白いカーテンの隙間を覗くと、まだ夜の闇がとっぷりと居座っていた。そんなに長く眠っていたわけではなさそうだ。

「そう、ミオシティの市立病院だよ。シュウが気を失ってたから、シロナさんが救急車を呼んで、それで――」

 カオリの口から予想外の名前が出た。「シロナさんが? どうして?」

 カオリは少し困った顔をした。「うーん、話すと長くなるんだ。待合室にシロナさんたちがいるから、今呼んでくるね」

 そう言ってカオリは病室を出ていこうとした。だがすぐにこちらを振り返り、照れくさそうに笑いながら戻ってきた。

「シュウ――まだもうちょっとだけ、目を覚まさなかったことにして」

 そう言ってカオリはおもむろに僕に覆いかぶさり、唇を重ねてきた。僕の胸の上に心地よい体重がかかる。激しく動くカオリの身体や指に、僕は応じないわけにはいかなかった。病室にはそぐわない水っぽい音を立てながら舌を入れ合い、両手を握り、髪を触り、お互いの体温を確かめた。

「――生きててよかったな、マジで」

 唇が離れたタイミングを見て、僕は言った。カオリは泣いていた。

 唐突にノックの音が病室に飛び込んだ。カオリは慌ててベッド横のスツールに座り直し、髪を整えた。

 ガチャリとドアノブを回す音がして、女性と青年が一人づつ、病室に入ってきた。女性の方は僕が起き上がっていることを確認すると血相変えて駆け寄ってきた。

「シュウくん! 気付いたのね!」黒のロングコートに金髪、そして――寝癖。

「シロナさん――どうしてここに?」

 シロナさんは質問に答えず、突然両手を合わせて謝りだした。

「本当に――本当にごめんなさい! こんな目に遭わせるつもりはなかったのよ! もっと早い段階で駆けつけるつもりで――」

 何度も何度も「ごめん!」を連発するシロナさん。合わせた両手で何度もおでこを叩いている。

「いや、僕には何が何だか――むしろ謝るのは無茶をした僕らだし。一体どういうことなんですか?」

「シロナさん、とりあえずちゃんと説明しましょうよ―」

 シロナさんと一緒に入ってきた細身の青年がのんびりと言った。どこかで見たことのあるような気がしたけど、なかなか思い出せなかった。その声は、僕が気を失う寸前に聞いた声と同じだった。そう、あの時突然蝶が現れて――

「あ、ヒートは?! 他のメンバーは無事なんですか?!」

 何をぼんやりしていたのか、まず最初に訊くべきことを完全に忘れていた。一気に僕の胸の辺りに不安が舞い戻ってきた。
 僕が気を失った時、まだ相手のポケモンは残っていたし、戦況はかなり厳しかった。ヒートも満身創痍で、ほとんどあと一撃で瀕死に追いやられてしまいそうな状態だった。シロナさんよりはよっぽど冷静な青年はにっこりして言った。

「心配しないでください、みんな大丈夫ですから。ウインディや他のポケモンは今センターで治療中ですし、お友達はこの病院の大部屋で休んでもらってます」

「――そうですか、よかった。ありがとうございます――あの、あなたは?」

「あ、僕ですかー? 名乗るほどの者でもないんですけど、でもこれから説明するにあたって立場くらい言っとかないと失礼ですねー」彼はポリポリと頭を掻いた。「どうも初めまして。シンオウ地方ポケモンリーグ、四天王のリョウと言います。よろしくお願いしますねー」

 見覚えがあったのは、そういうことだった。四天王と言えば毎年のポケモンリーグの中継では必ず見かけるし、しょっちゅうテレビにもゲスト出演している。彼はその中でも虫ポケモンの使い手、あの時現れた蝶――アゲハントは彼の手持ちだった。

「そうね――まずどこから説明しようかしら」シロナさんは病室の隅からスツールを持ってきてベッドの横に座った。「話がかなりこんがらがってるわね」

「とりあえず、協会の話からじゃないですか?」リョウさんが助け船を出す。

 協会とはもちろん、非営利団体で最大規模のポケモン協会のことで、彼らのような協会付属のトレーナーは協会の従業員ということになり、様々な規則のもと日々動いている。しかし、今回の僕らが身勝手にも起こした「暴力団討伐作戦」とポケモン協会の接点は、どう考えてもなかった。

「結論から言うとね――」シロナさんがゆっくりと告げた。「あなたたちを試験していたの」

「試験――ですか?」当然ピンとくる言葉ではなかった。

「去年の八月に、ロケット団が大脱走しちゃったの覚えてます?」

 リョウさんが唐突に訊いてきた。僕は頷いた。確かちょうど去年の秋、その話をケイタとしていた記憶がある。カントーの刑務所から、大勢の団員とそのボスが逃げ出した事件だ。

「あれ、逃がしちゃったの僕らなんですよ――いや、僕らが手引きしたとかじゃなくて、脱走を止められなかったって意味ですよ」

 リョウさんの話によると、ロケット団に関する別件の事件を追っていた中で、最終的に事件の解決が遅れ、去年の大脱走の引き金を引いてしまったのだという。そして、ポケモン協会はそのことを重く受け止めて、いくつかの命令を協会付属トレーナー各位に下した。

「四天王、チャンピオンの僕らは、平たく言うと強いポケモントレーナーや団体を協会の味方につけなきゃならないんですよー。あ、新聞とか読みます? 昨日の日経に出てたんですけど」

 彼はポケットから財布を取り出し、小さく折り畳んだ新聞のスクラップを財布から引っ張り出した。僕はその記事を受け取り、読んだ。

<協会「戦力増強必至」>

 見出しにはそう書いてあった。内容を見た僕は驚愕した。

「――つまり、『民間のレベルアップ』を図るために、協会は実戦形式の『試験』を認めているんですね。そしてその試験官が、シロナさんやリョウさん――」

「――ごめんなさい、黙っていて」シロナさんが暗い声で言った。

 なるほど、全てが繋がる。我らがポケモンバトル・サークル「ヘル・スロープ」は、全国的に見てもレベルが高い。協会の基準がどんなものか知らないが、選考に組み込まれる可能性は十分にあった。コトブキ大との定期戦でシロナさんが来たのも、僕らのバトルを「視察」しにやってきたのだろう。そして僕らの練習を見学しにはるばるミオシティまで訪れ、飲み会では僕らに火を付けた――

「コウタロウ君――だったかしら? 彼だけは気付いていたみたいね。私たちがこの戦いを管理しようとしていたこと」

「――あの暴力団たちは? まさか全部偽物?」僕は勘ぐった。

「いいえ、あいつらは正真正銘、ロケット団傘下の暴力団『ナギナタ組』。実際、あなたたちにハンデ無しにあいつらと戦ってもらうのは危険すぎたわ。だから私のミカルゲが事前に彼らの拳銃を『封印』しておいたり、もし危なくなったりしたら私とリョウが駆けつけられるように控えていたの」

 そうだ。タツヤの話では、暴力団が混乱状態に陥り拳銃を取り出したものの、結局不発に終わったということだった。あの時は弾切れもしくは故障で運が良かったと思っていた。
 なるほど、最初から僕らは守られていたのだ。

「結局かなりギリギリまで手を出さなかった結果、随分な目に遭わせてしまったんですけどね――ホントに申し訳ない」

 リョウさんが恐縮した面持ちでそう言った。
 僕が気絶したその後は、シロナさんとリョウさんが助太刀する形になり、あっという間に相手を制圧したらしい。他の場所で戦っていたユウスケ先輩やシン先輩、それにマキノ先輩やケイタも、苦しい戦いを強いられていたものの、結果的に自力でその場を制圧することができたのだという。

「このことは、もうみんな知ってるんですか?」僕はシロナさんに訊いた。

「ええ、シュウくんが目を覚ます前に私たちが説明したわ」

「――みんな、どんな反応してました?」

 シロナさんは少し切なそうに微笑んだ。

「静かに最後まで説明を聞いてくれたわ。激昂したりすることもなく、無表情で。でも、内心ではやっぱり怒りもあったと思う――」

「メンバーの皆さん、感謝してました」そう言ったのはカオリだった。「シロナさんが話し終わって部屋を出た後はしばらくみんな静かでしたけど、定期戦の事件をきっかけにして、実際に踏み出したのは自分たちだって言ってましたし、むしろそういう機会を与えてくれたんだって、感謝してました」

「――私が考えていた以上に、大人なのね。黙っていた私たちが本当に愚かしく感じるわ」

 シロナさんはそう言って目を伏せた。僕の中には不思議と怒りはなかった。いや、そんな感情を持つのはお門違いだって思うくらいだ。みんなが言っていた通り、暴力団との対決という選択肢を選んだのは、シロナさんや教会の人間ではなく自分たちなんだ。マキノ先輩を始めとして、メンバーは全員、定期戦の一件から何かしなければという衝動に駆られていたし、火付け役がシロナさんだったとはいえ、その動機は最初からみんなの中にあったものだった。その動機に従うことにしたまで。今夜のことは、その結果というだけに過ぎない。
 僕はみんなに会いたかった。もちろん、ヒートにも。今夜のことを話したい。他の場所で戦っていた先輩たちはどんな戦況だったのか、詳しく知りたい。そう思った。

「話はまだ続くの」シロナさんが再び口を開いた。「実は今回『ヘル・スロープ』に注目しようと思ったのは、単に全国的に実力があるというだけではないのよ」

「――と言うと、どういう?」

「私、ユウスケとはちょっとした知り合いでね、彼の伝手があってみんなの存在を知ったってわけ」

「ユウスケ先輩ですか?」

「ええ。彼だけは今回のこと最初から全部知っていたわ。それでね、彼がみんなを『試験』にかけるかわりにある条件を満たしてほしいと言ったの。この話はさっきもしたんだけど、カオリちゃんも関わってくるわ」

 シロナさんはスツールにちょこんと座っているカオリの方を見た。カオリは居心地が悪そうに口元だけで微笑んだ。
 僕の頭に不安がよぎった。

「カオリが関わっているっていうのは、一体――」

「――うーん、途中誤解を生む話し方になってしまうかもしれないけど、つまりそう、私たちは全部聞いたわ。ユウスケから」

「全部って――」

「全部よ。カオリちゃんが去年犯してしまったことも、全部」

 少しの間、病室に沈黙が流れた。僕が最も恐れていたことだった。今回の事件で警察が捜査の手を伸ばし、カオリの身にまで危険が及ぶ――絶対に避けたかったことだった。
 しかしカオリのことはケイタにしか話してないはずだった。なぜ、ユウスケ先輩が知っている?
 そして、カオリはなぜ笑っているのだ?

「――何が、何だか」僕は間抜けな声で呟いた。

「あんまり詳しいことは言えないけど、ユウスケもあれで昔は荒れててね。カオリちゃんのように辛い経験も、何度もしてきたの。そしてこれは私も最近知ったことなんだけど、ケイタくんも弟さんのことで色々あったみたいね」

 去年の秋のこと、ケイタが夕暮れの坂道で突然弟のことを話してくれたのを思い起こした。シロナさんは続ける。

「シュウくんからカオリちゃんのことを聞いたケイタくんは――多分、迷っただろうけど――そのことをユウスケに相談したらしいの。そしてユウスケは今回の『試験』の条件として『カオリちゃんの身に捜査の手が及ばないこと』を要求した」

 カオリは両手を膝の上で合わせ、真顔でじっと話を聞いている。その手は少しだけ震えていた。

「――そうだったんですか」

「ええ、私、心から友情ってすごいと思った。意外とできないことよ、友達のために行動を起こすって」シロナさんは優しい笑顔で続ける。「同僚にゴヨウっていう、シンオウ警察の刑事総務課長をやってる男がいて、さっき摘発が終わったって連絡が入ったわ」

「それって――」

「本当はいけない介入ですよー」リョウさんが僕の疑問を先読みした。「ゴヨウさんがちょっかい出して、捜査の範囲を限定させることにまんまと成功してしまったということです。駄目ですよ、公言したら」

 緊張感のないその声で、僕は思わず噴き出しそうになった。

「じゃあカオリは罪を問われたりしないんですね?」

 その問いはなぜか、クスクス笑いで返された。僕は大真面目にそう訊いたのだが、おかしなことにカオリさえも口元を押さえている。

「実は、話には続きがあってね」

 怪訝な目つきをしていた僕に、シロナさんが言った。

「プラシーボ効果って知ってます?」リョウさんがまた唐突な質問をした。

「えっ? 何効果ですか?」当然僕は聞き返す。その言葉には全く聞き覚えがなかった。

「プラシーボ効果です。例えばですね――」リョウさんは少し考える仕草をしてから続けた。「船酔いに困っている船乗りさんがいるとします。彼に『この薬、船酔いにすっごく効くんですよ!』と念を押してある薬を渡すんですよ。そしてその船乗りさんはその薬のおかげでその日、船酔いせずに済んだんです。だがしかしですね、実はこの薬、錠剤の形をしたただの飴だったんですよ。つまりこれがプラシーボ効果なんです」

「はあ――つまりどういう効果ですか?」

「平たく言えば、『思い込み効果』よ」シロナさんが引き継ぐ。「『その薬が本物で、絶対効き目がある』って本人さえ信じていれば、その思い込みで本当に本人の身体に効果が現れるの。不思議でしょ?」

 なるほど。いや、そんな話を聞いたのは初めてだったが「病は気から」と言うくらいだし、そういうことがあっても不思議ではない。けど――

「その現象が一体どうしたんですか?」

 さっきから僕、質問ばかりしているような気がする。でも彼らは始終ニヤニヤしているし、カオリも今は赤くなっていた目も治って、むしろ朗らかに見える中で、僕一人だけなんにも分からない状況なのだ。

「ですから、それが薬だと思い込んで飲んでいただけなんですよー。ね? カオリさん」

「思い込んで――」リョウさんが「薬」と強調するように発音し、カオリに目配せするのを見て、僕は頭を弾かれた。「えっ?! まさか!」

「ほんの一時間前にゴヨウから連絡が入ったのよ」シロナさんが呆れたような笑みをこぼした。「押収した白い粉末、全部偽物」

 僕の脳みそは頭の中から離脱してしまったようだった。胸がドキドキと大きく鼓動し、手足の感覚が変になって力が入らない。

「――カオリ、本当?」震える声で確かめる僕。

「もう確かめようがないけど、多分そう。私――」

 なんだか決まりが悪そうに、カオリは口元だけで笑った。

「ホントは覚醒剤なんて使ってなかった」


33

 噂というものは、どんなに頑丈に蓋をしても漏れて出てしまうものらしい。
 僕らがキャンパスで繰り広げた死闘の話は、またたく間に大学中に広がった。地方新聞には暴力団摘発の記事がでかでかと載っていた(当然、僕らのことは伏せられていた)し、別記事で協会のことも出ていたため、みんな好き勝手に憶測を繰り広げ、あることないことひっくるめてごちゃ混ぜの状態で、今回の話は縦横無尽に拡散していった。

 僕らは日常の生活を取り戻すのにしばらくかかった。「ヘル・スロープ」のメンバーは、一時期廊下ですれ違うだけで振り向かれるし、数ある噂の中で「あのサークルの代表が一人でアジトに乗り込んだらしい」という極論も出回っていたこともあってか、マキノ先輩は学食に顔を出しづらくなってしまった。就職活動中の三年生は、面接の中でその話を持ち出されることもしばしばあったらしいし、ケイタはなぜか彼女と別れた。本人は、全く関係ないと言っていた。

 僕とは他のところで戦っていた先輩たちの話も聞かせてもらった。シン先輩のカポエラーは相手のニドリーノの毒針を受けてしまったらしく、ケイタが駆け付けていなかったらまずいことになっていたらしい。ユウスケ先輩からはシロナさんとの話を聞き出そうとしたが、「腐れ縁だよ」と軽く流されてしまった。マキノ先輩は、自分のゴローニャに傷一つ付けずに相手のリーダーのゴーリキーに勝利したと言っていた。たとえ少しだけでも、心配して損だった。
 
 暴力団「ナギナタ組」は、二年前から覚醒剤の偽物を売りさばいて利益を上げていたらしい。このミオシティを拠点に、主に学生を食い物に、約一千万円もの儲けを出していたという。
 偽物だと分かって、事実僕は心から安堵したが、ケイタはそうではなかった。

「周りの目は結局変わらないさ、悲しいけどね。カオリちゃんの罪の意識も、全部帳消しになったわけでは決してないと思う。それはお前が一番分かるだろ?」

 もちろん「偽物だったから、一件落着」というわけにはいかない。当時はカオリ自身も本物だと思って使ってしまったのだから、彼女の心の片隅にはしこりが残る。
 ただ、それは問題ではないのだ。カオリが恐れをひた隠して見せる笑顔も、時々油断して見せる不安げな顔も、僕は目を逸らさずに見つめることができる。ゆっくりと丁寧に話しだす彼女の声も、耳を傾けてやれる。
 時間はかかるだろう。別にいい。かかるのが時間だけでいいなら喜んで費やす。
 僕がいるんだから、カオリは大丈夫だ。

「訊いたんだ、シロナさんに最後。おれたち試験に合格したのかって」

 僕は例の如く、ケイタとサシで飲んでいた。ここは僕の家。雪解けも進み、この街の坂に沿って設けられた排水溝を勢いよく流れ落ちる、そんな季節だった。

「そしたらシロナさん、『一次審査は通過』だってさ。二次審査の話とか来たか?」

「いんや。あの後協会からは音沙汰ないな。コトブキの方の暴力団に手を焼いてる話は聞いたが」

 僕らはこの一年で、一度だけ本物の覚醒剤を見た。それが去年の秋に行われた「定期戦事件」での、例の下りだった。
 あの薬を受け渡ししようとしていたコトブキに拠点を置く暴力団は、ミオの暴力団ともパイプが繋がっており、今回の摘発で協会に敵意を剥き出しにしていた。

「またあんな戦いしなきゃならないのかな」

 僕はモンスターボールに入ったヒートを見つめながら、ビールをあおった。

「あんなもんじゃ温いって言われるくらいの戦いが待ってるかもな。命がいくつあっても足りない。事実、母体のロケット団が今回の事件をきっかけに動きだすっていう噂もある。本当かどうかは知らないけどな」

 ずっと昔に、たった一人でそのロケット団を壊滅状態に追い込んだポケモントレーナーの少年がいたという、もはや伝説じみた話を思い出した。命さえ賭けなければならないような、「本気のポケモンバトル」は、少し前なら僕らよりもっともっとレベルの高い方々が興じているものだと思い込んでいたが、今は少し違う。本の中の登場人物程度の感覚で知っていたロケット団は、案外すぐ近くにいる。僕もまたヒートと共に腹を括らなければならない状況も、やってくるのかもしれない。僕はちょっとだけ、汗をかいた。

 もうじき、この街も一足遅く春を迎えて、僕らは三年生になる。大学生活も、とうとう折り返し地点だ。

「――ケイタ、夏にみんなで海行こう」

「良いね。ナンパしようナンパ――あ、お前とタツヤはダメか」

 ケイタはわざとらしくため息をこぼし、缶を空けた。

「それから、ポケモンバトル。付き合ってくれよ」僕は続けてケイタに言った。

 彼はゆっくりうなずく。

「お安い御用だ」

 お互いに二缶目のプルタブを空けた。

 ミオシティを包む晩冬の夜が、ゆっくりと更けていった。


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