マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  •   [No.1452] おはよう 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/10(Thu) 20:50:02     33clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    おはよう



     ぼくは、サラマンドラです。
     むかし博士のところにいた時は、ぼくはただのヒトカゲでした。博士のとこには他にも何匹かヒトカゲいました。
     でも、ぼくはご主人様に出会えたので、もうサラマンドラです。
     ご主人様は、ちょっと変わった服装の、黒髪に灰色の瞳のひとです。でもそっくりな人が他に三人いるので、慣れないとちょっと困ります。
     ぼくのご主人様はレイアという名前です。お耳に赤いピアスをつけていて、前髪はいつも鼻にかかっていて、ちょっと目つきは悪くて、歩き方は大股でちょっぴり猫背で、鋭い大声を出して、でも普段はとっても優しい、ぼくの相棒です。それがレイアです。


     レイアと出会う前は、ぼくはサラマンドラじゃなくて、ふしやまもふしやまじゃなくて、ピカさんもピカさんじゃなくて、アクエリアスもアクエリアスじゃなかったです。
     博士の研究所には、ぼく以外にヒトカゲは何匹かいましたし、ふしやまじゃなかった頃のふしやま以外にもフシギダネは何匹かいましたし、ピカさんじゃなかった頃のピカさん以外にもピカチュウは何匹かいましたし、アクエリアスじゃなかった頃のアクエリアス以外にもゼニガメは何匹かいました。
     でも、ぼくとふしやまとピカさんとアクエリアスは、ずっと一緒でした。それぞれの仲間より、四匹で一緒にいる方が楽しかったのです。四匹で探検隊を結成して、博士の研究所を探検して、こっそり外の街にも探検しに行って、博士の助手の人に何度も連れ戻されました。とても楽しかったです。
     あの頃の楽しかったことを思い出していると、どうにも、ぼくは昔からサラマンドラで、ふしやまは最初からふしやまで、ピカさんはずっとピカさんで、アクエリアスはいつもアクエリアスだったような気がします。
     だから、ぼくたち四匹は、ご主人様に名前を貰って初めて、命を始めたのだと思います。


     もう少し、思い出していきます。
     博士は、新人トレーナー用のポケモンのお世話をしていて、そういうポケモンは新しく旅をするトレーナーに貰われていきます。
     ぼくとふしやまとピカさんとアクエリアスも、そうでした。
     僕ら四匹も新人トレーナーのために育てられてました。
     ほんとはぼくらと違う、ハリマロンとかフォッコとかケロマツの三匹が手渡されることが多いです。なぜかというと、ハリマロンとフォッコとケロマツというのはこのカロス地方だけで生息する、いわばカロスの文化を代表するポケモンとされているからです。なので、カロスのトレーナーを育てるために、このカロスに愛着を持ってもらえるようにと、新人トレーナーにはカロスのポケモンを渡すんです。
     で、ヒトカゲとフシギダネとピカチュウとゼニガメは、カロスのポケモンではないみたいです。
     なのになぜ博士がぼくらを育てていたかというと、やっぱり新人トレーナーのためです。新人トレーナーが最初に渡されたポケモンだけでは、どうしてもポケモンのタイプが偏ってしまって、バトルで不利になるのです。なので、補助的に、もう一匹別のポケモンを与えることがあるみたいです。
     博士の研究所にいた頃は、ポケモンのタイプとか相性とか全くわからなかったので、ぼくらがなぜここにいるのか、これからどうなるかなんて全く考えてなかったです。
     ただ、ある日博士がにこにこ笑って、ぼくとふしやまとピカさんとアクエリアスを集めて、ぼくら四匹のご主人様が決まったと言ってきたので、そうかと思っただけです。
     これからは、自由に探検できます。
     でも、ふしやまやピカさんやアクエリアスと離れ離れになるのはさみしいなあと思って、ちょっと泣きました。
     ふしやまはよく分かんなかったですけど、ピカさんは「変なトレーナーに貰われてくぐれぇならミクダリハン突きつけて出てってやるわ」とか息巻いてましたし、アクエリアスは毎日癇癪を起こして泣き喚いて、とてもたいへんでした。


     で、ぼくら四匹が引き合わされたのは、そっくりな四人の人間の子供でした。
     みんな腰まで黒髪を伸ばしていて、曇り空みたいな灰色の瞳で、そして裾とか袖のたっぷりした変わった服を着ていました。お香みたいな、甘い不思議なにおいも漂ってきました。
     赤い着物の人、緑の着物の人、黄の着物の人、青の着物の人。
     四人は仲良さそうに手を繋いでましたけど、なんだか不機嫌そうに俯いてました。でも、ぼくとふしやまさんとピカさんとアクエリアスを見たとたん、四人はぱあっと顔を輝かせて飛びかかってきました。
     びっくりしました。
     赤い着物のレイアは、迷うことなくぼくを拾い上げました。
     ふしやまは緑の着物の、キョウキという人におとなしく抱き上げられました。
     ピカさんは、黄の着物のセッカという人に思いきり頬ずりされて、ぽかんとしてました。
     アクエリアスは、青の着物のサクヤという人に拾い上げられ、ただただその人と見つめ合ってました。


     そのそっくりな四人は、きょうだいなのです。一つのタマゴから孵ったきょうだいなんだそうです。だからそっくりなんですって。
     そういうわけなので、別々に貰われていったぼくとふしやまとピカさんとアクエリアスも、これっきり会えないのではなくて、ときどき会えるみたいだということが分かりました。
     なのでちょっとさみしかったですけど、ぼくは赤い着物のレイアと一緒に旅を始めました。
     ぼくが小さくて足が遅いので、レイアはぼくを脇に抱えて歩きます。寒いときはぼくを抱きしめてくれます。寝るときも一緒です。ぼくの尻尾の炎で木の実やパンを炙って一緒に食べることもあります。ぼくとレイアはいつも一緒です。
     レイアは色々なことを教えてくれました。色々なポケモン、そのタイプ、相性、技のタイプ。他にもきのみなんかの道具の使い方も教えてくれました。レイアはとても物知りで賢いです。レイアの言う通りに戦えば、大体バトルで勝てました。
     レイアはモンスターボールで仲間を増やして、何だかんだで今はぼく以外に、ヘルガーのインフェルノ、ガメノデスのなのです、マグマッグのマグカップ、そして新入りさんのエーフィの真珠と、ニンフィアの珊瑚。全員で六匹体勢でレイアを守ってます。
     ぼくはレイアの手持ちのリーダーです。
     何しろ一番レイアのことを知ってますし、バトルもたくさんやってますし、何より強いです。ぼくはインフェルノにも、なのですにも、マグカップにも、真珠にも、珊瑚にも負けたことはありません。
     ヘルガーのインフェルノはおとなしい性格で、なかなか物わかりのいい奴です。
     ガメノデスのなのですは頑張り屋さんの女の子で、レイアのためにものすごく頑張るいい奴です。
     マグマッグのマグカップは呑気で、何を考えてるかよくわからない食えない奴です。
     エーフィの真珠は割と冷静で、でもまだまだ甘いです。
     ニンフィアの珊瑚は無邪気な子で、でも双子の兄と同じでまだまだ甘ったれです。



     ぼくたちは今、キナンシティに来ています。
     ふしやま、ピカさん、アクエリアスも一緒です。それぞれの相棒も一緒です。
     みんなで広いお家に住んで、真珠や珊瑚や瑠璃や琥珀や瑪瑙や翡翠や螺鈿や玻璃を毎日鍛えています。
     そしてレイアは、バトルハウスに挑戦しました。
     前はマルチバトルをキョウキと組んでやっていたのですが、今はローテーションバトルにお熱みたいです。
     ローテーションバトルでは、三体のポケモンをバトルの場に出し、あと一体を控えにできます。四対四のバトルなんです。
     前衛として技を繰り出せるのは一体だけ、場に出ている残りの二体は後衛なので行動はできません。シングルバトルとあまり変わりないですね。
     シングルとの違いは、実際に戦う前衛のポケモンの交代に手間がかからないことと、どのポケモンが前衛に出るかの読み合いが高度になることです。


     ぼくはレイアに抱えられたまま、ニンフィアの珊瑚の戦いぶりを見ています。
     ムーンフォースが決まりました。相手のサザンドラが倒れます。
     なかなかいい戦いでした。ここ数日で随分と力をつけたようですね。ぼくもうかうかしていられません。
     ぼくはマネージャーみたいに、ずっとレイアに寄り添っていました。
     ここのところ、レイアは様子が変です。レイアだけじゃない。そっくりさんのキョウキも、セッカも、サクヤも、どこか余裕がないみたいなんです。
     今日の夜明け前も、そのことでふしやまとピカさんとアクエリアスと相談をしていました。
    「ねえ。なんだか最近のご主人様たち、切羽詰まってる感じしない?」
     ぼくがそう尋ねると、ふしやまが穏やかに答えてくれます。
    「確かに。おそらく、ピカさんとセッカさん、そしてアクエリアスとサクヤさんが見たモノが影響しているのでしょうが」
     ピカさんが息巻いています。
    「ほんと胡散臭えぜ、あの背高のっぽ……。ポケモンに人殺し命じるなんざ、正気の沙汰じゃあないってもんだ」
     アクエリアスは呑気に首を傾げてます。
    「なんであんなことするんだろうなー? あの真っ赤な人たちはさ」
     ふしやまがそのアクエリアスの疑問にも答えます。
    「フレア団、ですね。セッカさんが話していたでしょう、あの背高のっぽのエイジ氏は敵です。わたくしたちはそれぞれの相棒を、エイジ氏をはじめとしたフレア団から守らねばなりません」
    「敵が家の中にいるの? それでご主人たちは困ってるの? なんで追い出せないの?」
    「ふん、当たり前だぜサラマンドラ。そりゃ、あの髭面のおっさんが邪魔だからよ」
    「じゃあなんで、サクヤ達はこっから出てかないんだ? なんでなんだ?」
    「いいですか、アクエリアス。今のわたくしたちに必要なのは、逃げることでも、敵を消すことでもない。強くなることです。それだけを考えて、バトルハウスで戦っていればよろしい」
     ふしやまはあっさりそう言い切ってしまった。
     ピカさんも腕を組んで唸っている。
    「確かにおれらにできんのは、戦ってセッカたちを守ることぐれえよ。おれらには役目ってモンがある。パーティーをまとめ、いつ敵と戦う羽目になっても六体一丸となって全力で主を守る。それが相棒ってもんだろが」
    「ピカさん、変わったね」
    「ほんとほんと! ご主人たちに会う前はあんなにトレーナーのこと嫌ってたのにさ!」
     ピカさんの成長に、ぼくやアクエリアスが笑います。
     ピカさんは怒り出してしまいました。
    「うるさい! おれは自分の運命を受け入れる覚悟があるだけだわ!」
    「そうですね。我らの主と命運を共にする覚悟、それが無くば今回の敵は退けられません。サラマンドラ、アクエリアスも、気を引き締めて。新入りさんたちの指導、しっかりとお願いします」
    「うん。がんばるよ」
    「やってるよ! サクヤを守れるよ!」
     そうして登り始めた朝日の中話し合っていますと、そのうちにぼくたちのご主人様たちが目を覚ますのです。


     ご主人様たちは、毎晩布団の中で何やら激しく言い争いをしています。
     ご主人様たちは四つ子で見た目はそっくりですけど、性格はバラバラで、意見が合わないことはしょっちゅうあります。
     なので、ご主人様たちの間の喧嘩そのものはぼくらも慣れっこなのですけれど、今回はちょっと問題ありです。
     いつもなら、二人が喧嘩をすれば残る二人がそれを仲裁し、三つ巴の喧嘩となれば残る一人がそれを収める――そういうふうに、ご主人様たちは互いの喧嘩を収めていました。
     けれど、今回は、四人の中で意見が真っ二つに分かれてしまっているのです。そうなると、人間のよく使う多数決も使えません。
     毎晩、布団の中に潜って、言い争いをしています。
     ぼくの相棒のレイアが怒鳴ります。
     ふしやまの相棒のキョウキが、何やら笑っています。
     ピカさんの相棒のセッカが、喚いたり冷たい声を出したりしています。
     アクエリアスの相棒のサクヤが、ぼそぼそと何かを呟いています。
     ぼくとふしやまとピカさんとアクエリアスは、ベッドの枕元で丸くなって、ご主人様たちの言い争いを聞いていました。難しい話で、ほとんど理解できません。ポケモン協会を信じる信じられないだの、そもそもフレア団は敵か否かだの、いわゆる水掛け論になっています。
     月明かりの中。
     ふしやまが微かに溜息をつきます。
    「こうして主たちが不毛な論争を繰り広げていることこそが、主たちを消耗させている気がしてなりません」
    「そうだね。これこそがあのエイジって人の作戦なのかもしれないよね?」
     僕が考えたことを行ってみますと、アクエリアスがうんうんと頷きました。
    「うん、おいらもそう思ってたとこ!」
    「嘘つけや」
     ピカさんが尻尾でアクエリアスの頭を軽くはたきました。アクエリアスはむくれて手足を甲羅に引っこめ、文句を言います。
    「でもさぁ、ご主人たちがお互いのこと信じられなくなったら、それが一番怖いと思うんだぞ?」
    「そりゃそうだろ。セッカの仲間はレイアとキョウキとサクヤだけだ。それだけでも追い詰められてんのに、これ以上孤立しちまったらお終いだ」
    「群れからはじき出されたポケモンの生存率も低いことですしね」
     ぼくもついつい溜息をついてしまいました。
    「ご主人たち、喧嘩してほしくないなあ」
     両親の喧嘩を見る子供は、こういう気持ちなのでしょうか。いやいや、ぼくたちはレイアたちの相棒なのです、支える仲間なのです。ご主人たちを信じなくてどうするのですか、ぼくたちは守られてばかりの子供じゃない。
     たとえご主人たちが喧嘩別れしてしまった時でも、それでも寄り添い続ける。それがぼくたちにできることです。
     ぼくとふしやまとピカさんとアクエリアスはそれを確かめ合って、目を閉じました。
     ご主人たちも言い争うのに疲れて、眠ってしまったようです。



     レイアは鬱憤を晴らすように、ローテーションバトルを繰り返します。
     勝ちます。ときには負けます。勝負を繰り返します。何度も。何度でも。
     ぼくたちは、ご主人たちを裏切りません。強さでもって、勝ちでもってご主人たちに応えます。
     フレア団なんぞ吹き飛ばしてやりましょう。
     フレア団の手の届かない高みへ、共に行きましょう。
     ご主人たちは人間ですから、色々なものが見えているかもしれません。
     でも、強さだけで物事を見ればいいんです。
     強くなればいいんですよ。
     ヘルガーのインフェルノが、ラフレシアを焼き払います。
     ガメノデスのなのですが、カバルドンを仕留めます。
     マグマッグのマグカップが、ヘラクロスに岩を落とします。
     エーフィの真珠が、ローブシンを倒します。
     ニンフィアの珊瑚が、ヤミラミを沈めます。
     そしてぼくが。ケンホロウを、ヤドランを、フワライドを、フライゴンを、プクリンを、エレキブルを倒しました。もっとたくさん倒しました。ぼくはパーティーのリーダーです。誰よりも強くなければ。


     レイアの手が伸びます。ぼくは迷わず飛びつき、すると姿勢をかがめていたレイアが背筋を伸ばし、ぼくを胸に抱えます。
     レイアの視線を追いました。
     バトルハウスの二階に、緑のドレスの女の人が姿を現しています。物凄い歓声です。
     レイアが呟きました。
     僕は応えました。

     その緑のドレスの人のバトルを、僕は知っていました。
     ピカさんとセッカ、アクエリアスとサクヤがマルチバトルで挑んだ相手です。でも、あの時は本気ではなかった。きっと今日は真面目に戦ってくるでしょう。
     ぼくは仲間のポケモンたちを叱咤しました。
    「ここで負けるわけにはいかない。この人を倒すことがレイアの目的だから」
     モンスターボールの中の仲間たちがかたりと動きます。ぼくを無視したらぼくが制裁を下すから、ちゃんと返事をするのです。
     ぼくはインフェルノを、なのですを、マグカップを、真珠を、珊瑚を順に見つめました。
    「無様な戦いしたら、許さないから」
     インフェルノはゆったりと座ったまま首をもたげ、小さく火の粉を吐きました。
     なのですは思い切り気合を入れています。
     マグカップはメラメラしています。
     真珠と珊瑚は相変わらずぼくにびくびくしてました。威圧してるつもりはないのですが、この二匹にはぼくに怯えないほどの自信を、いつかつけてほしいですね。


     敵は前衛にクレッフィ、後衛にマンタインとマルノーム。
     レイアは前衛にエーフィ、後衛にマグマッグとニンフィア。
     ぼくはレイアに抱えられたまま、客観的にバトルを見つめます。敵のクレッフィが金属音を放ち、こちらのエーフィが瞑想します。
     レイアはエーフィを後衛へ下げさせ、マグマッグに鬼火を撃たせました。その鬼火を受けたのは、敵のマンタインでした。マンタインは水のリングを纏い、火傷のダメージを吸収してしまいます。
     マグマッグが岩雪崩を撃ち、それを受けつつ敵のマンタインは熱湯を放ちます。
     度忘れしたレイアのマグマッグは熱湯を耐えきり、さらに岩雪崩。マンタインを苦しめます。
     その隙にレイアはマグマッグを温存して、ニンフィアを前衛へ。
     ニンフィアのムーンフォースで、敵のマンタインが倒れます。これで残りは四対三で、一歩リードです。

     敵の前衛にはクレッフィが出ます。後衛の空白はメブキジカが埋めました。
     敵のクレッフィのラスターカノンが、こちらのニンフィアを撃ち抜きました。
     たまらず目を回したニンフィアをレイアは労う間も惜しんでマグマッグを前衛へ、火炎放射。すかさず敵のクレッフィも倒します。これで残りは三対二、まあ順調な進行でしょう。
     レイアは四体目に、ガメノデスを出しました。エーフィと共に後衛に並び、前衛のマグマッグの脇を固めます。
     敵は前衛をマルノームに、後衛をメブキジカ。
     レイアはマルノームを仕留めるべくエーフィを前に出しましたが、敵のマルノームは後衛に下がってメブキジカが出てきてしまいました。
     敵のメブキジカのメガホーンを受け、たまらずエーフィは倒れます。残りは二対二。
     レイアはマグマッグを前衛に出しました。火炎放射でメブキジカの体力を削りましたが、敵のメブキジカの捨て身タックルで倒れてしまいました。これで一対二ですけれど、マグマッグの炎の体は、敵のメブキジカに火傷を残しました。いい働きです。

     レイアの最後の一体、ガメノデスが前に出ます。メブキジカを睨みます。
     敵が火傷の痛みに怯む隙を逃さず、ガメノデスの毒づきが、体力残り少なかったメブキジカを容易く沈めました。
     残るは互いに一体ずつ。
     最後に残った敵はマルノームのみ。
     マルノームの毒々を受けつつ、ガメノデスは爪とぎをします。そしてシェルブレードで斬りかかりました。
     敵のマルノームは身を守ります。絶対防御の術です。
     レイアのガメノデスは続けざまに斬りかかります。鋭いシェルブレードがマルノームに襲い掛かりますが、すべて耐え切られてしまう。
     マルノームが地震を撃ちました。
     ここが正念場です。地面タイプの技は、ガメノデスには効果は抜群です。耐えてください。でないと負けだ。
     ガメノデスは、揺れる大地を踏みしめました。そして跳びました。
     地面にへばりついている敵のマルノームに、振りかぶり、とどめを刺しました。


     ぼくはレイアを見つめます。
     どうですか、ぼくの仲間たちはここまで戦えるようになりました。
     だからレイアは何も心配しなくていいんです。
     でも、観客席の悲鳴や怒号の中で、レイアは無表情でした。
     レイアの考える事は分かります。こんな見世物に付き合わされたって仕方がないと考えているんでしょう。
     レイアの欲しいものはこんなものではなかったと、レイアも気づいたんです。
     ぼくはレイアの求める場所についていきます。


     ぼくの仲間たちがすっかり回復すると、レイアはぼくを抱えて歩き出しました。今日のローテーションバトルは終わりみたいです。
     そしてどこに行くのかと思うと、そこはトリプルバトルの会場でした。
     レイアと僕がその広間に入った途端、そこは急にわあっと盛り上がりました。
     何かと思って背伸びして覗き込んでみると、大階段の踊り場に、緑の被衣のキョウキとふしやまが現れたところでした。


      [No.1451] 虹と熱 夜 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/09(Wed) 20:36:58     31clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    虹と熱 夜



     僕ら四つ子はズミさんの別荘でお昼ご飯を食べた後、別荘に帰ってきて昼寝をした。
     ロフェッカはバトルハウスから帰ってこないし、四天王のうちの三名様とお食事もして何となく精神的に疲れたし、あとはもう今日はこれ以上エイジさんに付きまとわれたくないというのもある。
     僕が昼寝から醒めた時、日はすっかり暮れていた。ちらりの傍らを見ると、僕の片割れが三人、暖かいベッドの上で思い思いに転がっている。僕の大切な片割れたち。
     どうすれば守れるんだろう。
     フレア団に狙われているというのが、ただの自意識過剰、ただの被害妄想ならいいのに。
     ポケモン協会まで敵に回ってしまうかもなどと、考えずに済めばいいのに。


     僕は喉が渇いていたので、水を求めるべく、そろりと寝台から降りた。レイアとセッカとサクヤは起きているのか寝ているのか分からない。サラマンドラとふしやまさんとピカさんとアクエリアスは、その枕元で丸くなってのんびりと眠っている。
     ゆっくりと、足音を忍ばせて、階段を下りる。
     居間は無人で、どうやらウズは買い出しにでも出かけているようだった。ロフェッカもいない。
     エイジさんは、いる。

     エイジさんは食事室のテーブルについて座り、ホロキャスターを点けていた。何やらホログラムメールを見ている。立体映像はなかったけれど、何かしらの音声データをごく微小な音量で聞いているようだった。
    「エイジさん」
     階段の上から声をかけてみると、エイジさんは素早くメールを閉じた。ホロキャスターを握りしめ、笑顔で僕を振り返る。僕も階段の上で立ち止まったまま、笑顔になって爽やかに声をかけた。
    「どなたからですか?」
    「いやあ、友達と……」
    「お友達なのに、立体映像なしでお話するんですね?」
    「いやぁあいつ、カメラとかそういうの、一切嫌いなんですよ……。だからホロキャスターで話をしてても、映像なしのただの電話になってしまって……」
    「ねえエイジさん。あんな小さな音にしなくていいんですよ?」
     僕は緑の被衣をなびかせ、一歩ずつ、ゆっくりと階段を下りる。食事室に入り、そして笑顔で立ったまま、椅子に座るエイジさんを見つめて、片手をついと伸ばした。
    「ねえエイジさん。僕ね、ホロキャスター、興味あるんです。見せてもらえますか?」
    「えー……、いやあ駄目ですよやっぱり、プライバシーが詰まってますから……」
    「ロックというものを掛けられるんでしょう? ねえ、ちょっと触るだけですから」
    「……壊さないと約束するなら」
    「分かりました。壊しません」
     エイジさんはどこか慎重に、テーブルの上に置いていたホロキャスターを、僕に手渡した。僕は笑顔でそれを受け取った。
    「ありがとうございます」
     エイジさんのホロキャスターはストラップ型の赤いものだった。ホロキャスターには他にも様々な色があり、腕時計型のものや、首からさげるタイプもある。
     手にとって、色々な角度からしげしげとエイジさんのホロキャスターを見つめる。
     そのとき、とてとてと、階段の上から僕の相棒のふしやまさんが下りてきた。
    「だぁーね?」
    「ああ、おはよう、ふしやまさん」
    「おはようございます、ふしやまさん……」
     僕はエイジさんのホロキャスターを手に持ったまま、笑顔でふしやまさんを振り返った。
     そして笑みを深め、ふしやまさんに気を取られた風を装って手指の力を抜き、ホロキャスターを指先から零した。
     その刹那、ふしやまさんのソーラービームがそれを撃ち抜いた。
     その光は居間の窓ガラスを突き抜けてゆき、庭木に微かな焼け焦げを残しただけだった。


     さて、エイジさんには何が起きたか分からなかったのではなかろうか。
     居間に一瞬、閃光が満ちただけなのだから。
    「きゃあ」
    「わっ!」
     そして僕はその光に驚いてホロキャスターを取り落としたように装う。
    「あ、わ、わ、落としちゃいました。え、今の雷ですかね?」
    「そ、そうですかね……」
    「エイジさん、すみません、落としちゃいました。絨毯の上だったので、大丈夫だと思いますけど」
     そう何事もなかったかのようにホロキャスターをエイジさんに返す。エイジさんはそれを慌てて手に取った、ように見えた。そして素早くホロキャスターを覗き込み、何やらボタンを押して操作を試みている。
     エイジさんは、何度もホロキャスターの同じボタンを押している。
     僕は固い声音を作った。
    「……え。大丈夫ですか」
    「…………動かない……動きませんね……」
    「え、嘘でしょ。絨毯の上に落としただけで壊れるほど、脆いんですか、ホロキャスターって……」
    「……いや、そんなはずは……旅のトレーナーの必需品ですよ……まさかさっきの落雷が……――?」
     エイジさんは深刻そうな表情でホロキャスターを覗き込んでいる。さて、これが演技だったらそれこそホラーなわけだけど。
     僕は足元に寄ってきたふしやまさんをそっと抱え上げ、ふしやまさんをそっと撫でつつ肩を竦めた。
    「……直りますか、エイジさん」
    「……どうにも……画面が真っ暗で」
     エイジさんはしきりにホロキャスターを指先で弄っている。
     僕はそろそろ手持ち無沙汰になったので、ふしやまさんを抱えたまま居間のソファに腰を下ろした。立ったままのエイジさんを見上げる。
    「ねえねえエイジさん。ホロキャスターって、トレーナーはみんな持ってますよね。そんなに便利なものなんですか?」
     エイジさんは半ば心ここにあらずといった風に、それでも僕の質問に答えてくれた。
    「便利ですよ、そりゃ……緊急時の避難情報とか連絡とか、いざという時に役立ちますし。ネット接続で調べ物だってできますし、電話もメールもSNSもニュースもこれ一機で……」
    「高いんですか?」
    「まあそうですね……ポケギアやポケナビ、ポケッチ、ライブキャスターなんかがありますけど、ホロキャスターほど高機能高性能なものはなくって……ああ、値段ですか……ホログラム映像を使用した小型通信機は現在フラダリラボが市場を独占しておりますので、まあ市場原理的には高価ですよね……」
     エイジさんはぶつぶつと呟いている。その指を必死に動かしている。
    「でもまあ通信事業は、周波数帯の関係で政府の規制もありますし、あとインフラということもあるので、通信費なんかはちゃんと国が高くなりすぎないように管理していて……」
    「ねえねえエイジさん。僕がお尋ねしているのは、一機あたりのお値段なんですけど?」
    「え……いくらだったかな……」
     エイジさんはそう問われても、およその数字すら、すぐには出せなかった。あれほど、国家やポケモン協会や反ポケモン派の事には詳しかったのに、だ。
     僕はたたみかけた。
    「そんな高価な機械の値段を、覚えてないんですか? エイジさん貴方、失礼ですが、けして裕福な家庭ではないですよね? お父様が失踪なさって、エイジさん自身もトレーナーにならざるを得なくて、なのに高価な出費を覚えてないんですか? というか、よくもまあホロキャスターを購入できましたよね? 本当に値段、覚えてないんですか?」
     するとエイジさんは顔を上げた。その頬に微かに朱が差している。羞恥か、怒りか、焦燥か。まあなんでもいいけど。エイジさんが動揺しているのは確かだ。
     少しは可愛げがあるじゃないか。
     エイジさんはぼそぼそと呟いた。
    「……あの、これは頂き物でして……」
    「へえ、羨ましい。どなたに頂いたんです?」
    「フラダリラボの、代表の方、です……」
    「あ、フラダリさんですか。へえ。なるほどね。……ふうん」
     繋がってしまった。
     セッカの、エイジさんがフレア団の者だという仮説が正しいなら。
     フラダリラボは、フレア団と確実につながりがある。というか、これってつまり、トップからずぶずぶってことじゃないか。
     フラダリラボは、カロス地方のポケモン協会が支持する企業のナンバーワンだ。ポケモン協会はフラダリラボに多額の融資や投資を行っているし、フラダリラボはポケモン協会に多額の資金供与を行い、政治への足掛かりをつけている。
     ああ、ずぶずぶだ。
     ぐちゃぐちゃだ。
     ぽわぐちょだよ、もう。
     ポケモン協会は、フレア団に逆らえない。
     フレア団に逆らえば、フラダリラボがポケモン協会から造反する。そうなれば、ポケモン協会には大打撃だ。そして、そのポケモン協会から支援されている現政権も危うくなる。
     政権よりも、ポケモン協会の方が強い。
     そしてポケモン協会よりも、フレア団の方が強い。
     さて、このカロス地方でフレア団の敵になって、勝ち目はあるのか?



     僕はふしやまさんを抱えてソファに座り込んだまま、ついつい瞑目した。エイジさんは故障したホロキャスターにかかりっきりだ。おそらく大事な物なのだろう、十中八九フレア団との関係において。
     そこにウズが買い出しから帰ってきた。
     おいしい晩御飯を食べよう。
     そして寝よう。
     バトルハウスに再挑戦しよう。戦って、強くなろう。
     強く。
     強くなればいい。
     僕はそのような単純な解答に行きついた。そこに至って、妙に胸がどきどきする。ますます喉が渇く。暑い。ふしやまさんを抱え直し、その腹に顔を埋め熱を逃がす。ふしやまさんはおとなしくしてくれていた。大好きだ、僕の相棒。
     恐ろしい敵と、それに対抗するための唯一の策。それは、ポケモントレーナーとして強くなること。
     もうポケモン協会には頼れない。自分しか。自分のポケモンたちしか。自分の片割れたちしか。
     もう、信じられない。


      [No.1450] 虹と熱 夕 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/09(Wed) 20:35:40     41clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    虹と熱 夕



     それから俺らは、なぜかバトルハウスを出て、昨日の夜来たばかりのズミさんの別荘にお邪魔していた。
     ロフェッカのおっさんは知らん。それどころじゃなかった。
     キョウキと一戦交えたドラセナさんは、俺ら四つ子を引っ張るようにしてずんずんと別荘地を行き、そしてズミさんの別荘に俺らを連れてきた。そして例の如く門扉が自動で開き、執事めいた人がドラセナさんと俺ら四つ子と、そしてちゃっかりついてきていたエイジの野郎を案内する。
     昨晩と同じ食堂に連れてこられた。確かに昼時ではあるが。
     なぜか昨日と同じく、ガンピさんがいた。
     ドラセナさんが何の連絡もなく俺ら四つ子――とおまけ一名――を連れてきたにもかかわらず、食堂には俺らの分の席も用意されていた。
     そしてズミさんが現れるまで、俺らはきょどきょどしていた。大変だ。マイお箸を持ってきてねぇ。


     ズミさんが厨房から現れたので、俺らは慌ててそれぞれの相棒を抱え直した。
    「……ど、ども」
    「はい。こんにちは。昨晩ぶりですね」
     ズミさんは相変わらず目つきが悪かった。俺がカロスリーグで勝てなかった目だ。
    「本日もまた急なお招きにもかかわらず、足をお運びいただいて光栄です、四つ子さん。本日の昼食はジョウト料理で揃えさせていただきました。お口に合えば幸いです」
     そして俺らとドラセナさんは食卓に着かされてしまった。ちゃっかりエイジも席についている。お前の席ねーからと言いたかったが、仕方ない。納豆の洗礼を浴びせてやりてぇが、仕方ない。ズミさんとガンピさんとドラセナさんに免じてこの場は見逃してやる。
     ドラセナさんがにこにこと笑っている。
    「あたし、ジョウトのお料理って初めてなの。お寿司かしら?」
     ガンピさんも興味深く頷いている。相変わらず鎧姿だった。
    「我もであるぞ。あと、手を合わせて『いただきます』と『ごちそうさま』であったな。お箸を使うのだろう? あれはどうやっているのだ?」
     純白のテーブルクロスの上には、箸置きと箸が並べられた。湯呑や、ジョウトの焼き物の器も置かれる。醤油まで用意される。
     これはどういうことかと、片割れたちと目くばせをした。
     緑の被衣のキョウキがふわりと笑って首を傾げ、セッカも首をひねり、青い領巾のサクヤはわずかに肩を竦めた。それだけで通じ合った。――ズミさんは昨日のお詫びにと、俺らにとって馴染みのある昼食を用意してくれたのではないだろうか?
     凄まじく都合のいい考えだが、どうもそうとしか思えない。
     昨日の夕食は、ズミさんの作ったカロス料理だった。しかし俺らがテーブルマナーを知らないばかりに、同席するガンピさんや料理人のズミさんにまで妙な思いをさせてしまった。にもかかわらず、この心遣い、気配り。
     負けた。
     さすが俺をカロスリーグで打ち破った男だ。ズミ、侮れない奴だ。
     テーブルの向こうでは、セッカがガンピさんとドラセナさんにばんがって箸の使い方を教えていた。
    「こう! 一本目はペンを持つようにして、二本目は親指の付け根と薬指で支えて――ああもう、こう! 普通にここにこう、ぷすーて差すの!」
     そしてガンピさんとドラセナさんに箸を持たせている。
    「んで、下の一本は固定して、上の一本を、ペンを動かす要領で動かす! はい、いちにっ、いちにっ」
    「ぬ、ぬうう、おお?」
    「あらまあ、難しいわねえ」
     テーブルの隅にはもう一人箸を使えない長身の男がいるのだが、そいつには誰も、箸の使い方を教えようともしなかった。


     そしてランチに供されたのは、炊き込みご飯に澄まし汁、肉や魚の照り焼き、豆腐ステーキ、野菜や根菜の天麩羅。
     なんというか、さすがズミさんだと思った。完全にジョウトの、ウズの味だった。醤油の味がした。しかしあえて言うならば、醤油味の料理が多いということだ。味噌味の物とか酢の物とかをつけるといいんだぞ。
     ガンピさんやドラセナさんの方を見ていると、やはり箸の使い方には悪戦苦闘して、早々にナイフとフォークとスプーンに切り替えていた。不思議そうな顔をして醤油味の料理を口に運んでいる。
     ズミさんが無表情に、俺らの傍にやってきた。
    「――いかがでしょうか」
    「すげぇ美味いっす!」
    「とても美味しいです。彩りも綺麗で」
    「ほんと、ウズより料理上手かも!」
    「お出汁の味が素晴らしい」
     そう口々に俺らは心から称賛した。
     ガンピさんやドラセナさんもそっと口元を拭い、頷いた。
    「うむ、さすがはズミ殿。ジョウトのお味もなかなかである」
    「不思議なお料理ねえ。おもしろいのねえ」
     それがその二人にとってどの程度の褒め言葉なのか俺らにはよくわからなかったが、ズミさんは澄まして頷いた。
    「それはよかった。では食後はこのズミもご相伴にあずかりましょう」


     食べ慣れた料理、そして俺らとは逆に目を白黒させているガンピさんやドラセナさんとの話も弾み、昼食は長引いた。
     料理の話、ポケモンの話。昼飯に何時間もかけるなんて初めてだ。午後を大幅に回っている。
     そして食後のデザートには、生クリームの乗った抹茶のロールケーキと紅茶が出された。
     さすがとしか言いようがなかった。まさかズミさんて、パティシエでもあるのか。
     さすがにロールケーキは小さなフォーク一本で口に運ぶ。とろけるおいしさにセッカが耐え切れずみょこみょこと動いた。
    「うんま――!」
    「セッカ、セッカセッカ。お行儀悪いよ」
     キョウキが窘める。すると席に着いたズミさんがごく僅かに目元を緩めた。
    「食事も終われば味の記憶は薄れゆく。そこに全身全霊を打ち込むことこそ芸術なのです。であれば、料理を口にするその一瞬の時を楽しんでいただくことこそ、料理人の生き甲斐」
    「ほらきょっきょ、ズミさんは気にしてないって! うんめえ――!」
     セッカは幸せそうにロールケーキをほおばっている。見ればドラセナさんなども割と食べ方が奔放だ、ロールケーキのクリームの部分をわざと残して最後にまとめて食べている。
     そうだ、料理は食べたいように食べればいいのだ。美味しければいいし、楽しむことが料理人のためになる。のではないでしょうか。いや、やっぱ最低限のテーブルマナーってもんはいるかなぁなんてちょっとは思いますけど。
     それぞれケーキを食べ終え、紅茶を飲んで一息つく。
     そこでズミさんが話を切り出した。


    「ところで四つ子さん。近頃バトルハウスが騒がしいこと、ご存知でしょうか」
     俺とキョウキとセッカとサクヤは、同時に紅茶のカップを下ろして顔を上げた。エイジもテーブルの隅で顔を上げた。
     ガンピさんが腕を組んで唸る。
    「またこのごろ、このキナンでもフレア団と名乗る怪しき輩が目撃されておる。近年目立つようになったな」
     ドラセナさんもにこにこと口を開いた。
    「最近どうも、騒がしいのよねえ。お若い方がね、ポケモンは自然で遊ばせるべきだとか言うのよ?」
     三者三様に別々のことを喋っていた。
     ズミさんの言うバトルハウスは反ポケモン派の仕業だろうし、ガンピさんが言っているのはフレア団の話だし、ドラセナさんが言っているのはおそらくポケモン愛護団体のことだ。
     しかしいかんせん別々のことを話されているので、俺らとしても誰にどのように返事をしたものかわからない。四天王って仲が良いように見えて、全員割と自由奔放なんだな。
     ズミさんも自身でそれを感じ取ったのか、小さく嘆息した。
    「いかような団体にせよ、私に感じられるのは、若者の行き場のない不安感というか、余裕のなさですね。実に品のない、痴れ者が巷に溢れている」
    「し、痴れ者っすか……」
    「四つ子さん。貴方がたの箸づかいからも伝わる。たとえようのない不安が」
     箸づかいからっすか。
     ズミさんは食事の終わったテーブルに肘をつき、俺ら四人をじろりと見やった。
    「四つ子さん。貴方がたにとって料理とは、ポケモンバトルとは何ですか。ただ胃袋にモノを詰め込む、それだけの作業ですか。――そうではない」
     ズミさんにとっては、料理はポケモンバトルと同じようなものらしい。ジムリーダーがポケモンバトルから挑戦者の生き様を読み取るように、ズミさんは食事を通じて食べる者の心を読むようだ。
    「勝敗の記憶すら薄れゆく、その勝負に全身全霊を打ち込む。それはこちらの四天王ガンピや四天王ドラセナにしても同じです。食うためだけのバトルなど、何の価値もない」
    「よくわからないです、ズミさん」
     キョウキがフォークを置き、笑顔のまま首を傾げる。緑の被衣が揺れる。
    「僕ら四つ子が旅を始めたのは、生きるためです。それ以上の目的なんてありません。僕らはいやいや旅してるんですよ。ですから、生き甲斐を見つけるとしたら、バトル以外に見つけたいです」
    「それは拙い言い訳に過ぎない!」
     ズミさんに一喝され、キョウキが小さく肩を竦めた。
     ガンピさんが口を挟んだ。
    「ズミ殿よ、口を挟むこと許してくれ。四つ子よ、人生は戦であるぞ。しかし大義なき戦ほど、不毛で虚しきものはあるまい」
     ドラセナさんも悪戯っぽく笑った。
    「ね、バトル以外に好きなこと見つけるのも、素敵なのよ。でもね、ポケモンたちと一緒に遊ぶの、楽しいもの。あなたたちも自分の遊び方を見つければいいと思うのよ」
     四天王の話は難しかった。
     迷いの森でエイセツのジムリーダーのウルップさんは、バトル以外の生き甲斐を探してみろと言った。
     しかし四天王の三人は、ポケモンバトルにも生き甲斐を見出せと、そう俺らに求めている。
    「――そんな余裕、ねえっすよ」
     ぼそりと呟いたのはセッカだった。
     無表情に、ズミさんとガンピさんとドラセナさんを見つめていた。
    「あんたらはお金持ちだから、そんなこと言えるんだ。無責任だ。ひどい。ひどすぎる。そんなに言うなら、守ってくださいよ。毎日こんなおいしいもの食べて。広い別荘に住んで。ずるい。ずるすぎる」
     セッカは無表情で呪った。
    「格差だ。ずるい。おかしい。……あんたらがそんなだから、俺らみたいな、不満を持った、憎悪に溢れた、不安に満ちた奴が増えるんだ……。フレア団とかいうテロ組織が、街を襲い、人を襲い、さらに人々を不安に貶めて。……今のカロスで起きてることって、それだろ?」
     セッカは顔を歪めて笑った。
    「俺には、フレア団の気持ちが分かるよ?」



     セッカはなかなかの爆弾発言を残していった。
     俺らはズミさんの別荘を後にして、のろのろと別荘地を歩いている。
     食事会はとても楽しかった。セッカが最後に落とした爆弾も差し引きでプラスになるほど、収穫の多い昼食の席だったと思う。
     ズミさんはいい人だった。ガンピさんもいい人だった。ドラセナさんもいい人だった。四天王の三人はジムリーダーたちと違ってそこまで面倒見はよくないけれど、ポケモンバトルというものに対する真摯な姿勢はやはり並みのトレーナーのそれではない。ポケモンに対する接し方、考え方などには学ぶところが多かった。
     話を楽しみ過ぎたのか、時はもう夕方に近い。
     雨は上がり、虹が出ていた。けれどセッカはそれには気づいていないようだった。
     セッカはなぜか頬を膨らませていた。マジでこいつのテンションの浮き沈みは読めん。
    「なんかさ、幻滅しちゃったなー。四天王って自己中なんだな。っていうか、あと一人もあんなんなんかな?」
    「ま、似たようなもんですね……」
     例の如く俺らの後ろについてきていたエイジが、すり寄るような声音で割り込んでくる。俺らは誰も振り返らない。けれどエイジは勝手にしゃべり出す。
    「残る四天王の一人パキラさんは、他の四天王やチャンピオンとはあまり休暇を共になさらないようですね。まあホロキャスターのニュースキャスターとして忙しくされていることもあるのでしょうが……」
     俺らは無言でエイジを追い立てるようにして、俺らの別荘への道を辿らせた。


      [No.1449] 虹と熱 昼 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/09(Wed) 20:34:12     44clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    虹と熱 昼



     エイジさんのポケモン協会講座が終わったころ、僕ら四つ子とロフェッカとエイジさんの計六名は、バトルハウスに着いた。
     ロフェッカがバトルハウスにお仕事なのだ。僕ら四つ子はそれを見学する。
     エイジさんはなぜかついてきた。昨日セッカとサクヤに人殺しの現場を見せたエイジさんが、平然とついてきた。ほんとこの人は僕らのストーカーなんじゃないかってぐらいどこにでもついてくる。それを僕らの養親のウズは大層都合のいい子守みたいに思っていて、エイジさんに信頼を寄せている。腹が立つ。


     広々とした玄関ホールに入り、傘を預けたかと思うと、ロフェッカは大広間には入らず、バトルハウスの人の案内を待った。僕はロフェッカに話しかけた。
    「ねえねえ、何をするんだい?」
    「……ん? ああ、いや、ちょっとな」
    「何さ、『ちょっと』じゃわからないよ?」
    「あ――もう、うぜってえガキだな! 何もない。もう終わる。ただの後始末だ」
    「何の後始末なのさ」
    「騒動のだよ」
     玄関ホールで待たされているのをいいことに、僕は駄々をこねた。
    「ねえ何の騒動? ねえねえねえねえ」
    「あーホラ、反ポケモン派だよ。ここんとこ、何かとバトルハウス閉鎖しろ閉鎖しろうるさかったんだよ。ま、それも収まったから、もう大丈夫だと思うんだが」
    「どれくらいうるさかったの? なんで収まったの?」
    「いや、抗議の手紙とか電話とか色々。警察沙汰になったが、TMV止めたりして、まあ何とかなったんだろ。以上。終わり」
     ロフェッカは面倒くさそうに僕を適当にあしらった。まったく、ロフェッカのくせに腹が立つ。
     それにしても、ということはやはり、ロフェッカはこのところバトルハウスのごたごたを処理していたのだ。TMVを止めたのも、ロフェッカが関わったのかもしれない。
     そしてそのごたごたは、既に収束した。
     でも、僕らは言われなくてもなんとなく分かっていた。――十中八九、セッカとサクヤが見せられたという、処刑のせいだ。おそらく反ポケモン派の偉い人を、フレア団が処分してしまったのだろう。だから、反ポケモン派による反バトルハウス活動は尻すぼみになってしまった。
     セッカとサクヤは、僕の視線に気づいても肩を竦めるばかりだ。
     セッカとサクヤはずっと落ち着いていた。凄まじいものを見てしまったのは昨日で、二人はズミさんの美味しい肉料理をどうしても食べることができなかった。だからこっそりレイアと僕が二人の代わりにお肉を食べてあげたのだ。また、夜の間じゅう、セッカとサクヤは悪夢にうなされていた。だからレイアと僕が、二人を真ん中に挟んでぬくぬく眠ったのだ。少しでも二人が安心できるように。



     本当に、腹が立つ。
     ロフェッカは、セッカとサクヤが昨日何を見せられたかを知らない。僕らは結局、誰にも話さなかった。たぶんエイジさんも、僕ら四つ子の間でしか昨日の出来事は共有されていないと思うだろう。事実、その通りだ。
     ――昨日の夜のぬくぬく布団の中でのことだ。僕らは四人で仲良く頭から掛け布団を引っ被って、布団ドームの中で大会議を開催した。
     レイアは唸った。
    「やっぱエイジの奴、こっから追い出そうぜ」
     僕は別の意見を述べた。
    「ていうか、僕らがもうキナンから抜け出さない?」
     するとセッカがさらに別の意見を出した。
    「いや、俺はこのまま様子見続けたいな」
     さらにサクヤが別の意見を言った。
    「馬鹿か。大人に助けを求めるべきだろう」
     そう、僕らは意見が真四つに分かれてしまったのだ。

     レイアが布団の中で怒鳴る。
    「なんでだよ! なんで追い出さねんだお前らバッカじゃねぇの!? 人殺し見せてくるような変態だぞ!? もう嫌ださっさと追い出してぇあいつがここにいるの怖すぎる!!」
     僕はレイアに反論した。
    「確かに、ロフェッカにありのままを話してエイジさんを追い出すことは可能だよ。でも、そんなことをしたって、榴火と同じ事じゃない。僕らはフレア団にさらに疎ましがられることになるんだよ。エイジさん追放は一時しのぎにしかならない、このままじゃジリ貧だ」
     セッカが口を挟んできた。
    「でもさ、俺らがキナン出てったって何も変わんないよな? 確かにこのままじゃジリ貧だよ、だからこのままエイジの奴の様子見ようって。フレア団の弱点とか見つかるかもしんねぇだろ?」
     サクヤが不機嫌に鼻を鳴らす。
    「お前らは馬鹿か。僕ら四人で何ができる? 必要なのは、大人の助けだろうが」
     それから、僕らは布団の中で大激論を戦わせた。

    「助けを求めるって誰にさ? ロフェッカ? ロフェッカはポケモン協会の人間だよ、フレア団と繋がってるかもしれない。むしろロフェッカがエイジさんを呼び入れたのかもしれない」
    「んなこた分かんねぇだろ! キョウキが言うみてぇにキナン出てくのも危険すぎる、俺らフレア団に狙われてんだぞ!? ここならポケモン協会が守ってくれんだろが!」
    「れーや、そのポケモン協会が敵だっていう可能性があるんだぞ? ロフェッカのおっさんには頼れない。だからここは、ちょろくて馬鹿な四つ子を装って、エイジから話聞き出しまくって、何か解決策を考えようぜー」
    「そんな悠長なことができるか。相手は大人の集団だぞ。ポケモン協会ができになる可能性があるのなら尚更、その可能性を潰すべきだ。殺人など完全な犯罪行為だろうが。その証言を持っていけば、ポケモン協会はフレア団を切らざるを得ない」
    「でもさサクヤ、そんなの、僕ら四人を始末すればお終いじゃない。ポケモン協会は、フレア団と僕ら四つ子の、どっちを選ぶと思う? そんなの火を見るより明らかじゃない?」
     とにかく、僕とセッカが、ロフェッカには頼れないという点を譲らなかった。
     すると、レイアとサクヤが布団の中で顔を怒らせるのが雰囲気で分かった。
    「てめぇらがどうだろうと知ったことか。俺は人殺しの連中と一緒にいるなんて耐えられねぇぞ。おっさんには言う。てめぇらが言わなくても俺が言う」
    「勝手はやめて。レイア一人の問題じゃないんだよ。僕ら四人の命がかかってる、だから慎重に考えなきゃだめだって」
    「慎重に考える余裕がどこにある? あのポケモン協会職員に話をするのは最善手ではないかもしれない、しかし最悪の手ではない」
    「最悪かもしんないじゃん。エイジをどっかに追いやったところで、もっと頭のいいフレア団が俺らを嵌めに来る。そうなったら俺にもどうしようもないからね? そん時サクヤが守ってくれるわけ?」
    「僕らにはどうしようもないと言っている。だから大人に助けを求めるべきだ!」
    「だから、助けを求めるって、誰にさ。ウズなんて論外でしょ、戦えないし、四條家からもほとんど放置されてるし、ただのご隠居じゃん。他には誰? 四天王? ジムリーダー? 博士? みんなポケモン協会の人ですけど?」
    「だから何で、そこまでてめぇはポケモン協会を既に敵視してんだよ! ポケモン協会は、今んとこは、表面上にしろ、俺らの味方なんだろ? その今んとこの味方をなんでわざわざ切る真似するんですかね?」
     こんな感じで、ちっとも埒が明かなかったのだ。
     ほとんど喧嘩腰になって、それからみんな揃って眠くなったから、仲良くぴったりくっついて寝た。
     レイアとサクヤは今日の朝食の席からロフェッカに話をしたがっていたけれど、食卓には何でもないような顔をしたエイジさんがいたから話を切り出しにくかったんだろう。空気を読めるようになったのは偉いけど、二人は腰抜けだ。
     ただ、エイジさんへの怒りは共通していたから、僕らは四人でねりねりした納豆をエイジさんに浴びせたわけだ。
     エイジさんは、僕ら四つ子にぴったりついてくる。ここまでくると、やっぱり見張られているような気分にしかならない。あるいはエイジさんは、僕らがロフェッカに余計なことを言わないように無言で威圧しているつもりなんだろうか。
     レイアとサクヤの気持ちも分かる。周囲の大人を信じて、助けを借りて逃げ切ろうとしている。
     でも僕やセッカは、周囲をすべて切り捨てて、自分たちだけを信じて戦い抜こうと考えている。
     どちらが正解なのだろうか。
     違いは、『ポケモン協会を信じられるか否か』、この点に尽きる。
     だからそれを見極めるという目的もあって、とはいえ半ば漫然と、僕ら四つ子はロフェッカに付きまとっているのだ。
     そしてこの状況である。



     ロフェッカはバトルハウスの人に案内されていった。
     オーナー、すなわちバトルシャトレーヌとお話をするそうだ。僕らも行きたいと駄々をこねてみたけれど、部外者との一言で一蹴されてしまった。ほんと、ロフェッカのくせに腹が立つ。
     仕方がないので、僕ら四つ子とエイジさんはバトルハウスの観戦に行った。もちろんエイジさんに全員分の入場料を支払わせた。
     バトルハウスは、このキナンで密かに繰り広げられていたごたごたも知らないで、相変わらず酒臭くて煙草臭くて、賭博が溢れていた。放蕩と放埓のにおい。
     そして今まさにバトルの行われている大階段の踊り場に視線を転じて、あれ、と思った。
    「……四天王のドラセナさんじゃねぇか」
     レイアが呟く。
     ドラセナさんのクリムガンが、相手のポケモンをちぎっては投げちぎっては投げ、見事な完全勝利を披露していた。ドラセナさんは、戦うクリムガンを見つめて楽しそうだ。僕らのみている前で、さらに三人のトレーナーを打ち負かしたけれど、全然疲れた様子も見せずに微笑んでいる。とてもパワフルな人のようだ。
     ドラセナさんはクリムガンをモンスターボールに戻すと、とりあえず満足したのか挑戦を切り上げ、大階段を下りてきた。
     そして僕らに目を留めた。
    「あらまあ」
     ドラセナさんは疲れた様子もなく、にこにこと僕らの方に歩み寄ってきた。
    「こんにちは。いらっしゃいなのよ。四つ子さんでしょ? カルネさんから聞いたもの」
    「えっ」
    「えっ」
    「えっ」
    「えっ」
     ドラセナさんは思いがけず僕らのことを知っていた。レイアもドラセナさんとは対戦していないはずなのに、というかカルネさんたら、なんで僕らのことを四天王にお話ししてるんだろう。仲良しなのかな。
     ドラセナさんはにこにこと僕らを見回した。
    「ね、あなたたちお強いでしょ? お話は聞いているのよ。だから、ね、遊んじゃいましょ?」
     僕らは顔を見合わせた。
     しかしなぜかレイアとセッカとサクヤが三人揃って僕を見てきた。
     え。なんですか。僕ですか。
    「もう嬉しい。シャトレーヌちゃんたちも忙しいみたいだし。強い相手と遊ばないと、ポケモンたち育たないもの」
     ドラセナさんはマイペースに、降りたばかりの大階段を上り出している。あの、ええと、先ほど挑戦を終えたばかりじゃないんでしょうか。
    「ほら、早く!」
     ドラセナさんは階段の踊り場でこちらを見下ろし、チャーミングに微笑んでいる。まるで少女だ。そしてすさまじいマイペースだ。
     バトルハウスの人が困っている。
     とはいえ四天王には逆らえないらしく、既に次のバトルに備えかけていたトレーナー達がそそくさと二階に戻っていく。
     そして、片割れ三人の無言の視線を受けて、なぜか僕が踊り場に上がることになってしまった。ほんとに、もう。わけがわかんない。
     仕方がないので、ドラセナさんに微笑みかけた。
    「こんにちは。はじめまして、キョウキと申します」
    「あたしはドラセナなのよ。さ、始めましょ」
     そして休憩時間の終わりを告げるベルが鳴るのも待たずに、ドラセナさんはクリムガンを繰り出している。バトルハウスの人があわあわしている。しかし僕はバトルハウスの人よりドラセナさんの方が大事なので、おとなしく屈み込んで頭上のふしやまさんを床に下ろした。そしてモンスターボールを手に取る。
     本当はぬめこやごきゅりんも育てたいのだけれど、ドラセナさん相手に本気を出さないのは失礼だ。
    「頼むよ、こけもす」
     モスグリーンの瞳が美しい、化石ポケモンが現れる。


    「行って!」
     指示を飛ばす。僕のこけもすは翻り、クリムガンに向かう。そして猛毒を吐いた。
    「あらら」
     ドラセナさんは笑っただけだった。クリムガンは猛毒を甘んじて受ける。
    「クリムガン、ドラゴンテールなのよ」
    「寄せ付けるな――岩雪崩!」
     クリムガンはその巨躯で跳躍した。凄まじい跳躍力だった。その頭上目がけて、僕のこけもすが岩石を降らせる。位置関係的にはこちらが有利だ。
    「クリムガン、リベンジよ」
    「こけもす、フリーフォール!」
     岩石のダメージを受けたクリムガンは奮起し、先ほどにましてすさまじい勢いをつけて飛びかかってきた。
     こけもすは高度を下げる。そして跳び上がったクリムガンとすれ違うように、その下まで下降した。
     そして跳躍のエネルギーの残るクリムガンを下から掬い上げるようにして、その足の鉤爪で捕らえ、空に攫った。
    「クリムガン、ドラゴンテールよー」
     けれどクリムガンは捕らえられながら、その尾を振るう。こけもすの腹にそれがめり込む。
     こけもすは息を詰まらせ、クリムガンを放してしまう。そして滑空した。位置エネルギーを運動エネルギーへ。その勢いを利用する。
    「ドラゴンクロー!」
    「ドラゴンテール」
     クリムガンは落下の途中だ。空中で尾を振るってもしっかり反動は付けられない。
     こけもすが上からクリムガンを抉る。地に叩き付ける。フリーフォールはとりあえずは完遂したと言えるかもしれない。
    「こけもす、岩雪崩!」
    「耐えて、クリムガン」
     まさか、と思った。ドラゴンクローを食らい、猛毒もあり、岩雪崩をさらに耐えるのか。
     まさか。
     僕は鼻で笑った。
    「こけもす。続けて。階段を潰す勢いで。埋めろ」
     岩をいくつも落とす。クリムガンが岩石に呑まれ、見えなくなる。そして猛毒にその体は蝕まれている。いつまで耐えられるか。
     ドラセナさんが声援を飛ばす。
    「頑張って、クリムガン。リベンジよ」
    「こけもす、ドラゴンクローだよ。沈めて」
     こけもすが宙を回り、勢いをつけて急降下する。岩を押しのけたばかりのクリムガンを再び抉り、弾き飛ばした。


     クリムガンはしぶとかったけれど、空中を自在に動くこけもすには敵わなかった。
     ゆっくりとシャンデリアを迂回し、こけもすが僕の傍まで戻ってくる。着地して喉を鳴らすこけもすの顎を撫で、労ってボールに戻した。係員にそのボールを預ければ、数瞬でこけもすの体力を回復してもらえた。
     ドラセナさんもクリムガンをボールに戻しつつ、にこにこと笑って僕の傍まで歩み寄ってくる。
    「もう終わっちゃって……。ごめんね、よければまた遊びましょ。あなたとポケモン、チャーミングすぎるもの」
    「ありがとうございました。こけもすにも僕にもいい経験になりました」
     バトルハウスに拍手が満ちる。一対一の、しかも記録にも残らない勝負だったけれど、四天王のポケモンを破ったのだ。とりあえず称えられてしかるべきだろう。
     僕がふしやまさんを再び頭の上に乗せてドラセナさんと一緒に大階段を下りると、ピカチュウを肩に乗せたセッカがぴょこぴょこと飛び跳ねた。
    「きょっきょ! しゅごい! 強い!」
    「ありがと、セッカ」
     とりあえずお礼は言ったものの、僕はまだよくわかっていなかった。なんで僕、ドラセナさんといきなりバトルする羽目になったんだっけか。


      [No.1448] 虹と熱 朝 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/09(Wed) 20:32:29     43clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    虹と熱 朝



     朝から雨が降っていた。
     別荘の居間のテレビがついている。俺とキョウキとセッカとサクヤは、それぞれサラマンドラとふしやまとピカさんとアクエリアスを抱え込むようにして居間の絨毯の上に胡坐をかき、四人でぼんやりと『なるほどニュース』を眺めている。
     ワザガミが画面の中で、ゲストや画面のこちら側にパネルを見せつつ喋っていた。
    『本日は、水の波動について学んでいきましょう。そもそも水の波動はどんな技なのかといいますと、水の振動を相手に与えて攻撃する、思いのほか健康的な技なんですよね』
     ゲストが質問を投げかける。
    『どのくらい振動するものなのでしょうか?』
    『いいねぇ、いい質問ですよぉ……。実はね、相手を混乱させることもあるほど激しいんですね』
    『なんだか日常でも使えそうな技ですよね?』
    『そうですね、例えば……お父さんが大変くたびれて帰ってくる時がありますでしょ、そんなときこの技を使うと、ある意味でぐっすり寝かせることができるわけですね』
     ふしやまを抱えたキョウキが俺の隣でくすくすと笑っている。
    「僕、もう、ワザガミさん大好き」
    「お前好きだよな、こういうブラックユーモアっつーの?」
     ワザガミはキョウキの大のお気に入りだ。


     続いて『特性戦士 ポケンジャー』が始まる。こちらはセッカの大のお気に入りで、ピカチュウを抱えたセッカはポケンジャーのテーマソングを声を大にして歌い出し、みょこみょこと踊り出す。
    『連続バンドデシネシリーズ、特性戦士ポケンジャー! 第14話――怪奇! 鱗粉男!』
    「かいりき! りんぷんおとこ!!」
     ご機嫌なセッカが叫ぶ。鱗粉男が怪力使ってんだがそれはまあ。
     ポケンジャーも画面の中で叫ぶ。最初からクライマックスだ。
    『出たなーっ、悪の特性怪人!』
    「でた、とくせーかいじん!!」
     のしのしとポケンジャーの前に現れたのは、モルフォンのようなドクケイルのような模様の、翅のついた怪人だった。
    『チキチキキ! アチキは鱗粉男でゲス! 鱗粉は相手の攻撃技の追加効果を一切受け付けないでゲス! 火の粉で火傷になったり、電気ショックで麻痺にならない、スバラシイ特性でゲス!』
    『じゃあ、電磁波で』
    「行っけぇーポケンジャー、でんじはぁぁー!!」
     セッカが叫んだ。それに応えるように、画面の中のポケンジャーが電磁波を放つ。鱗粉男は絶叫した。
    『キイイイー! 鱗粉でも変化技の効果は受けてしまうでゲス! シビれるうううう――っ!』
    「シビれるうううう――っ!!」
     セッカがぴゃいぴゃいと大喜びしている。
     ナレーションが入り、番組をまとめる。
    『ポケンジャーは見事なアイデアで鱗粉男をやっつけた! 負けるな戦えポケンジャー! 変化技だよポケンジャー!』
    「超かっこいい!!」
     そしてセッカはエンディングも元気良く歌い、ピカさんと一緒にぴょんこぴょんこと居間を踊りまわった。
     ロフェッカのおっさんがにやにや笑いながらホロキャスターを構えてこっち見てんだが、まさかまた俺らの動画撮ってんじゃねぇだろうな。


     お子様向けのテレビ番組が終わると、カロスの伝説特集などという番組が始まった。10番道路の列石やセキタイの謎の岩、ヒャッコクの日時計、メレシーの突然変異、異次元と繋がっているらしき宙に浮いた謎の金環。そして。
    「あ、ゼルネアスとイベルタルですね……」
     そして背後から聞こえてきた男の声を、俺たちは無視した。
     エイジだ。先ほど朝食の席で四人分の納豆の洗礼を浴びて、ひいひい言いながらシャワールームに駆け込んでいった。そこから平気そうな声音で出てきたところを見るに、どうやらネバネバとニオイは消えてしまったらしい。俺ら四つ子はエイジを見ないまま同時に舌打ちした。
     長身の居候は、俺らに納豆をぶっかけられたことも忘れたように気安く俺らの傍まで寄ってきて、俺らのすぐ後ろに胡坐をかいた。微かに石鹸の匂いが漂ってくる。
    「ああそうそう、生命を与えるゼルネアスは樹となり、生命を奪うイベルタルは繭となって、このカロスのどこかで眠りについているそうですね……」
     俺らは無視した。
     エイジは楽しそうに俺らに話しかけてきた。
    「ねえ四つ子さん、知ってますか? なぜゼルネアスとイベルタルが眠っているか」
    「……回復するためじゃねぇの」
     ぼそりとセッカが答えた。先ほどまでポケンジャーを見ていた時とはすさまじいテンションの落差だった。エイジも、発言したのがセッカではなく俺だと思ったんじゃねぇだろうか。
     そのセッカの声にエイジは機嫌よく頷いたようだった。
    「ええ、確かにゼルネアスはその通りです。……ゼルネアスは活動中、自らのエネルギーを他者に分け与えてしまいますからね、眠っている間は活動のためのエネルギーを蓄えているんですよ。満たされると目覚める」
    「……イベルタルは? 違えの?」
    「イベルタルは逆です。眠るために、活動してるんです。……イベルタルは活動中、他者からエネルギーを奪っていますからね、眠っている間は活動中に得たエネルギーで生きていけるんですよ。餓えると目覚める」
     そうエイジはすらすらと答えた。
     キョウキがのんびりと笑った。
    「ゼルネアスとイベルタルは対の存在なんですね?」
    「ええ。けれど、他者と生命をやり取りして生きるという点ではとてもよく似ている。……いつか四つ子さんも二体に出会えるといいですね」
     俺たちは返事をしなかった。



     俺たちはエイジを信じないことにしている。
     セッカの考えによると、エイジは反ポケモン派のふりをしたフレア団の人間だ。
     エイジは俺たち四つ子を扇動して政府に反抗させ、俺たちを『国家の敵』に仕立て上げてポケモン協会からも孤立させて、そしてこっそり始末するつもりだとセッカは言う。
     俺たちはフレア団にとって厄介な存在らしい。
     なぜなら、俺らが色々と騒ぎ立てたせいで、フレア団の榴火がポケモン協会の監視下に入ることになったからだ。現在はフレア団とポケモン協会が牽制し合っており、どちらも思うように動けないのだ。だから、その原因となった俺たちが、邪魔なのだ。

     そこまで考えると、そこまでフレア団にとっては榴火の存在が大きいものかと疑問に思う。
     考えてみれば奇妙なことだ。榴火は俺らと同い年くらいのトレーナーで、確かにあの色違いのアブソルは強いが、情緒不安定で、組織に従うなんて難しいのではないか。
     だから疑問なのだ。なぜフレア団は、榴火一人のために、エイジを俺らの元に送り込んで俺らを反ポケモン派に扇動するなどという、回りくどい手段をとるのだろう?
     その疑問を昨晩、布団に潜った中でこそこそと呟いた。するとセッカから淡々と言葉が返ってきた。
    「じゃあフレア団はどうすべきだってのさ。俺らを始末すればフレア団にとっても簡単に済むのにってか? そうはならないよ。だって俺らは今、ポケモン協会の保護対象だもん」
     同じく布団の中に潜り込んだキョウキからも、意見が漏れた。
    「……フレア団は、あくまでポケモン協会とは対立したくないんだねぇ。……フレア団は、国家や協会と利害が一致したときしか、活動できないんだ。今のとこ」
     サクヤがぼそぼそと唸っていた。
    「……だから、あの男は僕らを反体制派に誘導しようとしてくるはず。僕ら四つ子が『国家の敵』となった暁には、フレア団が僕らを始末しても、国家は何も文句を付けないからな」
     俺は布団の中で頭を抱えていた。
    「……俺らはフレア団の敵なのか? なんでだ? 榴火に狙われたから? なんで俺ら、榴火に狙われてんの?」
    「榴火の事は分かんない。……大事なのは、俺らの存在が、『国家とポケモン協会とフレア団の間の連携』を崩してるってこと。そして、それは国家やポケモン協会やフレア団にとっては困ったことなの。――俺らは、『国と犯罪組織の癒着』を露呈させるきっかけになってる」
     セッカはそう、夜道での話を繰り返した。
     暗い布団の中では、セッカの顔は分からなかった。
     国家と、ポケモン協会と、フレア団。
     フレア団の事は分からない。けれど、これら三つの組織はいずれも巨大な力を持っているのだろう。
     これら三つをすべて敵に回したら、俺ら四つ子に勝ち目はない。消される。誰にも頼れない、ポケモン協会が敵になれば、ロフェッカもルシェドウも、エイジも、ジムリーダーたちも、四天王たちも、チャンピオンも、博士だって敵になる。ポケモンセンターすら使えない。あらゆる街に、道路に、監視の目が張り巡らされている。
     そうなったらおしまいだ。どこにも逃げられない。
     セッカがぼやいていた。
    「だから、キナンにいる間、ロフェッカのおっさんには絶対服従ね。国とポケモン協会を敵に回しちゃお終いだから。あと四天王の皆さんにも媚売っとこ」
     普段のあいつらしからぬ打算だった。
     キナンにいる間、俺らは下手なことはできないのだ。



     そんなわけで、いやあまり関係は無いのだが、外では朝から雨が降っていた。
     雨の中ではポケモンの特訓はできない。イーブイから進化したばかりの手持ちたちはまだ幼い。シャワーズに進化したキョウキの瑠璃には問題ないが、他の奴らが万一雨に濡れて風邪でも引いたら困る。何より、俺の相棒のサラマンドラは雨が苦手だ。今日は特訓は休みにするしかない。
     エイジを背後に、俺ら四つ子は一階の居間でテレビを見ている。居間には絨毯が敷かれ、ソファや低いテーブルが並べられ、観葉植物の植木鉢がある。ポケモンたちが走り回れる広さもある。
     居間は食事室と繋がっており、食事室では食器を洗い終えたウズが熱い紅茶を淹れている。また食卓でロフェッカのおっさんは新聞を眺めていた。
     緑の被衣のキョウキがふと食事室を振り返り、ロフェッカに声をかけた。
    「ロフェッカは今日はお休み?」
    「……ん? んああ? お前らは休みなわけ?」
    「外が雨だから、今日は久々に特訓はお休み。でさ、ロフェッカって、ここんとこ何してんのさ?」
     キョウキはテレビの前から立ち上がり、ふしやまを抱えたままのんびりとソファに横向きに座り込んだ。片側の肘掛に両の肘をつき、リラックスした姿勢で食事室のロフェッカのおっさんを眺める。
     おっさんは新聞を睨んだまま生返事をした。
    「エイジがお前さんらのお守りしてっから、楽さしてもろてますよ?」
    「え、じゃあ、食っちゃ寝食っちゃ寝ってわけ? いいご身分だね。太るよ?」
    「うっせぇ」
    「――ロフェッカ殿は、日頃はポケモン協会のご用事で出かけておられるぞ」
     キョウキとロフェッカの会話に、俺らの養親のウズが口を挟む。ふわりと紅茶の香りが辺りに漂った。俺はぐるりと身をねじった。
    「ウズ、俺も紅茶」
    「取りに来やれ」
    「ねえねえロフェッカ、ポケモン協会の用事って何? 楽しい? ねえ楽しいの?」
    「別に楽しくはねえ」
     ウズも、またおっさんも淡白だった。俺は仕方なくサラマンドラを抱えたまま立ち上がり、キョウキとふしやまの傍を通り過ぎて台所まで行く。カップを手に取り、食事室でポットから紅茶を注いだ。
    「……おっさんさ、マジであんた最近、何やってんの?」
     俺はカップに熱い紅茶を満たしながらそう何気なく尋ねた。紅茶のポットを食卓に置き、カップの紅茶をストレートで啜る。俺ら四つ子は全員、紅茶はストレート派だ。ちなみにコーヒーは苦手だ。
     おっさんはなぜか溜息をついた。新聞をめくり、のんびりと適当に答えてくる。
    「ほんと下らねぇことばっかやってますよ。キナンのポケセンの視察とかね」
    「バトルハウスとかは?」
    「あー、バトルハウスも仕事で行ったな。そんときゃお前さんらはおらんかったが」
    「バトルハウスでこの頃ごたごたがあるって、マジかよ?」
     俺が鎌をかけると、おっさんはばさりと新聞を食卓の上に置いた。何気なくおっさんの顔を見やると、相変わらずの髭面だった。おっさんは苦笑している。
    「……どこで聞いた?」
    「マルチでバトルシャトレーヌ四姉妹と戦ったんだが、あいつら全然本気じゃなかったっつーか、弱かった。それにTMVも止まってたしよ。ここ、何か起きてんじゃねぇの? つーか何が起きてんの?」
    「お前さんらはなんも心配しなくてもいい」
     そこにキョウキが笑顔で甘えたような声を出した。
    「ね、ロフェッカ。お仕事、連れてって」
     俺もにやりと笑った。
    「連れてけや。社会見学社会見学」
     セッカがぴょこんと飛び跳ねた。
    「俺も! 俺も行く!」
     サクヤが鼻を鳴らした。
    「連れて行かないとシメるぞ」



     というわけで俺らの威嚇に屈したロフェッカのおっさんは、俺ら四つ子とエイジを連れて、雨の中バトルハウスに向かっていた。
     別荘には傘が用意してあった。エイジはウズの傘を借りて、総勢六名の傘を差した集団がぞろぞろとバトルハウスへ向かう。
     雨の別荘地は静かだ。
     商業区に近づくと、雨の中でもキナンは賑わっていた。広場では水タイプのポケモンを繰り出してバトルが行われている。
     しかし道すがら、エイジの奴がひたすら、ポケモン協会について立て板に水のごとく喋りまくっていた。
    「ポケモン協会はね、総務省所管の特定独立行政法人です。……その目的は『トレーナーの育成』です。その業務はポケモンリーグの運営、ポケモンバトルの普及・振興、またそのための助成や投票、検定、研究、金融、保険、年金、学校――」
    「分かんねぇよ!」
     俺は思わず怒鳴った。
     するとエイジは傘を傾け、にこりと笑った。
    「そうですね。……トレーナーカードを発行しているのも、ジムリーダーを認定しているのも、ポケモンリーグを開催しているのも、ポケモンセンターを開いているのも、ショップの道具を開発して売っているのも、著名なポケモン博士にトレーナーの旅立ちの世話をさせているのも、民間のトレーナープロダクションを援助しているのも、企業にポケモンを使った技術開発を促しているのも、災害復興を手伝うのも、トレーナーによる事件の被害者に見舞金を交付するのも、与党政権を支えているのも……すべてポケモン協会です」
     サクヤが不機嫌そうに疑問を発した。
    「行政法人のくせに、政権を支えているのか?」
    「ええ、それがポケモン協会の面白いとこなんですよ……。ポケモン協会は微妙に行政から独立してるんですよね……」
     当のポケモン協会の職員であるロフェッカのおっさんでなく、この若い家庭教師がそういった話をしているのは滑稽だった。おっさんは黙々とバトルハウスに向かっている。
    「というのも、ポケモン協会は、独自に財界と強いパイプを持ってるんです。……ポケモン協会が研究したポケモンの技術を財界に提供することで、独自の莫大な資金を得る。または、ポケモンを利用する企業に金融を行い、さらに投資を行って利益を得る。……そして多額の政治献金供与を行う――という、なんとも独立色の強い組織でして」
     そのような話をされても、俺にはあまりよくわからなかった。ちっとも具体的でない気がする。想像できず、ピンともこない。キョウキやサクヤには分かるのだろうか。もしかしたらセッカも分かっているのだろうか。
     けれど俺がそう思ったところで、セッカが水溜りを跳ね散らかしつつ、間抜けにぴゃあぴゃあ叫んだ。
    「わかんないもん!」
    「昨今のトレーナー政策はすべて、ポケモン協会が与党政府に働きかけているものだということです」
     エイジはそう簡単にまとめた。そしてすぐに他のことを思い出したらしく、ぽんと手を打つ。
    「ああそうだ、あと、現在は一応ジムリーダーは公務員ということになっているのですが、もうほとんど公務員ではないですねぇ。……だって考えてみてくださいよ。公務員って原則、副業禁止ですよ?」
     それは守秘義務や信用の維持、民間との癒着防止――といった観点から、通常なら公務員には要求されることらしい。
     キョウキが失笑する。
    「確かに。でも僕、ジムリーダーや四天王、チャンピオンって、公務員というよりかはプロのスポーツ選手みたいなイメージなんですけど」
    「微妙な線引きですよね。大会に出て賞金を狙うプロのトレーナーも、またジムリーダーなんかと別にいるでしょう。民間のプロダクションに所属するトレーナーと、ジムリーダーとの区別が曖昧になってきてます。……ポケモン協会は、ほとんど自分が行政法人だと意識してないんですよ……」
     サクヤが口を挟んだ。
    「法には問われないのか?」
    「ああ……それは問題ないでしょう。ポケモン協会法というのがあって、まあこの法律はポケモン協会の意のままに変動します。すなわちポケモン協会は何だってやりたい放題です」
     エイジの話を聞けば聞くほど、わけがわからなくなってきた。


     ポケモン協会はよく分からない。ポケモンに関わることなら、何でもかんでもやっているようだ。
     トレーナーカードの交付、ジムリーダーの認定、リーグの開催。このくらいはまだイメージしやすい。
     ポケモン博士に研究費を交付する。その代り、新人トレーナーの世話をさせる。
     ポケモンを利用する企業を支援する。シルフやデボンといった会社に融資したり、投資したり。
     または独自に、ポケモンを利用した技術を開発する。その技術を企業に売ったりする。
     農林水産、厚生労働、金融、保険、研究、教育、芸能、各種メディア、医療、観光、気象、運輸、災害対策、治安維持、軍事、政治、外交。
     聞けば聞くほど、ポケモン協会はなんでもやっている。ポケモンに関わることはすべて。
     むしろ、二つめの政府ではないかというぐらい、何でもかんでもやっている。
     政府は、自身から生まれたこの二つめの政府に、半ば呑み込まれかけているのではないかとさえ思う。


      [No.1447] 鉄と味 朝 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/09(Wed) 20:30:27     43clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    鉄と味 朝



     サラマンドラを脇に抱えたレイアと、ふしやまを頭に乗せたキョウキと、ピカさんを肩に乗せたセッカと、アクエリアスを両腕で抱えた僕。
     四人で夜の別荘地をふらふらと歩いていた。案内係がいないから、レイアのインフェルノ――このヘルガーはとても嗅覚が鋭い――に僕ら自身のにおいを辿らせ、僕らの別荘へと戻っていった。
     案内係。
     その顔を思い出すだけで胸がむかむかする。エイジ、という名前だった。
     セッカはもう少しあの男を観察するつもりだと言った。普段がぴゃいぴゃいと喧しいばかりのセッカのどこに人間を観察する暇があるのか分からなかったが、セッカは僕ら四つ子の中で最も得体の知れない、いわば最終兵器だった。セッカに任せておけばどうにかなる。
     だから僕はあの男を無視することにした。


     しかし、案内係がいないことに気付いた赤いピアスのレイアと緑の被衣のキョウキが、こちらを振り返ってきた。
    「でさ、エイジはどうしたよ? 今日はお前らの方についていってただろ?」
    「いないといないで不便だよね、あの人。喧嘩でもしたの?」
     レイアとキョウキの方からあの男の話が出されたことに、僕はほとんどどうでもいいような、しかし確かな焦燥感を覚えた。――あの男はいつの間にか、レイアやキョウキの心の中に入り込んでいる。
     僕はあの男を無視することに決めたから、黙っていた。
     するとセッカが口を開いた。
    「れーや。きょっきょ。俺は今から、真面目な話するね」
    「どしたよ、マジでケンカしたんか?」
    「ケンカっつーか。あのね、俺は隙あらばエイジを潰そうと思ってる」
     その能天気な声音に運ばれた物騒な内容に、レイアとキョウキは顔を見合わせた。どうやらセッカの様子がいつもと違うことにようやく気付いたらしい。
     僕ら四人は夜道の真ん中で立ち止まった。

     キョウキがのんびりと笑う。
    「潰す、かぁ。追い出す、じゃなくて?」
    「潰すよ。潰す。俺はあいつだけは信じない。あいつは悪い奴だよ。俺たちを殺すつもりだよ。ね、俺が真面目に考えた結果やっぱりそう思ったから、れーやときょっきょにも言っとく。絶対だよ、絶対あいつのこと信じちゃだめだからな?」
     そうセッカはレイアとキョウキの二人の顔を覗き込んで無表情に言い募った。
     普段が間抜け面のセッカが無表情だと、確かに怖い。二人はややたじろいだように僕の方に視線をやった。
    「……どういうことだ。何でセッカはここまでキレてんだよ?」
    「……もうちょっと詳しく説明してくれるかな、サクヤ?」
    「僕は知らん、そいつが考えたことだ。……あの男は、嘘はつかないらしい。しかしあの男は隠し事をしている。だから、あの男の言うことを鵜呑みにして一人合点し突っ走ってはいけない」
    「そういうこと。エイジは、反ポケモン派とかポケモン愛護派とかフレア団とか国家とか、いろんな話をしてくると思う。……でも、絶対にあいつの話に共感するな。共感したらあいつの思うつぼ。フレア団に始末されるから」
     セッカはそう断言した。
     レイアとキョウキは素直にこくりと頷いたが、僕は思わず首を傾げた。
    「……フレア団に始末される……か」
    「うん。まだ断言はできないけど、たぶんエイジはフレア団の回し者じゃねぇかな。ポケモン協会ではない。協会からはロフェッカのおっさんが来てるから」
     セッカはピカさんを両手で抱え、無表情で地面に向かってぶつぶつと呟いた。
     キョウキが口元に手を当てる。
    「……いや、そもそもなんで、『エイジさんはただの反ポケモン派の人じゃない』って結論になったの?」
    「そこが確信が持てないから、保留中なの」
    「……そうなの」
    「何にしたって、俺らはポケモントレーナーなの。反ポケモン派とは相いれません。どれだけ社会が歪んでたって、トレーナーばかりが優遇されてたって、それが何さ。俺たちは貧しい、奪われる側の人間だ。俺らが優遇されるのは当然だろ?」
     セッカはそう言い切り、無表情のまま首を傾げた。
    「だからさ、レイアも、キョウキも、サクヤも。どんなに社会がおかしくたって、俺らに社会を変えられるなんて思わないで。何も変わらないから。それどころか、俺らが何もしなくても社会はよくなってるじゃん。だって、俺らはトレーナーとして生きていられる、トキサを傷つけても旅を続けていられる。――そうだろうが?」



     夜の別荘地は静かだった。
     レイアとキョウキは何やら考え込んでいた。
    「……なんで、エイジは俺らを狙ってんだと、お前は思う?」
     レイアが見やったのはセッカだった。セッカはピカさんを抱えたまま唸った。
    「間違ってたらメンゴ。――たぶん、榴火絡み」
    「……ここで榴火か」
    「エイジは榴火を守ろうとしてるんじゃないかな。わかんないけど」
    「……なんでそう思ったんだよ?」
    「榴火はフレア団だよ。これは間違いない」
     セッカは夜の風の中、無表情にそう告げた。
     僕ら三人は無言で先を促した。
    「俺がクノエの図書館の火事の中で榴火に会った時さ、あいつ、フレア団の男に向かって『弱い奴は要らない』っつってた気がすんの。だから榴火はフレア団」
    「……へえ」
    「榴火はレイアを襲った。でも、レイアにはフレア団に襲われるようなことなんてないと思うんだ。考えられることといえば俺らがミアレで起こしたあの事件だけど、ほとんどどうでもいいよね。榴火はあんな性格だから、ほとんど何も考えなしにレイアを襲ったってのが俺の仮説ね」
     レイアは茶々を入れたいのを我慢しているようだった。僕だって、セッカに向かって『お前は誰だ』と言いたい。これほど頭のよさそうなことを言っているセッカは未だかつて見たことがない。
     しかし、これがセッカの本気なのかもしれない。本気を出させるほどに追い詰めた。僕やレイアやキョウキが間抜けだったのだ。
    「でさ、エイジは榴火の尻拭いのためにキナンまで来て、わざわざバトルハウスで目立ってフラグ建てた上で、俺らの別荘に忍び込んだんじゃねぇかな。そんくらいの因縁がないとさ、俺らの我儘にああまで付き合えなくね? エイジのお人好しさは不自然すぎる」
    「……だったらセッカ、フレア団はなんでそこまで、榴火一人の尻拭いをしてぇんだよ?」
    「榴火がレイアを襲ったせいで、榴火はルシェドウまで大怪我させることになったし、ポケモン協会が榴火に目を付けるようになったから。榴火は、俺らがいる限り、フレア団としては動けないんだよ。たぶん」
    「……なんかさ……そうなの? よくわかんないよ、セッカー」
    「つまり、俺らがいる限り、ポケモン協会は榴火を牽制しないといけないってこと。エイジの話だと、国とポケモン協会とフレア団は助け合ってる。フレア団は、国と利害が合致したときしか、今のところは活動しない。でも今、俺らのせいで、ポケモン協会とフレア団が互いに抑制し合うはめになって、お互いに動けなくなってる」
    「……それは……フレア団にとっては困ること……なのか?」
    「俺ら四つ子の存在が、国とフレア団のつながりを露呈させるきっかけになってる。――それを、国もフレア団も恐れてんじゃねぇの」
     セッカの口調は淀みなかった。
     僕もレイアもキョウキも混乱していた。まさか三人ともセッカに後れを取るとは。果たして僕ら三人がセッカ以上に馬鹿なのか、あるいは単純にセッカの説明が下手くそなのか。折衷案で、両方ということにしておいてやる。
     つまり僕らは全員馬鹿だ。


     そこでレイアがわたわたと口を挟んだ。
    「……あ、待て、ストップ。……ポケモン協会とフレア団が助け合ってる……っつったな?」
    「そだよ。ルシェドウだって、榴火のこと味方しようとしてたっしょ」
    「……いや、そういう事じゃなくって。…………ええと」
     混乱するレイアを落ち着けるように、セッカは暫く黙っていた。
     けれどレイアの混乱は解けず、レイアは何も言わなかった。それを見て取ると、セッカは一段と声を低めた。
    「だからさ、レイア、キョウキ、サクヤ。……ロフェッカのおっさんも信用できない」
     レイアとキョウキはただ溜息をついた。
     セッカがぼやく。
    「仕方ないよ、仕方ないけどさ。ロフェッカのおっさんもフレア団と繋がってる可能性、ある。ルシェドウもそう。……あのポケモン協会の二人が、あくまで“榴火に味方する”なら、間違いない。二人は俺らの敵」
    「……怖いね」
     キョウキが肩を竦める。
     セッカはうんうんと頷いた。そして僕ら三人を見回した。
    「フレア団は敵。ポケモン協会も、俺ら四つ子よりもフレア団を選ぶんなら、そのときは敵になる。だから、俺たちは絶対に、常に、善良なトレーナーでいなくちゃダメ。国やポケモン協会に、俺らを裏切る口実を与えちゃダメ。……忘れるな。――俺からは以上です」
     セッカはぺこりと一礼した。



     それから僕は、セッカの発言の補足をさせられた。
     まず、あのエイジという男から聞いた話について。
     国家もフレア団も、同じ“ポケモン利用派”だ。だから、国にとってもフレア団にとっても、“反ポケモン派”や“ポケモン愛護派”は鬱陶しくてたまらない。国家は法律を使い、フレア団はポケモンを使って、鬱陶しい連中を排除する。
     国と、ポケモン協会と、フレア団。
     三つは繋がっている。
     現在僕たち四つ子は、フレア団にとって厄介な存在になっている。それは、僕たちのせいで、ポケモン協会がフレア団の榴火を警戒することになったからだ。
     ポケモン協会とフレア団が牽制し合わなければならなくなり、フレア団は活動がしにくくなったのだ。フレア団が何を目指しているのかはわからない。
     けれど、その『活動がしにくい』という事実がそのまま、『国とフレア団の癒着』を露呈させるきっかけになっている。フレア団は犯罪組織なのだ。もしその癒着が露呈すれば、国はフレア団を取り締まらざるを得ず、フレア団はさらに活動しにくくなる。
     だからフレア団は、そのきっかけとなった僕ら四つ子を消そうとする。
     そして場合によっては、ポケモン協会もが僕ら四つ子の敵になり得る。レイアが慕っている二人の協会職員、ルシェドウとロフェッカというあの二人も、僕らの敵になり得る。
     そして、エイジに見せられた崖の下での出来事。国とポケモン協会とフレア団と、この三つを敵に回せば、僕ら四人もああなる。
     セッカが言いたいのはそういうことだ。


     そんな話を、僕らは夜の市街地でこそこそとしていた。
     辺りに人の気配はなかったが、実はこうして道中で話しているのも危険ではないかと思う。いつどこで誰に話を聞かれているかわからない。もし、本当に、フレア団やポケモン協会が僕らの敵になるならば、このようなことはすべきでないのではないだろうか。
     静かだった。
     周囲は闇だった。
     話を終えて、僕らは四人で顔を見合わせる。
     四人しかこの世にいない錯覚。
     もしかして、自分たち以外、何も信じられないのではないか。
     ポケモン協会の目は至るところに行き届いている。ポケモンセンターも、ジムも、トレーナーの訪れる街、道路、森や洞窟、すべて。すべてポケモン協会の監視下だ。もし、ポケモン協会が敵になったら。逃げ場がない。逃げようがない。
     そして別荘に帰れば、ロフェッカという協会職員がいる。あの職員も、敵なのだろうか。僕らが“ポケモン利用派”に仇なすことがないか、目を光らせているのだろうか。
     キョウキがふと微笑んだ。
    「……ゴジカさんの占い通りになったね。周りが信じられない。……ポケモン協会か、とんだ伏兵だったよ」
     レイアが苦々しげな表情になる。
    「……で、どうすりゃいいんだよ。エイジは追い出さずに置いとくのか? なんで? 怖くね?」
     それにはセッカが無表情で答える。
    「エイジは裏の事情まで知ってて、それらをすべて俺らに教えてくれる。俺らのことをどのみち始末するつもりだから。フレア団の思いがけない弱点とか喋ってくるかも」
    「……なんかセッカお前、怖えぞ……」
    「我慢して。俺も恐いから。――俺としては、れーやが心配。れーやは優しいから、うっかりエイジの話に流されそう。だからさ、れーや。エイジやロフェッカのおっさんのことは、ひとまず置いておいて。俺たちだけを信じて。れーやと同じところにいるのは、きょっきょと俺としゃくやだけなんだから」
    「……分かってる。お前ら以上に信じてる奴はいねぇよ」
     レイアは苦い表情ながら、素直に頷いた。本気のセッカに逆らうつもりもそれだけの知恵もないようだ。
     そこに、苦笑したキョウキが口を挟む。
    「ねえねえ、ちょっと怖いんだけどさ。……今の僕らの話がエイジさんとかに聞かれてたらホラーだと思わない?」
     その言葉に、僕らは口を噤んだ。
     そろそろと周囲を見渡した。
     人の気配はない。周囲は闇。街灯に照らされた、別荘の間の道ばかり。
     ここまでの話は、すべて囁き声で交わされていた。サラマンドラやふしやまやピカさんやアクエリアスの感知できない場所から僕らの聞き取るのは難しいだろう。けれど、ポケモンの技を工夫すれば、盗み聞きなど容易そうだ。
     怖い。
     おちおち話もできない。

     僕は溜息をついた。
    「……次からは、手持ちのポケモンたちにあの男を監視させて部屋のあちこちをきちんとチェックさせたうえで、布団の中にこもってこそこそと情報交換をするしかないな」
    「そうだね。そうしようか。レイア、あんま不必要にびくびくしちゃだめだからね?」
     キョウキがレイアに笑いかける。レイアがサラマンドラを抱きしめる。
    「俺はもうキョウキとセッカに任せるわ。……くそ、ルシェドウと榴火のことも気になるが、これじゃロフェッカのおっさんにも話しかけづれぇな」
    「今のとこはポケモン協会は俺らを保護しないといけないから、そう怯える必要はねぇよ。エイジについては……納豆の洗礼で」
     そう無表情でぼやき、セッカは歩いていった。レイアとキョウキと僕もそれに随った。僕らの別荘は近い。



     翌朝、のうのうと食卓に現れたエイジに、僕らは練りに練った四人分の納豆の洗礼を浴びせた。


      [No.1446] 鉄と味 夜 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/09(Wed) 20:28:45     44clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    鉄と味 夜



     いきなりおっちゃんとバトルをさせられて、俺はぼへえぼへえと肩で息をした。
     それから思い切りぴゃいぴゃいと怒ってやった。
    「――もう! なんなの、おっちゃん! 俺はれーやじゃないもんっ!」
    「なんたること! これはいかなることだ!?」
    「俺たち四つ子! 俺はセッカ! こっちはしゃくや! れーやは、いません!」
     アギトをモンスターボールにしまうのも忘れて、俺はぷぎゃぷぎゃと怒った。いきなり現れたガンピのおっちゃんは、目を回しているダイノーズをモンスターボールに戻しつつ、堂々とした足取りで俺とサクヤの前に戻ってきた。
    「これは失礼した。レイア殿の片割れ殿であったか。ふむ、そうだ確か、カルネ殿から貴殿ら四つ子の話は伺っておったぞ」
    「えっ」
    「いやはや、申し訳ないことをした。詫びに夕食にご招待いたそう。なに、我が戦友のズミ殿の料理だ、味の保証は致すぞ」
    「うひゃあ! ズミさん!?」
     大女優のカルネさんが俺らのことを覚えていたこともびっくりだけど、有名シェフのズミさんの料理が食べられることにはもっとびっくりだ。思わずピカさんやアギトと一緒に踊り出してしまった。
    「しゅごい! ごはん! おいしい! ごはん! れーやときょっきょ呼んでもいいすか!?」
    「ほう、我が好敵手と相見えることができるとは。うむ、遠慮せず呼ぶがよいぞ」
    「だってさ、しゃくや! れーやときょっきょ呼ぼう!」
     サクヤを振り返ると、サクヤはガンピのおっちゃんに向かって丁寧に頭を下げた。
    「ありがとうございます。では片割れたちを呼ばさせていただきます」
    「うむ」
     サクヤはボールから、ニャオニクスのにゃんころたを出した。にゃんころたの念力で、遠く離れたレイアやキョウキにも意思を伝えることができるのだ。俺たち四つ子の中でこうした連絡手段を持っているのはサクヤくらいだ。エーフィに進化したレイアの真珠も、育てればこういうことができるようになるのかもしれないけど。
     一方でガンピのおっちゃんは鎧のどこかからホロキャスターを取り出して、誰かと連絡を取っていた。ズミさんに俺らのことを連絡しているのかもしれない。急に客が四人増えたら大変だと思うんだけど、大丈夫だろうか。
     サクヤはにゃんころたから顔を上げた。その頃にはガンピのおっちゃんもホロキャスターを再び鎧のどこかにしまっていた。
    「こちらの位置は随時、二人に連絡できます。ご案内をお願いしてもよろしいでしょうか」
    「承った!」
     ガンピのおっちゃんは全身の鎧をガシャガシャと鳴らしながら歩いていった。俺はアギトをボールに戻し、ピカさんを肩に飛び乗らせると、アクエリアスを抱えてにゃんころたを引き連れたサクヤの手を取った。手を繋いでガンピのおっちゃんのあとを追う。
    「ところで、おっちゃんはなんで、鎧着てるんすか?」
    「うむ、我は騎士にして公爵であるからな。常に鎧姿にて戦に備えねばならぬのだ」
    「いくさって、バトルっすか?」
    「うむ。ポケモンバトルは現代の戦なり。万全の備えにて望むが、騎士の心がけであるぞ」
    「確かに、バトルしてて急に爆発とか起きたら危ないっすもんね!」
    「左様。用心は怠らぬようにな」
     つまりガンピのおっちゃんは、いつバトルで爆発しても安全なようにしているのだ。さすがだ。トキサもおっちゃんみたいに鎧を着てればよかったのに。



     俺がおっちゃんとバトルをしているうちに、日は暮れてしまっていた。辺りはすっかり暗いけれど、キナンの市街地は街灯に照らされて明るい。
     俺とサクヤはおっちゃんに連れられて、別荘地まで戻ってきた。その頃、ヒトカゲのサラマンドラを抱えたレイアと、フシギダネのふしやまを頭に乗せたキョウキと合流を果たした。
    「やあセッカ、サクヤ。いやぁ、おいしい晩御飯をゲットするなんてやるじゃない」
    「お。ガンピさん、どうもご無沙汰っす。リーグ以来っすね」
    「ぬおおレイア殿! 先ほどは貴殿の片割れ殿を貴殿と見誤ってしまったぞ!」
    「あー、そりゃ申し訳ないっす」
     それからレイアはガンピのおっちゃんと何やら楽しくおしゃべりしていた。どうやら再戦は、次のポケモンリーグでの公式戦に持ち越すことにしたようだ。やはり私闘ではなく正々堂々と、などとおっちゃんが述べている。
     この昼間、レイアとキョウキも、それぞれイーブイの進化形たちを育てていたはずだ。レイアやキョウキやサクヤの三人は何もしなくてもズミさんの美味しい料理が食べられるから、ずるいと言えばずるいんだけど、三人が幸せになれば俺はそれで幸せです。サラマンドラもふしやまもアクエリアスも、美味しい料理が食べられると聞いて機嫌がとてもよさそうだ。もちろん俺のピカさんも。


     おっちゃんに連れられてきた別荘は、俺たちが借りている別荘よりもさらに大きい別荘だった。庭に大きなプールまでついていて、強そうな水ポケモンが寛いでいるのが高い塀の隙間からちらりと見えた。ズミさんのポケモンだろう。
     俺はおっちゃんに声をかけた。
    「まさか四天王って、みんなで別荘をシェアハウスしてんすか?」
    「はははは、まさか。我の別荘は別にあるぞ。ここはズミ殿の別荘で、チャンピオン殿や我が同胞たる四天王、そしてジムリーダー殿たちは時折食事に招じられるのだ」
     そう言いつつおっちゃんが別荘の門扉の前まで行くと、驚いたことに門扉が勝手に開いた。俺たちはびっくりして声を上げてしまった。自動ドアだ。
     お出迎えの凄そうなおじさんが、俺たちを別荘へ案内してくれた。
     そこはもう訳の分からないくらい、立派な別荘だった。別荘ってピンキリなんだな。というか四天王ってお金持ちなんだな。――そう呟いたら、キョウキがこそこそと笑った。
    「違うよ、お金持ちが四天王になる蓋然性が高いってだけさ」
    「ほえ? が……がいぜんせー?」
    「お金持ちは小さいころからポケモンの教育を受けてる。衣食住の心配をせず、ポケモンの育成に打ち込める。高価な道具だっていくらでも使えるし、いいボールで強いポケモンを捕まえられるし、傷薬を贅沢に使ってポケセンに行かずいくらでも連戦できる。貧乏よりお金持ちの方が強くなれるのはある意味当然さ……」
     俺は唸ってしまった。世の中不公平だ。強いトレーナーはたくさん大会に出て賞金を稼ぐ。四天王もたくさんの賞金を稼いでるはずだ。元々お金持ちなのにさらに稼ぐなんてずるい。
     トレーナーは貧しい人でもなれるけど、トレーナーでたっぷり稼げるのはお金持ちだけだ。貧しいトレーナーは貧しさから抜け出せないのだ。ずるい。ずるすぎる。


     何だかんだで俺たち四つ子とガンピのおっちゃんは、ズミさんの別荘の大きな食事室に招かれていた。そこにシェフ姿のズミさんが現れた。
     俺は初めてまともにこの四天王の一人を見たけど、どうも目つきが悪くて怖そうな人だ。俺がこっそりサクヤの陰に隠れてこそこそしていたら、ズミさんは俺たちに向かって頷くように微かに会釈した。
    「お待ちしておりました。急なお招きにもかかわらず足を運んでいただき、ありがとうございます」
     笑ってズミさんに応じたのはやっぱり、サラマンドラを抱えたレイアだ。レイアだけはズミさんともポケモンリーグでバトルをした仲だから、話しやすいのだと思う。
    「どうも、ズミさん。リーグ以来っすね。こっちこそ急に来てすんません」
    「いえ。お久しぶりです、レイアさん。本日は料理に全身全霊を打ち込ませていただきます。片割れさんがたも、今日はごゆっくりお楽しみいただければと存じます」
    「ご丁寧にどうも。はじめまして、キョウキです。この子はふしやまさんです。それから、セッカとピカさん、サクヤとアクエリアスです」
     そんな形で俺たちはズミさんと挨拶をして、なんだか豪勢なテーブルに着いた。純白のテーブルクロスが掛けられ、卓上には花々が飾られている。いきなり俺たち四つ子が押し掛けてきたのに、全く問題ないという風にご案内されてしまった。

     レストランにいるかのように、給仕された。
     ガンピのおっちゃんは席についても、鎧を着たままだった。そのくせナイフやフォークを操る手つきは滑らかだったし、一つ一つの動作が優雅だった。
     ズミさんの料理が次々と運ばれてくる。前菜。サラダ。スープ。パン。魚料理。ソルベ。肉料理。チーズ。フルーツ。デザート。コーヒー。プチフール。おしまい。言ってしまえば簡単だけど、言っておくととても大変だった。なにしろ俺たち四つ子は普段はお箸で食事をするから、ナイフとかフォークとかはうまく使えないのだ。マナーなんかもまったく知らない。ウズに聞いてもウズも知らないと思う。モチヅキさんなら知ってるだろうか。
     ただ、そもそも俺たちの服装が薄汚れた着物に袴ブーツだから、ズミさんもガンピのおっちゃんも、俺たちに上品なお食事というものは期待はしてなかったと思う。
     それでも何というか、薄汚い格好で来てごめんなさいと思った。場違いなところに来てしまったと思った。そう思い始めるとなかなか料理を楽しめなかった。とても美味しくて量もたっぷりあったのだけれど、ズミさんやガンピのおっちゃんに嫌な思いをさせてやしないかと気が気でなかった。ガンピさんの挙動をまねつつも、一口ごとにびくびくしていた。
     俺が思ったことは大体、レイアやキョウキやサクヤも思っている。三人ともどこか縮こまっていた。ただ、俺たちの愛する相棒であるサラマンドラやふしやまやピカさんやアクエリアスは、マナーなんてお構いなしに、運ばれてくる料理にがっついていた。ああ、俺もポケモンになりたい。マナーとかに煩わされない自由な生き物になりたい。レイアやキョウキやサクヤも同じことを考えているはず。
     お食事会は緊張した。
     ズミさんが料理の説明を丁寧にしてくれるのだけれど、まったく頭に入らなかった。本当に申し訳なかったと思う。
     でも料理は確かにおいしかったです。
     食事が終わって俺たち四人が手を合わせて「ごちそうさまでした」をすると、ズミさんやガンピのおっちゃんは変な顔をした。俺たちが重いスープ皿を持ち上げて口をつけてスープを啜った時や、フォークを右手にナイフを左手に持った時や、耐え切れずマイお箸を取り出した時と同じだ。
     本当に、ウズの教えてくれたことはどうしてこう、世間で通用しないんだろうな。
     ウズが炊いた白いご飯を食べたい。納豆ねりねりしたい。納豆ご飯にするの。
     たいへんいたたまれないです。



     ごうせーなでぃなーが終わった。
    「お楽しみいただけたでしょうか」
     ズミさんはやっぱり目つきが悪くて怖かった。俺たちはにっこりと愛想笑いをした。
    「うす」
    「ええとても」
    「超おいしかったです」
    「見た目もとても美しかったです」
     そう俺たち四人が賛辞を投げかけると、ズミさんはやはり微かに会釈をした。
    「ありがとうございます。どうも四名様は緊張なさっていたようなので、料理人たるもの、寛いで料理をお楽しみいただくべく更なる精進を重ねなければと思いを新たにいたしました」
    「いや、俺らが悪いんで……」
    「ズミさんやガンピさんには、ご不快な思いをさせてしまったかもしれません」
    「すんません、ちょっと俺ら、マナーとか分かんなくて……」
    「ご無礼をいたしました」
     口々にそう言って俺たちは悄然と頭を垂れた。
     するとズミさんは考え込んだ。
    「困りましたね……我が料理人としての使命は料理を楽しんでいただくこと……しかし料理が芸術たるにはやはり、それを食すものにも一定の――何か――が要求されるのだろうか」
    「一定の何かに達してなくてすんませんっした」
    「申し訳ありませんでした」
    「ほんとすみませんでした」
    「僕らはズミさんの料理に見合う器ではありませんでした」
     俺たちは口々に謝罪して、もそもそと立ち上がった。しょんぼりして退室しようとした。
    「お待ちください」
     しかしズミさんの涼やかな声が俺たちの足を止めさせる。
     ズミさんは俺たちの前までつかつかと歩み寄ってきた。そして真顔で俺たちに言い放った。
    「――勉強なさい」
    「はい……」
    「そうします」
    「出直してくるっす」
    「失礼します」
     四人で項垂れると、ズミさんは頷いたみたいだった。
    「――ええ。お待ちしております」
     俺たちはそそくさと退室した。


     俺たちが学んだのは、教養というものがないと、いつなんどき恥をかくか分からないということだった。俺たちはポケモントレーナーで、ポケモンという接点がある限り、うっかり大女優のカルネさんとカフェでお茶をすることもあるし、すんばらしい別荘でフルコースを頂くこともあるのだ。
     恥をかくと、もうどうしようもなく自分が情けなくなる。今まで大きな顔で出歩いていた自分が恥ずかしい。
     でも、勉強するのって面倒くさい。
     マナーなんて教科書を読んで身につくものでもないと思うし、俺たちの養親のウズはきちんと「いただきます」「ごちそうさま」の挨拶と箸の正しい使い方を教えてくれた。それだけでは足りないのだろうか。何が足りないのだろう。
     俺たちが恥をかくのは、俺たちが悪いのだろうか。社会の方が変なのかもしれない。
     でも、かといって俺たちには社会を変える力なんてない。
     だったら、社会に順応するべく努力するしかないのではないか。
     なんでそんなことをしなければならないのだろう。
     俺たちはカロス人にならなければならないのだろうか。
     カロス人にならないと、消されでもするのだろうか。


      [No.1445] 鉄と味 夕 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/09(Wed) 20:27:03     41clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    鉄と味 夕



     僕はセッカを抱きかかえるようにして、山の中を後ずさった。
     セッカのピカさん、そして僕のアクエリアスもじりじりとそいつから距離を取り、唸る。
     エイジとかいう、胡散臭い家庭教師が口を噤む。
     そいつが山中でこっそりと僕らに見せたのは、まるで映画のワンシーンのような処刑だった。
     フレア団の連中が、拘束した無抵抗の一般人をポケモンで始末しているところだった。あれはおそらく本物だった、と思う。たとえ本物でなくても、『それを見せた』という事実がそのまま、この男の何かしらの後ろ暗さを露呈させているのだ。
     セッカは震えている。叫びやしないかと押さえていたセッカの口から僕がそっと手を放しても、セッカが腰が抜けたように座り込んで何も言わない。――いや、違う。何にせよこれ以上セッカを刺激すれば面倒だ。
     セッカの動揺した様子が、逆に僕を落ち着かせてくれる。


     僕は男を睨んだ。男はへらへらと笑っていた。 
    「……貴様は何がしたい」
    「え、そりゃあ授業ですよ……。だって自分、四つ子さんの家庭教師しないと、追い出されちゃうじゃないですか……」
    「ふざけるな。何を教えたつもりだ。反ポケモン派のことをくだくだと説いて、それで何だ? フレア団による反ポケモン派の始末の様子を見せて、僕らに何を教えようというんだ」
    「ですから、四つ子さん。……自分は四つ子さんには、世の中の歪みを正しく知っていただきたいんです」
     男は己の胸を手で押さえ、どこか芝居がかった動作でがくりと項垂れた。
    「自分はかつて反ポケモン派の一員として活動し、その結果父は職を失って、経済的にも困窮し、一家離散の危機に直面しました……。自分は恐れています。この国の今後を憂えているんですよ……」
    「……だから?」
    「四つ子さんは、世の中がこのままでいいんですか……? 強い者が弱い者から奪い続ける、そんな世界を放っておくんですか…………?」
     男は下卑た笑みを浮かべて、僕らを見ていた。虫唾が走るような汚らしい笑顔だった。キョウキの作り笑いの方がまだ愛嬌がある。
     そいつは粘っこい声ですり寄ってきた。反射的に半歩下がる。
    「政府がやっているのは、思想弾圧ですよ。……トレーナー政策に反対する者は、非国民なんです。犯罪結社を秘密警察みたく使って、政府に反対する者を消すんです。それを何というかご存知ですか? ……全体主義、ファシズムと言うのですよ」
     僕はセッカを支えたまま、男を睨んだ。
    「……それも貴様の思想に過ぎない。今の話が真実ならば、貴様自身もすぐにフレア団に消されるだろう。……貴様がフレア団に消されたときは、今の話を信じることにする」

     そういうことだろう。
     この男がやっているのは、国家に対する批判だ。犯罪結社であるフレア団を容認する国家を、この男は非難している。それは即ち、この男は反ポケモン派であるも同義だ。
     そしてこの男の言う通り、国家が反ポケモン派を弾圧するというならば、この男自身も国家によって消されなければ、筋が通らない。
    「……僕の言ったことは間違っているか?」
     そう確認すると、男はへらへらと笑って溜息をついた。
    「いえ、確かにそうです。……自分は死に物狂いで逃げたんです、フレア団から。そしてフレア団の監視の目を潜り抜けて、どうにか世間に、この国の歪みを伝えようとしているんです。……そのためには死んだらお終いです……」
     そして男は顔を上げ、言い放った。
    「だから自分はフレア団には消されません」
     埒が明かない。
    「……元トレーナーだか何だか知らないが、よくここまで一人で無事に来れたものだな。そして何だ、僕らに同様の思想を刷り込み、僕らを反ポケモン派に引き入れて道連れにしよう、と? ――それが反ポケモン派の考えか?」
    「こうするしかないんです……。地道に、理解を求めるしか。……こうするしかないんですよ」
     男は寂しげに笑った。
    「ねえ、四つ子さん。……この崖の下で、反ポケモン派の人間が、たった今、殺されました」
     せせらぎの音が聞こえる。崖の下を流れる小川のせせらぎの音だ。
    「自分も、お二人も、何もできませんでしたね。ポケモンがいるのに。何もしなかった。……何もしないでいいんですか? 四つ子さんはもう自分の話を聞いてしまいました。この国がおかしいということを理解してくださったと思います。……だから、もうね、四つ子さんも反ポケモン派なんですよ……」
    「違う。貴様の話など誰が信じるか。この嘘つきめ、すべて貴様のでたらめだろう」
     僕はこの男の話を信じるわけにはいかなかった。
     崖の下で起きたことはきっと幻だろう。人に幻を見せる力を持ったポケモンなど山ほどいるのだから。
     セッカの震えは止まっていたが、セッカは僕の腕の中で沈黙していた。
     僕はセッカを掴んで、立った。足元のアクエリアスとピカさんを見やる。
    「――戻るぞ、二匹とも」
    「待ってください、お二人とも……」
    「貴様の話は懲り懲りだ!」
     強い口調で言い放つと、男の足音は止まった。
     僕はセッカを抱えたまま、ピカさんやアクエリアスに元来た道を辿らせ、その後に続いて戻った。



     セッカは自分の足で歩いた。滑りやすい山道を慎重に歩いている。その顔を覗き込むと、セッカは無表情だった。
    「……セッカ、大丈夫か」
    「…………ん」
     微かに頷きが返される。
     背後を振り返っても、男の姿はない。暫くその方向の山林を睨み、そして僕は再びセッカを支えてキナンシティの市街地に向かってのろのろと山の中を戻った。
     セッカは黙っている。こいつは普段が喧しいだけに、こう静かだとこちらまで不安になってくる。
    「セッカ、あの男、叩き出すか?」
    「…………わかんない」
     セッカはぼそりと呟いた。
     空は朱色に紫に藍色に染まっていた。もう日が暮れる。市街地は人が行き交う。
     僕とセッカは通りの真ん中で立ち止まった。項垂れたままのセッカを見やる。
    「僕はあの男を追い出したい。これ以上訳の分からないことを吹き込まれたくない。こちらまで頭がおかしくなる」
    「…………サクヤ、エイジの言ってたこと、嘘なのかなぁ」
    「すべて嘘に決まっている」
    「なんで?」
     セッカが顔を上げた。その顔には表情がなかった。まっすぐ僕を見つめてきた。
    「…………サクヤはさ、モチヅキさんのこと信じすぎてさ、他のことを見れてない気がする。一つの事だけが正しいんじゃないよ。そして何かが全て間違ってるなんてこともねぇの。……真実のどこかに、嘘が紛れ込んでんですよ」
     セッカは無表情でそう言った。
     セッカは稀にこうなる。道化の皮がはがれたように悟ったような目をして、普段のこいつからは想像もつかないことをつらつらと並べ立てる。
     僕は嘆息した。
    「……じゃあ、何が嘘で、何が本当なんだ?」
    「たぶんさ、エイジが言ってたことはだいたい本当だと思うよ。エイジは俺らに、反ポケモン派に加担してほしがってる。でも、エイジは、俺らに『世界の歪みを正す』ことなんて求めてない……気がする」
    「どういう意味だ?」
    「エイジは諦めてる。この世界の歪みはどうしようもないと思ってる。なのにエイジは、俺らにあんなものを見せ、あんな話をした……」
    「そうだな」
    「――だからサクヤ、これは罠だわ」
     セッカは無表情にそう言い放った。
     僕は腕の中のアクエリアスと一緒に首を傾げるしかなかった。
    「罠、だと?」
    「そう、罠。エイジは俺ら四つ子を反ポケモン派に取り込んで、そのまま俺らを破滅させようとしてる」
     セッカは僕を見つめたままそう言うと、すぐに通りの先に視線を転じて歩き出した。僕もその隣に並んで歩く。
     ピカさんを肩に乗せたセッカは低い声で続けた。
    「エイジがどんな奴か、俺にもまだ分かんない。エイジが個人的に俺ら四つ子のことを恨む理由はないと思う。だから、エイジが俺たちの傍に来た理由は、まだよく分かんない。……でも俺はエイジを信用はしていない。キョウキもしてないと思う」
    「……僕もしてないぞ。レイアはどうかは知らんが」
    「レイアのことはキョウキが守るよ。だからサクヤは俺と一緒にいよう。……エイジは胡散臭いけど、間違ったことは言わないと思う。もうちょっとだけ泳がしとこ」
     セッカは無表情にそう言った。
     僕は深く溜息をついた。ときどきこの片割れが分からない。
    「……お前は何なんだ? 洒落にならないものを見て頭がおかしくなったのか?」
    「ある意味、そう。この非常事態で馬鹿はやれない」
    「普段のお前は演技か?」
    「……あのさサクヤ、俺がお前に言うのもあれなんだけどさ、茶化してる余裕なんてないからね。俺らの今の状況、くそやばいからね。――つまりお前、ふざけんな」
    「……確かに、セッカに言われるのは屈辱だな」
    「だろ。俺、エイジのことは最高に警戒するわ。しゃくやもそのつもりで、お願いね」
     そう言ってセッカはピカさんに頬ずりしている。


     そして前を見ないままキナンの通りを歩いていたセッカは、鋼鉄の鎧にぶち当たった。
    「もぎゃん!!」
    「ぴぎゃぶっ」
     セッカとピカチュウが同時に間抜けな悲鳴を上げる。
     すると、鎧を着込んだ男性がガシャガシャと音を立てつつ、慌てて身をかがめてきた。
    「おっと、これは申し訳ない、若者よ! ――……ぬ?」
     その鎧の男性は、潰された鼻を押されるセッカと、そして僕とをまじまじと見比べていた。どうせ『お前たちは双子か』などというリアクションを貰うのだと見当をつける。
     しかし鎧の男性は軽い動作で飛び退った。
    「ぬぬぬ、貴殿は、我が好敵手ではないか! ここで会ったが百年目……カロスリーグでの雪辱、今ここで果たさせてもらおう!」
    「えっ」
    「えっ」
     僕もセッカも思わず首を傾げた。
     その男性はカロスの四天王の一人――ガンピだった。前回のポケモンリーグでレイアに敗れたのだ。
     そしてどうやら、ガンピは僕かセッカのどちらかを、因縁の相手であるレイアだと勘違いしているらしかった。戦闘前の儀式の如く、大声で名乗りを上げる。
    「我こそは四天王の一人にして鋼の男、ガンピ! 我と我の自慢のポケモンたち、持てる力を惜しみなく発揮し、正々堂々相見えること、ここに誓おう!」
     そしてガンピが見据えているのは、ピカチュウを抱えたセッカだった。
     セッカがぴいと悲鳴を上げる。ぴょんと挙動不審に跳び上がった。さっきまで自分で『馬鹿やってる暇はない』とか言っていたのはどこへ行ったんだ。
    「ええええええ! 俺っすか――!!?」
    「『ばんがれ』、セッカ」
     僕は適当に声援を送ってやった。
    「ではでは、いざ! いざ!! いざっ!!!」
     そしてセッカは四天王の一人との勝負に突入していった。


    「正々堂々と一本勝負でゆくぞ! 参れ、ダイノーズ!」
    「ぴゃああああお願いアギト! 助けてー!」
     急に強敵とのバトルに突入したとき、セッカが頼るのはガブリアスだ。もちろん相性を考えて繰り出しているのだろう。
    「ぬう、我との再戦を睨んでガブリアスを育てておったか……。しかし臆するなダイノーズ、ラスターカノン!」
    「アギト、地震! 頑丈かもしんないからドラゴンクローで追撃!」
     ガブリアスは速かった。
     ダイノーズの打ち出した光線を躱しつつ地面に力を叩き付け、市街地を揺るがす。
    「ダイノーズ、大地の力で対抗せよ!」
     ガンピのダイノーズは大地の力で足下を味方につけ、ガブリアスの地震を相殺する。そして襲い掛かるガブリアスのドラゴンクローをその鋼の体でしっかと受け止めた。
    「今ぞダイノーズ、ラスターカノン!」
    「アギト、ストーンエッジで防いで! 炎の牙!」
     ダイノーズが光線を打ち出す。
     ガブリアスの生み出した岩石が、それを防御する。
     ガンピが叫んだ。
    「すぁ――すぇ――るぅ――ぬぁぁ――っ!!」
     その激励に力を得たか、ダイノーズの光線が岩石を打ち破った。ガブリアスは跳躍し、ラスターカノンの直撃は免れる。そして音速で敵の背後をとったガブリアスが、炎を纏った牙でダイノーズにかぶりつく。
    「ぐぬう、ダイノーズ、背後に大地の力!」
    「アギト跳べ! 戻れ! 地震!」
     セッカが絶叫するように指示を飛ばす。ガブリアスがダイノーズから離れ、高く跳躍し、その勢いでセッカの前に戻り、地震を撃つ。
    「ダイノーズ、耐えよ――っ!!」
    「潰せ!!」
     ガブリアスの起こした地震に、ダイノーズが巻き込まれる。
     先ほどのドラゴンクローで、ダイノーズのその頑丈さはわずかに損なわれていたようだった。
     大地の揺れが収まったとき、ガンピのダイノーズはバランスを崩し、ぐらりと倒れた。


      [No.1444] 鉄と味 昼 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/09(Wed) 20:25:31     54clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    鉄と味 昼



     食事時にテレビがついていると大変だ。
     なぜって、食べるのと喋るのとテレビを見るのとで忙しいからだ。俺たち四つ子は昼の食卓につき、お箸で納豆をねりねりしながら、テレビを見ていた。
    「TMVが、止まった?」
     レイアが少し大きな声を出した。ニュースがそう言ったのを繰り返したのだ。
     なんだか俺らから距離をとったエイジが、鼻をつまんだまま鼻声を出した。
    「……ええ、昨晩お話ししたじゃないですか。バトルハウスに抗議するため、このキナンに反ポケモン派やらポケモン愛護団体の人々がTMVに乗って詰めかけてきたんですよ……。それで国家は慌ててTMVを止めて、そういう人たちの流入を食い止めてるんですっ」
     そこまで言い切ると、エイジは苦しそうに口でハアハアと大きく喘いだ。
     俺は高速で納豆をねりねりしながら首を傾げる。
    「エイジ、どしたん? 息の根止める練習?」
    「……違いますよ……誰がそんな練習するんですか…………四つ子さんは、よくそんなニオイの物を食べれますね……」
    「なっとぅーのこと?」
    「そうです……」
     エイジは食卓に着きながらも、ずっと左手で鼻をつまんでいた。右手にはスプーンを持っている。エイジはお箸が使えないので、ご飯もスプーンやフォークで食べるのだ。
     確かに、カロス地方のどこに行っても納豆は見かけない。ちなみに、お箸を使っている人もいない。だから俺たち四つ子は、旅先にマイお箸を持参している。外食先でお箸を使っているとたまに驚かれるぞ。
     どうやらエイジは、納豆のにおいが苦手みたいだ。
     レイアがにやりとして、キョウキがにこりと笑った。二人が機嫌がいいので、俺も嬉しくなって笑った。サクヤも微笑した。
     俺たち四つ子は納豆パックを持ってねりねりしつつ立ち上がり、エイジに詰め寄った。
     そして超高速で納豆をねりねりした。
    「おら納豆うめぇぞ」
     赤いピアスのレイアが悪い笑みを浮かべて納豆をねりねりしている。エイジが鼻をつまんでいない方の手で頭を抱えた。鼻声で呻く。
    「うわああああやめてください……来ないで……」
    「こうやって練ると、粘りが出てさらにおいしくなるんですよ」
     緑の被衣のキョウキも笑顔で納豆をねりねりしている。エイジが鼻声で嘆いた。
    「なんで糸引いてるんですか……なんで糸引いてるもん食べるんですか……っ!」
     俺も納豆をねりねりしながらエイジに詰め寄った。
    「なっとぅーはうまいぞ! ほれエイジも食べてみ? はい、あーん」
    「……や……やめてください……!」
    「僕らの納豆が食えないのか」
     青い領巾のサクヤが納豆をねりねりしながら迫った。
     俺たち四つ子は練りに練った納豆を同時に箸でつまみ、四人でエイジに差し出した。
     するととうとうエイジが発狂してしまった。
    「……来ないでっつってるでしょうが――ッ!!!」
    「あ」
    「あ」
    「あ」
    「あ」
     思い切り立ち上がったエイジの手によって、俺たちが持っていた納豆パックがはたかれ、宙を舞った。
     エイジは頭から、たっぷりねりねりされた納豆を、四人分かぶった。

     いつの間にかホロキャスターで動画を撮っていたらしいロフェッカのおっさんにめちゃくちゃ笑われた。
     台所から飛んできたウズにめちゃくちゃ怒られた。
     俺たちの足元で昼ご飯を食べていたサラマンドラとふしやまとピカさんとアクエリアスにめちゃくちゃ笑われた。



     お昼ご飯を食べ終わった午後、納豆まみれのエイジを風呂場で丸洗いした後の午後。
     俺とサクヤは二人でキナンシティの外れに行き、イーブイの進化形たちの特訓をしていた。俺はブースターの瑪瑙とリーフィアの翡翠、サクヤはブラッキーの螺鈿とグレイシアの玻璃だ。
     それぞれ新しい技をいくつか習得して、だいぶバトルらしいバトルができるようになってきた。今はピカさんが一匹で瑪瑙と翡翠の二匹の相手をし、サクヤのアクエリアスが一匹で螺鈿と玻璃の二匹の相手をしている。
     俺のピカさんやサクヤのアクエリアスは、とても頭がいい。自分のことだけでなくて、他の手持ちのポケモンたちの戦い方まで分かっている。そうでなくちゃダブルバトルをするときなんかに困るから、当たり前といえば当たり前で、大事なことなんだけど。
     ピカさんやアクエリアスがそれぞれ何を言っているのかは分からないけれど、しっかり先輩として瑪瑙と翡翠と螺鈿と玻璃の四匹を指導しているようだ。とても頼もしい。俺やサクヤの出る幕はない。
     そこはキナンの市街地から離れた、山の中だった。
     林の中、少し開けた場所で、六体のポケモンが特訓に明け暮れている。
     俺とサクヤは少し離れた地面の上に座ってポケモンたちの特訓を見つつ、くつろいでいた。――いや、違った。エイジもいた。
     背高のっぽのエイジは、俺たち二人からさらに数歩下がったところで、にこにことポケモンたちの特訓を眺めていた。お昼ご飯の時に頭から納豆をかぶって大惨事になったのに、そんなことを既に忘れてしまったかのように今はもう爽やかな笑顔だ。エイジってほんとはただの馬鹿なんじゃないのかな、俺と同じで。
     サクヤは背筋を伸ばして、自分のポケモンたちを注意深く観察している。俺はサクヤの青い領巾をつまんだ。
    「ねえ、しゃくやー」
    「なに?」
    「ひまー。遊びにいこー」
    「シャトレーヌを再度撃破してからにしよう」
     サクヤは俺の方を見ずに淡々とそう答えた。俺はむくれる。


     俺たち四つ子はこないだ、バトルハウスのマルチバトルに挑んで、バトルシャトレーヌに圧勝した。しかし、バトルシャトレーヌの方は色々なごたごたが重なって、まったく本気を出していなかったのだ。だから、バトルハウスのごたごたが収まったときに、バトルシャトレーヌにもう一度挑もうという話になったのだ。
     そのために、俺たちはイーブイの進化形たちを育てている。
     でも正直、ピカさんやアクエリアスに任せていれば大丈夫そうだ。二匹とも面倒見はいい。俺たちが何も言わなくても、自然とピカさんやアクエリアス自身と同じようなバトルスタイルを仕込んでくれるから、トレーナーである俺らとしてもやりやすい。新入り達がピカさんやアクエリアスをパーティーのリーダーとして慕ってくれるのも嬉しいことだ。
     そう、手持ちのポケモンの中には序列があるのだ。
     その基準はトレーナーと一緒にいる期間の長さであったり、強さであったり、トレーナーの可愛がりようであったり、あるいはそれらの複合だったり。
     そして手持ちの中には、それぞれの役割も芽生える。他のポケモンたちをまとめるポケモン、バトルで大活躍するエースのポケモン、移動を手伝ってくれるポケモン、探し物や食料集めや料理なんかを手伝ってくれるポケモン。そうした手持ちの中での役割分担は、ポケモンたちが勝手に見つけていくのだ。トレーナーはそれを見極めて、役割に応じたポケモンに仕事を頼むことになる。もちろん、全員がバトルに出て十分に戦えることが前提だけれど。
     とにかくそんなこんなで、俺のパーティーの中で一番偉いのはピカさんだ。俺の一番の相棒だし、たぶん一番強い。ガブリアスのアギトと勝負をさせればさすがに勝つのは難しいけど、それは単に相性の問題だし、バトルの経験が多いのはピカさんだ。
     今のうちに瑪瑙や翡翠には、ピカさんのすばらしさを知ってもらわなければならないのだ。そうでないと、俺がピカさんにばかり食べ歩きの料理を分け与えることなどについて、嫉妬を覚えたりするからだ。
     俺はピカさんに特別扱いを許している。それはレイアのサラマンドラ、キョウキのふしやま、サクヤのアクエリアスにも言えることだ。仕方ないのだ、六匹の手持ちすべてに平等に構うのは難しい。手持ちが増えると、ポケモン同士の関係にも気を配らないといけないので大変だ。トレーナーがポケモンのご機嫌を取るわけにもいかないし、かといってポケモンに愛想を尽かされるのも困る。
     とにかくトレーナーは大変なのだ。
     しかしそれはつまり、独りではないということの裏返しなのです。

     そんな中で、俺たち四つ子はうまくポケモンたちをマネージメントできてる、と思う。レイアのサラマンドラはいつもは大人しいけどバトルとなるとポケモンが変わったように怖くなるし、キョウキのふしやまはその知能の高さでは他のポケモンを寄せ付けないし、俺のピカさんは優れた熱血指導者だし、サクヤのアクエリアスは兄貴分として他のポケモンたちの信頼を集めることに長けている。
     だから俺たちトレーナーのすることはない。
     暇だ。
     太陽は傾いている。
     林の地面に日差しが斜めに落ちる。
     俺はくああと欠伸をした。ふとちらりと横を見たら、サクヤも目を閉じている。
     息を切らせて座り込む瑪瑙、翡翠、螺鈿、玻璃に、ピカさんやアクエリアスが何かを叫んでいる。だいぶきつそうだ。今日の特訓もそろそろ切り上げるか。
     山の地面がひんやりと冷えてきている。風が林の木々を鳴らす。
     すると、それまで黙って座っていたエイジが立ち上がって、俺たちの方に歩いてきた。
    「セッカさん、サクヤさん」
    「なぁにー?」
     俺は返事をした。サクヤはエイジの方も見ず、ひたすらポケモンたちばかり見ている。
     エイジは、地面に座り込んでいる俺とサクヤの真ん中に歩いてきて立ち止まった。
    「そろそろ特訓はお終いですか? ちょっと、面白いもの、見に行きません?」
    「面白いもの?」
    「すぐ近くですから」
     そうエイジが悪戯っぽく笑う。しかし実際には、そのエイジの笑顔を見るには俺はものすごく顔を上げないといけない。俺は座っているのに対し、背高のっぽのエイジは立っているのだ。
     俺はさっさと立ち上がり、大きく伸びをした。サクヤは座ったままだ。
    「面白いなら、見に行くー。……あ、でもエイジ、もし面白くなかったらまた納豆かけるからな?」
    「……納豆は……勘弁してください。というか、食べ物をそんなふうに扱うと罰当たりますからね……」
     俺は鼻を鳴らした。



     俺とサクヤは、イーブイの進化形たちをモンスターボールに戻して休ませてやった。そしてまだ元気の有り余っているピカさんを俺は肩に乗せ、アクエリアスをサクヤが両手で拾い上げる。
     そしてどこか胡散臭そうな顔をしているサクヤの手を取って、エイジのあとを追って山を登った。
     手入れなどほとんどされていない山だ。道などない。落ち葉の積もった坂道は滑りやすい。けれど俺もサクヤも旅のトレーナーだし、エイジも元はトレーナーだった。三人とも山歩きには比較的慣れている。
    「こっちです」
     だいぶ山を登ったところで、エイジは俺とサクヤを崖っぷちに連れてきた。とはいえ、よほどの事がなければその崖から転落することはない。茂みが柵のように俺たちを守ってくれていた。
     茂みの向こうがやたら開けていたのだ。灌木の枝の間を透かして、崖の下が見えただけだ。
     俺とサクヤとエイジは、茂みに隠れるようにして崖下を覗く格好になっていた。
     エイジが声を潜める。
    「静かにしててくださいね。面白いものが見れますよ……」
     崖の下は谷川があった。小川がさらさらと流れる音がする。
     大小の岩石がごろごろ転がった川原が見える。珍しいポケモンでも現れるのだろうか? 俺は期待に胸を膨らませた。ピカさんも興味津々で川原を覗いていた。


     しかし川原に現れたのは、人間だった。
     グラエナ、マルノーム、レパルダス、ズルズキンを連れた、真っ赤なスーツの集団。
     そしてその真っ赤な集団に引っ立てられるようにして、川原の石に蹴躓きつつ歩いてくるのは、目隠しをされ、後ろ手に拘束された、二、三人の人間だった。
    「……フレア団」
     サクヤが乾いた声で呟く。あの真っ赤なスーツの集団だ、俺も見覚えがあった。クノエの図書館で暴れたエビフライ団の仲間だ。
     そのときエイジが微かな息で、しっと言った。静かにしろと言うのか。これから面白いことが起きるのかもしれない。しかし、怪しい集団と拘束された人間がどのような面白いことをするのか、俺には想像もつかない。これは、何かの劇の練習か何かなのだろうか。
     せせらぎの音の中、拘束された人たちは川原に一列に並ばされた。目隠しをされているからか、ふらふらしている。よく見ると、声も出せないよう猿ぐつわをかまされているようだ。
     それから起きたことに、俺は目を疑った。

     悲鳴が出なかったのは、サクヤの手で口を塞がれたからだ。
     サクヤもよく咄嗟にそんなことができたものだ。
     サクヤに抱え込まれるようにして、茂みから転がるように後ずさった。
     せせらぎの音しか聞こえない。
     ピカさんとアクエリアスが這うようにして俺たちの方へやってくる。
     嘘だ。
     嘘。
     震えが止まらない。サクヤの手で強く口を塞いでくる。その手の力が凄まじくて苦しかった。
     けれど、拘束された人間に飛びかかった、フレア団のグラエナのやったことが、目の奥にまざまざと焼き付いて離れない。飛び散ったように見えた赤が気のせいならいいのに。
     悲鳴は聞こえない。
     せせらぎの音しか聞こえない。


     エイジの面白がるような囁き声が聞こえてきた。
    「どうです? 面白いでしょう?」
     耳を疑った。エイジは崖っぷちの茂みの傍で、座り込んだままゆっくりと振り返って、にこりと微笑んでいる。
    「昨晩、お話しした通りです。……反ポケモン派の人間を、フレア団が処理しています。行方不明に見せかけて殺すんです。グラエナやレパルダスやズルズキンが始末して、マルノームの消化液で溶かして、骨は山奥にでも埋めるんでしょうかね……」
     そうエイジはなんでもないことのように言った。つまりあれは処刑現場だったというのか。処刑? 何だそれは?
     俺の口を塞いだままのサクヤの手が震えている。いつもは落ち着いているサクヤも、どうしようもなく狼狽しているのだ。
     ということはつまり、あれは、本物なのだ。
     殺しの現場。


    「セッカさん、サクヤさん。これがこの社会の現実ですよ……。国にとって邪魔な人間は、犯罪組織が消してしまう」
     俺もサクヤも何も言えなかった。
     ただ目の前の青年が恐ろしくてたまらない。なぜ平然としているのか、やはりあれはただの演技ではないのか、俺たち三人に見せるための大掛かりな演劇。俺とサクヤを騙すための。そうとしか思えない。そうでなければ、なぜ、エイジはこのような事が起きると知っている?
     エイジは俺たちに何をさせたいのだろうか。
     せせらぎの音が聞こえる。
     エイジがそっと立ち上がった。サクヤが俺を抱えたまま、警戒して身を引く。ピカさんとアクエリアスがエイジを警戒している。
     エイジは人のいい笑みを浮かべていた。
    「今日の授業です。反ポケモン派について」
    「…………は?」
    「反ポケモン派は、トレーナー政策に反対する者です。ところでお二人は、国の税金の何割がトレーナー政策に使用されているか、ご存知ですか? 名目上は二割です。ただし、実質的には何だかんだで、全体の歳出の七割超がトレーナー政策に関わっていると言われます」
     そしてエイジは語りだした。俺もサクヤも何も聞いていないのに、わけのわからないことを言い出した。

     反ポケモン派の主張は様々だ。――トレーナーの起こした事件の被害者の保護を手厚くしろ。ポケモンが嫌いな人間やアレルギーの人間を尊重しろ。貧しい子供たちに、トレーナー以外の職業の道を選べるようにしろ。
     反ポケモン派の人々は、国民の税金をトレーナー政策以外のことに使うよう要請する。
     しかし、それは現在の与党政府にとっては困ることなのだ。なぜなら、トレーナー政策に使用されるお金の中には、ポケモン協会や、ポケモン協会と密接なつながりのある者への補助金といったものが多く含まれているからだ。トレーナー政策に多額の予算がつかないと、与党政府はポケモン協会に見放される。協会に見放されれば、協会からの献金で成立している与党政府は活動を続けられない。だから与党政府は反ポケモン派を封じ込める。
     その封じ込める方法について。
     反ポケモン派の団結や集会を、法令で禁じる。違反すれば罰する。ニュースや新聞では国家の反逆者としてあげつらわれ、その家族までが極右派からのバッシングを受ける。行政からでなく、社会的にも罰せられることを印象付けて、反ポケモン派を『社会の悪』とし、活動を委縮させるのだ。
     危険人物は容赦なく消す。それは国家が手を下すのではなく、犯罪結社に委託するのだ。もちろん、面と向かって頼むことはしない。ただ国家にとって邪魔な人間はフレア団にとっても邪魔な人間だから、国家が放っておいてもフレア団が勝手に始末するのだ。国家はフレア団を野放しにしておきさえすればいいのだ。
     フレア団にとっても反ポケモン派は邪魔な存在だ。反ポケモン派の攻撃対象には、与党やポケモン協会だけでなく、フレア団も含まれる。反ポケモン派は国家にフレア団を取り締まれとも主張する。けれど国家はフレア団を利用している面があるから、そのような反ポケモン派の“まっとうな”主張は国家にとっても耳障りで仕方ない。フレア団としても、反ポケモン派の“まっとうな”主張は国家も受け入れざるを得ないことを理解しているから、反ポケモン派を処理してそもそも“まっとうな”主張ができないようにするしかない。
     そうして国家とフレア団の利害が一致する。
     国家とフレア団がどれほど癒着しているかは、さすがに知りようがない。フレア団は莫大な財力を持った秘密結社であり、確実にカロスの複数の大物とのつながりはあるだろう。しかし、フレア団がどれほど政治や経済やマスコミに深く根を張っているかはわからない。
     とはいえ社会的には、国家はフレア団をテロ組織として指弾している。国家とフレア団のつながりなど表沙汰にならないだろう。たとえ多少表沙汰になったとしても、政府やポケモン協会からの圧力によって簡単にもみ消される。ニュースにもならない。裁判にもならない。
     だからこんなことになっているのだ。

     エイジはそのような事を延々と語っていた。


      [No.1443] 最終話「嚆矢濫觴」 投稿者:GPS   投稿日:2015/12/08(Tue) 20:43:20     36clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    「あ〜、ありがとうホント〜!! これで年が越せるよ〜!!」

    気持ち良い秋晴れのタマムシ某所――とある路地裏の複合ビル二階、真夜中屋の事務所(兼自宅)にミツキの声が響き渡った。

    「いや、そんな……こちらこそ本当にお世話になりまして……」

    一連の問題が解決したということで、悠斗達はミツキに謝礼を払いに真夜中屋へおとずている。富田が示した『相場』から割り出したその金額が安いのか高いのかは、悠斗や泰生、森谷はよくわからなかったが、ミツキや彼の相棒であるムラクモは、「今日はご馳走だよ! 鍋やろう鍋!」『やったぜみんな! 久々にちゃんとしたものが食えるぞここで!』と大袈裟なほどに喜んでいた。その様子に少々ヒキながら、悠斗はひきつり気味の苦笑を浮かべる。
    「ホント助かるよ、あとちょっとで電気止められるとこだったからさ」あまりシャレにならないことを平然とのたまうミツキは、悠斗達からすれば久しぶりに見る、人間つまり本人の姿だ。くしゃくしゃの髪は今日も好き勝手に癖がついていて、寝間着か部屋着が区別のつかないスウェットの上は『NO FIRE NO LIFE』などというフォントとヒトカゲのイラストが躍るTシャツである。「ま、もし止められてもロトムとかに頼めばいいんだけど」全然困ってなさそうな彼の言葉を適当に聞き流しつつ、悠斗は、逆にこんなのどこで買えるのだろうか、という疑問を抱いていた。

    「でも、大変だったでしょ。お疲れ様だったねぇ」

    労うようなミツキの声に我に返って、「はい、そりゃ、まぁ……」と悠斗は正直な溜息をついた。大変じゃないなどといえば嘘になる、というか、大変だったどころの騒ぎではない。ミツキの姿同様久々に見る真夜中屋の中は相変わらず散らかり放題ゴーストポケモン溜まり放題の酷い有様で、ゴミ以外よりもゴミの占める割合の方が多いという空間だったが、それも気にせず富田と森田はゴミに埋もれるようにして寝こけている。片やパンプジンの腹に突っ伏すようにして、片やゴミ袋とヒトモシが積み上がったソファーに転がって、完全に意識を失っている二人を見て「緊張のあかいいとがほどけた、ってヤツだね」とミツキが楽しそうに笑って言った。あかいはいらないでしょう、とツッこんだ悠斗が横目で見た先では、泰生がシンクに腰掛けるプルンゲルを興味津々といった感じでつついている。一人だけ随分元気だが、プロのトレーナーはこのくらい肝が据わってなければ務まらないのだろう、と悠斗は勝手に結論づけた。
    「でも、ま、とりあえずは一件落着ってことで」報酬の入った封筒をポケットにしまいつつ、ミツキは気の抜けた笑みと仕草で肩を竦める。「これからはこんな、僕に世話になるよーなことに巻き込まれないことを祈ってるよ」

    「これで君たちは、僕とのアレコレは終わりになるけれど……悠斗くん。これからもさ、瑞樹のこと、よろしくね」

    はっきり違うってわかることを、悪いことする理由にする馬鹿って結構いるからさ。力無い、だらけた声のまま、そんな言葉を続けたミツキに、悠斗は『何を急に』とか、『そりゃあ勿論そのつもりですけど』とか、そのあたりの答えを返そうとしたが、やめた。
    へらへらした、服装同様だらしない彼の笑顔の奥に見えたもの。ゴーストポケモンを媒介にして要所要所で割り込んできた彼が、やりすぎなレベルで明るくぶっ飛んでいたことを思い出す。それは単に、ミツキの性格のせいだとばかり思っていたけれど、――――

    「当たり前ですよ」

    悠斗は言う。そして、安心したように頷くミツキに向かって、次の言葉を付け足した。

    「ミツキさんも。また、瑞樹とか連れて遊びに来ます。ライブにも来てください、学祭もありますから、是非、」

    そう告げた悠斗の、意志のぶれないまっすぐな瞳にミツキは数秒、ぽかんとしたまま固まった。それからようやく自分の言われたことを理解したらしく、彼は血色の悪い顔を一気に緩めて笑みを浮かべる。
    「ありがと」苦笑と照れと、それ以上の喜びが滲んだ声で彼は言う。いえいえ、と笑顔で返した悠斗に、生来人智を超えた力に否応無く恵まれてきたタマムシの便利屋は、「悠斗くん」と不思議に穏やかな口調で、正面に立つ者の名前を呼んだ。


    「君は、ポケモントレーナーに向いてるのかもしれないね」

    「え?」


    唐突に向けられたその言葉に、悠斗は無意識にそう返した。「あの子の言う『ふさわしい』が正しいとしたら――――」そんなことを呟くミツキの真意が掴めなくて、悠斗は口を開いて息を吸う。

    『おいミツキ! 鍋やるなら多い方がいいだろ、みんな呼ぼうぜ!』

    そこで横から飛んできたムラクモの言葉に、ミツキは「いいねぇー!」と大きな声で返す。「悠斗くんたちも食べてくでしょ」という、嬉しそうなその笑顔に悠斗はそれ以上問いかけることが思い浮かばず、「はい」と深く頷いた。
    そうと決まればみんなに連絡だー、と、ミツキは携帯の連絡帳を開いてあちこちにメッセージを打ち始める。知り合いを集めてくるようムラクモに言われたヨマワルやカゲボウズなどが、窓からふよふよと出ていった。『みんな』の範囲がふと気になった悠斗は、おそるおそるといった感じでミツキに尋ねる。

    「あの、ミツキさん……どんな人……いえ、方が来るんですか?」
    「うん? いつもここに溜まってるゴーストポケモン達とー、ここの一階のラーメン屋の人とか、そこにある古本屋の人とか? あと僕の同業者仲間が来れれば何人か、かな。いろんなのが来るよ、真夜中屋特製たべのこし鍋はおいしいからね」
    「たべのこし鍋…………?」
    「うん。いろんなきのみの、普通だったら廃棄する部分を集めた鍋。果物屋さんとか八百屋さんからもらってくるんだけど、まとめて煮込んじゃえば意外においしいんだよコレが! カイスの皮とかー、チイラの蔓とかー……」

    目を輝かせて『たべのこし鍋』とやらの説明を始めてしまったミツキに、それは金が入ったからするものでは無いのでは、というツッコミを悠斗は出来なかった。
    ゴーストポケモン達が好き勝手にだらけていて、妙ちきりんを極めたような家主がいる、散らかり放題の部屋。今夜ここに集まるというのはどんなツワモノ揃いなんだろう、と悠斗は不安にならずにいられない。

    「ベリブのヘタとか食べたことある!? 無いでしょ、見た目的に悪いんだけど、あれが本体と逆で甘いんだよ、多分本体にいかない甘みがあそこに……」
    「わかりましたよ、もういいですから……」

    それでも、少なからず楽しみにしている自分がいるというのは、きっと悪いことではないのだろう。
    ゴミにまみれつつ未だ寝こけている富田と森田、デスカーンの腹部をしげしげと眺めている泰生、棚から鍋だのコンロだのをいそいそと出しているムラクモに視線を向けて、悠斗はそんなことを考える。そして熱弁をふるい続けるミツキに目を戻し、適当な相槌を打つことに戻ったのだった。





    「おはようございます、羽沢さん!」
    「あっ羽沢さん! 今日のダブルバトル練お願いしますね」
    「うっす羽沢、調子はどうだ? この前眩暈とか言ってたのはもう治ったか?」
    「泰生さんはよーっす!」

    朝の064事務所は次々と出勤してきたトレーナーやマネージャー、事務員達の行き来で賑やかである。着替えにいく者や自分の席に向かう者、一旦荷物だけ置きにきて早々にコートへ行ってしまう者などが慌ただしく動き回る廊下の壁にかかったカレンダーが、人の移動で生じた風で少し揺れた。
    その、バケッチャの写真が躍る十月の日程を横目に見つつ、泰生は若干複雑そうな顔をして廊下を歩いている。その半歩後ろの森田が手元の資料をパラ見しながら、「どうかしましたか」と首を傾けた。

    「いや、……なんか元に戻ってからというもの、皆がやたらと声をかけてくるようになったというか、笑ってくれるようになったというか……」

    少しばかりソワソワした感じで言った泰生は、「特に岬や相生など、何故か知らんがかなり近づいてくるし」と腑に落ちないような口調で手を顎に当てる。それを聞いた森田は、「なんだ、そんなことですか」と軽い調子で返した。

    「そりゃあそうですよ、しばらくの間、泰さんの中には悠斗くんが入ってたんですからね。最初こそ驚いてましたけど、みんな『そっちの泰さん』に慣れたもので、今じゃ多分、ちょっと怖いけど話してみたら案外そうでもないよね〜、くらいにしか思われてませんよ。岬さんは知りませんけど、相生くんは相談まで持ちかけてたみたいですし」
    「なるほど、まあ悠斗なら、そうなるだろうな……だが、そんなに変わるものか? たった数週間だし、悠斗だって俺っぽく振舞ってただろうし」
    「え? いやー、それはどうですかね。同じオニゴーリでも、中身がサザンドラとヌメルゴンじゃ大きな差が」

    割と失礼なことを言った森田に、それはどういう意味だという意味を込めた睨みを利かせて泰生は鼻を鳴らした。このマネージャーは前からちょいちょい口先どくタイプの片鱗を見せていたが、あの一件以降どうにも隠さなくなってきているように思える。
    「サザンドラだって、皆が皆、凶悪な性悪というわけではない」とりあえずそこは譲れないので提言しておく。森田は「ご自分がサザンドラっていうのはわかってるんですね」と呆れ気味に呟いた後、「あれ、泰さん」と片眉をぴくりとさせて尋ねた。

    「悠斗くんだとそうなるって、わかってたみたいな言い方じゃないですか」
    「当たり前だろう。あいつの方が、ある意味では俺よりここでよくやってけるとは、俺も……思ってしまう、こともある」
    「よくやってけるって……悠斗くんはトレーナーじゃないですよ」

    だいぶ頑張ってましたけどバトルもまだまだ初心者ですし。そう続けて苦笑した森田に、泰生は「そうじゃない」と首を横に振った。

    「俺よりも、悠斗の方が、世間でいうところの『ポケモントレーナー』に向いてるのだろう、と思ったんだ」

    今回のことだけじゃなく、以前にも何度かそう思ったことがある、と泰生は付け加える。森田は僅かだけの間を置いて、「そうですね」と頷いた。泰生の言葉、きっと彼自身の考えというよりは客観的、一般的な意見であるそれを否定する気にはならなかった。
    「だけど、だからって決まるわけじゃないですよ」手に持ったファイルに込める力を強め、森田は言う。それに「当然だ」泰生は首を縦に振って、ベルトにつけた三つのボールに手を添えた。

    「トレーナーになるかならないか、それを決めるのは自分自身だ。誰かに何か言われてそうなるものじゃない……そうはわかっているが、それでも、ポケモンにも人間にも好かれて、必要とされるような人間というのはいるんだ。悠斗は、そういうやつだ。あいつがもしもトレーナーの道を志せば、きっとかなり上へ行けると思わないといえば嘘になる」

    「トレーナーになってほしくない、というのも」泰生は一度目を伏せて、「でも」と再び前を見た。

    「あいつになってみて、わかった。あいつにはあいつの見つけた場所があるし、そこはあいつのことを必要としてるんだ」

    迷いのない瞳で、そう言い切った泰生に、森田は再度「そうですね」と深い頷きを返す。

    「泰さんと同じですよ。泰さんも悠斗くんもそれぞれ、違う場所で、自分の知らないうちに必要だと思われてるってことです」

    その言葉に泰生は何かを言いたそうに口を開いたが、すれ違った別のトレーナーの挨拶でそれは発されないまま消えてしまう。まあ、聞かずともなんとなくわかるだろう。森田はそんなことを思いながら、空の胸ポケットにそっと手を当てる。
    泰生がいるべき場所に戻った今、自分にそれは、もう必要無いのだ。





    「…………っし、いい感じじゃないか?」

    いよいよオーディションに向けた練習も大詰めである。曲の終わりに鳴り響くギターの余韻を富田が消した数秒後、マイクから口を離した悠斗は後ろの演奏陣を振り返ってそう言った。
    「なんかノってきたよなぁ、羽沢」ベースを一度スタンドに戻し、有原がニヤニヤしながら言う。「この頃イメチェンとかそういう感じで、歌う時もクール気取ってたのに。前のキャラに戻っちゃってるじゃねーか」その言葉に引き続き、ドラムセットの向こうの二ノ宮も頷いた。「っていうか、前よりノリ上がってないスかね?」

    「あー、いや……ちょっと風邪ひいてたから、……」
    「でもよかったよな、治ったってことはマジで風邪だったみたいだし。実はここだけの話さぁ、二ノ宮と話してたんだけど、お前性病でももらったんじゃないかって心配してたんだよ」
    「は?」

    慌てて言い訳を口にするもつかの間、悠斗は手に持ったペットボトルを落としそうになった。
    「ちょっと待てよ、なんでそんな話になってんだよ」狼狽えた声で悠斗がわめく。

    「いや、だってお前ここ最近すげぇ噂になってんぞ。大のポケモン嫌いで有名な羽沢悠斗は実はポケモン大好きっつーかポケモン性愛者だって、しかも自分でそう言ったんだってな、告ってきた女の子に」
    「それなりにモテんのに彼女作んないのはポケモンが対象だからって話ッスよね。めっちゃ広がってるよ、運いいことに誰も拡散とかはしてないから問題にはなってねーけど」
    「うん、だからさ……俺たち思ったわけよ、羽沢は多分ポケモンとやっててなんか、病気でももらったんじゃねぇかって、ほらポケモンって人間より丈夫だから人間だと負ける菌持ってたりするし、対策とか難いみたいだし」
    「そういうのって、言いにくいだろうから、だから俺らには隠してるんじゃないかって思ってて……多分富田にだけ話してて、だって明らか風邪じゃなさそうなのに何か隠してるっぽくて、何だろうって思ってたところにこの噂だから、なんか病気なったのきっかけにオープンにでもなったのかと……」
    「どこから突っ込んでいいかわかんねぇよ! 大体、待てよ、なんでそんなやすやすと信じてんのお前ら!? 前の、俺と富田が云々みたいな噂には『いやそれはないわー』みたいに全然疑惑のかけらもなかったのに、なんでそっちだけストレートで信じるんだよ!?」
    「それは、なぁ……? 富田とお前のそれは、普通に距離近すぎて逆に、って感じ? だよな?」
    「そうッス。いつも嫌い嫌い言ってたのは、カモフラのためだったのかと……」
    「違う! 俺にそんな趣味はない、しかもそんなことを言った覚え……はあるかもしれないけど、とにかく違う! あとそうだったとしてもそんなカモフラはしない!!」

    自分の知らぬ間に泰生がしでかした何かに呪詛の言葉を吐きたい一心で叫ぶ悠斗に、しかし有原と二ノ宮は彼をよそにホッとした顔になる。

    「でも安心だわ、どんな趣味でもお前の勝手だけど、深刻な事態だったらどうしようと思ってたからな」
    「そうだよ羽沢。だってポケモンとのアレって気をつけないとめちゃめちゃ危険なんだろ、ブーバーの中とか何千度もあるらしいし、マルノームに口でさせて溶かされたみたいなイッシュのバカ変態がニュースになってたし。あと、バチュル何十匹と一緒にやってあやうく感電死とか、ホント、怖いって」

    好き勝手なことを言う二人に、悠斗は何を言う気力もなくしてマイクスタンドに突っ伏す。その横で、それはもう性病の範疇ではなく頭の悪い事故なのではないか、と、黙って聞いていた富田は思ったが、その噂を流した泰生を見張っていなかった責任を背負わされるのではないかとも思ったため引き続き黙っておくことにした。

    「ま、とりあえず――」

    強引に話を打ち切り、有原が悠斗に向き直る。「理由は知らんけど、お前が元気になったみたいでよかったよ」

    「やっぱ、羽沢いてこそのキドアイラクだからな。お前の調子がおかしいとこっちもしまらないっぽい」
    「何言ってんだよ……別に俺だけじゃないし、お前ら三人ともそうじゃないのかよ。俺があってとか、そういうんじゃないだろ」
    「そういうことなんだよ。別に誰がどうってわけじゃないけど、でも、やっぱ俺たちはお前あってこそなんだよ」

    悠斗の言葉を遮ってそう言った有原に、富田と二ノ宮も頷いた。「結局のところ全部お前に繋がってんだよ、俺らは」「もーちょっとその辺わかってくれてもいいんじゃねぇの?」冗談めかした笑みを浮かべて口々に言う二人に、悠斗は「なんだよ」と鼻白む。自分が泰生の身体にいる間に、こう言わせるだけの何かがあったのだろうか、と考えてもわかるはずはない。
    「わかったよ」仕方がないので、フィーリングで頷いておく。「ま、一応俺もリーダーだからな、俺あってっていうのはあながち間違ってもないかもな」やはり少しばかりズレていることを言った悠斗に三者は苦く笑ったが、悠斗はそれに気づかず笑顔になった。

    「でもな、俺だってそれは同じだから。お前らみんないてこそだと思うし、お前ら誰が欠けても、俺は嫌だからな。四人でずっと、……」
    「当たり前だろ。そのための練習なんだ」
    「富田の言う通り、絶対勝つぞ。俺らが続けるために」
    「キドアイラクやめんのなんて、ごめんスからね。絶対受かって、まだまだやんないと」

    自分の言葉に割り込んだ、力強くてかけがえのない三つの声に、悠斗は一瞬だけ目を丸くして、それから浮かべた笑みをさらに深くした。
    「そうだよな」三人に向けて悠斗は言う。頷いたバンドメンバー達が同時に楽器を構え直すのに合わせ、彼はマイクスタンドにかけた手の力を強くした。





    雲ひとつないという表現そのままに、澄み切った青空が広がっている。秋にしてはやや珍しくもあるその下、そこまで大きくも小さくもない神社に悠斗と泰生は訪れていた。

    「森田さんは一緒じゃないんだな」
    「俺は今は休憩時間なんだ。あいつは事務所で色々やることをやってる」
    「ふぅん」

    適当に答えた悠斗に、「お前も一人じゃないか」と泰生が尋ねる。石で出来た階段を登りながら、悠斗は「みんな何かしら授業とかあんだよ」と言った。視界の上半分を覆った赤い鳥居を、そこに止まったポッポの眼球達に見下ろされながらくぐって境内に入る。「有原と二ノ宮は学部違うし、富田も、違う授業があるから」
    お互い一人で来たところ偶然に居合わせた手前、悠斗と泰生は何とも言い難い空気に包まれる。親子二人で出かけているなどいつぶりのことか双方わからず、どちらが先にそうしたわけでもないが、互いに微妙な距離を保ちつつ歩いていた。「ミタマとか外に出さないの」「うっかり攻撃でもされて怪我したら危険だし、感染症予防もあるし、普段は外に出さないトレーナーは結構いる」「へぇ」適当な会話を若干ぎこちなく交わしつつ、彼らは境内へ入る。
    敷き詰められた砂利を踏みながら本殿へ進んでいくさなか、「ここはよく来るのか」と泰生が聞いた。境内を囲うように植えられた広葉樹の間から、モンジャラやウツドンが覗いている。それを横目で見つつ、「ああ」と悠斗は呼吸の延長のような声を出した。

    「大学からも近いし、……そういえば、064の皆さんもよく来るらしいな。この前絵馬を書いたって岬さんから聞いた」
    「歩いて来れる範囲だとここが一番近い。他にもあるんだが、祀られてるのが旅行先の安全だの健康祈願だので、バトルとはあまり関係無いからな」
    「俺たちもこの前来た時、絵馬書いたんだよな。ちゃんと飾ってっかな」

    本殿の脇にある絵馬所に向かって歩きながら悠斗が呟く。
    大量の絵馬が掛けられているその場所で、悠斗はしばらくそれを覗き込んでいたが、やがて「あれ?」と怪訝そうな声を上げた。隣で同じように眺めていた泰生が、どうした、と尋ねる。

    「いや、……俺の書いた絵馬が無い」
    「片付けられたんじゃないのか? 結構みんな書いてるみたいだし、入れ替えくらいするだろう」
    「そりゃそうだけど……違う、富田のはあるんだ。有原のも、二ノ宮のも。同じときに書いたのに俺だけ無い」

    悠斗の言葉に泰生も眉をひそめる。確かに彼の視線の先、いくつかの絵馬に重なるようにして並ぶ三つには各々の字で『オーディション通過! ライブ出場!』などと書かれているが、そこに悠斗のものは無い。
    「俺もだ」と、今度は泰生が低く言った。「俺のも、事務所の他の奴らのはあるのに、……俺のだけが無い。リーグでいい戦いが出来るように書いた時のが」

    「悪いイタズラか? でもなぜ、よりによって俺と悠斗が……わざと俺達を狙ったみたいじゃないか」

    ピンポイントに親子のものが無くなったことに、泰生が目を細めて首を捻る。はっきり言って不快な状況に、しばらく二人はムッとした表情で黙り込んだ。

    「あ、絵馬、…………!」

    と、そこで悠斗が思い至ったようにそう叫んだ。何のことかわかっていないらしく眉をひそめた泰生に、悠斗は「ミツキさんが言ってたじゃん、気持ちとかがこもってるモノを使うって!」と切羽詰まった口調で説明する。
    思いや感情が篭ったもの。望ましいのは憎悪や怨念、嫉妬など負の要素を孕んだものだけど、プラスの気持ちでも出来なくはない――。そんなことをミツキに言われたその時には全く思い浮かばなかったが、『願い』という思いを込めたという点において、絵馬というのはその条件をばっちり満たしていると言えた。

    「……そういうことだったのか」

    悠斗の話を聞き、泰生は深く溜息をつく。苛立ったように彼は絵馬所に視線を向けたが、そこにはもう、二つの絵馬は無いのだろう。今どこにあるのかもわからないし、元の形を保ったまま存在しているのかすら不明だった。
    「まったく、何が何に使われるかわかったもんじゃない」忌々しげに言って、泰生は絵馬所を睨んでいた目を社務所の方へ向ける。「けど、そんなことを言っても今更仕方ないな」

    「書き直すか。書いたことの結果はまだ出てないから、今でも間に合う」

    「いいよ別に」と悠斗はそっけなく言ったが、泰生はそれを他所に首を横に振った。「他の奴らのだけあるのも変な話だし、また書き直した方がいいだろう」そう言った彼は悠斗の返事も聞かず、さっさと社務所へ歩いていって数分後、二つの絵馬を買って戻ってきた。
    今年の干支のモチーフということで、モココだのメリープだのが積み重なっているイラストを手渡された悠斗は、突っ返すことも出来ず憮然とした顔で受け取る。本殿から少し離れたあたりにある、湿った木板で出来た台に置かれていた油性ペンを早くも手に取り、泰生は絵馬の裏面に何事かを書き始めていた。それに倣って悠斗もペンを持ち、願い事を刻んでいく。

    「お前は、……俺に、トレーナーになってほしいとか、思ったことあったりすんの」

    揃って文字を書くだけの沈黙に耐えきれなかったらしく、不意にそんなことを尋ねた悠斗に、泰生は質問には答えず「どうした」とだけ聞き返した。
    世間だったら、ごくありふれた問いなのかもしれない。親がトレーナーだろうがそうじゃなかろうが、旅の経験があろうが無かろうが、一度はそういうことを聞くものだろう。しかし泰生は今まで一度だってこんな質問をされたことはないし、悠斗だってしようと思ったことも無かった。そんなことを、気にしたことすら皆無だったのかもしれないというほどだ。
    「ミツキさんに言われた」足元の砂利に靴底を無為に擦り付けながら悠斗は答える。「俺がトレーナーに向いてるかもって」なんとなく泰生の顔を見たくなくて、彼は俯いたまま、ジャンパーの襟元に顔を埋めてモゴモゴと言った。「だから、ちょっと、気になった」

    「知らん」

    そんな悠斗に、泰生はきっぱりと言い切る。「そんなのは、俺の知ることじゃない」
    少しは予想していたとはいえ、あまりにもシンプルかつぶった斬りなその答えに、悠斗は思わず絶句した。「そうか、よ……」と虚しく呟いた彼に、しかし、泰生は迷いの無い口調のまま続ける。

    「トレーナーになるかならないかなど、他人が決めてどうなることじゃないだろう。なる奴はなるし、ならない奴はならない。それだけだ」

    「俺だって、自分は仕方無しにトレーナーになったのだと思ってた頃もあった。でも、ならない選択肢だっていくらでもあったんだ、あのまま旅に出ないでいれば、……」彼はそこで言葉を切る。ペンを持つ手が少し震えていた。何を考えているのかは悠斗にはわからなかったが、あえて声を挟むことはしなかった。
    それでも、と、少しの沈黙を置いて泰生が再び話し出す。「トレーナーになること、旅をすることを選んだのは俺だったんだ。誰にも頼まれてないのに、俺がそうしただけだ」握り締めていた拳の力をふっと解き、泰生は視線を上げて空の方を見た。嘘くさいほどに青く綺麗な空が、彼の、悠斗によく似た瞳に映り込む。

    「向いてるとか向いてないっていうのも、実際どうするかには何も関係無い。あの探偵は不思議な力があるらしいから、そういうのがわかるのかもしれんが、……だとしても、だ」

    「……………………」

    「向いててもトレーナーにならない奴はいる。向いてなくても、なる奴もいる。お前が決めろ。なりたきゃなりたいときになればいいし、なりたくないんなら、なるな。お前にも、ポケモンにも、お前以外の他の奴にも、何もいいことが無いからな」

    わかったか、と尋ねた泰生に、悠斗は「ん」と短く頷く。特に反論する要素も無い。もっともなその言葉を、彼は素直に受け入れた。
    そこで泰生は青空から視線を移し、隣に立つ悠斗に目を向ける。

    「ただ、悠斗……お前は、」

    いつの間にか大きくなってしまった息子に、彼は無意識に笑いかけた。

    「きっと俺がもっと良い父親だったとしても、ちゃんとお前と向き合えるような人間だったとしても、…………お前は今みたいに、誰かと音楽をやっていたのだろうと、俺は思う」

    その言葉の、何を否定して何を肯定すればよいのかもうわからなくなって、悠斗は「バカなこと言うな」と小さく呻いた。そのセリフに泰生は、誰がバカだと大真面目にムキになりかけたが、しかし彼の文句は途中で掻き消えて聞こえなくなってしまう。
    急に黙ってしまった彼を不審に思い、悠斗は泰生の顔を覗き込んだ。固まったその表情からは答えを見出せず、何だよ、と口を尖らせた悠斗は泰生の視線の先、自分達の手元に視線を向け――――そして、同じように言葉を失った。


    話しているうちに両者とも手がずれたらしく、冷たい空気に晒された絵馬の裏面。
    そこに書かれた願い事の文言が、絵馬所から消えた二つをお互いそっくりそのまま書き合った結果となっていた。


    かける言葉もかけられる言葉も何も探せず、二人は揃って絶句する。表情も動きも止めたまま、ただ彼らを残したそれ以外だけが何事も無いかのように時を刻んで行った。
    やがて、先にそうしたのはどちらだったかはわからないが――どちらからともなく、顔を見合わせた親子はあまりのことに思わず吹き出した。次いで響き出した笑い声が重なっていくのを、彼らの手元の影になった、二つの絵馬に描かれたメリープとモココ達は静かに聞いていた。





    数多の大物アーティストを輩出してきた、ヒットへの登竜門とも呼ばれるライブへの出演をかけたオーディション、二次審査。タマムシ某所で行われているそれに、新進気鋭のバンドの一つであるキドアイラクは挑んでいた。
    すでに演奏審査は終了し、いくつかの質疑応答を行う面接に移っている。これが評価のうちに入るのか入らないのか、それともこの時点で結果を伝えるためのものなのか、それは出場者には知らされていない。会議室を貸し切った面接会場で、キドアイラクの四人は緊張した面持ちをしてパイプ椅子に腰掛ける。

    「君たちはまだ全員、大学生だったよね。もしもバンドがうまくいってきたとしたら、学校の方は続けるつもり?」

    主催企業の担当者や、ライブのゲストでもあるアーティスト、スポンサーの社員などから成る面接官らの質問に、一応リーダーである悠斗は「はい」と返事をする。
    「出来る限り両立させていきたいです。途中でやめることはしたくないですし、それにタマムシ大学は僕たちがお互いを知った場所ですから、きちんと卒業したいなと」答えた悠斗に、質問した担当者は「そうだね」と深く頷いた。「せっかくタマ大だし、中退は勿体無いし……両立は大変だけど、やってきた人も沢山いるしね」彼の言葉に、悠斗達四人は首を縦に振る。

    「あそこには去年からいるのか。なんでそこを選んだの?」
    「人間だけでやってる方々が多く所属してるのと、系列の事務所に僕らの好きな方がいらっしゃるので……」
    「それ、いいギターだけど結構旧い型だよね。すごい小さい頃からやってたとか? それとも趣味?」
    「始めたのは中学の頃なんですけど、これは父にもらったものです。父も昔、ギターやってましたから」
    「君さ、何年か前ドラムのコンテスト……もっとカタめのとこが主催してるので優勝してたよね? そっちの、音大とか、そっちには行こうと思わなかったの?」
    「は、えっと、……その! その時くらいに羽沢のこと知って、それでこの人とやりたいって思いまして、だからです!」
    「ビジュアル的には個性的なんだか没個性的なんだかちょっとコメントしづらい感じなんだけど、なんかコンセプトとかあるわけ? いや、別にいいんだけど個人的に気になって」
    「いえ、特に無いです……富田は諸事情で目を隠したがってるだけで、俺と羽沢は単に好きで染めてて、二ノ宮は生まれつきこうなんで……はい……」

    いくつかの質問が重ねられて、時間的にそろそろ終わりかと四人が内心思ったところだった。
    面接官の一人、イベントの出演者であるアーティストが口を開いた。「君たちは、ポケモンの力を借りない音楽をやっているけれど」泰生よりも少し下くらいだろうか、もう何十年も音楽界を支えてきた彼は静かな声でそう尋ねた。

    「それは僕もそうで、ギター一本でここまで突っ走ってるわけだけど……君たちは、なんでその道を選んだのかな。はっきり言って邪道とも呼べる、ポケモンとやらない音楽を、なんでやろうとしているのか。その理由を、教えてくれるかな?」
    「はい……」

    返事だけをした悠斗に、富田と有原、二ノ宮の視線が一斉に集まる。この問いに直接答える理由を持っているのは悠斗だけなのだ、自分達には助け舟を出したくとも出せない。そんな思いをそれぞれ持って、三人は悠斗のことをただ見ていた。
    その悠斗は、すう、と息を吸って一瞬だけ考え込む。以前だったら、答えなんて決まりきっていた。ポケモンの力など借りなくても自分達は人間だけでやってやる、ポケモンなんかいなくても音楽が出来るのだと証明してやるということを言うだけだったのだ。所属事務所にはその意気を買われて入ったわけだし、それは紛れもなく本当だった。本気でそう、思っていたのだ。

    しかし、今は。
    今、同じことを言ったとしても、それは嘘にしかならないのだと悠斗は感じていた。


    「僕たちは、人間です。ポケモンではない存在として、今、生きてます」

    でも、と言葉を切って、悠斗は質問者である歌手を真正面からじっと見据える。

    「人間か、ポケモンか、という以前に。僕たちはひとつひとつ別のもので、それぞれの身体と、それぞれの心と、それぞれの考えとか思いとか言いたいことや伝えたいことや聞いてほしいこととかがあって、別々に生きてます。そこに人間とかポケモンとかはなくて、……ないのだと、僕は感じます。感じさせられたんです。だからこそ、僕たちは僕たちの音と言葉で、僕たちの方法で、人にも、ポケモンにも、伝えていきたいんです」

    そう答えた悠斗に、面接官の一人が資料をめくりつつ、「君のお父さんは確か有名なトレーナーだったよね」とコメントする。「そっちの道を目指そうとか、そういうことは考えたことはないの?」
    その問いに、悠斗はゆっくりと首を横に振って、前を見た。

    「父は、ポケモンバトルで。僕は、音楽で。誰かの………………誰かの、何かになることが出来ればと。そう、思っています」


    「君も君の父親も、どうにもまっすぐな目をするね」


    悠斗の答えを聞いた歌手が、腕を組んでそんなことを言う。「僕は昔、羽沢泰生が君くらいの歳の時のバトルを見たことがあるんだよ」唐突に言われたそのセリフに、悠斗始めキドアイラクの四人は真意を測りかねて無言になった。
    その様子を気にすることなく、彼は半ば独り言のような口調で続ける。

    「でも、あの時の羽沢泰生のまっすぐさは、どうにも、後ろに何もないことが理由のまっすぐさに思えたんだよ」

    その時のことを懐かしむような、同時に少し哀しんでいるような声だった。当時の彼が自分の父を見て、何を思ったのかは悠斗にはわからない。しかし彼が言っていることはなんとなくわかるような気がして、悠斗は自分の胸の中が少しばかり痛んだような気がした。何か言わなければ、と自分を奮い立たせ、どうにか口を開ける。
    「けど、」だが、悠斗が声を発するよりも先に、歌手の方の口調が変わった。「君の目は、違うまっすぐさをしてるね」柔らかな声で言い、彼はシワの刻まれた顔をふっと緩ませて笑みを浮かべる。

    「君のそれは、前にいきたい、何かをしたいと思うが故のまっすぐだ。あの時、あの目をしていた彼の子供が、……君が、そんな目を今していることが、僕はとても嬉しい」

    そう言って、彼は椅子から立ち上がる。移動式の机をずらした彼は、そのまま悠斗の前まで歩いてきた。

    「君たちと一緒にイベントを作れること、本当に幸せに思う。最高のものに、しよう」

    そして手を伸ばし、握手を求めるように笑った彼に悠斗は慌てて席を立ち、「あ、っ……ありがとうございます!」と叫ぶようにして言った。その声は大きく震えていたけれど、それを指摘する者は誰もいなかった。富田とと有原、二ノ宮も立ち上がり、深く頭を下げて礼をする。
    ゆっくりと手を取った悠斗は、音楽の大先輩であると同時に昔の父を知る者でもあった歌手の瞳をじっと見つめた。そこに映っている自分の目がどんなものであるかなど、自分自身では知ることが出来ないが、自分も、そして泰生も、彼の言うような目であり続けられたらよいと思った。

    他の審査員達が、肩の力を抜いてそれぞれ笑う。次いで彼らは誰からともなく手を叩き出して、会議室の中には拍手が響き出した。





    『本日は、ポケモンリーグセキエイ大会にお越しいただき、誠にありがとうございます……選手入場は十九時、開会式は十九時三十分からとなります……また、セレモニーの花火は……』
    「いよいよ始まりましたね」

    カントー地方セキエイ高原、ポケモンリーグ会場。施設内に設けられた選手控え室では、もう何もすることのないトレーナー達が刻一刻と近づく開会の時をただ待っている。
    「長かったような、短かったような気がしますよね」泰生用のペットボトルに巻いたタオルを無意味に動かしながら、森田がありがちなことを言う。「いざ始まってみると、びっくりするくらいすぐ終わっちゃうんですけど」064事務所のトレーナーと、そのマネージャーで満ちた部屋を見渡しながら、彼はしみじみと呟いた。

    「どうですか、泰さん。緊張してます?」
    「俺が緊張してると思うか。俺はバトルで緊張したことなど、一度も無い」
    「えー、でも、悠斗くん見にきてるんでしょう? なんかそれで違ったりしないんですか」
    「悠斗が見にくるのは別に初めてじゃない、ずっといなかっただけで……あいつが七歳になるまでは見にきてたから……」
    「いや、それはほぼ初めてに近いんじゃないですか? 辛うじて記憶があるかないかのレベルですよそれは……」
    「あら、羽沢さん、息子さんが来てるの?」

    森田のツッコミに泰生は何かを反論したかったようだが、それよりも先に横から割り込む声があった。「そういえば、今年は優待チケット何枚も取ってたって聞いたわよ」トイレから戻ってきたらしい、二人の脇を通りがかった岬がレパルダス柄のタオルを首にかけながら言う。「いつもは、奥さんの分一枚だけだっていうのに」
    「え、羽沢さんってお子さんいらっしゃるんですか」朝に会場入りしてからずっとやってた緊張が一周回って緩んできたらしく、意外にリラックスしている相生も話に入ってくる。握り締めすぎて白くなった拳と血色の悪い頬という、よく言えばエルレイド悪く言えばプルリルみたいになった彼は、整った顔をかしげるようにして尋ねた。「そうよ」と泰生より先に岬が答える。

    「相生くんと同い年くらいじゃなかったっけ? 昔一回だけ見たことがあるけど、ねえ、羽沢さん」
    「うむ……今年二十になったから、君より少し下くらいだ」
    「へぇ、そうなんですか! 会ってみたいなぁ……」

    引きつり気味の表情を緩ませた相生に、『会いまくってるよ』と森田は心の中だけで彼に言った。会っているどころか、相生が泰生に話しかけたりするなどということのきっかけとなったのはその悠斗であるが、無論相生の知るところではない。ちょっとだけモヤモヤするような気持ちもあったが、森田は特に何も言わず黙っておくことにした。
    「それにしても」挑発的な笑みを浮かべて岬が言う。「いつも以上に頑張らないといけないわね、羽沢さん」

    「カッコ悪いとこ、見せられないじゃない。息子さんのためにも」
    「……当然だ」

    微塵も動じずそう返した泰生に、岬は満足そうに笑う。そうこなくちゃ、とでも言いたげな、大きな瞳が泰生を半ば睨むような風に見た。それを見ていた相生が気圧されたようにごくりと喉を鳴らしたため、森田は彼の背中を軽く叩く。

    『出場者の皆様にご連絡致します、あと十分ほどで、選手入場が開始致します。出場者の皆様は、指定されたゲートにお集まりいただくようお願い致します、繰り返しご連絡致します、あと十分ほどで……』

    と、控え室に備え付けられたスピーカーからアナウンスの音声が流れた。その言葉に室内が、いや、他の控え室も含め建物全体が一気にざわめきを増す。

    「そろそろ、ね。ここで悠長にしててもしょうがないし、行っちゃいましょ」

    じゃあ、また後で。岬はそう言い残し、髪を揺らして自分のマネージャーの方へと歩いていった。「あ、僕も……もし当たったらお願いします!」相生もそれに続き、一礼をしてから慌ただしく泰生達の前から去っていく。
    残された泰生と森田も、「行きますか」「ん」とそれぞれ短く息をつく。軽く伸びをする泰生を待ってから、森田は三つのボールを彼へと渡した。

    「さて! 始まりますよ、泰さん!」
    「わかってる」

    いつもの調子で言葉を交わし、二人は064事務所の面々と共に控え室を出る。
    数多のトレーナーで溢れた廊下の続くその先は、彼らの登場を今か今かと待っている、何より輝かしい祭典の会場なのだ。





    「……えーっと、じゃあ、ポケモンリーグ開催を祝って、そんで学祭成功を祈って? 乾杯の音頭を取らせていただきま」
    「西野さん、もうみんな勝手に飲んでますけど……誰も乾杯とか待ってませんけど……」
    「あ、店員さーん! ポテト盛り合わせと唐揚げと海鮮サラダとー、おい! あと何か頼むヤツいる!?」
    「プレミアムモルフォンピッチャーで」
    「この『怪利鬼殺し』ってのください!」
    「あっ俺もそれ! あとチーズ餅!」
    「なー芦田どこ行ったの? 学校出るときはいただろ、俺馬刺しのポニータで」
    「あー、なんか守屋が教室に鞄忘れたらしくて取りにいったのについてった、俺それのシママ」
    「ついてったっていうか連行されてたって感じじゃん? そこまで嫌がってもなかったからいいけど、お前ら柔らかい方が好きなん? 俺その隣にあるやつ、メブキジカ」
    「カシブオレンくださーい、それとこの石窯プリンアイスってヤツ」
    「女子か? つーかよくカシオレの後にほんなゲロ吐くほど甘そうなの食えるな?」
    「すいませんテーブルに灰皿ないんですけどいただけます?」
    「お前ら勝手すぎんだろ!! なんで普通に始まって数十分みたいな雰囲気出してんだよ待つだろ普通!!」

    タマムシ大学近くの、学生御用達の小さな居酒屋である。店の天井に備え付けられたテレビには今に始まるポケモンリーグの様子を中継する番組が映し出されており、集まった客たちは皆、飲んだり食べたりしながら画面に視線を向けている。リーグが始まるとあちこちの飲食店でこのような光景が見られるようになるため、店側にしてはある種のかき入れどきでもあるのだ。
    第二軽音サークルの面々も、店内の一角に集って盛り上がっている。乾杯の音頭も待たずに、既に出来上がった雰囲気に向かって「なんで待てないんだよマンキーの群れがお前らは!」と、西野と呼ばれた男が叫んだが、好き勝手に飲み食いしているサークル員達には少しも届いていないようだった。

    「センパイ〜! やりましたよセンパイ、俺は今最高に嬉しいッスよ〜!!」

    そんな、話を聞いていない部員の一人、二ノ宮が早くも真っ赤になった顔で何事かを言う。「もう嬉しさマックスッスよ、ピーピーマックスッスよ〜」無色透明の液体が揺れるコップを両手で握り締め、ヘラヘラと笑っている彼は隣に座る有原に絡んでいる。ちなみに今日、悠斗と富田はリーグ会場に行っているため不在だ。
    絡まれた有原は自分のコップを机に置き、「お前飲みすぎだよ」と二ノ宮を諌める。さらにその横にいる別の部員が、「いやそいつ一杯も飲んでないだろ、弱いんだよかなり」と口を挟んだ。その言葉に頭を抱えた有原の襟首を掴むようにして、二ノ宮が「センパイ〜」とうっとうしい感じで叫んでいる。

    「つーか二ノ宮に酒飲ませたの誰だよ、アイツまだ十九だろ、一応やめとけよ何か言われたら面倒だから」
    「大丈夫だって。この世界は十歳が成人だろ? 酒とタバコだって二十いってなくてもイケるって」
    「メタなこと言うのやめない?」
    「あ、店員さん! 日本酒のー、雷神と風神と豊穣お願いしまーす」
    「なあ紅井は? 来てなくね? 芦田たちと一緒とか?」
    「え、紅井さんなら彼女とリーグ行ってるよ、言ってたじゃん? チケット取れたって」
    「は!? マジで!? あのクソ倍率のリーグチケ取れたの!? あの裏ルート使わないと取れないとか転売ヤーのオークションで万積まないと買えないとかでお馴染みなのに!?」
    「そこうるせぇな! 俺真剣にテレビ観てるんだからもうちょっと静かにしろ!」
    「しかも紅井のヤツ、ラープラスで取れたっつってたぞ! あの、チケットがご用意できないのは当たり前! のラープラスで!」
    「あ、赤ワインください、それと冷やしマトマと枝豆」
    「ふざけんなよ! 俺十口は応募したけど全滅だぞ!? クソ〜紅井め〜なんで彼女もチケットも手に入るヤツは全部手に入るんだ〜」
    「なぁモツ鍋頼もうと思うんだけどどう思う? こっちのキムチの方がいいかな? あと粉物何にする?」
    「芦田さんとかまだ来てないのにそんな頼んでいいか? まー別にいいか、俺海鮮もんじゃで、あ、この店ポケモン出していい感じ?」
    「禁止ってそこに書いてあんじゃん。お前のデデンネならいいかもだけど、この狭さじゃ無理なのもいるからだろ」
    「なんだよンネちゃん出せなくて寂しいのか〜!? しょうがねーなぁー、特別に今だけ俺がお前のポケモンになってやるよ!」
    「だから静かにしろって! 今リーグ会場映してるんだからいいとこなんだよ!」
    「マジで? 羽沢たち映るかな?」

    結局のところ自分達のことなどほぼほぼ気にしていない喧騒の中、二ノ宮は「嬉しいんスよ〜俺は〜」と破顔する。

    「わかったよ、嬉しいのは……それにしても酔いすぎなんだよ、顔真っ赤じゃねーか、カロスの闘牛かよ」
    「うっせ〜ッスよ、誰が色違いバッフロンッスか、もう〜」
    「言ってねぇし、色違いバッフロンは顔は赤くないだろ別に。いいから水飲め、ちょっと落ち着け頼むから」

    そう言って水を差し出した有原にしかし、二ノ宮は「なんスかセンパイ」と不満そうに口を尖らせた。「キドアイラクがオーディション残ったんスよ〜ライブ出れるんスよ〜嬉しくないんスかセンパイは〜」と、オーディション後から何度目かわからないことを言い出す二ノ宮に、「わかったって」と有原は半ば聞き流すような態度をとる。
    それが不満だったらしい二ノ宮は、「何度喜んだっていいじゃないッスかぁ」と、酔いで涙ぐんだ声で食い下がる。「だって嬉しいモンは嬉しいッスよ」


    「だってこれで、キドアイラク続けてけるってことじゃないスか、別にダメだったらやめるつもりじゃそりゃもちろんなかったッスけど、これで続けるっていうのがはっきり出来たと思うんスよ、俺は」

    「………………」

    「それが嬉しいんスよ! また四人でステージに立てるんだっていうのが〜」


    言いながら、えへへと気の抜けた笑みを浮かべた二ノ宮に、有原は短く溜息をついた。「そうだな」それから大きく頷いて、彼は一瞬だけ目を閉閉じた。

    「センパイ〜俺は嬉しいッスよ〜」
    「あー、はいはい、俺も嬉しいよ……つーか嬉しいどころじゃねーって」
    「そうッスよね!! もう最高ッスよね!!」
    「二ノ宮うるさい! 静かにしろ、テレビ聞こえないんだよ!!」

    響いた誰かの怒鳴り声も聞いていないらしい、二ノ宮は心底幸せそうな笑顔でアフロ頭ごと机に突っ伏してむにゃむにゃ嬉しみを語っている。その背中を叩いて一応は落ち着かせているっぽい有原も、コップにつけた口元には隠しきれない笑みがこぼれていた。
    そんな二人をよそに、サークル員達はまだまだ失われない勢いで騒ぎに騒ぎを重ねていく。ある者は注文を叫び、ある者は一発芸を披露し、ある者は景気付けだのなんだのと歌をうたいだし、またある者はポケモンになりきって雄叫びをあげている。「ここがタマムシのやぶれたせかいだー!!」などとわけのわからないことを絶叫した輩に、別の部員が激昂する。


    「だからうるさいんだってばお前ら全員!!」


    窓の外はいつの間にか暗くなり、店の灯りが夜道に浮かび上がっていたけれど、もはやそれに気がつく者は誰もいない。賑やかに騒ぎつつ、テレビの中のリーグ中継を競うようにして見つつ、彼らのポケモンリーグの夜は更けていく。




    「なんでこういう時に限ってこうなるかなぁ」

    サークルの面々が、自分達を差し置いて居酒屋で大騒ぎしてるとも知らず――タマムシ大学の廊下を小走りで進み、芦田は辟易したような声を出す。その隣を走る守屋が、「僕のせいだとでもお考えですか」と不機嫌な口調で返した。芦田の横を漂うポワルンと、守屋に並走するマグマラシが、また始まったというように視線を空中で交差させる。

    「君のせい以外に何があるの。なんでよりによって今日のさ、みんなでリーグ中継見ようとか言ってた日に限って、学校に鞄忘れたりするわけ? あったから良かったようなものだけど、財布とかも入ってるんでしょコレ、気を付けてよ、ホント」
    「じゃあついてこなきゃよかったじゃないですか。そうやって後からアレコレ言うのはズルいですよ、耐久高い自慢ですか」
    「探すの手伝わせたのは君でしょ? しかも見つけたの俺だし」

    ポケモンリーグの開会式が行われるというのに、夜の大学に残ってる物好きもそういない。いつもは騒がしさを極めている廊下はしんと暗く静まり返っていて、芦田が携帯のランプで照らす光とマグマラシの炎だけが眩しかった。早足の足音が三つ分、薄闇の廊下に響いては消える。
    「そういえばさ」いつまでも文句をぶつけ合っていても虚しいだけだと思ったらしく、芦田が強引に話を切り替える。天井に張り付いていたイトマルが、近づいてくる光に怯えて逃げていった。「この前聞いたんだけど、羽沢君、旅に出たことあるんだって」

    「え? 樂さん旅出られるんですか? 今更? お土産買ってきてくださいね」
    「僕の話聞いてなかったの? 僕じゃなくて羽沢君だよ。あとお土産って君さ、旅行じゃないんだから」
    「だって樂さんの旅とか絶対トレーナー修行とかならないじゃないですか、絶対諸国漫遊的な何かになりますよ。で、何ですか? 羽沢が? 何かの間違いじゃないですかね、聞き間違いとか」
    「僕もそう思ったんだけど、でも旅の話とかしてたんだよね、僕に似た人に会ったとかなんとか。びっくりだよね、誰がどんな過去あるかわかったもんじゃないよホント」
    「マジなんですか……僕ここ最近で一番びっくりしてます、高校の時の友達がケッキング似の彼女と付き合いだしたって聞いたら実際はふくよなナゲキと付き合ってた時並にびっくりしてます」
    「俺はその話の方がびっくりだよ……何それ…………」

    呆然と言った芦田に、「僕だってよくわかりません」と守屋は雑な返事をする。巡君のせいで何話そうとしたか忘れちゃったじゃん、などとぼやき、芦田は携帯のライトを切った。釈然としないまま校舎の外に出ると、空は既に濃紺に染まり、少しばかりの雲に覆われた月が浮かんでいた。
    今頃選手入場が始まった頃かな、と言おうとして芦田は口を開く。が、それよりも前に守屋が「でも、樂さん」と声を発した。


    「今、旅してないってことはここにいたい理由があるからなんじゃありませんかね」

    「…………奇遇だね。俺もそう思ったよ」


    その言葉に守屋は露骨に不愉快そうな顔になり、「樂さんと同じとか勘弁していただきたいですね」と清々しいほどハッキリ言い放った。「君ね……」芦田が声にトゲをにじませる。またもや始まりそうな応酬に、ポワルンとマグマラシは付き合ってられないとばかりに、皆の待つ居酒屋へと続く夜の道を先にいってしまった。





    「いよいよだねー、今年はどうなるかなぁ」
    『まあ、言うて毎年予想外のことも起きないけどな。初出場の少年が圧勝しまくってそのまま優勝した1996年伝説くらいだろ、色々覆されたのなんて。それだっていつの話だって感じなのに』
    「ま、それはそうだけどさ。でも知り合いが優勝候補ってだけで大分違うじゃん?」

    ゴミとゴーストポケモンで充満した、とある複合ビルの二階に位置する真夜中屋。ラジオから流れるリーグ中継を聞きながら、ミツキはムラクモはじめ、ゴーストポケモン達とダラダラしている。
    『それは言えてるな。あのオッサン、優勝出来るかね』今はミツキしかいないためにタブレットの電子音声など使う必要のない、ムラクモが思念を直接ミツキに飛ばす。「んー、どうだろ」それに対し特に意味も無く肉声で答えながら、穴が開いたソファに寝転がるミツキはだらしなく寝返りをうって転がった。「強い人もいっぱいいるからねぇ。勝つかもしれないし、負けるかもしれない、ってとこじゃない」

    「でも、優勝する道は拓けてるよ」

    曖昧な言葉の後にそう続け、何かを確信しているみたいな笑みを浮かべたミツキをムラクモが赤い瞳で見遣る。『なんかイミシンな言い方だな』床に広げたスナック菓子を貪る手を止めて、紫色の腕を伸ばしてミツキの足をつついた。
    「ぜんぜん深くないよ、むしろそのまんま」くすぐったそうに身をよじり、横たえていた身体を起こしたミツキはソファに座る。汚いとしか言いようのない、しかし不思議と穏やかな空気の漂う部屋を眺め、彼は力の抜けた笑みを浮かべた。

    「あの女の子が正しいことをしたとは絶対言わないけど、でも、結局は羽沢さんも、あの呪いが通じちゃうような人だったんだ。王にふさわしいかどうかを見抜く、ギルガルドの呪いがね」
    『…………でも、それは解けただろ?』
    「そうだよ。だから、大丈夫なんだ」

    あの人は、きっと王様になれるよ。
    「そう思うでしょ? ムラクモ」笑いかけたミツキに、ムラクモは大きく裂けた口をにっと歪ませて答える。『たりめーだろ』彼の返事に被さるようにして、ラジオの実況中継が、選手入場の開始を告げた。





    リーグ会場の女子トイレで、松崎は化粧を直している。
    父親のバトルを見るために訪れたわけだが、実のところ彼女がポケモンリーグを生で観戦するのは初めてだった。

    実際目にしてわかったことは、沢山のトレーナーがいるということと、その全てを応援している人がいるということだった。何百といる出場者に、それでも皆に力を与え、与えられる人がついていた。大勢の観客達は、皆、誰かという光を心待ちにして開会を今か今かと焦がれている。
    どんなトレーナーでも、誰かに夢を与えて誰かの希望になっていた。
    結局一口も飲めなかった、コーヒーの匂いが意識の中だけで蘇る。便利屋と名乗るサイキッカーと交わした会話、降り続く雨の音、止まった時間に感じたものは恐ろしさと、後悔だ。

    リップグロスの蓋を閉め、松崎は思う。
    呪ってしまったあのトレーナーも、きっと自分の父親と同じ、さして変わらない、誰かにとっての道となった存在なのだろう、と。

    「はるなちゃーん! もう、始まっちゃうわよ選手入場! ノブさん出てきちゃう早く早く!」

    外で待っていた、ファンクラブのメンバーが松崎に声をかける。
    楽しそうな、嬉しそうなその声に松崎は少しだけ笑みを浮かべ、「今行く!」と化粧道具をポーチにしまって足を踏み出した。





    「あと五分で選手入場ね。まだ席に戻ってきてない人も多いけど」

    ポケモンリーグセキエイ高原大会、会場客席。人もポケモンも入り混じり、大勢の客で溢れかえったその場所にはリーグ開始を待ち焦がれる者達の立てる声や音でひしめき合っている。
    その客の一人、真琴が膝に抱えたポップコーンをつまみながらスタジアムの時計を見て言う。「ここからでも見分けってつくのかしら、全体が見えるっていうのはいいけど、ちょっと遠すぎる気もするからねぇ」

    「大丈夫だろ、母さんオペラグラス持ってきてるって言ってたじゃん。あと、スクリーンもあるし」
    「かなりいい席ですよ、ここ。まさかこんな席でリーグが観れる日が来るなんて……ホントにありがとうございます」
    「なんか、すみません。私達まで誘っていただいて……」

    真琴の言葉に答えた悠斗に続き、富田と、彼の両親が頭を下げる。「いいのよ、いつもお世話になっているし、ご近所さんなんだから」笑ってそう言った真琴に、富田の母親が黒の尖った耳を揺らしてもう一度礼をした。出場者である泰生の口利きである程度のチケットは取れるため、悠斗が来るのに合わせて真琴が富田一家の分も確保しておいたのだ。富田の母の、尖り気味の鼻の頭が嬉しさによって赤くなる。
    「羽沢さんは何番目くらいに入場されるんですか?」「所属の五十音順だから最後の方だと思うんだけど……」そのまま親同士が会話に入ってしまったため、必然的に悠斗と富田が残される形となる。斜め前にいる、ププリンを頭に乗せながらリーグ賭博に余念のない老人を横目で見つつ、富田は悠斗に声をかけた。

    「俺、リーグ来るの初めてだわ。こんな盛り上がってるもんなんだな、思ってたよりすごいな」
    「俺も十何年ぶりだから、毎年母さんだけ行ってたからな……っていうか、テレビとかで見てないわけ? 客席の様子も映んだろ、こういうの」
    「んー……そうだけど、見る必要もなかったし」

    そう答えた富田に、悠斗は「そうか」と頷いた。それきり黙って、微妙に視線を逸らしてしまった悠斗に富田は「何考えてるか知らんけど」と声をかける。

    「別に、……自分がどうするかとか、何するかっていうのを、悠斗を理由に決めたことは一回も無いよ、俺は」
    「………………」
    「ただ、俺がそうしたいから、俺が決めただけでさ」

    茶色に染められた、長い前髪の向こうの赤い瞳が悠斗を見る。思えばこれを怖いとか、不安であるとか異質であるとか、そうやって考えたことは一度も無い。そんなことをふと思った悠斗に、無二の親友は微かに笑った。

    「今だって、別に自分が来たくなかったら来てねぇよ。それだけ」
    「…………うん」
    「お前だって、別に、羽沢さんを理由にここ来たわけじゃないだろ」
    「うん」

    その返事に続け、悠斗は富田に何かを言おうと口を開く。しかしそれよりも先に、会場中にアナウンスが響き渡った。


    『間もなく、選手入場です! ご着席がまだのお客様は、速やかに席にお戻りください!』


    「おお、いよいよだな」
    「始まるわねぇ」
    「今年はどんなリーグになるかしら」

    歓喜と待望にざわめく客席の上空、晴れた夜空に丸い月が浮かぶ。祭の夜に更けていくその下で、悠斗と富田はスタジアムの中心へ、それぞれ二つの目を向けた。






    スタジアムに続く通路の中、沢山のトレーナーが開会を待つ。闘いの始まりに武者震いする者、緊張で息苦しさを覚える者、現実感を持てずに落ち着けぬ者。それぞれの思惑とそれぞれの野望、そしてそれぞれの闘志が交差するまで、残された時間はあと僅かだ。
    その一人である泰生に、森田はそっと声をかける。「泰さん」マネージャーである彼はここで一旦泰生と別れることになる、自分がここから先に行く側であった日のことを思い出しながら、森田は泰生の目を見て言った。「行ってらっしゃい」


    『――――それでは、二千十五年度ポケモンリーグセキエイ大会、』


    泰生が大きく頷く。森田が力強い笑みを浮かべる。岬が唇で弧を描き、相生が両手を握り締める。064事務所の皆が、各々目の光を強くする。少し離れた場所に立っていた根元が、泰生をちらりと見て含み笑いをする。
    コートと通路を隔てていたゲートが、音を立てて開く。眩しいほどの光に満ちたそこは、今から自分達が向かうその場所は、王者を決める闘技場である。



    『選手一同、入場です!!』



    「頑張れよ――――――」


    コート全体に響いたよく通る声――若きシンガーのそれを耳に受け、泰生は闘技場への一歩を踏み出す。




    誰かの希望となり、夢を見せるような。

    誰かの光となり、輝きを放つような。

    誰かの道となり、前へ前へと導くような。


    そんな、王者を決める祭典が――――――――




    「父さん!!」




    今、幕を上げる。


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