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  [No.3436] 煙山甲冑記 投稿者:クーウィ   投稿日:2014/10/04(Sat) 16:04:46   169clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:一粒万倍日


 朝靄の消えた山裾に、白い霞が棚引いていた。森際に沿って引き退いた霧の幕とは異なり、朝の光に揺蕩うそ
れは時を経ても衰えず、緩やかに形を崩しながら天を差し、蒼い空へと消えていく。山野を霞める靄に触れると
、つんと硫黄の臭いが鼻を突く。湯煙である。人里と言わず丘陵と言わず至る所から立ち昇るそれは府縁(フエ
ン 現在のフエンタウン近郊、エントツ山の麓に当たる)の里の象徴であり、天下に名高き温泉郷の証であった
。古来『火の国』と称されてきたこの地は、巨大な活火山である煙突山(現在のエントツ山)を盟主とする豊縁
(ホウエン)指折りの火山地帯であり、随所に湧き出る源泉は古代より名湯として称揚され、高い治癒効果で知
られて来た。万病に効くと言われるその効能を慕い、豊縁は愚か遠く城都(ジョウト)や関東(カントー)から
も湯治客が来訪し、加持祈祷の験なく薬師にも見放された重病人が藁にも縋る思いでよろめき入っては、里の掛
け小屋に身を休める。既に年号は元亀から天正へと移り変わっていたものの、長引く乱世は未だ終息の気配を見
せず、長躯の旅路は文字通り生命を賭したものであったが、漸く辿り着いた彼らを里人達は厚く遇し、もし手当
ての甲斐無く力尽きても、故郷ですら望めぬような、丁重な弔いを受ける事が出来た。
 また聳立(しょうりつ)する山脈は豊富な地下水をも宿し、鉱泉とならず平野に溢れた湧水は豊かな農業用水
として、府縁南部から紀土(キセツチ 現在のキンセツシティ)に至る肥沃な耕地を支えている。山脈を隔てた
土師継(ハジツゲ 現在のハジツゲタウン)が広大な砂漠を臨み、北方の芝岳(シダケ 現在のシダケタウン)
が農耕には不向きな高原地帯であるのに引き比べ、此処府縁周辺は中部豊縁きっての穀倉地帯であり、更に豊縁
北部と南部を結ぶ険路に面した、軍事上の要衝でもあった。
 当時豊縁の戦乱の中心となっていたのは、『赤』・『青』と呼ばれる二つの大勢力だった。彼らは各地に蟠居
する諸勢力の連合体であると同時に、赤は地神獣(グラードン)、青は海神獣(カイオーガ)を信奉する、強大
な宗教勢力でもあった。各地の有力大名は皆それぞれどちらかの陣営に与して争い、同時にどちらにも属さない
小勢力を攻め滅ぼしては揮下に加えて、信仰を強制する事を繰り返していた。赤は土師継や燈火(現在のトウカ
シティ)と言った豊縁北部、青は水面(現在のミナモシティ)や渡久禰(トクサネ 現在のトクサネシティ)と
言った南部地域を中心に勢力を拡大していたが、北部の勢力が南部を窺うにも、南部から北部に攻め入るにも、
煙突山は通行困難な南北の関所として立ちはだかっており、陸路の往来は西方の府縁か東方の土師継を経由する
他はない。海路は海上交易を勢力基盤とする青の勢力、東口は土師継に強勢を誇る赤の勢力が押さえている為、
両勢力からの影響力行使を避けたいと願う者は必然的にこの府縁を経由して、それぞれの目的地に向け旅立つ事
となる。
 また両勢力の緩衝地帯となっているこの地には、彼らによって追われた各地の諸勢力から、多くの落人が流れ
込んで来ていた。神代の頃より人と獣達の縁(えにし)が深く、各地にその土地ならではの産土神(うぶすなが
み)が祀られているこの豊縁の地に於いて、信仰の強要は武力による侵略に勝るとも劣らない抑圧を強いた。府
縁は当時の豊縁に於いて、信仰の自由が自他共に認められている、唯一の独立勢力であった。
 故国を焼かれ、蒼紅一色に染まる郷里を捨てて身一つで逃れ出た人々は、追手をかわすべく千古不斧の原生林
を彷徨った後、府縁の里へ辿り着いて初めて安堵する事が出来たのである。遥か古代から聖地と目され、豊縁に
於ける諸国鎮護の中心地と定められているこの地には、如何な強勢を誇る赤・青両勢力と言えども、兵火を及ぼ
す事はなかった。府縁の地を任せられている巫縁(ふえん)大社の祭神は地神獣と海神獣そのものであり、御神
体ともなっている藍色ノ玉・紅色ノ玉の両宝物は、彼ら自身の信仰の根源とすら言えるものだったからだ。
 そんな府縁の地を治めているのは、巫縁大社の大宮司を務める豊縁きっての名族、巫縁家である。代々神職と
して同地に根付く一族は民衆との繋がりも深く、諸国から流れ込んだ落人達の存在もあって、小なりとも侮りが
たい勢力として知られていた。その来歴は極めて古く、最初に同家の存在が確認出来るのは、実に神代にまで遡
る。
 嘗てこの豊縁の地に大災厄が巻き起こり、暴走した地神獣と海神獣の争いによって滅びの危機に瀕した時、緑
龍神(レックウザ)と共に両神獣を鎮めるべく力を尽したのが、彼ら巫縁の一族だったと言われている。争いが
終わり、荒廃した故郷の惨状を目の当たりにした人々は、二度とこのような事態を招く事がないよう二神獣を鎮
める際に用いた藍色ノ玉と紅色ノ玉を豊縁の中心に位置する府縁の地に運び、その地に社を建てて手厚く祀った
。巫縁の一族はその宮司となり、豊縁一円の祭祀を司る神官長(かんおさ)として、各地の復興と安寧に尽力し
たと言われている。また、この時共に手を携えた人間と獣との間には強い絆が結ばれ、獣達の多くはその土地な
らではの産土神として、長い信仰と共生の歴史を紡いでいく事となった。
 やがて時は過ぎ、中央政権の力がこの地に及ぶと、統治者も兼ねて巫縁ノ君(ふえんのきみ)と呼ばれるよう
になっていた同家は戦わずしてこれに下り、朝廷から国造(くにのみやつこ)に任じられる。外来の勢力に反抗
する者も多かったが、元来が祭司である巫縁家は戦乱によって己が責務を蔑にする事を潔しとせず、他の豊縁各
地の実力者とは立場を異にし、寧ろ彼らを諭して中央政権と和解させる仲介者としての役割を担った。朝廷側も
その働きと影響力を認め、時の帝と巫縁ノ君との間に婚姻を結んで、同地の采配を任せる方針を取るに至る。此
処に豪族としての巫縁家の立場が確立され、その勢威は祭祀のみならず統治の面でも、豊縁全土に及ぶに至った
。主上との血縁を得た一族の扱いは重く、歴代当主はしばしば都の高家にも劣らぬ位階を授かって、豊縁に於け
る同家の存在を広く内外に知らしめる。後に政治体制が親政から代理統治へ、中央権力が公卿から武家へと移り
変わる間も、巫縁家はその時々で立場を異にしつつ、徐々に影響力を狭めながらも、永く豊縁に不可侵の存在と
してあり続けた。
 だが、時代は変わった。既に大宮司として七十余代を重ねた当世、下剋上の機運は世に満ちて、戦乱の波はあ
らゆるものを呑み尽くし、情け容赦無く淘汰していく。嘗ては豊縁一円に存在した社領も今や本拠を残すのみと
なり、古い権威に裏付けられた平穏は、新たな台頭者に対し何の効力も期待出来ない、砂上の楼閣に過ぎなかっ
た。歴代当主達は様々な思考を凝らし、この地の平和と独立を何とか守り抜いて来ていたが、急速に力を拡大し
て来た二つの大勢力にとり、外部の干渉を跳ねのけ続ける中立地帯の存在は、最早豊縁統一に向けた神聖な行程
を妨げる、柵(しがらみ)以外の何者でもなかった。

 朝餉のふるまいが終わり、逗留中の客人達がその日の予定を前に身を休めている頃。一羽の三つ子鳥が騎乗者
を乗せ、領主の屋形へと駆け奔っていた。何時になく慌ただしい伝騎の到着に、湯殿への道を辿る老若は不安げ
な表情を浮かべ、砂塵の向こうに駆け去っていく主従を見やる。一刻も早く注進せんと眦を決した壮年武者は、
そのまま屋形に続く急な坂道を駆け上り、空堀に掛かる橋を渡って、物見の者が予め開かせ始めた門扉が傾ぐの
ももどかしく、鞍の上から身を躍らせて、邸内目掛け走り込んだ。
 天正12年(1584)6月、梅雨の晴れ間を縫って飛び込んで来た使者が齎したのは、青陣営の雄にして水面を治
める強豪・藍津義房(あいづよしふさ)からの要望書であった。



今メインに書いてる奴。赤い月の外伝(?)と言えば良いのだろうか……。赤い月と同時進行なので進みは良く
ないけどそれなりに意欲のある試みです。今までで最も堅苦しい文章になる予定(爆)
取りあえずどれにしろちょっとでも進むよう頑張ります……。


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