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  [No.3446] 代理処真夜中屋(仮) 投稿者:GPS   投稿日:2014/10/14(Tue) 21:12:05   64clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

不思議な不思議な生き物、動物図鑑には載ってない。
『ポケットモンスター』、縮めて『ポケモン』。

しかしそんな不思議なポケモンを以てしても、解明出来ない謎が世界にはたくさんあるのです。
それは普通ならば持っていない力を秘めたポケモンによるものだったり、魔法を手に入れた人間の仕業だったり……。
そんな不思議な出来事を解決するべく暗躍するのは、自らのその身にも不思議な力を宿すサイキッカー。
これは輝く月の下、深い不思議に囚われた者たちを助けるために駆け巡る、一人のサイキッカーの物語。



「ふわ〜ぁ〜ぁ、……ねむっ……」

カントー地方、タマムシシティ。ジムや大学のある中心部からは少し外れた繁華街の路地裏に一匹のコラッタがこそこそと走り抜けて行く。ラーメン屋に金券ショップ、マッサージの看板や今はシャッターが降りているスナックなどが立ち並ぶ、何とも言えぬ怪しさを醸し出すその路地に立つ雑居ビル。そこの五階に構えた事務所に、彼はいた。

「眠いよぉ〜……お日様が眩しいよ……」

寝ている間に腹の上に乗っかっていたらしい、バケッチャを乱暴に払い落としながら一人の青年が寝言のように言った。懲りずにしつこくよじ登ってくるバケッチャがドスンと腹部を襲い、青年はうぐ、と息を漏らす。
彼が寝ているそこは事務所と言えば聞こえは良いが、蓋を開ければタダの掃き溜めだ。本だのゴミだのペットボトルだの、呪術にでも使うのか禍々しい道具だの。散らかった床は足の踏み場がさっぱり無い。
日の光が注ぐ窓だけを上手いこと避けて、影になった部分のカーテンレールにはカゲボウズが5、6匹ぶら下がっている。ひびのはいった天井にくっつくようにして浮いているのはフワンテで、小さな冷蔵庫にぴたりと寄り添うのはユキメノコ。床に転がる本の上を這う影や、狭苦しい室内を横切る影。外から聞こえる話し声や雑音に混じって、カサカサという不穏な音が絶え間無く響く事務所はゴーストタイプの溜まり場であった。
ここから十分あるけば辿り着く大都会とはまるで別世界のような部屋で、古びたソファーに寝返りを打つ一際大きな影。無論それは先ほどバケッチャを振り落とした青年である、丸っこいかぼちゃは今度こそ、寝返りによってころころと転がっていった。
生まれつきよりも日に当たらない生活の方が原因である白い肌、バサバサと鬱陶しい黒の前髪、ふにゃふにゃと寝ぼけた両眼。よれたTシャツには「YADORAN」という気の抜ける創英角ポップ体と共に、これまた気の抜けるヤドランのイラストが描かれている。かなりのお手軽価格が人気であるファッションブランド、UNIRANで980円也。
寝転がったその青年は身体を丸め、シャツに合わせたスウェットのズボンに皺を作る。

「なんでお昼ってこんな辛いんだろうね……?ずっと夜ならいいのに……眩しい……僕はキマワリじゃ無いんだぞ……」

両腕で目を覆いながら呻いている彼は、その名をミツキと言う。どこからどう見ても完全なる特性なまけ野郎にしか見えないが、これでも立派なサイキッカーなのだ。
ミツキの力の拠り所は月の光である。それゆえ彼の力の強さは月齢と月の出によって変化し、よく晴れた満月の晩には、そんじょそこらのポケモンくらいならば容易に倒せるほどの妖術を扱うことさえ可能だ。
……が、何分今は昼。月の光など欠片も感知出来ず、ミツキはすっかり屍と化している。レベル1のコイキングだって、もう少しは役に立つだろう。
夜型にありがちな日光への弱さ、ミツキの白い顔がさらに青白く変わっていく。目を開けているのすら難しくなってきたらしい彼は、ぜえぜえと息を荒くしながらソファーの背から顔を覗かせて向こう側へと声をかけた。

「もう無理……お願い、ムラクモ……カーテン閉めて…………」

『甘えんなこのダメ人間!』

返ってきたのは無情な声……それも、文章読み上げソフトによる無機質な声。次いで事務所に響いたのは、寝転ぶミツキの頭が勢いよくはたかれる、景気の良い乾いた音だった。
うう、と唸ったミツキがソファーから身を起こす。眩しさいっぱいの視界に彼が見たのは、たった今自分をはたき飛ばした紫の腕をゴキゴキと鳴らす一匹のゲンガーだった。

『部屋も人間もポケモンも、この世のものは多かれ少なかれ日光当てないとダメになるんだよ。鏡見てみろ、それが日光浴びなかった結末だ』

辛辣な言葉が電子的な声で述べられていく。それの発信源であるパッドはゲンガーの手にすっぽりと収まっていた。短い指が器用に画面をタップして、主への暴言を次々に浴びせる。
このゲンガーは名をムラクモといい、一応はミツキのパートナーである。しかしその実態はどちらかと言うと保護者であり、だらしないミツキの世話を彼が子供の頃から焼いているという、なんとも面倒見の良いゴーストポケモンだ。
紅い瞳でミツキを睨みつけ、ムラクモが素早く文字を入力していく。

『データ入力の在宅ワーク、どうせ終わってないんだろ。さっさと起きてさっさとやれ!! そして一刻も早く部屋を片付けろ!!』

「わかってるよ〜、でも真っ昼間だから力が出ないんだもん……それにお腹空いたし……ねえムラクモ、僕ここ一週間主食がモヤシなんだよ……? 成人男性の主食がモヤシって、何? 許される?」

『それは知ってるが、仕事をサボりまくるお前の自業自得だ! あとついでに言うと、せっかく入った金を本やら呪具やらにつぎ込むのも原因だな。美味いもんが食べたいなら早く働け!!』

「意地悪……」

ぼやきながらもゆるゆると起き上がったミツキは、緩慢な動作でノートパソコンを起動させた。ぐうう、と鳴り響くお腹を押さえた彼の瞳が恨めしそうにカゲボウズたちを見る。

「いいなあ、アイツらは。人の感情なんていくらでも食べ放題じゃん、燃費良くて羨ましいよ」

『そうは言ってもお前は人間なんだから文句言うんじゃねえ。それにあんまり羨ましがると、その感情こそが奴らにとっては格好の餌になるぞ』

「あっ、いけないいけない……それは癪だからな……全然羨ましくなんかないもーん、ほんっと、ちっとも羨ましくない!!」

『…………』

大人気なさ皆無の主に、ムラクモは言葉を失った。大きな口が引きつったようにピクピク動くが、ミツキは全く気付いていないようである。まだ文句を垂れながら、嫌々と言った感じでパソコンに向き直った彼の頭をゴースが漂いながらすり抜けた。
しばらくはカタカタとキーボードを叩き、大量の数値をセルに打ち込んでいたミツキだがやがて集中の糸は切れるもの。「あーっ!」と声をあげた彼に驚いたらしい、部屋の隅の植木鉢にでっそり生えていたオーロットがびくりと枝を揺らす。

『なんだ、うるさいな! まだ15分しかやってないぞ、もっと頑張ってくれ!!』

「そんなこと言ってもさぁムラクモ! 最近こんなんばっかりじゃん、もっと血湧き肉躍るような、ちゃんとした仕事したいよ〜!!」

『これもちゃんとした仕事だ! 金をもらってる以上仕事に優劣も貴賎も無い、真面目に取り組まないとバチが当たるぞ!!』

「それはそうだけど! だけどさ、最近マジで暇なんだもん! データ入力にペットのポッポ探し、一番アクティブなのでスピアー駆除だよ!? もっと僕たち本来の依頼無いの!?」

『そのスピアー駆除は散々に苦労したじゃねえか!! いいからさっさとそれを終わらせろ!! そんな都合よくそういう依頼が来るわけ……』

「…………あの、すみません」

コツン、という靴音と、躊躇いを滲ませた少女の声が事務所の空気を震わせた。言い争いをしていたミツキとムラクモが言葉を切って、声した方を同時に向く。それまでは各々思い思いに過ごしていたゴーストポケモンたちも、ステンレス製の扉の前に立った来客にふっと気配を掻き消した。
無機質なカーテンレール、ただの観葉植物。色々な物が散乱する部屋にはミツキとムラクモだけ。すっかり静かになった部屋に向かって、少女は丁寧に頭を下げた。

「はじめまして。私は、ミニスカートのユミと言います」

短いスカートの裾が彼女の動きに合わせてひらりと揺れる。ムラクモ曰くの『都合よく』現れた突然の来訪者は、泣き腫らした眼でミツキをじっと見つめて、「お願いします!!」と叫ぶように言った。

「頼みたい、ことがあるんです……助けてください、真夜中屋さん!!」



代理処真夜中屋。
そのテナント名からは、何をしている事務所なのか全く読み取れない。が、実際のところはこっぱずかしい名前に反した単なる何でも屋で、先ほどミツキがやろうとしていた在宅ワークを請け負ったり日雇いのバイトを頼まれたり、野生ポケモンの被害など困りごとを解決する依頼を受けたりするだけだ。普通の便利屋と大差無い。
しかしそれは所謂『かりそめの姿』! チェリムで言うネガフォルムってとこなのだ。真夜中屋はただの便利屋などでは無い。冒頭に申し上げたような不思議な出来事、それこそただの何でも屋などには解決出来ないような事件こそが本職である。表立ってそう宣伝しているわけでは無いが、口コミやインターネットのSNSを通じ、足を運ぶ相談客は少なくない。
今訪れた少女もその一人。ネット掲示板でミツキと真夜中屋の存在を知ったという彼女は、どんな話を持ち込むのだろうか……。


「……それで、今日はどう言ったご用件で?」

ムラクモが運んできた、来客用の緑茶を啜りながらミツキが尋ねる。余裕ぶった態度だが、彼女の存在を認識した直後には自分の格好に絶望した表情になり、「ねえムラクモ女の子だよ!! この服装どうにかしないとヤバいよね!? ムウマージに頼んで今すぐ正装の幻覚見させてもらえないかな!?」『アホな心配してねえで早く応対しろ! ムウマージは今日小悪魔系ゴースト女子会があっていないし、そもそもお前もうその格好見られてるから手遅れだ!』「何それ!? あいつ小悪魔って言うよりマジもんの悪魔じゃん!!」とみっともない姿を晒しまくった男と同一人物である。
しかし諦めがついたのか、それとも久しぶりの『ちゃんとした仕事』が嬉しいのか。慣れた態度で話を聞く姿は、一人前のサイキッカーのものだ。胸に踊る文字列『YADORAN』がなんとも悲しいが、そこには目を瞑ろう。
茶器をテーブルにコトリと置いて、ミツキがユミに尋ねる。パッドを隠したムラクモも追従するようにソファーの横に立ち、ユミのことを見た。

「あの、……まず、真夜中屋さんはこれって知ってますか……?」

ミツキとは対照的に、お茶に一度も口をつけず切羽詰まった様子のユミは、鞄から取り出した携帯電話机に置く。なんだなんだ、とその画面を覗き込んだミツキとムラクモの目に映ったのは、一枚の写真だった。

「くろい、まなざし……?」

その写真はどうやら、パソコンの画面を写したものらしい。直接見るよりもいくらか荒い液晶に反射して、携帯を構えた人が微妙に映り込んでいる。動画サイトや芸能人のブログなどのサイト名が書かれたタブが並ぶ中、一番手前に来ているのは極めて簡易的なものだった。
黒い画面には、無機質な白のフォントで『くろいまなざし』と打ち込まれたものと、小さな一つのテキストボックスだけ。ホームページ作成技術が進んだ今にしては、ここまでシンプルなサイトも珍しいだろう。そのくせ広告はどこにも表示されていない。ドメインも独自のそれだ、地味に手が回してあるのだろうか。
しかしそれ以外に特徴もなく、ミツキは眉を寄せた。

「いえ、僕は見たことありませんが……このサイトに、何か問題でもあるんですか?」

「はい……これ、今流行ってる……と言っても、噂とか裏サイトとかで大々的なものじゃないんですけど。多分、小学生から高校生くらいかな、結構盛り上がってるんです」

ユミによると、サイト『くろいまなざし』は子供の間で囁かれる都市伝説のようなものらしい。タマムシにある高校の制服を纏ったユミの友人たちも、このサイトのことを何かと噂していたようだ。
インターネットを見ていると、ふとした拍子に現れるという謎のサイト。名前とテキストボックス以外に何も無く、なんの意味があって作られたものなのか、誰が作ったものなのか、何のためのサイトなのか。何もかもが不明なのだ。
悪質業者のそれと違い、リンクをうっかり踏ませたりする手法ではない。他のサイトを開くと同時に、いきなりアドレスが開かれるというのだ。だが実在してるか否かははっきりしておらず、ユミも少し前までは単なる噂、くだらない話だと思っていたと語った。

「でもユミちゃん。この写真見る限り、思いっきり存在してない?」

画面を指差したミツキに、ムラクモもうんうんと頷く。その問いに、ユミは「そうなんです」とポツリと言った。ポニーテールにまとめられた長い髪がゆるゆると揺れる。

「そんなもの、ありえないと思ってました……ただの馬鹿げた噂だと。時間が経ったら風化するような、そういう……」

「………………」

「でも、あったんです。この写真を送ってきたアイリ……あ、私の友達なんですけど、彼女はサイトへ辿り着いたんです。……辿り着いて、しまったんです」

「しまった?」

まるでそれがいけないことだというように、ユミが声を震わせる。そよ様子に首を傾げたミツキへ、ユミは「ああ、そうでした、まだ言ってませんでした」と慌てるように言った。

「このサイトは、ブラウザの閉じるボタンを押しても閉じないんです。閉じる方法はこのテキストボックスに、何らかのワードを打ち込む以外には無いと言われてます。閉じるボタンを何度押したところで、効かないらしいんですよ」

「ほうほう。入力するワードは……何でもいい、ってわけじゃないんだろうね。こういうものは」

ミツキの言葉にユミが頷く。流石サイキッカーさんですね、と言ったユミは言葉を続けた。

「くろいまなざし……つまりは、このサイトの閲覧者は技をかけられていることになるんです。『くろいまなざし』という技、逃げることの許されない技にどう対応するか。それを試されている、そんなサイトらしいです」

「ふむ……」

「……それで、本当に嘘っぽいんですけど……逃げることも出来ないこの技をかけられた時点で、こちらの負けは確定してる、と言うんです。テキストボックスに技名を入れて対抗しようとしても無理で、ボールとかの名前を入れても駄目みたい。何かを入力したら、そこでもうおしまいです」

「えっ……」

「言葉を入れてエンターキーを押したら、途端に目の前が真っ暗になると言います。そして恐ろしい夢を見て、何日も何日もうなされて……それで、……すごい熱が出てしまう、みたい」

「なんだよそれ!! どうしようもないじゃん、無理ゲーじゃん! フライゴンでマリルリに挑むようなもんだよ!?」

黙って話を聞くのに耐えられなくなったらしいミツキがとうとう声をあげた。しかしこれにはムラクモも同意したようで、赤い眼をきゅっとさせながら何度も頷いている。
そんな彼らに、ユミは慌てて首を横に振った。違うんです、ちゃんと対処法も噂にあるんです、と早口になったユミが手でぬいぐるみの形を宙に描きながら言う。

「絶対逃げることの出来るどうぐ、『ピッピにんぎょう』って入力すればこのブラウザは自動的に閉じてしまい、何事も無かったかのように元々あった画面に戻るだけ。何も起きないし、まるで『くろいまなざし』なんてサイトなんか最初から無かったみたいに」

「な、なんだ……じゃあ初めっから『ピッピにんぎょう』って書けば済む話じゃん、焦らせないでよもう……」

ほっ、と胸を撫で下ろしたミツキだが、対するユミの表情は曇ったままである。そればかりかその顔はさらに苦くなり、彼女はとても辛そうに眉を寄せた。

「そう、ですよね……真夜中屋さんの言う通りです。対処法があるなら、大人しくそれに従えばいいんです。ホント、その通り……」

「ユミちゃん…………?」

「でも、そう出来ない人もいっぱいいるんです。私の知らない子供たちも、どっかに住んでる高校生も、掲示板で語られる被害者も、……そして、アイリ、も……」

「……どういうことだい」

声だけでなく身体を震わせ始めたユミに、ミツキが声色を変える。ムラクモがユミの茶器を手に取って飲むように促した。それを受け取ったユミがお茶を口に含み、幾分か落ち着いた声に戻る。

「昨日の夜、アイリからこの画像が送られてきたんです。その時はびっくりしました……まさか、本当にあるだなんて。でも、私はすぐ『ピッピにんぎょう』って打ち込むように言ったんですよ。だって君悪いじゃないですか、誰かのイタズラだとしても、なんか……だからとりあえずそうしとけって、アイリに……でも、アイリは……」

「……いいよ。その先は言わないで」

「…………それきり、アイリから返事はかえってきませんでした。何度電話してもメールしても、何しても駄目でした。それで、今日アイリの家まで行って、お母さんに聞いたら、……アイリ、突然熱出して、病院に…………」

そこまで言って、ユミはガタンと音をたてて立ち上がった。抑えていた涙を一気に零した彼女は、机を挟んだミツキへと掴みかからんばかりの勢いで叫ぶ。机に押しつけられた両手はぶるぶると震えていた。

「お願いです、真夜中屋さん!! アイリを助けてください……!! 病院じゃ駄目だと思うんです、病院じゃアイリは治らないんです……勿論何の根拠もありません、でも! それでも、アイリを……」

「…………ユミちゃん、」

「お金ならいくらでも払います、私に出来ることだったら何でもします!! だから、どうか、……力を貸して欲しいんです!! お願いします、真夜……」

「ユミちゃん」

ミツキの鋭い声が、ユミの言葉を遮った。それは短い言葉だったが、不思議なほどに張り詰めていて、場の空気を止めるには十分なものだった。
口を開いたまま、声を途切れさせたユミのスカートに涙が染みを作る。そんな彼女の目を見て、ミツキはゆっくりと言った。

「ユミちゃん。僕は、ユミちゃんに三つお願いがある。これが出来ないと言うのならば、今回の話は無かったことにしてもらいたい」

ミツキがゆっくりと話す言葉に、ユミは目を擦りながら頷いた。いいかい、とミツキが指を一本立てる。

「まず最初に、落ち着こうか。酷い言い方をするけど、ユミちゃんが慌ててもどうしようもない。君までそんな状態になって、そのせいで他の揉め事まで起きたら笑い話にもならないよ」

とりあえず深呼吸深呼吸、とおどけて言ったミツキに、ユミが大きく呼吸をする。まだ涙は流しているものの、荒くなっていた息遣いが収まった彼女へとミツキは二本目の指を立てる。

「次に、もう『お金ならいくらでも払う』とか『何でもする』とかは絶対に言わないこと。そういうこと言っちゃうと付け込まれるからさ、たとえ焦ってても、誰にも言っちゃいけないよ」

ユミが申し訳なさそうに頷いた。その様子に少し笑ったミツキが「そういうのは、おとなのおねえさんになったら言うものだからね」などとのたまうが、その言葉に呆れ顔になったムラクモがユミに見えないようにミツキのふくらはぎを割と本気の力で蹴飛ばす。おおう、と呻いたミツキは片足をさすりながらも、三本目の指を立てた。

「それで、三つ目だけど」

そこで一度言葉を切ったミツキに、ユミはごくりと喉を鳴らす。どんな条件がくるのだろうか、自分には想像もつかないような、恐ろしいことなのだろうか。そんな考えがユミの頭の中をぐるぐると回り出す。
前髪に隠れたミツキの目は細まっていて、何の考えも読み取れない。隣にいるゲンガーはじっとしているだけだ。それなのに、何故か、事務所中に何かの気配が蠢いているような感覚をユミは覚えた。
ミツキの瞳が、とてつもなく暗く見える。そんなはずはない、普通の色をしているはずなのに、そうだとわかっていても、ユミはそう感じずにはいられなかった。
ざわざわと空気が揺れる。存在しないはずの何かの音が鼓膜を震わせる。ゲンガーは黙ってこちらを睨んでいる。
カーテンは開けられているが窓はしまっている、風も無いというのに、真夜中屋の黒髪がふわりと動いた。

この人は、普通じゃ、無い。

ユミはここに来て初めて、恐怖というものを感じた。逃げたい。今すぐこの部屋を出て、路地裏から抜けて日常へと戻りたい。そんな思いが心へ一気に押し寄せる。
でも駄目だ。ここで私が逃げたら、アイリは助からない。アイリだけじゃない、くろいまなざしのせいで、熱を出して苦しんでいる、知らない誰かも。
ユミは必死に足を踏ん張った。怖くてたまらなかったが、ミツキのめをしっかりと見返した。ここで粘らなければ負けだ、本能か第六感か、理性じゃないどこかがそう告げていた。
ミツキの口が開く。どんなことを言われても構わない、ユミは手をぎゅっと握って彼の言葉を待った。

「三つ目は、えっとね……今日の夜、お月様が綺麗に輝くようにお願いしといてくれるかな?」

「…………………え?」

ユミは自分の耳を疑った。想像してたよりもずっと、いや、想像の範疇にも無かったレベルで拍子抜けもののミツキの台詞はしかし、聞き間違いでは無かったらしい。出来ればテルテルポワルンとか作ってもらえると嬉しいな〜、などとミツキがへら笑いをかましながら言う。
呆然としたまま、ユミはどうにか頷いた。ありがとねー、と笑うミツキからも事務所からも先ほどの雰囲気はすっかり消えている。

「……はい、わかり、ました……」

「うん! じゃあここに名前と連絡先と、一応今回の件詳しく書いといて。あ、書きたくないとこは空けといていいから!」

いそいそとペンや紙を手渡してきたミツキと、いつの間にか持ってきていた急須でお茶のお代わりを淹れるゲンガーに、ユミは身体中の力を抜かしてしまった。手にしたペンの冷たさだけが鋭く思える。
ユミが紙に記入している間にミツキが話したのもとりとめのない与太話で、さっきの恐怖の片鱗も感じさせない。気をつけてね、というミツキの言葉に会釈を返し、グレーの扉を閉めて外に出た時には、あの時の感覚は夢だったのではないか、とさえも思えた。なんだか化かされたような気分になりつつ、ユミは手すりを歩くニャースとすれ違いながらビルの非常階段を降りていく。
地上に辿り着いて見上げた先、たった少し前まで自分がいた五階の窓には、白い雲の浮かぶ青空をバックにして『代理処真夜中屋』の看板が確かに取り付けられていた。



『……相変わらず、お人好しが過ぎるな』

ユミが帰った事務所に電子音声が響く。来客の帰宅に安心したらしい、ゴーストポケモン達の姿や気配が続々と復活していく中で、ムラクモは呆れたように肩を竦めた。大体あんなのただのデタラメで、単なる風邪かもしれないだろ。高校生って年頃のヤツはそういう勘違いも多いものなんだ。パッドのスピーカーからムラクモの言葉が流れ出る。
その赤い瞳に睨まれて、決まり悪そうな顔のミツキは空中に浮かび上がったシャンデラの傘を撫でてやりながら、「困ってるみたいだし仕方ないでしょ。逃げ出さなかったから、本気も本気だし」と返す。その答えにムラクモはふん、と鼻を鳴らしたが、特別突っかかることは無かった。

「それにさ、ちょっと気になることがあって」

「気になること?」

ムラクモが聞き返した時には、ミツキは既に床に散らばる紙束を漁っていた。スーパーのチラシやセミナーの広告などに隠れていたバケッチャが、本日三回目の転がりに見舞われる。橙色のまんまるは転がっていき、床付近でふよふよしていたヨマワルに衝突した。
そして勃発する争いには気づいていないらしい、ミツキはごそごそと紙の束を調べている。何冊かの本がぽい、と放り出された末に彼が「あったあった」とようやく取り出したのは、一週間ほど前の新聞だった。
なんだこれ? と聞きながら、ムラクモがミツキからそれを受け取る。ミツキの指差した記事の見出しには、『原因不明の高熱、世界に拡大』と書かれていた。

「小さい子や若い人たちを中心に、ポツポツ出てる新種の病気。どんな薬も効かないから、今お医者さんたちが必死に調べてるんだって」

『病状……高熱、回復件数ゼロ……』

「長引く熱のせいで、視力を失った人も出てしまったみたい。このまま放っておくと、どんどん増えちゃうかもしれないんだ。さっきのユミちゃんの話、無関係には思えなくってね」

新聞に視線を向けたままそう言ったミツキを、ムラクモはじっと見つめる。前髪の間から覗く瞳は、彼にとっての昼間のそれではもう、無かった。一見寝ぼけているようなその瞳に、確かな月の光が宿っている。
ムラクモの紫の拳が握りしめられる。声は出さずに一度頷いた彼は、ああ、と返事をパッドに打ち込んだ。

『確かに、ここまで知って見ないフリは出来ねえな。よしミツキ、そうと決まったら早速サイト探しをーー』

「あ、それは無理」

『は?』

短く告げられたミツキの言葉に、ムラクモの大きな口がぽっかり開いた。いや待てよ、どういうことだよ、と目で聞いたムラクモに「えっとさぁ〜」と、ミツキが情けなさそうに笑いながら言う。

「実はネット止められてて……ごめん、内緒にするつもりは無かったんだよ、今日の夜言うつもりで……」

『……………………』

「いやぁ、どうせ止めるんなら電気の方が良かったよね! 証明はシャンデラたちがいるし、冷蔵庫もユッキーがいるし、本当僕ってバ……ム、ムラクモ……?」

『そこじゃねえよこの大馬鹿もんがぁぁぁぁ!!』

タマムシのとある路地裏に、シャドーボールが炸裂する音と「ごめんなさぁぁい!!」という叫び声が響き渡った。次いで、代理処真夜中屋があるビルの一階に店を構えるラーメン屋の店主の、「うるせえよ!!」という怒鳴り声も。

輝く月が空に昇る時間まで、まだまだ、だいぶ長いようだ。






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夢は大きく、シリーズ化。


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