マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  •   [No.1634] 第六話 目蓋に映る火の海 投稿者:空色代吉   投稿日:2019/07/07(Sun) 20:42:47     9clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    第六話 目蓋に映る火の海 (画像サイズ: 480×600 221kB)

    その顔色の悪い少年、カツミは俺のことを「何者だ」と問うた。
    カツミの言葉に俺は現状の素性を言った。しかし、それだけでは俺が「何者か」という問いへの返答としては不十分だと考え、これまで様々な<ダスク>のメンバーに繰り返してきた説明をしようとする。

    「――何者か、と聞かれると一言では答えにくいが、話しておくべきだろうな。ただし、俺の話をするにあたって約束してほしいことが三つほどある」

    一つ目の内容を話す。彼は静かに頷いた。
    二つ目の内容を話す。彼は不思議がった。
    三つ目の内容を話す。彼は驚きをみせた。

    怯む彼に言葉を畳みかける。

    「その約束を破るのなら、俺は貴方たちの力にはなれない」

    その場に居たほぼ全員に緊張が走った。カツミもその空気を肌で感じ、それから大きく頷いた。
    念話も静まるように伝え、俺は傍らのサーナイトの頭を撫でる。

    「さて、長い話になる。どこかに座りながら聞いてほしい。ずっと立ちっぱなしで倒れて困るのは貴方だ」
    「あ……ありがとう」
    「礼の必要はない。当然のことだ……それじゃあ、話そうか」

    口にする億劫さがなくなるほど何度も何度も繰り返してきた話を、また一から辿り始める。
    彼にもまた、俺が今の俺である事情を語り始めた。


    **************************


    ユウヅキが正式に指名手配された。
    自警団<エレメンツ>のリーダーも大々的に彼を捜索するとのコメントを出した。過去の写真をもとに作成されたモンタージュは、あんまり似ていないなと思った。
    基本的にあまり見ないのだけど、共有スペースにあるテレビをつけると、道行く人のコメントや“闇隠し”の被害者家族を取り扱った特集番組なんかもちらほら流れていた。
    それから、なんかよくわからない専門家や全然関係ない人々がユウヅキのことを「極悪人」だと勝手に話していた。
    怒りや悲しみや申し訳なさなんかより、こういうものが視聴率を集めるのかなー? なんて疑問の方が湧いてくる。
    なんて、ぼんやりしていたら誰かがリモコンを私から取り上げて、画面を消す。
    リモコンの移動先を見上げると、そこには前髪の長い男の子ビー君が立っていた。
    彼はミラーシェードの下の眉をひそめ、ため息をひとつつく。

    「ヨアケ。こんな適当な奴らが喋っていることよりも、お前から見たヤミナベのことを教えてくれねえか?」

    彼は私のことをヨアケと呼ぶ。アサヒとは呼んでくれない。
    その理由はわからない。でもビー君の態度的には、たぶん些細なことだと思う。
    呼び名がどうであれ、私に訊ねてくれていることは変わらない。
    ユウヅキのことを知りたがってくれているのには変わりない。

    「ビー君にはまだ話していなかったね……それじゃあ話そうか。彼の、私が捜し続けているユウヅキのことを……あと、ユウヅキを追いかけている私のこともね」

    欠けている記憶があるからこそ何度も思い返してきた思い出を、また一から辿り始める。
    彼にもまた、私にとってのユウヅキを知ってもらうために語り始めた。


    *************************


    あれは私がまだずっと幼かった頃のこと。
    私はジョウト地方の海辺の町アサギシティで暮らしていた。けどその日は両親と隣町のエンジュシティに来ていたんだ。
    といっても私の親は……その、放任主義なところがあって、あまり構ってはくれなかったからさ、心配してくれたらいいなと思って……私は自分から迷子になっちゃったの。
    そうして迷い込んだのはとても綺麗な紅葉した木が並ぶ小道だった。
    舞い散る落ち葉に見とれながら道沿いに進んでいくと、五重塔を見上げる赤い角のポケモン、ラルトスと黒髪の男の子、ユウヅキが居たんだ。
    最初は軽く挨拶しても、淡白な返事しかしてくれなかったユウヅキなんだけど、じっと一緒に塔を見上げているうちに……ラルトスの角がほのかに光ったの。
    ビー君もラルトスと一緒にいたのなら知っているかもしれないけど、ラルトスって人の気持ちを敏感にキャッチする習性があるんだよね。
    とにかく、その現象に彼はとても驚いていた。ユウヅキが言うには、初めて見たって言っていた。
    彼はかたくなに、ラルトスの角が光ったのは私の感情をキャッチしたからだって言うの。まあ初めて角が光ったからかもしれないけど、なんか意地になっちゃうよね。私はユウヅキからちょっと離れて、ラルトスの角が変わらずに光っていることを確認した。
    それを見て嬉しくなっちゃった。やっぱり彼の気持ちにちゃんとラルトスが反応しているって。その時彼が見せたぎこちない笑顔がこう、きゅん、と来たよね。この子たちと一緒に居たい! って、なったよね。
    だから、今にしては押し付けがましく友達になってほしいと思ってその日以降もエンジュシティに通って付きまとった。

    彼は嫌がるそぶりを見せなかった。ただ、私が居ても居なくても山だったり海岸だったり湖だったり好きな場所に遊びに行くってスタンスは変えずに……要は、相手にしてもらえているのか、分からなかった。
    でもある日、私の家にずっと前から一緒にいた、今では私のパートナーのドーブルのドルくんをつれて遊びに行ったら……凄いこっちを見てきた。ユウヅキのお世話になっている保護者のヤミナベさんが画家だったのもあって、ドルくんのことが気になったんだと思う。私は気に入らなかったけど。
    私をよそに、ドルくんはユウヅキと意気投合してなんか地面に絵を描き合って遊び始めるし、すねていじけてしゃがんでいたら……ラルトスが心配そうに頭を撫でてくれた。勢いでラルトスに思いっきりハグしたら……ユウヅキに珍しく、そう珍しく呼ばれたんだ。
    呼び声に誘われてドルくんとユウヅキのところに行ったら、そこにはユウヅキ、ラルトス、ドルくん、そして私の絵が地面に大きく描かれていたんだ。皆、ユウヅキはわずかにだけどちゃんと笑顔で描かれていた。そして、その絵そっくりな固い笑顔のユウヅキに私は、ええと、ついラルトスと同じ感覚でハグしちゃった。
    たぶん、その時には友達になれていたと思う。

    こほん。でも、楽しいだけの時間は、一回別離で区切りを迎えるんだ。
    彼と別れるその少し前、悲しい出来事があった。
    ある日、イーブイの子供たちに出会った。その子たちは必死な様子で私たちをある場所へと連れて行った。後を追いかけていくと、崖下に母親のシャワーズが力なく横たわっていた。
    ユウヅキとラルトスは、なんのためらいもなく崖を飛び降りた。ラルトスの念力を使って着地をしたあと、同じくその力でシャワーズを引き上げる。
    彼と私は、重くなったシャワーズを担いで近くのポケモンセンターまで運んだ。
    ……でも、助けられなかった。

    初めて目の当たりにした生き物の死に胸の奥が空っぽになった気がした。ユウヅキは目を見開いて、そのシャワーズを焼き付けるように見入っていた。
    イーブイの子供たちは、エンジュシティに住んでいたイーブイ好きのお姉さんたちに預けた。でも、そのうちのひとりだけ私に懐いてくれて、今ではグレイシアに進化したよ。レイちゃんのことだね。

    それから一週間だったかな。ユウヅキが居なくなったのは。
    何度遊びに行っても見つけられなくて、最終的に保護者のヤミナベさんに尋ねたら彼は――――旅に出ていた。

    最初の内私は荒れに荒れた。なんで黙って行っちゃったのか全然わからなくて、怒ったり泣いたり凹んだり、ドルくんやレイちゃんには心配ばかりかけたり。
    しばらくしたら、平気かな? ユウヅキが居なくてもやっていけるかな? なんて思ったりもしたけど、やっぱり何か抜け落ちた感覚はあって、その時自覚したんだ。ユウヅキの存在の大きさに。

    だから私も両親を説得して旅に出た。彼を追いかける為の旅を。

    これが、一度目の別離のお話。


    ***************************


    ちょっと話それるね。
    それから色々転々としたけど、なかなか私一人の力では見つけることができなくて……でも諦めきれなくて、すがるような思いで、ある大会に訪れたんだ。
    その大会は千年に一度眠りから目覚めるジラーチという伝説のポケモンに贈る為に開かれる、ポケモンバトル大会。
    その優勝者には、ジラーチが持つ「願いを叶えられる権利」をひとつ使わせていただけるというものだった。
    もう、いわゆる神頼みだったね……だけど、残念ながら優勝はできなかった。
    でもその代わりに大事なものを手に入れたんだ。
    堂々と言うのもあれだけど、私にとってユウヅキ以外の大切な……友達、が出来たんだ。
    えっ、ああ、うん。察し着くよね。そう、アキラ君だよ。今【スバルポケモン研究センター】にいる、アキラ君。彼とは大会で出会ったの。
    アキラ君もずっと会えてない人と再会したいって願いを持って大会に参加していたんだ。アキラ君強くてね……私より善戦していて、途中からアキラ君が優勝すればいいのにとか思って応援を……諦めをしようとしてしまったんだ。
    ぶっちゃけその時は、いや今もだけどユウヅキと再会して私がどうしたいのかが分からなかった。だから再会するのも少し怖いし、本当に会いたいのかもわからないし、そもそもユウヅキも理由があって私の前から姿を消したのかもしれない。そんな彼を私は追いかけていいの? って、半分諦めかけて……

    でもアキラ君はそんな私に、「だが、それでも僕もアサヒも彼らに会いたいから大会に出た」「だったら最初から答えは出ているじゃないか」「半分は、諦めていないんだろう?」って言葉をかけてくれた。
    その言葉がなければ、ううんアキラ君がいなければ私はユウヅキを捜すことを諦めていたと思う。
    結局アキラ君が大会に優勝して、ジラーチに願いを叶えてもらった。私は代わりに、アキラ君に祈りを貰った。
    それをエネルギーにして、同じくその大会で知り合ったミケさんという探偵さんに思い切って助力をお願いしたんだ。

    ビー君は直接会ったことないけど、【トバリタウン】で実は再会していたって話した? ゴメン。その時ちょうどきのみ大好きな方のアキラちゃんにリオルさらわれていたよね。その時に会っていたんだ。
    ……うん。そう。今は<国際警察>に依頼されて私とユウヅキのことを調べてくれている方だね。
    確かに、彼ぐらい私とユウヅキのことを知っている探偵さんはいないよ。だって――私と彼の一度目の再会の立役者、なんだから。


    ***************************


    ミケさんの手際は凄くて、わりとそんなに経たずにユウヅキの足跡と、私が知らなかったユウヅキのことまで調べ上げた。
    ユウヅキはシンオウ地方の海に面した【ミオシティ】ってところに居たの。
    彼はそこから船で【新月島】に通っていた。私がその街に辿り着いたときも、その島に行っているときだった。
    リバくんに乗って飛んで【新月島】に私も向かう。そしてそこでダークライという幻のポケモンとバトルして、負けてしまったユウヅキと再会したんだ。
    倒れ込む彼を私は受け止める。上手く言葉をかけられないでいると、彼は気を失う前に私とは一緒にはいられない。そう言ってダークライが見せる悪夢の中に落ちていった。
    ユウヅキを【新月島】へ通う手伝いをしていた船乗りのおじさんが、ユウヅキを家に連れ帰って“三日月の羽”という悪夢に効く道具で起こそうとしてくれる。
    彼は何度も何度もダークライに挑んでは返り討ちに合っていた。おじさんが言うにはいつもは“三日月の羽”で目を覚ますはずだったんだけど、その時は目を覚まさなかった。
    最後に残った手段は“三日月の羽”の持ち主であるポケモン、クレセリアに直接叩き起こしてもらうことだった。
    船乗りのおじさんにクレセリアのいる【満月島】まで送ってもらう最中、おじさんがユウヅキがどうして旅をしているのか、ダークライに挑み続けているのかを教えてくれた。


    ユウヅキは、彼は自分の出生を調べるために旅をしていた。
    そしてダークライの悪夢で自分の深いところにある一番昔の記憶を呼び覚まそうとしていた。


    ***************************


    私はミケさんに調べてもらうまで知らなかったけど、ユウヅキは……親にエンジュシティで捨てられた子供だった。彼は私が一緒に見上げたあのすずの塔の入口に置いて行かれた。だからこそ、あのシャワーズの母親の死を目の当たりにして、何か突き動かされたんだと思う。
    それにほら、夢って自分の体験が元になっていることってない? なんともいえないけどね、でもその時のユウヅキは藁でも縋りたかったのかもしれない。

    【満月島】についた私は、なかなかクレセリアを見つけられずにいた。でも電話でアキラ君の助けをもらって、なんとかクレセリアに会えたんだ。そして、お願いして彼を起こしてもらえたんだ。
    目覚めたユウヅキは私に、捨て子だと知られること、そのせいで私が彼を見る目や関係が変わってしまうことを恐れていたって言ってくれた。怖かったからこそ関係を終わらせるために逃げたって言っていた。
    でも、私は変わらない関係なんてないし、逃げはただの先延ばしだし、その時その瞬間でも関係は変化するって思って……伝えた。
    彼はまだ自分は私の友達でいいのかって不安げに聞いて来る。それに私はもちろんと、そして友達だからこそ力になりたいというと、彼は友達だからこそ巻き込みたくないと強情になる。

    だから私は言い切った。
    私がそこまで旅してきたのはユウヅキの無謀に付き合うためだから、どこまででもいつまででもついていく。追いかけていくって。

    根負けしたのかはわからない。けれど彼は私が隣に立つことを、一緒にいることを認めてくれた。
    その時、彼は「俺は一体誰なんだ?」と私に聞いてきたんだ。それは彼の追い求め続けたことで、私の答えがどういう意味をもつかは分からない。でも、私にとって彼は彼。ヤミナベ・ユウヅキでしかなくて、かけがえのない大切な存在だって伝えた。


    それが、一度目の再会のお話。


    ***************************


    そこから私とユウヅキはいろんな地方を旅したよ。
    ユウヅキがダークライと戦い続けた中で見た、悪夢の中の女性の姿をスケッチして、様々な人に聞き込みをしていながらシンオウを飛び出して。
    カントーではサントアンヌ号に乗ってアキラ君の大切な人と彼の再会を二人でちょっとだけ手伝って。
    カロスではキーストーンやメガストーン手に入れて、【クノエシティ】で怖い家とか覗きに行って。
    ジョウトに戻ってミケさんやユウヅキの保護者のヤミナベさんに顔見せて。
    イッシュでは記憶に関する力をもつオーベムというポケモンを【タワーオブヘヴン】という場所でゲットして。
    ほんと、長いようで短かったけど……一緒に旅していた時はとにかく楽しくて嬉しくて、私は幸せだったなあ。


    そういえば、何でこのヒンメル地方に来たんだっけ?


    ***************************


    あてもなく?
    いや、なんだろう?
    どこかでてがかりを?
    思い、だせない。思い出せない。

    思い出せる彼との最後の思い出は、思い出は――苦しそうな彼の笑顔と、「絶対に帰ってくる」って約束。
    あんまり遅すぎると捜しに行くって約束。
    その後、別れる前に何か、とても大事で大切なことを言ってもらえた気がするのに、思い出せない。
    思い出したい……、思い出したいよ……。
    それか、聞きたい。そして言いたい。
    あの時のこともう一度教えて。忘れてゴメンって。
    会って、もう一度会って……捕まえて……ちゃんと言わなきゃ……。


    ***************************


    「……ヨアケ。すまん。無理に聞いて」

    顔を覆うヨアケに、どう声をかけていいのか分からなかった。こういう時他の奴ならもっと気の利いた言葉をかけてやれるのだろう。だが、今の俺はただただ謝るしかできなかった。

    「ううん。ビー君悪くない。私が抑えられなかっただけ、だから。むしろ……ありがとう。ビー君の前だからかな、なんか情けない姿見せてもいいって思えたのは」
    「……<エレメンツ>の奴らとかの前じゃ、無理なのか?」
    「無理って程じゃないけど。こんなに無責任に弱音は吐けないよ<エレメンツ>のみんなの前じゃ」
    「アキラ君は?」
    「隠そうとしてもボロボロでちゃうだろうね」

    ヨアケはそうやって苦笑いを作る。それは、もしかしたら習慣づけされたものだったりするのだろうか。
    ……今は勝手な想像はよしておこう。

    「あーもう、昔よりヤワになったなあ。タフだと思っていたんだけど」
    「十分タフだと思うぞ十分」
    「そうだといいんだけど」

    微妙な空気になってきたので立ち上がると、見計らったかのような扉のノック音。それからユーリィが部屋に入ってくる。

    「……ビドー。アサヒさん。そろそろ入ってもいいかな」
    「ユーリィ」
    「ご、ごごごめんユーリィさん占領しちゃって」
    「別に。ああ、ビドー。配達の仕事持って来たから準備して」
    「分かった。どこまでだ」
    「港町【ミョウジョウ】まで。私もチギヨも一緒に行くから……留守番もなんだしアサヒさんも連れていけば?」
    「海……! ビー君私も行きたい!」

    目を輝かせるヨアケ。さっきまであんなに凹んでいたのに忙しい奴だな。
    まあ、無理やり切り替えているのだろう。そういう所がタフなんだよ。

    「潮風浴びて気分転換でもしてこいよ、ヨアケ」
    「わーい!」


    ***************************


    裏路地の薄暗さは不思議と気持ちと比例していた……はあ、やるせない。
    サク様はまたサーナイトのテレポートでどっかにいっちゃったからつまらないし。これからどうしよう? って路地裏を歩いていたら、厄介そうなボブヘアー女に絡まれた。

    「メイ、ちょっといいかい?」
    「嫌」

    短く断ってとっとと逃げようとすると、目の前にはあいつのジュナイパーが道を塞いで睨みをきかせていた。

    「一つ聞きたいことがあるんだけど」
    「道を塞いで、それがヒトにものを聞く姿勢? てか、アンタ名前なんだっけ?」
    「サモンだよ。すまないねメイ、こうでもしないと逃げられると思ったから」

    サモンはたいして悪びれる様子もなく、言葉だけ謝る。なんかムカツク。
    適当にあしらうにもこうも、この鳥に見張られているとやりづらい。はいはい、話だけでも聞けばいいんでしょ。面倒くさい。
    ……なんて考えていないで――その時無理をしてでもあたしはさっさと逃げるべきだった。

    「何よいったい」
    「……メイ、キミはどうしてカツミに嘘をついたんだい?」
    「は? 何の? カツミ……ってあの新入りのガキだっけ?」

    心当たりはありまくりだけど、後悔しても遅すぎた。

    「サーナイトじゃなくキミだろ? あの念話を、テレパスを使っているの」


    ***************************


    「ボクが昔働いていたカントー地方にもいたんだよ。人でありながらエスパーを、超能力を使えるジムリーダーが」
    「……その超能力を使うジムリーダーがいたからって、何でそうなるの? 理由は? 根拠は? 妄想じゃない?」
    「サーナイトの声が聞こえないからだよ、テレパシーで意思疎通を図るエスパーポケモンは割と多くてね。あの念話で中心に立っているはずのサーナイトの声がなかった。それにカツミの思念だけを一方的に読み取っていたから、やはり思考読みの方なのだろうと思うけど……」

    言葉を区切って、サモンは不思議そうに聞いて来る。あたしの触れられたくない部分に、ずけずけと。

    「メイが超能力者だと気づいているのはボクだけじゃない。サクは知っていながらキミを近くに置いているし、他にも感づいている人も多いだろう。どうしてそんな嘘を吐くんだい?」

    あまり意味をなしていないだろう? と言ってくるサモン。腹を立てても状況が良くなることはないのは解っているけど、腹立たしかった。

    「アンタに答える必要なんかない。それ以上突っ込んでくるんなら、容赦しないけど」

    ボールの開閉スイッチをいつでも押せるようにし、警告する。
    するとサモンはリアクションを止め、ただじっとこちらを見てくる。
    アタシだって垂れ流しに能力使ってないから今何を考えているのかわからない。
    乗り気はしないけど、ムカツクしコイツの魂胆を暴いて……

    (サクのこと、大好きすぎるだろキミ)

    んっ?????????????

    「ちょっ?! 何考えて?!」
    (サク様絶対死守とか思っているのだろうなあ)
    「なっ?!」
    「……メイってずいぶん可愛いリアクションもできるんだね」
    「う、ううううるさい!!!!」
    (補足、ちなみに周りにバレバレだから)
    「脳内で補足するな!!」
    (じゃあ、なんで堂々としないのか、能力のこと)
    「黙れ、口で喋れ」
    「……わがままだね。まあ、思考読みされるかもと知られていればこういう対策も取られやすいということで」

    くそう完全に手玉に取られている気がする。もうコイツの思考探りたくない……。
    ジュナイパーはなんかあくびしているし……色々となし崩しにされたので、サモンとボールから意識を遠のける。
    ……でも、そのアタシの力に物怖じしないのは。サク様と、サク様の大事な人と、あのウザイやつと、そして面倒なコイツで四人目か。だからどうしたって話だけど。

    「堂々、ね。そんな風に生きられたらこんなにはなってないわよ」
    「それは、キミ自身の問題? それとも周りの問題?」

    ……時間がかかったけど質問の意図を理解して、まどろっこしいやり取りに区切りをつける。

    「下手な探りは止めてくれない? ヒンメル出身でしょアンタも」
    「……うん。悪かった」
    「そう思っていないくせに」
    「思っているって……ただ、実際にこうして見えることになるとは思っていなかったからさ……メイ、キミに」
    「まあ、たとえ悪いと思われても赦さないけどさ……あたしだって、ヒンメルに好きでいる訳じゃないわよ」

    本当に、好んでこんな場所には居たくない。でも、あたしにはここでやることがある。

    「この舞台に立とうと思ったきっかけは? 推測だが、復讐だけとは限らないんだろう?」
    「そう。そんな私怨よりも、あたしにはこの力を使って助けたい人がいるの」
    「助けたい人……キミはその人のことを慕っているのかい?」
    「さっきからキモい質問。でもそうじゃなきゃ、こんなに傍に居たいとは思わない」

    たとえ、相手にされなくても、あの人の、サク様の力になりたい。それがあたしの望みだ。
    これはたぶん忠誠って感じに近い。
    あてられたのかサモンがずいぶんと重たくなった口を開く。

    「それがキミの理由か。国に消された<エレメンツ>六属性目のメイ」
    「ある意味それが、この国に対する復讐なのかもしれないけどね?」

    肩をすくめると、ジュナイパーが道を開ける。もう用は済んだってことか。

    「じゃあね、ロマンチスト」

    込められるだけの嫌味をこめて、あたしはその場を後にする。
    その時僅かに“羨ましいよ”と聞こえた気がした。

    ……どこがだっ。


    ***************************


    カツミ君が<ダスク>に入った。
    サクの話を聞き、自分の意思でこの集団に入ってしまった……。
    あたしとしてはなるべく彼を巻き込みたくなかった。でも、カツミ君は、

    「ココ姉ちゃんたちが実は今まで頑張っていたのに、黙ってみてられないよね。オレも頑張るよ」

    なんて、顔色が悪い癖にそうやって笑おうとする。
    もう……なんでこの子はこんなに気遣いをしてしまうのか。ココチヨおねーさん面目ないわよ……。
    ハジメさんには、リッカちゃんどうするの! って、叱り飛ばしたけどそれはハジメさんが一番堪えているだろから強く言及できないし。なんとかトウの目から逃げきって、会ってあげてほしいなあ。なんて、居たたまれない想いでいるとカツミ君が私の手持ちのミミッキュの耳をつつきながら聞いて来る。

    「そういやココ姉ちゃんって、トウ兄ちゃんのいる<エレメンツ>にスパイしているってことなの?」

    あ、触れないようにしていたけどやっぱりそこ気になるわよね。

    「まあ、そうなっちゃうのかな。いけないことだっていうのは解っているんだけどね。トウも赦してくれるか分かんないしははは破局コースまっしぐら」
    「大丈夫じゃない? ココ姉ちゃんだってオレみたく入りたいと思って<ダスク>に入ったんじゃん! だったらきっと赦してくれるよだいじょーぶだいじょーぶ!」
    「そうだといいんだけどねえ」

    たとえスパイなんてかっこよく呼ばれたとしても、迷走している<エレメンツ>より、サクという可能性にすがる選択肢につられたあたしはいわゆる裏切り者になってしまうのではないかとひやひやしている。
    でもあたしはサクに、<ダスク>に賭けたんだ。一度決めたことは、揺らぎたくないわよね。うん。
    そしてカツミ君も決めたことなら、頭ごなしに否定するんじゃあなくて、サポートしていこう。未知の部分が多いこの集団の中で手放しはまだ怖いし、あと体調のこともあるからね。

    「ココ姉ちゃん、なんか意気込んでいるね! スパイの作戦でも思いついたの?」
    「いや思いついてないから。あとあんまりスパイ連呼してほしくはないなあ……ま、とにかく一緒に頑張りましょう!」
    「おおー!」


    ***************************


    「静かだ……」

    さざ波の音が、聞こえてくる。
    高台から見える海は、故郷の【アサギシティ】を思い出す。でも、【ミョウジョウ】の海は、アサギに比べてとても静かだ。
    例えるのなら、賑やかさが足りないというか。生命力が、足りない。
    ――――でもどこか、不思議な懐かしさがあった。

    「ずっと昔からこの海はこんな感じらしいよ、アサヒさん」

    チギヨさんとビー君が配達中なので、私はユーリィさんと港町【ミョウジョウ】の高台で時間をつぶしていた。
    ユーリィさんの方から声をかけてくれたことに、ちょっとした驚きを覚えた。それから上手く言葉を繋げなきゃ、とあわあわしてしまう。
    動揺を見透かされたのか、呆れられたのか、ユーリィさんは私をじっと観察してくる。
    な、なんだかドキドキしてくる。とにかくなにか話題を――!

    「なんだかユーリィさんっぽいね」
    「そう? そんなに静かかな……一応、喋るときは結構喋っているけど?」
    「そ、そうだった」

    ああああなんかうまくいかないよもうううううう……。
    なんて、こんがらがっていたら、ユーリィさんは海を見つめて「でもある意味そうかもね」って呟いていた。

    「歴史とか調べている知り合いが話していたけど、この海がこんなにも静かなのは、“蒼海の王子”が居なくなっちゃったからなんだってさ」
    「王子って、ヒンメル王家とは違うよね?」
    「うん。王子はマナフィってポケモンだよ。この国ではマナフィが棲む海は豊かな海の象徴って言われていたんだ。昔【ミョウジョウ】の海岸沿いに暮らしていた人たちと仲が良くて、よくマナフィは地上にも遊びに来ていたらしいって。でも……この国を脅かした怪人を英雄王ブラウが討伐する際、マナフィは巻き込まれて命を落とした。それ以来海には活気がなくなった……だからこの海は“死んだ海”とも言われているって、そういう話だったと思う」
    「それは……」

    ユーリィさんも? と言いかけて……一瞬視界がぼやける。

    (あれ?)

    立ち眩みかなとぎゅっと目蓋をとじると――――何故か、とじたはずの目蓋に一面の火の海が見えた。

    (え?)

    慌てて目を開くと、それまで通りの静かな海面が遠くに見える。
    ……今の何だったのだろう?

    「――まー、私たちも、まだ生き返られてないってこと。大事なものが抜け落ちて、ずっと、ずっとどこか死んでいるのかもしれない。そういう意味では似ているのかも」

    その声に我に返る。気が付くとユーリィさんは、涙はないけど泣いていた。
    何て声をかけたらいいのか悩んだ。それから、カツミ君としたあの約束を思い返していた。
    “闇隠し事件”でいなくなった人たちを連れ戻す方法を探すって約束。
    そのために私にできることは、まだまだよく見えない。それどころか今かけてあげられる気の利いたことさえも思いつけない。
    結局、口にできるのはただの願いだけだった。

    「……大事なもの取り戻したら、生き返ってくれるのかな。ユーリィさんは」

    できるなら、笑ってくれるだろうか。とまでは言えなかった。
    何故ならユーリィさんは渋い顔をしていたからだ。

    「私、アサヒさんのそういうとこ苦手」
    「ごめん」

    反射的に謝ってしまうと、ますます機嫌を損ねてしまった。

    「……アサヒさんはいい顔しすぎなんだよ。ビドーにも、チギヨにも、私にも……皆にも」
    「でも私は」
    「加害者かもしれないからってだから何? 他人の様子伺ったり気遣ったりそんなばっかり。そんなので本当に救われるとでも? 気休めにもならない。それ続けてアサヒさんが心労で倒れても知らないよ?」

    ユーリィさんの話の流れがどんどん文句から変わっていく。
    えっ、私心配されている……?

    「ああもう。何言いたいのか分からなくなってきた。そもそも疑惑だけで何年も軟禁され続けて今も監視が続いている人が周りに気を使い続けているっていうのがおかしいの!」
    「そ、そんなに?」
    「そんなに!」

    断言されてしまった……。自分では当然の仕打ちであり<エレメンツ>のみんなには保護してもらっていたと割り切っていたことにこうもきっぱり言われるとは。
    また、怒られてしまうかもだけど、ちょっとだけお礼を言いたくなり、実際言おうとした。
    でもそれは出来なかった。

    「その話、興味深いですね」

    聞き覚えのない声に尋ねられる。振り返るとそこには、声を発した方と思われる黒スーツをビシッと着こなした黒髪ショートの女性と、黒い頭でと黄色のすらっとした胴体を持つポケモン、エレザードを連れているグレーのポンチョを着たサモンさんよりもふんわりとしたボブカットの女性がいた。ポンチョの女性は首から下げたカメラに手をかけていた。
    第一印象は別に普通な方たちだったけど、だからこそ嫌な予感がした。
    警戒が伝わってしまったのか、黒スーツの方の彼女が口元だけ笑みを作る。

    「失礼。初めまして、国際警察の者です。私のことはラスト、とでもお呼びください……ヨアケ・アサヒさん」

    ラストさんの細めている眉の奥の瞳は、声色ほど笑っていなかった。


    ***************************


    私とユウヅキを調べている<国際警察>がいるとレインさんに以前聞いていた。もっと強面のおじさんかと思っていたけど、ラストさんはこう、スマートな女性って感じだった。

    「えっと……はじめまして、ヨアケ・アサヒです……ラストさん。そちらは……?」
    「彼女たちのこと、見覚えありませんか?」

    ラストさんに言われ、改めてポンチョの女性を見る。彼女の切れ長の瞳を見ても、どうにも思い出せない。そもそも本当に知り合いなのだろうかとちょっとだけ疑った目線を向けてしまう。
    その視線に察したのか、女性は軽くショックを受けていた。エレザードも首周りの襟巻をぱっと広げて驚いている。なんだかこちらも申し訳なくなってくる。

    「お久しぶりアサヒ。凄い大きくなったね。やっぱり私のこと覚えてない?」
    「ごめんなさい、さっぱり……」
    「仕方ないか。じゃあ、改めまして、でいいかしら。私はミズバシ・ヨウコ。こっちはエレザード。またよろしくね」

    ヨウコさんは握手を求めてくる。恐る恐る手を伸ばすとしっかりと握られた。
    あっけに取られているとユーリィさんが割り込んでくれた。

    「あの、うちの同居人に何か御用でしょうか国際警察さん?」
    「ラストでいいですよ、美容師ユーリィさん。仕立屋のチギヨさんと配達屋ビドーさんは今外されているようですね」
    「……へえ、ずいぶん私たちのことにお詳しいですねラストさんは」
    「まあ、調べるのが仕事ですからね」

    完全にラストのペースの会話だった。ユーリィさんなんか癪に障ったようでいつもより鋭い眼差しでラストさんを睨みつけている。ラストさんはたいして気に留めずに、私に話しかける。

    「私の用は貴方が彼女を憶えているかを確認したかった、ところでしょうか。あとは挨拶と、ついでに聞きたいことも出来ましたが今は置いておくとして……やはり、貴方はミズハシ・ヨウコさんのことは憶えていないのですね」
    「ええ、はい。それで……私とヨウコさんは、いったいどういった関係なのでしょうか」
    「ミズバシさん、あの写真を」

    ラストさんに促され、下げていたカバンから薄いフォトアルバムを取り出すヨウコさん。そのフォトアルバムには王都【ソウキュウ】らしき場所のお祭り風景や人々の姿が映っていた。そしてその写真群の一つに……昔の髪の短かったころの私と、隣には何度も何度も思い返したあの姿が。不器用に笑う彼の姿があった。

    「ユウヅキ……」
    「……昔、“闇隠し”が起こる前の【ソウキュウシティ】で私ね、貴方たちに会っていたの。思い出せない?」
    「ごめんなさい……でも、これ私とユウヅキです。それは、たぶん間違いないです」
    「そう……あの時貴方たちはね、確か遺跡について調べているって言っていたの。私はそれなら【オウマガ】に多いって薦めてしまったんだ」

    【オウマガ】
    その街の名前に聞き覚えはあった。ギラティナに縁ある遺跡の近くの町だ。<エレメンツ>のみんなにも、そこでの私たちの目撃情報はあったって聞いていた。
    けれど、ヨウコさんに教えてもらった記憶は抜け落ちている。
    どうしても、不自然なまでにその時のことを思い出せない。
    その私の様子を見てラストさんが「ふむ」と言葉を漏らした。

    「思い出せないようですね。ご協力ありがとうございます」
    「お役に立てず、申し訳ありません……」
    「いえ。やはりあの方の推測は正しそう、ということが分かっただけでも十分です」

    ラストさんが言っていた方の心当たりがあったので、話の流れに乗って尋ねてみる。

    「そういえば、ミケさんお元気ですか?」
    「ええ。結構ふらふらといなくなる方ですが、お元気ですよ」
    「そう、ですか……」

    ミケさんは私のせいで<国際警察>に目をつけられて協力させられている部分も多そうなので、申し訳ない。とその旨を伝えるとラストさんは、

    「ああ、彼は彼で昔やんちゃしていたので、きっちりその分働いていただいているだけですよ。その辺はあまりお気になさらず」

    ……ミケさん探偵になる前何やっていたのだろう。詮索はしないほうがよさそうだけど、気になるな。

    「そう、ミケさんと言えば、彼も貴方に尋ねようとしていたお話を聞かせていただけないでしょうか。貴方が『事件』以降どんな状況や立場に立たされていたのかを……」

    あ、話が戻った。まずい。
    うろたえていると、ラストさんがくすりと笑って見逃してくれた。

    「……今は止めておきましょうか。どのみち調べればおのずとわかっていく事でしょうし、貴方たちも用事があるのでしょう?」
    「そうね。アサヒさんさっさと行きましょう、チギヨたちの所へ」
    「う、うん。それじゃあ、失礼します。ラストさん、ヨウコさん」
    「ええ、また。ヨアケ・アサヒさん」
    「またね、アサヒ」

    軽い挨拶をした後、ユーリィさんに手をひかれる形で高台をあとにする。
    自分が緊張でうまく呼吸出来てなかったと気づいたのは、大きくため息を吐いたときだった。


    ***************************


    ヨアケとユーリィが国際警察に絡まれていたころ、俺は俺であいつらに遭遇していた。

    ユーリィが持ってきた仕事というのは、いつも俺が引き受けているチギヨが仕立てた衣類を依頼主届けることだった。今回の依頼主は、ユーリィの得意先の劇団メンバーからである。衣装のことで悩んでいたそのメンバーに、ユーリィの紹介でチギヨに仕事が回ってきたという訳だった。
    リオルにも手伝ってもらいながら依頼主に届け終わった俺らはその場所のにぎやかさを横目にしながら帰ろうとしていた。

    今俺らがいるのは【イナサ遊園地】。港町【ミョウジョウ】にあるテーマパークだ。
    どうやら、この遊園地で有志の参加者が集まったイベントがあるらしい。
    その劇団やらバンド、パフォーマーなどが参加するらしいそのイベントに、何故かあいつらがいた。
    見覚えのある丸いピカチュウを連れた赤毛の少女が壁際で休んでいた。

    「げ、配達屋ビドーだ。何でここに……!」
    「なっ、お前こそ何で」
    「お前じゃない、あたしはアプリコットって名前が……じゃなかったまずいっ」

    逃げようとするあいつの退路を塞ぐように反射的に壁に左手を打ち付ける。

    「逃げるな」
    「うええ?!」
    「つうかあの時はよくも……っておい、お前がいるってことはジュウモンジの野郎もいるのか」
    「だからあの時は仕方がなく……いや、親分は、ええと、ええと」
    「……また会った時は覚悟しとけって言ったよな」
    「いや無理! この状況じゃ無理!」

    何故か慌てている赤毛……アプリコットにいらだっていると、チギヨに後頭部を叩かれリオルに脛を蹴られピカチュウに足首を噛まれた。

    「いって、何すんだよ!」
    「もめ事を起こすな、ビドー」

    チギヨたちに制止され、ようやく周囲から冷ややかな視線が注がれていることに気づく。
    そして、アプリコットが怯えていたことに今更気が付いた。

    「……悪かった。流石に頭に血が上っていた」

    壁から腕を離し、下を向く。足元ではピカチュウがまだ足に噛みついていた。

    「もういいよ、ライカ。あと、ビドーももういいよ……ちょっと怖かったけど、貴方が怒るのも、無理ないし……」

    ライカという名前のピカチュウを引き剥がし腕に抱えると深呼吸をし始めるアプリコット。
    どうして怒っているのかわかるのか? こいつに俺を理解できるのか? と疑問に思ってしまう。
    奪う側のこいつらに。奪われた側の俺の気持ちがわかってたまるか。と黒く、どろどろとした感情が腹の中で渦巻く。
    右手で顔を抑えようとしたら、持ち上がらなかった。何故なら、リオルが俺の手を掴んでいたからだ。

    「リオル、ありがとな」

    こちらを心配そうに見上げるリオルに自然と言葉が出て、空いた左手でリオルの頭を撫でていた。

    「そっか……リオルと貴方、もう大丈夫そうだね」
    「まったく世話が焼けるぜ」

    さっきまでと変わって何故か嬉しそうにしているアプリコットとなにもしてないのにやれやれとするチギヨに、逆に俺がついていけていなかった。
    他人事なのに、なんでそういう風になれるのだろうか。
    そう考えてしまうのは俺自身がひねくれているからというのもあるのだろうけど、よく分からない。
    ……黒いものは、少しだけ晴れていた。だがその上で引けないものはあった。
    逸らしていた視線を再びアプリコットの方に向け、心を落ち着かせて、こちらを見上げる目を見て、彼女に頼む。

    「ジュウモンジに聞きたいことがある。もし近くにいるのなら、連れていけとは言わない。居場所を教えてほしい」
    「おい、ビドー」
    「……頼むアプリコット」

    チギヨの制止を無視して発した俺の言葉に、彼女はだいぶ悩んでいるようだった。
    アプリコットは何度か俺とリオルを見比べて、それから首を小さく縦に振った。

    「今の貴方たちなら、いいよ。ただ……お手柔らかにね?」
    「なるべく……善処する」
    「できるだけ、努力してよ」

    深めに釘を刺される。少し腹が立ったが、抑える。
    それからジュウモンジの居場所を教えてもらい、チギヨを置いてそこへ向かった。


    ***************************


    「ユーリィさん……ちょっと」
    「…………」
    「ちょっと待って、ユーリィさん」

    ユーリィさんは無言で私の手を引き、遊園地に入って行った。【イナサ遊園地】という名前の遊園地、何か催しものでもあるのか、人が入り乱れていた。彼女の歩くペースに置いていかれそうになる。しかし、ユーリィさんはなかなか早歩きを止めてくれない。
    そしてユーリィさんは何故か私を連れて、ジェットコースターに乗ろうとしていた。

    「え、ええええ??」
    「乗って、アサヒさん」
    「の、乗るの?」
    「乗るの」
    「ええー」

    少しだけ待った後順番が回ってくる。座席に誘導されシートベルトをしっかりして、コースターが動き出す。そしてゆっくりレールを上がっていくコースター。その先に見えるレールのラインから、私は覚悟した。
    ……あ、これ怖い奴だ。
    ユーリィさんが息を大きく吸った。レールは登り切った。
    下り始めると同時にユーリィさんは叫んだ。

    「アサヒさんのばかあああああああああああああああああ!!!!」
    「なんでええええええええええええええええええええええ!!??」

    いや本当に何で? 何でジェットコースターに乗ってまで怒られなきゃいけないのかわからない、わからないよユーリィさん……!
    ああでも、なんかむしゃくしゃしているのは伝わったよ。なんか叫ばなきゃやってられなかったんだね。でも何で私に怒るのかな。むー。

    ジェットコースターを乗り終わって、私がふてくされているのを見たユーリィさんは真顔で「ごめん。ムカムカして」と言った。
    「私にムカムカしたの?」と意地悪そうに返すと、「うーん。アサヒさんというよりその取り巻く環境。そしてアサヒさんに対してだね」とこれまた真顔で言われた。
    ぶーたれると何故か笑われた。

    「そうだよ。アサヒさんはもっとみんなに文句言ってもいいんだよ。というか言うべき」
    「ええ……」
    「じゃなきゃ、私がみんなに文句言いたくなる。だから言ってよね」
    「そんなー……」
    「いいじゃん。そうでもしないと生き残れないよ……生き返れないよ?」
    「え、私も死んでいるの?」
    「少なくとも私にはそう見えたけど? 他人の生き返りを望む前に、自分が生き返ってよね?」

    そういってふふふと小さく笑うユーリィさんはとても可愛かった。

    その後チギヨさんと再会して、ビー君が単身シザークロスの方達へ向かったことを知らされる。ユーリィさんは仕事があるのでチギヨさんと一緒にそちらに、私は慌ててビー君を追いかけた。


    ***************************


    ビー君。ビー君。ビー君……っ。
    無茶してないといいんだけど。心配だ。
    チギヨさんから聞いた場所へと私は走る。
    確かにビー君はケロマツのマツのことでシザークロスに、ジュウモンジさんに腹を立てていた。偶然居合わせて、色々抑えられなかったんだと思う。
    でも、ビー君は相手を敵視しすぎだ。悪い人と思った人を許せないきらいがある。それじゃあ、ぶつかるだけだ。衝突して、傷つくばかりだ。
    私が止めても無駄かもしれないけれど、それでも、それでも待ってほしい。

    催しものの出演者のテントの一つ。そこから歩きながら出ていくビー君とリオルの姿があった。
    遅かったのかもしれない。……でも追いかけなくちゃ。そう思い後を小走りで走る。でも、なかなか追い付けない。それは、彼がそれだけ早いスピードで歩いていることに他ならなかった。

    「ビー君……!!」

    ようやく彼に声をかけることができた。私の声に彼が振り向く。
    ビー君は……何か思いつめた表情をしていた。

    「どうしたの? リオルも、ビー君も大丈夫?」

    頷くビー君。傍らのリオルも俯いたまま、首を縦に振る。でもふたりとも拳に力を入れたままであった。
    彼は私にこう言葉をこぼした。

    「ヨアケ、俺は……<シザークロス>の奴らは、自分たちが何も奪われたことのない略奪者だと思っていた。そう、思いたかった。だけど、違ったようなんだ……でも、それでも俺は、あいつらを赦したくないんだ……」
    「……その話、詳しく聞かせてくれる?」

    自分がかけられてぎょっとした言葉をかけるのは忍びないと思いつつ、聞きたいと思いその旨を伝える。ビー君は、頷きで了承してくれた。


    ***************************


    <シザークロス>の奴らもこの遊園地のイベントに参加するらしく、出演者控えのテントに見知ったメンバーが揃っていた。その中には、ジュウモンジの姿も。
    突然現れた俺とリオルにどよめくメンバー。彼らを制したジュウモンジが、面倒そうに俺に聞く。

    「――配達屋ビドーとリオルか。何しに来た。てめえらに構っているヒマはねえんだよ」
    「……ジュウモンジ、お前に聞きたいことがあってきた」
    「マツのことか」

    先手を打たれ、言葉に詰まる。そんな俺をあいつは鼻で笑い飛ばした。

    「マツの新しいトレーナーに関しては、少なくともてめえよりはしっかりしているから安心しな」
    「あいつが、密猟者だとしてもか」
    「あー、そいつは大げさに言いすぎだな。ポケモン保護区制度なんてもんがあれば、そういう魔が差すこともあるだろ」
    「……お前らはいったい何がしたいんだ」
    「それはこっちの台詞だな」

    ジュウモンジは呆れた顔で俺を見る。それから、痛い所をついてきた。

    「てめえは、てめえの持った第一印象で他人を決めつけ過ぎじゃあねえか?」
    「……っ」
    「例えばよ、表ではどんなにいいことやっているやつでも、裏ではどんな悪行に手を染めているかもわからねえ。逆に、世間から疎まれる奴でも、自分の大切な者はきっちり守っているやつもいるかもしれない。じゃあビドー、今のお前から見てどうだ。そのマツのトレーナーはどういうやつに見える……ちゃんと思い返せ。そいつはどういうトレーナーに見える?」
    「あいつは……」

    あいつは。ハジメは。
    最初はカビゴンを密猟しようとした。そのためにアキラさんを利用しようとした。リオルを人質にとって逃げようとした。
    強いポケモンを欲していた。アキラさんはハジメに依頼料を受け取っていて、あまり責めるなと庇った。ポケモン保護区制度を憎んでいた。
    ダスクという組織に入っているようだ。リッカという名前の幼い妹がいた。ココチヨさんとも面識があるようだ。
    トウギリに自首するよう言われて、逃げだした。リッカを置いていく形になっても。
    “闇隠し事件”の被害者で、今までを妹と生き抜いてきたはずなのに。

    そして、ハジメはマツを大事にしているか。
    ハジメはケロマツのことをちゃんとスカーフに刺しゅうされたマツという名前で呼んでいた。
    マツはハジメについていった。
    少なくとも、少しは心を寄せているのだろう。
    ハジメは信頼できる、良いトレーナーなのかもしれない。

    その考えに至った時、改めてハジメに言われた言葉がよぎった。


    『お前、ポケモンのことを信頼していないだろう』


    「……あいつは、良いトレーナーなんだろうな。俺と同じ“事件”の被害者でも俺に比べてマシなやつなんだろう。でも、気に食わない。いや、赦せない。俺はあいつが赦せないんだ」

    絞り出した俺の回答を、カカカとジュウモンジは笑う。

    「てめえ頭回ると思っていたが案外馬鹿だな。そもそも、俺達<シザークロス>も半数以上がヒンメル出身だぜ?」
    「!」

    何を驚いている、とジュウモンジは、あざ笑う。それから面倒くさそうに俺に言う。

    「闇に奪われて、移民に奪われて、いろんな奴らから奪われて。踏みにじられてきた。だが譲れないものもあるし、それこそ気に食わないから奪うのさ、俺たちは。そこに誰かの赦しは必要なのか? 仮に赦されたからって、俺達のしでかしていることは何一つ変わらねえ。解ったうえで俺らは<シザークロス>をやっているんだよ」
    「じゃあ、奪われる痛みをよく知りながらも、お前らは奪うのか? それでいいのか?」
    「そうだ。それでいいと思っている……つまり、結局御託や理屈や常識や善悪を並べないでだな、シンプルに言うと――いい奴だろうが悪い奴だろうが、関係ねえ。お前がこういう俺達を、ああいうマツのトレーナーを気に食わないだけだ。その通りだぜ、配達屋ビドー」

    そう言われて俺が抱いた最初の言葉は「そんな」だった。
    この赦せない気持ちは、「そんなこと」であってたまるかという想いと、妙に得心がいっている自分とがぶつかり合う。それから無性に苦しいような、恥ずかしいような、いたたまれない気持ちがこみ上げてくる。
    何も言えず突っ立っていると、リオルが俺の手を引いた。「もうこれ以上、ここに居なくてもいい」そう言っているようにも思えた。

    「少しはマシな面になったと思ったが、まだまだだなあ、てめえら。そんじゃ、俺らは出演の準備で忙しいからな、気が済んだならとっとと出てってくれふたりとも」

    そういって俺とリオルを追い出すジュウモンジ達。その彼らは別に俺らのことを笑ってはいなかった。


    ***************************


    一通り話し終えた後、ビー君は片手で顔を抑え、唸った。
    それから自信なさげに、でも自分の言葉でしっかりと思っていることを言ってくれた。

    「今まで俺はあいつらに突っかかってきたのは間違いだとは思えない」

    いや、思いたくないだけ、かもしれないがな、と続けて苦笑するビー君。
    そんな彼に私は、こちらを見つめてくるリオルを無言で抱き上げ、そして……

    「リオル、からてチョップ」

    抱え上げたリオルに、ビー君の脳天にチョップ(憶えてないので技ではない)を叩きこませた。

    「んなっ?!」

    驚くビー君に私は抱えたリオルの右手を握って、ビー君の脳天に突きつける。
    なんて声をかけたらいいか悩んだ末、茶化し気味になってしまった言葉をかける。

    「うーんと、ビー君らしくないぞ、とリオルはおっしゃっております」
    「そうなのか、リオル」

    リオルは頷いた。どうやらリオルの言いたいことを少しはくみ取れたようだ。
    それから、今度こそ私の考えを伝えようと試みる。

    「ビー君はいい子だけど、善人にならなくていいです」
    「は? え? 何だ?」
    「ええと、そうだね。うん、そうだ。ユウヅキだ。たとえば、ユウヅキについて、ビー君はどう思う? テレビで報じられている通りの極悪人だと思う?」
    「……お前から聞く限りの話と、現状の憶測を合わせただけじゃ、わかんねえよ」
    「まあ、その辺は私も詳しくないからなんともいえないけどね。じゃあさ、ユウヅキを極悪人をと呼んだ人々は? 彼らは何?」
    「む……」
    「悪人って決めつける側の方が善人になれるわけじゃあ、必ずしもそうじゃないんじゃないかな? それこそ、判断材料がない。わからない」
    「そう、だな」
    「だからね、えっとね。そんなことじゃないよ。そして私は私のワガママで……ビー君に無理やり善人になって、自分の譲れないところまで捻じ曲げることをしてほしくない。いやバリバリでぐれて好き勝手もしてほしくもないけどさ。まあ、ちょっとくらいワガママに行こうよ」

    偉そうに言っても、私自身にも言えることだけど、いい子ぶって言いたいこと言えなくなっていったら、やっぱりしんどいのかなと今は思えた。そこら辺はユーリィさんがきっかけになってくれた気がする。
    ビー君は、深く深呼吸して、リオルを受け取る。

    「ワガママ、なのかはわからないが……けど俺は、<シザークロス>もハジメも気に食わん。どうにかしたいというより、見返してやりたい。だから、一緒に見返してやろう。リオル」

    ビー君に抱き上げられたリオルは、彼を見つめて一声応える。
    私もなんとなく、自然と口元が緩み目蓋を細めていた――――


    ――――すると、何かのフラッシュが私たちを照らした。

    驚く私たちに、フラッシュの原因の彼女は、カメラを下ろしながら、軽く謝る。

    「ごめんなさい。あまりにも美しい光景と素敵な笑顔だったから……思わず。今のは消しますね、アサヒ」
    「ヨウコさん! って、ことは……ラストさんも?」
    「いいえ、私一人残らせてもらって、イナサ遊園地で写真を撮っていて。ほら、怖がらなくてもラストは忙しいから」
    「あはは」

    怖がっているの、ばれていたか。
    話についていけてないビー君が小声で私に尋ねる。リオルはビー君の後ろに隠れて警戒の目線を向けている。

    「知り合いかヨアケ?」
    「えっと、知り合いというか、知り合いらしいというか。ちょっと厄介な事情でね……」

    伝え忘れていたヨウコさんとラストさんのことを、ビー君たちにざっくりと説明する。
    聞き終えたビー君は一言こぼす。

    「厄介っていうよりは面倒だな」

    それをいっちゃあ、何とも言えないよ……。


    ***************************


    「貴方たちは、やはりイベントが目的で?」
    「いや、もともとは仕事でだ」
    「出演者ってわけではなさそうだけど……」
    「ああ。衣装を届けに来ただけだ。連れが別の仕事をしているから、それまでは俺らは時間を持て余す感じだな」

    つまりは、ヒマといえばヒマになってしまったわけだ。こういう時間を使って、情報収集とかを、するべきなのだろう。
    それはヨアケも思っていたらしく、さっそくヨウコさんに尋ねていた。

    「ヨウコさんって隕石の写真とかって撮ったことあります?」

    おいヨアケ。それはストレート過ぎるぞ。もうちょい言葉を選べ。

    「残念ながら、撮ったことはないですね。主に風景写真を撮っているので」
    「そうですか……」
    「見たいの? それとも欲しいの?」
    「後者です」
    「そう。隕石を探しているのなら、博物館とか……それかオークションとかに売り出されているとかの方が、可能性はあるかしら。なかなか自然のそのものとなると、難しいと思う」
    「ですよね」
    「あまり力になれなくて、ごめんなさいね」
    「いやいや、ご意見ありがとうございます」

    礼を言うヨアケに、ヨウコさんは目を細め、微笑んだ。
    それは、何か愛しいものを見るようなまなざしだった。

    「アサヒって昔も今も何かを探しているね」
    「まあ、確かにそうですけど……」
    「隕石については誰かに頼まれてついで、でしょうけど……昔の遺跡はとても大切なものを探しているように見えたの、それこそ、ユウヅキを捜している今の貴方くらいには」

    ヨアケにとって、ヤミナベを捜す今と変わらないくらい、追い求めていた遺跡。それはギラティナに関係しているとみていいのだろうが……でも何のために? 何でその遺跡をそんなにも探していたんだ?
    ギラティナに会いに行った……とかか? だがなんの用で?

    前から思っていたが……どうにも、ヨアケはその肝心な部分もヤミナベに、彼のオーベムに忘れさせられている気がする。

    「ヨウコさん、また、機会があったらでいいので、さっき見せていただいた私とユウヅキの映った写真、いただけませんか?」
    「いいよ。データで良ければ今でも転送できるけど、なにか端末はある?」
    「あ、あります。じゃあぜひお願いします!」

    ヨウコさんから写真データを受け取り、愛しそうに画面を見つめるヨアケ。そんなヨアケをじっと見ていたら先程から俺の後ろに隠れて様子を見ていたリオルが、ヨアケの端末をねだる。気づいたヨアケが、リオルと俺に写真を見せてくれた。

    「リオル、ビー君。この黒髪の彼がユウヅキだよ」

    画面の中のつんつん頭の彼は、ぎこちなく、でもわずかに笑っていた。彼もあまり笑うのが得意ではないのかもしれない。その彼の隣で、明るい眩しい笑顔の少女がいた。今よりちょっと薄い色の金髪だが、目もとでヨアケだとわかった。こうして並んだ二人を見ると、名は体を表すというか、太陽と月のようだった。

    「私ユウヅキのこの銀色の瞳の眼差しが好きー」
    「男の俺には解りにくいが。まあ、綺麗な色だよな」
    「ビー君もうん、綺麗な黒だよね」
    「嬉しくないぞ。嬉しくはないぞ」

    のろけを回避しようとしたが、若干失敗した上に巻き込まれた感じがする。
    なんか複雑だっ。

    そんなやりとりをしていると、ヨウコさんに微笑ましそうに観察されていることに気づき、「撮ってもいいかしら?」と尋ねられまた複雑になるのであった。(そのあと一枚撮ってもらった)


    ***************************


    ヨウコさんに写真を撮ってもらった後、仕事を終えたユーリィさんとチギヨさんが私たちと合流する。ユーリィさんはヨウコさんに驚いていたが、私が事情を説明して一応納得してはくれた。
    二人はこのあとのイベントを見ていくとのことで、私とビー君もどう? と誘われたので嫌がるビー君と流れにのってその場から離れようとしていたヨウコさんを(私は一人がいいんだけどなあとぼやいていたのを申し訳ないと思いつつ)捕まえ、5人とリオル、客席に着いた。

    チギヨさん、ビー君とリオル、ユーリィさん、私、ヨウコさんの順で座る。
    ビー君が、いっぱいの観客を見て。

    「こうして催しが出来る分には、まだ治安よくなってきた方なのか……?」

    そうこぼした。まあ、<義賊団シザークロス>が参加している時点で、なんか平和な気もしてしまうけど。

    「そう思いたいけどね。あんまり気を抜きすぎない方がいいのは変わらないね……気を付けてよね。特にビドー」
    「名指しかよ。わーってるよ」

    ユーリィさんの注意を文句言いつつも聞くビー君。そのやりとりをチギヨさんは笑いながら茶化す。

    「ビドーのことが心配って正直に言えばいいのによ、ユーリィ」
    「…………」
    「わ、悪かったから睨むなよ!」

    私の方からは見えないけど、男性陣二人とリオルがぎょっとしていたので、ユーリィさん結構険しい表情をしていたのだと思う。
    ヨウコさんはというと、デジタルカメラのデータを整理していた。(ちなみにさっきのビー君とリオルと私の写真もいただいている。なかなかきっかけとかないと写真とか撮らないので、ありがたや……)
    データ整理を終えたヨウコさんはカメラを構えた。

    「よし、準備完了っ」
    「えっと、ごめんなさい。イベントでの撮影はご遠慮願えますか?」

    そして十秒も経たずに大人しそうなイベントスタッフさんに……というにはなんか可愛いミミロップの帽子をかぶった青年のスタッフさん? におずおずと注意されていた。

    それから、そのスタッフさんらしき人物は、
    ビー君に抱えられたリオルを見て、
    破顔一笑した。

    「リオルだあ……!」

    リオル。案の定ビビる。ビー君がミミロップ帽子の人をキッと睨む。
    その方は慌てて元の大人しそうな表情に戻り、びくびくと謝る。

    「なんだよ」
    「あ、ごめんなさい……僕、進化前のポケモンが好きで……目がなくって、つい反応しちゃったんだ」
    「ヨウコさん、こいつの写真撮ったか?」

    話題を振られたヨウコさんは「ええ」と答える。
    あの一瞬をよく撮ったね、と感心していると「ふふふ、シャッターチャンスはほんの一瞬でも充分なの」と得意げなヨウコさんがいた。
    ますます縮こまる帽子の彼にビー君は困ってきているみたいだった。
    私もちょっと両者ともかわいそうに思えてきたので、提案をする。

    「貴方、イベントスタッフさんですよね? 保証できる方は近くにいます?」
    「え、ああ、はい……ごめんなさい、ボランティアでスタッフやっている、ミュウトですごめんなさい……ええと、その、ええと……」

    か、完全に怯えている。なんだか申し訳なくなってきた。
    ちょっと周りもざわついているし、どうしよう。と思っていたら。
    氷の結晶のようなポケモン、フリージオを連れた彼が颯爽と。そう、颯爽と現れた。

    「彼がスタッフなのは私が保証するよ、お嬢さん」

    アイドル衣装と言えばいいのだろうか。きらびやかな衣装を身に纏った、濃灰のシャギーの髪をもつ男性が、ミュウトさんのフォローに入った。
    そして、私はその声とその顔に憶えがあった。

    「レオットさん?」
    「あっ、まさかキミは……っと、すまないが今はレオットでなく、トーリ・カジマと名乗っている。トーリでお願いするよ」
    「りょ、了解です。トーリさん」
    「して、ここは私の顔に免じて、彼を許してはくれないか?」
    「私からもお願い、皆」

    フリージオも体を傾けて、謝罪する。
    私とレオ……じゃない、トーリさんのやりとりを呆然と眺めていた皆はちょっと驚いた顔をしていたけど、許してくれた。
    やっと解放されたミュウトさんは助け船を出したトーリさんに尋ねた。

    「……! 助けてくれて、ありがとうございます、トーリさん……! でも、どうして?」
    「一応私は紳士だ、そして紳士は困っている人間には分け隔てなく手をさしのべる存在だ、だからこそ私はキミを助けた、以上、理由と理屈の説明完了。ほら、さっさと持ち場につきたまえ」
    「か、かっこいいナリ……! じゃなかった、分かりました! 皆さんお騒がせしました……!」
    「ステージまでもう少し、楽しみにしていてほしい」

    ミミロップの帽子の耳を揺らしながら、見回りに戻っていくミュウトさんと、ステージの裏に戻っていくトーリさんとフリージオ。
    昔と印象変わったなあレオットさん。名前も変えちゃっているし。
    小さくなる彼とフリージオを見ていたら、チギヨさん、ビー君、ユーリィさんが順々に

    「あの衣装、体に合ってないが、好みなんだろうな」
    「ブーツと帽子で誤魔化しているって言えよ」
    「それ抜きでもビドーの方が低い」

    と彼の身長についてコメントしていった。ビー君撃沈。あ、レオットさん振り返った。でも一回振り返っただけでそのまま歩いて行った。聞こえていたな、あれは。
    ヨウコさんはというと、写真を撮りたそうにしょげていた。

    アナウンスが流れ、諸注意が流れる。その中には撮影禁止もばっちり入っていた。


    ***************************


    夕時に差し迫る屋外ステージの観客席、まだ俺もリオルも落ち着いてはいなかった。
    さっきのひと悶着もそうだが、単純に人が多い場所になれてないのが大きかった。
    そういや、プログラム知らねえな……と思い出す。
    <シザークロス>の奴らも出演するって言っていたが、何をやるんだかあいつら。
    そう思った直後。
    舞台裏から見知った顔たちが……ドラムを運んできた。

    「「!?」」

    俺もリオルもヨアケも同じく驚いていた。思わずユーリィの持ち出したプログラムを見せてもらう。そこには「オープニング バンド“シザークロス”による演奏」とあった。まんまだバンド名。

    ジュウモンジがエレキギターをもっているし、あいつの手持ちのハッサムや他の面々やそのポケモン、例えばクサイハナたちとかもいるし、赤毛の少女、アプリコットに至っては、ピカチュウのライカを頭に乗せ、センターのマイクの前で構えていた。

    ドラムのカウントが鳴り響き、演奏が始まる。
    ギターとドラムによる演奏に合わせ、バックダンサーと思わしき青いバンダナの少年とクロバットがバク転などで舞い、ハッサム『つるぎのまい』で、クサイハナが『はなびらのまい』を踊る。
    そして、ボーカルの小さな彼女の腹の底から見た目にそぐわない声量の、でもしっかりとした歌声が耳に届く。
    それらが交わり、会場を盛り上げにかかる。
    一曲目が終わり、続けて二曲目。さらに周囲が彼らに、アプリコットに見入る。
    その熱気の中には俺らも巻き込まれていた……。

    演奏が終わるとともに、わっと拍手が鳴り響いた。俺は色々思うことやリオルを抱えているのもあり、拍手こそしなかったが……悔しいが見とれてしまっていた。
    それは、彼らがステージ裏まで帰っていくまで、だった。
    彼らの一つの側面に、目を奪われてしまった。
    こみ上げる何かは、そんなに悪いと言い切るには、熱かった。


    ***************************


    <シザークロス>のステージが終わり、続いては、ポケモンコーディネーター、トーリ・カジマによるパフォーマンス。

    「オンステージだ、シアナ! ソリッド!」

    シアナというニックネームの、見るだけで癒されるといわれる美しい見た目をしたすらりと長い体をきれいなうろこを持つ慈しみポケモン、ミロカロスと先程の氷の結晶のようなフリージオ、ソリッドがトーリの放つボールからそれぞれ、水流と粉雪を纏いながらきらびやかにステージに舞い降りる。
    ボールから出るだけでも、こんな風にできるのか……。
    BGMに合わせて観客が手拍子を始める。
    トーリたちはお辞儀を終えた後、演舞を開始した。

    「シアナ、『みずあそび』! ソリッド、『フリーズドライ』!」

    トーリの上げる手と共に、ミロカロスがいくつもの噴水を半円状に展開し、フリージオの凍てつく力がその噴水を次々と凍らせていく。氷の花が並んでいるようだった。

    「続けてソリッド、『ひかりのかべ』!」

    フリージオが光輝く板の足場を作り、トーリがその上を駆け上る。

    「『アクアリング』だ、シアナ!」

    掛け声に応じてミロカロスが水流で出来た輪を上空に作り出す。
    それから宙を舞い、光の足場からジャンプするトーリとともに『アクアリング』を潜り抜け着地する。

    「『こおりのつぶて』から――――『たつまき』でフィニッシュ!」

    フリージオが周囲に氷で出来た礫を発射し、氷の花も、光の台座もすべて細かく砕く。
    それらすべてをミロカロスは渦巻く『たつまき』で巻き込み、神々しい光の渦を作り出した。
    竜巻が霧散すると、雪のような氷の粒と光のかけらが会場全体を包み込み、消えていく。
    それらを浴びた観客の顔が、自然とほころんで行くのが見えた。

    そして終幕の礼をすると、拍手が彼らを包んだ。
    コーディネーターってこんな曲芸みたいなことするのか、と圧倒された。


    ***************************


    (レオットさんじゃなくて、トーリさんたちかっこよかったなあ……)
    会場を包んだ冷気に負けない熱気に、私もあてられる。
    ヨウコさんはとても写真撮りたそうにうずうずしていた。ビー君とリオルも少し息が荒くなっていた。
    ユーリィさんとチギヨさんは、別の意味で緊張しているようだった。
    まあ、自分たちが手伝った演者さんたちの出番だもんね、次。
    しばしの休憩の後、最後の舞台演目である劇が始まる。

    劇の内容は、ブラウ対怪人クロイゼルングの、港町【ミョウジョウ】での戦いだった。

    昔の【ミョウジョウ】の町には、人とポケモンが仲良く暮らしていて、それをマナフィという伝説のポケモンが見守っていた。
    ある日、【ミョウジョウ】の町に火の手が襲いかかる。怪人クロイゼルングが火を放ったのだ。

    (ん? 火の海?)

    舞台が赤いライトで照らされていく。でも、そこにあるはずのない“火の海”が、再び目に映る。
    目の前に見えている光景が私だけに見えている現象だって悟るまでに時間はかからなかった。

    そして、誰か言い争う声が聞こえた。

    「どうして、どうして町に火を放ったっ!?」

    自分の間近から声が聞こえる。
    視線の先には揺らめく炎の中に立ち、とても苦しそうな顔をした水色の髪をした青年が剣を手に持っている。

    「これでは友が死んでしまう! どうしてこんな真似をした……! 答えろ、答えろよ、“ブラウ”!!!!」

    間近の声に“ブラウ”と呼ばれた青年は、ゆっくりとこちらに歩み寄る。
    歩み寄る彼の周囲に集まってきた人とポケモンは、先程の声のした方向に、私の方を見て。
    敵意に満ちた視線を向け。
    怒りの声を上げ。
    石を投げ。

    叫ぶ。

    「お前さえ居なければ」「どうしてくれんだ」「お前さえ居なければ」「なんでまだ生きているの」「お前さえ居なければ」「早くこんなやつ殺してしまえ」「こんな化け物を生かしておけない」

    「たのむ“ブラウ”!! 怪人を殺してくれ!!!!!!」

    おそらく“ブラウ”と呼ばれた彼の表情は、周りの人やポケモンには見えなかったのだろう。
    剣を握る彼の顔は、今にも泣き叫びそうなくらいぐちゃぐちゃで。
    苦しそうなのが分かった。
    そし剣を振り下ろす直前、こちらにだけ聞こえる小声で、彼は謝罪した。

    「ごめん、“クロ”」





     ◆ ◆ ◆




    ……………………

    「――おい」

    ……………………

    「――ケ」

    ……………………

    「しっかりしろ、ヨアケ!」
    「……あれ……ビー君?」

    気が付けば、辺りはすっかり暗くなって、誘導用のライトだけが照らされていた。ステージの上に人はもういない。劇は、私の気づかぬうちに終わってしまっていた。
    私の周りにいたみんなが、心配そうな視線を向けてくる。

    「大丈夫か、気を失っていたみたいだが」
    「え……寝ていたとかじゃなくって?」
    「寝ているだけならここまで心配してねーよ! ……すまん、怒鳴って」
    「いや、私の方こそ……」

    一体、何が起きたのだろう。劇を見ていたはずなのに。
    それにあの光景は、何だったのだろう。
    不安を見抜かれたのか、ユーリィさんが、聞いてくれた。

    「何かあったのなら、教えてほしいんだけど。医者にみてもらうにしても、ちゃんと状況把握したいし……いえる範囲でいいから」
    「ありがとう大丈夫……なんか、変なのが見えたんだ」
    「変なの?」

    見えた光景の一連の流れと、その予兆が昼頃あったことを伝える。
    チギヨさんはちんぷんかんぷんといった様子で、ユーリィさんもちょっと突拍子もなくてついていきにくい、という表情だった。ビー君とリオルは疑うことはしないでくれたけど、混乱しているようだった。
    そんな中、ヨウコさんが。

    「アサヒ、怖かったね」

    そう、声をかけてくれた。
    その言葉をかけられて初めて、怖かったことを自覚した。

    「怖かった。何がって、怪人っていう人間の方が十分怪物なんじゃないかなってくらい、責めてくるのが、怖かった」
    「怪物、ね……確かに、人間のひとつの側面ではあるね。でも、何がどうあれ、世界はただそこにあるだけ、その世界をどう見るかは私たち次第です。だから、大丈夫。大丈夫よ」
    「ヨウコさん……」

    ヨウコさんが頭を撫でてくれる。その温かさが心地よくて、安心していくのがわかった。


    ***************************


    会場を後にすると、遊園地の入口にレオットさん(今はトーリさん)がミミロップ帽子のミュウトさんと話していた。
    二人は、ユーリィさんに肩を貸されて歩いていた私を見て驚いた。

    「……どうした」
    「だ、大丈夫ですかー!!」
    「いや、ちょっと体調崩しちゃって……」
    「大変だ! 待ってて! お願いプーレ!」

    ミュウトさんは、モンスターボールから水色の子供の首長竜のポケモン、アマルスを出し氷を作らせる。それから慌ててリュックの中から、モモンの実とヒメリのみとシェイカーを取り出して、その場できのみのジュースを作ってくれた。

    「人でも飲めるようにしてあるから、これ飲んで元気出してください……!」
    「ありがとうございます……あ、おいしい」

    甘めの冷たいジュースで、ちょっとだけ元気が出てくる。
    なんとかもう、自分の力でしっかり歩けそうだ。

    トーリさんが、ほんの僅かだけど、顔を暗くしたように見えて、思わず聞いてしまう。

    「トーリさんも、大丈夫?」
    「ああ、ああ……私は平気さ。少し、思う所があってね、たいしたことではないのだが」

    思う所? あんなに大盛況だったのに、トーリさんたちのパフォーマンス。
    私の疑問に彼は、「こんなことをいったら申し訳ないのだけれどね」と前振りを置いてから、話してくれた。

    「私は、“事件”で心に傷を負った人を自分の芸で元気付けたいと思い、この地に来た……だが、彼らが求めているのは、何かもっとこう、元気づけるものとは違うようなんだ」

    その彼の言葉に、ビー君が共感した。

    「確かに。なんか最後の劇の最中、変な方向で盛り上がっていたからな」
    「ああ。キミの言う通りだ。あれではまるで……」
    「“敵”……か」
    「そう、怪人クロイゼルングのような、わかりやすい“敵”を欲しているような……そんな一体感があったのだよ」

    “敵”を欲する観客がいたという事実に、私はただただ驚いていた。
    そして、嫌な、とても嫌な予感をしてしまった。
    クロイゼルングは今の世の中にはいない。だとすると、次にその敵意を向けられるのは――――

    「――――ユウヅキ」

    ぽつりと零した言葉に、事情を知っている人はみんな気づいたようだった。
    たとえ、今日会場に来ていた人以外がそうじゃなかったとしても、多くの人が、次に敵意を向ける相手は、“闇隠し事件”の容疑者であるユウヅキだということに。
    そして、私も……。

    償う、ということに恐怖が付きまとってくる。今までは恐れないでいれたと思ったのに。
    こんな、些細なことで……怖くなるなんて。
    表情がこわばる私の名前を、トーリさんが呼んだ。

    「アサヒ」
    「……はい」
    「無理のない範囲でいいから、笑えるようになってほしい。事情は知らないが……キミは、人は、幸せには、ならなきゃいけないと思う」
    「トーリ、さん」
    「関係のない話になってしまうが、私には従兄弟がいてね、とある霊山の頭領として毎日楽しそうに働いているんだ、そうやって一日一日を幸せそうに生きている従兄弟をみると、私だって幸せにならなきゃと思うのだよ。そのために、何ができるかはまだよくわからない。でも、私は模索し続けるつもりだ。キミにも、幸せになることを、どうか諦めないでほしい」

    励まされて、なんとも言えない気持ちがこみ上げて、でも声が出なくて。
    諦めてない。そう伝えたくて。
    頷くことでしか返事はできなかったけど、何度も、何度も、頷いた。


    ***************************


    トーリとミュウトと別れて、港町の入口まで来る。
    二人とも、また会った時はゆっくり話でもしたい、と言っていたので、ぜひと答えた。
    最初はミュウトのこともトーリのことも疑ってしまっていたが、ヨアケを元気づけようとしたあいつらの行為を見て、考え方を変えた。
    そして、また一人との別れも近づく。

    「じゃあ、私もこの辺で。また、ご縁があったら、素敵な笑顔を取らせてね。アサヒ、ビドー、リオル、ユーリィ、チギヨ」
    「うん、また。今度こそ、憶えているから。またねヨウコさん」
    「ええ、貴方が忘れても、また私も憶えているから、大丈夫よ……じゃあね!」

    彼女、ミズバシ・ヨウコは手持ちの大きなとさかを持つ鳥ポケモン、ピジョットを繰り出し、『そらをとぶ』で夜空を舞って行った。

    「じゃあ、俺らも帰ろうぜ」
    「そうだな」

    チギヨに促されて、帰り支度をする。
    ふと思い出し、全員がイベント中に切っていた携帯端末の電源を入れる。

    「あ」

    短く声を上げたのは、ヨアケだった。

    「デイちゃんから留守電いっぱいきている……みんな、ちょっと電話してもいい?」
    「構わないぞ」
    「いいよ、私もメール打ちたいし」
    「ありがとチギヨさん、ユーリィさん。テレビ電話にするから、ビー君とリオルもきて」
    「お、おう」

    ヨアケに呼ばれ、俺とリオルも近くのベンチに、ヨアケの隣に座る。
    着信音の後、画面が繋がる。そこには、黄色い頭の小さな褐色の少女が不機嫌そうに座っていた。

    『おっっっっそいじゃん!! アサヒ!』
    「ごめんデイちゃん! ちょっと電源切っていて……」

    そのソテツよりも小柄な少女はデイちゃん、と呼ばれている。もしかして、こいつがまさか……?

    『ところで、そこの少年は、前にトウギリが言っていた彼?』
    「少年じゃない、ビドーだ。こっちはリオルだ」
    『あっそ。あたしは<エレメンツ>“五属性”の一人、電気の属性を司る者デイジー。よろしくじゃんよ。ビドー、リオル』

    そっけない態度の少女になんか調子が狂っていると、ヨアケが補足を入れる。

    「デイちゃん、私より年上」
    「マジか」
    『ま、気にしてないけど一応言って置く。ガキはあんたの方だかんな、ビドー。敬えよ』
    「う……はい……」

    逆らえないプレッシャーをデイジーに感じつつも、話の続きを聞く。

    『じゃあ、本題に入る。アサヒ、隕石の方のあてはついた。そのことも含めて話があるから、一回<エレメンツ>本部に戻ってこいじゃん』
    「見つかったの? 流石デイちゃん」
    『いやいやそれほどでもあるよ。お使いなんてさっさと終わらせるに限るってね。まー、面倒くさいことになっているけどね。あっ、ビドーも連れてきな』

    急に名指しされ、軽く驚く俺にデイジーは呆れながら付け加える。

    『アサヒの相棒なんだろ? あんたも来いったら来い』
    「っ、お、おうわかった」
    『じゃ、明日中においで。待っているじゃんよー』

    あっ、一方的に通信切りやがった。まだ色々聞きたいこととかあったんだが……仕方ないか。
    ヨアケの横顔をちらっと見る。さっきまでの顔色の悪さはもうない。でも多少は疲れているようだった。

    相棒だろ? とデイジーに言われた言葉を握りしめる。

    「無理、しすぎるなよヨアケ」
    「ありがとビー君。頼りにしているよ」
    「……おう」

    次の目的地は、自警団<エレメンツ>本部。
    ヨアケを保護していた、ヨアケが赦されない相手の総本部。
    いずれは、と思っていたときがやってくる……。

    ……俺が、ヨアケの力になるんだ。


    ***************************


    王都【ソウキュウ】

    夜の公園で携帯端末を握り、受信した文面を眺めた彼女は微笑む。
    そして彼女はそのまま別の通信機で彼に電話をかける。
    専用の回線でつながれた通信先の相手に、彼女は語り掛ける。

    「ボクだよ。ユーリィから連絡があったよ。サク」
    『……サモンか、何があった』
    「彼女が“目覚め”始めた。残されたタイムリミットは、そこまで長くはないかもね」
    『……そうか』
    「で、どうするんだい、キミ。彼女達も隕石を手に入れようとしているようだし……このまま<ダスク>を潜ませるにも、限度があるよ」
    『そろそろ、かもな。<エレメンツ>が隕石の確保に出たからには、確実に罠が仕掛けられる。だけど、引くだけという選択肢は、ない』
    「分かった。じゃあ、ボクの方からも助っ人を呼んでおくよ。隕石を手に入れる可能性は上げないとね」
    『…………頼んだ』
    「いいよ。そしてキミがボクに負い目を感じる必要は、これっぽっちもない。じゃ、頑張ってね」

    通話を切り、サモンは再び微笑んだ。無邪気に悪巧みをしているような笑みで、目的を達成した時の結果を夢見るように、目を細める。
    それから再び携帯端末を手に取り、アドレス帳に乗った番号を選択し、電話をかける。

    「キョウヘイへーい」
    『…………訴えられるぞ』
    「誰に?」
    『俺にだ』
    「じゃあ、いっか。キョウヘイ、キミに頼みがあるんだ」
    『……聞く気はないがなんだ、サモン』
    「今度、ヒンメル地方で開かれるバトル大会の優勝賞品に隕石があるんだ。それが欲しい。だから、ボクに力を貸してほしい」
    『俺は誰かの指図を聞く気はない、知っているだろ』
    「ああ、知っている。だからこそ、これは友達としてのお願いなんだ。それに、キョウヘイは最強のポケモントレーナーを目指しているんだろう? リーグのない地方の大会に怖気づくキミではないだろう」
    『……言ったな。わかった、君のお願いとやら、聞いてやる。行ったことのない地方だから、ガイドくらいはしろよ。サモン』
    「うん、待っているよ。キョウヘイ」

    通話を終えたサモンは、夜空を眺めて、もう一言だけ、口にした。

    「待っているよ、その時を」






    つづく


      [No.1633] case1:ラプソディー・イン・ブルー 投稿者:生喰   投稿日:2019/05/01(Wed) 20:21:45     20clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


     リックはいつもどおり我が物顔でカウチに腰掛けて依頼人の家を観察していた。
     部屋は荒れ放題で泥棒に入られたことは言わずもがなといった感じ。机の引き出しの中身は周囲に放り投げられ、本棚にあった本は一冊残らず床に散らばっている。恐らく一緒に棚に載っていたと思われる写真は棚のすぐ下に落ちていた。横のガラス窓は外から破られ内側に散乱した本や、その他のゴミの上に破片が散っている。
    「この度は我々ブレイク&マカリスターよろず相談所にご連絡頂き誠に有り難うございます。私が店主のリズ・ブレイク、彼がリック・マカリスターです」
     リズは黒皮のジャケットにジーパン、セミロングの髪を安いゴムバンドで止めたいつもの恰好。女だからって舐められないよう、頼りがいを見せつけたいらしいが、リックはその恰好があまり威圧的過ぎて好きじゃなかった。実際、彼女はそんな小細工をしなくても元はジュンサーとして修羅場を潜り抜けてきた経緯をもっている。こんな状況で、青ざめて抱き合う夫婦の目の前でも、張り付けたような営業スマイルは変わらない。
    「あなた達が"失せ物"探しのプロだって聞いたから呼んだのよ。早く見つけ出してちょうだい」妻――カミラはまるでお前が犯人だと言わんばかりの形相でリズを睨んでいる。
    「もちろんです、無くなったのはジムバッヂと伺っていますが、普段はどこに?」リズは動揺することなくカミラに聞き返す。
     夫のヘンリーはジムバッヂを使ってこの町で小さなポケモンスクールを経営している。獲得したジムバッヂは確かなコーチの存在の証明として営業上重要なものだし、自らの過去の栄光を示すシンボルでもある。
    「そこの壁だよ。額にいれて飾っていたんだ」よしよしと妻を宥めながら夫――ヘンリーが答えた。指さした先には額がかかっていたと思われるネジ穴が残っていた。
    「無くなったのはバッヂだけ? 本当に?」
     黙ってくつろいでいたリックが突然口を開いた。周囲は一瞬あっけにとられたがカミラが答えた。
    「バッヂだけよ。どうして?」
    「これだけ荒らされているんだ。もしかしたら他にも無くなっているかもしれないでしょ」
    「あぁ、それは……確かにそうかもしれないが、特に私たちにとって重要なのがバッヂ なんだ。仮に他にも盗られていたとして別に構わない」
    「盗られた? バッヂは空き巣に盗られたってこと? 君、どうしてそう思うの?」好奇心むき出しの少年のようにリックが聞いた。
    「ふざけているのか? どう見たって空き巣じゃないか。どうせどこかのへぼトレーナーが盗んでいったに違いない」無意味な質問をするなとヘンリーが答える。
    「それだったら警察に相談したらいい。空き巣は犯罪だ。それに……盗まれたものを失せ物とは言わない」
    「ちょっと、マック……」商談をつぶされかけて思わずリズが声をかけた。
    「警察だって? ふんっ」リズの言葉を遮るようにカミラが鼻で笑った。
    「『ふんっ』って? どういうこと、『ふんっ』って」マックこと、リック・マカリスターがカミラを真似て言った。
    「警察なんて当てにならないってことよ。話するだけ時間の無駄」
    「おいおいカミラ……」ヘンリーが妻をなだめる。
    「何かあったんですか……? よければ教えてください」リズが物腰低く尋ねた。
    「一年位前、妻がストーカー被害に遭っていたことがあって。その時、警察に相談したのですが結局犯人が捕まらなくって」
    「今もよ! この間も買い物していたら誰かに後ろをつけられていたの。それで最近はボディガード代わりにポケモンを連れているの。警察の百倍頼りになるわ」そう言ってポケットからモンスターボールを一つ取り出しリズに見せつけた。
    「よければどんなポケモンが見せていただいても?」
    「構わないけど……バッヂと何か関係が?」
    「いえいえ、一応参考までに」
     カミラは了解の合図として眉を吊り上げるとボールのボタンを押し中のポケモンを出した。
    「おお、これは珍しい」リズが思わず反応する。
    「アローラで住んでいるいとこが交換してくれたの」
     ゾロアークといえばクールな目付きにふさふさの長い毛並みが特徴のポケモンだ。アローラ地方で進化前のゾロアが野生で確認されているのみで、その他の地方で見つけることは滅多に無い。
    「誰かに見られている気がしたら幻影で隠してもらうの」カミラはゾロアークの毛並みを撫でながら言った。ゾロアークの方は満足げに体を震わせている。
     リックはソファから立ち上がるとゾロアークの方へ寄っていった。鼻先が毛並みに触れんばかりの距離で観察している。
     ゾロアークの方は不躾なリックを睥睨すると喉元に鋭い爪をつきたてた。リックは慌てて顔を引っ込める。
    「もちろん、いざという時には犯人に痛い目にあってもらうわ」
     カミラは笑って言った。

     その後リズは、バッヂは空き巣犯の下にあるとして手がかりを得るべく夫婦へ質問を繰り返していた。リックは、後はリズに任せてもう少しこの家を観察してみることにした。
    「奥さん、家族は二人だけ?」またリックはリズの質問を遮って尋ねた。リズは不服そうな顔をしつつも口をつぐんだ。彼の質問がいつも真相へ導くことを知っているからだ。
    「いえ、息子が一人いるわ。まだ散らかっていて危ないし、自分の部屋から降りてこないように言っているの」
    「お話聞かせてもらっても?」
    「え、えぇ、いいわ。案内します」
    「いえいえ、それには及びません」言うが早いかリックは階段を上がっていった。

     二階には『WC』と書かれた扉を含めて三つの部屋があった。あとの扉に表札は無いが、一つの扉は少し開いていて中から明かりがこぼれていた。リックは明かりの見える扉へ向かって進もうとして、ふと何かを思い出したかのうように立ち止まった。回れ右して閉じ切った部屋へ向かった。
     こっちは空き部屋か使われていないゲストルームか。カーテンは閉めきられ昼間なのに薄暗かった。家具といえばツインサイズのベッドと小さめの洋箪笥が一つ、部屋の角には子供の身長ほどのスタンドライトが立っていた。掃除は行き届いているらしく床のカーペットからも部屋の角からもホコリっぽい感じはしなかった。
     リックは何気なく部屋の中を歩いてまわり洋箪笥の引き出しを開けてみたりスタンドライトのコードを引っ張ってみたりした。用箪笥には何も入ってなかった。スタンドライトに電球は入っておらずコードを引っ張っても明かりはつかなかった。円錐型の足場の下に何か挟まっているらしく引っ張った拍子にスタントが大きくぐらついた。
     次にリックは綺麗にベッドメイクされたシーツを見やり衝動にかられたかのように上に飛び乗った。天日干しされたばかりの匂いが心地良い。
    「ここで何してるの?」
     部屋の入り口に十五、六くらいの少年が立っていた。
    「君がカミラとヘンリーの息子? 初めまして、僕はリック。君の両親の大事なものを探しに来た」
     リックはベッドから起き上がりながら自己紹介した。
    「ライアンです。あなた、警官?」ライアンはリックと握手し、リックと並んで腰掛けた。
    「警官? 僕が君のママのストーカーも捕まえられない税金泥棒に見えるなら心外だな」
     “ストーカー”という言葉を聞いた時にライアンの右のこめかみがピクリと反応したのをリックは見逃さなかった。
    「それは……母さんったら神経過敏なんだ。警察の人は丁寧に調べてくれたし、その上で何もなかったって言ってるのに」
     わざと家庭内のトラブルについて言葉を選ばずぶつけてみたが、 ライアンは嘆息するだけで感情的になることはなかった。同世代の少年少女と比べてずいぶん大人びている。
    「じゃあ君はストーカーのこと信じてないんだ。お母さんは今でもつけられてるって言ってたけど」
    「気のせいだよ。馬鹿馬鹿しい」ライアンは頭を振りながら言った。
    「それじゃあ、君の話も聞かせてもらいたいんだけど。出来れば君の部屋で」
    「良いけど、散らかってるよ」
    「構わない」
     ライアンは了解の代わりに肩をすくめてみせると踵を返した。
    「あ、ちょっと待って」
     ライアンがリックの方を振り替える。
    「その前にコーヒーを一杯頂けるかな。喉が渇いちゃって」
    「オーケー、淹れてくるから部屋で待ってて」
    「いやいや、自分で淹れるよ。君もコーヒーで良いかな?」
    「え、あの、ちょっと」
     ライアンが止めるが早いかリックはキッチンへと降りていった。

     下に降りるとリズが夫婦と一緒に部屋を片付けていた。
    「マックも手伝ってよ。もう家中めちゃくちゃで」リズが持ってきた軍手で額の汗を拭いながら言った。基本的にはバッヂ探しで呼ばれているが『何でも屋』を謳っている以上こういうことも仕事に入ってくる。
    「そんなことよりこれ何か分かる?」リックが上着の内ポケットから何かを取り出した。
    「通帳? 誰の?」
    「カミラのへそくり」
    「ちょっと! あなた捕まりたいの!? 今すぐ戻してきなさい」リズは慌ててリックの手元を夫婦から隠した。夫婦は今、ひっくり返った大きな机を元に戻している。
    「しーっ! そんな大きな声出さないでもいい、この通帳にそんな価値無いから」
     リックは通帳を開いてリズに見せた。
    「残高ゼロね。何にそんな使い込んでたのかしら」リズが帳面の引き出し額を見ながら言った。カード払いで毎月かなりの高額が引き落とされている。
    「それよりも最後の引き出し時期を見て」
    「だいたい一年前ね」
    「そう。カミラがストーカーされ始めた頃だ」
    「そんな……たまたまでしょ。何の関係があるって言うの?」
    「さぁね、でも、きっと偶然じゃない」
    「答える気はないってことね。それじゃあ、さっさとその通帳を元の場所に戻してきて。じゃないと私があなたを逮捕する」鬼のような形相でリックを睨んだ。
    「おお、怖い怖い。でも無理だね。君はあくまで“元”ジュンサー。君に逮捕権は無い。それにそんな気無いくせに」悪戯っぽく言い返した。
    「ええそうね。でも、もしあなたのした事のせいで店の信用を失うことになったら、今までの犯行の証拠そろえて警察に突き出してやるから。“元”泥棒さん」リックの目の前に指を突き立てて詰め寄る。
     リックはこんな面白い発見をしたのにそっけない反応のリズに“つまらない”というふうに少し唇を尖らせた。
    「じゃああとで返しておくよ。僕はもう少し息子と話しがあるから他のことはよろしく」
    「あ、リック! こっち手伝いなさいよ!」
     しかしリックはさっさとキッチンの奥へ引っ込んでしまっていた。

     キッチンへ入ったリックはつま先立ちになっていた。キッチン内も荒らされているのだ。床には酒瓶の破片があちこちに散らばって、周囲はアルコールの匂いで充満していた。
     コンロの下の戸からヤカンを取り出すと水を入れ火にかけた。沸騰するのを待つ間にリックはコーヒーを探した。
     目当ての物は別の戸棚の中に入っていた。インスタントコーヒーは好まないがしょうがない。しばらく飲まれていないのかビンの中で塊が出来ていた。
     次にコーヒーを入れるカップを探した。戸棚の中にあるマグカップはどれもうっすらホコリを被っており一度洗う必要があった。
     ヤカンのお湯が沸き上がりコーヒーの粉末をいれたカップに注いでいく。リックはそれらを両手に持つと二階へ上がっていった。

     ライアンの部屋はティーネイジャー特有の全能感と性的倒錯と冒険心に包まれていた。
     ライアンにカップを渡すと雑誌の山を少しかき分け机の上に置き、薄茶けた合皮のソファに座った。隣を勧められたがリックはそれを断りカップを手に持ったまま部屋の中を歩き始めた。
    「君はポケモントレーナーにならないの?」部屋の中でも最も大きいポケモンリーグのポスターを見て尋ねた。
    「俺は……いいんだ。どうせトレーナーになったって成功できっこない」
    「そんなはず無い。君の父さんは立派なトレーナーじゃないか、君にだってきっと才能がある」
     するとライアンは突然笑いだし答えた。
    「ハハハ、僕の父さんはただの飲んだくれだよ。トレーナーとして成り上がれず場末の酒場で野垂れ死にかけてたのを母さんに拾われたんだ。それに母さんは……」
     ライアンは途中で余計な事を話しそうになって口をつぐんだ。
    「え、それじゃあ、例のバッヂは……?」
    「あれは母さんが現役の頃にゲットしたもの。父さんがそれを自分のもののように見せつけてスクールを始めたんだ」
    「つまり生徒を騙している?」
    「警察につき出すか? この事スクールに広める?」
    「いやいやそんな事したら僕がリズに八つ裂きにされてしまう。それに僕も人の事言えた義理じゃない」
    「どういう意味?」
    「僕は昔泥棒だった。たくさんの人を騙して大切な物を盗んでいた」
     ライアンは思わぬ告白に目を丸くしていた。
    「どうして?」ポツリとライアンが尋ねた。
    「さぁね、羨ましかったのかもしれない」
    「羨ましいって、何が?」
    「僕のターゲットだった人達はみんな大切な物を持っていた。見たり触れたりするだけで、幸せになれるような、勇気をくれるようなそんな何かだ。それが羨ましかった」
    「でもそんな物を盗んだってあなたには何の価値も無いじゃないか」
    「自分の物にしたかった訳じゃない。ただそれを彼らから奪うこと自体に意味があるんだ」
     最後にリックはライアンに「どういう意味だか分かる?」と尋ねた。
    「……分からないよ」
     ライアンは目を伏せ呟くように言った。

     ブレイク&マカリスターの事務所に戻るとリックはいつものカウチに寝っ転がり、リズはオフィスチェアに座った。リズは部屋の掃除を手伝わなかった事について小言を少し言ってから夫婦から聞き得た情報を説明し始めた。
    「盗まれたバッヂはヘンリーじゃなくてカミラのだったの。カミラがカントー地方を回ってゲットしたらしいわ」
    「それは知ってる」
    「で、カミラはヘンリーと出会って彼にスクールの開設を提案した」
    「どうして? カミラじゃなくてヘンリーがスクールを開くの?」
    「カミラはその時トレーナーとしてじゃなく、家庭をもって主婦になることにあこがれていたらしいの。ヘンリーの方はその逆でまだまだトレーナーとしてやって行きたかったけど自分の才能に絶望してた。それで、カミラが自分のバッヂをヘンリーの物に見せかけることを思いついたらしいわ」
    「磁石みたい。ピッタリだ」
    「あなたの方は何か息子から聞き出せた?」
    「だいたい今の話と一緒。ただ、息子はどうやら両親のことを快く思っていないみたい」
    「十五歳の少年なんてそんなものじゃない? ただの反抗期よ」
    「快く思っていないけど、嫌っているとも思えない。ま、それこそ反抗期、か」
    「ねぇ、やっぱりカミラの言っていた例のストーカーが怪しいんじゃないかしら?」
    「ストーカーは警察が調べてカミラの気のせいだってことになったんじゃないの? 昔の仲間は信じられない?」
    「彼らは有能よ。でも、絶対じゃない」リズは少し気まずそうだ。
    「それじゃ明日僕らがカミラを尾行してみよう。ストーカーを見つけられるかもしれない」
    「先にカミラに連絡しておくわ」そう言ってリズが携帯電話をかけようとする。
    「それはだめだ」リックがリズを止めた。
    「なんでよ?」
    「カミラには秘密がある。僕たちの尾行を知らせて行動を変えられたらストーカーに感づかれかねない」
    「そんな……もし、尾行がカミラにばれたら信頼を失う」
    「ねぇ、ブレイキー?」リックはリズを諭すかからかう時だけ彼女を“ブレイキー”と呼ぶ。
    「確かに君の元同僚は有能だ。でも、僕らはそれ以上だ。そうでしょ?」
    「まぁ……そうね」リズはまたリックが良からぬことを企んでいる気がしたが、とりあえずは携帯をポケットにしまった。

     リズ達の尾行は三日ほど続いた。カミラはその間毎日どこかへ出掛けていった。出掛ける時間は十時から昼過ぎとまちまちだったが帰りは決まって日没後だった。交友範囲は広くあちこち行っては新しい集団と輪になってヨガ教室やらショッピングを楽しんでいた。
     三日目の朝、リズとリックはカミラを追って電車に乗り込んでいた。車内は二人を含めて数人ほど。カミラは角の席に座り携帯電話にイヤホンのプラグを差し込んでいる。その反対の角の男の顔は見えず、目深にかぶったキャップの下から白いイヤホンのコードだけが覘いている。さらにティーネイジャーが三人、周囲の白けた雰囲気も我関せずという具合に先席で駄弁っている。そんな中、リズ達はカミラから距離を開けるように別のシートに座った。
     
     リックはスマホを取り出しなにやら見ている。リズは仏頂面で黙りこくっている。車両内は若い男たちの下卑た笑い声以外静かだった。
     電車があと2、3分で駅に着くという頃。突然リックが立ち上がり男の方へ寄って行った。――あのすいません、うるさいので静かにしてもらえます?

     男はリックの声が聞こえなかったらしく、片耳からイヤホンを外すと「なんですか?」と聞き返した。
    「いや、そのイヤホン、音漏れがきつくって。もうちょっと静かにしてもらえませんか?」
     突然向かいの席からやってきて音漏れを指摘する男を怪訝な顔で見ると「何言ってるんだ。あっち行っててくれ」と外したイヤホンを戻そうとした。
    「ところで君なに聞いているの?」言うが早いか、リックは男のイヤホンをひったくるようにして奪い、自分の耳に差し込んだ。
    「おい、何するんだ!」男は怒っていた。慌ててイヤホンを取り返そうとするがリックはがっちりつかんで離さない。
    「ふぅん、なかなかいい趣味してるねぇ?」
     イヤホンから聞こえてきたのは音楽ではなく、集音器による車内の音だけ。そうこうしているうちに次の駅に着き、カミラは降りて行った。
    「ねぇなにやってるの? リック」
     リズがこっちにやってきた。「いいの? ……あれ」 “あれ”とはカミラのことだ。幸いカミラはイヤホンを付けたままでこっちの様子には気づいていないようだった。
    「いいの。今はこっち」
     男はしくじったというふうに頭を抱えている。
    「ねぇ、ちょっといっしょにコーヒーでも飲みに行かない?」
     リックは面白くて仕方ないらしい。屈託なく笑っている。

     カミラが降りた次の駅で三人は降り、今、構内のカフェで丸テーブルを囲んでいる。
    「盗聴なんていい趣味してるわね。カミラのストーカーってあなたのことだったの?」リズはまるでジュンサーだった頃のように詰問する。
    「何も答える気は無い。俺に構わないでくれ」男はさっさと立ち上がろうとする。リックはそれを軽く制止すると「答えなくていい。当ててみせるよ」と言った。
    「君は私立探偵だ。ヘンリーの依頼でカミラの浮気の証拠を集めている」
     男の方は返事に詰まりただただポカーンとリックの顔を見ていた。
    「浮気!? カミラが!?」リズも驚いてリックに聞いた。
    「そう。でも、仕事は難航してるんじゃないかな?」
     男は諦めたように頭を振ると「絶対に誰にも言わないと約束するか?」と聞いた。
    「もちろんだ。約束するよ。母さんの墓に誓ってもいい」相変わらずリックは一言多い。
    「カミラの浮気は一年前から。相手はヘンリーのスクールの生徒でジミーって言う」
    「そこまで分かってるならどうして手こずるのよ」リズが聞いた。
    「カミラはあの忌々しいゾロアークを使ってジミーを幻影で隠しちまうんだ。そのせいで写真が役に立たない。使えるのは“音”だけだ」そう言って録音器を指先でコツコツと叩いた。
    「その……カミラとジミーの関係は間違いないの?」
    「間違いない。付き合い始めの頃に二人でホテルに入っていくのを複数人から証言がとれてる。もちろん全部ゾロアークを手に入れる前の話だが」
     リックとリズは顔を見合わせると席を立った。
    「なぁあんたら本当に黙っててくれるんだよな? 仕事のこと他人に話したなんて広まったら俺はおしまいだ」切羽詰まったようにリックに詰め寄る。
    「あぁ、言っただろ、母さんの墓に誓うって」リックはイタズラっぽくウィンクした。信じられるかどうか分からず途方にくれている男を残し二人はカフェをあとにした。

     駅に向かう道でリズが尋ねた。
    「で、どうして分かったのよ?」
    「彼の事? 今時、電車の中でスマホを弄らない二十台はそうはいない……君は例外だけど、彼はずっとカミラのことをチラチラ見ていた。あと、イヤホンの音漏れを指摘されたら多少おかしいと思ってもポケットからプレイヤーを出すもんだ」
    「そうじゃなくて、浮気の事。前に家に行った時はとても仲の良い夫婦に見えたのに」
    「残念ながら見せかけだね。へそくりを使い果たして買うには化粧品もバッグも高価すぎるし、ヘンリーは妻に言いなりの下僕。それに、本当に幸せな家庭からは独特の匂いがする」
    「匂い?」
    「そう、匂い。でも、あの家からはカミラの下品な香水とヘンリーのタバコと安酒の匂いしかしなかった」
    「全部憶測じゃない! とても推理とは言えないわ」
    「でも当たってたよ」
    「えぇ、そうね。じゃあ、最後に一つだけ」
    「何?」
    「私ついこの間あなたのお母さんからクッキーのおすそわけを頂いたばかりなんだけど、いつの間にお墓が建ったの?」
    「うーん、世の中に『母さん』と呼ばれていた偉大な人物の墓はごまんとあるじゃない?」
    「もういいわ」
     リズはもう聞きたくないとばかりに手を振るとそそくさと歩き出した。

     事務所の中でリックはコーヒーを淹れていた。
    「ただいま。リックいる?」 リズの帰ってきた声がする。探偵の言っていたジミーから話を聞きに行ってたのだ。
    「おかえり。君も飲む?」リックが持っていたカップをかざした。
    「おねがい」
     ソーサーからリズのマグカップにコーヒーを注いでいく。リズは疲れたとばかりに自分の席にどっかと腰かけた。
    「で、ジミーからは何か聞き出せた?」カップをリズに渡しながら聞いた。
    「ジミーは去年の春からカミラと付き合いだしたらしい。スクールにヘンリーを迎えにきたカミラをジミーの方から声をかけたんだって。それが半年くらい前に分かれたと。理由はカミラの方から別れ話を切り出されたからよく分からないって言ってた」
    「随分あっさりしてるんだな。それでジミーは本当に諦めたの?」ジミーが件のストーカーに成り得るかということだ。
    「もともとジミーの方は半分遊びで、カミラの羽振りが良かったから主にはそれ目当てだったんだって。金は惜しいだろうけどそれ以上にカミラに未練は無さそう」
    「空っぽのへそくりはそれか」
    「恐らくね。時期的に考えて例のへそくりが切れてカミラも遊びを止めたってことでしょうね」
    「これでストーカーの手がかりゼロね」リズは溜息を吐く。
    「あれ? これってストーカー探しの案件だったっけ?」
    「とぼけないでよ。ストーカーの事聞き出したのも、あの探偵を見つけたのもあなたでしょ」
    「誰もストーカーがジムバッヂを盗んだなんて言っていない」
    「はぁ? じゃあ誰なのよ? 本当にただの無差別な空き巣犯ってこと?」
    「それも違う」
    「じゃあ一体誰の仕業なのよ?」
    「あの家族を本当に愛している者」
    「ふざけないで。私たちはジムバッヂを見つけ出す依頼を受けているの。早く探さないと」
    「まぁまぁ、落ち着いて。今週中にバッヂは戻っているはずだから」
     リックはいつものように屈託ない笑顔を浮かべると自信満々にそう言った。
     リズは全く納得いかなかったがリックの言う通りにした。彼は急かしても聞かないし、いつだって自分が楽しむことが第一優先だからだ。

     ブレイク&マカリスターの事務所では今落ち着かない様子の探偵の前に、リズとリックが並んで来客用のイスに座っている。
    「なぁ、俺はもう知ってること話したはずだ。なんでこんなとこ呼ばれなきゃいけないんだ」探偵、ことトム・マッシュバーンは焦っていた。
    「トミー、君を呼んだのはこの前のことを謝りたくて。仕事中の君を振り回してしまった」リックはいかにも申し訳なさそうに言った。
    「今、こうして呼び出されている間も俺としては迷惑極まりないんだがな」しおらしくしているリックに少し強気に言い返した。
    「まぁ、そう言いつつも君はこうしてここまで来てくれたわけだが。優しいのかな? それともこの前の事ヘンリーにばらされるのが怖かった?」
    「う、うるせぇ! もしもヘンリーに余計なこと言ったら……」トミーは立ち上がりリックに詰め寄ろうとした。
    「落ち着いて。君の邪魔をしたい訳じゃない。本当にこの間のことは申し訳なく思っている。そのお詫びにこれを君に差し上げたい」リックはそう言って一枚のSDカードを差し出した。
    「これは何だ?」
    「カミラとジミーの浮気の証拠だよ」
    「なんだって!? どうしてそんなもの」
    「どうやって手に入れたかは聞かないでくれ。お互いの為だ」
    「中身を確認しても?」
    「もちろん構わない。どうぞ」
     持参したラップトップにカードを差し込んだ。
     すると中からカミラとジミーの交わした生々しいe-mailの文章が出てきた。
    「しかしメールの文章だけじゃ証拠にならない」
    「写真もあるよ」リックはラップトップを自分の所に寄せ操作した。
    「ほら、これ」
    「やった! やったぜ。これならいける!」大喜びだ。
    「それじゃあ後はよろしく」

     探偵が帰ったあと、リズはやっと溜まっていた疑問をリックにぶつけることが出来た。
    「どうやったの? あのメールと写真はいつの間に?」
    「メールは僕が作った。写真の人はカミラじゃなくて“君”だ。この前ジミーに話を聞きに行った時のもの」
    「ちょっと、何やってるのっ! 偽物の証拠渡すなんて! しかも映ってるの私って……」
    「もちろん君の顔は映ってないよ」
    「そういう問題じゃない! あなたは依頼人の夫婦を破局させたいわけ!?」
    「あれで分かれるならそれまでの夫婦だよ。大体カミラの浮気は本当のことだし、ヘンリーは探偵まで雇っていたんだから時間の問題だよ」
    「まったく……」 
     リックの勝手は今に始まった事ではないが毎度頭を抱えさせられる。

     二度目のヘンリー宅では家の外からでも聞こえる声で夫婦が喧嘩しているようだった。
     リックは呼びベルも使わずずかずかと家に入っていった。後ろから気まずそうにリズがついてくる。
    「ずっとお前を信じていたのに! やっぱり浮気してたんだな!」ヘンリーが怒鳴っている。
    「こんな証拠嘘よ! 私もうジミーには会ってない!」カミラも負けじと言い返す。どうやらライアンはまた二階に避難しているようだ。
    「『もう』? 『もう』ってことは会ってた事を認めるんだな!?」
     カミラは口が滑ったというように一瞬ひるんだ。
    「分かった、認めるわ。でも、もう半年も前のことよ。こんな写真偽物よ」カミラは開き直っている。
     夫婦は自分たちの喧嘩に気を取られリック達が入ってきた事に気付いていない。
    「あの……ちょっとよろしい?」リックが間に割っていった。
     その時初めて夫婦はリックとリズの存在に気付いたようだ。ヘンリーは我に返ったように恥じ入った顔でリックを見ている。カミラは驚いたようではあるが依然開き直っている。
    「リックさん……これは、気付かなかった。今、大事な話をしている途中でまた後でいいですか?」ヘンリーが何とか気持ちを落ち着かせながら言った。
    「ですが、重要なお話で……」
    「なんですか?」カミラが聞いた。カミラはヘンリーと違い余裕を見せつけるように言った。
    「バッヂが見つかりました」リックが手に持った紙袋をヘンリーに向かってかざした。
    「本当か! それは良かった」ヘンリーが紙袋を受け取ろうとリックへ寄っていく。
    「待ちなさいよ。それは私の物よ」カミラがヘンリーを引き留めた。
     伸ばしかけていた手を引っ込めカミラを振り返る。
    「どこまでも傲慢な女だな! 家族を裏切った上にバッヂまで奪うつもりか!?」
    「裏切られた気になっているのはあなただけよ。ライアンは私と一緒にここを出ていく。もちろんバッヂもね。元々、私のなんだし当然でしょ」
     ヘンリーは今にも激高のあまり言葉にならないようだった。
    「貴様……ライアンまで……許さない!」
     今にも飛び掛かりそうなヘンリーをリズが制止した。
    「落ち着いてくださいヘンリーさん。ちょっと、座ってください」
     ヘンリーはリズを押しのけんばかりであったが、ようやくソファに座りなおした。
    「で、リックさん、結局バッヂはどこにあったんだね?」ヘンリーが尋ねた。
    「それより前に……」リックがもったいぶって口を閉じた。
    「ライアン! そこにいるんだろ。いいのかい? この箱を君の母さんに渡すよ? 母さんはこのバッヂを持って父さんを置いて出ていくと言っているよ」
     リックは階段の影に隠れているライアンに呼びかけた。
    「ライアンだって? ずっとそこにいたのか」
     するとライアンが姿を現した。
    「嘘だ。それがバッヂのはずがない」ライアンの顔は蒼白になっていた。
    「いや、本物だ。私が見つけ出した」リックは落ち着き払っている。
    「リックさん、その袋の中を見せてもらっていいかしら?」カミラが口を開いた。
    「あー……どうぞ」リックは少し躊躇う様子を見せたがカミラに紙袋を渡した。
     カミラは袋の中から白い額縁と同じくらいの大きさの箱を取り出すと蓋を開けた。
    「これは……」カミラが目を丸くして中を見ている。その隣からヘンリーを身を乗り出し中を見た。ライアンは蒼白な顔のまま唇をわなわな震わせている。
    「どういうつもりだね? これは」ヘンリーがリックをひたと見据え問いかけた。

     箱の中身は空っぽだった。
    「これはどういうつもりですか、リックさん。私たちをからかっているのかしら?」カミラもリックを睨んでいる。
    「すいません。結局、バッヂは見つけ出せませんでした。でも、あなたたち二人はこの中に本当にバッヂがあると思ったのに、一人だけ私の嘘を見抜いていた人がいる」
     リックがそう言うと夫婦は咄嗟にライアンの方を向いた
    「ライアン、君だけは僕の嘘を見抜いていた。どうして分かったんだい?」
     ライアンは目を伏せて答えない。
    「ライアン、答えて。あなたがバッヂを持っているの?」カミラが聞いた。
    「正直に話すんだ、ライアン」ヘンリーも息子に諭した。
     ライアンは立ち尽くしたまま何も言わない。そんなライアンを見てリックは話し始めた。
    「初めてこの家に来た時から空き巣の仕業でないことは分かっていた。散らかった本の上にガラス片が乗っているのは内部犯が外からの侵入に見せかけたからだし、ヘンリーの酒瓶もカミラの化粧道具もめちゃくちゃに荒らされていたのに家族の写真だけは丁寧に本棚の真下に置いてあった。つまりこれは誰かこの家族を本当に愛している者のしたことだって分かる」
     一呼吸置くとリックはライアンに尋ねた。
    「君は両親に仲直りさせたかっただけじゃないのか? だから二人の出会いのきっかけだったバッヂを隠した。家族の絆の証を取り戻すことに必死になってくれると信じたから」
    「……そんなんじゃない」ライアンの声は消え入るようだった。ライアンは二階へ駆けあがっていった。部屋に閉じこもったようだ。
     ヘンリーとカミラは思わぬ展開に言葉も失って駆け去るライアンを見ていた。
    「あなた達! 何をぼーっとしてるの!! 早く追いかけなさい!!」リズが初めて依頼人達に怒号を上げた。
     リズの呼びかけにはっとなった夫婦は弾かれたように二階へと駆け上がっていった。
    「これで一件落着だね! 良かった」リックはにっこり笑ってリズに言った。
    「ええ、そうね。これでやっとあなたと仕事のやり方についてじっくり話し合えるわ」リズの表情はいかにも穏やかであったが、リックはこの後訪れるであろう彼女の長い説教を想像してげんなりした。
     
     ライアンの部屋から無事バッヂの入った額が発見され、リックはカミラに呼び出され例の空き部屋で並んでベッドに腰かけていた。ライアンと話し合い夫婦はそれぞれ仲直りができたようだ。今、リズはヘンリーに嘘の謝罪と、それでも何とか報酬を受け取れないか交渉している。
     二人は手にはウイスキーをワンショット注いだグラスを持っている。リックはストレート、カミラはロックで。
    「呼び出してごめんなさい。今回は本当にありがとう。おかげで二人に私の過ちの事、許してもらえたわ」
    「いやいや、それはライアンのおかげですよ。私は依頼の品を探し出しただけで」
     リックは一口ウイスキーを飲むと続けた。
    「それだけ言うために呼び出したんじゃないですよね?」
     するとカミラは気まずそうにコップの中の氷を見つめた。
    「最後に聞いておきたくて……あなたはどうして泥棒を辞めたの?」
    「あぁ……ライアンから聞いたんですね。どうしてだろ、捕まるのが怖くなったのかな」あはは、とリックは笑ってごまかそうとした。
    「言いたくないならこれ以上聞かないわ。ただ、今回ライアンがあんなことして、もし、その……」カミラは言いにくそうに口ごもった。
    「私の様な犯罪者になったら困る?」リックは言葉の先を拾った。
    「えぇ、気を悪くされたらごめんなさい。でも、こういうのって癖になるって聞いたから」
     リックはどう答えようか迷っていた。うまく説明しにくい。
     手元のグラスを一気に飲み干すと、溜息をついた。
    「私が盗みを働いたのは、皆それぞれに、傍にあるだけで『幸福』や『勇気』を与えてくれる大切な物を持っていたから。当時の僕には無かったものだ。それがどうしても羨ましくて、それを持っている人が妬ましかった。でも、今の僕にはそれがある。これからは誰かの大切なものを奪うのではなく、自分の大切なものを守っていこうって思ったんだ」
    「あなたの大切なものって?」カミラが聞いた。
    「はは、それは……」リックは赤面して言葉に詰まった。
     直後に階下からリックを呼ぶ声が響いた。
    「マック! そろそろ帰るわよ」リズの声だ。
    「あ……すいません。もう行かないと」リックは立ち上がり空のグラスをカミラに預けた。
    「そのようね」カミラは笑顔でそれを受け取った。
    「では、失礼します」リックが部屋を出て行こうとする。
    「あの、リック」カミラが呼び止めた。
    「なんでしょう?」
    「あなたの大切なもの、ずっと守っていってあげてね」カミラは真っ直ぐリックを見つめ言った。
    「……必ず」
     言葉少なにリックは部屋をあとにした。



      [No.1632] リックとリズの遺失物捜索ファイル 投稿者:生喰   投稿日:2019/05/01(Wed) 12:38:24     17clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    自身二つ目の連載です
    サスペンスのつもりですがこっちは、人は死にませんので悪しからず


    遺失物:
    1 忘れたり落としたりした物。遺失品。
    2 法律上、占有者の意思によらずにその所持を離れた物。拾得者はそれを持ち主に返すか、または警察に届けるかしなければならない。


      [No.1631] 短編その二 プラネタリウムの子守唄 投稿者:空色代吉   投稿日:2018/12/10(Mon) 23:47:33     33clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    とある【ソウキュウシティ】の昼下がり。
    明日はヒンメル地方でスワンナ座流星群が見える日……だったのだけどあいにくの雨が続いていた。
    【カフェ・エナジー】にて、カツミ君とリッカちゃんがとても残念そうに項垂れていた。
    テーブルにうつぶせになった二人が唸る。

    「ココねーちゃーん……グラードン呼んできてよー、ひでりで雨雲晴らしてよー」
    「それかミミッキュで『りゅうせいぐん』降らして……」
    「無茶言わない。ミミッキュはドラゴンタイプじゃないしグラードンも呼べないわよ」
    「「ええー」」
    「今回は諦めるしかないわよ……まったくアサヒさんとビドーさんからも言ってやってちょうだい」

    急に話を振られた私とビー君は驚いてサイコソーダ(スワンナ座流星群スペシャル)でむせた。その突然の出来事にビー君のリオルとカツミ君のコダックがびっくりしていた。
    立ち直りの早かったビー君が、少し考えた末申し訳なさそうに言う。

    「う……俺のオンバーンも『りゅうせいぐん』の技は憶えてねーんだ。力になれそうになくて悪いな」
    「そっかあ……」
    「仕方、ないのかな……」

    ビー君に淡い期待を寄せて、でも無理そうだとわかりため息を吐く二人。だいぶ凹んでそうな二人を見ていて、どうにか流星群を見せられないかなという気持ちが募っていく。
    なんとかしてあげたいあ……いったい、どうしたらいいんだろう?


    **************************


    結局いいアイデアが思いつかないまま夜になってしまって、私は自室で定期的に電話連絡を取っているアキラ君にぼやいていた。

    「――昼間そういうことがあってさ。なんとか流星群見せてあげたいなと考えたんだけど、全然思いつかなくって……どん詰まりだよ、アキラ君……」
    『だからってアサヒ。僕に話を振られても……この辺そんなに詳しくないんだけど』
    「だよねえ。でもアキラ君ならいいアイデアとか知ってそうな気がして」
    『買いかぶり過ぎだって……君の中での僕っていったいどうなっているんだか』

    うん、困った時に頼っちゃいたくなる相手であるのは、間違いないんだけど。
    改めて私の中でのアキラ君がどういった存在となると、やっぱり初めて出会った時に抱いた第一印象が今でも脳裏によぎる。

    「えーと、物知り博士というか、私よりぜったい賢そう」
    『なんだかな。あんまり嬉しくはないな』

    あんまりいい反応ではなかったので、私は慌ててしまう。

    「ご、ゴメン。そうだよね、あんまり頼りっぱなしじゃなくて、自分でも考えないと駄目だよね……」
    『そうだよ』
    「はい……すみません……」

    しょげると、アキラ君が珍しく鼻で笑った。少しびっくりしている間に彼は提案をしてくれる。

    『……まあ、でもあんまり頼ってくれないのもそれはそれで嫌だけどね――【スバル】に小さなプラネタリウムあるけど。それならどう?』
    「!!! さすがっ、アキラ君さすが!!!」
    「まったく、調子がいいんだから」

    仕方ないと言いたげだけど、どことなく楽しそうなアキラ君の声に、私もつられて楽しくなってしまった。

    そんなこんなで、ココさんに連絡を入れて、急きょ【スバルポケモン研究センター】にリッカちゃんとカツミ君を連れていく事になった。


    **************************


    翌日。
    私とビー君はサイドカー付きバイクに乗って向かうとして、肝心のココさんリッカちゃんカツミ君たちの移動手段を確保していないことに気づき、急きょ同居人のユーリィさんが車を出してくれることになった。

    「…………別にいいけどさヨアケ・アサヒさん。もうちょっとさ、昨日のうちに気が付いてよね」
    「ごめんなさい、ありがとうユーリィさん……」

    ユーリィさんは、なんか私が勝手に怖がっているだけだけど、ちょっと怖い。
    彼女も彼女で、私のことが苦手だそうで、余計どう接したらいいのかわからない。
    そんなぎくしゃくしている私たちをカツミ君はなんか不思議そうに見てくる。

    「ユーリィ姉ちゃんもアサヒ姉ちゃんどうしたの?」
    「「なんでもないよ」」
    「変な二人」

    変なのはその通りだし、何とか仲良くなりたいような気もするので、頑張って話題を振ろうとする。

    「ユーリィ……さん!」
    「なに」
    「ユーリィさんはもし流星群見れたら、何お願いする?」
    「雨降っているけど」
    「もし、だよ」
    「…………ビドーが……」
    「えっ、ビー君が?」

    意外な名前が出たので、ついドキドキしながら続きを聞く。
    「変な意味じゃないんだけど」と彼女は前置きして、そして……

    「早く前髪切らせてくれる気にならないか願うよ」

    ……割と本音っぽいところを喋ってくれた。
    盛大にくしゃみするビー君を遠目に、話を続ける。

    「あーなんとなくわかる」
    「ヨアケさんもだよ。髪、ちゃんと手入れしないと駄目だからね。毛先跳ねまくりじゃん」
    「もとから癖毛で……」
    「それは面倒くさがっている言い訳。そういうところすぐに出るからね」

    美容師って職業柄もあるのだろうけど、結構、心配してくれているのかな、私の髪の毛。

    「……ユーリィさんに、お願いしてもいいのかな」
    「使えるものは、もっと使えば?」

    トゲのある言い方だけど、OKを貰えたということにしておこう。
    ……だって、このやりとりを遠目から見ていたチギヨさんとハハコモリが微笑まし気にこちらを見ていたから。
    そしてユーリィさんはモンスターボールを投げて野次馬に技を指示。

    「ニンフィア! スピードスター!」
    「うわなにすんだユーリィ!」
    「なにはこっちの台詞よ。何しに来たのよあんたたち」
    「お前らが星見に行くっていうから用意してたんだっつーの!」
    「は? 用意?」

    ハハコモリが衣装箱を手渡してきたので、思わず受け取る。

    「へっ、星と言えばこれだろ!」


    ***************************


    「…………プラネタリウム見に来たんだよね、アサヒ?」
    「はい、そうですね」

    【スバル】についた私たちを出迎えてくれたアキラ君がまず一言ツッコミを入れる。

    私たちは、チギヨさんに押し切られた格好をしていた。
    (“五属性”のプリムラさんが東方には星を見るときYUKATAを着るという習慣があるらしいって言っていたじゃあないか! という訳で全員分揃えたぜ!!)

    そう、浴衣。簡単に着ることのできる仕組みの浴衣っぽい衣装に身を包んでいた。(運転していたビー君とユーリィさんは後から着替えた)
    仕立屋のチギヨさん。着物好きのプリ姉御の大ファンだからなー。何かとジョウトで見かけるような和柄の服も取り扱っているんだよなー。

    「やっぱり変かなあ浴衣」とぼやいたら、ビー君が間髪入れずに。「似合ってるんじゃねーの。状況にあっているかはともかく」と珍しく言ってくれた。
    アキラ君はそんなビー君を一瞥すると、ため息をひとつついた。
    リッカちゃんが「トライアタック……?」と謎のつぶやきを零していてココさんがくすりと笑った。

    「じゃあ、案内するよ。レイン所長には許可取ってあるから」
    「お願いします、アキラ君」


    ***************************


    アキラ君に案内され、そこそこな広さのプラネタリウムドームにたどり着く。
    私たちは横傾いた座席に座り、ドームが暗くなるのをじっと待った。

    「それじゃあ、あまり上手くはないけど、プラネタリウム上映会を始めるよ」

    プラネタリウムの機械の前で、アキラ君はスタンバイする。
    もしかして、アキラ君がアナウンスしてくれるの? そう声に出して聞こうとして、思いとどまる。
    ドームが暗くなるにつれ、暗くなる夜空のようにその散りばめられた星の輪郭ははっきりしていく。
    アキラ君の声に合わせた方角を見上げていくと、大きな星同士の間に光のラインが結ばれていき、絵が浮かんでいく。
    よく占いなんかで見る星座も多く、また星座に関する簡単なエピソードなんかも紹介してくれた。大三角の紹介のあと、星が一つ、二つと流れ始める。
    スワンナ座の、流星群だ。ちゃんとリクエストに応えてくれたのだろう。カツミ君もリッカちゃんも大喜び。ココさんもユーリィさんも、ビー君も圧倒されていた。
    流れ星が終わり、プラネタリウムも終わりかな? と思ったその時。

    「あっ大きな流れ星……!」
    「すごい! 大きい!」

    画面の端から端をほうき星が流れ始める。

    (いや、これは……またにくい演出をするなあ)

    彼の最後の星の紹介。それは、彼なりのエールだった。

    『これは千年彗星。宇宙を旅して、千年に一度だけ僕らの星に近づいてくる星だ――――どんなに離れても、この彗星と僕らの星はまた再会できる。この世界はそういう仕組みになっているんだ』

    その言葉は私に向けてでもあるのだろうけど、他のみんなにも伝わっていた。
    どんなに時間がかかろうと再会を望めばきっとまた会える。
    そんなメッセージに私は、私たちは受け取ったんだ。


    ***************************


    プラネタリウムドームから出て、はしゃぐ子供達二人組を眺めながら、飲み物を飲んで、一息ついていた。
    外は相変わらずしとしと雨だ。でも止まない雨はないと思うのと同じくらい、晴れない闇もないんじゃないかな、なんて淡い希望をその時だけは抱きたいなと思った。
    それだけ、彼の言葉には力がある。改めてそう思わされる一日だった。





    * * *

    あとがき

    時系列ちょっと先の閑話日常回短編でした。


      [No.1630] Re: 明け色のチェイサー 第一話簡易感想 投稿者:空色代吉   投稿日:2018/11/18(Sun) 21:23:43     24clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    感想ありがとうございます!!
    賭けに出ざるを得ない状況を待っている
    というのはビドー視点で今まで突っかかったシザークロスに、ジュウモンジに何か弱味を握られるのではないかと勝手に警戒して想像しての言葉ですね。
    ジュウモンジ気に入ってくださりありがとうございます……!


      [No.1629] Re: 明け色のチェイサー 第一話簡易感想 投稿者:ion   投稿日:2018/11/18(Sun) 14:47:45     31clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    拝見しました。感想失礼します。
    キャラデザも凄いなーと絵だけは拝見していたけど、最初からクライマックスじゃないですか!(テーマが重い)
    ジュウモンジさんの造形が印象に残りました。理解力に欠けていて、わからないままでもよかったのかなあと思いましたが、賭けに出ざるを得ない状況を待っているとはどういうことだったのでしょうか。
    多方面に思いやりを持っている感じがして、敵であるビドーに対しても一定のリスペクトを忘れない彼の姿勢、本当にいい人だな、と感じました。
    そして最初から踏み込まれて描かれるポケモンと人間の関係について。よかったです。ありがとうございました。


      [No.1628] #150365付帯資料1 投稿者:   《URL》   投稿日:2018/05/04(Fri) 20:23:46     25clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    Subject ID:
    #150365

    Subject Name:
    『Violet Wailordは君に死を賜う』

    Registration Date:
    2017-08-25

    Precaution Level:
    Level 2


    Handling Instructions:
    事象#150365の発生を確認した場合、事象#150365が選出したターゲットについて標準手続きによる情報収集を行い、対象#150365として指定してください。対象#150365はフィールドワーカーによって監視され、事象#150365の進行状況について記録されます。事象#150365において対象#150365が実行を試みるタスク#150365については、いかなる場合においても進行を妨害してはなりません。タスクの実行に失敗したケースについては、事案報告書F-150365-1の様式に沿って報告する必要があります。個々のタスクについては、事象#150365に子番号/孫番号を付与して管理されます。事象#150365-9における13件目のタスクは、事象#150365-9-13として管理されます。

    事象#150365の発生後にオブジェクト#150365から対象#150365に向けて送信された種々のデータ(テキスト/画像/映像)は情報#150365として管理してください。一件の事象#150365について複数の情報#150365が送信されることが通例となっているため、各々の情報#150365は子番号/孫番号を付与して管理します。事象#150365-11における4件目の情報#150365は、情報#150365-11-4として管理されます。局員が情報#150365にアクセスすることによる案件管理の阻害を防止するため、これらの情報#150365の実例は、レベル5セキュリティクリアランスを保有する局員のみ閲覧することが許可されています。閲覧に当たっては、当局の定める標準機能を備えた汎用シンクライアント端末を使用することができます。

    オブジェクト#150365の追跡は、レベル5セキュリティクリアランス保持者による専任のチームが担当します。チームにアサインされた局員はオブジェクト#150365の活動を阻害しないよう注意を払ってください。適切なセキュリティクリアランスを保持しない局員については、オブジェクト#150365に関するアクションは全面的に禁止されています。勤務時間外にオブジェクト#150365に接触した場合、速やかに案件担当者に報告してください。報告を受けた案件担当者は、人事部門まで報告してください。専任のチームが局員にカウンセリングを実施します。

    対象#150365がオブジェクト#150365より受領した物品#150365については、これまでのところ顕著な特異性は認められていません。対象#150365との接触方法を鑑みて、物品#150365が回収されることはありません。物品#150365が何らかの特異性を示した、或いはその可能性を示唆した場合、プロトコル・ブロッサムに基づいて物品#150365は当局によって接収されることになっています。これまでのところ、プロトコル・ブロッサムが発令された記録は存在しません。

    収集された対象#150365に関する情報には、レベル5セキュリティクリアランスを保有する局員のみがアクセスできます。当局とは直接関係のない個人を特定可能な情報が含まれるため、アクセスに当たっては当局の定める標準的な情報管理手続きに従う必要があります。


    Subject Details:
    案件#150365は、一定の条件を満たしている市民(対象#150365)が認識する未知の存在(オブジェクト#150365)、オブジェクト#150365との接触から始まる連続した事象(事象#150365)、事象#150365においてオブジェクト#150365から伝送される種々のデータ(情報#150365)並びに種々の物品(物品#150365)、及びこれらに係る一連の案件です。

    少なくとも2013年頃から、利用者数の多いソーシャル・ネットワーク・サービスにおいて、本案件に関する情報が確認されていました。情報は「『青のホエルオー』を見つけると危険なゲームに参加できる」というような形で流され、それに興味を抱いた利用者が「青のホエルオー」を捜索する、という流れで拡散された経緯があります。これに一致する、または類似した情報が確認されたSNSとしては、本稿執筆時点で「Twitter」「Facebook」「Instagram」「微博」などがあります。これらより利用者数の少ないSNSにおいても「青のホエルオー」に関する情報が展開された可能性があります。

    オブジェクト#150365は、「紫のホエルオー」が撮影された出所不明の写真です。「青のホエルオー」ではありません。写真は一般的なJPEGフォーマットで作成され、多くの場合解像度は1024x768、Exifをはじめとするメタデータは記録されていません。元はより大きな解像度だったものが縮小された形跡が見られます。自発的な意思に基づいて「青のホエルオー」を探す過程でオブジェクト#150365を視認し、かつ一定以上の希死念慮を抱いていると認められる人間は対象#150365となり、直後に事象#150365が開始されます。

    事象#150365は、オブジェクト#150365から対象#150365に向けて実行するよう指示される「社会復帰プログラム」であり、またオブジェクト#150365から伝達される「タスク」の総称です。タスクはテキスト/画像/映像のいずれかの形式で対象#150365へ送信され、オブジェクト#150365はタスクを実行するよう対象#150365に指示されます。プログラムはこのタスクをクリアすることで進行し、また新たなタスクが割り当てられるという形で継続されます。

    事象#150365のプログラムにおける具体的なタスクの抜粋は以下の通りです。


    [事象#150365-11-2]
    形式:画像
    内容:「午前6時に起きて部屋の窓を開けろ」

    [事象#150365-4-3]
    形式:メール
    内容:「見えるところに「自分のしたいこと」を書いた紙を張り付けろ」

    [事象#150365-42-6]
    形式:映像
    内容:「家族と顔を合わせて話をしろ」

    [事象#150365-7-10]
    形式:インスタントメッセージ
    内容:「部屋の外に出て風景を見ろ」

    [事象#150365-15-12]
    形式:インスタントメッセージ
    内容:「近くの食料品店でチョコレートを購入しろ」

    [事象#150365-22-18]
    形式:画像
    内容:「***(教職員の個人名)に考えていることを打ち明けろ」

    [事象#150365-34-24]
    形式:映像
    内容:「かつて世話になった人間に直筆の手紙を送れ」

    [事象#150365-1-30]
    形式:メール
    内容:「幸せに生きてから自殺以外の方法で死ね」


    事象#150365が進行するに連れてタスクの内容はより困難になり、協調性や社会性を必要とする性質を帯びていく傾向にあります。対象#150365はあらゆる手段を講じてタスクを実行しようとし、それに際して周囲と社交性の獲得に際して必然的に起こりうる衝突や軋轢が発生することがありますが、これは通常の情動に基づいたものであり、事象#150365やオブジェクト#150365が攻撃性を引き出しているという性質のものではありません。タスクを29回達成すると、オブジェクト#150365は天寿を全うすることを最後の指示として与え、以後対象#150365とは接触を持たなくなります。この時点で事象#150365は終了するものとみなされています。

    対象#150365がタスクを達成するたびに、オブジェクト#150365は「褒美」として物品#150365を対象#150365に与えます。過去に確認された物品#150365としては、食料品/玩具/筆記用具/現金/プリペイドカードなどがあります。これらはいずれも非異常性の物品であり、基本的に容易に入手が可能なものです。一部に非売品が含まれていたケースが存在しますが、それらは単に非売品という形で市場に流通しているに過ぎません。

    オブジェクト#150365は自分の意思を持っているかのような振る舞いをすることが確認されています。対象#150365に対して「『青のホエルオー』は簡単に見つかるが、俺のような『紫のホエルオー』はそうそう見つからない。お前はよほど運が悪いらしい」とメッセージを送るほか、タスクの実行に失敗した対象#150365に対して「失敗したから終わりだと思うか? そんなことは無い。何度だってチャレンジできるんだ」と伝達し、同じタスクに再チャレンジすることを促します。結果として、事象#150365の完遂まで決してプログラムは終わらず、対象#150365は例外なく社会復帰に至ります。

    事象#150365に巻き込まれた対象#150365が例外なく正常な社会復帰に至っていることから、本案件は継続的にオブジェクト#150365を監視する体制を取るが、具体的な収容は実行しない案件として管理されています。本案件に関係する情報を得た局員は速やかに案件担当者へコンタクトを取り、情報提供を行ってください。

    これまでのところ、オブジェクト#150365が語る「青のホエルオー」の実在は確認されていません。


    Supplementary Items:
    以下は本案件の統括担当者が記載した、オブジェクト#150365に関する性質及び公開ドキュメントの記載に関する注釈です。

    オブジェクト#150365の性質にはいくつもの顕著な異常性が認められ、本来的には当局が収容すべき存在と言えます。しかしながら、その異常性は一貫して市民の社会復帰をサポートし、人生を平穏なものにする手助けをすることにのみ使われています。オブジェクト#150365は異常ではありますが危険ではなく、彼または彼女が起因となって何らかの事件・事故に発展したケースは確認されていません。オブジェクト#150365の存在は多くの市民を救いこそすれ害するものではなく、また当局に対する敵対的な姿勢も見られません。このことから、当局では長い議論を経て、オブジェクト#150365は監視対象とはしますが収容対象とはしないという判断を下しました。

    一般局員に向けて公開されている文書の記述が本質と大きく異なっていることに疑問を持たれた局員もいるかと思います。これは、局員からオブジェクト#150365への必要以上に干渉することを予防するための措置です。オブジェクト#150365を危険な存在、案件担当者以外は接触すべきでない存在とすることにより、オブジェクト#150365による対象#150365の社会復帰支援を妨げさせないことを目的としています。また前段の取扱手順の記載については、オブジェクト#150365が局員に接触したということは当該局員が強い希死念慮を抱いていることを示すものであり、それは当局が直ちに当該局員を支援しなければならないことを意味することによるものです。

    最後に、担当者より一言申し添えておきます。オブジェクト#150365は異常ではありますが、危険ではありません。このような取り扱い方針もまた、当局のポリシーとして矛盾しないものであることをご認識いただければと思います。


      [No.1627] #150365 「『Violet Wailordは君に死を賜う』」 投稿者:   《URL》   投稿日:2018/05/04(Fri) 20:22:01     36clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    Subject ID:
    #150365

    Subject Name:
    『Violet Wailordは君に死を賜う』

    Registration Date:
    2017-08-25

    Precaution Level:
    Level 5


    Handling Instructions:
    事象#150365の発生を確認した場合、事象#150365が選出したターゲットについて標準手続きによる情報収集を行い、対象#150365として指定してください。対象#150365はフィールドワーカーによって監視され、事象#150365の進行状況について記録されます。事象#150365において対象#150365が実行を試みるタスク#150365については、いかなる場合においても進行を即時停止させなければなりません。タスクの妨害に失敗したケースについては、事案報告書F-150365-1の様式に沿って報告する必要があります。個々のタスクについては、事象#150365に子番号/孫番号を付与して管理されます。事象#150365-9における13件目のタスクは、事象#150365-9-13として管理されます。

    事象#150365の発生後にオブジェクト#150365から対象#150365に向けて送信された種々のデータ(テキスト/画像/映像)は情報#150365として管理してください。一件の事象#150365について複数の情報#150365が送信されることが通例となっているため、各々の情報#150365は子番号/孫番号を付与して管理します。事象#150365-11における4件目の情報#150365は、情報#150365-11-4として管理されます。情報#150365には強度の情報災害特性が含まれるために、これらの情報#150365の実例は、レベル5セキュリティクリアランスを保有する局員のみ閲覧することが許可されています。閲覧に当たっては、情報災害防止措置が施された専用端末を使用しなければなりません。

    オブジェクト#150365の追跡は、レベル5セキュリティクリアランス保持者による専任のチームが担当します。チームにアサインされた局員はオブジェクト#150365の発信元を突き止める取り組みを継続してください。適切なセキュリティクリアランスを保持しない局員については、オブジェクト#150365に関するアクションは全面的に禁止されています。勤務時間外にオブジェクト#150365に接触した場合、速やかに案件担当者に報告してください。報告を受けた案件担当者は、局員からオブジェクト#150365に関する情報をヒアリングしてください。

    対象#150365がオブジェクト#150365より受領した物品#150365については、これまでのところ顕著な特異性は認められていません。対象#150365との接触方法を鑑みて、物品#150365が回収されることはありません。物品#150365が何らかの特異性を示した、或いはその可能性を示唆した場合、プロトコル・ブロッサムに基づいて物品#150365は当局によって接収されることになっています。これまでのところ、プロトコル・ブロッサムが発令された記録は存在しません。

    収集された対象#150365に関する情報には、レベル5セキュリティクリアランスを保有する局員のみがアクセスできます。当局とは直接関係のない個人を特定可能な情報が含まれるため、アクセスに当たっては当局の定める標準的な情報管理手続きに従う必要があります。


    Subject Details:
    案件#150365は、明確な選定理由が不明な市民(対象#150365)が認識する未知の存在(オブジェクト#150365)、オブジェクト#150365との接触から始まる連続した事象(事象#150365)、事象#150365においてオブジェクト#150365から伝送される種々のデータ(情報#150365)並びに種々の物品(物品#150365)、及びこれらに係る一連の案件です。

    少なくとも2013年頃から、利用者数の多いソーシャル・ネットワーク・サービスにおいて、本案件に関する情報が確認されていました。情報は「『青のホエルオー』を見つけると危険なゲームに参加できる」というような形で流され、それに興味を抱いた利用者が「青のホエルオー」を捜索する、という流れで拡散された経緯があります。これに一致する、または類似した情報が確認されたSNSとしては、本稿執筆時点で「Twitter」「Facebook」「Instagram」「微博」などがあります。これらより利用者数の少ないSNSにおいても「青のホエルオー」に関する情報が展開された可能性があります。

    オブジェクト#150365は、「紫のホエルオー」が撮影された出所不明の写真です。「青のホエルオー」ではありません。写真は一般的なJPEGフォーマットで作成され、多くの場合解像度は1024x768、Exifをはじめとするメタデータは記録されていません。元はより大きな解像度だったものが縮小された形跡が見られます。自発的な意思に基づいて「青のホエルオー」を探す過程でオブジェクト#150365を視認し、かつ未知の理由により対象として選ばれた人間は対象#150365となり、直後に事象#150365が開始されます。

    事象#150365は、オブジェクト#150365から対象#150365に向けて実行するよう指示される「自殺ゲーム」であり、またオブジェクト#150365から伝達される「タスク」の総称です。タスクはテキスト/画像/映像のいずれかの形式で対象#150365へ送信され、オブジェクト#150365はタスクを実行するよう対象#150365に指示されます。ゲームはこのタスクをクリアすることで進行し、また新たなタスクが割り当てられるという形で継続されます。

    事象#150365のゲームにおける具体的なタスクの抜粋は以下の通りです。


    [事象#150365-11-2]
    形式:画像
    内容:「午前4時10分に起きて無音のテレビを20分視聴しろ」

    [事象#150365-4-3]
    形式:メール
    内容:「自分の腕に消えない傷痕を付けろ」

    [事象#150365-42-6]
    形式:映像
    内容:「家族を一人殴れ」

    [事象#150365-7-10]
    形式:インスタントメッセージ
    内容:「ビルの屋上の縁を目を閉じて歩け」

    [事象#150365-15-12]
    形式:インスタントメッセージ
    内容:「近くの食料品店でチョコレートを万引きしろ」

    [事象#150365-22-18]
    形式:画像
    内容:「学校の窓を四枚叩き割れ」

    [事象#150365-34-24]
    形式:映像
    内容:「かつて自分に苦痛を味わわせた人間に血液で書いた手紙を送れ」

    [事象#150365-1-30]
    形式:メール
    内容:「学校の屋上から飛び降りて死ね」


    事象#150365が進行するに連れてタスクの内容はより困難になり、反社会的かつ暴力的な性質を帯びていく傾向にあります。対象#150365はあらゆる手段を講じてタスクを実行しようとし、それに際して周囲と衝突や軋轢が発生します。タスクを29回達成すると、オブジェクト#150365は自殺することを最後の指示として与え、以後対象#150365とは接触を持たなくなります。この時点で事象#150365は終了するものとみなされています。

    対象#150365がタスクを達成するたびに、オブジェクト#150365は「褒美」として物品#150365を対象#150365に与えます。過去に確認された物品#150365としては、食料品/玩具/筆記用具/現金/プリペイドカードなどがあります。これらはいずれも非異常性の物品であり、基本的に容易に入手が可能なものです。一部に非売品が含まれていたケースが存在しますが、それらは単に非売品という形で市場に流通しているに過ぎません。

    オブジェクト#150365は自分の意思を持っているかのような振る舞いをすることが確認されています。対象#150365に対して「『青のホエルオー』は簡単に見つかるが、俺のような『紫のホエルオー』はそうそう見つからない。お前はよほど運が悪いらしい」とメッセージを送るほか、タスクの実行に失敗した対象#150365に対して「失敗したから終わりだと思うか? 成し遂げられるまで死のゲームは終わらない」と伝達し、同じタスクに再チャレンジすることを促します。結果として、事象#150365の完遂まで決してゲームは終わらず、対象#150365は例外なく自殺に至ります。

    事象#150365に巻き込まれた対象#150365が例外なく自殺に至っていることから、本案件は最優先に収容を試みる必要がある案件として管理されています。本案件に関係する情報を得た局員は速やかに案件担当者へコンタクトを取り、情報提供を行ってください。


    Supplementary Items:
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      [No.1626] 第五話 待ち人と空の棺 投稿者:空色代吉   投稿日:2018/04/22(Sun) 22:30:02     37clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    第五話 待ち人と空の棺 (画像サイズ: 480×600 427kB)

    大通りに行き交う人とポケモンの息遣いが、薄暗い裏路地まで聞こえてくる。
    ふと、通りの方を眺めると歓談している一団がいた。そのよそ者たちは道を我が物顔で闊歩している。奴らの声は大きく広がって、嫌でも耳につく。
    反対側からつまらなそうな表情をした男と葉の洋服を纏った虫ポケモン、ハハコモリが歩いて来た。大通りとはいえ、側道の幅には限りがあり彼らは肩をぶつける。
    小さく短い謝罪を互いに交わす彼ら。それから一団は何事もなかったかのようにまた楽しそうに歩き出す。ハハコモリを連れた男は、また目を伏せて去っていった。
    そんな光景を眺めていると、少し太った電気ネズミ……ピカチュウを連れた見知らぬ少女に声をかけられる。

    「おーい、そこのお兄さん! 貴方が<ダスク>のハジメさん?」
    「ああ……お前が届け人か。ずいぶん若いメンバーがいるのだな、義賊団<シザークロス>も」

    そう言うと、赤毛の少女は頬を膨らませる。先程の発言が気に障ったのだろう。ふっくらしたピカチュウの頬袋並みにむくれている。

    「む、あたしだって立派な<シザークロス>の一員だよ。若いってだけでナメないでよね」
    「それは失礼した――――約束のポケモンは」
    「この子だよ!」

    ポシェットの中からモンスターボールを取り出す彼女。あまりにも無警戒に差し出すので、つい余計な一言を言ってしまう。

    「……俺に、そんな簡単に託してもいいものなのだろうか。確か<シザークロス>の信念は『幸せにしてやれるトレーナーにポケモン託す』だっただろう?」
    「大丈夫! きっと貴方は優しい人だもん。その子を大事に可愛がってくれる。そう思えるからあたし達<シザークロス>は貴方にその子を託すんだよ!」
    「根拠は?」
    「そういう質問してくるところかな」

    思わず黙りこくると、手のひらにモンスターボールを握らされる。
    ボールの中のポケモンをじっくり見てみる。その小さなポケモンはこちらをしっかりと見据えていた。
    俺の相棒になることに、既に覚悟を決めている。そんな目をしていた。

    「……これから長い付き合いになるだろう。よろしく頼む」

    俺とそのポケモンのやりとりを見て、赤毛の少女は重たそうなピカチュウを頭に乗せ、はにかんでみせた。


    *************************



    【スバルポケモン研究センター】を後にした俺達は、気を取り直し王都【ソウキュウ】を目指していた。

    「ビー君。やっぱ綺麗だね、この景色は」

    サイドカーに座る金色の髪の彼女に言われ、俺は同意の言葉を口にする。
    俺の相棒の彼女、ヨアケ・アサヒが見つめるのは【トバリ山】を抜けた先に広がる、見渡す限りの平原。やや傾き始めた陽の光が、雲を照らし草原に影を落とす。南の荒野に比べると、山を越えただけでもずいぶん景色は変わるものだ。その草原の真ん中あたりに、目的地の王都があった。
    王都への道をサイドカーの付いたバイクを走らせる。長い平野を越えると、大きな塀と赤い屋根の街並みが見えてくる。丘の上にはそれなりに立派な白い城が建っているのも見える。ビルなどは少なく、若干古風かもしれない。だがそれが、俺の愛着のある王都【ソウキュウ】だった。
    門を抜けると、夕時の時間帯のせいかそれなりに人とポケモンが多い。まあ、ほとんどが移民や旅のトレーナーたちなのだが。【ヒンメル王国】自体もともと多民族国家だけれども、ここ数年はならず者や一旗揚げようとする奴まで、輪にかけて各地から人が押し寄せた。そのせいか門の外にもキャンプが広がり、そこは新たな区画になりつつあった。
    住む場所を作る、ということで思い出したことをヨアケに尋ねる。

    「そういやヨアケ。お前、決まった拠点とかってあるのか?」
    「【エレメンツ本部】を出てからは具体的な寝床はなかったよ。ポケモンセンターに泊めてもらうこともあったけど、野宿も多かったかな」
    「女の一人旅でそれは危ねーな」
    「あのアキラちゃんだって同じようなものじゃない?」
    「アキラちゃんと違って危なっかしいんだよ、お前は」
    「わかっているよ、アキラ君にもよく怒られました」
    「そりゃそうだ。そういうことなら俺の住んでいる貸しアパート、確かちゃんとした空き部屋あったはずだと思うが……大家と交渉してみるか?」
    「行くあてもあんまりないし、お願いしてもいいかな」
    「わかった」

    提案を受け入れられたので、そのままアパートへバイクを走らせる。しばらく経った後、目的地の建物の前にたどり着く。
    サイドカーから降りたヨアケは、建物を見て小さく驚きの声を上げる。

    「おお? 一階と二階、お店なんだ……!」
    「一階が仕立屋で二階は美容院。どっちも俺の昔からの知り合いがやっている。俺は仕立屋の所で配達仕事の請負をさせてもらっているぞ。といっても、しばらく休業するつもりだがな」
    「えー、もったいなくない? いいの?」
    「捜索に専念するんなら、そのぐらいでいった方がいいだろ。それに辞める訳ではないし、アンタを届けるって仕事もある」
    「ビー君……」
    「仕事は仕事だ。報酬はきちんともらうからな」
    「えっと、あの具体的にはいくらぐらい? 何で支払えばいいのかな?」
    「ぼったくるつもりはねーし働いて返してもらうつもりもないっ……でもまだ考え中だ」
    「わー、なんかハラハラするよ」

    そんなにビビらなくてもいいだろ。そう、ちょっとだけショックを受けていると突然誰かに後ろから耳を強く引っ張られた。

    「痛っ、なにすんだ!」
    「こらあっ!! ビドーてめぇ何処寄り道してやがった!! スカーフの代金持って逃げたのかと思ったぞ!!」
    「げ、お前か」
    「散々遅くなっておきながらその態度はなんだ! 連絡一つよこさないし……って、お前の服、腹のあたり破けているじゃないかコノヤロー……コート貸せ! ハハコモリ、頼んだ!」

    そう言って俺のコートを奪ったのは、俺のよく知るところの人物だった。そいつの手持ちの黄緑の葉っぱを纏った虫ポケモンのハハコモリが、器用に糸を操り俺のコートの穴を縫っていく。
    きょとんとしているヨアケに、彼の紹介をする。

    「ヨアケ、このチャラそうなのはチギヨ。仕立屋の店主で貸しアパートの大家でもある」
    「チャラそうって心外だな……っておい? ビドー、なんでこの人がここに居る? 知り合いなのか?」
    「つい最近知り合ったばかりだが……チギヨこそ知っているのか、ヨアケのこと?」

    ドロバンコの尻尾のような、後ろでひとまとまりにした黒茶の髪を揺らしてチギヨは得意気に言った。

    「知っているも何も、アサヒさんのその服仕立てたのは俺だぜ?」
    「その節はどうもー、チギヨさん。この服愛用しているよ」
    「おお! そりゃよかった」

    少々複雑な気持ちになりつつも、案件を持ちかける好機だと俺はチギヨに切り出してみる。上手く話が進めばいいんだが。

    「二人とも知った顔だったのか……それなら話は早い。チギヨ、アパートの部屋、まだ空いているか?」
    「空いているけど、それがどうした……ってまさか」
    「まさかってなんだよ。ヨアケが拠点を探していてだな。使わせてやれねえか?」
    「俺は反対しないけどよ……ユーリィが何ていうかねえ……」

    ユーリィの名前にヨアケが反応する。それも嬉しそうに。

    「わあ、ユーリィさんもここに住んでいるんだ!」
    「お前、アイツとも知り合いなんかいっ」
    「うん。【エレメンツ本部】に住んでいるみんなは、時々出張してくる仕立屋のチギヨさんと美容師のユーリィさんにお世話になっていたんだ。いやあその二人がまさか同じところに住んでいるとは」
    「あー、そういやチギヨもユーリィも時々店を留守にしていると思ったら、そういうことだったのか」

    あいつら留守にするとき、どこに何しに行っているとか教えてくれなかった気が……いや、俺が今まで聞こうとしなかっただけか。
    俺とヨアケの話が一区切りしたタイミングで、チギヨが咳払いを一つして俺らの注目を集める。それから、やけに神妙な顔で俺ら二人に尋ねた。

    「で、ビドーとアサヒさん。お前ら二人はどんな関係なんだ?」

    チギヨの意図を把握するのに、少々時間がかかった。ヨアケも慎重に言葉を選んでいるようである。俺は、下手に誤魔化すより正直に言った方がいいと判断した。

    「俺とヨアケは、指名手配中のヤミナベ・ユウヅキを捕まえるために、先日相棒になった。ただそれだけだ」
    「相棒って……仕事はどうするんだよ? うちと連携している限りは休業とかは許さねえぞ?」
    「ダメか……?」
    「上目遣いで見てもダメだ。どうしてもやりたいなら両立しろ。あと、アサヒさん、ビドーはどのくらいアサヒさんの事情を知っている?」

    チギヨは、ヨアケに確認を取る。ヨアケは慎重に言葉を紡ぐ。

    「私とユウヅキが、事件の前後にギラティナの遺跡に居たこと、事件に関わっている可能性が高いけど、私にはその記憶がないこと、私は<エレメンツ>のみんなに保護され、そのことを他人には聞かれるまで秘密にしておくように頼まれていたこと……かな」
    「……うん、だいたい分かった。アサヒさん、部外者の俺が口出すことじゃないのはわかっている。だけど、ビドーと一緒に行動するのなら……そうすると決めたのなら<エレメンツ>内でのアサヒさんの立場とか、ちゃんとビドーに話しておいた方がいい」

    俺はそのチギヨの意見に少なからず衝撃を覚えていた。何故なら俺は、互いのことは言いたくないことがあれば言わなくてもいいと思っていたのだ。
    つまり俺は、ヨアケの<エレメンツ>内での立場とか考えたことがなかった。ある意味ヨアケやソテツ、ガーベラの言葉を鵜呑みにしていたのである。
    確かに、俺とヨアケはお互い協力することを望んだ。だがそれは、両者は深く干渉しすぎることはしないものだと考えていた。
    詮索しないといえば聞こえはいいのかもしれない。でもある意味では、関心がなかったのだろう。興味がなかったのだろう。
    どういう関係とかそれ以前の問題だ……それでは以前の俺と変わりない。

    「……ヨアケ」
    「……ビー君」
    「教えてくれ。言える範囲でいいから、お前の事を俺に教えてくれないか」
    「わかった。教えるよ」

    そういって彼女は仕方なさげにため息をひとつつき、微笑んだ。


    *************************


    ヨアケとチギヨと俺は、三階の共有スペースのテーブルを囲んでいた。何故チギヨまで来ているのかと言うと、「俺も聞いておきたいから」ということだった。店番はチギヨのハハコモリがしてくれているので心配はないそうだ。すげーなハハコモリ。
    成り行きで話をすることになったが、これはいい機会なのかもしれない。
    ヨアケは彼女の手持ちのドーブルを抱き、そいつの頭の上に顎を置いて話を始めた。ちなみに俺もリオルで同じことをやろうとしたら、リオルに断固拒否と言わんばかりに振り払われ脛を蹴られた。それ以後リオルは部屋の隅でこちらの様子を伺っている。

    「それじゃさっき話題になった、お前の<エレメンツ>での立場ってやつを教えてくれないか?」
    「オーケー。と言っても、<エレメンツ>内での私の立ち位置はちょっと複雑なんだよね」
    「複雑、か……ソテツやガーベラとは仲間だって、家族のような関係って言っていたが、それは本当なのか?」
    「嘘ではないよ。でも正確ではないかな」

    目を伏せ、彼女は苦笑交じりに言った。

    「私は、決して皆に赦されてはいないんだ」

    「当たり前のことなんだけどね」と、ヨアケは自嘲する。見かねたチギヨが口を挟もうとしたのを、ヨアケは制止した。あくまでも自分から話す、という彼女なりの意思表示だった。

    「私は憶えてないのだけれども、<エレメンツ>はギラティナの遺跡に私とユウヅキが行っていたのを目撃証言から割り出した。私は彼らに保護されたけど、保護っていうよりは疑われて監視下に置かれているって感じなのかな」
    「そういや、なんで疑われているんだ。遺跡に行っただけだろうお前は?」
    「……だって、それは神隠しだよ。よそ者が神様と呼ばれたポケモンの遺跡に行って、事件が起きた。ギラティナを怒らせたとみられても、そのせいで“闇隠し”が起きたと思われても仕方がないよ」
    「い、言いがかりじゃねーか!」
    「ありがとうビー君……でも実際その可能性が一番高いのは、レイン所長率いる<スバル>の皆さんの調査で証明されちゃったけどね」
    「それはっ……そうだけどよ……」

    やり場のない感情を抱えていると、チギヨが呆れつつ俺を見る。

    「言いがかりでも事実でも、なんでもいいから何かのせいにでもしないとやっていられなかったんだよ。それは<エレメンツ>に限らず一般人の俺もだし、てめえも入っているんだぜビドー?」
    「俺も?」
    「そうだ。ビドーだってラルトスを奪われたきっかけを作ったかもしれない張本人が目の前に居て、しかも共犯のもう一人に記憶が奪われている可能性が高いって言われたら、その気がなくてもムカつくだろ?」
    「……ヨアケだって、巻き込まれた側だろうが」
    「それについては言い切れないけどな。まあ、記憶があったにしろなかったにしろ、アサヒさんが遺跡に居た事実を<エレメンツ>が公開しなかったのは、正しかったと思うぜ」
    「そういや、お前はなんで知っているんだよ、チギヨ」
    「職業柄、事情は聞きやすい立場だからとしか言いようがないがな。よく出入りしていたらなんとなくわかるさ」
    「公開してなくても筒抜けじゃねえか」
    「それは言ってやるな。ちなみにユーリィも知っている。つーか、アイツはさっきの話を真に受けている典型例だよ。アサヒさんのこと苦手に思っている」

    チギヨの言った「苦手」という単語にヨアケが少し落胆する。

    「そうだったんだ……チギヨさん、どうしよう私、本当にここを拠点にしていいのかな……」
    「アサヒさん、俺がいうのもなんだが気を使い過ぎなくてもいいと思うぜ。逆にユーリィは自分に気を使われ、引き下がられるとかもっと嫌いだろうし」
    「八方塞がりだね」
    「面倒くさい女なんだよ」

    “面倒くさい女”という単語に何故かリオルが眉をひそめていた。お前も結構面倒くさいところあるよな、と思って見ていたらリオルにガンを飛ばされる羽目に。

    「こらチギヨさん、あとビー君も女の子に面倒くさいって思っちゃダメだよ」
    「おいヨアケ、なんで俺も含まれている」
    「顔に出ていたよ」

    ヨアケに同調してリオルも首を縦に振る。ヨアケの腕の中にいるドーブルは、「まったくもってしょうがない人ですね」と言わんばかりの嘲りの笑みをつくった。ドーブルの意外な一面を見たような気がした。
    ずれて来た話をチギヨが引き戻す。

    「とにかくだ、俺はアサヒさんがここを拠点にするのには反対はしない。ユーリィは俺が説得しておくから、空き部屋使ってくれ」
    「チギヨさん……ありがとう、ありがとうございます」
    「いいって、どのみち空き部屋を持て余していたのは事実だからな。保証人はどうするアサヒさん? ビドーに頼むかい?」
    「ううん。一連の報告もしたいし<エレメンツ>の誰かに頼もうかと思うよ」
    「そうかいわかった。ひと段落ついたし、今はここまでしておこうぜ。部屋も片付けないといけないだろうし、俺も店に戻らないといけないからな」

    席を立ち、階段を下りるチギヨにヨアケは重ねて礼を言う。
    チギヨは手を上げひらひらと振って、姿を消していった。
    それを区切りに今日はお互い休もうという流れになった。

    「今日はこのぐらいにするか。ややこしいんだよな、お前の現状。監視下に置かれている一部の記憶を喪失している者で容疑者の幼馴染、多い」
    「それプラス、相棒も追加しておいて」
    「そうだったな、追加しておく。また色々話聞かせてくれよな」
    「ビー君の話も、だよ」
    「考えておく」
    「よし、微妙だけど言質とったからね?」

    言質って……まあ、いいか。


    *************************


    ビー君とチギヨさんのおかげで無事に拠点が決まった夜。私は手に入れた自室でさっそく自警団<エレメンツ>のソテツ師匠へ報告の連絡を入れた。
    <スバルポケモン研究センター>の皆さんが行っていた研究内容とユウヅキが盗んだモノの正体。言いそびれていた、私の知り合いのミケさんが国際警察に頼まれて動いていること。レイン所長から頼まれた隕石探しの件、それから私がビー君と組んでユウヅキを追うと、捕まえるために追いかけると決めたこと。拠点の保証人と言い、とにかく話すことは多かった。

    『……はー、オイラと別れてから一日でいっぱい動きがあったね。お疲れ様アサヒちゃん。保証人の件はトウギリに動いてもらうから……そうだな、【カフェエナジー】で待ち合わせてくれ。たぶんアサヒちゃんは初めて行くところだろうから、ホームページのURLをメールで送っておくよ』
    「了解ですソテツ師匠。夜分にすみません」
    『いや、逆に報告はしてもらわなきゃ困る。それと、もう師匠じゃないけどね』
    「……それでも私にとって、貴方は師匠だよ」
    『だったら、オイラの教えた笑顔体操忘れないでよね? アサヒちゃんはどんな時でも笑っていないと――――老けちゃうよ?』
    「ふふ、そうですね」
    『はは、それでいいのだよ。アサヒちゃんが笑ってくれなければ困るのはオイラだから。隕石の件もデイジーに調査を頼んでおく。ギラティナが“闇隠し”に関わっている可能性が高くなった以上、“赤い鎖”はどこかで必ずいるはずだから』
    「お願いします」

    一通りやり取りを終えたので話を畳もうとしたら、ソテツ師匠はもう一つ、と言葉を続けた。

    『これだけは言わせてくれ。オイラはアサヒちゃんがどういう道を歩もうが止めるつもりはない。ただ笑っていてくれさえすれば、それでいい』
    「ハードル高いですよ」
    『心の底から笑えとは言わんよ。ただ苦境に立っても自分が可哀そうな奴だという顔だけはするな。アサヒちゃんは可哀そうでもなんでもないのだから』
    「……心に刻んでおきます」
    『うむ、ビドー君と仲良くね。それじゃあ、また』
    「はい、また」

    通話を終え、ソテツ師匠の言葉を噛みしめる。
    私はどこかで、なんで自分がこんな目に合わなければという気持ちを少なからず抱えていたのかもしれない。
    でも彼の言う通りなのだ。私は決して被害者ではない。可哀そうでもなんでもないのだ。
    “闇隠し事件”に関わっている以上は、私は、私達は紛れもなく、加害者なのだから。

    だから一緒に責任を取りたいのに……ユウヅキ、貴方は今どこにいるの?


    *************************


    翌朝、俺とチギヨは共同スペースで気まずそうに目の前の二人を見ていた。リオルもハハコモリもドーブルでさえも不安げに彼女らを眺めている。俺らの目の前にいるのは片方はヨアケ、そしてもう片方は――――出張から戻ってきていたユーリィだった。
    二人はバツが悪そうに見つめあっていた。ユーリィがヨアケに何か言おうとして、ヨアケもまた彼女の話を聞こうとして、身構えていると言った感じだった。

    「――――――ぁ……」

    上手く言葉を紡げずイライラするユーリィ。ピンクのショートヘアをかきむしり、しびれをきらしたユーリィはボールからポケモンを出した。この緊張した空間に現れたのは、薄桃色の全身のところどころにリボンのような触手をつけた耳の長い四足歩行のポケモン、ニンフィアだった。むすびつきポケモンと呼ばれるニンフィアはその特徴的なリボンを使い、二人の手を絡めとり、近づけさせる。
    ニンフィアの手助けを借り、ようやくユーリィはヨアケに言葉をかけた。

    「一応……これから同じ屋根の下に住むのならよろしく、ヨアケ・アサヒさん」

    ようやく出たその一言に、ヨアケは笑顔で「よろしくお願いします、ユーリィさん」と返した。
    胸をなでおろす俺らをユーリィは黙って睨んでいた。ニンフィアが見かねてユーリィの頭を撫でる。結局言葉数少なめに、ユーリィは自分の店へ降りて行った。
    ユーリィとしては、同居する上の最低限の和解を持ちかけたのだろう。それにしてもアイツの『にらみつける』はビビる。女ってこえー……。
    その心の声が小声で出ていたらしく。リオルにつま先を踏まれた。


    *************************


    チギヨも店に出張って行き、俺とヨアケは<エレメンツ>“五属性”の一人、トウギリとの待ち合わせの時間まで外をぶらついて時間をつぶすことにした。
    連れて歩いていたリオルとドーブルが何かに見入っていた。つられて俺とヨアケも大通りの方を見やると、そこには黒服の集団が居た。

    「最近こんなんばっかりだよな」

    その俺のぼやきは、人ごみに消えていく。黒服の集団は棺を囲んで、重たげなく担いでいた。終始無言の黒服集団は、ある方向へ向けてゆっくりと歩みを進めていく。ヨアケもまた口を閉ざし、彼らの後ろを歩み始めたので俺達もまた追いかける。

    辿り着いたのは霊園だった。城とは反対側の小丘の上にある霊園の中心地に、大きな石碑がある。そこには、“闇隠し事件”で行方知れずになった人とポケモンの名前がぎっしりと彫られていた。
    黒服集団が共同墓地に棺を入れ、憑き物が落ちたように会話を始める。彼らの声をまとめると、一つの意見に集約していた。

    「8年は長すぎた」


    彼らは、“闇隠し事件”の被害者の家族だ。
    “闇隠し”で取り残され生き残った家族である。
    そして、彼らがしていたのは葬式だ。
    彼らは“闇隠し”でいなくなってしまった行方不明者を弔ったのだ。
    ……行方不明になった人もポケモンも、8年の間生存が確認できない場合、葬式を上げることができる、そういうルールがある。
    心身共に待つことに疲れてしまった家族が、共同墓地に空の棺を入れる。そんな葬式が“闇隠し”から8年経った今、ヒンメルの民の間で流行っていた。

    霊園を後にした黒服と入れ替わりに、二人の子供が石碑の前に来ていた。
    金髪ショートカットでメガネの少女と、ニンフィアとはまた違った薄桃色の髪を持つ顔色の悪い少年。
    おどおどしている少女をよそに少年は――――石碑を蹴った。
    少年は何度も、何度も、何度も、何度も石碑を蹴り飛ばした。
    俺達はその光景に呆気に取られる。
    黒服の一人が異変に気がつき、戻ってきて少年を止めさせる。そしてこう宥めた。

    「辛いのはわかる、そんなに苦しいのなら君も待つのを止めた方がいい、その方が楽になる」

    その言葉に少年は我に返ったように笑顔を見せた。それから底抜けに明るい笑顔を見せ、質問した。

    「ねー、何で空っぽの箱に泣いているのー? 何で帰りを待ってやんないんの? みんなが帰って来れる場所を、オレたちが護るんじゃなかったっけ? ねー何でなんだよ?」

    質問攻めする少年を見て、直感的にマズイと思った。この状況は、早く止めさせないと嫌な予感がする。現に、黒服は苦虫を噛み潰したような表情をしている。
    同じことを考えていたのか、ヨアケが歩みを寄せていた。その時、ヨアケの横を、ウェイトレスの恰好をした女性が駆け抜ける。

    「カツミ君!! リッカちゃん!!」

    ウェイトレスは、少年少女とコダックを抱きしめ、黒服に謝罪する。黒服は何かを言おうとして、でも俺とヨアケに見られていることに気づいたのか、ため息を吐き去って行った。
    ウェイトレスの彼女は、肩を震わせて二人とコダックを強く抱きしめなおした。

    「こらー! カツミ君もリッカちゃんも心配させないでよもう……!」
    「ごめんなさいココ姉ちゃん。カッちゃんを止められなくて」

    リッカと呼ばれた少女が泣き出してしまう。それを見たカツミ少年は困った表情を浮かべる。

    「リッちゃん……ゴメン、ゴメンって! あーもうリッちゃん泣かせるつもりじゃなかったのに……ココ姉ちゃんも悪かったからそんなにきつくしないでよ!」
    「嫌よ! 心配かけた分ぎゅっぎゅしてやるわ!」
    「ぐえー」

    冗談交じりに押しつぶされたガマガルのような声を出すカツミとコダック。その声が笑いのツボに入ったのか、リッカが泣き止む。
    静観しかできていなかったリオルもドーブルも胸をなで下ろしていた。この様子ならもう大丈夫だろうと、ふたりに言おうとしたら、ウェイトレスのココ姉ちゃんがこちらを振り向いて俺たちに礼を言った。

    「貴方たち、止めようとしてくれてありがとうね」
    「いや、俺たちは何もしてないさ」
    「気持ちだけでも嬉しかったのよ。あたしはココチヨ。【カフェエナジー】でウェイトレスやっているわ。よかったら顔を出してね。サービスさせていただくよ」

    ココチヨさんの提案に俺は戸惑ったが、ヨアケがすんなりと受け入れたので俺もそれに乗っかる。実際【エナジー】で待ち合わせをしていることをココチヨさんに告げると、彼女はそれならぜひ一緒に向かおうと誘ってきたので、俺たちは名乗りあった後彼女らと一路を共にすることになった。


    *************************


    カツミとリッカの元気なちびっ子組と彼らのパワーに巻き込まれるリオルとドーブル、そしてぼけーっとしているコダック(名前はコックというらしい)たちを微笑ましく眺めて一行はにぎやかに歩いていた……のだが【カフェエナジー】を目の前にしてちょっとした諍いになる。
    発端はココチヨさんがカツミを心配して、忠告したことであった。

    「……カツミ君、もう石碑を蹴ったりしたらいけないよ。わかった?」
    「ココ姉ちゃん……うーんオレ、やっぱりわからないかな」

    カツミは笑いながらも、自分の意見を譲らなかった。リッカとコダックの不安そうな視線をものともせず、カツミはココチヨさんに続ける。

    「だってさ、あいつら勝手にお葬式してみんなが帰って来る場所を無くしているんだぜ? 帰ってきたら自分のお墓が出来ていたりしたら、そんなの可哀そうじゃん? だったらあんな石碑ない方がいいじゃないか」
    「あのね、納得できないのはあたしも解るわ。でもねカツミ君、あの石碑を作ってしまう人たちの気持ちも考えてあげて?」
    「ココ姉ちゃん……なんでそんなこと言うんだよ? だって言ってたよね、みんなでみんなの帰りを待つって。いつまでも、いつまでも待ってるって……!」
    「でもねカツミ君。全員が私達みたいに待ち続けられる辛抱強い人ばかりじゃあないのよ」

    その時、俺は言い合いになっている二人ではなく、ヨアケたちの様子も見ていた。リッカもヨアケも、あまりいい顔色をしていなかった。ぼかさず言ってしまうと、苦しそうだった。逆にリオルとドーブルとコダックは冷静に状況を見ていた。
    ココチヨさんもまたカツミを諭す為とはいえ、何かを堪えながら言葉を紡いでいった。

    「待つことに疲れてしまった人もいるのよ……カツミ君。いつまでも大切な人にいなくなってしまった現実に、過去に引きずられたくない人だって、いるのよ……?」

    俺は口を挟もうとしたヨアケを咄嗟に制止した。ヨアケが俺を見下ろす。俺は彼女に対して首を強く横に振った。
    リッカはレンズ越しの瞳をうるませながら、しゃくりを上げている。
    カツミの口元から、笑顔が一瞬消えた。そしてカツミは再び口元を歪ませる。
    「何だよ何だよー、そんなに忘れたいのなら石碑なんて作らずに忘れてさっさと出ていけばいいじゃん! その方がお互い気が楽だよね、ココ姉ちゃん?」
    「そういう問題じゃないの!!」

    怒鳴ってしまってからココチヨさんは後悔の色を浮かべる。
    カツミはそんなココチヨさんに優しい、悲しい笑みを向けた。そして今にも泣きそうなのを堪えた悪い顔色で、ココチヨさんから距離を取ろうとする。

    「ココ姉ちゃん! ゴメン俺ちょっと頭冷やしに行ってくる! ……お仕事がんばってね! じゃ!」

    そう言い残して路地を駆け出すカツミ。すぐさま後を追うリッカとコダック。立ち尽くすココチヨさん。
    あまりしたくないのだけれども悠長なことを言っていられないので、俺はぼさっとしているヨアケの腕を取った。

    「おいヨアケ、待ち合わせ時間までまだあるよな? ココチヨさん! ちょっとあのまま行かせるのは心配だから様子見てくる!」
    「! ごめん、お願い……!」

    うなだれるココチヨさんを背に、俺はヨアケを引っ張ってカツミを追いかけだした。


    *************************


    カツミたちを追いかけるも、大通りに出たところで見失ってしまう。人ごみの中背の低い彼らを見つけることは中々に絶望的だ。リオルとドーブルともはぐれる可能性も出てきたのでいったんモンスターボールに戻し、あまりに人の流れが激しいのでいったん裏路地に避難した。
    焦りもあったが、さっきからヨアケはヨアケで覇気がなく暗い面持ちをしていやがったのに無性に腹が立ったのでつい言ってしまう。

    「ヨアケ! さっきからぼうっとしているぞお前!」
    「ゴメン……」
    「どうしたんだ? らしくないぞ」
    「……ゴメン、なさい……私、カツミ君見つけて、言いたいことあるのにね……しっかりしないと」

    無理やり立ち直ろうとするヨアケの言葉に違和感を覚える。
    彼女の様子を思い返してみて、ようやく見当がつく。
    思えば昨日チギヨと三人で話していた時からだったな。こいつがなんかちぐはぐだったのは。

    「ヨアケ。さっきカツミに謝ろうとしていただろ。俺が止めたけど」
    「……よくわかったね」
    「俺がなんでお前を止めたか解るか?」
    「……謝っても、どうしようもないから」
    「そうだよ。お前、昨日のこと引きずっているだろ。自分は赦されてない、事件を引き起こした原因かもしれない――――だから、自分が悪いって」
    「……私が加害者なのは変わらないでしょう?」
    「だったらなおさら謝ってどうする。謝ったらカツミの大切な奴は帰ってくるのか? 違うだろ? あんたがしなければいけないのは謝ることじゃない。ヤミナベの野郎をとっ捕まえて、“闇隠し”でいなくなった全員を連れ戻す手がかりを探すことだ。謝るのはそれからだ……少なくとも俺は、今のあんたに謝ってほしくはない――――あんたは、いや俺たちはまだ何もしてないし、何も出来てないのだから」

    俺だってチギヨに言われるまでもなく、“闇隠し事件”を引き起こした疑いのあるヨアケに何も思わないわけではない。だが、俺はそれらのことでヨアケに気弱でいて欲しくはなかった。
    今、謝ることで救われるやつなんていない。それはヨアケ自身も含まれている。
    誰も彼も救われないのなら、別の方向性で模索すべきだ。
    それがヨアケに上手く伝わっていればいいのだが。

    「さて、地上が厳しいなら空から捜そうぜ! 頼んだオンバーン!」

    気持ちを切り替えて俺はモンスターボールからオンバーンを出す。黒と紫の大きな被膜で空を飛ぶ竜で、音波を操るのに長けたポケモン、オンバーン。こうも騒がしいと耳で音を拾うのは厳しいが、単純な飛行捜索なら力になってくれるはずだ。
    ヨアケもデリバードのリバをボールから出し、カツミとリッカの容姿とコダックを連れていることを伝え、二体がかりで捜索に当たらせた。


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    リバくんとオンバーンがカツミ君たちを捜してくれている間、私達も人ごみを抜け路地という路地を手当たり次第に覗いていた。
    あれからビー君は一言も喋らない。必死になってカツミ君たちを捜している。
    私は走りながら考え事をしていた。私が今出来ることは、何だろう? と。
    ビー君の指摘はあっていた。私はあの時カツミ君に謝ろうとしていた。今思えば謝ることに逃げようとしていたのかもしれない。
    本当はそんな資格なんてないけど、私が本当にカツミ君にかけるべき言葉は、もっと違うはずだ。それが思い浮かびそうで、出てこない。それがもどかしくて仕方がないけど、焦ってはダメなのだと思う。
    荒い呼吸を整えるために一度立ち止まる。そして深呼吸。酸素が頭に渡る。少し走ったことで、余計な考えが消えていく。
    そして正解のない問題の答えを探し続ける。
    きっとこの問題は一生悩んでも、どんな答えを選んでも正しいってことがない。そんな迷宮だ。
    答えを出さないという選択肢すらあるのだと思う。でも、だからこそ私は答えを出す方を選びたいと願った。

    しばらくして、ビー君のオンバーンがカツミ君たちを見つけてくれたようだ。
    私たちは再びカツミ君たちの元へ走りだす。


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    カツミ君たちがいたのは、噴水のある小さな公園だった。
    ただ彼らの傍にはもう一人、茶色のボブカットの女性がいた。カツミ君とリッカちゃんは噴水の端に座ってその女性の語るお話を聞いていた。コダックは気持ちよさそうに水浴びをしている。
    リバくんたちをボールに戻していると、そのボブカットの女性が私たちに気が付き、話を中断して声をかけてきた。

    「キミら、カツミとリッカの知り合いかい?」

    女性の声につられてカツミ君とリッカちゃんがこちらを向いた。先程までの泣きそうな顔はどこへやら、二人ともきょとんとした顔をしていた。安心して脱力する私とビー君に、カツミ君が不思議そうに尋ねてくる。

    「アサヒ姉ちゃん? どうしてここに? ココ姉ちゃんの店で約束あったんじゃ……?」
    「あはは……心配で、追いかけちゃった……元気そうでよかった」
    「あー、あーあー……なんか心配かけてゴメンよ、アサヒ姉ちゃんにビドー兄ちゃん。顔色悪いのはもともとなんだ……」
    「そうだったんだ……ううん、いいの。いいのよ」

    カツミ君が謝ることは一個もない。私が謝れることも、今は無いのかもしれない。でもそういったごちゃごちゃとしたのを拭い去るように、わりと勢い任せに私はカツミ君に言った

    「――――カツミ君。私も、いなくなった皆を連れ戻す方法を探すよ。だから……待っていて?」

    自然と口にしていたのは、自分が一番かけて欲しくない言葉だった。
    とても自分勝手な私のお願いに、カツミ君は「なんだかよくわかんねーけど」と言ってから、その約束を受けてくれた。

    「待っていることはいくらでもできるけど……待つのは慣れちゃったからさ、その辺なるべく早くよろしく頼むね、アサヒ姉ちゃん!」
    「わかった」

    カツミ君は笑っていた。私もつられて笑みを作る。この子は笑って済ますことで、他人に気を使ってくれる優しい子なんだ。そう思うと胸が少し痛くなった。


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    笑いあう私とカツミ君を見て、「どうやらボクは邪魔のようだね」とボブカットの女性が立ち去ろうとした。その彼女をリッカちゃんが腕にしがみついて引き留める。

    「サモンさん……お話の続き聞かせて……?」

    サモンと呼ばれた彼女はため息を吐き、私たち全員を見渡す。カツミ君も目を輝かせてサモンさんの言葉を待っていた。
    ビー君がしびれを切らしてサモンさんに尋ねる。

    「サモン、って言ったか。こいつらになんの話を聞かせていたんだ?」
    「ヒンメル地方に伝わる昔話だよ」
    「昔話か……有名どころだと英雄王ブラウとかか?」
    「違うよ。ブラウに討たれた発明家クロイゼルングのお話さ」
    「クロイゼルング? あの怪人と呼ばれていた?」
    「そう、そのクロイゼルング。彼は怪人である前に、一人の発明家だったことが、古い文献に遺されていたんだ」

    英雄王ブラウと言えば、ヒンメル地方では人気の偉人であり、多くの英雄譚を残していると昔ソテツ師匠に聞いたことがある。その伝説の一つが怪人クロイゼルングの討伐だったと記憶している。
    不思議とその名前が引っ掛かって、私もリッカちゃんとカツミ君のような眼差しをサモンさんへ向けてしまう。
    サモンさんが私に「キミも聞いていく?」と尋ねる。私が小さく頷いたのを見てサモンさんは静かに、怪人と呼ばれた男クロイゼルングについて語り始めた。


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    「クロイゼルングはポケモンの力を使った発明、今でいう神秘科学の原型となる研究を行っていた人物だった。彼はその力で昔のこの地方に住んでいた人々の生活を豊かにしたらしいよ。具体的な記述の残っている発明品は少なく、わずかに遺っていたオーパーツはヒンメル王国で厳重に管理されているそうだ。今でも使用用途の分からないオーパーツもあって調査されているとか」
    「へー、けどよ。そんな凄い奴がなんで怪人なんて呼ばれていたんだ?」

    ビー君の疑問は私も引っ掛かっていたところだった。ぜひその理由を知りたいと顔を向けると、サモンさんは私たちに冷ややかな視線を送り、呟く。

    「彼が当時の王国にとって脅威だったからだよ」

    その視線は冷たくも、悪意の感じない不思議なモノだった。彼女は淡々と語っていく。

    「クロイゼルングの研究は確かに国を豊かにした。ただし代わりに、彼の研究はエスカレートしていったんだ。ポケモンの力を使った発明からポケモンを……そして人間までもを使った実験を行うようになった。それで彼は討伐対象になった。怪人って言葉は魔女みたいなレッテルだとボクは考えているけど、彼は彼自身の身体で実験もしていたみたいだし、実際半分くらい人間やめていたのかもね」
    「人間をやめたらどうなるの? ポケモンになっちゃうの?」

    カツミ君の疑問にサモンさんは考え考え、といった感じで答える。

    「人がポケモンに、ね……遠くシンオウの神話では、遥か昔は人がポケモンの皮を被ってポケモンになり、その逆もあるって話もあったと思う、人間をやめるってことはポケモンになるっていう推測は案外当たっているかもしれない」

    目を輝かせるカツミ君の隣でリッカちゃんが「ポケモンの人間がポケモンで人間……うーん……?」とぶつぶつ言いながら混乱していた。見かねたサモンさんは表情には出さないけどちょっと焦った様子でリッカちゃんを諭す。

    「まあ、あくまでも昔話だから、真に受けすぎるのもどうかと思うよ。昔の人は勝手に話を作って残したりするから」
    「そうなの?」
    「そう。まあ、勝手に話を作るのは今の人間も変わらないけどね」
    「もし、どのお話が本当なのか迷ったら、どうすればいいの?」
    「それは……何とも言えないね。けれどもこれは憶えておいて――――そういう時はちゃんと自分で選べ。誰かに言われたからって、言ったその人が絶対に正しいとは思わないこと。正しくても正しくなくても……最後に決めるのはキミだということを」

    サモンさんは相変わらず冷めた目線で、でもしっかりとした言葉でそう締めくくる。
    彼女の言葉は冷たくはあるが、どこか優しさが含まれているように私は感じた。


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    ふと公園にある時計を見てみると、程よい時間になっていた。
    話の節目でもあるようなので、私は待ち合わせのことをサモンさんに伝える。カツミ君の大丈夫そうな様子もココチヨさんに伝えた方がいい、心配しているだろうから。そう判断してカツミ君達に別れを告げ立ち去る。
    公園を出て、路地の入口に差し掛かった辺りでビー君が「ちょっと急いだほうがいいかもな」と駆け出した。
    私も後を追いかけようと、足に力を入れたその時。

    「えっ?」

    誰かに腕を掴まれる感触。
    恐る恐る振り返ると――

    「サモンさん?」

    ――そこには走ったのか、少し呼吸を乱したサモンさんがいた。
    カツミ君とリッカちゃんとコダックの姿はない。
    何か用があって追いかけてきたのかもしれない、と私は彼女に尋ねようと口を開こうとする。けれども彼女は遮るように、私に向けて謎めいたことを言った。


    「――――キミは、本当に同じなんだね」


    同じ? 私が? 何……と?
    思考がまとまらないうちに、サモンさんは黒い瞳を細くし、小声で続ける。

    「ヨアケ・アサヒ……どうしてキミなんだ。どうして……」
    「…………」

    なんのことなのかさっぱり分からず唖然としていると、サモンさんは掴んだ手を緩め、それから私に向けて謝った。

    「……いや、何でもない。ゴメン、変なこと言って引き留めて」
    「え……あ……うーん、別にいいよ?」
    「今のは単なる八つ当たりってことにしてもらいたい。いい?」
    「いいよ」
    「助かる。それじゃあ……今度こそさよならだ、アサヒ。出来るなら、キミの進む先に幸があるといいね」

    そう彼女は……サモンさんはまるで、もう二度と私と会うことが無い風な言葉を残し、背を向ける。
    一期一会って言葉はあるけれども、どうにも私は腑に落ちないでいた。
    サモンさんの口ぶりが引っ掛かったのかもしれないし、わずかに見せた表情が気になったのかもしれない。
    特に何故彼女は私を追いかけたのか、そこが一番知りたかった。
    明日には忘れてしまうかもしれないこの邂逅だけど、この時の私はサモンさんのことが知りたくなってしまっていた。
    だから私は、再会に繋がる望みを込め、声を上げてサモンさんに手を振った。

    「サモンさん! またね!」

    彼女は一瞬驚いて振り向き、目を丸くする。それから「うん。また」と仕方なさげに小さく微笑んでくれた。


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    「いけない、遅刻だ!」

    全力で走ってたどり着いた【カフェエナジー】の扉を勢いよく開ける。カウンター席に座ってアイスコーヒー(グランブルマウンテンという名前らしい)を飲んでいたビー君が、呆れた様子で私を出迎える。

    「遅いぞヨアケ! 俺だけ先に着いても意味ないだろ!」
    「ゴメン、ちょっとね」
    「ったく、ひやひやさせやがって。そういやお前の待ち合わせ相手はまだ来てないってココチヨさんが言っていたぞ」

    ビー君が他のお客に配慮して名前を伏せる。<エレメンツ>“五属性”は有名だから、ね……そしてやっぱり忙しいんだろうなと思いながらビー君の隣の席に座ると、彼が「ココチヨさんから聞いた話だけど」と話を切り出した。
    それはカツミ君についての話だった。

    「カツミ、父親と姉が“闇隠し”にあって、その二人の帰りをずっと手持ちのポケモンと一緒に待っているんだとよ」
    「待っているのは、カツミ君だけ……?」
    「らしい。母親は生まれつき体の弱いカツミを置いてどっか行っちまったんだと。まあ、珍しい話ではないけどな」
    「そう、なんだ」
    「そうだ。よくある話だって済まされてしまうのが、この国の現状だ。まあだからこそ、その空気を無くすためにも俺たちは、出来ることを片っ端からやっていかないとな」
    「だね……私たちはまだ、何も出来ていないのだから」
    「それに、待たせる相手も出来ちまったからな」
    「うん。頑張らないとね」

    ……待たせる側になること自体は珍しかったけど、待ってもらう約束は簡単に出来てしまった。でも、約束を交わした相手はいつまでも、いつまでも待っていてくれる可能性も残っているのは、私自身が何よりも分かっていた。だから「待っていて」って言葉は、言ったからにはちゃんと守らないといけない。気を引き締めないといけない。そう思った。
    それはそれとして、気になることがあった。

    「ところで……さっきから誰かに見られているような気がするのだけど……」
    「ヨアケ、背後の足元」
    「足元?」

    促されるまま背後の足元を見ると、そこには黄色い頭にとんがった耳を二つつけたポケモンがこちらを見上げていた。
    「わー、ピカチュ……ウ?」
    ピカチュウにしてはなんか顔がこう、失礼だけど私が描いたような大雑把な感じがある。まじまじ眺めているとそのポケモンの足元の陰から、真っ黒い手が伸びた。その両手にはペンと用紙が握られている。
    呆気に取られている私にビー君が説明してくれる。

    「そいつ、ミミッキュだぞ。注文を取りに来たんだってさ」
    「ミミッキュ……図鑑や写真で見たことはあったけど本物は初めて見た……可愛いな」

    ビー君がアイスコーヒーのおかわりを頼み、私も何か頼もうか悩んでいると、新たなお客が店に入ってくる。無意識に入口の方へ顔を向けた。すると

    「「あ」」

    私と彼女の声が重なる。その声に彼女の頭の上の丸いピカチュウが驚く。ビー君もつられて彼女たちを視界にとらえ……目を逸らした。
    その態度にピカチュウを頭の上に乗せた、赤毛の少女はむくれてビー君を指差し、声を荒げた。

    「配達屋! なんで目を逸らした!」
    「…………」
    「む、無視しないでよ!」
    「……何だよ、<シザークロス>の赤毛。俺がここにいちゃ悪いのかよ」
    「別に居てもいいけどさ……あと、あたしの名前は赤毛じゃないよ配達屋!」
    「俺も配達屋が名前じゃないけどな」
    「う……ぐぅ……」

    言葉に詰まる少女が、私に視線で助けを求める。大人気ないビー君は置いておいて、彼女に助け舟を出す。

    「その節はどうもー、改めまして、私はヨアケ・アサヒっていうんだ。よろしくね。貴方のお名前は?」
    「……アプリコット、だよ。一応よろしく。呼びにくかったらアプリでいいよアサヒお姉さん」
    「わかった。そういえばアプリちゃんは【エナジー】によく来るの? 私初めてでさ」
    「あたしは、ここのウェイトレスのココチヨお姉さんに、この子の好物のパンケーキをよく取り寄せてもらっているんだ」
    「へええ、ココチヨさんそういうサービスもしてくれるんだ」
    「正直助かっているよ。この子こだわりが強くて、アローラ地方のパンケーキじゃないとダメなんだ……まあ、でも受け取りに来るたびにココチヨお姉さんのミミッキュの機嫌を損ねちゃうんだよね。ほらまた」

    アプリちゃんに言われて気づく。さっきまで愛くるしく接客してくれていたミミッキュが、彼女の頭上のピカチュウに敵意のこもった視線を投げかけていた。ピカチュウはというと、あくびをしている。仲、悪いのね。
    その光景を見てさっきのアプリちゃんとビー君を思い出したのは黙っておくことにした。

    アプリちゃんが来客したお店の奥の方の階段をココチヨさんが下りてきた。彼女とピカチュウに挨拶した後、ココチヨさんが合図を送ってくれる。

    「アサヒさんも色々ありがとうね! 相席の方が二階でお待ちですよ!」

    その合図に小さく頷く。さっきからしかめ面のビー君に声をかけて、アプリちゃんにも挨拶する。

    「分かりましたココチヨさん。じゃあ行こうかビー君。アプリちゃんまたね」
    「う……うん。またねアサヒお姉さん……と、あんまりまた会いたくないけど、配達屋ビドーも、また会ったらその時は覚悟しておいてよね」

    ビー君の名前、憶えていてくれたんだアプリちゃん。
    名前を呼ばれ、それまで視線をそらしていた彼は、若干鋭い視線と低いトーンで彼女に返事をした。

    「……覚悟するのはお前らの方だからな」

    あまり見せない顔にたじろぐアプリちゃん。そんな彼女をよそに、ビー君はずんずんと階段を昇って行った。私も慌てて後を追いかけた。


    **************************


    「やっぱり苦手なの? アプリちゃんのこと」

    階段を上り終えた辺りで、ヨアケが小声で訪ねてくる。微妙にずれた問いに、俺は冷静さを失わないように努力しつつ、むかむかした感情を言葉に込めた。

    「俺はただ、どんな理由があっても、他人のポケモンを盗る奴らが嫌いなだけだ。それが無知で疑うことを知らないガキなら、なおさらだ」

    言葉にして、俺自身があいつのことが嫌いだということに気づく。そうだ。苦手とか、そういうのを飛び越えている。

    「ポケモンを奪われた側の俺と、奪う側のあいつら〈シザークロス〉とでは、けして相容れない。それだけ、それだけなんだ」
    「ビー君……」
    「ほら、切り替えていくぞ、ここだよな? 確か」
    「うん……」

    二階の廊下の突き当り、予約部屋と書かれた扉を開ける。
    個室の中には、中ぐらいの丸いテーブルが一つと、木製の椅子が三つ並べられている。
    その三つの席はヨアケと俺……そして既に腰かけている、布で目隠しをした茶髪の大男のものだろう。
    俺達が腰かけたのを皮切りに、会話が始まる。

    「ゴメンねトウさん。待たせちゃって」
    「……大丈夫だ。それにしても久しいなアサヒ。それと、そちらの少年は初めまして、だろうか……俺はトウギリ。<エレメンツ>の“五属性”の、トウギリだ。呼び捨てで構わない。よろしく頼む」

    ――――<エレメンツ>“五属性”の一人。闘の属性を司る者、トウギリ。
    草の属性を司るソテツとはまた違って、落ち着いた雰囲気を纏っている。目隠しをしていても、俺らを認識できるのは、波導使いだからできる芸当なのだろうか。トウギリには結構有名な二つ名があったが、何だったかな。思い出せない。
    まあ、それはそれとして俺も名乗り返す。

    「ビドーだ。少年じゃない、青年だ。こちらも呼び捨てで。よろしくお願いします」
    「……これは、失礼した……」

    縮こまるトウギリ。巨漢のわりに、物腰が低い。なんか、失礼かもしれないが一気に親しみやすさが湧いてきたぞ。
    トウギリは気まずそうにメニューを取り出し、俺達に注文はあるかを尋ねる。ヨアケはあると答え、俺は既にアイスコーヒーを二杯飲んでいたので遠慮した。
    呼び出しボタンを押したら、ミミッキュではなくココチヨさんが注文を取りに来る。
    ヨアケは「モーモーミルク!!」と何故か元気よく頼んだ。トウギリはお冷(美味しい水)を頼もうとしてココチヨさんと、

    「あんたねえ、せめてお茶くらい頼みなさいよ、トウ」
    「水が……飲みたいのだが」
    「お客さんにだけ頼ませるつもり?」
    「む……じゃあ、ロズレイティーを頼む、ココ」
    「承りました」

    そんなやり取りをしていた。愛称で呼び合う二人に、ヨアケが「お? おお?」と声を漏らしながら食いついていた。いや、お前もトウギリのこと愛称で呼んでいなかったか?
    ココチヨさんが去って行ってから、ヨアケがトウギリに問い詰める。

    「トウさん、ココチヨさんとはいったいどんなご関係で」
    「ふむ……アサヒには話していなかったか……」
    「話されてないですね、話されてないですね」
    「……まあ、いわゆる……昔馴染みで、今現在は付き合っている」
    「……きゃー」

    口元を手で隠し、小さくはしゃぐヨアケ。こういうところは女だなあ。一人盛り上がるヨアケのテンションに俺は若干ついていけず、トウギリは照れながら頭を掻いていた。
    一人だけ盛り上がってしまったことに気が付いたのか、ヨアケは話題を切り替える。

    「失礼。そういえばトウさん。野望の方は進んでいる?」
    「? ヨアケ、トウギリの野望ってなんだ」
    「ふふふ……それはねビー君。私の口から語るのは、ちょっと難しいので、トウさん、どうぞ」

    話を振られたトウギリは、口元に笑みを浮かべた。それからまず一言、楽しそうに呟いた。

    「波導弾、だ……俺は波導弾を放ってみたいんだ」


    **************************


    「……はい?」
    「俺は、波導弾を俺自身の手で撃ってみたいと思っている……」
    「『はどうだん』を? ルカリオとかが使える、あの技を……ええ?」
    「不純かもしれないが……俺は『はどうだん』を使うことを目標に波導使いを目指した」
    「……結果は」
    「まだだ。まだその域には達していない……」

    しょんぼりとするトウギリをヨアケが励ます。俺はというと、そもそも人間が『はどうだん』を技として使える。という理屈がいまいち理解出来ていなかった。すると「……俺の考えを聞いてくれ」とトウギリは少し長い説明を始めた。

    「……シンオウ地方の伝承にポケモンを結婚した者の話がある。それが出来たのは、人とポケモンが昔は大差ない存在だったから可能だったそうだ。その話を聞いて思ったことがある。ポケモン同士の技の遺伝や、人からポケモンへの技の伝授は出来るのは当たり前の認識になっているが、人自身も昔はポケモンと大差なかったのだから、技を繰り出していたのではないか? と。ポケモンにはポケモンの生体エネルギーがあるから、技を繰り出せる、という理論がある。それはなんとなく分かる。分かってはいるのだが……だったら昔の人にも現代の人にも生体エネルギーはあるのではないだろうか、というのが俺の疑問だ。その疑問を抱くようになったのが波導だ。波導の力は、かなりの修業が必要だが、操ることが出来る。そう、使えるんだ……ポケモンが使える力を、人の手でも」

    確かに、人がポケモンに教える教え技があるのに、人にはその技が使えないのはさほど気に留めてはいなかったが謎だった。ポケモンにだけ技を打てるエネルギーを持っている、という説明にも納得だ。だからこそ、ポケモンも人も使える波導の力ってやつにトウギリが入れ込むのも分からなくはない、のだが……それでも疑問は残る。

    「トウギリ。アンタはそれを使って、どうしたいんだ? そこがいまいちよくわからないんだが。まさかポケモンの隣で戦いたい、とかか?」
    「半分正解だ。だがそれは波導の力がなくてもやろうと思えば出来ることだ……そうだろう?」

    そう言われて、俺は言葉に詰まってしまった。返答に困っていたらタイミングよくココチヨさんが飲み物を持ってきてくれた。

    「まーた波導弾の話? 目指すのもいいけど、あんまり波導を使い過ぎないでよね。ただでさえ無茶するんだから、過労で死なないでよね」
    「それでも……鍛錬を怠ることはできない」
    「あっそ。それより、しなきゃいけない話はしたの?」
    「……そうだな、つい喋り過ぎた」
    「まったく。ゴメンなさいねアサヒさん、ビドーさん。それじゃあごゆっくり」

    色々と思う所は残るが、ココチヨさんによる軌道修正を終えた俺たちは、ようやく本題に移る。
    貸し部屋に関してトウギリは「アサヒ自身の拠点を持つことには賛成だ」と快く保証人を引き受けた。それからヨアケが言いづらそうに<スバルポケモン研究センター>でのやりとりで、ヨアケの“闇隠し”前後の記憶が抜け落ちていることと<エレメンツ>がその情報を表に出そうとしなかったことを話してしまったことを謝った。
    そのことを聞いたトウギリは、腕を組み静かに唸った後「……過ぎたことは仕方がない、か」
    とこぼした。

    「あとトウさん、私とユウヅキが過去に遺跡について調べていた……らしいことも<国際警察>に情報が伝わってしまっているみたい……」
    「情報を半端に伏せようとしたこちら側にも非がある……それに憶測の域をでない情報には変わりない。だからこそ俺たちはその情報を公開しないと決めた……あまり深く気にするな」
    「はい……」
    「……それと」
    「それと?」
    「これは俺の考えなのだが……お前と遺跡についての関係性を<ダスク>には明かさない方がいい」

    突然出てきた単語に、俺とヨアケは顔を合わせる。それからヨアケがトウギリに理由の説明を求めた。

    「<ダスク>って、ソテツ師匠も言っていた最近密猟者がよく所属しているという、グループ名だよね……どうして?」
    「……お前たちが接触した<ダスク>のハジメという青年。ソテツから話を聞く限りだが、救国願望を持っていそうだと俺は感じた。ハジメを含め、今までの<ダスク>を名乗った密猟者もヒンメルの国民ばかりだった。もし<ダスク>のメンバーが同じような願いを強く持ち合わせているというのなら……アサヒ、お前の存在が彼らの抱えている感情を爆発させる引き金になるかもしれない」

    そのトウギリの言葉で場が静まり返る。
    暫しの沈黙の間に俺は……ハジメのこともだが、今朝の霊園での光景を思い出していた。
    チギヨとユーリィはともかく、黒装束の彼ら。カツミとリッカ。サモンは分からないが、ココチヨさん。
    彼らがヨアケの素性を知ったら、どう思うのだろうか。あの石碑を蹴ったやり場のない感情は、どうなってしまうのだろうか。
    俺は、俺が例外よりだということを自覚していなかったのかもしれない……ヨアケの立場の危うさを、甘く見ていたのかもしれない。
    だからこそアキラ君は、混乱を避ける意味でも<エレメンツ>がヨアケを守っているといったのだろう。
    下を向き、押し黙るヨアケに、トウギリが謝る。

    「……言い過ぎた。すまん」
    「いや、大丈夫です」
    「……ついでに伝えておきたいことがもう一つ。今まで捕まえた密猟者たちは“サク”という名前の人物を中心に<ダスク>が成り立っている、という情報しか引き出せていない。まだまだ情報が揃っていない中での憶測で不安にさせて申し訳ないが……気を付けてほしい」
    「……うん。忠告と心配、ありがとうございます」

    彼女はその言葉だけは、絞り出した。


    **************************


    「さて……デイジーの調査はまだ終わっていない。彼女も多忙だからな……終わり次第お前たちに連絡すると言っていた……」
    「了解です。デイちゃんにありがとうと伝えておいてください。トウさん」
    「伝えておこう」

    冷めたお茶に口をつけるトウさん。ずっと私とビー君を見ていた彼の布越しの視線がそれたその時、私は何故かほっとしてしまった。安堵とは違うのだけれど、なんだか気が張り詰めていたのだろう。私もモーモーミルクに口につける。ほのかなすっきりとした甘さに、心が安らぐ。
    その間ビー君は、トウさんの方をじっと見ていた。何か思う所があったのだと思う。
    暫しの休憩の後トウさんは、話の締めに私に確認を取った。

    「アサヒ。お前はヤミナベ・ユウヅキを捕まえるために追う。それで本当にいいのだな」

    私が指名手配となった彼を捕まえるために動くことは、ソテツ師匠にも伝えていた。トウさんが今一度確認を取るのは、<エレメンツ>もユウヅキを表立って捕まえに動いていいのか。という確認もあった。

    今まではグレーゾーンだった。
    私とユウヅキには“闇隠し”に関わっている疑いこそあれ、決定的な証拠がなかった。私は当時の記憶がなく、ユウヅキは行方不明。判断のしようがなかった<エレメンツ>は、私たちの存在を公表せずにグレーのまま……あやふやのままで見逃してくれていた。ユウヅキが、<国際警察>に“闇隠し”の容疑者にされるまでは。
    まだ、断定はできる状態ではないけれども、<国際警察>が動く以上は<エレメンツ>もいつまでも動かないわけにはいかない。そういった意味でもユウヅキを黒に近い者として本格的に捕まえるために動くことを「本当にいいのか」と問いかけてくれたのだろう。
    他に選択肢はないとはいえ、戻れない道に率先して進もうとする私を気にかけてくれたのだと思う。トウさんはそういう人だ。

    「いいよ。私はずっと、貴方たちに責任を取りたかったから。自分の手でケリをつける可能性を残してもらえるだけでも、とてもありがたいと思っている」
    「……ヨアケ。お前だけ、じゃないだろ」

    ビー君が呆れた様子で、付け加えてくれた。

    「やっぱり、これはお前とヤミナベだけの問題じゃねーよ。俺たちヒンメル地方の人間も、それ以外も含めた問題だ。そりゃ責任はお前らにあるのかもしれない。でもそうじゃないっていうか、ああもううまく言えねー……とにかく、お前がヤミナベを捕まえるんじゃない。お前の手でケリをつけるんじゃない。俺も、<エレメンツ>も<国際警察>も、とにかく全員でなんとかするんだよ。一人で責任取ろうと空回るな」

    彼はリオルの入ったモンスターボールを私に突き出す。ボールの中のリオルとビー君の視線が私に向けられる。ビー君は私の手持ちを見るように促してから、言った。

    「俺たちを忘れるな」

    その彼の言葉で、私が一人じゃないことを思い出す。思わず手元に私のボールをよせる。ドル君たちが、特にリバくんが心配そうにこちらを見上げてくれていた。
    いや全部が全部忘れていたわけじゃないのだけれど、確かに私が責任を取らないと、となっていた。一人で突っ走っていた。皆に心配をかけていた。
    せっかくタッグを組んだのにいきなりこれじゃ、そりゃ呆れもするよね。

    「ありがと」

    一人じゃないと気づかせてくれたビー君に感謝を告げ、私はトウさんに向き直る。
    やり取りを見ていたトウさんがふっと微笑んだ。

    「――――たしかに俺たちの問題でもあるな。まあ、もとからお前ら丸投げするつもりは毛頭ない。だからこういった言い方も変だが、力を合わせていこう。<エレメンツ>は、少なくとも俺はお前たちに協力を惜しまない」
    「……はい、お願いします!」
    「頼む、トウギリ」
    「ああ……頼まれた」

    ――こうして私たちは、以前とはちょっと変化した協力関係を結ぶこととなった。
    改めて結ばれた彼らとの、トウさんとの協力関係は、とても頼もしかった。


    **************************


    トウギリたちとの協力を得られることになった後、ヨアケがふと思い出したように俺に話を振った。

    「そういえばビー君は、波紋ポケモンのリオルが手持ちにいるよね、現役の波導使いのトウさんになにかアドバイス貰っておいたら?」
    「ほう。ビドーはリオルのトレーナーなのか……」

    やけに食いついてくるトウギリ。波導使いの性なのだろうか。
    リオルもその話に興味があるのか、勝手にボールから出てくる。トウギリもモンスターボールから、リオルより一回り成長した青い毛並みの凛々しいポケモン、ルカリオを出した。

    「これが、ルカリオ……リオルの進化系……」

    俺もリオルも思わずルカリオに見とれてしまう。俺はトウギリに思い切って、ある相談を投げかけてみた。

    「トウギリ。リオルが進化しやすい条件ってあるのか?」
    「……基本は懐かせることだな。信頼を得られた状態で日中に経験を積むと進化すると言われている。夜間は進化できないのが注意点くらいだが……」
    「……そうか。やっぱり信頼関係、か」
    「お前のリオルはよく鍛えられているし……懐いているとは思うのだが、伸び悩んでいるようだな」
    「ああ。リオルとの信頼関係をもっと積み重ねたいと思っている」

    リオルの方を向くと目が合う。リオルは目を逸らさずこちらを見てくれていた。
    俺の悩みに、トウギリが意外な提案をする。

    「ふむ……それなら、波導使いになってみないか?」
    「波導使いに、俺が……?」
    「いやなに。本格的に目指せとは言わん。資質があるかもわからない。ただリオルは感情を込めた波紋を出すことができる。それを読み取れるようになれたら、少しは信頼関係とやらの近道になるのではないかと思ったのだが……残念ながら、今はじっくりと教えるには時間が足りないな」

    つられて視線を壁かけ時計にむける。トウギリの言う通り、結構時間が経ってもう夕時に差し掛かっていた。

    「また機会を作ってレクチャーする。連絡先を交換しておこう」
    「いいのか? 忙しいんじゃねーか?」
    「好意に甘えていいと思うよビー君。トウさんも教えたいみたいだし」

    ヨアケがそう言うと、トウギリは「そういうことだ」と心底楽しそうにしていた。


    **************************


    「波導の特徴を一つだけ伝えておこう」

    目隠し布に手をかけるトウギリ。その時、俺はようやくトウギリの二つ名を思い出す。

    「波導とは、あらゆるものが持つ、エネルギーの波だ。人間も、ポケモンも、その辺の砂利でさえも、すべてが常に目に見えない波導エネルギーを発している。波は振動し、その力は様々なモノに伝達する。波がぶつかり合い、形が、流れが生まれる。たとえるなら……川の流れを辿っていくと、水源に出るだろう? 水源が波導を発しているモノだとしよう。川がそのモノの放つ波導の痕跡とすれば――――『波導の流れを見れば、遠くの人物やポケモンが何処にいるのか、またどんな状況にいるかが分かる“遠視”が出来る』ということだ」
    「いわゆる“千里眼”か」

    外された目隠しの下から、水色の瞳が姿を現す。その視線は俺らが見ている世界以外を見ている。そんな雰囲気を感じる彼のその目は“千里眼”と呼ばれていた。

    「“千里眼”っていう異名を聞くと私の昔住んでいたところの近くの町のジムリーダーを思い出すなあ。接点なかったけれど」
    「一度でいいからお目にかかりたいものだ……と、ココが気にかけていたカツミとリッカが何処にいるか捜しておくか」

    とても軽いノリで遠視を始めようとするトウギリに思わず聞いてしまう。

    「出来るのか?」
    「可能だ。たいていの生き物は違う波導をもっている。俺が同じ波導を持った者同士、というのをまだ見たことがないだけでもあるが。だからこそ、一度その人やポケモンの波導を覚えてしまえば、ある程度の距離までなら探知することはできる。それに……」
    「それに?」
    「……俺は他人より波導を見やすいからな」

    二人とは面識があるから、大丈夫だ。とはぐらかすようにトウギリは穏やかな面持ちで言った。気にしないようにしたが、気になる言動だった。何かはあるのだろう。でも今俺が詮索していい問題ではないのかもしれない、とも思った。

    「ルカリオ、手伝ってくれ」

    トウギリが片膝をつき、ルカリオが彼の肩に手を当てる。おそらく、ルカリオがトウギリに波導のサポートをしているのだろう。リオルがその様子に見とれていた。俺には見えない何かが、見えていたのかもしれない。

    俺にもいずれ、お前の見る景色が見えるようになれるのだろうか。
    いや、見てみたいだな。見えるようになりたい。
    そうしたら、隣に立てるような、そんな気がするからな。


    **************************


    カツミ君とリッカちゃんの行方をルカリオと波導で捜していたトウさんが、顔を
    しかめた。それから立ち上がると、「すまない、ちょっと行ってくる」と部屋から出ていこうとする。
    慌てて追いかけ、様子がおかしいので何が見えたのか、聞いてみる。

    「どうしたの?」
    「いや……リッカはこちらに歩いて来ているようなのだが、カツミが……霊園にいるようだ。迎えに行ってくる」

    霊園という言葉で、勘違いかもしれないけど嫌な予感がして、問い詰めてしまう。

    「本当にそれだけなの?」
    「…………見知らぬ男と一緒にいる。口論になっている様子はない。知り合いなのかもしれないが……何とも言えない」

    知り合いにしては、なんで夕方の霊園にいるのだろうか。若干の不安が残ってしまう。
    遅れて廊下をついてくるビー君がトウさんに訊ねる。

    「その男の特徴、分かるか?」
    「だいたいは。黒いシャツに、丸いサングラスをかけていて、金髪で、前髪が……これはリーゼントなのか?」

    リーゼントっぽい金髪と丸いサングラスというインパクトのある外見で、私は真っ先に彼を思い出す。ビー君もリオルも同じ人物を思い浮かべていた。

    「ハジメ君だ!」
    「あいつ……!!」

    私たちはトウさんを追い抜いて階段を下りる。一階で談笑していたココチヨさんとミミッキュ、アプリちゃんとピカチュウが驚いた顔で駆け下り来た私たちを見る。

    「ちょ、ちょちょ、どうしたのアサヒさん?!」
    「ココチヨさん! カツミ君が、カツミ君が男の人と霊園にいるみたいなの」

    それだけ言うと、ココチヨさんはトウさんの波導の力でカツミ君の居場所を探知したことを察してくれる。

    「ミミッキュ、留守番お願い。アサヒさん、ビドーさん。あたしも行くわ」

    ココチヨさんに私たちは小さく頷いてから、一緒に【カフェエナジー】を後にした。


    **************************


    ちょっと前。リッちゃんとコックとオレは、また霊園にやってきていたんだ。
    誤解しないでほしいんだけど、また石碑をケリにきたわけじゃないよ! なんていうか、考え事をしていたんだ。ココ姉ちゃんとまた言い争いたくなくって、上手いこといかないかなって。
    いや、本当はちょっとだけココ姉ちゃんのところに帰りにくかったのもあるけどね。
    でも考え事をしていると、頭痛がしているときのコックみたくしぶい顔になっちゃうんだよな。うんうんと唸っていたら、リッちゃんがぽつりと言った。

    「カッちゃん。わたしはココ姉ちゃんの言うこともわかるかも」

    思わず出かける声をぐっと飲みこんでリッちゃんの言葉の続きを待つ。
    リッちゃんは、コックを抱きながらいつもは言わない弱音を吐いた。

    「わたしのお兄ちゃん。最近帰りが遅いんだ。夜遅くに帰ってくることが多くて、眠いのを我慢しながら待つんだけど……待つのは嫌いじゃないし、寂しいわけじゃ、ないんだけど……たまにね、たまに疲れちゃうんだ。カッちゃんはそういうことってない?」

    待つことが疲れる。かー……。
    そういうのはオレにはよくわからなかった。アサヒ姉ちゃんに「待ってて」って言われてもちっともしんどいなんて思わなかったし。
    でもそれは、オレが分からないだけなのかもしれない。リッちゃんやココ姉ちゃんが分かるっていうのなら、そういう考えの人がいるのも当たり前なのかも。
    なんだかなーと思うけど、朝のあいつらもあいつらなりの考えがあるってことで、良いんだよね?
    ……ってことをリッちゃんにまとめて伝えようとしていたら、リッちゃんがばつが悪そうにオレの後ろを見ていた。
    つられて振り向くと、そこには面白い髪型をした、丸いグラサンの人がいた。リッちゃんがその人の名前を呼ぶ。

    「は、ハジメ兄ちゃん……珍しいね」
    「たまたまお前たちを見かけたからな……もう夕方だ。二人ともどうしてこんなところにいるのだろうか」

    このグラサンの兄ちゃん、うわさのリッちゃんの兄ちゃんだったのか! って、びっくりしていたら、事情を聴かれた。
    隠すことでもなかったから、いっそもやもやしていること、正直に話してみることにした。

    オレは父さんたちがいつでも戻ってきていいように、いつも家を綺麗にして待っているのに、全身黒い服を着た人たちは、まだ帰って来ない人たちのお墓を作って、帰る場所を無くしちゃっていることにもやもやしたこと。いろんな考え方はあってもいいはずなのに、オレは何故か石碑を蹴っちゃっていたこと。
    ぼろぼろと、ぽろぽろと、言葉が出ていく。自分の気持ちが片づけられていく気がした。

    「オレ、待つのをやめるの、嫌だったんだなあ……」

    オレのもやもやを受け止めてくれたハジメ兄ちゃんは。リッちゃんに先に家に帰るように言った。リッちゃんは静かに意図を組んで、何も文句を言わずに帰って行った。
    リッちゃんの姿が小さくなったころ、ハジメ兄ちゃんはオレに言ってくれた。
    手を差し伸べて、オレを誘ってくれた。

    「みんなのことを今でも帰ってくることを信じて、救出するために力を合わせている人の集まりがある。待つのをやめたくないのなら、一緒に迎えにいかないか」

    そう言われてオレは初めて――――――ずっと、その言葉をずっと、かけてもらいたかったような、そんな気がしたんだ。


    **************************


    路地を走る私とビー君とリオルとココチヨさんの後に、何故かアプリちゃんがピカチュウと共に来ていた。

    「お前もついてくるのか?」
    「ココチヨお姉さんには散々お世話になっているからね。少しぐらい恩返ししたいし……先に行っているよ!」

    邪険に扱うビー君にそっぽを向きながら、アプリちゃんとピカチュウは小柄な体で私たちの前を駆けていく。義賊団に入っているだけはあって、速い。ピカチュウも丸い体なのに素早い。
    アプリちゃんを見失った頃、裏口から外に出て別ルートを通っていたトウさんと合流する。

    「ココ! ハジメという男に心当たりはあるか?」
    「ハジメさんって、リッカちゃんのお兄さんよ! もしかしてカツミ君といるのってハジメさんなの? もう、驚かせないでよトウ!」

    意外な関係が明らかになって私とビー君は驚く。リッカちゃんのお兄さんだったなんて。
    でも私たちが走っているのは、ハジメ君が怪しい男の人だからって理由だけではなかった。もっと違う理由もあった。
    トウさんが苦々しく今走っているわけをココチヨさんに話す。

    「そのハジメがつい最近密猟をしようとしていた……無関係の女性を騙して巻き込んで」
    「え、えええ?」

    戸惑うココチヨさんに、畳みかけるようにトウさんは冷たい事情を突きつける。

    「ココ。俺は……<自警団エレメンツ>として、ハジメを捕まえなければいけない」
    「そんな――――!? ちょっと待って。そんなの駄目よ! リッカちゃんが取り残されてしまうわ! よく考えてみてよ!」
    「残念ながら、考える時間は無いようだ……」

    トウさんのつぶやきと共に前方の路地裏に五つの影をとらえる。カツミ君とコダックのコックとアプリちゃんとピカチュウ。そして彼らと会話していた……ハジメ君。
    カツミ君が大勢で来た私たちに驚きの声を上げる。

    「ココ姉ちゃん! そんな大勢でどうしたの? この赤毛の子とピカチュウもオレを捜していたみたいだし、トウ兄ちゃんまでいるし……何かあったの?」
    「カツミ……俺はハジメに用がある。コックとともに【エナジー】に戻っていてくれないか?」
    「! わかった、トウ兄ちゃん」

    トウさんの言葉を聞いたカツミ君とコダックが私たちの方へ歩く。すれ違いざまにココチヨさんはカツミ君に一声かける。

    「用事が終わったらリッカちゃんも呼んで夕飯食べよ。おにぎりいっぱい握るから」
    「……やった、おにぎり! なるべく早く帰ってきてね!」
    「ええ!」

    遠ざかるカツミ君に、先程までの動揺していたことを微塵にも見せずに手を振るココチヨさん。
    カツミ君もココチヨさんもお互い色々思う所もあるのだけれども、頑張って水に流そうとしている気がした。

    「さて……オレは<エレメンツ>“五属性”のトウギリだ。ハジメ、未遂とはいえ密猟は密猟だ。一度一緒に来てもらってもいいか」

    その場にいるほぼ全員の視線がハジメ君に集まる。ハジメ君は私たちを見回した後、はっきりとした声で拒否をした。

    「断る」
    「もうお前の波導は憶えた……たとえ今逃れても、いつでも追い詰めることは可能だ。それでもか」
    「それでもだ。それでも俺は、逃げ延びてみせる」
    「……リッカを残してか」
    「……そういうのなら、見逃してくれはしないだろうか。俺とリッカを引きはがさないでくれないだろうか」
    「…………」
    「分かってはいる。貴方たちの立場ではそれが出来ないということぐらいは分かっている――――だから、俺たちみたいな輩が必要なのだろうな」

    ハジメ君の言っている「俺たち」というのは、恐らく彼の所属している<ダスク>という集団のことなのだろう。
    矛盾だらけになってしまっている<自警団エレメンツ>とは別ベクトルで動く<ダスク>。彼らは、この国にどういった作用をもたらすのかは分からない。けれども、”闇隠し”で疲弊しきったこの国の現状を変えたい彼の思いは伝わってきた。
    トウさんたち<エレメンツ>の立場も理解してはいるけれど、私の立ち位置だと、本当にこのままハジメ君を捕まえていいのだろうか。ためらいを隠し切れない。

    緊迫した空気の中、真っ先に動いたのはアプリちゃんだった。

    「ごめん……ライカ!! 『10まんボルト』っ!!」

    彼女はピカチュウの名前を呼び、――――ハジメ君を護るように技を指示した。
    弾ける稲妻が道路のタイルを砕き、土煙を上げさせる。

    「走って!」

    アプリちゃんはハジメ君の手を引っ張り、土煙を突っ切って私たちをかいくぐる。思わぬ正面突破をされ驚いてしまう。
    咄嗟にビー君がリオルと追走し始める。迷いなく走るビー君を慌てて私たちは追いかけた。


    **************************


    なんなんだ、あいつは! ココチヨさんに協力したいとか言って置いて、ハジメの野郎を逃がすとか、何考えているんだ、あの赤毛……!
    入り組んだ路地を奔走する俺たち。徐々に距離を引きはがされていくことに焦燥を覚える。大通りまで逃げられたら、この人混みの多い時間帯では見失ってしまう。いくらトウギリが追跡できると言い切っても、ここで逃がす気はさらさらなかった。
    密猟の件ではアキラさんには、彼女を利用したことでハジメを責めるなと言われた。そのことは腑に落ちないけど割り切ってはいる。リオルを人質にしたことの恨みもある。けど、それは別だ。
    ここでハジメを逃がしたらリッカはどうなる?
    そりゃあ、捕まったら家に一人残すことになるのかもしれない。
    だが、ここで逃げたところでずるずると逃げ続ける羽目になるんじゃないか? それこそリッカを取り残すことになるんじゃねえのか?

    脇にゴミ箱が並べられた長い一本道に差し掛かる。この通りは曲道までが遠い。仕掛けるのならここだ。
    息切れしてきたのどに無理やり空気を吸い込んで、柄にもなく腹の底から絞り出す声で、隣を走るリオルに技の指示を出した。

    「リオルっ!! 『でんこうせっか』あっ!!」
    「ライカ! 『アイアンテール』でゴミ箱を弾き飛ばして!」

    ピカチュウの鋼をまとった尻尾で、ゴミ箱がこちらへまっすぐ打ち出される。左右には逃げられない。なら……!

    「スライディング!」

    リオルとふたりでスライディングをして、かわす。
    再び走る姿勢に入ったリオルがぐんぐんとハジメとの距離を詰めてもう少しのところまで迫った!
    あと少し、あともう少し……だった。
    ハジメはモンスターボールから新たなポケモンを出すまでは。
    ……俺とリオルはそのポケモンを見た瞬間動けなくなった。
    そいつは、その”黄色いスカーフ”を身に着けた水色のあわがえるポケモンは――――

    「マツ! ケロムースで足止めしてくれ!」

    ――――ケロマツのマツ。俺たちがスカーフを届け、見送った相手だった。

    ケロマツはこちらに気づきながらもハジメの指示に従いケロムースと呼ばれる粘着質の泡でリオルと俺の脚を止める。
    ケロマツは振り返らない。黄色いスカーフをはためかせながら、新しい主人と一緒に駆けていった……俺とリオルはその場から動けなかった。ただただ、あいつらの背中が見えなくなるまで見ていることしかできなかった。


    **************************

    なんとかビドーとかいう彼と、彼の手持ちのリオルまいて大通りの手前まで来ることに成功する。これもマツの功労があってこそだろう。

    「よくやった、マツ」
    「ケロムース凄いね、マツ!」

    はしゃぐ<義賊団シザークロス>の少女とピカチュウ。考えてみれば巻き込む形になってしまった……。
    一言礼を言うと、少女は「どういたしまして!」とはにかんだ。
    <自警団エレメンツ>のトウギリを敵に回してしまったことに自覚はないのだろうかこの少女は。
    気を取り直して大通りに入ろうとした時――――近くの壁に矢文が突き刺さる。

    「な、なに新手……?」

    大まかな射出地点を見て、フードを被ったポケモンとトレーナーのボブカットの彼女を確認してから、戸惑う少女の言葉を否定する。

    「いや、味方だ。このまま大通りに入るぞ」

    文の中身を握りしめ、少女たちと一緒に大通りの人の流れに身を潜めた。


    **************************


    「む……大通りに入られたか。今は波導が入り乱れて、これ以上は難しいか……」

    トウさんがルカリオと一緒に波導の流れを見て、呟く。路地裏でハジメ君たちを見失った私たちはトウさんの指示で待機。彼の遠視で状況を探っていた。その言葉を聞いたココチヨさんはどこか緊張が解かれたような、でも複雑そうな表情を浮かべる。それからトウさんへ謝った。

    「ごめん、トウ。足引っ張っちゃったよね……」
    「いいんだココ。今回こうしてハジメと接触出来た。それだけで十分だ」
    「やっぱり、捕まえるの?」
    「捕まえなければいけないとは言ったが、すぐにとは言ってはいない。いくつか気になる点もあるから――――泳がせようと思う。事はハジメ一人を捕まえても解決しない。そんな気がするからな。上手くいけばだが……ハジメの足跡を追えば、彼の後ろにいる<ダスク>の中心人物らしき者、サクにたどり着けるかもしれない。彼には悪いが、その間リッカのことは頼めるか、ココ」
    「そんな頼み方しなくてもいいわよ。でもフォローがいつまでも効果あるとは思わないでね」
    「助かる」

    トウさんの決定とココチヨさんのフォローに、つい私まで安堵してしまう。それから、迷いだらけの自分に、割り切れていない自分にもどかしさを感じていた。ダメだな。しっかりしないと。
    そんな私にココチヨさんが小声で話しかけてくる。

    「アサヒさん、躊躇ってくれてありがとうね」

    はげましなのだろうか……? 真意を測りかねて、思わず顔を暗くしてしまう。

    「……私、やっぱりお礼を言われるようなことしてないですよ」
    「それでもあたしは嬉しかったの。アサヒさん、<エレメンツ>よりの人だから、容赦ない人だったらどうしようって思っていたから……優しそうな人で良かった」
    「……私のこと、知っていたんですかココチヨさん?」

    問いかけるとココチヨさんはウィンクをして、それから私の背中を軽く叩く。

    「ココでいいわ。トウから聞いていたの、貴方のこと。っと、こっちはもういいから、それよりビドーさんとリオルを迎えに行ってあげて!」
    「え、あ、うん」
    「じゃあ、あたしも戻らなきゃいけないから、またのご来店をお待ちしております。気軽に来てね!」
    「俺もいい加減<エレメンツ>に戻る……またな……」
    「はい、また……!」

    営業スマイルのココチヨ……ココさんに背中を押され、私はトウさんにビー君の居場所を聞いてから、彼の元へ走った。


    **************************


    長い一本道の真ん中に、泡まみれのビー君とリオルが座り込んでいた。うつむく彼を、リオルがじっと見ている。心配になって声をかけようとすると、ビー君が何か言っていた。

    「……なんでなんだよ」
    「ビー君……大丈夫?」

    ミラーシェードを外してそれでもうつむく彼に、ハンカチを差し出す。黙って受け取り、泡をふき取るビー君。彼は息を長く吐き出した後、予想外の言葉を口にする。

    「ヨアケ、黄色いスカーフのケロマツが……マツがハジメの手持ちになっていた」
    「!」

    たしかその子は、<シザークロス>の皆さんに、信用できる新しい親へと届けてもらうと託したポケモンの一体だった。そういうことなら、アプリちゃんが王都にいたのも納得できる。つまりは――

    「つまり……ハジメ君が、<シザークロス>の皆さんにとって信頼できるトレーナーってことなのかな」
    「そういうこと、なんだろうな。アイツらは、密猟者でもさじ加減でお構いなしってことか」
    「さじ加減はそうだろうけど、私もそんな悪い人ではないと思うよ、ハジメ君は。それに未遂だったじゃない」
    「未遂でも、どんな善人だろうが……何か気に入らねえんだよ」

    あえて口には出さなかったけど、それは良くも悪くもビー君にとってハジメ君が気になっているということじゃないかなと、思った。たとえそれが敵意だとしても。

    「けっ、今度会った時こそとっちめてやる……その時は協力してくれ、ヨアケ」
    「……うん」

    向けられる視線に、思う。
    どうして、ビー君は私に、ハジメ君やアプリちゃんへ向ける敵意ではなく、静かで穏やかな目を向けてくるのだろう。
    どうして彼は私をはげましてくれたのだろう。
    ううん。たとえビー君が力を貸してくれるのがどんな理由だとしても、私はビー君に力を貸すことは変わらない。

    「トウさんもココさんもそれぞれの場所に戻るって……私たちも、帰ろう?」

    私はリオルの頭を撫で、ビー君に手を差し伸べる。
    躊躇う彼の手を握り、立たせた。


    **************************


    すっかり日が暮れ、夜風が気持ちの良い門の前、<エレメンツ>本部に戻ろうとしていた俺は違和感を抱いていた。

    (……………………おかしい)

    人混みに紛れるまでは確かにしっかりと捉えていた。多数の波導が重なり合って、探知できなくなるのは仕方がない……けど、人の波から外れたらまた見つけることは出来るはず。現にあの赤毛の少女は見つけることができた。しかし、少女と別れたであろうハジメに関しては、見つけることは出来なかった。

    (ハジメの波導が……消えた?)

    波導が消える、ということは波導を発することができないという状態に陥るということだ。
    しかし、その可能性は低いように思えた。それよりも『テレポート』などの移動技で王都から外に出たと考えるべきなのか……。

    (消えた波導……何かが……ひっかかるな)

    背にした夜の街並みは明るく道を照らし、影を落とす。
    ざわめく波導の中、変わらずにいつもの場所にいるココの存在を想った後、帰路についた。


    **************************


    次の日の朝早く。
    ココ姉ちゃんのカフェからは結構離れた場所にある家の前にオレは来ていた。コックや他のみんなは今ボールの中にいる。隣にいないけど、ちゃんと一緒だ。

    なんでこんな朝早くにこんな知らない家の前にいるのかというと、リッちゃんの兄ちゃん、ハジメ兄ちゃんと待ち合わせをしているから。
    さっそく中に入ろうとすると……なぜか家の中からココ姉ちゃんが出てきた。

    「カツミ君? 朝早くにこんなところでどうしたの」
    「ココ姉ちゃん!? え、えーと昨日はおにぎりありがと! 美味しかった!」
    「いえいえ。で、それを言いに来たわけじゃないわよね。ここに何か用があるの? ここは空き家だけど」

    まずい、ここに来るのは内緒ってハジメ兄ちゃんに言われていたのに。よりにもよってココ姉ちゃんに見つかるとは。
    必死に言葉を探して、話をそらす。

    「ココ姉ちゃんこそどうしてここに?」
    「お掃除しているのよ。今日はこの家の番。言ってなかったっけ?」
    「あー」

    そういえば、前に聞いたことがあった。”闇隠し”で帰って来ない人のお家を、定期的に掃除しているグループにココ姉ちゃんが入っていることを。確か、人の住んでいない家は、手入れされてない家はもろくなりやすいって。
    だからお掃除しているんだって。
    みんなが、いつ帰ってきてもいいように。

    「……カツミ君、もしかして誰かと約束してここに来たの?」
    「…………」

    ココ姉ちゃんが、限りなく近いところをついてくる。困って黙り込んでいると、家の奥から、誰か歩いて来た。

    「ココチヨさん。カツミは俺が呼んだ。だからここへ来たのだろう」
    「”来たのだろう”じゃないわよ、ハジメさん……」

    やってきたのはリッちゃんとおんなじ金色の髪で変な髪型の、ハジメ兄ちゃんだった。

    「ハジメ兄ちゃん……!」
    「よく来てくれたカツミ。そしてよく口外しないという約束を守ってくれた」
    「危なかったけどね」
    「セーフの範囲内だ。さあ、こんなところに突っ立っているのも疲れただろう。俺の家ではないが、上がるといい」

    ハジメ兄ちゃんに促されるままに、薄暗い廊下を奥へ進もうとする。
    ココ姉ちゃんがオレの手を握る。ちらりと顔を見上げると、緊張したココ姉ちゃんの表情が見えた。

    「カツミ君、あたしの手、離さないでね」
    「あ……うん」

    ココ姉ちゃんの手に、力が入る。オレもぎゅっと握り返した。


    **************************


    扉を開けた先の、リビングらしき空間に、緑の髪で白いひらひらの服を着たポケモンと、4人の人がいた。
    そのうちの柱に寄りかかっている一人は見知った人物だった。

    「新顔候補……キミだったか、カツミ」
    「サモンさんだ!」

    茶色のボブカットのサモンさんはいつもの黄色と白のパーカーを着ていた。
    にしても新顔ってなんの新顔なんだ? 疑問に思っていると、ハジメ兄ちゃんがサモンさんにお礼を言っていた。

    「昨日は貴方とジュナイパーに助けられた。礼を言うサモン」
    「いいよ、こういう時の保険がボクとあの子だから。それよりキミが珍しいね、誰かをこの集団に呼ぶだなんて」

    集団、秘密結社か何かなの? お掃除プロジェクトは仮の姿とか?

    「……ガキのくせになかなか鋭い」

    椅子の傍に立っている片眼を前髪で隠した短い銀髪の、赤いつり目の姉ちゃんが俺に向けて呟いた。

    「え、なにこれ読心術?」
    「サーナイトのテレパシー能力だってば。いちいち騒ぐなガキ」

    サーナイト、っていうんだ。あのひらひらのポケモン。

    「……テレパシー! すっげー!」
    「だからあ、大声だすなって言っているのに!」
    「そういうメイさんの方が声大きいよ」

    思わずはしゃいでしまったオレをかばうように言ってくれたのは、オレより濃い目のピンクの髪のショートカットの姉ちゃんだった。銀髪のメイ姉ちゃんがキッとにらむのをスルーしてピンク髪の姉ちゃんはこちらによってくる。それからしゃがんで俺と目を合わせてくれた。

    「カツミ君だっけ。私はユーリィ。よろしくね」
    「よろしくっ。ユーリィ姉ちゃん。オレ掃除なら得意だよ、まかせて」
    「頼もしいね。けど掃除はちょっと待っていてね。その前にやることがあるから」


    やることって? と疑問に思った時、一人、一人、また一人と壁時計の下にいる最後の四人目に目を向ける。黒い髪で、青いサングラスをかけたその兄ちゃんの方へ、注目が集まっていく。
    サーナイトが寄り添うように、黒髪の兄ちゃんの脇に立つ。

    「それではサク。始めてくれ」

    ハジメ兄ちゃんに促された黒髪のサク兄ちゃんは、周りの注目を物怖じせずに話し始めた。

    「……これより、<ダスク>の集会を始めさせていただく。今回は”体験”の方もいるので、まず、<ダスク>の活動理念、どうして集まっているのかを話そう」
    「ダスク? それが、この人たちの集まりの名前……?」
    「そうだ」

    サク兄ちゃんが、青いサングラスを取る。

    「<ダスク>は、”闇隠し”でいなくなってしまった人々を救出するための集まりだ」

    サク兄ちゃんが、一歩一歩、薄闇の中こちらへ近づいてくる。

    「そのためにいろんな活動をしている。空き家の掃除もその一つだ」

    顔がはっきり見える距離まで近づいてしゃがんで目線を合わせてくれるサク兄ちゃん。

    「カツミ、貴方はこの集団に入ってもいいし、入らなくてもいい」

    自然と、その目の色が見える。
    その、たとえるなら”昼間の月のような銀色”が、オレを映す。
    その銀色の持ち主は――――

    「……サク兄ちゃんは、何者なの?」
    「失礼。そうだな。名乗るのが遅れた。俺は――――<ダスク>の責任者のサクだ」

    ――――顔色一つ変えずに、そう名乗った。








    つづく


      [No.1625] 感想のような何か 投稿者:円山翔   投稿日:2018/02/25(Sun) 19:55:26     34clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     ここまで一気に拝読しました。資料で殴るとはまさにこのこと。これだけ調べたからこそ、フランスがモチーフと言われるカロス地方の文化や風習、そこに根付く自然の風景を描けるのだなぁと感服いたしました。特に、事あるごとに登場する花や木の葉の色の美しい事……
     おかげでこの二人のことを、以前よりは知ることができたように思います。命について、生と死について、思想について、様々なことを考えさせられました。


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