マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  •   [No.1331] 6 投稿者:イケズキ   投稿日:2015/10/07(Wed) 21:01:39     40clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     目の前のディアルガは私の身長のずっと上から見下ろしていた。
     しばらく惚けていた私の脳みそは再びゆっくり回転を始めていた。
     こいつが本当にディアルガならこの異常な状況につじつまが合う。本に載っていた話によればディアルガというのは時という概念そのものを生み出しているらしい。時間を生み出すというのはよく分からないが、自在に時間を移動もできるのだろう。それならばあの時自分の部屋で死んだ私をここまで移動されられるのかもしれない。
     「状況は飲み込めたか? チャンピオン」ずっしりと脳天に響き渡るような声だ。
     「本当に、本物か……?」未だ半信半疑だ。おとぎ話の生き物が目の前にいるなんて。
     「ふふっ、鈍いなチャンピオン」嘲るような声で言う。それに“チャンピオン、チャンピオン“とやけに嫌みったらしく私のことを呼ぶ。
     「私が何者かはともかく、私がお前をここまで連れてきた。それだけは信じてもらっていいだろう?」
     今の私にしてみたら信じる信じないというよりも、このディアルガこそが唯一の希望だった。こいつなら私をこの忌ま忌ましい過去から解放してくれる。その可能性がある。
    「わかった、信じる。だから頼む。私をここから助け出してくれ」懇願するように言った。
     するとディアルガは、
    「はははっ、『ここから助け出して』だと? 一体どこへだ? すでに死んだお前がどこへ行けば救われるんだ?」
     さも面白そうにディアルガが言った。
    「それは……あの世とかそんな感じの……」
    「そんな場所はない。あの世も天国も生きてる者のなかだけにある世界だ。死んだお前はここにいるか“無“となって消えるだけだ」
    「じゃあ早く俺を消してくれ! もう見たくもないもの振り返るのはうんざりなんだ!」
     焦れったいような、もどかしいような気持ちがあふれて来る。
    「ダメだ。何度も言わせるな、これは罰だ。終わらせろと言われてその通りにするわけがないだろう」
    「じゃあどうしたらいいんだ!?」
     話が一向に進まず余計苛立ちが募る。
     ディアルガはやれやれといった様子で話始めた。
    「お前はこのまま“あの子“の誘いを受けて家に行くんだ。翌日のこの時間まで彼らとすごしもう一度ここに来い」
     なぜ私とあの子のやりとりを知っているのかなんて気にもならなかった。そんなことより圧倒的な絶望感に襲われていた。
    「そんな……」
    「それが出来ないなら、お前は永遠にこの時間の中で過ごすことになる。懐かしいものに囲まれて気の狂うほどの時間居続ければいい」
     ディアルガはそっけなく言った。
     ここに永遠と居続けるなんて考えるだけで考えるだけでぞっとする。
    「それじゃあどっか遠い所へ行ってやる。どんな場所でもここよりはましだ」
    「残念ながらチャンピオン、それは無理だ」面白くてしょうがないという調子で言う。
    「そんなことあるものか! 歩いてでも遠くへ行ってやる」
    「お前にはこの街からでられぬように細工させてもらった。出られるか試してもいいがそれこそ時間の無駄というものだろう」
     私はしばらく黙ってディアルガの様子を見た。どこかハッタリを伺わせる素振りはないか……。
    「クソッ」ディアルガは依然余裕尺尺といった様子だ。私は完全にこいつの手の内ということらしい。
    「“あの子”の家に行けば俺を解放するんだな?」
    「一日すごせばな」ディアルガが大事な事と念を押す。
    「お前が約束を守るという保証は?」
    「私を信じられないならそこまでだ。懐かしいこの街で楽しく暮らせばいい。永遠にな」
     ディアルガが嫌みったらしくつけたす。
     私に選択肢は無いらしい。ふぅと一息ため息をつき私は諦めた。
    「明日のこの時間だな」
    「そうだ」ディアルガは話がついたのを悟り満足そうに答える。
     ディアルガが約束を守るかは運を天にまかせるしかない。神に祈りたい気分だったが私はもう神を信じられなかった。

     さっきの公園にもどると“私”がすでに待っていた。
    「おそいよー!」
     待ちくたびれたように男の子が言った。
    「ごめんごめん」
    「はやく来てよ!」
     言われるがまま私は男の子に連れられる形で家にむかった。道中のことはあまり覚えていない。私は見覚えのある建物や道が目に入っても極力意識しないよう努めていた。
     男の子の家はあの公園から歩いて10分ほどの所にある小さなアパートの2階だ。
    「ううっ……」
     家に着いたとたん思わず呻いてしまった。生々しいほど記憶のままだった。
     家のドアの前まで来たところで男の子に待っているよう言われた。
    「泊まるのは全然大丈夫なんだけどさ、一応母さんに先にいっとかなきゃいけないからさ」
     完全に目が泳いでいる。その母さんに大目玉食らうのは時間の問題だろう。
     男の子が一人ドアの向こうへ行ってから間もなく案の定大きな声が聞こえてきた。ドアの向かいの立つ私はおろか、隣人方にも十分響いていることだろう。
     しばらくしてガチャという音とともにドアが開いた。
    「あの申し訳ないんですが−−」
     エプロン姿の女性はそこまで言ったところで声が止まった。
     私はその様子を息の詰まるような思いをしながら見ていた。間違いなくこれが、これこそが私の一番恐れていた瞬間だった。
    「母さん……?」
     しばらくお互い見つめあった後最初に声をかけたのは“私”だった。
    「あなたどこかで……?」
     男の子の疑問を放置し目の前の女性が質問した。
     母さんもまた記憶のままだった。生前の私が最後に母とあったのはリーグ戦が始まる前のことだった。その時の母はもっと白髪が増えていたし顔のシワも多かった気がする。派手な赤い花柄のエプロンも着けなくなっていた。  
    「い、いえ……」私はそれだけ言うの精一杯だった。
    「ねぇ、母さん! 大丈夫? 顔色悪いよ?」
     心配そうに男の子が言った。異常な雰囲気に気づいたのかもしれない。
    「あっ、だ、大丈夫。あはは、ぼーっとしてすいません……。トレーナーさん宿が無くて困ってるんですか?」
     気を取り直したように私に向かい尋ねる。
    「えぇ……」
    「でしたらうちに泊まっていってください。ちょうど夕飯だったんです」確かに奥の方から食欲をそそるカレーの良い香りがした。
    「そんな……いいんですか?」
    「もちろん! この子もお世話になったようですし」
    「ではお言葉に甘えて」
     私はドアの向こうへ招き入れられた。母さんがドアを開けた瞬間、少しだけ私は期待していた。もしかしたら私を家に入れることを断るかもしれない。ディアルガとの約束を守れないことになるが向こうが拒否したなら仕方の無いことだし許してもらえるかもしれない。 
     しかし期待は裏切られた。これから私の経験したことない長い一日が始まる。


      [No.1330] 3.テールナー 投稿者:   投稿日:2015/10/06(Tue) 22:47:17     43clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


    「お願いします、どうか一度だけ!」
     少年テトは腹から声を出して頼みこんだ。広場を取り巻く人垣は、浮かれ話にニヤニヤと、事の経過だけ伺っているみたいだった。
    「ダメです。それが約束だったでしょう?」
     人垣のもっぱらの関心の的、足が長くて美人のお姉さんは、テトの頼みをそっけなく断った。しかたない、といえば、しかたない。だってそれが約束だったのだから。でも。
    「お願いします! どうか一度だけ」
     広場の中心には、倒れたグレッグルと、傷一つないテールナー。
    「あなたのテールナーに触らせてください!」

    「ポケモンバトルに勝ったら、って話だったもんね。うん、わかってる。頭では理解してるんだ」
     どこかで聞いたような言い回しで弁明しながら、机につっぷするテト。その背中をポンポンと叩いて慰めるのは、バトルの重傷からとっとと回復したグレッグル。新米トレーナーとその相棒だ。
    「あ、はじまった」
     ポケモンセンターの待合室に設置された、大きなビジョンが映像を流し出す。
    『ポケモンコンテスト、シード早くも決定か』
     テロップが流れる後ろに、足の長いお姉さんとテールナーが映っていた。さっき、テトとバトルしてくれた相手が、二次元の別世界で踊っていた。炎がまるでリボンのように、テールナーの持つ杖の先から自由自在に伸び縮みしていた。
     テトはポケモンコンテストの地方ルールはよく知らないが、シード枠は条件有りの早い者勝ちで、要するにこれはすごいことらしい。
     それはさておき。
    「触りたかったなー、テールナー」
     あの流れるような毛並み、スラリとした曲線美を包む黒毛に、炎を内包する耳の赤毛。触ればきっと気持ちいいに違いないよ。そう嘆くテトの背中に、グレッグルの湿った手が乗った。きっとシャツに大きなシミができてる。

     失敗は成功の母という。ならば、敗北は勝利の伯母さんぐらいの続柄でも、いいはずだ。
    「もう一度ぼくと、ポケモンバトルしてください」
     コンテストの出場者出口で張っていたテトに、足の長いお姉さんはちょっと距離をとりながら驚いたようだったが、
    「君の熱意には負けますね。シード手に入れて機嫌がいいから、わかりました、受けますよ」
     そう言って再戦を快諾してくれた。
     場所は同じ、彼女のテールナーと戦って負けた広場だ。
     息もつかぬリベンジマッチに、一度目は見なかった顔も人垣に参列していた。
    「行くよ、グレッグル」
     ケロケロ、と普段よりちょっと低い声で気合を入れる。ポケモンセンターで水をたっぷりかぶってきた相棒は、ヒタヒタの絶好調だ。
    「簡単には勝たせてあげないからね。テールナー!」
     二足のキツネが、片足を軸にターンを決めた。いっしょに回る木の枝に、炎のリボンが新体操のようにクルリクルリと舞い踊る。ギャラリーがわっと歓声を上げた。

    「先攻はどうぞ」
     右腕を前につきだすお姉さんに、側のテールナーもポーズを合わせて杖を構えた。さすがコンテスト界期待の星。余裕の構えだ。
    「じゃあ、遠慮なく」
     テトはその余裕を、潰してやる気でいく。
     二戦目を控えて、ただ嘆いて机にほっぺたをつけてただけじゃないのだ。
    「グレッグル、“あまごい”!」
     一面青とまではいかずとも、お天気雲が浮くだけだった空に、黒雲が湧き始める。ポツリとグレッグルのオレンジ色の頬に吸いこまれた一滴を先触れに、まもなくスプリンクラーの兄弟みたいな雨が降りだした。
     グレッグルは頬をふくらませ、テールナーはうっとうしそうに体を振った。炎の色のしっぽの先から滴が飛び散るが、その先からまた新しい雨が降りしきり吸収されていく。炎のリボンが短くなり、そして消えた。
    「さあ、どうだ!」とテトは雨の下から叫んだ。グレッグルの特性は“かんそうはだ”で“ほのお”に弱い。しかし、“あめ”を降らせれば。
    「テールナー、“ひのこ”」
     テールナーの“ほのお”技の威力は弱くなり、グレッグルは体力回復のアドバンテージを得る。
     構えた杖先から、炎の花が咲いた。一戦目で辛酸をなめさせられた技が、一戦目より威力は低い。グレッグルは“ひのこ”を難なく受け流し、わずかな焦げ跡も降りつづく雨で治癒して、オレンジと黒の指先を地面に突き刺した。
    「“どろかけ”!」
    “じめん”タイプの技は“ほのお”タイプのテールナーに“こうかばつぐん”。ポケモンセンターの待合室の書架で学んだ即席の攻略法だが、
    「悪くないですね」
     賞賛の言葉は、バトルフィールドの向こう側から浴びせられた。テトが素直に破顔した直後、「でもね」とお姉さんが長い足で軽快に地面を蹴った。
    「甘いです」
     お姉さんはターンして、指をパチンとはじく。
     バァンと空気が割れる音がして、グレッグルが地面に伸びていた。
    「テールナー、“サイコショック”……でした。“エスパー”技も使えるんですよ」
     一撃。倒れたグレッグルのおしりを見ながら、テトの頭がグルグル回った。“サイコショック”は“エスパー”技で、グレッグルは“どく”“かくとう”タイプのポケモンで。“エスパー”は“どく”にも“かくとう”にも“こうかばつぐん”で。
    「ああっ!」
     対策を怠ったテトにも、四倍のダメージがきた。
     テールナーは杖先を口元に当て、見えない煙でも飛ばすみたいに「フッ」と吹いた。もうすっかり、空も晴れていた。

    「また今度、機会があったら触らせてください」
    「機会があったらね」
     バトル後の握手の場で、テトはそう宣言した。テトの諦めの悪さに、お姉さんの顔が呆れか驚きか複雑に歪んだ。
    「次こそは絶対、触らせていただきます。一目見ただけで触りたくなるくらい、それはもう綺麗でしたから」
     テトは抱負を述べただけのつもりだったが、お姉さんは誉め言葉と受け取ったのか、うつむいて、笑みを漏らした。
    「そうだね」と言って。それから、顔を上げて。
    「少年。せめて、『スキンシップ』って言いなさい」
     不意に頬をつつかれて、テトは目をパチクリさせた。


      [No.1329] きみを巣食うもの(六) 投稿者:   投稿日:2015/10/05(Mon) 21:57:30     54clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    タグ:カナワ】 【アデク
    きみを巣食うもの(六) (画像サイズ: 628×449 33kB)



    「シュヒくんはどうですか? 出来れば私も一緒にいてあげたかったんですけど」

     ブリーディングクラブの研修旅行があって。眉を八の字に歪ませ、そう言い加えた少女にアデクは小さく頷き、問う。

    「うむ……わしは勘違いしておったのだが、彼はポケモンに対して恐怖心があるだけで、決して嫌っているのではないんだな?」
    「私が見る限りでもそうだと……だってシュヒくんがもっと小さかった頃はテッちゃんとキューちゃん……あ、シュヒくんのご両親のポケモンです。ふたりとも、すっごく仲が良かったもの……」

     少女の返事を聞きながら、アデクは先頃まで少年が座っていたアイアンチェアに腰掛けた。ナズナも倣って隣の席に座る。それから面を伏せた。

    「あの時からです。シュヒくんがふたりを……ポケモンを、怖がるようになっちゃったのは」
    「あの時?」

     問い掛けられ、ナズナは言うか言うまいか躊躇するように視線を移ろわせたが、しばしの後ゆるゆると口を開いた。

    「シュヒくんが四歳くらいの時だったと思います。私よくシュヒくんたちと一緒に遊んでいて」

     そうして彼女は、少年の過去を伏し目がちに語り始めた。




     それは今から六年前、シュヒと彼の家で飼われていたポケモンたちと共に郊外で遊んでいた時のこと。ナズナが少し目を離した隙に、少年たちの姿が見えなくなったのだという。
     地面に残されていたメイテツ――モンメンの綿を辿って行くと、田畑と林の境にシュヒたちがおり、その目前に巨大な百足のポケモン、ペンドラーがいた。
     カナワは森林に取り囲まれた町であるから、野生のポケモンが迷い込むことはままある。シュヒは遠くからこの蟲を見つけ、一緒に遊ぼうと近づいたのだろう。にこにこ見上げている少年の両隣でしかし、連れ合いの二匹は明らかに戦慄いていた。勝手に歩き出した彼を何度も止めようとしていたのかも知れない。
     ペンドラーは腹を空かせてでもいたのか、かなり気が立っていた様子で、ナズナがその場に辿り着き「逃げよう」と腕を引くより前にシュヒらに襲いかかった。怯んで一歩も動けない少年、それを瞬間的にモンメンとズルッグが庇い、反撃に出た――そこまでは良かったのだ。
     戦わせるために育てられていたのではないモンメンとズルッグの戦い方にはまるで秩序が無かった。今から逃げ出してもすぐに追い付かれてしまうと理解していたのか、必死に追い返そうと、自分たちの何倍もの大きさがある相手に滅茶苦茶にぶつかって行った。
     彼らが牽制する間、ナズナはたじろぎながらも、連れていたチュリネに眠り粉を指示した。敵が一瞬気を失った所に、二匹が渾身の力を振り絞って体当たりする。合間に何度かチュリネが敵の体力を吸い取って行った。
     巨大百足との相性は芳しくなく、どの攻撃も効果の程は望めなかったが、そこはやはり多勢に無勢。攻撃を続けるうちにペンドラーは苦し気に呻き出し、踵を返して森へと去って行った。
     大事に至ること無く追い払えたことに胸を撫で下ろした幼い人間たちに、前線で戦い抜いた二匹が振り返り――思わず息を詰めたナズナの隣で、シュヒが小さく悲鳴を上げた。モンメンとズルッグの体は完膚無きまでに切り傷だらけで、所々血が滲み出ていた。百足は全身に無数の棘を持っており、二匹はぶつかる度に体の至る所を刺されていたのだ。
     青い顔をして後退した少年に、二匹はけれど、笑顔で近づいた。今にも卒倒しそうな大怪我を負いながら、両腕を彼に差し伸べて。傷付いた肌が引き攣って上手な笑顔になっていなかった。それでもなんとしてでも、彼を安心させようと二匹は笑っていた。ナズナにはそのように見受けられた。
     しかし当のシュヒは、ゆっくりと歩み寄って来るポケモンたちから逃げるように後退りし――ついに彼らに触れられたという瞬間に、大声を発したのだった。紛れも無い、恐怖の叫びを。




    「それからシュヒくんはポケモンを避けるようになったんです。ポケモンは怖い生き物なんだって、思い込んでしまったんでしょう……」

     じいと少女の双眸を見詰め、その語りに耳を澄ませていたアデクは、眉間に皺を寄せて短く唸る。

    「そうか、そんなことが……。年端も満足にゆかぬ子供が見るものではなかったろうな」

     内に秘めていた――もしくは、二匹自らが眠らせていた野性。本能を剥き出しにして戦い、見るも無惨に傷ついた姿を見て、次は自分を傷つけるのではないかと、次は自分がこのような姿になるのではないかと、幼子が恐怖を抱くのは不自然なことでは無い。

    「私の所為で、シュヒくんたちを危険な目に合わせちゃったから……シュヒくんのご両親に全部お話ししました。でも、ポケモンが戦ったのはシュヒくんを守るための手段だし、それを見てシュヒくんが怖がるのも当然だし……シュヒくんが、ポケモンは時には恐ろしい生き物だって理解した上で、またテッちゃんキューちゃんと解り合いたいって自分から望むまでは、私たちは見守ってやるしかないと言われて」

     いつかきっと、彼にも理解出来る日が来る。二人は彼を、本当の弟のように想っていて、だからこそ勝ち目の無さそうな相手にも立ち向かい、ボロボロになっても彼を守ったのだということを。

     なるほど、と老翁が無精髭の生えた顎に手を添えて頷く。

    「シュヒくんは幼いながらに、自分がポケモンたちを傷つけてしまったとも、思ったのかもな。また、そこまでしてポケモンが自分を守ったのは何故か? それを知らぬが故に反射的にポケモンを恐れ、避けるようになってしまった……。ご両親の判断は正しかったのだろうね。我々がいくら必死に説いたところで逆効果だろう」
    「アデクさんもそう思いますか」

     ナズナは安心とも不安ともつかない平淡な返答を溢した。直後、膝の辺りに据えていた両の拳を震わせ出す。

    「でも……お父さんとお母さんを同時に亡くして、一人じゃ耐えられないくらい悲しいはずなのに。いつも一緒にいたポケモンたちとも、同じ悲しみとか寂しさとか解り合えないなんて……そんなのつら過ぎるって私、思って……!」

     妙に実感の篭った台詞だ。彼女も以前に、少年と似た経験をしたのかも知れない。そうアデクは思考した。
     途中から次第に涙声になり、話し終えると同時についに零れた一滴が、少女のチェック柄のスカートに小さな染みを作る。握り込んだ両手から肩へと伝染した震えを抑え込もうとすると、余計に視界が滲んでしまい、ナズナは堪らず二粒三粒、涙の粒を腿や手の甲に落とす。

    「安心しなさい、ナズナさん。周りの者に手助けが出来ない訳じゃない。ほんの小さなきっかけなら、与えられるはずだよ。わしらはそれを考えようではないか」

     見兼ねて、出来る限り優しく、アデクは俯く少女に声をかけた。ナズナはポケットからハンカチを取り出して目元をぎゅっと押さえてから、顔を上げる。

    「きみにとっても大切な“弟”を、助けてあげようぞ?」

     穏やかでありながら力強い温もりを湛えた二つの青藍に、心が奮い立たされるようだ。涙の筋が残る頬を綻ばせ、ナズナは明るく応えた。

    「……はいっ!」








    「して、メイテツとキューコはどうしておるのかな?」
    「私がお世話しています。……どっちかって言うと、私のお父さんの方が張り切ってますけどね」

     家に置いて来た二匹をひっきりなしに構っているだろう父親の姿を想像し、ナズナは苦笑いするも、にわかに表情を改める。

    「私、お父さんの影響でブリーダーになろうと思ったんです。お父さん、若い頃はトップブリーダーだったって……今は見る影も無いんですけど」

     言って、彼女は胸元で揺れていたモンスターボールをネックレスから外し、ボタンを押す。中から現れたのは白い肌に橙色の目を持った、人間の少女のような風貌のポケモンだ。

    「この子は、お父さんが昔育てていたドレディアの子供です。ブリーダーになるって決めた次の年に、お父さんがプレゼントしてくれて。私も、お父さんのドレディアに負けないくらいの大きくて綺麗な花を、この子に咲かせてあげたいなぁ〜って思っているんです」

     呼び出された花飾りポケモン・ドレディアは、見知らぬ人間に目を留めると、葉っぱのドレスの裾をつまんでぺこりと頭を下げる。感心して問えばナズナが教えたのではなく、研修の際に見学したコンテスト会場で、ドレスを着たトレーナーが同じ仕草をしていたのを見て、自分で修得してしまったとのことだった。

    「ドレディアは健康状態が直に見て取れるポケモンだ。育てるのは骨が折れるだろう?」
    「はい。とっても」
    「ブリーダーもトレーナーも、人間が思い詰めてしまうと、それがポケモンにも伝わってしまう。あまり気負うこと無く、ポケモンといかに毎日を楽しく暮らせるか、どうすればポケモンが笑顔でいてくれるか。それのみを考えておれば、まず悪い方向に転ぶことはない」

     そう話すと、アデクは「失敬」と一言置いてドレディアを観察し始めた。顔つきや目の輝き、葉っぱで出来た髪や腕やドレスの張りと艶、そして頭部に咲き誇る、トレードマークの赤い花冠。

    「うむ。素人目から見ても瑞々しい花を咲かせておるし、優しい、いい表情をしている」

     ブリーダーがどのようにしてポケモンの容態を探り結論を出すのか、アデクもよくは知らない。だが長年のトレーナーとしての直感で推し測れば、そういった見解に落ち着いた。
     花飾りポケモンの前から立ち上がり、老翁は若きブリーダーへ語りかける。

    「ドレディアはね、ナズナさん」

     呼ばれた少女は彼を仰ぎ見て、続く言葉を待つ。

    「きみの心を映しているのだ。共にあるポケモンが何を望むか忘れるなよ。さすればきみもドレディアも、もっと成長出来るに違いないぞ」

     感極まってナズナは椅子からがばっと立ち上がり、一礼した。

    「はい! ありがとうございます」

     目指す道とは違えど、この界隈に数ある山頂の一つに立つ男。そんな彼に助言を貰えるというのは、彼女にとって、光栄至福以外の何物でも無かった。


    「カルーーーッ!」

     と。和やかな空気を突如として、青い甲虫が発破した。

    「きゃあ!?」

     ボールが開閉する際には光が発されるため、ポケモンの出現に対してある程度心構えは出来るのだが、それでもナズナは中から飛び出して来た彼の勢いに盛大に驚き、仰け反った。

    「なんだカブルモ、また勝手に飛び出してきおって」

     主人に呆れた顔をされても、幼いカブルモに慎みなど備わる訳も無く、相変わらず活発に跳ねるだけだ。

    「この子はまだ子供なんですね? 元気いっぱい!」
    「ああ。カナワに着いた時も凄いはしゃぎようだったよ。こいつのやんちゃっぷりには毎日骨を折らされておる」

     カブルモは椅子と揃いのアイアンテーブルを見上げて何やらカルカルと訴えている。机の上には主人が屋内から持ち出して来た荷物袋があり、それに目を留めたアデクは即座に合点した。少女との対話に夢中になって失念していたが、庭に出たのは自分のポケモンたちに昼食を摂らせるためだったのだ。
     すまんすまんとカブルモに謝り、急かされるまま支度する。昨日と同じプラスチック皿を三つ取り出してフーズを盛り終えると、残る旅の仲間を庭へ放してやる。新たに登場した二匹のポケモンに、ナズナはわぁと息を吐いた。

    「バッフロンとクリムガンですよね。実物を見るのは初めてです、迫力ありますねー!」

     様々な人が行き交う都会暮らしならいざ知らず、トレーナーの関心を引く場所ではないこの田舎町では、彼らのような“見るからに上級者向き”のポケモンを目にする機会は滅多に無い。ナズナは物珍しげに、尚且つ彼らの機嫌を損なわせぬよう注意しながら凝視する。餌をがつがつと貪る二匹の姿は第一印象通りの荒々しさだが、獰猛さは感じられなかった。

    「でも、優しい目をしていますね」
    「こやつらとは長い付き合いになる。始めに比べれば随分大人になったものだ。こいつと違ってな」

     老翁は腕組みし、カブルモを顎で指した。

    「カブ?」

     もりもりとフーズを頬張っていた甲虫は一瞬だけ手を止めて二人の方を向いたが、すぐに食事を再開した。




     やがて皿の中が空になり、三匹は名残惜しそうにしつつも顔を上げた。食べ終わった皿を片し、庭にある水道へと向かうアデクの後ろで、自分と変わらぬ背丈の竜にナズナが歩み寄る。

    「ああ、クリムガンには素手で触ってはならんよ」
    「はい! “鮫肌”ですもんね」

     アデクが袋から取り出した厚手の軍手を少女に渡す。ありがとうございますと礼を言い、ナズナは受け取った軍手をはめてクリムガンの肩の辺りに触れた。布越しでも地肌の刺々しさが詳細に伝わってくる。

    「ブラシをかけても?」
    「ありがとう。きっと喜ぶよ」

     腰に提げた鞄の側面から幅の広いブラシを抜いて、程々の力を掛けてゆるりと撫で下ろす。慣れない感覚に始めは硬直したクリムガンだったが、肩から腕、背中を辿り、尻尾に差し掛かる頃には目蓋を閉じてリラックスしているようだった。
     仲間が心地好さそうにしているのが羨ましかったのだろうか。芝の匂いを嗅いでいたバッフロンが自分も頼む、と言いたげに鼻を鳴らしながら近寄って来た。少女は頬笑み、頷く。
     仕上げに両手両足の爪を布でゴシゴシこすってやると、クリムガンの厳つい顔はすっかり緩み切り、傍で見ていた翁が「だらしないなあ」と笑った。

    「はい、バッフロンの番よ」

     ブラシをハンカチで拭い、軍手を外した手で頭突き牛を招く。竜と入れ替わりで目の前へやって来たバッフロンの頭に、ナズナはおもむろに手を差し入れた。

    「わ、頭ふわふわもこもこ。温かくて気持ちいい〜!」

     なんなんだ、と批難がましく一瞥する頭突き牛へナズナは誤魔化すように笑い、彼の胴体にブラシを掛け始める。しかし。

    「カブー!!」
    「わ!」
    「カブルモ?」

     シュヒ宅の周りを散策していたらしいカブルモが家の影から現われたかと思いきや、何故だかバッフロンの頭部に突進し、体毛に埋もれて見えなくなった。

    「ブモウ!!」

     邪魔をされたばかりか自慢のアフロの中に侵入された頭突き牛は、鼻息荒く頭を振り回す。青い塊がぼとっ、と地面に落下した。

    「さてはカブルモ、おまえもブラッシングしてもらいたいか!」

     一昨日同様またもや顔面から倒れ込んだ甲虫を、アデクは片手で拾い上げてテーブルに乗せる。我が意を得たりと言う風に、甲虫はカルカル鳴いて飛び跳ねた。

    「うふっ。もう少し待って。まだバッフロンの分が終わってないからね」

     ナズナは彼にそう伝えると、不貞腐れたように木陰に横たわってしまったバッフロンの手入れに取り掛かった。






    「アデクじーちゃん、ナズナさーん」

     カブルモのブラッシングもあと少しで済みそうだというところで、リビングの窓からひょこっとシュヒが顔を覗かせた。

    「どうした?」
     翁が訊ねると
    「お茶いれるから来て!」
     との返事。

     時刻を確認すれば午後三時十六分。おやつの時間という訳だ。
     家に上がり、食卓へ赴くと少年は戸棚の前で茶器を選んでいた。アデクがそれを手伝い、ナズナは自分が持って来た菓子をシュヒから受け取った大きな陶磁器に移す。マフィンやフィナンシェ、バターサンドにラングドシャなど様々な甘味が並んだ。

    「あっ、シュヒくん、紅茶を淹れてくれるのね」

     少年宅には多数の紅茶の茶葉があった。彼の母親の昔からの趣味で、ナズナも何度か呼ばれたことがある。シュヒは食器棚に並んだ中から、ビリジャンのパッケージの茶葉を取り出していた。銘柄など覚えていないし、まだ紅茶よりジュースが好きな年頃なので適当な選択であったが、奇しくもそれは、父親が好んでいたダージリンだった。

    「おいしくないかもしれないけど……」

     本人が危ぶんだ通り、注がれた紅茶は渋い口当たりだった。しかし菓子と合わせれば丁度良い案配だったので結果オーライだ。
     各自思い思いの菓子をつまみながら話すうち、話題は自然とナズナの研修旅行のこととなった。
     ズイと言う草原の町で育て屋や牧場を手伝って勉学する傍ら、近辺の街へ遊びに行った時のことを、少女は話す。ヨスガシティの教会で、シンオウ地方の創世神話を聞かせてもらったこと。トバリシティに向かう途中突然の大雨に見舞われ、慌てて近くの喫茶店に逃げ込み、ホットミルクの温かさに和んだこと……。

    「噂には聞いてたけど、ほんとシンオウは寒かったよ〜」

     腕を抱えて身震いして見せる少女にアデクが仰々しく相槌を打ち、シュヒが訊ねる。

    「じーちゃんも行ったことあるの?」
    「おうよ。もう五十年は昔のことだがな!」
    「…………」
    「五十年……」

     翁はそのように言って笑い、少年少女らは彼との年齢差をしみじみ思い知らされた。


     三人から離れたソファの上では、ケースの中のタマゴが小刻みに震えては、幽かな光を放っている。


      [No.952] 【4】氷の時間 投稿者:イサリ   《URL》   投稿日:2012/04/07(Sat) 14:00:13     97clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     一匹のポケモンが迷い込んで、辺りの空気が冷えました。
     二匹のポケモンが探しにきて、水たまりに薄氷が張りました。
     三匹のポケモンが越してきて、天井から氷柱(つらら)ができました。

     沢山のポケモンが息づいて、今の姿になりました。

    『四ノ島』の『凍滝(いてだき)の洞窟』は、そうして出来ていったのだと誰かから聞きました。




    【4】氷の時間




     もう何年前のことになるでしょうか。私がまだ四ノ島に住んでいたころの話です。
     四ノ島は、温暖な気候と凍りついた洞窟という相反する環境を持った不思議な島です。
     その島に住んでいたころ、私には一人の幼馴染がいました。隣の島の悪戯っ子達から、からかわれることの多かった彼は――今思えば、かなり変わった子でした。
     


     そんな彼の性格を一言で表すとしたら、『夢想家』でした。いつも取りとめのないことを考えていて、そしてそれを周りの人々――大抵は私でしたが――に話しては混乱を巻き起こしていました。
    『こう』と信じたことは、周囲からの共感を得られようが得られまいが突き通す。そんな図太さも持ち合わせていました。

     ですが私は、彼のそんなところが嫌いではありませんでした。


     ある時、彼はこんなことを言い出しました。
    「楽しい子供の時間を奪っていく悪いヤツがいるんだ」
    「悪いヤツ? それって人間? それともポケモン?」
    「姿は見たことはないよ。人間の目には見えないんだから当然さ。……でも、そんな不思議なヤツだから多分ポケモンなんじゃないのかな。『時間泥棒』は」

     彼の言うことには、『時間泥棒』とやらは子供が夜寝ている間、特に楽しい夢を見ている間に現れて時間をそっと盗んでゆくのだそうです。
     そして子供は見ていた夢を忘れ、目が覚めた時には時間が盗まれたことにすら気がつかない……というのです。
     きっとまた、読んでいた絵本か童話か何かの影響でも受けたのでしょう。

     盗まれたことを覚えていないのなら『時間泥棒』がいることの証明ができないのではないかという主旨の質問をしてみたのですが、それでは『時間泥棒』がいない証明ができるのか、と返されました。
    『存在する証明』と『存在しない証明』。科学的かつ公平に物事を考えるならば、立証する責任は『存在する』と主張する側にあるように、今では思います。
     近代の科学と言うものは、例えるならば投網のようなもの。人類の英知によって編み込まれ、魚の形をした真実を掬いあげるためのものです。湖だか水たまりだかに網を投げて、引っ掛かった種類の魚だけを調べ、引っ掛からないものは『存在しない』と定義する――そういう類のものです。
    『網の目が粗いから、魚がすり抜けて逃げてしまうのだ。湖の中にはまだ見たこともない種類の魚がいるはずだ』と主張する人もいるでしょう。確かに、網はまだ『完全』ではありません。
     ですが、時代が進むにつれて網の縫い方は巧妙になり、永遠に到達できるはずもない『完全』に、限りなく近くなってゆくのです。一マイクロメートル四方の網の目を、くぐりぬけて行く魚がいるのでしょうか?
    『完全でないなら、何も無いのと同じ』という、一部の人々の好む論法は、私にはとても身勝手で、ほとんど何の中身も無い主張のように思うのです。

     けれども、当時幼かった私には順序立ててそれを説明できるはずもなく、屁理屈だとは思ったのですが、反論ができずにもやもやとした違和感が残りました。
     

     私が黙っているのを了承ととったのか、彼はさらに言葉を続けます。
     時間を盗むポケモンがいるとしたら、きっとエスパータイプ、ゴーストタイプ、悪タイプ――そのどれか。
     ならば、こちらは悪タイプのポケモンを持っていれば、少なくとも互角に戦えるのではないか、と彼は楽しげに語るのでした。

     その逞しい想像力に半ば感嘆し、半ば呆れながらも、彼が悪タイプのポケモンを捕まえるのに協力することにしました。



     彼は彼の兄からポケモンを一匹借りてきました。前歯の突き出たネズミポケモンです。
     悪タイプのポケモンなんてこの島のどこにいるのかと疑問に思っていると、なんと彼は凍滝の洞窟に探しに行くと言い出しました。
     鋭い眼光と鍵爪をもった黒猫のようなポケモン――悪と氷の複合タイプを持つニューラを捕まえようとしていたのでした。
     
     相手は猫でこちらはネズミ、分が悪い気がしたのですが、彼は「兄のラッタはレベルが高いから大丈夫」の一点張りです。
     一度言い出すと話を聞かないのはわかっています。タイプ相性で不利でなかったのが救いでしょうか。
     私と彼はお小遣いを出し合って十個のモンスターボールを買い込み、凍滝の洞窟へ向かいました。



     凍滝の洞窟は、そこに棲む氷ポケモン達の発する冷気により夏でも氷柱の溶けない不思議な洞窟です。
     冬ともなれば、洞窟中央の大滝が凍りつき、滝壺周辺は一面氷で覆われます。
     洞窟に棲みつくポケモン達の頂点に立っているのは、『海の王者』の異名で知られる希少なポケモン、ラプラスの一族でした。
     彼らは洞窟の奥深く、深海へとつながる海水の泉に集まり、互いの絆を確かめ合う歌を歌います。
     一族を率いている最も賢く力も強い個体を、私たちは『王サマ』と呼んでいました。
     私たちがラプラス達に会えるのは、滝の凍っていない季節だけでした。滝が凍ってしまえば、洞窟深奥にある泉に辿り着けなくなるからです。
     冬の間、子供は凍滝の洞窟に近づくことさえ禁止されていましたが、私は洞窟が氷で閉ざされるたびに、いずれ訪れる次の春を待ち望んでいました。



     洞窟の奥に足を踏み入れると、いきなりひやりとした冷気が私たちを包み込みました。
     初夏でも吐く息は白く曇り、上着を着込んでいても手からぷつぷつと鳥肌が上ってきます。
     私と彼の目当てはニューラ。悪と氷タイプの黒猫のようなポケモン。
     ラプラス達に会いに行く途中で、何度か見かけたことがありましたが、いざ探してみると中々見つかりません。
     ニューラは生来、とても獰猛な性質と聞いています。体力が尽きる前に何とか探し出したいところでした。


     氷で覆われた段差を降り、氷柱の伸びたトンネルをくぐった先の小部屋で、ついに小さな黒い影を見つけました。
     まだ若い、小柄な黒猫は、幼馴染の彼がモンスターボールからラッタを繰り出すと、指の間に隠していた爪をむき出しにし、低く唸ってこちらを威嚇してきます。
     シャーッという叫びとともに黒猫の後肢は地面をけり、ラッタに飛び掛かりました。

     ニューラの爪がラッタの腹をかすめ、ラッタの前歯がニューラの肩に食い込み、息もつかせぬバトルが繰り広げられました。
     ラッタのレベルが高い、と彼が言っていたことは本当でした。体力を一方的に削られていったのは野生のニューラの方でした。
     後になって知ったことでしたが、彼がラッタに指示していたのは『いかりのまえば』という技で、相手の体力を半分まで削る、まさにポケモンを捕まえるのにうってつけの技でした。
     息が上がり、動きが鈍くなったニューラに向かって、彼はついにモンスターボールを投げました。
     赤い光がニューラを包み、モンスターボールの中に吸い込みます。大きな揺れが、一つ、二つ。そして、カチリという音とともに動きが止まりました。


     彼と私は歓声をあげ、モンスターボールに駆け寄りました。
     新しい『仲間』に名前を与えるため、ああでもない、こうでもないと話し合い、結局見たままに『クロ』と呼ぶことになりました。
     ボールを内側からひっかく悪戯者に、私たちはそっと微笑みかけました。





     長いようで短い夏休みが終わり、温暖なナナシマにも涼しい秋の風が吹き始めた頃、彼は凍滝の洞窟の前に私を呼び出しました。
     洞窟前に向かう道中、私が理由を尋ねても、「いいから。後で話す」の一点張りです。
     そして、洞窟前に到着すると、彼はうつむき気味だった顔を上げ、意を決したように、こう言い出しました。 

    「僕は、島を出るよ。島を出て、本土へ渡って……ポケモントレーナーを目指す。クロと一緒に」

     狭義の『ポケモントレーナー』――ただポケモンを所持するだけでなく、戦わせ、頂点を目指す旅人――に、彼はなりたいと言ったのでした。

     彼は興奮気味に語ります。
    「四ノ島の出身者で、すごく強い人がいるんだって。セキエイの四天王になるのも遠くないって言われてるくらい。ナナシマ出身でも、強いトレーナーになれるんだよ。氷タイプの使い手で、女の人なんだって聞いた。この島から旅立ったときにラプラスを連れていったんだって。なんか、すごく、かっこいいよな。僕もそんな風になりたい。強いトレーナーになって、旅をしてみたい」
     矢継ぎ早に紡がれる希望に満ちた言葉の数々に、私は「うん」とか「そうだね」とか曖昧な相槌で応えていました。
     またいつもの夢想が始まったのか。最初はそう考えていた私でしたが、話を聞くうちに、彼が本気で夢を語っていることがわかってきました。
     

    「……いつごろ島を出発するの?」
    「次の冬が明けて春になったら……。そうだな。洞窟の滝が全部溶ける頃には出発するよ」
    「そう……。それじゃあ、せめてそれまでにクロのトレーニングを積んでおかなきゃね」
    「ああ、僕一人じゃ自信が無いから、君もつき合ってくれないか」
    「いいわ。約束する。私もクロのトレーニングを手伝うよ」


     彼はクロに悪タイプの技と物理攻撃技を、私はクロに氷タイプの技を練習させました。人間である私たちがポケモンの技を受ける訳にはいきませんから、練習の相手といっても大したことはできません。
     彼は、新聞紙や段ボールを丸めたものを何本も用意して、「切ってみろ!」とやってました。
     私は、コップに入れた水を地面にこぼしつつクロに技を出させて氷の柱を作らせたり、たまに思いつきで氷中花を作らせてみたりもしました。
     いずれ訪れる旅立ちに備えて、万全の準備をしておくつもりでした。



     仄暗い冬がゆるりと溶けて、気高い凍滝が崩落した頃、とうとう別れの春が訪れました。
     私と彼は、最後にラプラスの王サマに挨拶に行きました。
     王サマはいつもと変わらぬ荘厳な眼差しで、静かに新しいトレーナーの誕生を祝福してくれているようでした。
     王サマの歌う歌を聴きながら、私はそっと目尻を手で拭いました。


     船に乗る彼を見送りに出て、お互いに手紙を交わす約束をした後の、彼の言葉は今でも忘れません。
    「それじゃあ、また。……ラプラスの王サマにもよろしく」




     旅に出た彼からの手紙は、私が進学のため四ノ島を離れたころに途切れるようになり。
     いつしか、ぱたりと届かなくなりました。
     彼の実家に問い合わせれば無事を確認することは可能でしょうが、私は当面それをするつもりはありません。
     彼が元気で旅を続けていることを信じているからです。
     いいえ、本当は――信じていたいからです。




     ……。
     見知らぬ娘の実らなかった初恋の話など聞かされて、おそらく『何だつまらない』と思われたでしょうね。
     ですが今、私が幼馴染の彼に抱いている感情は、思慕の念というより罪悪感の方が強いのです。
     ええ、そうです。私は、彼にとても酷いことをしてしまったのです。彼には到底打ち明けられないような残酷なことを。

     それを語るには、私が今でも時々見る夢の話をした方が良いでしょう。
     その夢を見るのは大抵ひどく疲れた時。何もかも忘れて眠りの世界に逃げ込んでしまおうと思う時です。



     私が最初に見る物は、月明かりに照らされた大海原です。
     ゆらり、ゆらりと揺れながら、暗い海の上を移動していると思うと同時に、私は自分がラプラスの背に乗っていることに気が付きます。
     ラプラスは物悲しい歌を歌いながら、ゆっくりとこちらを振り返ります。そのラプラスの顔は、私と彼が『王サマ』と呼んでいた、一族の主のものでした。
     言い表せない悲しみを湛えたラプラスの目に、私はたまらず問いかけます。

     ……どうしてそんなに悲しそうな顔をしているの?

     時に高く、時に低く、穏やかで澄み切った声で王サマは歌います。

     ――カナシイ、カナシイ、人間は、カナシイね――
     ――時間の流れを止めようとするばかりか、こうして巻き戻そうとするなんて――

     歌の意味を理解した時、視界がにわかに暗転し、世界が音を立てて崩れていくような気がしました。
     バランスを失い、ふらついた体は海の王者の背を離れ、そのまま暗い海の中に沈んでいきました。




     深海の暗さをそのまま映し取った冷たい空間。
     ここは凍滝の洞窟です。巨大な滝は、正に『凍滝(いてだき)』の名にふさわしく、堂々たる氷の彫刻としてそびえ立っています。
     ですがよく見ると、春の訪れを告げるように、小さな水の流れが幾筋もつたって落ちていきます。あちらこちらに崩落した跡も見られます。その形が完全に失われるまで、それほど時間はかからないのでしょう。

     一人の少女と黒猫が、凍りついた滝の前に佇んでいます。

     ――別れを刻む水時計。再び流れ出した時、何かが終わって何かが始まる。終わってほしくない。始まってほしくない。
     ――このまま時間が止まってしまえばいいのに……。

    「……クロ、氷の技の練習をしようか」少女はそう呟き、技を使うよう指示を出します。
     黒猫は訝しげに少女を振り返り、やがて滝に向かって冷気を放射しました。『こごえるかぜ』という技です。
     凍滝の表面を滴り落ちていた水の流れが止まります。




     幼き日の自分の幻影を、私はぼんやりと眺めていました。
     過去の記憶というものは、現在の自分の干渉できる領域にはないからです。幻影の少女から私は見えず、私の声も届きません。
     ただひたすら、祈るような気持ちで呟きました。

     ――やめなさい。やめなさい。そんなことに意味は無い。小さな黒猫の吐息では、巨大な滝は凍らない。流れる時間は止められない。自分の心を凍らせるだけだ。

    『凍っていた滝が全て溶けたころに出発する』と言った彼の言葉を、あまりにも額面通り受け取っていた愚かな自分――滝が溶けなければ彼がいなくならないのではと淡い期待を抱いたのです。
     忘れていた、忘れたかった事実を今になって思い出しました。私は、彼を引き留めたいばかりに、黒猫に技を使わせて滝が溶けるのを止めようとしたのです。
     なんて馬鹿なことを。どうして、旅立ちを素直に祝福してあげられなかったのか……。自責の念ばかりが心に浮かびましたが、どうすることもできません。
     今、ここに見えているのはただの記憶の断片――過去を変えられないことは、よく判っています。

     滝に氷技を使うように指示した時の、黒猫の眼差しが脳裏に浮かびました。今も彼と旅を続ける黒猫が、もしも私の指示の本当の意味を理解していたら。それを彼に伝える術を持っていたなら……。
     そう思うと、背筋が冷えます。消えてしまいたい気持ちになります。

     
     この後の結末を私は知っています。凍滝は崩落し、清らかな水は再び動き出します。少女のささやかな抵抗など、まるで初めから無かったかのように。
     氷は水になり、冬は春になり、そして少年は新たな世界へと旅立っていくのです。

     ほら、今にも氷の割れる音がする。冷たい水が、流れる、溢れ出す――――



     
     ……そこで、いつも目が覚めます。


     酷くみっともないと思われるでしょうが、私は時折どうしようもなく切なく哀しい気持ちになり、涙を流しながら目覚めることがあるのです。
     心の奥底に沈んでいた澱が舞い、思い出したくもない暗い記憶を写し出すのです。
     私は夢を見るのが恐ろしい。彼に真実を知られるのが恐ろしい。
     そして何より、何もかもを見通している海の賢者の視線に晒されるのが恐ろしいのです。


     
     彼の旅立ちを見送って以来、私は二度と凍滝の洞窟に入ることはありませんでした。
     ラプラスの王サマと会ったのも、結局あの時が最後になります。


     それでも。
     冬の曇天に耳をすませば、今でもどこからか歌が聞こえてくる気がするのです。


     ――哀シイ、愛シイ、人間は、カナシイね――


      [No.951] 第3話 向こう側 投稿者:SB   投稿日:2012/04/06(Fri) 22:26:40     75clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    向こう側



     最初、ぼくらには心がなかった。
     最初、ぼくらは命ではなかった。
     アミノ酸がたまった原始のスープにおいて、そのモノは分裂を始めた。
     分裂が始まる前は、分裂は起こらなかった。だから、分裂することができなかったモノは、同じモノとして存続し続けることはできなかった。
     分裂することができたモノだけが、命を後世に残せた。だから、命という名前が生まれた。
     だから、命の定義は……?

        ◇

     聞くところによると、巨大な移動遊園地が開園中だと言う。夏の終わり、自由な生活の終わりは遊園地で締めようと言うことで、遊園地のある海辺の町を目指して歩いていた。
     8月も終わりを迎え、心なしかテッカニンの鳴き声も寂しげだ。それでも残暑と言うには暑すぎる熱波が繰り返しやってきて、歩いているとじっとり汗が浮かんでくる。
     ぼくや頭の上の蜻蛉はまだしも、見るからに暑そうな毛皮に覆われた炎姫は実際かなりきつそうだ。熱中症になってくれては困るのでぼくの分の水まで分けてあげたけれども、やはり元気がない。
     そんな中、道の隅っこに突然現れた井戸は、砂漠のオアシスさながら我々に歓迎された。
     錆びた手漕ぎの井戸ポンプがのっかっているだけで井戸には木のふたがされており、一瞬水が入っているのか不安になったけれども、4、5回力をこめて取っ手を押すと、勢いよく冷たい水が出てきた。
     真っ先に炎姫がそれを浴びた。長い毛皮に水滴が付き、日の光を浴びてキラキラと光っている。ミリスが「早くしろ」と催促してきたので、ミリスにも水をぶっかけた。ぼくも全身に浴びたかったのだけれどもさすがにはばかられる。それでも頭に水をかけただけで生き返るような心地がした。ポンプは炎姫が神通力で押してくれた。

     タオルで頭をふきながら、炎姫に命の話をした。ぼくが所属する予定の機関が運営しているのがポケモン生態学会。そこと深いつながりのある「ポケモン遺伝子学会」なるものが取りまとめた書籍の内容だ。ちょっとジャンルが離れているから、よく意味がわからない。でも読めって氷室さんに言われた。有無を言わせない感じ。名前の通り冷たい人だ。なんていうか、人形みたいにきれいで冷たい。
    『その話の中で重要なことは』
     炎姫が万年筆ですらすらと文字を紡ぐ。インクの微かな濃淡が、彼女の息吹をぼくに伝える。
    『命とは分裂するモノのことだ、という順序は間違っているということです。分裂して“残った”ものたちをこそ、私たちは命と呼んだ。その順番が、正しい。ですから、分裂する前の自己複製子は、命であってもなくてもよいわけです』
     分かります? と炎姫が書く。わからないとぼくは答える。
     数学以外の勉強もちょっとはしたら、とぼくをからかいながら、鼻先でぼくをつつく。そして、道の先へと顔を向ける。
    「そうだね、行こうか」
    『はい』と炎姫が答える。蜻蛉がまたいつもの定位置、ぼくの頭の上に飛び乗った。
     そんな折、彼が現れた。

        ◇

    「やあ」

     残暑の季節に似つかわしくない爽やかな声で彼は言う。あぁこの人が……とぼくらにとっては一目でわかる。でも当人たちには区別がつかないらしい。彼らにとっては区別をする必要さえないのかもしれない。
    「失礼ですがあなたって」
     ぼくが尋ね終わる前に、彼が言葉を継ぐ。
    「そう、ぼくは向こう側の人間さ。きみはきれいな目をしているね」
     眼鏡の青年はそう答えた。
     爽やかぶっているのか、本当に爽やかなのかどっちだろうと、ぼくと炎姫は顔を見合わす。
     ぼくは前者に賭けるつもり。

     向こう側の物や組織がたくさん流入している割には、向こうの人と会う機会は少ない。前会った竹沢さんは向こうの会社の人だけど、生まれも育ちもこっち側だ。見ればわかる。なんていうか、こう、雰囲気が違う気がする。
    「ふーん。ぼくにはちょっとわからないけどね。こっちに来たらまわりに同族がいないから、見分ける必要もないんだよ」
     彼はそういって、ハハハと笑った。
     彼は岬と名乗った。用事はあるけど話をするくらいの余裕はあるよ、とペラペラしゃべりたてていうところには、職業はプログラマーだとのこと。っていうか、研究者を除けば、プログラマー以外の人はほとんどこっち側に来ないのだけど。
    「エリート研究員には見えないのかい?」
    「見えません」
     炎姫も同意した。ちょっと顔がオタクっぽいし。
     岬さんはわざとらしい咳払いをする。
    「いやはや、噂に聞いてるのより性格がきついね」
    「噂?」
    「そう。噂。ぼくの周辺では、君は結構有名人なんだよ。直近ではセレビィの件、それ以前にも6,7個くらい仕事をこなしてくれてたろ。主にデータ処理だけど。ぼくたちの世界を毛嫌いしてる人たちは結構多いからね。実際かなり助かってた」
     それはよかったですと、ぼくは答える。もしかすると以前に仕事したことのある会社の人なのかもしれない。
     でも、ぼく程度の人材でもありがたいなんて、結構苦労しているみたいだ。
    「やっぱり、嫌ってる人は多いんですね」
    「そうだね、残念ながら」
     そういって、わざとらしく手を上げる。
     社会体制が変わった原因は向こう側。今が嫌な時代になったのも、向こう側のせい。そう思っている人は結構多いから、驚くほどのことではない。向こう側の人と実際にあったことのある者は少ないから、余計に変な想像をかきたててしまう。
     ふと思って、岬さんに聞いてみた。
    「あなた自身は、向こう側のことをどう思ってるんですか?」
    「ぼくが、自分の世界の住人たちのことを、かい?」
     大概の人たちは君たちの世界を見たことがないからね、とつぶやきながら、彼は数秒顎に手を当ててから、こういった。

    「こっち側の世界をただのプログラムだと思っているんだけれど、自分たちの世界もプログラムによって動かされているだけとは気づいていない、そんな人種だね」

     言った直後、また岬さんはハハハと笑う。
     冗談だよ。いや、半分本当かな。そうつづけた。

        ◇

     炎姫と会って間もないころ、ぼくは彼女にこう尋ねた。
    「向こう側にはいったい何があるの?」
     ぼくがそう聞くと、物知りな狐は神通力を発揮して、諭すように万年筆を走らせた。
    『あなたが期待しているようなものは、何もありませんよ。向こう側には、向こう側の世界が、そこにあるだけ』

     向こう側の人たちは、こちら側を虚構だという。こちら側の人たちは、向こう側を諸悪の根源だと思っている。
     結局ぼくらは虚構か虚構でないかはともかくとしてふつうに生きているし、彼かは彼らでいい人もいれば悪い人もいる。それだけだ。向こう側の人と付き合っていて、そう思うようになった。

     新たな仕事の誘いは、ぼくが研究機関に内定したからと伝えるとあっさり引き下がってくれた。それどころか、ぼくの内定を本当に心から喜んでいるようだったので、少し恥ずかしくなる。
    「やっぱりね〜。ぼくが見込んだだけのことはあるよ」という信憑性のない言葉は無視しておいた。
    「さてと、仕事も一つ済ませたし、もう一個をがんばるか」
     爽やかさをかなぐり捨てたもろもろの話を終えた後、岬さんがそう言った。
    「あれ、なんかやったんですか?」
     仕事をしていたようには見えない。
    「うん。君と話した。これがぼくの仕事の一つ目さ」
     本当かウソか区別がつかない口調で彼はそう言った。
    「さっきも言ったろ、君は結構有名なんだよ。さらには、変わったビブラーバを頭に乗っけ始めたしね。激レアだよ、そいつ。君のことだから、知ってると思うけど」
     そういって彼はミリスに目をやる。
    「激レア? ミリスが?」
    「そう、激レア。あれ、知らないの? 研究機関に内定したってさっき言ってたじゃない。あそこと関係あるんだよ」
     ミリスといえば、一つしか思い浮かばない。ぼくはとっさにこう聞いた。
    「ことば泥棒がですか?」
     ぼくが岬さんにそう尋ねると、彼は何のことかわからないという風に肩をすぼめた。
    「ことば泥棒? 何? それ。」
    「あ、いや、いいです」
     彼に期待したぼくがバカだった。
    「何のことかよくわからないけど、ぼくが言いたかったのはユラヌスのことね」
    「ユラヌス? 新種のポケモンでしたっけ」
    「いや、ただのニックネームだよ」
     そういえば面接のときこんな会話をしたような、しなかったような。
     そいつが何かミリスと関係が?
     ぼくがきょとんとしていると、岬さんはちょっとわざとらしい口調でこういった。
    「ミリスとユラヌス。その心は、今は亡きロケット団の遺物ってことさ。だから、両方、相当強い。大切に育てるんだね」
     それはそうとして、と岬さんは続ける。
     クライアントの方から先に来てくれたようだ。二つ目の仕事を済まさなくっちゃ。

     岬さんが井戸の方へと目を向ける。
     ぼくもそれに倣う。

     地面が揺れると同時に、突然井戸のふたが音を立てて吹っ飛ぶ。噴水のように水が噴き出し、小さなポンプが紙切れのように舞い散った。
     中から紫色の巨体が姿を現す。

    『立派なクライアントですね』
     炎姫がそう書いた。

        ◇

     アーボックだった。全長10mは優に超えている。図鑑に載ってるやつよりも相当でかい。
    「クライアントってどういう意味だっけ」
     間抜けな声を出して、炎姫に聞いてみる。
    『“顧客”です』
     狐は答えた。
     岬さんが嬉しそうに補足する。
    「さすがだね。そうだよ。まぁ彼がぼくに電話してきたってわけじゃないんだけどね。仕事の対象というか、相手、だね」
    『それって顧客とは言いませんよ』
     狐が無表情で返事する。こいつはこいつで、意外と焦ってるのかもしれない。“顧客”という画数の多い字がちょっと歪んできた。
    「ご心配なく、すぐに終わるよ」
     岬さんはそういって、マスターボールを取り出す。「ポン」というあまりにも軽すぎる音とともに目の前の大蛇は一瞬にして紫の玉に吸い込まれていき、後には壊れた井戸と小さなボールを持った岬さんだけが残った。
    「こいつもね、特別なんだよ。ぼくはよく知らないけど、なんせマスターボール支給だから、相当だろうね」
    「また、ロケット団の遺物ですか?」
     僕が尋ねる。
    「こいつはギンガ団だったかな? いやロケット団か。なんかもう、どこが改造したんだったか、忘れてしまったよ」
     ハハハ。岬さんは力なく笑う。
     ハハハ。

        ◇

     営利目的でやってきた向こう側が最初に手を組んだのは、ロケット団やギンガ団などの結社だった。そのせいで向こう側の評判はさらに悪くなったのだけれど、向こうの技術が一気にこちら側に広まったのは、彼らによる功績が大きい。
     ロケット団などの組織が、同時多発的に表れた少年少女たち“英雄”によって一瞬で壊滅させられたのが10年ほど前。ぼくもまだ記憶に残っている。
     メディアは盛んにこのことをわめきたてる。いまでもまだ特番があったりする。
     でも、ぼくはもう、その話には飽きてきた。疲れたのかも、知れない。

    「遺伝子組み換えなんて、ぼくの世界では日常茶飯事なんだけどね。大豆とか、サケにもやられてたかな。サケって知ってる?」
     ぼくは黙って首を横に振る。岬さんはバツの悪そうな顔をした。
    「怖いかい?」
     岬さんがそう聞いた。
    「いえ、大丈夫。ぼくをそんな人だと思わないでくださいよ」
     そういって少し笑う。
    「なんていうか、こう、慣れました」
     岬さんも小さく笑う。
    「その気持ち、痛いほどわかるよ」
     そういって二人で顔を見合わせて、今度は本当に噴き出して笑った。

        ◇

    「ミリスとユラヌスのこと、もうちょっと教えてもらっていいですか?」

     岬さんとは結局次の町に行くまで一緒になった。“向こう側”に帰るための“扉”がある大都市へと向かうために岬さんはリニアに乗る。ぼくは費用節約のため夜行バスに乗って遊園地へと向かう。大して再開発の進んでいない古い駅ビルの隣、夕日を背に受けながら、岬さんに聞いてみた。
     僕もよくは知らないけどね、と軽い口調で岬さんは言う
    「ユラヌスは昔ロケット団が作ったポケモンさ。噂ではロケット団中、最大って言われてる。ミュウツー亡き今は最大最強に格上げされたのかな。けれどもその正体は誰も知らない。ホウエンからの輸入種って聞いたことはあるけど、その程度かな。でもって、君の所属する予定の機関は、そいつを躍起になって探してる。理由は言わなくてもわかると思うけど。でもってミリス君も改造種だね。実はそいつにも捕獲指令が出てた。だからもうすでに君の手持ちだってことを確認しなきゃいけなかったんだ。大丈夫、心配しないで。手持ちのポケモンを奪うのは法律違反だからね、そんなことはやらないよ」
     ほかに知りたいことは? と岬さんは言う。今のうちに聞いておかないと損するよ。
    「意外と親切なんですね」
    「僕が知りたいと思ったことを、君はすでにいろいろ教えてくれたからね。ま、ちょっとした感謝の気持ちさ」
     ハハハ、と笑う。
    「お気持ちはありがたいですけど、特にないかな」
     おいおいと岬さんは肩を落とす。
    「ぼくも、岬さんからもうすでにいろいろ教わったような気がするんで」
     電車のベルが鳴る。リニアが到着したようだ。やつれた顔をした男性があわてた様子で改札口の中へ消えていく。駅員が早く乗るようにと催促する声が聞こえる。
    「じゃあ、ぼくはこの辺で」
     岬さんは言った。
     ありがとうございましたと僕は言う。炎姫も従った。
    『いい人でしたね』
     炎姫が書く。僕も同意した。
     改札の奥、エスカレータに乗って、岬さんは“向こう側”への帰路に就く。
     ぼくらは見えなくなるまで、見送った。

        ◇

    「ロケット団か」
     日はすでに落ち、あたりはLEDの白い光に照らされている。夜行バスを待つ間、頭の上の蜻蛉をつつきながら、ぼんやりつぶやいた。いろんなポケモンを傷つけて、いろんな人を傷つけて、いろんなポケモンを改造した人たち。
    「炎姫、ロケット団って、どんな人たちだったんだろうね」
     僕がそう聞くと、198歳の狐は諭すようにこう書いた。
    『あなたが期待しているような異常な人なんか一人もいませんよ。いい人も悪い人もいて、それで皆お金がないと生きていけないから嫌々会社で働いている。そんな人たち。それが、彼らです』
     そうか、と僕が言う。
     そうですよ、と狐が言った。いや、書いた。




    ――――――――――――――――――――
    かなり久々の続編になってしまいました。
    別に放置していたわけではなくって、純粋に時間がかかってしまっただけです。。。

    これからもぽつぽつ書いてくつもりなので、お暇な方は読んでやってください。


      [No.947] 【第1話!】 投稿者:ヴェロキア   投稿日:2012/04/05(Thu) 13:41:51     41clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    【第1話!】


    ここはミドズシティ。第6番目の地方、シューカ地方の13番目の大きな街だ。

    そこでは毎日、ミドズ警察とある女の子の逃走劇が繰り広げられていた。

    そこの人々たちは、毎日邪魔だと思っているようだ。

    キャスター「えーと、毎日悪さを繰り広げている、坂上レナさんについて、一言お聞かせください。」

    カズオ「レナは、私の逮捕すべきやつです。レナほど憎いものはない。」

    街にレブテレビが来た。レブテレビは、シューカ地方の第10テレビ局の3番目に大きいテレビ局だ。

    そして、インタビューに答えているのは加藤カズオ。「レナ逮捕・捜査班」まで設立するほど、レナがうっとうしい様だ。

    その時、レナは街のポケモンフレンドリィショップで万引きをしていた。

    店員1「あーこら!最高のドラゴンジュエルなんだぞ!返せ!」

    レナ「いや〜だね。誰が返すもんかッ!!」

    店員1「うわッ!!」

    レナは店員を一殴りすると、急いで逃走した。

    店員2「ジュプトル、ムクホーク、追跡と攻撃を頼む!」

    ジュプトル「ジュプッ!!」

    ジュプトルは木を渡りながら追いかけていった。

    ムクホーク「ムクホーーク!」

    ムクホークは空を飛び急いで追跡をした。

    そして店員は警察に通報した。もちろんその電話は「レナ逮捕・捜査班」のリーダーに伝わる。

    カズオ「おっと。またレナが出ました!インタビューは終わりだ!出動!」

    その掛け声とともに、白バイ&パトカー部隊が出て行った。

    レナ「またか。ポケモンと警察が追ってきてる。レジェンド、頼んだ!」

    そう言うと、いきなりバッグからポケモンが飛び出した。

    レックウザ「レックーーザァッ!!」

    レナはレックウザに飛び乗った。

    レナ「ヤァーーーッ!!」

    レナがそう叫ぶと、レックウザも雄叫びを上げ、加速して飛んでいく。

    レナが振り向くと、ムクホークがすぐそこにいた。

    追いついたムクホークが、ブレイブバードで攻撃を仕掛けた。

    【ピシューーー!!】

    レナ「レジェンド、逆鱗だ!」

    向かってきているムクホークに、レックウザは逆鱗を放った。ムクホークは吹き飛ばされた。

    ムクホーク「ムーーークーーーー!!」

    次は木の上からジュプトルのリーフストームが炸裂!と思うと・・・

    レナ「破壊光線、続いて神速!!」

    レックウザの破壊光線で発破の竜巻を破壊した。その次はもちろんジュプトルは避ける。

    しかし神速でレックウザのほうが速いため、尻尾で叩かれるとジュプトルは気絶した。

    レナ「さ〜て終わった〜次は警察だ。頼むぞレジェンド。」

    レックウザ(雄叫び)

    ??「あそこだ!いたぞ!」

    誰かが叫んだ。木を急いで登っていく。

    レナ「(大声)来たな警察!!今日もコテンパンにしてやろうか!!」

    カズオ「(大声)レナ!!今日こそ決着のつく日だ!!」

    カズオが木のてっぺんに立った。

    レナ「おいおい。そんな所に登ったら落ちるのがオチだろ。」

    カズオ「ドンカラス、エアカッターー!!」

    ドンカラス「ドン!クァルァーー!!」

    レナ「エアカッターで勝てると思う?竜の波動!!」

    エアカッターがあっという間に消え、ドンカラスに竜の波動が直撃した。

    レナ「そしてアイアンテール!!」

    レックウザは下降し、カズオが乗っている木の根元に直撃した。

    カズオ「おわぁととと!!おちるぅぅぅーーー!!」

    レナ「捕まえるのも、(おでこをつつく)ここが必要なんだよ。」

    そういいながらレックウザとレナは飛んでいった。

    カズオ「レナめ・・・今度こそ捕まえるぞ!おーーー!!」

    元気に言ったのだが、返事する人は誰もいなかった。


    続く・・・と思う


      [No.946] 【キャラクター紹介】 投稿者:ヴェロキア   投稿日:2012/04/04(Wed) 11:44:36     31clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    【キャラクター紹介】

    坂上レナ(♀)
    泥棒で小遣いを稼いでいる、ヤンキー女の子。
    手持ちはレックウザ1匹だけで、次々破壊しまくっている。
    逮捕歴もあり。12歳。いつもレックウザのコスプレをしている。
    ケンカが強く、今はポケモンバトルレボリューションにはまっている。

    レックウザ(性別不明)
    レナの手持ち。「レジェンド」と呼ばれている。
    天空の城からやってきた、最強と呼ばれし神。
    レナとケンカをし、強さを認めたため手持ちに入った。なつきは最高。

    ジェイン(♂)
    レナの親友で、ポケモンバトルレボリューションのバトルマスター。
    毎日バトルで忙しく、休み時間はレナとポケモン知識争いをしている。
    手持ちはトゲキッス、ゴウカザル、ポリゴンZ、アーマルド。32歳。

    加藤カズオ(♂)
    ミドズ警察の「レナ逮捕・捜査班」の班長。
    自称「レナの最大のライバル」
    1度逮捕したことがあるが、後は負けている。
    部下いわく「怖い」らしい。
    43歳

    警察官の皆さん←(♂♀さまざま)
    レナを逮捕しては取り逃がしてしまった警察官の皆さんで〜す。

    店員の皆さん(ぉぃ(♂♀さまざま)
    レナに万引きされた店の店員の皆さんで〜す。

    通行人の皆さんとポケモンの皆さん(蹴(♂♀さまざま)
    日々お世話になっております。

    以上


      [No.945] レックウザな女の子 投稿者:ヴェロキア   投稿日:2012/04/04(Wed) 11:26:19     21clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    どうも、ヴェロキアです。「ポケモンストーリーズ!」で〔サクラサク〕を書いています。

    題名の話です。「なんのこっちゃ?」と思う人もいると思うけど、読んでからのお楽しみ〜

    続くかどうかはわからないけどね・・・

    でわ、スタートッ!!



    ちなみにタグは『描いてもいいのよ』です。

    ☆目次☆

    【挨拶】 http://masapoke.sakura.ne.jp/rensai/wforum.cgi?no=945&reno=no ..... de=msgview
    【登場キャラ紹介】 http://masapoke.sakura.ne.jp/rensai/wforum.cgi?no=946&reno=94 ..... de=msgview
    【第1話!】 http://masapoke.sakura.ne.jp/rensai/wforum.cgi?no=947&reno=94 ..... de=msgview


      [No.944] 怪しいパッチ:16 投稿者:リング   投稿日:2012/04/03(Tue) 20:15:06     58clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    -16-

    「やっぱり……ユクシーなんかに生まれなければ良かったですね。生まれ変わるなら他のポケモンになりたい……」
     気の抜けた声色で、私はそんな事を呟いていた。エミナは黙ってキーボードを叩いている。

    「ねぇ、エミナ。貴方は生まれ変われるなら何になりたくないですか?」
    「……そうだな。まぁ、生まれた喜びを感じられるものなら何でもいいから、特に要望は無いかな。ミツハニーは女王に仕える事が喜びで、男全般は女に種付けをする事が喜びで……」
     身も蓋もねぇ!! もう少し風情のある言い方をしてください。
    「そして女は子供を産み、育てる事が喜びだ。そうだな、ニドクインにはなりたくないかもしれないが、その他であればユクシーになろうとキュウコンになろうと構わないと思うぞ。もちろん、人間でもな。私からは以上だ。ところでラマッコロクルよ。君がポケモンに生まれ変わるなら決してなりたくないポケモンは自身の種族であるユクシーだと言ったが……そう思った理由はなぜだ?」
     エミナ……貴方の答えは、ものすごく突っ込みどころ満載でしたが。要は何に生まれ変わってもなるようになる、生きたいように生きる。だから何でもいいという、とても納得しやすい答えでしたね。だから、私も納得しやすい答えを用意しておきました。

    「胎内で殺し合いをしてから生まれてくるキバニアや、自分以外の生まれ遅れた王台の女王候補を殺さねばならないミツハニーの雌はなりたくありませんね。そういう風に、分かりやすい理由で生まれ変わりたくないポケモンは数あれど……私が一番生まれ変わりたくないポケモンと、その理由なんて決まっているじゃないですか。
     愛する家族の記憶を消して、別れなければいけない人生を歩むことになるかもしれないからです」
    「そうだな。確かにユクシーは私達のようなシチュエーションでは辛そうだ……ふむ、生まれ変わりというものが、もしあるのならば、参考にしてみよう」
     投げやりになったわけではないのに、なんだか私の心はひどく落ち着いていて……もっとエミナと会話を楽しみたいとか、そんな風に思うばかりだ。でも、そう……気分が乗っているうちに色々楽しんでおいたほうがいい。きっとそうに違いありません。
    「なんだ、エミナさんって生まれ変わりとか……以外とロマンチストなのですね。生き物の感情を数値にしたり、あまつさえそれを再現しようとか言う蛮勇振りを誇っているのに」
     私の言葉にエミナは鼻で笑う。まぁ、そんな反応だと思っていました。

    「そうでもないぞぉ。例えば、人間は空を飛べないがポケモンは空を飛べる。それが覆される日をだれが想像した? 外に出てみろ、顔をあげれば飛行機が飛んでいる。身近な例でもそうだ……例えば野球で一試合全打席ホームランなんて記録を打ち立てるのは不可能だと思わないか? しかし、それを成功させる事が出来ると言うのはロマンなのだよ。
     私のやる事だってそうだ。今まで生物にしか持ち得なかった感情をバーチャルポケモンのポリゴンに持たせる……それがどれほどのロマンなのか。『夢は夢のままのがいい』という意見は否定はしない。感情を数値に表すなんてなんだか幻滅という意見も否定しない。
     だがな……不可能を可能にする事をロマンじゃないとは思えない。故に私は、ロマンチストなのだ。生まれ変わりについてだって、存在しない……ことを証明する論文が発表されたわけでもあるまい。だから……在ってもいいと、私は思うよ」
     何と言うか、こういう他愛のない語り合いは……本当に貴重なものだったのですね。知識ばかり知っていて、私が知らなかった大事な大事な嬉しいという感情を……愛という感情を貴方は与えてくれた。
     また、恩返ししなければいけない内容が増えてしまったではありませんか。ですから……その……その恩を返すためには、私は私の能力を駆使しなければならないと思うのです。
     どれほど、語り明かしたでしょうか。キーボードを叩きながらでも会話を続けれらるはずのエミナが、いつの間にか画面から目を離して椅子をこちらに向けて喋っている。それだけで不思議な感覚だ。
     寒くて、手がかじかんできた様子でエミナは袖の中に手をひっこめ体育座りをし始める。それを見計らったかのようにスタリが現れて熱風で部屋を暖める。スタリはそのままひとしきり眠ったかと思うと、お腹がすいたのか防音の扉を開けて出て行った。その時一瞬見えた空は……話し始めた時が夕方だったというのにもう朝だ。
     意外と時間がたっていた事に気がつくと、私は眠くなってきてしまいました。……そのまま起きて、また他愛もない話をして……なんて惰性でこの生活を続けるなんてことはしてはいけない。
     ですから、そろそろ終止符を打ちましょう。これ以上この家に居ても、きっと辛くなるだけですから

    「はは、それにはあと百年はかかるんじゃないか? ……おや、どうした。急に俯いたりなどして?」
     豚型ロボットアニメでがよく使われる何処へでもドアの実用化についての談義をしている時に、私は決心した。
    「エミナさん……単刀直入に言います。私の目を見てもらえますか?」
     エミナは少し寂しそうに。そして嬉しそうに笑う。どうやら覚悟は決まっていたようですね。

    「あぁ、もう終りなのか? ふむ、以外とつれないのだな、ラマッコロクルは……」
    「そうかもしれませんね……でも、これくらいがちょうどいいと思うのです……長くいたって、別れがつらいだけですから」
    「ふふ……もう少し話していたかったが、記憶は消し去られてしまうのだったな。では、私はこれ以上話しても私は意味がない事になる……が、お前はそれでも満足なのだな? いいのだぞ、もう少し話していても」
    「えぇ……」
     迷いなく私は頷いた。私も寂しくないわけでは無いけれど……それでも、この人は嬉しいと感じてくれました。
     エミナが嬉しいという感情を感じている事が分かったのは、肌で実感できたのもあるけれど……さりげなく感情メーター(正式名称が長すぎて覚える気にならない)を作動させて、その感情の揺れ方を調べていました。いつもはポリゴン2に使われるそれで感知したエミナの感情は、嬉しい。
     だからきっと信用できるデータです。エミナ曰く、『あれは、ラルトスレベルの感知能力しかない』と言っていたのに……それでもあれだけ揺れてくれたのです。トイレに行った時にそれを見て、私はそれがたまらなく嬉しかった。勿論『寂しい』という感情もきちんと機械は感知していましたけれど……それはきっと私の目を見れば寂しさは忘れてもらえるから大丈夫。
     そして、ポリゴンの新バージョンを作れれば、きっとエミナはもっと満たされてくれるはずだから。私などいなくても、彼女は満足してくれるでしょう。

    「ふむ……それなら、まぁ、いいか。目を開けてくれ。ラマッコロクル」
     だから、私は貴方に能力を行使して、その後を全て貴方に託します。二度と会うこともないでしょうが、ありがとう。エミナの姿が涙ににじむ。私の眼をまじまじと見つめるうちに、ぱたりと倒れたエミナの周りを飛んで、私は彼女に奇跡ともいえるような閃きを与えた。
     さよなら

             ◇

     私達に家族が4人増えた。

    「シネ(1)・トゥプ(2)・レプ(3)・イネプ(4)・アシク(5)……全員健康状態も精神状態も良好。感情メーターも元気いっぱいに稼働しているな」
     本当は、もう一人いるはずだったのだけどその家族とはお別れしてしまったのが残念でならないね。ラマッコロクルが私の記憶を消していかなかったのも何故なんだか……? まぁ、良いわ。
     今でもラマッコロクルの事は思い出しちゃうけれど……今の家族は形こそポリゴン2のまま変わってはいないけれど……確かな感情を備えた生命体だから結構楽しいし。
     思えば、この5人が感情を持ち始めてから御主人は自己管理もある程度出来るようになり、寝食の時間帯はある程度規則的になっていったからいいこと尽くめだ。

    「だが……やはり現状のポリゴン2ではナノマシンも量子コンピューターも処理能力不足だな……まだ感情はひどく不完全だ。まだ改良の余地がある……が、流石に一人では難しい。と、なればここであれを使わない手はないな。そうは思わないか、スタリよ。そして息子達もな」
     相変わらず、御主人は何を言っているのかよくわからないけれど、何か迷案を思いついているような気がするのはなんとなくわかる。

    「お前らに使った、まだ誰にも公開していないナノマシンの新技術の特許を無料で引き渡す代わりに、色々な条件を飲んでもらうというカードを切るのだよ。かつての同僚及び、その会社のお偉いさんを相手にな。
     あれの特許を取れば、私は一生遊んでいられるだろうがな。だが、私はお前達息子のためにそれを投げ捨てて、金よりも大切なものを手に入れようと思っているのだよ。どうだ、スタリは関係ないから喜ばなくても構わんが、他の5人は喜んでも構わんぞ」
     ふふ、前半は何を言っているのかは全く分からなかったけれど、お金よりも大切なものを手に入れるために色々やると言うのは分かったよ。それって、家族の心がもっともっと本格的になるってことなんだから、私も喜んじゃうよ。
     ポリゴン達も「すげー」とか「俺達パワーアップゥ!!」とか言いながら、皆が皆それぞれ思い思いの反応を見せていてかわいらしい。
     こんなの……今までなかったことだ。これがパワーアップなんてしちゃったら、もっと騒がしくなるんだろうなぁ……ホント、喜ばしい限りね。

    「クオゥ」
     だから、私は御主人に肯定の意を示すために上機嫌で鳴いた。
    「なんだ、スタリ? お前も喜ぶとは意外だな……ふむ、まぁいい。そのためには、この街を離れてカントーという地方に行かねばならない。しかも、シンオウのキュウコンはエキノコークスだとか言う炎タイプの寄生虫がいるとかでカントーに行く前に検疫を受けねばならぬからな、今日はポケモンセンターに付き合ってもらうぞ。
     ふむ、そういえば自分自身の検診は久しく受けていなかったな……ガンが再発していなければよいが」
     げぇ、ポケモンセンター? それはちょっと嫌なんだけれどな……
    「ふむ、そう嫌そうな顔をするなスタリよ。カントーに滞在中は家を空ける事が多く世話もろくにしてやれない上に、シネ達は大学へ同行せねばならんからな、その間は育て屋に預けるから嫁探しでもするとよい。なぁに、心配はいらん。この世にはベルクマンの法則というものがあってだな、カントーのキュウコンは皆お前より小さいから、きっと育て屋で大威張り出来るぞ。雌にもモテるのではないのか? 他にもアレンの法則というのもあるが……まぁ、いいか。
     ふむ、まだ不満そうな顔だな……あぁ、そうだ。良い事を考えたぞぉ」
     大威張りや雌にモテるのは美味しい思いが出来るからいいとして……育て屋って何かな? それよりも、また何か迷案?

    「インスタントのホイコーロやミルクジャムを買って、エイチ湖にお参りに行こうではないか。私が去年の冬に思いっきりいい案を閃いた時は、知識の神様の御加護の一つや二つもあったような気がするからな。実際にユクシーの夢まで見てしまったものだぞ……そういえば、ミシンは穴の開いた槍に襲われた夢を見て完成形を見出し、ベンゼンの構造は尻尾を咥えてグルグル回るハブネークを見て思いついたのだと言うな。それと同じような物か。
     私が買っていくのは、同じように夢を見た時、夢の中でユクシーが好物であると宣言した食料だ。そんな夢まで見せられた以上、お供え物の一つくらいしないと罰が当たる。どうだ、スタリよ? 久々に私と遠出しようではないか」
     御主人にとってはあれで遠出なのかぁ……ま。うん、それにしてもユクシーの記憶を消す技はすごい技だけれど、完全じゃないのか、それともユクシーが見せた人為的な夢なのかは知らないけれど……記憶がそのままの私には、こうやって出会えるチャンスが巡ってきたのはすごく嬉しい。
     ポケモンセンターでの健康診断だか何だかという負のおまけつきではあるけれど、負のおまけがその程度ならお釣りがくるくらい嬉しい。

    「クオゥ、ウォウ」
     だから、私は御主人の提案に嬉しいと意思表示するために上機嫌で鳴いた。
     そうして、私はポケモンセンターでの検疫……とか言うのを終えて、その次の日にはエイチ湖へ。春先のエイチ湖は来年の受験に備えての願掛けをする者や、受かった事の報告のために来た者が多い。
     受験など関係のない私には、景色を楽しむ場所でしかないけれど、私の心は景色に向けられてはいなかった。

     ユクシーが魂を湖の底から飛ばして姿を見せる事は今までも何度かあったことらしい。けれど、ユクシーの本体が出ると言うのは本当に珍しい事らしい。ならば、ユクシーが私のもとに翔けてきて、一介のポケモンに話しかけると言うのはどれだけ珍しい事なのかな?
    「なんだ、このメロンパン。随分と人懐っこいではないか?」
    『御主人は幸せかしら?』
     ポケモンにしか分からない上に、かなりの小声でラマッコロクルは私に尋ねた。私が黙って頷くと、ラマッコロクルは目を閉じていても微笑んでいると分かる表情をして、おまけにエミナのバッグに入っていた二つの好物を奪い、それを抱いて湖の底へ潜って行った。
     あっけにとられる観光客の横で、主人は冷静であった。
    「む、なぜバッグの中にこれが入っているのがバレたのだ? しかし、まさかお供え物を盗んだ相手が供えるべき相手だったとはな……これは供える手間が省けて助かるという、稀有な強盗の例だな。それに、お供えを渡すべき相手に直接渡せた事で、エテボースや神社の従業員のエサにならずに済んだのだから好都合この上ない」
     まぁその通りなんですが、面白い解釈をするよね……御主人は。でも、不機嫌じゃないみたいだしまぁ、いいか。

    「ところで、スタリよ……あのユクシーと何か話していたような気もするが……知り合いか?」
     うん、その通りよ。だから私は、その言葉の意思表示のために鳴こうと思う。今のラマッコロクルと私達のやり取りで騒然とした民衆にも負けない声で……
    「クオゥ!!」
     と鳴く。
    「なんだ、知り合いか。有名人とコネを作っているとは流石スタリ、飼い主に似て優秀だな」
     そう言って笑った主人の顔が、私は何よりも嬉しかった。


      [No.943] 怪しいパッチ:15 投稿者:リング   投稿日:2012/04/02(Mon) 21:52:39     60clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    -15-

    「ほう、やはりお前はそんな力を持っていたのか。『ユクシーが飛び回ったことで、人々に物事を解決する知恵というものが生まれた』という伝説が残るだけの事はある……メロンパンのような見た目に反して意外と高い能力の持ち主なのだな」
     私が、こうしてエミナに全てを話そうと思った理由は、アグノムに笑われないためにも……という初志貫徹の誓いからだけではないでしょう。彼女の幸福の形が子供を産むことでしたら……こうすることが一番良い方法だと思いましたから。
     私は、辛いですが……エミナが喜ぶのならばそれも良いかと思う自分がいます。

    「しかし、それを話すのは……勇気が必要だったろうな。私はね、お前達神々の事情については詳しくない……『ユクシーが宙を飛びまわれば、モノを生み出す閃きを与える』どうのこうのと言う伝説は知っていたが……もし私からそのお話を持ちかけてしまえばお前を追い詰めてしまうような気がしたから、私からは言えなかった。
     それに……私がお前に『恩返しをするつもりならば、このコードを完成させてくれ』と言ったりなんかして、もお前が私をおいてけぼりにする勢いで完成させてしまったら……それでは、私が子供を生み出した事にならない。そう言う事もあるだろうからと思って……このコードの開発はお前が自発的に手伝うに任せたが……いやはや、本当にそんな能力を持っているとはな」
    「でしたら、私が閃きを与えてしまっては……それも意味がないのでは? 自分で生み出したことにはならないのでは?」
    「そうだな。ふむ、確かにそうかもしれないが……『お前がキーボードを叩いて完成させる』のと、『お前から与えられた閃きを私が受け取り、自身の知識と合わせて私がキーボードを叩き完成させる』の……似ているようで違うと思わないか?
     前者は、お前が完成させ生み出した事になるだろう。だが……後者は、何かに似ていないか?」
    「何か……ですか?」
     私は見当がまるで付かずに、オウム返しに尋ね返しました。

    「『子作り』だよ。男から与えられた精子を受け取り、自身の卵子と組み合わせて女が腹を膨らませ子を産む。これと似てはいないか? そうだよ、私は大切な事を忘れていたのだ……子作りとは本来二人でするものだとな。
     お前は無条件で人間に技術を与えることはできない。人間はお前なしでは技術を生み出す事が出来ない……そう、一つだけでは何かを為せないのは子作りと同じ。だからな、私は思うのだよ。
     ラマッコロクル……お前がユクシーの力を行使することこそが、このプログラムの完成への最も自然な道であるとな……いいじゃないか、自然な形なら」
     あぁ、ついにエミナはその言葉を言ってしまいました。でも、それにまるで反論できない不甲斐ない自分がいます……それとも反論できないのではなく納得しているのでしょうか? 分かりません……
    「でも、記憶を……貴方は、私との記憶を……」

    「ふむ、案ずるな。悩む事が恥とは思わない……今日の夕食をどうしようかと悩むよりもいいことだと思うぞ。私一人の人生を……いや、もっともっと多くの者の人生を狂わせかねない決断だ。悩まない方がおかしい。
     それにな……私も、お前がいる生活は好きだ。このポリゴンに感情を与える機構を作った後に私の生活のリズムが改善されるとは限らない。そう考えると、お前がいてくれた方が長生きできるかもしれない。
     それにポケモンが夫というのも悪くないな。しかもそれが神と呼ばれるポケモンならば尚更だ。『人と結婚したポケモンがいた。ポケモンと結婚した人がいた。昔は人もポケモンも同じだったから普通の事だった』シンオウにはこんな伝説もあるくらいだ。
     お前の一生分を私は救った。ならば、お前は私の一生分の恩を返すのが筋というものだ。では、一生分の恩とは。どうやって返せばよいのか?
     私を残りの一生分幸福にするか、一生かかっても叶えられない夢をかなえてやるか……2倍長生きさせるか。どれが正解かは価値観によるであろうが、私は大体こんなところだと思っている。
     お前が出来るのはこのうちの前二つかな? 私への恩返しについて考えているのであれば……どちらでもよい。お前の好きな方を選べ。どっちを選んだとしても私は構わんぞ。
     なぜなら、私はお前のその気持ちが嬉しいのだからな」

     ぴしゃりと言い放ち、エミナはまたパソコンへと向かっていきました。私は、浮きつくしていました。
     まだ。一ヶ月かそこらの付き合いしかないというのに、どうしてこんなにも気にかけてしまうのか。どこか似ているところがあるのかもしれないとエミナは言いましたが、それだけでは説明がつかない。
     だとしたら……エミナもスタリも私も認めてしまっている、『私達は家族である』と、言う認識が気にかけさせているのかもしれません。

     思えば私は……この日々を忘れることはないというのに、エミナは忘れてしまえる。そんなの不公平だ。けれど……エミナが幸せならそれでいいと思える自分もいる。そして、それに踏み切る事が出来ない私は……未熟者なのでしょうか? それとも、当然のことなのでしょうか? 分からない……

    「私は……こんな能力を持たなければ……悩む事なんてなかったのに」
     私は、いつの間にか泣き言を吐きだしていた。防音壁で周囲から隔絶されたこの部屋は恐ろしく静かで、自分の声がよく響いた。気がつけば、エミナがキーボードを叩く音が止まっている。

    「ラマッコロクルよ。いいか? 自分の体を嘆くな。私は、若くして禿げ頭の女性になっても、子供が産めない体になってもあきらめなかったのだぞ。ラマッコロクルよ……お前の頭に詰まっているのはメロンパンではなく味噌だ。
     だから、私の言った言葉の意味が分かるはずだ。嘘いつわりのない正直な気持ちとして言うぞ。聞く準備は出来ているか?」
    「……はい」
     私も、嘘偽りのない言葉で頷いた。

    「私は私の幸せを喜ぶ。お前はお前の幸せを喜ぶだろう。そして……私はお前の不幸は嫌だし、お前の幸せは嬉しい。お前もきっと同じなのだろうな……だからこそ、私は……お前がどちらの道を選んでも構わないのだ。お前が私の記憶を消すことで不幸になっても……私は素直には喜べないからな。私はお前の存在を忘れるらしいから、後始末が良いとしても……今、この瞬間においての私はなんだか釈然としない。
     私も……少し意外だったぞ。以前の私ならば……迷わず『閃きをくれ』と言っただろうにな。なるほど、これが愛なのだろうな。『愛は予想外、愛はイレギュラー』……とな。ふむ、私は私自身がイレギュラーであるためにイレギュラーに強い存在だと思っていたが……どうやら、私もイレギュラーに弱かったようだ」
     そのエミナの言葉を聞いて私は、溶けるように胸のつかえがなくなっていくのを感じていた。


      [No.942] 第19話「縁側の駐在」 投稿者:あつあつおでん   《URL》   投稿日:2012/04/02(Mon) 13:35:59     73clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    「さて、仕事は終わったがまだ日没には早い。本屋にでも寄るか」

     10月17日、土曜の午後4時30分。部活と部員の勉強の世話を終わらせた俺は、家路についていた。日は傾き、徐々に海が朱色を受け入れていく。空も同様だ。鱗雲、別名巻積雲が燃えるように輝き、秋の夕焼けを感じさせる情景である。

     そうした情緒ある時間で、俺は本屋に向かっていた。たまには立ち読みでもして、有益なネタを拾っとかねえとな。だが、何者かの声が俺の行く手を阻んだ。

    「おーい、そこの手拭いかぶった坊や!」

    「な、なんだ?」

     俺は辺りを見回した。あるものと言えば、せいぜい交番くらいである。しかし、声はその交番から聞こえてきた気がする。そこでその方向を凝視した。交番は今の位置から30メートル程離れているのだが、よく見れば縁側に誰かいるようだ。

    「こっちじゃよこっち! 暇なら話でもしようじゃないかい!」

     あれは……以前出くわした駐在か。夜通し尋問されたから、良く覚えているぜ。まあ、呼ばれて無視する道理はねえ。俺はゆっくり交番へ歩を進めた。そして駐在に声をかける。

    「爺さん、確かナツメグとか言ったな。こんな所で詰めていたのか」

    「だから爺さんではないわ! そう言うお主はテンサイだな、ナズナちゃんと同棲している……」

    「おい、それ以上言うな。誤解を招く」

    「なんじゃ、つまらんの」

     爺さんは口を動かすのを一旦止めた。縁側にたたずむ爺さんは、白髪の上に警察の帽子をかぶり、制服にはしわ1つ見当たらない。また、腰には警棒とボールを2個備えている。

     そんな生真面目な爺さんは、ふと俺にこう尋ねてきた。

    「ところで坊や、タンバでの暮らしには慣れたか? 中々良い町じゃろうて」

    「ああ、まあまあな。やっとこの辺りの地理を思い出した気がするぜ。若い頃に旅で来たが、昔とほとんど雰囲気が変わらねえ、良い町だ」

     俺は無難に答えた。よくよく考えれば、俺がこの町に流れ着いてからもう2ヶ月も経つのか。ポケモンリーグを目指していた若かりし頃は、1日過ぎるのすら待ち遠しかった。しかし今は2ヶ月があっと言う間。年を実感せざるを得ないな。

     さて、俺がたわいもないことに思慮を巡らせていると、爺さんは力の無い言葉を放った。

    「……じゃろうな。最近は人が減っておるから、どうにも開発が行われないんじゃよ」

    「なるほど。そういや、確かに人はまばらだな」

     ……以前町に向かったことがあるが、店に対して客の数が明らかに少なかった。特に子供は、いないも同然な状態だった。人が減っているのは確からしいな。

    「ほれ、あれを見てみなさい。たくさん家が建っておるじゃろ?」

    「ん? 言われてみれば、崖にハイカラな住宅があるな。木々が手入れされてねえから見過ごしてたぜ」

     俺は、爺さんが指差す先を注視した。その方向には、町の西にある山がそびえている。山と言っても形は段々となってあり、そこに多数の建築物が敷き詰められている格好だ。例えるなら、映画の舞台になりそうな様子である。だが、そこかしこに雑草や雑木が繁茂しており、住宅はたいそう景色に溶け込んでいる。

    「無理もないの。なにせ、あれらは皆空き家なのじゃから」

    「……あの全てが空き家だと?」

     おいおい、ちょっと冗談がきついぜ。しかし冗談などではないのは、爺さんのしわが次第に増えていくことからも明らかだった。

    「ニュータウンと言うのかの。タンバ周辺には平地があまり無いから、あのような場所に家を建て、道も整備したんじゃ。しかしその目論見は崩れ、ご覧の有様じゃよ。もうこの辺りで活気があるのは、町の中心部とサファリパーク以外には無いぞ」

     爺さんの口から不意に出てきたある言葉に、俺は不覚にも吹いた。すぐさま俺は追究する。

    「さ、サファリパーク? おいおい爺さん、サファリと言えばカントーのセキチクシティだろ。あるいはホウエンのミナモシティ近辺、シンオウのノモセシティだ。ジョウト地方にサファリパークなど……」

    「なんじゃ、知らんのか? やはり坊やじゃのう。仕方ない、流行の最先端を走るこのわしが教えてしんぜよう。10年程前にな、バオバと言う男がジョウトでサファリパークを開いたのじゃ。セキチクのサファリを畳んで来たから大したもんよ。で、最近は他地方のポケモンも入れてかなり儲けているようじゃ」

     爺さんは胸を張って説明した。10年前からある施設のどこが流行の最先端だと突っ込みたいところだが、んなこたあどうでも良い。あのサファリパークが近所にあるのか、しかも他地方のポケモンまでいると。

    「それは耳寄りな話だ。案外、戦力確保に使えるかもしれねえな」

     俺は小声でつぶやいた。ジョウトにいるポケモンは種類が少ないから、選択肢が増えるのはありがたい限りだ。

    「そう言えば、ナズナちゃんから聞いたが、坊やはタンバ学園であのポケモンバトル部の顧問をやっとるそうじゃないか」

    「ああ、そうだが?」

    「……ここだけの話じゃが、例の事件以降、部に対する町の人達の見方は厳しくなる一方なんじゃ。以前は強いからって、あれ程応援しておったのに」

     爺さんは先程より一層しわを増やした。ここまでやれば、ある種の隠し芸と言えるかもな。しかし、今の言葉には思い当たる節がある。どうにも町の奴らが近づいてこないのも、それが理由か。

    「手のひらを返したと言うわけだ。ま、気にするこたあねえさ爺さん。よくある話だからな、『何故起こったのか』を追究することなく、ただただ非難に終始するのは」

     全く、世情にいとも簡単に流される奴らが多いのは嘆かわしいもんだぜ。俺も、かつてそれによって潰されたから、十分承知はしていたが。まあ、逆に言えば、結果を出せば奴らは途端に英雄扱いをしてくるわけだ。嬉しくもなんともないが、黙らせるにはこれが最も有効だろうな。

     そう言えば、今何時だ? 俺は懐中時計をチェックした。おっと、もう5時か。そろそろ家に帰らねえとナズナが怒っちまう。ここらが引き際だな。

    「さてと、俺はそろそろ帰らせてもらうぜ。俺は世事には疎いからよ、また何かあったら教えてくれ」

    「なんじゃ、もう帰るのか? 仕方ないのう。まあ、また時間があれば来なさい。じゃが自分で調べるのも怠るんじゃないぞ、坊や」

    「合点だ」

     俺はゆっくりうなずくと、ますます赤くなった夕日を背に家に戻るのであった。


    ・次回予告

    さて、俺は部員達を連れてサファリにやって来た。もちろん試合で使うポケモンを探すためだが、この機会を無駄にする理由は無い。俺も久々に新しく捕まえてみるか。次回、第20話「サファリパーク、未知のポケモン」。俺の明日は俺が決める。


    ・あつあ通信vol.85

    今作はモブキャラを大量に書けるようになることを目標の1つに据えているのですが、どうにも1人1人に手をかけたくなっちゃうんですよ。ナツメグさんもその1人。出したからには使わないともったいないと何回も起用するうちに、モブがそこまで出ないまま最終話にたどり着く……これはできれば避けたいところです。まあ、今作は余裕で100話いくでしょうから大丈夫だとは思いますが。


    あつあ通信vol.85、編者あつあつおでん


      [No.941] 怪しいパッチ:14 投稿者:リング   投稿日:2012/04/01(Sun) 20:51:04     64clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    -14-

    「ところで、ラマッコロクルよ。そろそろ腹が減ったから、食事の用意をしてくれ」
    「あの、そういうセリフは冷蔵庫を空にした状態で言わないでください。私は何もないところから食料が出せるような魔法使いではないのですが」
     自己管理が下手だとは思っていましたが、やはり……なのですか。こういう所は恩返しに来ない方が良かったと思える……

    「おや、それならば言ってくれればよいのに」
    「貴方はジュースをとるために何度も冷蔵庫を開けたでしょう。それで気がついて下さい」
     こんな漫才のようなやり取りが、本当にあるなんて常軌を逸しすぎている気がします。

    「ふむ、確かにそうだな……あと一日でシネに試作コードを試してやれるところまで漕ぎつけたというのにな……このまま買い物に行くのはいささかもったいないな」
     さて、そんな事を言いながらエミナは考え込んでしまいましたが、どんな迷案が飛び出してくるのやら……
    「ふむ、では仕方がない。スタリ用の缶詰でも食すとするか」
    「いや、あれ……おもに肉食ポケモン用のポケフーズでしょう? ていうか、スタリ用って自分で言っていますし……」
    「大丈夫だ。あれはあれで、避難民の配給食などよりよっぽど美味いと聞くぞ。というか、スタリ用の缶詰は私が食べてうまいと思ったものを選んでいるからな。
     あぁ、地下収納で保存しているから冷たくなっているからな。缶詰のまま電子レンジで加熱することはいけないから皿に開けて温めなくてはな。頼んだぞ」
     スタリから聞いた時は信じられないと思いましたが、やっぱりこの人常軌を逸しすぎています。こういう事をやっているうちにスタリの餌までが尽きてしまった事もあるとかで……スタリが趣味にしている狩りもその時に切羽詰ったから覚えたと彼は言いますが……納得ですね。
     スタリがしっかり者になる理由もわかる気がします。同時に変わり者になる理由も……ですが。
     こんなエミナですが、私への気遣いは何があっても忘れない……私がこの家に来てから最初に街へ行く時は家で待機を命じられましたが、今は最高級のゴージャスボールに入れて持ち歩いてくれますし、インスタントホイコーロやミルクジャムもきちんと買ってきてくれますし……だらしないけれど、本当に悪い人じゃないのですよね。

     それだけに……辛い。
     彼女はやはり紛れもなく天才……いや、鬼才ですが、このペースで人間の感情を作るには後50年以上は完成に時間がかかる。私が彼女の周りを飛び回り、力を行使すれば一息に完成させられるほどの閃きを彼女に与えられる……けれど、それは普通は許されない。
     許されるためには『自身の能力でオーバーテクノロジーの知識を与えた者に対し、自分が接触した記憶を一切残してはならない』事が原初の神より与えられた条件だから。
     もし、私が彼女に新しい『モノ』を生み出すひらめきを与えるならば、彼女と私が共同生活をした記憶を全て消さなければならない。今更、彼女の記憶を消してしまう事なんて、私には出来ない。私は……家族の一員になったような気がして、もう彼女たちと離れたくなくなっているから……

             ◇

     スタリから狩りの誘いを受けた私は、誘われるがままについて行った。その時私は上の空で、狩りに集中できていないのは誰の目にも明白で、それをスタリに見破られて、気がつけば私は悩みを洗いざらい話していた。

    「私……もうどうすれば良いのか、分かりません……私、エミナさんの記憶を消したくないです」
    『そっかぁ……それを御主人に話したらしたら何と言うか、寂しくなりそうね』
     私は、スタリの言葉にしばらく言葉を返せなかった。

    「それってつまり……エミナは、記憶を消して目的を果たすのと……私と一緒にいるのを天秤にかけた時……ほぼ確実に『記憶を消して閃きを得る』方を選ぶって……事でしょうか?」
    『御主人ね、めったに涙を見せないわ。でも、私にだけは愚痴も泣き言も打ち明けるの……ポケモンはどうせ喋られないからってタカをくくっているのでしょうね。そんなご主人がね、漏らしてくれたの。自分が子供を作れない体になった時……まだ彼氏もいなければ男性経験も無いというのに、一生独身かもしれない癖に、盛大に泣いたそうよ。それで、この研究を立案して、それに賛同が得られなくって……現実逃避するようにここ、シンオウへ来た。その時私は、生後2カ月で電柱に張り付けられた里親募集の張り紙を通じて出会ってね……今話しているのもその時に漏らしてくれたお話
     でも、研究を始めて5年目……だったかしらね。ソースコードだとか言う訳の分からないものの新しいバージョンを作り始めてから2年ね。この研究を生きているうちに完成させるのは多分無理だって悟っていた……』
     主人との出会いを懐かしみながらスタリは続ける。私は、何も言い返す事が出来ずにその言葉をただ聴いていた。

    『悟って、それでも意固地になって『なあに、奇跡が起これば完成させられない事はないさ』と言って……主人はあの家の作業室に籠り続けた』
     奇跡が。奇跡ってそれは……
     スタリが立ち止り、私の閉じられた目をまっすぐに見る。

    『そして今、貴方に出会うという奇跡が起こった。まだ、御主人は貴方のことをただの賢いポケモンとしか認識していないと思いますけれど……別れが辛いならば、ご主人には話さない事ですよ……ほぼ確実に、御主人が選ぶ道は決まっていますから』
     確かにそうなのであろう。エミナはきっと、私と一緒にいる道を選びはしない。だとすれば……私が恩返しとして彼女へ報いるためには、彼女の記憶を消して閃きを与えることが正解なのでしょうか?
     分からない……いや、私が考えてわかるはずもないのだ。恩を受け取るべき人間に聞くのがきっと一番早い。

     けれど……私はエミナと一緒にいたいのに。暗にそれを許さないと宣告するであろう彼女の返答が私はひたすら怖くて、何も手につかない。この日私がスタリの狩りを手伝う事はとうとう出来なかった。


      [No.940] [外伝]ポモペ 投稿者:ヨクアターラナイ   投稿日:2012/04/01(Sun) 15:23:07     62clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    POCKET
    MONSTER
    PARENT
    番外編




    『玉』




    半分だけ眠っているような感覚で、私は気持ちよくまどろんでいた。
    うとうとしていると、ドッドッドッ、とテンポのよい音がかすかに聞こえてきた。
    鈍い音に合わせて大地が震えているのが分かる。

    ―――足音だ!

    眠っていた私の肉体に、冷や水を浴びたかのような衝撃が走った。
    全ての余裕を失い、替わりに身の毛もよだつ恐怖の念が心を満たしていく。
    私は目を覚ました。
    緊急事態を告げるように心臓の音がバクバクと鳴り響いている。
    それから、ふと思い出して、慌てて、隣で眠る私の娘を叩き起こした。


    「起きなさい! チカ! 起きろ!」


    赤い頬をペチペチ叩き、わめくように大声で呼びかけた。
    娘の黒く丸い瞳がゆっくりと開いた。


    「んもぅ、何なの? パパなの?」


    弱弱しい声が返ってくる。
    私の娘のチカはうっとおしそうに寝ぼけている様子だ。
    対して、私は真剣なまなざしを送り、言った。


    「魔王が来る!」


    チカはポカンとした表情を見せてから、取り乱したように跳ね起きた。
    スムーズに立ち上がれないほど、チカはびくびくうろたえていた。



    朝日が見えるよりも早い時刻であった。
    見える全てが薄暗く、世界が青い影に覆われているかのようだ。


    「急げチカ! もっと速く!」


    私とチカは背の高い草原の中を疾走していた。
    草の中に身を隠すよう、四つん這いとなって駆け抜ける。


    「足を止めるな! 走れ! 全力で逃げるんだ!」


    私はチカを先に走らせ、草の中に消えていくのを確認した。
    そして、ふと、立ち止まる。
    私の背中の向こうから、息が詰まるほどの重苦しい空気が流れ込んできた。
    そこに何がいるのかを確認しなければならない。
    恐る恐る振り返った。

    雲一つない、夜の色を残した空を背景にして、巨大な影が揺れ動いていた。
    高く太い柱のような影が徐々に近付いて来る。
    足音が大きくなるにつれて、次第にその姿がハッキリと映った。
    それは巨大な、二足歩行の、のっぺりとした、異形の化け物であった。
    間違いなく、私達が魔王と呼ぶ生き物であった。

    魔王とは、凄まじく強大な力を持っていながら、残虐性の高い、全く言葉の通じない生き物だ。
    手のほどこしようがない最低で最悪のモンスターである。
    無力で弱小な私達には、逃げる以外に選択肢はなかった。

    身を堅くして眺めている今も、魔王はじわじわと迫りくる。
    真っ直ぐこちらに迫りくる。

    ―――狙われている!

    私は、死に怖気づいた。
    全身から冷や汗がドバドバと流れた。
    今になって、チカの無事を思い煩う。
    胸騒ぎがする。
    気が気でなくなった私は、全速力でチカを追いかけた。
    落ち着きを忘れて、魔王の傍から全力で逃げ出した。
    本気で足を動かしてるのに、体が重さがもどかしくってたまらない。



    さえぎる草の行列を、頭で突っ切って走る。
    走り続ける。
    しばらくして顔を上げると、ようやくチカの姿が見えた。
    ずいぶんと移動速度が落ちている。
    息を切らしているらしい。
    そして、ようやく私はチカの隣にたどり着く。
    その時だった。
    いきなり前方から突風が吹きすさぶ。
    何の前触れもなく、嵐が襲ってきた。
    私は力んで地面を踏み付けた。
    冷たく激しい風に飛ばされないよう、チカを支えて踏ん張った。


    「こんな時にっ! 一体何なんだ!」


    風が止むまで耐え凌ぐと、私の目の前には足があった。
    太くたくましく鋭い爪の伸びた脚だ。
    そこにいたのは、尻尾の長い、翼を広げた、首の伸びた、怪獣だった。
    ドラゴンだった。
    私は顔を上げて、魔王よりも大きなドラゴンと視線を交わす。
    その脅威に気圧されそうになったが、逃げるわけにはいかない。
    私の腰からびくびくと震えるチカの感触が伝わっていたからだ。
    無い勇気を無理矢理しぼりだし、私は勇んで申し出た。


    「急いでるんだ! そこを退いてくれ!」

    「断る」


    ドラゴンが言った。
    地の奥底から響いてきたようなしゃがれ声だった。


    「何の用だ! 後にしてくれ!」

    「我が主がお前達の命を強く渇望しておる。大人しくその身を捧げるのだ」

    「お前……魔王の下僕か!」

    「魔王? 下僕? ……クックックッ、なるほど。上手く言い当てておるなぁ」


    ドラゴンはのん気に感心している様子だった。

    にわかに、空から声が降って来た。
    咄嗟に私は身構える。
    呪文のような荒唐無稽な言語が頭の上から流れていた。
    私は周囲をキョロキョロと警戒していたが、娘もドラゴンも口を開けてはいなかった。
    ハッと思い立って、後ろを見た。
    巨大な悪の姿がそこにはあった。
    魔王がいた。
    全身を視界に収まりきれないほど近い所にいた。
    背筋が凍りついた。
    一瞬、体が硬直して息が抜けなくなった。
    魔王は呪文を言い終える。
    そして、ドラゴンは口走る。


    「アンタが邪魔だとよ」


    ゾッとするほど冷たい一言だった。
    ドラゴンはツバを吐き捨てるように、口から真っ赤な閃光を放った。
    閃光はビュンと飛来し、私の胸に触れ、爆発した。
    立ちくらみがするほどの、強い光が視界を奪った。
    鼓膜の奥にまで轟音の濁流が押し寄せてきた。

    私の全身は、真っ赤な炎に覆われていた。
    私の肉体は、真っ赤な炎に蝕まれていた。
    激痛と間違うほどの灼熱が体中を襲った。
    思わず悲鳴を上げようとした。
    しかし、その途端に、炎も感覚も消え失せてしまう。
    温度も、痛みも、恐怖も、何も感じなくなった。
    世界がフラッと傾いて、私は倒れた。

    力を入れているのに体が動かない。
    どうやら私はドラゴンにやられてしまったようだ。
    自分の弱さに情けなくなった。

    私を燃やした炎は、周囲もろとも焼き尽くしてしまった。
    辺り一面に黒く焦げた草が、全部しおれて煙を上げていた。


    「パパァ!」


    助けを求める声がした。
    さえぎる草は影も無く、チカの姿がハッキリと見えた。
    そのすぐ隣に、ドラゴンと魔王の下半身があった。
    絶望した。
    チカは血の気を失った顔色で、表情をひきつらせている。
    このままだと、今まで大事にしてきた私の宝物が無くなってしまう。
    居ても立っても居られない。
    それなのに、体が動かない。
    もどかしくて、あせって、いらだって私は怒鳴った。


    「チカっ! 逃げろっ!」


    しかし、チカは動かなかった。
    びくびく小刻みに震えるだけだった。
    腰が抜けてしまったのだろうか。
    チカが恐怖で動けないのだと思うと、私は胸が張り裂けそうになった。
    もうほとんどあきらめていた。

    魔王の下半身がわずかに動いた。
    すると、空から何かの塊が降ってきた。
    スッと弧を描いて墜落する。
    私の娘の頭の上に。


    「チカッ!」


    ギョッとした。
    叫んでいた。
    音が聞こえなくなって、頭の中が真っ白になった。
    この体が自分の物じゃないような感覚になって、
    心臓の鼓動が遠くなって、
    まるで生きた心地がしないでいた。

    チカが死んだ。
    私はそう思い込んでいた。
    しかし、目の前の現実は違っていた。
    チカは閉じ込められていた。
    魔王が落としたオリの中に閉じ込められていた。
    赤と白の丸い玉のようなオリに。


    「何これ! 何なの! 出してよ! ここから出してっ!」


    オリの中の絶叫は、小声となって私に聴こえた。
    紅白の玉のオリは、チカの声を発しながら、右往左往に激しく揺れ始める。


    「待ってろ! 今、助けてやるからな!」


    私は手足がバタバタと動かしていた。
    まるで陸地で跳ねるコイキングのように、横たわって震えていた。
    娘がピンチなのに、助けてあげたいのに、私の体が立ち上がることはなかった。


    「助けて! 怖いよ! パパ、助けて! お願い、出してよぉ!」

    「もうちょっとだ! あと少し頑張ってくれ! チカ! ……チカ?」


    ついさっきまで玉のオリはゴロンゴロンと転がり回っていた。
    今は凍りついたかのように静止している。
    静寂が流れた。
    チカが言葉を返してくれなくなった。
    時が止まったのかと勘違いをした。
    いつまでたっても玉のオリはピクリとも動かない。
    まるで死んでしまったかのように動かない。


    「チカ! チカ! おい! 返事をしろ! してくれっ!」

    「もう遅い」


    ドラゴンがやけに沈んだ声で言った。


    「うるさいっ! 何が遅いもんか! チカ! パパはここにいるぞ! チカ!」


    私は娘の名前を叫んだ。
    馬鹿みたいに何度も呼んだ。
    怒り狂ったかのように、チカの言葉を求め続けた。
    しかし、何も起こらない。
    チカの気配は全く感じられなかった。
    目の前にある玉のオリは微動だにしない。

    チカの入った玉のオリを、魔王は軽々しく拾い上げた。
    まるで重さなんてないかのように。
    魔王は私の娘を閉じ込めたあげく、無慈悲にも連れ去ろうとしている。
    許せなかった。
    あまりの傍若無人さに腹が立った。


    「おい、まて! ふざけるな! チカをどこに連れて行こうっていうんだ! 身勝手すぎるぞ!」

    「案ずるな」

    「黙れドラゴン! 悪魔の手先め!」

    「昔、まったく同じ目にあったことがある。嫌な思い出ではあるが、今はけっこう満足しておるぞ」

    「ワケの分からないことを! 待て魔王! どこへ行く気だ! 答えろ! 答えろよぉ!」


    横たわったままの私に、ドラゴンが哀れむような眼差しを向ける。
    同情してくれているかのように見えた。
    協力してくれるかもしれない。
    馬鹿げた発想をした私は、淡い期待を胸に、尋ねた。


    「待てドラゴン! 娘を返してくれ! その替わりに私が!」

    「無理だ。ひんし状態じゃ、捕まえられない。あきらめろ」


    ワケの分からないことを言って、ドラゴンは私に背を向けた。
    何度も止まるよう叫んでみたが、ドラゴンが歩みを止める気配はなかった。

    二つの背中は、ゆっくりと私から遠ざかって行く。
    私は、ただひたすら憎しみの念を投げ続けた。
    声がかれても叫んでいた。

    あっという間に、二体の悪魔の姿が見えなくなってしまった。
    チカが私の隣からいなくなってしまった。
    急に悲しくなって、目頭が熱くなった。


    「うおぉおおおおお!」


    私は大声で叫んだ。
    現実を声で振り払うようにわめき散らした。
    まるで赤子のように声を上げて涙を流した。
    誰もが眠る静かな朝に、醜い声が嫌にハッキりと聴こえた。
    生きる望みを失くした今も、私の命は続いている。


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