マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  •   [No.14] (十)翡翠 投稿者:No.017   投稿日:2010/08/11(Wed) 13:23:31     25clap [■この記事に拍手する] [Tweet]





    (十)翡翠


    「おい、物見矢倉に鐘を置いたのはどいつだ」

     選考会の会場からは少しばかり離れた場所。
     そこで仕事をしていた若い衆に額に太い鉢巻を巻きつけたその現場の頭と思しき男が尋ねた。

    「鐘? 俺はしらねえよ」
    「考古学の教科書にでも載ってそうなごっつい銅鐸が置いてあるんだが……」
    「銅鐸ぅ? そんなもの祭で使ったことあったか?」
    「まぁとにかく落ちて観光客に当たったりするとまずいけん、そうだな、お前ちょっと行って降ろしといてくれんか」
    「あいよー」

     頭に命じられた一番体格のよい若者は人々が賑わう会場の脇にある物見矢倉に向かう。
     丸太で出来た梯子をぎしぎしと音を立てながら上って、若者は矢倉の上へたどり着いた。
     そこにはたしかに謎の銅鐸が陣取っていた。どういう訳かその上にちょこんと緑色のポケモンがとまっている。

    「本当だ。ったく、誰だよ。こんなもの置いたのは」

     ふうと、溜息をつき彼は顔をしかめた。どうやって降ろしてやろうか。考えるとなかなかめんどくさかった。どこのどいつか知らないがここに運び込むのだって大変だったろうにとも思う。
     だが、ふと先のほうで人々の喧騒が聞こえてきて、若者の関心はしばしそちらへそれた。
     見渡すと遠くのほうで燃える火が目に入る。それは選考会の舞台に迸る炎であった。

    「おー、やってるやってる。今年はどいつがなるんだろうね?」

     若者は炎が舞う舞台を遠望する。
     赤い炎、そして青い炎が乱れ飛んでいた。



    「カグツチ、火炎放射」
    「カゲボウズ、鬼火」

     舞台の中央で二色の炎がぶつかる。
     炎のぶつかったところからカグツチと呼ばれた色違いのリザードが突っ込んできて、メタルクローを仕掛ける。カゲボウズがするりとかわし、爪の届きにくい上空へと退避した。
     リザードはカゲボウズを睨み、跳躍。再び人形ポケモンをその爪にかけようとする。再びするりとかわすカゲボウズだが、身体をくねらしたリザードの燃える尾がぶんと襲ってきて、あやうく当てられかけ、バランスを崩した。

    「鬼火!」

     空中に青い炎がいくつも灯る。青年に憑いている"見えていない"カゲボウズ達のサポート。灯った鬼火はすぐさまリザードに襲い掛かった。
     リザードが鋭い爪で鬼火を引き裂いて、事ともなげに着地した。
    「小賢しい」リザードの台詞を代弁するかのように相手トレーナーが呟く。

    「そんなものが効くと思っているのか」

     褐色の肌に透き通るような銀髪、ある意味トレーナー版色違いともいえそうな青年が、ツキミヤを睨みつける。
     試合開始から今に至るまで、バトルの流れは堂々巡りだった。リザードが攻撃し、カゲボウズがかわす。時々、思いついたように鬼火が飛んできて、リザードが掻き消す。お互いダメージといったダメージはなく技だけが空振りする。
     だが、

    「思っているさ」

     挑戦的な態度でツキミヤが答えた。

    「時間の問題だよ。なんならもう一発喰らってみるかい?」
    「面白い。カグツチ!」

     リザードが影分身した。数体に分かれ一斉に爪を伸ばす。再び襲い掛かかろうとした。

    「全部燃やせ」

     炎が影の数の分灯った。瞬く間に仮初の影が消え、本体だけが残る。
     影を消した鬼火達が吸い寄せられるように本体へ集う。
    「つかまえた」とツキミヤが呟いた。
     炎を掻き消そうと爪を振るったリザード。だが、青い炎は爪にかかる直前にぐいんと方向転換して、火炎ポケモンの身体に纏わりついた。ダメージは無い。だが次の瞬間にびたんとリザードの身体が地に叩きつけられた。まるで上から何かの力で圧力をかけたように。

    「なっ……」

     リザードのトレーナーが驚きの声を上げる。

    「だから言っただろう。時間の問題だと」

     ツキミヤが不敵に笑った。
     タイミングを合わせるのに時間はかかったが、予定通りだ。



     物見矢倉の若者はしばし二色の炎の応酬を見つめていた。が、もともと離れていてはっきり見えないこともあって、すぐに飽きが来てしまった。
     ふと我に返り、仕事を片付けようと思い立つ。戻りが遅くなれば頭にどやされるかもしれないからだ。
     やはり持ち上げて慎重に降ろすしかないのだろう。

    「ったく、めんどくせーな」

     村人はそのようにこぼすと緑色のポケモン、ネイティに

    「ほら、どけよ。危ないから降ろすんだ」

     と言った。
     銅鐸に手をかける。持つのに適当そうな取っ手ぼ部分をぐっと掴んで持ち上げようとした。
     が、その取っ手が、若者の腕を払った。

    「へ?」

     何が起きたのか理解できていない若者の目の前で、手を払った取っ手が形状記憶合金のごとく元の位置に戻っていく。

    「うわ、なんだこれ!」

     若者が叫んだのと同時に銅鐸がひとりでに六十度ほど回転した。とまっていたネイティも一緒に回転した。驚いて後ずさりした若者をなんだ邪魔をするなとでも言うように模様とも目ともとれる赤い文様が睨みつける。

    「…………こ、」

     この銅鐸、生きてる。若者はそのように理解した。
     ポケモンだ。これは銅鐸の形をとったポケモンなのだ。
     この地方では珍しい種類なのだろう、名前まではわからなかったが、雰囲気の似た土偶のポケモンを知っていた若者はそのように理解した。
     銅鐸がもう五度ほど動いた。彼はもうひと睨みされたような気がした。

    「すすす、すみませんっ」

     年経た銅鐸に気圧されて若者は矢倉からそそくさと退散していった。



     石舞台のあいちこちに青い炎が灯る。
     ひとつ、またひとつと増えてゆく。その数は五十を下らない。
     炎に照らされたツキミヤが冷たく笑う。

    「もう逃げられないよ」

     予選の土俵より広いとはいえ、舞台の広さはたかが知れている。鬼火を避け場外に出ることは敗北を意味していた。

    「逃げも隠れもしない。火炎放射」

     リザードが円を描くようにして、勢いよく炎を吐く。
     彼を囲うように灯る鬼火が次々に掻き消されていく。

    「補充だ」

     消された傍から灯ってゆく青い炎。
     姿を見せている一匹の後ろに控えるのはおびただしい数の影達だ。まだまだ余力はある。

    「さあ、あのリザードを縛り上げろ」

     青年は彼のポケモン"達"に命令を下した。
     青い炎が集結し、数珠のように連なって灯ってゆく。それはちょうどハブネークほどの長さになると、まるでキバへびポケモンそのものの動きをなぞらえるようにリザードへ向かった。もちろん当のリザードもまともに捕縛される気などさらさら無く、炎の鎖を断ち切るべくメタルクローを振るう。だが、切れた鎖はたちまちに炎が補充されて、蛇のように絡みつく。口輪をするようにリザードの口、火炎放射の出所を封じた。
     びたん。再びリザードの身体が地に伏せられる。そこだけ重力が強くなっているかのように。

    「カグツチ!」

     思わず相棒の名を叫ぶ相手トレーナーをよそに青年は次の命令を下す。

    「溜めてシャドーボール」

     カゲボウズの額のすぐ前で黒いエネルギー球が成長しはじめた。禍々しいオーラの塊であるそれは球を作り出したポケモンと同程度の大きさになると成長をしながらゆっくりと移動を始める。ちょうどリザードの真上までくるとぴたりと止まった。一刻一刻と球体は膨らみ大きくなっていく。それはまるで黒い太陽のようであった。

    「立ち上がれ、立ち上がるんだカグツチ」

     相手トレーナーの青年が叫ぶ。リザードは必死に立ち上がるとするが、炎の蛇は地からリザードを放さない。それどころか、まるで実体を持っているかのごとく身体を締め上げる。

    「もう一回り大きくなったら、落とせ」

     カゲボウズ達の総力を結集して集めた黒い塊。黒く禍々しく成長を続けてゆく。
     膨らみ続けたそれの直径はゆうにリザードの身長を超えている。
     まともに喰らえば戦闘不能は免れなかった。
     そろそろ頃合だろう。青年は落とせという指示を下そうとした。その時、

    「溜めに時間をかけ過ぎだ」

     と相手トレーナーが言った。

    「時間が長引けば、敵にも時間を与えることを忘れるな」

     まるで警告するかのように言う。

    「わかっているさ。その為の鎖だよ」

     と、青年は答えた。
     するとまだ気がつかないのかと言わんばかりに彼は続けた。

    「口を封じるのはいい作戦だ。だが、お前はひとつ見落としをしている。炎の出所はひとつではない。カグツチ!」

     地に縛られたリザードの尾が立った。
     しまった、と青年はすぐに相手の言い分を理解した。たしかにリザードの動きを封じ口輪もした。だがもう一つの炎の出所、火の燃え盛る尾までは縛り付けていなかった。尻尾の炎が爆発する。

    「オーバーヒート!」
    「落とせカゲボウズ!」

     石舞台に二人のトレーナーの声が木霊して、直後に二つの轟音が鳴り響いた。ひとつは成長したシャドーボールの落下音。そしてリザードの尾が放り投げた巨大な火の炸裂音だった。カゲボウズを飲み込み、舞台に落下すると、いくつもの火柱を立てる。
     爆風が吹き荒れて砂煙が舞った。相手トレーナーはその中に目を凝らす。自身のリザードもシャドーボールを喰らって無事ではいまい。だが、少なくともオーバーヒートの直撃を食らったカゲボウズは戦闘不能にできたはずである。
     煙が薄くなる。その中で火炎ポケモンの影がよろめきながらも立ち上がった。
     持ちこたえた! この勝負、自分の勝ちだ。煙が晴れゆく。
     ツキミヤの指示が下ったのはその直後だった。

    「カゲボウズ、シャドーボール」
    「!?」

     次の瞬間、黒いエネルギー球が二、三飛んできた。
     その球が火炎ポケモンに直撃。立ち上がったリザードが倒れた。
     褐色肌の青年は驚愕する。

    「勝者、カゲボウズ!」

     行司が軍配団扇を掲げた。その先には信じられないことにカゲボウズが浮かんでいた。
     マントが焼け焦げてはいるものの、ふよふよと浮いて笑っている。何より技を出す余裕があったのだ。

    「馬鹿な……」

     観衆が沸く中で、相手トレーナーは呟いた。
     オーバーヒートは確かに直撃したのだ。たかだかカゲボウズの一匹が倒せないはずがない。それなのに。
     カゲボウズが主人のほうに舞い戻ってゆくのが見える。

    「よくがんばったね」

     カゲボウズのトレーナーがそう言って、その頭を撫でた。
     青年は視線に気がついて、くすりと笑みを浮かべた。


     夜が更けていく。石舞台近くに建てられた掲示板に村長が大きな和紙を広げ貼りつけた。そこには黒い筆文字で役名と役者名が記されている。
     どうやら途中で敗れた者にも、つける役と報酬が多少はあるらしく、それらは上位から割り振られているようだった。雨降の部から村人や従者、九十九の部から九十九の一族といった具合に配役されている。決勝で対戦したあのトレーナーも掲示板を覗き込んでいた。配置からして、彼の名はヒスイと言うらしかった。もっと外国人チックな名前を期待していたのだが、意外とこの国風でつまらないとツキミヤは思った。
     出演が決まったトレーナー達は舞台中央に集められると、脚本を手渡される。
     ツキミヤの手には村長自らが手渡した。

    「おめでとう。今年の九十九は君だよ、ツキミヤ君」

     そう村長は祝辞の言葉を述べた。

    「ありがとうございます」
    「悪役とはいえ、雨降様に次ぐ重要な役ですよ。舞も台詞も多いからしっかりおやりなさい」
    「心しておきます」

     台本が行き渡ると、彼らは今後のスケジュールについて説明を受ける。
     そして、手渡された資料を見てツキミヤとその他トレーナー達は多少の差はあれ後悔した。昼休みを挟んで朝から晩まで練習漬けだったからだ。

    「がんばろうね、コウスケ」

     スケジュール表をげんなりした表情で眺めるツキミヤとは対照的に、ナナクサは満面の笑みを浮かべて言った。


     収穫祭を見下ろす村の夜空。太鼓の鼓動も笛の音もまだまだ眠らないが、一日中バトルづくしだったツキミヤ達は帰って休もうとと帰路に着いた。
     タマエ婆に知らせてくると言ってタイキは先に帰ってしまい、ツキミヤとナナクサの二人で田んぼのあぜ道を歩いてゆく。ナナクサが淡い光の提灯を持って先を歩いた。そういえば、ナナクサに初めて会った日もこのような夜だった。
     だんだんと祭の喧騒が遠くなり、入れ替わるように虫の音が大きくなる。
     タマエの家まであと三分の一といったところだろうか、突然ツキミヤが脚を止めた。

    「どうしたの? コウスケ」

     ナナクサがそう尋ねると

    「悪い、ちょっと寄る所があるんだ。ナナクサ君は先に帰っていいから」

     と、ツキミヤが答えた。
     彼の視線は少し離れた先にある棚田のほうを向いている。

    「君を残して帰るわけにはいかないよ。タマエさんの言いつけだもの」
    「じゃ、ついてくるかい? たぶん君はがっかりすると思うけど」

     意地悪そうな笑みを浮かべて、ツキミヤが答えた。
     二人で上る棚田の曲がりくねった道は青年が村に入った日にナナクサが教えてくれた場所の一つだった。
     上りきれば村の風景を一望できる場所だ。遠くに祭の灯かり、そしてそのすぐ近くには雨降大社の灯かりが見えた。

    「こんなところでいいだろう」

     ツキミヤはそう言うと、傍らに浮かんでいたカゲボウズに鬼火を命じた。
     鬼火は高く高く上ると上空で花火のように弾け飛散した。
     二発、三発、同じように繰り返す。

    「何してるのさ」

     ナナクサが尋ねると「信号だよ」と青年は答えた。
     意図が理解できていなさそうな素振りのナナクサを見てすぐにわかると付け加える。
     それから数分ほど経過しただろうか、ツキミヤが指差した先を見てナナクサは驚いた。農村の夜空に謎の飛行物体が現れてこちらに近づいてきたからだ。ゆらゆらと左右に旋回しながら近づいてくるそれは未確認飛行物体――UFOのそれに見えなくも無かった。

    「なんてこった。コウスケは違う星の人間だったのか」
    「んなわけないだろ。よく見ろ」

     ナナクサのボケか本気かわからない台詞にツキミヤが冷静にツッコミを入れている間に、UFO――未確認飛行物体がツキミヤの目の前に来て、そして静かに着地した。
     ナナクサが提灯の光を当てる。それは鐘のような形をしたポケモンだった。頭にはツキミヤのネイティが乗っかっていて、俺の顔になにかついているのかとでも言うようにナナクサを見た。

    「おかえり。お疲れ様」

     と、ツキミヤが彼らを労う。

    「そういえば君にはまだ見せていなかったね。この地方じゃあんまり知られてないけどこれはドータクンというポケモンだ。ホウエンで言うネンドールに近いポケモンって言えばわかりやすいかい? 一説にはシンオウの先住民が造った人造ポケモンじゃないかと言われている」

     そんな解説を交えながら、ツキミヤは最後にこう付け加えた。

    「ちなみに得意な技は雨乞なんだ」
    「雨乞? まさかコウスケ……」

     ナナクサはここでやっと青年の仕掛けた"仕掛け"を理解した。

    「準決勝で降った雨はこいつの仕業かよ!」
    「そうだよ」
    「そうだよ、って! 思いっきり反則じゃないか」
    「まさかナナクサ君、僕がカゲボウズ一匹で勝てると思ったのかい? いいんだよ。公式大会じゃあるまいし堅いこと言うなって。それに僕に役を取って欲しかったんだろう?」
    「そ、そりゃそうだけどさー」

     頭をかかえてしゃがみ込むナナクサを見下ろしてニヤニヤしながら見下ろした。

    「ちなみに決勝戦では、鬼火にこいつの神通力を合わせてた。縛りあげたりできたのはその所為だよ。タイミングを合わせるのが大変でさ。それにあんまり近くにいるとバレるだろ? 遠くからでも見えるようにネイティにはドータクンの目の代わりになってもらったんだ。鳥ポケモンは目がいいから助かった」
    「なんていうか君って、怖いもの知らずだよ……」

     でも、選考会でそれだけのことやらかす度胸は舞台向きかもしれない。
     ナナクサはなんとかプラス思考に解釈する。

    「ああ、あとね、最後にオーバーヒート喰らってもカゲボウズが倒されずにいたのは、ドータクンの特性をスキルスワップしておいたからなんだ」

     スキルスワップ。ポケモン同士の特性を入れ替えるトリッキーな技。
     いつのまにかツキミヤはナナクサとは反対方向を向いて、そう解説していた。

    「"耐熱"って言って、炎に強い特性なんだ」
    「どっち向いて言ってるのさ」

     くすりと笑みを浮かべるとツキミヤが言った。

    「これでだいたい納得できたかい? ヒスイさん?」
    「…………えっ?」

     ナナクサはツキミヤの見つめる方向に提灯の灯かりをやった。
     彼らが立っている棚だの何段か上のほうに人影が見える。
     なんだバレていたのかと言わんばかりに一人のトレーナーが二人のほうへ降りてきた。褐色の肌に映える銀髪のトレーナーにナナクサは見覚えがありすぎた。

    「あーっ、お前は決勝のジャポニカ種!」

     と叫ぶ。
     トレーナーは怪訝な顔をした。

    「君がすごく疑り深い顔してたからさ。この際、タネ明かしておこうと思って」

     さらりとツキミヤは言った。

    「でも覚えておくといい。僕が尻尾を出すまで監視するなんてムダだ。背中に目があるんだよ。それに、誰かの秘密を知りたいと思ったら堂々と正面から行ったほうがいいこともある」

     無言の圧力。
     トレーナーはただ立ち尽くし、二人を睨みつけている。
     ナナクサはすっかり縮み上がってしまい、ツキミヤの影に隠れる始末だ。

    「……でも正直なところ、あのオーバーヒートは危なかったな」

     ツキミヤはそのような感想を述べる。
     虚構だらけの選考会の中で、少なくともこれだけは本当だった。
     そう、虚構だらけだ。出る人間も。出させる人間も。仕切る人間も。
     道理を曲げ勝利して、筋書きを変えてしまおうと画策する。思ってもいないくせに祝辞を述べる。
     人は誰でも仮面を被り演じる役者なのだ。舞台から降りてもきっとそれは変わらない。


      [No.13] (九)灯火 投稿者:No.017   投稿日:2010/08/11(Wed) 09:38:53     55clap [■この記事に拍手する] [Tweet]





    (九)灯火


     火炎ポケモン、リザード。
     ホウエンでは珍しいポケモンだが、進化前のヒトカゲは、カントー地方の初心者向けポケモンの一匹とされているらしい。
     とある図鑑の記述によれば、炎の灯るその尻尾は大人五人分を持ち上げられるという。
     彼らだって別に疑っていたわけではないのだが、やはり見ると見ないのでは実感が、納得の度合いが違う。知っているのとこの目で見るのには実際、天と地ほどの差があるのである。

     最初に攻撃に出たのはバクーダだった。
     色違いのリザードに体当たりを食らわせるべく、彼は突進する。
     が、その一撃はあっさりとかわされた。
     リザードは素早く噴火ポケモンとの距離をとり、溜めの体勢に入った。尻尾の炎が赤々と燃え大きさを増していく。カッと一瞬青白く燃え上がったように見えたその瞬間、大きく開けた口から大量の炎が迸った。
     炎ポケモンに対する火炎放射。大したダメージは望めない。だがそれは祭を楽しむ観客を沸かせるには十分なパフォーマンスだった。そして敵の関心を炎に逸らした上で再び近づくにも。どっと人々が沸く声共にガラ空きのバクーダの側面に大きな一撃が振り下ろされる。腹部への打撃を受けたバクーダは鼻息を荒くして、痛みの方向に目を向けたが、敵の姿はすでに消えうせていた。また違う方向から火炎放射。そして一撃。
     そんな攻撃が何度か繰り返されて、バクーダはいずれも当て逃げを喰らってしまう。
     何度返り討ちにあわせてやろうとトライしても軽くいなされるか、よくてもあと少しのところで交わされてしまう。受けているダメージ自体はたいしたことはなかったが、噴火ポケモンは次第にイライラした様子を見せ始めた。

     「地震はやめとけよ」

     試合前にそう言ったのは自身のトレーナーだった。
     イベントの事情というやつで、祭の最後の夜にこの舞台が使えなくなっては困るからと云うことだった。まったく面倒くさいバトルだとでもいうようにふんっとバクーダは鼻息を噴出した。普段ならとっくに一撃をお見舞いしているところなのに。
     だが幸いにも、彼は暑苦しい外見に似合わず割合冷静な性格であった。血気盛んな性格であれば、ヤケを起こしていたかもしれないが落ち着いて戦況を観察する。
     地震は使えない、無闇に突進をしてもかわされる。ならば……。
     バクーダは主の意思を確認するようにちらりと後方に目をやった。すると意図が伝わったらしく、主人が軽く頷いたのが見えた。背中の中がぐらぐらと煮え立ち始める。彼はリザードを挑発するように、鳴き声をあげた。来るなら来い。お前の攻撃など蚊にさされたようなものだ。
     機を待つ。相手だって今の攻撃を続けていてもラチがあかないのはわかっているはず。今に大きな一撃を見舞おうとするはずだ。そしてその時こそが機。
     リザードが距離をとる。雄たけびを上げると彼は再び溜めの体勢に入った。先程よりも時間が長い。尻尾の炎が大きく燃え上がった。身体の大きさほどに膨らんだかと思うと青白くなる。今度は一瞬ではなかった。言うなればギアをチャンジしたというところだろうか。火力を上げてきたのだ。来る。バクーダも試合を見守る聴衆も同じ認識を持った。

    「大文字」

     リザードのトレーナーが静かに命じた。 
     牙の並ぶ大きく開かれた口から尻尾で燃え上がっているそれと同色の炎が迸る。
     それはすぐに相手には向かわず、色違いのリザードの前で渦を巻くと、五方向に脚を伸ばし「大」の字の形をとった。大きい。聴衆のどよめきが聞こえた。

    「放て」

     再びトレーナーの声。大の字の炎がバクーダに向かって襲い掛かる。
     だがバクーダは逃げなかった。太い蹄の生えた脚を踏ん張って受ける体勢を取る。彼が見据えたのは襲い掛かる大の字の青い炎ではなく、それを放ったポケモンそのものだ。
     高威力の技で火力が上がっている。とはいえ、それ一撃で自身を倒すだけの力は無い。これは、自分を倒すためでなく、ある程度動きを止め、視界を遮る為のものだ。いわば囮だった火炎放射の上級版。ならば相手はより大きい直接攻撃を狙っているはず。大文字をその身で受け止めながらバクーダは高く跳ね自身の上を取ったリザードの影を見た。
     ドラゴンクロー。加速度を付け、硬質化させた太い爪を振り下ろす。この一撃で勝負を決めるつもりだ。
     取った。その影がはっきりと現れたその瞬間、バクーダの背中にある火山が噴火した。
     炎を司るポケモンに炎は大したダメージを与えられない。だが、質量を伴ったマグマであればどうだ。岩や鉱物をふんだんに含んだ熱い土砂をぶつけるのであれば。それは高威力の打撃技を当てることと同等の意味を持つ。いくら炎ポケモンとはいえこいつの直撃を食らえば無事では済まない。バクーダは勝利を確信する。
     だが、次の瞬間に、

    「カグツチ、地球投げ」

     という相手のトレーナーの声が聞こえたかと思うと彼の脚が地から離れた。
     そしてその巨体がぶんと放り投げられると石舞台の外へ投げ出されたのである。
     バクーダには何が起こったのかわからなかった。そして、リザードの二本の腕と尾に身体を持ち上げられ、投げ飛ばされたのだと気付いた時、すでに取組の結果は決していた。
     彼は相手の大技を誘っていたつもりだった。だが、誘い出されたのはむしろ彼自身だったのだ。大文字、そして彼の上空に見えた"影分身"という二重の囮。噴火を狙っていたのは彼だけではなかった。なまじ噴火で身体が軽くなっていたのが災いしてしまった。巨体は軽々と持ち上げられ、そして場外へと投げ飛ばされたのだ。

     このようにして準決勝一回戦の幕は大きな盛り上がりのうちに幕を閉じた。
     その盛り上がりと異様な熱気に比べると、準決勝の二回戦ははじめから盛り上がりに欠けていた。
     それもそのはずだ。観客の誰一人として、まともに取組を見ることが出来なかったのだから。

     二回戦は開始からそもそもムードに欠けていた。取組の前からポツポツと小雨が降り始めたのである。 そして西にカゲボウズとそのトレーナー、東にマグカルゴとそのトレーナーが並んで石舞台立ち、行司が「はじめぇ」と云ったあたりから本格的に降り出した。
     マグマで出来たマグカルゴの身体に雨粒が当たるとそれはたちまちに蒸気となった。強まる雨足は緩む気配もなく、ざあざあと音を立て始めシュウシュウと音がする。マグカルゴの身体に触れた雨は蒸気となり立ちこめる。たちまちにあたりは瞬く間深い霧に覆われてしまった。

    「おい、どうしたんだ」
    「ぜんぜん見えねーぞ!」

     などと苦情と罵声交じりの観客達の声が聞こえてくる。
     だが聞こえてくるばかりで彼らの姿はまったく見えない。ただ舞台を囲む炎がゆらゆら霧の中で揺れ、光っているのがわかる程度である。審判である行司の姿もまともに見えなかった。
     濃霧の中で、観客達や行司はさぞかし戸惑っていることだろう。その中でカゲボウズの主人だけが一人笑みを浮かべる。

    「出ておいで」

     ツキミヤは、"彼ら"にしか聞こえないよう、ひっそりと呟いた。
     彼の足元から十、二十、三十といくつもの黒い影が芽吹いて顔を出す。
     霧の発生源のほうをすうっと指差してツキミヤが言った。

    「シャドーボール。熱いほうに向かって打てるだけ打ち込んで」

     湧き出した影達が黒く禍々しいオーラの玉をいくつも発生させる。
     それが霧の発生源に向かって何十発も、何十発も打ち込まれた。
     濃い霧で対象ははっきりとは見えない。が、熱をもったそれはのだいたいの位置を掴むことはできた。これだけの数を打ち込めば無傷ということはあるまい。
     雨が止む。案の定、村人や参加トレーナーが風を起こせるポケモンを総動員して霧を払ったころには地面に倒れ動かなくなったマグカルゴが姿を現した。カゲボウズ一匹だけが元の位置でひらひらと浮いて微笑んでいる。行司が戸惑いながらもカゲボウズのほうに軍配団扇を上げる。何事が起こったのかわからぬうちに準決勝第二試合は決した。

    「何をやったんだよコウスケ」
    「何をやったんじゃコースケ」

     石舞台から降りてきたツキミヤにナナクサとタイキが尋ねるが

    「それなりの準備をしたまでさ」

     と、彼は意味深な笑みを浮かべただけだった。
     次が決勝戦か。気がつけば先程勝ったリザードのトレーナーを無意識に探していた。
     するとすぐに目的の人物が見つかった。ツキミヤが降りてきた舞台のほぼ反対側にあのリザードと座っている。
     ツキミヤの視線に気がついたのか、彼は黙って睨み返した。

    「米に例えるならジャポニカ種って感じだね」

     ナナクサがそう評価する。
     エキゾチックとでもいうのだろうか。そのへんのトレーナーとは違う雰囲気を持った人物だった。肌の色はどちらかといえば褐色で、大学で出会ったあの人を思い出す。
     ツキミヤは彼と対照的にやわらかく微笑み返した。

    「お二方とも、十五分後には始めるけどよろしいかな」

     舞台の上から行司がそう尋ねてきて、彼らは互いに「問題ない」「問題ありません」と答える。
     束の間の休憩をとろうと腰を下ろすと、何か飲むかとナナクサが尋ねてきたので彼は茶を一杯所望した。

    「これはアナモリさんちの方々お揃いで」

     どこかで聞いたような声。茶を片手に視線を上げれば雨降大社で見た顔だった。ぺこりとタイキが頭を下げる。

    「これは村長さん、その節はお世話になりました」

     と、ツキミヤも軽く会釈する。

    「何をしにいらっしゃったんですか」

     あからさまに不機嫌な声で言ったのはナナクサだった。本当にこの人が嫌いらしい。

    「お揃いとといっても、タマエさんはいませんよ」
    「ああ、タマエさんならお家の裏のほうにいらっしゃいましたよ」

     思い返すようにツキミヤが言った。

    「あれ、コウスケいつのまに家に戻ってたのさ?」
    「ちょっと必要があってね」

     これも勝つための準備さ、とでも言いたげに答えた。

    「で、祭で忙しい村の村長さんが僕達に何か用ですか。まさかまた人を妖怪よばわりしにきたわけじゃないでしょう?」
    「いやなに、九十九の部でカゲボウズ一匹で快進撃を続けてる出場者がいるっていうからね。どんなトレーナーかと思って見に来んだよ。そうしたら、昨日会ったタマエさんのお客さんじゃないか。それは声もかけてみたくなるでしょう?」
    「それはどうも」
    「九十九と同じ色違いのリザード、色違いの妖狐と同じ青い炎のカゲボウズ。面白い取り合わせだ。どちらが選ばれても、いい演者になりそうですな」

     村長は短い髭をさすりながら、はっはっは、と笑った。

    「村長さんは、どちらになるとお考えですか」

     突然、試すようにツキミヤが尋ねる。
     ほんの一時だが、老人が何やら意味ありげな目でツキミヤを見た。
     だが、すぐに

    「何、勝ったほうが相応しいほうというだけのことです」

     と、答える。

    「そうですか。それじゃあ是が非でも勝たないといけませんね」

     ツキミヤは挑戦的な台詞を吐く。だが、柔らかい笑みは崩さなかった。その顔はまるでどんな場面でも変わらない表情の能面のようでもあった。面の下の素顔がどんな表情をしているのかは誰も知らない。

    「コウスケ君、と言ったかね……」

     静かに老人は問う。

    「はい」
    「……あんた一体何者だね?」

     あれ、結局聞きたいところはそこなんですか、とでも言いたげにくすりとツキミヤは笑う。

    「村長さんッ!」

     声を荒げたのはやはりナナクサだった。

    「結局それですか! そんなにコウスケを妖怪に仕立てたいのか、貴方は!」

     その様子は眉間にしわを寄せ、吠え立てる獣のポケモンのようにも見えた。

    「だってねえナナクサ君、私だって最初はあのばあさんに付き合わされたたかわいそうな旅の人かと思ったけどさ、こう表舞台に立たれると怪しみたくもなるじゃないか。現に彼は九十九になる目前まできてるわけだし、これは案外ホンモ……」
    「いい加減にしてください!」

     ナナクサが叫ぶ。

    「僕はコウスケと風呂にだって入ったけど、耳の一対、尻尾の一本だって生えちゃいませんでしたよ! あったのは……古傷くらいです」
    「古傷だって!? そりゃあ雨降様の矛の刺し傷じゃないのかね」

     動かぬ証拠を見つけたとばかりに村長は興奮気味に言った。

    「違います! かなり深かったけどあれはひっかき傷でした。矛ではあの傷はつかない」

     ナナクサが負けじと反論する。

    「と、とにかく! 僕が頼んだんですよ出演のことは。どこの骨ともわからないトレーナーにやらせるよりは客人である彼にやってもらうほうがタマエさんも喜ぶだろうと、そう思っただけです。とにかくこれ以上タマエさんの客人に無礼なことを言うのは、」

     ますます感情的になっていくナナクサ。だが、

    「いいじゃないか、ナナクサ君」

     と、ツキミヤはなだめるように言った。

    「コウスケ……?」
    「祭とは日常と切り離された非日常。こんなにたくさん人もポケモンもいるんですから。その中に妖怪や魔物の一匹や二匹が混じっていてもおかしくない。泊めた客人が妖の類だったなんていうのは存分に有り得る話です」
    「君まで何を言い出すんだよ」
    「今年、舞台で九十九の役を演じているのが九十九そのものだと宣伝したなら、きっと話題になるでしょう。たとえ本当の中身が何であったとしてもね。さすがはこの村長さんだ。祭の盛り上げ方というのをよく心得ていらっしゃる」

     ね、あなたの狙いはそれなんでしょう? と、同意を求めるような目でツキミヤは村長を見つめた。村長はしばしキツネにつままれたような顔できょとんとしていたが、やがて、まぁそういうことにしてやってもいいというような顔をして、髭をいじった。

    「村長さんはおっしゃいましたね。タマエさんは僕を人間として見ていない……と。だからご期待に応えてみようと思ったまでです。舞台の上なら人は何にでもなれる。雨を降らす神様にも村の田を火の海にしてしまう恐ろしい化け物にすらなれるんです」

     響く笛の音、胸に響いてくる太鼓の鼓動。
     赤や橙の色が灯る闇を背に、芝居がかった口調で青年は語った。

    「ならば僕はなりきってみようと思う。滅びてもなお村人を恐怖させる炎の妖に」

     闇夜に灯る炎。

    「もちろん僕はただの院生ですけれどね」

     青年は笑顔を崩さずに言った。

     


     小さな灯りが天井にぽつんと灯っただけの土間があった。そこに大きなダンボール一個程度の機会がガタガタと音を立てながら稼動している。機械の口からは細かな白い粒が吐き出され、機械の頭には黄金色の粒が老婆の手によって袋から注ぎ込まれていた。
     吐き出されているのは今年獲れたばかりの新米だった。籾殻が取り除かれ、研いで炊けばすぐに食べられる白い粒だ。
     タマエはもう昼間から同じ作業を繰り返していたが、ほとんど手を止めなかった。まるで珠を磨くように、精米する作業を繰り返す。
     だが、作業を繰り返しながらずっと頭から離れないことがあった。
     日が暮れてしばらく経った頃に現れた客人の言葉だ。



    「ご精が出ますね、タマエさん」

     人影に気がついて、作業を繰り返すタマエの手がしばし止まる。
     つい先程から、ただ流れる米をじいっと見つめていただけのネイティが妙にそわそわし出したと思ったら、そういうことか。
     四角く切り取られた家の壁、裏口には、一昨日の晩に招いた客人が立っていた。
     傍らには一匹のカゲボウズ。ふよふよと宙に浮いている。

    「なんじゃ、コースケか。シュージと一緒に祭の見物に行っとったんじゃないのか?」
    「所用がありまして。しばらくネイティを貸していただきたいと思って戻ってきたんです」
    「貸すも何もお主のポケモンじゃろうが。ほれ」

     戻っていいぞという風に、タマエが小鳥ポケモンに合図するとネイティはひょいっと、精米機から飛び降りた。そして、二、三回飛び跳ねながら主人の下へ戻っていった。主人の肩に跳び乗ると目を細めて頬に擦り寄る。ツキミヤが仕方ないなとでも言うように頭を撫でる。

    「シュージはどうした」
    「ナナクサ君でしたら、タイキ君と一緒に選考会の見物中ですよ」

     タマエの質問に青年はにこやかに答えた。

    「選考会? あの大根役者を決める会のことか。くだらんものを見とるの」

     やや不機嫌そうにタマエが言うと、くくくっ、とツキミヤは笑った。

    「大根とは手厳しい。それじゃあ僕はせめて人参くらいにはなるように努力することにします。タマエさんのお眼鏡に叶うかどうかはわかりませんが」
    「……? どういうこっちゃ?」

     タマエが怪訝な顔をする。

    「僕ね、選考会に出場しているんですよ。準決勝まで行きました。九十九様の役をとるまであと少しです」
    「…………なんじゃと」
    「本当は役がとれたら報告するつもりだったんですけど」
    「…………」
    「タイキ君にもバレちゃったし、もういいですよね? しゃべっても」

     タマエの反応を楽しむようにツキミヤは言った。
     一方のタマエは丸い目をますます丸にしてしばしツキミヤを見つめていたが、やがて

    「……シュージが無理強いしたんじゃないのかね、コースケ」

     と尋ねた。

    「そんなことないですよ」
    「嘘をつけ」

     ツキミヤの言葉は瞬く間に否定された。

    「やっぱりバレましたか」

     青年はいたって素直に負けを認める。

    「あの子の言いそうなこった」
    「実は相当な勧誘を受けました」
    「やっぱりか」

     タマエはふうっと溜息をつく。

    「シュージは空気が読めないというか言い出したら聞かない子でねぇ、とんだ迷惑をかけてしまったね」

     彼女は申し訳なさそうに言った。だが、
    「いいえ」 と、ツキミヤは言った。
     僕を役に就かせるどころか脚本の改変まで企んでいますよ。心の中で反芻する。

    「まあ、それでこそナナクサ君ですよ」

     青年がフォローだかイヤミだかわからない言葉を返した。
     すると、

    「コースケ、お前さんはシュージをどう思う」

     やや真剣な顔つきになって老婆は言った。

    「シュージはね、ある日いきなりここで働かせて欲しいと言って押しかけてきたんよ。もう三年くらい前くらいになるのかな」

     唐突にそんなことを語り出す。

    「正直なところあの子の素性は私もよく知らないんだ。何か込み入った事情があるのかもしれないが詮索する気も無いしね」
    「そういえば、この村の出身ではないと伺いました」
    「最初の三日間は出身なんかも聞いてみたが、はぐらかすばっかりなんで四日目には諦めた」
    「三日坊主ですね」

     冗談交じりでツキミヤが言った。

    「でもどうしてだろうねぇ。どうにもよそから来た他人の気はしないんだよ。まるで昔から一緒に暮らしているみたいな」
    「わかるような気がします」

     きっと相当努力したのだろうとツキミヤは思う。
     ナナクサはやたらと村のことに詳しい。あれだけの知識を集積するのにどれほどの犠牲を払ったのか。

    「シュージには感謝しているよ。主人に先立たれて、ドラ息子はタイキを置いたままちっとも帰ってきやしない……シュージが現れたのはそんな頃だった。あの子は何をやらせてもよくできるけど、田んぼから家に戻ったときに、おかえりなさいと言ってくれるのが一番ありがたかった」
     
     天井に掛かった灯かりが弱く照らすだけで、部屋はほの暗い。
     羽虫が二、三匹そのわずかな光の周りを舞っている。

    「だからこそ心配だ。あの子はなんだってやってくれるし、仕事をするのを苦にもしないけれど、恋人も友達も作らないんだ。本当に興味が無いのかもしれないが……だからコースケ、シュージがお前さんに懐いてるのを見てわたしゃホッとしたんだ」
    「懐いている? ナナクサ君が僕に?」
    「気が付かなかったかい。あの子は、コースケ以外を呼び捨てでは呼ばないよ」
    「……それは気が付かなかったな」
    「シュージは米のことに詳しいから、村の人間にも頼られている。けれど、あの子自身はどこか村の人間とは距離をとっているんだ」

     そうタマエは付け加えた。

    「そういう風には見えませんでしたけど」

     目の前の老婆に異様に入れ込んでいる以外は、軽くて空気が読めない奴くらいにしか思っていなかったツキミヤにとって、彼女の発言は少し意外であった。
     ナナクサが嫌っている村長は置いておいて、村巡りであった人々とナナクサのやりとりを見ていればとてもそういう風には見えなかったのだが。

    「それはコースケの本質を見る目が甘いからじゃよ」
    「本質……ですか」

     誰かさんがそんなことを言っていた気がする。

    「老い先短くなると、目は悪くなるし、耳も聞こえづらくなるが、そういう感覚はむしろ鋭くなるんじゃ」

     けれども老婆にそう言われると、だんだんそんな気がしてこないでもなかった。
     彼はタマエを慕っているのであって、村自体が好きなわけではないのかもしれない。タマエの為という大義名分があれば平気で伝統行事をひっくり返そうとする奴だ。

    「ああ、そういえば彼、言っていました。僕のことは……ヒトメボレなんですって」
    「ヒトメボレ?」
    「米の品種ですよ。彼、人を米の品種に例えたがるでしょ」
    「ああ、そんなクセもあった」
    「メグミさんはアキタコマチで、村長さんは汚染米ですって」
    「汚染米? はは、そりゃ品種じゃないだろう」

     タマエがそりゃいいわ、とでも言いたげにカッカと笑った。
     だが彼女はすぐ真剣な顔つきになって、

    「コースケ、」

     と、一呼吸置いてから言った。
     
    「コースケがシュージをどう思ってるかは知らん。だがこの村にいる間だけは仲良くしてやっておくれ。あの子のことだから、いろいろ変なことは言うだろうし、すでに言われてもいるだろうが……選考会の件はすまなかった」
    「気にしていませんよ。それに選考会のことなら、決めたのは僕の意思ですから」

     弱々しい灯かりの周りを羽虫が舞う。
     人口の灯かりを月の輝きと勘違いした小さな命は、月を追おうとしてぶつかっては弾かれ、また弾かれて、けれど月を目指すことをやめようとしない。

    「それに……それなりに楽しませてもらっていますしね」

     つうっと指を伸ばすと、青年は傍らに浮かぶカゲボウズの喉を愛撫した。
     エネコがゴロゴロと喉を鳴らすのと同じように、差し出すように、人形ポケモンが首をのけぞらせる。

    「九十九の役は僕が貰います。他の大根役者共には渡しません。どんな手を使っても」
    「物騒だね……どんな手を使っても、かい?」
    「そうです。ナナクサ君たってのご指名ですから」

     それにこれは何より、当の九十九本人の望みでもある――。
     ほの暗い部屋の中、青年の眼はいやに光って見えた。
     闇夜に光る獣の眼のような。
     青年が瞳を伏せてふっと笑った。

    「そろそろ会場に戻ります。お手を止めてすみませんでした」

     身を翻し背を向けた。

    「タマエさんにいい報告ができるようがんばりますよ」

     四角く切り取られた裏口から、青年のシルエットが消える。
     外からりーりーと虫の鳴く声が聞こえた。
     遠くに笛や太鼓の音が混じっている。

    「…………つかみどころの無い子じゃのう」

     タマエはしばしシルエットの消えた裏口をぼうっと眺めていたが、やがて止めていた手を再び動かし始めた。
     彼女ぱちんと電源を入れると、まるで餌をねだる雛鳥のように精米機が鳴り始めた。

    「そんなに鳴らんでもすぐにくれてやるわい」

     タマエは後ろに積まれた収穫したばかりの米の袋に手をかけた。

    「ねえタマエさん、」

     唐突に先ほど去ったはずの客人の声がして老婆は顔を上げる。

    「なんじゃコースケ、行ったんじゃなかったんか」
    「僕が選考会に出た理由、知りたくありません?」
    「なんじゃ、よく聞こえんぞい」

     ガガガガ、と精米機がけたたましく鳴っている。
     袋を担ぎ上げ、開いた。今年収穫したばかりの黄金色の稲の粒が顔を覗かせる。

    「やって欲しいと言われたんです」
    「それは知っとる。お前さんはシュージに……」
    「いいえ、本人から」
    「あん? 本人?」

     音が変わる。精米機が粒を飲み始める。吐き出される白い粒。

    「そう、本人です」

     青年は裏口の向こう。その姿は夜闇に紛れてよく見えない。
    「ねえタマエさん、」と、再び語りかけるように青年が言った。
     機械の振動音が邪魔して、明瞭には聞こえなかった。
     だが、タマエの聞き間違い出なければ青年は確かにこう言っていた。

    「ねえタマエさん、ツクモ様が夢枕に立って、僕に演じてほしいって云ったんだって言ったら信じてくれます?」
    「…………、……なんじゃと?」

     青年が闇の中で笑ったように見えた。

    「待て、コースケ」

     彼女は急いで袋の中身を精米機に飲み込ませると、その場を立つ。
     だが、持ち場を離れ、彼女が家の外に飛び出した時、すでに青年の姿は消え失せていた。
     置き去りにされた精米機だけがごうんごうんと物欲しそうに音を響かせていた。


      [No.12] (八)迦具土 投稿者:No.017   投稿日:2010/08/09(Mon) 12:25:03     31clap [■この記事に拍手する] [Tweet]





    (八)迦具土


     選考会。ポケモンバトルという形のオーディションの舞台。
     その場所は土を盛り固めて作ったリングの上であった。
     あまり広くは無い。それは相撲の土俵によく似ていた。
     今となってはそれを知るものは少ないが、古来、相撲とは奉納相撲として神に感謝と願いを捧げる儀式であった。そこでは、二者のうちのどちらかが勝つかによって五穀豊穣や大漁を占ったのである。
     ナナクサいわく、この村でポケモンバトルで役者を決めようと言い出した者が出たときにはポケモンバトルで決めようなどととんでもない、よそ者を伝統の舞台に上げるなど何事だとずいぶんと反対の意見が出たらしいが、いざ始めてみればなんだかんだで定着してしまった。もちろん謝礼の豪華さも手伝ってのことだが、それは祭のスタイルにあっているということなのだろう。
     発案者は知っていたのだろうか。相撲という神事の名を。
     もっともその発案者とやらはもうとっくに村にはいない人であるらしく、今となってはそれもわからない。
     だがその者の意図がどうあったにせよこの方式をとるようになってから、祭がいっそう賑やかなものになった。それはかつて反対した村人すら認める事実であった。
     会場は参加するトレーナー、見物をしにきた村人や観光客で大いに賑わっている。
     ツキミヤが村に入った時に聞こえてきた笛や太鼓の音色はその雰囲気をいっそう盛り立てていた。

    「勝負あり!」

     土俵の真ん中からに二、三歩下がった場所に相撲の審判、行司のような鳥帽子をかぶった和服の男が立っていて、瓜を縦から割ったような形をした軍配団扇を勝者に向けた。
     見物客がわぁっと歓声を上げ、時折拍手が混じる。
     勝負は一対一の一騎打ちで、短時間で決する場合が多い。
     土俵は狭く逃げ場が無い。お互いに技を放ち、技を喰らう。ぶつかり合う。避ける余裕が無いから短時間で決するのだ。
     公式戦で言うところの戦闘不能にするか、相手を土俵からふっ飛ばせば勝ち。
     これも相撲によく似ているとツキミヤは思った。

    「次の次だよコウスケ、準備はいい?」

     付き添いのナナクサは少しばかり心配した様子で聞いてきた。
     下手をすれば勝負は一瞬で決まってしまう。
     油断をすれば望む役を手にすることは出来ないのだ。

    「君が緊張してどうするんだよ」

     ツキミヤは仕方ないなという感じで笑った。
     その笑みにはなぜか余裕が垣間見れる。
     彼の肩の後ろからひゅっとカゲボウズが顔を出してくすくすと笑った。
     穴守家の湯船に沈められ、タイキを鬼火で脅かしたあのカゲボウズである。
     彼にも緊張した様子は見られなかった。

    「そんなに心配するなよ。勝算がなきゃやらない」
    「でも、そのカゲボウズ一匹だよ? 中には体格のいい炎ポケモン使ってくるトレーナーだっているのに」

     やはり心配そうにナナクサは言った。

    「こう言っちゃうのはなんだけど、まだあのネイティのほうがエスパー技を使うだけ強そうだ」

     するとツキミヤの顔の横に浮いているカゲボウズがぷうっと頬を膨らませた。
     ずいっと前に進み出るとナナクサの結った髪の一つをくわえ、思いっきり引っ張った。

    「うわっ!」

     驚いたナナクサは二、三歩後退し、髪をかばう。
     が、結いが外れ、髪を縛っていた紐はカゲボウズに奪われてしまった。
     カゲボウズが結わき紐をぺっと吐き出したかと思うと、ぼうっと紐が燃え上がる。

    「ああ! 何するんだよ!」

     ナナクサが叫んだ。

    「君が失礼な事言うから怒ってるんだ。だいたいネイティじゃ出れないルールだろ。あの子は炎技使えないし」

     それにネイティはタマエに貸し出し中だった。
     どういう訳だかタマエは出会った時から彼をいたくお気に召した様子だった。
     タマエときたら昨日ナナクサと村に出る前から何やら言いたげにそわそわし通しで、それを痛いほどに感じていたツキミヤは穴守家を出る前、ネイティに良い子の留守番を命じたのだ。
     やはり宿を提供してくれた恩人にはそれなりのサービスというものをしなくてはなるまい。
     そしてサービスは現在も継続中なのである。
     もちろんサービス係の小鳥ポケモンにも青年自身がそれなりのアフターサービスをしなければならないだろうが……。

    「あーあ、その染めの色気に入ってたのに」

     ナナクサの髪を結わいていた憐れな紐はカゲボウズの鬼火で焼け落ちていく。

    「そんなに心配しなくても僕は勝つよ。必ず決勝に進んでみせる」

     落ち着いた声でツキミヤは語った。
     頼りにしているよとでも言うように人形ポケモンの頭を撫でてやる。
     カゲボウズは機嫌を直したようで、満足そうに目を細めた。

    「違うよコウスケ。進むだけじゃなくて勝ってもらわないと。君は九十九の部で優勝して、九十九を演じるんだ」

     解かれた髪をくるくると指で巻きながらナナクサは言い改めた。

    「言ってくれるじゃないか」

     と、ツキミヤが返す。

    「何回勝てば九十九になれる計算?」
    「九十九の部の出場者が五十人くらいって聞いた。コースケはシードじゃないから六回ってところじゃないか」
    「六回ね……」

     "野の火"の役者を選出する選考会は大きく二つの部門に分けられる。
     一つはこの舞台の主役である雨降大神命を選ぶ雨降の部。
     そして雨降の倒す相手、この村の人間達にとって恐怖の対象、炎の妖である妖狐九十九を選ぶ九十九の部である。
     雨降は水の技を使うポケモンのトレーナーの中から、九十九は炎の技を使うポケモンのトレーナーの中からそれぞれが選ばれる。
     選考はトーナメント形式進行し、各部門の優勝者がそれぞれ雨降と九十九となるのだ。

    「勝負あり!」

     また威勢の良い声が響き渡る。それに呼応してまた聴衆が沸いた。

    「それでは次の取組ぃ。出場者は三分以内に前へ」

     審判が呼んでいる。

    「じゃあ行ってくる。すぐに終わらせるから」

     ツキミヤはそう言うとカゲボウズを連れ、聴衆の中を分け入っていった。
     対戦相手もすぐに来たらしく取組はすぐに始まった。

    「西ぃドンメルー。東ぃカゲボウズー」

     少々間伸び気味の癖のある声。審判がポケモンの種族名を読み上げる。

    「カゲボウズだってさ」
    「ほとんどの出場者は炎ポケモンだってのに。珍しいな」
    「あんなちびすけで勝負になんのか?」

     観客達が口々にそんなことを言ってナナクサはますます心配になる。
     そんな彼の心配をよそに審判は軍配団扇を下に下げ、そして――

    「はじめぇ!」

     と言って軍配団扇を上げると、ディグダも真っ青になりそうな程の恐るべき速さで土俵際に退散した。
     まともに炎技を喰らいたくないからである。
     そして次の瞬間。
     バシュウッと言う音が彼の鼓膜を駆け抜けたかと思うと何かが土俵の外に吹っ飛ばされた。
     気がつけば土俵には砂煙が舞っているだけ。
     その中に浮かぶのはカゲボウズ一匹の影だけで他にはいない。
     審判が西側に目をやるとしりもちをついたトレーナーとそのはるか後方に吹っ飛ばされて気を失っているドンメルの姿があった。

    「し……勝負ありっ」

     あっけにとられながらも審判は東に軍配団扇を掲げ勝利宣言をした。

    「嘘だろ……」

     そういう言葉を口にしたのはナナクサだけでは無かった。
     間近で見ていた何人かがあんぐりと口を開けている。
     ツキミヤだけが何食わぬ顔をして、

    「まずは一回目だね」

     と言った。
     砂煙が晴れる。
     舞台の中央にふよふよと浮かぶカゲボウズがくすくすと笑った。

    「だから言ったろ。すぐ終わるって」

     戻ってきたツキミヤは得意げにナナクサに言った。

    「コウスケ今何やったの? 何が起きたのか全然わからなかったんだけど……」
    「わからなかった? じゃあ次はもう少しゆっくりやってあげるよ。相手の力量次第だけどね」

     ナナクサの疑問に対し、彼は楽しげに答えた。
     彼の背中のほうからまた行司のジャッジが響き渡る。
     やはり一対一とあって勝負は早い、次々と勝ち負けが決まっていっているようだった。
     時を待たずしてすぐに順番が回ってくるだろう。

    「あまりポケモンを休ませている時間、無いね。それも選考のうちということか」

     と、雑感を述べる。
     まぁ僕のポケモンには関係ないけどね……と呟いた。



     選考会「九十九の部」、二回戦。
     相手トレーナーのガーディはただならぬ気配を感じ取った。背中にぞくりと悪寒が走る。
     土俵上で対峙しているのはたかだか一匹のカゲボウズのはずなのに。
     もっとたくさんの敵に囲まれているような、そんな感覚を覚えたのだ。
     目の前のカゲボウズがにたりと笑う。
     かわいそうに、お前は憐れな生贄だ、と。
     いつの間にかむくむくとした毛の生えた尻尾は身体の内側に巻かれすっかり密着していた。それは恐怖のサイン。好む好まざるにかかわらずに出てしまう身体の感情表現だ。
     そして気がついた。自分を見ているもう一つの視線に。
     それはカゲボウズのトレーナーだった。カゲボウズの後ろに立っているトレーナーがじっとガーディを見つめているのだ。
     彼は認識した。あいつだ、と。
     俺はあいつが怖いのだ。あの男は怖い。よくわからないけど中に怖いものをたくさん飼っている――。

     お、に、び。

     男の口はそう動いたように見えた。かと思うと青い炎が十、二十、三十と瞬く間に灯り、それらが束になって子犬ポケモンに襲い掛かった。
     単発の鬼火数十個が作る炎の塊。それは火傷を負わせる為ではなく相手にぶつける為のもの。子犬ポケモン一匹を場外に吹き飛ばすには十分過ぎた。彼はあっけなく場外に吹っ飛ばされ、地面に叩きつけられる。
     そして、ガーディはなんとなくではあるが理解した。
     目の前にいたカゲボウズは"代表"に過ぎない。自分はもっと多くの数を相手にしていたのだと。目には見えない。だがそれらは確かに居る、あそこに立っているあれの中で蠢いている、犇いているのだ。
     これは一対一などでは無く一対数十の勝負。はじめから勝ち目など無かった。
     もちろんこんな行為はルール違反である。だがそれを行司に訴える手段は子犬ポケモンにありはしなかった。野生を無くし感じる力が鈍感な人間達はこのトリックに気付けない。

    「二勝目だ」

     青年が微笑を浮かべる。
     同じようにして三回戦も四回戦もすぐに決した。いずれも進化していない炎ポケモンが一匹。カゲボウズ"達"の相手にはならなかった。



    「驚いたよ。コウスケってやり手のトレーナーだったんだ」

     屋台で貰ってきた餅を渡し、あらかじめ準備しておいた自家製の茶をツキミヤに注いでやりながらナナクサが言った。
     ナナクサいわくここらでだんだんとバトルがだれはじめる。主に取組をジャッジし続ける行司が疲れはじめるのが原因だ。そして、しばらく休憩をというのが毎年の流れであるらしい。だいたい夕方までは休んで、日が暮れてから準決勝、そして決勝というのが毎年のパターンだという。
     選考の場もこれまでの狭いバトルフィールドから一転、ここからは実際に役者が演じる石の舞台での取組となる。村のお偉いさんや祭の仕事を切り上げた村人達が集まり出すのもこの時間らしい。

    「兼業って言うから正直バトルの腕は期待していなかった」

     そう続けると、自身も餅にかぶりついた。
     何回か咀嚼してこいつはスバメニシキだな、いい味だ、と呟く。
     こういう場でも米の話題を欠かさないのは流石である。

    「人に役を勝ち取れなんて言っておいてずいぶんな言い草だな」

     大きく口を開けるカゲボウズに餅をちぎって食べさせてやりながらツキミヤは言った。

    「いやぁ、その、それでもなんとか勝てるだろうとは踏んでいてだね……。でもあんなに圧倒的なんて」
    「言い訳が苦しいぞ」
    「いやあ、いざとなったら君を負かした優勝者以下とそのポケモンの食べるものに下剤でも仕込んで、君を繰り上げ当選させようかと思っていたんだ。裏の山に生えてるキノコにすごいのがあるんだよ」
    「やめとけ。集団食中毒って話になって祭自体が中止になりかねない」
    「冗談だよ?」
    「いや。君の場合本当にやりかねない」
    「やだなー、僕がそんなことするわけないじゃない」

     いや、お前ならやりかねない……きっとやる。青年はそう思った。
     勝てる手段があってよかった。本気でそう考える。

    「僕は引き受けるといったらやるよ。とことんね」

     ツキミヤ自身も餅にかぶりついた。腹が減っては戦はできまい。
    「それは頼もしいなぁ。僕さ、昨日の夜コウスケをどう説得したらいいかって夢にまで見て考えてたんだよ。それがまさか朝になって自分から引き受けるって言ってくれるなんて」

     そう言ってナナクサは別の料理の包みを開ける。

    「昨日はあんなに嫌がっていたのに。一体どういう心境の変化なのさ」
    「あの日は疲れていたからね。一晩休めば気が変わる事だってある」
    「あいかわらず素っ気返事をするね、君は」

     そう言ってツキミヤのコップに茶を注いだ。

    「まあ、引き受けてくれたのならなんでもいいけど。そうだな、きっとツクモ様が僕の願いを聞いてくれたんだ。そうに違いない」

     ナナクサは本当に嬉しそうに笑った。
     器に料理を盛りわけ、ツキミヤに差し出した。

    「ありがとうコウスケ。今年の舞台はきっと面白くなる……してみせる。タマエさんの為にも」
    「まだ決まったわけじゃないさ。四回戦までは相手がよかったしね」
    「勝つさ。ここまで来たら勝って貰わなくちゃ」
    「もちろんそのつもりだけどね」

     料理を口に運ぶ。青年は立っていただけのはずだがいやに食欲があった。

    「おー、いたいたァ。探したぞコースケ、それにシュージ」

     群集を掻き分けて二人の目の前現れたのは、肩に真っ黒なポケモンを乗せた少年だった。

    「あ、タイキ君来てたんだ」

     と、ナナクサが言ってタイキがしかめっ面をする。

    「来てたんだはなかろうが。四回戦の時から見とったわ! 手伝いも早めに終わったしのう」
    「え、そうなんだ」
    「それなのにお前らときたら、俺が呼ぶのにも気がつかずにそそくさとどっかに消えやがって。人だらけで見失ってしもうたわ」
    「そう、それは悪かったね。見ての通りちょっと腹ごしらえをね」

     今度はツキミヤがそう答えた。

    「おう、お前が舞台に上がった時は驚いたぞコースケ。出るなんて聞いてなかったからな。水くさいのう。そうならそうと言ってくれればもっと早く切り上げて応援にきたのに」
    「ごめんね。役がとれたら報告して驚かせようと思ってたんだ」
    「大したもんじゃ! 雨降のほうに出たノゾミなんかいつもどおり一回戦で負けてしもうたぞ」
    「そういうタイキ君はそのノゾミちゃんに負けてばっかりじゃないか」

     ナナクサがからかうように言う。

    「バトルの後はいつだってびしょ濡れだ」
    「うっさい! シュージは余計な事言わなくていいんじゃ!」

     タイキが顔を真っ赤にして叫ぶ。

    「ふぅん、その子がタイキ君のポケモンなんだ」

     少年の肩にとまった黒い鳥ポケモン、ヤミカラスに目をやってツキミヤが尋ねる。
     なるほど。ノゾミの言うとおりこいつはたしかにボサボサ頭だ。

    「おう、そういえばコースケにはまだ見せておらんかったのう。コクマルと言うんじゃ。タマエ婆が供えた握り飯をつまみ食いして御用になってのう。それ以来こいつは家族の一員じゃ」

     そう言ってタイキが鴉をむんずと掴むと、ほれ見ろと言わんばかりに前に突き出した。
     突き出された鴉は青年と目があったがすぐに目を逸らしてしまった。
     これは早速嫌われたなと、青年は苦笑いする。

    「コースケのバトルすごかったろ。タイキ君もバトルのこと教えてもらったらいいじゃない」
    「そうじゃのー。ニョロモ一匹にも勝てないんじゃ格好がつかんしな。なあコクマル?」

     ナナクサにそう言われて、彼は比較的前向きな返事をする。が、カラスは赤い陰気な目をやる気なさそうに上に向けて一応は聞いていますよというサインを送っただけだった。主人に反比例してテンションは相当に低い。

    「おいおい、選ばれたら忙しくなるってのにそれはないだろ」

     ツキミヤが割ってはいる。

    「じゃあ、負けちゃったらタイキ君の特訓ということで」
    「繰り上げ当選させるんじゃなかったの? 今ならたった三人やるだけでいい。君の負担も軽いぞ」
    「何のことを言っとるんじゃ」
    「集団食中毒で収穫祭が中止になる話」
    「なんじゃそりゃ?」

     意味が分からないという顔をタイキがして「冗談だよ」と、ツキミヤは言った。

    「うん、ここまで来たら勝ってもらわなくちゃ」

     ツキミヤの皮肉がわかっているのかわかっていないのか、ナナクサはそのようにまとめた。。

    「残りの相手は? 君のことだからポケモンの種類くらい把握してるだろ」
    「準決勝でコウスケと当たるのがマグカルゴ。もう一組の準決勝がリザードとバクーダ。勝てばどっちかと決勝ってことになる」
    「ふむ。するとバクーダってところかな」

     と、ツキミヤが言った。

    「バクーダだろうね」

     ナナクサも同意見だった。
     バクーダ、ドンメルの進化系。厄介な相手だ。火山をそのものを体現したそのポケモンの体高は人間の大人より一回り大きい。体もずっしりと重く踏ん張りが利く。それだけ体格のいいポケモンならいくら鬼火を集結させようともふっ飛ばすのは無理だろう。
     それ以前に準決勝のマグカルゴも問題だった。あれは灼熱の溶岩に精神が宿り形を成したポケモンだ。そんな相手に鬼火を集めぶつけたとてそよ風が吹いたようなもの。四回戦のまでの雑魚のようには到底いくまい。
     ……何か新たな手を講じなければ。

    「悪い、ちょっと出てくる」
    「どこに行くんじゃ?」
    「ちょっと、ね。カゲボウズと秘密の作戦会議。取組の時間までには戻るから」

     そういい残してツキミヤは姿を消した。



     ツキミヤの戻らないうちに準決勝一回戦は始まった。
     先程との狭い土俵から舞台を移して今度は広い石の舞台である。
     それは"野の火"が上演される石舞台だ。
     夜の帳の下に広がる舞台の四方には松明が灯り、二匹のにらみ合うポケモンの影をゆらゆらと揺らしている。
     西にバクーダ、東にはリザードの影。

    「めずらしいのう。あのリザード、色が黄色い」

     タイキがはあぁと息を漏らしてその姿に見入っている。

    「うん、色違いなんてツクモ様みたいだ」

     事前にその事実を知っていたナナクサもそんな感想を漏らす。
     一方のバクーダはブホーブホーと鼻息を荒くして石の舞台を蹄で叩いていた。
     いつでもいける、開始と同時に突進してお前をたたき出してやる、リザードにそうアピールしているようだ。
     対する色違いのリザードもいつでも来いと言うように尻尾の炎をいっそう大きく激しく燃やした。

    「さあ、見合って、見合って」

     たっぷりと休憩をとり持ち直したのだろう。行司の声に張りが戻っていた。
     軍配団扇で石舞台をコンコンと叩くと行司が東西のポケモンとそのトレーナーを一瞥した。
     彼らは九十九になるかもしれないトレーナーとそのポケモン達だ。

    「はじめえ!」

     威勢のよい声を張り上げる。
     軍配団扇が振り上げられた。



    「コウスケ! 一体何していたのさ」
    「そうじゃぞ。すごかったのに!」

     ツキミヤが戻ってくるなり、ナナクサとタイキは責めんばかりに言葉を浴びせた。

    「仕方ないだろ。勝つためにはそれなりの準備ってものが必要なんだよ」

     そうツキミヤが答えると、いやいやそんなことはどうでもいいんだと口々に二人は言った。
     噴火に火炎放射、その他エトセトラ。大技のオンパレードで会場は大いに盛り上がったらしい。なんで見ておかなかったんだ。勿体無い。あんな迫力のあるバトルここ数年なかったよ。そんなことを彼らはしつこいほどに解説した。

    「それで結果のほうは?」

     実際に取組を見ておらずじゃれらの興奮が伝播しないツキミヤは冷めた調子で尋ねる。

    「ああ、それがのう。意外な結果になりおった」
    「番狂わせだよコウスケ。勝ったのはリザードのほうだった。君と決勝で当たるのはあの色違いのリザードだ」


      [No.11] (七)九十九 投稿者:No.017   投稿日:2010/08/09(Mon) 00:45:16     36clap [■この記事に拍手する] [Tweet]





    (七)九十九


     照りつける夏の日差しが二つの濃い影を作る。
     ひとつは獣で、もうひとつは人の形。
     蝉はけたたましく歌い続ける。

    「……だいたい予想はつくけれどとりあえず聞いておく」

     と、ツキミヤは切り出した。
     目を合わせて目の前の青白いキュウコンに問うた。

    「貴方の名は」

     すると狐は嬉しそうに、

    「……久しぶりだ」

     と、云った。

    「ふふ、本当に久しい。名を聞かれるのも名乗るのも」

     嬉しそうに、それは嬉しそうに云った。

    「私の名はツクモ」

     赤い瞳が妖しい光を放つ。

    「百の六尾と十の九尾を率いていた私をいつしか人は"九十九"と呼ぶように成った。その時から私の名はツクモだ」

     名乗った妖狐はそのように続けた。
     嬉しそうに、それは嬉しそうに続けた。

     蝉が詠っている。
     昔話が、伝承が今お前の目の前にいる。
     お前は渡った。鳥居を潜り抜けて過去に渡った、と。

     だが、

    「ナナクサ君だな……」

     と青年は呟いた。

    「何?」
    「たぶん、ナナクサ君が夕食に変なものを入れたに違いない。でなけりゃこんな示し合わせたような夢……うん、彼ならやりかねない」

     どういう訳だか夢だという自覚だけはあって、ツキミヤは不機嫌そうに続けた。
     知り合ってから日は短いがだいたい彼という人間はわかった。こうと決めたら諦めない。ハブネークのように執念深いのがナナクサなのだ。まさか人の夢の中にまで攻勢をかけてくるとは。しかもやたらと演出が凝っている。

    「そう、僕は今眠っていて、たぶん耳元でナナクサ君が舞台に出ろ出ろと囁いているに違いない」

     いやだなぁ。それってはたから見ると結構あぶない絵じゃないか。

    「ナナクサ君に言っておいてくれ。そんなことしてもムダだ。明日僕の顔に隈が出来ていたら君の所為だからな、と」

     だが、

    「残念だが、ここにお前を呼んだのはあの男ではないぞ」

     とはっきりと狐が言って、ツキミヤは怪しみながらもその顔を見た。
     燃えるようなその瞳。傷口からあふれ出してきたばかりの血のような目の覚める赤だった。

    「お前の父親のことをあれは知らない。あれはタマエさんちの家事から、米の栽培までこなすよく出来た男だが、その反面、雰囲気が読めなくて、狡猾な手段をとることを知らないのだ」

     その赤はどうにも生々しくて、たしかにナナクサができるような演出ではない。そんな気がしてきた。

    「そう、あいつにはできんよ。お前の父親の幻影を使って、ここにおびき出すような真似はな」
    「…………貴様」

     狐、いや妖狐九十九はにたりと嗤う。
     それは青年の怒りと関心を買うには十分だった。
     さっきまでどこか偽者を見るような目で見ていたツキミヤの視線は、敵意をふんだんに含んだ鋭いものへと変わっていた。

    「だがあれには本質を見抜く目はあるよ。あれの言うように、普段あれの前で素っ気無い態度をとっているのは本来のお前ではない。そして、人に見せる柔らかい物腰も仮初。お前はとても狡猾で残忍だ。そして今そんな目で私を睨みつけているお前こそ本来のお前だ。小僧」
    「……どこまで知っている」
    「お前が夢に見る程度のことはわかる。残りは勘だ」

     ツクモはそのように答えた。

    「形式とはいえ今は信仰が集まる祭の時期だからな。祭の本質は日常と切り離された特別な期間。ことに夜は格別だ。今や実体を無くし信仰の薄い私でもこうして誰かの夢を覗き見たり、夢枕に立つことくらいはできるのだ」

     ツクモは続けた。
     ここは私の夢であり、お前の記憶なのだ、と。

    「お前がこの村に来て二度目の夜になるが、よほど慕っていると見える。お前が私に教えてくれるのは父親のことばかりだ」

     触れたら切れてしまいそうに張っていた視線が少しだけ緩む。

    「……そうかい。だが、舞台のことまで夢見たつもりは無いが」
    「お前の夢を覗き見ることばかりがお前を知る手段では無いさ。お前のことならあれも教えてくれる」

     ナナクサか、と青年は呟いた。

    「あれなら今自分の部屋で熟睡しているよ。夢の中でも明日にお前さんにどんな言葉をかけようか、どうやって舞台に上げようか真剣に悩んでいる。健気だとは思わんか」
    「諦めが悪いだけだろう」

     切り捨てるようにツキミヤは即答した。
     すると、ツクモがくっくと笑って

    「やはりお前はそれが素だな」

     と言った。

    「尤も、私はそんなお前のほうが好きだが」
    「貴方の好みは聞いていない。人を選ぶだけさ。人間はみんなそうだろう。いや、ポケモンですら人を選ぶよ。僕はあまり好かれていなくてね、僕に近づいてきたり呼び出したりするのは変わり者と相場が決まっている……そういえば」
    「なんだ」
    「ポケモンと喋ったのは初めてだ」

     ツキミヤがそう言うとツクモがフッと笑った。
     人語を解するポケモンは珍しくない。いや、ほとんどのポケモンは程度の差があれど人語を解する。だが、解すれど操れるポケモンは滅多に居ない。

    「感想は?」
    「感慨というほどのものはないかな。人間とさして変わらない」

     ツキミヤは冷めた感想を述べる。すると

    「そうとも。喋ることくらい大した事でも、驚く事でも無い」

     という同意の返事が返ってきた。

    「私の若いころは珍しいことではなかった。百を率いる一族の長なら人語くらい操れたものだ。今より昔、ポケモンと人はより近かった。始りの地の神話によればポケモンと人の間に垣根が存在せず夫婦の契りを交わすことすら自然だった時代がある」
    「僕は断るけどね」
    「同感だ。妻に迎えるなら美しい毛皮のある者がいい」

     青年と妖狐は同意し、そしてお互いに微かに笑みを浮かべた。

    「時に小僧、お前はずいぶん物騒なものを連れて歩いているのだな」

     はっとして足元を見ると、夏の日差しで濃く刻まれた陰から何十もの目が覗いているではないか。どうやら夢の中にまで憑いてきてしまったらしい。

    「飽咋(あきぐい)は一匹や二匹ならかわいいものだ。だが、よりによってその数は何だ。操り人が連れて歩くのは多くても六匹ではなかったのか? 時代は変わったものだな」
     
     ツキミヤは仕方が無いなという感じで軽く溜息をつく。

    「時代のせいじゃないさ」

     と、答えた。

    「昔、人が連れて歩いたポケモンの数には諸説があるけれど、そうかい、やっぱり六匹なのかい」

     どうやら六と言う数字は普遍的なものらしい。

    「なんだ、となると今も相場は六匹か」
    「そう、時代が移っても変わらないものってあるよね。今でも操り人が連れて歩けるのは六匹だよ。僕の飽咋――カゲボウズはね、別腹なんだ」

     蠢く影をちらりと見ながらツキミヤは言った。
     別腹とはよく言ったものだ、本当にしょっちゅうお腹をすかせて困る。

    「で小僧、」
    「小僧という呼び方はやめてくれないか。これでも人間としては成人している身だし、ちゃんと名前だってある……知っているだろう?」

     ナナクサの夢を覗き見ているなら知っているはずなのだ。
     すると、

    「ならば、こんなのはどうだ」

     と、ツクモが言った。

    「どんな?」
    「鬼火を連れし者」
    「少し、長いね」
    「小僧よりはマシだと思うが?」
    「違いない」

     ツキミヤは同意した。
     けれどそんなに本名で呼ぶのが嫌なのか、とも思う。
     すると空気を読んだのかツクモがこんなことを言った。

    「……皆、個を括るために名を使おうとする」
    「え?」
    「たしかに一族や種に名づけられる名はそうかもしれない。けれどね、一人や一匹や一羽だけの為だけにつけられる名はそうでは無いのだ。だから、軽々しく名乗ってはいけない。お前にとって名前とは大切な者に呼ばれるためにあるのだから」
    「何が言いたい?」
    「私のようにはなるなということだ、鬼火を連れし者よ」

     重さを持った声でツクモは言った。
     警告めいた言葉。けれどその後ろにあるものを今のツキミヤが読み取ることはできなかった。

    「それで、本題だが」
    「本題?」
    「私がお前を呼んだ理由だよ」
    「……ああ」

     ツキミヤは理解する。そういえばもともとはそういう話の流れだったのだ。

    「やる気は無いのか」
    「あたり前だ」
    「出演報酬は豪華だぞ。米俵十俵と……」
    「そんなもの持って歩けるか」
    「それだけじゃない。副賞として、一年間ホウエン中のホテルが無料になるエメラルドカードという代物があるらしい」

     ぴくり、とツキミヤの肩が動く。

    「なんでもそれを副賞にした途端参加希望者が急増したとか……お前は欲しく無いのか?」
    「……」

     欲しい欲しくないで言うなら欲しかった。センターに泊まれない時の宿泊料は旅の費用としてはバカにならないのだ。
     だがしかし、煩わしさがついて回ることも事実だった。ことに宿泊先の使用人はいろいろと口を出してくるだろう。それどころかそいつはストーリーの改変を企んでいるのだ。もし彼の筋書き通りにことが進んだとしたら賞品どころではないだろう。脚本を変えるとは何事だ、けしからん、責任とれ。そういうことになるのは目に見えていた。お偉いさん方に捕まる前にいかにうまく村から退散するかを考えなくてはなるまい。

    「だめだな。仕事が報酬に見合わない」

     しばしの沈黙の後にツキミヤはそのように答えた。

    「ナナクサ君にやらせればいいじゃないか」

     ナナクサに言ったのと同じ提案をぶつけてみた。
     話から察するに彼は舞すらもできる様子だった。何よりも自分に無い重要な要素を備えている。それこそが一番大事な事なのではないだろうかと思う。だが、

    「あれではだめだ」

     とナナクサと同じようなことを妖狐は言った。

    「どうして? 彼は神楽だってできると言うし、何より信仰心があるじゃないか」

     そう信仰心。自分には無くてナナクサにはあるもの。舞は神に奉納されるもの。信仰を持つものが舞ってこそ、ではないのか。尤も目の前にいるこのキュウコンは伝説上の炎の妖として恐怖の対象となる存在なのだが……。
     突然、けたたましく鳴っていた蝉が止む。途端に周囲が暗くなり、あたりは静寂の夜に包まれた。
     全く、何でもありだなこの世界は。青年は内心に溜息をついた。

    「鬼火を……お前の鬼火を見せてくれないか」

     突然ツクモはそのようなことを云った。

    「僕のじゃない。カゲボウズに出させているだけさ」

     一方のツキミヤにはあまりその気が無かった。
     そのような冷めた返事を返すと「結果的には同じことだ」とツクモが云った。
     あまり真剣に妖狐の瞳が懇願するので、半ば圧される形で「わかったよ」とツキミヤは答えた。
     夜の帳が降りた世界にひとつ、ふたつと青い炎が灯り数を増やしてゆく。
     青い揺らめきに照らされた妖狐の瞳は満足そうに笑みを浮かべた。

    「私はね、お前にやってもらいたいんだよ。鬼火を連れし者よ」

     冷たく燃える炎を挟んで妖狐は云う。

    「鬼火を見て改めて思った。やはりイメージというのは大切だ」
    「ナナクサ君のようなことを云うんだな。でもそれ、僕でなくてはならないという理由にはならないよ」
    「もちろん、それだけではない」
    「他に理由があるって言うのかい」
    「そうとも。お前でなくてはだめだ。お前みたいに今ここにある世界のことが大嫌いで、どこかで壊れてしまえばいいと思っているようなそんな人間で無くては私の役は務まらない」

     青い火がツキミヤの瞳を照らす。青色の揺らめくその瞳は妖狐を冷たく見下ろしていた。

    「心外だな。つまり貴方は僕がどこかで世界の破滅を望んでいると、そう言いたいのか」
    「そうとも」
    「莫迦らしい」
    「お前に憑いている影の数は異常だ。心にそれくらいの闇が無ければ、深くて暗い器が無ければとてもそんな数を飼うことはできない」
    「嫌いと云うのならナナクサ君だって」
    「別にあれはこの世界が嫌いな訳ではないよ。雇い主の……あの人の為に何かしたいと思っているだけだ。あれに悪意は無い。そういう奴なんだ、あれは」
    「ずいぶんと庇うんだね」
    「私のところに来てくれるのはあの人とあれだけだからな」

     妖狐は優しげに、けれど少し寂しげにそう答えた。
     そして改めて自らの希望を口にした。

    「鬼火を連れし者よ。私の願いを聞いてはくれないか」
    「それは、野の火で妖狐九十九を演じること? それともナナクサ君の脚本を採用すること?」
    「両方だ」
    「断る。ナナクサ君にも言ったが、村の伝統行事に引っ掻き回すつもりも、ぶっ壊すつもりも僕には無い」

     ツキミヤは冷たく言い放った。
     そして妖狐に背を向けると、石段を一段、また一段と下り始めた。
     鬼火がゆらりと揺れながら主に憑いて行く。

    「待て」

     背後からツクモの呼ぶ声が聞こえたが、青年は無視をして、どんどん下ってゆく。

    「我の声を聞け、鬼火を連れし者よ」

     一段、また一段下ってゆく。
     そもそも好かない、気に食わなかった。
     この狐は父を、自分にとって一番大切な人の幻影を使って青年をおびき出した。
     青年にはそれが許せなかった。

    「お前になら分かるはずだ」

     分かる? 一体なにが分かるというのだ。

    「お前にならわかるはずだ。周囲の人間達は皆雨が降っているという。けれど、お前だけは本当の天気を知っている。だから、ずっと晴れていると叫び続けなければならない、その孤独が」

     青年の脳裏に父親の姿がよぎった。
     知ったようなことを言うな。お前に僕の、父さんの何がわかるというのだ。
     青年は石段を下る足を速める。

    「……私は、神だった」

     石段を下る。知るもんか。もうこれ以上僕を巻き込まないでくれ。

    「雨降訪れし以前、この地を闊歩するのは九十九の一族なり。私はこの地の神だった!」

     雨降大神命が現れし以前、この土地を闊歩するは九十九率いる一族なり
     九十九、十の九尾と百の六尾を率いる妖狐の長、炎の妖なり
     野を焼き田を焼き払い人々を苦しめる

    「神だって? 貴方は炎の妖だよ。貴方のいるところは火の海になって作物は皆灰になってしまった」

     九十九現れし所、たちどころに火の海となり、田畑の実り灰燼と成す
     九十九の炎"野の火"と呼び人々は恐れり

    「かつて大社に刻まれた名も、しゃもじに刻まれた名も皆私の名だった。雨降ではない。皆、この九十九の名だったのに」

     ――今年もたくさんお米がとれました。お腹いっぱい食べさせてくれてありがとうございますという感謝の気持ちを表す為にこうしてしゃもじをお供えするんじゃよ

    「それは恐れからだ。恐怖からだ」
    「違う。私は」

     雨降大神命 豊穣の神にして田の守護者なり
     彼の行くところ必ず雨が降り 田畑を潤す

    「私は神だ。雨降こそ後からやってきた偽者」

     炎は水に消される運命。雨降は勝ち神となり、炎の妖は滅せられる。

    「舞台の上で雨降を倒して、そして貴方はどうするというんだい」
    「私の炎を思い出させてやりたい」
    「実体も無いのに?」
    「皆、祭の本来の意味を忘れている。本来、野の火の上演は実体を無くしても残り続けた私の力が出てこないようにする為の儀式。神が成り代わった後に雨降の信奉者が考えた仕掛けだよ」

     時代は変わって、祀は祭に、奉は催になった。
     村人しか演じられなかった九十九は今やどこから来たかもわからない者達が務めるようになった。
     まったく軽くなったものだよ。祀も私自身もな。だが……

    「だからこそ今が機なのだ」

     あれも知りはしないだろう脚本を書き換える本来の意味を。
     もし、あの場で筋書きが変わったら。
     九十九が雨降に勝ったのだとしたら。
     祭とは非日常。神を迎えるのが祭。神がいるところが祭。
     祈り、通じ、荒ぶる神とならぬよう、祈願する。日常と切り離された非日常の時間と空間。
     ありえないことが起こるのが祀。
     もし非日常の時、信仰の集まる時、特別な空間で、神話を捻じ曲げたらどうなると思う?

    「どうなるって言うんだ」
    「それは神話上の真実となる。私は滅びず、実体を持つ」

     たとえこの年限りだったとしても。

    「そうすれば私は出て来ることが出来る。肉体は滅び、今や人の夢を飛び回る程度の存在でも。祭祀という特別な場で、神の歴史が変わったなら……! 私は」

     ぞくり、と。
     石段に刻まれた青年の影がざわついた。何十もの瞳が一斉に開き爛々と輝き出す。
     青年の背中に走ったのは戦慄と恍惚だった。
     唇がわずかに緩み、吊り上る。
     体中がゾクゾクとして、力が満ちてくる。
     嗚呼、なんて心地がいいんだろう。この感覚を青年はよく知っていた。

    「私は思い出させてやりたい! 永きに渡り私を貶め、仮初の姿でしか私を知らぬ人間どもに。本来の神が誰であるかをを忘れた村人達に、私の炎を見せてやりたい!」

     妖狐が夜空に吼える。
     今この刻、抑えていた、たぶん何百年もの間溜め込んでいた何かが解き放たれた。

    「見つけた」

     青年は背を向けたまま妖狐には聞こえぬくらいの声で小さく呟いた。
     それは歓喜。欲しかった玩具を与えられた時ような。
     妖狐の中に渦巻くは炎。感情と云う名の炎だ。それはきっと極上の味がするに違いない。
     影がざわめく。青年に囁いた。

     ミツケタ、ミツケタ、ホシイ、ホシイ
     タベタイ、クライタイ……アレヲクライタイ……

     ……コウスケ、アレダ、アレヲクライタイ!

    「いいだろう」

     青年は答えた。今度は聞こえるように。
     妖狐と影の両方に聞こえるように。

    「舞台に出てやる。物語を書き換えてやるよ」

     まるで脚本の台詞を読み上げるように青年は言った。

    「……? なぜ急に」
    「話を聞いて気が変わったのさ。収穫祭のクライマックスに恐怖の対象が復活する……面白そうじゃないか。水田を火の海にするなり、村人全員を焼き殺すなり好きにしたらいい。その代わり、出てきた貴方に僕の願いをひとつだけ叶えてもらう」
    「願いとは」
    「簡単なことだよ。そのときになればわかるさ」

     どうしてだろう。馳走が目の前にある、それ以外に青年の心はどこか高揚していた。
     妖狐は云っていた。
     お前みたいに今ここにある世界のことが大嫌いで、どこかで壊れてしまえばいいと思っているようなそんな人間で無くては私の役は務まらない、と。
     その言葉通りに、炎の海になったこの美しい村の光景を想像してなぜかそれも悪くないと、青年はそう思ってしまったのだ。
     それに好都合だ。欲望を満足させた後、混乱に乗じていつでも自分は姿を消せるだろう。
     九十九を演じた役者が誰だったかなど渦巻く炎の前に掻き消えてしまうに違いない。

    「ナナクサ君には、いい返事ができるね……」

     青年の口がにたりと歪んだ。それは普段他人に見せることの無い笑み。
     深い深い暗い器の中にたくさんの影を飼う者の笑みだ。
     それを見てくっく、と妖狐が笑う。
     妖狐の、炎の化け物の裂けた口は同じように歪んでいた。

    「やっと本性を見せてくれたな。それが本当のお前だ。お前こそ私を演ずるに相応しい」

     不意に誰かが、ツキミヤの手をぎゅっと掴んだ。
     驚いて見下ろしたそれは、かつての父親を追いかけて石段を上っていた自分の姿で。
     それは瞳の色を三色のそれにして、ツキミヤをじいっと見つめると云ったのだ。

     そう、僕はこの世界が嫌いだ。
     そうとも。父さんを棄てたこの世界など。
     みんなみんな燃えてしまえばいい、燃えてしまえばいいんだ。


     そして、少年はツキミヤの意思を確認するように続けたのだった。

    「もちろん、君もそう思うだろ。なぁ、コウスケ……?」


      [No.10] (六)鳥居の向こう 投稿者:No.017   投稿日:2010/08/07(Sat) 08:07:04     33clap [■この記事に拍手する] [Tweet]





    (六)鳥居の向こう

     みぃんみぃん。じじじ。
     虫の声。あれは夏の声。秋の響きのそれとは異なる騒がしい虫の声。
     懐かしさを覚える、音。
     それは、瞼の裏に遠い遠い日を映す呪文。
     小さかった頃、鳥居を潜れば別の世界へ行ける気がしていた。

     今を盛りと青葉は揚々と茂り、木漏れ日が差していた。
     神社に続く長い石段には空を覆う葉とその隙間から差し込む光によって、奇妙で不思議な模様が刻まれていた。

    「お父さん、お父さん待ってよ!」

     七、八歳くらいだろうか。一人でできることが多くなったとは言っても、その少年はまだまだ幼い。
     彼は木漏れ日に彩られた石段の遥か上を行く父親を呼んだ。
     歳の離れた彼らの体格差は大きい。歩幅の違い。体力の違い。
     日頃フィールドワークで鍛えられている父親は長い石段をものともせずすたすたと登っていってしまう。
     彼は別段急いでいる訳ではない。
     だが、幼い少年にとってそれは非常に早い速度に感じられた。

    「一番上で待ってるよ。早く登っておいで」

     神社に連なる石段のはるか上から響く声。
     少年の細い足はもう疲れたと弱音を吐いていた。けれど少年は息を荒くしながらも、途中で止まることなく父親の待つ頂上へと登っていく。
     最後の一段を登りきるとそこには、神社の入り口にそびえる鳥居、そしてその下に立つ父親の姿。
     
    「ずるいよ父さん! 僕を置いてどんどん登っていっちゃって」
    「ははは、前に来たときよりはずっと早かったじゃないか。えらいぞコウスケ」

     そう言って父と呼ばれた人物はしゃがみこみ少年の目の高さに自分の目線を合わせると、その頭をくしゃくしゃと撫でた。
     石段の頂上で見た父親の顔には石段と同じ模様が刻みつけられていた。





    「……断る」

     ナナクサの提案をツキミヤは跳ねつけた。

    「いいか、僕はこの村に観光に来ただけのただの兼業トレーナー、本業院生なのは君だって知っているはずだ。村の伝統行事に引っ掻き回すつもりも、ぶっ壊すつもりも僕には無い」
    「壊す訳じゃない。少し内容を変えるだけさ」
    「同じことだろう」
    「僕はね、何もタマエさんや君自身の信仰をとやかく言うつもりは無いよ。好きなものを信じて、想うものを供えたらいいじゃないか。だが、僕を巻き込むのはやめてもらいたい」

     ツキミヤは本当に迷惑そうに言った。
     下手をすると宿泊先を変えかねないような勢いだった。

     ナナクサの頼み事の「第一段階」はこうだ。
     選考会に出て欲しい。出て、役を勝ち取って欲しい。
     ただし君取ってもらいたいのは主役の雨降様じゃない。かといって名も無い村人でも無い。

     ――君に取って欲しい役の名は、"九十九(つくも)"だ。





     話は一刻前に遡る。
     ツキミヤの要望どおり、彼らは大社にやってきたのだ。
     小高い山にある大社への道のりは神社につき物の長い石段だった。
     石段を上った先には大きな鳥居があって、その太い日本の支柱には雨降大神命の文字が刻まれていた。

    「雨降様は名前の通り雨の神様だよ。田を潤し、稲を育てる水が絶えずに在るのはこの神様のおかげだと言われている。伝承によれば彼がやってくるだけで雨が降ったそうだ」

     やってくるだけで、雨。
     おそらくこの神社はホウエン神話の"青いほう"に属しているのだ。
     研究者としてのツキミヤはそう分析した。

    「稲作には水が欠かせないもの。だから彼はこの土地の豊穣の神様なんだ」

     ナナクサはそのように解説した。
     思えば、おかしな違和感はこのときからついて回っていた。
     青年はこの村に足を踏み入れて最初に出あった人物の言葉を思い出していた。

    「彼は豊穣の神であると同時に、田畑の守護神でもある」

     ナナクサは付け加えるように言った。

    「守護神?」
    「そう、この雨降様が村にやってくる前には――」

     ナナクサがそう言い掛けた時に知らない声が会話を遮った。

    「これはこれは、アナモリさんの所の方が、こちらにいらっしゃるとは珍しい」

     見れば、言葉を遮ったのは、一人の老人の声だった。
     神社の奥から今こちらに出てきたところらしい。

    「……これは村長さん、ご無沙汰しています」

     ナナクサは軽くお辞儀をした。

    「どういう風の吹き回しだい? タマエさんはともかくとして君もここには全く寄り付かなんじゃないか。こりゃあ明日は雪が降るかもしれんなあ」

     村長と呼ばれた老人はしわがれた声がそう言った。

    「何、お客様の要望です。タマエさんのお客様が行きたいというのなら応えざるを得ないでしょう?」

     ナナクサはどこか他人行儀に答える。

    「ほお、あのタマエさんにお客さんとな? それまた珍しい。明日は本当に雪が降るなぁ」
    「本当に雪が降ったらお祭りは大変ですね」

     ナナクサは嫌味を込めるように言った。

    「で、そのお客さんは何処に?」
    「僕の隣に居ますが?」
    「ほえ?」

     村長はどこかすっとぼけた感じで、視線を移す。ナナクサの隣に立っている人物――ツキミヤをまじまじと見つめた。

    「うーん、見たところ普通の人間だなあ。面白くない」
    「……ツキミヤです。どうぞよろしく」

     少しムカっときたのは抑えてツキミヤはあくまで和やかに挨拶をした。
     村長が続ける。

    「君、タマエさんの親戚か何かかい?」
    「いいえ」
    「へー、それでなんでだろうねえ。見ず知らずの旅人を泊めるような人じゃないんだけどねぇ。私はね、まだタマエさんが結婚してないような頃から知ってるけど、性格のきっつい女でね、こうと決めたら曲げないというか……美人だったのに勿体無いことだった。亡くなったご主人も手を焼いていたよ」
    「はあ……」
    「でも、なんでだろうねえ」
    「さあ、僕も村に入った直後にたまたま会っただけでなんとも……」

     すると、村長は思い当たる節があるような顔をした。

    「村に入った直後に? ツキミヤ君とやら、もしかして君、北側から村に入った?」
    「……そういえば北だったような気もします」
    「来る途中、タマエさん以外誰にも会わなかったんじゃないかね?」
    「ナナクサ君くらいですね」
    「それだ!」

     村長は手を叩いた。

    「ツキミヤ君、実はあそこ、村では禁域でねえ、めったに人が出入りせんのよ。君はそれと知らずにそこから入ってきたんだろうが……」

     禁域。だから誰とも会わなかったのか、とツキミヤは思う。
     あれだけ人がいる時期にナナクサくらいとしかすれ違わなかったのを不思議に思っていたからだ。

    「そうか、それでタマエさんは…………」

     納得したように何度も頷く。

    「君も災難だねえ。たぶん彼女、君を人間の客人としては見ていないよ」
    「……? 人間以外ならなんだって言うんです?」
    「さしずめ妖怪って所、かな」

     妖怪。
     その単語を聞いたのは初めてではなかった。

    「村長さん、言っていいことと悪いことがあると思いますが」

     ナナクサは静かに、けれど腹から怒りを滲ませるように声を出した。

    「だって……ねえ?」
    「これ以上の侮辱は許しません」
    「……わかった。わかったよ! だからそんな怖い顔しないでよ。村の者は君を頼りにしてるし、ね?」
    「わかっていただけて嬉しいです。コウスケ、行こう」

     ツキミヤの腕を掴むとナナクサはツカツカと大社の本殿に向かって歩き出した。
     後ろから村長の声が響く。

    「いいのかいナナクサ君、タマエさんのお客人にお見せするのはちと酷じゃないのかね」

     振り返って返事をする。

    「僕もそう思いました。けど祭のクライマックスで"野の火"を見れば同じことです」
    「そうかい。まあ、いくら君がタマエさんに雇われているとはいえ、同じ考えを持つ必要は無いのだしね」
    「僕の気持ちは変わりません。ここに来たのは客人の望みですから」

     ナナクサは再び背を向けた。

    「嫌いだよあの人、米に例えるならそう……汚染米だ。食えたもんじゃない。工業用のりくらいしか使い道が無い!」
    「いいのか、米所でそんな発言して」
    「人を妖怪よばわりしやがって!」

     吐き捨てるようにナナクサは言った。
     ナナクサもこんな風に怒るのだ。今更ながら青年はそんなことを思った。
     ……今ならいい味がするかもしれない。

    「気にしてないよ。それより気になるのはタイキ君にも同じことを言われたことだ」
    「タイキ君にも?」
    「そう。タマエさんがついに妖怪を泊めたと思った、と」
    「タイキ君もか……」

     ナナクサは苦い顔する。

    「どういうことなんだい?」
    「この先に行けばわかってもらえると思う」





     夏の声、蝉の合唱。
     大きな鈴がごろんごろんと鳴る。
     山の頂上、神社の境内。賽銭箱の前に立って二人は手を鳴らしお辞儀をした。
     人間という生き物はは神様に様々な願をかける。家内安全でありますように、商売繁盛しますように、愛しいあの人が振り向きますように、世界一強いトレーナーになれますように……挙げだせばキリが無い。
     少年はさほど信心深くはなかった。神社で願をかけるのだっていわば父親に付き合っている以上の意味は持たなかったのだ。が、それとは対照的に手を合わせふと見上げた願をかける自身の父はなぜか真剣だったように記憶している。
     
    「コウスケ、こういう場所はね、昔むかしの世界への入り口なんだよ」

     売店で買い求めたアイスクリームをスプーンでつつきながら父親は言った。
     甘い味が染みた木のスプーンを奥歯で噛みながら、そんな父の話を聞いていたのを覚えている。

    「いろんな神社にいろんな神様がいるだろう。商売の神様、縁結びの神様、安産の神様、豊穣の神様……それはそれはかつてこの土地に生きた人々の願いの結晶だよ」

     祀られている神様を知れば、かつてここに生きた人たちが何を考えていたのか、何に喜び何に悲しんだか、何を想って生きてきたか。そういうことに少しだけだけど寄り添って、想像することができるんだ。そのように父親は続けた。

    「だからね、何度も何度も足を運んでいれば、ある時過去に繋がることがある。鳥居を潜るとね、そこは過去の世界だったりする」

     今考えれば、それは肉体的な意味ではなく精神的な意味で、だ。
     けれど幼く、疑うことを知らなかったあの頃、少年は鳥居を潜ると別の世界に行けるような気がしていたのだ。
     青年は時々思い出しては過去の父に問うのだ。

     ねえ、父さん。
     あの時の貴方は真剣に何を願っていたのですか。
     過去の世界に行くこと? 昔むかしを覗き見ること?
     僕の前からいなくなった貴方はその世界に居るのですか。

     青年の問いに父の応答は、無い。





     大社というだけあって大きな建物だった。
     中は参拝客で賑わっており、しゃもじを貰いに来た人々がひしめいていた。
     大きな鈴の前、人々は綱を揺らし鈴を鳴らして手を合わせる。
     宮司は参拝を終えた人々に気前よくしゃもじを配っていた。
     しゃもじに刻まれた名は、雨降大神命。

     ――今年もたくさんお米がとれました。お腹いっぱい食べさせてくれてありがとうございますという感謝の気持ちを表す為にこうしてしゃもじをお供えするんじゃよ

     タマエの言葉が思い出された。
     うっすらと感じ始めていた違和感がさらに大きなものになる。
     本来ならしゃもじはここで貰い、最終的にはここに返ってくるはず。
     それなのに何故。
     何故あの老婆は一人"禁域"でしゃもじを供えていた?
     それに。

    「コウスケ、こっち」

     ナナクサがぽん、と肩を叩いた。
     本殿の横に構えているもう一つの建造物を見る。
     宝物殿と言って、村に伝わる伝承や神話なんかを絵巻物や祭具の展示で紹介しているのだと冷めた声で言った。
     二人の青年は中へ入っていく。賑わっていた外に比べると中の人々はまばらだった。
     最初に目についたのは雨降大神命図と題された掛け軸だった。髭を生やした恰幅のいい男で、幾何学模様の不思議な赤い文様が描かれた青い甲冑を着ている武人の姿をしていた。
     その横に流れるような文字で何かが書き付けられている。
     それはだいたい次ような内容だった。

     雨降大神命 豊穣の神にして田の守護者なり
     彼の行くところ必ず雨が降り 田畑を潤す

     ここまでは神社の入り口でナナクサから聞いた通りだ。
     だが、ツキミヤは別の名を探していた。それは、タマエが口にしていた神の名。さっきからずっと違和感を覚えていた。どうして先程から名前が出てこない? なぜしゃもじに刻まれた名は雨降ばかりなのだ。老婆はあの時、雨降でなく別の名前を口にしていたはず。ずっと感じていた違和感。何故名前が出てこない?
     掛け軸の周りには、昔この村で使っていた稲作の工具が並べられているばかりで、探す名はここには無いと見えた。
     ツキミヤは第一の展示室を出て、次の展示室へ、宝物殿の奥へと入っていった。

     そして、見つけた。
     探していた名前を。

     ツキミヤが見つけたのは一枚の掛け軸だった。
     九十九妖狐群図。
     そのように題された掛け軸には九の尾を持った十一匹の狐ポケモン――キュウコンが描かれていた。
     十匹目までは金色の毛皮。いわゆる標準的な毛の色だ。けれどその中で一際大きく異なる色で異彩を放つ力強く描かれた十一匹目が居た。鬼火の色にも似た薄い青を纏った白銀の毛皮。いわゆる色違いである。このような特徴的な外見を持ったポケモンは伝説に残りやすい。そして、おそらくこのキュウコンが彼らを率いる頭なのだろう。禍々しく裂けた口からは今にも炎が迸りそうである。
     その横にはあの雨降大神命図と同じように何かが書き付けられている。
     ツキミヤは流れる筆文字を目で追った。

    「どうして……」

     そして、異を声にした。
     だって、彼の聞き間違えなければ、あの時あの場所で老婆はこう言っていたはずだからだ。

     ――ツクモ様は豊穣の神様じゃ。この土地でたくさんの米がとれるのも、ツクモ様が見守ってくださるお陰じゃ。今年もたくさんお米がとれました。お腹いっぱい食べさせてくれてありがとうございますという感謝の気持ちを表す為にこうしてしゃもじをお供えするんじゃよ。

     けれど九十九妖狐群図に書き付けられていたのはまったく異なる内容だった。

     雨降大神命が現れし以前、この土地を闊歩するは九十九率いる一族なり
     九十九、十の九尾と百の六尾を率いる妖狐の長、炎の妖なり
     野を焼き田を焼き払い人々を苦しめる
     九十九現れし所、たちどころに火の海となり、田畑の実り灰燼と成す
     九十九の炎"野の火"と呼び人々は恐れり

    「まったく正反対じゃないか、なあ」

     ツキミヤは後に少し離れてて立っているナナクサに言った。

    「だから連れてきたくなかった」

     ナナクサはそう答えただけだった。

     さらに進むと伝承を記した長い長い絵巻物がツキミヤに村の伝承を語ってくれた。
     最初にあったのは田と村の人間で、毎年の収穫を糧として人々と周辺に住むポケモン達は平和に暮らしていた。やがて九十九の一族が現れる。彼らは野に、田に獲物を求め、火を放った。やがて巻物は炎で真っ赤に染まった。逃げ惑う小さなポケモン達は捕らえられ、そして人々は収穫を失う。拡大する炎、焼かれ燃えていく野と田。踊る炎。燃える大地。
     そこに現れたのが雨降大神命だった。彼の往くところには必ず雨が降る。九十九の野の火はたちまち雨に消えてしまった。そして雨降は九十九の一族を打ち倒しにかかった。雨降の臣下達に追われ次々に捕らえられ倒されていく妖狐達。一匹、また一匹と灯火が消えてゆく。最後に残ったのは長である九十九、一匹のみだった。
     絵巻のクライマックスは雨降と九十九の一騎打ち。
     だが、雨を降らす雨降に炎を操る九十九が敵うはずも無い。雨降は持っていた矛で九十九を突き差し、妖狐は深い傷を負う。なんとか追跡の手を逃れたものの、ついに村の外れで力尽きた。
     こうして雨降大神命はこの土地の神として祀られ、田畑の守護神となる。人々は田畑を焼かれることも無く、無事に作物を収穫しお椀にいっぱいのご飯をよそることが出来るようになった。そして、雨降への感謝の印としてしゃもじを供えるようになったのだ。
     長い巻物の一番端。物語の結末。

    「これが"野の火"の内容か……」

     と、ツキミヤは呟いた。
     
    「そう。雨降は水の技を使えるポケモンのトレーナーの中から、そして九十九は炎の技を使うポケモンのトレーナーの中からそれぞれ選ばれる。形式的にポケモンバトルの形になるけれど待っているのは出来レースだ。炎は水に消される運命。雨降は勝ち神となり、炎の妖は滅せられる」

     ツキミヤが絵巻を見ている間中黙っていたナナクサがしばらくぶりに口を開いた。

    「タマエさんはね、この村の人間でただ一人の"ツクモ様"の信者だよ。君と出会った禁域のあの場所は九十九が息絶えた場所だと言われている」

     この村の人達は変に信心深いところがあって、今でも祟られるとか呪われると言ってめったに禁域には入ってこない。入るのはタマエさんと僕くらいだとも付け加えた。

    「タマエさんは……、」

     言葉を飲み込んでから、もう一度吐き出す。

    「タマエさんは、どうして九十九を豊穣の神様だと……」
    「わからない。僕が知っているのは、タマエさんがまだ若い頃にあった凶作が関係しているらしいことだけだ。タマエさんも詳しくは語ろうとしないから。けど凶作の時に何かがあって、その時にタマエさんの考えは変わったんだ」

     ナナクサは語った。その時から、彼女にとって今崇められている神様は偽者になった。本当の神様は、祀られるべきはツクモ様だと彼女は主張するようになったのだと。だから彼女は"野の火"も"大社"も大嫌いで、見に来ないし寄り付かない。村の人間は大社にしゃもじを納めるけれど、彼女だけはあの場所に行くのだと。
     そこまで言ってまたナナクサは黙ってしまった。ツキミヤは何も言わなかった。
     宝物殿の掛け軸や絵巻物はただ静かに今ある伝承を語るのみだ。





    「コウスケ、僕は悔しい」

     夕暮れの帰り道、ナナクサはそう青年にこぼした。

    「タマエさんは確かに頑固で偏屈な人かもしれない。けれど間違ったことを主張する人じゃないと思う。村のみんなはいろんなことを言って彼女を変な目で見る。たぶん孫のタイキ君でさえも。だからせめて僕だけは彼女の味方でありたいんだ」

     空が真っ赤に燃えている。
     夕暮れ、それは昼と夜の境目。
     そういえば昨日村に着いた時もこんな空だったろうか。

    「祭の時の彼女を見ているのはつらい。見に行かなくとも舞台で毎年否定されてるんだ。見せ付けられるんだ。お前の信じているのは邪なものだと。祭の度に舞台の上でならツクモ様は復活するけれど、けれど必ず最後に倒される。炎は消される定めにある」

     孤立。孤独。この感覚を青年は知っていた。
     大切な者が冷たい風に晒されているのに近くに行って暖めてやることも出来ない。
     かつて居場所を追われ消えた父。消息は未だにわからない。

    「君は不思議な人だな。君になら何でも話してしまえる。やっぱり僕の思った通りだ」

     泣き出しそうな顔でツキミヤを見て、言った。

    「せめて一回くらい、違う結末を見せてあげたい。その舞台を見に行かせてあげたい」

     彼は夢物語を口にした。叶わない願いを。
     だが、言葉のもつ魔力だろうか。
     その叶いそうに無い願いを口にした瞬間に、彼の中である考えがひらめいた。

    「そうか…………!」

     突然声のトーンを変えて、爛々と眼を輝かせてナナクサはツキミヤを見た。

    「そうだったんだ。そうすればよかったんだ。どうして今まで気がつかなかったんだろう」

     遭魔ヶ時に魔物に囁かれたかのような、何かに操られたかのような眼をしていた。

    「コウスケ、君に頼みがある」

     ナナクサは云った。
     それは恐るべき内容だった。村中を敵に回しかねないような。

    「君に解説をしながらずっと考えていた。タマエさんはあの場所が嫌いで、僕もが嫌いだ。だから、できれば君を連れてきたくはなかった。けれど君は行きたいと言い、僕は君を連れて行った……そして今気がついた…………変えてしまえばいいんだよ。そんな結末は変えてしまえばいい」

     ツキミヤは朝に交わしたメグミとの会話を思い出していた。

     ――たとえばそう……僕が勝手に台詞を書き換えちゃうんじゃないか、とかね
     ――書き換えるの?
     ――僕はあの話、嫌いだから

     まさか。

    「コウスケ、選考会に出てくれないか。出て、役を勝ち取って欲しい。ただし君取ってもらいたいのは主役の雨降様じゃない。かといって名も無い村人でも無い。取って欲しい役の名は、九十九」
    「なんだって?」
    「脚本なら全部頭の中に入っているから流れはわかる。僕がある時点から台詞を書き換えたものを考える。コウスケは二通りの台本を練習して、本番に僕のを採用してくれればいい」
    「……本気で言っているのか?」

     赤く燃える空の下、青年は問う。ナナクサは確かに頷いた。

    「当たり前じゃないか」

     さっきまでの暗さはどこ吹く風だった。
     ナナクサはいつの間にかいつものテンションを取り戻していた。

    「……断る」

     大急ぎで、ツキミヤは提案を跳ねつけた。
     このままだと本当にやらされかねないと悟ったからだ。

    「いいか、僕はこの村に観光に来ただけのただの兼業トレーナー、本業院生なのは君だって知っているはずだ。村の伝統行事に引っ掻き回すつもりも、ぶっ壊すつもりも僕には無い」
    「壊す訳じゃない。少し内容を変えるだけさ」
    「同じことだろう」

     強い調子で言った。

    「僕はね、何もタマエさんや君自身の信仰をとやかく言うつもりは無いよ。好きなものを信じて、想うものを供えたらいいじゃないか。だが、僕を巻き込むのはやめてもらいたい」

     ツキミヤは本当に迷惑そうに言った。
     下手をすると宿泊先を変えかねないような勢いだった。

    「僕はね、舞台上で神楽舞なんぞやる趣味はないんだ。メグミさんの言うように君がやればいい。村のことを何でも知っている君なら、舞くらいできるんだろう?」
    「できるさ。コースケさえよければ徹夜でコーチできる」
    「そういうことじゃない! 自分で出ろと言ってる」
    「僕はポケモンを持っていない。選考会には出場できない」
    「カゲボウズなら貸してやる。鬼火が使えるから選考会に出られるぞ」
    「僕は……だめなんだ。君みたいな人じゃないと、いや、君じゃないとだめなんだよ」
    「理由になってない」
    「理由ならあるさ」
    「何?」
    「だってコウスケってすごく綺麗だし……僕のイメージぴったりなんだよ。やっぱりビジュアルは大事だよ」
    「男の君にそんなこと言われて、僕が喜ぶと思うのかい」
    「そう! 米の品種で云うなら、ヒトメボレっていうか」
    「……それってうまいこと言ったつもり?」
    「それに」
    「それに……?」

     あまりまともな回答は期待しないで投げやりに問う。

    「なんていうのかな、儚さがあるっていうか……」
    「僕はそんなに、もやしっこに見えるのか」
    「いやだから、もやしじゃなくて、ヒトメボレ」
    「米から離れてくれ」

     こんな時でも米の話か! こいつはどれだけ米が好きなんだ、と思う。

    「コウスケ、タマエさんはね。コウスケのことをツクモ様だと思っているんだと思う」
    「まさか」
    「使用人の僕が言うのもなんだが、タマエさんは偏屈で頑固で古狸で、そもそも旅人を家に泊めるような人じゃない。でもツクモ様なら別だ。あの人が唯一信じている神様だから」
    「僕はたまたまあそこに立っていただけだ」
    「けど、君は立っていた。前夜祭の日にあの場所に」
    「偶然だ」
    「けれどタマエさんは信じた」
    「やめてくれ」

     だが、こうと決めたナナクサはそれくらいでは引き下がらない。

    「お願いだよコウスケ! ツクモ様の役をやっておくれよ。この役をできるのは君しか居ない。君以外にはありえないんだ!」

     その後もずいぶんと二人は言葉の応酬を繰り返した。
     もうお互い何を言ったのかも思い出せない。思い出したくない。
     ただはっきりしているのはお互いの主張は平行線を辿ったこと、そしてツキミヤはどっと疲れて眠りについたということだ。
     最後にナナクサは言った。

    「選考会は明日の午後からだ。コウスケがいい返事をくれるのを信じている」、と。

     そんなことを言われても困る。




     りーりーと秋の虫が鳴いている。
     窓の外は青暗い夜に染まっていた。
     明日ナナクサにどんな断り文句をぶつけてやろうかと考えるうちに青年の瞼は閉じた。
     真昼の呼吸が寝息を立てるそれに変わって、意識は無意識の世界に堕ちてゆく。
     すると聞こえてくる。あれは夏の歌。蝉の声、だ。
     ああ、昨日と同じだ。また同じ夢を……。

    「コウスケ、コウスケ」

     懐かしい声がして青年は布団から顔を上げた。それは青年の泊まっている部屋だった。
     今の季節は秋のはずなのに外ではミンミンと蝉が鳴いている。
     なんだこれは。今朝の夢と今日見たことが混じっているじゃないか。
     その時、すうっと襖を閉める音がした。見るとちょうど自分の部屋から誰かが出て行くところだった。
     何故だろう。すごく懐かしい。
     青年は廊下に出る。
     さっき部屋を出て行った人物はちょうど廊下の端を曲がるところだった。
     青年は目を見開いた。
     その面影は彼のよく知る人物だったから。

    「お父、さん……」

     急いで追いかける。玄関を開け放ち青年は田の道を走った。
     父親の背中がはるか先に見える。彼はゆったりと散歩するように歩いている。
     青年はスピードを上げる。それなのに追いつけない。
     ノゾミとメグミに会った場所を走り抜けた。
     ナナクサに案内された様々な場所を抜けて、青年は父親を追いかけた。
     追いつけない。ただ行く先々に彼の背中だけが見える。

    「父さん!」

     青年は何度もその名を呼ぶが返事が無い。
     ただ黙々と歩いてゆくだけ。

    「どこに行くんですか、父さん」

     収穫前の夏の稲。青々と茂りまるで海のよう。
     たどり着いた先はその水田の海に浮かぶ島のような小山だった。
     雨降大社。
     父親が石段に吸い込まれていく。
     
    「父さん!」

     木漏れ日が石段に模様を刻んでいた。
     父親の背中を追って、青年は石段を駆け上る。
     けれど上がっても上がってもその背中に追いつけない。
     速い。もうあの時のように少年ではない。歩幅もあるし、体力だってそれなりについた。もうあの時のように子どもではない。それなのに。

    「待って、待ってください!」

     焦りだけが募る。
     これ以上行かせてはいけない気がした。

     ――コウスケ、こういう場所はね……

     父親の言葉が思い出されたからだ。

    「それ以上行っちゃだめだ、それ以上行ったら貴方は……!」

     青年は石段を登りきる。辿り着いたは鳥居の前。高くそびえる鳥居の前。
     鳥居を潜る。不安そうな面持ちでかつての少年はきょろきょろとあたりを見回した。
     どこにも居ない。
     かつて自分の頭を撫でてくれた父親は、もうどこにも居ない。
     ぬるい風が頬を撫でるだけ。

    「父さん……!」

     迷子になった子どものように青年は声を張り上げた。
     面影は消えて形を成さない。虚しく声が響くだけ。
     歌う蝉、掻き消される叫び声。求める人には届かない。

    「どこにいるんですか、父さん!」

     返事はない。木霊するのは夏の声ばかり。蝉の声ばかり。
     煩い、五月蝿い。
     黙れ。黙れ。

    「少しくらい黙ってろ!」

     わかっている。蝉は自分の言葉を解したり、聞いたりはしない。それでも叫んだ。やり場の無い気持ちをぶつけずにはいられなかった。
     わかっている。蝉は自分の言うことを聞いてくれたりは、しない。

     だが、どうしたとこだろう。
     青年がそう叫んだのと同時に、音が静まった。
     まるで合唱の指揮者が両手を閉じたかのように突如として蝉がしぃんと歌を止めてしまったのだ。
     突然の出来事に、青年は耳を疑った。
     ぐるりとあたりを一望する。さっきまで自分が登ってきた石段の、刻み付けられ揺れる模様も、木々が風にゆすられて幽かに揺れているのも変わらない。
     それなのに、世界から蝉の音が、あらゆる音が奪い去られていた。

     ひた、ひた。

     無音の世界に密やかな足音。
     青年は自身の背後から何かが近づく気配を感じ取った。

    「父さ……ん?」

     そう言って青年は振り返る。
     だが、振り返った先にいたそれは少なくとも人の形をしてはいなかった。
     はっと目を見開く。
     その姿には見覚えがあったから。夕刻にその姿を見たばかりだったから。

     それは、四つ足の獣の姿をしていた。
     その瞳は燃える夕焼け空のような紅。青白く輝く、鬼火の色にも似たその毛皮。身体よりも大きく映え、風にたなびくのは九本の長い尾。
     きつねポケモン、キュウコン。それも色違い、白銀の。

     ――コウスケ、こういう場所はね、昔むかしの世界への入り口なんだよ

     一瞬の間。
     かつての少年の耳元で父親が囁いた気がした。

    「待ちわびたぞ、小僧」

     狐が、言葉を発した。

     その妖、野を焼き田を焼き払う者なり。
     村の伝承。収穫祭。躍り出るは炎の妖。

    「ようこそ、我が九十九大社へ」
    「つくも、大社……?」

     鳥居の前戻って刻まれた文字を確認する。
     そこにあった文字は九十九。雨降の名では無かった。
     ここは、どこだ?

     父親曰く、鳥居を潜るとたまに過去に繋がることがある。
     青白い毛皮を纏った妖狐は裂けた口をにやりと歪ませて云った。

    「待っていた。ずっと待っていたぞ。私を演じられる人間を!」

     鳥居の向こう。
     再び鳴り出す夏の歌。


      [No.9] (五)隠し事 投稿者:No.017   投稿日:2010/08/07(Sat) 08:06:15     31clap [■この記事に拍手する] [Tweet]





    (五)隠し事


     季節を問わずに今でもときどき夢に見ることがある。
     それは、夏の夢。石段を上る夢。

    「こっちだよ。コウスケ」

     誰かの声がする。懐かしい、愛おしい声。

    「待っているよ。はやく上っておいで」

     蝉の合唱、鳥居の向こう。



     待って、と言い掛けて瞼が開いた。
     青黒い色から、白地にうっすらと染み込む青色へ。
     気がつけば窓が映す空の色が変容していた。
     再び空に太陽が戻ってきたのだ。夜が明けている。
     青年はむっくりと布団から起き上がった。

     こういう環境でみそ汁なんて一体いくらかぶりだろうと青年は思う。
     背の低い木製のテーブルにみそ汁、ご飯、浅漬けを並べて、正座をし、四人は朝食を取った。
     メンバーは一家の主である老婆、使用人のナナクサ、客人のツキミヤ、そして老婆の孫である昨晩の少年である。
     かくしてツキミヤは朝食の席でタマエから孫の紹介を受けた訳だが、二人はすでにお互いの顔を認識した間柄だった。
     昨晩客人にちょっかいを出したことがタマエにバレるのではないかとタイキはびくびくしていたが、ツキミヤが初対面の挨拶をしてきたので、彼はほっと胸を撫で下した。

    「コースケはどこから来たんじゃ」

     ちょうど向かいに座っているタマエは時々客人のことについて、テーブル越しに質問してくる。

    「生まれはトウカシティの端っこですけど、その後ホウエンを転々としまして。今はカイナシティの大学に籍を置いています」

     ツキミヤは感じよく丁寧に答えを返す。
     タマエの横で孫のタイキは黙々と浅漬けを口に運んでいたが、ツキミヤの言葉を聞き漏らすまいとしているように見えた。彼は彼で興味があるらしい。

    「朝食が終わったら、シュージに村を案内させようねえ。まぁ田んぼ意外何も無い村だけど、シュージがいろいろ詳しいから」
    「はい、ありがとうございます」

     すると、

    「なぁタマエ婆、俺も行って良い?」

     と、タイキが口を出した。

    「おまんは祭の手伝いがあるじゃろ。シュージに任せておけばいい」

     そうタマエは返す。
     ちえっとつまらなそうに少年は舌打ちした。

    「はは、まぁ行くところはみんなタイキ君が知っているところばかりだから」

     ナナクサがなだめるようにフォローを入れる。

    「ああシュージ、朝食の片付けはしなくていいから、コースケをよろしくねえ」
    「はい、お任せください」

     ナナクサは嬉しそうに返事をした。



     一度門を開くとそこに広がる世界は一面の田と野であった。
     収穫期を迎えた稲は、己の背筋が曲がるほどに実をつけて頭を垂れていた。
     それが何千、何万、何十万と集まって目の前に広がる世界を構成しているのだ。
     夜の暗さと祭りの明かりに気を取られて意識しなかったが、これこそがこの時期のこの村の主なる風景である。

    「すでにコウスケも知っての通り、ここの村は古くから稲作が盛んでね」

     と、ナナクサが始めた。
     もともとこの国において最初に稲作と云うものが伝来したのはホウエン地方と言われている。その技術はやがて北上して行き、ジョウト、カントーへと広がっていったのだ。

    「毎年この時期になると一週間に渡る収穫祭が行われる。昨日はその前夜祭」
    「前夜だって? あの規模で?」
    「そう、正式な祭の日は今日から。だから村中大忙しさ。タマエさんもタイキ君も駆り出されちゃって動けない」

     ああ、そういえば先程朝食の席で、とツキミヤは思い返す。

    「君は手伝わなくてもいいのかい?」
    「ああ、僕はいいんだよ。元々村の人間じゃないしね」

     ツキミヤが質問すると青年はそう返した。
     むしろ使用人なら率先して手伝わされそうなものだけれどもとも思ったが、別段突っ込んで聞こうとも思わなかった。

    「僕にとってはね、村の行事よりタマエさんに頼まれたことのほうが優先なの」

     ナナクサはさらっと言ってのける。

    「だからね、僕が今優先すべきなのはコウスケを案内すること」

     この青年の頭の中には村の地図があるのだろう。
     ナナクサは村を囲う青い青い山々を見つめながら、幾分も待たずしてルートを決定した。

    「じゃあ、東側からぐるりと回るルートで行こうか」

     ナナクサがそう言って二人の青年は昨日の夜の様に歩き出した。
     優しい風に頭を垂れた稲穂がかすかに揺れていた。

     道中、ツキミヤが驚いたのはナナクサの知識の豊富さであった。
     彼は自分達が歩く道の右と左に広がる水田で実っている米の種類をちらっと見ただけで見分けてしまうのだった。
     右の水田を差しこれはコシヒカリ、左の水田を指しこっちはササニシキと言う具合にだ。
     ツキミヤも両者を見比べてみたが同じようにしか見えない。
     大学の研究室の先生が、銅鏡の文様を見ただけで出土地を言い当てるという特技を有していたりするがそれに似ていると彼は思った。
     尤もツキミヤには米の見分けはつかないから、ナナクサが口からでまかせを言っていたとしても気付きようがないのだが、やたら米に詳しいという昨晩のタイキの言葉からして嘘ではなさそうである。

    「ちなみに百メートル行ったヤマダさんちではアキタコマチ、向かいのタカダさんちではヒトメボレ、もうちょっと先に行ったサトウさんちではきらら396を育てている」

     どの農家でどの米を育てているのか、彼は知り尽くしている様子だった。
     そのほかにもコガネニシキ、ななつぼし、アケボノ、日本晴れ、まなむすめ、きぬむすめ、スバメニシキ、オニスズメノナミダ、ハトマッシグラなどツキミヤが聞いたこともない品種をナナクサは呪文のように並べ立てた。

    「またずいぶんと種類が多いんだな。米所っていっても普通同じ地域で育てているのって一、二種類だと思っていた」

     そうツキミヤが感想を述べると「ずっと昔、稲の病気が流行ったんだ」と、ナナクサが答えた。

    「単一の種類を育てていると全部に伝染してやられてしまう。一種の防衛だよ」

     稲穂の群落を一望する。
     多くの地域では、収穫した米は農協に納められて、どの家のだれが作ったものも品種ごとにみんな一緒くたにしてしまうけれどこの村は違う。
     皆それぞれの田んぼで取れる米の味に誇りを持っている。同じコシヒカリでも別の農家のそれと一緒にしたりはしない。
     ナナクサはそのように解説を続けた。

    「コウスケも前夜祭の屋台でいろんな米の料理を貰っただろ? あれはそれぞれの農家がその米に合った料理を振舞っているんだ。農協が買い取ってくれないから自分達で売り込むんだよ」
    「なるほど。祭はいわば米の品評会と言うわけだ」
    「祭にはトレーナーだけじゃない、有名レストランや料亭、食品メーカーのバイヤーがたくさんやってくる。ブランドを確立して毎年高値をつける農家も少なくない。米を農協に買い取って貰えない代わりに、人気が出れば好きな値段をつけられるんだ」

     だんだんと祭の全体像が浮かび上がってくる。
     おそらくは昔、昔から伝統的に引き継がれてきたであろう村の祭。現代に至っては観光資源と言った側が強いだろう。だが、この村にとって祭とは単なる観光資源以上の意味を持っているのだ。
     古代の人々にとって祭とは今年の収穫への感謝であり、翌年の収穫への祈願だ。収穫量は何人が生き延びることができるかに直結する。そして今や祭の成功は、村の経済に直結している。
     村中駆り出される訳だ、とツキミヤは思った。
     頭を垂れる稲穂が抱く白い粒には村人の願いが詰まっている。古代も現代でも変わることが無く。

    「そういえば、昨日の前夜祭で大社があるって聞いたけれど……」

     と、昨晩屋台の店主から聞いた言葉を思い出してツキミヤは尋ねた。
     大社と言うくらいだからこの村の中では相当大きく古い建造物に違いない。当然ナナクサのルートの中にも入っているだろう。それに屋台の店主の口ぶりからして、この村の収穫祭にはそこに祀られている神が大きく関わっている。そこに祀られているのは豊穣の神。とりわけ稲作に深い関係がある神と見て間違いが無い。だが、

    「ああ、そんなものもあるね」

     と、ナナクサの反応はどこか冷ややかだった。
     ツキミヤは意外に思う。

    「大社でしゃもじを貰えるって聞いてる」
    「うん、そうだよ」
    「それを見せると、祭では米の料理がタダで振舞われるとも」
    「実際のところ、持っていてもいなくてもチェックなんかしないけどね」

     どうしてだろう。やはり冷めているというかはぐらかされているような気がした。

    「タマエさんに聞いたよ。しゃもじって今年もたくさんお米が獲れました。お腹いっぱい食べさせてくれてありがとうございます。そういう感謝の気持ちを込めてお供えするものなんだろう?」 「まぁね。祭の最後には大社に供えていく人が多い。観光客はともかく村の人間はそうしているかな」
    「……今日のルートには入っていないのかい?」

     ツキミヤは単刀直入に聞いてみる。
     すると、

    「僕はあまりおすすめしないけれど」

     という答えが返ってきた。
    「あんなところ、行っても面白くないよ」とまで付け加える。

    「コウスケは……どうしても行きたいの?」

     と、逆に聞き返されてツキミヤは少々戸惑ってしまった。

    「あ、ああ……まぁ専攻してる学問柄、伝統的な祭事には興味があってね」

     と、理由を紡いだ。

    「この村にとって大社は祭の、ことに祭事的側面の重要な位置を占めているのは間違いない。そういう所なら見てみたいと思うのが普通だろう?」

     学生として、あるいは研究者としての極めて真っ当な理由をぶつけてみる。
     もちろん興味があるのも本当だった。

    「わかった……コウスケがそうして欲しいならルートに加えるよ」

     ナナクサは渋々と大社行きを了承した。
     なぜナナクサがそんなに嫌がるのか、ツキミヤには皆目検討がつかなかった。

    「いや……むしろ見てもらったほうがいいのかもしれないな。大社を知らずして村を知ったことにはならないもの。タマエさんの望みは村を案内すること。だったら……」
    「何をぶつぶつ言ってるんだよ」
    「うん、わかった。行こう。ちゃんと案内するから」

     ナナクサは自分に言い聞かせるように再び了承の言葉を口にした。

    「あ、シュージお兄ちゃんだ。おはよう!」

     水田を二分して伸びる道の向こう側から歩いてきた二人組と一匹があって、その中の小さい女の子がまっさきに声を掛けてきた。短い髪を二つに結わいた元気のよさそうな女の子だ。

    「やあノゾミちゃん、おはよう。ニョロすけも元気だね」

     と、ナナクサは挨拶を返した。
     女の子の後ろをちょこちょこついてゆくポケモンを見る。
     サッカーボール大ほどの大きさで、腹には渦巻きがある。それはおたまポケモンのニョロモであった。
     ニョロモは一瞬、ツキミヤと目があって、女の子の足の後ろに引っ込んだ。

    「おはようございます、ナナクサさん」

     次に落ち着いたトーンの声で挨拶したのは、小さいほうの連れでノゾミと呼ばれたほうに比べるといかにも大人の女性であった。
     ツキミヤは彼らに軽く会釈をする。

    「そちらの方は?」
    「ああ、こちら昨晩村にいらしたポケモントレーナーのツキミヤコウスケさん。今、うちに宿泊していて」
    「ツキミヤです。こちらには旅の途中で寄ったのですが、タマエさんやナナクサ君にはお世話になっています。何でも大きなお祭りがあるそうで見物して行こうかと」
    「それはそれは。年に一度お祭りくらいしか見所の無い村ですけど、ぜひ楽しんでいってくださいね」

     彼女はなごやかな笑みを浮かべそう言った。

    「そうするつもりです」

     と、ツキミヤも返した。

    「ときにツキミヤさん」
    「……? なんです?」
    「ポケモントレーナーと言うことはやはり『あれ』には参加なさるんですか?」
    「『あれ』?」

     ツキミヤは心当たりが無いといわんばかりに疑問符をつけた。

    「あら、ナナクサさんからは聞いていないの?」

     彼女は意外そうな顔をする。するとナナクサが口を開き

    「ああ、選考会のこと」

     と言った。

    「何だい、選考会って」
    「そのなんていうのかな、ちょっとしたバトル大会だよ。"野の火"の出演者を選ぶためのさ」
    「野の、火?」
    「この村に伝わる伝承を舞台にしたものなのよ。その出演者をね、お祭りのイベントをかねてポケモンバトルで選ぶっていう趣向なの。ノゾミもニョロすけと一緒に雨降(あめふらし)の部で出ることになってるわ」

     ノゾミと足元にいるニョロモを見て、説明する。

    「ま、毎年負けてばっかりなんだけどね」
    「うるさいなーおねえちゃんは。余計なこと言わなくて良いのに」

     ノゾミはそのように反発し、怒ったフワンテのように頬をぷうっと膨らませた。
     この人、この女の子のお姉さんだったのか。ずいぶん歳の離れた姉妹だなぁ、とツキミヤは思う。

    「そりゃあ、普段から修行している旅のトレーナーさんには敵わないけど……少なくとも、タイキよりはバトル強いわよ。私」

     と、ノゾミは主張した。

    「へえ、タイキ君もポケモン持っているんだ?」

     ツキミヤが尋ねる。そういえば彼とは昨晩少し脅かして言葉を交わしたくらいで、タマエの孫であること以外は何も知らなかった。

    「持ってるわよ。真っ黒いぼさぼさ頭のを一匹ね。飼い主に似てイタズラばかりで手がつけられやしない。この前だってニョロすけの為に用意しといた水の石を……」
    「ごめんねーノゾミちゃん。隙を見て取り返しておくからさ」

     と、ナナクサが苦笑いして言った。

    「彼のポケモンね、光モノが好きなんだ」

     ツキミヤに補足説明をする。

    「それで、ツキミヤさんは出場なさらないの?」

     ノゾミの姉は話題を元に戻してくる。
     するとナナクサは

    「うーん、コウスケは水ポケモンも炎ポケモンも持っていないからなぁ。出れないんじゃないかな」

     と、言ってから「あ、ネイティとカゲボウズの他に大きいのがいるんだっけ?」と、付け加えたので

    「いるけど……鋼タイプだね」

     と、ツキミヤは返事をした。

    「違うわよナナクサさん。正確には水タイプか炎タイプの技が使えればいいの。ポケモンのタイプそのもを一致させる必要はないわ」
    「あれ、そうでしたっけ」

     少しすっとぼけた様子でナナクサは言う。

    「どっちにしてもコウスケはあまり興味ないと思うけど。ほら、ポケモントレーナーって言っても兼業で本業は院生だから」
    「まぁ、たしかにあまり興味は無いかな」

     と、ツキミヤは同意する。

    「そうですか……。出演した時の謝礼が豪華だからね、結構旅のトレーナーさん、参加したがるのよ。もっとも選ばれた後の練習は大変ですけどね。短期間でそれなりに仕上げなくちゃいけないし、お神楽も覚えなくちゃいけないから」
    「正直、去年の役者は大根だったね。何より見た目がよくなかった。やはり役のイメージは大事にしなくちゃいけないよ。雨降様ともかく相手役のほうはね」

     去年の舞台を回想し、ナナクサはそのように評論した。

    「あら、雨降様はいいの?」
    「あの役はね、威勢がよければ何でもいいんだ」
    「へえ、さすがにタマエさんの所にいらっしゃる方は言うことが違うわねぇ」

     ノゾミの姉はどこか納得したように言う。

    「当然でしょう」

     と、ナナクサは答えた。
     正直、何のことを話しているのかツキミヤにはよくわからなかった。

    「だったら、ナナクサさんが出演なさったらいいのに。きっとビジュアル面も問題ないわ」
    「僕はだめですよ。そもそもポケモンを持っていない。それに僕が出演したらきっと村のお偉いさん方はいい顔をしない。いろいろ心配なさるでしょう」
    「そうかしら?」
    「たとえばそう……僕が勝手に台詞を書き換えちゃうんじゃないか、とかね、」
    「書き換えるの?」
    「僕はあの話、嫌いだから」

     単刀直入どころか一刀両断するかのようにナナクサは言った。
     生まれでないとはいえ、自分の住んでいる村の伝統行事をそんな風に言ってもいいものなのだろうか、と内心に思いながらもツキミヤは黙って聞いていた。

    「……嫌いなのはあなたじゃなくてタマエさん、でしょう?」

     少し眉を潜ませるようにしてノゾミの姉が反論する。
     それはあなたの雇い主の考えであって、あなた自身の考えではないのだと確認するように。

    「タマエさんが嫌いと言うのなら、僕も嫌いだよ。同じことさ」

     一方のナナクサはどこまでもタマエ主体であった。
     使用人とはいえ、思想にまで染まっているのも珍しいと青年は思う。
     いや、それよりあの老婆が祭で上演される舞台とやらを嫌いと言うのはどういうことなのだろうか。たしかにタマエが偏屈とか頑固とかいうイメージで通っているのはうすうすツキミヤも感じていたのだが。

    「……そうね。例えば今日の天気が雨だったとしても、タマエさんが晴れているって言ったら、あなたにとっては晴れなのよね」

     もういいわ、あなたには敵わないわよ。
     という感じで首を左右に振り、彼女は半ば呆れた様子で言った。

    「じゃあ私達お祭りの手伝いがあるから。ノゾミ行くよ」
    「はぁい」

     二人の青年が歩いてきた道を戻るように、何かに奴当たるように彼女はすたすたと彼らの横を通り過ぎる。
     その妹とポケモンが小走りに後を追った。

    「じゃあね、シュージお兄ちゃん」

     どんどん先を行く姉に代わるように道行くノゾミが振り返って、手を振った。
     ナナクサも軽く手を振って彼女に答えた。

    「さっきの人、メグミさんって言うんだ。なかなか美人だろ?」
    「ん……、まぁね」
    「まぁねか、コウスケの基準は厳しいなァ。やっぱ君自身が綺麗だから……」
    「関係ないだろう」

     それより、いつから呼び捨てになったんだ? と言いたげにツキミヤは彼を睨みつけたが、ナナクサは気がついていないか、確信犯なのか、いずれにしても意に介していない様子だった。

    「この村じゃ結構モテるんだよ彼女。彼女はあんまり相手にしてないみたいだけど。米でたとえるならそう……アキタコマチだ」
    「なんだそれ」
    「秋田小町知らないの? その昔貴族社会でモテモテだったっていう」
    「いや、それは知ってるけど」

     そうじゃなくて、なぜ米に例えるんだ? とツキミヤは聞きたかったが言っても無駄そうなのであえて言葉にはしなかった。

    「ちなみにタイキ君はノゾミちゃんが好きらしい」
    「……へえ」

     聞きもしないのに余計な知識を増やしてくれる。

    「でも、いつもポケモンバトルで負けてばかりでさ、カッコがつかないと嘆いてる」
    「ずいぶん詳しいんだね」
    「使用人たるものご主人様のお孫さんの想い人くらい把握しているものさ。そしてできるならその恋のお手伝いだって。だからコウスケ、今度バトルのコツでも教えてあげてよ」
    「なんで僕が」
    「兼業とはいえ、コウスケも旅のトレーナーでしょ。……だめ?」
    「……検討はしておくよ」

     彼があまり熱心なのでツキミヤは渋々そのように答えた。
     二人の進行方向に背を向けて、彼らも歩き出す。

     タイキから聞いた前評判の通り、ナナクサはまるで村の長老かと思えるくらいやたらと村のことには詳しかった。
     ノゾミがニョロモを捕まえたという大きな貯水池はいつできたとか、あの雑木林は誰それの所有で幽霊が出る噂があってとか、この一本道では時々マッスグマが競争しているんだとか、タイキのポケモンが駄菓子屋の菓子を盗み食いするのでいつも勘定を払っているとか、道行く過程でいろんなことを話し聞かせてくれた。
     かといって、しょうもないことばかり知っている訳ではなく、彼しか知らないような村の景色を一望できる場所や、四季折々の美しい花が見れる場所、トレーナーなら涎が出てしまうような珍しい木の実の生える場所、冷たい水がこんこんと湧き出る泉の場所を知っていたりする。
     そして道行く様々な村人と出会う度、彼は「あの人はコシヒカリで、この人はササニシキ」などといちいち彼らを米に例えた。これには呆れてしまったが、彼はこうやって村の人々を記憶しているらしい。
     さらにこれは道ゆく人がツキミヤに教えてくれたことだが、村の農家の中には米の生育について彼に相談するものさえいるという事だった。
     とにかく村の地理から、米のこと、ご近所の噂話まで何でも知っているのがナナクサなのだ。

    「あそこだよコースケ。大社はあの山の中」

     黄金色の水田の海の中に島のように浮かぶ小高い山があった。

    「行こうか」

     あまり気乗りのしない声でナナクサが言ったのが気にかかった。

     雨降大社。そう書かれた青く染められた旗が風にばたばたとたなびいている。
     二人の青年は石段を登って行った。
     時々観光客と思しき人々や子ども達が、大社で貰ったらしいしゃもじを手に持って、きゃっきゃと騒ぎながら石段を駆け下りて行った。
     ナナクサは終始顔色が悪そうにしていた。
     そしてツキミヤは、ほどなくしてその理由を知ることとなる――





    「コウスケ、君に頼みがある」

     日の暮れかかった帰り道にナナクサは云った。

    「君に解説をしながらずっと考えていた。タマエさんはあの場所が嫌いで、僕もが嫌いだ。だから、できれば君を連れてきたくはなかった。けれど君は行きたいと言い、僕は君を連れて行った……そして今気がついた」

     考え抜いた果てにナナクサが思い出したのはあの時交わした会話。
     自分自身の言葉。

    「そうだったんだ。そうすればよかったんだ。どうして今まで気がつかなかったんだろう」

     彼は語った。
     自身の企ての内容を。

    「……本気で言っているのか?」

     それは恐るべき内容だった。村中を敵に回しかねないような。
     赤く燃えるの空の下、ナナクサは確かに頷いた。


      [No.8] (四)穴守家 投稿者:No.017   投稿日:2010/08/07(Sat) 08:05:12     36clap [■この記事に拍手する] [Tweet]





    (四)穴守家


     目的の家の門の前にたどり着く。
     「穴守」と彫られた表札がある家の旧い造り木戸の前に立ったナナクサは、「ちょっと待ってて」と言うと隣の小さな通用口から入る。
     ほどなくしてギシギシと戸が鳴って門が開き、ツキミヤを迎え入れた。
     別に通用口からでいいのになどとツキミヤは思ったが、きっと主人の意向なのだろう。客扱いというのは本当らしい。
     敷地と外とを隔てている門の段差をまたいで中に入ると、大きな石を並べて作った道が玄関へと続いていた。
     暗くてよく見えないけれど散歩ができそうな程度に庭も広そうである。
     やはりナナクサが手入れをしたりしているのだろうか。
     一方のナナクサは玄関の引き戸をがらがらと開き、ツキミヤを中へと招き入れた。
     靴を脱ぎ、軽く身なりをチェックすると、二人の青年は廊下を渡り中へと進んだ。
     相当に旧い、けれどしっかりとした造りの家である。通り過ぎた部屋に垣間見えた柱時計がぼーんぼーんと深夜の時刻を告げていた。

    「ここで待ってて」

     ナナクサはツキミヤを数ある部屋の一つに通すと、背丈の高い草の素材で組ませたアジアン風の椅子に座らせて、この家のどこかにいるタマエを呼びに行った。
     しぃんと静まり返った部屋に、りりりりと虫の鳴く音が響く。青白く輝く月が窓からこちらを覗き込んでいた。
     何気なく壁に視線を移すと、ミナモデパートに売っている長いポスターを思わせる絵巻物を飾った額縁が目に留まる。
     右手には暖色系の色で描かれた人とポケモン達、左手には寒色系で同じように描かれた人とポケモン達。赤と青、二つの勢力が中心を境界にして睨み合っていた。
     両陣営の中に一際目立つポケモンが一匹ずつ在った。ほとんど虫のような大きさの人間達、他のポケモン達に対し、絵巻のほぼ下から上までをほぼ目いっぱい使われて描かれたそれは、誰が見ても特別な存在であることがわかる。実際の大きさがどうであるかはともかくとして、その意味の大きさ、存在の大きさが描かれた大きさとして表れているのだ。
     赤いほうは二本足のポケモンで、体型はサイドンなどに似ているけれど意外と体は平たい。節足動物に似た節と身体の側面に左右1列ずつに生えたとげが青年にはなんとなくムカデのように映った。一方、そのムカデと対峙する形で描かれた青い色の大きなポケモンは巨大な魚のように映る。本体と同じくらいの大きさがある幾何学模様が刻まれたその鰭は、一方で空を飛ぶ翼に見えなくも無い。

    「ホウエン神話の二つ神、か……」

     青年は虫がしゃべったかのような小さな声で呟いた。
     ふと、青年の足元がざわつく。
     こんな時になんだよ、と言いたげに足元に視線を投げると、三色の瞳が一対浮かび上がっていて、窓のほうを見ろと語った。
     青年は視線を再び窓のほうへやる。だがそこには何も居なかった。
     何か、誰かが見てたのかい? と青年が視線を投げると、そうだと瞳は答える。
     すると、廊下のほうから二人分の足音が聞こえて来た。
     どうやら家の主人がこちらに来たらしい。
     まぁ、いいよ。とりあえずはね……青年がそう答えを返すと、瞳は瞼を閉じて影の中に消えた。
     瞳が引っ込むのと入れ違うようにして、タマエとナナクサがやってきて、ツキミヤは椅子から立ち上がった。

    「おぉ、コースケ。夜遅く呼び出して悪かったのう」

     皿のような丸い目を見開いて、やや興奮した様子でタマエは言った。

    「とんでもありません。ちょうど宿にあぶれていた所でして。ありがたいお申出、感謝します」

     そう言って、ツキミヤはお辞儀をした。
     肩にとまっていた眠いネイティはバランスを崩し落ちそうになる。

    「あぁ、だからボールに入れって言ったのに……」

     ずり落ちたネイティを片手で受け止めながらツキミヤは言った。

    「ははは、ネイテーも眠たいところを悪かったねえ。まぁ、今日はもう遅いから挨拶はこれくらいにしておこう。シュージに風呂を用意させるから、ゆっくり疲れを取ってから寝るといい。明日は村を案内させよう」

     とりあえずは客人の姿を確認できたことに満足したのか、タマエはそこまで言うと、じゃあ私はもう寝るよ、コースケをよろしくね……などととナナクサに伝え、去っていった。

    「コウスケ君、お風呂入る? すぐに沸くよ」

     ナナクサがそう勧めるので、ツキミヤはそうさせて貰うと返事をし、浴場へ向かった。
     目的の場所に向かう前にネイティはモンスターボールに収納した。ほとんど眠っていた為か今度は抵抗しなかった。



    「それにしても、まさかこれほどとはね……」

     あたりに湯気が立ち込める。
     浴槽の前にあって、服を脱いだツキミヤはしばし立ち尽くした。
     旅の疲れを癒す広いお風呂――確かナナクサはそう説明していたが、穴守家の風呂は確かに広かった。というか露天風呂だった。
     一般家庭というよりは旅館のレベルである。そして一人で入るにはあまりに広い。
     湯船から湯を掬い取り、軽く身体を流す。ナナクサから受け取った石鹸とスポンジで軽く身体を洗ってから、青年はざぶんと、湯船に浸かった。
     こんな風呂にゆっくり浸かったのはひさしぶりだった。
     身体を芯から温める湯の抱擁に身をゆだねながら、眠さに鞭を打ってここまで来た甲斐ががあったなと思う。
     あの時要らぬ寄り道をして、宿を取り損ねたが、要らぬ寄り道をしたおかげで自分はこうしている。思えば縁とは不思議なものだ。
     そんなことをツキミヤが考えていると、彼の目の前でぶくぶくと泡が立った。
     何かと思って見ていたら、一匹のカゲボウズが湯船の中に浮かび上がってきて、水面に顔を出してきたところであった。
     だが、湯船の湯をを飲んでしまったらしく、げほげほと咳き込んだ。

    「……変なタイミングで出てくるからだよ」

     ツキミヤは少々呆れ気味に言った。

    「で、何?」

     ツキミヤがそう尋ねると、カゲボウズがほれ向こうを見ろと言わんばかりに、青年が顔を向けている左斜め上の方向に視線を投げた。ああ、そのことかと思ってその方向を見る青年。だが、

    「湯気でぜんぜん見えないね」

     カゲボウズの視線が差す方向を見つめながら青年はこぼした。
     だが、先ほど待たされた部屋といい、何かが自分あるいは自分達を視ているらしいことは確かであるらしかった。それもおそらくはこの家に入ってからだ。
     何かあるのかもしれないな、この家は。面白そうじゃないか。そんなことを考える。
     湯気の向こうから見ているらしい何者かの正体について思案していると、青年が入ってきた方向からガラガラと引き戸を引く音が聞こえてきて、こちらに近づいてきた。やってきたのは服を脱ぎ捨て腰にタオルを巻いたナナクサだった。
     ツキミヤは湯船の中でぶくぶくと泡を立てるカゲボウズの頭を急いで湯船に突っ込んだ。

    「コウスケ君、僕も一緒していいかなー?」

     ナナクサは軽い調子で尋ねてくる。
     使用人が客人と一緒に入るのは、どうなんだろうなどと一瞬考えはしたものの、そんなことをうるさく言うつもりはツキミヤには無かった。第一ここは旅館ではないのだから。主人も寝付いてしまったことだし、もうプライベートな時間だと考えているのかもしれない。
     ナナクサは湯船の湯で軽く身体を流すと、そそくさと湯船の中に入り、ツキミヤの隣に並ぶ。

    「いいでしょ? タマエさんちのお風呂」

     ナナクサはそう言って、青年にこの家の風呂の感想を求めた。

    「ああ、どこかの旅館かと思ったよ。でも、おばあさんとお孫さんの二人暮らしにはちょっと広すぎるかな」

     ツキミヤはそう答えておいた。
     すると次の瞬間、湯の水鉄砲がツキミヤの顔にかかった。見るとさっき風呂に沈めたカゲボウズが再び浮かび上がってきてしまって、不意に飲んだ湯を吹いてからゲホゲホと咳き込んでいるところだった。どうやらうまく戻れなかったらしい。
     だから変なタイミングで出てくるなと言ったのに。青年は内心悪態をついた。

    「ほえ? 風呂にカゲ、ボウズ……?」

     驚きの声を上げたのはナナクサである。
     慣れない湯船の中で姿を消す余裕もなかったのだろう。それはしっかりとナナクサの目にも捉えられていた。

    「あ、ああ……ネイティの他にカゲボウズも持ってるんだ。ボールの中で待ってろって言ったんだけど、勝手についてきてしまって……」

     一方のツキミヤはとりあえず手持ちということで誤魔化すことにする。

    「ふうん、そうなんだ」

     と、ナナクサは言った。
     湯船に浮かぶカゲボウズの角をつんつんと突くと、

    「ネイティといい、カゲボウズといい、コウスケ君ってちまっこいポケモンが好きなの?」

     などと聞いてくる。

    「……そういうわけじゃないさ。もっと大きいのだっている」

     そうツキミヤが答えると、

    「へー、そうなんだ。じゃあ、明日にでも見せてよね」

     と、勝手に話を進めた。
     余計な事を話さなければよかったと思う。
     いや、手持ちを見せるくらいわけないのだが、どうにもナナクサが自分の中にずけずけと押し入ってくるようで青年はあまり気乗りがしなかった。
     すると、

    「ねえコウスケ君、なんか怒ってない?」

     ナナクサは雰囲気を感じ取ったのか心配そうに聞いてきた。

    「やっぱり僕が無理やり連れてきちゃったから……」
    「別に……眠いだけだよ」

     素っ気無く返事をすると、

    「よかった」

     と、彼は安心したように言った。

    「そうだ! コウスケ君の背中流してあげようか?」
    「ぶっ」

     突然の突拍子のない提案にツキミヤは噴き出した。
     そしてざばぁという音と共に湯船の中で立ち上がって、

    「馬鹿か君は! 僕はもう寝るからな!」

     そう言って、湯船からあがると、すっかり風呂を満喫しているカゲボウズにいくぞと声をかける。
     湯船から上がり、胸板が顕になったツキミヤを見て、ナナクサが「おや」という表情を浮かべた。
     が、そのことについてナナクサがいつもの調子で問う前に、青年はカゲボウズを連れてすたすたと脱衣所のほうへ歩いていってしまった。

    「コウスケくーん、コウスケ君の寝る部屋だけどさー、さっき待ってたとこの隣ね。もう布団は敷いてあるからー」

     湯気の向こうに消えたツキミヤに向かってナナクサはそう声をかけた。
     彼は少し複雑そうな表情で青年を見送った。
     湯船から上がった時に見えた青年の胸には、三本の痛々しい傷跡があったからだ。



     ナナクサが用意してくれた寝巻きに身を包むと、ツキミヤは寝室へ向かった。
     廊下を渡りながら、

    「例のあれ、まだ見てる?」

     と、傍らにひらひらと浮かぶ人形ポケモンに目で合図する。
     カゲボウズはコクンと頷いて返事をした。

    「そうか。どうしたものかな……」

     そう呟きながら、寝室の襖を開くと、部屋の中心にいかにもやわかかそうな布団と毛布が用意してあった。
     手でそれを押してみる。たぶん、チルタリスの綿毛が入っているのだ。高級布団である。
     部屋の奥に目をやると掛け軸と面がかかっていた。
     白い肌の面には細い金色のツリ目が描かれ、赤や青で何本ものひげが伸びていた、そして丈夫には大きな耳――狐面である。
     それがこちらを見るようにある種不気味に笑っていた。
     ツキミヤは面に向かってくすりと微笑み返す。
     カゲボウズが中に入ったのを確認して、寝室の戸を閉めた。
     そして、何事も無かったように部屋の中心まで進み、布団に腰を下ろす。
     しばらくの間。
     闇夜にまぎれるかすかな音をツキミヤは聞き逃さなかった。

    「鬼火」

     ツキミヤがそう呟くと、先ほど彼が閉めた襖の向こうから

    「うわああああっ」

     という悲鳴が聞こえたと同時にドスンと腰が床についた音がした。
     ツキミヤはゆっくりと立ち上がると襖に近づき、それを開いた。
     目の前には突然現れた鬼火を前に腰を抜かした一人の少年の姿。彼はしまったという顔でツキミヤを見上げた。

    「よっ妖怪……!」
    「妖怪? 僕が?」

     青年とカゲボウズがくすくすと笑う。

    「だって、ひとだま……さては、お前……」

     動揺が収まらない様子で少年は言った。
     ちょっと脅かしすぎたかな、とツキミヤは鬼火を引っ込めさせ、少年を落ち着かせるように

    「こんばんは。ナナクサ君から話は聞いているよ。君がタマエさんのお孫さんなんだね」

     と、言った。
     すると少年はなんだ知っていたのか、という顔をして

    「タ、タイキじゃ! あの偏屈なタ、タマエ婆がめずらしく人を泊めると聞いたんで、どんなやつか一目見てやろうと思っての……」

     と、言葉を詰まらせながら必死で強がった。

    「タイキ君って言うのかい。僕はコウスケだよ。ツキミヤコウスケ。コウスケって呼んでくれればいい」

     かすかに笑みを浮かべながら、ツキミヤは自己紹介した。

    「こっちのは僕のカゲボウズ。鬼火を出したのはこの子」

     少年は青年の傍らでひらひらとマントをたなびかせているポケモンをまじまじと見た。

    「なななんだ。そ、そいつか……。脅かすな……。その鬼火が出た時、俺はてっきりタマエ婆が泊めたのはあの妖怪なんじゃないかと焦ったわ」

     このあたりでやっと少年はやっと落ち着きを取り戻しはじめた。

    「ひどいな。人を妖怪よばわりするなんて。何? その妖怪って。そんなに僕に似ているの?」

     妖怪というキーワードが気にかかり青年は探りを入れる。

    「なんじゃ知らんのか。この村の昔話に出てくる炎の妖じゃ」

     炎の妖。
     少年はそう言った。

    「今は祭の時期じゃからの。そいつの名前が一番口にされる時期じゃ。口にされる回数が多いとその名前の主は力を持つんだと。姿を現すんじゃと……だから」
    「へえ面白そうだね」
    「タマエ婆が言っとったんじゃ。なんならシュージがもっと詳しい」
    「ナナクサ君が?」
    「そうじゃ。あいつ村の育ちじゃないくせに、やたらと村のこととか米のことなんかに詳しくてのう」
    「そうかい。じゃあ明日村を案内してもらうついでに聞いてみようかな」

     またあいつか。苦手なんだよなぁ、あのタイプ……などと考える。

    「まあいいや……、今日は遅いから寝かせてもらうよ。また明日ね、タイキ君」

     青年はそう言って部屋に入り襖を閉めた。
     ほどなくして、少年がぱたぱたと廊下を戻っていく足音が聞こえた。
     野次馬なところは少年もあの青年もよく似ていると彼は思う。
     襖に背を向けるとおのずと部屋の奥に掛けられた先程の面と目が合った。それは月明かりに青白く浮かび上がって相変わらず静かに笑っている。

    「妖怪を泊めた、か……言い得て妙じゃないか」

     青年は面に向かって再び微笑み返した。


      [No.7] (三)二人の青年 投稿者:No.017   投稿日:2010/08/07(Sat) 08:04:36     31clap [■この記事に拍手する] [Tweet]





    (三)二人の青年


    「誰だい、タマエさんって」

     ナナクサに向けられたツキミヤの第一声はあからさまに不機嫌だった。
     眠りを妨害された上に、どこのドンメルの骨だかもわからない奴に下の名で馴れ馴れしく呼ばれるいわれはなかったからだ。

    「だいたいなんだって君が僕の名前を知ってるんだよ」

     さきほどより少し覚醒した声でツキミヤは青年に問う。
     きょとんとしたナナクサの表情が彼の瞳に映り込んだ。

    「そりゃあないよ。コースケ君。僕達もう一回会っているじゃないか」

     青年は本当にそりゃあないという感じで言葉を返した。

    「どこで」
    「今日、この村の外れで」
    「いつ」
    「夕方過ぎたあたり」
    「……知らない」

     冷ややかなツキミヤの反応に、がっくりとナナクサはうなだれる。
     けれども、めげずにアタックを続けた。

    「そこをなんとか思い出しておくれよ、コースケ君」
    「知らない……古狸めいたおばあさんになら会ったけどね」

     目を擦りながらツキミヤが答える。
     すると、ナナクサの顔がぱあっと晴れやかになった。

    「なあんだ。覚えてるじゃないか。その古狸がタマエさんだよ!」

     とっかかりができたとばかりに彼は嬉しそうに続ける。
     タマエとは夕方に会ったあの老婆の名であるらしかった。

    「そこまで来たら思い出すのは簡単だ。で、君はタマエさんと別れて村へ向かう途中に別の誰かさんとすれ違ったろ?」
    「…………。……ああ」

     ツキミヤはようやく肯定の意を口にした。
     眠たい頭なりに記憶の一片にナナクサの存在を認めたのだ。
     が、存在を認めはしたものの、眠りを妨げたやつに心を許したわけではない。

    「で? そのすれ違っただけの君が僕に何の用だい。すれ違っただけなら祭でいやというほどすれ違っているのだけどね」

     と、嫌味を付け加えるのも忘れない。

    「だから、言ったろ? タマエさんに言われて君を迎えに来たんだよ」

     ナナクサはそう答えた。
     そして、その次にものすごく彼の関心を惹く言葉を耳元で囁いた。

    「旅の疲れを癒す広いお風呂に三食昼寝付……」

     ぴくっ、とツキミヤが反応するのがわかって、ナナクサはにっこりと笑みを浮かべる。

    「断る理由はないと思うけど?」



     りーん、りーんと鈴に似た虫の歌声が野に響く。空に浮かぶ月にうっすらとした雲がかかっていた。淡い月明かりに照らされた野の細い道。そこをを二人の青年が歩いていく。田に水を引くためだろうか、道の横には細い水路が通っていて、虫の合唱に水路を流れる水音の伴奏が混じる。目的地へ伸びる道の端々にススキが群生して、村に訪れた秋を演出していた。
     淡く灯る提灯をぶら下げた人影に、もうひとつの人影がついてゆく。

    「僕はね、タマエさんちで働かせてもらってるんだ。掃除したり、料理したり、収穫の手伝いをしたり。あそこの家には彼のお孫さんも住んでいるんだけど、彼の両親は忙しくてね、家に彼を置いたままなかなか帰ってこないんだ」

     村の青年――ナナクサは、自己紹介の続きを兼ねてそんなことをツキミヤに語った。

    「家の広さの割に人が居ないからさ、君が来てくれればきっと喜ぶよ」

     結局、村にやってきた青年は、村の青年の提案を受け入れることにした。
     彼の説明を要約するとこうだ。
     これから案内する家の主が好意から青年を泊めたいと申し出た。
     滞在日数は村にいる間ずっと。この村に居る間は好きなだけ泊まっていて構わない。眠るのを十五分ほど我慢して、ついて来て貰えればその恩恵にあずかれる――……正直なところ、半野宿状態だった旅の青年にはあまり断る理由が見つからなかった。

    「ねえ、コースケ君はトレーナーなんでしょ」

     ナナクサは家の主が泊めたいという旅人の素性について興味津々という様子で聞いてくる。

    「……まぁね」

     ツキミヤは素っ気無く肯定の返事を返した。

    「ということは、君もポケモンリーグとかを目指して旅の途中なんだ?」
    「いや……、トレーナーなのは名目上だよ」

     返したのは冷めた答え。

    「名目上? どういうこと?」
    「この国の制度下ではトレーナー免許を持っていればいろいろ便利だからね。トレーナーの肩書きを持った兼業っていうのが結構多い。僕もその一人」
    「じゃあ、コースケには本業があるんだ? 何をやっているの?」

     テンションの低いツキミヤとは対照的に、どんどんナナクサは聞いてくる。

    「僕の本業はね、院生だよ」
    「院生……」
    「平たく言うと研究者と学生の間みたいなもだね」

     ナナクサがあまり理解していなさそうな顔をしていたので、ツキミヤはそう付け加えた。

    「つまり半分は学生ってこと? でも学生って学校にいるもんじゃないのかい?」

     村の青年は不思議そうな顔をする。

    「そうでもないさ。大学を目指す受験生とか実験室に篭らなきゃできないような研究をしてる人ならいざ知らず、院生を含めた大学生は結構ブラブラしてるもんだよ。大学ってのはね、ある程度単位を取った後ならレポートなり論文なり出すもの出せば卒業できてしまうから」
    「へえ、そういうもんなのか」
    「僕が大学で知り合った子なんか、四年の初めのほうに卒業論文を仕上げて、送り火山に行くって出て行ったままちっとも戻ってこないよ?」

     尤も僕も人のことは言えないけど、と付け加える。

    「それにね、学校に篭ってやる研究ばかりが研究ではないんだ。外に飛び出して調べないとわからないことがたくさんある。僕のいるの研究室の方針として、」
    「なーるほど。よくわからないけど、いい身分なのはわかったよ」

     ツキミヤの言葉を遮って、村の青年はそう結論付けた。
     たぶん、皮肉を込めた訳ではないのだろう。
     が、村の青年の一言は結構、学生にとって耳が痛いものだ。

    「オーケー。そこまでわかれば上出来だよ」

     ツキミヤは苦笑いをする。
     そして、「そういえば、まだ聞いてなかったけど」と、話題を切り替えた。

    「あのおばあさん……タマエさんだっけ。どうしてまた僕を泊めようなんて言い出したんだい?」
    「それがタマエさんさ、夕べに話をした君の事が忘れられなかったらしくて」

     と、ナナクサが答える。

    「ここの村の人達、誰もツクモ様の参拝に行かないからさ。あそこでコースケに会えたの嬉しかったみたい。家に戻ってからもコースケはちゃんと宿が取れただろうか、どこかで寒い思いをしているんじゃないかととずっと心配してたんだよ。それに……」

     ちらりとツキミヤを横目に見て、彼は続ける。

    「それに?」
    「ええと、その肩の緑の……」
    「ネイティ?」

     肩でうとうととする鳥ポケモンの体温を感じながら、答える。

    「そうそう! そのネイテーのことがえらく気に入っちゃったみたいでさ、その、なんだ、あの時コースケに頼んで触らせてもらえばよかったと何度も僕に言うわけ」
    「………………」

     ああ、そういえば。と、ツキミヤは記憶の糸を手繰らせた。あの時、あの老婆に聞かれてこのポケモンの種族名を教えたのだ。そんなに気に入ったのか。

    「シュージ。お前は暗くて気づかなかったかもしれないが、あのネイテーとかいうポケモン。あれはいいものだ。一見の価値がある。一緒にいるコースケもいい男だ。あれは見所がある。こう言うわけよ」

     ……ネイティが先かよ。と、声の聞こえない内心でツキミヤは呟いた。

    「もうね、ご飯を食べてるときも、お風呂に入っている時も、寝て布団に潜ってからも言うのよ。愛しのネイテーとコースケのことを思うと夜も眠れないわけ」
    「…………はあ」
    「そこまで言われたら、お世話をしている僕はこう提案せざるをえないだろう? では、タマエさん、僕がひとっ走り村を回ってネイテーとコース……じゃない、コースケとネイテーを探してきましょう」

     淡い月明かりが少しだけ強くなる。うっすらと月を覆っていた雲が切れたのだ。
     月明かりに照らし出された野の道は、先ほどよりススキの穂がよく見えるし、前を歩くナナクサの姿をも、ツキミヤの目に鮮明に映し出した。彼の表情がよく見える。

    「もしも彼らが宿にあぶれて寒い思いをしているのなら、我が家に泊まっていただくというのはどうでしょう、って」

     ナナクサの淡い色の髪が、月夜に透き通る。先ほどまで眠くてあまり関心がわかなかったが、肩まで伸びた髪をひとまとめにせず何本かに分けて、毛の先のほうで結わいているその外見はかなり特徴的だと思う。

    「すると、タマエさんはこう言うんだ。さすがはシュージだ。そう言ってくれるのを待っていた、とね」

     ナナクサは無邪気に語った。

    「だから嬉しいな。こうしてコースケ君を連れて家に戻れるの」

     言われなくとも顔でツキミヤにはわかった。
     きっと彼女の役に立てるということが彼にとっては喜びなのだ、と。

    「ねえ、コウスケ君」

     突然、ナナクサが立ち止まり、先ほどまで呼んでいた口調よりは改まったようにして、青年のほうを向くと名を呼んだ。

    「…………? 何?」

     じっと青年を観察するように見据える。

    「こうやって見るとさ、コウスケ君って綺麗だよね」
    「…………ハぁ?」

     ツキミヤが顔をしかめる。
     どうにもこいつは次の言動が読めない。
     ナナクサは再び背を向けて歩き出す。

    「いやー、さっきは寝込みを襲ってしまったから、あまりシャンとしなかったけれど。こうやって月の光の下に立つと、なんか絵になるなぁって」
    「おい、あんまり誤解を招くような発言しないでくれよ。さっきだって君が大声出すから、周りのトレーナーがじろじろ見てきて相当恥ずかしかったんだよ」

     ナナクサの後に続きながら、ツキミヤが返す。

    「ごめんごめん。でも、よく言われない? 君くらいだったら、周りの女の子が放っておかないと思うけどな。君が近寄らなくても向こうから寄ってくるんじゃない?」
    「何の話をしているんだよ」

     苦手なタイプだな、と直感的にそう感じた。

    「コウスケ君ってさ、僕には素っ気無い反応するけど、それは本質じゃないよね。本当はもっと聞き上手で、話し相手の懐にすうっと入り込んじゃう。こっちから聞かなくても、相手が勝手に自分のことを喋ってくれる。そうだろ?」

     ツキミヤは思う。
     夕刻にすれ違って、先ほど言葉を交わしたばかりなのに、こいつはもうこいつなりにだがツキミヤコウスケという人間を掴みかけている。
     いやだな、あまり踏み込まれたくない。そう思った。

    「つまり、何が言いたいんだい?」
    「ああ、つまりね、コウスケ君は好青年で、気も利くからタマエさんは泊めたくなったんだろうなってこと」
    「……ネイティが気に入ったからじゃなくて?」
    「もちろんそれも大いにある。両方だよ」

     ナナクサはそこまで言うと、雰囲気を察したのかあまり突っ込んだことを聞くのは避けたようだった。
     舗装されていない道をざくざくと歩く音が響き、りーりーと鳴く虫の音が混じる。
     やがて、二人の青年が、他愛の無い言葉を二、三交わすうちに目的地らしい家の明かりが見えてくる。

    「見えてきたよ。あそこ」

     村の青年はそう言って明かりのほうを指差した。


      [No.6] (二)七草 投稿者:No.017   投稿日:2010/08/07(Sat) 00:23:24     32clap [■この記事に拍手する] [Tweet]





    (二)七草


     収穫祭、とあの老婆は言っていたか。
     集落に到着した青年を出迎えたのは溢れんばかりの群衆だった。
     人々、そして彼らが連れるポケモン達で賑わう通りは橙や黄色の暖色の光に包まれ、活気を帯びている。
     あちらやこちらからドコドコと響いてくる太鼓の音、それに合わすように響いてくる笛の音。
     想像していた以上の規模だった。
     ここまで来る途中に二人にしか出会わなかったことをツキミヤは不思議に思ったくらいだ。
     通りには所狭しと屋台が並び、ある店からはじゅうじゅうと何かを焼く音が、またある店からはもくもくと湯気が立ち上っていた。
     ポケモンセンターはどこにあるのだろう。
     きょろきょろとあたりを見回しながら歩いていると、通りに並んで立つ屋台の店主の一人に呼び止められた。

    「おにいちゃん、お餅一個どう? 今年とれたてのつきたてだよ」

     そう言われ、まだ暖かさの残る餅を一個手渡された。
     店主は通りを歩く人々に次々に声をかけると気前よく、餅を配ってゆく。
     通りの人々は当たり前のようにそれを受け取って、ありがとーなどと言うとパクつきながら通り過ぎてゆく。

    「あの、いいんですかこれ」

     ツキミヤはあまり状況が飲み込めずに手渡された餅を店主を交互に見ながら尋ねた。

    「あ、もしかしてお兄ちゃんここ初めてなの? 大社でしゃもじを貰ってね、それを見せればお米を使った料理はみんなタダなんだよ」

     しゃもじ? またしゃもじか。

    「僕、しゃもじ貰ってませんけど……今着いたばっかりで」
    「あー、いいよいいよ。実際のとこ、いちいちしゃもじの有無なんか確認しないんだ」

     はぁ、そんなもんですか。

    「じゃ、遠慮なく」

     ちょうどお腹も減っていたのでパクついてみる。
     結構うまい、ツキミヤは素直にそう思った。

    「はい、肩のネイティちゃんにはこれ」

     別の屋台の店主、今度は女の人がやってきて、ツキミヤに固形の物体を手渡す。

    「何ですかこれは」
    「うちで取れたお米で作った胚芽米ポロックよ」
    「…………」

     肩にとまっているポケモンにやってみた。
     ツキミヤの手からポロックを嘴で受け取ると、足で押さえてネイティは食べ始める。

    「……おいしいんだ?」

     と、ツキミヤは尋ねる。
     傍から見たら無表情に見えただろうが、なんとなく微妙なニュアンスでうまそうに食っているのが彼にはわかるのだった。ネイティが最後のひとかけらをついばんで飲み込んだ。

    「米を使った料理はみんなタダねえ」

     通りをゆったりと歩きながら、屋台のメニューを注意して見てみる。
     たしかに屋台は米を材料にしたものがいやに多い。
     ストレートな白米にはじまり、山菜を使った炊き込みご飯、おこわ、おはぎ、米粉を使ったうどんにスパゲティ。あげくの果てにはポケモンフーズやポロックまで米由来。向こうの方で配っている祭りにつきものの酒らしきものも材料もおそらくは米なのだろう。
     もはや解説をされなくともわかる。この村は米の一大生産地なのだと。
     四、五件先の屋台では浴衣を着た女の子が、大社で配っているらしいしゃもじを店主に見せて、料理を貰っていた。
     会場の一角に組まれた舞台の上では、体格のいい男達が器に盛られた白米を一口二口で平らげると、口々におかわりなどと叫んでいる。祭り一番の大食いを決める競技が催されているらしかった。
     その様子を横目に見ながらツキミヤはポケモンセンターを探す。
     賑やかな通りはしばらく終わりそうにも無かった。

    「こんなに貰っちゃったよ」

     案の定、一人と一羽は歩きまわっているうちにまたいろんな店主に捕まってしまうこととなった。
     シャーッという音を立ててポケモンセンターの扉が開き、受付が一人と一匹をその目に認識した頃には、鳥の主は両手にたくさんの料理とポケモンフーズを抱えていた。
     そして、

    「大変申し訳ございません。本日は相部屋もいっぱいでして…………」

     重い荷物を両手に抱え、受付の前に立ったツキミヤを出迎えたのはそんな台詞だった。
     あらかじめことを予想していた彼は、ああ、やっぱりそうだろうなぁという顔をする。
     受付嬢が申し訳なさそうな眼差しを向けているが、なんだか疲れた様子だった。
     たぶん今晩は何人、何十人の宿泊を断ったのだろう。

    「わかりました。でも少しロビーを借りますよ。荷物を整理したいので」

     ツキミヤは受付嬢にそう告げると、すたすたとロビーに移動し、人の少ないソファの一角に腰掛けた。
     歩き詰めだった彼はソファの背もたれに身体を預けると、ふうっと一息つく。
     ロビーでは彼のほかにもトレーナー達が座っており、傍らのポケモンと一緒に屋台で貰った食べ物を胃の中に収納していた。
     誰でも考えることはそんなに変わらない、と思う。
     向かいの席を見ると頭にアンテナを生やした丸いフォルムがネイティに似ていなくも無い緑色のポケモンが大口をあけて、トレーナーから貰った料理を次々に平らげているところだった。
     いや、むしろ食べ物が口の中に入れられる傍から、吸い込まれていっているようにすら見えた。
     そのネイティによく似たフォルムのポケモンの正体は、全身胃袋のポケモン、ゴクリンだ。
     目の前のポケモンが明らかに自分の体積以上に食べている気がしたツキミヤだが、あえてそのことは頭の隅に追いやって、こんな時はよく食べるポケモンも悪くないな、などと考えた。
     自分の肩にとまっているポケモンは色も頭のアンテナのような羽もよく似ているが、どちらかと言えば自分に似て小食だ。
     案の定、貰った料理のうち小さめのものを二、三取り出して食べただけで、一人と一羽はすぐにお腹はいっぱいになってしまった。
     ふと、腰にある二つのボールが目に留まる。一つはネイティのものだから空だが、残りの一つにはポケモンが入っている。
     まぁ、無理だとは思うけれど。そんなことを考えながらボールのポケモンを入れ物から開放する。

    「やっぱり無理だよね」

     思ったとおり、ボールから出したドータクンは米の料理に大して、おおよそ食欲という名の欲望を抱いてはくれなかった。
     遠い昔の祭具に似た彼の生態はどのような形容詞で説明しても生物的であるとは言い難い。
     ツキミヤは今のところ彼がモノを食べているところを見たことが無いし、どこに口があるのかも知らなかった。
     まぁ、食欲が無いというのは金も手もかからずありがたいのだが。

    「あぁ、そっか。その手があったか」

     ふと気がついてツキミヤは足元を見た。自分の足元の影を。
     何だって今まで忘れてたんだ。手のかかるのならいっぱいいるじゃないか。
     口があるポケモンで、飢えていそうなポケモンなら自分の足元にたくさんいる……。
     それに気がついた彼は、ドータクンをボールに戻すと受付嬢から宿泊所案内を兼ねた地図を受け取って、ポケモンセンターを後にした。


     センターから出たツキミヤは、とりあえずは地図を仕舞い込み、人気の無いほうへ、人気の無いほうへと移動を始めた。より静かなところに、より夜の闇が深いほうへと足を進めていく。
     彼がこのあたりでいいだろうと足を止めた場所は祭の会場からもポケモンセンターからもいくらか離れた林の中だった。
     暗い夜の色に沈んだ林の中は祭の音楽こそわずかに聞こえてくるが、熱気はなくひんやりとしている。
     明かりらしい明かりといえばわずかに夜を照らす、冷たく輝く月くらいだった。
     そこは人間の世界というよりは、"彼ら"の世界に相応しい。

    「もういいよ。出ておいで」

     ツキミヤがそう言うと、足元でいくつもの目が開き、彼を見上げた。
     水色と青に囲まれた黄色。何十もの爛々と輝く三色の瞳が浮かび上がってくる。
     薄い雲に覆われた月の放つ淡い月光に照らされて、それはツノの生えたてるてる坊主のシルエットをとった。
     その数は通常、トレーナーが持ち歩くポケモンの数をはるかに凌駕している。
     暗い林に立つ青年と一羽を囲うようにふわりふわりと浮かび上がってゆくそのポケモンの名を、カゲボウズと言った。
     青年が持ってきた料理の包みを開けると、一匹が横からぱくりと食いついたのを皮切りに、次々につられるように群がった。
     両手いっぱいにあった料理はもうすでに冷めてしまっていたにも拘らず、すぐに無くなった。
     両腕を煩わせていたものがなくなって、ツキミヤはほっと一息をつく。
     すっかりものを食べ尽くしてしまったカゲボウズたちは、影から出るのが久しぶりとあってか、甘えるように擦り寄ってきた。
     ひらひらとした布地のような身体をツキミヤの腕や肢体に絡み付かせ、訴えるように三色の瞳で見つめてくる。
     ツキミヤはそれに答えるようにくすりと笑みを浮かべた。
     右手の近くに居た一匹にその細く長い指を絡めて、指の平で愛撫してやる。

    「わかっているよ。負の感情が欲しいんだろ?」

     飢えを訴える彼らをなだめるように青年は言う。
     人形ポケモン、カゲボウズ。
     彼らの糧は人やポケモンの感情。それも憎悪や嫉妬などの負の感情だ。
     普通の生物が食べているものも口にはするが、それでは到底満たされない事をツキミヤは知っている。

    「大丈夫。この村には人もポケモンもたくさんいるよ。君達好みの獲物もすぐに見つかるさ」

     たくさんの影に絡みつかれ、青年の身体は夜の闇に溶けてゆくかのように見えた。
     いつのまにか彼の瞳の色も彼らと同じ色を宿し、妖しい光を帯びる。
     ツキミヤの指に絡めとられたカゲボウズが気持ちよさそうに身体をくねらせた。



    「……疲れた」

     荷物を片付け終わった青年は、再びカゲボウズを自身の影に収納し、明るい場所へと舞い戻る。
     眠い。
     一日中歩き、食事をし、カゲボウズ達を構ってやって、さすがにそろそろ休みたかった。
     先ほどポケモンセンターで受け取った宿泊所案内を開く。
     休めるところならどこでもいい。近いところからあたっていくことにした。

     だが、ただ休むだけの場所はなかなか見つからなかった。
     一軒目はすでに満室だった。
     次に行った二軒目も満室。
     あきらめずに行った三軒目もいっぱいで、傍にあった四軒目も断られた。
     しばらく歩いったところにある五軒目にも果敢にアタックしたが、やはり人がいっぱいで、めげずに行った六軒目でも撃沈した。
     このあたりで、ようやく彼は眠たい頭で観光客の数に見合ったベッドの数がないんじゃないかと疑い始め、地図を広げ残りの宿の数を数える。
     もう、片手で数える程度しか残っていない。
     青年が推察するにはこうだ。この村の人口が増えるのはたぶんこの祭の時くらいなのだ。かといって、全員を収容できるだけのベッド数を用意すれば、閑散期の稼働率が悪くなる……。
     七軒目で聞いたところによると、そういうあぶれた観光客の為に、村の中にいくつかの雨を凌げ、暖にあたれる程度の休憩所が用意されているらしかった。
     この時点で、たぶん残りをあたっても無駄だろうなと悟った青年は、教えてもらった休憩所とやらに行くことにする。
     ポケモンセンターのロビーのソファで寝ようかとも思ったが、ずいぶん離れてしまったので、戻るのが億劫だった。
     その場所には、ほどなくして到着した。
     大きなカヤブキの屋根を何本かの太い木の柱で支えたその建物は、柱と柱の間を申し訳程度に板を打ち付けた壁で外と内とを分けていた。
     たぶん普段は村の人々が集会所か何かに使っているのだろう。
     中心にはせめてものといった感じで、火が炊かれ、小さく炎が踊っていた。
     ツキミヤが中に入ると先に来ていた何人かが、お前もかといった眼差しを無言で向けてくる。
     宿にあぶれた旅人達は、ある者はまだ起きていてあくびをし、ある者は連れのポケモンを毛布の代わりにして、ある者は寝袋に身を包み、寝息を立てていた。
     野宿は慣れている。こういう場所はちょっとかっこ悪いけれど、屋根と暖があるだけマシというものだろう。
     青年は腰を下ろし、リュックを床に置くと、中心の暖に向き合った。
     炎がパチパチと小さな音を立て燃えている。熱気が少しだけ頬に伝わって、揺れる明かりが少しだけ青年を照らした。

    「……君はボールに戻れよ」

     そう言ってツキミヤはボールをネイティの目の前に機械球を差し出したが、肩の上のネイティはボールから視線を逸らしそっぽを向いて、ツキミヤの頬に摺り寄った。
     心配をしてくれているのか、甘えたいだけなのか。
     ツキミヤは小さく息を吐くとボールを元の位置に戻した。
     リュックサックから、折り畳み傘程度の寝袋を取り出し、栓を抜く。それは成人一人が横になれる程度に膨らんだ。
     倒れこむように寝袋に身を投げ出すと、ネイティが器用に肩から背中にぴょんっと移動して、しばらく背中の上をちょこまかと動き回った後に落ち着ける場所を見つけ、うずくまると羽を膨らませた。
     腕の枕に顔を埋め、ゆっくりと目を閉じる。
     ほどなくして、青年の意識は今ある場所に別れを告げ、無意識の世界へ落ちていくだろう。

     が、どこからか声が聞こえた。

    「やっと見つけた!」

     青年の意識が半分ほどこちらの世界へと引き戻されるのとほぼ同時に、背中で羽を膨らませていた小鳥ポケモンが飛び起きたという感触が背中から伝わる。
     青年は眠たい目をこすって、けだるそうに上体を起き上がらせた。

    「いやぁ見つかってよかったよ。この時期人が多いからさー、探すのは骨が折れた」

     眠くてぼやけた視界の先で、誰かがしゃべっている。

    「緑色の鳥ポケモンが一緒にいるって聞いたんだけど、ボールに入れてるかもしれないし……まぁとにかく見つかってよかった」

     おや、もしかして話しかけられている相手は……自分、なのか?
     おかしいな。この村に自分の知り合いなんて……ぼんやりと青年は思う。
     すると、声の発信源がこちらに近づいてきて、

    「僕はナナクサ。ナナクサシュウジ」

     と、眠そうな周りの空気とは裏腹に意気揚々と自己紹介をしたのだった。
     
    「君を迎えに来たんだよ、コースケ君」

     現の世界の人間というよりは夢の世界の住人のような怪しげな台詞を吐く。
     どこかで見たような人懐こそうな顔をしたその青年、眠たい頭ではよく思い出せない。
     正直言って迷惑だ。何の用事か知らないが早く終わらせて欲しい。
     自分では見えないけれど今、自分の目の前で話しているこの青年に向けてあまりいい表情はみせていないだろう。
     だが、そんなことを気にする様子もなく青年は、怪訝な、それ以上に眠そうな表情を浮かべるツキミヤの前に右手を差し出すようにして、こう続けた。

    「さ、行こ。タマエさんが待ってるよ」


      [No.5] (一)老婆 投稿者:No.017   投稿日:2010/08/07(Sat) 00:22:26     38clap [■この記事に拍手する] [Tweet]





     今宵、役者は面を被りて、出で立ち進むは石舞台。
     舞いて祝詞を唱えれば、妖降り立ち甦る。

     口惜しや人間どもめ。
     恨めしや人間どもめ。

     我を忘れたか。我が炎を忘れたか。永き時が忘れさせたか。
     ならば、今こそ思い出させてくれようぞ。
     今こそ思い出させてくれようぞ。

     今宵こそはその機なり。



     野が燃える。
     地平を染める赤い炎。
     燃える燃える。踊る踊る。
     放たれた火が金色の野に燃える。


     人間共め、今こそ思い出させてくれようぞ。

     我が名は、私の名は――





    ●野の火






    (一)老婆


     ホウエン地方の蒸し暑い夏が終わり、山々の木々の葉は、緑色の衣から赤や黄に衣替えをはじめていた。
     それは地を彩る草々も例外ではなく、野も山も秋色に染まりつつあった。
     夕暮れともなれば、あちらこちらから鈴の音に似た音色が耳に届く。
     つい最近までこの音色を聞く度に、まだ夏だというのに気の早い虫もあったものだなどと思っていたのも束の間、今はこの音がしっくりと感じられた。
     夕闇に羽の音が混じる。
     オオスバメのような大きな鳥ポケモンが羽ばたく音ではなく、もっと小型のポケモンがせわしなく羽ばたく音だ。あまり長い距離を飛ぶのは得意ではないらしい。
     音の主である緑色のポケモンは、村の入り口を示している石柱にとまると、自身の主である青年の顔を覗き込んだ。
     青年は鳥ポケモンの頭を撫でてやる。それは目を細めて喜んでいるようだった。
     落ち葉で覆われた大地にしっかりと刺さったその石柱は相当に古いものらしく、もはや石に刻まれた文字を読むことはできない。
     青年は早々に解読を諦めて、緩やかな上り坂を進んでいった。
     夕暮れ時、またの名を遭魔ヶ時。
     日が西の空に去って、世界が夜色に染まり始める時間。
     ちょうど彼が村の境界に足を踏み入れたのはそういわれる時刻だった。

     緩やかな山道が一本に伸び、人々の集まる集落へと続いている。
     青年は緑色の鳥ポケモンを肩に乗せ、集落に向かってやや急ぎ足で歩みを進めた。
     早々に宿を確保したかった。いわゆるリーグを目指す本業ではないにしろ、トレーナーの免許を持っている青年はポケモンセンターならば無料で宿泊できる。だが、目的の施設が必ずしもこの先にあるとは限らなかった。あったにしても利用客が多かったりすれば相部屋になったり、場合によっては、他の有料宿泊施設を利用しなければならないこともある。何事も早めに越したことは無い。
     そんな勘定をしながら、山道を歩いていた青年だったが、ふと、何かに誘われるように、夕闇で染まりかけた木々の間を見た。
     通り過ぎていく風景の中に何かがあるのを垣間見たからだ。
     いわゆる普通の、リーグを目指すような旅のトレーナーならばおそらく一瞥しただけで、通り過ぎただろう。が、あいにく彼はそういう類のトレーナーではなかった。青年の目線の先、夕闇に染まりかけた木々の間からは何かの建物の影がおぼろげに見えた。静まり返った山の一角に寂しそうに佇んでいる。

    「…………」

     青年は足を止めると、しばしの間、そこに見える建物を眺める。
     そして進路を集落でないほうに変えたのだった。
     青年の勘が彼に告げていた。宿を探す前に一度、見ておいたほうがいい、あそこには何かがある、と。
     一瞬、沈んでゆく夕日に引き伸ばされた青年の影が踊ったように見えた。

     人一人がやっと通れるような細い細い道を伝って、青年は目的と定めた場所へと近づいた。
     近づいてみると、それは神社とおぼしき建造物だった。
     いや、神社につきものの鳥居は無いし、これまたつきものの賽銭箱もなかったが何かを祀っているには違いなかった。
     おそらくは雨を避けるためだろう。ご神体とおぼしきしめ縄を戴いた大きな岩。それを守るように屋根が備えられていた。
     ご神体の前に立つ。様々な種類の苔に覆われたその岩はそれ相応の年月を思わせた。
     しかしなぜだろうか、その岩を守るように建てられたこの屋根そのものは、青年の歳よりは長い年を経ているにしろ、比較的新しいもののように思われたのだった。
     そして特に青年の興味を惹いたのは、そこに供えられていたあるものだった。

    「これ、しゃもじ……だよね?」

     青年は傍らの鳥ポケモンに同意を求めるように言った。
     しめ縄を戴く岩の前には大量のしゃもじが供えられていた。奥にあるものはかなり古く色もくすんでいたが、前のほうにあるものは肌色に近く新しい。誰かが定期的に供えているらしいことは明らかだった。それが木製の台に立てかけるように整然と並んでいる。
    「一体何の神様なんだろう」
     青年はそんなことを呟いて、あたりをっ見回したが、これまた神社にありがちなありがたい神様に纏わる言い伝えを書いた立て札などは一切無く、その神の名も、ご利益も知る手段がないのだった。
     ふと、青年は自身の足元がざわつくのを感じた。彼の足元の、影に入っているもの達が何者かの来訪を伝えている。
     こんなところに来る物好きが自分以外にもいるとはね、そんなことを考えつつ、青年は後ろを振り向いた。
     見ると、猫背の老婆がこちらへ向かって歩いてきているところだった。
     小柄だが、皿のような丸い眼に、きゅっと閉じられた口元は古狸という例えがしっくり来そうだ。それでいて、よく言えば意思が強そうな、悪く言えば頑固そうな顔つきだと彼は思った。
     少なくとも、足元の影の中に飼っている"彼ら"のターゲットにはなり得ないタイプだな、などと考える。
     老婆は消して早くは無い、けれど確かな足取りで青年が立つ場所に近づいてくる。
     ご神体の前まで彼女がやってくると、青年は電車の席を譲るように立っていた場所を明け渡した。
     老婆は、当然とばかりにさっきまで青年が立っていた位置に陣取ると、ご神体に手を合わせて一礼をした。
     青年はなんとなく理解する。たぶんここを定期的に訪れているのはこの老婆で、おそらく供え物をしているのも彼女なんだろうと。そんなことを考えていたら手を合わせたままの老婆と目が合った。
     いや、老婆が手を合わせたまま、顔だけをこちらに向けてきたといったほうが正確か。

    「………………」

     彼女は目をぱっちりと開いて、青年の正体を確かめるかのように、凝視する。
     もしかしたら、この老婆も大学で出会った誰かさんみたいに人には見えないものが見えてしまうタイプなんだろうか、そんな想像が働いて青年は身構える。だとすればすこしばかり面倒だ。
     すると老婆が口を開いた。

    「……ツクモ様じゃ」

     しわがれた声でそう言った。

    「はい?」

     青年は少々間の抜けた声を上げる。

    「お主さっきから、ここにいる神様のことを考えておったな? ここにいる神様はな、ツクモ様という」

     そう老婆は言ったのだった。

    「ツクモ様……ですか」
    「そう、九十九と書いてツクモと読むのじゃ」

     にやりと老婆は笑った。自身の薀蓄を披露できたのが嬉しいのかもしれない。

    「ツクモ様は豊穣の神様じゃ。この土地でたくさんの米がとれるのも、ツクモ様が見守ってくださるお陰じゃ。今年もたくさんお米がとれました。お腹いっぱい食べさせてくれてありがとうございますという感謝の気持ちを表す為にこうしてしゃもじをお供えするんじゃよ」

     そう言って老婆は整然と並ぶしゃもじを指差した。

    「お主、若いのにツクモ様の参拝にくるとは感心じゃのう。今は村に一番人が集まる時期なんだが、観光客はおろか村の人間も来いやせん。それに比べてお主は、感心なことじゃ」
    「観光客? ここの村には何かあるのですか」

     意外な単語が飛び出して、青年は思わず聞き返した。何もなさそうなところだと思っていたのに、ここには観光ができて、人が集まるような何かがあるらしい。

    「何じゃお主、収穫祭を目当てに来たんではないのか」

     老婆も意外そうな表情を浮かべた。

    「収穫祭があるのですか。いや、恥ずかしながらまったく知りませんでした。この村にはたまたま今日通りがかっただけで」
    「じゃあ、ここに来たのは」
    「がっかりさせて悪いですが、たまたまです。ちょっと寄り道をしただけ」

     そう青年が答えると老婆は本当に残念そうな顔をした。

    「でもねおばあさん、僕、こういうところに来るのは嫌いじゃないんですよ」

     老婆の表情を見て、青年は付け加えるように言った。

    「だって、こういう場所は過ぎ去った遠い時代への入り口だから。その土地にいる神様のことを知れば、かつてここに生きた人たちが何を考えていたのか、何に喜び何に悲しんだか、何を想って生きてきたか。そういうことに少しだけだけど寄り添って、想像できるんです。だから、僕は嫌いじゃないですよ。こういうところに来るの」

     たまたま通りがかっただけなんて言った後じゃ、こんなこと言ってもフォローにはならないだろうなと思いながら青年はそう続けた。だが、それは老婆をフォローしたいから言ったというよりは、彼の本心から出た言葉だった。実際のところ、彼自身もこういう場所が好きなのだ。

    「まぁ、今の言葉は父の請け売りなんですけどね」

     少し恥ずかしそうに笑う。

    「そうかい、お主の父親はなかなか大事なことをわかっているようじゃの」

     たぶんフォローにはなるまいと思っていたのだが、老婆は青年の言葉で少し機嫌を直したらしく、うんうんと何度か納得したように頷いた。

    「ええ、立派な父です」

     青年はそう答えるとにっこりと微笑んだ。
     老婆とのやりとりがひと段落したところで、彼は彼の肩に乗った小さなポケモンがつんつんと首の付け根をつついていることに気がついた。
     どうやら早く行こうと言っているらしい。
     青年はわかったよ、といったようにポケモンの頭を撫でてやった。
     周囲を見わたせば空はほの暗く、太陽はその姿のほとんどを西の空に隠していた。
     いよいよ空は青と黒の混じった色に覆われて、すぐにも夜がやってくるだろう。

    「それじゃあ、僕はこれで」

     青年は老婆に会釈すると、歩き出す。
     が、何歩か進んだところで再び呼び止められた。

    「お主、名はなんと言うんじゃ?」

     別れ際に老婆はなぜか名を聞きたがった。

    「ツキミヤです。ツキミヤコウスケ」

     青年は振り返って、そう名乗る。

    「そうか、コースケというのか。ところでコースケ、お主なかなかすごいポケモンを連れておるの」

     ドキリとした。
     この人にはやはり見えているのか。

    「ほれ、その肩の鳥ポケモンじゃ。何も考えていなさそうで、実は悟りきっている深遠なその表情。わしの好みじゃ。そりゃなんちゅう名前のポケモンだ?」
    「……ネイティです」
    「そうかネイテーというのか、覚えておこう」

     老婆はネイテー、ネイテーと何回か反芻しながら満足げに頷いた。
     驚かすなよ、と青年は思う。よかった。どうやら見えているというのは早とちりだったらしい。

    「あの、さっきはツクモ様のお話をありがとうございました。では」

     そこまで言うと彼は再び老婆に背を向けて、足早にその場を去った。
     もと来た細い道に差し掛かり、老婆の姿も見えなくなったあたりで、いよいよ進むスピードを上げてゆく。
     話を聞けたのは悪くなかったけれど、宿を探す時間は随分ロスしてしまった気がする。
     山道で見かけたときはあの場所に何かを感じたけれど、結局は変な老婆に会っただけだった。気のせいだったのかなぁ、もうほとんど青黒く染まった空を見上げそう思った。

    「そういえばあのおばあさん、収穫祭があるとか言っていたよね。人もたくさん来ているっていうし早めに泊まるところを見つけないと」

     独り言に近い言葉を傍らのポケモンに吐いて青年――ツキミヤコウスケは村への道を急ぐ。


     村に向かう途中で一人の青年とすれ違った。
     年齢は彼より少し下くらいだろうか。人懐こそうな笑みを浮かべて、ツキミヤを一瞥すると軽く頭を下げる。そして、先ほど彼がいた方向へ小走りに駆けていった。
     もしかしたら、さっき出会った老婆を迎えに来たのかもしれないな。
     ツキミヤはそんなことを考えながら、足を進める。
     いつの間にか空はすっかりと暗くなっていて、彼の進む方向に集落の明かりが見えていた。
     それは人の気配。たくさんの人があの場所に居るという証明。
     にわかに太鼓の音、笛の音が聞こえてきた。


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