18
集会にこんなに人が集まるのもまた、定期戦の前の集会以来かもしれない。
「私、昨日一晩中考えたんだけど――」マキノ先輩は静かに切り出した。「やっぱりやらなきゃいけない、私たちが立ち上がらなきゃいけないと思うの」
静まりかえったサークル部屋で、先輩の決意の声が響いた。
なんだか不思議な空気だった。
窓は閉じられているのに、部屋に漂う風の流線が全部一方向に向いて、勢いを蓄えている。
「定期戦、私は本当に悔しかった。コトブキ大と決着をつけられなかったこともあるけど、それ以上に……」先輩はマサノブをちらりと見た。「それ以上に、うちのメンバーがあんなに辛い思いをさせられたことが、私は本当に悔しい。悔しくてたまらない」
メンバーの何人かが頷いた。ヤスカが鼻をすすった。
先輩が言葉を発するたびに風が集まって大きな塊を作っていく。
「ずっとそんな気持ちでいながら、別になにかできる訳じゃないと思いこんで、悔しさを押し殺してきた。けど――昨日聞いた何人かは分かると思うけど――シロナさんにね、『自分の中にある"動機"に忠実に、何かしてごらんなさい』って、そう言われて私、何もせずにはいられなくなった」
「前置きはそのくらいでいいぞ。で、何するんだ?」アキラ先輩がニヤリと笑いながら言った。
マキノ先輩も笑った。企むような、不敵な笑み。
「潰す! この大学に薬なんてバラ撒いてるチンピラどもを!」
僕たちが決起したその日から、それはもう目の回るような忙しい日々が始まった。
まず、マキノ先輩を中心にプロジェクト内の役割が決められた。
マキノ先輩曰く「圧倒的に情報が足りないわ」と言うことで、一、二年は基本的に情報収集に奔走した。
もちろん、「学内で覚醒剤売ってるやつ、知ってる?」とか「ミオの暴力団のアジトってどの辺?」とか、露骨な聞き込みなど出来ないので、各々かなり苦労した。
学食で、いかにも遊んでそうな学生の近くにそれとなく居座り、辛抱強く聴き耳を立てるものや、友達との飲み会でそれとなくそういう話題にもっていって、情報を引き出そうとするもの。ボランティアサークルのフリをして、アンケートを集めを演じつつ、「実際にドラッグを見たことがありますか?」といったギリギリ怪しまれない程度の質問を紛れ込ませるものまでいた。
カツノリが「学内ディーラー」ということは(もちろんカオリの話は伏せて)メンバーで共有していたので、交代で帰り道、尾行した。
ケイタが仕入れた、ドラッグの受け渡しに使われているという店に、客として来店し、調査するという計画も同時に進行していた。
三、四年生は、集まった情報をもとに作戦を練っていった。
サークル部屋には「捜査本部」さながら、ホワイトボードに重要人物の似顔絵が張り付けられ、その情報が重要度によって色分けされて書き込まれていたし、真ん中の机にはミオシティの巨大な全体地図が広げられていた。ケイタの聞き出した店のところには付箋が貼ってあった。
当然メンバーの中には「こういうことは警察任せるべき」という意見もあったし、一年生の何人かは、かなり怖がっているみたいだった。
ただ、僕たちは立ち止まらなかった。
この勢いの理由をちゃんと説明するなら、定期戦でマキノ先輩が感じたような悔しさはみんなの中にもあったし、それによって「動機」がはっきりしていたからだ。
でもね、もっとシンプルに、こんな危なっかしいことに踏み出せたのはなぜか、と言えば、「大学生だから」なんだ。
仮にまだ飛べないとしても、巣から飛び降りたくなるのが、またそれが許されるギリギリのラインが、僕たち大学生だ。
勉強をろくにしていなくても、大学ではそうやって成長できる余地があるんだ。今の僕たちはかなり特殊だけどね。
ちなみにマキノ先輩が高校時代、同学年で逆らえるものなどいなかったほど「ワル」だったことも、確実に影響している。
――この情報は必要なかったかな? 本人は隠したいらしいんだ。みんな知ってるけどね。
練習もいつにもまして熱が入った。
僕はわりとレベルが近いタツヤと主に練習試合を重ねていた。
日ごとに成長していく僕たちはお互いをさらに高め合い――と続けたいところなんだけど、実際はあまりはかどらなかったんだ……。
「おいポウル! 戻ってこい!」
それもこれも全部、今日もまた試合早々に戦線離脱し、練習中の女子バスケ部の女の子を驚かしてケラケラ笑っているタツヤのムウマ、ポウルの所業である。
まあ、なんだ――いわゆる「問題児」だ。
「本気になれば強いんだよ、これでも」首に付いているアクセサリーを引っ掴んでムウマを連れ戻しながら、タツヤが言った。
「本気になればだろ」と僕。
ヒートが咳をするように小さな火の子をはく。「やってらんねぇよ」とでも言いたげだ。
マイ先輩と戦ったときのポウルは一体どういう風の吹きまわしだったのだろう?
タツヤとの練習は終始こんな感じになってしまうことが多いため、僕は時々ジムに通って相手を探すようになった。
クリスマス・イブの前日(クリスマス・イブ・イブ?)、僕はジム・トレーナーのタカユキさんと久しぶりに手を合わせた。
僕は勝てはしなかったものの、それなりに実力差は縮まっているとは感じた。
前回は一度も当たらなかった火炎放射は使わず、火の子のような小技を連発することでエアームドの動きをある程度制限することができた。
結局最後は一発でやられちゃったけど。
「相当動きが良くなってるよ。シュウくん自身も落ち着いた指示を出せていたしね」
てな感じでタカユキさんに褒められて気分の良くなっていた僕の隣りのフィールドで、突然爆音が鳴り響いた。
「あっちゃー、だめかあ!」
たちこめる砂ぼこりの中、声を上げたのはユウスケ先輩だった。
定期戦ではシン先輩とタッグを組んでいたキリンリキ使いのユウスケ先輩は、一言で形容するなら――そう、「爽やかイケメン」である。
「ありがとう、ジーナ」
今もほら、爽やかに「悔し笑い」を浮かべながらキリンリキをボールに戻している。
彼は女の子から絶大な支持を得ており、あの笑顔の信者が近年後を絶たない。
ただ、僕たちメンズは知っている。あの人は変態だ。
男だけで飲むときは決まってユウスケ先輩を中心に下ネタが展開される。
そういったものに嫌悪感を抱かれる方はあらかじめ注意してお読みください。
頻出単語は「パイパン」。うん、なんか、好きらしい。
あと「寝バック」。体位トークは彼の十八番だ。「騎乗位」もよく出てくるな。呆れるほど饒舌に語る。周りは終始爆笑。
まあ、爽やかな笑顔でそういう話をすれば下ネタも「セクシー・トーク」とでも名前を変えるのだろう。
ケイタもそうだけど、得だよね、イケメンは。
――止めよう。
とにかく、隣りではユウスケ先輩と、ジムリーダーのトウガンさんが練習試合をしているところだったのだ。
「さすがにジャイロボールは防ぎきれんかったろう! いやあ、しかし気持ちの良い試合だった!」
年中タンクトップ姿のトウガンさんはドータクンをボールに戻しながらガハハと笑った。汗びっしょりだ。
僕はトレーナー・エリアに突っ立ったまま、そのバトルのスケールの大きさに圧倒されていた。
もちろん個々の技の威力だってそりゃあもう相当なものだ。ジャイロボールやサイコキネシス、どれも訓練を積まないとまともに扱うことさえできない。
でも何だろう? そういうものよりも、何か別のものに僕は圧倒されたんだ。
実際に戦うのはポケモンなのに、トウガンさんはどうして汗びっしょりになっているんだろう。
ユウスケ先輩だって、額にもうっすら光るものが見える。
汗なんて個人差だとは思うけども、つまりそういうものに、僕は心を震わされたような気がした。
(勝敗を分けるのは、最終的には気持ちです。あなたの本気がポケモンに伝われば、ポケモンも本気であなたのために戦います――)
定期戦で、シロナさんが言っていた言葉。良いことを言うなと思いながらも、ほとんど聞き流していたあの言葉。
そういうことなんだ。
声に出さずともポケモンに伝わる、気持ち。
見ている人の心を動かすほどのバトルをつくり出す、気持ち。
この人たちは、自分自身が汗をかいてしまうほど、本気だったんだ。
ヒートはもう火の子も出ないほど疲れているのに、僕は息ひとつ切らしていないことに気付いた。
19
「シュウ? シュウってば!」
どうやら僕は考え事に没頭するあまり、五感をシャットダウンしていたらしい。「聴覚」が強制起動させられ、「視覚」も起動するとカオリが目の前でふくれていた。
「んあ? あー、悪い。それで、応急救護でどうしたって?」
「もう! 自動車学校の話は二回もしたよ? シュウなんか今日ぼーっとしすぎ」
「――ごめん。ちょっと、考え事しちゃってて」
クリスマス・イブ。恋人達の日と誰が決めたかは知らないが、イブの日に街がこんなにカップルで埋め尽くされるのは日本だけらしい。
イベント事にあやかって盛り上がるのは好きじゃない。でもこのカップルだらけのコトブキ駅前のスタバに、僕たちもまたカップルとして来店しているのだから、そうやってぼやく資格はないだろう。
僕たちはお昼になって混みはじめる前に、この店で三組しかない奥のソファ席を陣取った。
「考えごとって――サークルのこと?」
我らが「ヘル・スロープ」が本格的に暴力団摘発に乗り出そうとしていることは、カオリにも話した。
「ああ、そんなとこ――すまん、クリスマスなのにな。もう忘れるよ」
そう言ったものの、僕の脳には自動的に考え事が浮かんでくる。
カオリも心配そうに僕を見つめながらカプチーノを飲んだ。
昨日のユウスケ先輩とトウガンさんの試合を見て、「ヘル・スロープ」が動くのであれば、当然中途半端な気持ちではいられない、僕も本気にならなきゃと、そう思った。
そして、エンジンをフル回転させるのなら、助手席にカオリが乗っていることも忘れてはならないのだ。
もし僕たちがうまくいって、暴力団を摘発にまで持ち込めたら、カオリの身にも危険が及ぶ可能性がある。
僕はカオリとこのことについて話したことはなかった。「ヘル・スロープ」が動くということを話した時もカオリは僕や他のメンバーの身だけを心配してくれるだけで、自分のことなど全く言葉に出さなかった。
でも、彼女だって分かっているはずなのだ。この車、まだ助手席にエア・バッグが取り付けられていないことを。
そして僕はまだそれを取り付ける術を知らない。
彼女を守ると決めた以上は、なんとかしなければならないのだけど。
スタバを出た後、僕たちは他のカップルと同じように、クリスマス・イブを楽しんだ。
カオリの希望でコトブキ交響楽団のクリスマス公演を観に行った。往年のクリスマス・ソングから山下達郎などJポップまで、全十二曲がオーケストラ・アレンジになって演奏された。ユーチューブでなら見たことあるけど、やっぱり生演奏は迫力が違う。
日が暮れてからは街のイルミネーションを眺めながら手を繋ぎ、ブラブラ歩いた。
緑地の東端に建てられているテレビ塔は、あの時はガイコツのようにしか見えなかったのに、今はライトアップされ、夜空を彩る巨大なクリスマス・ツリーと化していた。
夕食――いや、今日は特別に「ディナー」と呼ばせてもらおうか――は、定期戦の日に食べた安い店ではなく、夜景の見える、予約制の、一人五千円もするイタリア料理のコースだ。しかもワインが別料金。
一回聞いただけでは絶対覚えられない名前の赤ワインを二人で一本空け、乾杯した。
料理はどれも美味しかった。時々見たことないかたちの食べ物が出てきたけど、それらも含めて全部美味しかった。
「――じゃあそろそろ渡そうかな、プレゼント」
デザートを頂いたあと、しばらくしてから僕が切り出した。
「一応、悩んだんだぞ――メリクリ」僕はケイタにあーだこーだ言われながら辿り着いたあのネックレスの箱を渡した。
「ありがとう!」カオリはワインでピンク色に染まった頬をほころばせた。夜景のプラス・アルファもあり、はしゃぎながら箱を見回す彼女に僕は見とれた。写真に収めておきたくなるような光景だった。
「開けてもいい?」と言いながらカオリはもう開け始めている。
ほどなくして、あのクロスのヘッドと銀のチェーンが彼女の指に絡んで姿を現した。
「わぁー綺麗!」カオリは静かな店内で大きな声を出した。確かに、店頭で見たときより幾分か、綺麗に見えた。不思議なもんだ。
「着けてみてよ」
「うん」カオリは髪を後ろに流してからチェーンを首に回した。「――どう?」
ネックレスはカオリの白い胸元に、居場所を得て喜んでいるように光り輝いた。
「完璧。やっぱりピンクにして良かったな、バッチリ似合ってる」
「ふふ、ありがとう。うれしいな」彼女は横の席に置いていたバッグを取った。「じゃああたしもあげるね――」
そう言って彼女が取り出したのもまた、箱だった。磨かれた黒曜石ようなモノトーン・カラーのその箱は、アクセサリーにしては少し大きかった。
「メリークリスマス。開けてみて」
「ありがとう――なんだろうな」
正直見当がつかないまま箱を開けると、滑らかなシルクのクッションの上に赤く輝く石が置かれていた。
一瞬僕はあの世界的な魔法使い物語に出てくる「賢者の石」を思い出した。
宝石とはまた違う、素朴な輝き。
「炎の石だよ」カオリが静かに言った。「もちろん、ヒートを進化させるために使ってくれていいし、そうしてくれたらと思って選んだの。でもそれはシュウに任せる。お守りみたいにしてくれても嬉しいし、文鎮とかにしてくれたって全然いいよ」
僕はしばらくその石に見とれていた。「ウインディにしてはどうか」というシロナさんの助言を思い出す。
予想だにしないところで、僕はヒートが進化するためのカードを揃えてしまった。
「初めて見るよ、炎の石。ありがとう。でもこれを文鎮にするのはちょっと贅沢だ」
僕たちは笑いあった。
その夜、世の浮かれている恋人達と同じように、僕とカオリは愛しあった。
シーツの海の中で、僕は彼女の聞き取れない言葉と柔らかい肌、シャンプーの香りとほんの少しの汗の匂いに満たされた。
カオリが眠りについた後、僕の頭にまた考え事が浮かんできた。再び上の空になって悩み始めるはめになる。
ただ、こうしてカオリを抱いているとちょっと難しく考えすぎなのかもしれないと思うこともある。
彼女は幸い、もう薬からは解放されているんだ。自分の力で悪魔の手を振り払ったんだ。
それに僕たちには味方もいる。絶対に手のひらを返したりしない、信頼できる仲間がいる。
大丈夫に、決まっている。
しかし、顔も名前も知らない大勢の人々が、無機質に微笑んでいる絵が浮かぶのもまた事実だ。
こっち指差してんじゃねぇ。何も知らないくせに。
負の方向にはいくらでも考えられるのが人間の脳みそらしく、憎悪が凝り固まっていくのも恐ろしく早い。
僕は庇うような気持ちでカオリを強く抱きしめ直した。
彼女を離すわけにはいかない。守ると決めたのは僕自身だ。
「いってらっしゃい――」
急にカオリが呟いた。
どうやら、寝言のようだ。
「気を付けてね――絶対、絶対帰ってきてね――」
もごもごしていて聞きとりにくかったが、そんなことを言った。どんな夢を見ているんだろう?
そしてカオリが最後に言った寝言が、僕の胸に深く、それはもう深く突き刺さったんだ。
「――あたしなら大丈夫だから……」
彼女が今日くれた炎の石。僕にはあれが彼女からのメッセージのように感じた。
(あたしのことなんて気にしてないで、悪い人たちを捕まえて。それができるのはシュウたちだけだよ)