マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  •   [No.1492] よもすがら都塵に迷う 上 投稿者:浮線綾   投稿日:2016/01/06(Wed) 20:57:26     28clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    よもすがら都塵に迷う 上



     フロストケイブほどには暗くも寒くもない。
     金緑の苔の光、それをかき消す赤いヒトカゲの尾の炎が、ひやりと湿った洞窟の中で熱くくすぶる。そのヒトカゲも主人の袴の膝の上で悠々と丸くなって、今や昼とも夜とも分かぬ時をまどろみの中で過ごしている。
     瞼を押し上げたレイアの視界に入るものといえば、エメラルド色に輝く苔と、赤々と輝くヒトカゲの体躯、あとは薄闇ばかり。黴臭く暗く寒くじめじめした洞窟に籠り出してからいかばかりの時が立ったか、レイアには知る由もない。
     水や食料の兼ね合いがあるから、いつまでもこの輝きの洞窟にいようとは思わない。道を失ったわけでもない――レイアの手持ちのヘルガーににおいを辿らせれば、洞窟の入り口まで戻るのも容易なことだ。
     しかし自分で出ていく決心がつかない。

     ヒトカゲの背を撫でていると、ヒトカゲが身じろぎ温かい欠伸をする。深い藍色の瞳でレイアを見つめた。今日もここにいるのかとでも問いたげな眼差し。
     レイアはヒトカゲを見つめたまま頭を傾けた。
    「……そりゃ、だせぇとは思うがよ」
    「かげぇ?」
    「……お前らも悪いな、こんな辛気臭い場所に押し込めて」
    「かげかげ」
    「あーでも、出ていくのめんどくせ……」
     レイアは生あくびをし、湿った岩壁に背を預けた。耳元でピアスがちりちりと鳴るのがやけに耳についた。ヒトカゲも再びぽてりとレイアの膝の上に転がる。
     コロモリの羽ばたき、イワークの這いずりまわる地の震え、カラカラの泣き声、サイホーンの岩を砕く響き。すべて聞き飽きた。穴抜けの紐の届かないほど洞窟の奥深くまで潜ったおかげで、観光客の足は届かない。修業中のトレーナーもレイアの潜む枝穴を見つけることすらできなかった。
     絶好の隠れ家だった。風雨はしのげる、野生のポケモンも多くはない、出ようと思えばいつでも出られる。
     しかし洞窟の入り口付近まで戻れば、化石目当てに訪れる研究者、化石マニアがのさばっている。洞窟外の9番道路に一歩出れば、山男だのポケモンレンジャーだのがうろついている。レイアは他人を憎んだ。夜を狙えば人目は避けられるが、洞窟に籠り出してもはや時間の感覚はない。
     それは確かにレイアの誤算だったけれど、それだけでもなかった。レイアのヒトカゲの尾の炎は夜闇の中で、逆に遠くからも目立つのである。その一方ではこの他者を信じられないとい心理的状況、暗く寒いという物理的状況下で、相棒のヒトカゲまでもをモンスターボールに戻すことはレイアにはとてもできなかった。
     つまり多重の意味で、レイアは八方塞がりに陥っているのである。
     だからただただ、サクヤの迎えを待った。
     既にサクヤからはニャオニクスのテレパシーによる連絡があった。
    ――おいレイア、今どこで何してる。
    「輝きの洞窟でだべってる」
    ――迎えに行ってやる。僕に感謝しろ。
    「くそうぜぇな有難う」
     そうしたサクヤとの短いやりとりがあったのが、どれほど前か。
     レイアにはひどく、ひどく前のことのように思われる。薄暗い変わり映えしない洞窟に籠っているおかげで、レイアにとっての長時間がどれほどの短さを持つのかは見当がつかないけれど。
     サクヤは今に来るだろうか。青い領巾を揺らして、ゼニガメを抱えて。涼しげな眼差しで、惨めに縮こまっているレイアを見下ろして笑うだろうか。


     レイアはヒトカゲを抱え込むようにして、膝を抱えた。ヒトカゲの体は常にぽかぽかと暖かく、小さい爪で襟元に縋りついてくるのが愛しくて、この小さな相棒だけがレイアの唯一の癒しだった。そのヒトカゲもさすがに湿った洞窟の空気には辟易しているようではあったが。
     手持ちのポケモンたちにも、随分とレイアの我儘を押し付けている。ヒトカゲ以外の手持ちは洞窟に籠り出して以来ボールからも出さず、ボールの保存効果をあてにして何日も食事も水すらも与えていない。それでもヘルガーもガメノデスもマグマッグもエーフィもニンフィアも文句ひとつ言わず、眠ったように、飾りのようにおとなしくしているのだった。それがレイアの躾の賜物でなくポケモンたち自身の思いやりによるものであることは、レイアにもよく分かっていた。五体の気遣いが痛ましかった。
     とはいえやはりレイアは自力で外界に出る気にはなれなかった。
     洞窟の外の世界にはルシェドウやロフェッカがいる。
     現在彼ら二人との関係は良くはないが、レイアにはそのような事はどうでもよかった。
     どうやらルシェドウはレイアたち四つ子を放置して、ただひたすらに榴火のことを追いかけている。また、その同僚であるロフェッカはレイアたち四つ子を、まるでポケモンか何かのように捕獲しようとしている。そうした二人の振る舞いはとても友人に対するそれとは呼べず、だからレイアは二人を見限ったのだった。
     二人はユディ以外にできた、レイアの初めての友達だった。その友人関係の終焉は呆気ないものだったが、レイアはそこにさほどの執着を覚えなかった。ルシェドウやロフェッカより、キョウキやセッカやサクヤの方がよほど大事だからだ。
     片割れたちのことを思えば、胸が痛む。
     レイアは三人の片割れを守らなければならない立場にあった。四つ子はこれまでずっと助け合って生きてきたから、レイアが困ったときは他の三人に助けを求めればよいのはもちろんなのだが、それと同様にレイアも三人を助けなければならない。なのにレイアは、ロフェッカが起こしたことを三人に警告するでもなく遁走し、サクヤによる救助を女々しく待っている。情けないことこの上ない。

     軽い足音が聞こえてきた。
     二本足。ワンリキーやカラカラやクチートよりは重く、ガルーラよりは軽い――人間の足音だ。
     レイアは膝を崩し、ヒトカゲの背に触れながら顔を上げた。足音は真っ直ぐ、レイアの潜む穴倉に向かってきている。
     サクヤか、と思ってすぐに、違うと直感した。
     違和感が確信に変わる前に、当の人物がレイアとヒトカゲの前に姿を現した。


     鉄紺色の髪が、ヒトカゲの尾の炎に赤々と照らされる。それは身をかがめて現れた。レイアもさほど驚きはしなかった。ただかつての友人の一人が現れただけのこと。
    「あ。レイアだ」
     黒いコートに身を包んだルシェドウはヒトカゲの赤熱の炎に目を細め、レイアから枝穴の出口を塞ぐように身をかがめた。にっと笑い、軽い調子で片手を持ち上げる。
    「よっ」
     レイアも緩くヒトカゲを抱いたまま、小さく息を吐く。
    「……おう」
    「何してんのレイア、こんなところで?」
    「……てめぇこそ」
     レイアの前に座り込んだルシェドウは両手を伸ばしてのうのうとヒトカゲの炎にあたりながら、くすりと笑った。
    「レイアを捜してたんだよ」
    「あ?」
     レイアが眉を顰める。
     ルシェドウに会ったのはレンリタウン以来だった。四つ子と決別し、榴火を更生させることだけに集中する――それがルシェドウのポケモン協会から与えられた任務だったはずである。
    「……おいてめぇ、榴火はどうしたよ?」
    「うん?」
     ルシェドウはのんびりと笑っていた。とぼけているというより、半ば呆けているようにレイアには見えた。それが普段のルシェドウらしからぬ様相であることに気付き、そら恐ろしい思いに襲われる。
     ルシェドウはレイアの友人だが、ポケモン協会の職員でもある。そしてレイアは現在、もう一人のポケモン協会に勤める友人に追われる身でもあった。
     ルシェドウの呆けたような様子は不可解だったが、とりもなおさずレイアは警戒心も露わに、さらに眉間に皺を寄せた。
    「……なんで、俺を捜してたんだ?」
    「ロフェッカが困ってたから。まあ、個人的にお前に会いたいなってのもあったし」
    「……お前は榴火をどうにかしないといけねぇんじゃ……なかったのか?」
    「ま、そうなんだけどね。ちっと休憩」
     ルシェドウは和やかに笑うと、ごそごそと荷物の中から乾パンの小さい缶を取り出して、レイアに丸ごと差し出した。
    「ほい、差し入れ」
    「…………いや…………どうも」
    「痩せたねーレイア。ロフェッカにいじめられたんだって? ショック受けちゃって、かわいそうになー。よしよーし」
     さらにルシェドウの手が伸びてきて、レイアの黒髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。
     レイアは半ば呆然としつつも、しかし空腹には勝てずに缶を開け、乾パンをヒトカゲと分け合いつつ貪り食らった。それをルシェドウはいかにも微笑ましげに見つめている。
    「ヒトカゲちゃんがいてよかったね。……つーかレイア、おま、ちょ、くさい」
    「……うっせ」
    「このニオイ……一週間ぐらいだな?」
    「――嗅ぐな! つーか、なんで分かるんだよ!」
     レイアが怒鳴ると、ルシェドウはくつくつと笑う。レイアの体臭など気にしない様子で馴れ馴れしく腕を肩に回してきた。
    「ほらほらレイア、お外に出といで。一緒にコウジンタウンに戻ろう。ホテル・コウジンに部屋とってんの。おねーさんが洗ったげる!」
     レイアは気まずげに、自分の首周りからルシェドウの腕を外した。
    「……こないだおっさんにホテル連れ込まれて酷い目に遭ったんで、もういいわ」
    「えっ嘘まさかレイア! ロフェッカみたいなおっさんがタイプだったの!? ルシェドウさん超ショックなんだけど! ロフェッカに負けたとか悔しすぎるんだけど!」
    「――黙れよ! 変な妄想すんなよ! そーゆーのは何もねぇよ!」
    「せっかく美女がホテルに誘ってるのに。レイアって、セッカと違って純情だよな?」
     その一言にレイアはぎょっとし、まじまじとルシェドウを見つめた。
    「…………セッカって……お前……まさか」
    「セッカって何者なわけ? 超手練れじゃね?」
     くすくすと笑っているルシェドウを前に、とうとうレイアは頭を抱えてしまった。


    「…………――っ……――…………ッ!!?」
    「だいじょぶ?」
     レイアは震えながら、陽気に笑っているルシェドウを恐る恐る見やり、怖々尋ねた。
    「……お、おおおおおおおままままままさかセ、セッk――」
    「あ、その子音までで止めるとかなり紛らわしいよな、セッカって」
    「黙れ!」
     レイアはヒトカゲを強く強く抱きしめ、歯を剥き出してルシェドウを威嚇していた。ルシェドウがなんでもない顔をして自分の目の前にいるその神経を疑い、むしろ心から憎んだ。
    「畜生、てめぇがそんな奴だったとはな!」
    「どしたん、レイア。ショック受けちゃった? なーなー、片割れ的にはどんな気持ち?」
    「――どうとも思わねぇよ!」
     レイアは全力で怒鳴った。
    「なんともない! 俺が口挟めることじゃなくね!? あいつやてめぇの自由だろ! そりゃ、なんでそんな事になったかは気になるけども!」
    「あ、片割れの恋愛事情は気になるんだ?」
    「相手が相手だからだわ!」
     レイアは両手で頭を抱えたまま体をのけぞらせた。
    「なあもうこの話やめねぇ? セッカが何しようが関係なくね?」
    「や、俺はセッカが心配なのさ。ああいう事しないと生きてけないほど、四つ子ちゃんも追い詰められてんだなーと思って」
    「追い詰めたのはどこの誰だ!」
    「ポケモン協会ですね、わかります」
     ルシェドウの指が伸び、缶の中から乾パンを一つかっさらっていく。

     二人と一体はしばらく、ぼりぼりと乾パンを咀嚼していた。
     妙に和やかな雰囲気になっているが、レイアにとっては不可解この上ない。ルシェドウが今ここにいることについて疑問しかない。しかしもともと口数の多い方ではないので、ルシェドウが口を開くのを待っていた。
     果たして、ルシェドウは再び陽気に口を開いた。
    「で、セッカに榴火のことは任せろって言われちゃったんだよね」
    「……待て、文脈が分からん」
    「セッカってかっこいいよね。普段はお馬鹿なくせに、いざとなったら俺様っていうか女王様っていうか、あれギャップ超やばい。あんなに強く迫られたら拒めないっつーか、覚醒するわ」
    「――その話はもういい! なんでてめぇがここに来たかだけ話せ!」
     何度目かの怒声を上げる。
     ルシェドウはへらへらと笑った。
    「まあご存知の通り、ルシェドウさんは榴火を何とかすべく情報を集めつつ、榴火本人を捜してたんですよ。でも考えても考えても、榴火をどうにかできる気はせんし、そもそも榴火に会えんしよ。そんな時にヒヨクシティでセッカに会ったわけだ」
    「…………はあ」
    「そんな迷える俺に、セッカはかっこよく、榴火のことは任せろと、そう言ったわけですよ」
    「…………あっそ」
    「というわけで無性にレイアに会いたくなった」
    「――意味不明!!」
     レイアは懲りずに怒鳴る。その腕の中でヒトカゲが機嫌よくきゅっきゅと鳴いている。
    「なんで? ねえなんで!? お前つまり、セッカに惚れたわけ? だから俺に会いに来たとか、そういう系!?」
    「いや、違うなー。俺は疲れたの。榴火のことを忘れたくなって、セッカに優しくしてもらって……そしたら自然と、レイアのことが頭に浮かんだのさ」
     ルシェドウはしみじみと語っている。
     レイアはやたらに緊張しつつ、先を促した。
    「……で?」
    「榴火とは何年も前から交流があったけど、考えてみたら榴火には俺の仕事とか手伝わせたりしてねぇなーって思って。いろいろ仕事を助けてくれたのって、ほとんどレイアだったなーって」
    「……論旨が不明瞭……」
    「榴火とは仕事上でのお付き合いだった。それに比べてレイアとは、信頼で結ばれた、純粋な友情があったなー、と思った」
    「……その友人と同じ顔した奴と恋愛関係になった点については?」
    「反省してますん」
    「――どっちだ!」
     ルシェドウは朗らかに笑ってレイアの肩を叩く。
    「ショウヨウではロフェッカが、ごめんな。榴火のせいで面倒な思いさせてごめん」
    「……じゃあ、てめぇは俺ら四つ子を見逃すってのか?」
    「それとこれとは話が別なんだなー」
     レイアは顔を顰める。
    「だったら何をしに来たんだ。てめぇは榴火のことを忘れて、“友達”の俺に会って、何がしてぇんだよ」
    「相談に乗ってよ、レイア」
     ヒトカゲの尻尾の赤い炎に照らされる中、ルシェドウはにっこりと笑んでいる。


    「ずっと榴火を捜してるんだけどさ、なんかバレるのかなぁ、避けられてるのか知んないけど、全然会えないんだよね、榴火に」
    「……あっそう」
    「協会のお偉いさんにはどつかれるし、あと一週間以内に成果出さないとたぶん給料減らされる」
    「……ドンマイ」
    「だからこないだ、ロフェッカに泣きついてみたんだよ。そしたら喧嘩になった……」
     ルシェドウは薄笑いを浮かべながらも、どこか遠くを見つめている風である。ヒトカゲの尾の炎に赤く照らされたその顔を、レイアは上目遣いに眺めていた。
    「榴火のことがどうにもできないなら、せめて俺は榴火の邪魔にならないようお前ら四つ子を捕まえるべきじゃないのか。――そういう事をロフェッカに個人的に相談したら、すげー怒られた」
    「……おう……ドンマイ」
    「責任感が足りないってさ。榴火のことを本気で考えてんのか、って。なーんか、レンリでも四つ子ちゃんに同じよーなこと言われたなーって思ったね」
    「……そうだっけか」
    「ロフェッカにあんなに怒られたのは初めてだったな……。へこんだ。ここだけの話、マジで泣いた。そんでレイアに会いたいなーって思って、ロフェッカからレイアのいそうなクサいとこ聞き出して、んでロフェッカの許可も無しに勝手に輝きの洞窟に乗り込んだわけ。オンバーンの超音波で探ったらすごく奥に誰かいるから、こりゃ当たりだって思って」
     そうしてルシェドウはここにいる。
     レイアは何気なく顔を上げて、しかし友人と視線が合ったのですぐヒトカゲに視線を落とした。ヒトカゲはレイアの膝の上でのんびりと自分の尾を前足で抱え、舌で舐めて身づくろいをしている。
     そこでルシェドウが言葉を切ってしまったので、レイアは適当に口を開いた。
    「……で、てめぇは俺と会って、どうすんの?」
    「幻滅してる」
    「はあ!?」
     ヒトカゲがびくりとした。
     ルシェドウはレイアのしかめっ面を面白がるように朗らかに笑っている。レイアは怒鳴った。
    「――んだよそりゃ! 勝手に会いに来て勝手に幻滅とか、無礼にも程があんだろ!」
    「いやぁ、ごめんて。ただ、レイアに会ってみて、分かったんだよ。俺が会いたかったのはレイアじゃなくて、セッカだったんだなぁって」
     レイアは岩壁に頭を打ち付けた。


    「…………てめぇ…………セッカはやらねぇぞ…………」
    「えー」
    「…………やるもんか…………いや、違うな…………セッカだけはやめとけ、後悔するぞ…………」
    「セッカの武勇伝なら本人から聞いたよ。なんでも、五歳の時に小児趣味の強姦魔に誘拐されておきながら、その犯人とそのままセのつくお友達になっちゃったとか。あと愛人宅を転々としたおかげでポケセン利用履歴が三年空いて、警察沙汰になったこともあるらしいな?」
     レイアは壊れたように岩壁に頭を何度も何度も打ち付けた。――武勇伝どころか黒歴史だが史実だ。セッカのおかげで四つ子がどれほど家族会議でウズに泣かされたか、とても数えきれない。セッカは究極の馬鹿なのだ。
     レイアが抱える説明しようもない気持ち悪さも知らぬかのように、ルシェドウはしみじみとセッカを懐かしがる。
    「セッカはかっこいいよね」
    「……キモ……キモい。キモい。てめぇも変態か……」
    「レイアはセッカのこと、嫌いか?」
    「嫌いじゃねぇよ好きだよ! 俺やキョウキやサクヤにできねぇことを平然とやってのけるセッカに痺れて憧れて惚れるレベルだよ!」
     断言するレイアに、ルシェドウはぷすぷすと笑いをこらえきれない。
    「く、くくく……四つ子おもしれー……。……セッカはすっごく寂しいけど、かなり豊かだよね」
    「……意味不明だぞお前……」
    「つまりね、ルシェドウさんは必死こいて榴火やロフェッカにラブコール送ってたわけよ。でも榴火には無視される、ロフェッカには手酷くやられる。……寂しいよね。だからセッカに会いたかった。でも恥ずかしいから見栄張って、セッカじゃなくて友達のレイアに会いたいんだって、自分の気持ちをごまかした」
    「――俺はただの当て馬じゃねぇか!」
     レイアは両手で顔を覆って喚いた。これほど切ないことがあるだろうか。
     恨みがましく顔を上げ、ルシェドウを睨み上げる。
    「……いいこと教えてやるよ。セッカはてめぇのこと、ただの道具としか思ってねぇから」
    「ふうん。やっぱ片割れには分かるんだ?」
     茶化すような口調に、レイアは表情をまじめに改めた。恐ろしい予感に内心では慄きながら。
    「……あいつ、ある意味キョウキより、まともじゃない。だからルシェドウ、セッカのことは忘れろ。……友人としての助言だ。遊びじゃなしにあいつに関わるのは、絶対に駄目だ。……殺されるぞ」
    「やっぱ、お前ら四つ子と榴火は似てるね。ほんと大好き」
     ルシェドウは寂しげに微笑んで、そう囁いた。そのまま項垂れる。
     レイアは表情を強張らせたまま、自分たち四つ子の最終兵器に敗北した友人の鉄紺色の髪を見つめていた。

     セッカは、自分たち四つ子の敵であるルシェドウを潰す気だったのだ。
     ルシェドウの弱さ甘さに付け込んで、容赦なく叩きのめすつもりだ。ルシェドウの精神を徹底的に破壊して、仕事ができない状況にするつもりなのだろう。どのような手を使ってかルシェドウをここまで己に依存させて、ロフェッカにも厳しく注意されるほどにまで憔悴させて。
     セッカは何かを成そうとしてこのような事をしたはずだった。しかしあの道化の片割れの考えていることは、レイアにはとても分かりそうになかった。
    ――すべてをセッカ任せにしていていいのか?
     疑問がレイアの頭をかすめる。一人で旅をしていた間、浮かんでは必死に隠してきた根源的な問いが、今また染みのように呪いのように立ち現れる。
     ポケモン協会は敵だ。現在、ルシェドウは四つ子の敵だった。けれどルシェドウはレイアの友人でもあるのだ。セッカは敵を攻撃したが、それは即ちレイアの友人を傷つけたということでもある。
     ルシェドウを敵とみなすことに、当初レイアは特に抵抗を覚えなかった。それは欺瞞だったのではないか、何も分かっていなかったのではないか。ようやくそう思い至る。
     ルシェドウを敵にするなら、セッカが敵を排除するだろうことは容易に想像がついたのに。
     レイアの友人は、疲れ果てていた。もはや見る影もなかった。
     切なくなって、レイアは視線を逸らす。

     ルシェドウは顔を上げる。その諦めたような眼差しに気付き、レイアは心なしかぎくりとした。
    「……な、何」
    「俺の負けだ、レイア。俺は榴火からも、お前ら四つ子からさえも、信頼を勝ち得ることはできなかった。――モチヅキさんが羨ましいよ」
    「……は? え、も、モチヅキ……が……何?」
     その問いに対する答えはなかった。ただレイアは急にルシェドウに真正面から抱きしめられた。ヒトカゲが小さく悲鳴を上げ、レイアは息が詰まる。
    「……な、なに、なになになに?」
    「大好きだよ、四つ子ちゃん。本当に愛してる。可愛さ余って憎さ百倍、か、ウズさんの気持ちも分かるかも。……でも好き。好きだよ。ウズさんもお前らのこと大好きだと思うよ、だからウズさんのこと許してあげてな……」
    「…………ルシェドウ?」
     レイアは友人の名を呼んだ。
     そっとレイアから身を離したレイアのかつての友人は、ゆらりと立ち上がる。無造作に鉄紺の髪をかき上げた。
     見下ろす双眸は、刃のように青鈍色に凍てついていた。
    「カロス地方の全ポケモントレーナーを統括するポケモン協会カロス支部の命令です。すべての手持ちのポケモンをモンスターボールに収納した上でボールをロックし、職員に同行してください。なお、職員の指示に従わない場合、職員は当該トレーナーに対し目的を達成するために必要な範囲でのみポケモンの力を行使する権限を有します」
     レイアはかつての友人を哀れに思った。


      [No.1491] 謎の博士、ティヴィル 投稿者:じゅぺっと   投稿日:2016/01/06(Wed) 20:22:07     32clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    101番道路からコトキタウンに着くまで、サファイアは一緒に旅をすることになったルビーに色々なことを聞い
    てみた。自分とルビーはどこで出会ったのか。ルビーはどこの出身なのか。どうしてそのポケモンと旅をするこ
    とに決めたのか……それらの質問への答えは、どれも同じだった。


    「君がボクのことを思い出したら教えてあげるよ。尤も、その時には教える必要はなくなるだろうけどね」


    なんだよそれ、とサファイアは思う。自分に思い出してほしいのならヒントくらい出してくれたっていいんじゃ
    ないだろうか。そう言ったが。

    「別にそこまで思いだしてほしいわけでもないしね。あくまで君とこうしているのはボディーガード役が欲し
    いからだということを忘れないように」

    あっけらかんと言われてしまっては、これ以上追及のしようもなかった。そんな会話をしている間に、コトキタ
    ウンにたどり着く。親と一緒に何度か来たことはあるけれど、今となりにいるのは親ではなくよくわからない女
    の子一人だ。ましてボディーガード役、なんて言われれば周りを少し注意深くも見てしまうものだ。

    「そんなに気を張ってると疲れるよ?別に四六時中見張りをしていろというつもりはないさ。もし何かあった
    ときだけ対処してくれればそれでいいから。さっきみたいにね」
    「いちいちうるさいな!……まあいいや、とにかくポケモンセンターに行こうぜ。ルビーのヨマワルだって疲
    れてるだろ?防御力があるとはいえ、ずっと攻撃をしのいでたんだし」
    「うん、それもそうだ。じゃあ行こうか」

    すたすたと勝手にポケモンセンターへと歩いていってしまう。向こうから頼ってきた癖に、こっちに感謝する気
    はあまりないらしかった。

    「なんなんだよ、もう……」

    旅が始まってからハプニングの連続だ。おまけにこの少女とずっと一緒に旅をするとなると、少し安請け合い
    だったかな、と後悔する。そしていつものように、その後悔の気持ちはカゲボウズが食べてしまった。

    「わかったよ、一度約束したことだもんな。じゃあまずはお前を元気にしてやるか」

    相棒のカゲボウズに笑顔を浮かべ、サファイアもポケモンセンターに入る。もうルビーは自分のポケモンを回
    復させたらしい。ソファに腰掛けようとしていた。ヨマワルが周りを元気そうに漂っている。それにつられてル
    ビーがほんの少しだけ笑うのが見えた。その笑顔は、年相応の少女らしさがある。

    ……可愛いと思ってしまった気持ちは、頭を振って脳の片隅においやることにした。

    (変わったやつだけど……自分のポケモンとは、俺とカゲボウズみたいに信頼し合ってるんだな)

    そう思うことにして、受付に行ってカゲボウズを回復してもらう。すっかり元気になったカゲボウズの姿を見る
    と、こころなしか安心して……お腹がすいてくる。そういえばミシロタウンを出てから何も食べていなかった。

    「なあ、そろそろ飯にしないか?」
    「そうだね。いい時間だし食事にしようか」

     そう言って二人はソファに座る。マナーにうるさい人間が見れば、もっとちゃんとしたところで食事をとり
    なさいなどといいそうだが、サファイアは普通の少年だ。隣に座って、弁当を開ける。その中身は、サファイア
    の好物だらけだった。小さなタッパーに入った麻婆豆腐に、ハンバーグ。

     これでしばらく母さんのご飯は食べられないんだな――そんな気持ちとともにご飯を食べる。ルビーの方を
    ちらりと見ると、ルビーはみたらし団子やチョコレートを取り出し、その小さな口でちまちまと食べ始めた。

    「甘いものが好きなのか?」
    「うん、そうだよ。……それがどうかしたのかい?」
    「いや、ちょっと俺も欲しいなと思ってさ。ハンバーグ一個やるから団子一個くれないか?」

     何気ない、これから一緒に旅をするのだから仲良くしようと思っての提案だった。だがルビーは、少し申し
    訳なさそうに目を反らす。

    「んー……せっかくだけど、遠慮するよ。ボクは甘いもの以外は苦手なんだ」
    「苦手って……じゃあつまり、これからもずっと甘いものばっか食べて旅するつもりなのか?」
    「そうだね。それが何か問題あるかい?」
    「おおありだよ!いくらなんでも栄養が偏るっていうか、明らかに健康に悪いだろ!」

     平然と言うルビーにサファイアが大声で怒鳴る。旅に出る前は家族に随分食事については気を配るように言
    われたのもあって、一緒に旅する仲間がそんな風なのを見逃してはいけないと思ったからだ。

    「そう言われてもボクは今までずっとこういう食生活を送ってたんだけどね……」
    「だったらなおさらだろ。ほら、俺の弁当半分やる。母さんの麻婆豆腐美味いんだぞ」

     ルビーを見据え、弁当箱を差し出すサファイア。ルビーはそれを嫌そうに見たが、サファイアの瞳が絶対に
    譲らないと思っているのがはっきりわかったので、折れて肩をすくめた。弁当箱を受け取り、恐る恐ると言った
    体で食べるルビー。麻婆豆腐を一口食べた彼女は――思いっきりむせ込んだ。

    「うわっ、大丈夫か!?」
    「……辛い。よくこんなの食べられるね……」
    「母さんの料理をこんなのって言うな。まあずっとそうだったなら仕方ないと思うけど、少しずつ慣れてこう
    ぜ。……でないと、ほんとに体に悪いぞ」

     少しだけ言いすぎたかなとばつが悪そうに、それでもしっかりというサファイア。

    「……ありがとう。心配してくれてるのはよくわかったよ」
    「とにかく、これから一日一回でもいいからちゃんとした食事をとろう、な?」
    「わかったよ。さすがにここまで言われたら仕方ない……ね。……じゃあ、これはあげるよ。食べきれないか
    らね」
    「わかった、ありがとう」

     みたらし団子のパックを受け取るサファイア。こうして二人の初めての食事は、二人が旅するうえでのルー
    ルを決める第一歩になったのだった。

     


    そんなこんなでポケモンセンターから出る。すると耳をつんざくような笑い声が聞こえた。それと覆面男達が目
    に入ったので、咄嗟にルビーを手で制する。傘を差そうとしていたルビーはすぐに意図を理解して止まった。


    「ハァーハッハッハッハ!!よぉーくぞ見つけましたミッツ1号!キモリ、ミズゴロウ、アチャモ……まさか本
    当に一人が所有していたとは意外でしたねえ。2号と3号は迷惑をかけた二人を見たら謝るんですよぉー?」

    「当然でございます。一番の弟子ですから」
    「「了解でございます……」」

    ポケモンセンターの影から見てみると、覆面男達に指示を出しているのはがりがりにやせたいかにも研究者然と
    して、だぼだぼの白衣を着た眼鏡の男。どういう理屈か浮遊している豪奢な椅子に座って空に浮いている。それ
    を覆面男たちが見上げている格好だ。

    「そぉーれでは、1号2号3号。持ち主がはっきりしたところで、今度は3人がかりで奪いにいきなさい。それで
    失敗したら……おぉーしおきだべ〜ですよぉー?」

    「「「りょ、了解でございます、ティヴィル様!!」」」

    どうやら覆面男たちにとって白衣の男のお仕置きは脅威であるらしい……だがそれよりも、サファイアには聞き
    逃せない言葉があった。

    (一人相手に3人がかりで、ポケモンを奪う……本気で言ってるのか?)
    (……ちょっと。あの4人に突っかかる気じゃないだろうね。まあ勝手だけど、それにボクを巻き込まないで送
    れよ。ボディーガードのせいで火傷を負うなんてシャレにもならない)
    「お前は何も思わないのかよ……なら、俺一人で行く」
    「……終わったらちゃんと戻ってきておくれよ」

    わかってる、と言ってサファイアは4人の前に躍り出る。そして空に浮いている博士に言った。

    「おいあんたら……さっきから聞いてれば、また人のポケモンを奪おうとする気か?人のポケモンを取ったら
    泥棒って知らないのかよ!!」

    突然の乱入者に、眼鏡の男はぎょろりとサファイアに目を向けて。首を傾げる。青い覆面――ミッツ3号の男は
    あっと反応する。

    「んんー、誰ですか?ミッツ3号?」
    「はっ、この少年は私が誤ってバトルを仕掛けてしまった相手であります。ティヴィル様。

    少年!あの件については私が悪かったからもう我々にかかわるのはやめるべきだ!」

    3号はそういうが、勿論それでサファイアの気持ちは収まらない。許せないのはポケモンを奪おうとする行動そ
    のものなのだから。

    「……なああんた。ティヴィルって言ったよな。あんたはなんでその3匹を手に入れたいんだ?」
    「よぉーろしい。君の正義感に免じて答えてあげましょう。それは――私の、研究のためです。科学の発展に
    犠牲はツキモノでーす。そぉーれに、その少年はあのにっくきレイヴン博士からポケモンを奪ったのでしょう?
    だったら奪われたってもぉーんくは言えませんよねえ?」
    「……確かにポケモンを奪ったそいつは悪い奴だ。でもお前たちは俺たちからもポケモンを奪おうとしたじゃ
    ないか!普通に俺たちがポケモンを貰っていたとしたら、そのまま奪おうとしたんじゃないのか!!」
    「ンーフフフフ。君のような勘のいいガキは嫌いですよぉー?

    そのとぉーりですが……だからなんだというんです?その程度の言葉で私たちが止まるとでもぉー?」

    確かに、ここでサファイアが言葉をぶつけてもこいつらの行動は何一つ変わらないだろう。だったら……

    「だったら、俺とポケモンバトルだ!俺が勝ったら……人からポケモンを奪うのはやめてもらう!」
    「ハーッハッハッハ!面白い!別に負けたからと言って私たちが約束を守る保証などないと思いますが……い
    いでしょう!私の研究成果の実験台となってもらいしょうか!」

    ティヴィル博士は哄笑し。自分のモンスターボールを掴む。サファイアも相棒のカゲボウズに目くばせした。

    「おぉーいきなさい、レアコイル!」
    「行けっ、カゲボウズ!!」

    二人は違う思惑でバトルを始める。そんな光景をポケモンセンターで見ていたルビーもまた、違う思考で動い
    た。

    「……どうして、普通に警察を呼ぶって発想が出てこないのかな。まあ、ボクと違って根っからのポケモンバ
    トル脳ってことなんだろうけど」



    「まずは小手調べといきましょう、電撃波!!」
    「カゲボウズ、影分身!」

    レアコイルが電気をためて放つ間に、カゲボウズはありったけの分身を作る。何せレアコイルはコイルの進化形
    態。その特攻は脅威だからだ。

    だがまたしてもポケモンバトルの実践という意味では相手の方が上を行っていた。レアコイルの電撃波は確実に
    カゲボウズを追尾し、命中する。カゲボウズはなんとか影分身を維持したが、ふらふらになってしまっていた。

    「まさか……必中技!?」
    「そぉーのとおり!どうやら小手調べで終わってしまいそぉーですねえ!」
    「くっ……」

    確かにティヴィルの言う通りだ。今の一撃でカゲボウズの体力は半分以上は持っていかれてしまっただろう。
    それは認めざるを得ない。

    (もう一発同じ技が飛んできたら……!)

    いきなりの万事休す。対策も思いつかない。相手も考えることは同じだったようで、レアコイルに二度目の電撃
    波を命じた。

    「どぉーやら私に挑むにはあまりにも早すぎたよぉーですねえ!これで終わりで……」

    だが、この時運はサファイアたちに味方した。レアコイルの動きが金縛りにあったように固まり、電撃波を出せ
    ないでいる。

    「おやぁー?おやおや、いつの間に金縛りを……?」
    「え……?い、いや!そう、僕はあなたが攻撃した瞬間に金縛りを発動していた!これであなたのレアコイル
    はもう電撃波を打てない。
    勝負はまだ、これからだ!」

    ……本当はサファイアはそんな命令は出していないし、カゲボウズも金縛りを使ってはいない。

    サファイアですら気づいていないが、これはカゲボウズの隠れ特性「呪われボディ」によるものだ。実戦経験が
    少なく、また野生のポケモンもまだノーマルタイプの技しか使ってこないが故に気付く機会がなかったのだ。

    (何だか知らないけど助かった……こんな時こそ、チャンピオンみたいな幽雅な勝負をするんだ)

    「それに、影分身をしたのだって意味がある。カゲボウズ、必殺・影法師だ!」

    ユキワラシとの戦いで見せた無数の巨大な影を作る技をもう一度放つ。巨大な影法師が空からレアコイルを睨み
    、レアコイルを確かにおびえさせた。

    「ほぉーお?面白い技を使いますねえ。

    ならば私のレアコイルの研究成果を出しましょぉーう!レアコイル、トライアタック!」

    「何っ!?」

    トライアタックは炎、氷、電気の三つの属性を同時に放つノーマルタイプの技。ゴーストタイプのカゲボウズに
    は何ら効果はないはずだが……そう思って、不審げな顔をする。
    3匹でくっついているレアコイルの体が、正三角形を維持したまま離れる。そしてそれぞれのコイルが電磁波を
    放ち――その正三角形に、エネルギーをためる。

    すると……本来ならば3種の属性を併せ持つはずの攻撃が、純粋な炎の塊となって放たれた。その威力は炎タイ
    プの技のそれと変わらない。

    「か……躱せカゲボウズ!!」

    なんとかカゲボウズは攻撃をかわす。だが作った分身のほとんどが炎で消滅し、またそれによって巨大な影法師
    も消えてしまった。それを――否、自分の実験成果を見たティヴィルが哄笑する。

    「ハッーハッハッハ!素晴らしい!これぞトライアタックの三種の攻撃から任意の属性を取り出すことに成功
    した新トライアタック!これで私のレアコイルは炎タイプと氷タイプの技が使えるよぉーになったということで
    す!

    では……今度は氷のトライアタック!」
    「させるか、カゲボウズ影打ち!」

    トライアタックを打たれる前に勝負を決めてしまおうと影打ちを放たせる。……がサファイアは忘れていた。影
    うちの威力はそう高くない。

    カゲボウズの影打ちは命中したものの、レアコイルを倒すには到底及ばず……むしろ焦って技を放ったことで大
    きな隙を作ってしまった。三角形の冷凍光線がカゲボウズに命中し――さっきのユキワラシの粉雪とは比べ物に
    ならない勢いで、その体を凍り付かせる。勝負は決した。

    「カゲボウズ!!ごめん、俺……」

    相手が特殊な攻撃技を放ったからといって焦ってしまった。そんなことではチャンピオンのバトルとは程遠い
    。何より自分の相棒を瀕死にしてしまったことが悔しくて、目の前が真っ暗になる。

    「ハッーハッハッハ!思ったよりは頑張りましたが、まだまだ私には及ばないようですね。そのカゲボウズに
    も興味はありますが、部下の非礼に免じて見逃してあげます。私は優しいですから……おやぁー?」

    ファンファンファンと、警察のやってくる音がする。そのあとどうなったかは、サファイアにはわからない。凍
    り付いたカゲボウズをすがるように抱きしめて、そのまま気を失ってしまったからだ。




    ――サファイアは夢を見た。

    霧が鬱蒼と立ち込める墓地だらけの場所。そのどこかで幼い自分が迷って泣いている夢。泣いている自分に、
    誰かが寄り添ってくれている夢を。幼い自分と同じくらいのその子は紅白の巫女服に、綺麗な黒髪を腰まで伸ば
    していて――

    「カゲ、ボウズ……?」

    サファイアが目を覚ますと、そこはポケモンセンターだった。先に治療をしてもらったのであろうカゲボウズが
    、サファイアの周りを心配そうにうろうろしている。そのことが何よりも安心できた。もしカゲボウズを奪われ
    てしまったら、もう旅なんて出来やしない。

    「やあ、おはようサファイア君。敗戦の味はどうだい?」
    「ルビー……」

    ルビーは何事もなかったかのように、椅子に座ってキャンディーを舐めている。

    「そっか、負けたんだな……俺」
    「まあね、ひどいもんだったよ。あれはチャンピオンの真似かい?はっきり言って、似合っていないよ」
    「なっ……いきなり何を言うんだよ!俺はシリアに憧れて……」
    「あのチャンピオンに、ねえ……まあ好きにすればいいさ。ボクは勧めないけどね」

    やはり何か、ルビーはチャンピオンに関してよく思っていない節がある。もっと言うなら、サファイアがチャン
    ピオンのバトルスタイルを模倣していることもだ。

    「そんなことより、あの後……どうなったんだ?あいつらは……」
    「ああ、彼らなら逃げたよ。警察も追跡してたんだけどね。見失ったそうだ」
    「そっか……止めれなかったんだな。ルビーが警察を呼んでくれたのか?」

    そうだよ、とルビーは言った。どうやら彼女は極力厄介ごとに関わりたくないらしい。だけど、今は素直に感謝
    するべきだ。あの時警察が来ていなかったら、本当にカゲボウズは奪われていたかもしれないから。

    「……俺、強くなるよ」
    「何だい、急に?トレーナーとして旅をする以上は当たり前のことじゃないか」
    「ああ。だけどもっともっと強くならないと……あんな奴らにやられっぱなしは嫌だし、ルビーのボディーガ
    ードだって務まらない。
    だから約束するよ、今よりもずっと強くなって……ルビーのことも、自分のポケモンも守れるトレーナーになる
    って」
    「やれやれ、ボクはついでかい?……まあ、別にいいよ」

    今はゆっくり休みたまえ。それから出発しよう。そう言われて、サファイアは頷いた。

    次はトウカシティに向かおう。そこに着くまでに、いっぱいポケモンバトルをして強くなろう――サファイア
    は心にそう誓ったのだった。


      [No.1490] 旅立ちは彼を目指して 投稿者:じゅぺっと   投稿日:2016/01/05(Tue) 18:28:59     43clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    ミシロタウンを出て、101番道路を歩く。ミシロタウンから出るときはいつも親と一緒に車に乗っていたし、勝手に野生ポケモンが出る草むらに入ってはいけないと親にきつく言われていた。だから初めて歩く野生のポケモンが出てくる草むらの感触をしっかりと踏みしめる。

    「カゲボウズ、ナイトヘッドだ!」

    時折出てくる野生のジグザグマやポチエナは難なく一撃で倒せる。カゲボウズはおくりびやまで仲間にしたのでもともとのレベルが高いということもあるし、家でチャンピオンのバトルを研究したりトレーニングをしていたのもある。家でチャンピオンのバトルを見ていた時、サファイアがジュペッタの影分身に気付いていたのはそのためだ。ノーマルタイプのジグザグマも、思い切りおどろかすやナイトヘッドを使えばダメージを与えなくても逃げさせられるくらいのことは出来る。

    「へへっ、楽勝楽勝!……でも、少し手ごたえがなさすぎるかな……」

    予想はしていたことだが、さすがにレベルの差がありすぎる。苦手なタイプのポチエナでさえ悪タイプの技を覚えていないのだから勝負にならない。なにせノーマルタイプの技はカゲボウズには意味をなさないのだから。

    それでも、人間であるサファイアにとってはポケモンの身体能力は脅威だ。決して草むらの揺れは見逃さず、歩みを進めていく……と、何やらコトキタウンの方から赤いガスマスクのような覆面をかぶった痩せぎすの男が走ってきた。

    その男は、サファイアに向かってこう叫ぶ。

    「そこのミシロタウンから出てきた少年ー!少し止まるべきだ!」
    「え……どうした、何かあったのか?」

    何か向こうで危ないものでもあったのだろうかとサファイアは思ったが、覆面男はこう言いだした。

    「ミシロタウンから出てきたということは君が博士から珍しいポケモンを貰った少年であろう?そうであるべきだ!」
    「……いや、貰ってないよ。貰うはずだったんだけど誰かに奪われたんだ。そのポケモンについて何か知ってるのか?」
    「むむむ……お前も、持ってないというのか。だがしかし、ここではいそうですかと帰ってはティヴィル様に怒られてしまう!アミティヴィル様第3の子分としてそれは避けるべきだ!

    少年!私とポケモンバトルするべきだ!私が勝ったら珍しいポケモンを渡すべきそうすべき!」
    「ポケモンバトルならいいぜ……って、持ってないって言ってるだろ!」

    身構え、カゲボウズにいつでも技を出せるように目で合図する。この覆面男、どうやら人のポケモンを奪うつもりらしい。それも特段の悪意なしにだ。

    「少年、嘘をつくのはやめるべきだ。今日博士から何やら珍しいポケモンを3人の少年少女が貰うのは聞いている、ミシロタウンから出てきた以上、君がその一人に間違いない。誰かに奪われたなどと見苦しい言い訳はやめるべき!」
    「だから、嘘じゃないんだって!大体その珍しいポケモンってお前はどんなのかわかってるのかよ?具体的に知らなさそうな口ぶりだけど、それで俺が持ってるってわかるのか?」

    そうサファイアが尋ねると、覆面の男は覆面越しに表情がわかりそうなほど露骨に固まって困惑した。そういえばどんなやつだっけ?と思っているのが手に取るようにわかる。

    暫く固まった後、もう破れかぶれと言わんばかりにサファイアを指さす。

    「もう何でもいいからポケモンよこすべきー!でないとティヴィル様に叱られるのだ!いけっ、ユキワラシ!粉雪を放つべきだ!」
    「くそっ……無茶苦茶だ!カゲボウズを誰かに渡すわけになんていかない!カゲボウズ、影分身!」

    覆面の男がユキワラシを繰り出し、細かい氷の粒を広範囲にばら撒く。影分身によってカゲボウズの分身が増えていく中、氷がカゲボウズとサファイアの体を刺すように冷やすが所詮は冷気。

    (この程度ならダメージにはならない、ここから一気に畳みかけてやる!)
    「カゲボウズ、一気に行くぞ!必殺・影法師だ!」

    サファイアが命じると、カゲボウズが応じるように角に負の感情の力を込める。

    そして、影分身によって作り出した無数のカゲボウズの姿が。ブクブクと膨らんで、数秒後には巨大な影となってユキワラシを取り囲んだ。ユキワラシの目には、巨大な影法師が上からいくつも自分を睨んでいるような異様な光景が写り、思わずその体を身震いさせた。ガタガタと震えて、口から放つ粉雪が止まりそうになる。

    これが、サファイアとカゲボウズがチャンピオンの真似をしながらトレーニングをしているうちに生み出した『必殺技』。自分を大きく見せて相手を驚かせるナイトヘッドを、影分身にも使うことで威力を高めたのだ。

    決まった、とサファイアは確信する。だが、それは実戦においては甘かった。覆面の男がすぐさま命じる。

    「ユキワラシ、目を閉じるべきだ!そうすれば何も恐れることはない!粉雪を放ち続けるのだー!」
    「なっ……!?カゲボウズ、避けろ!」

    瞳を閉じたものに影法師は効果がない。ユキワラシが目を閉じ、恐怖から解放されて再び粉雪を打ち続ける。だがその狙いは滅茶苦茶だ。目を閉じているのだから当たり前だが。その攻撃はカゲボウズもサファイアも捉えず、ただ周りの空間を冷やしていく。

    「何のつもりだ……カゲボウズ、だましうちだ!目を閉じているなら、直接攻撃するしかない!」

    そう命じ、カゲボウズが目を閉じているユキワラシの後ろから角で突いたり負の感情をぶつけて攻撃するが、目を閉じているがむしゃらに打つだけの相手は騙しようがない。純粋な直接攻撃にまだ乏しいカゲボウズは、ちまちまとダメージを与えるしかなかった。

    「ふははっ、さっきまでの威勢はどうしたのだ?さあ、大人しくよこすべき!」
    「うるさい!お前こそ俺のカゲボウズに難のダメージも与えられてないじゃないか?これ以上やっても、お前のポケモンが傷つくだけだろ!」
    「くくく……それはどうかな?」
    「何を言って……」

    その時。ぐらり、とサファイアの体が傾いた。慌てて体勢を立て直すがいつの間にか、頭がぼんやりとしている。

    (なんだ、これ?)

    見れば、カゲボウズの攻める動きもだんだんと鈍くなっていた。粉雪は一度も直撃していないはずだ。それなのになぜ……と困惑する。

    それを見て、覆面の男は最初の勢いを取り戻したように勝ち誇る。

    「幼い少年に教えてやろう……君と君のポケモンは今、我がユキワラシの『冷気』に苦しめられているのだ!」

    サファイアは改めて周りを見渡して、気づく。温暖なはずの101番道路が、まるで雪国のように雪が積もり、冷気は肌を突き刺すような痛みとなっている。今まで気づかなかったのは、目の前の敵に集中していたからにすぎなかった。だが体が限界を迎えて意識の混濁という症状が現れ始めたのだ。

    「どうする?大人しく渡さないと、凍え死んでしまうぞ?さあ……珍しいポケモンを渡すべき!」

    言い返す余裕がない。これが実戦。自分がチャンピオンに憧れ、努力をして掴んだ必殺技はあまりもあっけなく破られた。そのショックに、目の前が真っ暗になりそうになる。

    (……このまま、こんな奴に負けちゃうのか)
    (俺には、チャンピオンなんて無理だったのか)

    「-−−―!」

    だけどその時、カゲボウズが鳴いた。カゲボウズは自分が本気で落ち込んだときは、その感情を食べない。負の感情を食べられれば楽にはなれるけど、それじゃ成長しないから。

    だから、そんなとき相棒は鳴き声で自分を鼓舞してくれる。カゲボウズだって寒さで凍えているのに。

    (……そうだ、俺は負けない)
    (自分が不利な時こそ、幽雅に。美しく。それがチャンピオンの……俺のポケモンバトルだ!!)

    「……凍え死ぬ?いやあ、快適な涼しさだったよ。だけど…そろそろおしまいにしようか」

    ぐらつきそうな体に鞭を打って堂々と胸を張る。そして余裕の笑み…とまではいかないが平気そうな表情を浮かべて言った。

    「カゲボウズ、鬼火!狙いは……俺だ!」

    「な、何をする気だ!?馬鹿な真似はやめるべきだ!」

    カゲボウズがサファイアを疑うことなく鬼火を自分のトレーナーに向けて放つ。凄い熱さがサファイアを襲ったが、我慢した。もしこの炎が本物の炎ならサファイアは大やけどをしているだろう。だが鬼火は炎は炎でも霊の怨念によるもの。実際の炎とは違って焼け死にはしない。カゲボウズが自分で壇を取るのを、優しく撫でてやった。ゴーストタイプのカゲボウズにとっては怨念の炎も実際の炎と同じ効果がある。十分温めることが出来た。

    「へへ……これで、寒さは解消できました。」

    無論、実際に熱くなっているわけではない以上一時しのぎだ。だけど、こちらもちまちまとユキワラシにダメージを与え続けている。一時しのぎで十分。人差し指と中指をびしっとユキワラシに向けて、チャンピオンを真似るように命じる。

    「さあ、これでフィニッシュ!!カゲボウズ。影打ち!!」

    カゲボウズの角の先から伸びた影が、ユキワラシを正確に捕える。体力の削れていたユキワラシは吹っ飛ばされ、覆面の男にぶつかった。

    「うぐぐぐ……こ、ここは一度退くべきだ〜!次会ったら覚えておくべきー!!」
    「あっ、おい待て!お前にポケモンを奪うように言っているのは誰なんだ!」

    あっという間に覆面男は逃げてしまった。追いかけたが、寒さにやられた体では追いつけなかった。ひとまずカゲボウズと一緒に粉雪の影響の範囲外で腰を下ろす。

    「なんだったんだろうな……あいつら。ティヴィル様…って言ってたけど、昔のアクア団とかマグマ団みたいなやつらなのか……?」

    考えてみるが、当然答えは出ない。わかっているのは、博士の珍しいポケモンを求めて自分や他に貰うはずだった人からそのポケモンを奪おうとしていることだけで……


    『むむむ……お前も、持ってないというのか』


    「……あっ!!」

    覆面の男は、お前も。といっていた。そして珍しいポケモンが3匹いて、それを一人が奪っていってしまったということはもう一人自分と同じくポケモンを貰いそこねた人物がいるということ。

    いてもたってもいられない。走ることは出来なくても、早歩きで歩を進め始めた。

    「きっと、もう一人あいつの仲間に襲われてる奴がいる……助けないと!!」

      


    幸い、そう離れていないところに自分と同じ立場の子供……白いタンクトップと膝が見えるくらいのスカートの軽装に黒髪を結った、真っ赤な日傘をさしている少女はいた。

    (相手がわかりやすい覆面で助かったぜ……)

    少女の前にはバトルをしているさっきの覆面男とカラーリングが違うだけの黄色い覆面をした男がいた。今、その少女はヨマワルを、黄色い覆面男はラクライを繰り出している。ラクライがいくつもの電撃を放ち、それをヨマワルが必死に耐えている。少女の側が防戦一方……にサファイアには見えた。

    「カゲボウズ……いけるか?」

    カゲボウズは頷く。あの子も自分と同じく無茶苦茶を言われてバトルする羽目になっているのは予想できた。戦況も不利な以上、放っておけるはずがない。

    「そこの子、加勢するぜ!話は後だ!!カゲボウズ、影打ち!」

    一気に飛び出して、先制技の影打ちを放つ。その影が届く瞬間……ラクライの方が、ぱたりと倒れた。そのまま影打ちにふっとばされてさっきと同じ光景になる。

    「え……?」

    「ラッツ3ならずこのラッツ2までも……逃げるべきだ〜!!」
    「そうすべきだ〜!」

    さっきとは違う意味で混乱するサファイア。男たちはまたよくわからない捨て台詞を吐いて逃げ出してしまった。サファイアはぽかんとしている。

    そんな様子を見ていた日傘の少女はモンスターボールにヨマワルをしまうと……何やらおかしなものを見るような眼でサファイアを見て、こう口にした。

    「ひとまず加勢ありがとうと言っておこうかな。だけど、今のは間抜けだったね。もう勝負は決まるところだったんだから」
    「決まるって……だって、防戦一方だったじゃないか?」

    サファイアがそう言うと少女はますます馬鹿にしたような眼をする。

    「あのね、君もゴーストタイプのポケモンを使っているんだろう?だったら最初に鬼火を相手に打って、後は相手が倒れるのを待つくらいの基本戦術は頭に入れておいた方がいいんじゃないのかな」
    「なっ……そんな言い方はないだろ!シリアはそんな戦い方はしないし……」

    チャンピオンのシリアは、補助技や変化技も大いに使うが最終的には強力な攻撃技を決めて終わらせる。だからサファイアの戦い方も自然とそうなっていて、ただ待つだけの戦術は頭から抜け落ちていた。
    シリア、と名を聞いた少女はほんの少し眉をひそめたが、サファイアは気づかない。

    「……まあいいか。察するに、君も今日レイヴン博士からポケモンを貰う予定だったんだろう?誰かに奪われたみたいで残念だったね。それと……ボクの事、もしかして覚えていないのかい?」
    「え……?いや、悪い。どこかで会ったことあったっけ?」

    サファイアのもの覚えは悪くはない。だがこの少女に見覚えはなかった。

    (でもなんだろう、この雰囲気には覚えがあるような……)

    「……そう、わかったよ。ここであったのも何かの縁だ。どうせなら一緒に旅をしないかな?」

    か弱い女の子の一人旅は危ないからね。と嘯く。正直言って、か弱い女の子はこんな喋り方しないとサファイアは思った。思ったので口に出すと。

    「やれやれ。ボクがどんな喋り方をしていようとボクは女子なんだ。盗人やケダモノには関係のないことだよ。それで――受けてくれるのかい?」

    やっぱり随分はっきりものを言うので、守る必要があるとは思えなかったりするが……気にはなる。それに、一緒に旅をするのならお互いをライバルととして実力を高め合うことも出来るだろう。

    だけど、この少女が自分を女子と言い張るならサファイアだって一人の少年だ。素直にわかったというのは照れ臭い。なので。

    「……名前」
    「ん?」

    「人にものを頼むときは、まず名前を名乗れよな。俺はサファイア。サファイア・クオール。あんたが名前を名乗るなら……その話、受けてやってもいいぜ」

    「なんだそんなことか。ボクの名前はルビー・タマモだよ。ミスマッチな名前だろう?」
    「……親に貰った名前を馬鹿にするもんじゃないぜ。ま、わかったよ。じゃあルビーでいいよな?」
    「ああ、これからよろしく頼むよ。サファイア君」

    こうして。謎の襲撃者の危機を乗り越えて今日旅立ったばかりの少年少女は出会い。また101番道路を歩き出すのだった――。


      [No.1489] 幽雅に舞え! 投稿者:じゅぺっと   投稿日:2016/01/05(Tue) 18:18:17     43clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    ここはホウエンリーグ。整えた金髪に白いタキシードのような礼装に身を包んだ青年と、黒シャツの上方真っ赤なコートを羽織った逆巻く炎のような髪型の男が、一つのステージを挟んで対峙している。スポットライトが二人に当たり、実況者の声が響いた。

    「……これから始まりますのはチャンピオンのシリア・キルラVS四天王のイグニス・ヴァンダーのダブルバトル!ホウエン四天王最強の男がチャンピオンとなるか!?幽雅なチャンピオンがその座を守り抜くのか!?今、戦いの火ぶたが切って落とされます!!」

    「ではイグニスさん、楽しいバトルを始めましょうか」
    「フン……御託は無用だ、行くぞチャンピオン」

     白いタキシードの青年――シリアが繰り出すのはジュペッタとサマヨール。紅いコートの男――イグニスはヘルガー二匹。ホウエンリーグの頂上決戦が今始まった。

    「おっとこれはあからさまなチャンピオン対策!ゴーストタイプをメインとするチャンピオンはさすがに苦戦を強いられるか!」

     そんな実況者の声に答えるように、シリアは余裕の笑みを浮かべる。ジュペッタがそれに合わせてけたけたと笑った。

    「ジュペッタ、シャドークローだ!」
    「ヘルガー、不意打ち!」

     笑いながらヘルガーに迫るジュペッタの動きは幽霊のようにおどろおどろしく、舞のように優雅だ。だが。イグニスも四天王最強の男――二体同時に攻撃を命じる。二体は俊敏、かつ完全に訓練された獣の動きでジュペッタに迫り、二体で綺麗な十文字を描くようにジュペッタの体を引き裂いた。観衆がどよめく。

    「おおっと見事に決まったー!!の見事な不意打ち、チャンピオンのジュペッタ早くもダウンかぁー!?」

     しかし。チャンピオンの笑みは崩れない。むしろぱちぱちと拍手をして相手を賞賛した。引き裂かれたはずのジュペッタの体が影に滲む。そして本物のジュペッタが無傷で現れた。

    「く……二体とも下がれ!」
    「ジュペッタ、シャドークロー!そしてサマヨール、重力!」

     イグニスが指示を出すが、完全に技が決まったと思いこんでいる2匹の動きは一瞬遅れる。それでも動き出そうとしたところを、サマヨールの重力が足を重くした。そしてその心の隙を――ジュペッタがシャドークローで一気に刈り取った。巨大な闇の爪が、悪夢のように一気に二匹を切り裂く。

     ほとんどの観客には、ジュペッタが倒されたと思ったら次の瞬間には挑戦者側の二体が沈んでいたようにしか見えなかっただろう。

    「これはどういうことだぁー!?チャンピオンのジュペッタ、一撃のもとに苦手な悪タイプ二体を倒してしまったー!!」

     実況と観客のどよめきを聞き、チャンピオンは語りはじめる。謎を解き明かす名探偵のように。

    「いやあ見事ですねえ、素晴らしい攻撃でした。二体同時の完璧に統制のとれた不意打ち……まともに受けていれば僕のジュペッタといえどひとたまりもないでしょう。――ですが、僕は一度目、シャドークローを命じてはいません。

    予めバトルの前に言っておいたんですよ。悪タイプが出てきたら僕が何を言おうとまず影分身をするようにね」

     そう、最初の言葉はフェイク。チャンピオンは悪タイプが出てきた時点で――いや、バトルが始まる前からあらゆる状況を予測していた。その演出に、観客はどっと沸き立った。

    「後は簡単です。攻撃が決まったと思いこんだ君たちの急所はがら空き……僕のジュペッタにかかればそこを狙い撃つことは容易というわけです。さあ、バトルを続けましょうか」
    「ふん、絡繰か……なるほど、貴様に相応しい小技だな。だがまだ勝負は終焉を迎えてはいない」
    「ええ、本当の勝負はここから――そうでしょう?」
    「当然。……出でよ、ドンカラス、バルジーナ!」

     モンスターボールを宙に放り、そこから漆黒の翼を羽搏かせて二体の飛行・悪ポケモンが現れる。

    「おっと、これはまた……悪タイプのポケモンの様です!イグニスさんは炎タイプのジムリーダーでもあり、飛行タイプ使いの四天王ということですが、今回は完全にチャンピオンを倒すための構成にしているということなのでしょうか!」

     極端な構成に観客がイグニスに対してブーイングを起こす。イグニスは何も答えないが、シリアはそれを片手を軽く上げて制した。観客席が静かになる。

    「お集りの皆さん、そのような声はこのバトルに相応しくありませんね。どんなポケモンで挑まれようとも、僕にとっては何の問題もありません。むしろ喜ばしいじゃありませんか、それだけ本気で来てくれているということは……ね?」

     シリアがイグニスを見る。イグニスはふんと鼻を鳴らしただけだったが、シリアの余裕且つ優雅な態度を見せられては、それ以上のブーイングを起こすものはいなかった。

     そこからのバトルの続きがどうなったかは、これから出てくる彼に任せるとしよう――



    ※作品によって表示に時間がかかります


    「……この番組は、御覧のスポンサーの提供でお送りしました」

    番組が終わり、チャンピオンの姿が画面から消えてからようやくサファイアはテレビを切る。そして、興奮冷めやらぬ、といった調子で叫んだ。

    「――――やっぱりチャンピオン…いや、シリアってすっげえ!!あのいきなりの相手の不意を付くシャドークロー!!サマヨールの確実に状態異常にするパンチ!

    それに――最後もジュペッタのシャドークローでとどめを刺すなんて!!これで4年目の防衛だ!」

    現ホウエン地方のチャンピオン、シリアはポケモンバトルに強さや見た目の美しさだけではなく、動きによる優雅さとスリルを持ちこんだ。不利な相手だからといってチェンジをせず、ゴーストポケモンの持つ惑わしの力と闇の力強さを併せたトリッキーかつ豪快な戦術で観客のカタルシスを掴む。本人の常に余裕の笑顔を絶やさない態度と合わせて、『幽雅』という言葉が生まれたほどである。

    「なあ、お前もそう思うだろカゲボウズ!」

    もう一度紹介しておくと、この元気でわんぱくともいえる性格の少年がサファイア・クオール。額にバンダナを巻いて地毛の茶髪をオールバックにしている。年は15歳。そしてその横でふわりふわりと漂っているのが、彼の相棒のカゲボウズだ。カゲボウズも主の喜ぶ感情に反応しているのだろう、特徴である角をピンと立てて周りをまわる。

    「お前と出会えたのも、シリアのおかげだもんな……懐かしいな、おくりびやまで出会った時のこと」

    カゲボウズも鳴き声で反応する。サファイアがカゲボウズと出会った理由は、何を隠そうゴースト使いのチャンピオンであるシリアに憧れたからだ。数年前に自分もゴーストタイプのポケモンを手に入れたいと親にねだり、おくりびやまに連れていってもらった時に出会ったのだ。その時初めてのバトルを乗り越えて以来、固い絆で結ばれている。……時々サファイアがカゲボウズに驚かされるが。

    「じゃあ、これからよろしく頼むぜ……っと。んじゃ行くか!」

    自分の机の傍にかけていたリュックを背負い自分の部屋から出る。そう、今日がサファイアにとっての旅立ちの日だ。本当なら15歳の誕生日とともに旅に出たかったが、近くに住む博士が珍しいポケモンを用意してくれるというのと、サファイア自身先ほどのチャンピオン戦をゆっくり見たい部分もあってしばらく我慢していたのだが、もう待つ必要はない。

    早く旅に出たい。そして、憧れのチャンピオンのような強さと優雅さを持ったトレーナーになりたい。彼の戦いを今日見て、またその思いは強くなった。

    母親との会話なら、既に済ませてある。辛いことがあったらいつでも帰ってきなさい、なんていう母親の言葉は笑い飛ばしたけど、本当は少し寂しかった。だから家を出る直前に、サファイアはこう呟く。


    「大丈夫だよ母さん。俺は……亡霊ゴーストになんてならないから。必ず帰ってくる」


    ここ小さな町、ミシロタウン。サファイアと博士の家は近い。10分とかからないくらいの距離だ。決意とともに踏み出したサファイアの足取りは――意外な形で急かされることになる。カゲボウズの角がまたピンと立ち……博士の家の方から、黒いエネルギーを吸収し始めたからだ。その意味を、サファイアはすぐに察する。

    (こいつは負の感情をキャッチしてそれを吸収できる。それもこの色だとかなり強い。今博士の家から負の感情が出てるってことは……)

    全力で走り出す。カゲボウズも事態はわかっているので何を言うまでもなくついてくる。負の感情を放っているのが誰なのかはわからない。博士なのか、別の誰かか。博士は温厚な人で怒ったところを見たことがないし、また一人暮らしでもあったからだ。カゲボウズの吸い取るエネルギーの量も相当で、ちょっとやそっとの揉め事とは思えない。博士がのっぴきならない事態になっていることは間違いなかった。

    「博士!レイヴン博士……ッ!」

    大急ぎで扉を開ける。すると目に入ったのは、服を焼けこげさせて倒れている博士の姿だった。駆け寄ってみると、博士は申し訳なさそうにサファイアに言う。

    「済まないサファイア君。君に渡すはずだったポケモンが………………」

    「今は喋らなくていいよ!くそっ、なんだってこんなこと……」

    リュックの中から傷薬を取り出す。カゲボウズに負の感情を吸収させることで落ち着かせながら、サファイアはできる限りの治療を試みた。傷薬を塗り、母親に持たされた包帯を火傷になっている部分に巻き付ける。拙くとも真剣にやったおかげか。ひとまず博士はしっかり話せる程度にはなった。

    「それで……何があったんだ?誰がこんなこと……」

    サファイア自身ひとまず手当てを終えたからか、謎の襲撃者への怒りがこみあげてくる。だがその感情はすかさずカゲボウズに食べられた。自分のポケモンに窘められたようで、反省する。

    「……ごめん、怒ってる場合じゃないよな。教えてくれ、博士」

    「君より年下の、赤い髪に緑の目をした子だ……本当なら君とその子、そしてもう一人に一匹ずつ渡すはずだったのだが、それが気に入らないと……3匹とも寄越せと言ってきた。それは出来ないといったら……この有様だ」

    「そっか……博士の気にすることじゃないよ。悪いのはそいつだ。そいつ、どんなポケモンを使ってたんだ?」

    珍しいポケモンを分けてもらえるだけでもありがたいのにこんなふうに暴れるなんてとんでもない奴だ。怒りとは別にしても、見つけてやっつける必要があるとサファイアは思った。

    「……コイルだ。取り戻すつもりなら気を付けてくれ。レベルはそう高くはなさそうだったが……技マシンで覚えさせたんだろう、10万ボルトを使ってきた……」

    「技マシンってあれだろ。ポケモンに技を覚えさせられるけど、なかなか手に入らないってやつ……そんなの持ってるのに、随分欲張りな奴だな」

    「ああ……珍しいものは何でも手に入れないと気が済まない、そんな子だったよ」

    「わかった。そんな奴は俺がとっちめてやる!!それくらいできなきゃ、チャンピオンになんか届きっこないからな!!」

    拳を上げて、博士に宣言する。それを見た博士は、今日会って初めて笑顔を浮かべた。

    「……君は本当に元気でいい子だ。だけど、無理はしてはいけないぞ。

    何も渡せなくて悪いが、君の旅がよいものになることを願っている」

    博士が腕で十字を切り、サファイアに向かって祈る。それはなんだか気恥ずかしかったけど、博士はいつも真剣に祈っているから、サファイアも茶化さなかった。

    「……それじゃあ行ってくるよ。博士。

    博士も元気で――――」

    研究所を後にする。博士の言う珍しいポケモンは手にできなかったけど、サファイアのたびに当面の目標が出来た。嬉しいことではないけれど、確かな目的を胸に――サファイアとカゲボウズの旅は、始まったのだ。


      [No.1488] 第10話 エピローグ 投稿者:SpuriousBlue   投稿日:2015/12/31(Thu) 21:20:50     34clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    エピローグ







     取引先から帰る途中だった。今使っているシステムに関する保守の定例会議があった。会話は技術だと思っていた。営業のマニュアルがあり、雑談のマニュアルがあり、交渉のマニュアルがある。そのマニュアルに忠実に従っていれば、顧客は満足する。この日も、いつものように顧客の話を熱心に聞き流した。顧客に対して申し訳ないことをしているのだろうかと、少し悩んだ。23歳になって一週間後の水曜日のことだった。

     業務はもう終わった。会社には戻らないで直帰する。気が楽になったといわれればそうかもしれない。けれども、明日の業務を想像すると、心が暗くなる。
     楽しいことなど何もない。新鮮だと感じることも、心がドキドキすることも、痛みを感じることさえも。喜怒哀楽が少しずつ平坦化されているような、そんな気がした。
     僕はスマホを取り出し、最近始めたRPGのゲームを起動した。SNSでつながり、見えない相手と戦うこともある。攻撃的で、シンプルなゲーム。今を忘れることができるゲーム。
     昨日の続きの今日にうんざりした日、ほんの少しばかりのスリルを求めて、僕らはゲーム機のスイッチを入れるのだ。

     この世界は平坦だ。
     ゲームのコマンドを入力するように、マニュアルに従って会話する僕がいる。
     ゲームと日常の区別がつかないわけじゃない。
     ただ、日常がゲームのように感じられることもある。ただ毎日、同じコマンドを打って、経験値を稼ぐだけのゲーム。ルールに沿って歩いていけば、いつの間にか終わってしまうような、そんなゲーム。
     これが、この現実なのだと思った。

     スマホを見ながら歩いていると、ほかの人にぶつかってしまった。
     慌てて謝るけれど、相手は大きな声を出して僕に怒りをぶつける。そこまで言わなくても、と思い、スマホをしまって顔を上げる。
     逆に文句を言おうかと思った。あなただってぼんやりしていたでしょうと。そこまで言うことはないでしょうと。
     けれども、僕は、それができなかった。
     目の前にいる女性が、あまりにもきれいだったから。
     僕と目の前にいる女性との顔の距離は30cm程度。
     美人というわけではないと思った。美しいと呼ぶにはあまりにもとがっていて主張が強そうに見える。目つきはひるむほど鋭かった。
     こんな時に、なんていえばいいのか、マニュアルには載っていない。何をすればいいのか、わからない。もっと謝るべきか、強気に出るべきか、どっちだ?
     僕の頭は真っ白になる。
     あれ、そういえば、現実ってこういうものだったかもしれない。
     ゲームよりかは、難しい。



    __


      [No.1487] 第9話 ゲームのルール(後編) 投稿者:SpuriousBlue   投稿日:2015/12/31(Thu) 21:16:37     38clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    ゲームのルール(後編)







     
     人間の頭の中には小人が住んでおり、それが人間を操っているという説がある。
     しかし、人の頭に住む小人がどうやって動いているのかは、誰も知らない。
     この問いに答えるもっとも簡単な方法は、小人の中にもう一人小人がいると考えることだ。
     もちろん、小人の中にいる小人がどうやって動いているのか、だれも分からないのだけれど。

        ◇

    「水槽の脳って知ってるか」
    「ヒラリーパトナムだね。有名だよ」
     カイバ女史は腰を抜かして床に座り込んだまま、残った威厳を必死でかき集めたかのように咳払いして私たちに尋ねた。
    「それがどうかしたっていうの」
    「水槽の脳を管理している人の脳も、水槽の中だったということだ」
    「カイバ女史に限らず、私たちにとっては笑えないジョークだけれど」
    「望んでいたんじゃないのか」
    「望んだのは、たぶん私じゃない。それに、原理が分からないことは苦手だ」
    「原理はどうでもいい。今すぐにゲームをリセットしろ」
     私は承諾し、ノートPCを机から引き出す。サーバーと直接つながったPCだ。いまだにサーバーの制御は黒い画面に文字を直接打ち込んで操作することになっている。カイバ女史が止めようとするのを無視して、私はログイン処理をする。
    「さて、あとは簡単。Enterキーを押せば、ゲームそのものが消えてなくなる。キーを押した人は消えないから、いうなれば、押したプレイヤーがゲームの最終勝利者になるということだ。おめでとう。君が、このゲームの、勝者だ」
     これで彼がキーを押せば、データがすべて消去される。もちろんゲームの続行は不可能になるだろう。しかし、毒吐き男とフレイヤを見て、この責任を私に負わせることはさすがにできないはずだ。この異常現象を収める方向にみんなが動くだろう。そして私はゲームから離脱する。勝てないゲームはやらない主義だ。早くゲームを終わらせないと、私が毒で殺されるかもしれない。彼にはその力がある。ぜひ早く終わらせたかった。
     しかし、毒吐き男はキーを押そうとしない。それどころか、彼は不満げに返した。
    「俺は、ゲームをリセットしろと言っている。巻き戻せということだ」
    「よくわからないな」
    「戻らなければ、意味がない」
    「データを復旧させろということ? 君の敵がまたよみがえるだけだと思うけれど」
     毒吐き男は譲らなかった。
    「俺は、生き返らせたい人間がいる。そのためにここまで来た。俺が望むのは、ゲームの復旧と、死者の復活だ」
     私は自分の頭を掻く。どうしようかと少し考えてから、正直に答えることにした。
    「それは、ちょっと私にはできないな」
    「なぜだ」
    「やり方を知らない」
     ドラミドロのフレイヤがいななき、体から毒素がにじみ出る。私は小さな悲鳴を上げて、慌てて体をすくめる。カイバ女史は高い悲鳴を上げながら、四つん這いで部屋の隅まで逃げ、机の下に隠れた。私は優越感を覚えたが、それに浸っている余裕は、明らかに、ない。このままだと、部屋中が毒素で満たされ、私も死ぬ。彼が私たちを殺す動機は、有り余るほどあるはずだ。
    「まてまて。話せばわかる。私たちを殺すのはやめてくれよ。君の手伝いもできなくなる」
    「手伝えることがあるのか」
    「あるとも。私たちの階層よりもう一階層上のゲームマスターに頼むんだ」
    「上のゲームマスターと会話ができるのか」
     私は顎に手をやり、また考える。私は首を横に振る。
    「電話番号は知らないね。ただし、ゲームマスターの注意を引くことはできる、と思う。私はこう見えて、君の階層のゲームマスターだ。ゲームマスターが何をされるのが嫌か、一番よく知っている」
     毒吐き男がようやく笑った。
    「どうすればいい」
    「現実世界ではありえない動きをしてくれ。そうだね、例えば、壁に穴をあけて建物から飛び立ち、あたり一面に毒をまき散らすというのがいいかもしれない」
     カイバ女史が白い顔をさらに白くした。彼女はまだルールを理解していない。私たちは、すでにプレイヤーなのだ。私はゲームマスターよりプレーヤーのほうが向いていたのかもしれないな。
    「突然警備ロボットが出てきて俺を殺しに来るってことはないか」
     今度は私が笑う番だった。
    「もちろん出てくるさ。でも、警備ロボットは、現実世界の人間を相手にするために作られている。ポケモンを相手に戦って勝てるとは思わない」
     私が答え終わる前に、毒吐き男はドラミドロに指示して、壁に溶解液を放った。私は液体がかからないように慌てて避ける。カイバ女史は溶けてしまってもよいと思ったが、残念ながら無事だった。
     一瞬後には毒吐き男を乗せてドラミドロが飛び立つ。
     カイバ女史が内線に飛びつくが、電話はつながらないようだった。

     神のお告げはついぞ来たことがないけれど、神を想像することは簡単だ。
     夜の街で毒をまき散らすドラミドロも、私たちを作った神も、最新テクノロジーによるヴァーチャルリアリティーだと言われれば、反論できない。
     私のもとに鍵が渡されたのは、だれの意図だったのかはわからない。
     掌で踊らされているのは誰なのか、私はもう、考えることに疲れてしまったのかもしれない。
     あとは、ゲームマスターのお出ましを待つだけだった。
     それには、あまり時間を要さなかった。

        ◇

     2階層上のゲームマスターの動きは速かった。
     俺が建物の外に出る前に、この世界の時間が止まった。
    ーー時間が止まったという言い方は間違っていますよ。時間が止まったのであれば、時間が止まったと認識するはずのあなたのの知性も止まってしまっているため、時間が止まったことに気づくことができないはずです
     2階層上のゲームマスターの声だと思った。
     1階層上のゲームマスターは、彼を神と呼んだ。

     神との対話、というと特別な気がしたが、ただ声が聞こえるだけなので、実感はなかった。事務的に、今後の処理を決めていく作業。そのように感じた。
     神は、俺に部屋に戻るように告げた。俺やフレイヤという存在がほかの人間に見られるのを避けたいらしい。
     部屋に戻ると、ゲームマスターは椅子に座り、赤い服を着た女は気を失っていた。
    ーーカイバさん、でしたか。彼女は精神が持ちそうになかったので、眠っていただきました。私たちの法律では、たとえ仮想空間にいるヒトであっても、傷つけたり殺したりすると罪になるので。
    「いい法律だな」
     俺はゲームマスターを皮肉る。ゲームマスターは肩をすくめた。
    ーーこの世界は本当に面白い。シミュレーションされた住人がさらにシミュレーションをして内部の住人を制御するという例は今までなかった。貴重なサンプルを得られて、とても感謝しています。
    「カミサマ、一ついいですか」
     ゲームマスターが言う。
    「カミサマを操っているカミサマがいるんじゃないかという認識は持っていますか」
     神は、間髪を入れずに答えた。
    ーーわかりません。現れたら、認めるでしょう。現れていない間は、考えていても仕方ない。
     ごく平凡な返答で、ゲームマスターは明らかに不満げだった。この答えに気が付かなかった自分を責めているのかもしれない。
    ーーさて、少し異常な事態になってしまったことを、まずはお詫びします。
     少し、と言い切るのが不満だったが、そこは放っておいた。
    ーーあなたたちの人権を守るためにも、いったんこのゲームを終わりにすることを提案します。よいで……
     俺とゲームマスターは、最後まで聞くことなく、声をそろえて同意した。
     ただ、俺は追加で注文を付けた。
    ーーゲームのリセットですね。大丈夫です、問題ありません。ただし、あなたたちの、今までの記憶がなくなってしまうことだけは、ご了承をいただければと存じます。
     問題ないと返答する。
    「アリサだっけ。その女の記憶もなくなるぜ」
     ゲームマスターがケチをつけるが、俺は無視した。生きていさえすれば、構わない。
    ーーお二人とも記憶はなくなる予定ですが、異存ありませんね
     同意する。最初からすべてその予定だったのだろう。
     ゲームの中の住人がゲームを始めた。その様子を上から眺める神がいた。神は、俺たちの殺し合いを見て、楽しかったのだろうか。
     貴重なサンプルが得られたとも言っていた。俺たちは、やはり試験管の中でうごめく実験台に過ぎないのかもしれない。
     バシャーモのトレーナーでもなく、ゲームマスターでもなく、俺を踊らせていたのは、こいつだったのだなと、ぼんやり思った。
    「さて、毒吐き男くん。何はともあれ、ゲームは終わり。サーバー停止のためのEnterキーを押してみなよ。そうすれば、きれいに終わるさ」
     ゲームマスターが言った。
     神も止める様子がないので、まぁ良いのだろう。
     俺たちをさんざん利用して、殺し合いをさせたゲームマスターの言いなりになるのは嫌だ。しかし、最後の最後、ゲームの勝者として終わるのも、悪くない。少し逡巡した結果、俺はゲームの勝者になることを選んだ。
     おれはフレイヤを連れて、ゆっくりとノートPCの前へと進んでいく。
     この動きも、俺の感情も、すべてが操られたものなのかもしれない。
     仕方ないと思った。あきらめるべきなのだろう。
     画面の前に立つ。キーボードに向かって手を伸ばす。世界の終わりとゲームの終了を感じる。
     こんなにあっけなくゲームが終わってもよいものかと思った。
     生死をかけた争いも、何千、何万という命を奪った殺戮も、ボタンを押せばすべてが終わる。
     この小さなキーをたたくだけで。
     おれはキーボードに手を乗せた。その刹那、天井から叫び声が聞こえた。
     上を見上げると、ウサギのようなものを抱えた女が上から落ちてきた。そして、俺の真上に落下しようとしている。
    「はぁ?」
     俺は慌てて避けるが、足を強く踏みつけられてしまった。
     ドラミドロの毒で溶かそうかとも思ったが、女の肩に乗っているウサギが、トレーナーを守るように威嚇した。
    「サーバーが停止したようですね」
     ゲームマスターが言う。
     俺が立ち上がると、女の足がキーボードに乗っかり、確かにEnterキーが押されていた。画面にも、サーバー停止の文字が出ている。
     ということは……。
    「おめでとうございます」
     ゲームマスターは恭しくお辞儀をして、女の手を取って立ち上がらせる。女は訳が分からないという風に男を見上げる。
    「あなたが、このゲームの、勝者となりました」
     俺は、フレイヤに寄りかかりながら呆然と立ち尽くす。
     俺の大きなため息の奥で、「あれ?」という動揺した神の声が、聞こえたような気がした。




    __


      [No.1486] 第9話 ゲームのルール(中編) 投稿者:SpuriousBlue   投稿日:2015/12/31(Thu) 17:44:02     35clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    ゲームのルール(中編)







     悪いことが起こったとき、雨が降ることが多い。
     つらいこと、冷たいこと、嫌だという気持ちを雨に反映させているのかもしれないし、読者の心の中にあるわだかまりを、読んだ後には水に流せるからかもしれない。
     けれども今日は晴。
     私を信じ、私が信じた者たちが死ぬ、その日の天気は、晴だった。
    「ちょうどいいじゃないか」
     毒吐き男は言う。今日は、俺にとって、悪くない日だ。

        ◇

     先代から受け継いだ一軒家を後にして、私は車に乗り込んだ。
     日本製のハイブリッドカーは、発車時に音をほとんど出さない。助手席にバシャーモを乗せ、車を走らせる。プレイヤーが減った今では、隠れる意味はあまりなかった。
     彼の居場所はわからない。周到に隠れ、無数のわなを仕掛けた毒吐き男に近づくことは難しい。
     そこで私は、彼の方から会いに来てもらうようにした。
     毒吐き男を見かけた港のそばに車を止める。そこでバシャーモを下ろし、自分は車で埠頭の先まで行く。バシャーモは港に備え付けられたガントリークレーンの上まで上がる。クレーンはよくキリンに例えられる。バシャーモが立っているのがちょうどキリンの顔。その顔が燃え上がる。
     赤と白のガントリークレーンが、晴天の元、バシャーモの炎で赤黒く染まっていく。私は、バシャーモが助けに来れないくらいの距離を取ってそれを見守る。
     異常を発見した毒吐き男が現れる。バシャーモは呼ばずに、さらに遠くに移動してもらった。
    「何のつもりだ」
     毒吐き男は、怪訝な表情で、車の中の私を見る。
    「君と話がしたかった」
    「俺は、特に興味ないが」
     私は助手席のドアを開ける。しかし、毒吐き男は乗り込もうとはしない。
    「そんなに私が怖いかね」
    「お前が外に出たらどうだ」
     そういって毒吐き男はドラミドロに指示をして、運転席のドアを溶かした。私は声を出してわらう。
    「何がおかしい?」
    「最後まで生き残った同志だ。仲良くしようじゃないか」
    「まだゲームは終わっていないし、お前はゲーム終了時まで生き残ることはできない。違うか」
     私はボンネットに座り、一息ついてから首を横に振る。
    「違わないさ。もう体がダメになった。お前はいったい何をした?」
     毒吐き男は答える。ダムに毒をまいたと。
    「遅延性の毒にした。多くの人間が飲んだ後に効くようにな」
     毒吐き男は続ける。
    「前にマリオネットを介して、チーム戦と言っていたな。お前らのチームのメンバーは、おそらく一人残らず死んだはずだ。この1か月の間に水道水を飲んだことのあるやつならな。何だったら、電話でもしてみたらどうだ。最後の会話になるかもしれない」
     私は首を振る。
    「世界が終わるというのに、人間の生き死にを気にしてどうする。もう、君の力に恐怖する者はおらんよ。人の感情を他人が制御することはできない。それは君が一番よく知っていよう」
    「何の用だ。雑談をしている暇はない」
     私はため息をつく。大きく。深く。世界を変えることができるのが私でなくてとてもつらい。そう思っているのは、ほかのプレイヤーも、傍観者たちも同じだろうか。
     私は、ここに来た目的を果たすことにした。時間がないことはわかっている。けれども、目的を果たした後のモブは、暴れるだけ暴れた後は、消えるしかない。消える前のその余韻を味わいたかったのかもしれない。死んでしまった者たちを、思い出してあげたかったのかもしれない。
     毒吐き男がせわしなく人差し指で車をたたく。彼の怒りを買えば、私はすぐにでも殺されてしまうだろう。
     もう時間だ。
    「私たちがマナフィを追いかけていたことは知っているね」
    「俺が渡した奴だろう」
     私はうなずく。
    「あぁ、そうだ。マナフィは帰巣本能がある。マナフィが生まれた冷たく深い海の底に帰りたいという本能が。しかし、この世界に、彼の居場所はない」
    「だから、お前たちはマナフィを奪い、泳がせた。”向こう側”への入り口を探るために」
    「その通りだ。しかし、途中で邪魔が入った」
     デンチュラ、そしてエーフィとの戦いを思い出す。彼、彼女たちはいまどうしているのだろう。そして、これからどうなるのだろう。立場は違っても、同じ思いを持った者たちは。特にエーフィのペアにはよく働いてもらった。自分たちの計画にそぐわない者たちの情報を少しちらつかせるだけで、彼らを殺してくれたのだから。最後には、彼を利用したせいで計画がばれ、マナフィが奪われてしまったのだが、今となってはどうでもいいことだ。
     私は思い出を振り払うように咳払いをする。また少し吐血したが、無視して話を続ける。
    「結局、マナフィはゲームマスターに再度奪われてしまった。これでゲームマスターに打ち勝つ方法がなくなったと思った。しかし、まだ希望があった」
     一つはミミロル。しかし、ミミロルのことは伏せておく。もう一つの希望が、今は大事だ。
    「その希望が、俺っていうんじゃないだろうな」
    「君だよ」
     毒吐き男は不愉快そうに私をにらみつける。殺されなかった理由、守られていた理由が分かったのだから、彼にとって、気分が良いものではなかっただろう。ケーシィを守る毒吐き男を守っていたのは、私たちのネットワークだ。このゲームにおいて、ポケモンの強弱はあまり問題にならない。
     1キロほど先で、バシャーモの乗ったクレーンの先が燃え尽きて落ちた。キリンの首がもげたようだった。我々は、それを無視して話し続けた。
    「我々の組織は君に賭けた。君がすでに”入り口”を見つけていることに。そして、君が入り口に入り、ゲームをリセットしてくれることに」
    「アリサを殺して俺が動くように吹っ掛けたということか」
    「その件は、申し訳なかった。ただ、我々には時間がなかったのだ」
     毒吐き男の動きを察知して、制止する。私を殺せば、君の計画もふいになるぞと。私の話の続きを聞く必要があるのではないかと。
     毒吐き男の感情の高まりを察し、ドラミドロの周囲からでる毒気がさらに強くなった。舌を回すことも難しい。しかし、私は伝えなければならない。
    「俺はずっと、お前らの掌で踊っていただけか」
     私は顔色の悪い毒吐き男に笑いかける。そんなことはないと。
    「人間を制御することはできない。計画通りに事が運ぶのは、ゲームの中だけだろう」
    「ここはゲームの中じゃないのか」
    「現実よりも色鮮やかな思い出があるならば、私はそれをゲームに保管された記録の一つだとは思いたくないね。見てみたまえ」
     私は東京湾の方へ振り返り、太陽の光に反射された海面に目を細める。
    「私はこの世界が好きだ。君が、この世界の住人を愛したように」
    「どうすればいい」
     私はポケットから小さな鍵を取り出して、毒吐き男に渡した。黒くて小さな、普通の鍵。
    「マナフィを奪われた代わりに、こんなものを手に入れた。役に立つかもしれない」
    「ゲームマスターがそんなへまをするかな」
    「罠かもしれない。あるいは、来てほしいと願っているのは、向こう側かもしれないな」
     私は一つ嘘をついた。カギを手に入れたのは今日の朝だ。明らかに、ゲームマスターが何らかの意図をもって私のもとに置いた鍵。それを託した。何か聞きたそうな毒吐き男を遮って、私は車に戻る。その意図は、すぐに彼の知るところになるだろう。
    「最後くらい、座って死なせてくれ。道端に倒れるのはみっともないからな」
     そういって、私はドアのとれた車の運転席に乗り込み、静かに目を閉じた。
     毒吐き男が去っていく気配がする。挨拶も何もない。彼にとって、私はただの駒なのだろう。ゲームマスターと同じように。いや、彼を駒のように扱ったのは、私なのかもしれない。
     毒吐き男の代わりに、暖かな気配が近寄ってきた。つい最近であったようで、昔から感じていたような、暖かみ。
    「バシャーモ。お前にも、いつか故郷ができるといいな」
     バシャーモが私の手を握った。
     この温かみは嘘か誠か。世界すべてが虚構だといわれた後には、このぬくもりこそが真実であるような、そんな気がした。

        ◇

     明日世界が終わるといわれても、あまりピンとこない。
     現実感がないという言葉を、この虚構世界で使う意味があるのかどうか、俺にはよくわからなかった。
     ただ俺にはフレイヤがいて、”向こう側”につながる入り口があって、”向こう側”を開け放つ鍵がある。
     日の出を待ってから、俺とフレイヤは東京湾に潜行した。ゲーム最終日が最も潮の巡りの良い日と一致するのは誰かが仕組んだことなのだろうか。忘れられた神殿のような、緑に染まった柱を潜り抜け、入り口にたどり着いた。
     光のない穴。
     永遠に続くかのような、黒い穴。
     命綱を持ってきたが、海中に放り出した。戻る必要がないと思った。
     俺は、ライトの出力を最大にして、フレイヤとともに穴に入った。

     穴の内部は、ただただ黒い。
     模様があるわけではなく、網がはってあるわけではなく、ただ通路としての機能だけを持たせただけの穴。
     直進しているのか、曲がっているのか、あるいは戻っているのか、それさえもわからない。方向の感覚がない今、俺はフレイヤにすべてをゆだねた。
     信頼、信用。少し違うかもしれない。
     ただ、俺よりも感覚が鋭い者の動きを信じたのだ。それが、最善と信じたのだ。
     方向だけではなく、時間の感覚さえもが失われつつあるとき、”声”がした。
    「ようこそ、ゲーム プレイヤー」
     ゲームマスターの声だった。

        ◇

    「バシャーモのペアではなく、君が来るとはね」
    「俺では不満か」
    「不満も何も、私に選ぶ権利などないさ。ゲームマスターは、プレイヤーの代わりになれない」
    「歓迎してくれるのか」
    「さぁ、どうだろう」
    「お前たちの目的はなんだ」
    「長くなるよ」
    「世界が終わるまでは、待ってやる」
     ゲームマスターは笑って、それでも肯定の意を示した。
    「いいよ、教えてあげよう。君たちは、誰かを殺すために作られたんじゃない。自ら消えるために、作られたんだ」

        ◇

     始まりは、多人数プレイができる、ネットワーク上のポケモンという新しいゲームだった。
     人工知能って知ってるかい。あれってね、意外と大したことがなくってね、頭悪いんだよ。どこが悪いのかというと、人間の脳を完全に模したものにできなかったんだね。動きを真似することはできる。でも、機能を真似することはできない。
     それでも、人間の真似ができるソフトウェアってのは便利でね。一気に広まった。コンピュータの性能も高まり、ネットワーク状に人間の町の模型を作ることがはやった。それがもう10年も前の話になる。
     ポケモンという大人気ゲームもそれに倣った。町を作り、モブキャラを作り、そこにプレイヤーが配置された。
     でも、このゲームにはちょっと問題があってね。モブキャラが人間味に溢れすぎているんだ。それは困るということで、モブキャラはモブキャラらしく、手抜きしてすぐにそれと分かるようにした。
     インフラが整った後は、ゲームの遊び方の問題に移った。
     町があって、ポケモンがいて、疑似空間上でポケモンと触れ合えるっていうのは、まぁ確かにゲームとして面白かったんだけれども、ただ、やっぱりイベントが必要になるんだよね。課金してもらう必要もあったし。
     そこで出てきたのが、やっぱりバトルだ。
     しかし、あまりにもリアルになったポケモンを、見境なくやっつけるってのは倫理上よろしくない。
     そこで、悪者を用意した。イベルタルだ。
    「お前たちがイベルタルを操作していたのは、そのためか」
     まぁ、焦るな。結論から言うと、あの黒い鳥は本物じゃない。本物は、第2階層で無色に殺された。階層って何かって、だから焦るな。このゲームの目的をまだ説明できてない。
     さっきの話に戻るよ。
     インフラとして整えられたゲームは、あくまでもプレイヤーたちが触れ合う場だった。殺しあう場じゃない。そこに悪者を設置して、何度でも殺せるようにしなくてはいけなかった。そこで、疑似プレイヤーを作った。人間味あふれすぎているからあえてバカにしていたモブたちの一部を、本物のプレイヤーと同じようにしたんだね。
     その”賢い”悪者を、力を合わせて殺すこと。それがイベントだった。
     しかし、疑似プレイヤーを何度も殺しては生き返らせを続けている間に、問題が発生した。ゲームのもともとの使われ方と違うことをしたから、いろんなところにデータが残ってしまって、消せなくなってしまったんだ。自我のようなものを持っているから、動きだけで本物のプレイヤーと疑似プレイヤーを判別することもできない。人間のプレイヤーだとすぐにわかるフラグを付けておけばよかったと思ったのも時すでに遅し。もう、バグにより増えてしまった疑似プレイヤーを消去できなくなってしまった。
     そこで、いったんゲームを中止した。人間のプレイヤーにはすべていなくなってもらったんだ。システムメンテナンスと称してね。その時に動いているのが、疑似プレイヤーだ。
     よし、あとは彼らを消すだけだ、となったところで手が止まる。
     本物のプレイヤーと区別がつかないほどの人間性を持つ彼らを消す手段がなかったんだ。フラグもつけてないし。手作業で消すのはまぁ、無理。やるとしたら、ゲーム全体のデータを初期化しないといけなくなる。そんなことをしたら、システムメンテナンス期間を大幅に超えてしまう。それは嫌だ。
     そこで生まれたのが、君たちの戦っているゲームだ。
     君たちを相互に戦わせ、お互いでつぶしあってもらおうという魂胆だね。ポケモンを渡すという機能だけは完全に自動化できていたので、その機能を使って効率よくデータを消すことにしたわけだ。人間のデータは消せないけど、ポケモンを消すのは簡単。ポケモンふれあいゲームとしては、このシステムは優秀だったわけだ。本来、この世界に存在するモブは、感情のない人間モドキか、ポケモンだけになるはずだったのだから、本来の機能通りに動かしたともいえる。ついでに言っておくと、君たちの3か月は、僕らの世界では大体3日。これくらいなら、まぁシステムを止められないこともない。
     また、チーム戦のように見せかけて、同じ色のプレイヤーを殺さなければいけないってルールにした。このほうが、最後に残ったのを3人にまで減らせる。3人くらいなら、徹夜すればデータ消去ができる。3分の1は無理だけど。
     そして、力の均衡を保つために、2階層ルールを設定した。
     簡単なことで、伝説や幻のポケモンたちをその階層に突っ込んだんだ。伝説が結託すると強すぎてパワーバランスが崩れるから、色も変えた。そして、最後はその階層で最強になったプレイヤーに、君たちがいる層、すなわち1階層目の残り全部を殺してもらおうと思った。それがまったく機能しなかったことは、君が一番よく知っているだろう。
     さて、ほかに質問は。
    「なぜ今になって俺の味方を?」
     まぁ、上司と決裂したからだ、と見てもらって問題ないね。
    「もう一つ」
     なんだい。
    「お前は今、ほかのだれかと一緒にいるのか」
     あぁ、上司がいるよ。それがどうかした?
    「いや、お前はすでに次が予測できていて、おもしろくない。お前の掌で踊っているようで」
     掌で踊らされているのは、私たちのほうかもしれない。
    「まぁ、驚いてくれる奴が残っていてくれてよかったよ」
     そうだね。レールに沿った人生は味気がないものだ。私が言える立場ではないけれど。
    「さて、最後の質問だ」
     いいね。なんだろう。

     俺は暗闇の向こう側に鍵を差し込む。
     そして、3回扉をノックした。
     ゆっくりと扉を開く。

     部屋の中には2人。
     薄ら笑いをしている小さな男と、赤い服を着て煙草を吸っている金髪の女。
     男はおそらくゲームマスターだろう。
     女のほうは、ゲームマスターが言っていた「上司」かもしれない。女は俺とフレイヤの姿を見て、呆然と煙草を口から落とす。

     俺は、最後の質問を、ゲームマスターに向けて言う。
    「ここは、何階層目だ」
     ゲームマスターは答える。
    「今までは、0階層目だった。君が来てからは、そうだな」
     ゲームマスターは、笑いながら言った。
    「聞いてみないとわからないな。私たちの、ゲームマスターに」










    __


      [No.1485] 第9話 ゲームのルール(前編) 投稿者:SpriousBlue   投稿日:2015/12/31(Thu) 11:16:36     32clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    ゲームのルール(前編)







     お前たち人間には信じられない光景を俺は見てきた。
     レックウザの肩の近くで炎を上げるフリーザー。
     破れた世界に沈むクレセリアのそばで瞬くチャージビーム。
     そんな記憶もみな、時とともに消えてしまう。
     雨の中の涙のように。
     俺も死ぬときがきた。

        ◇

     「お前たち人間?」
    「破れた世界はゲームの向こう。そこで生まれ、そこで生きたものはゲームの住人。だが、お前は人間だろう」
    「俺もゲームの駒に過ぎない。この町も」
     無色の男は、目を見開く。
    「ここが、現実ではないというのか。お前の目は、節穴か」

        ◇

     このゲームには3つの陣営が存在する。赤、緑、そして青。ゲーム開始後3か月以内に、同じ色のプレイヤーをすべて殺さなければ、自分も死ぬ。
     だが、その3つに加えて、隠れ要素として「無色」と呼ばれるグループが存在するとうわさされていた。
     伝説のポケモン、幻のポケモンをすべて葬り去ったと呼ばれる無色。どのようなポケモンを使ったのか、どのような戦い方をしたのか、すべて不明。
     そして、これから先も、明らかになることはない。
     もう、彼は死んでしまったのだから。

     最初に彼を見つけたのは、ドラミドロのフレイヤだった。
     ダムの中から、生きた人間の気配を察知した。
     水中に通勤している職員がいるとは聞いていない。プレイヤーだと判断し、即座に麻痺性の毒を放った。効果がないので、もっと強い毒を、さらに致死性の毒を。
     それでも、相手の動きは変わらない。男はゆっくりと水面に浮上した。
     日は暮れていた。水中にいる時は気が付かなかったが、静かに雨が降っていた。黒く、冷たい雨だった。
     ダムの水面に、顔面蒼白で姿勢の悪い男が一人、立っている。つまらないホラー映画のようなシチュエーションだったが、一つ良いことがあった。
     ポケモンが見当たらなかったことだ。
     毒が通じない理由はわからないが、人間一人であれば、殺すのに支障ない。ポケモンなしで水面に立っていられる理由はわからなかったが、ここから離れるに越したことはないと判断した。俺はフレイヤに指示し、男を人目のつかない林の中に連れて行った。気温は低く、やむ気配のない雨が顔に当たる。
     そこで、男の独白を聞いた。
     彼が無色であること。
     彼が多くの人間を殺したこと。
     そして、彼の寿命が長くないこと。
     俺は、彼自身の希望通りに、彼を殺した。
     しかし、白い鳩は飛び立たない。
     ここはゲームの世界のはずだ。何人殺しても差し支えない。自分の目的を達成するためならば。

     そういえば、林を飛び立った次の瞬間に、男の顔を忘れてしまった。
     それで構わない。次の仕事がある。

        ◇

    「今なんて?」
     私はミミロルのミミを抱いたまま、はげかかった大学の先生に尋ねた。
    「だから、いった通りですよ。あなたは、ここに、住むんです」
    「ここに?」
    「そうですよ」
     そういって先生は、壁一面が幾何学模様で覆われた狭い部屋に私を押し込む。入りきるのが怖くて、顔だけドアの外に押し出した。
    「ここは、何?」
    「ここは、電波暗室です。外部からの電波などを遮断できる便利な部屋ですね。壁がデコボコしているでしょう。あれで、電波を遮断します。ドアを開けていると電波が入ってくるので、閉め……」
    「閉めないでください!」
     久しぶりに大きな声を出したので、のどがついていけず、私は大きく咳をした。何度も、何度も。これは重症だ。
    「えらく不健康な生活を送っていたと見受けられます。ですが、一つ良いことがある」
     私は先生に渡されたペットボトルの水を飲む。
    「あなたが、食事をすべて通販で購入していたことです。そう、水の一滴でさえ、あなたはあなたが買ったもの以外何も口にしなかった」
     私は口もとが濡れているのをそのままにして尋ねる。ミミが肩に乗り、ふわふわの腕で私の代わりに拭いてくれた。
    「それがどうかしたんですか」
    「私たちが、あなたの食事をコントロールするのが容易だったということです」
     私は意味が分からなくて、質問もできなかった。
    「まぁ、普通のオンラインストアは、あそこまで栄養に気を使ったメニューを宅配してはくれないということですよ。それでは、ごきげんよう」
     私は、閉まろうとしている分厚いドアを必死で止める。ミミも小さな腕で手伝ってくれた。
    「なんで、こんなヘンな部屋に閉じ込めるんですか!」
     声を振り絞ると、また咳が止まらなくなり、慌てて水を飲む。禿げの先生はその間、少し夢想するようにぼんやりと部屋の中を見ていた。咳が落ち着くと、先生がゆっくり話し出す。
    「この部屋は、電波暗室。電波が届きません。外部からの接触を、減らすことができるというわけです」
    「テレポートも防げる?」
     先生は首を振る。
    「それは無理ですよ。この部屋は電波暗室。防ぐことができるのは、電波です。この状態だとそれが最強の盾となるでしょう」
     そして、続ける。
    「早く入りなさい。私たちには、もう時間がありません」
     先生はミミの鼻先を人差し指で突いた。驚いたミミが床にストンと倒れ、支えを失ったドアが閉じられる。
     無音。
     電波暗室は、電波だけでなく、外部の音さえも完全に遮断してしまうのかもしれないと思った。ミミのか細い息の音でさえこの部屋ではよく聞こえる。
     私はこれからどうなるのだろう。
     だまされたのだろうか。あと3日耐えて、そのまま死ぬんだろうか。
     それとも、電波暗室にいれば、ゲームマスター、黒服の男からばれずに生き残ることができるのだろうか。
     でも。
     私はミミを抱き上げて、部屋の隅にあるベッドに腰を下ろす。
     でも、その後どうするの?
     ゲームが終わった後、私は死なないように、死ぬまでずっとこの部屋の中にいるの?
     私は、これからどうなるの?
     もちろん、答えてくれる人は、どこにもいない。

     突然ぶぉーんという電気の音が付く。空調が入ったらしい。合わせて、かさかさという、紙がすれる小さな音がした。
     長方形の部屋の隅のベッド。その対角線上に簡素な机があって、その上の本のページがめくれたようだった。
     私はミミを肩に乗せて、机までゆっくりと歩いていく。
     タイトルを見ようと思って、本を持ち上げる。少し重いと感じるくらいの厚みがあった。
     分厚い紙でできた茶色い表紙に、盛り上がった黒い文字でタイトルが書いてある。
    「ゲームのルール」
     日に焼けて薄茶色に染まった紙を、破らないようにそっとめくる。

    ――巨大な黒い鳥が、また一羽落とされた。村の男たちが10人がかりで銛を打ち、網を投げ、縄でからめて捕まえる。日は高く昇り、櫓のそばに堕ちた黒い鳥を白く照らす。櫓の上の男が歓声を上げながら梯子を降る。男たちが鳥を刺す。麻布で作られた簡素な服を赤く黒く染めながら。鳥は声を上げない。

     私は一枚ずつ、ページを進める。

       ◇

     彼は「故郷」という言葉を持たなかったが、それが守るべき何かであることは知っていた。

     ゲームの一節だ。
     人の形をしているが、人間よりも頭の悪い種族。その「彼」に向けて書かれた言葉。
    「お前も、そうなのかもしれないな」
     ソファに座った私のそばを立ったまま警護する、バシャーモに言う。
     今日は、世界が終わる二日前。
     私の命は、世界が終わるより、一足先に終わるだろう。
     バシャーモに頼み、スマートフォンを持ってこさせる。
     黒い画面に自分の顔が映る。34にしては、しわが多い。
     ゲームが始まる前は、営業として毎日東京を駆け回っていた。部下に怒鳴ることもあった。部下をほめることもあった。慰めることもあった。ともに喜ぶこともあった。今はもう、だれもいない。
    「お前か」
     私は、最後に残った私の仲間に電話を掛ける。
     彼は傍観者。ゲームの勝利に最も近い傍観者。
    「私の死期は近い。世界が終わるのを見届けることはできないようだ。お前のかくまった生き残りにかけるしかなさそうだな」
     無言の中に、相手の無念が聞き取れる。「すまない」。私は一言だけ続けて、電話を切った。
     自身では手をかけず、遠隔地からトレーナーを狙って殺すとは。
     そんなことができるのは、奴しかいない。
     私は背もたれを支えにして、何とか立ち上がる。
     その直後、激しくせき込んだ。口を押えた手のひらには、血がべっとりとついている。
     それでも、私は行かなければならない。
     バランスを崩して倒れそうになると、バシャーモが体を支えてくれた。
    「お前は、まだついてきてくれるのか」
     ポケモンの「彼」は静かにうなずく。それが当然だというように。

        ◇

     カイバ女史に報告をするのが苦痛だった。
     しかし、ゲームはあと2日で終わる。放っておくわけにはいかない。
    「無色が死にました」
     カイバ女史は気取ったように顎に手をやり「ほう」とつぶやく。呆けている場合ではないのだろうが。
    「どこかでルール違反が?」
    「いえ、ルールにのっとって殺されました。
    「プレイヤーに殺されたと?」
     私はイライラと机を爪でたたく。ほかに何があると。
    「原因は?」
     だから、と私はため息をつく。
    「純粋に、ほかのプレイヤーに殺されただけです。抗った形跡はなし。ポケモンを出した跡さえない。ポケモンを出す前にトレーナーだけをターゲットにされて死んだのでしょう」
    「それは運が悪かったわね」
     運が悪かった? 無色がほかのプレイヤーを殺してくれることを前提としてシナリオを組み立てていたはずだ。このシナリオをどうするつもりだ。
     それで、とカイバ女史は続ける。
    「この責任はどう取られるおつもりで?」
     私の頭が真っ白になる。
     私が責任を取るのか。
     私の問題なのか。
     私は”上”に言われた通りのことをしたまでだ。私はオペレーターだ。そんな私がなぜ責任を負うのだ。
     私は、悪くない。
    「そもそも、あなたが提案したこのゲームのシナリオに問題があったのではないでしょうか」
     カイバ女史が見下したように目を細める。
     そして、大きくため息をつく。
    「あなたがそこまで無能だったとは。”上”に報告しておきます。新しいオペレーターを呼んでくれと」
    「ふざけるな!」
     私が椅子をけって立ち上げると、カイバ女史は防犯カメラを指さす。
    「ここでの行動はすべて記録されていますよ。下手な行動は慎むべきです」
     それに、心配はいりません。とカイバ女史は続ける。
    「あなたの代わりはいくらでもいるのですから」
     そのとき、私は悟った。
     私自身がゲームの駒だったのだと。
     私は、ゲームマスターではなかったのだと。
     私は、椅子に座りなおす。カイバ女史はデスクに座り、煙草に火をつけた。

     ノックの音がした。







    __


      [No.1484] 玉兎の空 下 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/26(Sat) 19:42:22     36clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    玉兎の空 下



     サクヤはメガシンカの解けたボスゴドラをモンスターボールに回し、ゼニガメを拾い上げ、霧の晴れた周囲を見回した。
     モチヅキの姿を探した。けれど見当たらない。もう街の病院に運ばれたのかもしれなかった。
     メガシンカしたポケモンたちのバトルの余波で、宮殿前の広場は芝生が荒れ、石畳がひっくり返り、ひどい有り様となっている。しかしさすが300年間この地に君臨し続けたパルファム宮殿はポケモン対策もばっちりであったと見えて、外壁の照明一つ落ちていない。
     警察にもマスコミにも、バトルの影響でか軽い負傷者が出ているらしい。
     しかしサクヤはそれらを無視し、チルタリスとニャオニクスを繰り出した。ニャオニクスにモチヅキとキョウキの居場所を探らせ、チルタリスにはコボクタウンに戻らせる。
     モチヅキは既にコボクタウンの病院にいる。
     キョウキはまだメガプテラの背に、東の山脈で榴火を乗せた紅いアブソルの姿を捜すも、どうやら見失ってしまったようだった。それでもキョウキはサクヤの元に戻るでもなく、そのまま東へ山脈を越え、ミアレタウンに向かっている。セッカの元へ行くつもりなのだろう。
     なら、サクヤはレイアを捜しに行かなければならない。
     だが、その前に。
     サクヤはどうしてもモチヅキに会わなければならなかった。


     夜は更ける。さやけき満月は空高い。
     コボクの荒れ果てた街に降り立つと、ニャオニクスの案内で病院を見つけさせる。サクヤは迷わず夜中の病院に飛び込み、受付も走って通り過ぎた。
     しかしニャオニクスに案内されたのは、固く閉ざされた手術室の扉の前だった。
     足が震える。
     ゼニガメが心配そうにサクヤの胸にしがみつく。ゼニガメを拾い上げ抱きしめて、サクヤは病院の廊下に座り込んだ。ようやく自分の右手を見て、その手にこびりついた汚れを見た。
     声もなく叫んだ。
     声さえ出さなければ、いくら泣き喚いても病院や手術の邪魔にはならない。ゼニガメを抱きしめて、全身を緊張させて、振り絞るように怒りを殺す。
     梨雪が殺された。レイアが殺されかけた。セッカも殺されかけた。ルシェドウも殺されかけた。キョウキも殺されかけた。次は、モチヅキだったのか、いや、サクヤだったかもしれないのだ。それだけでもない、他に何人の人間が、何体のポケモンが殺され、殺されかけてきたのか。榴火の手によって。
     病院のにおいが気持ち悪い。
     サクヤはよろよろと、薄明るい病院の廊下から逃げ出した。嫌なにおいの満ちた、死に近い場所から逃れる。同時にモチヅキから遠ざかる。怖くてたまらないが、月の光の下に逃げ込んだ。
     病院の植え込みの縁石にサクヤは腰かけ、ニャオニクスをボールに戻すと、ゼニガメを抱きしめる。
     ゼニガメはおとなしく抱きしめられ、慰めるかのようにサクヤの黒髪をにぎにぎした。
    「ぜーに、ぜにぜに」
    「…………もう嫌だ……」
    「ぜに、ぜにぜにがー」
    「レイアを……捜さないといけないのに…………」
     やる気が起きない。もしモチヅキに何かあったらと思うと、考えることすらできなかった。
     榴火やローザが目の前に立ちふさがっていたときは、本能に任せてメガボスゴドラに指示していればよかった。メガボスゴドラの意識に同調し、戦闘にのめり込むことが出来た。メガシンカはトレーナーを戦闘に引きずり込む。
     だからボスゴドラのメガシンカが解けてサクヤもバトルから解放されてみると、我に返ったように、反動のように恐怖が押し寄せてくる。誰かを傷つけていないか、何かを忘れていないだろうか。無性に怖くなる。
     戦闘の間、重傷を負ったモチヅキのことを忘れていた自分が、サクヤは恐ろしくて憎くて情けなくて、ただ悲しかった。
     バトルなど、ポケモンがするものなのだ。トレーナーまでそこに引きずり込まれれば、トレーナーは人の心を失う。そう――ただ目の前の敵を狩り続けることを考え、強い技だけを求め、あのミアレのエリートトレーナーを吹き飛ばした時のように。
     誰か他者のことを思うとき、人間は人間になれるのだ。
     サクヤはそのことに気付いた。
     人を愛しいと思った。


     円かな月が、傾いてゆく。
     冷ややかな夜半の風に身を震わす。
     サクヤはゼニガメだけを抱えて、葡萄茶の旅衣の中に肩を縮めながら、時折思い出したかのようにモチヅキがいるであろう手術室の前まで行った。二度目か三度目か、看護師に声をかけられた。そのまま待合室に連れて行かれ、モチヅキの手術は既にひと段落ついたことを知らされた。
     気を利かせた医師による手術の説明など、サクヤの頭には入らなかった。ただモチヅキが出血多量などで死ななくてよかった、とそれだけが頭の中を何十回もぐるぐると回っていた――出血多量で死ななくてよかった出血多量で死ななくてよかった出血多量で死ななくてよかった。サクヤの頭にあったのは出血多量による死の恐れだけだった。
     ゼニガメを抱きしめたサクヤは、無言のまま、泣くことはおろか見動きすらしなかったが、それが動揺の表れであることは病院の人間には分かったらしかった。夜中であるにもかかわらず、病院で働く一体の愛らしいプクリンが、待合室でずっとサクヤの傍に静かに付き添ってくれていた。
     プクリンは柔らかな手でサクヤの背中を何度も、いつまでも撫でてくれる。もう大丈夫だと言うように。その豊かな体型、きめ細かくしなやかな毛並みは、自然とサクヤに安心を覚えさせる。
     ゼニガメはいつの間にか甲羅の中に籠って眠っているようだった。
     プクリンはサクヤにぴったりと寄り添い、優しい子守歌を歌った。
     サクヤが眠っている間に、病院の者がサクヤの体に毛布をかけ、休憩室へと運んでいった。




     翌日、サクヤが目を覚ますと時は既に昼だった。
     眠っている間に場所を移されて困惑するゼニガメを抱えたサクヤを、一晩中その傍に付き添っていたプクリンが、とある病室へと導いていく。
     柔らかい声に背を押され、サクヤはゼニガメを抱きしめ、よろよろと白い病室に入った。
     モチヅキがいた。
     白いベッドに横たわったモチヅキは、膝下まである長い黒髪を緩く一つに束ねていた。それが昼の光の中でつやつやと豊かに流れていて、古代エンジュの淑女もかくあろうかというその黒髪の見事さにサクヤはいちいち感動する。
     モチヅキは起きていた。
     折りたたんだ新聞を相変わらずの仏頂面で眺めていたのだったが、サクヤが忍び足で病室に入ってきたことに気付くと、新聞をばさりと布団の上に置く。体を起こすことはせず、ただ腕を伸ばした。
     サクヤは慌ててゼニガメをベッドの上に置き、モチヅキの傍に膝をついてその手を取った。言葉が出ない。
     モチヅキもぼんやりと枕に顔をわずかに沈めて、サクヤの手を片手で触っていた。指先で爪の形などを確かめている。
     サクヤは気まずさに、引き結んだ唇をもごもごした。
     ゼニガメがけらけらと笑うが、こちらもいつものようにベッドの上で飛び跳ねたりなどはせず、おとなしくモチヅキの体に背中の甲羅を持たせかけて座っている。
     二人は何も言わなかった。
     まさかモチヅキは喋れなくなってしまったのかとサクヤが危惧するほど、病室には沈黙が下りていた。
     サクヤが気まずく視線を彷徨わせている隙に、モチヅキは目を閉じてしまっていた。
     起きているのか眠っているのか、もうサクヤには判別がつかない。しかしモチヅキに手を握られたままである。
     意を決して声をかけてみた。
    「……あ……あの……モチヅキ様……」
     返事はない。
     サクヤはそれからさらに数分間狼狽した挙句、またもや心を固め、そうっとベッドの上に腰を下ろした。モチヅキはそれでも何も言わない。サクヤの手を取ったままである。
     やはりモチヅキは眠っているのかもしれない。
     サクヤが大きく息を吐くと、こらえていたゼニガメが耐え切れないといった様子で爆笑し出した。
    「ぜ――にぜにぜにぜにぜに!」
    「こらアクエリアス……静かにしろ」
     ゼニガメを嗜め、心なしか緊張しつつ、モチヅキの寝顔を見つめた。そして尊敬する人の寝顔を自分が見つめていることを意識した途端に、サクヤは一人で見悶えた。ゼニガメがさらに笑う。

     それからがさらに苦闘の時間だった。
     昨晩病院のプクリンが自分にしてくれたように、自分もモチヅキに寄り添うべきだろうか。いや、そんな恐れ多いことはとてもできない。しかし不安な時に傍に誰かがいるととても安心する。いや、それこそ思い上がりである。
     サクヤは一人で悶々とした。
     モチヅキに対して密かに抱いていたサクヤの願望として、モチヅキの解かれた黒髪に触りたいというものがある。つややかな髪を撫で、顔を埋めたい。いや、そのような事をすればサクヤの皮脂がモチヅキの髪についてしまう。とても恐れ多い。
     また別の願望としては、モチヅキにぴったりくっついて眠りたいというものがある。幼い頃は障りなくそれができたのだが、歳を経るにつれて片割れたちのからかいの視線が次第に鬱陶しく、旅に出てからは同じ屋根の下で眠るということすら滅多になく、稀にモチヅキにホテルに泊めてもらった時もツインを予約されてしまってはくっついて眠ることなど叶わない。
     さて、この機会にモチヅキに添い寝をしたものか。サクヤは至極真面目に悩んだ。
     しかし結局、諦めた。モチヅキは怪我人なのだ。うっかりサクヤの寝相のせいで傷を開かせるわけにはいかない。



     日が傾いてモチヅキが再び目を覚ますまで、サクヤは辛抱して寝台に腰かけ続けていた。モチヅキと手を繋いだまま。
     手持ちのポケモンたちは呆れかえっているかもしれない。
     夕陽の中でうつらうつらとしていたサクヤは、モチヅキの声で我に返った。
    「…………サクヤ」
    「は、はいっ」
     慌てて尻を寝台から落とし、床に膝をついてモチヅキの顔を覗き込む。
     臥したままのモチヅキは緩く微笑んだ。
    「……心配をかけたか」
    「いえ、そんな、あ、いや……心配しました……」
    「それはすまなんだな」
     サクヤはふるふると頭を振る。ようやく緊張が解けて頬が緩んだ。
    「本当に、ご無事でよかった」
    「そなたもな」
     そのモチヅキの一言にサクヤは顔が熱くなるのを自覚した。榴火のアブソルが現れた時、モチヅキは咄嗟にサクヤを庇って、あのようなことになったのだ。
     自分の熱を、照れかと思った。
     違った。
     恥ずかしさでも、喜びでも、自身への怒りでもなかった。
     たった今モチヅキに気に掛けられたことが、どうしようもなく幸せだった。
     幸せのあまりサクヤは嗚咽した。
     もうゼニガメの爆笑も気にならなかった。


     モチヅキの指が緩やかに動いて、サクヤの額にかかる黒髪をかき上げる。
    「……サクヤ……私のことはいいから、あと二人を」
    「……はい……既にキョウキが、セッカの方に……」
    「なら、そなたはレイアだ。居場所は分かるな。急いでやれ……もう何日も前だが、かなり狼狽していた様子だ」
     モチヅキに促され、サクヤは立ち上がる。袖で顔を拭った。
    「……分かりました。モチヅキ様もお気をつけて」
    「なに、私のことなら警察どもが厳重に守ってくれよう。片割れたちのことは大切にしてやれ」
    「はい。行ってまいります」
     サクヤはゼニガメを抱き上げ、モチヅキに一礼した。緩く手を振るのに見送られ、名残惜しくも早足で病室を出る。病院を後にした。
     モチヅキはレイアのことも案じてくれている。
     だから急がなければならない。
     もう十六夜の月が昇り始めている。


      [No.1483] 玉兎の空 中 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/26(Sat) 19:40:12     35clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    玉兎の空 中



     高くなりつつある満月の光は淡い。
     パルファム宮殿に変化はない。警察に包囲されたまま、静かなままだ。
     モチヅキは立ったままホロキャスターのニュースを眺めている。パルファム宮殿の立ち入り禁止の件は報じられていた。
     フシギダネを頭上に乗せたキョウキは、先ほどから何件ものマスコミを渡り歩き、時には野次馬となった観光客にもアピールするように、このパルファム宮殿に逃げ込んだ悪鬼榴火がコボクタウンで己にしでかした悪行の数々を弁舌爽やかに述べ立てている。
     ゼニガメを抱えたまま、サクヤはモチヅキの傍に寄り添っている。
     キョウキの考えていることは分かる。より多くの報道機関に真実を伝え、一般市民に真実が伝わる可能性を少しでも高くしようとしているのだ。
     けれどそこには大きなリスクが伴う。
     キョウキもそれを認識しているにもかかわらず、マスコミや野次馬へのアピールをやめない。キョウキの必死さが、サクヤには痛いほど分かった。キョウキもまた、榴火への恐怖に駆られているのだ。榴火に殺されかけたからこそ、悪評も何も恐れることなく、ただただ強い言葉の力を求めて訴える。
     ただ、そのリスクが大きすぎた。
     フレア団やポケモン協会や与党政府は、この事件のそのままの報道を許すだろうか。キョウキのアピールは無視されるのではないだろうか。それどころか、キョウキの話を捏造すらして、逆手に持って、逆利用して、キョウキの意図と真逆の効果を引きだす報道を各社に強いるのではないか。あるいは、四つ子がかつてミアレで起こした事件を暴き出して四つ子への攻撃材料にするか。そして何かと理由をつけて、四つ子からトレーナー資格を奪うのではないか。
     懸念は尽きない。
     もう四つ子はフレア団とポケモン協会と与党政府の敵なのだ。何をされてもおかしくない。

     ――とサクヤが思っていたところ、キョウキはそれらもすべて、すべてを、マスコミの前で暴露してしまっていた。
     四つ子が榴火につけ狙われていること、榴火のせいでキナンに閉じ込められたこと、そしてポケモン協会に捕まえられかけていること。四つ子の胸の内だけにしまっていたことをすべて、爆発したように喋っている。
     サクヤはここでようやく、キョウキが限界にあったことを悟った。キョウキまでがここまで追い詰められていた。
     キョウキの死に物狂いの訴えをぼんやりと聞きながら、残る二人の片割れに思いを馳せる。
     ロフェッカに裏切られて死に物狂いでコウジンタウンに逃げ込んだレイアは、今何をしているのだろう。ミアレシティにいるというセッカは何をしているのだろうか。二人も追い詰められて、孤独に苛まれて、自棄になっていやしないか。
     クノエシティにいる養親のウズや幼馴染のユディは、何も知らないままなのだろうか。
     フレア団はどうするのだろう。
     ルシェドウやロフェッカをはじめとしたポケモン協会は、どう動くのか。
     モチヅキは無表情に、ただホロキャスターのニュースを見つめている。その黒衣の袖をそっと指で掴んで、サクヤは思考の追いつかないほど巨大な波に身を任せることを思って戦慄していた。サクヤには何もわからない。
     その中でサクヤの心の最後の拠り所となっていたのは、重く鋭い黒銀の渦潮だった。あらゆる波を潰して、遠い海の彼方へ。どうしようもなくなったら四つ子は四人で、そこへ逃げる。


     サクヤは袖を掴んだモチヅキに、そっと話しかけた。狂ったようなキョウキの笑い声を振り払うように。
    「……モチヅキ様」
    「何だ」
    「……これでいいのでしょうか」
    「なるようにしかならぬよ」
     モチヅキはホロキャスターから視線を外し、片手でサクヤの黒髪を優しく梳く。
    「もっと早うに、そなたらをジョウトへ送っておけばよかったやもしれぬな」
     考えを見透かされたような気がして、サクヤはびくりとモチヅキの顔を見上げた。
     モチヅキはいつもサクヤの前でそうであるように、優しい瞳で、安心させるように微かに笑んでいる。
    「だからサクヤ、急げ。レイアとセッカを集めておけ。ウズ殿には私が話をする」
    「……はい」
    「辛いだろうが、まだだ。まだ危険だ。安全な場所に行くまで、気を抜くな。だから急げ。……死んではならない」
    「…………はい」
     サクヤはモチヅキにぴったりくっついたまま、頷いた。なぜだかとても切なかった。
     そのとき空を切る嫌な音がして、サクヤはぎくりとした。


     紅いアブソルが宮殿の塀から躍り出るのは、サクヤには見えなかった。ただ、警察やマスコミが声を上げる。幾つものフラッシュ。歓声とも悲鳴ともつかぬ声。それだけが瞬時に脳に映りこんで、何かが起きたと察した。
     モチヅキの黒衣が覆いかぶさるように動いたのを、サクヤは重く感じていた。
     なぜ。これでは動けないのに。
     サクヤは芝生の上に尻餅をつく。その拍子に腕の中からゼニガメが転げ落ち、文句を言うのがサクヤの耳についた。
     先ほどまで煩かったキョウキの声やマスコミの騒ぎ声が、しんと静まった。
     サクヤは重い黒衣の下でもがき、芝生に手をつき、姿勢を戻そうとした。
     そして何気なくモチヅキに触れた手に、べっとりとした感触があって、息を呑んだ。
     思わず引いた手が街灯にぬるりと光った。
     力なく倒れかかったモチヅキの体が重い。


     誰かが嗤っている。
     芝生の上を駆け寄ってきたのがキョウキだと、サクヤは見なくても分かった。見ないでも分かる。だからサクヤは冷静に、自分の足の上にのしかかっていたモチヅキの体を押しのけて、よろよろと立ち上がる。
     警察が宮殿の正門に群がっているが、それらは一斉にアブソルの鎌鼬によって薙ぎ倒された。マスコミ陣から悲鳴が上がる。
     サクヤはキョウキを見やった。
    「モチヅキ様を」
    「サクヤ」
    「黙れ」
     宮殿の門柱の上に、巨大な紅いアブソルが立っている。いや、違う。アブソルではない。
     メガアブソル。
     芝生の上で、ゼニガメが立ち上がる。
     サクヤは血で汚れた手で、モンスターボールを掌の中に包み込んだ。
     キョウキの声がする。
    「サクヤ、モチヅキさんが」
    「……榴火を止める」
     ボスゴドラを呼び出し、帯から抜き取った簪に飾られたキーストーンと反応させる。
     門柱の上の榴火がくつくつと笑った。
     絶叫した。


     メガボスゴドラが地に叩き付けた冷気が、地を迸り、門柱までもを凍り付かせる。
     血色のメガアブソルは榴火を背に乗せたままひらりと宮殿前の広場に飛び降りる。榴火を下ろすと、嵐のような鎌鼬を吹き起こす。
     風はメガボスゴドラの鋼鉄の鎧すら傷つけるが、メガボスゴドラは一歩も退かない。
     四足を地につき耐え、尾を叩き付ける。
     それをメガアブソルはひらりと躱し、辻斬り。
     受け止める。
     そこに岩雪崩が降り注いだ。
     サクヤは横目でキョウキを見やる。
    「おい」
    「いやぁ、サクヤ一人じゃきついかと思って。じゃあこけもす、初メガシンカの力、見せちゃって」
     キョウキは緑の被衣を手で押さえて空を振り仰いだ。
     宙に連れ去っていた紅いメガアブソルを地に叩き付けたのは、キョウキのメガプテラ。
     その圧倒的なスピードで、メガアブソルに反撃の隙を与えず猛毒を仕込む。
     そこにメガボスゴドラが地の割れそうな地震を起こす。
    「あ、ちょ、二対一とか狡くね?」
     笑ったのは榴火である。
     キョウキは肩を竦めた。
    「ほんとだねぇ。あはっ――犯罪者風情に言われたかねぇよ!」
     再びメガプテラがメガアブソルを天空に連れ去った。
     その隙にキョウキはサクヤを振り返って囁いた。
    「モチヅキさん、死んでないよ。背中をバッサリ袈裟斬りされてたけど。マスコミの人が応急処置してくれてる、救急車も呼んでくれたし……ねえサクヤ、落ち着いて」
    「落ち着けるか!」
     サクヤは凄まじい形相で、メガボスゴドラの鋼鉄の尾に叩き付けられるメガアブソルを凝視していた。
     互いを知り尽くした二体のポケモンの連携があれば、凌駕することなど容易い。
     なのに榴火は相棒が叩きのめされるのを目にしても嗤うばかりで、他のポケモンを繰り出すでもない。それがさらに、サクヤの神経を逆撫でする。
    「……叩きのめせ、メイデン」
    「サクヤ、聞いて。宮殿を壊すのはまずい。警察に怪我させるのもナシだ。――榴火を捕まえる」
     サクヤはキョウキには応えず、メガボスゴドラに指示を飛ばした。
     力なくサクヤに倒れかかってきたモチヅキの重みが、忘れられない。手にまだ付着している汚れの感触が、気持ち悪いような、尊いような、そのような気がする。サクヤにとってモチヅキは神聖なもの、尊崇する親だ。それがあのような姿になって。身を切られるような痛みを、目の前の悪を叩き潰さないでは忘れられない。
     キョウキは息を吐いた。
     フシギダネが隙を見て蔓を伸ばし、榴火を捕らえる。榴火は水色の双眸を見開いた。
    「あ」
    「ふしやま、眠り粉」
     キョウキは冷徹に指示した。メガプテラがメガアブソルを岩雪崩の下敷きにしたタイミングだ。
     フシギダネが先の雪辱を果たさんとばかりに放った眠り粉が、榴火を包み込む。
     トレーナーが意識を失ったためか、岩の下でもがいていたメガアブソルを光が包み、変化は解けた。
     それでも通常の個体より一回りも二回りも巨大なアブソルは、角を使って岩を押しのけ、眠りに落ちた榴火の傍に駆け寄る。
     サクヤの指示を受け、メガボスゴドラがアブソルを取り押さえた。
     拳を振りかぶる。
     そのメガボスゴドラを吹き飛ばしたのは、紅色の花吹雪だった。


     芝生の上を後退しつつ、メガボスゴドラは花吹雪を追い散らす。そして新たな敵の出現に、主人の様子を窺った。
     キョウキとサクヤは視線を交わした。
     周囲に甘ったるい香りが漂っている。
     激しいバトルにすっかり怯んだ警察の間を堂々たる足取りで歩いてきたのは、白いスーツに身を包み、真っ赤な口紅を引き、真っ赤なサングラスをかけ、そして真っ赤なカツラを被った、ローザだった。シュシュプとロズレイドを伴って立っている。
     キョウキは思わず失笑した。
    「似合いませんよ、ローザさん!」
    「あら、あなたは目が腐っているのですわ」
     ローザは眠る榴火の傍まで歩み寄る。すぐさまキョウキのフシギダネが蔓を巻き取り、榴火を引き寄せた。
    「その子をお放しなさい。ロズレイド、花吹雪!」
    「こけもす、岩雪崩だ!」
     ローザのロズレイドはよく育てられてはいたが、メガシンカしたプテラには敵わない。雪崩に吹雪は押しつぶされる。
    「仕方ありませんわね。シャンデラ、おいでなさい!」
     そう叫んだローザは、自分のモンスターボールを開くことはしなかった。代わりに榴火が身につけていたボールの一つがローザの声に反応し、シャンデラが外に現れる。
    「トリックであなたの主人を取り返しなさい!」
     するとその指示の直後、フシギダネが蔓で捕らえていた榴火が奪われる。キョウキが舌打ちした。メガプテラが降下する。
     ローザは紅いアブソルの背の上に赤髪の少年を乗せると、アブソルにその場を離脱させた。
    「メイデン――」
    「ロズレイド、花吹雪!」
     サクヤがメガボスゴドラにアブソルを阻止させようとすると、ローザのロズレイドが更にそれを足止めすべくメガボスゴドラに襲い掛かった。
     アブソルの去った方向に、ローザが立ち塞がる。
    「行かせませんわ」
    「それはどうかな」
     蔓を伸ばしたフシギダネとキョウキは、地面すれすれまで降りてきたメガプテラに飛び乗っている。
     空を仰ぐロズレイドに、メガボスゴドラが冷気を纏った拳を叩き付ける。
     その隙にキョウキを乗せたメガプテラは、アブソルの消えた東の山脈へと夜空を渡っていった。
     微かに唖然としてそれを見送ったローザを、サクヤは睨む。
    「口先ばかりだな。榴火は逃がさないぞ、フレア団」
    「ああ……あなたがサクヤさん、ですわね。うふふ……モチヅキさんのことはご愁傷さまですわ」
     揶揄するようなローザの口調に、サクヤは顔が熱くなるのを感じた。モチヅキは死んではいない、キョウキがそう言っていたではないか、大丈夫だ。
     満月の光の下、警察に囲まれてもなお、ローザは余裕ある態度で腕を組んだ。
    「わたくし、がっかりしておりますのよ。メガシンカ……あなた方四つ子がもっと素直でしたら、お互いハッピーになれましたのに。リュカもとんだ玩具を見つけたものね。でもまあいいですわ、どうせすぐあなた方はこの地上から消えるんですから」
     サクヤは声を張り上げる。
    「つまり、榴火が最初にレイアを傷つけたのは、フレア団の命令によるものではなく、榴火の意志によるものだったということか!」
    「それを知って何になりますの?」
     ローザのシュシュプがミストフィールドを繰り出す。周囲に霧が立ち込め、視界が悪くなった。
     メガボスゴドラが駄目押しに地震を起こすが、手ごたえはない。
     ローザの姿は消えていた。


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